2017年03月07日

英語/ローマ字 #2017年の本棚の中のニッポン


 英語を整備しよう、ローマ字を整備しようというような話は、一見、はじめの第一歩的な議論かのように見えて、その実けっこうに本質的な問題と密接に関わることだと思います。
 つまり、日本資料・日本情報のユーザ、届け先、想定対象者のことを、どのようにとらえているのかということ。ひいては、”日本研究とは”何なんだ、ということにつながるんだなっていう。

 日本リテラシーの充分に高いガチガチの日本研究者・日本専門家であれば、別に英語の整備、ローマ字の整備はそこまで難しく考えるような話ではないです。確かに日本研究を専門にする人であっても、海外のOPACやデータベースはローマ字で日本資料・日本情報が収録されてることがほぼデフォルトですから、最初にどうしてもローマ字で検索しちゃって、この日本製データベースやデジタルアーカイブにはローマ字が収録されてないんだっていうことに気付かなかったりする、ということは往々にしてあるだろうですが、それでもその後日本語で検索・探索・閲覧できるようなユーザなんだったら、そこまで難しく考えることはない。
 でも、そうじゃないユーザのこと、そうじゃないシステムを使うユーザのこと、そうじゃない世界環境の中での日本研究”らしき”もののことを考えるからこそ、英語/ローマ字の問題は真摯に考えるべき話になるんだと思うんですね。

 というようなでっかい問題になりそうな話の流れをいったん断ち切って、英語/ローマ字対応の最近の事例から。

・「Humanities Links」. 国立国会図書館リサーチナビ
https://rnavi.ndl.go.jp/humanities/post-3.php

 これはリサーチナビ「人文リンク集」の英訳版として作られたページで、「国立国会図書館の日本研究支援」(総務部支部図書館・協力課. 「国立国会図書館の日本研究支援」. 『国立国会図書館月報』. 2016, 664/665, p.15-17.)によれば、日本が非専門の司書がCJK全体を扱っていると日本語がわからないのでとか、そもそも国内に自分以外にそういう人がいないので、というようなことを海外の日本研究司書から助言受けて作らはったとのことです。
 NDLさんはリサーチナビの英文コンテンツ作成にも乗り出していて、下記はその一例のようです。

・「Searching for Ukiyo-e Illustrations」. 国立国会図書館リサーチナビ
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/searching-for-ukiyo-e-illustrations.php

 下記は英語資料のメタデータ作成について。これはコラボレーションのbestpracticeとしても注目すべきかと。

・「文化財関係文献(統合試行版)」. 東京文化財研究所
http://www.tobunken.go.jp/archives/文化財関係文献(統合試行版)
『日本美術年鑑』所載文献、などの日本語文献・情報の統合データベースの中に、セインズベリー日本藝術研究所が採録・入力した英語の日本美術文献のメタデータ等(主に2013年以降)を収録しているもの。
・「セインズベリー日本藝術研究所との共同事業のスタート :: 東文研アーカイブデータベース」
2013年7月
http://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/120524.html
「この事業は、これまで東文研が日本国内で発表された日本語文献の情報を収録して公開してきた「美術関係文献データベース」を補完するものとして、SISJACが日本国外で発表された英語文献の情報を収録したデータベースを構築及び公開することにより、日本国内外における日本芸術研究の共通基盤を形成することを目指しています」

 それから、システムによって英語対応しているという例。
 これは大蔵経本文テキストを英語対応していなかったとしても、英語辞書と連携した機能を付加しておくことで対応する、というもの。フリーの仏教用語辞書を使用していると聞きます。

・「「大蔵経テキストデータベース」では何ができるのか」. 変更履歴はてな版
2014.12
http://d.hatena.ne.jp/digitalnagasaki/20141228/1419789429
「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」において、漢文よりも英語の方が得意なすべての人に役立つ機能として。本文閲覧時に本文をドラッグすると仏教語の英訳がポップアップされる、英語単語を検索窓に入力すると漢字仏教用語を候補から入力できる、等。

 もうひとつシステムによる英語対応の例。

・奈良文化財研究所、全国遺跡報告総覧の英語自動検索機能を公開
Posted 2016年8月25日
http://current.ndl.go.jp/node/32393
英語の考古学用語で検索すると、それを日本語の考古学用語に自動変換して検索するとのこと。システム内部に日英対訳の考古学用語5,426語がある。

 それから映画・動画の英語字幕というものが、どうやらわりとキーらしいなっていう。これは大学での学生向け教材としてのニーズが高いみたいで、”和本”コンテンツとして最近好評だった慶應・佐々木先生のMOOCs講義も、スピーチが日本語、字幕が英語/日本語、それが日本語学習者に教材として重宝されている(http://www.dhii.jp/DHM/dhm61-1)というような話は、めでたい話だなと思う反面、実際そういう動画のニーズがあるにも関わらずそれを満たすようなデジタルコンテンツが少ない、ことの現れなんだろうなと思いますね、ここはわりと切実具体的に取り組んだ方がいいのかもだなっていう。
 取り組んだ方がいいというのは公的にも言われてて、2012年のCULCON(日米文化教育交流会議)では、日本語教育について、下記のように共同声明が出されています。

・「第25回日米文化教育交流会議(カルコン)合同会議」
https://www.jpf.go.jp/culcon/conference/dl/CULCON_Joint_statement_j.pdf
「カルコンは米国における日本語教育が強化されること、および利用料の軽減や削減も含め、米国の学生が日本語教材・資料にアクセスする機会が拡大することを要請する。また字幕付き日本語教材のさらなる開発を推奨する。」

 ただ、2015年6月のシンポジウム「アクセスの再定義 : 日本におけるアクセス、アーカイブ、著作権をめぐる諸問題」でハーバードのマクヴェイ山田さんがその発表中で指摘してましたが、まだまだ少ないし、入手もできない、ネットにもない、グレーなのを使わざるを得ない、というあたりは、クールジャパン的な観点からも痛いなと思います。
 それが痛いというのは関係者も重々わかっていて、あたしこれは正直、え?、とちょっと不自然さを覚えたくらい明確に言及されてたのが、「アーカイブ立国宣言」界隈ですね。

・「アーカイブ立国宣言」
http://archivesj.net/?page_id=163

 ここで、国立デジタルアーカイブセンターが構想されている中で、そのやるべきこととして「国内・海外関係者との交流機能(字幕付与・多言語発信の支援機能を含む)」って書いてあって、メタデータとかアブストラクトとかいう言葉じゃなくて、「字幕」が「海外」や「多言語」と一緒に並んでるんだな、というのがちょっと印象深かったです。
 これは福井先生の『誰が「知」を独占するのか : デジタルアーカイブ戦争』. 集英社新書でも同様です、こちらには「第6章 アーカイブ政策と日本を、どう変えて行くか」の中に「提案I 無料字幕化ラボの設置 (テキスト化、英語化・翻訳)」っていうのが1条立ってる、ていう。

 という意味では、つい最近わりと話題になった下記のアニメーションサイトで、動画に英語字幕が付いてるの、すげえなって思いました。これは脱帽。

・「日本アニメーション映画クラシックス」
http://animation.filmarchives.jp/index.html

 以上が英語対応の話。
 それから、言語で解決するのではなくて別の方法で解決しますよ、という例が、まずサムネイルですね。データベースやデジタルアーカイブのサムネイル画像の有無というのは、メタデータやインタフェースの英語対応と同等かそれ以上くらいに、日本語が分からない/初学者の人にとっての分かりやすさを大きく左右するもので、羅列された情報を直感的・瞬間的に評価・選別できるという意味では日本人にも有益なことはまちがいない。CiNii ArticlesでオープンアクセスなPDFがあるときそのサムネイル画像が横に出るだけで、あ、PDFあるんだってすぐわかる、そのことだけでもその効用は充分分かると思います。

・池貝直人. 「デジタルアーカイブと法政策 : 統合ポータル, 著作権, 全文検索」. 大学図書館研究. 2016, p.11-18.

 この論文の中で池貝さんは、平成26年度文化庁文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会で「アーカイブ機関において美術の著作物等の紹介を目的として当該著作物のサムネイルをインターネット送信すること」が言及されていることについて、「日本語を母語としない外国人等にとっての利便性」を指摘しておられます。某協議会でもサムネイル、です。

 もうひとつ、がらっと変わってですが、「ねこあつめ」っていうアプリが日本どころか海外でも流行してしまった、っていう話題があったじゃないですか。

・「「ねこあつめ」に学ぶ(記事紹介)」
Posted 2015年6月16日
http://current.ndl.go.jp/node/28689
・「E1842 - デジタルコンテンツへのアクセス方法を多言語化する」
2016.09.15
http://current.ndl.go.jp/e1842
「メニュー等が日本語で表示されるにもかかわらず,日本語が理解できなくてもプレイできる非言語的なインターフェースも持っていることが話題となった」

 この、非言語的な解決方法で言葉の壁(=アクセス全般の壁)を克服するという考え方は、ユーザ・ファーストの考え方のひとつとして常に持ってたいと思いますね。

 そこまでいくと、え、日本語はわからないけどねこあつめで遊びたいっていうような人のことをユーザとして想定している話なのか、って問われるかもですが、それについては、はい、そうです、っていうことですよね。

 このへんで最初に出た話に戻ると思うんですけど。
 英語を整備しよう、ローマ字を整備しようというような話は、一見ごく初歩的というか第一歩的な議論かのように見えて、その実けっこうに本質的な問題と密接に関わることだと思います。
 つまり、日本資料・日本情報のユーザ、届け先、想定対象者のことを、どのようにとらえているのかということ。ひいては、”日本研究とは”何なんだ、ということ。日本リテラシーの充分に高いガチガチの日本研究者・日本専門家で、そしてただ単に距離的に遠隔地=海外にいるからネットでアクセスしに来てるんだ、っていう人のこと、それももちろん重要なんだけど、それだけじゃなくて、そうじゃないユーザのこと、そうじゃないシステムを使うユーザのこと、そうじゃない世界環境の中での日本研究”らしき”もののことを考えるからこそ、英語/ローマ字の問題を真摯に考えることになるんだと思うんですね。

 日本リテラシーがガチガチに高い人は層でいうと高層階のひと握り。
 そこまで日本語に精通していない、あるいは、わかるにはわかるんだけど、そりゃやっぱり日本語より英語やネイティブ言語のほうが楽だしコストもストレスも低いよね、という人の層はもう少し厚い。
 日本語を習いたての学部生・初学者というのは人数ももっともっと多く層も分厚い。
 多文化教育・教養教育の一環として触れるように学ぶことになった、という人はさらにもっと。
 そもそも日本や日本文化に興味関心があるからと言って、じゃあまず日本語を学ぶところから、ということをわざわざする人のほうが、考えてみれば少数派だろうということなんで、日本語ガン無視で日本や日本文化についての資料・情報を探す、そういう一般の人々こそ大勢いる。

 ↑いまこれは日本語(あるいは日本リテラシー)の高低という一本線で段階ならべましたけど、もちろんそういう単純な話でもなく、いろんな事情で、いろんなアプローチで、いろんな資料・情報を、得ようとしている人たちのことを考えます。

 日本が専門ではないんだけども、他の分野・地域が専門の研究者で、何らかの理由で日本”も”必要となる人。理系の人とか。社会科学系の各分野の人でたまさか対象が日本だとか。
 東アジア全般を俯瞰的に見て研究している、けど専門はどっちかというと中国や韓国で、日本語を学んでいるわけではないとか。そういう人たちと日本資料・日本情報をつなげようとすれば、そのあいだに英語/ローマ字のつなぎがないと無理だろうと思います。地域や分野を横断的/学際的/国際的に研究しようとすると、それはもうリテラシーの有無関係なく多言語対応/英語対応してくれてないと使いづらくてしゃあなかろうというのはわかる。
 また、日本が主題であったとしても、研究の主戦場が英語だ、という場合。アウトプットは英語じゃないと評価されないんだ、とかもあるし、インプットもこの分野だと日本語書籍よりも英語学術書のほうがメインなんだ、という環境で研究してる人たちもいるだろうから、その場合も、リテラシー関係なく英語対応のほうがありがたい。
 そもそも学部学生レベルだと、日本史でも英語メインで勉強してたりするらしいし、日本美術も日本語使わないこと多いみたいなので、人文系だからってぼんやりはしてられない。

 あと、本人が日本語/日本リテラシー高くても、サポートする人や周囲環境が英語/ローマ字対応を求めてるっていうのはありますよね。
 例えば北米だって、どの大学にも日本が専門のライブラリアンがいるわけではない、むしろいるの恵まれてる方。あるいは中国系韓国系のライブラリアンがCJK全体の中で日本もついでに対応している。国によっては、日本事情がわかるライブラリアンが国内に1人とか、いないとか。
 それからその大学に日本専門ライブラリアンが仮にいたとしても、ILL担当者は別でしょう?日本語がわからないから資料入手に苦労する。システム担当者も経理担当者も別でしょう、ってなる。英文インタフェースやローマ字対応があればどれほどスムーズにことが運ぶか、っていう。
 どんな端末やデバイスからでも日本語が自由に使えるか、というのは、最近はそういうの減ってきたと思いますけど、それでも文字化けや入力不可や設定面倒や日本版OSのみやという問題。

 研究ツールとしての”日本語”にどこまでの価値があるか。
 例えば、アメリカで中国学を研究しようとする人たちは、中国語だけではなく日本語も勉強するという話を、人づてではありますが複数の人から聞いたことがあります。中国研究が日本で進んでいるので、その研究成果を日本語で読むため、とか。
 一方で、日本研究者や日本語学習者が、中国語も同時に学習するというケースが増えているという話も耳にします。なんとなれば、これからの時代、同じ東アジア地域で職を得る/ビジネスすることを狙うのであれば、それはやっぱり中国語習得してないと不利だよね、っていう。
 さらに、これはどこまで実際なのかわからないのですが、中国における日本研究も英語による日本研究ももうだいぶあらかた成果として流通しているので、紙の日本語書籍を読めるような日本語学習を極めるよりはそんなのはスルーして、デジタルで読める英語・中国語の日本研究文献を読みに行ったほうがよっぽどスムーズだよ、っていう。・・・・・・おお、そうか、英語中国語を習得してればデジタルで日本分野の学術書がたくさん読めるじゃないか!
 って思ったんですけど、日本語e-resource不足もそこまで至ってしまったら、もうこの国終わりだな、って思いますね。

 というふうな具合で、日本語/日本リテラシーについて、あるいは英語/ローマ字について、あんなユーザもいる、こんな場合もある、こういう話も聞いた、ああいうことも考えられる、ってこう百花繚乱的なことぶぁーって書いてる感じになってますけど、要は、ユーザってそういう、ぶぁーっといろんな花が咲き乱れているようなものだと思うんですよ。

 ある程度習熟した日本語力/日本リテラシーを持つ相手だけをユーザとして想定し構えていれば、”海外の日本研究”を支援できることになるかというと、そうではない、ということがこの英語/ローマ字問題でわかるんだと思います。単に、日本語ネイティブではないが日本を研究している人、ではなく、どんな事情でどんなアプローチでどんな言語環境をベースにしている人であろうが、日本語の、あるいは日本で生産された資料・情報を、そのユーザのもとへ届ける、つなげる。それが、他国・他地域・他言語・他分野と同じ国際的な土俵(プラットフォーム)の上で、フラットに流通する、アクセスできる。
 それは最終、日本資料・情報を日本の文脈から解放すること。そしてそのユーザを日本研究の枠組みから外して理解すること。につながる、という意味では、デジタルヒューマニティーズもデジタルアーカイブも、研修もアジアも英語/ローマ字も、問題の所在は一緒だったんだな、ってなんとなく思いますね。

 そして最後に簡単にですが、日本資料・情報を流通させるのにそこまで”英語/ローマ字”のことを気に揉まなきゃいけないのは、日本語と英語との間の”流通力”のようなもののバランスが決してフラットなわけではないからだ、そういう現実を呑み込んでおかないとこの問題は解決しないんだ、ということも付け足しておこうと思います。


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2017年03月05日

アジア #2017年の本棚の中のニッポン


 アジア地域における日本研究、および、アジア地域に所在する日本資料については、ここ最近ではNDL関西館のアジア情報課さんによるキュレーションが、意欲的に進んでます。
もう、基本文献中の基本文献です、ありがとうございます。

・・NDLアジア情報課
・湯野基生. 「台湾の図書館が所蔵する1945年以前刊行の日本語資料(レファレンスツール紹介19)」. 『アジア情報室通報』. 2010.6, 8(2).
・齊藤まや. 「台湾に所在する植民地期日本関係資料の現況と課題」. 『アジア情報室通報』. 2014.12, 12(4).
https://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bulletin12-4-1.php
・福山潤三. 「韓国所在の植民地期日本関係資料 : デジタル化資料の利用方法を中心に」. 『アジア情報室通報』. 2016.3, 14(1).
・水流添真紀. 「中国で刊行された日本関係資料とアジア情報室における収集・所蔵」. 『アジア情報室通報』. 2016.6, 14(2).
https://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bulletin14-2-2.php
・リサーチナビ 調べ方案内
「日本研究」(2017.2.17現在)
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/cat2858/cat168/index.php
アジア地域の日本研究
中国の日本研究
台湾の日本研究
海外博士論文(人文社会)
韓国の日本研究
・「台湾所在の植民地期日本関係資料の調べ方」(更新日:2016年12月16日)
http://rnavi.ndl.go.jp/research_guide/entry/theme-asia-116.php
・「アジア地域で刊行された日本関係図書リスト」(アジア諸国の情報をさがす)
http://rnavi.ndl.go.jp/asia/entry/bojasia.php

 アジアというキーワードを出すんであれば、やはりアジ歴さんで、”コラボレーション”の例で出した「E1630 - ウェブ展示「描かれた日清戦争」:アジ歴とBLの共同企画」(カレントアウェアネス-E  2014.11)のほかに、もうひとつこういう話も最近出たので載せておきます。

・「戦後のアジア公文書、ネット公開へ 外交文書が中心」(朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/articles/ASJDP74GGJDPUTFK016.html
2016年12月23日
「アジア歴史資料センターは、近現代のアジア諸国との関係にまつわる公文書をネットで公開する対象をこれまでの明治〜戦前から戦後へ広げる方針を決めた」

 これ出ると、日本研究のための資料の幅がぐっと拡がるな、っていう話ですよね、それは単に時代が拡大したというより、分野・対象者ががらっとかわり、研究手法や文脈もまたたぶんがらっと変わる。その変わり方はおそらく、「日中韓電子図書館イニシアチブ(CJKDLI)会議」によるCJK Digital Library(http://current.ndl.go.jp/e1885)の比ではないんじゃないかと思います。

 2016年11月、韓国の仁川で「東アジア日本研究者協議会」の第1回国際学術会議が開催されました。

・東アジア日本研究者協議会
http://www.eacjs.org/

 中・韓・台・日の“日本研究”者が集まっての協議会ですが、これまで、例えばAASやEAJSのような大規模国際的な日本研究の集まりを、“東アジア”の人たちが集まってやるっていうことがあんまなかったと。そこもっと、東アジア地域内で互いに日本研究の学術交流やっていきましょうよねと。いうのでこの協議会が組まれたとのことです。webサイトには、日本研究の質的な向上(学際・融合)、各国での自国中心の日本研究からの脱却(多様な観点)、東アジアの安定と平和への寄与、が趣旨として述べられています。
 発起人は、下記のような感じ。
「東アジア日本研究者協議会を立ち上げるため、その間協議を重ねてきた下記の5名を発起人とする。徐一平 (北京外国語大学北京日本学研究センター長)
小松和彦 (国際日本文化研究センター長)
徐興慶 (国立台湾大学日本研究センター長)
李康民 (漢陽大、日本学国際比較研究所長)
朴母、 (ソウル大学校国際大学院院長) 」
第2回は天津・南開大学とのことです。

 約50のパネル・約300人の参加者の中に、図書館関係・情報学関係の専門家が多数参加していたというようなことはどうやらなかったようですが、例えば京都大学地域研究統合情報センターによる「日本学のためのデジタル・ヒューマニティーズ」というようなパネルもプログラムからは見てとれますので、今後は日・中・韓・台の図書館・情報学業界界隈もここを交流の場として使えるように乗っかれればなと思います。それには事前段階として、もっと日常的な交流の基礎固めをしないとなって思うのですが。ただ、例えば韓国のライブラリアンの方に話を聞くと、別に日本を専門にしているサブジェクトライブラリアンがいるというわけでもない、そんなコミュニティもない、という話なので、では日本資料ユーザと図書館・ライブラリアンとの関係は、日本資料の届け先はどこか、という話になってきますので、これはちょっとおいておきます。

 AAS(北米のアジア学会)さんも最近は、年1ペースでのAAS in Asiaのアジア現地での開催を続けています。2014シンガポール、2015台北、2016京都、2017ソウル。

・AAS in Asia
http://www.asian-studies.org/Conferences/AAS-in-ASIA-Conferences/
・「AAS-in-Asia 2016 京都大会ラウンドテーブル「The Digital Resource Landscape for Japanese Studies」報告」
http://kasamashoin.jp/2016/08/aas-in-asia_2016_the_digital_r.html

 AAS in AsiaもEAJS日本大会も、なんとなく、欧米の地域研究としての文脈の中での“アジア研究/日本研究”を、アジア地域の人からも参加しやすくする場を設けるというような意図だろうなので、それと、東アジア内で日本研究を云々する場を作ろう、という東アジア日本研究協議会とはまたちょっと違うんだろうな、とは思います、「日本における日本研究」とも「欧米における日本研究」ともまた別の、っていう。

 東アジアにおける日本研究の例としては、「東アジアと同時代日本語文学フォーラム」とその雑誌『跨境』の創刊が目をひきます。

・日比嘉高. 「国際査読誌『跨境(こきょう) 日本語文学研究』の創刊、および少々の展望」. 『リポート笠間』. 2014, 57.
http://kasamashoin.jp/2014/12/57_15.html
2013年から「東アジアと同時代日本語文学フォーラム」を開始。韓国、中国、台湾、日本の近代日本文学研究者が連携で研究集会を開く。
2014年、雑誌『跨境 日本語文学研究』を創刊。編集・査読は韓中台日米欧の研究者からなる。
「国別、地域別、言語別に閉じたまま研究される傾向にある日本文学研究を、つなぐような試みができないか」
「創刊号では、第一回フォーラムが論じた「東アジアにおける日本語雑誌の流通と植民地日本語文学」が特集」「戦前の東アジア各地では、さまざまな日本語雑誌が刊行されていた。ただし研究は、旧満洲、朝鮮、台湾など地域ごとになされる傾向が強く、それらを突き合わせて検討する機会は少ない」
「本誌の「日本語文学」という表記は、日本語で書かれた文学であるということを基準とし、書き手の国籍や民族、書かれたり発表されたりした地域については制限しない、むしろその横断性や重層性を重視するという趣旨によっている」
「創刊する過程で議論に上ったのが、何語で研究を公表するかという問題である」・・・

 戦前東アジアの日本語雑誌、というものを考えるだけでも、日本文学研究が東アジアの視点や文脈抜きに語ることができないし、そしてそれは、日本史研究が同じく東アジアやユーラシア・環太平洋等の文脈抜きに語れないのと同じであって、それはどの日本研究もそうだろう、というふうに考えていくと、これもまた、アジアどうこうを考えると言うよりも、いや、アジアを考えれば考えるほど、“日本研究とは?”という話になっちゃうと思うので、いったん離れます。

posted by egamiday3 at 09:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

研修事業 #2017年の本棚の中のニッポン

 海外の日本研究司書(ほか研究者等の日本専門家)を日本に招いて、日本資料・情報に関する研修をおこなう、という類の事業がいくつかあります。そのことをざっとまとめて、考えたことを書きます。

 NDLさんがいまおこなっている「海外日本研究司書研修」。

・海外日本研究司書研修
http://www.ndl.go.jp/jp/library/training/guide/1211059_1485.html

 これは、元をずっとずっとたどっていくと、最初におこなわれたのは1997年2月(H8年度)のことで、当時の名前は「日本研究上級司書研修」。当時はJFの招へい事業で、NDL、国際文化会館、NACSIS(当時)の協力によるという。それがその後、名前を「日本研究司書研修」、
日本研究情報専門家研修」、「日本専門家ワークショップ」などと名前を変え、主催者や共催者も、内容や対象ややり方や開催地も代々で変わっていき、今に至る、っということになるとこれはちょっと「おなじものをたどった」ということにしていいかどうかも迷う感じになりますね。

 元プリンストンの牧野さんが、日本古書通信でしばらく連載してはった記事の中のひとつに、この研修の第1回の様子を書いたものがあります。

・牧野泰子. 「日本研究上級司書研修」. 『日本古書通信』. 2016.6, 81(6), p.15-17.
第1回研修の様子。内容は、JAPAN/MARC、J-BISC、NACSIS-IR、JICSTのJOISなど。開催に向けて小出さんが関係各所への交渉・調整に奔走した様子などもあり。

 それから、天理大学・山中先生のご尽力による、古典籍ワークショップというのがあります。

・山中秀夫. 「「天理古典籍ワークショップ」及び公開シンポジウム「本の道」について(概報)」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2007, 128, p.103-99.
・山中秀夫. 「「天理古典籍ワークショップ」及び公開シンポジウム「本の道」について(報告)」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2008, 129, p.141-128.
・山中秀夫. 「「天理古典籍ワークショップ2008」及び公開シンポジウムについて(報告)」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2008, 130, p.126-114.
・山中秀夫. 「和古書目録担当者研修について : 天理古典籍ワークショップを終えて」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2010, 133, p.102-87.
・山中秀夫. 「天理古典籍ワークショップPhase2を終えて」. 『ビブリア. 天理図書館報』. 2013, 140, p.95-80.

 海外の研究者・司書に和本の目録・取り扱いの実践的研修を行なうもので、1度目は2007-2009の3年連続、2年目は2013年。ビブリアの記事によれば、1度目実施後、受入体制や費用助成の問題から実現しなかったんだけども、2011年EAJRS総会で海外側実行委員会メンバーから要望が出され、2度目に至る、ということだそうです。
 そうそもそもなんですが、この研修事業では、海外の司書等専門家からなる実行委員会と、日本側の事務局メンバーとが、コラボレーションで進めていたんだな、ということがわかります。主催は実行委員会でそのメンバーは、英2・米・独2・日2という構成。助成は、国際交流基金、Sasagawa Foundation(英)、図書館振興財団。
 もうひとつ、研修後に受講者によって「在外日本古典籍研究会 OJAMASG」(http://www.jlgweb.org.uk/ojamasg/index.html)というグループが結成されまして、ディレクトリ的な情報サイトを構築、以降も継続的に活動しておられました。研修が、一過性の非日常で終わるのではなく、ちゃんと研修後もそれなりの継続性をもって、横のつながりが実際に機能して、日常の実益につながっていく、ていう例。

 そして、2014年から3年間、東京国立近代美術館さんによっておこなわれていた、「海外日本美術資料専門家(司書)の招へい・研修・交流事業」、通称「JALプロジェクト」と呼ばれるものがありました。

・海外日本美術資料専門家(司書)研修(JALプロジェクト)
http://www.momat.go.jp/art-library/JAL/JAL2014.html
毎年ワークショップ「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言」を最終日に開催している。

 毎年10人前後の受講者が参加し、応募もそれなりに多かったみたいなんですが、それもこれも水谷さんの積極的な広報・勧誘・調整活動があってこそのことだったように、聞いていますし認識しています。ただ、そういう積極的な広報・勧誘があってもなお、途中で断られたり断念したりという例はあったみたいです。
 そういう意味では、NDLさんで昨年度からやっている海外日本研究司書研修も、昨年度は10人近い受講があったものの、今年は4人にとどまっていました。
 一方で、国際交流基金の関西国際センターさんの日本語研修、私がよくお目にかかるのは「文化・学術専門家日本語研修」のみなさんなんですけど、毎年約20人のかたがいらっしゃってて、にぎわっているのが楽しそうでいいなあっていつも思ってます。

・「文化・学術専門家日本語研修」(国際交流基金関西国際センター)
http://www.jfkc.jp/ja/training/culture-science.html

 もちろんそれぞれで中身も対象も運営もぜんぜんちがうわけですから、ひとからげにして何かを言えるわけでもないし、ましてや主体で関わっているわけでもないのでたいそうなものを言えるわけでもないんですが、でもそういういくつかの例を見ていると、こういう研修のニーズってあるのかないのか、からはじまっていろんなことをぐだぐだと考えてしまうなっていう。
 以降はそういうぐだぐだと考えたことをぐだぐだと書きます。

 ニーズはあるんでしょうか。たぶんあるんでしょう。でも参加者集めが進んでいない例もある。
 ニーズが多様化している説、っていうのはひとつあって、先の牧野さんによる第1回の様子(JAPAN/MARC、J-BISC、NACSIS-IR、JICSTのJOIS)を見ていると、まだインターネットが出始めの頃で本格的なデジタル化の前夜みたいな時って、教えるべき/教わるべきものがわりと定番的だったんだろうなっていうのがありますね。それがいまはインターネットや基礎的なデジタルシステムとかはある程度わかってて当然、そのうえで何か研修しようかと言っても、ツールが多様化してるわテーマが多様化してるわで、テーマを決めたりニーズを把握したりっていうのがすごく難しくなってるんじゃないかなっていう。20年前といまとではプログラム組む難しさがぜんぜん違うだろう、っていう。どういう話が聞きたいですか、っていうアンケートとったらアンケート結果の様相はたぶん20年前とだいぶちがってるだろう、っていう。
 ニーズの多様化には解決法がひとつあるような気がして、いや、日本で日本の司書向けにやってる各種各テーマの研修に海外から参加してもらったらいいなっていう。そういう参加に、支援や助成をする、ということができるとだいぶいい感じじゃないかなと。

 あと、かつてはデジタルであっても環境やサポートやシステム全体がオンライン化してたわけでもなく、なんやかんやでそれを学ぼうとしたら日本に来て教わらないとわからない、っていう無骨なデジタルが多かったんじゃないかと思うんですけど、いまはたぶんそんなことはなくて、スマートにweb経由でサポートされたり教わったりが出来るし、そもそももっとスマートで、別にわざわざ教わらなくてもなんとなく使える洗練されたデジタルがほとんどだろう、と思うので、わざわざ日本に来て研修受けなければという類のものがそうたくさんあるわけじゃないんじゃないか説。

 そもそも、一方的な知識・技術の授受にいまどきの時代どこまで意味があるんだろう、ていう疑問は正直あって。

・E1728「英国・ドイツでの日本研究司書へのレファレンス研修を終えて」
No.291 2015.10.29
http://current.ndl.go.jp/e1728

 JAL2016のワークショップでは、日本の美術司書がピッツバーグへ出向いていって研修的なことと情報交換的なことをしてきましたという報告があったんですけど、そこでも言われてたんですけど、「教えます」というスタンスのよりも、お互いにフラットな立場で情報交換・ワークショップ・ネットワークづくり的なことをしていく場/きっかけをつくったほうが、生産的じゃないかな、って思いますね。それをじゃあ「研修」と呼ぶのかどうかはわかんないけど、呼ぶのかどうかなんか関係ない、別に「研修をやること」そのものを目的としてるわけじゃないだろうと思うんで。

 研修をやることそのものを目的としてるわけじゃないだろう、っていうんであればなんですけど、天理の古典籍ワークショップの例のように、海外側メンバーとともにこの類の研修事業を検討・議論・実施してまわしていくっていうコラボレーション活動をおこなうこと、それによってうまれる空気感みたいな成果。
 プラス、これも天理の「在外日本古典籍研究会 OJAMASG」のように、研修が一過性の非日常で終わるのではなく、ちゃんと研修後もそれなりの継続性をもって、横のつながりが実際に機能して、日常につながっていく。
 そういう、過程や準備、研修のアフター部分の継続性のような、議論・検討段階→準備→企画・募集→研修本体→研修後=提言フォロー+交流継続・次の活動+研修内製、そういう全体をひっくるめてグランドデザインしてかつ活動していく、っていうふうに考えれば、研修における知識技術の授受そのものはその大きくデザインされた中のひとコマだな、っていう感じになりますね。
 そう考えれば、研修そのものの手法が、デジタルなのか対面式なのか、座学なのか実践なのか問題解決型なのか、派遣型なのかどうなのか、テーマをしぼるのかしぼらないのか、ていうのあたりは、あまり本質的な問題ではないんだろうなとも思います。

 それよりは、研修というのは、「知識技術の習得」なのか? 「見聞・交流の機会、脱日常・脱ローカルの機会の提供」なのか? あるいは、研修事業自体が関係者間の連携・協力や活動活性化を促す「触媒」なのか? というのがもっと正面から問われてもいいような気がしますし、あたしとしては3番目推しかなと思いますね。
 1番目の知識技術の習得ならネットでやったらいい、それこそコンテンツとして作り込めるなら佐々木先生@慶應・斯道文庫のMOOCs的なのがよっぽどコスパいいんだろうし。そして2番目も、これ多分コミュニティによってはいまどきはネットやSNSやで意外とまかなえてて、これオンリーで通用する相手ばかりでもないんじゃないか、ていう懸念はちょっとありますね。来日すれば/させればとりあえずなんとかなるだろう、それだけで価値あるだろう、ていうかそれを価値と思いなさい、では「来日搾取」みたいなことになりかねないので。

 ただひとつ気になっていることがあって。
 ゆくゆくは研修を現地で”内製化”する、っていうことがどれくらい意識されてるんだろうかな、っていう。
 つまり、このさきずっと日本の機関が日本国内で提供する研修だけをもって”研修”だとするんじゃなくて、ある程度体力も人員もある国や地域やコミュニティであれば、研修を受け終わった人たちや充分なベテランの人たちが、まだ充分に習得できていない人たちや次の世代の人たちに、研修で得たものをその現地で伝えていく、そういうのをサイクルとしてまわしていく、っていうのがちゃんと意識されてないと、リソースの流れる向きがずっと日本→海外という一方向でしかないというのもキビシイんじゃないかっていう。
 よく、ライブラリアンに世代交代が起こりつつあって、研鑽・育成を必要とする人たちもまだ多い、という話をよく耳にするんですけど、それはじゃあ、世代交代にどう備えよう、ていう話だと思うんですね。
 という話で行くと、下記のような事例かなっていう。

・Tool kit for European NACSIS-CAT members
http://www.jlgweb.org.uk/nacsis/
イギリスの2人のライブラリアンが、ヨーロッパにおけるNACSIS-CATのトレーナーとなるべく、2011年にNIIでトレーニングを受講。2011年以降、実際にヨーロッパの各地・各機関でNACSIS-CATのトレーニングを実施している。

・Librarian Professional Development Working Group (LPDWG)
http://guides.nccjapan.org/lpdwg

・「Junior Japanese Studies Librarian Training Workshop: Overview & Survey Results」 Fabiano Takashi Rocha EAJRS – Berlin 19 September 2012
https://perswww.kuleuven.be/~u0008888/eajrs/happyo/Rocha_Fabiano_12.pdf
・「NCC、若手の日本研究図書館員を対象とした研修の資料・動画を公開」
Posted 2013年3月13日
http://current.ndl.go.jp/node/23072
2012年3月にトロント大学で開催された、“Junior Japanese Studies Librarian Training Workshop”。国際交流基金の支援による。北米、英国、スイス、オランダから24人の若手図書館員が受講。内容はレファレンス、蔵書構築、目録、情報リテラシー、アーカイブ資料など。

 それと関連してもうひとつは、内製化できるところは内製化してもらいましょうよ、なぜなら日本側の研修をおこなうためのリソースにも限りがあるから、と。では、その限られたリソースは誰のために使うのか。つまり、この類の研修の対象者はどういう人たちであると我々は考えるのか、というターゲッティングの話ですね。
 例えば、端的に言うと、そのリソースを向けるべき相手は、アジア地域(その他東欧、南米、中東などなど非欧米地域)で日本資料・情報の提供・利用に携わっている専門家の人たち、それがひとつ重要なんじゃないかなって思います。
 それから、ライブラリアンじゃなく研究者や学生。結局ライブラリアンが専従でいるところというのはむしろ少数派で恵まれていて、ワンパーソンでがんばってはる研究者の人たちが結局は日本資料の管理メンテや入手提供をやってるところも多いだろうなので、そういう人たち。あるいは、今後そういうふうに育ってくれることを期待しての、学生相手っていう。

 そしてもうひとつ、先の2012年トロント大学のワークショップでは「東アジア研究のライブラリアンのように日本語が専門でない人たちに対しての英語の研修が必要」と言われたみたいですけれど、そういう、日本を専門としないんだけども日本資料も扱うという他地域のライブラリアン、あるいは日本資料も必要とする研究者。そりゃそうです、北米だって、日本専門ライブラリアンがどこかしこにもいるわけじゃなくて、東アジア全体を担当する中国・韓国専門のライブラリアンに、じゃあ日本資料・日本情報はどう扱ってもらうのか、ていうことのほうがむしろ切実と言えば切実なわけで。

 ただそうなってくると今度は、日本資料はこうですよ、日本のやり方というものはこういうものですよ、と日本から一方向的に伝えることが、「日本のお作法の輸出」=押し付けになってやしないか、という別の懸念が生まれてきますね。届けるのはお作法じゃなく、リソースやアカデミックな何かだろう、なんで。

 これはもう、研修の話ではなく、「日本研究とは何か?」「日本資料・日本情報の届け先は誰か?」という大きな別の話になりつつあると思うので、ここらでやめます。

posted by egamiday3 at 15:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国際日本研究コンソーシアム(日文研) #2017年の本棚の中のニッポン

 あともうひとつ、「国際日本研究コンソーシアム」っていう取り組みがあります。
 これが、公開されているというかわかりやすい文書情報の類があまりないんで、書けることは限られるんですけど。

・機関拠点型基幹研究プロジェクト「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」(国際日本文化研究センター)
http://taishu-bunka.rspace.nichibun.ac.jp/

 国際日本文化研究センターさんでは、これから先、人間文化研究機構の中においても特に「大衆文化」に焦点をあてて共同研究していこう、みたいにいまプロジェクト組んでます。それは、妖怪とか春画とか浪曲とかマンガアニメとかそういう感じ。
 で、それはそれとして、ですが、その「第3期中期目標・中期計画において基幹研究プロジェクト「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」に重点的に取り組み、新たな日本文化研究の国際的研究拠点の構築を志向する。」というのがあってからの、さらに、「この事業を通じて、本来の最重要業務の一つである「海外の日本研究者への研究協力」をさらに充実させ、日本研究の国際的中核拠点としての機能を強化」するんだけども、その一環としてというか併行してというかで、「国内における「国際日本研究」コンソーシアムを形成する」と。
 で、この国際日本研究コンソーシアムというのは、「国内の「国際日本研究」あるいは「国際日本学」を掲げる諸研究・教育機関との実際的な連携体制の確立」であると、さらりと書いてある(稲賀繁美. 「インターネット双方向的同窓会Nichibunken Interactive Alumni Network創設にむけての個人的提言」. 『Nichibunken Newsletter』. 2016.12, 94.)んですけど、その理由としては、「近年、国際交流の活発化に伴い、日本国内の大学において「国際日本学」や「国際日本研究」をかかげた研究所や学部・大学院の課程、コースの設置が相次いでいる。しかしその多くはいずれも個別に存立し、機関間の連携は未だ実現されていない。その現状を改善すべく」であるんだと、そのために、「本事業(大衆文化)の実施を通じて、こうした国内の各関連大学と提携し」ていくんだということです。
 という感じで、実際に動いておられます。

 とりあえずこのへんで。

posted by egamiday3 at 13:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

立命館大学アートリサーチセンター(ARC) #2017年の本棚の中のニッポン

 ”在外資料””デジタルアーカイブ””コラボ”っていうと、立命館大学アートリサーチセンター(ARC)さんが思い浮かびますね。

・立命館大学アート・リサーチセンタ一
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/
・立命館大学大学院 文学研究科 行動文化情報学専攻「文化情報学専修」(2014年新設)
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/gslbunkajyoho/
・赤間亮. 「立命館大学アート・リサーチセンタ一の古典籍デジタル化 : ARC国際モデルについて」. 『情報の科学と技術』. 2015.4, 65(4), p.181-186.
 
 2002年のヴィクトリア&アルバート博物館での浮世絵コレクションデジタル化事業をきっかけとして、ARCでは海外の美術館・博物館・図書館などへ出向いては、そこで所蔵されている“在外資料”、日本美術・古典籍について、撮影・デジタル化・アーカイブ構築を進めていく、という活動を行なってはります。
 それは単なるデジタル化工場として働いているというだけではなくて、資料のデジタル化に欠かせない機材・システムまわりのスキルとか、デジタルアーカイブの知見とか、資料に対する専門知識とか、資料の保存修復技術も必要になってくるわけなんで、そういう人材を育成していこうという。長年の活動で蓄積されてきた実践的・総合的なノウハウを、「ARCモデル」と称して、ワークショップなんかを国内外で開いては、レクチャーしていく。それを、たとえばデジタル化しに行った先の海外機関やそこに関わる学生さんなり若手研究者の人なりを集めて、共同研究なり共同プロジェクトとして、最初にレクチャーをすればあとはその流れでもって現地でデジタル化作業が進められる。そういうふうに学生や若手研究者をプロジェクトに巻き込むことが、若い世代の育成や知見の継承につながる、っていう意味での国際的なコラボレーションの理想的な事例だなって思いますね。

 現在ARCさんのデジタルアーカイブですが、海外に在する資料も含め、浮世絵ポータルデータベースで49万件、古典籍ポータルデータベースで8.7万点だそうです。

posted by egamiday3 at 13:10| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする