2018年04月10日

人はなぜ「図書館情報資源概論」を学ぶのか


 人はなぜ、ってその主語のデカさはなんだという話ですが、司書科目として「図書館情報資源概論」をなぜ学ぶのか、何を学ぶのか、それはどういう意味を持つのか、ということを考えてまとめたものです。


 ●”情報資源”への覚悟

 そもそも「図書館情報資源概論」で学ぶのであろう”図書館情報資源”とは何なのか、からですが、これは一応、文部科学省さんが出してる各科目の概説を見ると、こういうことがちゃんと書いてあるわけです。

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「図書館情報資源概論」
印刷資料・非印刷資料・電子資料とネットワーク情報資源からなる図書館情報資源について、類型と特質、歴史、生産、流通、選択、収集、保存、図書館業務に必要な情報資源に関する知識等の基本を解説する」
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「司書資格取得のために大学において履修すべき図書館に関する科目一覧」(図書館法施行規則の一部を改正する省令及び博物館法施行規則の一部を改正する省令等(平成21年4月) 別添2)http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2009/05/13/1266312_8.pdf

 曰く”図書館情報資源”っていうのは、印刷資料・非印刷資料・電子資料とネットワーク情報資源からなるらしいですよ。

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 1.印刷資料  =アナログ
 2.非印刷資料 =アナログ
 3.電子資料  =デジタル(モノ)
 4.ネットワーク情報源 =デジタル(ネット)
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 印刷資料と非印刷資料はアナログな媒体の資料ですね、本とか紙ものとかフィルムとかのやつ。一方デジタルな媒体の資料のひとつが「電子資料」で、CD-ROMとかDVDのようにだいたいがパッケージ系で、物理的なモノとして存在するやつと思ってください。そうすると、1・2・3までは図書館が実際に自分とこで蔵書として所有できるやつってことになるんですけど、昔の図書館はここまででよかったんです。まあほんとはよくないんだけど、図書館が確保して利用者に提供できるものと言うからには、その資源である”資料”はモノとして扱える範囲の存在でほとんどよかった。だからかつてこの科目は「図書館資料論」という名前で呼ばれていたわけです。
 ところが、インターネットが登場・普及して、ネットワークなりオンラインなりでどこかよそさんのサーバにアクセスして情報を得る(有料か無料かはさておき)、というような情報の使い方&提供の仕方というのが当たり前になってきたと。図書館も、モノとして所有している蔵書だけでは情報サービスはまかなえないから、そういう「ネットワーク情報資源」とでも呼び得るようなもの、それは”館内”にはなく”リアルなモノ”として所有も確保もしておらず、”よそさん”に存在するもしくは”ヴァーチャル”に存在している資源なんだけども、それをも利用者への提供対象とする、そんな情報サービスが当たり前になってきた御時世なわけです。
 さてそうなると、物理的リアルさがないものを”資料”と呼ぶのもいかがなものかという理屈、プラス、ちょっとリニューアル感を出したかったぽさもあったんでしょう、たぶん。”資料”じゃないものも含めた表現として、”情報資源”とここでは呼んでるんだと、いうふうに考えてもらっていいと思います。

 ですから、この理屈っぽい定義はともかく、理解しておいていただきたいことは、です。図書館が利用者に提供する”情報資源”というのは、1・2・3のように図書館自身が所有してある程度のコントロールが可能なやつらばかり、というわけではなくなったんだ、と。外部・ネットに存在していて、物理的な姿かたちもなくて、我々のコントロールなんか一切及びようのないやつらも、”情報資源”として利用者への情報サービスに供することになるんだ、ということです。
 具体的に言えば、いつページをめくっても同じことが書いてある『広辞苑』だけでなく、常に書き換わり消えすらする「Wikipedia」も”情報資源”なんだ、と。そんなやつらのことまでをも学ぶのが、「図書館情報資源概論」という科目なんだ、と。そういう、ある種の覚悟が必要なんだということですね。

 なんと、”図書館情報資源”というもってまわったフレーズから”覚悟”まで引き出す、っていう。


 ●厨房のお仕事

 で、じゃあ”図書館情報資源”のことを学ぶんだというのはわかったとして、この”概論”という科目はどういうものなんだ、と。

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 図書館情報資源概論 =基礎編(必須)
 図書館情報資源特論 =応用編(選択)
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 実は司書課程の科目にはもうひとつ、似たような名前の「図書館情報資源特論」というのがあります。”概論”と”特論”のちがいですから、なんとなくわかりますよね。ざっくり言えば、概論が基礎編で、特論が応用編です。特論がもうちょっとつっこんだり、特定のトピックを掘り下げたりする(であろう)のに対して、概論は基礎編ですから、仮にも司書を名乗ろうとおっしゃる人であったら前提として押さえておかなきゃっていうような基礎知識を、広く浅くカバーする、という感じです。
 だから特論は選択で、概論は必須です。
 司書資格を取得するためには「図書館情報資源概論」は必ず学ばなければならない、と。

 必須、必須、と言ってるので、ここでいったん広めの話をしますけど、人が(日本で)司書資格を取得するには3つの方法があります。

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 1. 大学等の卒業生が、司書講習を修了する。
 2. 大学等で、司書資格取得に必要な科目を履修し卒業する。
 3. 3年以上司書補としての勤務経験者が、司書講習を修了する。
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 この1.と2.で言う「司書講習」とか「必要な科目を履修」とかで、じゃあどんなのを”必要な科目”としますか、っていうのを文部科学省さんが指定してはるのが、さっき引用のところで出典に出した「司書資格取得のために大学において履修すべき図書館に関する科目一覧」(図書館法施行規則の一部を改正する省令及び博物館法施行規則の一部を改正する省令等(平成21年4月) 別添2)であり、その科目の中に「図書館情報資源概論」も含まれてますよ、ということになります。

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(必須)
生涯学習概論
図書館概論
図書館情報技術論
図書館制度・経営論
図書館サービス概論
情報サービス論
情報サービス演習
児童サービス論
図書館情報資源概論
情報資源組織論
情報資源組織演習
(選択)
図書・図書館史
図書館施設論
図書館総合演習
図書館実習
図書館基礎特論
図書館サービス特論
図書館情報資源特論
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 これが、司書資格取得のために学ぶ必要がある科目の一覧です。
 「図書館情報資源概論」、ありますね。

 で、これをちょっと並べ替えて、わかりやすくしてみます。

三位一体.png
(クリックで拡大)

 左下の赤のエリアにある4科目、サービスという言葉が全部ついてますけども、これらがまあ”サービス系”の科目だと思ってください。図書館が資料・情報を提供するにあたって、利用者に接する・対応することを主眼に置いた科目のみなさんです。喫茶店で言うと、フロアでウェイターやウェイトレスがお客(=利用者)にどう対応するか、という話です。
 一方、右下の青いエリアは、喫茶店で言えば厨房の仕事の話になります。つまりお客に出すための素材(=資料・情報資源)をどう扱って、どう管理して、どう準備するか、というバックヤードの話。”整理系”とか”管理系”とかって言われます。
 で、喫茶店のフロアと厨房とをとりまとめて、全体の運営・マネジメント的な話をするのが、上のグレーのエリアの科目たちです。店長とかオーナー目線で図書館の仕事をするために必要な話ですよ、っていう。
 なぜこんな分け方をしたかと言いますと、実際の図書館内での仕事の分担、係や課のような組織構成が、まあどこもだいたいこんな感じになってるんですよね。サービス課とか利用係とかいうような、対・利用者の仕事をやる部署。管理課とか整理係というような、対・資料(情報資源)の仕事をやる部署。総務課とか総務係とかいう名前でマネジメントから一般事務までやるようなところ。

 で、「図書館情報資源概論」は青エリアにあります。素材としての資料(情報資源)のことをちゃんと知って、どう取り扱ったらいいか、どう管理していったらいいかを学ぶ。喫茶店で言えば、このコーヒー豆はどこ産で他の豆との違いはどうだとか、どう挽いたらどんな香りになるんだとか、どこから仕入れたらいいか、どこにしまうのか、容れ物や温度湿度は、というような。お客・利用者に向き合うというよりは、バックヤードとして資料に向き合うのに必要な科目です。
 図書館のお仕事全体の中でいうと、そういうキャラ付けの科目なんだ、って理解してください。


 ●”ヨコのひろがり”と”タテの流れ”

 じゃあ、コーヒー豆なら産地や香りのことを学ぶんでしょうけど、司書は図書館資料(情報資源)の”何”を学ばなきゃなのか、という話です。
 再々ですが、文部科学省さんのおっしゃる定義を再掲します。

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「図書館情報資源概論」
「印刷資料・非印刷資料・電子資料とネットワーク情報資源からなる図書館情報資源について、類型と特質、歴史、生産、流通、選択、収集、保存、図書館業務に必要な情報資源に関する知識等の基本を解説する」
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 資料(情報資源)についての、「類型と特質、歴史、生産、流通、選択、収集、保存、図書館業務に必要な情報資源に関する知識等」だそうです。
 これをもうちょっと詳しめに、まるで「おまえらシラバスにこれ書けよ」とでも言ってるかのようにリストアップされてるのが、同文書の下記です。

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1) 印刷資料・非印刷資料の類型と特質(図書・雑誌・新聞、主要な一次・二次資料、資料の歴史を含む)
2) 電子資料、ネットワーク情報資源の類型と特質
3) 地域資料、行政資料(政府刊行物)、灰色文献
4) 情報資源の生産(出版)と流通(主な出版者に関する基本的知識を含む)
5) 図書館業務と情報資源に関する知識(主な著者に関する基本的知識を含む)
6) コレクション形成の理論(資料の選択・収集・評価)
7) コレクション形成の方法(選択ツールの利用、選定・評価)
8) 人文・社会科学分野の情報資源とその特性
9) 科学技術分野、生活分野の情報資源とその特性
10) 資料の受入・除籍・保存・管理(装備・補修・排架・展示・点検等を含む)
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 うわー、なんか一気にドバッと言われた。よくわかんない。
 よくわかんないので、これもまた、わかりやすくなるようにあたしなりに並び替えてみました。

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1. 資料・情報資源の類型と特質
i. 印刷資料・非印刷資料・電子資料 ネットワーク情報資源
ii. 地域資料・行政資料(灰色文献)
iii. 学術資料(人文系・社会系・科学技術系)

2. 資料・情報資源の管理と取扱い
i. 生産・出版・流通
ii. 選択・収集・評価(蔵書構築)
iii. 保存
iv. 実務の基礎知識(装備・排架等)
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 「図書館情報資源概論」では資料(情報資源)について学びますが、大きく分けて2種類あります。ひとつが資料(情報資源)そのものの「1. 類型と特質」(コーヒー豆で言うと産地や香りの話)について、もうひとつがその資料(情報資源)を我々はどう扱ったらいいのかという「2. 管理と取り扱い」(仕入れやしまい方の話)についてです。

 さらにわかりやすいように、絵を描きます。

1_図書館情報資源概論の世界観.jpg
(クリックで拡大)

 図書館には、本があって、利用者に提供するわけですが、その間に司書がいて、サービスしたり準備・管理をしたりします。
 で、図書館にあるのはまあふつうの本が一番多いんでしょうが、それだけではなくていろんな資料・情報資源がありますよ、と。紙に印刷されたアナログなものもあれば、CDやDVDやデジタルなものもある。古い時代の古典籍だとか、写真に撮って小さなフィルムに縮小したマイクロフィルムのようなものもある。で、ネット上にはwikipediaや有料データベースもある。そんなふうに、どんな種類(=類型)があってどんな特徴(=特質)があるのかを学ぶのが、「1.類型と特質」です。
 ふつうの本にしたって、いろいろ種類がある。例えば、自治体がベースの公共図書館ではその地域ならではの「地域資料」というものを、地域の利用者(コミュニティ)に向けて届けるのが非常に重要な役割のひとつなので、じゃあその地域ならではの「地域資料」ってどんなもんなんだ、っていうのをちゃんとわかってなきゃいけない。一方、高等教育と学術研究がベースの大学図書館では、それ専門の「学術資料」というのがあって、その種類や特徴を相応に知ってないと、専門家の先生たちのサポートができない。
 というような、とにかく多種多様な資料(情報資源)が世の中にはあって、図書館はその多様性を幅広くカバーする、その”ヨコのひろがり”と各々の個性を理解してこその、「1.類型と特質」だろうと思うわけです。

2_図書館情報資源概論の世界観.jpg
(クリックで拡大)

 一方「2. 管理と取り扱い」を、じゃあこっちは”タテの流れ”でイメージしてみると、資料をどんな手順で取り扱っていくのか、各段階でどんなふうに管理していくのか、という感じになります。
 流れの上流から行くと、ふつうの本ならふつうの本で、まずどんなふうに出版・生産されるのか、そしてそれがどう流通して売られているのか。そしてそれを図書館はどういうポリシーで選ぶのか(選書)。欲しい本はどんなふうに買うのか、ていうか買えない(売ってない)本はどうやってゲットするのか。そして、ゲットした本を図書館内でモノとしてどう管理するのか、本棚にどう並べるのか。そこまで手順をふんできてやっと、利用者さんにハイどうぞって提供できるようになるわけですから、バックヤードとしての知識や実務スキルがなかったら、利用者さんへのサービスもろくにできない、ということになります。「2. 管理と取り扱い」で学ぶのはそういうことです。


 ●「図書館はなぜ本を持つのか?」

 さて、文部科学省さんがおっしゃってるのはおおむねここまで、なんですが。
 あたしとしては、いやちょっと待てと、これだけじゃちょっと理解が追いつかないんじゃないの、と思うわけです。まだちょっと断片的というか、寄りの眼でしか見えてないというか。
 なので、ここで「1.類型と特質」「2.管理と取り扱い」に次ぐ第3のカテゴリとして、「3.資料提供の理念と実際」をオリジナルに提唱したいのです。

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3. 図書館による資料提供の理念と実際
i. 社会的役割(課題解決、公共財、図書館の自由)
ii. 図書館協力と資源共有
iii. ユーザとアウトリーチ
iv. 著作権
v. オープン化とデジタルアーカイブ
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 この「3.資料提供」は、”ヨコのひろがり”と”タテの流れ”の2本をぐるっと包み込んで、一つの世界観にふくらませるような、より大きな概念を描きます。そういった意味では「3」というより「0. 資料提供」かも。
 描いた世界観がとりあえずこんな感じです。

図書館情報資源概論の世界観.jpg
(クリックで拡大)

 そもそもこの”ふくらし粉”は、「図書館はなぜ本を持つのか?」という、図書館情報資源概論の科目で学ぼうとすること全体を根底から支える問いによって、できています。図書館には本があって当たり前? そんなの自明の理でもなんでもなく、社会からの[$]によって成り立ってるからには、それ相応にみなが納得するような社会的意義や役割があってしかるべしなわけです。
 図書館は利用者に資料(情報資源)を提供する。利用者は資料(情報資源)を必要とする。それはなぜか。人(利用者)がなんらかの知的活動をおこなったり課題を解決したりする際に、”確かな情報源”に基づいた”賢明で公正な判断”が必要だからです。それがなかったら、印象/直感/主観/感情に基づいた愚行の繰り返しになってしまう。ていうか、その”確かな情報源”が欠けたり隠されたり書き換えられたりしてエライコッチャと大騒ぎになってる様子を、ねえ、我々いままさに目の当たりにしてるじゃないですか。
 そのための確かな情報源を、一部の人に偏らせるのではなく民主的に公正に行き届かせるため、資料(情報資源)を”公共財”化すること。それが、図書館というところが本を持つひとつの重要な社会的役割です。加えて、資料(情報資源)の内容や届け方に偏りがないように「図書館の自由」という考え方があり、届け先(利用者)に偏りや障壁がないように「アウトリーチ」、ひいてはそもそも「ユーザ」と資料との関係とは、というところまで視界を広くとって考える必要がある。
 そうやって図書館による「3. 資料提供」がスムーズに進むと、利用者が資料(情報資源)をゲットする、知的活動や課題解決がおこなわれる、その結果として新たな知識・情報が生産される、それが出版・流通され、図書館が収集・保存・公共財化して、次の利用者へ提供する。これが、(大言壮語すると)人類が有史以来脈々と続けてきた”知のサイクル”であり、その重要なピースとして「図書館が本を持つ」がある。そう理解すれば、「2.管理と取り扱い」の流れはかなり大幅にふくらまされたんじゃないですかね。
 ちなみに、その流れがスムーズに行くかどうかに影響する要素として、ゲージのような働きの「著作権」、広場のような「オープン」、懐深い「デジタルアーカイブ」、背景としての「高度情報化社会」といったあたりがからんできます。

 いまのはだいぶ「2. 管理と取り扱い」のふくらませに注力してた感がありましたけど、「1. 類型と特質」における”ヨコのひろがり”・多様性も実はもっとふくらませる必要がある。というのも、じゃあその利用者のみなさんの知的活動・課題解決を成就させるのに満足な資料(情報資源)というものが、果たして自分とこの図書館内だけで充分にまかなえますか?というと、それはまず無理だろう、と。例えば、日本では年間約8万点の新刊書が刊行されていますが、それ全部買い揃えるなんて1館ではとてもできないわけです。それを異なる図書館同士で互いに補いあいましょうというのが「図書館協力」「資源共有」であって、図書館は互いに協力しあってはじめて満足な資料提供ができるようになります。協力・連携先は図書館だけじゃなくて、博物館・美術館や文書館・資料館、その他各種の専門機関、企業、学校etc.といったところと資料(情報資源)その他のリソースを共有し合うことで、可能性はヨコに大幅にひろがります、というところまで理解していただきたい。

 と、こんなふうにこの曼荼羅みたいなのを広く眺めてみると、「3.資料提供」というのが、「1.類型と特質」「2.管理と取り扱い」をつつみこんでふくらませる、だけにとどまらず、資料(情報資源)を軸にして”バックヤード”と”利用者サービス”と”マネジメント”とを断絶させずにつなぎとめてくれる、”とりもち”みたいな存在だな、と思えてきますね。些少の重複をおそれるよりも、この”とりもち”が科目や業務がセクショナリズムに陥ってしまうのを防いでくれるほうに、期待したいと思います。「図書館情報資源概論」を学ぶことの意味も、文脈や世界観を失わずに理解できるんじゃないかなと。


 ●わりと汎用性のある”武器”

 最後に。
 「図書館情報資源概論」は司書資格をとるための必須科目だよとたいそうに言ってましたが、一方でしかし、司書資格をとっても実際に図書館で司書として勤めることができる人というのが、人数的にとても少ないんだ、という現実があります。
 じゃあ、司書として勤めないんだったらこの科目はムダなんですか?と。ていうか、この科目を資格無関係に単位取得のために取ろうという人だっていなくはないわけで、そういう人たちにはこの科目は実益無しですか?と。

 いや、そうじゃないんですよ、という話です。
 先ほどの世界図を再掲します。

図書館情報資源概論の世界観.jpg
(クリックで拡大)

 この図の真ん中あたりに「司書」がいますが、じゃあ司書にならなかった人はこの世界と無関係ですかと言ったら、そうじゃないですよね。司書にならなかった人もそのほとんどがみな、この図の上の方にたくさんいる「利用者」=社会の一員として存在するわけです。
 この世界図の中においてみなさんは、一個人として、一社会人として、大から小までたくさんの”課題解決”にあたることになり、その時に”賢明で公正な判断”をするために”確かな情報源”が必要になるわけです。お買い得品を逃さないためにスーパーのチラシが、4限にまにあうように田辺に着くために近鉄の時刻表が、ハズレ企業に就職しないように経営業績や勤務実態が、病気を克服するために新薬の治験結果が、社会の未来のためにマニフェストや公文書や議会の議事録が、です。
 その資料(情報資源)の入手・探索の出来不出来が、みなさんの”課題解決”のゆくえを左右する。それが高度情報化社会と呼ばれる現代の現実、だとしたら。ここに描かれているような、資料(情報資源)のヨコのひろがりやサイクル状の流れ、資料提供をいかに”受け取る”ことができるか、それを学び理解するというのは、かなり強力な”武器”(=リテラシー)になり得ると思うんですね。

 特に、司書資格を取ろうかなと考えるようなタイプの人であれば、実際司書の職に就かないにしろ、出版業とかマスメディアとか、大学・学校のような教育関連とか、この図の中でもわりと足つっこんでるような立場の職種に就くことが多いと思うんですが、だとしたらなおさら、という感じです。

 もちろんそれ以外のどんな職種であっても、現代人であれば何かしらの知的生産と問題解決にあたるということを、これからほぼ生涯続けていくことになるわけで、そういう意味で、どんな人でもこの科目で学ぶようなことはわりと汎用性のある”武器”になるんじゃないかな、って思ってます。

 どんな人でも。
 そう、つまりこのブログ記事のタイトル、「人はなぜ」っていう主語のデカさは、実はおおげさでもおふざけでもなかった、という話です。



 ・・・このボリュームで半期15回ですってよ。


posted by egamiday3 at 21:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

2018年3月のまとめ


●総評:
 リソース不足とイベント過多をよく耐え抜いた、耐え抜いただけだったけど。

●まとめ
・読み→書きサイクル簡素化の確立
・イベントに次ぐイベント、リソース不足に次ぐリソース不足の危機
・「アンナチュラル」
・ワークショップ「日本の古地図ポータルサイト」
・”日本”の”古””地図”を「日本の古地図」から解放する
・送別会幹事というレファレンス業務
・突如始まるビール談義、または転職について
・いまのビールの分類体系は、マイケルジャクソンが作った
・「仁和寺と御室派のみほとけ」展(特に観音堂再現)
・アーカイブサミット京都リプライシンポ@デジタルアーカイブ学会
・仁和寺(リアルの方)
・中等教育学校
・定例会@高野麦酒店
・裏庭マンホール施行
・赤おにの本気@解析室
・蔵書は増えることに意味があるのではない、蓄積を活用するフェーズが本番
・シンポジウム「「国際日本研究」と教育実践」@NBK
・エルビス・ジュース(ブリュードッグ)
・90年会第1話「僕らだって、ヒーローだ」(表現制限の妥当性への疑問と、制限下の創作の可能性という希望)
・京都クィーンの会@ぜぜかん→バンガロー
・セーフティーネットについて
・限りある肝臓を本当に美味いクラフトビールにためだけに使おうキャンペーン
・シンポジウム「新たな文化芸術創造活動の創出」@立命館ARC
・御所
・るりお
・即席報告会
・ビア小町
・疏水分線(桜さがしとしての)
・NBK10年のまとめ (丸10年勤めました)

●月テーマ制
・「読み→書きサイクル簡素化の確立」
 →なんとなく出来たかなと。
・「ドイツに着手開始」
 →手つかず。4月から本気出す。
・「いま忙しいから、忙しくなくなった後のことの準備をいまのうちにしとく」(持ち越し)
 →何したらいいかわかんなかった…

●4月の月テーマは
・「OCLCまとめ」
・「ドイツを具体化」
・「そもそもレポート課題とは何か」
 、の3本です。

 なお裏テーマは「雑魚はかたしはらえ」「有酸素運動」。
posted by egamiday3 at 21:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月01日

NBK10年のまとめ


 ※この記事は”エープリルフール・フリー”(つまりウソとかではない)です。

 この年度末(2018年3月末)をもって、現職に就いて丸10年が経ちましたことを、ご報告致します。
 あ、転職記事とかではないので、4月からは11年目を迎えることになります。

 30代半ばから40代半ばという時期にひとところに腰も腹も据えてみると、何ができるものなんだろう、と考えながらふりかえると、できたこと、できなかったこと、やっておきたかったこと、まだやれそうなこと、やるつもりでtodoリストに入れてたけどいつのまにかふわっと消えてて、まあやんなくてもいいか的なことなど、いろいろ思いは巡るわけなんですけど、とりあえず、どんだけのことできたかなという記録を残す感じで。

・システムリプレイス1回目 (2009-2010年)
 前任者がお膳立てした仕様書その他を引き受けて、入札〜導入を担当したもの。内容的にかつ手続き的にわけがわからんことばっかりなうえに、そもそも他人から引き継いだものというわけわからなさのディスアドバンテージもあり、という種類の苦労をしたものの、その道に強い同僚がいてくれてたおかげと、全体的に大した変更もない感じだったのとで、幸いにして辛さはなかったという感じ。

・外書館(第2資料館)完成 (2010-2011年)
 新しい建物が一つ建って、面積が1.5倍に増えたという事件。フロアプラン作成とその所内調整、施設設備プランとその所内調整、これも施設担当者ほか各方面からの教えとご協力でなんとかかたちになったもの。これに加えて、蔵書26万冊(当時の全蔵書の過半数)の再配置&大移動をプラン&指揮するという”大物パズル”に取り組む日々でしたが、なんていうか、たぶんこの手の”パズル”が好きな気質なんだと思います、じゃなきゃできてない。

・温度湿度計測 (2011年頃から)
 外書館完成を機に、館内各フロア・各室の温度湿度環境の計測・監視と管理をちゃんとしないとヤバいだろう(実際ヤバいことがあった)、という感じになって、それまで対処療法的にしかやってなかった温度湿度計測を、2011年頃から全館対象&定期的に、2012年頃からは毎日やるようになった、というやつ。
 さほど大きくないトピックながらなぜ取り上げたかというと、これ毎日やるの結構手間は手間なんですけど、やってみると各フロア・各室の実態を職員各自が身をもって理解できるようになり、何かと敏感になって対策行動をとるようになったりして、窓やカーテンのケア、除湿器・空調のケアをこまめにするだけでなく、紫外線対策や害虫調査の開始にもつながったりする。さらには、保存環境と資料への影響を気にするようになると、劣化フィルムの媒体変換や配置場所の変更なんかにも及ぶようになる、という感じで、いろいろいい方向に転がる起点になってたんじゃないかと、いまにしてみれば。
 「継続は力なり」って”蓄積”よりも”展開”のほうで力なりだったりするかもしれないですね。

・転籍 (2011年)
 仕事としてやったことではないですが、ここに挙げたほぼすべてのプロジェクトに影響するファクターのひとつとして。

・『本棚の中のニッポン』執筆・刊行 (2011-2012年)
 これも仕事としてやったことではないですが、この職場とこの職において、自分の力の及ぶ範囲でできたことがあるとするなら、これもその大きなひとつなので。
 これがあったからこそ、仕事をする上で何かと話が通りやすく協力が得られやすく、仕事がやりやすくもなり、仕事をどうしていくかの指針にもなり、仕事が増えることにもなり、という感じでした。という意味で、ありがとう>自著。

・資料館3階改装・貴重書庫増設 (2012-2013年)
 1フロアをまるごと改装して、空調入りの基調書庫や古典籍室等を増設したもの。温度湿度計測をはじめとする環境管理への取り組みと考え方が、地味に役に立ったひとつかと。何より、置けない本が置けるようになるというのは、とても心がすがすがしくなるもので、ちょっとやそっとの寄贈ではうろたえなくなりました。このときの蔵書移動は1.6万冊。

・大英博物館へ春画運び(2013-2014年)
 専門ではない分野・種類の資料を、専門ではない業界の方法にのっとって、接したことのない業者や個人の人々と接しながら、事故なく預かって事故なく外国へ運ぶという、最初から最後まで何ひとつ”やったことのない”ことばかりをやってたという、ミッション:インポッシブル過ぎるやつ。春画の先生や、ロンドンの学芸員や、ヤマト運輸の専門家や、古美術商の人たちに助けられつつ、わからないことは一から調べ、勉強し、聞いてまわって、なんとかする、という”リアルMLA連携”でした。(参照:http://egamiday3.seesaa.net/article/376964225.html

・映像音響館(第3資料館)完成 (2014-2015年)
 ウソでしょと思いましたけど、新しい建物がもう一つ建って、面積が当初に比べて2倍に増えたという事件。これもさらに、フロアプラン作成とその所内調整、施設設備プランとその所内調整。前回の外書館(第2資料館)がほぼ全フロア書架&図書を置けるだけ置く、というプランだったのに対し、今回の映像音響館(第3資料館)は視聴覚室・グループ閲覧室等の”機能を持たせる”使い方をすることになった関係上、機器・家具・什器の類の検討と調整に悩まされたという感じでした。このときの蔵書再配置&大移動は24万冊、これも大物パズル。
 ただ、実を言うと外書館(第2資料館)ができただけではまだ本の置き場所が不足していて、本のずらしや別置移動といった作業が日常茶飯事で非常にしんどかったのですが、えらくしたもんで映像音響館(第3資料館)ができるとさすがに日常的な図書移動はせずに済むようになり、これまたちょっとやそっとの大規模寄贈ではうろたえなくなりました。

・システムリプレイス2回目 (2014-2015年)
 なんと、よく考えたら、映像音響館完成対応と業務システムリプレイスとが同じタイミングで進行してたんですね。しんどかったはずだ。
 しかもこの時のリプレイスは、OPACが次世代っぽいやつに大幅にかわるやつで、わりと検討・調整がかかった気がする。

・EAJRSでブース出展を開始 (2015年)
 それまでEAJRSへの参加は毎年継続できていたものの、教員による発表がメイン、事務方はそのサポート的な位置づけでした。それが、2014年ルーヴァン大会に参加したときに、出版社・ベンダーによるブース出展とワークショップがおこなわれるようになっている。そしてそこに公的機関であるアジア歴史資料センターさんも参加している。だったらうちとこも、これに乗らない手はないですよね、事務方主体で具体性・実効性のある広報活動ができるんだし、というんで、諸調整して翌2015年のライデン大会から実現させたもの。いまでは「リソースプロバイダーワークショップ」というかたちで、歴博さんや国文研さんなどの国内のたくさんの公的機関も参加くださってます。

・中断していたCEAL/NCC参加を再開 (2016年)
 北米でおこなわれているCEAL/NCCへの日文研からの参加は、2008年まで毎年おこなわれていたはずなのですが、不運にも途中でお取り潰しされ中断の時期がありました。その再開のため、水面下/表面上で数年かけてくりかえし提案・調整して、時間はかかりましたがなんとか2016年トロント大会から再び参加できるようになった、というもの。これがのちのOCLCにもつながった、のかな。

・OCLC WorldCatに目録登録&WorldShareILL参加開始 (2017-2018年)
 かねてより、海外ILL受付の実績が少なく、受付方法もふわふわしてて確固たるものがなく、海外機関や海外司書に懸命に広報してみてもいまいち手応えが得られず、ということが長年続いていたのを、もうハーバードから帰ってきて10年経とうとしてるのにまだILLひとつ解決できてないっていうのをある意味”キレ”たかたちになって、いいよわかったよ要は早稲田さんみたいにOCLCに直で入れってことでしょうよ、っていう勢いで紀伊國屋さんや各種関係者に教えと協力を請うたところ、諸々のタイミングと各方面のご理解が重なって、かなりスムーズに実現したので、ありがとうございます、あとはほんまに実務レベルでのILL受付対応をこなすフェーズです、ていう感じ。

 もちろん、大項目として挙げたこれらだけでなく、中小規模のあれこれ--土曜開館、デジカメ・スキャナ対応、NDL研修・JAL研修・同志社実習の受入、ガイダンスや蔵書点検のルーチン化、NDL送信サービス、展示室・機器室・企画室等の各室整備、機関資料の確保、各種各地での登壇・会議出席--は枚挙に暇なく、その度ごとに教えと協力を請い、調整してるという感じ。また、外書館・映像音響館レベルではないにせよ、数万・数千冊単位の図書移動も、集密/固定書架の館内随所での増設も、ほぼ毎年のように発生しており、その度ごとに中小規模のパズルに頭をひねってるという感じです。

 何事によらず、ご理解・ご協力くださった/くださっている各方面のみなさまに、あらためて御礼申し上げます。

 2008年4月、最初来たときは当然ながら、まさか10年(以上)勤めることになるとは思ってもいなかったわけですが、リアルに同じ部屋の同じ机につきながら、諸々の業務・事業に取り組み、諸々の資料・人・国・機関に触れ、タスクをtodoリストに入れたり出したり右から左へ受け流したりしているうちに、10年になりました。

 ふりかえって思うこととしては、できることはやったらいいし、できないことや難しそうなこと、コストパフォーマンスの悪いことは、無理にがんばってやることもない。ただ、がんばる必要もないけど、あきらめる必要もない。
 やりたいんだったら、とりあえずやってみる、ダメならどうすればできるかを考える。うん、やっぱりがんばる必要もないし、あきらめる必要もないですね。
 正直、実際にやるかやらないかはあんまり重要じゃないし、何が何でもやらなきゃって、やること自体を目的化(特に短期的に)してしまうと、あんましろくなことにはならないんじゃないかなと思いますね。そもそもそんなカリカリしてやったことが良い方に転ぶか悪い方に転ぶかは、結果出るだいぶ先までわかんないわけだし。
 それよりは、やりたいか(意思・志向)、やるべきか(意義・需要)、どうすればできるか(算段・問題解決)のほうがむしろ重要で、そこが醸成できてればあとは調整とタイミングの問題だから時間がかかってもよければそのうちやれることもあるんじゃないかな、ていう。
 そんなこんなしてるうちにそれなりのタイミングで、出せる結果が出せればいいな、というのが、これまででもありこれからでもあります。

 そんな感じです。

posted by egamiday3 at 20:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月29日

福田安典『医学書のなかの「文学」』を読んだメモ

福田安典『医学書のなかの「文学」』
医学書のなかの「文学」: 江戸の医学と文学が作り上げた世界 -
医学書のなかの「文学」: 江戸の医学と文学が作り上げた世界 -

「医学書を知らなければ鑑賞どころかまずは理解できない作品が確かに存在する」「悪ふざけ気味のもじりによって、堅苦しい医学書が一転して粋な洒落本へと転じている」「戯作でいうところの「見立て」」
「医学書をタネとすることが作者、読者にとってある種の快感があった」
「医療に従事していない人間が、単なる「読み物」として「医学書」を楽しんでいたという前提を認めなければならない」
「医学と文学という対立構造、医学書と読み物という取り合わせへの違和感などの先入観をまずは外して、近世期の作品のいくつかを読む必要性」
「『医書談義』のような作品は医学書と読み物との二つの顔を持つ作品で、その必要性を感じる人間にとってみれば実用書、必要性のない人間にとれば単なる読み物である。現代の人文系書物と自然科学系書物という対立概念を無意味化させる書物」
「生きる希望や指針を与えてくれる「読み物」は実用書、それが医学書であったにしても遊び心を刺激するのみの書物は文学書という住み分けも可能であろう」

「初期洒落本の作者・読者は知識人であって、彼ら仲間の「楽屋落ち」的諧謔味の強い…そのメンバーに都賀庭鐘のような医学に通じた人物がいた」

「『教訓衆方規矩』はその人気の医学書の形態をまねることで、人目を引こうとしている」「医学書に擬態する文学作品たち」
「かたや文学書、かたや医学書の大きな違いがあるのかもしれない。しかし、表現や知識には共通性が認められる。それはどうやら作者の共通性の問題ではなく、読者も巻き込んだ共通性」
「発売直前に医学書の扮装をした『加古川本草綱目』」「この書名は「能楽質」から新時代に迎えられそうな『加古川本草綱目』に変えられて出版された」

「□の中に適当な「漢字」をはめこめば誰でも医案を作ることが出来る…(医学天正記、武道伝来記など)他医の力量不足を挙げてから自身の功績を、「漢文」の「書付」で喧伝するという型式が一致する」

「竹斎」
「その滑稽性は医学に通じていなくても、特に曲直瀬流を知らなくても感得はできようが、曲直瀬を知っていればその読書の愉悦は倍増するであろう」
「そういった咄を、流行に敏く、又曲直瀬家に通じる道冶が、謡、狂言、既成の笑話、はやりの狂歌や書簡体、『伊勢物語』等の諸文芸を、これでもかと動員して、曲直瀬の事蹟をからめて一篇にまとめたのが古活字版『竹斎』であった。…「竹斎」を単なる庸医の笑話から、幽かな雅趣を漂わせる物語に仕立てたところに作者の筆の冴えが感じられる…これほど滑稽で気の利いた作品はなかったであろう」
「当初の御伽の医師の医学知識を盛り込んだ「語り」は、「書き物」となり、その「書いた物」は滑稽、芸能と結び付く「文学書」となった」「その後に、このヤブ医の「書いた物」は堅苦しい鎧と大義(「滑稽」と「教訓」)をまとう」

「医学書と読み物との間には実は何もなく、ただ現代の学問が作り上げた「異領域」という幻想があるだけなのかもしれない」

(コラム「医学書のある文学部研究室から--いかなる手順で医学書を繰ったか」)
(´-`).。oO(この企画がさすが、ていう)
「このコラムを読んでその気になった若きライバルたちに、本書及びその方法論そのものを思う存分に叩いていただき、この世界の魅力を大いに喧伝していただきたい」

(あとがき)
「最近になって…「古典」は単に文学だけに非ずとの風潮が生まれたようである。…その挑戦の一つが国文学研究資料館古典籍共同研究事業センターの設立である。…その共同研究の一つが「アジアの中の日本古典籍--医学・理学・農学書を中心として」…共同研究の方法論と成果、この画像のネット発信がそろい踏みすれば…これからは医学書や本草書を用いた新たな研究の潮流が予想される」

posted by egamiday3 at 23:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月18日

『リポート笠間』No.63 特集「日本文学研究と越境、学際化、国際化 : 2017年の現在地」を読んだメモ

『リポート笠間』 No.63 特集「日本文学研究と越境、学際化、国際化 : 2017年の現在地」
http://kasamashoin.jp/2017/10/63112730.html

●「学際的研究ということ」(浅田徹)
・「いくら「学際的」イベントを組んでも、研究者に新しい発想が生まれなければ意味がない。刺激を求め、類例を求めてあちこち渡り歩くことが必要だ。…「学際的研究」は、自分がやることであって、他人にしてもらうことではない。」

●「英語での学会発表が気になる日本文学研究者のために」(勝又基)
・「英語での学会発表デビューにおすすめな方法は、パネルのパネリストになることである。パネルというのは米国の学会での標準的な発表形式で、2時間弱を一つのグループで発表することである。標準的な流れは、オーガナイザーが趣旨の説明をし、パネリスト四人程度が口頭発表を行い、ディスカッサントが発表者に代表質問を行い、さらに会場と質疑応答を交わす、というもの。」
・おすすめ学会: ASCJ(日本アジア研究学会)、AAS(米国アジア学会)、AAS・in・Asia、AJLS(アメリカ日本文学会、北米の大学が持ち回りで、通例十月末?十一月初旬に開催)、EAJS(ヨーロッパ日本研究協会、書物への関心が米国に比べてヨーロッパでは高い)
・できれば英語原稿は自力で。「日本語とちがってゴマカシが聞かない。英会話の先生に論理の飛躍をズバリと突かれることもある」
・Youtube「Harvard Horizons」。ハーバード大の大学院生が話し方やパワーポイントの作り方を指導されたうえでプレゼンする。
・「The Journal of Asian Studies」の書評「Book Reviews」。「手頃な長さで、海外における日本学の研究動向も学べる」

●「相互理解のための日本文学研究―日本文学研究の国際化の方角」(小松(小川)靖彦)
・コソベル・プロジェクトについて。(☆もうちょっと知りたい)
・日本文学研究の国際化が「日本文学の特質(特殊性)の解明≠ノ止まるならば、日本文学研究の「国際化」は、世界的にはローカルなものに止まるであろう。ロンドンでの在外研究期間中に、日本と海外の研究者による日本文学の学会開催や共同研究などがあったが、その成果がロンドンに伝わることはなかった

●「これからの学問と科研費―科研費審査システム改革2018・再論」(藤巻和宏)
・「「学際」「越境」等を標榜し、より広い視野で研究することがよしとされる傾向は以前からあり…一方で、研究者は一分野の専門家として養成され、確固たる専門性が求められる。とはいえ、その「専門」とは…無理やり近代的な枠組みで整理…次はその枠組みを解体しましょうとばかりに学際性を謳う…不器用で試行錯誤の繰り返しに見える営為」
・「防衛省による安全保障技術研究推進制度」「この制度は理工学や情報学のみならず、いずれ人文社会系の学問へも範囲を広げてくるだろう」「これからの我々の行動、言論、思想、そして研究の積み重ねが、学問の将来を大きく左右させる」

●「井の中の蛙、大海を覗く―中国人民大学の窓から」(小峯和明)
・(中国の日本文学研究)「業績はあくまで中国内部に回収されるもので、日本語で書いて日本で刊行されたものは評価の対象にならない…日本語で論文を書くことに鍛錬されたのに、それがかえって母国では活かされない」
・「日本文学の学術刊行物で国際的に評価される媒体がほとんどない…今までいかに学界が内向きでやって来たか」
・「中国では英語教育が徹底していて、日本古典を専攻しても、実際は日本語よりも英語の方が得意だという院生もいた」
・「柔道は今や国際スポーツと化して、日本のルールはすでにローカルとなってしまった。日本文学・文化研究もいずれはそうなるのではないか。というより、もともとローカルだったのが、国際化の進展によってローカルであることがより顕在化」
・「海外の研究者の業績が外国語で公刊されても、日本ではその著者と関わりのある特定の人間しか知らない…それまでの研究水準をはるかに上回る重要な研究であるが、邦訳がないため日本では充分対象化されていない。知らない間に海外の日本学が進展し、日本で日本語だけで研究している学界が置き去りにされる事態が進みつつある」「最先端の研究を掌握し得ていない研究の末路は火を見るより明らかだ」
・『日本文学研究の展望を拓く』全五巻(東アジアの文学圏、絵画・イメージの回廊、宗教文芸の言説と環境、文学史の時空、資料学の現在)

●「ハイブリッドな「日本文学を読む場」へ向けて」(河野至恩)
・「国・地域を越えて移動しながら学ぶ学生が増えている…ヨーロッパ域内で移動しながら学ぶ学生、東アジア出身の学生が北米やヨーロッパなどで学んだ後に日本に来るなど…アメリカで研究者としてのトレーニングを積んだ者が、こうしてアジアの研究ネットワークに関わること」
・「日本(語)で書かれた文学作品が、世界各地の様々な場所で、日本語のみならず様々な言語の翻訳で読まれるとき、読者がそこにどのような価値を見いだすか、という問題…幅広い関心から日本文学を「世界文学」として読む読者がいる。それらの様々な読者に、テクストを届け、テクストを解釈する材料を届けること」
・「日本国内の研究者も、欧米の人文学でどのような議論が展開されているか、そこに日本文学のテクストがどのように接続できるのかをよく考え、自らの研究のなかでその接続を行っていくことが重要」
・「実は、このようなハイブリッドな場は、多くの場合、既に海外の日本研究の拠点で実現されていると思う。私個人の経験からしても、様々な研究の関心と様々な能力・適性・知識を持つ人々が集まり、そのなかから異分野間に思わぬ関係が生まれて、創造的なものが生まれうる環境が生まれているケースをよく見る」

●「人文学としての日本研究をめぐる断想」(将基面貴巳)
・「人文学一般に広く見受けられる問題的状況のひとつは、このような「学問のプライベート化」(privatization)」
・「一企業も国内・国際社会の一部であるかぎり、その企業活動は、ただ単に営利を最大化するにとどまらず、その企業が生み出す製品やサービスを通じて、国内外の社会・文化生活に望ましい貢献をし、その営利活動の結果生み出された富も、関連財団の活動や公的施設への寄付などのかたちで、社会に還元されることが期待されるはずである。それと同様に、学問も、学問的な真理の探究と、そうした活動を主に支える大学の活動を通じて、国内外の社会に対して、学問が果たしうる固有の仕方で貢献すること(経済的貢献だけではない!)が期待されるはず」
・「真理の探究という学問的精神の根幹こそは、市民社会における良心、批判精神の担い手としての役割を大学に負わせるもの」
・「歴史研究は、現代との対話を通じて、なんらかの意味において知る価値のある史実を提示する責務を担っている。しかし、それは、現代における諸問題に直接的に解決策を示すためではなく、むしろ過去に成功した解決策に頼ることの知的怠惰を戒め、自分の頭で考えて現代固有の課題と対決することを教えるもの」
・「専門外の読者にとって、現代という文脈において自分の研究がいかなる意義を持ちうるか、について考えをめぐらしつつ研究をすすめる必要がある」
・「大学院生としての学問的トレーニングが共同研究チームの末端を担うだけに終始するなら、卒業時に学位こそ得ることはできても、そもそも自分が、自分の生きる時代との関わりにおいて、その研究を行う根本動機と意図とは何なのかを自問し、沈思黙考する機会はほとんどないままで学生時代を終えることを意味する」

posted by egamiday3 at 22:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする