「ゴマソースのものもチリソースのものも、同じ皿で取れって言うのか!?」て、山岡さんも怒ってはったし。
2008年05月30日
2008年05月18日
青い鳥・littel
(この記事は「書誌のともblog」に移しました。20080530)
littelってなんだろう。
おもろそうなのに、実態をつかもうとするとするりと逃げられてしまうよ。
逃げられるのは「この先関係者以外立入禁止」だから、なのかな。
http://www.littel.co.jp/products/products/16.html
http://www.littel.co.jp/case/17.html
http://u-tokyo.navi.littel.jp/
http://lib.mrcl.dendai.ac.jp/webpage/opac/littel.html
とりあえず、ググったときにいちいち「おまえそれ”little”ちゃうんか」て言われるのが、馬鹿にされてるようでウザいよ。
保留。
littelってなんだろう。
おもろそうなのに、実態をつかもうとするとするりと逃げられてしまうよ。
逃げられるのは「この先関係者以外立入禁止」だから、なのかな。
http://www.littel.co.jp/products/products/16.html
http://www.littel.co.jp/case/17.html
http://u-tokyo.navi.littel.jp/
http://lib.mrcl.dendai.ac.jp/webpage/opac/littel.html
とりあえず、ググったときにいちいち「おまえそれ”little”ちゃうんか」て言われるのが、馬鹿にされてるようでウザいよ。
保留。
2008年05月17日
KULINE ToyBoxで遊んでみた Firefox検索バー編
(この記事は「書誌のともblog」に移しました。20080530)
京大さんのOPACはKULINEといいますよ。
で、ブラウザにちょちょっと機能をつけ足すことで、そのKULINEさんを少し便利に使おうよね、というツールが、京大さんでも最近やっと公開されたのでしたよ。それが、KULINE ToyBoxとおっしゃる。
http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/search/index.php?content_id=10
日本の図書館でもこういうの増えてきたけど、アメリカさんだと、ふらりと立ち降りた田舎町の、地域に根ざしたこじんまりとした公共図書館さんとかで、ごくごく当たり前のように、「うちの図書館のツールバー、ダウンロードしてね」みたいなチラシやカードが置いてあったりするので、もう日本はとうの昔に”電子立国”の座をアメリカさんに明け渡しちゃったんだなあ、とかって、ちょっとしんみりしたりしてたのを思い出すよ。
しんみりしてても仕方ないので、せっかくのToyBoxだし、はっちゃけて遊んでみることにしました。
Amazon→OPACは昔がんばって自作したことがあるので、今回は見慣れない「Firefoxの検索バー→KULINE検索」というもの。
で、「Firefoxの検索バー」って何?
・・・・・・あ、ごめーん、あたしてっきりあれって「Googleツールバー」の一種かなんかだと思ってたよ(笑)。道理でなんとなく形がちがうな、つって。だから、マジ・Googleツールバーを搭載さした時点で消しちゃってたよ。
で、あわてて再表示さす。
さてこのToyBoxさんがおっしゃるには、いまおたくさんが開いてらっしゃるこの画面、この画面のままで、検索覧の横のアイコンを押してみ、とのことなので。
押してみた。
Googleさんのトップページが開いた。
・・・・・・あ、虫眼鏡のほう押したらダメなんだね。
[G]マークのほうを押しますというと、よそさんでは見えたこともないような「"KULINE(キーワード)"を追加」だなんだというメニューが現れるよ。すごいね、いま見てる画面によってメニュー出したり出さなかったりなんていう魔法があるんだね。
それをクリックすると、KULINE用のアイコンがメニューに加わって、この検索バーから直接KULINEを検索しにいけるようになりました、ということらしいよ。
ではここに、「→WebCAT検索」や「→NDL OPAC検索」なり「→某・現職場OPAC検索」やを出せるのかしら?
先ほど魔法を目撃したメニューのしんがりにあった「検索バーの管理」なるものをためしにクリックしてみると、「検索エンジンの追加」というのがある。そちらを見てみると、これこれを追加することができますよ、というあらかじめの検索サイト候補はあがってる、asahi.comとかテクノラティとか、なんだけど、WebCATなりNDL OPACなりはあがってないよ。
でも、さすがに図書館界のWeb2.0的ヒーローたるNDL PORTAさんならあるんじゃなかろうか、と思ってググってみたら、やっぱりあったよ。
http://porta.ndl.go.jp/servicedp/Firefox.html
もちろん農林水産さんのとこも。(追加方法はちょっとちがってる)
http://library.affrc.go.jp/firefoxplugin.html
OCLC Worldcatもつけといた。
http://www.worldcat.org/toolbars/default.jsp
但し、worldcatで検索バーに日本語書名を入れたりしてみると、ばっちり文字化けしちゃって検索できなかったけど。
WebCATの↓は、がんばってインストールしてみたけどちゃんと動かなかった。
http://hazymoon.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/webcatplusplugi_b6f2.html
↓こっちのはできたけど、書名・著者名で別々なのだった。
http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/~okamoto/firefox/index.html
滞米・異動でリハビリができてなくて知らないだけで、たぶんちゃんとあるんだろうな。
で、さんざ探し回ってるので、よっぽど気に入ったっぽく見えるのですが、残念ながら江上はおそらく、この検索バーからの各種検索を今後愛用することはまずなかろうな、ということだけは付記しておくのでしたよ。理由1。ブラウザに常駐させてるブックマークバーのショートカットをクリックして直接行くほうが、検索バーのメニューを引き出して選ぶより、クリック回数が少ないから。理由2。書名・著者名・ISBNなどを混ぜて入れてもOKなところと、そうでないところと、ルールがまちまちなので、結局直接行った先でまたひくことになることがちょくちょくあるから。
但し、問題は江上が使う使わないではなく、ここでの本題である(註:まだ本題に入ってなかった(笑))「→某・現職場OPAC検索」について、自作できるのだろうか、おそらく誰も手をつけてなかろうし、ということになるわけですが、
・たぶん一番てっとりばやいのは、「情報の科学と技術」最新号の林さんの記事「Firefox検索バー用のOPAC検索プラグインを自作する」を読むことなんだろうけど、webでは読めない。
・http://developer.mozilla.org/ja/docs/
Creating_OpenSearch_plugins_for_Firefox
ここになんかそれらしいことが書いてある。(農林水産さん経由)
・http://www.rcdtokyo.com/ucb/contents/i000852.php
ここにもなんかそれらしいことが書いてある。(ToyBox経由)
・http://www.rcdtokyo.com/opensearch/plugin
これを使えば、未提供の任意のデータベースについて、同じ機能を自分のブラウザに組み込めるようになるらしい。
・それらをざっと読んでみたところ、どうやら、検索結果一覧のURLに検索語が書かれてあるタイプのOPACじゃないと、手間かかるっぽい。そして、うちのOPACはそのタイプのじゃない。但し、京大さんのもまたそのタイプじゃないはずで、それで実現してるわけだから、光明はあるはず。
・さらに言うなら、上記↑では自分自身のPCのブラウザに入れれるだけであって、これを人様に使ってもらおうとするならば、XMLファイルをサーバにアップロードしないといけないらしい。これは・・・・・・遊びの域を踏み出しとるな。
たぶん、5番目の”URLタイプ問題”(GETとかPOSTとか言うらしいよ)が肝だなあ。
ちなみにハーバードさんのHOLLISだと、そのタイプのOPACなので、組み込むことができたよ。
というところまでを勉強したということで、終わる。
・・・・・・いやあ、俺流Amazonは実に遠いなあ(涙)。
ところで余談ながら、「検索エンジンの追加」のあがってるのの中に、PORTAさんくらいは入れててくれてもいいのになあ、とちょっと思ったよ。
京大さんのOPACはKULINEといいますよ。
で、ブラウザにちょちょっと機能をつけ足すことで、そのKULINEさんを少し便利に使おうよね、というツールが、京大さんでも最近やっと公開されたのでしたよ。それが、KULINE ToyBoxとおっしゃる。
http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/search/index.php?content_id=10
日本の図書館でもこういうの増えてきたけど、アメリカさんだと、ふらりと立ち降りた田舎町の、地域に根ざしたこじんまりとした公共図書館さんとかで、ごくごく当たり前のように、「うちの図書館のツールバー、ダウンロードしてね」みたいなチラシやカードが置いてあったりするので、もう日本はとうの昔に”電子立国”の座をアメリカさんに明け渡しちゃったんだなあ、とかって、ちょっとしんみりしたりしてたのを思い出すよ。
しんみりしてても仕方ないので、せっかくのToyBoxだし、はっちゃけて遊んでみることにしました。
Amazon→OPACは昔がんばって自作したことがあるので、今回は見慣れない「Firefoxの検索バー→KULINE検索」というもの。
で、「Firefoxの検索バー」って何?
・・・・・・あ、ごめーん、あたしてっきりあれって「Googleツールバー」の一種かなんかだと思ってたよ(笑)。道理でなんとなく形がちがうな、つって。だから、マジ・Googleツールバーを搭載さした時点で消しちゃってたよ。
で、あわてて再表示さす。
さてこのToyBoxさんがおっしゃるには、いまおたくさんが開いてらっしゃるこの画面、この画面のままで、検索覧の横のアイコンを押してみ、とのことなので。
押してみた。
Googleさんのトップページが開いた。
・・・・・・あ、虫眼鏡のほう押したらダメなんだね。
[G]マークのほうを押しますというと、よそさんでは見えたこともないような「"KULINE(キーワード)"を追加」だなんだというメニューが現れるよ。すごいね、いま見てる画面によってメニュー出したり出さなかったりなんていう魔法があるんだね。
それをクリックすると、KULINE用のアイコンがメニューに加わって、この検索バーから直接KULINEを検索しにいけるようになりました、ということらしいよ。
ではここに、「→WebCAT検索」や「→NDL OPAC検索」なり「→某・現職場OPAC検索」やを出せるのかしら?
先ほど魔法を目撃したメニューのしんがりにあった「検索バーの管理」なるものをためしにクリックしてみると、「検索エンジンの追加」というのがある。そちらを見てみると、これこれを追加することができますよ、というあらかじめの検索サイト候補はあがってる、asahi.comとかテクノラティとか、なんだけど、WebCATなりNDL OPACなりはあがってないよ。
でも、さすがに図書館界のWeb2.0的ヒーローたるNDL PORTAさんならあるんじゃなかろうか、と思ってググってみたら、やっぱりあったよ。
http://porta.ndl.go.jp/servicedp/Firefox.html
もちろん農林水産さんのとこも。(追加方法はちょっとちがってる)
http://library.affrc.go.jp/firefoxplugin.html
OCLC Worldcatもつけといた。
http://www.worldcat.org/toolbars/default.jsp
但し、worldcatで検索バーに日本語書名を入れたりしてみると、ばっちり文字化けしちゃって検索できなかったけど。
WebCATの↓は、がんばってインストールしてみたけどちゃんと動かなかった。
http://hazymoon.cocolog-nifty.com/blog/2005/09/webcatplusplugi_b6f2.html
↓こっちのはできたけど、書名・著者名で別々なのだった。
http://www.nul.nagoya-u.ac.jp/~okamoto/firefox/index.html
滞米・異動でリハビリができてなくて知らないだけで、たぶんちゃんとあるんだろうな。
で、さんざ探し回ってるので、よっぽど気に入ったっぽく見えるのですが、残念ながら江上はおそらく、この検索バーからの各種検索を今後愛用することはまずなかろうな、ということだけは付記しておくのでしたよ。理由1。ブラウザに常駐させてるブックマークバーのショートカットをクリックして直接行くほうが、検索バーのメニューを引き出して選ぶより、クリック回数が少ないから。理由2。書名・著者名・ISBNなどを混ぜて入れてもOKなところと、そうでないところと、ルールがまちまちなので、結局直接行った先でまたひくことになることがちょくちょくあるから。
但し、問題は江上が使う使わないではなく、ここでの本題である(註:まだ本題に入ってなかった(笑))「→某・現職場OPAC検索」について、自作できるのだろうか、おそらく誰も手をつけてなかろうし、ということになるわけですが、
・たぶん一番てっとりばやいのは、「情報の科学と技術」最新号の林さんの記事「Firefox検索バー用のOPAC検索プラグインを自作する」を読むことなんだろうけど、webでは読めない。
・http://developer.mozilla.org/ja/docs/
Creating_OpenSearch_plugins_for_Firefox
ここになんかそれらしいことが書いてある。(農林水産さん経由)
・http://www.rcdtokyo.com/ucb/contents/i000852.php
ここにもなんかそれらしいことが書いてある。(ToyBox経由)
・http://www.rcdtokyo.com/opensearch/plugin
これを使えば、未提供の任意のデータベースについて、同じ機能を自分のブラウザに組み込めるようになるらしい。
・それらをざっと読んでみたところ、どうやら、検索結果一覧のURLに検索語が書かれてあるタイプのOPACじゃないと、手間かかるっぽい。そして、うちのOPACはそのタイプのじゃない。但し、京大さんのもまたそのタイプじゃないはずで、それで実現してるわけだから、光明はあるはず。
・さらに言うなら、上記↑では自分自身のPCのブラウザに入れれるだけであって、これを人様に使ってもらおうとするならば、XMLファイルをサーバにアップロードしないといけないらしい。これは・・・・・・遊びの域を踏み出しとるな。
たぶん、5番目の”URLタイプ問題”(GETとかPOSTとか言うらしいよ)が肝だなあ。
ちなみにハーバードさんのHOLLISだと、そのタイプのOPACなので、組み込むことができたよ。
というところまでを勉強したということで、終わる。
・・・・・・いやあ、俺流Amazonは実に遠いなあ(涙)。
ところで余談ながら、「検索エンジンの追加」のあがってるのの中に、PORTAさんくらいは入れててくれてもいいのになあ、とちょっと思ったよ。
2008年05月15日
APIは、じゃあたぶん、ルネである。(註:京大の学食)
(この記事は「書誌のともblog」に移しました。20080530)
いろいろゆってるわりには、よく耳にする「API」なるものがなんなのかすらも、「何かしら魔法的なもの」ということ以上にはわかってなかったりしてたのですが、「データベースからデータだけをいただく方法 : Web API入門」(http://kulibrarians.hp.infoseek.co.jp/98th/98th.htm)を聴いて、なるほど、ようやっとわかったような気がしたよ、ていうのの手前勝手な覚書きですよ。かなりぐだぐだに曲解してますけど。
それにしても、勉強ていうのはするもんだなあ、といつも反省するよ。
例えば、インターネット経由で、よそさんのwebサーバに対して「http://・・・・・・/***.html」とか「***.pdf」ていうオーダーを投げかけてやると、htmlページなりpdfファイルなりが送られてきますよ、と。そういうhtmlなりpdfなりって、いろんな情報が書かれてるし、しかもそれが人間様が見てわかりやすいようにデザインされてるし、だから、人間様がそのまま直感的に眼で見て読んで感じて、っていう情報摂取の仕方をする分には、なんら問題がない。
但しその1。それはあくまで人間様用にデザインされた、アナログな情報提示であるから、コンピュータくんがそれをそのままデジタル的にデータとして取得して解析して演算して、っていう情報摂取をするにはかなり不向きな代物であるよ、と。
但しその2。人間様用にデザインされてるとは言え、そのデザインは発信者側がデザインしたものであり、そのデザインの有り様は1種類のみ、発信者側が用意したページ、文書、それ1個きりしか送られてこない。ので、見てる側が何かしら不便や不都合があったところで、その発信者サイドがデザインしたものを受け入れるしかない。
これに対して、Web APIに対応(?)したWebサービス(?)さんの場合だと、こちらからのオーダーである「http://・・・・・・」の、「・・・・・・」の中に「ABC」とか「あいう」とか、先方さんなりのルールで投げかけてやると、XMLだとかなんだとかいう、コンピュータくんが取得できるようなデータが送られてきますよ、と。
それは、「abc」とか「アイウ」とかの回答データがただ単品で投げ返されるだけで、一切の直感的デザインもレイアウトもないから、人間様がそれを眼で見て読もうなんて気も起きないような代物なんだけど、デジタルなコンピュータくんにとっては当然そっちのほうが都合がよろしい。コンピュータくんはそれをデータとして取得して解析して演算して、ができるわけだから。しかもデータが単品だから個々で処理できるし。
さらにいいことには、データが単品で加工可能なわけだから、取得した側のコンピュータくんがそれを自分のご主人たる人間様に見せるときに、お仕着せの発信者サイドのデザインに縛られることなく、ご主人用にアレンジして見せることができる、ていう。
独断と偏見で言うと、単品として投げ返された個々のデータは、学食でいえばアラカルトのお惣菜みたいなもので、お仕着せの定食メニューに縛られることなく注文することができるので、ひとしきり用意された定食のようなwebページのほうがいいという人には不便かもしれないけど、自分で好きに選んで好きに食べたい人にはありがたい。小分けの食器に乗ったのが取得できるから、混ざったりくっついたりしてないし、自分で組み換えて好きなように並べることができる。ひとつ皿の上の生姜焼きのタレが千切りキャベツに染み込んで絶妙、といううまみはない代わりに、鯖味噌のタレがなぜかすぐ横に置かれたポテトサラダに染み込んでどうしようもなくなる、ていうことはないし、サラダだけ単品なら自分で好きなドレッシングをかけれるというのは、取得したデータを自前で都合よく加工できちゃえる、ていうようなもんかな?
何よりありがたいのは、節約上手の学生なら、おうちで炊いたご飯と夕べの自炊の残りをタッパに入れて持ってきてるので、副菜的なのだけを買い足して食べたい、みたいなことをやるわけなんだけど、定食屋さんだと度台無理な芸当が、学食のアラカルト惣菜ならいとも簡単にできてしまう、というのがたぶん世に名高き”マッシュアップ”というやつなんじゃなかろうか、と理解してみたよ。Google Mapからもらってきた地図情報と、OPACなりWebCATなりからひいてきた所蔵館情報とを、自前のwebページ上に手前勝手に並べて置くことができる、というwebサービスの向こうに、学食でとってきた小さなお惣菜に、コンビニで買ってきた野菜ジュースなりカップスープなりを添えて、自宅から持ってきたタッパを開けようとしている独り暮らしの京大生の姿が浮かんで見えるのは、あたしだけでしょうか。(←だけだよ(笑)) しかも、ルネの。(註:京大西部講堂横の学食)
まあ、当面はそういうなんとなくな理解にしておくとして(笑)、アラカルトな感じで個々にデータだけを取得できて、それを自分なりに加工もレイアウトもできるということの強みで言えば、じゃあ京大のOPACさんがAPIになってくれてたら、気に入らない気に入らないと文句たれてた画面デザインやインタフェースを、自分サイドで好きなように設計してしまえるよ、ということらしい。ああ、そうです、ここが肝です。鯖味噌がどうとかは関係ないです(笑)。
実際、Amazonさんなら、検索条件をURLとして投げかけてやると、商品情報なり画像なりのデータがXMLでもらえるわけだし。そんなこんなで、自分で好きなインタフェースにしてしまって「俺流Amazon」ていうのを作れるらしいよ。すごいね。そしてまあ当然のことながら、「Amazon→OPACリンク」みたいのもできるわけだから、たぶん上手に組み合わせたらそれは、Amazonさんに首ったけな人用のOPACていうのになるんだね。すごいね。おととい書いたこと(http://egamiday3.seesaa.net/article/96615928.html)が、65%くらい解決しちゃったね(笑)。まあもちろん、できそうな感じだろうなとはぼんやり思ってたけど、具体的にそういう仕組みでできるんだ、ということが理解できてみると、あらためて、すごいね。
GoogleさんはたぶんAPIの宝庫だし、Google Mapなんかその最たるもんなんだろうけど、BookSearchもたぶんそうなんだね。BookSearchと俺流AmazonとOPACリンクとは組み合わせれるのかしら。あとびっくりしたのが、Google Chartていうのがあって、URL内に各種数値と条件とを記述してアドレスバーにぽんっていれてやると、その数値を元にしたグラフの画像を返してくれるらしいよ、ま・い・り・ま・し・た。m(_ _)m
はてなさんは、ごめんなさい、便利らしいし人気らしいんだけど、あんまよくわかんない。
でも、こうやって話を聴いてちょっとでも理解できたような気になってみると、いままで「この人らは魔法使いかなんかなのか」と思ってた、Google MapなりISBNなりを自在に操るような仕組みをあちこちで公開してはる人らの、立っている土俵がどこにあるのかやっと見えたかな、ていうような感じですよ。
・・・・・・遅いよ。(笑)
リスト。
・Amazon Web サービス入門 http://www.ajaxtower.jp/ecs/index.html
・Amazlet
・「俺流Amazonの作り方」
・Google Chart
・Google BookSearchのViewabilityていうのと、それを使った大学図書館がアメリカにある、ていうの
・OCLC World Affiliate
・JuNii+やNDL PORTAをそういう意味で再確認
・マイなんとかさんの所蔵館マップやネット書店横断検索を、そういう意味で再確認
・宮崎大学OPAC
・リコーのLIMEDIOのv.7
いろいろゆってるわりには、よく耳にする「API」なるものがなんなのかすらも、「何かしら魔法的なもの」ということ以上にはわかってなかったりしてたのですが、「データベースからデータだけをいただく方法 : Web API入門」(http://kulibrarians.hp.infoseek.co.jp/98th/98th.htm)を聴いて、なるほど、ようやっとわかったような気がしたよ、ていうのの手前勝手な覚書きですよ。かなりぐだぐだに曲解してますけど。
それにしても、勉強ていうのはするもんだなあ、といつも反省するよ。
例えば、インターネット経由で、よそさんのwebサーバに対して「http://・・・・・・/***.html」とか「***.pdf」ていうオーダーを投げかけてやると、htmlページなりpdfファイルなりが送られてきますよ、と。そういうhtmlなりpdfなりって、いろんな情報が書かれてるし、しかもそれが人間様が見てわかりやすいようにデザインされてるし、だから、人間様がそのまま直感的に眼で見て読んで感じて、っていう情報摂取の仕方をする分には、なんら問題がない。
但しその1。それはあくまで人間様用にデザインされた、アナログな情報提示であるから、コンピュータくんがそれをそのままデジタル的にデータとして取得して解析して演算して、っていう情報摂取をするにはかなり不向きな代物であるよ、と。
但しその2。人間様用にデザインされてるとは言え、そのデザインは発信者側がデザインしたものであり、そのデザインの有り様は1種類のみ、発信者側が用意したページ、文書、それ1個きりしか送られてこない。ので、見てる側が何かしら不便や不都合があったところで、その発信者サイドがデザインしたものを受け入れるしかない。
これに対して、Web APIに対応(?)したWebサービス(?)さんの場合だと、こちらからのオーダーである「http://・・・・・・」の、「・・・・・・」の中に「ABC」とか「あいう」とか、先方さんなりのルールで投げかけてやると、XMLだとかなんだとかいう、コンピュータくんが取得できるようなデータが送られてきますよ、と。
それは、「abc」とか「アイウ」とかの回答データがただ単品で投げ返されるだけで、一切の直感的デザインもレイアウトもないから、人間様がそれを眼で見て読もうなんて気も起きないような代物なんだけど、デジタルなコンピュータくんにとっては当然そっちのほうが都合がよろしい。コンピュータくんはそれをデータとして取得して解析して演算して、ができるわけだから。しかもデータが単品だから個々で処理できるし。
さらにいいことには、データが単品で加工可能なわけだから、取得した側のコンピュータくんがそれを自分のご主人たる人間様に見せるときに、お仕着せの発信者サイドのデザインに縛られることなく、ご主人用にアレンジして見せることができる、ていう。
独断と偏見で言うと、単品として投げ返された個々のデータは、学食でいえばアラカルトのお惣菜みたいなもので、お仕着せの定食メニューに縛られることなく注文することができるので、ひとしきり用意された定食のようなwebページのほうがいいという人には不便かもしれないけど、自分で好きに選んで好きに食べたい人にはありがたい。小分けの食器に乗ったのが取得できるから、混ざったりくっついたりしてないし、自分で組み換えて好きなように並べることができる。ひとつ皿の上の生姜焼きのタレが千切りキャベツに染み込んで絶妙、といううまみはない代わりに、鯖味噌のタレがなぜかすぐ横に置かれたポテトサラダに染み込んでどうしようもなくなる、ていうことはないし、サラダだけ単品なら自分で好きなドレッシングをかけれるというのは、取得したデータを自前で都合よく加工できちゃえる、ていうようなもんかな?
何よりありがたいのは、節約上手の学生なら、おうちで炊いたご飯と夕べの自炊の残りをタッパに入れて持ってきてるので、副菜的なのだけを買い足して食べたい、みたいなことをやるわけなんだけど、定食屋さんだと度台無理な芸当が、学食のアラカルト惣菜ならいとも簡単にできてしまう、というのがたぶん世に名高き”マッシュアップ”というやつなんじゃなかろうか、と理解してみたよ。Google Mapからもらってきた地図情報と、OPACなりWebCATなりからひいてきた所蔵館情報とを、自前のwebページ上に手前勝手に並べて置くことができる、というwebサービスの向こうに、学食でとってきた小さなお惣菜に、コンビニで買ってきた野菜ジュースなりカップスープなりを添えて、自宅から持ってきたタッパを開けようとしている独り暮らしの京大生の姿が浮かんで見えるのは、あたしだけでしょうか。(←だけだよ(笑)) しかも、ルネの。(註:京大西部講堂横の学食)
まあ、当面はそういうなんとなくな理解にしておくとして(笑)、アラカルトな感じで個々にデータだけを取得できて、それを自分なりに加工もレイアウトもできるということの強みで言えば、じゃあ京大のOPACさんがAPIになってくれてたら、気に入らない気に入らないと文句たれてた画面デザインやインタフェースを、自分サイドで好きなように設計してしまえるよ、ということらしい。ああ、そうです、ここが肝です。鯖味噌がどうとかは関係ないです(笑)。
実際、Amazonさんなら、検索条件をURLとして投げかけてやると、商品情報なり画像なりのデータがXMLでもらえるわけだし。そんなこんなで、自分で好きなインタフェースにしてしまって「俺流Amazon」ていうのを作れるらしいよ。すごいね。そしてまあ当然のことながら、「Amazon→OPACリンク」みたいのもできるわけだから、たぶん上手に組み合わせたらそれは、Amazonさんに首ったけな人用のOPACていうのになるんだね。すごいね。おととい書いたこと(http://egamiday3.seesaa.net/article/96615928.html)が、65%くらい解決しちゃったね(笑)。まあもちろん、できそうな感じだろうなとはぼんやり思ってたけど、具体的にそういう仕組みでできるんだ、ということが理解できてみると、あらためて、すごいね。
GoogleさんはたぶんAPIの宝庫だし、Google Mapなんかその最たるもんなんだろうけど、BookSearchもたぶんそうなんだね。BookSearchと俺流AmazonとOPACリンクとは組み合わせれるのかしら。あとびっくりしたのが、Google Chartていうのがあって、URL内に各種数値と条件とを記述してアドレスバーにぽんっていれてやると、その数値を元にしたグラフの画像を返してくれるらしいよ、ま・い・り・ま・し・た。m(_ _)m
はてなさんは、ごめんなさい、便利らしいし人気らしいんだけど、あんまよくわかんない。
でも、こうやって話を聴いてちょっとでも理解できたような気になってみると、いままで「この人らは魔法使いかなんかなのか」と思ってた、Google MapなりISBNなりを自在に操るような仕組みをあちこちで公開してはる人らの、立っている土俵がどこにあるのかやっと見えたかな、ていうような感じですよ。
・・・・・・遅いよ。(笑)
リスト。
・Amazon Web サービス入門 http://www.ajaxtower.jp/ecs/index.html
・Amazlet
・「俺流Amazonの作り方」
・Google Chart
・Google BookSearchのViewabilityていうのと、それを使った大学図書館がアメリカにある、ていうの
・OCLC World Affiliate
・JuNii+やNDL PORTAをそういう意味で再確認
・マイなんとかさんの所蔵館マップやネット書店横断検索を、そういう意味で再確認
・宮崎大学OPAC
・リコーのLIMEDIOのv.7
最近読んだ本
「鴨川ホルモー」をやっと読んだよ。
やっぱりファンタジーは苦手(涙)。
ファンタジーは、例えばレーズンを絞りに詰めると蘇るとか、濡れてもいいけど浸るとダメとか、やつらは現れなかったとか、そんなんあんた(書く人)の筆先ひとつなんちゃうの?ていう”フリーダム”さ加減が苦手で、でもそれらが、実在の京都という土地とか建物とか行事とか、京大学生生活の実態とか、岩倉だから遠くて、とか(笑)、そういう歴史的・社会的・物理的事実によって制限がかかってる”枠”の中で動き回ってる様子を見ると、ああ、おもろいおもろい、と思うよ。
制限がかかってる”枠”の中で、いかにうまく暴れるかがおもろい、ていうのはやっぱりあって、同じく最近読んだ「京大M1物語」は、ファンタジーじゃないとはいいながらも、「鴨川ホルモー」に描かれた京大学生生活部分なんかよりも抜群にフリーダムに動いてはるもんで、現実味がなくて感情移入できない、ていうのはあったよ。京都あんま出てけえへんし(←そこか)。
「ヘタリア」の”国家の擬人化”ていう描き方なんか、フリーダムすぎるだろうと思うんだけども、それらがすべて歴史的・風土的事実というプロフィールを下敷きにしていちいち動いてるから、わはは、うまいうまい、て笑って読んでられるよ。こういうのを読むと、ああ、高校のときに無理やりにでも世界史とっといてよかったな、と思うよね。
「青色図書館」のキャラよりも「私立轟高校図書委員会」のキャラのほうが飛びぬけてフリーダムなのに、むしろ「轟」のほうにリアリティを感じながらおもろいおもろいと思えるのは、図書館そのものやそこでの活動・行事といったものの設定の現実味の差なんだろうな、という感じでもあるよ。「青色」の私設図書館ていう設定だと、どうしても端々がゆるくなっちゃう感じがあるから。まあ、そのゆるさが一番いいんだけどあれは(←どっちだ)。
最近は”京大小説”がたくさんあっておもろいね。
やっぱりファンタジーは苦手(涙)。
ファンタジーは、例えばレーズンを絞りに詰めると蘇るとか、濡れてもいいけど浸るとダメとか、やつらは現れなかったとか、そんなんあんた(書く人)の筆先ひとつなんちゃうの?ていう”フリーダム”さ加減が苦手で、でもそれらが、実在の京都という土地とか建物とか行事とか、京大学生生活の実態とか、岩倉だから遠くて、とか(笑)、そういう歴史的・社会的・物理的事実によって制限がかかってる”枠”の中で動き回ってる様子を見ると、ああ、おもろいおもろい、と思うよ。
制限がかかってる”枠”の中で、いかにうまく暴れるかがおもろい、ていうのはやっぱりあって、同じく最近読んだ「京大M1物語」は、ファンタジーじゃないとはいいながらも、「鴨川ホルモー」に描かれた京大学生生活部分なんかよりも抜群にフリーダムに動いてはるもんで、現実味がなくて感情移入できない、ていうのはあったよ。京都あんま出てけえへんし(←そこか)。
「ヘタリア」の”国家の擬人化”ていう描き方なんか、フリーダムすぎるだろうと思うんだけども、それらがすべて歴史的・風土的事実というプロフィールを下敷きにしていちいち動いてるから、わはは、うまいうまい、て笑って読んでられるよ。こういうのを読むと、ああ、高校のときに無理やりにでも世界史とっといてよかったな、と思うよね。
「青色図書館」のキャラよりも「私立轟高校図書委員会」のキャラのほうが飛びぬけてフリーダムなのに、むしろ「轟」のほうにリアリティを感じながらおもろいおもろいと思えるのは、図書館そのものやそこでの活動・行事といったものの設定の現実味の差なんだろうな、という感じでもあるよ。「青色」の私設図書館ていう設定だと、どうしても端々がゆるくなっちゃう感じがあるから。まあ、そのゆるさが一番いいんだけどあれは(←どっちだ)。
最近は”京大小説”がたくさんあっておもろいね。
2008年05月13日
loser - 負け続ける図書館目録
(この記事は「書誌のともblog」に移しました。20080530)
簡単に言うと、OPACが所蔵データベースであろうとする限り、図書館目録は負けることが運命づけられてるんだな、という感じです。
以前に書いた”リンクリゾルバ”に関する講話( http://egamiday3.seesaa.net/article/94056558.html)では、次世代OPACについての話題も出たのでしたよ。
いわゆる次世代OPAC。ハーバードさんでも、その他の大学図書館さんでも、各種講演・会議類でも、ひっきりなしに話題にのぼって、もはや待ったなしで整えられつつある(少なくともアメリカでは)、いわゆる次世代OPAC。正確な定義はともかく、たぶんそれは、曰くファセットであり、レコメンドであり、FRBRizedであり、ソーシャルタグであり、ソーシャルブックマークであり、タグクラウドであり、表紙画像であり、書評であり、どうのこうのである、というやつ。
いやもうね、いま躍起になるべきところ、心血注ぐべき喫緊のポイントといえば、これでしょう、と。とっとと構築してこうよ、と。じゃないと、その”次世代”ももう終わってまうよ、という感じで、HVUdayでも某日記(http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/index.php?p=70)でも何度となく話題にしてたりして、すっかり首ったけだな江上は、みたいな感じになってたわけですが。
先のリンクリゾルバ講話を聴きながら、ふと、とある不安にさいなまれ始めたのでしたよ。
例えばじゃあ、Amazonさんが人気である、と。それは、オンライン書店としてだけではなく、書籍検索サービスとしても人気なのであって、表紙画像や書評も見れる、レコメンドもある、自分でリストも作れる。そういうののが人気のおかげで、若い学生さんたちはまずAmazonで欲しい本を見つけてから、その本が自分とこの大学の図書館にあるかどうかをOPACで検索しにくる。というようなことは、多くのライブラリアンが経験として知ってもいるし、なんぞの論文なりに数字としてもあがってることでしょう。
だったらですよ。
問: 図書館OPACが次世代になったら、Amazonさんに勝てますか?
いまの人気薄な図書館OPACが、次世代の機能を、AmazonさんやGoogleBookさんのような機能を備えるようになったあかつきには。
利用者のみなさんは、Amazonさんよりも図書館OPACさんのほうを好んで使ってくれるようになるだろうか。ほんとにそうなるのかしら。
江上の答えは、残念ながら否です。
ノンです。ニヒトです。
それは、自分だったらどうするか、を考えたらよくわかる。
言うたって、そもそも江上自身が「Amazonひいて→図書館OPACひく」ていう検索行動をとってる張本人ですもの、白状すると。いきなり図書館のOPACひくことはまずないですもの。そして、そんな自分が、京大さんなりなんなりの図書館OPACが次世代になってくれたらどうなるか、て言われたところで、まあ、Amazonさんをまず先に使うだろうな、ていう。正直。ごめんね。
江上がそうなんだから、若い学生さんなり若い研究者さんなりだって、そうするんじゃなかろうか。
さすれば、これは(ライブラリアンとしての江上から見て)ゆゆしき事態ですよ。昨今の図書館業界の切り札みたいに思ってた次世代OPACが、使われない、てんだから。
やばいので、とっかかりとしてまず、なぜ江上は「Amazonひいて→図書館OPACひく」のかの理由を考えてみた。
・Amazonには、小説・コミック・エンタメ系など非学術系書籍が網羅的に収録されている。図書館OPACでは、それが網羅的でない。(書誌の網羅性の問題)
・Amazonには、最新刊が網羅的に収録されている。図書館OPACに最新刊が収録されるのはどうしても遅い。(これも書誌の網羅性の問題)
・そもそも江上には、図書館で本を借りる習慣がなく、本は買うものと位置づけている。(入手の問題)
というわけで、入手の問題はしばらく置いておくとして、どうやら問題は”書誌が網羅的かどうか”ということになってきそうであるよ、と。
だったらさ、余暇で軽く読むものを探すときにAmazonさんを使う、ということについては認めるにもしろ、ですよ。研究調査目的で書誌を検索したいとき、学術系書籍だとか、流通してない各大学内出版物だの研究成果出版物だの報告書類だのとか、年代の古いもの、絶版もの、学術雑誌、古典籍といったものについては、さすがにAmazonさんじゃないでしょ? 京大さんの図書館OPACなりをまずひくことになるでしょ? どうですか?
ひかないです。
京大さんの図書館OPACを、最初にはひかないです。
まず、NACSIS WebCATをひきます。
なぜ「NACSIS WebCATひいて→自館OPACをひく」のかの理由。
NACSIS WebCATのほうが、単館OPACよりも、書誌が網羅的だから。
(ややこしくなるので括弧書きで添えると、NDL OPACよりもNACSIS WebCATのほうが先なのは、大きいとはいえ単館のNDLよりもNCのほうがなんとなく網羅的っぽいのと、入手につながるILLはNCのほうが現実的だから、という理由でだよ。)
さて、こうなってくると。
洋書を探すのにまずOCLCやBLやKVKをひきます。理由、そっちのほうが洋書の書誌が網羅的だから。
書籍に限らず情報収集するのには、まずGoogleさんをひきます。理由、そっちのほうが情報が網羅的だから。
それが、学内にあろうが、学外にあろうが、書店にあろうが、ネットに流れてようが、最終的に入手できりゃそれでいいんであって、とりあえずはまず、何がこの世に存在してるかを、端からつつっと並べてみろよ、ここへよ。
と魚屋の客みたいなことを言いたくなってしまうのは、「書誌をひく→所蔵を知る」という流れからしてみれば、当然のことと言えるかもしれないですが、さあじゃあこうなってくると、どんなにがんばったって所詮は単館所蔵データベースでしかない図書館目録さんの、いったいどこに勝ち目があるんだろう、ていう話になってきてしまうわけですよ。
図書館目録・図書館OPACが人気薄といわれて久しく、その原因として「使いにくい」だの「クールでない」だの「目録規則に縛られた書誌記述や検索思想が利用者のニーズに合致してない」だの「Web2.0じゃない」だのというのは耳蛸・口酸に言われることではあるのだけど、それよりなにより、「書誌データベースとして所詮ローカルでしかない。網羅性が薄い」となったら、これはもう完全たる引導ですよね。だって、図書館目録ってそういうもんとして、単館の所蔵を収録するものとして存在してるんだもの。アイデン&ティティの問題になっちゃうもの。
えー、だってそれは、自分の大学の図書館でまず手に入るかどうかから探せる、ていうのが図書館目録の強みなんちゃうの? まず借りれるものの中から探せるほうが便利なんちゃうの? とおっしゃるむきもあるかもしれない。
それも正しいかもしれない。ただ、江上にはどうしてもそうは思えない。もはや、学内にあるかどうかとか、どの場所にあるのかとか、どこで借りれるのかとかいうのは、情報利用者にとって重要でなくなっとるんじゃなかろうか。以前と比べて激減に。やっぱり、学内・学外・書店・ネット、なんでもいいから端からつつっと並べてみろよ、ていう空気なんじゃなかろうか。インターネットが、情報から”場所”という属性を奪う装置だとしたら、余計に。
そしてやっぱり、この「データベースとして網羅性が薄い」というのは、どうあがいたって、いまの時代の情報サービスとしては比類なき、完膚なき、仁義なきまでのディスアドバンテージでしょう。Googleさんが降臨しこの世の民に与えたもうたのは、情報入手のスピードや手軽さやシンプルさだけでなく、網羅的にチェックできるということによる一種独特の甘美な愉悦感みたいなもので、例えばGoogle日本降臨以前に出版の『青猫の街』(涼元悠一)なる小説では、主人公がロボットタイプのサーチエンジンでキーワード検索したところ、171件がヒットし、そのあまりの件数の多さに辟易する、という場面が出てくるのですが、あれから10年、いまやネット検索で171件なんか「少ない!」と言われかねない勢いなわけで、もはや我々は(それが良いか良くないか、便利か不便かはともかく)示される情報の多さにすっかり慣れっこになってしまっちゃってる。
情報は爆発し、増加し、サーチエンジンは日々肥え太り、網羅性を増し続け、紙の本もe-resourceもwebページも山のようにpublishされている一方で、図書館さんといえば予算も減り、購入される本も減り続けてる挙句に、そのデータベースにローカル所蔵しか収録されていないといった日には、ですよ。
そんな、ローカルで網羅性の薄いデータベースに、”ポータル”も”ワンストップ”も何もあったもんじゃない、んじゃなかろうか。
先のリンクリゾルバの件ですが、これってまあ言ってみれば、図書館OPACをひきさえすれば、探してるものがe-resourceでネットにあるか、学内にあるか、学外にあるかが、ワンクリックで探せますよ、と、図書館OPACから先のシームレスな便利さを華麗に演出しようとしてるわけなんだけども、じゃあその図書館OPACに”ポータル”や”ワンストップ”としての魅力が薄くしかついてないんだったら、そのシームレスの華麗さも中くらいなりおらが春、て感じになっちゃうんじゃなかろうか。見方、変わってきちゃうな、なんか。
ここでいきなり自分語りになっちゃいますけど、そういうようなことを考えるようになったのも、自分が京大を離れたからなわけですよ。京大さんの中の人として15-6年過ごしてきましてて、ほら、京大さんの蔵書って多いじゃないですか、600万だか700万だかっつって。そしたらそのOPACなんて、書誌データベースとしてもある程度網羅されててそれほど露骨な不都合感じることもなかったんですよね、ぬくぬくとね。
ところが、いざ京大を離れてアメリカに行きました、海外の日本研究の現場に身を置きました。いくらハーバードさんが有数の東アジア図書館を持ってるからっつって、やっぱり蔵書には限りありますから、単館OPACではヒットしない本が多い。しかも天下のOCLCさんのデータベースにだって、なかなか網羅性を感じ愉しめるほどには、日本語書籍の書誌は収録されてはいない。だもんで彼らは、学部生の頃からWebCATのひき方を練習させられてる(http://hvuday.seesaa.net/article/67051481.html)わけなんですよね。
帰国して京大じゃないところの図書館に出向しました。ここがとてつもなくILL依頼が多い。がんばって本を買ってる、その購入数の多さでは業界じゃ有名なとこではあるんだけど、それでも所詮は歴史のまだ浅い単館なもんで、利用者さんにしてみれば欲しい本がここに無いことのほうが圧倒的に多い。結果、最初に自館OPACをひいてみたところで、十中八九がそのまま「NII検索」ボタンを押すことになる。
そんな、十中八九「NII検索」せなあかんような図書館OPACが、ソーシャルタグどころか表紙画像載せたところで、Amazonさんに勝てるわけがないじゃんね。
というふうに、さんざっぱらけちょんけちょんにゆってきたところで、じゃあどうすんのかという話なんだけども、例えばOCLCさんやNIIさんがローカルカスタマイズしたOPACを提供する(http://hvuday.seesaa.net/article/82197594.html)か?とか、各図書館目録のレコードをクロール?自動収集?して仮想的な総合目録を作るだとか、それからほっぽらかしてきたけども、なんだかんだいったって「Amazonを使うのは買うことのほうが多いから」「NDL OPAC使わないのはNCでILL入手するから」つってたように入手に近いという物理的なアドバンテージをどう活かすんだとか、そういうことになるのかな、というところまでで、ひとまず区切りをつけることにしますよ。
簡単に言うと、OPACが所蔵データベースであろうとする限り、図書館目録は負けることが運命づけられてるんだな、という感じです。
以前に書いた”リンクリゾルバ”に関する講話( http://egamiday3.seesaa.net/article/94056558.html)では、次世代OPACについての話題も出たのでしたよ。
いわゆる次世代OPAC。ハーバードさんでも、その他の大学図書館さんでも、各種講演・会議類でも、ひっきりなしに話題にのぼって、もはや待ったなしで整えられつつある(少なくともアメリカでは)、いわゆる次世代OPAC。正確な定義はともかく、たぶんそれは、曰くファセットであり、レコメンドであり、FRBRizedであり、ソーシャルタグであり、ソーシャルブックマークであり、タグクラウドであり、表紙画像であり、書評であり、どうのこうのである、というやつ。
いやもうね、いま躍起になるべきところ、心血注ぐべき喫緊のポイントといえば、これでしょう、と。とっとと構築してこうよ、と。じゃないと、その”次世代”ももう終わってまうよ、という感じで、HVUdayでも某日記(http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/index.php?p=70)でも何度となく話題にしてたりして、すっかり首ったけだな江上は、みたいな感じになってたわけですが。
先のリンクリゾルバ講話を聴きながら、ふと、とある不安にさいなまれ始めたのでしたよ。
例えばじゃあ、Amazonさんが人気である、と。それは、オンライン書店としてだけではなく、書籍検索サービスとしても人気なのであって、表紙画像や書評も見れる、レコメンドもある、自分でリストも作れる。そういうののが人気のおかげで、若い学生さんたちはまずAmazonで欲しい本を見つけてから、その本が自分とこの大学の図書館にあるかどうかをOPACで検索しにくる。というようなことは、多くのライブラリアンが経験として知ってもいるし、なんぞの論文なりに数字としてもあがってることでしょう。
だったらですよ。
問: 図書館OPACが次世代になったら、Amazonさんに勝てますか?
いまの人気薄な図書館OPACが、次世代の機能を、AmazonさんやGoogleBookさんのような機能を備えるようになったあかつきには。
利用者のみなさんは、Amazonさんよりも図書館OPACさんのほうを好んで使ってくれるようになるだろうか。ほんとにそうなるのかしら。
江上の答えは、残念ながら否です。
ノンです。ニヒトです。
それは、自分だったらどうするか、を考えたらよくわかる。
言うたって、そもそも江上自身が「Amazonひいて→図書館OPACひく」ていう検索行動をとってる張本人ですもの、白状すると。いきなり図書館のOPACひくことはまずないですもの。そして、そんな自分が、京大さんなりなんなりの図書館OPACが次世代になってくれたらどうなるか、て言われたところで、まあ、Amazonさんをまず先に使うだろうな、ていう。正直。ごめんね。
江上がそうなんだから、若い学生さんなり若い研究者さんなりだって、そうするんじゃなかろうか。
さすれば、これは(ライブラリアンとしての江上から見て)ゆゆしき事態ですよ。昨今の図書館業界の切り札みたいに思ってた次世代OPACが、使われない、てんだから。
やばいので、とっかかりとしてまず、なぜ江上は「Amazonひいて→図書館OPACひく」のかの理由を考えてみた。
・Amazonには、小説・コミック・エンタメ系など非学術系書籍が網羅的に収録されている。図書館OPACでは、それが網羅的でない。(書誌の網羅性の問題)
・Amazonには、最新刊が網羅的に収録されている。図書館OPACに最新刊が収録されるのはどうしても遅い。(これも書誌の網羅性の問題)
・そもそも江上には、図書館で本を借りる習慣がなく、本は買うものと位置づけている。(入手の問題)
というわけで、入手の問題はしばらく置いておくとして、どうやら問題は”書誌が網羅的かどうか”ということになってきそうであるよ、と。
だったらさ、余暇で軽く読むものを探すときにAmazonさんを使う、ということについては認めるにもしろ、ですよ。研究調査目的で書誌を検索したいとき、学術系書籍だとか、流通してない各大学内出版物だの研究成果出版物だの報告書類だのとか、年代の古いもの、絶版もの、学術雑誌、古典籍といったものについては、さすがにAmazonさんじゃないでしょ? 京大さんの図書館OPACなりをまずひくことになるでしょ? どうですか?
ひかないです。
京大さんの図書館OPACを、最初にはひかないです。
まず、NACSIS WebCATをひきます。
なぜ「NACSIS WebCATひいて→自館OPACをひく」のかの理由。
NACSIS WebCATのほうが、単館OPACよりも、書誌が網羅的だから。
(ややこしくなるので括弧書きで添えると、NDL OPACよりもNACSIS WebCATのほうが先なのは、大きいとはいえ単館のNDLよりもNCのほうがなんとなく網羅的っぽいのと、入手につながるILLはNCのほうが現実的だから、という理由でだよ。)
さて、こうなってくると。
洋書を探すのにまずOCLCやBLやKVKをひきます。理由、そっちのほうが洋書の書誌が網羅的だから。
書籍に限らず情報収集するのには、まずGoogleさんをひきます。理由、そっちのほうが情報が網羅的だから。
それが、学内にあろうが、学外にあろうが、書店にあろうが、ネットに流れてようが、最終的に入手できりゃそれでいいんであって、とりあえずはまず、何がこの世に存在してるかを、端からつつっと並べてみろよ、ここへよ。
と魚屋の客みたいなことを言いたくなってしまうのは、「書誌をひく→所蔵を知る」という流れからしてみれば、当然のことと言えるかもしれないですが、さあじゃあこうなってくると、どんなにがんばったって所詮は単館所蔵データベースでしかない図書館目録さんの、いったいどこに勝ち目があるんだろう、ていう話になってきてしまうわけですよ。
図書館目録・図書館OPACが人気薄といわれて久しく、その原因として「使いにくい」だの「クールでない」だの「目録規則に縛られた書誌記述や検索思想が利用者のニーズに合致してない」だの「Web2.0じゃない」だのというのは耳蛸・口酸に言われることではあるのだけど、それよりなにより、「書誌データベースとして所詮ローカルでしかない。網羅性が薄い」となったら、これはもう完全たる引導ですよね。だって、図書館目録ってそういうもんとして、単館の所蔵を収録するものとして存在してるんだもの。アイデン&ティティの問題になっちゃうもの。
えー、だってそれは、自分の大学の図書館でまず手に入るかどうかから探せる、ていうのが図書館目録の強みなんちゃうの? まず借りれるものの中から探せるほうが便利なんちゃうの? とおっしゃるむきもあるかもしれない。
それも正しいかもしれない。ただ、江上にはどうしてもそうは思えない。もはや、学内にあるかどうかとか、どの場所にあるのかとか、どこで借りれるのかとかいうのは、情報利用者にとって重要でなくなっとるんじゃなかろうか。以前と比べて激減に。やっぱり、学内・学外・書店・ネット、なんでもいいから端からつつっと並べてみろよ、ていう空気なんじゃなかろうか。インターネットが、情報から”場所”という属性を奪う装置だとしたら、余計に。
そしてやっぱり、この「データベースとして網羅性が薄い」というのは、どうあがいたって、いまの時代の情報サービスとしては比類なき、完膚なき、仁義なきまでのディスアドバンテージでしょう。Googleさんが降臨しこの世の民に与えたもうたのは、情報入手のスピードや手軽さやシンプルさだけでなく、網羅的にチェックできるということによる一種独特の甘美な愉悦感みたいなもので、例えばGoogle日本降臨以前に出版の『青猫の街』(涼元悠一)なる小説では、主人公がロボットタイプのサーチエンジンでキーワード検索したところ、171件がヒットし、そのあまりの件数の多さに辟易する、という場面が出てくるのですが、あれから10年、いまやネット検索で171件なんか「少ない!」と言われかねない勢いなわけで、もはや我々は(それが良いか良くないか、便利か不便かはともかく)示される情報の多さにすっかり慣れっこになってしまっちゃってる。
情報は爆発し、増加し、サーチエンジンは日々肥え太り、網羅性を増し続け、紙の本もe-resourceもwebページも山のようにpublishされている一方で、図書館さんといえば予算も減り、購入される本も減り続けてる挙句に、そのデータベースにローカル所蔵しか収録されていないといった日には、ですよ。
そんな、ローカルで網羅性の薄いデータベースに、”ポータル”も”ワンストップ”も何もあったもんじゃない、んじゃなかろうか。
先のリンクリゾルバの件ですが、これってまあ言ってみれば、図書館OPACをひきさえすれば、探してるものがe-resourceでネットにあるか、学内にあるか、学外にあるかが、ワンクリックで探せますよ、と、図書館OPACから先のシームレスな便利さを華麗に演出しようとしてるわけなんだけども、じゃあその図書館OPACに”ポータル”や”ワンストップ”としての魅力が薄くしかついてないんだったら、そのシームレスの華麗さも中くらいなりおらが春、て感じになっちゃうんじゃなかろうか。見方、変わってきちゃうな、なんか。
ここでいきなり自分語りになっちゃいますけど、そういうようなことを考えるようになったのも、自分が京大を離れたからなわけですよ。京大さんの中の人として15-6年過ごしてきましてて、ほら、京大さんの蔵書って多いじゃないですか、600万だか700万だかっつって。そしたらそのOPACなんて、書誌データベースとしてもある程度網羅されててそれほど露骨な不都合感じることもなかったんですよね、ぬくぬくとね。
ところが、いざ京大を離れてアメリカに行きました、海外の日本研究の現場に身を置きました。いくらハーバードさんが有数の東アジア図書館を持ってるからっつって、やっぱり蔵書には限りありますから、単館OPACではヒットしない本が多い。しかも天下のOCLCさんのデータベースにだって、なかなか網羅性を感じ愉しめるほどには、日本語書籍の書誌は収録されてはいない。だもんで彼らは、学部生の頃からWebCATのひき方を練習させられてる(http://hvuday.seesaa.net/article/67051481.html)わけなんですよね。
帰国して京大じゃないところの図書館に出向しました。ここがとてつもなくILL依頼が多い。がんばって本を買ってる、その購入数の多さでは業界じゃ有名なとこではあるんだけど、それでも所詮は歴史のまだ浅い単館なもんで、利用者さんにしてみれば欲しい本がここに無いことのほうが圧倒的に多い。結果、最初に自館OPACをひいてみたところで、十中八九がそのまま「NII検索」ボタンを押すことになる。
そんな、十中八九「NII検索」せなあかんような図書館OPACが、ソーシャルタグどころか表紙画像載せたところで、Amazonさんに勝てるわけがないじゃんね。
というふうに、さんざっぱらけちょんけちょんにゆってきたところで、じゃあどうすんのかという話なんだけども、例えばOCLCさんやNIIさんがローカルカスタマイズしたOPACを提供する(http://hvuday.seesaa.net/article/82197594.html)か?とか、各図書館目録のレコードをクロール?自動収集?して仮想的な総合目録を作るだとか、それからほっぽらかしてきたけども、なんだかんだいったって「Amazonを使うのは買うことのほうが多いから」「NDL OPAC使わないのはNCでILL入手するから」つってたように入手に近いという物理的なアドバンテージをどう活かすんだとか、そういうことになるのかな、というところまでで、ひとまず区切りをつけることにしますよ。
2008年05月09日
久しぶりに旅にでも出たいよ
ゴールデンウィーク始まり頃でしたか、こんなニュースを目にしたのですよ。
若者の海外旅行離れ「深刻」
2008/4/30
J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2008/04/30019659.html
--------------------------------
海外旅行に出かける若者の数が激減している。海外旅行が昔ほど特別でなくなっていることのほかに、「お金がない」「休みが取れない」といった事情もある。
・・・
彼らにとって海外旅行が魅力的でなくなってきているというのは原因のひとつとして考えられます。
(日本旅行業協会の広報担当者)
--------------------------------
正直、ほっといたれよ、と思いながら読んでたのですが、そしたら中見出しで「10年間で35%近い「激減」」と目立つように書いてあるのに目がとまったよ。
なんでも、20〜29歳の海外旅行者(法務省による出入国管理統計の出国者数)が、2006年で298万人。それが10年前の1996年だと463万人。だから35%も減ってる、激減だ! 深刻な海外離れだ! とおっしゃりたいらしい。
10年前にまさしく20代どまんなかのR35たる我が輩としては、こういう数字の扱い方されるとだいぶカチンとくるのでしたよ。なめんなよ、と。いまの20歳そこそこの世代と比べて、うちらの人口どんだけ多いかわかってんのか、と。
総務省のWebサイトから「人口推計」というところ(http://www.stat.go.jp/data/jinsui/)を探し出してのぞいてみると、20〜29歳の人口が、2006年で1490万人(上3桁)、1996年では1910万人。各年の出国者数の割合は、2006年が20.0%、1996年で24.2%。
だったら、その減った率は35%ではなく、17.4%ということになるわけですよ。そりゃ減ってるのは減ってるかもしんないけど、35%だ!てあおってる数字に比べたらだいぶマイルドなんじゃなかろうか。だったら、人口そのものの減り率22.0%のほうが問題先だろう、と。%はともかく、実数減ってるのが旅行業界には問題なんだ、とおっしゃるんであれば、わかってらっしゃるだろうけど20代人口が増える見込みなんか当面なさそうですよ、と。
ていうか、最近よくヒットするんだけど、J-CASTニュースってのは何?
同じネタを扱ったもうひとつの記事が、あって、こちらはちゃんと出国者数/人口で比較してらっしゃるんだけど、なぜ若者が海外に出ないのかについての原因分析として、
若者に海外離れ
旅行者減、業界は危機感 パソコンで行った気分?
2008/4/30
FujiSankei Business i.
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200804300010a.nwc
--------------------------------
「パソコン一つで世界中の情報が楽しめる。『頭の中の旅』が新鮮さを奪った」
--------------------------------
とおっしゃってるらしいよ、日本旅行業なんとか協会の何とか推進委員会の人によれば。
またそうやって安易なパソコン・インターネット批判が展開されやがろうとしてますが、じゃあ、この10年、インターネットのおかげで海外旅行の手配がどれだけしやすくなったか、行きやすくなったかということを、見て見ぬふりせんといてほしいと思うよ。観光情報や飛行機・ホテルの予約ばかりでなくて、現地交通機関の乗り換えも、美術館の入館予約も、気象情報も、治安情報も、現地在住日本人のブログのおかげで地元食べ物屋の情報みたいなんですら、ぼんやりしてても情報入手でき、
・・・・・・あ。
そうか、そういうふうにネットで素人が簡単に手配・情報入手できる状態を、苦々しく思うてらしたのが、このなんとか旅行業の人たちなんだなあ。
そりゃまあ、ネットで直になんでも手配してたら、国内の業者さんに落ちる金なんか関空までで終わってまうよな。
今日の教訓。
数字であおっちゃダメ。
パソコンやネットを安易に批判する人らは信用しない。
でも、もうちょっとは国内に金を落としてあげるようにしよう。
若者の海外旅行離れ「深刻」
2008/4/30
J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2008/04/30019659.html
--------------------------------
海外旅行に出かける若者の数が激減している。海外旅行が昔ほど特別でなくなっていることのほかに、「お金がない」「休みが取れない」といった事情もある。
・・・
彼らにとって海外旅行が魅力的でなくなってきているというのは原因のひとつとして考えられます。
(日本旅行業協会の広報担当者)
--------------------------------
正直、ほっといたれよ、と思いながら読んでたのですが、そしたら中見出しで「10年間で35%近い「激減」」と目立つように書いてあるのに目がとまったよ。
なんでも、20〜29歳の海外旅行者(法務省による出入国管理統計の出国者数)が、2006年で298万人。それが10年前の1996年だと463万人。だから35%も減ってる、激減だ! 深刻な海外離れだ! とおっしゃりたいらしい。
10年前にまさしく20代どまんなかのR35たる我が輩としては、こういう数字の扱い方されるとだいぶカチンとくるのでしたよ。なめんなよ、と。いまの20歳そこそこの世代と比べて、うちらの人口どんだけ多いかわかってんのか、と。
総務省のWebサイトから「人口推計」というところ(http://www.stat.go.jp/data/jinsui/)を探し出してのぞいてみると、20〜29歳の人口が、2006年で1490万人(上3桁)、1996年では1910万人。各年の出国者数の割合は、2006年が20.0%、1996年で24.2%。
だったら、その減った率は35%ではなく、17.4%ということになるわけですよ。そりゃ減ってるのは減ってるかもしんないけど、35%だ!てあおってる数字に比べたらだいぶマイルドなんじゃなかろうか。だったら、人口そのものの減り率22.0%のほうが問題先だろう、と。%はともかく、実数減ってるのが旅行業界には問題なんだ、とおっしゃるんであれば、わかってらっしゃるだろうけど20代人口が増える見込みなんか当面なさそうですよ、と。
ていうか、最近よくヒットするんだけど、J-CASTニュースってのは何?
同じネタを扱ったもうひとつの記事が、あって、こちらはちゃんと出国者数/人口で比較してらっしゃるんだけど、なぜ若者が海外に出ないのかについての原因分析として、
若者に海外離れ
旅行者減、業界は危機感 パソコンで行った気分?
2008/4/30
FujiSankei Business i.
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200804300010a.nwc
--------------------------------
「パソコン一つで世界中の情報が楽しめる。『頭の中の旅』が新鮮さを奪った」
--------------------------------
とおっしゃってるらしいよ、日本旅行業なんとか協会の何とか推進委員会の人によれば。
またそうやって安易なパソコン・インターネット批判が展開されやがろうとしてますが、じゃあ、この10年、インターネットのおかげで海外旅行の手配がどれだけしやすくなったか、行きやすくなったかということを、見て見ぬふりせんといてほしいと思うよ。観光情報や飛行機・ホテルの予約ばかりでなくて、現地交通機関の乗り換えも、美術館の入館予約も、気象情報も、治安情報も、現地在住日本人のブログのおかげで地元食べ物屋の情報みたいなんですら、ぼんやりしてても情報入手でき、
・・・・・・あ。
そうか、そういうふうにネットで素人が簡単に手配・情報入手できる状態を、苦々しく思うてらしたのが、このなんとか旅行業の人たちなんだなあ。
そりゃまあ、ネットで直になんでも手配してたら、国内の業者さんに落ちる金なんか関空までで終わってまうよな。
今日の教訓。
数字であおっちゃダメ。
パソコンやネットを安易に批判する人らは信用しない。
でも、もうちょっとは国内に金を落としてあげるようにしよう。
2008年05月08日
アニメの図書館戦争を見た感想としては
当然といえば当然でしょうが、アニメ化にあたっては、原作の図書館ネタの部分はかなりマイルドに薄められていますよね。そうじゃないと一般受けしないしね。
でも、あの作品から図書館ネタを削ってマイルドにしちゃったら、残るのはかなりベタなラブコメか大映ドラマのノリですよね。(註:断じて”月9”ではない。月9はあんなじゃない。)
だからまあ、そういうもんとして見るしかないよね。
ただ、そういうもんとして見ると、江上はドラマ見ぃではあってもアニメ見ぃではあまりないから、よくわかんないけど、でもいい感じには作れてあると思うよね。
テンポもいいし。見せ方ちょっと工夫してる感じするし。小ネタのまぶし方も鼻につかない感じで小気味いいし。
アニメ見ぃの人の評価はどうなのかな。
だからといって、某業界のポスターにするとかってのはどうかという気はするよ。そんなとこではしゃいどるご時世でもなかろう、と。
まあ、ふたりっこのポスターが街中の豆腐屋に貼られてたようなもんだろうけど。(←例示が古すぎやせんか)
でも、あの作品から図書館ネタを削ってマイルドにしちゃったら、残るのはかなりベタなラブコメか大映ドラマのノリですよね。(註:断じて”月9”ではない。月9はあんなじゃない。)
だからまあ、そういうもんとして見るしかないよね。
ただ、そういうもんとして見ると、江上はドラマ見ぃではあってもアニメ見ぃではあまりないから、よくわかんないけど、でもいい感じには作れてあると思うよね。
テンポもいいし。見せ方ちょっと工夫してる感じするし。小ネタのまぶし方も鼻につかない感じで小気味いいし。
アニメ見ぃの人の評価はどうなのかな。
だからといって、某業界のポスターにするとかってのはどうかという気はするよ。そんなとこではしゃいどるご時世でもなかろう、と。
まあ、ふたりっこのポスターが街中の豆腐屋に貼られてたようなもんだろうけど。(←例示が古すぎやせんか)
最近読んだ本
「イニシエーション・ラブ」、乾くるみ。
最後の最後までそのことに気付かなかった自分を呪った。しかも、それに気付いた最初のキーワードが『****』だった自分って、どうなんだ(笑)。ところで、その『****』をキーに使った話を別のところでなんか読んだような気がするんだけど、まぼろし記憶かしら。
「エクサバイト」、服部真澄。
ギガやテラがエクサになったら、Google VS マイクロソフトの闘いはどんなふうになるのかというのを、美術史の視点から語ってみた話。(←なんかだいぶかたよった説明のような(笑)) ただ、エクサになったら、という話であるからだろうとは思うんだけど、じゃあ情報同士のネットワーク的なつながりのほうはどうなるんだ、みたいなところはかなり低いというか無視されてたような気がして、ちょっと物足りなさは覚えたよ。
良いイタリア史小説だった。(←だからちがうって(笑))