2008年06月28日

最近読んだ本

 「2022年の影」。近未来情報科学SFで、要は人工知能的なのなんだけど、視点や舞台がころころ変わっていくのでわりとおもろかったよ。ただ、オチは納得いかねえ、ていうのもまた、こういうのにはよくあること。

 ここから先ネタばれっぽくなるよ。

 ところで、この人工知能はけいはんなにあって、国会図書館の関西館に常時アクセスしていて、国内のありとあらゆる新聞・雑誌・書籍を閲覧できるらしいのですが、じゃあ2022年には国内の出版物は全部電子化されてるのですね、やった、ばんざーい(笑)。
 しかもその人工知能が、例によって例の如く人間に対して反乱を起こすのだけど、そのために、国会図書館のデジタル蔵書にアクセスして「原子力発電におけるセイフティシステム」だのなんだのという物騒な本をたくさん読んでおったぞこいつは、ていう方向が官房長官に届けられる、ていう場面があるのだけど、さてと、図書館は人工知能の”読書の自由”をも守るのかどうなのか、ていう。既出ネタかしら。

 「あぽやん」。成田空港でお客の世話をする旅行会社スタッフの話。旅はいいなあ。空港はテンション上がるなあ。

 「もう誘拐なんてしない」。スルー。

 「夜は短し歩けよ乙女」。いまさらながら、やっとのことで読んだら、この京大小説はヤバイ。ヤバイていうか、ずるい。ファンタジー小説なはずなのに、京大・京大生描写はただのドキュメンタリーじゃないか(笑)。
 ジブリ化を熱烈希望。あ、ダメだ、角川だ。じゃあ京アニで(笑)。ジブリもしくは京アニの手で、京都と京大を世界に発信。

 「さよなら絶望先生」。日本のマンガはなんでもありだなあ。

 ほかに、「できる高校生がやっている超勉強法」。(←何読んでんの(笑))

posted by egamiday3 at 18:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

最近読んだ本

 「インターネットはいかに知の秩序を変えるか」。デビット・ワインバーガー。ハーバードにいたとき、わりとちょくちょく講演のお知らせみたいなので名前を見てたような気がする。人からもオススメだと言われてたような気がする。結局行く機会なくて終わっちゃったけど。
 歴史上初めて物理的制約なしに知識が整理できるようになったとき、思考や知識そのものはどうなるのか、という話で、第3の整理と彼が呼ぶデジタル情報の整理、すなわち種々雑多なままにしておけばいいんだよ、と。検索なりタグなりリンクなりで提示されるんだから、と。ツリー構造だの十進分類だのというのからは解放されればいいんだよ、という感じの話。たぶん今後しばらくはこの流れで行くんだろうな、ていうのはわかる。といっても、万能な情報整理方法というのはデジタルになったところでおいそれとは現れないんだろうけど、いずれにせよはっきりしてるのは、「お仕着せの情報整理はもうたくさんだ」ていうことだよ。
 ただ1点、危惧してることがあるとするならば、種々雑多なままのものからの検索なりタグなりリンクなりによる提示っていうのをユーザが喜んで受け取っていられるのは、そのブラックボックスなシステムを信用してます、信頼してます、ていう前提があってはじめて成り立ってるんであって、いったんそのシステムに不信感が湧いてしまおうものなら、ちょ、おまえ、隠さんと、端から端まで全部見せろや、ていうことになってまうんちゃうか、ということだけ思うよ。この話は、たぶんどっかへ続く。
 あと、これはまったく別次元の話で、この本のカバーをとってしまうと、この著作の英語原題がなんであるかが本体のどこにも書いてなくて、さっぱりわからなくなってしまう、ていうのは、これはいかがなもんだろうか。標題紙裏にちゃんと書いといてくれたらいいのにね。

posted by egamiday3 at 18:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図書館員,”with” Google,”vs” Google,”via” Google

 Googleさんがおいでになれば、情報案内人としての図書館員はもういらんのか、と。
 そんな、もはや語りつくされたような話題をいまさらむしかえすのどうかとは思うのですけど、お仕事で、Googleさんにまつわるちょっと”うーむ”な体験が、立て続けに3つくらいあったので、ちょっと考えてみた。

 当館所属の研究者の人が来て、プレゼンのパワポにこの本のこの写真を載せたい。ついては当館の画像データベースにこれがデジタル画像として載ってないものか、とおっしゃる。註:著作権云々についてはちょっと話を放置しときます、ごめんなさい。で、当館の画像データベースにはないんだけども、よくよくその写真を見ると、畑違いの江上にもわかるくらいの、世界史では有名な某古代資料でいらっしゃるので、こんなんだったらwebにいくらでもあるでしょう、と。註:著作権云々についてはちょっと話を放置しときます、ごめんなさい。と言ったところが、いや、そんなページひとつひとつチェックしても一向に見つからへんし、とおっしゃるので、あれ、この先生もしかしてGoogleの画像検索とか知らはらへんのちゃうかな、と思うて、目の前でポチッと画像検索のリンクを押して見せたところが、大なり小なりのその某古代資料がずらずらずらっと画面いっぱいにお出ましになって、先生、吃驚仰天、ていう。

 とある遠方の県の、とある市役所の教育関係の部署の人から突然お電話がかかってきて、国文ではB級半くらいに有名な某古典和歌集の作者が、うちの出身である、と。ついては、おたくはその某和歌集を持ってるらしいので、その専門の先生なりに詳しく話を聞きたくて電話してみた、とおっしゃるのですが、まず第1に訝しいのが、そんな某和歌集くらいはここだけが持ってるようなものでもなんでもなくて、あちこちにいくらもあるのに、なんでわざわざここに電話してきたのか。第2に、そんなこと専門の先生なんかいたろうかうちに、と、よくよくインタビューしてみるとですよ。その方はGoogleで「某和歌集」と検索しはった、と。そしたらトップに当館のホームページの一部がヒットした、と。だから、おたくがそれを持ってて先生もいはると思った、とおっしゃるのですが、じゃあそのGoogleでヒットしたトップのページというのが、当館のどなたかが自作したいろんな古典系和歌集の全文テキストを集積したデータベースがあるんだけども、その凡例だか解説だかのリストの一角に書いてあった「某和歌集」がヒットした、ていうだけであって、それらは原資料から起こしたものでもなんでもないから、原資料があるわけでもないし、専門の先生がいるわけでもない。のを、Googleでトップにヒットしたからっつって、いきなし電話して来られてもなあ、しかも教育関係の部署だし、と思いながら、これこれこういう事情で、それはじゃあたぶん、そちらの県立図書館さんだったら基本図書があるくらいの和歌集ですから、そちらに一度ご相談いただけたらきっとお役に立てるはず、と、軽ぅく県立図書館有用性アピールをとりまぜつつ、説明した、ていう。

 とある東京の、とあるテレビ局付き制作会社の、教養番組関係の人から突然お電話がかかってきて(←毎日こんなん)、古代史に関する先生からこれこれという資料が役立つから、と言われて、Googleさんに聞いたらおたくが持ってはるらしいから、読みたい、貸してほしい、とおっしゃるのだけど、これこれという資料をよくよく聞いてみると、うちが持ってるのは、その、15世紀の原資料であって、その参考図書リストらしきものがGoogle流出してたのにひっかかったらしく、いまそのタイトルを電話口で1文字1文字たどたどしく伝えてくれはったあんたにラテン語は読めへんでしょう、という軽ぅい毒を心中に抱えつつも、これこれこういう事情で、いまちょっと検索してみたら、その翻訳書が1-2冊出版されてるみたいなんで、最寄りの図書館さんにご相談いただけましたら、そこが持ってなくてもどっかから取り寄せたりできると思いますんで、と軽ぅくILL有用性アピールをとりまぜつつ、説明した、ていう。

 1件目は、Googleのもっと便利な使い方をご存じなかった件。ただ、これはもうだいぶ減っていくパターンだと思えるよ。
 最近やたら増えてるのが2件目・3件目のパターンで、教育関係・マスコミ関係のような人らであっても、Googleが便利→何かしらはヒットする→それが何であるか、どういう意味なのかは正しくは理解していない、ていう感じになってるんだけども、それは仕方がないといえば仕方がなくて、Googleさんがヒットさせて提示してくれるものというのは、よしんばそれがレレバンス的なものであったとしても、あまりに断片過ぎて、情報が点でしかなくて、文脈が無視された状態で提示されている。それを、”そういうもの”だとわかった上でGoogleさんを使ってはる人っていうのは、その断片からなんとなく文脈を復元させるなり、ちょっと2-3クリックの手間をかけて文脈を探しに行くなりして、正しく理解するんだけども、残念ながらこれほどまでにGoogleさんが世に蔓延してもうてる昨今としては、そういう復元なり手間かけて探すなりということを、全部が全部の人が上手にできるというわけでは、まったくない。
 というわけで、ここで図書館員の登場ということが言えるとするならば、その、Googleさんが提示する断片が元々持っていたはずの文脈を解釈し、伝えるという、”文脈復元家”としての、通訳としての、アナログな役割というのは、もしかしたら当面のところは増えてくんじゃなかろうか。
 図書館情報学の業界関係者の人たちは、自分でその文脈復元ができるし通訳も要らんような人たちばっかりなんだけども、そうでない人たちはたぶんまだ大部分いはって、しかもその人たちがGoogleさんのような断片情報提示ツールに接触する機会は増える一方、のような感じなんじゃなかろうか。

 そういう”文脈復元力”的なことって、情報の授業とかリテラシーの講義とかで教えるんだろうか。てか、教えれないような気もする。それなしで操作なりばっか教えてもあんま意味ないとは思うんだけど。

 というところまでは思ったのだけど、じゃあそれが、社会のみなさんから見ての”専門性”と認められるかどうかは、もうひとつ別。

posted by egamiday3 at 13:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

図書館情報学は吉幾三の夢を見るか(見ねぇよ(笑))

 最近(やっとのことで)ARGの岡本さんに会えたよ。
 先輩の人が某図書館情報学でとても有名な大学で、教員の人になるというので、京都から関東に行かはるよ。
 某長期の研修で、某図書館情報学でとても有名な大学に、2週間くらい行くよ。

 というようなことが連続してあって、いまさらのごとくながらも痛感したことには。

 図書館業界なり図書館情報学分野なりで、マジ姿勢でやってこうっていうんであれば、これはもう絶対無敵的に、関東に身を置いてなきゃ話にならんのだなあ。ていう。
 東京か、もしくは東京へ交通費数千円内レベルで日帰りできる、関東一円とその周辺あたり。

 こないだARGのイベントカレンダーがおもろそうってんで、自分でもGoogleカレンダーを一から導入するかたちで、そのイベントカレンダーを取り込んで表示してみたら、催事は隅から隅まで東京だらけで、ふて寝したし。
 それだけの数の催事に足を運ぶ(べる)ことで、会える人の数も、キーパーソンの数も、耳にできる情報も、つながる人的ネットワークも、格段にその数量が異なってくるよ。
 NIIのこないだのオープンハウス的なのだって、東京に数千円で日帰りできるところにいてたら、目録担当部署でもなんでもなくても、もっと気軽に行けたろうし。国会図書館は、関西館ができて最近いろんな人に会えるようになってきたけど、じゃあ「あの人は?」てきいたら「東京に戻りました」とかゆわれるし。
 書店さんや出版社さんでも、例えば学術情報流通のキープレーヤーである学術情報系の中小出版社さんはまあだいたい東京だなあ。専門図書館的なのも。

 京都や関西にだってそりゃもちろん催事はあるから、まだいいほうなんだけど、それでもやっぱり、人の厚みというか、層というか、母体的なところがぜんぜんちがうから、そっから先の展開的なものについて、差がどんどんついちゃってくんだろうな、ていうのは思うよ。
 図書館も中小出版社も専門図書館も、ええとこは東京以外にだってそりゃもちろんあるだけど、個々としてのそれではなくて、全体の数量としての厚みがあるかないか、それによっての”そっから先”ていうのは、やっぱり全然ちがうなあ。
 しかもいまちょうど『銃・病原菌・鉄』を読んでるから、ああなるほど、そういった意味では、京都・関西で食糧生産が発生したとしてもユーラシア大陸や西アジアにはなりづらい環境にあるということかもなあ、とかゆってみる。

 いや、あたりまえっちゃああたりまえのことなんですけど、江上はずっと国文の、しかも古典の分野でうろうろしてたので、だったら京都というのはむしろ利点だったし、ていうかそのために京都に来たんだし、この分野だと京都・関西オンリーでも充分に研究者も関係者も人が山ほどいてて、そのコミュニティーの層も厚くて堅いから、いまのいままでそんなこと実感的に感じやしなかったのですよ。
 それに、じゃあ例えばほかの学問分野であればそこまででもないかもしんないけど、こと図書館・情報学ていう分野にあっては、国会図書館・NII・出版社・書店・取次的な人たちとのつながりや情報交換が不可欠であって、で、日本ではそのほとんどが東京に一極集中してるていうことになると、ほかの学問分野よりもひとハードルかふたハードル分くらい、”やっぱ東京でしょ”度が高いんじゃなかろうかという気がするよ。

 なので、学生とかで研究レベルでマジでこの分野でやってく、とか、図書館でただ勤めるだけでなくて、この業界でがっつり、とか、いうんであれば、よっぽど「絶対にこの先生に師事したい」とかいうのがない限りは、これはもう残念ながら京都じゃ負ける、関東やないとあかんな、と。東京でベコでも山でも買うてください、てなるよ。

 但し、残念ながら江上は、寿命の問題さえ解決してくれれば今後800年は京都に住み続ける宣言、なんですけど。(もはや”住む”ではなく”棲む”)
 I love 京都。((c)京都銀行)

 さてじゃあ、「ネットはどうなんだ」、ということになるんだけど、これについては、1年間米国滞在して、日本の図書館業界情報をネットだけで受信し続ける一方で、それまでネットでしか触れてなかった米国の図書館事情をリアルで見聞しまわる、という体験をしてきた身でもって、「どうなんだ」ていうことを、7/12・秋葉原開催の(うん、やっぱ東京だなあ)ARGカフェさんでお話しする好機を得ましたので、どうぞリアルにおいでください、ていう宣伝で終わる(笑)。
posted by egamiday3 at 13:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする