2008年10月28日
キュレーターは学芸員じゃなかった。
キュレーターは、資料に対する学術的研究を行ないつつ、ていう職。
ライブラリアンやアーキビストや学芸員は、技術的な専門職。
ていう解釈らしいよ。
”キュレーター=学芸員”ていう解釈を今日からやめたほうがいいな、と学んだ。
キュレーターになろうよね。
2008年10月17日
ディベートは、魔の言説か、密の味か。
ディベートなるものを初めて体験したよ。
この年になるまで、ディベートなるものを、やったことも見たこともなかった江上。
正直、悪い印象しか持ってなかったよ。
曰く、自分自身の意見がまったく反映されない。
曰く、YESかNOかの二極で判断する。
曰く、どっちが正しいか勝敗を決める。
いちいちが、そんなもの下の下だろう、と、自分自身の趣味志向の真逆対極の位置にあるものとして、方違え的に扱っていたという。
・・・・・・やってみると、わりとおもろかった(笑)。
どっちについてどう思うかとか関係なく、その結論についてまったく責任を持つ必要がなく、ただただ、自分の言ってることに説得力があるかないかだけを計算しながら、人前でぺらぺらとしゃべることの、なんと気持ちいいことか。(註:←ディベートの本来の趣旨とはだいぶちがうところで気持ちよくなっています。)
「コンビニの深夜営業を禁止すべきか」というテーマだったのですが、最初NO派でこてんぱんに否定しておいて、次の回で即、YES派として数的根拠を次々に並べ立てながら肯定肯定で押してるときの、気持ちよさといったら尋常じゃなかったよね。
これはやばい。
そんなことに気持ちよさを感じてたりしたら、人間性がゆがんでしまう(笑)。
という別の意味で、今後も方違え的に扱うようにしておこう、と決めた体験でしたよ。
この年になるまで、ディベートなるものを、やったことも見たこともなかった江上。
正直、悪い印象しか持ってなかったよ。
曰く、自分自身の意見がまったく反映されない。
曰く、YESかNOかの二極で判断する。
曰く、どっちが正しいか勝敗を決める。
いちいちが、そんなもの下の下だろう、と、自分自身の趣味志向の真逆対極の位置にあるものとして、方違え的に扱っていたという。
・・・・・・やってみると、わりとおもろかった(笑)。
どっちについてどう思うかとか関係なく、その結論についてまったく責任を持つ必要がなく、ただただ、自分の言ってることに説得力があるかないかだけを計算しながら、人前でぺらぺらとしゃべることの、なんと気持ちいいことか。(註:←ディベートの本来の趣旨とはだいぶちがうところで気持ちよくなっています。)
「コンビニの深夜営業を禁止すべきか」というテーマだったのですが、最初NO派でこてんぱんに否定しておいて、次の回で即、YES派として数的根拠を次々に並べ立てながら肯定肯定で押してるときの、気持ちよさといったら尋常じゃなかったよね。
これはやばい。
そんなことに気持ちよさを感じてたりしたら、人間性がゆがんでしまう(笑)。
という別の意味で、今後も方違え的に扱うようにしておこう、と決めた体験でしたよ。
横の肩書きを、縦にするには。
フランスの(とある有名な)図書館からおいでになった、とある方と、お知り合いになる。
で、名刺を交換する。
つつーっと見てみると、肩書きらしき位置に”conservator”と書いておられる。
あ、そうなんですか、じゃあ紙の修復とか製本とか、和紙とかも扱ってられるんですか?
と問うてみると、きょとんとしてはるので、あれ?と思うていると、側にいるイギリスの(とある超有名な図書館から来はった)方が、フランスで言う”conservator”は、”curator”にあたるんだよ、と教えてくれはる。
えー、ぜんぜん知らなかったよ、そうなんだ。
似たような間違いは前にもやってて、とあるアメリカの大学のライブラリアンの方と初めてお会いして、名刺をいただいて、肩書きに”bibliographer”と書いてあるので、あ、カタロギングやってはる方なんですね、とゆったらやはりきょとんとしてはって、側にいた日本の(とある有名な図書館関係者)の方に、アメリカで言う”bibliographer”は、選書や蔵書構築を専門にする人のことを言うんだよ、と教えてくれはったですよ。
とかく肩書きは難しいよ。しかも、そのtranslationは。
”curator”だって、日本語にしようとしちゃうと「学芸員」になってしまうんだけど、じゃあ果たしてここでいう”curator”をそのまま「学芸員」と訳したり、この人を「学芸員」なんだと理解してしまっていいのだろうか。
ヨーロッパとかアメリカとかで、ライブラリアンの人に会って、名刺の肩書きを見ると”curator”と書いてあることがわりとちょくちょくあるんだけど、欧米で、図書館の人で、”curator”の人は、それは日本で言えば「司書」なんじゃなかろうか。
例えば、ダブリンのチェスター・ビーティ・ライブラリーみたいに、ライブラリーと名は付いてるもののあり方としてはほぼ美術館・博物館の類、ていうところにいる人の肩書きが”curator”なのは、それは「司書」じゃなくて「学芸員」だろうと思うんだけど。
例えば、でっかい国立図書館規模のところの、マニュスクリプトが専門のリーディングルームとか、言語が特殊な資料のリーディングルームとかにいはる人が、”curator”ていうときのは、「学芸員」と解するよりはやっぱり「司書」のような気がする。
というようなことをつらつらと考えてると、いや、これはもはや、それらの肩書きをわざわざ日本語に置き換えて表記したり理解したりすること自体が、どうもおかしいんじゃないか、と。”curator”は「キュレーター」として体に落とすべきなんじゃなかろうか、と。さえ思うようになってくるのですよ。
江上は、ハーバードさんにいるときには、”visiting librarian”という肩書きでした。
これ、わざわざ訳す? 「外来司書」とかって言う? それとも”visiting librarian”のままのほうがしっくり来る?
図書館のトップの人の肩書きに、”Librarian”というのがあって、その人が日本語で言う「館長」ではないとき。どうする? もう、「トップの人」としか言えなくなっちゃうけど。それとも「図書事務部長」とか、訳す? それって翻訳というより、もはや役職を創作してしまってるんじゃないかとさえ思うんだけど。
そういうのってじゃあ、肩書きの名称を”逐語訳”したって意味ないんじゃなかろうか。組織まるごとの中でどういう位置づけの身分だから、こういう日本語にあたるんだていうのを、”意訳”しないと、ていう。逐語訳しちゃうと、あきらかにどっかで矛盾や衝突を起こしちゃいかねないので。
とかなんとかいっちゃって、実はとっくに、肩書きや役職的な単語についてどの日本語をあてるか、なんてことは、かっちり決まってたりする(特に資格のからむ職業については)、ていう単なる自分の勉強不足パターンかもしんないので、また調べておこうっと。
で、名刺を交換する。
つつーっと見てみると、肩書きらしき位置に”conservator”と書いておられる。
あ、そうなんですか、じゃあ紙の修復とか製本とか、和紙とかも扱ってられるんですか?
と問うてみると、きょとんとしてはるので、あれ?と思うていると、側にいるイギリスの(とある超有名な図書館から来はった)方が、フランスで言う”conservator”は、”curator”にあたるんだよ、と教えてくれはる。
えー、ぜんぜん知らなかったよ、そうなんだ。
似たような間違いは前にもやってて、とあるアメリカの大学のライブラリアンの方と初めてお会いして、名刺をいただいて、肩書きに”bibliographer”と書いてあるので、あ、カタロギングやってはる方なんですね、とゆったらやはりきょとんとしてはって、側にいた日本の(とある有名な図書館関係者)の方に、アメリカで言う”bibliographer”は、選書や蔵書構築を専門にする人のことを言うんだよ、と教えてくれはったですよ。
とかく肩書きは難しいよ。しかも、そのtranslationは。
”curator”だって、日本語にしようとしちゃうと「学芸員」になってしまうんだけど、じゃあ果たしてここでいう”curator”をそのまま「学芸員」と訳したり、この人を「学芸員」なんだと理解してしまっていいのだろうか。
ヨーロッパとかアメリカとかで、ライブラリアンの人に会って、名刺の肩書きを見ると”curator”と書いてあることがわりとちょくちょくあるんだけど、欧米で、図書館の人で、”curator”の人は、それは日本で言えば「司書」なんじゃなかろうか。
例えば、ダブリンのチェスター・ビーティ・ライブラリーみたいに、ライブラリーと名は付いてるもののあり方としてはほぼ美術館・博物館の類、ていうところにいる人の肩書きが”curator”なのは、それは「司書」じゃなくて「学芸員」だろうと思うんだけど。
例えば、でっかい国立図書館規模のところの、マニュスクリプトが専門のリーディングルームとか、言語が特殊な資料のリーディングルームとかにいはる人が、”curator”ていうときのは、「学芸員」と解するよりはやっぱり「司書」のような気がする。
というようなことをつらつらと考えてると、いや、これはもはや、それらの肩書きをわざわざ日本語に置き換えて表記したり理解したりすること自体が、どうもおかしいんじゃないか、と。”curator”は「キュレーター」として体に落とすべきなんじゃなかろうか、と。さえ思うようになってくるのですよ。
江上は、ハーバードさんにいるときには、”visiting librarian”という肩書きでした。
これ、わざわざ訳す? 「外来司書」とかって言う? それとも”visiting librarian”のままのほうがしっくり来る?
図書館のトップの人の肩書きに、”Librarian”というのがあって、その人が日本語で言う「館長」ではないとき。どうする? もう、「トップの人」としか言えなくなっちゃうけど。それとも「図書事務部長」とか、訳す? それって翻訳というより、もはや役職を創作してしまってるんじゃないかとさえ思うんだけど。
そういうのってじゃあ、肩書きの名称を”逐語訳”したって意味ないんじゃなかろうか。組織まるごとの中でどういう位置づけの身分だから、こういう日本語にあたるんだていうのを、”意訳”しないと、ていう。逐語訳しちゃうと、あきらかにどっかで矛盾や衝突を起こしちゃいかねないので。
とかなんとかいっちゃって、実はとっくに、肩書きや役職的な単語についてどの日本語をあてるか、なんてことは、かっちり決まってたりする(特に資格のからむ職業については)、ていう単なる自分の勉強不足パターンかもしんないので、また調べておこうっと。
たまにはこんなことも書くよ。
最近、仕事や、職場環境的なこととか、職場での振舞いとかについて、いろいろと見たり聞いたり読んだりすることが、なんとなく続く感じになったよ。係長研修的なところで、チームビルディングの話とか、ディベートとか、部下への接し方とか、そういうのを聞いたり、あとはなんか労働問題をぼんやり扱ってるような内容の小説を読んだりとか。
なんだろう、この違和感、というか。
なんでみんな、たかが仕事でこんなにムキになってるんだろう、という気がしているよ。
仕事なんか所詮仕事でしかないじゃないか、と。
そこまでムキになってやるようなことじゃないだろう、と。
てな方向に話を持っていくと、いや、そうやって一生懸命がんばってるのは、プロ意識のあらわれなんだし、みたいに言われちゃうかもしれない。責任感のあらわれだし、とか。
でも、それもおかしな話やと思うねん。
ムキになって仕事するのと、プロ意識でもって仕事するのとって、ぜんぜんちがう話やと思うねん。
そこだけは。ぜんぜんちがう。
それ、ムキになってるだけで、プロ意識が高いとか責任感の発露とかではないだろう、ていうの、あるでしょう。
そこはがんばりどころちゃうやろう、ていう。
いや、がんばらなあかんこともあるし、がんばったほうがええこともあると思うけど、がんばりポイントがだいぶズレてないか、という気はする。
赤塚不二夫みたいに、ちょっと高いところからあぐらをかいて眺めつつ、プロ意識と責任感を全うする、とかやったら、そんなムキになるようなポイントなんかそうそうないと思うけどなあ。
仕事なんか所詮仕事でしかないんだから、そこまでがんばらんでええと思う。
ほかに気にせなあかんこと、まだたくさんあるし。
ほかに気にせなあかんことを、気にするようにしたら、仕事でムキになったりへんなところでがんばったりとか、しなくてよくなる、と思う。
自分の生活と時間とがあって、その自分が何かしらの意識を持って、このことをしよう、つって仕事してるんだったら、←いまの順番で行くと仕事ってわりと後のほうになるんだし。
仕事って、特に日本でいう仕事って、どうあれこうあれ、結果”スポ根のノリ”みたいになってしまってるところあるから、スポ根のノリになじまない人が無理くりに身を染めようとしたって、まあ、いいことはないよね。
自分はスポ根に馴染むキャラじゃないし、ていう、引きの姿勢で。
キャラの問題は、どうしようもないことなので。
たまにはこんなことも考えてみたりするよ。
とっぺんぱらりのぷう。
なんだろう、この違和感、というか。
なんでみんな、たかが仕事でこんなにムキになってるんだろう、という気がしているよ。
仕事なんか所詮仕事でしかないじゃないか、と。
そこまでムキになってやるようなことじゃないだろう、と。
てな方向に話を持っていくと、いや、そうやって一生懸命がんばってるのは、プロ意識のあらわれなんだし、みたいに言われちゃうかもしれない。責任感のあらわれだし、とか。
でも、それもおかしな話やと思うねん。
ムキになって仕事するのと、プロ意識でもって仕事するのとって、ぜんぜんちがう話やと思うねん。
そこだけは。ぜんぜんちがう。
それ、ムキになってるだけで、プロ意識が高いとか責任感の発露とかではないだろう、ていうの、あるでしょう。
そこはがんばりどころちゃうやろう、ていう。
いや、がんばらなあかんこともあるし、がんばったほうがええこともあると思うけど、がんばりポイントがだいぶズレてないか、という気はする。
赤塚不二夫みたいに、ちょっと高いところからあぐらをかいて眺めつつ、プロ意識と責任感を全うする、とかやったら、そんなムキになるようなポイントなんかそうそうないと思うけどなあ。
仕事なんか所詮仕事でしかないんだから、そこまでがんばらんでええと思う。
ほかに気にせなあかんこと、まだたくさんあるし。
ほかに気にせなあかんことを、気にするようにしたら、仕事でムキになったりへんなところでがんばったりとか、しなくてよくなる、と思う。
自分の生活と時間とがあって、その自分が何かしらの意識を持って、このことをしよう、つって仕事してるんだったら、←いまの順番で行くと仕事ってわりと後のほうになるんだし。
仕事って、特に日本でいう仕事って、どうあれこうあれ、結果”スポ根のノリ”みたいになってしまってるところあるから、スポ根のノリになじまない人が無理くりに身を染めようとしたって、まあ、いいことはないよね。
自分はスポ根に馴染むキャラじゃないし、ていう、引きの姿勢で。
キャラの問題は、どうしようもないことなので。
たまにはこんなことも考えてみたりするよ。
とっぺんぱらりのぷう。
2008年10月13日
事務連絡・ハーバードネタ公演のお知らせ
ぜひおいでください。m(_ _)m
●日本図書館研究会情報組織化研究グループ10月月例研究会のご案内
------------------------------
◎2008年10月月例研究会
テーマ:ハーバード日記・目録編 : 米国大学図書館での経験から
発表者:江上敏哲氏(国際日本文化研究センター)
日 時:10月18日(土)14時半〜17時
会 場:大阪市立浪速人権文化センター 5階集会室1
大阪環状線芦原橋駅下車、南出口を出てすぐ。
郵便局西隣です
大阪市浪速区浪速東1-9-20 TEL:06-6568-0791
概 要:京都大学附属図書館とハーバード・イェンチン図書館との協議に基づく「図書系職員海外調査研修」のため、2007年4月から2008年3月までの1年間、visiting librarianとして現地に滞在した。イェンチン図書館はハーバード大学内の東アジア研究専門の図書館で、約120万冊の蔵書を有している。ハーバード大学やその他のアメリカの大学図書館・機関などを訪問しての調査研究、当地のライブラリアンの方々との情報交換などの中から、古典籍の整理・目録、米国における日本語資料のカタロギング、次世代OPACの検討や導入といった、目録に関するトピックを中心に報告する。
参 考:「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ」(京都大学図書館機構のWWWページ)
http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/
------------------------
●日本図書館研究会情報組織化研究グループ10月月例研究会のご案内
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◎2008年10月月例研究会
テーマ:ハーバード日記・目録編 : 米国大学図書館での経験から
発表者:江上敏哲氏(国際日本文化研究センター)
日 時:10月18日(土)14時半〜17時
会 場:大阪市立浪速人権文化センター 5階集会室1
大阪環状線芦原橋駅下車、南出口を出てすぐ。
郵便局西隣です
大阪市浪速区浪速東1-9-20 TEL:06-6568-0791
概 要:京都大学附属図書館とハーバード・イェンチン図書館との協議に基づく「図書系職員海外調査研修」のため、2007年4月から2008年3月までの1年間、visiting librarianとして現地に滞在した。イェンチン図書館はハーバード大学内の東アジア研究専門の図書館で、約120万冊の蔵書を有している。ハーバード大学やその他のアメリカの大学図書館・機関などを訪問しての調査研究、当地のライブラリアンの方々との情報交換などの中から、古典籍の整理・目録、米国における日本語資料のカタロギング、次世代OPACの検討や導入といった、目録に関するトピックを中心に報告する。
参 考:「ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ」(京都大学図書館機構のWWWページ)
http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/
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2008年10月06日
2008年10月05日
世界でいちばん万人に読んでもらいたい、次世代OPAC論文
これを読んでらっしゃるあなたが図書館関係の方だったら。
10分、いや5分でいいです。
ぜひ、どうか、万障お繰り合わせの上、下記の論文をご覧ください。
リンク先は抄録じゃなくて、フルテキストのPDFで、フリーです。いますぐ入手できます。
工藤 絵理子, 片岡 真. “次世代OPACの可能性―その特徴と導入への課題―”. 情報管理. Vol. 51, No. 7, (2008), 480-498 .
http://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/51/7/480/_pdf/-char/ja/
もう、↑ワンクリックだけなんで。
クリックなんか、毎日何百回とやってはるでしょ?
そのうちのたった1回でいいんで。
ついに出ましたよね、これが、ていう。
これさえ読めば、あっという間に、「次世代OPAC」ていうのがどんなもので、何が問題なのかがわかりますよね。
もうこれからは、情報を求めてwebをさまよう必要も、英語論文にしかめっ面する必要もないですよね。
氷解です。カビキラーです。これ1本、マジックリンスプレーです。
しかも、末尾の参考文献リストを見たらわかりますけど、このテーマを論文形式でがっつりまとめた日本語の記事っていうのが、これ以前にほとんど見受けられてない、ていう。
こういうのを横文字なんていうでしょう、ベンチマーク? ランドマーク? マイルストーン?
なんかそんな感じの位置づけとして、今後1-2年は据え置かれそうな予感がぷんぷんしてますよ。
まずこれ読んでから、話しましょうよね、ていう。
システム業者さんも、これ読んでくれはりますよね。水向けても水向けてもきょとんとしてるとか、書評投稿機能ばかり押してくるとか、これからはもうないですよね、ていう。
なんか実のあるコメントがほとんどできてないので(笑)、もうちょっと落ち着いて読んでみると。
・Google・Amazonの類との関係性というか、距離が、つかず離れずの上手なところにある。「もうGoogleの話はいいよ」ていうような辟易感がいっさいなくて、「ああ〜、読んだなあ」ていう読後感になる。
・スクリーンショットが豊富。しかも、ただ羅列してるんでなくて、マークや矢印や解説文を重ねたり、見せたいところをぴっちり切り取ったりしてくれているので、理解しやすい、ていうか、理解せざるを得ない。
・代表的な機能の話で終わるのかと思ったら、各システムや業者やの話をきっちり並べてはる。そのおかげで、「将来こうなったらいいな」話でもなんでもなく、「現在こうですよ」話なんだなということが、イヤというほどわかる。そう、「次世代」とは言え、これはまさしく「現在」の話であって、「将来」の話ではない、ということ。
・引用文献リストがハンパじゃないので、これをもうこのまま「次世代OPAC基本文献リスト」と「次世代OPACリンク集」として使っちゃってください、ていう。
・そして何よりも怖かったのが、「じゃあ、国内の業者さんはどう実現してくれるだろうかな」という流れを期待して読んでたら、「国内の業者さんが、この海外のシステムをどう輸入してくれるか」ていう話になった。・・・・・・思わず天を仰いでしまった。ホラーを感じた。”もうやだこの国”タグが付いた。
やっぱり、実のあるコメントができなかった。
できないよ、そんな余地なかったもん、もはや(笑)。
でもこれじゃあなんのこっちゃわからんでしょうから、ご自分の目でお確かめになってください。
念のため、ここにも↓もう1度貼っとくんで。
工藤 絵理子, 片岡 真. “次世代OPACの可能性―その特徴と導入への課題―”. 情報管理. Vol. 51, No. 7, (2008), 480-498 .
http://www.jstage.jst.go.jp/article/johokanri/51/7/480/_pdf/-char/ja/
・・・・・・まあ、こんだけあおったら、読んでくれはるでしょう(笑)。