2009年01月13日
日本の国際化を促すすっげぇ簡単な方法思いついた。
「japan 蒔絵」展を見ながら、全然ちがうところに発想が跳んで考えたことなんですけど。
日本をちゃんと国際社会で通用させたい、外に出てって、世界で/世界と渡りあえる人材を育てたい、というんであったら、そのための手っ取り早い&必須なひとつの方法、を思いついた。
学校の日本史で、「鎖国」なんか別にしてなかった、ていうノリで教えたらいいよ。
日本はあの頃「鎖国」してました、って頭に叩き込まれるから、それが現代に至っても、「ちょっとひきこもり体質なのってしょうがないじゃん、日本って昔からそういう国だったんだし」、ていう言い訳ののりしろを作っちゃうんだと思うよ。
だから、「鎖国」はなかったことにしたらいいよ。
実際、言うほどの「鎖国」状態でもなかったんだし。
日本が「鎖国」してましたっていうのは、たぶん、日本サイドがそう言いたがってるだけなんじゃないの、ただの自己納得なんじゃないの、て思うよ。
「日本人は英語できない」ていうのと同じで。それがほんとかどうかに関わらず、日本サイドがそう言いたいだけなんだろうな、と思うよ。
というわけで。
日本に鎖国はありませんでした。
ありがとうございました。
日本をちゃんと国際社会で通用させたい、外に出てって、世界で/世界と渡りあえる人材を育てたい、というんであったら、そのための手っ取り早い&必須なひとつの方法、を思いついた。
学校の日本史で、「鎖国」なんか別にしてなかった、ていうノリで教えたらいいよ。
日本はあの頃「鎖国」してました、って頭に叩き込まれるから、それが現代に至っても、「ちょっとひきこもり体質なのってしょうがないじゃん、日本って昔からそういう国だったんだし」、ていう言い訳ののりしろを作っちゃうんだと思うよ。
だから、「鎖国」はなかったことにしたらいいよ。
実際、言うほどの「鎖国」状態でもなかったんだし。
日本が「鎖国」してましたっていうのは、たぶん、日本サイドがそう言いたがってるだけなんじゃないの、ただの自己納得なんじゃないの、て思うよ。
「日本人は英語できない」ていうのと同じで。それがほんとかどうかに関わらず、日本サイドがそう言いたいだけなんだろうな、と思うよ。
というわけで。
日本に鎖国はありませんでした。
ありがとうございました。
「japan 蒔絵」展@京都、を見た。そして、見て。
昨年の話。
当時は京都国立博物館で、現在は東京・サントリー美術館で行なわれている、「japan 蒔絵」展を見に行ったのですよ。
そして、すこぶる圧倒されて帰ってきたのですよ。この数年内でこれほど圧倒された特別展はついぞなかった、ていうくらいに。京博が本気出したら、完膚なきまでのこてんぱんですよ、これは、ていうくらいに。
とにかく、迫力。資料的価値としても、美術品としても、単にモノとしても、尋常じゃない迫力だった。上に、ほぉ、そうかね、という勉強にもなった。
なので、京都の方向けにはタイミングをだいぶ逸しちゃったのですが、関東の方はぜひ、できれば何を差し置いてもぐらいの勢いで、見に行っておいでになることをおすすめするのです。
・南蛮時代に、蒔絵GJ!と魅了された南蛮人の人たちが、自分たちの調度を日本の蒔絵職人に作らせた。つまり、西洋規格の調度を、日本モードで飾る、というところから生まれた心地よいギャップ的なの。しかも、同じようなことを中国なりインドなりの港とかでもやるから、同じく西洋規格の調度に、各国の装飾技術が施される、象牙細工とか、貝殻貼りとか、そういうのも展示してあって、それと、日本モードの蒔絵調度とのギャップ的なのも、また心地よいよ。
・時代が下って、鎖国的な時代になっても、オランダさん経由でそりゃいくらでも出回るし、それだけじゃなくて、西洋本国で日本の蒔絵を模造する技術が興ったり(これをjapaningと言う)、日本の蒔絵のデザインを学ぶテキストが編まれたり、中国広東あたりではより安価な模造品が出回ったり、らしいよ。どんだけ人気だ、蒔絵。
・ちなみに当時で言う「シノワズリ」は、字面では「中国趣味」だけど、日本のもインドのも東洋であれば全部「シノワズリ」呼ばわりだったらしいよ。
・マリー・アントワネットちゃんもたくさん持ってたらしいよ。それは、アントワネットちゃんが持ってた、ってだけですごいというわけではなくて、例えば、日本にある蒔絵調度のごっついのとかはたいていオーダーメイドだし、逆に量産して市場で消費者相手に売るとかいうようなのが一般流通品として出回ったのなんか、幕末明治あたりでしょ、とか判断されてたのだけど、そういう流通品的なのを、アントワネットちゃんも持ってた、というのがわかると、ちょっと待て、じゃあそういう流通品的なのがアントワネットちゃんの時代=江戸期半ばくらいにはもう日本でも出回ってた、てことになるじゃん。そういうのの売り買いが成立するくらいの経済状態だった、てことになるじゃん。みたいな発見らしいよ。
・実際、江上の素人眼で見てても、これくらいの品やったら明治モノやろな、とか思いながら品札を見たら、1700年くらいのだったりする(ドイツに渡ってた)ので、よっぽど成熟した世界だったんだな、と思うよ。こんなつやっつやして、こんな細々して、それでいてある程度庶民臭のする量産してたっぽいのを、18世紀台に作って、しかも流通さしてたのかこの国は、と思うと、ちょっとゾッとする。
・じゃあ、そういった芸術調度品をアントワネットちゃんなりの貴族の人たちが愛でてたんだけど、市民革命で追放にされたら用済みになっちゃったのかといえば、今度は万国博覧会が絶好の広告塔になって、たくさん買ってもらえるようになった、ていう。
そういうふうにして世界相手に売れてった蒔絵調度っていうのは、これは「モノづくり」の成功でモノが売れた、と考えるよりもむしろ、「コンテンツ」として売れた、コンテンツ商売の成功、と見るほうがいいんじゃなかろうか、となんとなく思うよ。
ていうようなことを考えるのも追いつかないくらいに、次から次へと現れるド迫力な品々に圧倒されるので、ぜひおいでになってみてください。日本史にも美術にも興味がなかったとしても、経済とか、コンテンツ力とか、そういう全然ちがう面からの見方をも受け止めてくれるくらい、ふところの深い企画だと思うので。
京都開催中に書くべきであったよ。
当時は京都国立博物館で、現在は東京・サントリー美術館で行なわれている、「japan 蒔絵」展を見に行ったのですよ。
そして、すこぶる圧倒されて帰ってきたのですよ。この数年内でこれほど圧倒された特別展はついぞなかった、ていうくらいに。京博が本気出したら、完膚なきまでのこてんぱんですよ、これは、ていうくらいに。
とにかく、迫力。資料的価値としても、美術品としても、単にモノとしても、尋常じゃない迫力だった。上に、ほぉ、そうかね、という勉強にもなった。
なので、京都の方向けにはタイミングをだいぶ逸しちゃったのですが、関東の方はぜひ、できれば何を差し置いてもぐらいの勢いで、見に行っておいでになることをおすすめするのです。
・南蛮時代に、蒔絵GJ!と魅了された南蛮人の人たちが、自分たちの調度を日本の蒔絵職人に作らせた。つまり、西洋規格の調度を、日本モードで飾る、というところから生まれた心地よいギャップ的なの。しかも、同じようなことを中国なりインドなりの港とかでもやるから、同じく西洋規格の調度に、各国の装飾技術が施される、象牙細工とか、貝殻貼りとか、そういうのも展示してあって、それと、日本モードの蒔絵調度とのギャップ的なのも、また心地よいよ。
・時代が下って、鎖国的な時代になっても、オランダさん経由でそりゃいくらでも出回るし、それだけじゃなくて、西洋本国で日本の蒔絵を模造する技術が興ったり(これをjapaningと言う)、日本の蒔絵のデザインを学ぶテキストが編まれたり、中国広東あたりではより安価な模造品が出回ったり、らしいよ。どんだけ人気だ、蒔絵。
・ちなみに当時で言う「シノワズリ」は、字面では「中国趣味」だけど、日本のもインドのも東洋であれば全部「シノワズリ」呼ばわりだったらしいよ。
・マリー・アントワネットちゃんもたくさん持ってたらしいよ。それは、アントワネットちゃんが持ってた、ってだけですごいというわけではなくて、例えば、日本にある蒔絵調度のごっついのとかはたいていオーダーメイドだし、逆に量産して市場で消費者相手に売るとかいうようなのが一般流通品として出回ったのなんか、幕末明治あたりでしょ、とか判断されてたのだけど、そういう流通品的なのを、アントワネットちゃんも持ってた、というのがわかると、ちょっと待て、じゃあそういう流通品的なのがアントワネットちゃんの時代=江戸期半ばくらいにはもう日本でも出回ってた、てことになるじゃん。そういうのの売り買いが成立するくらいの経済状態だった、てことになるじゃん。みたいな発見らしいよ。
・実際、江上の素人眼で見てても、これくらいの品やったら明治モノやろな、とか思いながら品札を見たら、1700年くらいのだったりする(ドイツに渡ってた)ので、よっぽど成熟した世界だったんだな、と思うよ。こんなつやっつやして、こんな細々して、それでいてある程度庶民臭のする量産してたっぽいのを、18世紀台に作って、しかも流通さしてたのかこの国は、と思うと、ちょっとゾッとする。
・じゃあ、そういった芸術調度品をアントワネットちゃんなりの貴族の人たちが愛でてたんだけど、市民革命で追放にされたら用済みになっちゃったのかといえば、今度は万国博覧会が絶好の広告塔になって、たくさん買ってもらえるようになった、ていう。
そういうふうにして世界相手に売れてった蒔絵調度っていうのは、これは「モノづくり」の成功でモノが売れた、と考えるよりもむしろ、「コンテンツ」として売れた、コンテンツ商売の成功、と見るほうがいいんじゃなかろうか、となんとなく思うよ。
ていうようなことを考えるのも追いつかないくらいに、次から次へと現れるド迫力な品々に圧倒されるので、ぜひおいでになってみてください。日本史にも美術にも興味がなかったとしても、経済とか、コンテンツ力とか、そういう全然ちがう面からの見方をも受け止めてくれるくらい、ふところの深い企画だと思うので。
京都開催中に書くべきであったよ。
2009年01月10日
本好きならこういうことある、かも。
ミステリー小説とかが映画化・ドラマ化されるとなったときに、宣伝とかで微妙にネタバレされたりしてはかなわんと、急いで原作を読む。
今日は本を何冊かまとめて買って帰ろう、と意気込んで本屋に入るものの、いくら本棚の間をぐるぐる回遊してもいっさい食指が動かず、1時間半ほどねばって物色してみるものの、あかん、今日何も刺さって来んわ、と何も買わずにとぼとぼと帰ることになる日があると思えば、どっか行ったついでくらいの、まったく何の気なしにぶらりと立ち寄っただけなのに、2-30分もしないうちに両手にごっそり本をつかんでて、あかん、このままやったら鼻毛まで抜かれてしまう、という危機感を感じながら急いで店を出る(注:レジを通してから)日もある。
Amazonのカートに、「今は買わない」本が3年分くらい溜まってる。
ご挨拶 2008→2009
昨年3月に帰国するまでは、blogなり某日記なりになんやら書き綴ってはいたものの、さほどの手ごたえも感じずにいたですよ。
で、帰国してあらためて、あ、読まれてたんだ存外、と驚かれぬるよ。
昨年は”極私的流行語大賞”を出してないけど、出してたら、「ブログ見てました。/どっちのですか?」が確実に上位にランクインしてたことですよ。たくさんの初対面の方に、声をかけていただいて、こっぱずかしかった。アドリブはともかく、不意打ちには滅法弱いたちなので、ちゃんと丁寧にご挨拶できなかったこともあると思うので、ごめんなさい。m(_ _)m
しかしあの、「見てましたよ」とか「ハーバードの人ですよね」とか言うときのお互いの間に流れる、一種独特の”イケナイ秘密共有感”はなんなんでしょうね、困りましたね。
そういう、「ネットでだけ自分のことを知ってた、という人に実際にお会いする」という機会も多かったのですが、それと同様に、「自分がネットでだけ知ってた人に、実際にお会いする」という機会も多かった、というのが2008年のひそかな印象のひとつでしたよ。
で、そういう印象を抱いたところで、自分のblog書き的な振る舞いについて、いまの時点でどういうふうに考えているかを、なんとなくまとめてみるという。一里塚的な。
よく問われるんですけど「なぜこのblogはコメントやトラックバックを受け付けない感じになっているか」。
以前は、「ネットに人とのふれあいは求めてないから」という答を用意していたのですけど、最近は「自分のために書いてるんであって、人に読ませるために書いてるわけではないから」という答を用意するようになりましたよ。
自分があとで読むことを第一の目的として書いている。
というのも、あたし、ものっすごい忘れっぽいんですよ。なんでもすぐ忘れる。推理小説とか、犯人が誰か以外の瑣末なトリックとかはだいたい忘れてるので、何回読んでも楽しめる、ていう。
そんなんなんで、あとで、あー、あのときこういうことがあった、こういう情報を仕入れてこういう勉強をした、それに対して自分はこういう意見を持った、意見ってほどのたいそうなものはなくて単なるネタなりツッコミなり程度なんだけど、っていうのを、あとから自分で読みに戻れるように、ていう。備忘録としての。
こうやって、誰かにしゃべりかけてるような文体で書いてるのも、それって、後日の自分に向けてしゃべってるわけですからね。(←ほんとかよ)
だったらじゃあ、それこそチラシの裏にでも書いてろよ、てなるんだろうけども、チラシの裏じゃなくて、ネットでオープンなところに出しちゃってる。blogとして。それはなんなのか。
それは、「人に読ませることは意図してませんけども、人から読まれることは前提としてますよ」ていう。
(なんかどうでもいいこと書き始めちゃったな、まあいいか、たまには)
だって、人から読まれるかもしれない、ていうことを前提として、自分以外の不特定の人が読んでもそこそこわかる日本語で書く、少なくともそのくらいの心積もりにしておかないと、そもそも自分であとから読んでも何書いてんのかわかんないってことになりかねないですからね。それは防がなきゃならん。あと、単なるメモ書きでは自分の考え自体もまとまらないし、まとめようともしないし、粗いだけだし、蓄積もされずに流れていってしまう。そうならない、そこそこの緊張感を得る手段としての。ていうのがその1。
その2は、よしんばそれが徹底的に自分のための覚え書きでしかない、自分本位の情報なりなんなりであったとしても、60億人のうちの最低1人のお役に立たないとも限らない。別にたいしたコストがかかるようなことをしてるわけでもなんでもないし、アクセス可能化さえさせておけば、万々が一、それが人様のお役にたてるかもしれないご時世である、ていう。
それは、自分自身がこの世のどなた様ともわからん方からたくさんの有益な情報をいただいてるからでもありますよね。ネット上にどなたかがたまさか出してくださってた、アクセス可能化されてた情報、ヨーロッパ仁鶴の公演情報とか、「ロスタイムライフ」のいまいち理解できなかったオチの意味とか、リスボンの街歩きで気をつけることとか、広瀬正の単行本の目次情報とか、たくさんのことを教えていただいた経験があるから、その逆ですよね、ていう。
「人から読まれる前提」の効用と、「アクセス可能化」の効用は認めている。けれども、人様に積極的に届けようとか、読ませようとかは、意図していない。ただ、結果として、人様が読みに来てはおられるけども。(←いけずな言い方ですみませんが、)ノリとしてはそういうことかな、ていう。
もちろんコメントやトラックバックによる、フィードバックとか、相互のコミュニケーションとかディスカッションが形成されていくことの効用が、blogというものの、もしくはネットで何かやることの、大きな、ものすごく大きな旨味である、ということ自体はもちろん認めています。一般論としては。ただ、個人としははいまのところまだそのステージには達していない、という態勢なんだろうなと思います。
あとはまあ、あれですよね。図書館関係の話を主に書くじゃないですか。そしたらそこにひっかかる人様の規模なんてそんな大きいわけでもないし、blogにコメントを投稿しようっていう人も多くはないでしょう。それで、限られた人数のコメント者&自分、の応酬が始まってしまうと、それは”発信”じゃなくて”通信”になってしまう、そういう場って、コメントをしない大半の人を外側に退かせてしまう空気ができあがっちゃいそうな感じがして、それが自分の肌には合わない、ていうのがありますよね。
blogへのコメントって、する人はそれほど躊躇なくするけど、しない人はぜんぜんしない、二極分化的なところあるじゃないですか。そこに微妙な敷居ができちゃって、しないタイプの人たち(たぶん大多数)が、知らん間にその外側に居ちゃってる、冷たい板張りの廊下に、ていう空気感。が、なんかちょっとあれかな、ていう。そもそも自分自身があとで読むために書いてる。コメントする人たちに向けてではないし、逆にしないタイプの人を廊下に出すつもりもない。
後日の自分への”親展”や、不特定のアノニマスな人からの”アクセス可能化”までは意図したとしても、限られた人数との”通信”まではちょっとすみません、ていう。
で、結論としては、要はめんどくさい、ってことで(←正体(笑))。本文書くだけで時間使うのに。
あと隠れ理由としては、トラックバックというもののシステムが実はいまだによく理解できていない、というのもあるよ。どういうシステムなんだろう、あれも旧ソ連の技術なんだろうか。(註:RSS)
それでも、ここ以外の場で、引用してくださったりコメントしてくださったり、実際に会ったときに話をしてくださったりっていうことのありがたさは感じるので、読まれることへの感度みたいなのはちゃんと持っとかなあかんのだろうな、という感じです。
最後に、「自分向け」の証しとしてこれ以上のものはなかろうという企画を↓に記して、唐突に終わる。
極私的流行語大賞2008
シアトル・ミシガン・オハイオ
ラーニングコモンズ
次世代OPAC
ジャパニメーション
おばんざい晴
今朝のスタバ出勤
筑波・秋葉原
ネットとリアルの境界線
リスボン
国道沓掛口
通勤バス内書斎化計画
極私的図書館総合展
ノリ
あと800年は京都に住む。
只酒が呑める宴会があると聞いてやってきたが、ここのことかな。
ブログ見てます。/どっちのですか?
〜しとぉるな。
で、帰国してあらためて、あ、読まれてたんだ存外、と驚かれぬるよ。
昨年は”極私的流行語大賞”を出してないけど、出してたら、「ブログ見てました。/どっちのですか?」が確実に上位にランクインしてたことですよ。たくさんの初対面の方に、声をかけていただいて、こっぱずかしかった。アドリブはともかく、不意打ちには滅法弱いたちなので、ちゃんと丁寧にご挨拶できなかったこともあると思うので、ごめんなさい。m(_ _)m
しかしあの、「見てましたよ」とか「ハーバードの人ですよね」とか言うときのお互いの間に流れる、一種独特の”イケナイ秘密共有感”はなんなんでしょうね、困りましたね。
そういう、「ネットでだけ自分のことを知ってた、という人に実際にお会いする」という機会も多かったのですが、それと同様に、「自分がネットでだけ知ってた人に、実際にお会いする」という機会も多かった、というのが2008年のひそかな印象のひとつでしたよ。
で、そういう印象を抱いたところで、自分のblog書き的な振る舞いについて、いまの時点でどういうふうに考えているかを、なんとなくまとめてみるという。一里塚的な。
よく問われるんですけど「なぜこのblogはコメントやトラックバックを受け付けない感じになっているか」。
以前は、「ネットに人とのふれあいは求めてないから」という答を用意していたのですけど、最近は「自分のために書いてるんであって、人に読ませるために書いてるわけではないから」という答を用意するようになりましたよ。
自分があとで読むことを第一の目的として書いている。
というのも、あたし、ものっすごい忘れっぽいんですよ。なんでもすぐ忘れる。推理小説とか、犯人が誰か以外の瑣末なトリックとかはだいたい忘れてるので、何回読んでも楽しめる、ていう。
そんなんなんで、あとで、あー、あのときこういうことがあった、こういう情報を仕入れてこういう勉強をした、それに対して自分はこういう意見を持った、意見ってほどのたいそうなものはなくて単なるネタなりツッコミなり程度なんだけど、っていうのを、あとから自分で読みに戻れるように、ていう。備忘録としての。
こうやって、誰かにしゃべりかけてるような文体で書いてるのも、それって、後日の自分に向けてしゃべってるわけですからね。(←ほんとかよ)
だったらじゃあ、それこそチラシの裏にでも書いてろよ、てなるんだろうけども、チラシの裏じゃなくて、ネットでオープンなところに出しちゃってる。blogとして。それはなんなのか。
それは、「人に読ませることは意図してませんけども、人から読まれることは前提としてますよ」ていう。
(なんかどうでもいいこと書き始めちゃったな、まあいいか、たまには)
だって、人から読まれるかもしれない、ていうことを前提として、自分以外の不特定の人が読んでもそこそこわかる日本語で書く、少なくともそのくらいの心積もりにしておかないと、そもそも自分であとから読んでも何書いてんのかわかんないってことになりかねないですからね。それは防がなきゃならん。あと、単なるメモ書きでは自分の考え自体もまとまらないし、まとめようともしないし、粗いだけだし、蓄積もされずに流れていってしまう。そうならない、そこそこの緊張感を得る手段としての。ていうのがその1。
その2は、よしんばそれが徹底的に自分のための覚え書きでしかない、自分本位の情報なりなんなりであったとしても、60億人のうちの最低1人のお役に立たないとも限らない。別にたいしたコストがかかるようなことをしてるわけでもなんでもないし、アクセス可能化さえさせておけば、万々が一、それが人様のお役にたてるかもしれないご時世である、ていう。
それは、自分自身がこの世のどなた様ともわからん方からたくさんの有益な情報をいただいてるからでもありますよね。ネット上にどなたかがたまさか出してくださってた、アクセス可能化されてた情報、ヨーロッパ仁鶴の公演情報とか、「ロスタイムライフ」のいまいち理解できなかったオチの意味とか、リスボンの街歩きで気をつけることとか、広瀬正の単行本の目次情報とか、たくさんのことを教えていただいた経験があるから、その逆ですよね、ていう。
「人から読まれる前提」の効用と、「アクセス可能化」の効用は認めている。けれども、人様に積極的に届けようとか、読ませようとかは、意図していない。ただ、結果として、人様が読みに来てはおられるけども。(←いけずな言い方ですみませんが、)ノリとしてはそういうことかな、ていう。
もちろんコメントやトラックバックによる、フィードバックとか、相互のコミュニケーションとかディスカッションが形成されていくことの効用が、blogというものの、もしくはネットで何かやることの、大きな、ものすごく大きな旨味である、ということ自体はもちろん認めています。一般論としては。ただ、個人としははいまのところまだそのステージには達していない、という態勢なんだろうなと思います。
あとはまあ、あれですよね。図書館関係の話を主に書くじゃないですか。そしたらそこにひっかかる人様の規模なんてそんな大きいわけでもないし、blogにコメントを投稿しようっていう人も多くはないでしょう。それで、限られた人数のコメント者&自分、の応酬が始まってしまうと、それは”発信”じゃなくて”通信”になってしまう、そういう場って、コメントをしない大半の人を外側に退かせてしまう空気ができあがっちゃいそうな感じがして、それが自分の肌には合わない、ていうのがありますよね。
blogへのコメントって、する人はそれほど躊躇なくするけど、しない人はぜんぜんしない、二極分化的なところあるじゃないですか。そこに微妙な敷居ができちゃって、しないタイプの人たち(たぶん大多数)が、知らん間にその外側に居ちゃってる、冷たい板張りの廊下に、ていう空気感。が、なんかちょっとあれかな、ていう。そもそも自分自身があとで読むために書いてる。コメントする人たちに向けてではないし、逆にしないタイプの人を廊下に出すつもりもない。
後日の自分への”親展”や、不特定のアノニマスな人からの”アクセス可能化”までは意図したとしても、限られた人数との”通信”まではちょっとすみません、ていう。
で、結論としては、要はめんどくさい、ってことで(←正体(笑))。本文書くだけで時間使うのに。
あと隠れ理由としては、トラックバックというもののシステムが実はいまだによく理解できていない、というのもあるよ。どういうシステムなんだろう、あれも旧ソ連の技術なんだろうか。(註:RSS)
それでも、ここ以外の場で、引用してくださったりコメントしてくださったり、実際に会ったときに話をしてくださったりっていうことのありがたさは感じるので、読まれることへの感度みたいなのはちゃんと持っとかなあかんのだろうな、という感じです。
最後に、「自分向け」の証しとしてこれ以上のものはなかろうという企画を↓に記して、唐突に終わる。
極私的流行語大賞2008
シアトル・ミシガン・オハイオ
ラーニングコモンズ
次世代OPAC
ジャパニメーション
おばんざい晴
今朝のスタバ出勤
筑波・秋葉原
ネットとリアルの境界線
リスボン
国道沓掛口
通勤バス内書斎化計画
極私的図書館総合展
ノリ
あと800年は京都に住む。
只酒が呑める宴会があると聞いてやってきたが、ここのことかな。
ブログ見てます。/どっちのですか?
〜しとぉるな。