いらないファイルって、捨てるじゃないですか。捨てますね。
でもそれって、ゴミ箱に入るだけで、まだ消えないじゃないですか。
で、たまに整理気分になってるときに、ゴミ箱の中身を空にするっていうやつを、やるじゃないですか。
やったんですよ。3ヶ月分くらいのを。
・・・・・・「空にする」とまちがえて、うっかり「すべての項目を元に戻す」をクリック。
ゴミ、大散乱。
てか、自分ら正反対の機能のクセして、何を隣同志に並んどんねん。
くっつくな、うっとうしい(涙)。
泣きながら、ちまちまと探し出しては捨てなおす、その手間のどんだけかかることか。
しかもゴミファイルが元の場所に戻るということは、最新版なり清書版なりのファイルと未更新版なり書き捨て版なりのとが、フォルダの奥の奥の方に、ちょこんと仲良く、しかも似たようなタイトルでもって並んで座っているということになるわけで、物理的なゴミなんかより百倍うっとうしい。
くっつくな、うっとうしい、と。
思ってたら、「アンドゥってできないの?」というアドバイスをとある人からいただいた。
註、すべて終わったあとで。
試しに、ダミーのファイルを捨てて、元にもどすをして、それをさらに元に戻す、をやってみた。
なんかちょっとよくわかんない警告メッセージなり確認メッセージが出た末に、知らん間に、完全に消えてた。
??? わからん。
とりあえず、ぱっと見でわかりやすい作りなり動きなりになってないということは、この手のミスは江上のようなぼんやりさんでない限り犯さないんだな、ということが、なんとなくわかった。ああ、そうでしょうとも。
にしても、「すべてを元に戻す」シーンなんてそうそうないような気がするんだけどな。なんであるんだろうな。
2009年03月22日
議論(discussion)には向かないツール
BBSなりblogのコメント欄なりって、ふつーに議論するために使われたりしてますけど。
なんかでも、結局あれって、議論(discussion)するには向いてないツールなんじゃなかろうか、ていう。
むしろ、口論を誘発する設計なんじゃないかというか。
メーリングリストも、そう。
ていうのは、たぶん、パソコン通信創世期ぐらいのころからたぶんどっかで言われてるんだろうな。
と、あと、じゃあどれが向いてるのか、ていうのもちょっとよくわかんない。
なんかでも、結局あれって、議論(discussion)するには向いてないツールなんじゃなかろうか、ていう。
むしろ、口論を誘発する設計なんじゃないかというか。
メーリングリストも、そう。
ていうのは、たぶん、パソコン通信創世期ぐらいのころからたぶんどっかで言われてるんだろうな。
と、あと、じゃあどれが向いてるのか、ていうのもちょっとよくわかんない。
2009年03月19日
ドイツ・ケルン市歴史文書館支援のための署名、を案内しますよ。
受難資料は後を絶たないですなあ。
ケルンの歴史文書館が突如の崩壊、というニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/
090304/erp0903040844001-n1.htm
http://www.asahi.com/international/update/
0304/TKY200903040046.html
も記憶に新しいところですが、・・・・・・あれ、CA-Rさんに出てない? おかしいな。
まあいいや、で、とある学芸員の友人の人から、その支援のための署名の案内メールをいただいたのですよ。それを拝見すると、Googleグループの中にオープンな署名案内ページがあるみたいだったので、せっかくなので図書館系のみなさまからもよろしかったらご支援よろしくお願いします、という、その友人の人になりかわってのお願いなのですよ。
ドイツ・ケルン市歴史文書館支援のための署名のお願い
http://groups.google.co.jp/group/japanese-solidarity-for-cologne-historical-archive
書架延べ26kmで、90%がまだ瓦礫の下、ってのはちょっと泣けてくるなあ。約23Kmといえば、どのくらいだろう、206系統バス1周くらい??
ちょっとこのお願いページに写真の訴求力が足りないかな、という気はしますけど。上記新聞サイトの写真だけでなくて、下記で見てみるともっといろいろ痛ましい思いをしますよ。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=Historisches+Archiv+der+Stadt+Koln&gbv=2
いつだったか、これもドイツのどこかだったと思うんだけど、雷で火災になって資料がダメージ受けたというときには、早速寄付金集めシステムがどこかでできてた、ような気がしますよ。(気がしますというか、寄付したし。) 今回はどうなんだろう。
ケルンの歴史文書館が突如の崩壊、というニュース
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/
090304/erp0903040844001-n1.htm
http://www.asahi.com/international/update/
0304/TKY200903040046.html
も記憶に新しいところですが、・・・・・・あれ、CA-Rさんに出てない? おかしいな。
まあいいや、で、とある学芸員の友人の人から、その支援のための署名の案内メールをいただいたのですよ。それを拝見すると、Googleグループの中にオープンな署名案内ページがあるみたいだったので、せっかくなので図書館系のみなさまからもよろしかったらご支援よろしくお願いします、という、その友人の人になりかわってのお願いなのですよ。
ドイツ・ケルン市歴史文書館支援のための署名のお願い
http://groups.google.co.jp/group/japanese-solidarity-for-cologne-historical-archive
書架延べ26kmで、90%がまだ瓦礫の下、ってのはちょっと泣けてくるなあ。約23Kmといえば、どのくらいだろう、206系統バス1周くらい??
ちょっとこのお願いページに写真の訴求力が足りないかな、という気はしますけど。上記新聞サイトの写真だけでなくて、下記で見てみるともっといろいろ痛ましい思いをしますよ。
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&q=Historisches+Archiv+der+Stadt+Koln&gbv=2
いつだったか、これもドイツのどこかだったと思うんだけど、雷で火災になって資料がダメージ受けたというときには、早速寄付金集めシステムがどこかでできてた、ような気がしますよ。(気がしますというか、寄付したし。) 今回はどうなんだろう。
大阪エルライブラリー3/23ボランティア急募、を、egamidayなりの発想で支援してみた。(註:但し、遅かった。)
大阪のエルライブラリーさんで、引き取った文書資料の段ボールを運び込む、という作業をやってくれるボランティアを募集しておられるらしいよ。
緊急のお願い。図書運搬ボランティア募集! 本を救え!大作戦
http://d.hatena.ne.jp/l-library/20090323/1237358729
残念ながら平日でふつーに出勤で加勢できそうにない身として、自分なりの発想でできる手伝いはないか、と考えてみた。
で。
もし、行こうかなどうしようかな、と迷ってる人がいらっしゃったら、ということでこんな情報を。
実は先日、まったく別の用件で、このエルライブラリーさんのある”エルおおさか”に足を運んだことがあるですよ。
で、土曜のお昼時だったもんで、どこか近くでお昼食べるいいところないかな、ときょろきょろ探してたですよ。
そしたらエルおおさかさんのすぐ近く、京阪天満橋駅から向かう途上に、こんなお店を発見!
竹井屋 自家製生パスタ専門店
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006694925/
こちらで生パスタのカルボナーラをいただいたのですが、これがまあ、どうしょうかと思うくらいに絶品!

やっぱりあれですね、パスタは生に限る。噛んだ瞬間の食感だけでなくて、噛み続けている間中のもっちり感というのが、ソースをがっちりと受けとめてくれるし、存分に絡んでくれるし、口の中での耐久時間が長いから、ソースなりパスタ自身なりの風味味わいが口中でいつまでも耐えない、ていう。今回いただいたのはちょっと平麺っぽい感じのやつだったので、ソースの絡み取り具合がさらに倍。
で、ソースのほうがまた絶妙で、とろとろのクリームソース、けど、脂っこくなくて、そこへ黒胡椒の味ががっつり効いていて、パスタの生さ加減にぴったりですよ。そこへきて生卵(当然卵黄のみ)がつぶれずにのっかってくれてて、粉チーズも上からかけてくれてて、それらを自分で調整加減しながら絡めていけるから、食べても食べても飽きない。
これでベーコンがアホだったら全てが台無しになるところなんですけど、こちらさんは生ソーセージを使用。ハーブの香り。
といって調子に乗って食べてると、麺がなくなってソースがだいぶのこと残る感じになるんだけど、こちらのランチはこれも当然のようにパンをつけてくれてますよね。このほんのり温かいフランスパンをちぎって、とろとろで味のしっかり効いたソースを塗りつけて、ぱくりと口に含むという余韻の時間が、またずっと続く、という。
これに、サラダとコーヒーもついて、1000円しないっていうんだから、大阪は相当レベル高いですぞこれは!(笑)
上の写真で足りなきゃ、↓こちらで。
http://mayu31.exblog.jp/i24/
そして、この麺を気に入っていただけたら、買って帰ることも可能です。
というわけで、この竹井屋の生パスタを味わいに行くためだけでも、この企画に参加する価値あり、ですよ。
竹井屋 自家製生パスタ専門店
大阪市中央区北浜東2−20
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006694925/0010173430/coupon/
電話 06-6966-0936
・・・・・・あ、もう集まり終わったのですか。orz
まあ、めでたい。
緊急のお願い。図書運搬ボランティア募集! 本を救え!大作戦
http://d.hatena.ne.jp/l-library/20090323/1237358729
残念ながら平日でふつーに出勤で加勢できそうにない身として、自分なりの発想でできる手伝いはないか、と考えてみた。
で。
もし、行こうかなどうしようかな、と迷ってる人がいらっしゃったら、ということでこんな情報を。
実は先日、まったく別の用件で、このエルライブラリーさんのある”エルおおさか”に足を運んだことがあるですよ。
で、土曜のお昼時だったもんで、どこか近くでお昼食べるいいところないかな、ときょろきょろ探してたですよ。
そしたらエルおおさかさんのすぐ近く、京阪天満橋駅から向かう途上に、こんなお店を発見!
竹井屋 自家製生パスタ専門店
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006694925/
こちらで生パスタのカルボナーラをいただいたのですが、これがまあ、どうしょうかと思うくらいに絶品!

やっぱりあれですね、パスタは生に限る。噛んだ瞬間の食感だけでなくて、噛み続けている間中のもっちり感というのが、ソースをがっちりと受けとめてくれるし、存分に絡んでくれるし、口の中での耐久時間が長いから、ソースなりパスタ自身なりの風味味わいが口中でいつまでも耐えない、ていう。今回いただいたのはちょっと平麺っぽい感じのやつだったので、ソースの絡み取り具合がさらに倍。
で、ソースのほうがまた絶妙で、とろとろのクリームソース、けど、脂っこくなくて、そこへ黒胡椒の味ががっつり効いていて、パスタの生さ加減にぴったりですよ。そこへきて生卵(当然卵黄のみ)がつぶれずにのっかってくれてて、粉チーズも上からかけてくれてて、それらを自分で調整加減しながら絡めていけるから、食べても食べても飽きない。
これでベーコンがアホだったら全てが台無しになるところなんですけど、こちらさんは生ソーセージを使用。ハーブの香り。
といって調子に乗って食べてると、麺がなくなってソースがだいぶのこと残る感じになるんだけど、こちらのランチはこれも当然のようにパンをつけてくれてますよね。このほんのり温かいフランスパンをちぎって、とろとろで味のしっかり効いたソースを塗りつけて、ぱくりと口に含むという余韻の時間が、またずっと続く、という。
これに、サラダとコーヒーもついて、1000円しないっていうんだから、大阪は相当レベル高いですぞこれは!(笑)
上の写真で足りなきゃ、↓こちらで。
http://mayu31.exblog.jp/i24/
そして、この麺を気に入っていただけたら、買って帰ることも可能です。
というわけで、この竹井屋の生パスタを味わいに行くためだけでも、この企画に参加する価値あり、ですよ。
竹井屋 自家製生パスタ専門店
大阪市中央区北浜東2−20
http://gourmet.yahoo.co.jp/0006694925/0010173430/coupon/
電話 06-6966-0936
・・・・・・あ、もう集まり終わったのですか。orz
まあ、めでたい。
2009年03月16日
「図書館員のメディア活用力を問う−アニメ世代にどう教えるか−」をきいてきた。(4/13補記を追加)
【補記】補記を追加しました。青字の部分がそうです。
というのも、この記事が、ディスカッションとかコメントなりブログ記事なりの応酬とかの下地になろうなどとはまったく思ってなくって、だいぶやっつけで書いた感じだったので。
といいつつ、補記してみたら、余計に???になってきてしまったよ、どうしよう。
とりあえず、当日のパワポ↓がすでに上がってくれてるみたいなので、そっちで判断していただいたほうが、ていう。
http://www.jla.or.jp/cue/friday13_f.html
3/14、キャンパスプラザ京都にて、JLA利用教育委員会による、図書館利用教育実践セミナーの第13回、「図書館員のメディア活用力を問う−アニメ世代にどう教えるか−」と題されたそれを拝聴してきましたよ。
「アニメと情報リテラシー教育の話」、かと思って行ったのだけども、「アニメの話」と「情報リテラシー教育の話」、でしたよ。【補記】大事なことなのでもう一度。「アニメの話」と「情報リテラシー教育の話」でした。
-----------------------------------------------------
【補記】
コーディネーターの”問題提起”、というのが、2人の講演に先立ってあった。
広報なり情報リテラシー教育を図書館員がやろうっていうんであれば、じゃあその図書館員自身の表現力・メディア活用力は充分なのか、充分でないならどう身につけるか、そもそも何を身につけたらよいか。というような感じの問題提起。
当日のパワポ→http://www.jla.or.jp/cue/friday13_2.pdf
-----------------------------------------------------
「若者とアニメの特別な関係 : アニメのリテラシーから学ぶ」
有吉末充(京都学園大学)
http://homepage3.nifty.com/hoshikaku/index.html
【補記】当日のパワポ→http://www.jla.or.jp/cue/friday13_3.pdf
【補記】図書館総合展での→http://www.jla.or.jp/cue/sogo10_f.html の再演である、とご自分でもおっしゃってたし、確かにそうだった。
・多メディアの時代、利用者としての若者がアニメのどういう点に対して、惹かれ、つきあっているのか。
・「図書館戦争」アニメ化→中学生・高校生が図書館に関心を寄せる
・これまで図書館業界が積極的に関わってこなかったジャンル
=渋々つきあうか、迎合礼賛するかのどちらかで、自分の判断基準を持っていない。
・以下、「リトルニモ」(http://www.youtube.com/watch?v=suRt7Dtdsmg)、「蒸気船ウィリー」(http://www.youtube.com/watch?v=0TPbpvP-okM)あたりからのアニメの歴史の話。
(省略)
【補記】↑ここの省略部分がだいたい全体の4割くらい。
・日本のアニメの特徴
−低予算・短期間という悪条件から生まれた技術と品質
−テレビ→子供が自分で選択→子供が見たい要求にダイレクトに応えるアニメ
−青年向けアニメというジャンルの成立→リアリティのある複雑な設定・世界観
【補記】↑ここの部分がだいたい全体の4割くらい。ここで、利用者としての”アニメ世代”(子供からおっきな子供まで)がアニメというメディアとどうつきあっているかの一端がわかる?
↓
・ひとつの文化として、評価と批判を行なうこと。
→そのようなことができる視聴者を育てる。
→そのためには、消費者まで届いていないような、過去の良作・海外の多様な作品を提供する
+自分で作るという体験(【補記】アニメを自作するようなワークショップ、的な意味で)
【補記】↑以上のようなアニメ消費者としての利用者を教育するための役割を、図書館が担ってはどうか、という提言。なので、たぶん同じ”リテラシー”でも、情報リテラシー教育としてではなくて、メディアリテラシー教育として。”手段”としてではなく、”対象”として、か。
-----------------------------------------------------
「高校から大学へ情報リテラシー教育をつなぐ : 『図書館戦争』をメディア読解の教材に変える」
天野由貴(椙山女学園高・中図書館)
【補記】当日のパワポ→http://www.jla.or.jp/cue/friday13_4.pdf
・導入
ひぐらし放送中止+青少年有害サイト規制法・フィルタリングソフト
→興味を持った生徒たちが調査を開始
→「図書館戦争」の”メディア良化法”に気付き、そこから憲法・子どもの権利条約へ
→・・・というような身近な問題を解決するのに、メディア・情報を自力で見極める力、情報リテラシーが必要である
【補記】↑全体の中で、アニメに言及があったのは、ここの部分まで。
・同校での情報リテラシー教育の実践例
(省略)
【補記】↑当日のパワポの通り、ここの省略部分がだいたい8割くらい。省略部分には特にアニメの話題や「図書館戦争」の話題はなし。
こうこうこういう要領で、情報リテラシー教育を実践しています。こういう準備をし、手配をし、先生方と協力連携をとっています。こういう教材を作成しています(註:アニメについては特になし)。実施・継続していくにあたってこういうところで困難を抱えています、という感じの話。
情報リテラシー教育活動の力の入った実践例として、アニメ云々とかを特にからめなくても、充分に拝聴に値する話であったし、たぶんこの話し馴れ方は、アニメ云々でない情報リテラシー教育の会的なところでもうすでにやってはって、たぶんその再演なんじゃないかな、という印象だった。
質疑応答の時間でも、情報リテラシー教育活動をどうやったら上手くやっていけるか、苦労したことは、それはどう克服できるか、といった感じのがすべてだったので、なるほど、この話題だったらアニメ云々という冠を無理につけなくても充分盛り上がるんだな、というふうに理解した。
-----------------------------------------------------
2つの講演がそれぞれだいぶ独立していたのとか、問題提起や統一テーマとかに触れない話がだいぶ多いのとか、質疑応答の、個々のスピーカーへの個々の質問が2人分ある感じになってるのとか、そういったようなのは、こういう催しにはよく起こってしまうことなので、それはまあしかたないですね、アニメの話として&リテラシーの話として、お話を2つ聴いてきました、という感じで。
【補記】これはしかたない。ていうか、自分でも経験あるけど、むつかしい。発表者全員がそれぞれその会の企画趣旨を十二分に呑みこんだ上で、それ相応の内容のものを持ち寄り、それでいて個々の発表同志が有機的に連携していたり、持ち寄ったからこその相乗効果が産まれたり、というのを期待するのは、それなりにむつかしいんだと思う、やっぱ。
【まとめ的な補記】というわけで、なんかこう、なんて言うんだろう。うん。あかん、何も言えへん。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
【構成上の補記】以下は、その”何も言えなかったこと”のお茶濁しでつらつら書いたもの。
あと、会場を訪れてみて驚愕したのが、その聴衆の年齢層のあまりの高さ、でしたよ。大図研の催しなんかでの印象よりも、ぐぃっと平均年齢が上がってる感じだった。この催しはJLAさんの企画で、これまでに伝え聞くそのJLAさんのことあるごとの物言いとか振舞いとかに違和感を感じることがわりと多いなあ、とかなんとなく思ってたんだけど、この日、ああ、まあ、ねえ、と思うたのでしたよ。まあ、入ってない身で何言ってもあれなんですけど。
西日本全体、東海、北陸の方々も来ておられて、すごいなあ、と思うた。年度末なのに。
そういえば、講演のためのサンプルとは言えアニメの動画を無断で上映するのは、著作権的にまずいから、ということで、そのかわりにwebサイトのflash動画とかを見せてくれはるのだけど、例えばwebサイトの動画だったら無断でもOKなんだろうか? ていうか動画じゃなくても、webサイトは無断で上映?OKなんだろうか? そのへんちょっとよくわかんなかったよ。著作権は、もお、最近お手上げ。
というのも、この記事が、ディスカッションとかコメントなりブログ記事なりの応酬とかの下地になろうなどとはまったく思ってなくって、だいぶやっつけで書いた感じだったので。
といいつつ、補記してみたら、余計に???になってきてしまったよ、どうしよう。
とりあえず、当日のパワポ↓がすでに上がってくれてるみたいなので、そっちで判断していただいたほうが、ていう。
http://www.jla.or.jp/cue/friday13_f.html
3/14、キャンパスプラザ京都にて、JLA利用教育委員会による、図書館利用教育実践セミナーの第13回、「図書館員のメディア活用力を問う−アニメ世代にどう教えるか−」と題されたそれを拝聴してきましたよ。
「アニメと情報リテラシー教育の話」、かと思って行ったのだけども、「アニメの話」と「情報リテラシー教育の話」、でしたよ。【補記】大事なことなのでもう一度。「アニメの話」と「情報リテラシー教育の話」でした。
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【補記】
コーディネーターの”問題提起”、というのが、2人の講演に先立ってあった。
広報なり情報リテラシー教育を図書館員がやろうっていうんであれば、じゃあその図書館員自身の表現力・メディア活用力は充分なのか、充分でないならどう身につけるか、そもそも何を身につけたらよいか。というような感じの問題提起。
当日のパワポ→http://www.jla.or.jp/cue/friday13_2.pdf
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「若者とアニメの特別な関係 : アニメのリテラシーから学ぶ」
有吉末充(京都学園大学)
http://homepage3.nifty.com/hoshikaku/index.html
【補記】当日のパワポ→http://www.jla.or.jp/cue/friday13_3.pdf
【補記】図書館総合展での→http://www.jla.or.jp/cue/sogo10_f.html の再演である、とご自分でもおっしゃってたし、確かにそうだった。
・多メディアの時代、利用者としての若者がアニメのどういう点に対して、惹かれ、つきあっているのか。
・「図書館戦争」アニメ化→中学生・高校生が図書館に関心を寄せる
・これまで図書館業界が積極的に関わってこなかったジャンル
=渋々つきあうか、迎合礼賛するかのどちらかで、自分の判断基準を持っていない。
・以下、「リトルニモ」(http://www.youtube.com/watch?v=suRt7Dtdsmg)、「蒸気船ウィリー」(http://www.youtube.com/watch?v=0TPbpvP-okM)あたりからのアニメの歴史の話。
(省略)
【補記】↑ここの省略部分がだいたい全体の4割くらい。
・日本のアニメの特徴
−低予算・短期間という悪条件から生まれた技術と品質
−テレビ→子供が自分で選択→子供が見たい要求にダイレクトに応えるアニメ
−青年向けアニメというジャンルの成立→リアリティのある複雑な設定・世界観
【補記】↑ここの部分がだいたい全体の4割くらい。ここで、利用者としての”アニメ世代”(子供からおっきな子供まで)がアニメというメディアとどうつきあっているかの一端がわかる?
↓
・ひとつの文化として、評価と批判を行なうこと。
→そのようなことができる視聴者を育てる。
→そのためには、消費者まで届いていないような、過去の良作・海外の多様な作品を提供する
+自分で作るという体験(【補記】アニメを自作するようなワークショップ、的な意味で)
【補記】↑以上のようなアニメ消費者としての利用者を教育するための役割を、図書館が担ってはどうか、という提言。なので、たぶん同じ”リテラシー”でも、情報リテラシー教育としてではなくて、メディアリテラシー教育として。”手段”としてではなく、”対象”として、か。
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「高校から大学へ情報リテラシー教育をつなぐ : 『図書館戦争』をメディア読解の教材に変える」
天野由貴(椙山女学園高・中図書館)
【補記】当日のパワポ→http://www.jla.or.jp/cue/friday13_4.pdf
・導入
ひぐらし放送中止+青少年有害サイト規制法・フィルタリングソフト
→興味を持った生徒たちが調査を開始
→「図書館戦争」の”メディア良化法”に気付き、そこから憲法・子どもの権利条約へ
→・・・というような身近な問題を解決するのに、メディア・情報を自力で見極める力、情報リテラシーが必要である
【補記】↑全体の中で、アニメに言及があったのは、ここの部分まで。
・同校での情報リテラシー教育の実践例
(省略)
【補記】↑当日のパワポの通り、ここの省略部分がだいたい8割くらい。省略部分には特にアニメの話題や「図書館戦争」の話題はなし。
こうこうこういう要領で、情報リテラシー教育を実践しています。こういう準備をし、手配をし、先生方と協力連携をとっています。こういう教材を作成しています(註:アニメについては特になし)。実施・継続していくにあたってこういうところで困難を抱えています、という感じの話。
情報リテラシー教育活動の力の入った実践例として、アニメ云々とかを特にからめなくても、充分に拝聴に値する話であったし、たぶんこの話し馴れ方は、アニメ云々でない情報リテラシー教育の会的なところでもうすでにやってはって、たぶんその再演なんじゃないかな、という印象だった。
質疑応答の時間でも、情報リテラシー教育活動をどうやったら上手くやっていけるか、苦労したことは、それはどう克服できるか、といった感じのがすべてだったので、なるほど、この話題だったらアニメ云々という冠を無理につけなくても充分盛り上がるんだな、というふうに理解した。
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2つの講演がそれぞれだいぶ独立していたのとか、問題提起や統一テーマとかに触れない話がだいぶ多いのとか、質疑応答の、個々のスピーカーへの個々の質問が2人分ある感じになってるのとか、そういったようなのは、こういう催しにはよく起こってしまうことなので、それはまあしかたないですね、アニメの話として&リテラシーの話として、お話を2つ聴いてきました、という感じで。
【補記】これはしかたない。ていうか、自分でも経験あるけど、むつかしい。発表者全員がそれぞれその会の企画趣旨を十二分に呑みこんだ上で、それ相応の内容のものを持ち寄り、それでいて個々の発表同志が有機的に連携していたり、持ち寄ったからこその相乗効果が産まれたり、というのを期待するのは、それなりにむつかしいんだと思う、やっぱ。
【まとめ的な補記】というわけで、なんかこう、なんて言うんだろう。うん。あかん、何も言えへん。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
【構成上の補記】以下は、その”何も言えなかったこと”のお茶濁しでつらつら書いたもの。
あと、会場を訪れてみて驚愕したのが、その聴衆の年齢層のあまりの高さ、でしたよ。大図研の催しなんかでの印象よりも、ぐぃっと平均年齢が上がってる感じだった。この催しはJLAさんの企画で、これまでに伝え聞くそのJLAさんのことあるごとの物言いとか振舞いとかに違和感を感じることがわりと多いなあ、とかなんとなく思ってたんだけど、この日、ああ、まあ、ねえ、と思うたのでしたよ。まあ、入ってない身で何言ってもあれなんですけど。
西日本全体、東海、北陸の方々も来ておられて、すごいなあ、と思うた。年度末なのに。
そういえば、講演のためのサンプルとは言えアニメの動画を無断で上映するのは、著作権的にまずいから、ということで、そのかわりにwebサイトのflash動画とかを見せてくれはるのだけど、例えばwebサイトの動画だったら無断でもOKなんだろうか? ていうか動画じゃなくても、webサイトは無断で上映?OKなんだろうか? そのへんちょっとよくわかんなかったよ。著作権は、もお、最近お手上げ。
2009年03月15日
2009年03月11日
次世代は永遠にやってくるのだ、幸にしろ不幸にしろ、というOPAC考え話。
京大図書系の若い集まりとして知られる我らが勉強会(註:→ http://kulibrarians.hp.infoseek.co.jp/109th/109th.htm )にて、先週登壇のスピーカーは。
あの、「Liner Note」の次世代OPAC論でおなじみ、levaさん来たる!
Liner Note
http://note.openvista.jp/
"Making OPAC 2.0"についての記事一覧
http://note.openvista.jp/?s=Making+OPAC+2.0
「次世代OPACってなんだろう:Making OPAC 2.0」
http://note.openvista.jp/2008/what-is-next-generation-opac/
生でこの方のプレゼンが聴ける機会が来ようとは。ひどく、感激!でしたよ。
京都でよかった。
ざまみろ、関東!(←ただいま大変お見苦しい発言がありましたことを深くお詫びいたします。)
以下、メモ。
-----------------------------------------------------
・OCLC調べでは。学生は、OPACではなくGoogleで検索する。でも、情報の信頼性と言うことについては図書館が優位と考えている。ということは、問題は図書館にあるのではなく、OPACにあるんだ、ということ。
・OPAC離れの原因は。OPACが一般化したことに伴う、使い慣れない人の増加。そして、その人らが普段使っているのは、もっとずっと面倒見のいい検索エンジンなりwebサービスなりである。
・特にGoogleの影響はOPAC検索時の行動にあらわれている。ヒットしたものの上位を選ぶ(検索結果全体を俯瞰しない)。自然語で検索する等して、ゼロヒットが多発。
・次世代OPACの機能要件をすべて上げていけば膨大な数になる。かといって、じゃあ、そういった機能をOPACにどんどん盛り込んでいきさえすればよいのか?というと、そういうわけでもなかろう、と。どれを採りどれを採らぬかについては、採るだけの”根拠”があるかどうかを判断せねばならぬ。便利なのはもちろんだけども、ただ便利なだけでなく、それがユーザのニーズ・行動にほんまにフィットしているのか、とか。
・で、その”根拠”を、丁寧なユーザ観察から得ようではないか、というのが、(江上が思うに)本公演のメイン。
-ユーザの利用風景を観察しましょう。
-利用の様子をコンテクストごととらえましょう。
-分析しましょう。
-観察のとっかかりとして、インタビューをしてから観察してみましょう。
・彼の感触から言って、インタフェースのユーザビリティ的なことについて言うならば、観察サンプルは5人もいれば充分、とおっしゃる。但し、サービスのターゲットに合致したサンプルをうまくピックアップしないとそれは難しいし、結果の説得力(というか説明力?)にも結びつかない。
・インタビュー、である。「前回の図書館での調べ物で、どう動いたかを教えてください」、と。アンケートだとかグループディスカッションだとかは、相手に頭で考えさせる分、事実と異なる回答が出てしまうおそれがあるよ。インタビューで、「(こういうとき)どうしますか?」と相手に一般化さすのではなく、「(そのときあなたは)どうしましたか?」と問うて過去の事実を述べさすのがよい。断片的な質問、抽象的な質問ではなく、「前回の図書館での調べ物」を具体的に、全体像的に、コンテクストごと。(ちなみに、次に紹介する2年生某さんの例では、これまでどんな読書生活を送ってたか、まで聞き出しているよ。うん確かに、それがないと、図書館というものにどれだけ慣れてはる人かとかわかんないしね。)
・というわけで事例。実際に2年生某さんにインタビューをして、その内容から、特徴的な行動パターンを抽出。「ある程度あたりをつけたら本棚を見に行った方が早い」等の行動から、OPACの問題点その1、OPACの書誌情報に評価のための判断材料が足りてない。実際には、目次やレビューや内容紹介を判断材料にしているので、それがあるべき。また、「周囲の関連する本をチェックする」「最初の問題設定はあいまいで、検索結果から徐々に目指すサブジェクトを決めていく」などから、OPACの問題点その2、次へつながるヒント・キーワードがサジェストされてほしい。
といった具合に、問題点が浮き彫りにされていく。
・で、この次にもうひとつポイントなのが、いきなりそういった問題点・改善点を、かっちり定めてしまって開発に直行する、とかではヤバいよ、っていう。そうではなくて、即席のプロトタイプ案を作って、ユーザテストするというルートをとるべき。ここでは「ペーパープロトタイプ」というふうに呼ばれていたのですが、まさに、紙の上にフリーハンドでOPAC画面をデザインして、しかもその画面を、実際に見せるユーザさんの利用に合わせて遷移できるように複数画面をブロックごとに作っておいて、といったものを、実際に披露していただいたよ。しかもその、カフェのメニューのようなフリーハンド書きのOPAC画面を、実際にユーザさんに提示して、検索時の動きを指で追ってもらいながらコメントしてもらう、という様子を、動画に撮って、見せてくださったよ。すげえ。これはすげえ。その動画の中で行なわれていることも、それを動画に撮ってるということも、すげえ。ユーザさんが、これはいい、ここを選びたい、この情報は使えると気づいた、これは使わない方がいいと判断した、とあれこれコメントしてくださる様子(+せっかく盛り込んだものが華麗にスルーされた様子)が、まざまざと。
・で、そういった調査の結果を反映させ、同志社のOPAC書誌やAmazonさんのデータなどを使用して、試作しはった自己開発OPACが、近々公開予定、らしいよ。実際その自己開発OPACを拝見しましたが、うちもこれにしようよね。
・最後に。OPACは所蔵検索、所蔵情報提供で十分なのか。利用者の問題解決のトータル的なサポート環境、としてのOPACとは。というような感じで終わる。
・参考。IDEO、というアメリカのデザインコンサルタント会社。利用者の丹念な観察を行ない、ショッピングセンターのカートを5日間でデザインしなおす、等。『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』(早川書房2002)
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日本きっての次世代OPAC伝道者たる某大某さんや、某システム業者のSEさんも数名ゲスト参加しての会でしたよ。
そして、そのSEさんたちにしろ、京大側参加者にしろ、次世代OPACに必要な機能は何か、何を優先したらいいか、ユーザは何を求めているか、というその答を彼から&彼のプレゼンから引き出そう引き出そうとしてはって、ふj・・・某業者の人なんかノートにかじりついてがしがしと書き込んではるんだけども、ちょっと待って、それってちがうくないか、と軽い危機感を覚えもしたよ。
個々の要件の問題、例えば、レビューが大学図書館発信のページに載ることが適切なのかどうか、を、彼から意見聞きたい気持ちもわかる。目次情報は有用なのかどうか、Wikipediaを参考情報として載せたとして果たしてそれはユーザさん見るのかどうか、どの外部DBと横断検索できるのがいいかどうか、結局優先すべきはどれとどれなのか。
それを知りたいという気持ちは痛いほどわかるんだけども、それでも、今回については、いや、ちがう、それら個々の問題についてどうなのか、が問題なのではなくって、その”どうなのか”をどうやって判断すべきか、何を根拠として考えるべきか、その根拠を得るためにどういう手法でどういう姿勢で臨むべきか、ということを、今日まさに彼はここで教えてくださったのであって、もっとずっとちゃんと、そこに神経を向ける必要がある。少なくとも、今日の我々は。
ユーザ視点中心でOPACを検討したら、こういう結果が出ましたよ、ていうのが大事なんじゃない。
ユーザ視点中心でOPACを検討するために、こういうふうに考えましたよ、そしてこういうことを行ないましたよ、ということ。こっちが大事。
うちの大学が、うちの社が、大学図書館業界全体が、もはや日本全体が、この分野で遅れをとってしまっているということの焦りもイライラ感も、それをさっさと解決さしたいと気がはやるのも、自分だってもちろん気持ちはまったく同じ。
なんだけども、じゃあ例えば、彼だけでなく今日ここにいる人が全員「目次、有用」と、「Amazonの在庫表示、アリ」と、賛同したとする。それどころか京大のユーザ全員が「目次、有用」「Amazon在庫」に100%賛成したとする。そして、メーカさんもそれを100%飲み込んで、それを反映させた完璧なOPACができたとする。
残念ながらこのドッグイヤーのご時世、1年も経てばまた陳腐化しますよね。
やっぱあっちの機能のほうがよかったんじゃないか。このWebサービスと連携してくれたほうがいいのに。○○さんは新しいテクでこんなことを最近公開してくださったのに、それとのマッシュアップくらいとっととでけへんのか。情報技術も、ユーザが身を置く情報環境も、ユーザがはなっから身につけてる前提としてのリテラシーの種類も、今日現代の京大のユーザさんのそれと同じところにとどまってくれてるわけではまったくないから、そりゃまあ、陳腐化しますよね。
その段になったら。彼が今回調査したユーザが、彼自身が、今日ここの全員が、個々の機能・テクノロジーについて「これ、有用」と判断したということなんか、言い方悪いけど、年寄りの繰り言でしかなくなってしまう。ファセット実現できた、わあい、ばんざーい、とか、アクアブラウザ買えた、わあい、ばんざーい、とか、まあ確かにばんざーいなんだけど、その手を降ろした瞬間にそのOPACは、次世代どころか古生代への下り坂を転がり始めることになる。
そうではなくて、その段になっても、またさらに、”どうなのか”をこうやって判断しよう、こういうことを根拠として考えるべきであろう、その根拠を得るためにこういう手法でこういう姿勢で臨みましょうよ、という、言ってみれば、持続可能なシステムとしての次世代OPAC検討体制--だからそこではもはや”次世代”という言葉は不要なんだけども--、そいつでもって、次のリプレイス、そのまた次のリプレイスに臨んでかなきゃなんない。
次世代も、リプレイスも、明日も、永遠にやってくるわけだから。
そういう取り組み方をしない限り、十中八九、我々は同じ過ちを繰り返してしまうことになる。またもや後れをとる羽目になってしまう。
恒常的に、相対的に後れをとっているという、無間地獄。
それはもうやめたい。
うん、もういいかげんやめたいですよね、そういうのね。
「もうやだ、このOPAC」とか半べそかきながら仕事するのとか。
だからこそ、なんですけど。焦って、急いて、結果を出そう、とりあえず形となるものの実現を急ごう、っていう気持ちをぐっと我慢して、ちょっと引いて、丁寧に分析・検討していけるような落ち着きを持ったほうがいいんだろうな、と。まあね、ぶっちゃけゆっちゃうと、すでに後れをとってしまってることには変わりないんだから。だったらじゃあ、後れついでということで、もうちょっとゆっくり腰を据えた感じで着手していくというのもそれはそれでありかな、っつって。(←さっきとゆってることだいぶちがうな(笑))
逆に、彼が示してくれたような手法を我々がちゃんと身体に染みこませれば、しめで投げかけられた「OPACは所蔵検索、所蔵情報提供で十分なのか」という一見困難そうな問題も、別に苦労することなく結論出る(ていうか出てる)、し、どころか、たいていの問題は解決
というような解脱感の得られそうな、ある種地道な方法なり姿勢なりというもののひとつを、この次代を担う(註:残念ながら”図書館の”ではなさそう)若き好青年は解説してくれているのだろうなあ、というようなことを思いながら、聴き入っていたのでしたよ。
いつものことながら、ご当人の本来的な意図とはぜんぜんちがうところに焦点を当ててしまってるかもしれません、ごめんなさい。
すでにご当人の詳細な自己レビュー記事がありますので、どうぞそちらへ。
「「利用者中心視点からOPACのあり方を考える」という話をしました」
http://note.openvista.jp/2009/opac-study-meeting/
あのー、こんなこと言っても喜ばれるこたぁないとは思うんですけど、このlevaさんのLiner Noteのblogってずっと拝読してて、それでその記事を読みながら、この子ぜったい頭いい人なんやろな、とかいうふうに思うてたですよ。
それで、生で会ってお話をうかがってたら、やっぱり思ってた通りに頭のいい人でしたよ。
なんていうんでしょう、いちいち理路整然としてはる。理路整然としたこと言う人って、ともすれば、冷淡だったり容赦なかったりしがちだとか、あるいは熱くて押しが強くてウザかったりしがちだとかいうこともあるのだけども、この方の理路整然は、なんかこう、あったかいというか、安心するというか、癒し系の理路整然でしたよ。
京都でよかった。
ざまみろ、関(←この発言はアップロード者により削除されました。)
あの、「Liner Note」の次世代OPAC論でおなじみ、levaさん来たる!
Liner Note
http://note.openvista.jp/
"Making OPAC 2.0"についての記事一覧
http://note.openvista.jp/?s=Making+OPAC+2.0
「次世代OPACってなんだろう:Making OPAC 2.0」
http://note.openvista.jp/2008/what-is-next-generation-opac/
生でこの方のプレゼンが聴ける機会が来ようとは。ひどく、感激!でしたよ。
京都でよかった。
ざまみろ、関東!(←ただいま大変お見苦しい発言がありましたことを深くお詫びいたします。)
以下、メモ。
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・OCLC調べでは。学生は、OPACではなくGoogleで検索する。でも、情報の信頼性と言うことについては図書館が優位と考えている。ということは、問題は図書館にあるのではなく、OPACにあるんだ、ということ。
・OPAC離れの原因は。OPACが一般化したことに伴う、使い慣れない人の増加。そして、その人らが普段使っているのは、もっとずっと面倒見のいい検索エンジンなりwebサービスなりである。
・特にGoogleの影響はOPAC検索時の行動にあらわれている。ヒットしたものの上位を選ぶ(検索結果全体を俯瞰しない)。自然語で検索する等して、ゼロヒットが多発。
・次世代OPACの機能要件をすべて上げていけば膨大な数になる。かといって、じゃあ、そういった機能をOPACにどんどん盛り込んでいきさえすればよいのか?というと、そういうわけでもなかろう、と。どれを採りどれを採らぬかについては、採るだけの”根拠”があるかどうかを判断せねばならぬ。便利なのはもちろんだけども、ただ便利なだけでなく、それがユーザのニーズ・行動にほんまにフィットしているのか、とか。
・で、その”根拠”を、丁寧なユーザ観察から得ようではないか、というのが、(江上が思うに)本公演のメイン。
-ユーザの利用風景を観察しましょう。
-利用の様子をコンテクストごととらえましょう。
-分析しましょう。
-観察のとっかかりとして、インタビューをしてから観察してみましょう。
・彼の感触から言って、インタフェースのユーザビリティ的なことについて言うならば、観察サンプルは5人もいれば充分、とおっしゃる。但し、サービスのターゲットに合致したサンプルをうまくピックアップしないとそれは難しいし、結果の説得力(というか説明力?)にも結びつかない。
・インタビュー、である。「前回の図書館での調べ物で、どう動いたかを教えてください」、と。アンケートだとかグループディスカッションだとかは、相手に頭で考えさせる分、事実と異なる回答が出てしまうおそれがあるよ。インタビューで、「(こういうとき)どうしますか?」と相手に一般化さすのではなく、「(そのときあなたは)どうしましたか?」と問うて過去の事実を述べさすのがよい。断片的な質問、抽象的な質問ではなく、「前回の図書館での調べ物」を具体的に、全体像的に、コンテクストごと。(ちなみに、次に紹介する2年生某さんの例では、これまでどんな読書生活を送ってたか、まで聞き出しているよ。うん確かに、それがないと、図書館というものにどれだけ慣れてはる人かとかわかんないしね。)
・というわけで事例。実際に2年生某さんにインタビューをして、その内容から、特徴的な行動パターンを抽出。「ある程度あたりをつけたら本棚を見に行った方が早い」等の行動から、OPACの問題点その1、OPACの書誌情報に評価のための判断材料が足りてない。実際には、目次やレビューや内容紹介を判断材料にしているので、それがあるべき。また、「周囲の関連する本をチェックする」「最初の問題設定はあいまいで、検索結果から徐々に目指すサブジェクトを決めていく」などから、OPACの問題点その2、次へつながるヒント・キーワードがサジェストされてほしい。
といった具合に、問題点が浮き彫りにされていく。
・で、この次にもうひとつポイントなのが、いきなりそういった問題点・改善点を、かっちり定めてしまって開発に直行する、とかではヤバいよ、っていう。そうではなくて、即席のプロトタイプ案を作って、ユーザテストするというルートをとるべき。ここでは「ペーパープロトタイプ」というふうに呼ばれていたのですが、まさに、紙の上にフリーハンドでOPAC画面をデザインして、しかもその画面を、実際に見せるユーザさんの利用に合わせて遷移できるように複数画面をブロックごとに作っておいて、といったものを、実際に披露していただいたよ。しかもその、カフェのメニューのようなフリーハンド書きのOPAC画面を、実際にユーザさんに提示して、検索時の動きを指で追ってもらいながらコメントしてもらう、という様子を、動画に撮って、見せてくださったよ。すげえ。これはすげえ。その動画の中で行なわれていることも、それを動画に撮ってるということも、すげえ。ユーザさんが、これはいい、ここを選びたい、この情報は使えると気づいた、これは使わない方がいいと判断した、とあれこれコメントしてくださる様子(+せっかく盛り込んだものが華麗にスルーされた様子)が、まざまざと。
・で、そういった調査の結果を反映させ、同志社のOPAC書誌やAmazonさんのデータなどを使用して、試作しはった自己開発OPACが、近々公開予定、らしいよ。実際その自己開発OPACを拝見しましたが、うちもこれにしようよね。
・最後に。OPACは所蔵検索、所蔵情報提供で十分なのか。利用者の問題解決のトータル的なサポート環境、としてのOPACとは。というような感じで終わる。
・参考。IDEO、というアメリカのデザインコンサルタント会社。利用者の丹念な観察を行ない、ショッピングセンターのカートを5日間でデザインしなおす、等。『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』(早川書房2002)
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日本きっての次世代OPAC伝道者たる某大某さんや、某システム業者のSEさんも数名ゲスト参加しての会でしたよ。
そして、そのSEさんたちにしろ、京大側参加者にしろ、次世代OPACに必要な機能は何か、何を優先したらいいか、ユーザは何を求めているか、というその答を彼から&彼のプレゼンから引き出そう引き出そうとしてはって、ふj・・・某業者の人なんかノートにかじりついてがしがしと書き込んではるんだけども、ちょっと待って、それってちがうくないか、と軽い危機感を覚えもしたよ。
個々の要件の問題、例えば、レビューが大学図書館発信のページに載ることが適切なのかどうか、を、彼から意見聞きたい気持ちもわかる。目次情報は有用なのかどうか、Wikipediaを参考情報として載せたとして果たしてそれはユーザさん見るのかどうか、どの外部DBと横断検索できるのがいいかどうか、結局優先すべきはどれとどれなのか。
それを知りたいという気持ちは痛いほどわかるんだけども、それでも、今回については、いや、ちがう、それら個々の問題についてどうなのか、が問題なのではなくって、その”どうなのか”をどうやって判断すべきか、何を根拠として考えるべきか、その根拠を得るためにどういう手法でどういう姿勢で臨むべきか、ということを、今日まさに彼はここで教えてくださったのであって、もっとずっとちゃんと、そこに神経を向ける必要がある。少なくとも、今日の我々は。
ユーザ視点中心でOPACを検討したら、こういう結果が出ましたよ、ていうのが大事なんじゃない。
ユーザ視点中心でOPACを検討するために、こういうふうに考えましたよ、そしてこういうことを行ないましたよ、ということ。こっちが大事。
うちの大学が、うちの社が、大学図書館業界全体が、もはや日本全体が、この分野で遅れをとってしまっているということの焦りもイライラ感も、それをさっさと解決さしたいと気がはやるのも、自分だってもちろん気持ちはまったく同じ。
なんだけども、じゃあ例えば、彼だけでなく今日ここにいる人が全員「目次、有用」と、「Amazonの在庫表示、アリ」と、賛同したとする。それどころか京大のユーザ全員が「目次、有用」「Amazon在庫」に100%賛成したとする。そして、メーカさんもそれを100%飲み込んで、それを反映させた完璧なOPACができたとする。
残念ながらこのドッグイヤーのご時世、1年も経てばまた陳腐化しますよね。
やっぱあっちの機能のほうがよかったんじゃないか。このWebサービスと連携してくれたほうがいいのに。○○さんは新しいテクでこんなことを最近公開してくださったのに、それとのマッシュアップくらいとっととでけへんのか。情報技術も、ユーザが身を置く情報環境も、ユーザがはなっから身につけてる前提としてのリテラシーの種類も、今日現代の京大のユーザさんのそれと同じところにとどまってくれてるわけではまったくないから、そりゃまあ、陳腐化しますよね。
その段になったら。彼が今回調査したユーザが、彼自身が、今日ここの全員が、個々の機能・テクノロジーについて「これ、有用」と判断したということなんか、言い方悪いけど、年寄りの繰り言でしかなくなってしまう。ファセット実現できた、わあい、ばんざーい、とか、アクアブラウザ買えた、わあい、ばんざーい、とか、まあ確かにばんざーいなんだけど、その手を降ろした瞬間にそのOPACは、次世代どころか古生代への下り坂を転がり始めることになる。
そうではなくて、その段になっても、またさらに、”どうなのか”をこうやって判断しよう、こういうことを根拠として考えるべきであろう、その根拠を得るためにこういう手法でこういう姿勢で臨みましょうよ、という、言ってみれば、持続可能なシステムとしての次世代OPAC検討体制--だからそこではもはや”次世代”という言葉は不要なんだけども--、そいつでもって、次のリプレイス、そのまた次のリプレイスに臨んでかなきゃなんない。
次世代も、リプレイスも、明日も、永遠にやってくるわけだから。
そういう取り組み方をしない限り、十中八九、我々は同じ過ちを繰り返してしまうことになる。またもや後れをとる羽目になってしまう。
恒常的に、相対的に後れをとっているという、無間地獄。
それはもうやめたい。
うん、もういいかげんやめたいですよね、そういうのね。
「もうやだ、このOPAC」とか半べそかきながら仕事するのとか。
だからこそ、なんですけど。焦って、急いて、結果を出そう、とりあえず形となるものの実現を急ごう、っていう気持ちをぐっと我慢して、ちょっと引いて、丁寧に分析・検討していけるような落ち着きを持ったほうがいいんだろうな、と。まあね、ぶっちゃけゆっちゃうと、すでに後れをとってしまってることには変わりないんだから。だったらじゃあ、後れついでということで、もうちょっとゆっくり腰を据えた感じで着手していくというのもそれはそれでありかな、っつって。(←さっきとゆってることだいぶちがうな(笑))
逆に、彼が示してくれたような手法を我々がちゃんと身体に染みこませれば、しめで投げかけられた「OPACは所蔵検索、所蔵情報提供で十分なのか」という一見困難そうな問題も、別に苦労することなく結論出る(ていうか出てる)、し、どころか、たいていの問題は解決
というような解脱感の得られそうな、ある種地道な方法なり姿勢なりというもののひとつを、この次代を担う(註:残念ながら”図書館の”ではなさそう)若き好青年は解説してくれているのだろうなあ、というようなことを思いながら、聴き入っていたのでしたよ。
いつものことながら、ご当人の本来的な意図とはぜんぜんちがうところに焦点を当ててしまってるかもしれません、ごめんなさい。
すでにご当人の詳細な自己レビュー記事がありますので、どうぞそちらへ。
「「利用者中心視点からOPACのあり方を考える」という話をしました」
http://note.openvista.jp/2009/opac-study-meeting/
あのー、こんなこと言っても喜ばれるこたぁないとは思うんですけど、このlevaさんのLiner Noteのblogってずっと拝読してて、それでその記事を読みながら、この子ぜったい頭いい人なんやろな、とかいうふうに思うてたですよ。
それで、生で会ってお話をうかがってたら、やっぱり思ってた通りに頭のいい人でしたよ。
なんていうんでしょう、いちいち理路整然としてはる。理路整然としたこと言う人って、ともすれば、冷淡だったり容赦なかったりしがちだとか、あるいは熱くて押しが強くてウザかったりしがちだとかいうこともあるのだけども、この方の理路整然は、なんかこう、あったかいというか、安心するというか、癒し系の理路整然でしたよ。
京都でよかった。
ざまみろ、関(←この発言はアップロード者により削除されました。)