2009年07月31日

明日のために!シャドー・tsudaリング その1

 ツイッターでtsudaる、というのを、人さんのを見たり自分でもやってみたりするのだけど、うまくいってるのもあればそうは見えないのもある。特に自分でやってみたときに、これはたぶん日常自分がほとんど使わない部分の言語筋肉を駆使しないと、うまくできないんだろうな、というなんとなくの感想があって、じゃあその筋肉はトレーニングによって向上するんじゃなかろうか、という流れから、演習としてのシャドー・tsudaリングをやってみよう、と思いついたです。
 とりあえずやってみることで、またちがった何かが見えてきたらいいな、ていう。
 その、記録と感想。

 日時は、7月29日、19:30-19:55。
 場所は自宅。(これはあんま関係ない(笑))
 対象は、NHK総合の「クローズアップ現代」。これを見ながら、その内容をその場でざっとまとめて、リアルタイムで投稿する。
 とりあえずの課題としては、リアルタイムで進行する番組内容に追いつけるか、ということと、読んだ人が理解できるように要点を押さえられるか。

 ちなみに番組の内容は・・・、あ、これ言わないほうがいいですね、前提なしで↓以下をごらんいただいて、何の番組だったか理解していただけるようでないとね。

 実際の投稿の様子。
 http://twitter.com/egamiday
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豪雨。竜巻。”気象異変”か?原因は?対策は?7:32 PM Jul 29th webで

全国で梅雨がまだ明けていない。大気の状態が不安定。死者を含め、被害が相次いでいる。7:33 PM Jul 29th webで

福岡・長崎では100ミリ超/時。1ヶ月分の雨。7:33 PM Jul 29th webで

つくば・防災科学技術研究所での実験。40ミリで普通の大雨。100ミリでは視界が遮られ、音が90デシベル(機械工場並み)7:35 PM Jul 29th webで

福岡では116ミリを記録。保育園に園児らが閉じ込められた。7:36 PM Jul 29th webで

福岡・篠栗町で土砂崩れ。「天からやりが降ってくるような雨」。緊急時には町内放送が流れるはずが、豪雨の音のためにまったく聞こえなかったとのこと。7:38 PM Jul 29th webで

福岡管区気象台。当日の予想は40ミリだった。実際には積乱雲が停滞し、100ミリの雨が降った。大雨は3日続いた。7:40 PM Jul 29th webで

積乱雲のバックビルディング形成。通常の積乱雲は寿命が1時間程度。バックビルディング形成では、同じ場所に次々と積乱雲が発生し、同じ場所に雨を降らせる。7:41 PM Jul 29th webで

今年は太平洋高気圧が弱い。そのため、梅雨前線が日本列島上に停滞。そこへ南西から暖かい湿った空気が流れ込み、日本海側の寒気と接して不安定になり、集中豪雨が発生する。その場所が九州・山口地方。7:44 PM Jul 29th webで

住民への避難勧告が間に合わなかった自治体。7:44 PM Jul 29th webで

防府市。朝、山口県から土砂災害警戒情報が届く。が、住民からの水害被害電話(600件)対応で、備えができなかった。7:46 PM Jul 29th webで

住民から電話→職員派遣→道路寸断でたどりつけず老人ホーム。土砂災害警戒区域。情報を伝えることができなかった。7:48 PM Jul 29th webで

下関市では、警戒レベルに合わせて対応を決めていた。避難勧告の情報を届けるのも速やかに行なえた。7:49 PM Jul 29th webで

土砂災害警戒区域は全国で13万カ所。全国至る所にある。すべての市町村に関わる問題。7:50 PM Jul 29th webで

避難勧告の発令基準を策定している自治体は40%未満。基準の策定だけでなく、専門家の人材育成が重要。ローテーションな異動とかじゃなくて!7:51 PM Jul 29th webで

今後、太平洋高気圧が”はっきりしなくなる"可能性がある。そうなると、列島のどこに”あたたかい湿った空気”が流れ込むかわからず、全国のどこで豪雨が発生するかもわからない状態になる。7:53 PM Jul 29th webで

気温低下、日照不足、冷夏のおそれ。7:53 PM Jul 29th webで

エルニーニョ→フィリピンの東海上での高気圧の活動が弱い→太平洋高気圧が”はっきりしなくなる”。7:54 PM Jul 29th webで

自治体が住民に伝えるべき情報を収集しに行くこと。住民が、どのような情報にどう対応すべきかをあらかじめ理解しておくこと。7:55 PM Jul 29th webで

”自主避難”の可能性も考え、情報のアンテナを敏感に。だそうです。7:56 PM Jul 29th webで
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 以下、とりあえずふつーのあれこれ。

・やり方としては、いったんさらのメモ帳にベタ打ちしていく。いきなり投稿フォームのところに書き込んだりはしない。ある程度書きたまったところで、話の流れに沿って軽く編集させてから、コピペでぽんっと投稿。
・集中力的に30分が限度かな、と思う。内容にもよるけど。
・のちのちキーワード・キー情報になりそうな言葉を、うまく予測して捕まえられれば、前後関係にあたふたしなくて済む。
・数字を捕まえるのは結構難しい。難しいっていうか、ちょっとテンパる。
・ゲストの気象庁の人が一部何が言いたいかよくわかんなくって(めちゃめちゃ緊張してはった(笑))、そうなると途端にまとめる手が鈍る。え、相手次第?(笑)
・客観的事実と印象的表現をバランスよくまとめられると、わかりやすくなる。
・クローズアップ現代では、放送の冒頭に、全体の構成・ストーリーをいったんダイジェスト風に示す。そこをちゃんと理解しておけば、ゆくゆくとても楽。その有る無しはだいぶ影響大きいよね。
・あとはまあ、”福岡の豪雨””気象ネタ”という、自分自身にとって近い分野のトピックだった、というのもとても大きい。気象台の人のゆってることが用語含めふつーに理解できるから、まとめもすんなりできた、ていう。

 さて以上のようなふつーな感想とは別に、どうも根源的な違和感があるよ。
 自分のこのやり方、なんかおかしいんじゃないか?
 これちょっと忙しすぎないか?
 情報多すぎないか?
 これじゃあリアルタイム云々以前に、単なる”速記”になってないか?という。

 まず、25分番組で、投稿が20件。これはやっぱちょっと多すぎというか、みっちり追いすぎ、のような印象があるよ。3分に1件くらい、25分番組で10件くらいでいいんじゃないのか?と。
 ただそれは、あ、これは重要!と思って打って投稿した直後に、さらに、あれ、これってさっきの以上に重要じゃん!ていうのがすぐ現れて、それを連続的に投稿するから、結果的に投稿がめちゃめちゃ増える、ていうのはある(←まさにバックビルディング形成!!(笑))。
 あと、そもそもこの「クローズアップ現代」という番組自体、25分という決して長くはない時間内に、そのトピックのキーになる情報をぎゅっと凝縮して詰めて、短時間で1トピックがつかめるようになりますよ、ていうのがウリ(註:勝手にそう見てるだけですが)なところがあるので、それをリアルタイムで要約しようとしたらそりゃあ、あれもこれも、ってなっちゃうよね、ていうのもある。同じ内容のことをだらだらしたシンポジウムで1時間半くらいやってたら、まあ20投稿くらいは多いとは思えない数だろうなあ。

 ただ心構えとして、”速記的なノリ”で情報を漏らさず掬ってやるぞっ、ていう感じになっちゃってたっていうのは、実際ある。そして、それでよかったんだろうか?という惑いが生じている。
 そもそも自分自身が、番組見た気が全然してないし。情報としては頭に入ってはいるけど。見てる当の自分が見た気がしてないものを、いくらリアルタイムだからっつって人様に伝えたとして、それって意味あるのだろうか? もちろんなくはないけど、なにかしら転倒してる気がする。

 というわけで、次にやるとするならば、「自分自身もちゃんと見た/参加した」感じになりつつ、なおかつ「要点をリアルタイムで投稿」という心構えをしなきゃならんのだなあ、と、思たです。

 ちなみに。
 「次に」と言ったり「その1」という標題を付けてるからといって、続くなんてこと期待しちゃあダメだよ(笑)。

posted by egamiday3 at 07:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月22日

まあだいたい、機械さんが上手にやってくれる。

 図書館雑誌の前号の特集をやっと読んでいる感じのあれなんですけども。

 目録の現在. 上田修一. 図書館雑誌. 103(6), 2009.6, 372-375.

 読んでいたら、最後の部分で「書誌的家系」の話が出てて、とある作品の、原著とか、日本語訳とか、何回か形や表題を変えて翻訳されたのとか、ドラマ化された作品とか、映画になったDVDとか、そういうののぐるっとしたまとまりがひとつの書誌的家系であり、それを図書館目録として提示してやるというような一機能、これが叶えば利用者には便利だし、そしてこういう書誌的家系を判断しつつまとまりを作っていくというのは最終人力でやんなきゃいけないという点で、従来の目録業務と変わらないわけだから、Googleさんには真似のできない図書館OPACの付加価値になり得るんじゃないか、というふうなことを書いておられると読んだです。

 ただ、まあ、これまで数年間の流れを見ててそこから想像するに。
 将来、図書館業界がそのやり方を上手に確立できるとしても、その間に、GoogleさんなりAmazonさんなりはてなさんなりの側のほうが、アルゴリズムなりデータマイニングなりフォークソノミーなりのやり方で、別に人力じゃなくたってそこそこのもんを機械的にやっつけてくれちゃって、終わる、という、タイムボカンシリーズ並みのいつものパターンなんだろうなあ、とぼんやり思うです。

 これは人間様の出番!と思いついたようなものでも、たいてい、機械さんがなんとなくのレベルまでは上手にやってくれて、終わる。そんな世の中。ポイズン。

 だから、それは”機械さんにもできる”という前提で、さらにもっと先の未来予想図なり、もっと高所から目線での発想が降りてきてくれたらいいなあ、ほしいなあ、と思うんだけども、それってなんだろう、という疑問符のまま終わる。ポイズン。

posted by egamiday3 at 22:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エヴァンゲリオンについて理解していることの、補足。

 江上がエヴァンゲリオンについて理解していることの、補足。
 作品本編は見てませんが、パロディはたくさん見ているよ。




posted by egamiday3 at 12:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月21日

事務連絡


「なつのとも2009」を開始しました。

なつのとも2009
http://egamiday2009summer.seesaa.net/


posted by egamiday3 at 12:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

エヴァンゲリオンについて持てる知識・理解をすべて書き出してみた。

 参照。
 http://egamid2p.exblog.jp/148708
 ↑このネタやったのもう4年も前なんだ。うへえ。

 こないだ、「エヴァンゲリオンってまだ全然見たことないけど、要するにロボットアニメなんでしょ」と言ったら、「そんなじゃない」みたいに言われたけど、ちがわないよね?
 というわけで、スターウォーズもガンダムもエヴァンゲリオンもまだぜんぜん見てない我が輩が、ここに、現段階で「エヴァンゲリオン」について持っている知識と理解(+誤解)を、いったんすべて列挙してみるよ。

・監督は庵野秀明。
・作ったのは、ガイナックス? でしたっけ? だから「ロボットの出てくるナディア」みたいな理解も多少ある。
・舞台は近未来である。
・エヴァンゲリオンとは、福音、である。
・使徒という敵のロボットがいて、それが、キリストの弟子の名前になっている。
・全編通してキリスト教的な色が強い。
・巨大ロボット同士が戦う。やっぱ、ロボットアニメじゃん。
・ロボットに、主人公の男子が乗り込んで、敵のロボットと戦う。「哲学性の高いガンダム」という理解。
・なんか、ツンデレみたいなキャラの登場人物がいるらしい。
・なんか、画面に活字がたくさん並ぶ、という印象がある。江上は文字フェチなのでそこがかなり気になる。
・「世界の中心で愛を叫んだ獣」と関係があるらしい。
・映画のタイトルが”序破急”らしいので、キリスト教だけでなく能楽にも造詣が深い作品という印象がある。
・いろいろ名ゼリフがあるのはなんとなく聞いてはいるものの、基本的にガンダムのそれと区別がついていない。

・実は、10数年前のリアルタイム放送のときに、最終回の話だけテレビで見た。暗い部屋に主人公がいて、椅子に座ってて、たくさん活字が出てきて、小劇場の舞台演劇みたいなかけあいの末、「おめでとう」、で終わったので、もし全編がこの調子で進むんだとしたら、これほど江上好きする作品はないにちがいない!と思ってたら、人から聞いたところではどうやらぜんぜんちがうらしいので、結果、見てない。
・2年前、まだニコ動でアニメが見れた頃、ケンブリッジのアパートでなんとなく第1話を見始めてみたけど、20分くらいで寝た。(ちなみに、「涼宮ハルヒ」の第1回(自主制作映画のやつ)は開始10分で「これはとてつもなくおもしろいアニメにちがいない」と身を乗り出したので、アニメに耐性がないわけではない、と思っている)
・「魂のソフラン」は大傑作だと思う。そしてやはり、活字がたくさん並ぶという印象を新たにした。

・めっちゃ流行ってた。そして、いまも変わらず流行ってるのは知っている。
・熱狂的ファンがいてた。そして、いまも変わらずいてるのも知っている。
・老若を問わず流行っている。
・洋の東西を問わず(海外でも)流行っている。
・ボストンのアニメイベントの、簡易日本語講座みたいなところで、客席にいるロマンスグレーのいい年した紳士が「ワタシノスキナアニメハエヴァンゲリオンデス」とたどたどしく答えていたので、海外でも、老若を問わず、流行っている。”海外”だけでなく、”老若”だけでなく、”海外において老若を問わず”というのはとてつもないことだと思う。しかも、キリスト教信者であろう人が、キリストの弟子の名前の敵と戦うアニメを、だよ。しかも、英語の”EVANGELION”としての発音じゃなくて、日本語の「えばんげりおん」の発音だったもの。
・この作品があるから、「日本のアニメは欧米のおこちゃま向けカトゥーンとはちがう」という論調がいとも簡単に成り立つ。←そんな様子は100万回と見聞きした。
・海外の、日本関係資料を持つ図書館で、これ関係の本・DVDの所蔵有無を、ひとつの基準にしてしまっていいだろうな、と思った時期があった。但し、あまりにも随所にあるのでその基準は挫折気味。
・もはや、「エヴァンゲリオンが好きです」という海外の人に会っても、「寿司が好き」レベルと差はないように思う。それくらいの、古典度と普及度。

・これの前と後とでは、日本アニメの歴史は明らかに違うだろうな、ということは理解している。作品自体はいっさい知らなくとも、そのくらいの理解はできるものである。
・残酷で、見たあとへこむ、と聞いた。ので、一段と見る気がしないでいる。「青い花」のほうがいい。

 こんな理解。
 さすが超流行作品だけあって、周辺的理解はそれなりにあると思われるが、作品そのものについてはからっきしである。

 てか、ググって何かしら読んでも、わかるようで、ほんとの理解なんだかどうか、「ある程度知ってる人が読んだら、わかる」感じであるという点では、図書館の利用案内やOPACヘルプと大差ないじゃないか。

 そう、”わかる”説明というのは、大事。
 というわけで、誰か俺様がわかるように説明してみろよ。(←居丈高)

posted by egamiday3 at 11:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ぐうたらの日

 今日は、スタバに行って、ジュンク堂に行って、スーパーでごはん買って、食べて、ニコニコ動画を見て、録画してたドラマを見て、ちょっとだけ勉強して、ちょっとだけ本を読んで、1日が終わりました。
 こういうあまりに無為すぎる1日の過ごし方をしないように、気をつけないといけないと思いました。マジで。ちゃんとしよう。

 9月に某国へ逃亡するので、その準備もしていました。これに意外と時間かかったんだ。


posted by egamiday3 at 00:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月09日

機関リポジトリに自著論文を登録する、を経験してみる: 役者揃い編


機関リポジトリに自著論文を登録する、を経験してみる: 差異&CiNiiチェック編
http://egamiday3.seesaa.net/article/122773485.html

 の続きですよ。

 ていうか、前回以降、後輩の人から教えてもらって学んだこと。
 冊子からスキャンして作ったPDFでも、OCRでテキストデータが付くんだって!
 すごい!
 いまどきの技術はそんなことになっとったのですか!

 え、知らなかったの私だけですか!?(笑)

 ああ〜、なんかみんな髪振り乱したかのように「透明テキスト」って叫んでたのは、このことだったのか(笑)。いまやっとわかったよ。
 やっぱ、知らない人からの”情報”より、知ってる人からの”教え”のほうがすぅっと身体に落ちるよ。

 100%じゃないらしいけど、まあ、所詮昨今のネット検索なんて○○の○○○○なので、OCRが100%じゃないことくらい誤差に過ぎぬ。

 ていうか、↓ここ読んだけど
 http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/kurir/
 そんなん書いてあったのかな。もうみんな知ってんのかな。
 そこをイチオシにしたら、文系の先生なんかイチコロだと思うけどな。

 ま、ともかく、続きですよ。

 (6)
 江上敏哲. イタリアの日本資料図書館における活動・実態調査報告. 大学図書館研究. 2006, 77, p.60-71.
 CiNii:http://ci.nii.ac.jp/naid/40007415988

 このときのメールのやりとりを確認すると、4校までやって、その4校目で、「こことここの間に半角スペースを加えてください。それだけなんで、もう再送付はいらないです」で終わってる。そのため、手元PDFはその半角スペースがない状態なんだけど、まあこの程度の差異は妥協するしかないか、所詮ネットの(ry
 それよりも思い出したのが、このときの校正がさんざんで、初校で指示した訂正箇所が、2校では修正されていたのに、3校目を見たら初回訂正分が全部元に戻ってたという涙目の中、ほうほうのていで4校まで行った記憶があるよ。という、なんかいずれにしろ、ほんまにちゃんと書けてるのだろうかというもろもろの疑わしさ含みな回だった。
 ただ、この子はページ付けが冊子と同じになってくれている。ページ付けが正しいファイルもあれば、ぜんぜんちがうファイルもあるという、世界。やだな。

 (7)
 江上敏哲. 海外図書館を訪問する人のために:どう準備し,実践するか. 大学図書館問題研究会誌. 2005, 28, p.15-26.
 CiNii:http://ci.nii.ac.jp/naid/40006801080

 このへんになってくると。
 校正が郵送&メール指示だったよ。
 なので手元にPDFなんぞなし。Wordの提出原稿はあるけども、そんな舞台裏的なものより冊子スキャンを。

 (8)
 江上敏哲. 欧州の日本資料図書館における活動・実態調査報告:日本資料・情報の管理・提供・入手. 大学図書館研究. 2005, 73, p.45-56.
 CiNii:http://ci.nii.ac.jp/naid/110004621006

 これはPDF校正で、3校目に「訂正なしです」で終わってる。但し、やっぱりページ付けはちゃんと付いてない。
 なぜそうこだわるかって?
 、。の位置まで気にしながらお腹痛めて書き上げた我が子が、ないがしろに扱われようとしてるのを見て、生理的な嫌悪感を抱くのなんか当たり前じゃないか。まあ、そのことと、それをどこでどう妥協するかとは別なんだけど。

 (9)
 江上敏哲. 主に女性研究者の結婚に伴う改姓・旧姓と目録・書誌・データベース類について. 大図研論文集. 2002, 24, p.1-22.
 CiNii:http://ci.nii.ac.jp/naid/40005926870

 時代を感じる内容。いまや旧姓使用当たり前になってきてるからなあ。そして、平均初婚年齢丸1歳くらい上がっとるらしいからなあ。(←おおむねうちらの世代のせい)
 これも校正がたぶん郵送、そして指示はFAX、だから、もはやどこをどう校正したのかもわかってないという。冊子スキャンで。

 その他ですが、あちこちにいろいろと短文を寄稿してて、しかもCiNiiさんには載ってないけど「大学の図書館」さんなんかまだもっともっとあるはず、なんだけども、まあそれらはみな”エッセイ”、てか、いまのblog記事とたいしてかわんない感じなので、今回は対象としないよ。てか、「大学の図書館」(大学図書館問題研究会)なんか、とっとと全号ネットでオープンにしちゃえばいいのにどうしたんだろう、と、?が漂うよ。

 以上、(3)がパスなので、役者は8名。

posted by egamiday3 at 22:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日の、ジェネレーションギャップをおそれる!シリーズ

 Wordとかの「上書き保存」のアイコンを見て。

 「・・・これ何?」

 っていう世代もそろそろちょっとづつ出てくるにちがいないよ。

 
posted by egamiday3 at 20:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月07日

星に願いを

 七夕です。

 星に願いがあるとするなら。

「おおむね自力でやっていきますんで、ヘタな邪魔とか入らんようにお願いします。」


 
posted by egamiday3 at 20:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月04日

機関リポジトリに自著論文を登録する、を経験してみる: 差異&CiNiiチェック編


 ハーバード日記のリテラシーネタが記事になりましたよ、っと。

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江上敏哲.アメリカの大学図書館における情報リテラシー教育活動〜ハーバード大学等の事例から〜.情報の科学と技術.2009,vol.59,no.7,p.334-340.

 1. はじめに
 2. ハーバード大学
 2.1 概要
 2.2 Lamont LibraryのFreshman Open House 
 2.3 GSAS Orientation
 2.4 その他の実践例 
 3. UMass Amherstの文献探索講義 
 4. 日米間に違いはあるか
 4.1 課題・困難に違いはない
 4.2 web・デジタルメディアの活用姿勢は大きく異なる
 4.3 個人対個人のコミュニケーションの場となる

 抄録
 筆者は2007年3月から1年間,研修としてハーバード大学イェンチン図書館に滞在した。研修期間中に見聞したハーバード大学,マサチューセッツ州立大学アマースト校,その他のアメリカの大学図書館におけるオリエンテーションや講義をもとに,情報リテラシー教育活動の事例について報告する。また,日米間に違いがあるかどうかについて考察する。日米とも同様の課題を抱えていること。その一方で,web技術やデジタルメディアの活用,コミュニケーションの形成の仕方に違いがあること,等。
 キーワード: 情報リテラシー教育活動,ハーバード大学,マサチューセッツ州立大学アマースト校

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 ひと段落したところで、さらに次の依頼が来たりして、なかなかに、過去の遺産で食い続けてる感じが、喜ぶべきなのか、喜んでていいのか、ふわふわな感じ。

 あと、この誌からは抜刷をもらえなくて(有料)、最終稿をPDFでだけもらってて、なんか、誰や彼やに抜刷を贈れないという、もうひとつのふわふわ感。

 そんな、ふわふわな感じの中、えーと、なんか忘れちゃってるような気がするという、もやもやな感じがあるのですけど。

 ・・・・・・・・・PDF?。

 機関リポジトリに自著論文を登録する、を経験してみる:まだかなり手前編
 http://egamiday3.seesaa.net/article/104585970.html

 わーすれとったあぁーっ!
 まったく何の手もつけず、1年ほったらかしとったー(笑)。

 というわけで、そろそろと再開。

 ちなみに前もって語っておくと、この企画は「お客の立場として、リポジトリ登録の一連を経験する」という感じのやつです。
 なので、どの雑誌では著作権扱いがどうか、とか、自分がお客だったらめんどくさいの一言で完全無視なので何も出てこない、という乱暴さ加減はご勘弁。

 1年前までの経緯。
 ・京大さんに登録する資格があるかと、その方法を確かめる。
 →あらためて説明ページ(http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/kurir/deposit.html)を確認すると、登録用紙が若干、ほんの若干、変わってたのでダウンロードする。
 ・CiNiiさんで過去の自分の業績を確認。
 →ていうか、この1年で数篇増えてるので、リストアップし直し。

 次のステップは。
 ・論文の手元にあるファイルを集めて、それが、完成版とどれだけ異なる版なのかのチェック
 これをひとつひとつやってみますよ。
 まず直近から。

 (1)
 江上敏哲.アメリカの大学図書館における情報リテラシー教育活動〜ハーバード大学等の事例から〜.情報の科学と技術.2009,vol.59,no.7,p.334-340.
 CiNii:まだ載ってないか。 

 これは出版後に送られてきた抜刷代わりとあって、完成版といっさいの違いがない(と信じている)し、あまつさえページ付けもちゃんとなってくれておる。ありがたい!優等生!
 (余談。極々個人的には、ページ付けが冊子とちがうリポジトリ版PDFは○○だと思う。○○○○と思う。てか、それが原因でILL依頼しなおすお客もちょくちょくいはるし、いますよそりゃ、”うち”のようなところには。でもまあ、ネットに上がってる出版物の代替ファイル自体所詮○○なので、たぶん自分も、どんどん気にしない方向になってくなあ)

 (2)
江上敏哲. 長期・滞在型海外研修の実際 : ハーバード大学イェンチン図書館実地研修. 大学図書館研究. 2008, 84, p.?-?.
 CiNii:まだ載ってない!

 え、CiNiiにまだ載ってないって何? 83は載ってて、85も載ってて、84は載ってない、っていうのはえっと、これはいじめですか、いじめですよね? おめぇの書誌ねぇから!ですよね?(TT)
 で、PDFが手元にあるにはあるけど、最後のやつで3校目、でも、ページ付けは1から始まってる仮のもの。冊子体は自宅にはあるけど、いまスタバなので(自習!(笑))わかんない。そして、CiNiiに書誌はない。ほらご覧なさいな、ページ付けわかんないじゃん。ググって、自分のblogやよそさんのページに参考文献として上がってるところからひっぱってくるけど、それで済ますのってなんかチガうと思うけどな。
 幸いなことに、内容的には「3校です」→「修正ないです」というやりとりで終わってるので、信用していいはず。あちらさんがレイアウトとかいじってない限りは。というか、↑こういうふうにして最終版PDFを手元に残すことを目的とする意味で、今後最終校正は「修正ないです」で終われるように努力したほうがいいかもしんない、と思うたです。

 (3)
 江上敏哲.ネットとリアルの境界線--「ハーバード日記」の向こう側.大学の図書館.2008,vol.27,no.11,p.210-212.
 CiNii:http://ci.nii.ac.jp/naid/40016381340

 ・・・・・・ごめんなさい、これだいぶぼんやり書いたので、自分の中の評価が固まるまでちょっとパス(笑)。

 (4)
 江上敏哲.UMass Amherst のラーニングコモンズ.大学の図書館.2008,vol.27,no.8,p.164-165.
 CiNii:載ってない!なんで、boo!

 ていうか大学の図書館さんはいつも校正がないので、こっちが出した未成形のファイルしかないよ。
 でも短文ではあるので、全文検索の対象にならなくてもまあ気にしなくていいかも、メタデータでカバーしたらいいし。というんで、冊子からスキャンしてPDFファイルを作るよ(あとで)。

 (5)
 江上敏哲.ハーバード大学における蔵書デジタル化支援体制--韓国古典籍デジタル化事業を中心に.漢字文献情報処理研究.2008,9,p.83-88.
 CiNii:http://ci.nii.ac.jp/naid/40016387596

 過去のメールをやりとりしてたのを確認すると、「念校」というのをPDFで受け取っていたのですよ。校正も終わり、レイアウトも何もすべてひととおり済ませた上での、最終こうなります、確認してください、というPDF。おおっ、ありがたいじゃないですか、これもまるっと信頼してそのまま上げられる・・・。
 と思ってたら、あれ、うわ!よく見たらヘッダ部分の”特集名”が、冊子のとぜんぜんちがうじゃないですか!!!
 念校PDF:(仮題)画像によるデジタルアーカイブ
 冊子:文献画像のデジタル化をめぐる諸問題
 これはヤバイ! (註:国文出なので、↑こんなのは”完全に違う”と判断)
 こまったな、これはテキストデータが込みの状態で上げてほしいしな。どうしよう、どうなるのかなこういうとき。あかん、めっちゃ泣きそう。もうこの企画全体やめたろうかなていうくらい、orz。保留。

 あかん、この差異確認といいCiNii確認といい、ダメージが大きすぎる。
 バッテリーも減ってきたので続きはまた今度にします。

 最後についでなので、常々思ってたんだけど誰にどう言ったらいいのかわかんないので、とりあえずここにメモ。
 CiNiiさんの書誌レコードで、ページ付けのところが、「−」でつながってるものと「〜」でつながってるものとあるじゃないですか。それを単純にテキストとしてコピペしようとすると、「〜」が、どの文字コードの「〜」を使うてはるのかわかんないけど、変な「〜」になってしまって、引用とかILLのときとかに修正しなきゃいけなくて、軽くイラッとする、ていうのはこの業界あるあるに入らないすかね?


posted by egamiday3 at 12:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月02日

「図書館で自習」の話題を、週末ごとにスタバのソファを占領してる我が輩が

 まぜっかえしに来ましたよ、っと。

 こんなベタなテーマでいまだにそんな盛り上がれるということは、すなわち、一定の答えなんか出るべくもない問題、ということなんだろうな。そういう問題に対しては、いろんな立場、いろんな視点からのヴァラエティな意見をわさわさ出し尽くして、そん中からそれぞれが妥当と思うものを選んで帰ったらいいよ、と思うです。
 こまけぇこたぁいいんだよ。やりたいことやったらいいよ、それでどうなったかをblogなり論文なりでおもしろおかしくレポートしたらいいよ。

 まあ、公共図書館に行く回数、2-3回未満/年、のあたしがゆっても説得力なんかないんですけども。

 以下、なんとなく思いついたのの、メモ。

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 スタバ利用者の立場から。

 そりゃ、ながっちりで、パソコンぱしゃぱしゃ打ってますよね。あの論文も、このblogもみんなスタバで産まれたし、ハーバードの日記もblogもあちらのカフェで書いたものですからねほとんど。
 けどそれも、朝11時くらいまではいいけど、12時過ぎて、1時近くになると、もうそんなことせずにおいとまするですよ。
 混み出すから。混んできて、そろそろお邪魔になるかもしれないな、ていう感じになったら、出ますよ。そりゃ出ます。当然でしょう。
 それが、大人の振る舞いというもんじゃないですか。
 周囲の有り様を見て、居座っててもだいじょうぶそうだな、という空き具合だったら、何をしてようと居たらいい、自習でもなんでもしたらいい。そうじゃなくて、あ、これはとてもじゃないけど、自分邪魔しとるな、となったら、出るべき。
 で、小・中・高のガキどもというのはそういう大人の分別を持ってない、ケータイを持ったサルの集まりなわけだから、自重しろガキども、ていう指導をするのが大人の役割なんだろうな、という考え方は、私はそんな失礼なこと口が裂けても言わないけども(笑)、まあ、あるんじゃないかなと思うですよ。へいこらとニーズに応える、ていうんでも、お役所仕事でシャットダウン、ていうんでもなくて。

 いるですよ。そういうのはスタバにもね。
 そしたらバリスタの人がそっと寄ってきて、こしょこしょと何か言うと、お子様は不承不承、片付けて席を立って、空いた席に待ちくたびれたカップルが楽しげに座ったりするですよ。
 コーヒー飲み終えてない客にまでは、そんなことはしないだろうけども。

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 ていうかさ、そもそも”自習”って何よ?と思う。 
 奴らは何をしてるの?
 何をしてるから図書館利用者として純粋に受け入れてもらえなさがちなの?

 図書館の本を使わずに勉強してるからでしょ。
 図書館の本を使わずに勉強と言うことは、教科書とか、ドリルとか、受験参考書とかを持ち込んで問題を解くなりテスト勉強をするなりしてるわけでしょ。
 なぜ奴らは、図書館の本を使って調べ学習をするとか、そういう、教科書・ドリル・受験参考書を使わない種類の、自力で問題解決とか調査研究とか創作とかいう勉強をしてないの?
 そういう種類の教育を受けてないんでしょ。そういう種類の宿題を出されてないんでしょ。

 教育のあり方として、そもそもどうなんだ、と。
 あの子らに、問題集をカリカリ解かすような勉強ばかりさせといていいのか、と。
 ちがうよ、もっと他にさせることあるよ。
 へいこらとニーズに応える、ていうんでも、お役所仕事でシャットダウン、ていうんでもなくて。
 という考え方。

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 ラーニング・コモンズとはどうちがうんだろう、という疑問。

 ラーニング・コモンズは、(図書館が学生に)来てほしい。居ててほしい。
 自習禁止は、(図書館が子供に)来てほしくない。居ててほしくない。

 ああ、じゃあもうそれでいいじゃん。
 来てほしい人には、来て!って言うし、来てほしくない人には、来るな!ていう。

 おしまい。

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 本来的な使い方をしないでも別にいい、と思われてるんでしょ。
 それってもう、ただたんにナメられてるだけじゃん。
 という考え方。

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 なにそれ、人間の居場所とスペースの有無の問題でしょ。
 そんなもん、場所場所でちがうのあたりまえなんだから、それぞれで考えなきゃしょうがないじゃん。
 という、物理。(←物理でもないな(笑))

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 なぜ席が空いてるんだ、という疑問。
 なぜ、図書館の本を使わない勉強をする子供が、そこに居ることができるのか。

 図書館の本を使う利用者が、奴らを凌駕するほどには居ないから、でしょう。

 じゃあ、奴らを凌駕するくらいに、図書館の本を使う利用者を増やす何かしらをやるべきなんだろうな。てか、もともとそっから始めないとな。
 へいこらとニーズに応える、ていうんでも、お役所仕事でシャットダウン、ていうんでもなくて。
 という考え方。

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 とはいえ。
 ほんとに、図書館から自習をなくしちゃって、大丈夫なのか?と。
 一部の本好きの子を除き、小・中・高の子供らの意識として、「図書館=自習する場所」というイメージはとてつもなくでかいんじゃないのか、現実問題として、というのは、世の小説・ドラマ・アニメ・マンガを見てればイヤというほどよくわかる。
 その子らの意識の中から、「図書館=自習する場所」を無くしてしまったら、彼等世代が持つ図書館の存在感は、大暴落ですよ。「自習」で保ってた存在感が、「なにそれ?」ですよ。そんな子らが大学に入ったって、図書館なんか来てくれませんよ。
 子供らの意識の中に「図書館」を存在させ続けるために、「自習」のイメージを絶やさない、という考え方。
 これはもはや、それが正しいか正しくないかとか、ニーズに合ってるか合ってないかとかいう問題ではない。ひとえに、図書館側が得をするか損をするか、そこだけ。損をしちゃならん、ていうだけ。頼むから、我々の存在に気付いて、ミー!ていう。
 だいぶ卑屈だな、これ(笑)。

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 あと、図書館で自習、よりも、スタバで英会話授業、のほうをなんとかしてほしい、という訴え。


posted by egamiday3 at 21:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京大図書系勉強会(仮称)が10年続いた要因を考えてみた。

 
 京都大学の若手(笑)図書系職員が月1回ペースでやってる勉強会というのがあるんですよ。

 図書系職員勉強会(仮称)ホームページ
 http://kulibrarians.hp.infoseek.co.jp/home.html 

 その存在はそんなに知られてはいないが、行ってみれば確かにやってるという、某タモリ倶楽部のような。
 ↑見ていただいたらわかるとおり、いろんなことやってますわ。勉強・拝聴の場でもあり、情報交換・ディスカッションの場でもあり、プレゼン演習の場でもあり、そして何より懇親の場であるという。

 それが、始まったのが1999年9月と言いますから、もう10年ですよ。あっというま、ほんとに。第1回から参加してる我が輩にしてみれば、ほんとにあっというまですよ。もうとっくに若手じゃなくなったけど自分(笑)。最年少の新人さんが小学生だか中学生だかの頃からやってるという。
 開始1-2年目くらいから「よう続いてるね、この会ね」というような話題はちょくちょく出てんですけど、出続けてて、10年。
 こわいね。立ち上げた某さん・某さん・某さんの先見の明たるや半端じゃなかったよねこれは、ていう。上のwebサイトなんか、いまとなっては一大アーカイブになりかねない勢いですよ。

 よそさんにもしょっちゅう言われますけどね、よう続いてますねとか、どうやったら続くんですか、どこそこはしばらくしたら自然消滅しちゃいましたよ、とか。

 で。
 最近LIFOさんですとか、東北ではMULUさんというのを立ち上げます宣言がARGカフェで出たですとか、あちこちで自己研鑽的勉強会の盛り上がりがあるっぽいので、それに触発される感じで、いったいうちの勉強会というのは何が理由で10年も続いたんだろう、当事者にも不思議でならん、というその理由をちょっと考えてまとめてみよう、という気になったのですよ。

 あらかじめ断っておきますけども、完全に”結果論”でしかないですからね。そういうものとしてとらえてください。

 さて、その理由。

 まず、とてつもなく身も蓋もないことを言ってしまうと、「京大さんは人数が多いから」ですよ。
 いや、これ言ったらもう終わり。終〜了〜、カンカンカーンなんですけど、どうしようもない真実。母数としての図書系職員全体の人数が多いから、という理由につきますよね。
 それはただたんに数の強みという意味だけではなくて、人数が多いと↓こういうことになるですよ。

 「図書系職員の人数が多い」
→「同じ年齢層の図書系職員が、一定人数いる」
→「毎回全員が出席しなくていい」
→「1人あたりの負担(準備的/心理的)が少ない」
→「気軽に手ぶらで参加できる」
+「”担当制””ノルマ制”を採らずに済む」

 同じ年齢層の、という点はまずかなり重要。勉強の場に上下関係はジャマでしかない。言いたいことが言えてディスカッションが成立すること。それは大前提ですよ。
 で、「毎回全員が出席しなくていい」ことの心理的利点はとてつもなく大きいですよね。まあ1回の会には最低でも5人はせめて来てくれないと、会として盛り上がらない、と仮定すると、来そうな若手が5人規模の図書館さんだとその5人は毎回参加しなきゃ、ていうことになる。次第に来たり来なかったり、で、ぼんやりとフェードアウトしがち。これが15人いれば、全員が3回に1回程度しか出ないというちゃらんぽらんやさんであったとしても、毎回一定程度の人数が集まって、そこそこ成り立ってくれる。30人いれば、毎回10人来るってことですから、御の字でしょう。
 毎回来る常連もいるけども、行きたいときだけ行ってもいいし、興味のあるテーマ・発表者の時だけ1年2年ぶりくらいにふらりと来ることもある。
 それぞれの温度差をぐるりと受け入れる感じ。「人数が多い」というのはそういうこと。
 その結果として、「”担当制””ノルマ制”を採用しなくていい」という、この手の会が続かなくなる理由ランキングがDHC並みに第1位の要因から、上手に逃れられる、と。この担当制・ノルマ制てやつは悩みどころで、これをしないと続かないけど、これをしちゃうと続かない、という地獄の壁に誰しもぶつかるものだと思うですよ。それをしなくて済むというのは、とてつもない恩恵。

 しかも、「毎回全員が出席しなくていい」ということは、毎回微妙に出席者が変わる、結果、「メンツが回転して、新鮮」というのもひとつの利点だと思うですよ。5人規模の図書館さんで5人が毎回出席したら、内容テーマを変えてみようとも、ディスカッションの落ち着く流れは結局同じ、繰り言に終始しかねない、というのに比べると、決まった常連が決まってわーわーゆってるとは言え、多少なりともメンツに毎回変化が生じているというのは、意外なところで効いてるんじゃないかと思うんですね。
 新鮮さという意味では、図書系職員の人数が多い=部局図書室が多い→「様々の異なる環境・現状からメンバーが集まる」→ディスカッションが新鮮、というのもまたいい効果なのかもしんないですね。係が違うとはいえ、同じフロアで毎日同じように仕事してる者同士が、ではなく、まったく異なる分野や環境下で異なる空気感の中で仕事してる者同士が、月1集まって勉強会、これイコール非日常、イコール刺激、ということではなかろうかと。

 さて、メンツが回転して新鮮、ということに関連して。図書系職員の人数が多い、ということが幸いしてのもうひとつの効用というのが、「毎年(年を置かずして)、新人=後輩が入ってくる」。これ重要。この手の会には絶対に重要。定期的に新しいメンバーが入ってくるということが、集団の新鮮さを保つということにとってどれほど重要かと。しかも、入ってくるのが”後輩”というのがいいじゃないですか。先輩を育てるのは後輩という存在、ですもの。あとちんまい都合良さでいうと、また同じようなネタをやるけど、新人さんのためだしいいよね、つって、テーマを使い回せるとか(笑)。

 というわけで、そもそもの母数としての職員数が多い、というのが意外にあちこちで幸いしてるという気はするですよ。
 でもじゃあそれを言ったら、たとえば京大さんのようなでっかいところじゃなくても、複数の大学なり図書館なりのメンバーが集まったような勉強会なら、同じなのか?とおっしゃられるかもしれない。
 うん、ですからね。京都府の府立の図書館の人たちによる勉強会というのもあるんですけど、あれも結構に続いてはるですよ、確か。そしてLIFOさん。傍で見てるだけでしかないですけど、たぶんだいぶ長続きしはるんちゃうかなあ、となんとなく思うですよ。
 ただ、京大さんだと「学内で開催できる」=わざわざがんばって集合するというハードルがない、というのもまた利点ではありますよね。

 う〜、やっぱりこてんぱんな”結果論”だなあ、すみませんね。

 さて、人数の多さばかり自慢げにゆってるのもどうかと思うので、別の理由も考えようかと思うんだけど、えーと、これどうかなあ、こじつけのような気もするなあ、まあいいか、これまでのもだいぶこじつけだし(笑)。
 じつは「会の名称が決まってない」んですよね。奇跡ですよ、これ。10年間ずっと(仮称)のままで、続いちゃってるという。通称”勉強会”。これで我々のうちでは通るんだけど、たまによその人を招いてしゃべってもらうとかいうときに「会の名前はなんていうんですか?」と問われて、気まずくしどろもどろになっちゃうとか。あと、パワポの表紙画面に書いてある会の名称が人によってちがうとか。ありえへん。これで10年ずっと来てたとか、どんだけゆるいんだ、あたしら(笑)。
 名称が決まらないから、というわけでもなくて、まあ体質であるところが大きいんだろうと思うんだけど、例えば、”勉強会”ていう通称のままだと”京都大学”ていう看板が名称として先行しない、おかげで、よその大学やよその図書館の人もたくさん、しょっちゅう来てくれはるんですね。府立の方とか。NDLの某さんとかずっと来てくれてはったし。あと、異動出向したメンバーがそこの人を連れて来るとか。これがもし「名称:京大なんとか勉強会」だったら、果たして京大以外のみなさんがここまで日常的に参加してくれはったかどうかしら、と思うと、「名前は、え〜っと、勉強会(仮称)」であったことが意外に幸いしてるような気がしますよ。

 それは”京都大学”名であるかないかの問題だけではなく。名称すら決まってないような会だから、誰がメンバーかメンバーでないかなんぞはっきりするわけがない。線引きがぜんぜんないから、誰が来てもOKだし、来なくてもどうってことがない。囲みもしないし拒みもしない。もはやパブリックスペース。
 それは取り扱う内容だってそう。何をするとも決めてない。そのかわり、何をやらないとかいうふうに阻まれることも、たぶんない。図書系の勉強会、に関わりそうであれば、何が行なわれようとも成立してしまう。もいっかい見てください↓ヘッドライン。何やりたいんだか、ていうくらいの(笑)。
 http://kulibrarians.hp.infoseek.co.jp/home.html 

 さて、ここへ来て思うに、どうやらこの”会”はもはや、グループとか集団とかいう存在ではなくなってしまっている。言うなれば、京大(等)若手(的)図書(系)職員にとってのインフラであり、プラットフォームなんじゃなかろうか、と。
 それは、我々彼等彼女等の、学びとりたい、話を聞きたい、発表したい、という想いと、その様々な形でのあらわれを、奇跡的なくらいドでかい寛容さで引き受けてくれるという、ひとつの仕組み
 誰々が出張で○○に行って誰それの話を聞いてきたんだって。へー、いいなあ、どんな話だったか聞きたいね。→じゃあそれ、勉強会で報告してもらおうよ。
 どこどこの国のライブラリアンの人が来るんだって。誰それさんと知り合いになれていろいろ話聞けたよ。→じゃあ、勉強会で話聞こうよ。
 なんかちょっとこういうことで困ってる(ry→じゃあ(ry

 「じゃあそれ、勉強会でやろうよ」と2言目には言えて、それが実現できることの、贅沢さ。

 なので、ここでゆってることが180度くらいがらっと変わっちゃうあれなんですけども、ここまで来ちゃったら、もはや無理に続けなくたって大丈夫なんじゃなかろうか、とも思うです。
 もちろん、”続いた”ことに価値はあるし、そのインフラなりプラットフォームがすでに”ある”ことはとてつもなく贅沢なことだと思うんだけど、なんだろう、だからといって「”続ける”ことに意義がある」というようなありきたりな有り様ではすでになくなってる気がする。”続け続ける”ことなく、”あり続ける”だけでもはや大丈夫な存在、ていう。
 例えばしばらく何も企画とかなくてぼーっとなってたとしても、不意に、そういえば誰々がどこそこに行ったらしいよ、ってなったらもう自然に、→じゃあそれ勉強会で、っていう流れになるじゃん。それで、やりますよぉ〜、て宣伝したら、ああ、やるんだね勉強会、っつって、メンバーともメンバーじゃないとも決まってない人たちが、どこからともなく興味にひかれてやってきて、ある日ある時ある部屋にあつまって、車座になって話を聞くなりディスカッションするなりする、ていう。

 ・・・・・・↑え、涅槃図ですかこれ(笑)。

 まあ、定期的にメンテナンスして運転させるということがなければイザというときに動かないので、まったく放っておいていいということはないんでしょうけれども。

 というわけで、えーと、なんだっけ、そう、10年続いた理由でしたね。忘れてた。
 続いたというより、すでにインフラ化してる、ということ。
 あと、ふところの大きさ。
 来てもいいし来なくてもいいし、何をしてもいいし、しなくてもいいし、でもするとなったら難なくそれが成立する、という有り様。
 それもこれも、そもそもの人数が多かったおかげ。
 そんな感じですかね。

 ・・・うん、ぜんっぜんよそさんの参考にならないですね、これではね。

 でも、インフラは便利ですよ、ほんとに。”想い”or”情報”が、いとも簡単に”表現”になって、”共有”できますからね。

 ああ、やばい、同輩なり先輩なりに、てめー勝手なこと書き散らしやがって、そのぶんには捨て置かんぞ、って、ぼっこぼこにされるかもしれん。ごめんなさいごめんなさい。


posted by egamiday3 at 20:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京大総長カレー10万食突破がどうのと浮かれている日本人へのメッセージ

京大「総長カレー」10万食を突破 前総長渾身の味付け
http://www.asahi.com/national/update/0624/OSK200906240085.html

 大学が商売をすることがどうのこうのとか、前総長なり事務なりがどうのこうのとか、そういうことはまあいまさら言うまいとして。

 ただ、このことだけは、声を大にして、全国の皆さんに訴えたい。

 京大近隣には、こんなものよりよっぽど美味いカレーを食わせてくれる店が、山のようにあります
 それこそ、ここでいちいちリストアップする手間暇もばかばかしいくらいに、数限りなくあります。ググれ。ククレ。

 一時の話題という意味でなければ、わざわざ買わんでもよいのです。

 あと、民業圧迫。

posted by egamiday3 at 07:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする