2010年02月25日

ほぼゼロから、独学独習で、1日だけスキーをやってみた。(4)解決編

 自己練習として短い距離を繰り返し滑るうち、早くも次の課題、すなわち、リフトに乗って上の方から滑り降りるということをやってみようか?という気になったのですが。

 ここで何の気なしに腕時計を確認した私は、心の底から驚愕しました。
 ・・・まだ1時間そこそこしか経っていない!?

 スキーというスポーツがレジャーとして人気を博していることの理由が、なんとなく分かったような気がします。
 常々、不思議に思ってはいたのです、見た目のかっこよさや滑降の爽快感があるにせよ、用具はごつくて運びづらいし、スキー場までの移動時間もかかる、季節も限られているようなこのスキーというものが、バブル期から遠く離れた現在にあっても、なぜこれだけ人々に人気なのか。
 もしかしたら、初心者がそこそこ程度習得するのに、そこまで時間がかからずに済む、ということなのかもしれません。私のように、運動神経も皆無ならスポーツへの興味も皆無の、こんなレジャーと対局の位置でこれまで慎ましく暮らしてきたような40歳手前の人間ですら、16年前に些少の経験があったとは言え、1時間そこそこでそれなりにゲレンデを右行左行してしまっているのです。お若くて人並みに運動神経のある方々なら、あっというまに習得し、我が身もスキー板も自在にコントロールしつつ、ゲレンデを滑降して行かれるにちがいありません。
 時間をかけることなく、自力で操作・コントロールができるようになる。なるほど、人気が出るか出ないかの分かれ目はそういったところにあるかと思われます。
 そう言った意味では、スキーも図書館のOPACもポイントはいっしょなのだなあ、と。

 そんなことをしみじみと考えつつ、単品でリフト券を買って、坂の上の雪をつかみに行こう、と勇んで出かけたわけなのですが。

 さて、ここから先につきましては、この記事で語るようなことはもうほとんどありません。
 ほぼゼロから、独学独習で、1日だけスキーをやってみるという問題解決が、終了したからです。

 これ以降、問題解決のために右往左往した、ということは特に起こっていません。ただ、リフトに乗り、ゲレンデの上の方からゆっくり滑り降り、途中脇の方で立ち止まって景色を楽しみ、地図に従って脇道に入り、林道を道なりに滑走し、隣のゲレンデまで迷い込み、そのゲレンデの中腹にある神社らしきものが雪に埋もれているのを探索し、さらに滑り降りたところで同行者たちからの電話連絡を受け、ゴンドラに乗ってトップオブザワールドに近いあたりまで昇りつめ、原田知世や織田裕司と見紛うような同行者たちと合流して、初級者レベルに設定されているゲレンデを、おっかなびっくりながらもなんとかついて行って、さらに長距離の林間コースを、自分なりの方法とスピードでゆるゆるとくだり、ふもとへ戻ってきたところで、この日のスキー体験を終えました、というだけの話です。
 それらはみな、独学独習を必要とするような大きな問題が、すでに解決済みとなった状態でのことです。想い出としてはこよなく楽しいひとときでしたが、今回の”ほぼゼロ企画”として特に記録するべきことは、ありませんでした。

 ただ、ひとつ覚えておくべきことを書いておくと、同じ初級者向けゲレンデでも上のほうはだいぶ難しいな、と。傾斜やコース自体は下のほうの初級ゲレンデとたいして変わりないように見えるのですが、雪面のでこぼこさ加減がまったくちがう。下のゲレンデは言うてもきれいにならされていたんだな、ということがよくわかります。傾斜がゆるくても雪面がでこぼこであるせいで、ちょっとスピードが出ただけでも身体全体ががたがたと揺れ、恐怖感の増し具合が尋常でなくなる。結果、へっぴり腰になってしまいがちだし、ずっとボーゲンで雪を削りながら降りる羽目になる。この新たな課題には、いつかまた取り組むこともあるかも知れません。

 もうひとつ、実際にやってみて気付いた意外なこと。
 3-4時間もやってると、ちょっと飽きてくる(笑)。
 あれほど感じ入っていた見事な雪景色も、うん、まあ、そろそろ。
 ということから言えば、連日朝から夕までがっつりというより、温泉や美術館や美味しいものなんかをちょいちょいはさみつつ、だらだら楽しむのもいいかも知れませんね。

 というわけで。
 結論:人は、ほぼゼロから、独学独習で、1日だけくらいだったら、スキーを楽しむことができる。
 私くらいの運動オンチが、少なくとも楽しめるくらいではあったのだから、一般の方はたぶんそれなりに。
 但し、忘れてましたが、上手な転び方というものはまだ習得していないので、怪我とかしないよう、充分に気をつけてね、ということで。



 あと、なんか慣れない文体で書き出しを始めちゃったせいで、ずっとしんどかった。

 
posted by egamiday3 at 07:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月24日

ほぼゼロから、独学独習で、1日だけスキーをやってみた。(3)ガリレオ編


 次の課題。
 16年のギャップを埋めるため、まったくの初歩の初歩から、前日座学したとおりのステップを踏みつつ、時間をかけて自己練習を積まなければなりません。

 ということで、まず、幼児・幼女連れの家族や、初心者とそのちょっと先輩とかのようなグループが、滑るともなくたむろしたり試し滑りをしたりしているような、平らに近い緩やかな斜面、という一角を探します。
 私が今からやろうとしているのは、同じ箇所にとどまってゆっくり時間をかけながら、スキー板の付け方から、脱ぎ方、歩き方、転び方、そういったことを学んでいこう、というものです。いきなりリフトなりゴンドラなりで上の方へあがるなんてことできるわけがないのは当然のことながら、同じ場所にもたもたととどまっていても平気なくらい平らな場所が必要だし、ふつーにスキーしている人の走行を邪魔せんような脇っちょのほうにいてなあかん、ということになります。幼児・幼女連れの家族や、先輩と後輩(しかも先輩が男子で後輩が女子のような)グループを目安に見渡せば、そういうのに適した場所というのが見つかるだろう、という算段で、ゲレンデのふもとにあたる一角、平らな部分、とてもゆるやかな斜面部分、ややゆるやかくらいな斜面部分がなだらかに連続しているエリアを見つけることができました。

 さて、前置きはここまで。
 いよいよ、スキー板の装着にかかります。

 スキー板を履いた途端、そのまま板が滑り出してこける、などというマンガのような目に遭わないよう、まずは板を置く場所と方向を見極めます。平地とは言え若干の傾斜はあるわけですから、まず雪面をじっくり観察してその傾斜がどっちからどっちへ向かっているかという、傾斜のラインを見つける。そして、2本のスキー板をその傾斜ラインと直角方向に並べる。
 まず左足から・・・・・・あ、はまらない、そうですね、靴底に付いた雪をカツカツと叩き落とすんだということもテキストに書いてありましたので、カツカツ、もう一回・・・。うん、手応えのあるプラスチック音とともに、確かにはまった感触がありました。右足を心持ち浮かせて、左足に体重をかけてみる・・・・・・大丈夫、勝手に滑り出す気配はない。片足だけスキーならまだ全然余裕ですが、問題はここからです。右足を・・・カツカツ・・・はめる、うっ、と一瞬ぐらつく感じになりはしましたが・・・、大丈夫、同じ場所にとどまったままでいられてる。

 スキー板履けたよ!

 念のため、この場で一度、はずす練習もしておくことにします。ストックの先でかかとのあのボタンを押すんだ、ということもテキストで学んでいましたので、カチャリ、カチャリ、と、うむ、やはり地に足の着いた感覚のほうが安心する。
 もう一度履いて、次はターンをやってみる、すなわち、同じ場所に立ったままで180度反対方向を向く、という課題です。左足をこう立てて、180度逆向きにそろえ・・・ぐっ、きついっ、身体の堅い私にとってこの姿勢はかなりやばいので、すばやく右足側を回転させて体勢を整える。あまりやりたくない動作ではありますが、まあ、これもなんとかクリアできたということにします。
 
 続いての取り組むべき課題は、ゆるやかな斜面をスキー板を履いたまま上方向へ歩いて昇る、という動き。テキストでは、スキー場ではリフト乗り場その他で何かにつけて多少は昇るということをしなきゃならんのだぜ、ということを教えてくださっていて、なるほど、それも道理だと納得し、早めに取り組んでおくことにします。
 まずはゆるやかな斜面になっている場所を探し、斜面のラインがどう流れているかを見極めて、それと直角になるように向き合います、こうすることで「斜めにあがってく」なんてややこしい動作が必要な事態になるのを防ごうという。
 さて、覚えてるかな、確か足を”ヴイの字”にするんですよね。・・・「Λ」、こう?
 と、みるみるうちに、左足が左後方へ、右足が右後方へ、てんでの方向に流されていこうとするので、あああああ、ちょっと待ってちょっと待ってちがうちがう、これは、降りるときのボーゲンなら進行方向向かって「Λ」こうだろうけど、上へ向かうときに「Λ」こうしちゃうとそりゃこうなりますって。
 えーと、ちがう、「V」こうですね。
 で、片足づつ前に出してみる。むう、なんかだいぶふらつく感じがする上に、前に出した足がずり落ちてきよる。そう、確か、足に体重をかけるときにスキー板のエッジ(両端)にかけるんだ、というようなことが書いてあったはず。・・・外側(=アウトサイド)? いや、ちがう、外側にかけると左足は左、右足は右に行きすぎて、またずり落ちてくる。そうではなくて、下にずり落ちるのを防ぐという意味では、内側(=インサイド)のエッジにかけるべきやな。
 というようなことを、足先の感触を手がかりにしながら、ちょっとづつちょっとづつ試していくと、どうやら正しい歩き方を探りあてられたらしく、きつくない斜面ならえっちらおっちらとのぼることができてきます。破滅的にずり落ちそうになる気配はありません。

 しばらく歩いたところで、じりじりと方向転換してその場に立ち止まり、一度来た道を振り返ってみます。ほんの4-5メートル程度ですが、ゆるやかな斜面です。
 ・・・滑り降りてみますか。
 4-5メートルという超短距離の斜面を用いて、いよいよ「滑り降りる」という練習に取り組もうというわけです。
 もっとも、このくらいまで雪を踏むことに慣れてくると、ドキドキ感というのはだいぶなくなってきていて、若干冷静に雪面を見下ろし、まず足をこう出して、このくらいの角度でそろえて、スピード出しても大丈夫ならすぼめてみよう、無理ならすぐにひろげよう、そして、あのあたりで横へ曲がるようにしてストップさせよう。そういうイメージトレーニング的なことを頭の中に描いていきます。そしてもうひとつ冷静に、周囲をじっくり見渡しながら、こっちへ流れ込んできそうなスキーヤーがいないかどうか、こっちからぶつかって迷惑かけそうな人がいないかどうか、そして、自分が制御できず滑り落ちていきそうになったらどのあたりでどうこけるべきか。
 イメージを描くのと、周囲の様子をうかがうのとを同時処理させながら、タイミングを見計らって、スキー板を下向きに移動させて。

 すうぅぅーーっと。
 ぴた。

 ・・・・・・た、たのしいっ!!!

 いやいや、ちょっと待て、楽しいのはまあいいとして、置いとこう、それよりもいまめちゃめちゃ重要な感触をつかんだような気がする。たったいま経験したそのことを復習しておくと、足。足のひらと、周辺部分を含む、靴底に該当する下半分。これ、めっちゃ大事なんだと思う、たぶん。地面の傾斜の具合、板の滑り具合や言うこと聴かなさ加減、雪の抵抗具合、スピードや、安定感や、ヤバさといった、外界のありとあらゆる情報がこの足のひらを通じてインプットされてくるんだということが、1回すうぅっと滑っただけでも理解できる。ここから届く情報量に比べたら、目や手からの情報なんか誤差程度でしかない。だから、スキーをしている間だけは、自分の目はこの足のひらにあるんだ、という意識で動いてあげたほうがいいんだろうな、と思います。
 しかも、そのインプットされた情報を脳で即座に処理・判断したうえで、アウトプットするのもまた、この足。もうあれだ、ここの出版流通に日○や○ーハンといった取次は居てないほうがよろしい。足と脳とで、いやもうはや足だけでダイレクトに、Amaz○nライクに取引しちゃってください。

 そんなことを考えながら、2度、3度、4度と、距離を少しづつ延ばしながら、スタート地点を上へ上へと上げていきながら、何度か滑り降りてみます。ゆっくりと、探り探り、味を噛みしめるかのように。右に左に何度もターンして、ほとんど平行走りのようになりながら、少しづつ。時に、平地を滑走する感じを試す。時に、スキー板をほぼ平行にさせてスピードをつけるということを試してみる。慣れてくると、大きな弧を描くという大胆な動きを試してみる。
 そうやって距離=走行経験を増やしていけばいくほど、なるほど、やはり足が大事なんだということがわかります。逆にいうと、目で足下の様子を追ってみたところで、その目からのインプットが瞬時の判断に役に立つかといえば、それはまずない。座学でお世話になったテキストにも「下を向いて足下ばかり見ていてはいけません、前を見ましょう」的なことが書いてありましたが、こうなってみてなるほどその意味が分かります。もちろんスキーが足で滑るものである以上、足下の様子というのは非常に気になるものではありますが、しかしそれは目で見るべきものではありませんでした。足下の様子は、足で”見る”べきものだったのです。

 もうひとつは、「へっぴり腰問題」。初心者でまだまだ恐怖心はぬぐえない立場なものですから、滑ってる途中でどうしても、いわゆる「へっぴり腰」という体勢になってしまいます。しまうのは仕方のないことだとしても、努めてこれは避けるべき、かのテキストにも「腰はちゃんとまっすぐに」とあった、というより、そもそも私のごくごく少ないスポーツ(やらされ)体験から言って、「へっぴり腰になるな!」と怒鳴られた経験のない種目なんか皆無なものですから、それはまあ、スキーという種目にあっても同じことなんだろうなあ、とすんなり理解できます。
 なので、ここでもまた勇気をふりしぼって、滑ってる間中、腰をしゃんと、背骨をぴんとまっすぐにした姿勢を保ってみる。
 そうすると、です。驚いたもので、滑るのに適した姿勢であるとかなんとかは正直よく分かんないです、そんなことよりも、むしろ、腰・背中をまっすぐに伸ばして滑っているときのほうが、単純にたのしい、断然たのしい、ということに気づくのです。

 このへんまでお読みになった方には、すでに充分ご理解いただいているかとは思いますが、私はスポーツというスポーツにまるっきり心得がなく、運動神経的なものはゼロ、いっさいやりたくないし、関わりたくない、嫌な思い出しかない、トラウマでしかない。それこそ16年前のスキー以降スポーツらしいスポーツやった記憶なんか、皆無、というようなタイプの人間です。
 でも、あえて言うならば、このゼロからスキー習得の企画は、運動神経の有る無しなんか一切関係ありません。
 いまここにあり、私が取り組んでいる課題は、もはや「物理」の授業です。
 斜面がどのように流れているかというラインがあり、それを見極めた上で、加えて傾斜の緩急、スキー板の向く方向、2本の位置関係、足にかかる体重の軽重、その力が板の内側か外側か、右側か左側か、そして自分の身体の姿勢。それらすべてを掛け合わせによって、自分の身体がどちらへどう進むのか。それらを正確に推測しつつ、同時に次の体重・姿勢を決定していく。そういう、きわめて力学的な問題です。
 ただまあ、私は高校の物理がものっすごい苦手であっというまに脱落したので、物理がどういうものかはまったく理解していないのですが、細かいことは無視して、要するにイメージとしてはもう完全に「ガリレオ」の湯川先生です。

 右へ曲がる、左へ曲がる、スピードが出る。
 ふーむ。じつにおもしろい。
 こちらの足にこれだけの体重をかける。こちら向きにこう曲がる。
 じつに論理的だ。

 そんなことを繰り返しているうちに、いつしか練習の距離もどんどんと長くなっていきますし、スタート地点も高くなっていく。スピードもぐんぐんと加速していって、もはや、練習というよりもふつうに滑っている感じになっておるではないか。これはいい!スキーの夜明けは近いぜよ!(福山違い)。

 さてこうなると、早くも次の課題に取り組みたいという欲が沸々とわいてきます。

 ・・・リフト、乗ってみようか?
 いっぺんこの坂の上のほうまで行ってみて、滑り降りてくる、という次のレベルの演習を、このタイミングで。

 ところが。
 私はここである事実を知って、心の底から驚愕しました。

 そして、しみじみとこう考えるに至ったのです。

 スキーも図書館OPACもいっしょ・・・・・・。


posted by egamiday3 at 17:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

ほぼゼロから、独学独習で、1日だけスキーをやってみた。(2)レンタルショップ編

 テキストによる座学、現実味、事務的情報の収集、といった感じでちょっとづつ進めてきた準備ですが、いよいよ当日の朝という頃合いになって、非常に大事かつ基本的なことの理解がぽっかりと抜け落ちていることに気がついたのです。

 スキーウェアの下に何を着ていたらいいのかがわからない。

 スキーウェアってどのくらい暖かいんだろう? あまり薄着だと寒いんだろうか、風邪ひいちゃうだろうか。それとも、あまり厚着だと暑くて汗だくになってしまうんだろうか。あるいは動きにくくなるんだろうか。でも薄着で、ぶつかったり転んだりして怪我がひどくなったりしないか。ウェアというのはだぶだぶなのかぴちぴちなのか。
 この”何着る問題”については、かのテキストにも書いていないし、スキー場を行き来する人々の様子を見ててもわからない、透視能力とかないので。
 スキーのインストラクターの人、ばかりでなく、あらゆる分野で人にものを教える機会のある人(自分含む)には、是非ご理解いただきたいと思います。ずぶの素人は、本番手前の、実にちょっとしたなんとはなしのところで、どうしようもない壁を感じるということがあるのです。
 で、これについては、宿で他のグループの学生さんたちのウェアのはだけてる様子をちらちらと観察したりしながら、なるほど、薄着で、でも長袖で、伸び縮みしやすくて、汗を吸いやすそうな感じなんだな、ということがなんとなく理解できました。

 というわけで、着脱ぎしやすそうな服装をして、財布とiPhoneだけ握りしめて、意を決してゲレンデふもとのレンタルショップへ向かうのですが、もう向かってる途上ですでに緊張しきっています。ドキドキです。その看板が見えただけで思わず目をつむりそむけてしまいます。そのサッシの扉がどれだけ重かったことか。私はこれまで、言葉も通じるか通じないかわかんないようないろんな国の図書館を訪問してきましたけども、どんな国のどんな図書館のカウンターよりも、この日本の片隅のスキーレンタルのカウンターのほうが数百倍は高く感じられました。パーカーを羽織ったふわふわな髪型のころっとした背の低い娘さんに、スキーグッズ一式と引き替えにおまえの声をいただくぞ、とでも言われるんじゃないかと思いながら、おそるおそる声をかけるのです。
 ここでまた新たに壁を感じたことには、声をかけるったって、スキーに関するボキャブラリなんかとてつもなく貧困なわけですから、第一声で何と言っていいやらわからない。ああそうか、うちの図書館のカウンターに初めてやってきておそるおそる声をかけはる人らっていうのは、こういう第一声目での単語のチョイスすらままならないでいらっしゃったんだなあ、と我が身を反省しつつ、とりあえず瞬時の判断で”大きなくくりで、相手に伝わる単語”をひねりだしました。

 「えっと、・・・レンタル、お願いします」
 初めての海外旅行でももうちょっとましな単語しゃべってたような(笑)。

 「はい、こちらへどうぞー」

 こうなればあとはもう、レンタルショップのバイトさん方にとっては単純な流れ作業でしかないらしく、そんな流れに身を任せ、あなたの色に染められていく感じで、申込書に住所と名前とケータイ番号を書き、靴のサイズを言い、瞬時に身長を目測されたのかどうか、何も言わないうちからそれなりに寸法の合ったスキーウェアがポンと差し出され、ふと見れば横っちょに試着室的なのがあると言うんで、そこでお着替え、脱いだコート類を片手にロッカーはありますかと問えば、こちらでお預かりしますんでと来た。実にスムーズ、あれこれ悩んでた自分がアホらしくなるくらいで、とりあえず胸をなで下ろす気分になりました。よく考えてみればスキーのレンタルショップで処理されるタスクなんてものは、図書館カウンターのそれに比べれば、ほぼ決まりきったものでしかなかろうわけなので、こちらが右往左往する必要はない、全部貸してくれ、と言えば、全部貸してくれるわけなのだな、ということをいまさらながらに実感しました。

 さて、そんなところへゴトンと差し出されたのが、ごつごつと堅そうなスキーシューズ。出た。ガンダム。これです、こいつこそが真の第一関門です。バイトのお兄さんの「とりあえず履いてみてください」と言うのに流されて、脇のベンチに腰をおろし、ふうっとひとつ深呼吸をして、あらためてそいつと向かい合います。
 私はいまからスキーシューズを履くのです。
 落ち着こう。落ち着いて、昨日読んだテキストの解説写真を1枚1枚思い出します。この金具たちをはずす。うむ、よおし。えっと、このベロみたいなんをひっぱって前に出す、だったかな。で、足を入れて、元に戻す。違和感を感じる、ということは、ちゃんとした履き方になってないんだなと推測しながら、何度か試しているとすぅっと足が納まる感触がするので、ああ、ここだな、と。あとは金具を締めて、ここのベルトはきつくするなと言われていたし、ウェアのズボンの内側の裾から外に出してかぶせなさいと言われてたので、えーと・・・、こう?
 おおっ、履けた! ぜんぜん違和感ないし、思ったほど歩きづらくない。 
 ありがとう、お兄さん、サイズぴったりだったよ!
 と、飛び付く暇もなく、傍らにはすでにスキー板とストックが用意されているのですが、・・・・・・あ、ちがう・・・これじゃない・・・・・・、これはあの、1日で楽々滑れるようになるぜ!という、即効性のある現世利益的な120cmのスキー板じゃない、標準のやつだ、と一気に気持ちが暗くなってしまいつつも、これではいかん、と勇気をふりしぼって言ってみます。

 「(せいいっぱい平静を装って何気ない口調で)あー、えーっと、こういうんでなくて、短いタイプのやつってありませんかね」
 「ショートスキーですね、えっと、ちょっと待ってください」

 ・・・通じた、よかった! ボストンのシーフード屋でサイドディッシュをオニオンフライにしてくれと言うとき以上に緊張した!
 と思っていたのですが、どうやらそのショートスキーなるものはあまり在庫のないものだったのかどうか、奥からひっぱりだしてきたものを囲んでのお兄さん同士の軽いミーティングが行なわれ、ひとりのお兄さんが電動ドライバーを持ち出してきて、プチ工事が始まったりするのですが、そういうのは努めて意に介さない(笑)。

 というようないくつかのドキドキを経て、ウェア、板、シューズ、手袋、帽子、ゴーグルといった一式をようやっと手に入れ、ショップをあとにします。
 がちかちのシューズでもって、ざくっざくっと雪の上を踏みしめてみる。数歩、歩いてみる。
 残念ながら、16年前の感触を思い出しそうな気配はありません。
 これは先が長そうだ、でもまあ、のんびり行こうじゃないか。滑れるかどうかが今日の問題ではないのだから、と自分を納得させながら、いよいよゲレンデへ、一歩一歩近づいていきます。これだって、レンタルショップへ向かうのと同じかそれ以上に、ドキドキです。

 さて、次の課題。
 16年のギャップを埋めるため、まったくの初歩の初歩から、前日座学したとおりのステップを踏みつつ、時間をかけて自己練習を積まなければなりません。

 ということで、まず、幼児・幼女連れの・・・・・・

 (この稿、続く)

posted by egamiday3 at 19:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月18日

ほぼゼロから、独学独習で、1日だけスキーをやってみた。(1)座学編


 先日、ほぼゼロに近いあたりから、独学独習で、1日だけスキーをやってみる、という経験をしたので、そのことを記録しておこうと思いますね。

 最後にスキーをしたのは学生時代、16年前のことで、そのときで2回目でしたので、今回が16年ぶり・3回目となります。1回目は高校の修学旅行スキー研修でインストラクターから基礎を教わる、2回目はそのときの経験をもとに友人同士で適当に滑る、という感じで、2回目のときで野沢温泉スキー場の上の方の初級ゲレンデを繰り返し滑っていたので、まあできなくはないというくらいではあったはずなのですが、なにせそれから16年あまりのブランク、20歳そこそこと40歳手前というギャップを考えれば、”ほぼゼロ”に戻っていると考えていいと思ってます。
 その証拠に、どのような用具が必要だったかとか、スキーの装着?の仕方、靴のはき方、ストックの持ち方、え、ゴーグルって水泳で使うんじゃないの? 眼鏡ってどうしてたっけ?等、諸々の要領がさっぱり思い出せない、という状態です。

 そんな”ほぼゼロ”の身で、ひとり野沢温泉スキー場に降り立って、まずレンタルショップへ向かう、というところから始める様子を、想像してみてください。

 ちなみに、同行の友人たちは前日から上の方のゲレンデをがんがん滑降しておられます。マイシューズなりマイウェアなりマイ板なりを持ち込んで。ああそうですか、トップオブザワールドですか、ゴーイング・ウィズ・マイウェアですか、という感じで、下界から山を見上げておりましたよ。
 で、今回私は、彼らから一切何も教わらない、という無謀かつ無意味な条件をあえて自分に課しました。トップオブザワールドな人たちの貴重なお時間を奪ってお手間を取らせてはおそれおおい、というのもひとつの理由ではありましたが、一番には、これを機会に「自分の問題解決能力の検証と演習」をやっておきたい、というのがあったんです。スキーをするかどうか、滑れるか滑れないかが問題なんじゃない。何事によらず、自分の問題解決能力がいまどのくらいかを試したい、そして演習しておきたいんだ、という。

 そもそも我々、日常生活の中で、”ほぼゼロ”の状態から自力で何かを習得し、解決していく、というような機会を得ることがどんどん少なくなってきています。たいてい、ガイドやマニュアルが整備されているとか、指導者がいるとか、ユーザインタフェースが洗練されてて難しいことを考える必要がまったくないとか、RSSなりSNSなりで情報がぽんととびこんでくるとか、そんなんです。でも、それでも、特に業務まわりで”ほぼゼロ”の状態から短期で何がしかを解決しなきゃいけない、というシーンにでくわすことが、わりとちょくちょくあるわけです。しかもそういうのに限っていつも突然に。
 そういう、急に出くわした未知の問題にもあわてることなく取り組むにあたっては、まず、自分自身の”ほぼゼロ”からの問題解決能力がどのくらいの身丈であるかを知ってないとヤバいし、自分の身丈以上の問題を解決するにはどういうアプローチが考え得るか、という演習を日ごろから数多くこなしておいたほうがよい。
 で、今回のこの「スキー」というジャンルの、自身から遠く離れてはいるものの若干の興味もなくはない、という距離感は、自分の問題解決能力の検証と演習という意味で非常に好都合な離れ具合であり、サイズであるよ、と。
 いう意味での、「”ほぼゼロ”から、独学独習で、1日だけスキー」という企画。
 自己の問題解決能力、というからには、知人から教わったり話を聴いたりということは極力避けたい、ということで、同行者たちには当日まで延々と「自分は学生時代スキー部に所属していた。但し、”攻撃スキー”と呼ばれる特殊かつ超マイナーな競技をもっぱらとしていたので、通常のスキーについてはまったく知識がない」というあからさまなホラを吹聴し続け、教わったり話を聴いたりという流れになるのをふせぐようにしました。
 ”攻撃スキー”については、機会があれば詳しくご紹介することもあるかもしれません。

 そんな、無意味に自分を追い込んだ状態ですので、なんにせよ予習が大事だなあ、ということで、とりあえず本屋さんに行って役に立ってくれそうな本をぱらぱらとあさってみました。
 ゲットしたのが、こちら。


「超」簡単スキーレッスン―行ったその日にすぐ滑れる (Northland books)

「超」簡単スキーレッスン―行ったその日にすぐ滑れる (Northland books)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: ノースランド出版
  • 発売日: 2004/12
  • メディア: 単行本




 なんか、1日である程度滑れるようになる、とか夢のようなことが書いてあるし、写真解説も豊富だし、初歩段階に半分くらいを費やしてあるだけでなく、準備・予備知識にも結構なページを割いてあって、用具の説明、用語図説、懸案の靴のはき方も丁寧に書いておられるので、今回の企画のような独学独習に吉っぽい。なにより、通常は使わないけど初心者向けな120cmの板を使いましょう、とかなり限定的なことを言っておられる、ということは、とやかく言わずともとりあえず今日1日滑れればええんや、という即効性が感じられる。というようなポイントから判断して、このテキストに託してみることにしました。
 で、長野行きの電車の中でぱらぱらと読んでみて、なるほどいくつかの要領、ストックの持ち方、泊まった状態での反対方向へのターン、斜面の登り歩き方といったようなものは、確かに20年以上前に習い、16年前によちよちと実践していた記憶が、ほんのわずか脳内に残ってるような気もするのですが、残念ながら、身体のほうにそれが残ってるような気がまったくしない。読めども読めどもそんな気がしてこない。とはいえ、さすがにスキー場の真ん中でこんな本ひろげて練習というわけにもいかないので、テキストに書いている要領のポイントポイントを、いまのうちにしっかり知識としてのみ暗記しておいて、スキー場ではその記憶をひとつづつ再生させながら自主練習してみるしかないだろうな、と考えました。
 ただ、暗記と言っても、闇雲に一から覚えていくことはできませんし、記憶にも再生にも限界があるわけです。なので、まずはそのテキストの目次と本文全体を概観する、初心者が踏むべきステップがどういうものかという流れを先に把握する、その上で、これは絶対忘れたらあかん(靴のはき方とか)やつ。これは写真を目に焼き付けておいて実践するやつ。これはまあまあ覚えとかんでもええけど、隅のコラムに書いてあることはめっちゃ大事。この滑り方とこの曲がり方は、要するに○○という概念を理解していれば原理は同じわけだから、○○を忘れないようにする。そして、ここから先は初級の上くらいの話になりそうだから、今回はあきらめるという判断をする。というようなことを、自分の記憶力や身体的感覚と相談しながら、取捨選択・重み付けをしていく、という戦略をとりました。

 ただ、知識としていろんなことは頭に入ってきたのですが、それが身体の中に落ちてきそうな気配までは感じられません。無論、スキー場にて我が身で実践しなきゃそれらが落ちてくるわけはないのですが、それ以前に、実践してみたときにほんとにそれらが落ちてくるんだろうか? それ以前に実践できるんだろうか? 頭の中に止まったままで終わるんじゃなかろうか? という入り口の気配がまだ見えてこないという状態。これはおそらく、自分がスキーを滑るということの”現実味”をまだ感じられていないんだろうな、と思います。知識=情報と、身体=現実との間を埋め継いでくれる、ぼんやりとした何か、これをここでは”現実味”と呼びたいと思うんですが、この手応えがない限り、知識だけでスキーという問題に取り組むということはできないだろうし、今回は何もせずに帰るだろうな自分は、となんとなく思いました。
 でもまあ、帰るわけにもいかないので、じゃあ、というんで、2日ある日程の1日目のうちに、スキー場で滑っている人たち、そのへんを歩いている人たちの姿を、ちらちらと(もしくはまじまじと)観察し続けることにしました。他人様の有様を観察して、自分がその人たちと同じ場所に、同じ格好で、同じ姿勢をとっている様子、というのを想像してみて、その自分のイメージに”現実味”があるかどうか、という検証です。
 で、見てますというと、そりゃもちろんガンガン滑ってる上級者の人らはまったく度外視なわけなんですけども、だだっぴろいゲレンデのあちこちには、スノボはいて寝転んで休んでる人、いつまでたっても滑る様子なくおしゃべりに興じてる人たち、教わってる途中ぽいたどたどしい動きの人、そのたどたどしい人でもなんとか滑れてるようなゆるやかでだらだらとした斜面もそこここにある、林間を周遊するような山道もある、そして麓のあたりには平らに見えるスペースもある程度ありそう。スキー場だけでなく、温泉宿場を歩いている人たち、ウェアを着て、板をかついで、歩きにくそうなスキー靴に足を取られながらよたよたしている人たちの姿を見て、ああ、これは遠い世界の話ではないんだな。これなら大丈夫。上手く滑れるかどうかは別問題として、少なくとも、スキー場に立っている自分の姿に”現実味”がないわけではない。だったら、取り組んでみる価値は充分にあるな、という感触を得ました。

 テキスト・座学による知識。
 現場に身を置いたときの現実味。
 これに加えて、事務的情報・・・どこでスキーを借りれて、その場所や時間はどこで、いくらくらいかかって、スキー場の地図はこうで、このあたりが初級者用で、といったような情報の収集については、これはもう図書館員としてもしくは旅行好きとして普段からやってることですから、すでに数日前に問題なく終わらせていました。

 さあ、あとは一念発起して、スキー場へ実際に向かうだけ。
 のはずだったのですが。

 当日の朝になって、非常に大事かつ基本的なことの理解がぽっかりと抜け落ちていることに気がついたのです。テキストにも書いていないし、スキー場を実際に見渡してもまったくわからない。しかもそれが分からなければ、スキー場に立つどころか、宿を発ってレンタルショップへ向かうことすらままならない。うっかりしてたけど、それくらい重要なこと。

 それは、スキーウェアの・・・ 

 (この稿、続く)
posted by egamiday3 at 18:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月06日

blogを書く理由 2010・冬「忘却」

 冬になり始めの頃。
 あれ、エアコンの調子がおかしいかなあ、と思ってなんとなく見てると、すーっと止まる。室外機の音だけがぶーむと鳴ってはいるんだけど、温風が出てきやしない。
 ・・・・・・あれ、こんなん前にもあったよな、確か。なんか、電源をいっぺん抜き差しするとかじゃなかったかな。
 そう思って試しにエアコン用のごつい電源を抜き差ししてみると、しばらく待って、ぼえぇ〜と暖かい空気が出るようになる。
 よかった〜、とは思うものの、これでまた止まったり修理とか買い換えになったら、この寒いのに厳しいなあ、と思い、あれ、そういえばこのネタで去年くらいにblog書いたし、そんときも何か同じこと言ってたような?気がするなあ、と思って、この「egamiday3」の右上にある「egamiのblog検索」というところに”エアコン”て入れて検索。

 お、出た。

 止まったエアコンを再起させる極意とは
 Move!2006→2008
 2008.12.12
 http://move2006.seesaa.net/article/111115216.html

 で、読み返して、なるほど早朝で極端に冷えたからだね。同じ症状が連発したら弁の不調なんだね。何度もリセットするようになったら買い換え検討かな、くらいなんだね。
 ということを自己納得して、以降、注視してはいたけどそういうリセットが必要な感じにはなっていない、と。

 blogを書いてる理由というかモチベーション的なののひとつはこういうところです。
 ていうか、右上のあの検索窓は、自分がこういう使い方をするときのために付けたやつです。

 とさか先輩。

posted by egamiday3 at 13:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10年でこれだけblog書いてきました、リスト

 egamidayも10年が経ちましたが、謝辞だけではちょっと色気ないかなと思い、これまでに立ち上げてきたblog類をリストアップしてみましたよ。
 リンクをはってないのは、まあ、そんなに胸を張って過去のを見に行ってもらえるような感じのあれではないから(笑)。


2000.01 egamiday (第0期egamiday。ブラウザから入力して文章をupする仕組みとして、レンタル掲示板を使うという手段に出る。非公開扱いで、自分以外の書き込みはその都度削除するという原始的な運用)
2000.02 egamiday (第1期egamiday。さるさる日記(web日記サービス)による。公開終了)
2000.06 linknote (ブックマークのオープンな記録。現在で言う”はてブ”をやっていた)
2000.09 egamiNY (1999.12のニューヨーク旅行の記録を遡及入力しようとしたもの)
2000.12 書評する司書の会 (これなんだっけ?(笑))
2004.01 egamiday2 (第2期egamiday。公開終了)
2004.09 図書館系web日記・blog (図書館系blogのリンク集)
2004.09 よーろっぱ日記 (2004.09のヨーロッパ旅行の記録。初めてblog形式を採用。excite blogによる)
2004.11 egamidaylight (現在で言う”twitter”のつぶやきをやっていた)
2004.12 くずし字を読む会 (勉強会「くずし字を読む会」の連絡用blog)
2004.12 Move! 2005 (2005.01の職場異動の顛末を記録したblog)
2005.06 egamiday2+ (第3期egamiday。blog形式に転向。excite blogによる)
2005.07 書誌のともblog (目録実務、主に新規書誌作成の過程を記録したblog)
2005.08 よーろっぱ日記・北へ (2005.09のヨーロッパ旅行の記録。主に北欧)
2005.09 JLAblog (海外の日本語資料図書館等について勉強するメモblog)
2005.12 よーろっぱ日記・duomo (2005.12のイタリア旅行の記録。)
2006.02 目録を学ぶblog (みんなで目録実務を勉強しましょう、というクイズ形式のblog)
2006.03 ドラマを語る司書の会blog (ドラマネタに特化したblogの旧館)
2006.03 ヨーロッパ企画を語る会blog旧館 (ヨーロッパ企画ネタに特化したblog)
2006.04 egamiday-e (英語を自学自習するためのメモblog)
2006.07 舞台を語る司書の会blog (小劇場観劇ネタに特化したblog)
2006.07 そうる日記 (2006.08のIFLAソウル大会参加の記録)
2006.07 よーろっぱ日記・rail (2006.09のヨーロッパ旅行の記録。鉄道による)
2006.09 move!2006 (2006年秋の引っ越しを記録したblog。のち、ハウスキーピング用blogとして運用。初めてseesaablogを採用。)
2006.10 HVUday (ハーバード準備&滞在&帰国期間のプライベートなblog。事実上の第4期egamiday。seesaablogによる)
2006.12 Googleの図書館蔵書スキャンプロジェクトは2-3年うちに日本にも来るだろうから、いまのうちにいろいろ勉強しておくためのblog (そういうメモblog)
2007.01 ALAblog、古典籍blog、書誌のともblog (いろいろ勉強するためのメモblog)
2007.06 テレビ&ドラマを語る司書の会blog (テレビ・ドラマネタに特化したblogの新館)
2007.06 ハーバード日記 : 司書が見たアメリカ (ハーバードネタのオフィシャルなblog。京大附図サイトにて公開)
2007.07 ヨーロッパ企画を語る会blog新館 (ヨーロッパ企画ネタに特化したblog)
2008.04 egamiday3 (第5期egamiday。現在運用中のメインblog)
2008.04 egamidaylight2 (第2期egamidaylight)
2008.09 よーろっぱ日記・ちょっとだけポルトガル編 (2008.09リスボン旅行の記録)
2008.11 極私的図書館総合展2008 (図書館総合展に見立ててblogを更新する企画)
2009.01 初詣でに行ってきます2009 (2009.01伊勢・長野・北陸旅行の記録。18切符による)
2009.05 200905us = 横断します (2009.05アメリカ鉄道横断旅行の記録。旅行中止のため、京都横断blogに移行)
2009.05 NHKblog (海外の日本研究者・学生に有用と思われるサイト等を紹介する英文blog)
2009.06 twitter(@egamiday) (twitterの本格的な運用を開始)
2009.07 なつのとも2009 (夏季限定の日次記録blog)
2009.09 よーろっぱ日記 = 200909uk (2009.09イギリス旅行の記録)
2009.11 極私的・図書館総合展2009 (図書館総合展に行った人のblogやtwitterを集めて紹介するblog。2008とは、名前は同じでも中味はだいぶちがう)

 あと、内緒のやつとか、立ち消えたやつとか、歩く司書の会旅情編bbs的なのとか。

 もはや、[ネタ]タグのつくリストだ。 

posted by egamiday3 at 13:33| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

SPEED復活コンサート2003→2009に見る情報環境の変化  附たり、謝辞的な何か

 
 1996年にデビューして、ヒットして、解散して、期間限定で復活コンサートツアーやったのが2003年、ここまで全部で7年間。ところが、その復活ツアーから2回目の復活ツアー2009年まで、6年間。
 縮尺おかしいだろう、と。どれだけ待たせるか、と。
 いうような恨みつらみなど牛の毛ほども感じさせないくらいに存分に堪能させていただいた、昨年秋のSPEEDさんの再結成記念全国コンサートツアーだったのですけども、じゃあその2009年のときと、2003年のときとを想い出しながら比べてみたときに、あれ、これちょっとやっぱり6年でいろんなことが世の中変わってきておるんだな、ということ、特に”日常生活における情報環境”という観点からのそれを、いくつか書き留めておくのですよ。
 ちなみに個人的な事ながら、なんかこういうでっかいところのコンサートに行くなんてことは、SPEEDさん以外にしたことがないので、6年の間は見聞がまるっきり空白。なので、その差が余計にくっきりわかる感じです。


 その1。
 あたくしは、そんなスターさんのチケットをどうやって思い通りに入手したらよいかなんてスキルはぜんぜん持ち合わせていないので、2003年時も2009年時も、Yahooさんのオークションさんで選んで入手したのですけども、そのYahooオークションさんでの出品物を検索するにあたって、2003年時はこういうことがありました、ていう当時(註:第1期「egamiday」、いまはもう無い)のweb日記記事。

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■2003/10/09 (木) 江上はなぜヤフオクでSPEEDのチケットを入手できたか

 前の日記にも書いてある通り、もうなにもゆうことはありませんなのですが、江上はチケットを、正規ルートで入手できる術もなく、Yahoo!のオークションで入手しました。わりかしチケットがダブついてしまってたとはいえ、やはりそれなりにいい席のチケットというのは、それなりの競争率だし、高値になるものです。なのですが、江上、わりといい席を、定価とかわらないくらいに、しかもそれほど競り合うことなしに、落札することができたの、なんでだろうという、その理由。

・ 本来だったら複数の人が目をつけて、複数の人が入札しそうな、そんな好条件の物件だった。のに、出品者が品名を「SPEEDチケット」と書かずに、「スピードチケット」と書いてた。ので、「SPEED」で検索してるカタギの人の目にあまり触れなかった、たぶん。目をつけたのが、わざわざ「スピード」でor検索してるような図書館司書くらいしかいなかった。いや、検索の基本でしょう(笑)。
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 すなわち、「スピード」としか商品説明に書いてない場合は、「スピード」とカタカナで検索しないとヒットしないし、しかも、そういうカタカナ表記しかない出品物がわりとちょこちょこ見つかったんですよ、というのが2003年時。
 で、そのころの体験で味をしめていたので、2009年時も「SPEED」と「スピード」の両方で丹念に検索していたところが、検索結果を見てみると、どちらもほぼ同数、ほぼ同じ品揃えなのですね。あれー、と思ってよくよくその商品説明を読んでみると、該当するチケット出品物のほぼ9割7分くらい、ほとんどすべてと言っていいと思うのですが、「SPEED」と「スピード」の両方で併記されているのですよ。「スピード」カタカナ表記のみの出品物は、結局、ひとつかふたつくらいしか発見しなかったような気がする。
 あたくしはオークションで出品側にまわるという経験がほぼ皆無なので、システム的なことはよくわかんないのですが、これは例えば、出品者が商品説明を登録するときに、システムさんが「カタカナとか違う表記でも書いといたほうがよろしいでっせ」ということをわざわざ言うてはるのか。それとも、もしかしたら「このSPEEDというキーワードを入力しはるんやったら、スピードていうカタカナもどうでっか」というレコメンドが出るような仕組みがあるのか。ただ、0割3分程度であっても差異があるにはあったので、正規化なり語統制とかまではしてくれてるわけではないみたいですけど。

 という感じのことがあって、まあどれが答えであるにせよいずれにしろ、2003年から2009年までの6年のうちに、なるほど、こういったごく一般の人たちの身にも”メタデータの品質コントロール”というものが意識されるような情報環境になったのだなあ、ということを考えたのでしたよ。
 これを"Democratization of metadata"と言うよ。言うかな。


 その2。
 会場に行きましたら、まあこれは仕方のないことながら、ホール内ではケータイをいじんないでください(撮影禁止)、通話もメールもダメです、ロビーでやってください、ていうようなことをスタッフの人が場内で延々と連呼してはって、そのこと自体は2003年のときも2009年の時も変わらなかったのですけども、ただじゃあ実際にそのホール内でポケットからケータイを出していじろうとしている人たちに対してのスタッフの人たちの反応がどうかというと、2003年当時はいじり始めてから5秒としないうちにどこからともなくスタッフの人が忍者のスピードでとんできて、やめてくださいアタックをかましてたのだけど、2009年時には、1分とか2分とかある程度いじったころにようやく、ぷらぷらと近づいてきて、注意してはる、というゆるさ。
 なんとなく、あー、このゆるさが6年でのケータイ普及率の差なのかなあ、みたいなことを思ったりしたのでしたよ。


 その3。
 2003年と2009年で何かちがうかって、そりゃあもう、blogの普及さ加減でして、2003年ではblogなんて言葉すらまだほとんど人口に膾炙してやしなかったし、web日記だってごく少数派の人しかやってなかったから、見たー、堪能したー、でもまだ余韻にひたりたいー、つって誰か他の人の感想を読もうかとか思ったら、あの頃は確かまだ残ってたファンサイトのBBSとか、2chやなんかをなんとか掻き分け嗅ぎ分けして見つけなきゃいけなかった感じですけど、いまやもうググることすらするまでもなくRSSで、あっちゃこっちゃのblogで言及されてる記事がわんさかとひっかかるひっかかる・・・・・・。

 ・・・・・・えっ、なんすか、これ。なんでこんなにケータイ用blogの記事ばかりがやたらとひっかかるんですか。

 ・・・・・・うわあ、そっかあ。好きこのんでSPEEDのコンサートに出向いて、はしゃいで、blogに興奮を書きこむとかいう、そんな世代の娘さんたちのblogはケータイがあたりまえなんだあ。
 ごめんよ。おいちゃん、きみらのケータイどっぷり度をまだまだ理解してなかったよ。なめてたよ。
 ていう、話。 


 そして、まあこれは余談ですが、こんな感じ↑のなんだか自分でもわかったようなわからんようなことを、ごにょごにょと、ぷらぷらと、そこはかとなく書くなりなんなりしてきてて、2000年2月1日に最初に書いた"駸々堂閉店"の記事から数えてちょうど10年なんですって。その頃のはもう消しちゃってますけど(笑)。
 けどまあ、10年経ってみて、これといった感慨がわくわけでも、違和感を抱くわけでも、何かを思い立つなり悟るなりしたわけでもないみたいなんで、これからもしばらくはこんなふうです、たぶん。自己都合・自己記録的な感じで。
 まだまだ書くぜい。

posted by egamiday3 at 21:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする