2012年02月18日

情報発信を考えるヒント(9): WINE(早稲田大学OPAC)

・WINE 早稲田大学学術情報検索システム
 http://wine.wul.waseda.ac.jp/

 海外に行って、日本研究のライブラリアンとか先生とか学生さんとかにお会いするじゃないですか。で、いろいろ話をうかがうなかで、日本の本を探すのによく使うデータベースは何ですか?てきいたりするじゃないですか。もうまちがいなく、十中八九、パンにはやっぱりネオソフトくらいの勢いで、みなさん「早稲田大学のOPAC」って答えるですよ。これはもう、アメリカでもヨーロッパでも台湾でも関係ない。必ず早稲田って言う。賭けをするなら「早稲田って言うか言わないか」は賭けにならない、「1番目に早稲田が出るかどうか」でまあなんとか賭けになるかなあ、くらいの勢い。NACSIS Webcat? NDL-OPAC? なにそれ、聞いたことない。ていうような人が、即、「ワセダ!」て言うくらい。そういう勢い。
 え、なんでっていう理由もだいたい決まってて、理由その1。ヨミのローマ字が表示されるから。ローマ字の検索・ヒットだけならまあよそさんでもできなくはないみたいなんだけど、ローマ字”表示”のほうはそんなにお見かけしない。これがやっぱ大事らしいです。たとえ、たとえですよ、探す本が日本語であり、探す人も日本語がある程度わかってるっていうような学生や先生であったとしても、それでもなお、ローマ字付きで読めたほうがずっといい。そういうあれで、人気。
 もうひとつは、早稲田さんはあれなんですよ、OCLCのILLに参加してはって、ILL依頼できるんですよね。そりゃ人気なはずです。OPACなり書誌DBなりってのは、検索してヒットして結果見て、それで終わるわけなんかないんですもの。検索して、ヒットしたら、条件によってはオーダーできる可能性があるんですもの。そりゃ、そっちひくよなあ、て。特に最近のネットは、どういうものがある、どこにそれがある、ていうところまでは比較的簡単にわかるようになってくれたけども、うん、それが簡単にわかるからこそ余計に、その次の”入手”につながる手段・ルートがないとかなんなの寝てんのイジメなの、てことになっちゃうからなあ、て。
 情報の発信はそれ単体で機能してるわけでもなんでもなくて、その先に何が起きるんだ、ていうことなんだよなあ、て。忘れるな自分。
posted by egamiday3 at 12:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情報発信を考えるヒント(8): 宮城資料ネットニュース / 宮城歴史資料保存ネットワーク

・宮城歴史資料保存ネットワーク
 http://www.miyagi-shiryounet.org/

 NPOの宮城歴史資料保全ネットワークさんでは、震災以降、県内の史料・文化財のレスキュー活動的なことをずっとやってはって、それで活動の報告的なのの「宮城資料ネットニュース」は、これ自体は震災前からずっとやってらしたことでもあるし、それにこれは宮城さんだけってわけでもなんでもなくって、全国の被災地その他の各県の同じ歴史資料保存の団体さんも、活動報告をニュースで出しておられる。しかも、そのニュースを集積して英訳して世界に発信しているという英訳blogだってある。それが「rekishishiryonet」(http://rekishishiryonet.wordpress.com/)なんですけども。
 え、じゃあなんでここで宮城のことだけ挙げてんの、て思われるかも知れないんですけど、これはあたし当時見ながらあれ?って思ってたんですけど、震災後の一時期、この宮城さんの「宮城資料ネットニュース」の本文が、一時期H-Japanていう英文メーリングリストに流れてたことがあったんですね。
 H-Japanていうのは、海外で日本の歴史・文化・社会その他について研究する研究者・学生・学術関係者が広く広く参加してらっしゃる海外の日本研究メーリングリストなんです。アメリカとかヨーロッパとかアジアとかオセアニアとか日本とか世界各国から参加してらっしゃる。言ってみれば、世界における日本研究のメインストリーム的インフラ、って、あたし言っちゃいたい。
 そのこのH-Japanに、震災後の一時期、全部じゃないけど10数号分くらい、宮城資料ネットニュースの本文が投稿されてたんです。それは、日本語原文まるごとっていうときもあったし、英語に翻訳されてたときもあったし、ダイジェスト訳だけだったこともあった。けど確かに、宮城では史料・文化財がこういうふうに被災して、それに対して保存活動がこういう現状にある、ていう記事が流れてた。
 あたしこれ見ながら、これはすげえなあ、て思ってたんです。いや、英語記事だけだったらさっきのrekishishiryonetのほうにも、他の地域のも含めてあがってるんですけども、blogでの情報発信と、メーリングリストへの投稿って、ある意味ぜんぜんちがうって言い切っちゃっていいと思うんですよね。メーリングリストのほうは、歴史や文化財の分野の専門家じゃないいろんな人が参加していて、そういう人たちの中には、自ら英訳blogを見に行こうなんてアクションを起こさないタイプの人もいたでしょう、ググることも別段しない人もいたでしょう、でも、そういう人たちが日常目にする受信boxの中に、宮城の震災後の史料保存に関するニュースが、英文で届いた、ていうことですよね。英文記事としてその目に触れさせることができた、視界の範囲に届けることができた。
 メインストリームに情報を合流させる、ていうのはそういうことなんだろうな、て思うんです。だからあたし、・・・経緯は知らないんですけど・・・これはすげえなあ、て思いながら見てました。これは忘れるな自分。


posted by egamiday3 at 11:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情報発信を考えるヒント(7): ブログ「情報の扉の、そのまた向こう」 / 実業史研究情報センター


・実業史研究情報センター・ブログ 「情報の扉の、そのまた向こう」
http://d.hatena.ne.jp/tobira/

 実業史研究情報センター(公益財団法人渋沢栄一記念財団)さんは、実業史のデジタル博物館的なプロジェクトをやっておられるところで、渋沢栄一関連の資料のデジタル化ですとか。社史の収集・公開ですとか、錦絵のデジタル化とかをやっておられる。そういうセンターさんのblogなんですけども、この「情報の扉の、そのまた向こう」でやっておられる情報発信って、大きく分けたら2つあって、1つは渋沢栄一関連資料の紹介とか、社史とか、所蔵資料についての情報を発信していくタイプのもの。で、もう1つは、アーカイブズニュースとか図書館ニュースとか震災関連カテゴリみたいに、国内外の最新ニュースを収集してきては紹介したりリストアップしたりしていくっていうタイプのもの。だなあと。
 "専門"情報や"所蔵"資料の"遡及"的な発信と、"最新"の"外部"から収集してきた"一般"情報の発信と、両方だなあ、と。
 なんか、情報発信を考えよう、そして実践しよう、っていうことになったときに、なんでかわかんないけど「どっちか」になっちゃいがちなの、あれなんでなんだろう。ほんとは両方あっていいし、あるべきなのに。意外と、どっちかは得意だけどもう片方はそうでもない、みたいなところが多いような気がする。
 そうじゃないよね、ということを忘れるな自分、ていうヒント。
posted by egamiday3 at 11:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情報発信を考えるヒント(6):笠間書院

・笠間書院 kasamashoin online
 http://kasamashoin.jp/

 笠間書院さんのblog形式のwebサイトです。笠間書院さんといえば、分野では主に日本語・日本文学の研究書を出版しておられるところですけども、ここで掲載されてる情報は、自社の新刊書・出版物の情報に限らない、日本語・日本文学に限らない、歴史も芸術も、ありとあらゆる日本の人文系学問・研究にまつわる情報を、出版にも限らない、学会や講演、催し物の情報、展覧会の情報、最新ニュースなどなどを掲載していて、まあ日本・人文系でここにひっかからない情報はほとんどないくらいの勢いなんじゃないかなと思ってるんですけども、やっぱ一番注目すべきは、よその出版社の出版物・雑誌・学会誌の情報、しかも目次だとか特集記事、出版イベントみたいな踏み込んだものでも、ご自身のところの情報と同じノリで収集しては発信している、ていうところですよね。もうひとつ、それだけじゃなくて、科研費・助成金にまつわる情報だとか、研究者・教員ポストの公募なんかについても拾っている。ああなるほど確かに、ここを見るであろう人文系の研究に関わる人々が、必要とするであろう、ていう情報だなあと。想定してはる”受け手”にとって有用なものはなんだろうかって考えたら、まあそりゃ科研費や公募情報もそうでしょうなあと。いうふうに考えると、出版関係で情報発信してはるところはいくらもありますけど、ここまで徹底して網羅してるところってほかに例がないんじゃないかって思うんですね。
 blogサイトだけじゃないです、メールマガジンもあるしTwitterもある、はてなアンテナでRSSまとめてはるし、Googleカレンダーでイベント情報まとめもしてはる。ありとあらゆる手段で。ありとあらゆる業種・立場の情報を。
 これをこそ、ポータルサイト、って言いますよね。言いましょうよね。
 「メディアとしてのプライドを取り戻す」(http://kasamashoin.jp/2007/06)とおっしゃってる。そうだなあ、って。取り戻すべきは我々もだよなあ、って。そういう気持ちを新たにするです。

posted by egamiday3 at 11:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月15日

メモ:『越境する書物』


 いやもう、ほんとにね、びびったんですよ。
 ニューヨークに初めて行ってね、雪深くて足下の悪い街中をしゃくしゃくかきわけながら、大学キャンパスの中の図書館に入らせてもらってね、なんかわかんないけど階段や通路を上り下りしていった先の、しずかーな書庫の中に、ずらーっと並んでるんですよ。
 日本語の本が。
 国文学の棚だったんですけどね、そりゃもう、たくさんなんて話じゃないですよ。あたりまえの日本の大学図書館みたい、いや、それどころの騒ぎじゃない。当時あたしはまだ京大で図書館員やってましたけど、例えば源氏物語の注釈書なり大御所的な研究書なりの品揃えだったら、京大の附属図書館の本棚なんかとてもとても、ここの品揃えの足下にも及ばない。いや、附属なんか相手じゃない、京大の文学部のほうの図書館の本棚と充分にいい勝負ができるくらいに、源氏物語関係の本がそろってる。そういうレベルですよ。

 まさにその通りですよ、本書の冒頭。
「本がある、ということはそれらを購入する理由があり、資金の流れがあり、書物を運ぶルートがあり、さらにはそれら手に入れた書物を整理し、使うノウハウがあるということである」
「もしも海外で目にした書架に日本語の書物が並んでいたとしたら、こうした疑問が湧かないだろうか。あるいはもしもそこに一〇万冊、あるいは二〇万冊を超える日本語の書物があったとしたら。」

 あったんですよ。書物がね。

 すげえなあって。こんなところに、こんだけ大量の日本の本がちゃんとやってきてて、ていうことは使って研究する人がちゃんといて、ってことだもんなあって。それ見て、がつーんって感銘受けちゃって。
 それが、2011年の震災後に日本に永住するってゆってこっちに来はった、ドナルド・キーン先生のいたコロンビア大学の東アジア図書館なんですけど。

 『越境する書物』(新曜社, 2011)、ていう本について書きます。
 和田敦彦先生の、前著『書物の日米関係』(新曜社, 2007)の、まあゆっちゃえば続編なんだけど、あんま続編続編みたいな扱いするのもひょっとしたらどうなんかなっては思うんですけど、ただ、あたしは前著読んで、本書読んで、ああ続編だなあと思いながら読んだ身の上なんで、これはちょっともうしょうがない、ここで無理に切り離してぐだぐだになるくらいなら開き直ってそういう視点でちゃんと見たらいいや、ていうあれで書くんですけど。

 前著っていうのが、日本語の書籍がアメリカの、特に大学図書館その他に日本研究用資料としてたくさん伝わりましたよ、と。蔵書、コレクションが形成されていってましたよ、と。それの、特に20世紀前半頃から太平洋戦争中、占領期、戦後っていうあたりを、章立て追って読んでくとなるほど通史的に描いているなあ、ていう感じの本で、書物が渡米した経緯とかあちらでの処遇とか、蔵書を巡る人びと・組織・社会の動きみたいなんが描かれていくと。それで、要所要所で個々の大学の日本語蔵書の歴史が解説されていると。
 で、それを受けての本書はっていうと、先生はなんかそれを「大きな課題として残されていた」て言うてはるんですけど、「それら日本の書物を送り出した日本国内の販売機関」「その間に立った組織や人びと」に焦点をあてた、て言うてはるから、あたしはこっちは“なかだち”(媒)の存在の人たちのこと書いてはるなあ、て思ったんです。思ったって言うか、そうなんです。そう思って前著見返してみるとああなるほど『書物の日米関係』のほうは、描き方としては通史っぽくて内容としては蔵書の歴史だなあと。蔵書+それをとりまく、だなあと。で、その中でも「それをとりまく」のほうにちょいちょいと顔を出しては重要な役割を果たしてるように描かれていた、例えば国際文化振興会だとか、チャールズ・E・タトル出版だとかが、本書『越境する書物』では独立して1章とか半章とかを使って、スポットライトぱーんあてられて、掘り下げて描かれている、という感じ。チャールズ・E・タトル出版の章なんかわくわくして止まりませんでしたもん。

 構成としては、一応、1部・2部てなってます。第1部は「越境する書物」、アメリカにおける日本語蔵書の形成や歴史について、書物の所蔵や流通からどのような問題が見えてくるのか、そんな感じ。第2部のほうが「書物と読者をつなぐもの」ていうので、さっきゆったような仲介した存在にスポットをあてる感じ。
 で、まあこれは前著もそうなんですけど、どっちも、アメリカなり日本なりの各地・各図書館・各機関に残る膨大な量の文書だとか資料だとかメモっぺらだとか、あと、たくさんの人たちにじかに取材をしてそれをもとにしている。そこから丹念に当時の有り様を復元していく。ていう感じ。もうね、わくわくが消せやしない感じ。
 で、さっきゆったように、前著の通史の中でちょいちょいと顔を出しては重要な役割を果たしてるように描かれていた存在のいくつかが、こっちで独立トピックとしてぐっと掘り下げられてる。だから前著読んだ身にしてみれば、もう単純にすげえうれしいんですよ。わあー、それ来たかーっ、つって(笑)。あんましこういう卑近な例出しちゃうのは申し訳ないんですけど、スピンオフ、来たーっ、つって。真下が交渉人やるのかーって。

 さっきもゆった、チャールズ・E・タトル出版とか国際文化振興会とかがそうでしょ。あとは、本書第2章の「書物の戦争・書物の戦後」ていうところだと、前著第5章の「占領軍と資料収集」ていうところで紹介されてたワシントン文書センターとかプランゲ文庫とかの、占領期の接収文献の話が出てくるんですけど、それをさらに掘り下げて、たとえばそれらがどんなルートでアメリカに流れてきたんだ、伝わってきたんだ、誰がどう“なかだち”になって動くことによって、結果、どう"書物"が"越境"したんだ、ていうことの追跡なわけですよね。これなんか、ただ簡単な言葉で「蔵書の歴史」だとか「読書の歴史」だとかひとことで片付けるような話じゃないんですよ、ここで語られてるのって。そういう、なんていうかな、本棚にちょこねんとと収まってますー的な無機質な存在のお話じゃなくて、もっとこう、いろんな人の、いろんな思惑が、群がって立ち上って、ていう。生々しい、という言い方がよくなかったら、湿り気のあるというか、水気をたっぷり含んだような話。

 それと本書第5章「人と書物のネットワーク」ていうのでは、角田柳作先生が出るんですよ。先生ですよ。ていうかSENSEIですよ、日本学の。あのきな臭い時代のニューヨークで、日本文化センターなんてものを作ろうってんで、なんやかんやがあって最終的にはコロンビア大学に5000冊の日本語の本をもたらした、ていう。そういう“なかだち”をした人。なかだちの話ですよね、書物でも蔵書でもなく、著者でもなく、本と読者のなかだちになった人についてスポットをあてましたよ、ていう。これも前著読んだ方には思い出深い、前著第2章「蔵書の記憶、蔵書の記録」のコロンビア大学の日本語蔵書史を、さらに別角度から掘り下げましたよ、ていうあれですし。

 でもあたしが個人的に一番興奮したのはあれですね、本書第4章「一九三三年、米国日本語図書館を巡る」。高木八尺、アメリカをまわる、みたいなやつ。1935年に『A survey of Japanese studies in the universities and colleges of the United States』ていう報告書が出版されてるんですけど、これは、1933年に高木八尺ていう人が実施した、アメリカ全土の日本語図書館と日本研究についての実態調査、なんですね。この調査っていうのが、期間はたった2ヶ月で、アメリカ全土をがーってまわってはる。いや、それってね、この交通機関の発達しまくった&インターネットだe-mailだで連絡調整が簡単になりまくった現代においてだってなおですよ、ぜんぜん一筋縄ではいかんような話ですよ。ようやらはったなて、マジでそんなん、1933年、てことは満州事変のすぐあとにですから。その背景には何があったんや、ていう話になって、最終的には政治がどうのっていう話になるっていう。これはびびる。

 ていうようなこと言うてたら、ああそういう歴史系の話かー、歴史興味ないし意味わからんし食傷気味やしなあ、みたいな不届きなこと言う人もいるかもしれんけども、そこで、第3章ですよ。第3章「今そこにある書物 --書籍デジタル化をめぐる新たな闘争」。ここで俎上にあがるのが、Google Booksであり、早稲田の古典籍総合データベースであり、NDLの現在まっさかりのデジタル事業であり、そしてそれに先立つマイクロ化事業であり、なわけで、前著&本書の歴史的なトピックをたどっていく中で、この第3章に出逢ったときに、ああなるほど、と。それまでここで扱われてきたテーマなり問題意識なりってのはまったく歴史学オンリーの舞台上の話ってわけでもなんでもない、そこにある“現代性”みたいなものがちゃんと存在するんだなということを、思い出させてくれるというあれですよ。だからこれは是非、いま電子書籍に興味あるんだけど自分、という人こそ、昨今のうわっつらだけの電子書籍議論に辟易してるような人こそ読んでくれはったらええと思うですたぶん。ぜひ。おもろいから。歴史学は歴史学そのものの自己目的のためにあるんじゃないって思えるから。

 そんな感じですげえいい加減な自分勝手な紹介の仕方ばっかりしちゃった感じになるのもあれなんで、もっとずっとまともな紹介・書評関係のリンクを下記にまとめときますね。
http://b.hatena.ne.jp/egamiday2009/%E2%97%8F%E8%B6%8A%E5%A2%83%E3%81%99%E3%82%8B%E6%9B%B8%E7%89%A9%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AF/

 あとなんだろう、もう一エピソードあるっちゃあるんだけど、それはまあ本編(えっ(笑))のほうにとっときます。

越境する書物―変容する読書環境のなかで [単行本] / 和田敦彦 (著); 新曜社 (刊)
posted by egamiday3 at 20:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月11日

情報発信を考えるヒント(5): saveMLAK

 saveMLAK
 http://savemlak.jp/

 もうあえて言うまでもないんだけど、あらためて、wikiってすごいなって。
 扱ってる地域は広いし数も膨大だし、その情報を収集して記述して編集して編纂してって途方もない労力なんだけども、その途方もないことを、意志のある人であれば誰でも参加できる、寄与できる、という仕組み。一部の専門家や担当者だけの労力を頼みにするんではなくって、専門知識のない人、実務経験のない人、被災地から遠い人、普段は別の本業に専念している人、ちょっとの時間を割いて使える人、が参加できる仕組み。wikiのシステム自体はそれほど難しいものじゃないし、難しいなあっていう人であっても、それを互いにサポートし合う仕組みもまた用意されているという。
 そういう、分散したリソースを無理なく集約して、途方もなく膨大な情報を継続的に編纂していける仕組みがwikiなんだなあって、あらためてわかりました。

posted by egamiday3 at 21:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情報発信を考えるヒント(4): 「(短信)海外日本研究と図書館」(@JLA_line)

「(短信)海外日本研究と図書館」(@JLA_line)
http://twitter.com/JLA_line

 「(短信)海外日本研究と図書館」(@JLA_line)は、わたしが運用しているTwitterのアカウントで、海外の日本研究とか日本図書館とかについて、日々メールやtwitterやRSSやGoogleアラートやで受信している情報の中からそういうトピックを見つけて、その都度その情報とリンク先URLとを投稿する、ていうやつなんですけど、でも、ほら、あたしってものすっごいめんどくさがりなもので、めんどくさくなくて済むようになるんであれば、そのためにどんなめんどくさいこともいとわない、っていうくらいのめんどくさがりだよっていうあれで、情報を見つける度に手入力とかコピペとかしなくても、数クリックだけで、複数の場所にその情報を投稿・保存する方法っていうのを自分なりに考えたんですよ、これが正解かどうかわかんないんだけど。
 
Firefoxでブラウジング中に情報・webページを見つける。
→Firefoxに組み込んである「はてなブックマーク連携アドオン」で、その場でブックマークする。このとき[JLA短信]というタグをつける。
→「twitterfeed」に、はてなブックマークの[JLA短信]タグのみのRSSを受信させる。
→「twitterfeed」が[JLA短信]タグのついたブックマークの情報を、Facebookの「toshinori.egami」のアカウントと、twitterの「JLA_line」のアカウントとに自動投稿する。
→twitterの「JLA_line」に自動投稿された情報は、ブログ「海外日本研究と図書館のブログ」(http://jlablog.seesaa.net/)と連携し、1日1回記事として自動的にまとめ投稿する。

 まああれです、情報発信で何かネックかって、やっぱ”手間”だなあと。カレントに、毎日・定期的に、こまめに扱うような情報作業って、やる気や意志の力だけではまずまちがいなく持たないので、できるだけ負担なく面倒くさくない方法・仕組みを用意する、ていうことも、効率的・効果的な情報発信には欠かせない、これはたぶんまちがいないと思うのですよ、いや、上の方法が最適なスマートな方法かどうかはあたしまだわかんないから大きなこと言えないんだけど、考え方として。

posted by egamiday3 at 20:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする