2012年の図書館総合展@パシフィコ横浜で、私が唯一行ったフォーラム。というより、このフォーラムに参加するためだけに日帰り往復したという、フォーラム。それが、これです。
---------------------------------
クールジャパンから リアルジャパンへ --グローバルな日本研究を支えるMLAコラボレーションを目指して--
日時 : 2012年11月20日(火)13:00-17:00
主催 : 北米日本研究資料調整協議会(NCC)/図書館総合展運営委員会
【第1部】
ライブラリアンと語るわたくしの日本研究
http://2012.libraryfair.jp/node/829
講師:
ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)
エイミー・ハインリック(元コロンビア大学図書館長)
【第2部】
リアルジャパンを世界に発信!--クールジャパンを超える世界的MLAコラボレーションは可能か--
http://2012.libraryfair.jp/node/922
●Ustream(アーカイブ)
第1部 http://www.ustream.tv/recorded/27153562
第2部 http://www.ustream.tv/recorded/27154591
●Togetter(egamidayによるメモとして)
http://togetter.com/li/410765
---------------------------------
このフォーラムを主催したNCC・北米日本研究資料調整協議会は、北米(アメリカ・カナダ)の日本専門のライブラリアンが集まるグループです(http://guides.nccjapan.org/)。現地で活躍する日本人・北米人等のライブラリアンや研究者から成ります。今年はこの方たちが横浜までやってきて1フォーラム設ける、というので、これはゼッタイに見逃せないと思ってやってまいりました。
第1部と第2部。ドナルドキーン先生の対談もあわせて全4時間。
いっさいの疲れを感じませんでした、午前中に京都→永田町→横浜のムリヤリ行軍がありながら!
以下、個人的なメモです。
でもこんなの読む暇があったら上のUstreamアーカイブを見てください、全部とは言わない、特に第2部冒頭(http://www.ustream.tv/recorded/27154591)の横田さんのスピーチ、それだけでもいいから!!
------------------------------------------------------------
【第1部】ライブラリアンと語るわたくしの日本研究
講師:
ドナルド・キーン(コロンビア大学名誉教授)
エイミー・ハインリック(元コロンビア大学図書館長)
・先生は心の底で図書館員です。角田柳作の影響。
・ドナルド・キーンが語る角田柳作。日米関係危うい中、角田の学生はキーンひとりだけ。準備大変だからやめましょうと提案したが、ひとりだけなのに角田先生はキーンのためだけに準備・講義をしてくれた。
・戦時期を経て、「どうしてももっともっと勉強したいという気持ちでした。」(キーン)
・京大時代。古本屋がたくさんあった。
・谷崎潤一郎との関係について。
・ケンブリッジ大学時代。イギリスから日本に送金することはできなかったので、友人をつてに本を入手するしかなかった。
・ケンブリッジ大学にはアストンの収集した図書コレクションがあったが、ほとんどが和本・くずし字だった。日本の講義といえば、いきなり古典の古今集仮名序から始まる。古事記の講義をしようとしたら、慶長の古事記の写本しかなかった。(<江>これは要確認)
・コロンビア大学のライブラリアン・甲斐さんや、国際文化会館のライブラリアン・福田さんについて。甲斐さんは本をよく知っていた。研究者にとってきわめて大事な人だった。
・ドナルド・キーンは「明治天皇」という著作による印税収入で、自分の研究のためではなく、他の研究者・学生のために牧野守の東アジア映画に関するコレクションを購入してくれた。明治天皇、ドナルド・キーン、読者、牧野守、というつながり。
・ケンブリッジではじめて日本語を教えた「キルー(キリュー)」さんとは?
----------------------------
【第2部】
リアルジャパンを世界に発信!--クールジャパンを超える世界的MLAコラボレーションは可能か--
●オープニング
横田カーター啓子(NCC代表・ミシガン大学東アジア図書館)
(NCCの活動)
・かつては日本のe-resourceを海外に売ってもらえなかったので、それをなんとか売ってくれということを交渉するために、2006年に日米電子資料会議を開いた。
・JAC(Japan Art Catalog)プロジェクト。国立新美術館が行なっている、日本の美術展図録を海外の図書館に寄贈するプロジェクト。現在アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアへとグローバルにひろがっているが、これはもともとたったひとりの日本のライブラリアンのアイデアと行動から始まったものだった。だからみなさんも、響いたこと・感じた思いを大切に、こんなこと実現するか?というようなことでもあきらめずに、考え続けてみてほしい。ひとつの思い・考えが、JACプロジェクトのようなものになることもある。
・2012年のCULCON(日米文化教育交流会議)において、その施策提言として「米国における日本語教育」について以下のようにもりこんでもらえるようロビー活動を行なった。→「(9)CULCONは米国における日本語教育が強化されること、および利用料の軽減や削減も含め、米国の学生が日本語教材・資料にアクセスする機会が拡大することを要請する。また字幕つき日本語教材のさらなる開発を推奨する」。日本の映画やアニメは、英語字幕がついていないことが多く、そのために日本映画・アニメを楽しめる人数がごくごく少数に限られてしまう。日本語教材の開発という意味でもぜひ改善をお願いしたい。
(クールジャパンからリアルジャパンへ)
・いまのクール・ジャパンは、特別なものではなく、いま海外の人びとの「楽しい生活」としてすでに深く浸透している。例:「ヨーロッパ旅行から帰ってきたわあー、つかれたー、寿司食べたいー」というシアトル人、など。
・クールジャパンに始まり、日本のことをもっと知りたい、興味を持ちたい、理解したい、学びたい、という日本理解者・日本興味者・日本学習者が大学・教育の場にやってくる。その人たちに、日本資料・日本情報へのアクセスを促進させること。人と知識をつないで、人と社会を豊かにすること。それが図書館の役割である。
・そして、そのアクセスがいまのところうまくいってないことが問題である。
・日本の発信力は、日本と世界を結ぶ絆(きずな)力である。アクセスの改善は、絆(きずな)力の強化である。
・そしてユーザの志向、世界が日本に求めているのは、オンライン、デジタルのフルテキスト、ビジュアル、動画・映画である。
・日本の研究・学術成果に対する期待。「日本は世界に先駆けて人類共通の問題を体験してきた。加えて、日本には世界を救う(学術的)英知がある。それをもっと世界に広め、共有してほしい。」
・日本にいるだけでは自分ひとりと世界とのつながりは見えにくいかもしれない。が、いま自分の目の前の「人と知識とのつながり」は、「次のつながり」へと続いていくことである。それが、世界をよりよくすることにつながる。
------------
●「ポップ・カルチャー、国家イメージと日本研究 : 東アジアと中東の視点から」
ニッシム・オトマズギン(ヘブライ大学・イスラエル日本研究学協会会長)
・ポップカルチャーが、国のイメージを左右しうる、ということ。
・日本のポップカルチャーが、アジアの若者の歴史観・国家観にどのような影響を与えるか。
・日本研究の総合的な課程がある中東近辺の国は、イスラエル、トルコ、エジプトなど。
・アラブ圏の学生の日本語学習の動機。就職・観光業などのため。日本の文化・ポップカルチャーへの興味関心のため。
・イスラエル人口700万人に対して、日本語を学ぶ学生400人は多い。(<江>日本の人口で言ったら7000人いるってこと!?)
(参照)世界の日本研究の縮図としてのイスラエルにおける日本研究 | をちこちMagazine
http://www.wochikochi.jp/special/2012/06/Israel-Japan.php
------------
●「日本研究者のグローバル化に必要なこと : ビッグデータを発信する中国vsこもり続ける日本」
新保敦子(早稲田大学)
・中国の図書館・電子化事情。電子化と情報発信が戦略的。学術資料の90%が電子化される。電子化までの期間も早い。
・日本人研究者による研究成果を、中国人研究者が論文化している。しかし日本の成果は日本語でしかなくてデジタル化も発信もされないので、そのまま中国人研究者の成果として世界に認められている。(<江>聞いたことある。どこで聞いたかは忘れた。この先生からなのかもしれない)(<江>そしてこれは、特定の国だけじゃなくて、たぶん違う国・違う言語でも同じようなこと起こってておかしくないだろう。)(<江>しかしそれを言い出すと、日本もかつては・・・)
・日本人研究者側に危機感がない。「著作権の問題、研究内容のレベル、被引用数の妥当性、だから」、と。(<江>それぞれどれももっともなんだけど、だからといって現状が危機的であることを認めなくてもいいということにはならんだろう。)
・デジタル化されない論文。消極的で紙にこだわる出版社・研究者。
・<江>論文PDF・デジタル版がない、という問題以前に、書誌・メタデータすら世界に流れていかない、ということらしい。
・研究者の情報発信の支援。海外からのアクセスの利便性。これに図書館が力を入れること。これにつきる。
------------
●「世界における日本学・日本研究者のグローバル化を支えるMLA資料の国際協力」
テオドル・ベストー(ハーバード大学・AAS会長)
・2015年は京都にてAAS学会開催予定とのこと。
・「311後の日本」という、世界が真摯に求めるコンテンツ。(<江>そのことを日本側がどれだけ自分事として受け止められるか、だと思う)
・日本で生まれるコンテンツをいかに世界にひろげるか。
・日本語で生まれるコンテンツを世界にひろげる責任は、日本にしかとれない。
・日本語で生まれるコンテンツでも、英語で検索したい、タグ、索引、字幕付けされていてほしい。
・グローバルな情報の流れにつながらなければならない。
----------------------------
●「文化力の時代」
青木保(国立新美術館館長・元文化庁長官)
・<江>メモとってません。長時間の疲れもありましたが、それ以上に、耳にも脳にも心にも心地よい講演で聞き惚れていました。歳をとったらこんな講演ができるような人間になりたい、と思った。
----------------------------
●ディスカッション
・日本の映画やテレビ、英語字幕付き、がもっと海外に販売されれば人気が出るはず。
・日本のe-resourceを売ってもらえなかった、それへの対策。(<江>つい先日も、NHKが自分のとこのDVDを海外には売ってくれない、という嘆きがありました・・・)
・CiNiiに英語抄録を登録しても、日本語がわかる人にしか、その抄録に到達できないし、ローマ字著者名で検索してもヒットしないから、意味がない。
・ユーザの声を伝えるべきところへ伝える、というのも使命だし、CULCONのようなところにロビー活動をして働きかけるということも仕事。
・米国日本研究司書や研究者が抱えるさまざまな問題を、日本の人びとにも、共有してほしい。そういう思いで今回のサミットを企画した。
・今日これ聞きにきて会場にいまいる全員、帰ったら感想その他をネットで発信してください。情報発信は我々ひとりひとりの問題。(suggested by egamiday)
2012年11月26日
「日本と西洋 -イメージの交差-」展@NDL東京、を見た。そして、見て。
先日の図書館総合展@横浜へ日帰りで行ったときに、同じ東京圏ならこれはぜひ行っておかねば、との嗅覚が働いて、NDL東京本館で開催中の展覧会「日本と西洋 -イメージの交差-」を見てきました。足を伸ばして。その後のパシフィコ横浜までなんだかんだで2時間近くかかりながらも。
さすがに、行って正解でした。
ていうか、これみんな行かなきゃダメだって、すげえことになってるから(注:あくまで自分比)。
すなわち、西洋から見て描かれている日本のイメージの、大航海時代から鎖国・開国、19世紀後半のジャポニズムから20世紀初頭のきなくさくなってくる頃まで、時代時代の資料がずらっと並べられていて、時代時代での"日本イメージ"がわかる、という。
まさに、『本棚の中のニッポン』第4章(http://jbsblog.seesaa.net/article/266764150.html)ていう。
私も執筆時にいろいろ勉強しました。ていうか、我がNBKでも先の一般公開展示で似たような企画やってました。でもやっぱり、知らないこと、見たことない聞いたことない資料、たくさん陳列されておられてすっかり勉強になりました。もう丸暗記してしまってかまわないくらいに。
残念ながらギャラリートークにこそ参加できませんでしたが、東京圏にお住まいの方にはぜひ足をお運びいただいて、"歴史的本棚の中のニッポン"の世界を満喫していただければ、とおすすめします。日曜開いてないのはイタいですが、無料ですし、ぜひ。
2012年 11月5日(月) 〜 12月8日(土)
日・祝・休館日除く
10:00〜19:00(土曜日は18:00終了)
国立国会図書館 東京本館 新館1階 展示室
そのメモいくつか。
(展示そのものについて)
・会場で16ページのA5パンフレットを「簡易図録」としてもらえるんだけども、それはだいぶ簡易で、展示パネルの解説文なんかは載っていない。で、webサイト(http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/1196027_1376.html)にも「簡易図録」という名称でPDF(3.96M)があがってる(http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/list121119.pdf)んだけど、これがなんとA4で65ページあって展示パネルの解説文も載ってたりする、事実上の「詳細図録」だったりするので、マスト、マストバイ、マストダウンロードです。あたしはこれをカラー印刷して製本して、しかも3部作って、ひとつは保存用、ひとつは書き込み学習用、ひとつは業務参考資料として常備しておくつもりです。あと、別刷の「出展資料リスト」(http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/list121113.pdf)もマスト。
・ていうか、この詳細図録も本にしておいてほしかった。PDFだけでは当館の蔵書にできない・・・><。
・日本と西洋のイメージの交差を描く展示だけあって、例えば「ケンペル『日本誌』と『訓蒙図彙』の挿図の比較」パネルなんかが、なるほどわかりやすくていいなあと思う。ちょいちょいそういう、イイね!な比較パネルがある。
・先の我がNBK展示でも、同じ資料の同じ図版箇所が展示されてたりして、ああ、見所ってのは一緒なんだなあと思うとともに、もっと見所あるシーニックな場所は探せば他にあるんじゃないのか、という思いにも駆られる。
・レプリカの展示、というのも良い。現物ではなく、その上質なカラーコピーを製本して、客が手にとってぱらぱらとめくって見れる、という。これは真似するべき。
(資料とその背景について)
・中身については、もう正直、1点目から全部あれこれ書き出しかねない状態なので、ちょっともうやめにして、ごく一部だけにします。詳細は「簡易図録」という名の詳細図録(http://www.ndl.go.jp/jp/event/exhibitions/list121119.pdf)を参照。
・例えば『養蚕秘録』。幕末期に、日本の養蚕技術本が西洋に渡って翻訳・紹介されたもの。これってロニー先生が翻訳したんだね。当時フランスで蚕が病気でやられちゃってたときに、徳川慶喜がナポレオン3世に蚕の卵のついた紙を15000枚贈って、フランス生糸業界をお救い申したらしい。
・1860年のイラストレイテッドロンドンニュースに描かれている「江戸城」が、1670年のモンタヌスの『日本誌』に描かれているのとほとんど同じ構図、ていう話。コピペは、ダメ、ゼッタイ。
・20世紀初頭、日本脅威の空気が起こりつつあったころにアメリカで出版された『ハシムラ東郷 日本人学僕の手紙』という本。アメリカの雑誌に、日本人の学生が書いた風を装って投稿された記事が、どうやら掲載誌を渡り歩きつつも30年ほど連載されたらしく、それをまとめた本。日本批判でもありながら、アメリカ風刺でもあったりする、社会派文芸らしい。マーク・トゥエインが絶賛したとか、早川雪洲主演で映画化されたとか。その映画が見たいぞ。
まだまだたくさんあるのですが、本当にきりがないのでこのくらいで。
続きは、ぜひ、永田町で!
iPad miniの使用感・記録
iPadはいらないけど、iPad miniなら即買う。
→出る。
→買った。
ちなみに、黒、16G、wifiのみ版。
そこからの使用感や、感じたことなどの記録。主に入手後1-2週間。
・とにかく軽い。とにかく薄い。とにかく小さい。机上で紙と紙の間に重ねて置かれたら、もうどこへ行っちゃったかわかんなくなるレベル。カバンに入れても誤差でしかない。
・大iPadは、ご自宅や職場で、机上で、複数人で見ながら、などの用途に適していたんでしょうが、自分ひとりで持ち抱えてとか、外に持ち出して、などの使い方をしたい自分としては明らかにこちらのほうがまったくもって使いやすい。この差だけで、iPadは数日使ってみてもう使いたくないと思ったのに対し、iPad miniは数日使ってみてもう手放せないと思えたから、なんというか、技術や情報がどうなっていっても、やっぱり身体との相性や物理的な形・大きさっていうものからは逃れがたいんだなあ、と実感する。
・これはもう、「iPad miniを手に入れた」というよりむしろ「iPadを手に入れた」だった。世間はこっちのほうをこそiPadと呼ぶべき。でっかいほうはパッドと言うよりボードだった。
・自分はwifiのみ版のこれを、自宅職場以外ではe-mobileのポケットwifi経由で使ってたのだけど、最初全然うまいこと通信してくれなくて、これは失敗か?ケータイ版を買い直すのか?と絶望しかかったのだけど、なんかいろいろ調べてGoogleの数字を入れたらうまくいったので、よかったなあと。でも余裕がある人はケータイ版買った方がいい気がする。
・通信さえうまく行けば、快適すぎて、もはや出先でノートパソコンがいらんという状態になっている。ノートパソコンとiPhoneとiPadでdropboxを介してファイルを共有するから、todoリストも執筆メモや構想メモも、その場その場でリレー形式で渡り歩きながら更新していける。読みかけたPDFファイルも同じく共有で、続きをはしごしながら読める。これはひどい、便利すぎてひどい。あとは、ワード、エクセル、パワポが使えさえすれば、一気にクラウドの奴隷。
・そして、ネットのブラウジング程度でいいのなら、もはや出先どころか自宅でさえもパソコン開くのがおっくうになってしまって、iPad mini使ってしまっている状態になってる。これはヤバい、親和性が高すぎてヤバい。このままだと廃人になってしまう、ネット馬鹿になってしまう、iPad mini見るなbotを導入すべき。
・イスやソファにもたれて使うのが一番使用感が快適。逆に言うと、ごく私的直感だけど、確かにブラウジングによるインプットと簡単な情報操作には充分便利なんだけど、その反面、アウトプットやデスクワークのがっつりしたのには不向きなツールだろうな、とは思う。
・iPad miniは、ソファで後ろ体重、ブラウジングでインプット。でもアウトプットには、デスクで前のめり、がいる。考えを練ったりひらめきをつかまえてその次のかたちづくりにつなげる、という前のめりさ。あとキーボードと、すぐに別の資料や文具に伸ばせる両手が必要。そう、iPadは使っている間は両手がふさがってしまっているから、それ以外の行動へ迅速に移れないという欠点がある。そして、実はこれがデスクワークにはもっとも重要な、複数開いたウィンドウ。
例えば料理でも同じで、食べるインプットだけなら箸一本でほぼこと足りるけど、作る時には山ほどの道具使って手を動かさなきゃいけない。複数のツール、複数の資料、複数のウィンドウを同時・瞬時に使い分ける必要がある。
発想は使う/使える道具に左右される。なので、iPad単体でアウトプット的なものづくりはちょっと、と思う。
・文句があるとするなら、safariのブックマークバーを頻用しているわけなんだけど、それが小さくて押しにくい。うん、というような細かいことに文句が行くくらいに、全体的な使い勝手は申し分ない。
・アプリをiPhoneと合わせたくてiPadにしたんだけど、存外にiPhone専用のアプリが多くてiPadのほうでは使えないんだなあ、という残念感。
・電子書籍端末としてどうかというのは、まったくわからない。いまのところ、電子書籍自体に慣れてないしその魅力(らしきもの)も自分には身体に落ちてきてない。カバンには常に紙の本が入れてあるし、ていうか、読書くらい紙でさせろっつうの、そう四六時中電子機器なんか使いたかねえし。
・そろばんアプリがあったら、iPad miniでトニー谷ごっこがしたい。
2012年11月07日
「書く」こと または 「登壇する」ことについて考えたこと
ここで言う「登壇」は、発表とかプレゼンとか、多数の人前で何かしらまとまったことをしゃべって伝えるようなことです。
ありがたいことに、本書(『本棚の中のニッポン』 http://www.amazon.co.jp/dp/4305705885/)を上梓してからその件に関してお声をかけていただくことも増えまして、いくつかの場で登壇させていただいたりもしました。何がしかの勉強会とか研究会とか。年内年始にも。詳細は専用ブログ(http://jbsblog.seesaa.net/)のほうで。
そうやってお話させていただくことが続くと、プレゼンってどうやったらうまくなるでしょうとか、どういうことに気をつけて練習するんですかとか、そういう、プレゼンテーションや発表のスキル的なこと、うまくなりたいんだ、その方法を身につけたいんだ的な相談チックなことを話題にされたりしますよね。やらなきゃいけないこともあるんですけど、不安なんですよ、つって。わたしにきかれるんですけど。
わかんないですよ、わたしだって。全然慣れてないですよ。場数ある程度あるはずだけどいまでも四苦八苦してますよ。
毎回降壇後は胃液がばーって出ておなかいたいっつってトイレで泣いてますよ。
何度かやってきたうえで一周回っていうなら、プレゼンなりそのスキルなりなんてものは、所詮ツールでしかないし伝える手段でしかなくて、実際中身のほうがよっぽど大事なんだから、あまりプレゼンのスキルや方法のほうばかりを向いたりとか、ましてやそれに集中して学ぼう極めようなんてことは、時間やエネルギーの無駄なんじゃないかなって。もちろんそのスキル・方法が拙かったから中身の良さが伝わらなかった、ということは数多あることで少しは心得てなきゃなんないんだろうけど。でも、かといってそれが充分にあったから、無条件で中身が相手に伝わるっていうこともあるわけじゃない、そこを気にしてとらわれてしまうっていうコストに見合う結果は得られないと割り切った方がマシな気がする。その方が楽になる。所詮ツールなんだから。一部の専門家や趣味人が極めたらいい。
というのがひとつ。
もうひとつは、どうすれば伝わるかなんつって結局、場合によるとしか言えないし思えないんで、あんま考えすぎてもしょうがないし、多少身に付けたからって実際はあてはまらないことのほうが圧倒的多数なので、最終、あんま意味ないんですよね。いや、意味ないは言い過ぎか、でも、考えすぎても意味ないんですよ。なんつうんだろう、パラメーターが多過ぎるから、って言うのかなこういうの。
例えば、同じ内容を、同じ業種・層の人たちに、同じ人数、同じ会場、同じ条件でやるっていっても、2012年と2002年と1992年とでは同じやり方できないじゃないですか。相手が変わってるから。伝えたいと思う相手の、予備知識だとか情報スキルだとか社会への理解とか、どんなプレゼンを見慣れ聞き慣れ、それ以前にどんなコンテンツ、どんなメディア、どんな言葉、どんなしゃべりを見慣れ聞き慣れ触れ慣れしてるかがぜんぜんちがうから、どうやったらちゃんと伝わるだろうかっていうのもちがう。ましてや業種・層がちがう、人数がちがう、会場やプレゼン機器がちがう、夢がちがうほくろがちがう。ふざけんなと、どんなムリゲーだと。多少スキルが身についたからって全対応できるわけがないじゃないですかね。関西か関東かの差だって相当なもんだし。
本書上梓後、本書関連のプレゼンを複数回させていただきました。毎回内容も進行も、言葉も立ち居振る舞いも、今回はこのやり方でっていうのも、総じて大小なりと変わりました。毎回変えてるんですねーて言われます、変えるに決まってるじゃないですか、だって相手変わってるんだから、同じことやったら失敗するにちがいないもの。
もちろん、上手いプレゼン、成功したーって満足するプレゼンはできるでしょう。そういうスキルや方法を極めたり、極めた人の言うことを学んで実践したりすればいい、それは上手いプレゼンになるでしょう。不安なく場に臨めて、満足できるでしょうし、ほめられるかもしれない。でもそれはあくまで、自分が上手かった、ということであって、千差万別な聴いてくださってる相手に中身が伝わったかどうか、ていうのは実はまた別の話でよくわかんなくなってくる。
わかんないですよ。不安ですよ毎回。でも不安でいいじゃないですか。
あなたが不安を感じるのは、聴く相手のほうをちゃんと向いて、相手に中身をちゃんと伝えたいんだと真摯に思っている、願っている、という証拠ですよ。
自分が上手くて成功したいだけなら、世に山ほど出てるプレゼンテーション関係の本とかレクチャーとかハック的なのを真似たらいいだけなんで、そういう人は不安に思ったり迷ったりしないです。
でも、伝えたいことのちゃんとある人が多少不安がってたり緊張してたりしたところで、誰も文句言いません。内容がへちゃかったら文句出るかもだけど。最悪、ごめんなさい、って言ったらいいです。
だからまあパラメーターの多すぎるあれなんで、対策としては、できるだけ多くのプレゼンを見聞きしてor実践して、こういうアウトプットに対し、こういう場のオーディエンスは、こう受ける・反応する、ていう事例を自分のデータベースにできるだけたくさん蓄積していく、のが結局不可欠なんじゃないかなって。
あ、上手いはどうでもいいけど、下手なプレゼン、ていうのはたぶんあるですよ。料理の美味さが人によってちがっても、不味い料理は誰にとってもほぼ同じ、ていうように。だからどういうやり方はマズいか、ていうのは身につけたほうがいいんだろうけどですね。プレゼン本とかの最大公約数的な話とか見て。
ただまあ、それを読み過ぎたところであれですよね、ていう話です。
えっと、これで終わりそうな雰囲気だけど、なんだっけ、タイトルに「書くこと」ってついてるんですよね。
いや、文章書くことの不安というか、読み手のパラメーターの多さなんかくらべものになんないですよ。月とスッポンですよ。スイートスポット(http://www.europe-kikaku.com/projects/e31/main.htm)ですよ。登壇したときのその場の相手なんかまだある程度は限定的じゃないですか、場所とか、背景とか、層とか。限定されてなくっても、知る・把握することはできるし。でも一方、書いた文章の読み手なんか、どんな属性・予備知識を持った人が、どこで、いつ、どんな経緯で読むかなんてさっぱり検討もつかなくて個々ばらばらだし。
しかも、その場に居るわけじゃないから、どういう反応だったかの検証すらできない、フィードバックなんか極々一部しか得られない。なんですかこの空をつかむような負け試合は。相手はゴーストですか、ゴースト相手のライターですか。それでも書かなきゃいけないですか。
もう毎回、嫌な思いして、不安で不安で、でもそれでも書いてます。ていうね、そういう感じです。
結論出ないまま終わるパターンの記事ですねこれは(笑)。
2012年11月04日
『新・日本学誕生 国際日本文化研究センターの25年』
![新・日本学誕生 国際日本文化研究センターの25年 [単行本] / 国際日本文化研究センター (著); 猪木 武徳, 小松 和彦, 白幡 洋三郎, 瀧井 一博 (編集); 角川学芸出版 (刊) 新・日本学誕生 国際日本文化研究センターの25年 [単行本] / 国際日本文化研究センター (著); 猪木 武徳, 小松 和彦, 白幡 洋三郎, 瀧井 一博 (編集); 角川学芸出版 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/516u8DDqXoL._SL160_.jpg)
Amazon.co.jp: 新・日本学誕生 国際日本文化研究センターの25年: 国際日本文化研究センター, 猪木 武徳, 小松 和彦, 白幡 洋三郎, 瀧井 一博: 本 http://www.amazon.co.jp/dp/4046214090
泣きながら一気に読みました。
いや、泣きながらはウソですが。
身内の本なものですからこんな褒め言葉並べるのもおかしなあれなんですが、その、身内だからっていうのをさっぴいてもおすすめできる、学術・研究に関わる職業の人なら読んで損はないんじゃないかなと思います。存外安いし。遅読の自分にも半日ちょっとであっというまに読めるし。(10/31発売)
本書は、国際日本文化研究センター(http://www.nichibun.ac.jp/)の25年史の一環として出されたもので、半年ほど前に『資料編』()と題した分厚い、ファクトデータと事務的解説文書からなる、いかにも機関史然とした機関史が非売品として刊行されてて、ふつーだったらそれで終わるところなんでしょうけど、いやそれだけじゃあれなんで、一般向けに、読み物として、広く読んでもらえるようなものを書いて出版しよう、っていうことで出たのがこれなんですね。
ですから、なにせ読みやすい。平易で、テンポよくて、話題が豊富で、くどくない。この本は当初は『日文研物語』という書名の予定だったたように思うのですが、たしかに”物語”として読める。ライターさんってすごいなあと。
加えて、一機関の機関史なんだけど、
・文教・学術行政とプロジェクトの一事例
・学問、特に”共同研究”とは何か
・学術外交・研究協力(サービス)のあり方
といったテーマでもって、広く一般的に見ることができる、考えるヒントになれる。
なので、そういった意味でじゃあ例えば、院生さんやこれから研究職を目指そうとする人とか、若手の大学職員の人に読んでもらって、へえー、とか、うーんこれはどうだろ、とか、いろいろ考えながら読んでもらえたらいいんじゃないかなあ、って思います。自分だったら、20代のうちに読んでおきたかったなって思うので。まあ、基本的に昔語りのところも多いので、ご時世にそぐわないところは適宜読み替えてもらったほうがいいかなとは思うけど。
目次情報がまだネットにないので、打っときます。
----------------------------
序章 日文研とは
「日本文化」を「共同研究」する/なぜ「国際」「センター」か/八〇年代「日本ブーム」/「国際」「学際」「総合」/羅漢たちのアカデミー
第1章 発端の物語
1 「世界文化自由都市」と「日本文化研究所」
嘘から出たまこと/発端は京都市の「宣言」/桑原流組織術/「異例」なまでの歩み
2 文部省との折衝
梅原の文部省通い/「通常の手順」はとらない/中曽根首相との懇談/「文化の権化」たれ
3 日文研創設の論理
「研究」と「協力」の二本柱/国益という名の戦略/梅梅戦争
4 創設への異例の進展
政が号令し、官・学が共に走った/紅白梅と桑畑
第2章 創設の物語
1 文部省七階の屋根裏部屋
屋根裏部屋のころ/室長と次長の十四ヵ月/委員会と専門部会
2 「逆風(バッシング)」に対抗する
反対派が絶対多数/「論争」と「縄文踊り」/私はヤマトイストではない/ANO会の活躍
3 「京都」への誘致問題
「京都前提」への批判/さまざまな候補地/設計者、内井昭蔵/八百万の神のすみか/日文研という「別世界」/バッシングとクローバーの思い出
4 「スター」を集める
花形教授が集合/定年教授はいらない/若手の採用に尽力
5 仮事務所でのスタート
たった八人/コモンルームに「面影」
第3章 共同研究の物語
1 桑原武夫の知と愛
「猛獣使い」/他流試合方式/スターリン型の指導力
2 「研究域」と「研究軸」
まったく新しい研究体制/「教授会」「講座制」の廃止/「研究域」「研究軸」
3 共同研究のスタート
「共同研究」第一弾/日本人二重構造モデル/「仮説攻撃型」で効果を上げる
4 もう一つの柱、「研究協力」
車の両輪/世界の日本研究/国際研究協力の課題
コラム 日文研のデータベース@ 外書、外像
第4章 日本文化の諸相
1 第一世代--「スター」たちの活躍
第一世代と第二世代/センターの役割を意識/日本人は個性的である/博覧強記の主宰者たち/「短冊」と「かざり」の世界/「個人」を研究する/壮大なテーマ設定
2 第二世代--「はえぬき」たちの時代
ゲリラ的共同研究/「逆欠如」から見た日本/花見は日本にしかない/パンチラから性欲へ/梅原の激励で「武家」「春画」/「環境」と「近代文芸」/小松妖怪学/第三世代へ
コラム 日文研のデータベースA 艶本コレクション
第5章 日文研のこれから
1 共同研究の研究へ
「日文研的」共同研究/「空中戦」の功と罪/懇親会の効用/「成果物」というもの/これからの共同研究
2 国際研究協力の行方
日文研はサービス過剰か/研究協力からもらうもの
3 猪木武徳の語る展望--日本研究と学術外交
日本研究者のサポートが第一/日本研究の「核」を育てよ/自由な学問、豊かな人材/良質の日本応援団を増やす/国益と学術外交
コラム 日文研のデータベースB 怪異・妖怪
----------------------------
そして、極私的ハイライトの抜粋。
・「私の三回忌に研究所ができるようなことでは困りまっせ」
・「センターの教官はすべて両者(研究活動と研究サービス(=内外の日本文化研究者に対する研究協力))を分担する」「研究サービスは、研究活動のおまけなどではなく、主要業務である」
・梅原「べつに喧嘩なんかしておらんよなあ」 梅棹「もちろんそうや」 井上(「親分の間に挟まれてこれはかなわん」と思いながら小さくなっていた)
・思想信条や学術上の主張に多少の違いはあっても、いざというときにはがっちり組んで助け合う「関西的ネットワーク」。
・「この研究センターに定年教授はいらない。現職の教授にきていただきたい」
・祗園のお茶やにて、梅原は埴原をくどきおとすために、間にいた芸者を突き飛ばして埴原に抱きついた。
・現存する春画でめぼしいものは約1200点とみられる。そのうち日文研所蔵は360点(これらは電子化・公開されている)。あとの主要な所蔵者は、立命館、大英博物館、ホノルル美術館、イスラエルの個人所有者、以上5者でほぼ網羅。
・講座で留学生を抱えてがんばっても、彼らを送り帰したあとにどうやってケアするか、事後のフォローアップのシステムを持っていなければならない。
・ヨーロッパ、アメリカなどとちがい、日本研究に新規参入してきた国々はまだ日本とのパイプが太くはない。だからこそ、そこによりよい日本研究者がたくさん育ってくれるよう、国際的な研究協力が必要。
・日文研の教員は、個人研究者であると同時に、オーガナイザーであることを求められている。
・「専門知」の閉鎖性を打破して「総合的な知」を獲得するための、「他流試合的」な共同研究。
・代表者がひとつの仮説を提示し、参加者が各方面から批判を加える「仮説攻撃型」共同研究。
・メンバーが自由に集って、言いたい放題に議論して、さっと解散する「ゲリラ的」「場外乱闘的」共同研究。
・協力し合って一つのテーマに取り組む、物量的な共同研究。
・代表者がメンバーを制御しつつひっぱるトップダウン型。
・偶発的な広がりを期待するサロン型。
・日文研の共同研究ほど、総合学としての妖怪研究を実践するのに適した場所はなかった。→異端で終わる可能性もあった研究テーマを、異端で終わらせず、国際的総合的学際的なアプローチで総合学にひきあげる。
・(懇親会の効用を含め)なんだかわからないがなにかとんでもないものができてしまう、といったことを、いまも期待するのは難しい。あの「るつぼ」のようなものはどのようにすれば生み出せるか。
・共同研究での議論を、よりおもしろくコンパクトにして、一般の人にも読んでもらえるように再編集した上で出版する、という研究成果の出し方。
・メンバーの成果を加工せずにそのまま活かし、誰にも通読できないほど取り付きの悪い議論であっても、学問としてそれを取り扱い残していく、という研究成果の出し方。
・いまや共同研究は珍しい手法ではない。共同研究とは何か、を考えるべき。
惜しむらくは、文献の出典記述が逐一ないこと、かと思いますが、まあ本書にそれを求めたいと思うのは自分みたいな者くらいか・・・。ていうかあたしもあんま言えたあれじゃなかったし・・・。
あと、↓合わせて読みたい。
![本棚の中のニッポン: 海外の日本図書館と日本研究 [単行本] / 江上 敏哲 (著); 笠間書院 (刊) 本棚の中のニッポン: 海外の日本図書館と日本研究 [単行本] / 江上 敏哲 (著); 笠間書院 (刊)](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61SPhMPPj9L._SL160_.jpg)
Amazon.co.jp: 本棚の中のニッポン: 海外の日本図書館と日本研究: 江上 敏哲: 本 http://www.amazon.co.jp/dp/4305705885/