2013年02月27日

201301eu・6日目その3「歩いても 歩いても ヴェッネエエエツィアアアアッ」(1/7 ヴェネツィア)


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 ボローニャを発ちます。
 そして、いよいよ。

 Bologna Centrale 1510 → Venezia Santa Lucia 1635

 ヴェッネエエエツィアアアアッ。2006年以来、7年ぶり3度目。
 それで申し訳ありませんが、当blogでは当面「ベニス」でも「ヴェニス」でも「ヴェネチア」でも「ヴェネツィア」でもなく「ヴェッネエエエツィアアアアッ」という表記を採用させていただきます。
 そのくらい歓喜のテンションになるほどの、我が愛する第2の故郷なのです。(註:おっしゃりたいことはわかります。)

 そういう、いろいろとおかしいところを含みながらも鉄道で向かっているところなのですが、天気までもがどうもおかしい、さっきからずっと深い霧の中です。念のためiPhoneで天気をチェックすると、ヴェッネエエエツィアアアアッも「霧」と出てます。
 霧って言われてもいまいちピンと来ないなあ、どうなるかなあ、と思っているうちに到着してみたら。

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 我が故郷が・・・7年ぶりの故郷がまるで見えない・・・。
 なんたるちあ・・・。

 1時間して、日没後。

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 おおぅ・・・ミスティ・・・。

 ヴェッネエエエツィアアアアッ本島までは本土から橋がかかっていて、毎回その橋を鉄道で渡って本島入りするんですけど、海上をがんがん走るスピード感、広がる海の風景、ぐんぐん近づいてくる本島の建物、ていう車窓が一番テンション上がるんですよね本当は。
 でももう↓こんなんです。テンション封鎖ですよ。レインボーブリッジ封鎖できましたよ。

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 鉄道駅があるのは本島の端っこですが、宿はその駅すぐ近くをとっています。ヴェッネエエエツィアアアアッは歩いて楽しい街ですが、重い荷物持ってうろうろするのはまったくもってしんどい土地なので、そのほうがいい。あと、駅近じゃないと出発するとき駅まで相当歩かなきゃいけないということ、路地で疲れたり迷ったりしても駅方向を目指せば宿に帰れること、などから、この街での宿は毎回駅近を選んでいます。

 では、日没後のヴェッネエエエツィアアアアッをさっそく歩きに出ましょう。

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 真っ暗の中、細い路地をすり抜けるように、右左にてくてくと。突如現れる広場は横切り、水路は橋をのぼりおりしてまたぎます。橋ののぼりおりの階段が五月雨式に続くので、重い荷物は無理っていう。あ、もちろん車は一台も通ってないですよ、基本、路地だけでできた街ですから。本当の意味での”歩行者天国”です。
 かつては、ホテルなんかでもらった地図を賢明に読み解きながら歩き、読み解き損ねて水路にぶち当たったり、ちがう路地に出たり、角を曲がるのを一筋まちがえただけで罰ゲームのように大回りしたり、という右往左往の連続だったのですが。さすが、ここへ来て最もその本領を発揮してくださっているiPhoneさんのGoogleマップ神様のおかげで、いっさい迷うことなく、すいすいと歩いて行けます。
 但し、です。路地の街で、水路の街で、日没後の闇で、霧、です。こんなもん、iPhoneガン見しながら歩いてたら絶対にドボンっです。「歩いてるときはiPhoneを見ない」ルールを厳格に自分に課すことにしました。

 お店はもう多くが閉まってるっぽいですが、窓越しにこんな感じで鑑賞できる宵山っぽさも、ヴェッネエエエツィアアアアッの楽しみです。

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 そして、リアルト橋。

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 ここは橋なんですけど、観光のハイシーズンになると人がぎゅうぎゅうづめになってしまって、歩いて渡るのにとてつもない時間がかかったりします。観光的な意味で混むというのもあるんですが、そもそもヴェッネエエエツィアアアアッ本島の東側と西側を隔てる大運河(カナル・グランテ)を歩いて渡れる橋は、ここともうひとつくらいしかないんで、要するに歩くんだったら必ずここ通らなきゃいけないんですよね、そりゃ混むだろうっていう。
 混むのがいやなのでいつもは避けてたのですが、こうやってゆったり歩けるリアルト橋に来るのも、なかなか新鮮だなあと。あと、アジア人多いけど、日本語より韓国語の方がたくさん聞こえるなあとか。

 リアルト橋から夜の大運河を。

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 そして、ヴェッネエエエツィアアアアッのもうひとつの重要観光スポットである、サンマルコ寺院を目指します。
 ・・・あ、書いてありますね(笑)。

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 路地でできた街なので、もう迷うのがデフォルト扱いのようなあれなんでしょう、本当にいたるところいたるところにサンマルコ寺院やリアルト橋への矢印看板が貼ってあるし、看板なくても、こんなマーカーの落書きがあちこちに書いてあるんです。そういうシステムです。この落書きが、マナーだ景観だ云々をすっとばして実にありがたい存在・・・釣りじゃないことを祈るあれですが(笑)。

 途中立ち寄ったちっちゃな地元教会。

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 内装や美術品が豪華でドンキホーテみたいなんだけど、なぜか嫌味がなく安心感がある感じ。座ってちょっとほっこりさせてもらいます。ああ・・・またヴェッネエエエツィアアアアッに帰って来れたんだな・・・うれしい・・・。

 そして、右往左往の末。

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 こwwwれwwwはwww。
 サンマルコですよ、イタリア屈指の観光地、サンマルコ広場(1枚目)とサンマルコ寺院(3枚目)ですよ。なんですかこれは(笑)。
 さすがにしかたないので、今回はお暇しますけど・・・もう(笑)。

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 それにしても、さすがにヴェッネエエエツィアアアアッは広い。歩いて楽しい土地柄とはいえ、駅近からサンマルコまで歩いて、1時間半経ってます。
 帰ろうにも、看板が例えばこう。

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 「Piazzale Roma」ていうのが駅方向の看板なんですが、あきらかに矛盾な方向を指してる矢印が2本。どっちへ行けって言うんだ・・・。
 そしてiPhoneの命綱であるポケットwifiが、ああ、もうバッテリー切れか・・・ネットがなきゃiPhoneなんてチョコバー以下じゃないか・・・予備に交換します。

 ここで一句。
 歩いても 歩いても ヴェッネエエエツィアアアアッ みつを

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 そんなことより、さっきから食事処を探しているんですが、なかなか決まらない。いや、あるにはたくさんあるんですが、どこもかしこもみな「いかにも観光地仕様」の店ばかり。いや当然なんですけどね、ここほど観光地として凝縮された街はないんだし。
 しかも、さっきからがんばってiPhoneで検索して、マシな方っぽい評価の店を1軒1軒あたってるんですけどこれでも。ところがまったくその店が見つからない。
 検索する→目星をつける→住所をGoogleマップで表示→ルート検索通りに歩く→指定の場所には何もない。そこにはただ生暖かい風が吹くばかりだったという。怪談かと。3回くらいこの繰り返し。
 なんなんですかこの街は(涙)。
 結果、メインストリートを避ければ観光地仕様じゃなくなるかな、と思って入ってみたら、まあそれなりに観光地仕様だった、ていう。本当にむつかしい(笑)。

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 え、何を食べたかですか? うーん(笑)。
 とりあえず、味は期待できそうにないので、食べたいかどうかより勉強になりそうかどうかで注文しました。
 まず、ビゴリというパスタ。ヴェッネエエエツィアアアアッ周辺地域のローカルなパスタで、全粒粉の太めなスパゲッティ。昔はそば粉で作ってたらしいという。結構な噛みごたえというかちょっと堅めで、昔一度食べた時には不味いと思ったので、本当にまずいのかどうか、別の店で食べたらどうなのかを検証したくて食べてみました。
 結論としては、まあ不味くはなかったのですが、ビゴリかどうか以前に茹ですぎちゃうか、いやもしかしたらふつーのスパゲッティの太めなだけのやつ使うてへんかこれ、というような、えーと、ふつー(笑)。
 2品目、ポレンタというイタリア料理。とうもろこしの粉を、そばがきやお粥の要領で煮炊きしたものとのこと。昔は主食扱いで、この店ではバカリャウ(ヨーロッパの棒鱈)を混ぜて出します、とメニューに書いてありましたんで、どんな味かさっぱり検討もつかないので勉強のために注文してみました。
 ・・・このポレンタをつくった者は誰だ!!((c)海原雄山) このうえなく不味い。この旅全体で見て、ぶっちぎりで単独トップに不味かった、別格。何かの白い粉を水で溶いてこねてもったりさせた生地に、ほぐした塩漬け鱈の身が混ぜてある。それだけ。塩の味しかしない、冷めた紙粘土みたいな生地、ときどき鱈が生臭い。2-3口食べて、全部残しました。ウェイターが心配してか何か言ってきたけど、知るか、どっか行け、みたいな感じ。
 ネットで見たポレンタの写真はどれも黄色かったので、この白いのはたぶん紙粘土です。あと、のちのちまでゲップがこのポレンタのにおいがするので、ずっと不快・・・。

 気分が滅入ったので、口直しに、さっき道すがら見つけておいたワインバーに立ち寄りました。

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 地元の大学生(註:ヴェネツィア大学が本島内にあります)や若い人たちがたむろして駄弁ってるような、軽い感じのところ。
 よかった、こういう誰に遠慮することなく自分のペースで、好きなように座ってぼーっとお酒呑んでいられる場所が、このヴェッネエエエツィアアアアッにもあったんだなあって。カジュアルで、居心地よくて、立ち去りがたい。しかもグラスワイン2euとか、まちがいなく通う店。これ、京都にあったらいいのにね。 
 ほっこりします。歩き疲れてたのでほっこりします。(註:この時点で、宿を出てから5時間近く歩き続けてます。)

 最後に気分をリフレッシュできてよかったなあって(笑)。
 じゃあ、もう一杯だけ呑んでから帰ります。
 運河に落ちないように。 


 えっと、ここでやっと、全旅程の折り返し地点です。


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2013年02月24日

(メモ)日本専門家ワークショップ2013 の index

 これは「(メモ)日本専門家ワークショップ2013」その1〜その7の、indexのページです。

●記事一覧
その1:「日本専門家ワークショップ」とは何か?
http://egamiday3.seesaa.net/article/331102543.html
その2:「日本専門家育成戦略会議(研究者の報告編)」
http://egamiday3.seesaa.net/article/331108186.html
その3:「日本専門家育成戦略会議(ライブラリアンの報告編)」
http://egamiday3.seesaa.net/article/331111815.html
その4:「日本専門家育成戦略会議(日本情報へのアクセス・ディスカッション編)」
http://egamiday3.seesaa.net/article/331581311.html
その5:「日本専門家育成戦略会議(日本専門家の育成・ディスカッション編)」
http://egamiday3.seesaa.net/article/331581387.html
その6:「シンポジウム「なぜ今、海外日本研究支援か?」(プレゼン編)」
http://egamiday3.seesaa.net/article/331583280.html
その7:「シンポジウム「なぜ今、海外日本研究支援か?」(座談会編)」
http://egamiday3.seesaa.net/article/331589268.html

●参考文献
・日本専門家ワークショップ2013 シンポジウム「なぜ今、海外日本研究支援か?」|国立国会図書館http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/jsw2013.html
・#JSW2013 「いまなぜ海外日本研究支援か」 - Togetter
http://togetter.com/li/459220

・日本専門家ワークショップ2012「現代日本の文化・社会へのアクセス」参加者募集のお知らせ|国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/library/training/guide/1191883_1485.html
・日本専門家ワークショップ2012 講義資料|国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/library/training/material/1194249_1486.html
・日本専門家ワークショップ「現代日本の文化・社会へのアクセス」2011参加者募集のお知らせ|国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/library/training/guide/1189453_1485.html
・日本専門家ワークショップ2011 講義資料|国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/library/training/material/1191503_1486.html

・「実現した日本研究上級司書研修 : 日本研究振興のための新たな第一歩」. 『びぶろす』. 1997, 48(7), p.1-11.
・Izumi Koide. 「Training program for senior Japanese studies librarians : report from one of the organizers」. 『Newsletter : East Asian Library Resources Group of Australia』. 1997.7, 34, p.22-24.
http://coombs.anu.edu.au/SpecialProj/NLA/EALRGA/newsletter34/Koide.pdf.
・樋口恵子. 「「日本研究情報専門家研修」事業について」. 『大学図書館研究』. 2005, 74, p.28-34.
>>研修についての2005年までの経緯や内容が、実際に実施に携わっている国際文化会館の方の視点から、詳細に説明されています。<<
・伊東英一. 「平成16年度国際交流基金・国立国会図書館主催日本研究情報専門家研修に参加して」. 『大学図書館研究』. 2005, 74, p.35-39.
>>研修に参加したアメリカ議会図書館の日本研究ライブラリアンの方による報告。<<
・『研究と資料と情報を結ぶ : 「日本研究学術資料情報の利用整備に関する国際会議」の記録』. 国際交流基金, 2002.
・「図書室の活動」. 『国際文化会館50年の歩み』(増補改訂版). 国際文化会館. 2003, p.166-187.
・Yasuko D'Hulst and Ursula Flache. 「How to learn a lot in one week : report on the Japan Specialist Workshop 2011」. (EAJRS 2011にて発表).
http://eajrs.net/how_to_learn_a_lot_in_one_week_report_on_the_japan_specialist_workshop_2011.
posted by egamiday3 at 20:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(メモ)日本専門家ワークショップ2013・その7:「シンポジウム「なぜ今、海外日本研究支援か?」(座談会編)」 (#JSW2013 2日目)


●「日本専門家育成戦略会議について」/小出いずみ(渋沢栄一記念財団・JSW運営委員)、スヴェン・サーラ(上智大学・JSW運営委員)

・2/19開催のディスカッションについて報告。
・日本語資料のデジタル化が不足している。他国のデジタル資料と比べて、特に電子書籍の整備が遅れている。
・海外の日本研究だけでなく、日本国内での研究においても、デジタル化された資料提供は重要な課題である。
・探しにくい、使いにくい、データベースのデータベースがない。web上に存在しているだけではわからないので、それを案内できるwebサイトがほしい。
・情報資源に関する情報交換・情報共有を行なうことが必要。
・日本研究の国際化。東アジアなどの広い視点で日本をとらえる必要がある。
・各国の政権交代によって、各国での日本研究の環境・見られ方が変わってしまう現実。長期的視野の必要な研究者には望ましくない。

・日本研究者と日本情報専門家の問題意識は一致していた。これは、本ワークショップの行なっている「研究者と情報専門家が同じ研修を受ける」ことの意義を証明したと思う。


●座談会「海外日本研究支援は今後どうあるべきか」
樺山紘一(印刷博物館館長・JSW運営委員会座長)
小松和彦(国際日本文化研究センター所長)
ハラルド・フース(ハイデルベルグ大学・EAJS前会長)

・・フース「ヨーロッパにおける日本研究」
・海外の日本報道は、不景気、高齢化、福島ばかり。
・「アジアの世紀」には”日本”が含まれていない。
・大学の枠を越えて協力していくべき。

・・小松
・(註:外書=海外・外国語で出版された日本についての本)
・外国人研究者が日文研に滞在中であっても、もともと母国で持っていたはずの本を手もとに置きながら研究するのがいいはずだ、という趣旨から、日文研では外書収集をやっていた。
・欧米の外書はこれまで網羅的に収集できていた。最近では増えているのはアジアからの研究者なのだが、アジア言語・各国の日本研究書の収集が欠けている。そこに力をいれなければならない。
・アジアの日本研究書が増えているということは、アジアでの日本研究が増加しているということである。それはもしかしたら欧米から見たら初歩段階なのかもしれない。が、進んでいる国だけでなく、初歩段階の国の資料を収集することで、資料支援・文献支援を行なっていかなければならない。
日本の機関は、国内のユーザに対しても閉鎖的である。日本のユーザとして海外の所蔵資料はすぐに収集できるけれど、国内の所蔵資料は収集できない、訪問・閲覧すらできないことがある。
日本の研究環境・資料利用をオープンにしていかなければならない。そしてそれは、日本では、所属研究者のバックアップがなければできないのではないか。

・(樺山)本研修では、海外の日本研究者・日本情報専門家とを同時に招いた
・(フース)多くの大学・研究機関は予算がないので、日本情報専門家のポストを確保することはできない。そうなると、若い学生や研究者を支えることができない。そのために必要なのは、デジタル化が進むこと、利用手続きの敷居が低くなること、資料入手のスピードが速くなること。
・(小松)日本研究にとっての基本図書・基本情報というものがあるはずだが、研究者目線だとどうしても視野が限られてしまう。スタンダードなものをそろえて提供するというのが情報専門家の役割だろう。
・(樺山)ゼネラルな視点での対応もしなければならないんだ、という日本情報専門家からの主張があった。

・(樺山)単独での日本研究は海外で減退しているか? 日本も含む東アジア・アジア全体からの視点、分野研究が増えている、ということはまちがいないだろう。
・(フース)比較研究、研究協力というあり方がのぞましいだろう。日本、東アジアだけでなく、還太平洋などいろいろな視点がある。
・(小松)一国で学問が完結するようなやり方がこれまで行なわれていたが、そもそも各国の関わりを行なうことが重要。減っているのは、限られた中で限られたことをやっている研究者では。そうではない国際的な視点が増えているのだろう。日文研の共同研究も、国際的な視点でいろいろな国の人たちに参加してもらって、各国の関係性を明らかにしていく活動を支援していきたい。
・(樺山)とはいえ、複数の言語をひとりで習得するのは難しい。英語フランス語ドイツ語を同時に習得するのと、日本語中国語韓国語を同時に習得するのとはちがう。もちろん、東アジア全体からの視点を持っていく必要はある。

・(樺山)ワンパーソンライブラリーで、英欧中日韓すべて扱われなければならない。だったら、日本についての案内・情報のあらゆるものを、英語で発信していくほうがいいのでは。
・(小松)日本語で書かれた本について、英語のタイトル・書誌情報を整備していく、など。ただ、研究の中身まで、英語で研究発表されたものしか研究発表じゃない、というのも困る。ルーマニアで日本研究者によるシンポジウムを開いたが、ヨーロッパ各国の研究者が最初無理して英語で話していたが、最終的には日本語で話をしていた。日本語と英語、臨機応変に使い分けていってはどうか。
・(フース)日本語のわからないドイツ人研究者が、資料を探すために国立国会図書館で検索ができなかった。webサイト、インタフェースなど、英語化されている方がいい。
・(樺山)日本に関する中国人研究者・韓国人研究者による研究成果が、英語で世界に発信され、そちらのほうが存在感高くなっている感もある。
・(小松)日本での研究成果の英文発信は重要である。
・(会場)例えば韓国の研究書は、書名・アブストラクトなどはパラレルに英語記述が付されている場合が多い。日本の出版物にもそのようなスタンダードなルールができてくれれば、海外の学生等にも探しやすさが増すのではないか。

・(樺山)日本におけるデジタル化の立ち後れ。紙資料ですら入手が難しい。
・(小松)まちがいなくおくれている。国家的な方針が世界の趨勢に比べて後進国になってしまっている。また、紙信仰が強く、紙で出版しないと評価されないかのような日本の研究界の体質もあるのではないか。
・(フース)中国はデジタル化がとてもすすんでいる。日本ではオンラインジャーナルだけで論文を出すと評価が落ちる傾向がある。しかし、査読誌なら問題ないはず。海外での学生指導ではe-resource・e-learningを行なう。
・(樺山)海外の研究者からはデジタル化の遅れ/進みは深刻な問題であり、幾度も幾度も指摘される。

・(樺山)日本に興味関心を持つ一般の方々(研究者ではない)に対して、どのような支援ができるだろうか。
・(小松)当館所蔵の資料は、世界で見てもらえるように片っ端からデータベース化していく。研究した成果を論文として出すというレベルばかりでなく、資料そのものを生のままデジタルで発信していくことで、研究者じゃない人にも伝わるのではないか。例えばイスラエルの高校生とか。それには、資料を(研究者の目で)評価・判断してしまわずに出していくことじゃないか。
・(樺山)限られた研究者に対するサポートばかりじゃない。そういう一般の人びとへの働きかけ。
・(フース)オープンアクセス、というのは、国や専門性に限らずアクセスできるということ。質の高い情報がそういうふうにオープンに発信されていけば。(wikipediaだけじゃなく)

・(大滝・NDL)我々はどうしても自館の中だけで物事を考えがち。それを越えていかないと。
・(大滝・NDL)アジア資料の充実は、日文研だけでなくNDL関西館の問題でもあるし、日本全国の問題でもある。
・(樺山)お願い。各主催者当局の皆様には、このワークショップをまた何らかのかたちで、間を置くことなく引き続き、続けていってほしい。そのお願いをもって閉会の挨拶としたい。


●閉会の挨拶/降旗高司郎(国際文化会館)
・次の段階はより戦略的に行なうべきだろう。より多様な団体のコラボレーションによってどうしていくかを考えたい。


posted by egamiday3 at 20:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(メモ)日本専門家ワークショップ2013・その6:「シンポジウム「なぜ今、海外日本研究支援か?」(プレゼン編)」 (#JSW2013 2日目)


●基調講演/樺山紘一 (印刷博物館館長・JSW運営委員会座長)
・「なぜいま」と言うより、「いまだからこそ、あらためて」考えたい。
・海外の日本研究を、これまでいくつかの日本の機関がコストをかけて支援してきた。
・この10数年の間で事情が大きく変わってきた。
・これまでの日本研究は、古典・伝統などを中心とした人文学が主流だった。社会研究でも歴史的なもの。→近年は、クールジャパン、ポップカルチャー。
・近年の日本研究の傾向は、単に日本だけではない、日本も含む東アジアの広い視点、関係、比較。
・これまでとちがったあり方での成果が発表されるようになった。つまり、これまでとはちがう新しいかたち・新しい発想で支援も取り組まなければならないんだ、ということ。


●成果紹介「日本専門家ワークショップとは何か?」

・・「ドイツ人の日本情報専門家としての報告」/ウルズラ・フラッヘ(ベルリン国立図書館(ドイツ)・2011年受講)

・日本専門家ワークショップの実際
・2011年のワークショップは社会科学が中心。
・4日間の講義と実習。講師は、東京大学社会科学研究所、筑波大学ビジネス科学研究科、ARGなど。データベース実習もあり身について役に立った。
・2日間の実地調査。日本の資料・情報機関で自分のテーマで実地調査を行なう。例:19世紀後半の日独外交史、をテーマに。東京大学史料編纂所など。
・実地調査成果報告会(公開)が催された。

・日本情報専門家としての成果
・ドイツにおける日本専門家のための研修はそれほど多くない
・ドイツにおける日本学図書館は、ワンパーソンライブラリーがほとんどである。その業務は幅広い事務仕事であり、日常業務はジェネラルな事務仕事で終始してしまう。。
・ワークショップで学んだ国立国会図書館の講師はみなスペシャリストだった。つまり、日本の同僚からの知識の伝達が重要。

・ベルリン国立図書館は、ドイツにおける日本研究の文献の中心的存在。頼りになる。(モデレータ談)


・・八田綾子(モナッシュ大学(オーストラリア・メルボルン)・2012年受講)
・実地調査:「電子資料の大学図書館への普及と利用の問題点」(早稲田大学・慶應義塾大学など)
・調査成果はEALRGAニュースレターに掲載。(http://www.ealrga.org.au/newsletter1207/1202_hatta.pdf
・日本資料を使って研究をしている人たちの中には、中国研究、アジア研究の一環として日本資料を利用する人もいる。日本語が堪能とは限らない。
・ワークショップを継続させて欲しい。ワークショップの存在も知らないまま、ひとりで四苦八苦している日本情報専門家はまだまだ海外にたくさんいる。
・電子資料の整備によって、日本研究者の支援を。


・・「日本研究と資料 研究プロセスからみた構造」/小出いずみ(渋沢栄一記念財団・JSW運営委員)
・海外の日本研究を支援する図書館にとって、重点的に収集するのは一次資料としての日本語資料である。
・海外の日本図書館の方が日本よりもマンガアニメを先んじて収集しているのは、海外の日本研究にとってのマンガが日本語の一次資料だから。
・海外の日本研究者から、日本に対して要求が高いのは、海外の日本図書館から漏れている日本語の一次資料。

・研究者ではない人、たとえばジャーナリストなどは、情報・資料がなければないままにあいまいな分析・アウトプットに入ってしまう。(おかしな報道をされてしまう、など) だから海外への日本資料・日本情報の提供が重要。(モデレータ談)

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(メモ)日本専門家ワークショップ2013・その5:「日本専門家育成戦略会議(日本専門家の育成・ディスカッション編)」 (#JSW2013 1日目)


●日本専門家の育成について

日本語教育が先か、ディシプリン教育が先か。私はディシプリン教育を強化しないと、研究者として成り立てないと考える。日本語習得はその後のさらなる努力として必要なこと。

日本では、日本研究と日本語教育とが連携できていない。例えば、日本の日本語教育学会に日本研究者が関与していない。国際交流基金では、日本語教育の部署と日本研究の部署とが縦割りになってしまっている。(海外では日本語教育と日本研究が連携している)
・海外の日本研究の横の連携が足りていないのでは。単なる日本だけ、日中だけではなく、視野を広く持たなければならない。留学生・研究者が「自分と日本」とだけを結びつけて考えていると、それは「個と個」の関係だけになってしまう。
・例えば、EAJS京都会議(2013年9月27-29日)には、日本・欧州だけでなくアジア・北米からも参加してほしい。その情報をEAJS以外のメンバーにどう報知したらいいのか? それを行なうための連携・ネットワークも必要。
・例えば、大学院での英語・日本語両原語による共同授業。大学院生同士の共同研究プロジェクトなど。学生同士の交流はあるはずなので、それを共同研究・共同シンポジウムに発展させる。そのためにオンライン、インターネット技術を活用すればよい。
・情報共有。例えば、日本の研究者と共同研究したい海外の日本研究者が情報をやりとりする仕組み、など。

・どの大学にも日本専門ライブラリアンがいるわけではない。が、中国専門ライブラリアンなら多い。中国専門ライブラリアンに日本資料・日本情報の素養を与えて、日本資料の兼任をスムーズに行なえるようにしてはどうか。
・日本で行なわれている研修事業・シンポジウム(例:NDL遠隔研修など)をwebに公開すること。その際、英語字幕をつけること。

・日本専門家ワークショップの継続について
・ワークショップをこれで終わらせず、次のステップを。
・集合研修、遠隔研修、派遣研修の3種がある。3種の組み合わせも、来日・集合する研修の効果も、考えたい。
・この研修では「司書」ではなく「情報専門家」という言葉を使っている。司書・図書館という枠組みに限らず、何が必要なのか、それを必要な人にどれくらい届けることができるか、までを考えなければならないから。

posted by egamiday3 at 18:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(メモ)日本専門家ワークショップ2013・その4:「日本専門家育成戦略会議(日本情報へのアクセス・ディスカッション編)」 (#JSW2013 1日目)


●日本情報へのアクセスについて

・電子書籍の整備を特に要望したい。
日本資料は日本で整備してほしい。
・学術書のe-resource推進を。他の国等の資料はe-resourceで手に入るので、ユーザは「待てない」のがあたりまえという感覚になっている。技術の変化によって研究方法も変わってくる。
・データベースが高い。コンソーシアム契約・料金プランが、小規模機関・国・地域では厳しすぎる(北欧・東欧など)。お金がなければアクセスできない、という状況は、長期的に見て日本にとって不利なことではないか。
・日本のユーザに要望させる必要がある。

・日本は古典籍のデジタル化に長じているが、何がデジタル化されているかを把握しづらい。別々のところに探しに行かなければならない。例えば、各サイトと国文研・日本古典籍総合目録DBなどからのリンクを実現してほしい。
・インターネットへのアクセス環境が、どの国のどの研究者にとっても整備されているわけではない、という前提での情報・資料提供・サイト構築を。(低サイズ/高品質の2種類・使い分け) 例えば、2つの異なるデジタル化資料を同時に開くと、大容量すぎてフリーズする、など。
NDLのデジタル化済み図書200万のうち、40万しかweb公開していない。著作権法改正によって、来年の1月から大学図書館・公共図書館に配信するが、海外の図書館は配信先に含まれていない。(NDL)

・(特に私立)大学図書館の利用の敷居が高い。卒業生・一般社会人からの利用が非常に難しい。過去に留学先だった大学図書館も、卒業してしまうと利用の途が途絶えてしまう。
・ILL。ユーザはローマ字化した書誌をILL担当者に伝えるが、間違いを誘発しやすくかなり不便。ユーザ個人から日本の図書館に直接依頼できるようにならないか。
・GIF・OCLCとは別に個別に依頼をしてみようと試みるが、毎回個別に作業をするのは手間・時間がかかる。海外ILLを積極的に受け付けている大学のリストがほしい

日本の科研費報告書は、探せない。ISBNもない。アクセス改善を。
・海外の日本研究者が、(査読のない)日本の雑誌・紀要・図書に投稿すると、海外の大学ではそれをどう評価していいかがわからない。
・紀要・オープンアクセスへのアクセスがCiNiiによって格段に向上した。
・インフラ整備は予算と時間の問題(だからなんとかなるだろう)と期待している。

すでにあるはずの情報がインターネットの中で見つからない、のが問題ではないか。情報を共有するための”場”がほしい。互いに知っている情報を共有して水準を上げていく。
日本の研究者・情報専門家の理解が必要(資料の国際提供、研究方法のデジタル化・国際化)。研究・資料提供の国際化を考えることは、日本における研究・資料提供の改善を起こすきっかけになり得る、ということ。
海外の日本研究環境改善は、日本の研究環境改善から。
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2013年02月23日

(メモ)日本専門家ワークショップ2013・その3:「日本専門家育成戦略会議(ライブラリアンの報告編)」 (#JSW2013 1日目)



●海外からの招聘者(情報専門家(ライブラリアン等))による報告

・・(オーストラリア・モナシュ大学)
・日本での研修・学会への参加によって、人的ネットワークの拡大を期待したい。(オーストラリア国内だけでは少ない)
・日本国内での司書のためのワークショップに、海外からも参加できないか。
・日本の文献資料をILLなどでやりとりするのにあたって、大学図書館同士での支払処理の利便性を向上することができないか。(いまはNDLにお世話になっている状態)


・・(カナダ・トロント大学)
・北米で行なっている研修事業について
・若手日本研究司書トレーニングワークショップ(JJSLT):若手司書のトレーニングと人的ネットワーク構築をはかる。国際交流基金の知的交流事業として、2012年3月に実施(トロント大学)。
人的ネットワーク構築の意義に評価が高かった
・NCC Team Building:北米の大学には、日本研究教員はいるが、日本専門ライブラリアンがいない、というところが多い。日本研究教員と(日本が専門ではない)ライブラリアンとがチームとして互いの長所を持ち寄り活動するためのトレーニングプログラム。

・北米における主な課題
・日本専門ライブラリアンがおらず、東アジア全般を担当する中国・韓国専門のライブラリアンが増えている。
東アジア全般を担当するライブラリアンを対象に、日本資料・日本情報に関する研修が必要。


・・(ドイツ・ベルリン国立図書館)
・課題
・日本研究と図書館情報学を両方修めなければならないが、両方の専攻を修める事ができる大学はフンボルト大学しかない。そのため、勤務しながら習得しなければならない。→研修事業が重要になる。
・日本研究のライブラリアンがいるのはワンパーソン・ライブラリーがほとんど。ゼネラルな仕事の量が多く、日常業務中に専門的な研鑽はできない。しかも研鑽し合える同僚が学内にも近隣にもいない。→研修事業が重要になる。

・e-resourceの充実が必要。
・電子化された古典籍について網羅する総合目録データベースがない。国文研のデータベースでなんとかならないか?
・ユーザへの情報提供のために、日本情報専門家が単独で活動するのは無理がある。日本からの協力も必要。


・・(フランス・JF)
・日本研究の機関がパリに集中している。
・若手研究者・専門家の育成、ポスト削減後のフォローが問題。
・フランスの日本研究者は、EAJSなど日本研究の学会ではなく、各専門分野の研究学会に移行している傾向にある。
・フランスの日本研究者・日本機関と、日本の研究者・機関との交流・連携が、”個・対・個”になりがち。全体的な連携や情報流通ができていないのでは。

・・(ノルウェー・オスロ大学)
・北欧では研究の社会還元が重要なので、日本研究でも、歴史的な人文系よりは、現代・社会科学・ビジネス・ポップカルチャーなどの分野が多い
・日本研究・日本語教育を行なっている北欧5カ国の大学は、15大学。
・図書館に日本専門ライブラリアンがいるところは少なく、日本関係資料への対応ができているところも多くない。できているのはコペンハーゲン大学、ストックホルム大学、ヘルシンキ大学、オスロ大学など。
・たとえ日本専門ライブラリアンであっても、東アジアコレクション内に所属してCJK全部の資料を扱うことになるし、それ以外の新規プロジェクト、新規活動、一般事務も増える。”日本”に割く時間が減っていく
・NIASにより北欧全体のアジア研究への支援活動が行なわれている。
・NIAS契約のデータベースがあるのに、自学で利用できるということがなかなか周知されない。日本・アジア専門(とくに原語による)のライブラリアンがいないためであろう。潜在的利用者に情報を伝えることが必要。
・日本研究について、図書館員のみを対象にしたワークショップ等はコスト的に難しい問題。院生・研究者も含める必要がある。


・・(イギリス・BL)
・イギリスの日本研究・日本情報専門については、インフラは整っていると言えるものの、人的資源が不足している。
・少ない人材で広い分野をカバーするために、相互協力・連携を広く持つ必要がある。


・・(ベルギー・ルーベン大学、EAJRS会長)
・情報専門家の役割が発足以来大きく変わってきている
・中国研究の隆盛と、日本研究の下降。人数は下がっているとは言えなくとも、比重は下がっている。
・日本研究は中国研究に比べると後発の学問であり、1970年代以降急激に増加してしまったため、基盤がきちんと整備されず根付いてこなかったのではないか。(例:それまでいた中国系ライブラリアンに日本資料管理を任せるかたちでしのいできた、等)。
・初等教育で日本語学習に触れる機会が増えれば、大学からの学習に有用では?
・日本のe-resourceが明らかに不足している。抜本的な改善を。例:日本研究のための資料をネットで探していたら、日本のサイトにはない日本語資料が、中国のサイトにアップされているのを見つける。
・欧米の日本研究は、これまで日本からの助成金に頼りすぎていたところがないか。そのため、各国の助成金制度が「日本研究への助成は不要だろう」と思い込んでしまっているのでは。


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(メモ)日本専門家ワークショップ2013・その2:「日本専門家育成戦略会議(研究者の報告編)」 (#JSW2013 1日目)


・日本専門家ワークショップ2013の1日目
・「日本専門家育成戦略会議」
 海外の日本研究者が数名、海外の日本情報専門家(ライブラリアン等)が数名、国内の海外日本研究支援関係者(江上含む)数名が参加し、プレゼンやディスカッションを行なった。
・日付: 2013年2月19日
・場所: 国際文化会館

・ちゃんとした記録とかではなく、自分の印象に残ったことなどを、自分の聴き取れた・理解できた範囲でまとめてます。
はegamidayのコメント、考えたこと。


●海外からの招聘者(日本研究者)による報告

・・(ドイツ・ハイデルベルグ大学、前EAJS会長)

・ヨーロッパではまだ中国研究よりも日本研究の方が規模・人数では大きい。
・ヨーロッパ内でも、国・地域で違いがある。
 例えば、南欧羅巴では文学・宗教・芸術、古代から戦前が対象の人が多い。
 ドイツは、国内に多数の小規模な日本研究機関がある。東京のドイツ日本研究所には研究者が12人いる。
 イギリス・イタリアは、少数の大規模な日本研究センター。
 フランスは、パリを中心に少数の日本研究センター。研究者は多いはずなのに、EAJS(ヨーロッパ日本研究協会)への参加者が少ない、という傾向がある。
・単純な人数(研究者数・学生数)の問題だけではない。国によって「少数の大学にたくさんいるが、それ以外の大学にはいない」等の違いがある、ということ。

・日本研究への支援に関する課題
・次世代の研究者の重要性
・これまでの「経済的支援」から、「協力活動」による研究サポートへ移行
・”日本”のみを対象とする研究・教育から、異文化交流・比較文化という視点からの研究へ

・EAJS Phd Workshops。ヨーロッパ各国の日本研究者・院生同士による指導・交流活動。
EAJS日本会議2013
 2013/9/27 日文研(事前ワークショップ)
 2013/9/28-9/29 京都大学文学部(国際会議)
 http://www.eajs.eu/index.php?id=630&L=1

・日本の学生が海外に来ないのは、言葉の問題というより、就職活動などで帰国後の日本での活動に不利だからではないか。


・・(イタリア・大使館)
・イタリアの日本研究の中心地は、ナポリ(中国神父育成が行なわれていた)、ヴェネツィア(マルコポーロ)。これに次いでローマ、フィレンツェ、ミラノなど。
・文学・歴史・宗教など人文系が中心。社会科学研究をどう育成するかが課題。

分野間の理解・協力・支援が必要。例えば、伝統的人文系と、マンガ・アニメ、文化政策・・・などの分野間。伝統研究の理解を求めた上で、日本研究の幅を広げていくこと。社会科学分野研究との対話と持つこと、が必要。
・グローバリゼーションとローカルの違い。例えば社会科学研究であっても、グローバルで共通の言語・理論・方法だけでローカルを研究するのは限界があるのではないか。例:日本経済を理解するためには、日本特有の事情(文化)を理解する必要があるのでは。


・・(オーストラリア・ウーロンゴン大学)

・オーストラリアでは日本語教育のための制度が確立している。
・オーストラリア国内では、日本研究学会とアジア研究学会が1年ごとに交互で学会を開催している。
・オーストラリア日本研究学会(The Japanese Studies Association of Australia (JSAA))には、研究者・日本語教育教師・ライブラリアンが合同で集まる。
・オーストラリアでは3-4年で政権が交代し、その度にアジア研究・日本研究・語学教育に関する制度が廃止・変更されてしまい、中長期的な政策を考えられない、という問題がある。(例:アジア太平洋研究センター、アジア太平洋未来研究ネットワーク、いずれも数年で終了)
・21世紀はアジアの世紀であり、政策でもアジア志向を強め、学生の増加、教育の強化に努めている。
・研究者・学生だけでなく、社会人・ビジネスマンへの研究助成制度、がある。


・・(中国・北京日本学研究センター)

・中国の日本語学習者は89万人(世界第2位)。1070ある大学のうち、466大学に日本語学科がある。全国の大学に設けられている専攻(200種)を数でランキングすると、数学、物理学に混じり、「日本研究」が12位に入る。そのくらい、日本研究・教育が重要な位置にある
・国際連携教育活動。共同ゼミ(例:高麗大学・台湾政治大学・北京日本学研究センターで院生による共同発表など)、お茶の水大学国際日本学CEOとの連携(米欧中韓台)、ダブル・デグリー制度の採用など。
・図書館
 日本語図書14万冊、中国語図書3万冊、雑誌70タイトル。
 外部にもオープンで、中国内の各地から来館利用がある。北京市内研究者には貸出も可能。
 貸出カード登録者530人、年間来館者7000人。
日本語学習から入って日本研究をしている人たちと、日本語学習をせずに各分野の研究から入って日本研究に取り組んでいる人たち。どちらにも強み・弱みがそれぞれあり、両者がよく連携すれば補い合えるはず。いまはその連携ができておらず、そこを改善できればいい。
・国の政治的関係によって、日本研究・文化理解に影響が出てしまう。むしろ関係に問題がでているところこそ研究・理解が必要。


・・(アメリカ・ジョージタウン大学)

・北米における日本関係授業の総数(グラフ)。
・2005→2012。”日本のみ”に関する授業は減っているが、”日本も含む”授業は減っていない。→日本研究に質的な変化が起こっている。
・一方。カリフォルニア大学出版では最近、アジア文学研究に関する書籍は出版しないことに決めた。(人気が出ないので)
・日本と日本以外とをつなぐトランス・ナショナル研究が盛んになっている。
例:日本文学を研究するにあたって、戦時の中国・朝鮮・台湾等との関係に取り組む。
例:AAS(アジア研究学会)で、越境研究をひとつのカテゴリーとして取り扱う。
例:日本学術振興会への研究助成金申請の研究テーマをみると、日本と日本以外をまたがる、比較する、東アジアを広く扱うものが多い。
日本研究は日本研究のためだけのものではない


・・(アメリカ・プリンストン大学)

・MiddleburyとBeloitに日本語教育プログラムがある
・アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター(Inter-University Center for Japanese)

・アメリカ全国の第2言語の学生数を統計出見ると、日本語学習者も増えてはいるものの、中国語学習者の増加の勢いが大きい。(2002→2009) 最新統計では追い抜かれているだろう。
日本語学習の学生には、中国語も同時に学習する人が増えている。就職の際に”東アジア”というくくりでは中国語ができていないと不利なため。
・ASL(アメリカ手話)の学生数が統計では大きくのびている。そして、実は日本語学習とASL学習は似ているところがある(要確認)ので、日本語学習の躍進のきっかけにできるのでは?


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(メモ)日本専門家ワークショップ2013・その1:「日本専門家ワークショップ」とは何か? (#JSW2013)


・1997年以降、「日本研究上級司書研修」「日本研究司書研修」「日本研究情報専門家研修」「日本専門家ワークショップ(現在)」と名称を変えながら続けられてきた。
・海外で日本資料・日本情報の専門家として働くライブラリアンを、海外の各機関から日本に招聘して、数週間の研修を行なう、というもの。
・国立国会図書館・国際文化会館・国際交流基金などが共同で行なってきた。
・1977-2012の15年で、13回開催、156人が受講。

・海外の日本研究ライブラリアンに知識・スキルを向上してもらう。
・参加者同士の人的ネットワークを、国・地域・機関を越えて築いてもらう。
・日本の図書館関係者とのパイプを強くしてもらう。日本側にも意識向上を促す。

・2011年〜2013年の3年間は「日本専門家ワークショップ」という名称となり、これまでライブラリアン対象だった当研修が、”日本研究者””日本情報専門家”の両方を対象とするようになった。すなわち、若手の日本研究者をも対象に、日本資料・日本情報のリテラシー向上、人的ネットワーク形成をはかる研修となった。
・2011年は、社会科学分野を中心に。
・2012年は、人文科学分野を中心に。
・2013年は、過去2年間を踏まえて会議・シンポジウムを開催する。

・2013年の日本専門家ワークショップは、2月19-20日の2日間で会議(非公開)・シンポジウムが行なわれた。
・1日目は「日本専門家育成戦略会議」。海外の日本研究者が数名、海外の日本情報専門家(ライブラリアン等)が数名、国内の海外日本研究支援関係者(江上含む)数名が参加し、プレゼンやディスカッションを行なった。場所は国際文化会館。
・2日目はオープンなシンポジウム、「なぜ今、海外日本研究支援か?」が開催された。場所は国立国会図書館。
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2013年02月16日

201301eu・6日目その2「今朝食べたがってたあの豚肉」(1/7 ボローニャ)


 ボローニャ、イタリアの古都ですから、やっぱり古都っぽい街並みを一望しておきたいのです。
 この街には高い古塔があって、歩いて登って見渡せるらしいので、そこへ行っておこうと思います。
 もうお昼近くなので、登る前に軽く一杯、濃いエスプレッソと甘いパンを補給します。これでよし、何百段でも階段のぼりますよと。

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 電線wwwもうwww。

 高いほうがアシネッリさん、低いほうがガリセンダさんです。ボローニャの”斜塔”として知られます。
 え、できたの12世紀なんだ、清盛じゃないか。応仁の乱も蛤御門の変もなくてよかったねえ、と。

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 登れるのはこのアシネッリ姉さんのほうです。えっと、入り口は? わかりにくいですね。なんか奥まったところにちっちゃな扉らしきものはあるけど、閉まってるし・・・。

 「改修工事のため、本日から1ヵ月閉鎖。」

 ・・・・・・ぬおぅ(涙)。
 え、ちょっと待って、あたしのこの、エスプレッソと菓子パンで暖まりまくった血流をどこへ持っていったらいいの?

 戸惑ってるちょっとの間にも、観光客や若いグループがやってきて、あれ閉まってるじゃないかとか、閉まってるよきゃははーとか言いながら帰っていきますよ。まあ、あたしも帰るしかない。

 ちなみにお隣の低いほうは、あまりに斜塔過ぎて、ちょっと削って調整したらしいです。
 土台部分の写真ですが、その斜塔っぷり、おわかりいただけるでしょうか。

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 しかたないので、今朝はじめに来た広場に戻ります。
 この広場にはボローニャの大聖堂であるサン・ペトロニオ聖堂というのがあるんですが、ここもいまは工事中・・・。

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 工事中なんですが、よく近づいてみると、どうやら工事のために組んでる足場に入って、とんとんとんっと上にあがれるアトラクションがあるらしい。えー、いいじゃん。工事中の壁面を横目で見ながら、トップ・オブ・ザ・ドゥオーモまで行けるなんて、むしろ閉まっててよかったくらいのイベントじゃないの(笑)。
 ていうんで、入り口で誓約書(註:事故っても責任問いません的な(!))書いて、そろそろとあがってみます。
 工事中の感じ。

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 こんなんとか、ガテン系の娘さんのたむろしてるのとかを見ながら、とんとんとんっと上へ。てっぺんの広場側のテラスに出ると・・・。
 おおぅっ!

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 卑怯なくらいの麗しい景観。
 男前の時計台。

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 来ましたね、古都一望が。見事に茶色い。
 つくってるなあ、と。有能なプロデューサーがおるな、と。
 それはたぶん、ボローニャ市民全体がプロデューサーじゃないと成就しないんでしょう。

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 茶色い街並みの向こうには、山や丘がひろがるように。
 あっちの丘の上にでっかい聖堂みたいのがなんかあるなあ、なんだろう、という感じ。

 これがイタリアの、古都であり、街づくりであり、国土であり、信仰なのかなあ。とかなんとか考えながら、いつまでもぼおっと眺めていられます。

 さて昼食をどうしようということで、ネットを軽く眺めていくつかの店に目星をつけ、歩いて向かいます。
 歩く。1軒目。・・・その住所に店なんてない。
 歩く。あ、遠いな。2軒目。・・・1月のホリデーで明日まで閉店してます。orz
 まだ歩く。同じとこ往復してる気がするな。3軒目。・・・ていうか、なんか別の店なんですけど?

 路地に面したワインバーで、昼食も出してるよみたいな感じなので、ちょっと入ってみます。けど、客はいるけど店員がさっぱり出てこない、お勘定したくてもできないお父さんが困惑してはる(笑)。
 なんだか奥のほうもにぎわってるのでずかずか入ってみると、ワインバーだったはずの店が、いつのまにかセルフサービスのカジュアルなランチ処になってる。あれ?と思って見渡すと、さらに奥は1ブロック向こうの路地に面していて、こっちは惣菜屋、こっちはハム・チーズ屋になってる。なるほど、この広い店内が食材・惣菜・食事・ワインの四色仕立てになってるわけですか。いい商売をしてはるなあ(笑)。
 ・・・あれ?

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 あれ、ここって、今朝「いいなあ」って見てた惣菜屋じゃないか(笑)。なあんだそっか。

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 クリーム味のパスタ。うん、まあ、ふつう。
 豚肉の焼いたのとポテト。うん、ふつう。ちょっとしょっぱさが強い。・・・あれ、これって今朝食べたがってたあの豚肉かい? ああ、まあ、ふつうだなあ(笑)。

 ちなみに、この店は元気に営業中なんだけど、他の錦市場の店々はお昼休みらしく、もう2時頃になるとどこも閉まってます。そうやって働いてる人がちゃんとお昼休みとれるって、いいなあ、と。うちの職場の昼休みなんか瞬殺すぎるし・・・。

 ボローニャは、こんな感じです。


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2013年02月15日

201301eu・6日目その1「決して”荒城の月”ではない」(1/7 ボローニャ)


 おはようございます。ボローニャの早朝です。
 さっきからテレビで↓これが流れてて、ちょっと見てます。

黒船 (スタジオ クラシック シリーズ)

 金比羅舟舟やってるし(笑)。

 とりあえず、ここでこれまでの旅程を振り返ってみます。
 下図の通りです。

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 で、ここまでのルートは、日本にいる時からまあなんとなくぼんやりイメージしてた通り、だったのですが。
 ここから先は、掛け値なしで旅程を決めていないのです。
 今朝の時点で心づもりしていることは、次の通り。

 @イタリアの小振りな都市をもうちょっと見る。
 Aどこかの夜で、ヴェネツィア本島に宿をとる。
 Bどこかのタイミングで、ザルツブルクに寄る。
 Cオランダ・ベルギーにはやや早めに入っておく。

 とりあえず今日の予定は、
 ・午前中 ボローニャをまわる
 ・(午後 パルマに行く?)
 ・夜 ヴェネツィアに泊まる
 という感じで動こうと思います。さっきヴェネツィアの宿をネットで確保しました。

 美味しいエスプレッソもいただいたし、では、ボローニャの街に行ってきます。

 ボローニャ。初。
 ボローニャといえば、ボローニャ大学(ヨーロッパ最古)。中世からの古都。あと、美味い料理(イタリアの中でもさらに)。
 と思っていたのですが、下記のような参考図書で読んだところによると、戦後に近代都市化したりスラム化したりしようとしてたのを、街づくりをがんばって、歴史地区の保存再生と生活環境の確保とをがっつりやって、都市再生のお手本になりましたよ、ということらしいです、めちゃめちゃざっくりと言うと。

イタリアの街角から スローシティを歩く [単行本(ソフトカバー)] / 陣内 秀信 (著); 弦書房 (刊)

イタリア 都市と建築を読む (講談社プラスアルファ文庫) [文庫] / 陣内 秀信 (著); 講談社 (刊)

イタリア 小さなまちの底力 (講談社プラスアルファ文庫) [文庫] / 陣内 秀信 (著); 講談社 (刊)

 だからなのかな、歩きはじめてすぐこういう風景。

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 歩道が、柱と建物で覆われた感じの”柱廊”というやつになってる。保存された歴史的建物だろうと、現代の建物だろうと、みな、そういう造り。デザインは歴史的だったり現代風だったりするけど、造りは同じ。
 実際歩いてみると、まず歩きやすいしわかりやすい(=生活者として効率的)、そして古い建物の保存もされてるし、なおかつその見た目が美しいし歴史風でもあるから、癒やされた気分になる。そして歩道と店に一体感があって、お店に入りたい感じになる。いいこと尽くめじゃないですか、やるなお主(笑)、と。なんというか、街の構造に”賢さ”が見える気がする。

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 だから、歩いてまだ10数分くらいしか経ってないただの道ばたですけど、あ、この街なら住みたいな、と直感的に思えちゃいます。適度に古都っぽくて、しかも不便でもクローズドでもなく、オープンで気やすく、適度に便利そうで店も多いし、そしてやっぱり大学街だからか活気もどこか若々しい。何より、歩くのが楽しい、歩ける街はいい街です
 ああ、いいなあ、と。住みます、ここに。(←何都市目だ(笑))
 どっちにせよ、この時点で「もうパルマ行きは無いな」というくらいに、ここでちょっとゆっくりしたい。

 そして、歴史地区の広場に到着。

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 うん、つくってるなあ、と。
 これは、わかっててつくってる人のプロデュースだなあ、と。タレント性あるなあ、という広場。

 ちなみに右手の建物が図書館(CA-R)らしいのですが、今日は開いてないみたいです、さっきから市民の方が扉の前までやってきては、え、閉まってんのか、と残念そうに帰っていくので、ああ、愛されてる図書館なんだなあと。(註:学生や社会人が目立つ客層だった。)

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 広場をつっきって、繁華な通りからぐるっとまわりこむと、ボローニャ大学の旧館=歴史エリアがあります。

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 ・・・おおぅ・・・・・・。
 街の喧騒がすっと消えて、静かで、でも学生が行き来しててどこかフレッシュな空気のする、中庭。
 平安時代(!)創設、ヨーロッパ最古とはいえ、決して”荒城の月”ではなく、いまもちゃんと活きている空間です。だからよけいに、おおぅ、て思う。

 建物内もぐるっと回れます。

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 しかしこの装飾、日光思いっきりあたってるけどな(笑)。
 そして、ボローニャ大学の解剖学教室。

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 このあたりまでが、観光客向けエリア。
 この建物には歴史資料メインの図書館があるらしく、でも観光客はノーと書いてあるし学生がたくさん受付を待ってるしで、おとなしく入館は見送ります。
 それにしてもこの図書館目当てなのか、学生が次々やってくる。旧館とはいっても、ボローニャ大学に変わりはないんでしょう。やっぱり、大学のある街はいい街だなって思います。

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 街へ出ましょう。

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 路地です。路地のある街は、いい街です。だからさっきから路地を選んで歩いてます。
 上の写真にもちらっと写ってますが、こんな歴史風情残す街並みではあるけども、実は頭上に張りめぐらされてる電線が結構多い。あ、イタリアの古都でも場所によっては日本みたいにこんななんだな、と思います。その電線から電気を取ってる路面バスが、細い道をがんがん走ってたりするし。やっぱり、たんに古都なだけでなく、現役の都会なんだなって。だからこそ、暮らしたい度がさっきからぐいぐい跳ね上がってます。
 日本人の自分は(残念ながら)この電線風景にも慣れてるから、視界から上手に消して気にせず見れるんですけど、この街の人たちにもそういう特技があるのかなあ。
 なんてことを考えながらぷらぷら歩いていると、

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 きたっ! 市場な小路!!
 錦です、ここはまさしく錦小路です。美食の国イタリアの、美食の街ボローニャの、錦小路です!!
 ああ・・・料理したい・・・、なんで自分”旅行者”なんだ(涙)。
そう思うくらい、市場です。市場のある街はいい街です

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 これ買って帰って家でビール飲みたい・・・奥のグリルではでっかい豚肉を丸焼きにしてるし。豚肉・・・恋しい・・・(笑)。

 そんな錦小路をふりきってその先にたどりついたのが、「サン・ステファノ教会群」という教会です。

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 まずもう入る前の見た目からして、あまりにも神々しすぎて、もはやめんどくせー(笑)と思うくらいの神々しさ。

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 ↑これが全体模型なんですが。
 ”教会群”という名前だけあって、ここでは、11世紀から13世紀の間に建てられたいくつもの教会や聖堂が、ぎゅっと隣接して組み合わさってひとつの建物っぽくなってる。組み合わさってるんだけど、それぞれは違う時代に違う様式や形でつくられてるから、それぞれ全然ちがう。

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 だから歩き回ってると、神々しくて静寂なのに、エンタメ度が半端なく高いんです。扉を開け敷居をまたぐごとに、次の違う世界に入室して行く感じ。わけいってもわけいっても、また別の神々しい感じ。神々しさの宝石箱や〜、いや、古教会の満漢全席や〜、という感じ。
 そんなに広い敷地でもないはずなのに、ディズニーランド何個分かに匹敵するんじゃないか、というくらい、さっきからそのバラエティーさ加減を堪能しています。

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 すごいな、ここ、この街の観光スポットとしても一二を争うんじゃないか、と思うけど、そんなに人もいなくて逆に助かるなあって。
 歩き疲れた果てにお土産ショップがありまして、そこのおじいちゃん、こんな奥地に一日座ってるためか人さみしいんでしょう、前のご婦人と延々おしゃべりしてて、ご婦人が切り上げて帰りたがってるのに、なおも話し続けて解放しない(笑)。やっと解放されたご婦人のあとに、パンフとDVDを買わせてもらおうとすると、平易な英語で「おまえ日本人かい? 建築好きなんかい?」と。ええ、建築好きなんですよ、だから来ました。ていう感じ。

 世界に通わなきゃいけないお気にスポットがまた増えたという。
 

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2013年02月12日

崩れたら 補えばいいよ そういう職業だもの (みつを)

学術リポジトリが変える論文の「価値」と読者層 - 日比嘉高研究室
http://d.hatena.ne.jp/hibi2007/20130210/1360484762

いい記事があったなあって。
まず思ったのは、リポジトリもGoogleも、何かを壊すために現れたわけではなくて、インフラとして社会に登場したんじゃないかな、と。結果として、崩した、ぶっ壊した見た目にはなってるけど。
インフラだから壊すためじゃなく築くために出てきたはずなのにな、って、思たです。

例えば紀要だと「学術的評価のヒエラルキーでは低くて、選りすぐられた文献ばかりではないけど、でも必要な時には、雑誌記事索引や国文学年鑑をひけば見つかるし、たいていの大学図書館の書庫に行けば並んでてコピー入手できる」とまで言えちゃえる存在、だったとしたら、それは価値評価や位置づけと、見つけることと、アクセスすることとがある程度くっついた、パッケージ化されたような存在で、まあゆってみれば「C定食」みたいなもの(駐:A定食の方が贅沢というヒエラルキーで言ってます)で、そういうふうに暗黙に了解してて、教える人も「紀要ってのはね」で教えることができたし、図書館も「紀要ってこういうもの」として管理や提供をしてた。
ただ、そのパッケージ化は明確に意図されたものかどうかっていうのは、あたしにはよくわかんない、たいていの場合はそうです、で通ってたし、たとえそうじゃなくても別にそれで誰も困らなかったんだろうな、これまでは、と思う。
コアジャーナルにしろ、紀要にしろ、メディア自体が価値評価もアクセスも全部入りで持ってたんなら、まあ話は単純といえば単純だったのかなと。

ところが、リポジトリやオープンアクセスやGoogleさんは、そのパッケージに組み込まれてない。組み込まれないで登場した。便利なインフラとして。
で、便利と単純とは、たぶん別。蛍光灯を明るいのに変えたら、部屋が薄汚れてるのがかえって目立っちゃったなあ、みたいな。

 リポジトリやオープンアクセスの類は、アクセスすること(アクセサビリティ、て言うのかな)”だけ”を高度に保証して、Googleは検索して見つけること(ファインダビリティ?)”だけ”を高度に保証しているので、価値とか評価とか位置づけとかヒエラルキーは保証していない、または、少なくとも”これまでの基準でのそれら”の提供は保証していない。
 だから、「崩した」「ひっくりかえした」というよりも、そういうものを保証する機能は前提としてつくられていない、というのがよりあたってるんじゃないかなと思う。
 でもそれらが便利なために人気で、バランスを崩すほど便利かつ人気で、その結果として「崩れた」「ひっくりかえった」のかもしれないけど、それは見方を変えれば、これまで暗黙でしかなかったしほんとのこと言うと明確に存在していたわけでもない、ということを、可視化しちゃったんだ、というふうに言えるかもしれない。

 で、じゃあどうする、ってなったときのひとつの考え方としては、「せっかく崩れちゃってるんだから、この機会を逃さずに利を得よう=リポジトリとGoogleのアクセスビリティとファインダビリティを利用して自作文献に価値を付与しよう」ということになるんだろうな、とは思うんだけど。
 もうひとつ考えなきゃと思うことは、リポジトリとGoogleだけでは成り足らざる、欠けている、不足しているものを、いかにしてちゃんと補っていくか、築いていくか、ということになるんじゃないかなって。定食じゃなくてアラカルトなんだったら、野菜もちゃんと自分で食べなさいよ、ていう。
 つまり、文献の、価値とか評価とか位置づけとかが足りてないんだから、別個用意してやる。ライブラリアンとしての情報編集機能とか。流行りの(笑)言葉で言うならキュレーションとか。それそのものの提供ではなくそれを行なうためのスキルの提供という意味での、リテラシー教育とかアクティブなラーニングとか。(流行りばっかりだなあ、でも、なぜ流行ってるかがこれでうなずける。)
 もちろんこれは、”これまでの基準でのそれら”を保守しなきゃいけない、という意味じゃなくて別にそれらを後生大事にしてく必要は毛頭ないんだけど、でもまったくなんの価値も評価も位置づけもなしに無視して文献を利用していくような乱暴なこと(ググって出てきたPDF"だけ"使うとか)もできないので、じゃあリポジトリやGoogleにそれが欠けてる(あるいはもとから存在しなかったことが可視化された)んだったら、それは別個がんばって提供していかなきゃね、ていう。
 もっとやらしい考え方をすれば、新しい”それら”を築いていける絶好の風が吹いている、ていう。

 それは、教員であれば学生に、見つけた文献をこうこうこういうふうにして自分で評価してから使いましょう、ということを教えるとか。ライブラリアンや情報専門家なら、ありもので言えばパスファインダーとか、主題書誌を編纂するとか、twitterやタンブラーで何かするとか。アルゴリズムとかデータマイニングとかビッグデータとか、文献管理ソフトかと思いきや文献ソーシャルネットワークのようなアカデミックなコミュニケーションのグランドデザインを云々かんぬんとか。
 
 でも、そういうことって、高等教育者や司書や情報専門家であれば本来の役割としてもとからやっていた(または、やってなきゃいけなかった)ことなんだから、まあ、これといって新しい話でもなかったな、ていう。
(余談になるけど、いわゆるディスカバリーシステムが図書館関係者からdisられがちなのも、たぶん、ファインダビリティだけを個別に高度化して、価値評価位置づけから切り離されてるからじゃないかなと思うわけで、でもだったらそれを付与してくのが己等の役目だろうとは思うんだけど。)

 なので結論としては、やるべきことをやります、で。

 あと、肉食系ライブラリアンは野菜もちゃんと食べなさい、と。

 そんな感じです。

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2013年02月11日

201301eu・5日目その2「計画を練ってる時間がいっちばん楽しいなあっ!」(1/6 レッチェ→ボローニャ)


 さて、オストゥーニからの帰還が思ったよりだいぶ早かったので、事前予習地図(Googleマイマップ)を眺めた結果、さらに南へ1時間ほどのレッチェという街に行ってみようかな、って思います。

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 イタリア半島のほんとにかかとのかかと辺りで、街並みや建物がバロック的なんだとかいう、これまでとはまたちがった観光地っぽいです。
 ここでゆっくりして、で、バーリ深夜発→ボローニャ早朝着の夜行に間に合うようにバーリに戻ったらいいんです。

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 小腹が減ったので、きのうバルレッタのスーパーで買った謎の”サーモン風味カニカマ”をもそもそ食べてます。あの、要するに燻製風の香料添加物が塗っててスモークサーモンっぽい、てだけのようです(笑)。

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 レッチェ。初。
 なんだかんだでもうお昼前です。

 で、ここで今夜の夜行の予約をしておこうと思います。
 バーリ深夜発→ボローニャ早朝、2-3便あるうちの都合のいいやつを・・・。

 「満席」。
 ・・・えっ!?

 え、ちがうちがう、昨晩バルレッタから帰ってきたとき、バーリ駅の券売機で念のために確認したら、ちゃんと空いてたじゃない。
 「満席」。
 あ、そうか、2等のシートだからかな。個室でも全然いいんですよ。
 「満席」。
 クシェットは?
 「満席」。
 1等でも2等でも、
 「満席」。
 他の便でも、 
 「満席」。
 ・・・ははあん、あれだ、ユーレイルパスで割引予約できるチケットには数に限りがあるときいてます。じゃあもう、正規のチケットを正規料金で買ったってかまわ・・・、
 「満席」。

 ・・・・・・おおぅっ!?

 これは、ホリデーシーズンの最終日(明日は月曜)だから満席なのか。それとも、夜行の予約は前日までというルールがあったんだっけ。それにしても座席すらないとは。

 なにより、あたし今夜どこに泊るんだろう??

 ・・・・・・旅程の選択です。

 @深夜・バーリ発 → 夜行泊 → 翌朝・ボローニャ着
 ⇒×満席
 A今夜・バーリ泊 → 翌朝・バーリ発 → 翌日午後・ボローニャ着
 ⇒う〜ん。

 今夜こっちで延泊しちゃうと、明日に日中を移動に費やしちゃうからなあ。
 正直、そろそろ南イタリアに飽きてきてるし、中部のボローニャとかパルマとかできればあの辺にも時間使いたい。
 しょうがない、もっと早い便でボローニャ着が未明になってでも・・・。

 ・・・あ。

 Bバーリ発1538 → ボローニャ着2114 → 今夜・ボローニャ泊

 これでいいのか(笑)。
 ネットを漁ると、ボローニャのすぐ駅前にホテルの空き室を発見。
 バーリ→ボローニャ便の予約も確保。
 バーリ発のその便に乗るためには、えー、レッチェ発が1313。
 いまが・・・、おおぅ、もう12時を大きくまわってるじゃないですか。

 よし。
 ここ、レッチェ滞在を45分とする。(註:ここをキャンプ地とする、のノリで)
 駅から旧市街までは徒歩、片道20分。
 そこまで歩いた時点で駅へ折り返すものとする。
 うん、問題ない、自分にはよくある旅のスタイルです(笑)。
 
 iPhoneをネットにつないで、街の地図と観光地図とを照らし合わせて、歩く。

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 歩く。

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 歩く。

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 ほおほお、これがこの街のドゥオーモですな。なかなか男前ではありませんか。
 ・・・・・・うん、よし。戻る!

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 もちろん別のルートを戻ります。

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 確かにバロックだなあ。

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 こちらは色男なドーム。

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 うん、駅到着。
 以上、レッチェ終わり!(笑)

 あとはもう、てきぱきと移動です。観光じゃないのでこれといったことはありませんが、あるとしたら。
 えっと、レッチェの駅で腹ごしらえのために売店で買った、トラなんとかという三角形のサンドイッチが、具だくさんコールスローにこってりとしたマヨネーズで、日本食云々よりこういうマヨネーズに飢えてたんだなあ自分、と気付いた話とか。
 そこのレジの娘さんが6ユーロの6をイタリア語で言うので、現地の数字くらい予習しなきゃなと思った話、とか。
 バーリのホテルに戻ったら、フロントのおねえさんが「あなたはネットレートのはずだから、今朝の支払はチャラにさせて。ごめんね」と対応してくれて、しかも預け荷物を持ってきてもらったらワインとか水とかのせいですごく重たくなってて、「重い?」「あはははは、ちょっとね、あははははは」と、あまりの重さにおねえさんのケタケタ笑いが止まらなくなって、あまりに楽しそうなので南イタリアを去ってしまうのがちょっとさみしくなった話とか。
 もう一回腹ごしらえのためにバーリの売店で、コロッケ状のものがあったので買ってみたら、トマトで炊いた米(ちょっとかたい)のコロッケで、しかもそれを買おうとするとおねえさんに「レジでアランチーノ買ったって言え」「アラ何?」「アランチーノだよw」と言われて、数字だけじゃなく料理名も予習しなきゃと思った話とか。
 ところでボローニャから先の旅程がほんとにまったく白紙なので、列車内で地図や時刻表やPCやiPad miniをひろげてあれこれと模索し、検索し、記録し、結局こうやって旅先で計画を練ってる時間がいっちばん楽しいなあっ!て思った話とか。
 ところで昨日から脳内BGMとしてマルコ(母を訪ねて三千里)のオープニングがずっと鳴っててとまらなくて、長旅のつれづれにネットをだらだら見てて、結局、全52話のあらすじを読んでしまい、おいおい、こんなヘビーな内容をお子様・ご家族向けのアニメとしてよく放送してたもんだなあ、とびびった話とか。自分も「遙かな北(ボローニャ)を目指してるんだよ」、とか。
 最終、冷え冷えのボローニャに到着して、2晩連続ケバブのロールで済ませました、ケバブは偉大だなあ、という話とか。

 そうですね、南イタリアは以上です(笑)。

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2013年02月10日

201301eu・5日目その1「驚きの白さ。」(1/6 オストゥーニ)

 5日目の朝。
 今日の見積もりです。今日はほんとにどうなるかわからない。

 @早朝バーリ発 → 鉄道 → オストゥーニ
 A(臨機応変に行動)
 B深夜バーリ発 → 夜行泊 → 翌朝ボローニャ着

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 今日はこれからオストゥーニという町へ行こうと思います。
 オストゥーニ。バーリから南へ鉄道で約1時間。陣内・スローシティ本(http://www.amazon.co.jp/dp/486329039X)で紹介されてたところで、丘の上に立ち、町全体がまっ白の壁でできているという”白い町”。
 ほぉ、と思うのですが、これがまたガイドブックの類には載ってないので行き方がぼんやりとしかわからない。ググってみると、駅で降りる→駅前にバス停→待つ→乗る→着く。ほんとか?と思うのです。本当に行けるのだろうか・・・、教えてほしい、というガンダーラのような町。
 なので、何時に着けるかも不明、どんな町なのかも不明、どのくらい気に入って長居するのかしないのかも不明、何時にバーリに帰って来れるかも不明。しかも今日は日曜なので、極端に便数が減ってるという厄日なのです。だから、旅程Aをまるまる空白にして備えている、という状態。

 とりあえず朝一に近い便で出発しましょうというんで、ホテル朝食をパスしてチェックアウトしようとする。と、あきらかに事情がわかってなさそうな守衛っぽいスタッフしかフロントにいません。しまった、こういうことがあるから支払は前日に済ませとくべきだった、しかもネットレートより10ユーロ高い正規料金になってるし。クレームするにも、おっちゃん英語ほぼアウトだし、守衛だし、電車逃したら1時間待ちだし。とりあえずキャッシュではなくカードで支払っといて、後日なんとかできるならなんとかしよう、と。そして大荷物を預け身軽になって、駅へ走ります。

 なんとか余裕を持って駅に着けました。この後、いつ食事にありつけるかわからないので、近くのファーストな売店で食料を調達しようと思います。2ユーロでパンとドリンクの立ち食い朝セット、たくさんの人がそれを求めてにぎわってる。ジャンクフードばかり置いてそうな店だし期待はしてないけどまあいいや、と注文します。
 ドリンクは、じゃあオレンジジュースください。・・・え? おねえさんオレンジ2個とナイフ持って何するの? と思ったら、ジャンクでファーストな売店でまさかのその場でジュース生搾り事件発生。うおぉ、これがイタリアのクォリティかと。あたし最悪ファンタ的なもの飲まされること覚悟してた(実際、安宿の朝食はそう)のに、繊維たっぷりの搾りたてが朝の乾いた身体に染み渡ります、美味くないわけがないじゃないか!
 それにパン。揚げて、砂糖まぶして、チョコクリーム挟んだの。美味くないわけがないじゃないか!
 ・・・え、おねえさんこれ何? 新聞なんかいらない、2ユーロのセットだけでいいんだって。・・・えっ、新聞付きのセットなの? いや、読めないんだけど(笑)。

 という感じで、朝から血糖値をぐんと上げつつ、オストゥーニへ向かう列車に乗りこみます。
 乗ったはいいんだけど、なぜか激混みでシートは満席。みんなぐったりと寝てる。
 そうか、いま乗ってるこの列車は、昨晩ミラノだかボローニャだかを出て、今朝ここまでやってきた夜行列車なんだ。ん、ということは、自分が今夜乗るのもこんな感じなの? この激混みは、土曜夜のせいか、ホリデーシーズンのせいか、2等座席のせいか、どれだろう・・・と思うと今夜が不安になります。

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 オストゥーニ。初。
 こここそマジで何もない。ていうか、人がいない。駅職員なんかいないし事務所も売店も閉まってる。数人降りた人はいたけど、みな駅前のマイカーでどっか行っちゃった。地図もない。掲示板もない。サインもない。わかんない。

 青い空と、流れる雲。吹きすさぶ寒風。
 駅前に、ぽつーんと、ひとり。 
 山頭火かと。

 バス停? どこ?? と周辺ぐるっと探す・・・、あれ、もしかしてこの青い標識は、わかんないけどバスの絵なのか?と思って近寄ると、雨に濡れてよれよれの紙に「フェルマータ」と書いてあって、なるほど、webで拾ったPDFと同じ時刻表が書いてある。これかあ。
 そこへ、一台のちっこめなバンが駐車場にやってきたなあ、と思うと、目の前でぴたっ。・・・あ、これ!? これを”バス”としてるのね(笑)。
 乗り込むとサングラスをした若い兄ちゃんが運転してて、車内に券売機があるけどこれを買ったらいいの? 客は自分と、ちょい悪オヤジ。3人無言でオストゥーニへ向かいます。わかんないことだらけです。

 向かう、つっても20分もしないくらいです。
 途中、丘の上のまっ白い町が遠景でちらっと見えて、ふわっとテンションがあがります、時間があるならここで写真とか撮るべきところ。
 ほどなくして車が停まり、兄ちゃんがあたしに向かって「チェントロ・ヒストリコだよ」とおっしゃる・・・あ、センター・ヒストリック、歴史地区の中心地ってことかな(5日目なのでだんだん言葉的カンが働きつつある)。わかんないけど、じゃあここで降りますね。

 丘の上に築かれた町。
 どこもかしこもみな、白い漆喰の壁で作られてて、町全体が白い”白の町”、チッタ・ビアンカ。
 その旧市街を遠くから眺めると、こんな感じです。

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 うん、いい! これは夏のすかっと晴れた日なら、なおのことよさそう!
 向こうに見えるのがアドリア海。緑がオリーブ。そして、沿岸から少し離れたこの丘に要塞のように築かれたのが、オストゥーニの町。海からの外敵に備えて、ということのようです。

 旧市街を歩き回ります。
 ”白い迷宮”とも呼ばれる町。さすがです。上へ下へ、右へ左へと、路地が際限なく続きます。迷宮度はアマルフィ以上。

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 白すぎるだろう、と(笑)。花王の提供かと。驚きの白さ。
 しかもこれ、歴史建築物として白いだけじゃなくて、あきらかに最近塗りましたね、っていうような白さのところが相当程度ある。だからまあ、そういう町づくりなんだなあって思う。で、そういうのっていいなあって思う。

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 それにしても、歩いても歩いても、だなあ。
 さっきから歩いてますが、いま自分がどこにいるかなんて、わかりません。上がったり下がったり。蟻んこです。アリエッティです・・・。
 しかも人がまったくいません・・・人に逢いません・・・。あと、店の類がどこも開いてません・・・。
 いや、わかるんです、ここ夏に泊まりに来たらすげえ楽しいんじゃないかなって、そういう、だらっと居て楽しめそうなお店とかはいくつもあるんです。でも冬で・・・そうか、いまはしかも日曜の朝か・・・。

 えっと、あのすみません。
 さっきから、ものすごく寒いんです。
 
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 寒いっていうか、寒風がびゅんびゅん吹きつけてくるんです。
 考えてみたらそりゃそうです、↑ご覧の通り、あちらは冬の海です。そして町との間に風を隔てるものはありません。そしてこちらは丘の上です。風は、そりゃ強かろう、です。
 さらに悪いことに、迷宮のような路地でできた町なもんですから、風が細い路地を通るせいでものすごく速いんです。ビル風です。速強いんです。それが我が身に集中して当たってくるんです。
 もうね、1時間経つか経たないかくらいですけど、いま身体が芯から冷えきってます。

 そして・・・カフェ的な店がどこも開いてない。暖まりようがない。

 いつ頃この町は動き出すんだろう。待ってたら動くんだろうか、開店するんだろうか。
 それとも・・・、バルレッタの午後の町を思い出す。
 日曜、ホリデーシーズン、地元の人々、生活サイクル・・・わからない。
 わからないことが多い・・・寒い・・・ガンダーラ・・・。

 うん、まああれだ、夏にまた来ます(笑)。

 もうちょっと滞在を楽しめたらよかったなあと惜しみながら、でもこのまま身体が冷えていって旅先で寝込むことになってしまうと一番困るので、「再訪したい町がまたひとつ増えた」という前向きな結論にしますね。

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 先ほどの広場のタバコ屋でバスチケットを買って、道ばたでぼんやり待ってますというと、あ、さっきのバンですね。そして、あ、さっきのサングラスの兄ちゃんでしたね。「こいつもう帰るの?」とか思うてはるかな・・・(笑)。

 「A(臨機応変に行動)」。
 ただいま午前10時20分です。

posted by egamiday3 at 20:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月09日

201301eu・4日目「人の営みは、町の”文脈”みたいなもの」(1/5 バーリ→バルレッタ)

 おはようございます。
 ホテルの朝食では、日本人団体客と、そういう提携らしき警官グループに囲まれながらいただきました。
 ナポリはこれだけです、今回は出歩くのなしで。スパッカ・ナポリとかほんとは再訪したかったんですけど・・・まあ、また来るでしょう。

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 今日はこれからすぐに鉄道に乗って、イタリア半島の東側に向かいます。
 Napoli Centrale 0801 → Bari Centrale 1208
 南イタリアの東側の拠点っぽいバーリという街に宿をとって、到着時間やお天気と相談で、その後どうするかを決めようかなって思ってます。
 ちなみにバーリ後は、ボローニャあたりまでぐっと北上できる便があるみたいなので、夜行かなんかで移動するんじゃないかな、くらいしか決めてません・・・。

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 さよなら、ナポリ。
 
 駅前に宮殿らしきものがある町、Caserta(もはやカタカナ訓みもわからない)で乗り換え。ここまでは鈍行の生活路線だったので、キセル集団らしき人たちが車掌から逃れるのに右往左往してて騒がしかった・・・。

 山を越えて半島を横切ります。
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 山が見え、畑が見え。
 気分は富士通(車窓的な意味で)。

 やがて東側、アドリア海沿岸に出ると、今度は急に家・建物がいかにも地中海っぽい、白かったり褐色だったり砂っぽい感じになります。同じ石や煉瓦でできてても印象って全然ちがうんだなあ。土の色も全然ちがうし。そういう土壌ってことなのかな?
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 そして出発から4時間、到着です。

 バーリ。初。
 イタリア半島の東側、かかとからアキレス腱にあたる一帯がプッリャ州で、その州都の街です。アドリア海沿岸だから、交易的にも要衝じゃないかなって。
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 これが南イタリアなのかなっていう、なんとなくがしゃがしゃした感じがします。

 駅から少し歩いて、インにイン。すぐに荷物をまとめてアウト。
 まだまだ12時台なので、鉄道で3-40分くらいのところ、近郊の町・バルレッタに向かうことにします。

 今回のイタリア旅行の一番の参考図書は、陣内秀信『イタリアの街角から : スローシティを歩く』(弦書房 2010)です。

イタリアの街角から スローシティを歩く [単行本(ソフトカバー)] / 陣内 秀信 (著); 弦書房 (刊)

 バルレッタなんて町、日本のガイドブックにはどこにも載ってないのですが、この本でちょちょっと紹介されてて、なんとなく気になったので、半日くらいで行ってみようかなって。

 バーリ駅では、どでかいキャリーケースを持って階段をのぼろうとするけどぜんぜん持ち上げられなくて困ってる娘さんがいて、「手伝おうか?」と声をかけてぐっと抱えあげる、という善行を積んだりもします。今日は1/5・土曜日、イタリアではクリスマス+年末年始のホリデーシーズンがいよいよ終わろうかというタイミングで、駅は帰省客?らしき人たちでたくさん、この女学生さんもそのひとりなのかもです。
 そしてバーリ→バルレッタの車窓。この地域に特有のトゥルッリという、石を三角錐に積み上げた屋根の小屋建築が、ちょいちょい見えます。オリーブの木が一面に並ぶ中に、トゥルッリっぽい小屋とか、壊れかけの石組みの住居なんかがあったり、或いはまた、赤土や砂っぽい色の家があったり。かと思うと、遊園地やシネコン、ショッピングモールがディズニーランドのように建ち並ぶ一帯なんかもあったりして、イタリアの車窓もいろいろだなあって。

 言ってる間に、バルレッタ着です。
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 ・・・どうしよう、何もない(笑)。
 いやその、駅前の地図とか観光案内とかサインとかそういったものが。ほんとに、観光地じゃないふつーの町に来ちゃったという感じ。
 それに、人がほとんどいない。え、こういうもんなの? イタリアのふつーの町の土曜午後って、こうなの?
 iPhoneのGoogleマップだけを唯一の頼りに歩いていると、やっとこんな町の地図を発見。なぜか陶板。
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 でも、わかんない(笑)。

 というより人がいない。店も開いてない。これはこまった。
 町(街)というのは、地図やガイドブックがあればわかる、というものではないです。人出があって、それが多いか少ないか、みんなどっちのほうへ歩いて行くのか、どういう身なり・年齢層・目的の人たちか。どういう店がどんなふうに営業してるか、そこの客層は。人の営みは町の”文脈”みたいなもので、それが描かれることではじめて、ああこの町はこういう町で、こっちのほうはこういうエリアなんだな、というのがわかるんだと思います。いや、こんなに人がいなくて閉店ガラガラなんでは、白地図の上を歩いてるようなもんだなあと。
 旧市街・歴史地区っぽい、よさげな路地があるこういうエリア。ですら、人出がない・・・。
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 というより、困ったな、あたしここで昼食にしようって思ってたのに、さっきからバールとアイスクリーム屋とillyくらいしか開いてないじゃない。ちゃんとした食事がしたいんだけどな、どうしよう、と、ほんとに短くてすぐ歩き終わっちゃう路地を2-3往復(笑)しています。そうすると1軒のB&B兼レストランのようなところが、なんとなく灯りがついている風でもあり、でも開いてるか閉じてるかさっぱりわからない。意を決して扉を開けて、マダムらしき人がいたので「ランチ、いい?」と聞くと、あ、よかった、入れてもらえました。案内されるままに奥へ奥へと入っていくと、地元のおじさんおばさんらしきグループが食事してて、ああ、ここで食にありつけるんだ、とほっとします。あまりに地元過ぎかつ人がいなさすぎて、飯が食えるか食えないかの見積りすらできない状態にありましたよ。

 Ristorante Al Duomo
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 マダムもウェイターも英語がごくごく片言なんだけど、ウェイターのお兄ちゃんが一生懸命メニューを説明してくれるので、こちらも気をよくしてふんふんと聞いています。
 存外安めだったのでアンティパスタでおすすめというタコのサラダ。そしてパスタは、お兄ちゃんはボンゴレのリングイネをすすめてくるんだけど、いや、あのですね。バーリを中心とする南イタリア一帯にオルキエッテという名のローカルなパスタがあるらしいじゃないですか、さっき電車の中でiPhoneで予習してたですよ。オルキエッテ=耳たぶ、が語源で、耳たぶの形をしたまるっこいパスタ。「オルキエッテある?」と問うと、「オルキエッテね」と耳たぶを触りながら応えてくれるのも、それらしくておもしろい。ボンゴレのスープのそれを注文します。

 出てきたタコがこれ。
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 絶対美味いにちがいない、と思って注文したら、間違いなく美味かった。オリーブオイルとバジル。タコ夢中、ひと盛りを瞬殺。

 そしてオルキエッテ。
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 もしかして注文後にこねてくれた?というような、もっちりして食べ応えのある丸い生パスタです。あさりとオリーブオイル、ニンニクのスープ。やわかったのでほうれん草かなと思ったのですが、菜の花でした、味が濃く苦みが効いていいアクセント。なにより、あさりの魚介系塩気が日本人の身体に染み渡るので、ありがたくてありがたくて、パンで全部吸い取って食べました。パスタ系では、この旅で一番美味かった!

 それにしても、もっとなんかいろいろ食べてみたいと思わせる店だなあと。地元感もありながら、観光客向けっぽくもあり、よそ者の自分にとっても敷居高くないんだけど、ほかのお客は地元の人っぽい。前の席のご婦人ふたりが、さっきから前菜もパスタもメインもパンももりもりと食べてるから、うらやましいなあって。こういう店が地元にあってうらやましいなって、美味いんだもの。

 さておき、この町の見どころのひとつであるという、城へ向かいます。
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 この沿岸一帯には中世からパレスチナへ向かう船出のための港・町があちこちにあったらしく、バルレッタもそのひとつ。この城は16世紀頃に築かれた、沿岸防衛のための要塞だったようです。
 いくばくか支払って中に入ると、城壁の上にあがってぐるりとまわれます。上からアドリア海を眺めるとこんな感じ。
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 アドリア海の対岸もはっきり見えます。クロアチアの世界遺産・ドブロブニクへは、バーリから船便も出ているという位置関係です。

 あと、どうやら公共図書館が中に併設されてるみたいです。開いてなかったけど。開いてないの? 土曜の午後に? ちょっとこのへんの生活サイクル的なのがまだあたしわかってない、ぬかったなあと思います。

 で、まあじゃあこんなもんかなと思って帰ろうとすると、地下へ続く階段を発見しました。ん?なんだろうと思ってちょっとのぞいてみます。

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 ・・・地下室がある。しかも行けるっぽい。行けるっぽいんだけど、誰ひとりいない、しーんとしてる。
 え、これ、入っていいの? 入ったらどうなるの? とおそるおそる奥へ進んでみます。

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 板張りの空間が続くんですが、思ったよりもぜんぜん広くて、しかも人がまったくいない。物もない。サインもない。部屋だけがある。
 ・・・・・・どうしよう、なんか怖い。地下、めっちゃ怖い。
 歩いているうちに、急にむき出しの地面になってしまった。え、もう部屋ですらない、施設じゃなくてただの地下になってる。何かの機械がジージーゆってる音がする。
 何この空間? え、異世界?

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 突如、尋常じゃない異音が室内に反響して、ひぃぃっ!と身を縮める。
 何、いまの音!・・・どうやらそこはドーム型の天井になっていて、その形のせいか、自分の足音やコートの擦れる音が何十倍もの音響効果で響き渡ってる、という。怖い。自分の音にいちいち驚かなきゃいけない。
 やがて、あ、上へ向かう階段がある、助かった。と思って上がってみたら・・・まだ中二階だった。そして突如眼前に姿を現した謎のモノリス。

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 怖い。不気味すぎる。まちがいない、ここは異世界・亜空間にちがいない。中世と遠い未来とアドリア海とドブロブニクとを結んでいるのだ。そういう土地柄なのだきっと。
 などと妄想に苛まれながら、さらに続く地下への階段を進み、角を曲がる・・・。

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 「ぅああぁっ!」
 ごめんなさい、リアルに声をあげてしまいました。いや、あげるでしょう、なんだこのシュールな物体は。

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 どうしたいんだ。バルレッタ市民はこの空間をどうしたいんだ。だって、公共図書館あるようなとこなんでしょ、なのに、リアルに何なんだこの異空間は。
 ・・・・・・ああ、「USCITA」あった。イタリア語で出口。この単語がこれほどありがたいと思えることは、後にも先にもこれっきりでしょう、たぶん。

 というような感じで、思わぬアトラクションを堪能してしまいましたが、さておき、この町もうひとつの見所であるというカテドラルは、どうやら開いていないようでした。土曜だから閉まってるのか、この時間だからなのか、冬だからかホリデーシーズンだからなのかは、よくわかりません。残念。
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 そして、さらに通りを。
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 あと、なんかわかんないけど、旧・貴族邸宅っぽいの。
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 さらに歩いているうちにだんだんと日が暮れてきます。
 アドリア海にも夕闇が迫ってきます。

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 それにしても日が暮れるとさらに、ふつーの町をふつーに歩いてる感が増します。当然と言いましょうか、駅を降りてからこっち、日本人、いや、東洋人らしき人はひとりも見かけません。ほんとにふつーの、イタリアの、とある町、生活空間です。

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 これは駅前広場で見かけた、年輩の住民の人たちが何やら寄り集まって話をしている様子。なんだろう、対馬の寄り合いみたいなやつかな。

 で、さすがに夜になって、ぼちぼちとあちこちの店舗が開店し始めた様子なんですが、だいぶ冷えてきたしと思って駅に向かいます。
 すると、駅前にふつーのスーパーマーケットを発見。やった、あたしにとってはどんな観光スポットよりもずっとうれしいアミューズメントです!

 (数十分後)

 えっと、買っちゃいました(笑)。
 替えの靴下。70セントの缶ビール。1.50ユーロのペットボトルワイン。チーズの削り端っこ。サーモン風味のカニカマ。
 ああ、あとさすがだなあ、ものすごいたくさんの種類の生パスタがずらぁっと並んでるんですよ、買いたかったなあ・・・これがアパートメントホテルに滞在の旅なら、買って帰ってキッチンで料理するのに・・・観光なんかしないで(笑)。これはもう、歯噛みするしかないですね・・・。

 というわけで、城の町・バルレッタにさよならをして、バーリに戻ってきました。

 夕食を求めて街へ出たのですが、ホリデーシーズン最後の週末、土曜の夜のバーリの街はとてつもない人出・混雑ぶりで、えらいことになっています。
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 実は昨夜、バスで到着したサレルノの街も、まったくこんなでした。
 この賑わいは何なんでしょう、週末だから? ホリデーシーズンだから? そういえば、イタリアではみんなして夜間散歩に出歩くという風習があるやに聞いてますが、その一環なのかな??
 そして、こんな宵山のような人出の中でも、東洋人はこの街に自分ひとりなんじゃないかって思えるくらいの、そういう感じです。

 とにかく、足が棒のようだったし、ホテルの人に教わった中華料理店は閑散としててハズレっぽかったので、ケバブのロール・3ユーロという安易な終わり方をしましたとさ。

 帰国までは1週間。まだまだです。

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201301eu・3日目その3「ただいま。」(1/4 ナポリ→アマルフィ)

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 アマルフィ。2006年以来、7年ぶり2度目。

 前回のblog記事が、こう。
 http://europeday4.exblog.jp/4356807/
 「今日からこのアマルフィで暮らすことにしました」とあるように、要するに一瞬で気に入った町です。第2の故郷です。
 当時は例の映画もまだ公開されてなかったし、情報を探そうにもガイドブックの隅っこの方に薄くあるくらいで、夏場に行ったけど日本人なんかそんな見かけた印象ほとんどなかったですが。いまとなってはもう、ちゃらちゃらしたガイドブックでもイタリア4大観光先にほぼ並ぶ勢いで扱われてるし、単独のガイドブックも出てるし、誰の口からもふつーに出る地名になりましたなあ。うーん、織田裕二・・・。
 アマルフィ海岸のほぼ中央、海岸沿いの山と山にはさまれた合間にほんとにせせこましく築かれた町で、面積的には下鴨神社の社域とどっこいどっこいくらいのところ。それでも、古代は一大海軍都市として知られ、地中海の要衝であり、いまはリゾートとレモン栽培が盛ん、みたいな感じです。

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 ただいまアマルフィ。帰ってきました。帰郷の感慨深さがあるのみです。
 それにしても・・・暑い(笑)。
 でもやっぱり冬だからか、店は半分くらい閉まってる。夏メインの町ではあるんですね、一応。

 この町の極私的魅力ポイントはいくつもあります。
 まず、ほんとにかわいらしいというか愛らしいくらいに、小さくてせまい町だということ。町の真ん中をメインストリート(といってもほとんど歩道)が走ってますけど、もう、歩いたらあっという間、それこそ下鴨神社の参道程度の距離しかありません。行って、ああ終わりかっつって、戻ってくる。しょうがないので、わざと別の道に折れたり、行きつ戻りつしたりして、稼ぐしかない(何をだ(笑))。
 これがそのメインストリート。基本、歩いて楽しむ町だということも、やっぱり魅力です。
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 せまいのは山と山の合間だからで、そしてその山に向かって町や住宅が登るように延びていってる。これがまたおもしろい。白壁で築かれたトンネルのような路地を、階段でとんとんとんと登っていき、その先にさらに延びる小道を右へ左へ、上へ下へ。蟻の巣をさまようように歩いていきます。そのほとんどがネイティブな住宅地だと思うんですが、折々でホテルやレストランとかに出くわします。たまにロバにも出くわします、荷物運びのためのロバさんね、だから道が時々ほんのり馬糞臭かったりします(笑)。
 こんな感じ。
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 観光地なんだけど、実際住んでるネイティブの人の生活がちゃんとあるのがわかるのも、この町の愛しさのひとつだと思います。
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 観光客だけでなく、地元のお爺さんお婆さんやおじさんおばさんらも、カフェで駄弁ってたりレストランで飲み食いしたりしてはる。子供たちがボール蹴って遊んで大人に注意されてる。あと、さっきたまたま、地元の方の葬列にも出会いました。山裾のトンネル路地を歩いてたら、なんか地元の人たちがあつまってわさわさ話してはって、そこには奥まったとこに観光用でないコミュニティベースの教会らしきところがあって、まあこういうところは邪魔せずにすっと通ろうと思って避けてたら、町の人がみんなして花で飾られた棺を抱えてぞろぞろ出て来たので、あっと思った。その後、夕方には町の中心がかなりたくさんの人出になってました。
 そういう、まあどの程度かはわかんないけど、観光だけじゃないところがやっぱり魅力。

 それから、アマルフィの大聖堂です。
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 この鐘楼がいつ見てもハンサム。いつ見ても見とれる。
 この辺まで南だと交易等でイスラム文化の影響も受けてて、だからこの鐘楼のデザインもこんなんなんだよ、ということらしいです。

 天国と称される回廊。
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 あと、大聖堂の中はこんな感じで。
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 電飾とか音響設備のBGMががっつりあってENYAがかかってるし、天井付近の窓から太陽光を採ってるので明るくてからっとした感じがします。歴史的で荘厳で締め切って暗い教会が多いけど、こういうのもいいなって。

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 それにしてもまあ、あたしが言っていいあれじゃないですけども、日本人の多いことといったらなんでしょうこれは。3分に1組はすれちがいます。前回は日本人なんかほとんど見かけなかったのに、いまや相当来てます。これこそビフォー・アフターです。オフシーズンのこの時期にこれだから、夏場はどえらいことでしょうたぶん。もう・・・織田裕二め・・・。

 さて、だんだん日が落ちてきて、ちょっと寒くもなり始めました。
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 帰りのバスの時間が近づいている・・・。
 ああ、この町の日が沈めば、わたしはまた旅立たねばならんのです。

 その前に夕食を、とは思うのですが、イタリアさんはランチ3時終わり・ディナー7時始まりとかなサイクルらしく、お目当てにしてたレストランは全部閉まっていて、結局、いかにも観光客相手でござい的な店1軒しか開いてません。仕方ない、そういう生活習慣も予習もいるのだなあ、と。
 期待できなさそうな店で注文したのは、アマルフィ界隈のローカルパスタで、シャラティエッリとよばれるものです。聞き慣れない単語すぎて、毎回ググって確かめないとわかりません。
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 ごんぶとのうどんのような太さで、10cmくらいにぶつ切りにされてる、短太麺。前回訪問時もいただきましたが、前回はトマトと魚介、今回はきゅうりとベーコンのなんかぼんやりしたソースで。で、この麺がそこそこにかたくて、かといってもっちりとかではなく、はごたえというか噛みごたえが強すぎて不快感が残る感じ。ぶつ切りの麺を歯でぶつっと噛み切って、懸命にもそもそと咀嚼してがんばって呑み込む、という感じになっちゃってる。2回食べて2回ともこんな感じだったので、まあこうなんでしょう。ご当地だから食べてみなきゃとは思うんですけど、美味いかと問われると、まあ、ちょっと言葉を選びたい(笑)。
 太いせいなのか、調理法のせいなのか。味の染み込みが足りないんじゃないかな。もっと煮込んでみるとか。ソースもトマトと魚介ならまだしも、こういうふつうのパスタ向けのソースよりは、もっと濃くてとろっとした味付けの方がいい。うん、そうしよう。例えば思いきって味噌とかね。味噌で、煮込むとか(笑)。
 二度とも疑問が拭いきれないあれでしたが、一応、土産屋で乾麺のシャラティエッリを買いましたので、まあ生麺のそれとは似ても似つかぬとは思いますけど試してみます。生が日本で手に入ればいいけど。

 さて、すっかり日も暮れてしまいました。さっきからそこそこ寒いです。
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 なんだか同じようなアングルの写真がたびたび登場してるように見えますが(笑)、それくらいこじんまりしたところという、あれです。

 さようなら、アマルフィ。江上はアマルフィを愛しました。

 さてここからは、バスで半島の付け根の街・サレルノへ、そして鉄道でナポリへ戻ります。
 帰途、気になる話が2つ。

 その1、サレルノ駅。
 7年前の話ですが、この駅で鉄道切符を買おうとした時、券売機もなくて窓口しかなく、そこで5ユーロのチケットに20ユーロ札を出したところ、窓口のだらっとした職員が何も返そうとせず、しれっとしてる。「5ユーロでしょ?」と釣り銭を催促すると、渡した20ユーロ札を気怠そうになでて、さもいま気付いたかにように釣りをだそうとする。10ユーロ札。・・・またしれっとしてる。「おい、5ユーロだろ!」と間仕切りのガラス窓をガンっと叩くと、また20ユーロ札をなでて、何事もなかったかのように5ユーロ札を出す。一応国鉄ですよここ、国鉄職員でもそういうことするんだなあと、セキュリティ意識を高めた想い出がありました。
 ありましたものですから、今回も肝を整え直す思いで駅に入ってみると、かつてあった窓口の場所にはタッチパネルの券売機がずらりと並んでるし、新しく出来てるチケットオフィスは対面式のカウンターでガラスの仕切りもなく、ぴんとした制服スーツの紳士がにこやかに接客してるっていう。あ、ここもジェントリフィケーションなのかなあと。さてそうなってくると、あの釣り銭ちょろまかし職員は、いまどこでどんな仕事に従事してるんだろう、という思いがします。

 その2、ナポリ駅。
 ナポリ駅へ戻り、ファーストなフードコートに立ち寄ります。注文のためレジに並んでいますと、ちょっとぼんやりしてたスキに一人のおじさんがずいっ前ににじり出てきて、列より先に勝手に注文しようかという態勢になります。横入りです、ああ、やられちゃった。まあいいか、もう疲れてるし英語通じる相手かわかんないし、と思って見流していたのですが、そのおじさん、いささかこちらの顔色をうかがうように「・・・待ってんの?」と問うのです。「ああ、うん」と返しますと、おじさんは並び直しこそしなかったものの、横入りすることなく江上のレジが終わるまでおとなしく待ってらっしゃる。
 え? と思います。え、横入りしないの? こういう場所でこういう状況で、え、待つの? と。
 そしてなにより、横入りされなかったことを、あ、ちょっとさみしいな、と思ってしまった自分に驚いています。
 えー、これってなんだろう。もちろん、釣り銭ちょろまかしだって横入りだって、されないほうがうれしいというか「するなよ」て言うのはもちろんなんだけど、なんだろう、なんで自分はそこにさみしさを感じてるんだろう。
 こういうこと言うのは妥当じゃないかもしれないんだけど、世界にいったい何が起ころうとしてるんだろう。と、てかてかに新築されきったガラス張りのナポリ駅舎を見ながら、考えたりしています。

 ちなみに、なぜファーストなフードコートに並んでたかというと、ちらっとのぞいてみたら、若い娘さんが持ってたトレイにプラスチックカップ入りのビールのなみなみとしたのが見えて、ビールあるじゃん!って吸い寄せられるように入った、ていう。ついでにピザもひと切れ買っちゃったっていう。ファーストにしては充分な味だったけど、生地がふつーのもそっとした感じだった。熱々のうまさはあるけど、それよりもなおやっぱりソレントの冷めたピザのほうが勝ってた。結局、生地なんだな、と。生地なんだ、てことは、やっぱりうどんなんだな、というのが今日一日の結論です。
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2013年02月07日

201301eu・3日目その2「この絶景が1時間も続くのは、むしろ苦痛」(1/4 ナポリ→アマルフィ)


 12時前、ソレント着。
 リゾート地として知られる街ですが、今回の自分には通過地点に過ぎません。
 まあ、20分程度で歩きまわった街の様子はこう。
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 夏ならもっとにぎわうのでしょうが、冬でもそこそこの感じです。

 ここからバスに乗って、半島の南側を海岸沿いに東へ、アマルフィまで約1時間半です。
 次のバスが12時半だから、アマルフィ着が2時か・・・ほんとに出遅れたな・・・。

 バスの切符はソレント駅前の小さな売店で買える、というので行ってみると、確かに何人か並んでます、でっかいスーツケースの日本人OL風の人と、韓国人学生男女4人組。こういう慣れない土地でのはじめての行為は、列の後ろに並んで前の人の言動をしっかり観察してからのぞみたい、というわけで、売店のお爺さんとOLさんのやりとりをうかがっていると、ん?
 「ただのシングルチケット(2ユーロくらい)でいいんだけど」
 「いや、いまはこの1日乗車券(7ユーロ強)しかない」
 渋々と7ユーロ買ってはる。さて、自分は2回乗るから1日乗車券でも大損はしないんだけど、うーん、この件どうだろうか。意地悪く考えると、お爺が7ユーロ強のほう売りつけたくて「在庫がない」だのと言ってるんじゃないかとも思えるけど、そもそもチケットは定価決まってるわけだから、どっちがお爺の実入りがいいかなんてわかんないし、むしろ冬のオフシーズンにこんな小さな店の新聞読んではるだけのお爺がこまめに在庫管理してると考えるよりは、安いシングルの方が先に売れて補充もしてない、と考える方が妥当な気もする。などと余計なことを考えたりもしています。

 ところでわたし、とっくにおなかが減ってます。お昼ですから。
 というんでバス出発の時間も迫りつつありながらも、手短に済ませるものを何か買ってこようというので、通りに面したちっちゃな店、ピザ類が軽く立ち食いできてゲームセンターも併設しててティーンエージャーたちがたむろしてるようなところがあったので、そこのヒーター付きガラスケースに無造作に並んでるような作り置きでいいからテイクアウェイさせてもらおう、と思います。まあ小腹を満たすためだけですから、作り置きでも冷めて乾いててもいいし、ぜいたくは言わない。
 レジの若いおばさんが電話中で待ってると、そばのおねえさんが声をかけてくるので、
「このピザひと切れ(それでもそこそこ幅広で、1.50eu)と、三角の包み揚げパン、ちょうだい」
「これ?」
「うん」
「マルゲリータ?」
 ああこれマルゲリータなんだ、バジルのってないけど。
「マルゲリータっていうのはナポリのピザで・・・」
 知ってるからw
「うん、わかったからちょうだい」
「ウノ?」
「うん、これ1個でいい」
で、おばさんがお勘定してくれるというんだけど、
「マルゲリータ”も”ね?」
 ・・・”も”って何?
 併設されているゲームセンターのそのまた奥に、ピザ焼き窯と厨房もあって、どうやらそこでいままさにマルゲリータまるごと1枚を焼こうとしてるところらしく、いやいやいや、そうじゃないねんと。あやうくピザ1枚余計に焼かすところだった。迷惑かけてごめんねと謝ったけど、何事もなかったかのように笑ってはるからええのかなと。いいな、この店。というかこの国。どこにでもある風の軽食店だけど、あれは?これは?とフレンドリーに押してきて、しかもさばっとしてて嫌味がなくニコニコしてるので、もうちょっとゆっくりして行きた・・・、あ、あかん、バス出るんちゃうか。

 はい、バス来てました。そこそこのお客が乗ってます。
 地理的事情から推理の上、右側の席を確保します。

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 で、バスは気怠そうにのろのろと発車します。せまい道で、まあまあ車が出てて、しばらくはのろのろと。ああ、これは相当かかるなあと憂鬱に思いながら、えっとじゃあ、ちゃっちゃと小腹を満たして終わらしましょうか。芳香剤臭くほこりっぽい車内で、冷めたピザの切れっ端ですから。1.50ユーロですから。何の期待もせずにパクッと・・・。

 ・・・・・・えっ、美味い!?!?

 えっ、なにこれ美味い、ぐいぐい来る。
 チーズとトマトソースだけのナポリ風生地のピザ。冷めて堅くなってるはずのチーズがいまだしっとりしてて、その溶け出した脂とトマトソースが喉にぐいぐい来る。いや待て、この際チーズやトマトソースは問題じゃない、何が美味いってこの生地が美味い。焼かれて冷めて作り置かれきったはずのこのピザ生地が、なぜにこんなにもふんわりして、もっちりして、焦げの香ばしさと小麦の香ばしさが充分に香ばしくて、噛みごたえがあって、その上でなおスルっと呑み込めるほどしっとりしてるんだ。焼きたてでこうならわかる、なんで作り置きでこうなんだ、と。おかしいじゃないか、おまえ、かつて小渕恵三をdisるのに不味いものの代名詞とされたあの”冷めたピザ”なんじゃないのか、それがなんでこんな、いままで食べてきた中で一番美味いです、とか岩崎恭子みたいな事態になっとるんだ。おかしいじゃないか。そしてあっという間に食べきってしまったではないか。見ろ、手が汚れてしまったではないか((c)海原雄山)。

 日本人よ、これがピザだ、と。これをこそピザと、いや、ピッツアと称するのだ。
 いままでのピザは嘘だ、あんなものは膝だ。
 作り置きでなお、こう、ていうのがピッツアなのだ。
 まちがいない、イタリアのピッツアは香川のうどんですね。初めて讃岐うどん食べたときもこのくらい概念が覆ったもの。(註:やわらかうどんで知られる福岡の出です。)
 そして、ほら見ろ、写真もない。ほんとに美味いものは、あっという間にこの世から消えてなくなっていくんだ。

 すみません、ちょっと取り乱しましたが(笑)、そんなこんなで、バスはつづら折りの田舎山道をのろのろと上がっていきます。アマルフィ海岸がある、半島の南側へ出ようとしているわけです。
 そして、ピッツアの興奮をクールダウンさせたかと思いきや、すぐにまた取り乱してしまうことになります。
 だってほら、アマルフィ海岸、世界遺産の絶景がこうなんですもの!!

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(↑これの拡大写真を表示する
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 海の色、CGみたい!!(笑)

 そして、その海岸のあちこちにへばりつくようにして、町がこう!!

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 こんなところに、こんなふうにして町があるんだもんなあ。
 どんな土地に行っても、人間の持つ”町(街)づくりへの執念”みたいなのが感じられるところはあちこちにあって、町、すげえなあ、って思います。

 崖の中腹にある車道を、バスはぐんねりぐんねりとかたつむりが這うように進んでいきます。
 私さっきこのバスに乗る時、周到に右側の座席を確保しました。当然です。左側に座ってたらこの先約1時間ずっと壁面だけ見てることになるから。
 いや、この絶景がこのあと1時間も続くというのは、むしろ苦痛かもしれないです。特に脳が。脳への刺激が。さすがに興奮しすぎて精根尽き果てるんちゃうかと、はしゃいで急に倒れる幼児みたいなあれになるんちゃうかと、それくらいの勢いです。そもそも自分はあまり自然の風景とかは興味のないたちで、どんないい景色も5-6分あれば素早く飽きるほうなんですが、これは全然、この自分をいつまでも飽きさせないからたいしたもんだなあ(笑)と。
 この景色見に来るだけでも、1日ぐるっと寄り道する価値は絶対にあるし、間違いなく次のイタリア訪問のときもまた来ます。まあシーズンや天候にもよりますけども。

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 時折、バスストップがあって人が降りたり、乗ってきたりします。でっかい買い物袋さげた地元の住人っぽい人もちょいちょいいるのですが、やっぱりおおむね観光客っぽいです。観光といっても、途中のこのあたりに滞在するんだったら、何もせずのんびりだらだら過ごすリゾート滞在なんでしょう。冬でもまあまあの人気。いや、冬だからこそかな、さっきからすげえ暖かいし。

 そして、いよいよ。
 我が第2の故郷・アマルフィの町に到着するのです。
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2013年02月05日

201301eu・3日目その1「廃墟のように青々と苔むしている」(1/4 ナポリ→アマルフィ)


 ローマ・テルミニ駅、3日目の朝です。
 えー、出遅れました><。

 ローマ延泊するかわりに早朝ナポリに向かうぞ、という予定だったのに、ついつい今日の旅程をプランニングするという旅行事務に夢中になってしまいまして、朝5時には余裕で起きてたはずなのに宿出たのは8時っていう。この、旅行以上に旅行事務に夢中になるという悪いあるあるは反省すべきです。しかも今日は下記のように、わりとローカルで便数の少ないところを行くんだし・・・。

 ともあれ、今日の予定です。

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 ・ローマ → 鉄道 → ナポリ → ヴェスビオ周遊鉄道 → ソレント → バス → アマルフィ
 ・アマルフィ散策
 ・アマルフィ → バス → サレルノ → 鉄道 → ナポリ(泊)
 アマルフィにどれだけ長くゆっくりしていられるかがポイントです。(だから早出しようつってたのに・・・)

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 一日たっぷり愛したローマに別れを告げ、鉄道に乗り込みます。ここから(やっと)ユーレイルパスのご登場で、前日のうちに周到にアクティベートしておいたので悠々です(ほら、イタリアで、首都中心駅でだから、相当待ちますしね・・・)。ただし、イタリアでは特急に乗るための予約券が別途必要です。全線一律10ユーロ。ん、積み重なると意外と痛いかもしれない。
 ローマ発0845→ナポリ着0955、ですから、もうあっという間です。首都を通る重要路線の特急なだけあって、さすが、Wifiが飛んではいますけども、旅行事務なんてやってる暇もありません。
 それでもやっぱり車窓を楽しめるのはうれしい。朝霧、両手の遠くに山、そして牧草地。イタリアの国を根底から支えているんであろう、自然という豊かなリソース。自然の豊かな国は宝だなあと思う、まあ、数分間ごく一部の野山を見ただけなんですけど。
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 そして、じきに到着です。

 ナポリ。2005年以来、8年ぶり2度目。
 前回来た時の印象は、まあ楽しいし生活感と活気あふれる街だったのと同時に、やっぱりちょっと端々に柄の悪さみたいなのを感じるなあ、というビフォアー。
 それが、まあなんということでしょう。
 ナポリ駅はすっかり改装されて、ガラス張りを基調とした透明感あふれる空間にアフターしていました。改装というより、別世界です。これが速水もこみちで、8年前のがあきらかに速水いまいちです。これが、これこそが”ジェントリフィケーション”なのか、と思うとなんかちょっと拍子抜けかなあと。そして今回の旅では、行く先々でこの”ジェントリフィケーション”に唸らされることになります。

 それでもやっぱり、日本とは全然ちがう土地柄なわけで、電車が時間通りに動かない、交通量の多い車道を渡るのに信号がない、ホテルのフロントがのんびりしてて列がはけない、駅構内を歩いてるといちいちいろんなやつらが邪魔しに来る、英語表記がない、自動券売機がない、人がまだまだ並んでるのに切符売り窓口がいきなりバタンっと閉まるから、別の窓口に並びなおす、そこへショールみたいのを羽織った少女が紙コップに小銭入れてじゃらじゃら鳴らしながらすり寄ってくる、その少女を警備員が咎めに来てひと悶着、ああ、自分、旅の空の下にいるなあって(笑)。

 とりあえず機動性を高めるため、荷物(大)はナポリ駅まん前のホテルに預けてきました。
 ナポリのホテル、今朝の旅行事務中になんとはなしに検索してみたら、当日でも空室確認と予約ができて、しかも直前割引価格だしで、ちゃちゃっと予約しました。7年前の旅では新しい街に到着する度にインフォメーションで安宿を紹介してもらってたし、その確保のために遅くならないうちに次の街に着かなきゃいけないっていうあれだったのですが、今回はこのナポリ以降、すべての宿の確保をネットで(PC、iPad mini、時にはiPhoneで)前日or当日にできて、これだと安値が選べるし、遅く着けるから行動が自由だし、駅直近のを選べるから朝晩の移動が効率的になるし、何より心理的に安心できるし、なので、うん、まあ、足で1件1件探してまわるアトラクションもそれはそれで楽しいんですけど、あれですよね、人間ってどうしても易きに流れちゃいますよね(笑)。

 そんなふうに随所随所で時代の変化を感じながら、ヴェスビオ周遊鉄道のチケットもなんとか手に入れて、ホームで電車が来るのを待っています。
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 ヴェスビオ周遊鉄道。ナポリを出て、ヴェスビオ火山を眺めながら、ポンペイを経由して、ソレントまで1時間。ナポリ発1041→ソレント着1147。
 ”周遊鉄道”というから、なんだろう、観光列車的なトロッコ的なやつかな、と勝手に妄想してましたが、まったくなんてことないふつーの電車でした(笑)。とはいえ、冬のこの時期でも生活者半分・観光者半分という感じなので、夏のシーズンはさぞかしにぎやかしいことでしょうと。そしてアコーディオン演奏の大人や小学生男児が小銭を求めて客車内を移動していくのを見ても、観光者の多い路線なんだろうなと思います。そしてまた、途中の駅の駅舎が軽くイスラムっぽいデザインなのを見かけるにつけ、ああ、南に来てるからかなあ、なんてことも思ったりします。

 そして、ヴェスビオ火山を眺める車窓。
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 さすが、「ナポリを見て死ね」と言わしめた山。美形過ぎる、スタイルが。絶景過ぎて、もはや霊山と言ってもいい。霊峰と言っていい。
 ・・・あ、そうか、霊峰富士もヴェスビオも同じ火山なんだ。ヴェスビオ=富士山説、だ。どちらも成層火山だし、だからきれいなスタイルしてるし、そして富士山もそうなんだけど、近くに似たような高い山がぜんぜんなくてこれ単体で鎮座してはるから、余計に堂々と壮大で、その美形なスタイルを邪魔されずに拝めるんだなあ。

 そのうち、いよいよ逆サイドに見えてくるのが、これから向かう半島の高々とした連峰です。
 イタリア本土から海に張り出したあの細い半島の、突端あたりにあるのがソレント。そこからあの連峰の反対側(南)にまわって、半ばあたりの海岸にあるのがアマルフィの町です。アマルフィの背後の山々ってあんなに高かったんだなあ、とちょっと驚きながら眺めています。
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 そして、列車はその半島の海沿いにさしかかります。連峰の北側をソレントに向かって西へ。海岸に面した山々の中腹あたりの高さを突っ切るように走りますから、もうさっきからトンネルばっかりだし、たまにトンネルを抜けると切り立った崖、深く細く削られた谷川。その斜面を利用して栽培されているレモンの樹々、オレンジの樹々。さっきのヴェスビオ火山は、海をはさんで反対側に見えています。
 突然、車窓に、荒れ果てた掘っ立て小屋をそのまま現役で使っているような住宅群があらわれます。散らかりまくって、荒れた中に、馬がつながれたりしています。そのうち、今度は大きな造船所のようなのがいくつも並んでいる港に出ます。巨大クレーンやなんやが林立してて、あきらかに工業地帯なんだけど、なんというか躍動感がなくて寒い。何十年か前はリゾート施設か何かだったんだろうかというような用途不明の白亜の施設があって、でも閉鎖されている。その工業地帯の最寄り駅にあたるらしい駅舎を通過したんだけど、これもまた廃墟のように青々と苔むしているし、特急でもないこの電車が素通りするから誰も乗り降りしないんでしょう。
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 さっきの荒れた住宅群は、寒い工業地帯は、何なんだろう。そこにいまいる人たちはどんなふうに暮らしているんだろうか。あの用途不明の施設や廃墟の駅が活き活きとしていた時代があったとするなら、そのころにそこにいた人たちはいまどこにいてどんなふうに暮らしているんだろう。
 そんなことを、何千マイルもはるばる遠くからやってきたこの地で、高速の電車の窓から眺めるだけで素通りしている自分が、ぼんやり思い巡らしている、ということがなぜだか俄にせつなくなってしまいます。ぐっとこみあげるものがあります。

 旅って、美しいもの・おもしろいものを見るだけの、ただのエンターテイメントじゃないんだな、って。

 アマルフィはまだまだ遠いです。

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2013年02月03日

201301eu・2日目その2「ダメだ、ここは夜に来なきゃダメだ」(1/3 ローマ)


 サンタンジェロ橋からナヴォーナ広場まで、徒歩で向かいます。
 ナヴォーナ広場は前回冬に来たとき、広場とその周辺の入り組んだ路地路地が、クリスマスを祝う装飾やイルミネーションや売り物やで、宵山のような盛り上がり、クリスマス好きな自分としてはその夜の賑わいの中をたらたらと歩いてるだけで夢心地のようなあれだったので、今回もその想い出にならい、まあまだランチ時の真っ昼間ではありますが、できるだけ裏側の路地路地を選んではうろうろしてみます。
 こんな感じだったなあ、やっぱこういうとこ歩くだけなのが一番楽しいよなあ、という満たされた気分を胸に吸い込みながら。ちょっとしたものを売ってる個人商店。おしゃれなの、生活臭なの。高級伝統工芸っぽいの。モダンアートなギャラリーっぽいの。へんくつそうなところ、ちゃらちゃらしてそうなところ、派手、地味・・・。
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 ・・・ちょっと待って。これはダメだ。何か足りない。うん、何かっていうか、明らかだ。
 ここは夜に来なきゃダメだ。宵闇の中を歩くべき路地だ。

 夜? え、でもあたし、午後にはナポリ入りするんじゃないの?

 ・・・・・・旅程の選択です。

 ・今日中にローマを発ちナポリに入り、宿を探して泊り、翌朝ポンペイ・アマルフィへ向かう。
 →×不採用
 ・この路地界隈に夜に来なおす。そのためローマ延泊、明日アマルフィへ向かう。
 →◎うん、採用!

 そうと決めたからには、まずとっとと今夜の宿を確保しないとというんで一気に”旅行事務のおっさんモード”と化し、直近のバス停から一気に今朝の宿まで戻ります。仕事中だったフロントの兄さんに声をかけて、「荷物預けてた者だけど、今日もう一泊できない?」と交渉するのです。
 兄さん、ちょっと渋い顔をしつつ、どこかへ電話しながら「昨日はいくらで泊った?」と問います。あれ、値段交渉のフェーズ? でも無理言ってることは承知だから多少高くてもいいよ、と思いながらその値段を言うと、しばらく電話で誰かとしゃべったかと思うと、「よし、荷物持ってついといで」と客室フロアへ向かってたたっと歩き出す。えっ、えっ?と戸惑いながらついていく。兄さんは「通り抜けたほうが早いから」とぐいぐい前進していく。客室フロアから、え、リネン室? 通り抜けて完全に物置き兼掃除用具置きのスタッフ・オンリーな廊下をなおもぐいぐいと。
 昨夜泊ったこの安宿は、言うなれば”ホテル雑居ビル”の中にあって、ひとつのビルの中にたくさんの安宿が経営されている中の、4-6階あたりを占めて使っています。スタッフ・オンリー廊下からばっと外に出ると、そこはどうやら棟続きの隣ビルの階段スペースで、たたたっと駆け下りたところで、別ホテルのフロントに出る。先の兄さん、「ここね、じゃ!」、と去る。フロントには別の兄さん2人が満面の笑みで「ボンジョルノ」。
 なるほど、と。先の兄さんは別ホテルの空き室を紹介してくださったわけです、有無を言わさず(笑)。しかもこっちの兄さんは満面の笑み。実は先の兄さんが宿代を聞いてきたとき、一瞬10ユーロくらい安い数字が口に出たような気がするのですが、その差額=この笑みなのかな? まあそこの根葉を掘る必要ないほどはなっから安値だし(註:あとで確認したら正規料金はずっと高かった)、確実に泊めてくれてしかもいますぐインできるなら、というので無事寝床を確保しました。ひとしきり手続きして、明日の早出を意識して支払も済ませたところで。
 「・・・・・・えっと、ところでここはどのビルの何階? ていうか名前も知らんのだけど?
 ですよねー、と3人で苦笑いしてます。

 ちょっとクールダウンして、さて昼食に出なきゃというんで、バスでトラステヴェレ地区へ向かいます。
 トラステヴェレ。ローマの中心街からテヴェレ川をはさんで南西にある地域で、地元にも観光にも人気の下町っぽい地区。狭い路地がうねうねしてて、ここもやっぱりたらたら歩いてるだけで楽しい、ローマに移り住んだらまちがいなく毎週末ここで過ごすだろう、いやむしろここに住むだろう、という前回からのお気に入り界隈です。
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 歩いても歩いても、楽しい、飽きない、とまらない。ハッピーターン。
 際限がないのでとりあえずどこかで昼食をと思い、iPhone使って適当にネットで探すと、8年前に見たのと同じレストラン紹介ページがヒットしたので、そのうちのひとつにあたりをつけて、探すためにまた歩く。うねうねとした路地の果てよりもなお奥つ方の、もうこんなとこに店も何もないだろうというようなネイティブな住宅地の中にある、Da Luciaというお店です。ほんとにここ?というくらい何もない外観だし、わかりやすい看板もメニューの掲示もない、中も見えないからもしかしてほんとに民家なんじゃないかとさえ思うけど、でも扉に耳を近づけてみると人や食器の音がするので、意を決してぐっと開けてみますというと、これがたくさんのお客でにぎわっていて、ぺちゃくちゃしゃべりながらもりもり呑み食いしてはる。食材のたっぷり並んだでっかいガラスケース。ちらりと見える厨房の端っこ。そしてフロアのお兄さんがつっと寄ってきて「ひとりか」と問う。ほっとする。よかった、ここに入らせてもらっていいんですねあたし(笑)。
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 満席に近いので奥の奥の席へ。飲みものは・・・ああ、お冷や出ないよね、1リットルのお水3ユーロなりを注文するしかないという、あるある。あと、パン代がチップ代わりという制度。注文は、ローマに来たらゼッタイこれ!というパスタ、グリーシャ。
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 イタリアは土地土地に名物というか、その土地ならではの形状・製法・調理法によるローカルなパスタがあるんだとかで、ローマのローカルなパスタのひとつらしい、グリーシャ。ゆでたてのスパゲッティに黒胡椒とかりかりのベーコン、それにペコリーノチーズをたっぷりかけて、おしまい、っていう至極至極シンプル・イズ・ベストのような、讃岐うどんで言えば”釜玉”的なやつ。
 これが美味い。ゆでたての麺が、のどに美味い。塩気のきっついたっぷりのチーズが、朝から何時間も歩き通しで疲労しきった身体に、美味い。胡椒とベーコンの脂が混ざって、こってりとぴりっとの絶妙極まりないバランスが・・・・・・、あ、やべえ、もう食べ終わってまう(笑)。
 ていうくらいに高速でむさぼってしまった・・・。これは是非自宅で再現しなきゃ、いや、するね。
 (ちなみに後日確認すると、8年前に来たのも同じ店だったけど、覚えてなかった・・・人の記憶なんてものはあてにならんなあ、と)

 それにしてもやはり、歩いても歩いても、飽きない。そのうちこの界隈の教会にたどり着いたので、入って、座って、ぼけぇーっとさせてもらう。
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 させて、もらう・・・あ、眠い。

 そりゃ眠いです、前日長旅+当日早起き+時差+満腹+薄暗い教会=眠い。
 というわけで、海外旅行あるある5本の指に入る、夕方眠くなるのでいったんホテルに戻って昼寝するパターン、です。

 ・・・・・・おっ、寝てた。なんともう7時じゃないですか。
 というわけで、ローマ市内街歩き・3ターン目(笑)は、ナヴォーナ広場&カンポ・デ・フィオーリ広場界隈の路地、昼間のリベンジです。
 ナヴォーナ広場のこの時期はまだまだクリスマス市のシーズン、ということで、こんな感じ。
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 宵山、というより、吉田神社の節分ですなあ。よいよい(笑)。
 そして、路地を歩く。
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 なんというかもう、こういう感じの路地のある街が好き過ぎて、笑うしかなくなってくる、歩いているうちに。
 でも次第に歩き疲れてくる。疲れてるはずなのに、歩くのがとまらない。そういう麻痺状態。タウン・ウォーカーズ・ハイ。

 そして夕食はそのへんのレストランで、アマトリチャーナ。
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 グリーシャのトマトソース版的なの。なぜかトマトが加わるとパンチ力が低減して、ぼちぼちという感じ。

 ま、こんなですわ。という感じでぐったりと帰還。
 明日はアマルフィを目指します。

posted by egamiday3 at 18:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月02日

201301eu・2日目その1「地続きの日常なんだろうなって」(1/3 ローマ)


 2日目の朝。
 旅行中の吉例、時差と興奮とでめっちゃ早く起きるパターンです。朝の3時半です。

 今日はまず、ひさしぶりのローマ市内をざっくり見歩いて、頃合いを見はからってナポリに移動しようかどうしようかを決める、という感じです。宿は決まってません、だから、宿探しができるくらいの時間にはナポリに着いとかないと、いくら冬季で観光シーズンじゃないとは言え。
 ともあれ、8年ぶりのローマ市内(7年前は泊まるだけですぐ移動した)なのでちょこちょこ行きたいところはある。前回の思い出と書き込み地図、ネット、ガイドブック(註:古本を自炊してきた)をソースに、
 ・トレビの泉
 ・フォロ・ロマーノとタビュラリウム
 ・バチカン遠景
 ・ナヴォーナ広場やカンポ・デ・フィオーリ周辺の路地
 ・トラステヴェレ
 をざっくり思い描いて、まあまあ、時間と相談しながら行ける範囲で行こうと。これらの位置をGoogleマイマップに登録すると、もうこのままiPhoneのGPSで道案内できちゃうと言うね、8年前とは段違いのあれになっちゃいましたね。

 朝食は安宿なので貧相だけど、エスプレッソがあたりまえのように飲めるというだけでもうね、わたし感涙ですっ!

 とりあえずチェックアウトして荷物を預けて、ローマの街へ出ます。トレビの泉方面を目指して適当に歩いてみます。
 旅行である街を訪れると、再訪ごとに必ず毎回訪れておきたくなる”ミニ行きつけスポット”みたいなのができます。その街に来たらとりあえずここに行っておかないと、なんか落ち着かない、みたいな。
 ローマではそれがどうやらトレビの泉らしいです、自分にとっては。そんな手垢のついたような観光地が?と思われるかもしれませんが、いやもう、有名か有名じゃないかなんて関係ない、オープンな水場で建築(彫刻)も見れる、てだけであたしとしては充分過ぎるお気にスポットです。(注、さすがにコインは投げない)
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 とにかく、水場です。ローマは、水です。
 ほら、歩いてる途中のここにも。
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 これはカンピドーリオ近く。
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 ローマは、というか都市は、水道。京都だって、水道。トレビの泉は古都ローマが構築した一大インフラが、実にわかりやすい見た目で表現されたスポットなわけで、京都で言えばこれが岡崎あたりの疏水関係施設になるわけですねきっと。
 何より、水場は純粋に心地いい。気持ちいい。延々と水が流れる音と、しぶきのマイナスイオン的なやつ。渡月橋のとこの川べりと同じ、身体にずっと心地いいからいつまでも座っていられる。

 あと、ローマを歩いていると結構な坂の街なんだなあ、ということもわかる。しんどいですだから(笑)。

 トレビからフォロ・ロマーノへ向かいます。
 すると途中にこんな光景が登場して、一気にテンションがあがります。
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 こんなんがあっちにもこっちにも、街の日常空間から隔離もされず、線引きも曖昧な感じで、雨ざらしでぽおんとおっぴろげられてる。
 すげえっ、いったいなんなんっすか、この街の”まだ作りかけ”っぽさ加減は。ここってまだ古代ローマをいま演ってる途中で片付けが終わってない、ぐらいのたたずまいじゃないすか。そしてなんで市民のみなさんここでふつーに暮らしてるんすか。え、みなさんの現代での生活は、古代ローマからの続きか何かですか。
 うん、そういうことなんだろうな、と思う。この街、この国では、”歴史”はどっかで線引きされた別ステージの話とかじゃなくて、地続きの日常なんだろうなって。それは、かつて訪れたフィレンツェのウフィツィ美術館で貴重そうな美術品がその辺にぽてんと置かれちゃってるノリ、からも感じました。遺跡の街・ローマでもそうなんでしょうきっと。

 そして、フォロ・ロマーノ。
 すなわちローマのフォーラム。古代ローマの都市中枢がここにあったという遺跡で、発掘された遺構・建物の類いがそのまま保存されてて、見て回れる公園みたいになってる、というところ。
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 めっちゃ広い(笑)。前回も今回も冬でよかった、これ、夏に来てたら絶対泡吹いて倒れてるに違いない。日除け場所もほとんどないし。
 そして、もうなんというか、理屈や歴史的謂われはもはや関係ない、圧倒的・物理的な存在感。言葉不要、解説不要、想像力すら不要。崩れた石の遺りばかりかもしれないけども、それでもモノがいまここに存在しているし、それが古代ローマからここにあったもの、というだけで。それらに囲まれていまここに立っているというだけで。畏敬、感嘆、興奮、そして最終、なぜか笑うしかない、ていう。レプリカ? ああ、あるでしょう一部、いやもうそれすらどうだっていい(笑)。
 そして、現代のローマ市民は市内にいくつもあるこんなものと共生してるんだなあ、と思うと、ローマ市民のみなさんにつくづく尊敬の念を抱かざるを得ない、ていう。

 そしてさらに、世界の各都市にいくつかある”極私的まったりスペース”のひとつが、このフォロ・ロマーノを見下ろす位置にあるタビュラリウムです。タビュラリウムはタブレットのリウム、すなわち古代ローマで記録メディアとして用いられていたタブレットが保管されていたアーカイブ施設だったところ。この職業としての親和性もさることながら、フォロ・ロマーノをぼおっと一望できるし、すげえわかりにくい場所でここまではあまり誰も来ないから、ゆっくりほっこりしていられるしで、なかなかに立ち去りがたい。隣接する美術館に入館してその地下、という位置です。今回も相当迷いました(笑)。
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 ちなみに、当初の目論見では2日目だか3日目だかにはナポリからポンペイへ移動して、ポンペイの遺跡行こうってほぼ決定事項としてたのですが、フォロ・ロマーノの圧倒を再体験して、これはもうこのあとポンペイ行っちゃあかんな、と断念した感じになりました。ポンペイがどんだけあれかはわかんないけど、正直これ以上もう考古遺跡系を身体に取り入れるだけの精神的余裕がない、無茶です、連続しては。

 タビュラリウムを出て、市バス一日乗車券を買って、英語でのコミュニケーションをかたくなに拒む土産屋のおじさんにあしらわれながら自販機で水を買って、不慣れな街で乗るバス、という種類のアトラクションに揺られてたどりついたのが、ヴァチカンのサンピエトロ寺院が望める川べり、サンタンジェロ橋。
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 うん、きれいですね、という感じ。

posted by egamiday3 at 10:29| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201301eu・1日目「もう、戻れないよ・・・」(1/2 福岡→ローマ)


 2013年1月2日 午前6時30分。福岡空港。
 ここから始まります。

 今回の旅はこんな感じ。
・2013年1月2日 ローマ空港着 → 1月13日 アムステルダム空港発
・その間の旅程はまったく決めていない。
 決まっているのは、
 -ローマ→アムステルダム間は鉄道で移動すること
 -イタリアを中心にまわるんじゃないかなということ
 -初日のローマの宿予約
 -2日目以降はナポリ・アマルフィ方面から南イタリアへ行こうかな、ということ
・図書館訪問・会議参加等がいっさいない、完全な休暇。(1999年以来、14年ぶり)
・ユーレイルパスを使う。(1998年・2006年以来、7年ぶり3度目)

 ほんとのほんとにろくに何も決まってないし、観光的な予習もろくにしていない、ただ、iPhoneと自炊本を入れたiPad miniが頼り、ていう旅です。正気かと。遅くとも13日の正午までにはアムステルダムにたどり着いてないといけない。よくあるやつじゃんそれ(笑)。

 というわけで、1日目はまず、帰省先の福岡(FUK)→成田(NRT)→ローマ(FCO)、という旅程。
 なので、いま福岡空港にいます。

 何が心細いって、あれですよ、あたし実は国内線にほとんど乗ったことがないから要領がよくわかってないんですよ。福岡→成田がこの旅一番の難関。
 それが証拠に、チェックイン手続きしたらいきなり「成田でチェックインしなおしてもらいますから、荷物も成田で受け取ってください」て言われたですよ。え!?ローマまで持って行ってくれるんじゃないの!? あたしの行程表の1行目に書いてある「荷物の札がFCOであることを確認する」が早くも無効になっちゃったの!?ていうパニックですよ。

 ちなみにもうひとつ心細い話。用心のために持ってきてたクレジットカードの2枚目の方が、暗証番号入れても「取り扱えません」って言われる・・・どうしよう・・・。

 というようないくつかの不安材料に苛まれながら、あっという間に成田にイン。
 あらためてチェックインするためにKLMのカウンターに並んで、相変わらずネットでチェックインしようがしまいが同じく長蛇の列だから意味ないよなあ、と思いながらだらだら待っています。ラテン系の乗客グループが英語で「優勝・50000ドル獲得!」と書かれたでっかいボードを持ってて、預け荷物にしようと交渉してるから、余計に待たされます、なんだったんだろうあれ。
 で、やっと自分の番で、荷物も預けて、さて搭乗チケットを受け取ろうという段になって。それまでにこやかに応対してくださってたKLMのお姉さんが急に神妙な顔つきになって、あたしに顔を近づけてくるのです。
 「・・・あの、お客様」
 (え、なに? また何か不安材料が増えるの?><)
 「本日、当便が満席になってしまいまして・・・」
 (あ、そうそう、ネットで指定した座席が勝手に変えられてたじゃない、なにそれ、こわい><)
 「今回はビジネスクラスの席へ移動していただきます」

 ・・・・・・!?
 不安、一気にふっとぶ(笑)。

 ビジネスですってよ奥さん!!
 あたし、マイルのグレードアップで一度ビジネス経験したことありますけど、まさか何もせずにビジネス移動させてくれるなんて! これがあの噂に聞いたことがあるやつか!! だからお姉さん顔を近づけて、他の客には聞こえないように小声でしゃべってはるんやな。

 というわけで、あとのことはもうおおむね覚えてないくらいにご満悦で、セキュリティ、出国、ご搭乗なのでした。
 さすがビジネスは、離陸前なのに座った途端にドリンクが出てくる。荷物扱いじゃない、まっとうな人間扱い。
 さすがビジネスは、鯖が美味い、むつが美味い、ほたてが美味い、べったら漬けまで手抜きなしで美味い。美味い食事だなあと思っていたら、実はまだまだただの前菜だったりする飽食っぷり。
 さすがビジネスは、磁器。
 さすがビジネスは、朝食ですらやはり美味い。甘鯛。(帰りのエコノミーの朝食は不味すぎてほとんど食べなかった)
 思いっきり足を伸ばして、横になって、「踊るファイナル」(うーん・・・)を見たり、ウッディ・アレンのローマを舞台にしたコメディ映画(いい構造でおもろかった、DVD wanted)を見たり、ノートPCで軽くデスクワーク(しかも電源あるんですよ奥さん!)したり、隣の北欧のご婦人がiPadを入れる袋を手編みしてるのをぼんやり眺めたりしてたら、あっというまにアムステルダムに着いてしまったのでした。はかないビジネスだった・・・。これは不幸だ、もはや不幸だ、もうこれを経験したらあっちには戻れないよ・・・。
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 1530(これ以降現地時刻)、4カ月ぶりのアムステルダム・スキポール空港(AMS)着。すぐにローマ行きに乗り換え。
 ファーストだとか追加料金で座れる幅広エコノミーだとかはがらがらなのに、エコノミー席は案の定ぎゅうぎゅう詰め、しかも隣がまあまあの大男で、コートも着てるからいっそう窮屈、まあしかたないなあ2時間ちょっとだし、ていうかもういい加減眠りにつきたいよ、昨日(元日)も一昨日(大晦日)も寝るの短かったし・・・と、ぼんやりしてますというと。
 CAのお兄さんがつぅっと寄ってきて、「ミスター・エガミっ」と出席をとりに来るので、え、何、あたしまた何か悪いことした!? とびびっていると、「ユーはマイレージプログラムのスカイチームが云々で向こうのシートに移動することができます。それを望みますか?」とおっしゃる。

 ・・・え、あの幅広シートに行けるの? タダで?
 しかも、今度はそんなでかい声でそれ言うの?(笑)

 というわけで、えっと、なんやようわからんのですけど恩恵を受けに行きましたよ、ええ。隣の大男もにこにこしてましたよ、そりゃそうでしょう、自分の隣が空席になればゆったりするし。ていうか、え、いったいどうしちゃったんだろう今日のあたしは(笑)。

 といった感じで、ローマ・フィウミチーノ空港(FCO)にイン。空港特急でローマの中央・テルミニ駅にイン。
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 ローマ。2005年・2006年以来、7年ぶり3度目。
 ああそうそう、テルミニ駅はこんなだったなあ。あのパタパタの時刻案内いまだにあるんだなあ。そして駅前はやっぱりちょっとガラが悪いなあ。てかてかした新しい駅舎でおっさんとかが立ちションしててふんわりアンモニア臭いし。みたいなことを感慨深げに思いながら、ホテルへ向かいます。
 7年前に訪問した時も同じくらいの時間にこの駅に着いたのだけど、そのときは日本から事前予約していたはずの場末ホテルが、あろうことか予約取れてなくて満室だって言われて、丸一日ろくに寝てない身体と頭とコロコロの荷物をひきずって、12時近くなろうかという夜のローマ駅周辺をとぼとぼ歩いて、1件1件空室はないかと尋ねるものの結構な軒数断られたっていう、実にありがちなバラエティ番組みたいな経験をしたことがあったので、今回はまあまあちゃんとした予約サイトで予約してきましたよ、というホテルにイン。イン(inn)にイン(in)です。
 外で飲み食いする体力はないので、駅の遅くまで開いてるフードコート的なところで酒類を入手。あれ、そういえば前回も、ここくらいしか酒買えるとこなくてここで買った気がするなあ、などと思い出をたぐり寄せつつ、とりあえず今夜はもう寝ます。寝るべきです。明日のことは・・・明日考えます。

posted by egamiday3 at 09:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする