いわゆる”若手研究者問題”について、です。
この発端的な、西洋史若手研究者問題アンケート調査の報告会、というのが5/12にあって、それをちょっと聴いてきたです。
以下は、この話題関連のリンク。
------------------------------------------------------------
若手研究者問題と大学図書館界―問題提起のために― / 菊池信彦 | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/ca1790西洋史若手研究者問題アンケート調査 -中間報告書-
https://docs.google.com/file/d/0BwaWDVN0tXzWNmM4THJuTlU3REE/edit2013年5月12日(京都)アンケート調査報告会 - 西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ
https://sites.google.com/site/futurehistoriansjp2012/history/20130512西洋史若手研究者問題アンケート調査報告会 - Togetter
http://togetter.com/li/501796(参照)
大学院出たあとも図書館を使わせて! - Togetter
http://togetter.com/li/477855若手研究者問題に対して大学図書館員/大学職員としてできることはないだろうか? #西洋史WG - ささくれ
http://cheb.hatenablog.com/entry/2013/05/12/225852再掲:図書館の利用を目的とした研究生制度の導入 - 発声練習
http://d.hatena.ne.jp/next49/20130512/p3------------------------------------------------------------
リンク、って言ってもこんだけ多かったらよくわかんないと思われてしまうかもしれないんですけど、まあ端的には1番目の「若手研究者問題と大学図書館界―問題提起のために―」(
http://current.ndl.go.jp/ca1790)のことです。
あと、この調査報告書に収録されている自由記述のうち8番目(p.30)が「大学図書館」関係のコメント群らしいんですけど、まあそこまで見に行くのもあれなんで、そんなに長くもなかったしちょっと↓にベタって引用しておきますね。
------------------------------------------------------------
@非常勤教員や、大学院博士課程に進みながらも教員や一般企業へと就職した若手研究者が、国内どの地域でもリサーチや研究を続行できる環境が欲しい。たとえば、関西で学んだ院生が、東北や北海道で就職したときに、自由に勤務地域の大学や研究機関でリサーチできる環境作りが必要なのではないか。
A学会として大学図書館(電子ジャーナル等も含む)の利用を支援するなどできないのだろうか。これから研究生活と個人の生計が分離していくように感じているが、その際、大学に所属していないということが、文献を集める上で相当な障害になると考えられるので、会員の推薦者がいれば、学会として身分を保障するといったことにとりくんで、多様な研究人生がありうることを示せないだろうか。
B経済的に厳しくなりやすいのは,むしろ博士課程の3年が終わってから。学生の身分がなくなるので出身大学の図書館を使用するのさえ困難となることもある(少なくない金額を払って聴講生・研究生となる方法もあるが)。例えば、とりあえず無給のポストでも構わないので、図書館のアクセスを保証し、研究者としての肩書きも与えてくれるものを設置するなどして、研究活動を継続しやすい環境づくりに配慮する方向性を(個別の大学ではすでに対策を講じているケースもあろうが)学会としても打ち出して、大学など各方面に働きかけてもらいたい。
CODが大学非常勤講師の職の有無を問わずに大学図書館を継続して利用できるよう、制度の改正をしていただきたい。
周知の通り、西洋史研究者の場合は、海外からの文献取り寄せなど、大学の図書館を通じてしか利用できないレファレンスサービスを利用することが不可欠である。
ところが、最近では大学非常勤講師の仕事を見つけることすら困難なため、大学図書館の利用権を全て失う可能性が以前よりも高い。また、学位取得後にいつまでも出身校の近くに居住するわけでもないので、出身校の図書館を使わせてもらうこともできない。こうなると、個人の力ではどうにもならない。もはや研究の継続は不可能である。それは、実験道具を奪われた理系の研究者が研究を断念せざるを得ないのと同じである。
このような事情のために、なかなか職に恵まれない優秀な研究者が研究をあきらめることがないよう、対策を講じていただきたい。
(「西洋史若手研究者問題アンケート調査 -中間報告書-」. p.30.
https://docs.google.com/file/d/0BwaWDVN0tXzWNmM4THJuTlU3REE/edit)
------------------------------------------------------------
この「大学の籍を離れることで図書館の資料・サービスにアクセスできなくなる」問題の切実さは、自分にもよくわかります。
昔々、自分が国文系の院生だったころって、いまほど大学院重点化の影響がまだ出てなかったと思うんだけども、それでも、自分よりもっと上のドクター出たあとの先輩たちの中にはK大さんの
図書館とその蔵書を利用したいから、という理由で、
科目等履修生の身分を受講料払って得るということをしてらした、という話を聞いてました。たぶん、よその大学に非常勤講師の身分を持ってても、そうしてた人もいたんじゃないかな、それくらいK大のしかもB学部の蔵書が使える/使えないは大きい、っていう。
そんな昔に遡るまでもなく、つい1-2年前に自分自身にも似たような経験があったんですけど。本書『本棚の中のニッポン』執筆中の文献集めのときです。うちの図書館のILLがNII相殺は公費払いのみという運用で、自分の執筆はプライベートだしそもそも研究者の身分を持ってるわけじゃないので、そう実は、
研究図書館に勤めてるからといって、イコール、研究者としてその図書館のユーザになれるわけでもなんでもない。しょうがなくて結局どうしたかっていうと、たまさか非常勤講師を勤めるのに籍を置いてた立命館大学の図書館さんにわざわざ出向いてそこでユーザとして私費支払いのためのILL依頼してた、ていう。あとNDLさんの個人向けのILLも相当多用して、でも、NDLさんにない文献も結構あるし。これ自分、立命に籍なかったらあの本書けたんだろうか、と思うと、そこそこゾッとしますね。
だから大学図書館員は、接遇接客的な研修とか、自己アピールとかプレゼンとか、アクティブなワークショップとかもそれはそれでいいんだけど、それよりもなによりも、「ユーザとして図書館を利用して切実に困る」という研修をさせたほうがいいんじゃないかな、って。
筑波の長期研修とかで演習課題として出題してみたらいいです、何かしらのテーマの文献を網羅的に集めて入手するとこまでやんなさい、って。そこで
「但し、自分が勤める大学図書館の蔵書やサービスを使わずに」って条件入れたら、↑のCAで言われてることがどういうことなのか、大学・図書館が(学内外問わず)研究者を資料・情報の面から支援するということがどういうことなのか、たぶん身体でわかるだろうな、って。まあでもそうか、それ以前に、文献を自分のために本気で収集する、っていう経験を定期的にしてない大学図書館員自体がどうなんだっていうあれですけど。
それはそれとしても、ほんとに、これ簡単に解決できることじゃないとはわかっていても、それでも短気なり中期なり長期なりでなんとかしていける余地がないものかな、って。
こういう話題になると、金・人・時間がないからって、そのことばかり盾にするタイプの議論する(ていうか議論しようとしない)パターンになっちゃうことあるけど、あれってなんだろう、この業界だけが特別に金・人・時間がないとでも思うてはるんだろうか、という気がする。いまどきどこの組織・機関・業界だって金・人・時間がないのなんか同じだし、ていうか、
大学図書館がそんな余裕ないってことくらい重々承知の上で、それでもなお問題提起してはる、ってことくらいはわかるだろうし、だったらわざわざ理由に挙げんでもいいのになあ、ていう。いや、挙げるなら挙げるで、挙げた上でなおどんな支援ができるかということを、できる範囲ででも検討なりディスカッションなりしてったらいいんで。
もうひとつ、学外・所属外が相手だからコストかけて支援できないんだ、ていうパターンのやつもあるんだけど、これは確か数年前からですけど、いま日本のほとんどの大学図書館が、
学外者からのアクセスに応えるために、人・金・時間を、機関リポジトリその他に注ぎ込んでらっしゃるわけです。機関リポジトリやオープンアクセスや所蔵資料の電子化に、おどろきあきれるほどたくさんのリソースやコストや熱意やメーリングリストを注ぎ込む。最近じゃMOOCなんてものまである。学内外問わず資料へのアクセスを支援する、そうすることが社会への貢献であり還元だという感じのことは、もちろん、自分だって充分以上に理解しています。で、だったら、その精神でそれが実現できるなら、それと同じ理屈で、所属のない若手研究者や一般ユーザへの支援、図書館蔵書へのアクセスや図書館サービス利用を可能にするための人・金・時間もあてられるんじゃないかな、って思うんです。少なくとも拒絶の理由にならんだろうって。機関リポジトリやその他の電子化は、デジタルで流行りの技術でみんなが横並びでやってて対外的にアピールできてお金がもらえやすいからやってる、ていうわけじゃなくて、所蔵資料へのアクセスを誰からも可能にして障壁をなくすためにやってる、んだと思いますし。多分。
とはいえ、いくら支援支援とは言っても結局注ぎ込むリソースがないと、何もできやしないのは当然のことです、そりゃそうです、金・人・時間というリソースをこの問題の補修に注ぎましょう、そういうことを、まあどこまでできるかどうかわかんないけど、少なくとも前傾姿勢で、考察なり検討なりディスカッションなりしていきましょう、というのが、もちろんこれは大学図書館単体の問題じゃなくて、大学全体の問題として必要である、と。
でもってどうやら現状は、そういう補修への注ぎ込みなり、そのための前傾姿勢なりはとれていない、と。
ということは、この問題においては、いわゆる若手研究者、オーバードクターなり、非常勤講師なり、キャリアパスの過程で一時的に大学の所属を持たなくなった研究者・ユーザに対して、大学なり図書館なりは、リソースを注ぎ込みコストをかけるだけの意義・価値を認めていない、いや認めてなくはないしそんなこと言えないけど、まあ現実問題として他に割り当てなあかんところはたくさんあるしというんで、うん、わかるけど、なんかちょっと、まあまあ、そういうもんだし、という感じになってる。
それは、たぶんもっと昔なら「まあまあ、そういうもんだし」で済んでたところが多かったんでしょう。オーバードクターや非常勤講師や大学所属を持たないキャリアパスの一期間・一部分、それを選択せざるを得ない制度や環境というものが、いや、そのキャリアパスさんは
もともとは"時限的"なものだし一部の人が"選択的"にたどるキャリアパスさんだったわけなんで、だから「まあまあ、そこまでのコストはちょっと」、だったんでしょうたぶん。
ところがいまとなってはご時世が変わって、そのキャリアパスさんが
事実上の"通例"となり"固定化"してしまっていて、若手の研究者が進路の過程で「大学無所属」の時期を我が身に引き受ける、ましてやそれが長期・固定化する、というのは珍しい話でもなんでもなくなった。いやむしろ、そうならないキャリアパスのほうがよっぽどめでたい話じゃないかという空気すらどこかある。そこまで行ってしまった。
なのに、どうやら大学&大学図書館の、リソースの注ぎ方や制度・ルール、意義・価値の認め方のほうはというと、「まあまあ、そこまでのコストはちょっと」のご時世のままである、と。
これ、どうなんだろう、と。
もちろん若手研究者の具体的な益・不益も問題だけど、ちょっとごめんなさい、それ以上に何がヤバイって、もしかしたら
大学&大学図書館&大学図書館員は、ユーザ・研究環境・この世の中の変化移ろいを観測できてない(あるいは観測してない、または観測した上でスルー)、その綻びの一部がここにあらわれてるんじゃないかなって。
今回はこの話題で「いわゆる若手研究者問題」に対してそういう兆候が見られたけど、いやたぶんこれだけじゃない、同じパターンで、ありとある諸問題の「変化・移ろい」というものを観測できてない(してない/した上でスルーしてる)んじゃないか。いや、ありそうでしょう、と。だとしたら、この業界って相当ヤバくないか?、と。
ていうか、それができてたら、あの西洋史報告会にもうちょっと図書館関係者来ててもいいだろう、ていう。
「若手研究者問題」はたぶんそういうでっかく綻びかねないヤバさの中の、ひとつ、なんでしょうたぶん。(若手研究者のみなさんごめんなさい)
もちろん、この問題への短期的・対処療法的な補修はそれはそれで必要なんだけど、たぶんそれだけやって、ああすっきりした、では、これは残念ながら
「観測できてない」ことに変わりはないことになっちゃう。
そうじゃなくて、もっと長期にというか俯瞰で、吉田初三郎的に考えるのであれば、我々大学&大学図書館&大学図書館員は、ユーザ・研究環境・
この世の中の変化移ろいを、たゆむことなく常に観測して、真摯に向き合っていかなきゃなんじゃないかな、って。
風を読んで。潮目を読んで。
あと変化移ろいだけじゃなくて、学外・社会、公共図書館の現状とか一般ユーザのいる場所とか海外ユーザのニーズとか、そういう地理的範囲の広さも。そういう意味でも吉田初三郎的に。
そういうふうにして、若手研究者にしろ、そうじゃない他のタイプの学内外のユーザにしろ、それぞれのニーズを理解してそれに沿った支援をしていくのが、大学であり大学図書館であり大学図書館員のやるべきことなんだろうな、って思います。
そうまでして、研究者とは言え学外の、所属外の存在を"支援"していくもんなのか?とおっしゃるむきはあるかもしれない。それ、おまえがいま、大学が共同的に利用する機関におるから、大学にいてへんからそういう気になってるだけちゃうんか、と言われるとそれはまあそうかもしんないです、今日一日のお仕事も労力で言えば外の人への支援に費やしたほうが大きかったし。
じゃあ、さっきから"支援""支援"と言うとるけど。
"支援"って何かね?ということを考えるわけです。
これはどうやら、「続く」パターンでしょうか(笑)。