2013年05月28日

(メモ)『文化を育むノルウェーの図書館』を読んだメモ

 ざっと読んだメモ。
 でもほんとはもっと読まれるべき。

文化を育むノルウェーの図書館 : 物語・ことば・知識が踊る空間 / マグヌスセン矢部直美, 吉田右子, 和気尚美著. -- 東京 : 新評論 , 2013.5.
9784794809414

・人口500万人で公用語が3つある。
・定住移民13%。

・ブックボート。
・ノルウェーには、イースター休暇には推理小説を読む、という習慣がある。(!?)

・大学は40弱。ほとんどが国立か公立。学費無料。学生ローン制度。
・書籍代が高価なので指定図書が必須。
・2001年大学改革による、海外との単位互換、留学生増加。
・ドランメン図書館は、公共図書館と大学図書館が一体化した館。
・全国共通図書館カード。1枚のカードで全国の図書館を利用できる。大学図書館も同様なので、学生は図書館カード(=学生証)でほかの大学図書館も利用できる。大学に属していない利用者も、公共図書館のカードで大学図書館をそのまま利用できる。「学歴が高くなりつつある傾向はノルウェーも日本と同じで、仕事の専門性も高くなっている」。ただしこの制度に加入している図書館は全体の75%で、公共図書館は積極的だが大学図書館は消極的。
・新聞投稿記事「大学図書館は必要だろうか?」(Aftenposten, 2012.8.13)

・国立図書館と著作権管理団体との合意で、1900年から2000年までにノルウェー国内で出版されたすべての図書約25万冊がデジタル化され、国立図書館のサイトで無料公開される。(ノルウェー国内からのアクセスのみ)利用されたページごとに0.33-36クローネを国立図書館が著作権団体に支払う。経済的損失が大きいと判断されれば非公開に戻すことも可能。
・ノルウェーの書籍は出版部数が多くないため、一度絶版になると古書でも入手し難い。だからデジタル化に大きな意義がある。

・ノルウェーで日本語を教える大学は、オスロ大学の他にベルゲン大学やトロンハイム大学があるが、これらの大学では日本語・中国語ができる司書は勤務していない。
・日本学の規模が大きく歴史も古いオスロ大学。
・日本学を専攻すると、日本語を学び始めて二年目に一学期間、日本の大学で勉強することになっている。(そのサポートby日本の大学図書館は?)
・2001年の日本学科学生新入生は20人。→2013年60人。
・課程を修了しても日本語を活かした仕事をノルウェーで見つけるのは困難。
・日本文化の興味は圧倒的にポップカルチャー。その中でも、マンガ・アニメからJポップやJファッションに人気が移りつつある。(10代の男性→10代の女性へ)
・「セリエテーケ」。オスロのマンガ専門図書館。日本のマンガが多い。
・マンガがノルウェー語訳されることは現在はなく、日本語版か英語版。
・日本文学と言えば村上春樹。
・かつては英訳からのノルウェー語訳が多かったが、最近は日本語から直接訳されるようにもなる。

・人は、自分だけの私的空間が必要であると同時に、みんなで集まって自由に過ごす公的なスペースが必要。


posted by egamiday3 at 21:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月24日

図書館はなぜ"支援"をするのか : いわゆる「若手研究者問題」に寄せて


 前回(我々は「若手研究者問題」を観測できているか http://egamiday3.seesaa.net/article/362795408.html)の続きで。

 前回の要旨をざっくり言うと。
 ・大学の籍を離れる若手研究者が、図書館の資料・サービスにアクセスできない。
 ・そういうキャリアパスは以前に比べて通例化・固定化していく。
 ・それを含め、全体的にユーザ・研究環境・社会全体の変化移ろいを、大学・図書館は観測できてないのでは。
 ・若手研究者に限らず学内外のユーザについて、それぞれのニーズとその変化移ろいを理解して、図書館資料・サービスへのアクセスを支援していくべき。

 で、じゃあ籍のない人をそこまで"支援"するのは何故か、ていうか、"支援""支援"言うとるけど、支援ってのは何かね、と。

 ちょっと前にとあるところでとある人たちと、そういうディスカッションになったことがあったです。大学やその図書館は、学生に対して学習支援をする、と言う。研究者に対して研究支援をする、と言う。それってどういうことなんだとか、どうちがうんだとか、確かそんな感じの。まだ肌寒い梅の咲くような館でハートランド呑んでましたんであんまよく覚えてませんけど。
 まあそんときは、研究支援はアウトソーシングだだの、学習支援は引き上げる支援で、研究支援は持ち上げる支援だだの、まあそんな感じのことをやいのやいの言うて、自分も何とはなしにうんうんと聞いたりちゃちゃを入れたりしてたんですけど、なんかこう、ずっと、違和感がある。言葉にも何もならないんだけど、え、"支援"ってそういうもんなんだっけ、いやそういうもんなんだろうけど、それで果たしていいんだろうか?というもやもやがずっとある。

 我々は、"何のために"、誰かを支援するんだろうか、と。

 たまさか、あるところからそういうお題でしゃべれって言われたり書かなきゃいけなかったり、ていうのもあって。
 だから、いまのうちにここではさんでおきますけど、あいかわらず特に具体の論がここにあるわけじゃないですそれはごめんなさい。もっと手前の、支援を阻むささやきに対峙するためのモチベーション的なものの在処をじっくり見定めてる、的な感じで。

 誰かが誰かを支援する、これの一般的な空気感では、支援する人が支援される人のために何かをする、助ける、与える、という、相手のための行為なわけです。そんでもってそれがどうやら、持ってる人が持ってない人のために、できる人ができない人のために、用意・余裕のある人が用意・余裕のない人のために行なうのが、まあまあ一般的な"支援"だろうってことになっていっちゃうと、大学・図書館が学習支援をおこなうんだ研究支援するんだ、支援支援と言うほどに、あれ、なんかこう、大学・図書館が自分で自分をずりずりと上座方面へ寄せに行っちゃってる気がする。でもそれって、ほんとにそうなんだろうか、と。俺たちゃ助ける側だぜっつって、自分で自分を上座に立たせるのが"支援"、じゃないだろう、と。
 支援は、相手のため、だという。相手を利するために、学生さんや研究者が効果的効率的に学習・研究して生産性を上げられるようにするためにやるんだ、と。学習支援で学生が利益を得るし、研究支援で研究者が利益を得るんだ、と。それはまったくそのとおりなんだけど、でもほんとにそうなんだろうか、相手を利する、ただそれだけで終わるんだろうか、と。
 そりゃだって、大学や図書館は授業料や税金補助金を受け取ってるわけだから、何のために受け取ってるかと言えば、学生や研究者を支援するためだろう、と。そういう機能を持った存在で、そういう役割を担っているんだから、当たり前だろう、と言われれば、これももうまったくそのとおりなんだけど、じゃあそれはつまり支援を"させられてる"ということなんだろうか。支援することが義務で業務で、支援を"することになってる"からという、やらされ感盛り合わせの理由で支援をしてる、とでも言うんだろうか、と。"させられてる"からこそ、逆に、支援する謂われのない相手を支援しろと言われたら拗ねるんだろうか。そういうことじゃないはずで、大学・図書館の支援という行為に自らの意思・想いみたいなのがあるだろう、と。

 我々は、"相手のために"支援する、わけではなくて。だけではなくて。
 それと同等かあるいはそれ以上に、"自分のために"誰かを支援する、んじゃないのか、と。

 ここで言う「自分のため」というのは、じゃあひとつには、具体的にかぼんやりとかで自分に利益がめぐってくることを期待している、というのが、「情けは人のためならず(自分のため)」的なものがあるのかもしれない。
 海外の日本研究者を支援しようと言うのは何のためか。めぐりめぐってそれが日本の利益/不利益に影響する問題だから、ということをあたしはよく言います。ちょいちょいあおります、そのくらいだいぶわかりやすくした言い方じゃないと伝わんないかな、っていうときは多少ネギ多めに入れます。日本製e-resourceが少なくて不便で海外に普及しない。日本の情報がweb上に効果的に発信されない。デジタルでもアナログでもひきこもってて、アクセスしようとする人でもアクセスできないし、ましてやそんなんじゃ、はなっから専門でもないし執着もないし日本リテラシーもない人に対して訴求力がうまれるわけがない。それが、日本の存在感の低下や退潮傾向とリンクしていくんじゃないのか、ていう。「ニーズがないから、アクセスされない」わけじゃなくて、むしろ「アクセスする余地がないところに、ニーズはうまれない」わけだから。日本はもはや、一時のバブル的な経済成長を持った国でもないし、そもそも黙ってても手本にしてもらえるアメリカやヨーロッパの大国でもないし、派手で勢い強くて急角度でイマドキの注目を浴びるような中国その他の新興国ってわけでもないんだから。だから、他ならぬ我々自身の問題として、海外からの日本資料・日本情報へのアクセスを、我々日本の大学・図書館・その他種々の業界は支援していきましょうよ。
 っていう一連の話の持って行き方になっちゃうと、これはまあ、かなりの体重のかけ方で「自分のため」と言ってる例になっちゃうかもしれない。

 でも、そうやってあからさまに「自分自身のため」とだけ言うと、その語感では、何か具体的な利益に直結することを期待しているように聞こえてしまうので、じゃあどうしよう、「自分を含めたこの世界のため」に誰かを"支援"するんだ、とでも言ってみましょうか。

 自分がいまいるこの社会、そして世界のため、ひいては人類全体のため。
 社会や世界・人類がこうであってほしい、こうなってほしい、こう変わってほしい。そういう、自分が望む未来の姿がある。
 その、自分が望む未来の実現に向けて、そのために、いまここにあるもの・力・スキル・知恵知識情報、何らかのリソースをもって、誰かを"支援"する、必要なものを整備していく。

 考えてみれば、誰だってどこのどんな業界業種に属する人だって、産官学にかかわらず、みな誰かしらを"支援"しようという背景というかモチベーション的なところにあるのは、そういうことなんじゃないのかな、と思うです。思いたいです。
 困っている相手を支援するのは、相手が困ってるからだけじゃなくて、支援を必要としている存在があれば支援が可能な存在が支援をするような、そんな社会・世界であってほしいからじゃないのかなって。そう願いたいです。
 
 その中でも、大学図書館なり研究図書館なりその司書なりが行なっている支援とは何か。
 大づかみに言えば、資料・情報、文化資源・学術資源と呼ばれるものを確保して、必要とする人に必要とされる資料・情報をつなげる、効率的・効果的なアクセスを可能にする、と言えるでしょう。

 じゃあ、そういう"支援"を行なうことで、我々はいったいどんな"世界人類"や"未来"を望んでいるんだろうか、ということになるわけですが。
 うん、言ってみればそれは。

 研究・科学・学問という手法が信じられる世界。
 知恵・知識・情報というものを確かな礎としていられる世界。
 我々の社会が何かしらの未来をつくろうとするにあたって、人類が過去これまでに産み出した知恵・思想、見出した知識・情報、あるいは逆に過去の過ちや愚かさや失敗の事実、そういったものを、可能な限り共有・継承し、それらを堅実に踏まえ梃子とすることで、次の一歩をどう踏み出すかを判断する。
 そういう世界であってほしい、そういう姿勢を持って未来をつくる人類であってほしい。そういう姿勢を認め、敬意を示すことができる我々でありたい。

 おまえホントか?と思われるかもしれませんが、少なくとも自分は、そういう願いのもとに学習支援や研究支援、機関外部からの人への支援や海外の学生・研究者への支援というものを、司書という職業として、あるいは一個人の司書として、やってるんだろうなと思います。
 まあ、意識の下の下、7-8枚くらいめくったところくらいの意識として、でしょうけど。それがあるからやってられるというか、それがなきゃできないだろうというか。山ふたつ向こうの湖のほとりにきれいなお花畑があるんだというのを励みにでもしなきゃやってけないというか。そのくらい遠い意識としてですけど。

 だから、研究・科学・学問という手法をもって、何かしらを実現・生産するために、その礎たる知恵・知識・情報にアクセスしようとするユーザがいれば、若手研究者だろうが一般利用者だろうが、海外からだろうがなんだろうが、支援するでしょう。まあできる範囲ででしかないですけど。
 コピーがほしいと直接電話してくる山間いの町のご婦人のためにその町の図書館に電話して尋ねて折り返しでそのご婦人におたくの町の図書館の何という係に何という人がいてその人が相互利用というサービスの担当者さんだしさっきちょっと検索してみたら欲しい本はおたくの県内にあるってその担当者に言うといたからと伝えたりとか。できる範囲でしかないですけどそれは。

 e-resourceや研究のデジタル環境整備を必要だと判断するのも、別にそれがデジタルで最新でイマドキの流行だからそっちにとびついてる、とかでは決してないわけです、それがユーザ支援に有効に働くと判断できるから採用するわけです。しかも、資料のデジタル化なり環境のデジタル化というのは、進行すればするほどそれに伴って、研究・学習のあり方もユーザのニーズも変わっていくし、そうなれば当然、図書館の支援のあり方や矛先も変わっていく。
 でも別にそれは、目の前のユーザや資料の変化だの一挙手一投足に右往左往してふりまわされなきゃいけないってんでもなんでもなくて、この世界全体を俯瞰で見通して、吉田初三郎的に、ていう前回のやつ(http://egamiday3.seesaa.net/article/362795408.html)にやっぱりつながるというあれです。

 さて、ここまでさんざっぱらに抽象的な言葉を言いたいだけ広げ散らかして、現実にかえってみると。
 問題は、どんな世界・未来を望んで"支援"するのか、について、大学・図書館、そこに属する我々は、どこまでどのように共有できてるんであろうかなあ、という。我々内だけではもちろんなくて、社会・世界全体とそれを共有できてるのかなあ、という。
 共有できてないからそうなってんだろうなあ、というニュースを最近ちょくちょく目耳にするわけで。
 
 まあでも、そういう共有ていうか言いたいこと言い合いの一助として、#西洋史WGの報告会に行って話聞いたり、それをまた報告したり、こうやってブログに書いたりしてるんだなあ、ということにいまのところはしておきます。
 そんなところです。

posted by egamiday3 at 12:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月21日

我々は「若手研究者問題」を観測できているか : #西洋史WG に寄せて

 
 いわゆる”若手研究者問題”について、です。

 この発端的な、西洋史若手研究者問題アンケート調査の報告会、というのが5/12にあって、それをちょっと聴いてきたです。
 以下は、この話題関連のリンク。

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若手研究者問題と大学図書館界―問題提起のために― / 菊池信彦 | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/ca1790
西洋史若手研究者問題アンケート調査 -中間報告書-
https://docs.google.com/file/d/0BwaWDVN0tXzWNmM4THJuTlU3REE/edit
2013年5月12日(京都)アンケート調査報告会 - 西洋史若手研究者問題検討ワーキンググループ
https://sites.google.com/site/futurehistoriansjp2012/history/20130512
西洋史若手研究者問題アンケート調査報告会 - Togetter http://togetter.com/li/501796

(参照)
大学院出たあとも図書館を使わせて! - Togetter
http://togetter.com/li/477855
若手研究者問題に対して大学図書館員/大学職員としてできることはないだろうか? #西洋史WG - ささくれ
http://cheb.hatenablog.com/entry/2013/05/12/225852
再掲:図書館の利用を目的とした研究生制度の導入 - 発声練習
http://d.hatena.ne.jp/next49/20130512/p3
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 リンク、って言ってもこんだけ多かったらよくわかんないと思われてしまうかもしれないんですけど、まあ端的には1番目の「若手研究者問題と大学図書館界―問題提起のために―」(http://current.ndl.go.jp/ca1790)のことです。
 あと、この調査報告書に収録されている自由記述のうち8番目(p.30)が「大学図書館」関係のコメント群らしいんですけど、まあそこまで見に行くのもあれなんで、そんなに長くもなかったしちょっと↓にベタって引用しておきますね。

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@非常勤教員や、大学院博士課程に進みながらも教員や一般企業へと就職した若手研究者が、国内どの地域でもリサーチや研究を続行できる環境が欲しい。たとえば、関西で学んだ院生が、東北や北海道で就職したときに、自由に勤務地域の大学や研究機関でリサーチできる環境作りが必要なのではないか。

A学会として大学図書館(電子ジャーナル等も含む)の利用を支援するなどできないのだろうか。これから研究生活と個人の生計が分離していくように感じているが、その際、大学に所属していないということが、文献を集める上で相当な障害になると考えられるので、会員の推薦者がいれば、学会として身分を保障するといったことにとりくんで、多様な研究人生がありうることを示せないだろうか。

B経済的に厳しくなりやすいのは,むしろ博士課程の3年が終わってから。学生の身分がなくなるので出身大学の図書館を使用するのさえ困難となることもある(少なくない金額を払って聴講生・研究生となる方法もあるが)。例えば、とりあえず無給のポストでも構わないので、図書館のアクセスを保証し、研究者としての肩書きも与えてくれるものを設置するなどして、研究活動を継続しやすい環境づくりに配慮する方向性を(個別の大学ではすでに対策を講じているケースもあろうが)学会としても打ち出して、大学など各方面に働きかけてもらいたい。

CODが大学非常勤講師の職の有無を問わずに大学図書館を継続して利用できるよう、制度の改正をしていただきたい。
 周知の通り、西洋史研究者の場合は、海外からの文献取り寄せなど、大学の図書館を通じてしか利用できないレファレンスサービスを利用することが不可欠である。
 ところが、最近では大学非常勤講師の仕事を見つけることすら困難なため、大学図書館の利用権を全て失う可能性が以前よりも高い。また、学位取得後にいつまでも出身校の近くに居住するわけでもないので、出身校の図書館を使わせてもらうこともできない。こうなると、個人の力ではどうにもならない。もはや研究の継続は不可能である。それは、実験道具を奪われた理系の研究者が研究を断念せざるを得ないのと同じである。
 このような事情のために、なかなか職に恵まれない優秀な研究者が研究をあきらめることがないよう、対策を講じていただきたい。

(「西洋史若手研究者問題アンケート調査 -中間報告書-」. p.30. https://docs.google.com/file/d/0BwaWDVN0tXzWNmM4THJuTlU3REE/edit
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 この「大学の籍を離れることで図書館の資料・サービスにアクセスできなくなる」問題の切実さは、自分にもよくわかります。

 昔々、自分が国文系の院生だったころって、いまほど大学院重点化の影響がまだ出てなかったと思うんだけども、それでも、自分よりもっと上のドクター出たあとの先輩たちの中にはK大さんの図書館とその蔵書を利用したいから、という理由で、科目等履修生の身分を受講料払って得るということをしてらした、という話を聞いてました。たぶん、よその大学に非常勤講師の身分を持ってても、そうしてた人もいたんじゃないかな、それくらいK大のしかもB学部の蔵書が使える/使えないは大きい、っていう。
 そんな昔に遡るまでもなく、つい1-2年前に自分自身にも似たような経験があったんですけど。本書『本棚の中のニッポン』執筆中の文献集めのときです。うちの図書館のILLがNII相殺は公費払いのみという運用で、自分の執筆はプライベートだしそもそも研究者の身分を持ってるわけじゃないので、そう実は、研究図書館に勤めてるからといって、イコール、研究者としてその図書館のユーザになれるわけでもなんでもない。しょうがなくて結局どうしたかっていうと、たまさか非常勤講師を勤めるのに籍を置いてた立命館大学の図書館さんにわざわざ出向いてそこでユーザとして私費支払いのためのILL依頼してた、ていう。あとNDLさんの個人向けのILLも相当多用して、でも、NDLさんにない文献も結構あるし。これ自分、立命に籍なかったらあの本書けたんだろうか、と思うと、そこそこゾッとしますね。
 だから大学図書館員は、接遇接客的な研修とか、自己アピールとかプレゼンとか、アクティブなワークショップとかもそれはそれでいいんだけど、それよりもなによりも、「ユーザとして図書館を利用して切実に困る」という研修をさせたほうがいいんじゃないかな、って。
 筑波の長期研修とかで演習課題として出題してみたらいいです、何かしらのテーマの文献を網羅的に集めて入手するとこまでやんなさい、って。そこで「但し、自分が勤める大学図書館の蔵書やサービスを使わずに」って条件入れたら、↑のCAで言われてることがどういうことなのか、大学・図書館が(学内外問わず)研究者を資料・情報の面から支援するということがどういうことなのか、たぶん身体でわかるだろうな、って。まあでもそうか、それ以前に、文献を自分のために本気で収集する、っていう経験を定期的にしてない大学図書館員自体がどうなんだっていうあれですけど。

 それはそれとしても、ほんとに、これ簡単に解決できることじゃないとはわかっていても、それでも短気なり中期なり長期なりでなんとかしていける余地がないものかな、って。

 こういう話題になると、金・人・時間がないからって、そのことばかり盾にするタイプの議論する(ていうか議論しようとしない)パターンになっちゃうことあるけど、あれってなんだろう、この業界だけが特別に金・人・時間がないとでも思うてはるんだろうか、という気がする。いまどきどこの組織・機関・業界だって金・人・時間がないのなんか同じだし、ていうか、大学図書館がそんな余裕ないってことくらい重々承知の上で、それでもなお問題提起してはる、ってことくらいはわかるだろうし、だったらわざわざ理由に挙げんでもいいのになあ、ていう。いや、挙げるなら挙げるで、挙げた上でなおどんな支援ができるかということを、できる範囲ででも検討なりディスカッションなりしてったらいいんで。

 もうひとつ、学外・所属外が相手だからコストかけて支援できないんだ、ていうパターンのやつもあるんだけど、これは確か数年前からですけど、いま日本のほとんどの大学図書館が、学外者からのアクセスに応えるために、人・金・時間を、機関リポジトリその他に注ぎ込んでらっしゃるわけです。機関リポジトリやオープンアクセスや所蔵資料の電子化に、おどろきあきれるほどたくさんのリソースやコストや熱意やメーリングリストを注ぎ込む。最近じゃMOOCなんてものまである。学内外問わず資料へのアクセスを支援する、そうすることが社会への貢献であり還元だという感じのことは、もちろん、自分だって充分以上に理解しています。で、だったら、その精神でそれが実現できるなら、それと同じ理屈で、所属のない若手研究者や一般ユーザへの支援、図書館蔵書へのアクセスや図書館サービス利用を可能にするための人・金・時間もあてられるんじゃないかな、って思うんです。少なくとも拒絶の理由にならんだろうって。機関リポジトリやその他の電子化は、デジタルで流行りの技術でみんなが横並びでやってて対外的にアピールできてお金がもらえやすいからやってる、ていうわけじゃなくて、所蔵資料へのアクセスを誰からも可能にして障壁をなくすためにやってる、んだと思いますし。多分。

 とはいえ、いくら支援支援とは言っても結局注ぎ込むリソースがないと、何もできやしないのは当然のことです、そりゃそうです、金・人・時間というリソースをこの問題の補修に注ぎましょう、そういうことを、まあどこまでできるかどうかわかんないけど、少なくとも前傾姿勢で、考察なり検討なりディスカッションなりしていきましょう、というのが、もちろんこれは大学図書館単体の問題じゃなくて、大学全体の問題として必要である、と。
 でもってどうやら現状は、そういう補修への注ぎ込みなり、そのための前傾姿勢なりはとれていない、と。
 ということは、この問題においては、いわゆる若手研究者、オーバードクターなり、非常勤講師なり、キャリアパスの過程で一時的に大学の所属を持たなくなった研究者・ユーザに対して、大学なり図書館なりは、リソースを注ぎ込みコストをかけるだけの意義・価値を認めていない、いや認めてなくはないしそんなこと言えないけど、まあ現実問題として他に割り当てなあかんところはたくさんあるしというんで、うん、わかるけど、なんかちょっと、まあまあ、そういうもんだし、という感じになってる。

 それは、たぶんもっと昔なら「まあまあ、そういうもんだし」で済んでたところが多かったんでしょう。オーバードクターや非常勤講師や大学所属を持たないキャリアパスの一期間・一部分、それを選択せざるを得ない制度や環境というものが、いや、そのキャリアパスさんはもともとは"時限的"なものだし一部の人が"選択的"にたどるキャリアパスさんだったわけなんで、だから「まあまあ、そこまでのコストはちょっと」、だったんでしょうたぶん。
 ところがいまとなってはご時世が変わって、そのキャリアパスさんが事実上の"通例"となり"固定化"してしまっていて、若手の研究者が進路の過程で「大学無所属」の時期を我が身に引き受ける、ましてやそれが長期・固定化する、というのは珍しい話でもなんでもなくなった。いやむしろ、そうならないキャリアパスのほうがよっぽどめでたい話じゃないかという空気すらどこかある。そこまで行ってしまった。
 なのに、どうやら大学&大学図書館の、リソースの注ぎ方や制度・ルール、意義・価値の認め方のほうはというと、「まあまあ、そこまでのコストはちょっと」のご時世のままである、と。

 これ、どうなんだろう、と。
 もちろん若手研究者の具体的な益・不益も問題だけど、ちょっとごめんなさい、それ以上に何がヤバイって、もしかしたら大学&大学図書館&大学図書館員は、ユーザ・研究環境・この世の中の変化移ろいを観測できてない(あるいは観測してない、または観測した上でスルー)、その綻びの一部がここにあらわれてるんじゃないかなって。
 今回はこの話題で「いわゆる若手研究者問題」に対してそういう兆候が見られたけど、いやたぶんこれだけじゃない、同じパターンで、ありとある諸問題の「変化・移ろい」というものを観測できてない(してない/した上でスルーしてる)んじゃないか。いや、ありそうでしょう、と。だとしたら、この業界って相当ヤバくないか?、と。
ていうか、それができてたら、あの西洋史報告会にもうちょっと図書館関係者来ててもいいだろう、ていう。

 「若手研究者問題」はたぶんそういうでっかく綻びかねないヤバさの中の、ひとつ、なんでしょうたぶん。(若手研究者のみなさんごめんなさい)
 もちろん、この問題への短期的・対処療法的な補修はそれはそれで必要なんだけど、たぶんそれだけやって、ああすっきりした、では、これは残念ながら「観測できてない」ことに変わりはないことになっちゃう。
 そうじゃなくて、もっと長期にというか俯瞰で、吉田初三郎的に考えるのであれば、我々大学&大学図書館&大学図書館員は、ユーザ・研究環境・この世の中の変化移ろいを、たゆむことなく常に観測して、真摯に向き合っていかなきゃなんじゃないかな、って。
 風を読んで。潮目を読んで。
 あと変化移ろいだけじゃなくて、学外・社会、公共図書館の現状とか一般ユーザのいる場所とか海外ユーザのニーズとか、そういう地理的範囲の広さも。そういう意味でも吉田初三郎的に。

 そういうふうにして、若手研究者にしろ、そうじゃない他のタイプの学内外のユーザにしろ、それぞれのニーズを理解してそれに沿った支援をしていくのが、大学であり大学図書館であり大学図書館員のやるべきことなんだろうな、って思います。

 そうまでして、研究者とは言え学外の、所属外の存在を"支援"していくもんなのか?とおっしゃるむきはあるかもしれない。それ、おまえがいま、大学が共同的に利用する機関におるから、大学にいてへんからそういう気になってるだけちゃうんか、と言われるとそれはまあそうかもしんないです、今日一日のお仕事も労力で言えば外の人への支援に費やしたほうが大きかったし。

 じゃあ、さっきから"支援""支援"と言うとるけど。
 "支援"って何かね?ということを考えるわけです。

 これはどうやら、「続く」パターンでしょうか(笑)。

posted by egamiday3 at 22:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月01日

「ボストン美術館・日本美術の至宝」展@大阪、に行ってきました・記録


 ボストン美術館。
 どうかすると日本のどこの美術館・博物館よりも、自分にとってはホーム的存在な美術館。
 その、日本コレクション里帰り展。

 東京でやってたときと比べるとだいぶ広報のテンションも低いというかゼロに近いくらいで、あ、やってるんだっけ、と一生懸命思い出さないと気づけないくらいでしたが、ゴールデンウィークのどまんなかに行ってきました。朝一番だったのでそれほど混んでもない中で比較的ゆっくり見れた感じ。

 以下、あれこれのメモ。

・ビゲロー、フェノロサ、岡倉天心の3人に集中的に背負わす感じ。
・さすがに、東大寺にあったという8世紀の曼荼羅図(法華堂根本曼荼羅図)にはびびった。8世紀、て。ていうびびりもそうだし、それがこんな手の届くようなところに掛かってるのか、というびびりもそうだけど、結構な蒸し蒸しと暑い人の熱気の中に掛かってる、ていうびびり。
・弥勒如来図の線描画に押されてる、高山寺の朱印とこまい注記(明恵上人らしい)の愛おしさ。
・13世紀の四天王像のそこそこな劣化具合。そうよなあ、13世紀でこうなのが、8世紀でああだから、あれはすごいよなあ、という再度のびびり。

・吉備大臣入唐絵巻。
・空飛ぶ吉備真備は、素で噴く。
・どのシーンでも屋根(緑)だけ退色が激しいので、そうなのかなあと。
・絵巻1軸をほぼ全開にしてて、それなりの長さあるんだけど、途中に押さえらしき押さえも何もないのに紙面が真っ平らでピンとしてる。ピン札かというくらい。あれはどういうテクニックで展示してはるんだろう?

・長谷川等伯の竜虎図屏風。トラがかわいいなあ。
・伊藤若冲の人は、こんなごんぶとで流れるような墨の絵を描くんだなあ。(十六羅漢図)
・尾形光琳の松島図屏風が、なんかもう、とんがってるなあ光琳、という感じ。宗達派の芥子図屏風の生真面目なんと比べたらえらい違いになってる。

・・・・と思ったら、曽我蕭白のとんがり具合がずば抜けててびびった。中国の聖人を描いてるはずなのに久米仙人見立てとか、何をあてつけてくれてんの(笑)、ていう。なんかもう、ちょうどこのころのふざけ戯れ尽してるような文学のノリを、そのまま墨で絵にしたんだなあ、という気がする。文学っぽくもあり、北斎漫画っぽくもあり、即興芸っぽくもある。こんなでっかい屏風絵なのにぜんぜん迷いらしきものがなく描かれてるから、たぶんこの人の目にはまっしろい屏風の面にすでに何かしらの絵が映って見えてて、それを描きに行ってる、ていう感じなんだろうなあ、と思う。そういう”見えてる”人が、こういう絵を描くんだろうなあって。
・雲龍図。修復の様子がビデオで見れたけど、はがされた状態でずっと保管されていたとのこと。今回はもとの襖仕立てで公開されてるけど、えらく背の低い襖だなあと。お寺さんだとこのくらいだっけ。
・本展のマスコット(雲龍図)が出たところで、終了。

・中谷美紀の人はおとなっぽいナレーションをするんだなあ、と思った。
・あと、ボストン美術館本館の日本コーナーは、こういう美術史の通史みたいな感じじゃなくってもっといろいろ工芸品とかもあるから、ぜひおいでになってみてください。

posted by egamiday3 at 20:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする