ナントカ世代さんの『その十字路の先を右に曲がった。』@アトリエ劇研を観ました。
2回観ました。この芝居は2回観ていいと思った。
舞台は、農場。どこの国のどこの地方のいつの時代のとも語られるわけではない、アノニマスな感じ。(まあ日本なんだけど)
農場主が留守でいつ帰るともわからない。夫人や働く若者がいる。農協の調査員がやってくる。という話。
観ていて、ああなんと皮肉な話だろう、と思わずにいられない。
あんなに静かに流れる皮肉。
おもしろうてやがてかなしき皮肉。
ぼんやりぼやかして言うと。
この国・・・いや、農場には、いま指導者がいない。いるのは、指導者がいないと何もできないし何もわからないという人ばかり。
指導者がいないと何もできないからといって、時を争うような重要な仕事にもとりかろうとせず、とりかえしのつかない損失を被るかもしれない。危機感がない、なさすぎる。二言目には「自分にはわからない」「何もできない」。理不尽に進まない仕事。
若者たちがいる。若者たちをここに連れてきて囲い込み働かせる経営者側の大人たち。モラルを無視して制度を利用し利益と労働力を得る。そして働かせる。ブラックな雇用。医者に診せるべき怪我をしていても、満足のいく福利厚生を与えることはないし、そもそも与えるかどうかを決める指導者がいないからという理由で、何もしない。何もしないから、若者はずっと足をひきずって、癒えることがない。ただ、現存の”きまり”によって従順に働くしかない。しなくていいとわかりきっている仕事でも指示に従ってやるしかないし、一方で重要な仕事は指導者が不在だからという理由でできない。
それでも若者たちは、従順に働き、無邪気にはしゃぎ、健気に笑う。小金をせびって喜ぶ、おそらく、それくらいしか喜ぶことがここにはない。刺激の多い外界と接する機会もどうやら失われていて、遠くからうかがうしかない。教育の不在。教育者は、優しい声をかけはするが、自ら助けようとはしない。
若者たちの中にも、仕事のできる者がいる。自分で考え、判断し、能動的に情報を獲得し、科学的思考に基づいて、自ら行動を起こそうとする。行動することで、自分と周囲が被るリスクを避けようとする。
それを、年輩の中間管理者が阻む。決められたこと、言われたことだけをやれ、余計なことはするなと、有無を言わさず従わせる。情報も科学的思考も無視し、それに基づいて判断することもしない。ただ、手続きという形式にのっとって、”きまり”に従うことを強制する。そうじゃないことは、決めるべき者がいないから何もしない。おそらく、プライドがすこぶる高い。ずっと怒鳴って、従えと言っている。
この場所から何かが失われたらしい。「失われた」ということが言われている。だが、何が失われたのかすらわからない。だって指導者がいないから。ただ、喪失感だけが何かただよっている気がする。このまま時間が過ぎれば過ぎるほどおそらく彼らは何かを失っていくのだろうな、と思う。
そして、数字だけは不自然なほど整然としている。
不要な者を解雇し、弱みを持つ者を新たに雇う。危機があっても、それは労働者の仕事だから、とだけ。
最後に希望らしきものがひとつ見える。自分の判断で行動する若者。時間が経てば自分と周囲に何が起こるか、環境の変化とそれに伴うリスクを理解し、考え、行動し、リソースとチャンスを自力で獲得する。獲得するために物語の冒頭からすでに外界と接触し戦略的に動いていた。思わず「賢い」とつぶやいてしまう。そして若者は旅立つ。脱け出す。
ということが、どの国のいつの時代の農場の話ともなく、語られていく。
どんな顔して笑ったらいいかわからない、ていう。
この国は。
2013年06月27日
(メモ)「対談:デジタル環境下の図書館、デジタル・ヒューマニティーズと日本文化研究」@立命館大学ARC(20130611)
「対談:デジタル環境下の図書館、デジタル・ヒューマニティーズ と日本文化研究」
2013年6月11日(1800-1930)
立命館大学アート・リサーチセンター
(立命館大学文学研究科主催)
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/info/2013/06/post-95.html
マクヴェイ山田久仁子(ハーバード大学イェンチン図書館)
湯浅俊彦(立命館大学文学部)
赤間亮(立命館大学文学部)
・この講演は、2014年4月「文化情報学専修」が新設されるのを記念して行なわれる連続講演会、の第1回。(第2回予定あり(「日本古典籍デジタル化と活用 : その行方をめぐって」(2013.6.28)))
・当日Ustream中継あり(アーカイブ無し?)
・第1部 デジタル環境下の図書館と日本文化研究(山田・湯浅)
・第2部 デジタル・ヒューマニティーズと日本文化研究(山田・赤間・鈴木)
・文章としてまとまったレポートとしては、「人文情報学月報」(DHM023)に掲載。
●第1部 デジタル環境下の図書館と日本文化研究についての対談(湯浅・山田)
・電子書籍や電子ジャーナル・データベース等のe-resourceの整備が日本では大幅に遅れ不足している、という問題について。
・第14回図書館総合展(2012.11)「デジタル環境下における出版ビジネスと図書館」フォーラム・Ustreamアーカイブ(http://www.ustream.tv/recorded/27215382)を一部上映。
・山田さんがパネリストに質問「アメリカの日本研究者が日本語の図書を参照したくても、インフラとして電子書籍化されておらず、生産性があがらない。なぜ整備されないのか。」
・当日のパネリストの議論は生産者側にかたよっていて、ユーザの視点がなかった。
・この問題に、日本の図書館が声をあげないのはなぜか?
・米国の日本研究者・ライブラリアンは「もっと日本の情報を発信して欲しい」と考えている。
・日本の電子書籍コンテンツはいまのところタイトル数が圧倒的に少ない、そこが問題。エンタメ系書籍は増えつつあるものの、学術系書籍は依然少ない。予算があったとしても購入しようがない。
・授業で電子書籍を活用したくても、タイトルが少なく講義・研究に必要な書籍が含まれていない。
・ハーバード大学のOPACでは検索結果にe-bookへのリンクが表示されるが、多くの日本語書籍はそのリンクが表示されない。そのため、冊子へアクセスするしかない。ユーザにはそれが不便。日本のコンテンツになると途端に提供できない。
・また、コースウェブサイトに必読文献をアップロードしておく、のが主流。限定ユーザのみということで、出版者から許諾をとってアップする。
・ユーザのe-resourceへの期待が高い分、電子で入手できないことにがっかりする。ことになる。かつては日本の”新聞”がそのがっかりの主役だった。いまは4大紙がe-resourceとして整備されてくれている。
・JapanKnowledgeは必須のツールでユーザに喜ばれている。(講談社のエンサイクロペディアが縮小版のほうしか収録されていないのが残念)
・日本の電子書籍について事業が進行中ではあるものの、実際にはタイトル数がなかなか増えていかない。ほしいと思うタイトルが少ない。
・慶應義塾大学の電子書籍化事業では、自分たちが実際に現実問題としてほしいものを電子化できるようにする仕組みを構築する。
・CiNiiと機関リポジトリとの連携によりオープンアクセス論文が利用可能になっている。これはとてもよろこばれている。
・CD-ROM・DVDなどのパッケージ化されたデジタルコンテンツについて。技術的な寿命が目に見えているものが、高額で、かつフォローアップが少ない。コストがかかりすぎる。このようなものは図書館で購入できない。
・視覚障害者は電子書籍の恩恵を大きく受けるだろうが、現在日本の電子書籍の多くがPDF・画像であり、テキストデータとして利用できないのが問題。
<山田>・「まずは日本のユーザに使いやすいe-resourceの仕組み作りに専念して欲しい。海外からのアクセスはその次のステップ。」
・山田さんのこのコメントといい、フォーラム動画でもユーザとしての疑問をパネリストに投げかけたのが山田さんであったことといい、こういうことはアメリカのライブラリアンの口から言わせるよりも先に、本来当事者であるはずの日本のユーザや図書館員が積極的に発言していくべきことではないのか。
●第2部 デジタル・ヒューマニティーズと日本文化研究についての対談 (赤間・鈴木・山田)
・大学や図書館が所蔵する文化資源のデジタル化について。
・立命館大学アートリサーチセンターでも、ハーバード大学でも、文化資源のデジタル化・公開を積極的に行なっている。
・イェンチン図書館のペッツォールド・コレクション(日本の仏教資料)の紹介。日本の掛け軸400本をデジタル化事業に載せて公開することができた。
・一方で、中国のほうではハーバードが所蔵する漢籍60000冊を中国国家図書館との協働事業によりすべてデジタル化する、というプロジェクトが進行していた。
・アートリサーチセンターでは海外所蔵の江戸絵本類のデジタル化を行なっている。ただ、日本の資料をデジタル化することに慣れている技術者が海外にいるわけではない。
・ハーバード大学の中央図書館にはイメージングサービスという部署があり、プロのカメラマンが所属していて、デジタル化作業のための撮影などを行なう。。
・HOLLIS(ハーバード大学図書館のOPAC)では、例えば「kimono」というキーワードで検索すると、図書に限らずデジタル化・公開されている古写真も同様にヒットし、その検索一覧画面で着物姿が映ったたくさんのサムネイル画像を一覧できる。メディアのボーダーをこえて発見が可能。これが便利で、日本からでもわざわざHOLLISを使って探しにいく。
・デジタルアーカイブでは、技術的要件とかだけでなく、見つかりやすさ・探しやすさのための仕組みがしっかり整備されるべき。
・日本の学生が、海外の日本資料に、ネットを通じて触れる。という逆転現象。というデジタル・アーカイブ構築の意味。(注:このへん、赤間先生がすごく重要なことを言ってたはずなんだけども、うまく聴き取れず。要後追い。)
・現在のデジタル化事業には、フィルム時代のスピード感以上スピードが求められる。そういう感覚を持った人材を育成するのが「文化情報学専修」である。
・人文学にデジタル技術を取り入れる視点がなぜ必要か。ただ単にデジタル化するだけでは意味がない。新しい価値を生み出す活動・教育が必要。
・MITでジョン・ダワー教授らによって行なわれている「MIT Visualizing Cultures」というコース。日本その他のビジュアルな歴史的資料をデジタル化し、それを歴史学の研究・教育に活用する。
・人文系の学問では”知”が蓄積されてきた。それをデジタル化することで外部に出し、次の生産につながるようにする。そのような”知の循環”を起こす人材を育成していく。
2013年6月11日(1800-1930)
立命館大学アート・リサーチセンター
(立命館大学文学研究科主催)
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/GCOE/info/2013/06/post-95.html
マクヴェイ山田久仁子(ハーバード大学イェンチン図書館)
湯浅俊彦(立命館大学文学部)
赤間亮(立命館大学文学部)
・この講演は、2014年4月「文化情報学専修」が新設されるのを記念して行なわれる連続講演会、の第1回。(第2回予定あり(「日本古典籍デジタル化と活用 : その行方をめぐって」(2013.6.28)))
・当日Ustream中継あり(アーカイブ無し?)
・第1部 デジタル環境下の図書館と日本文化研究(山田・湯浅)
・第2部 デジタル・ヒューマニティーズと日本文化研究(山田・赤間・鈴木)
・文章としてまとまったレポートとしては、「人文情報学月報」(DHM023)に掲載。
●第1部 デジタル環境下の図書館と日本文化研究についての対談(湯浅・山田)
・電子書籍や電子ジャーナル・データベース等のe-resourceの整備が日本では大幅に遅れ不足している、という問題について。
・第14回図書館総合展(2012.11)「デジタル環境下における出版ビジネスと図書館」フォーラム・Ustreamアーカイブ(http://www.ustream.tv/recorded/27215382)を一部上映。
・山田さんがパネリストに質問「アメリカの日本研究者が日本語の図書を参照したくても、インフラとして電子書籍化されておらず、生産性があがらない。なぜ整備されないのか。」
・当日のパネリストの議論は生産者側にかたよっていて、ユーザの視点がなかった。
・この問題に、日本の図書館が声をあげないのはなぜか?
・米国の日本研究者・ライブラリアンは「もっと日本の情報を発信して欲しい」と考えている。
・日本の電子書籍コンテンツはいまのところタイトル数が圧倒的に少ない、そこが問題。エンタメ系書籍は増えつつあるものの、学術系書籍は依然少ない。予算があったとしても購入しようがない。
・授業で電子書籍を活用したくても、タイトルが少なく講義・研究に必要な書籍が含まれていない。
・ハーバード大学のOPACでは検索結果にe-bookへのリンクが表示されるが、多くの日本語書籍はそのリンクが表示されない。そのため、冊子へアクセスするしかない。ユーザにはそれが不便。日本のコンテンツになると途端に提供できない。
・また、コースウェブサイトに必読文献をアップロードしておく、のが主流。限定ユーザのみということで、出版者から許諾をとってアップする。
・ユーザのe-resourceへの期待が高い分、電子で入手できないことにがっかりする。ことになる。かつては日本の”新聞”がそのがっかりの主役だった。いまは4大紙がe-resourceとして整備されてくれている。
・JapanKnowledgeは必須のツールでユーザに喜ばれている。(講談社のエンサイクロペディアが縮小版のほうしか収録されていないのが残念)
・日本の電子書籍について事業が進行中ではあるものの、実際にはタイトル数がなかなか増えていかない。ほしいと思うタイトルが少ない。
・慶應義塾大学の電子書籍化事業では、自分たちが実際に現実問題としてほしいものを電子化できるようにする仕組みを構築する。
・CiNiiと機関リポジトリとの連携によりオープンアクセス論文が利用可能になっている。これはとてもよろこばれている。
・CD-ROM・DVDなどのパッケージ化されたデジタルコンテンツについて。技術的な寿命が目に見えているものが、高額で、かつフォローアップが少ない。コストがかかりすぎる。このようなものは図書館で購入できない。
・視覚障害者は電子書籍の恩恵を大きく受けるだろうが、現在日本の電子書籍の多くがPDF・画像であり、テキストデータとして利用できないのが問題。
<山田>・「まずは日本のユーザに使いやすいe-resourceの仕組み作りに専念して欲しい。海外からのアクセスはその次のステップ。」
●第2部 デジタル・ヒューマニティーズと日本文化研究についての対談 (赤間・鈴木・山田)
・大学や図書館が所蔵する文化資源のデジタル化について。
・立命館大学アートリサーチセンターでも、ハーバード大学でも、文化資源のデジタル化・公開を積極的に行なっている。
・イェンチン図書館のペッツォールド・コレクション(日本の仏教資料)の紹介。日本の掛け軸400本をデジタル化事業に載せて公開することができた。
・一方で、中国のほうではハーバードが所蔵する漢籍60000冊を中国国家図書館との協働事業によりすべてデジタル化する、というプロジェクトが進行していた。
・アートリサーチセンターでは海外所蔵の江戸絵本類のデジタル化を行なっている。ただ、日本の資料をデジタル化することに慣れている技術者が海外にいるわけではない。
・ハーバード大学の中央図書館にはイメージングサービスという部署があり、プロのカメラマンが所属していて、デジタル化作業のための撮影などを行なう。。
・HOLLIS(ハーバード大学図書館のOPAC)では、例えば「kimono」というキーワードで検索すると、図書に限らずデジタル化・公開されている古写真も同様にヒットし、その検索一覧画面で着物姿が映ったたくさんのサムネイル画像を一覧できる。メディアのボーダーをこえて発見が可能。これが便利で、日本からでもわざわざHOLLISを使って探しにいく。
・日本の学生が、海外の日本資料に、ネットを通じて触れる。という逆転現象。というデジタル・アーカイブ構築の意味。(注:このへん、赤間先生がすごく重要なことを言ってたはずなんだけども、うまく聴き取れず。要後追い。)
・現在のデジタル化事業には、フィルム時代のスピード感以上スピードが求められる。そういう感覚を持った人材を育成するのが「文化情報学専修」である。
・人文学にデジタル技術を取り入れる視点がなぜ必要か。ただ単にデジタル化するだけでは意味がない。新しい価値を生み出す活動・教育が必要。
・MITでジョン・ダワー教授らによって行なわれている「MIT Visualizing Cultures」というコース。日本その他のビジュアルな歴史的資料をデジタル化し、それを歴史学の研究・教育に活用する。
・人文系の学問では”知”が蓄積されてきた。それをデジタル化することで外部に出し、次の生産につながるようにする。そのような”知の循環”を起こす人材を育成していく。
2013年06月07日
「知の広場ー新しい時代の図書館の姿」アントネッラ・アンニョリ氏講演@京都 20130606
・6/6 イタリア語学科主催講演会 「知の広場ー新しい時代の図書館の姿」
http://www.kufs.ac.jp/news/detail.html?id=3eae071978e28fb904d9351d5a3ec734&auth=1
・【イベント】アントネッラ・アンニョリ氏来日講演ツアー(5/25・仙台ほか) | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/node/23383
・CA1783 - イタリアの“パブリック・ライブラリー”の現状と課題 / アントネッラ・アンニョリ | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/ca1783
・Amazon.co.jp: 知の広場――図書館と自由: アントネッラ・アンニョリ, 柳 与志夫[解説], 萱野 有美: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4622075628
●紹介 (著書の翻訳者)
・イタリア・ヨーロッパなどで図書館建築家や行政と図書館員との橋渡しのような仕事を務める。
・来日の経緯について。初来日、3週間のツアー。日本の知人による有志によって、2年前から来日を準備していた。
●講演
●社会と課題について
・イタリアはとくに重い経済危機に直面している。もともとうまく機能している図書館では革新的なことが起こせている。ただ、公共図書館はイタリア中部・北部には多いが、南部にはほとんどない。
・一般の人に読書を普及させる図書館はあまりない。読書人口の割合が低いと言える。
・文化施設に人びとが行くことが少ない、というのが、予算が廻ってこないことの一因である。
・これから取り組まなければならない課題=いくつかの文盲*。
・テクノロジー。ただ図書館にコンピュータがあればいいわけでなく、教えるというファシリテータ役が必要。特にお年寄りはインターネットカフェになんか行かないので、図書館でパソコンとネットが使えて教えてもらえればよい。
・情報に関する文盲。インターネットでの情報探索収集能力。評価能力。
・読解能力・”読む”能力の低下、という問題。教育を受けた人でも継続的に本を読まなければ”読む”能力が落ちる。新聞を読んでもその意味するところを理解できない、と言う人が増えると、民主主義が危機に瀕することになる。元教育(?)大臣曰く、「イタリア人はいま頭ではなく”おなか”で考えている。熟慮の上で投票ということをしていない」
・図書館がその読解力の成長を支援しない限り、相手にもしてもらえなくなるだろう。
●サービスと資料提供について
・音楽・映画など視聴覚資料をどう提供するか問題。いまCD貸出は激減している。オンラインで入手できるから。となると、図書館がすべき仕事のひとつは、どうすればオンラインで入手できるかを教えて上げる仕事、ということになる。サイトをまとめて提供するとか。お年寄りに対してデジタル音楽ファイルを編集してCDに焼いてあげるサービス(!?)とか。
・オランダの図書館では、ほとんどの蔵書を平積みで配架している例がある。表紙を見えるように平積みで配架すると、驚くほど貸出が増えたらしい。
・たとえば本の配列についても昔ながらのものではなく、人びとの興味の向けられ方にそって並べ直す。(ドイツでの試み)
・蔵書について、図書館員のほうからユーザに向けてファシリテータとしてそこにどういう本があるのかをきちんと理解してもらいにいく、という姿勢・仕事が必要。
・ティーンエージャーが図書館に来ないという理由はない。彼らが来たくなるようなスペースや資料がないからだろう。若い人に感心をもたない図書館員にはそれはできない。ティーンエージャーがたくさん来館している図書館がアメリカにあったが、その成功要因は、ティーンエージャーとともにその図書館のスペースを設計したからだ、とのことだった。どんな家具を置くか、何をしたいのか(ゲーム)、どんな図書館員にいてほしいか(自分たちと同じ趣味を持ってる人、自分たちと”近い”人)。
・アイデアストアというチェーンの図書館が成功している。建物がおしゃれなこと、だけでなく。図書資料についての多様な講習会が開かれるという文化センターの役割を果たしているから。宗教、裁縫・料理、などあらゆる講習会。その講師の多くは地域住民。
●建築と空間の機能について
・現代人はみな時間がない。複数の機能がそれぞればらばらなところにあると、行く暇がない。ショッピングセンターのように、文化的な機能がひとところに集まっているような場所を設計できないか。
・図書館建築が大型化している。本だけではないニーズに応えようとしているため、多機能化している。
・複雑化する市民のニーズに対応する施設にならなければならない。
・多様でフレキシブルなサービスが可能な建築にしなければならない。
・日本の大学図書館のいくつか(明治大学など)は、人がそこにいて楽しい空間が設けられていた。それは公共図書館よりもよく整備されていた。大学図書館も人との出会いの場になるべき。
・イタリアで最近の図書館のトレンドのひとつ。ひとつのスペースが複数の目的で使えるように設計されている。柔軟である。そのためにパソコンもデスクトップの据え置きではなく、ノートPCを貸出して移動できるようにする。
・大学図書館でも見たけど、公共図書館でも、ラーニングコモンズ的な勉強空間が必要。自分の書斎を持てない人の支援。コワーキングへの支援。市民の集まり・ディスカッションの場の提供。
・『知の広場』がなぜ日本で読まれたか不思議だったが、日本も同じく、人が集まって何かをする場というのが必要なんだろうなと思う。かつては教会や労働者の集う場所があった。いまそういう場所が社会から減っていっているんだろう。そういう現在において、図書館がどう貢献できるか、そういうことを著書で問うてみた。
・図書館はそういう機能をもつのにふさわしい。なぜなら"ニュートラル"という性格があるから。年齢、社会地位、宗教、家のある人ない人、皆にニュートラルであるから。
・ペーザロの図書館。元は古い修道院。書架に全て車輪が付いていて、必要があれば動かして会場が作れる。書架フロアが講演会場にもなる。
・書架を移動させて、フロアで音楽コンサートができるようにする。大半の市民は文化施設に通ったりはしない。そういう文化施設は市民側に文化へのリテラシーを要求してしまうものである。でも図書館でコンサートを行なえば、そういうリテラシーを持たない人でも図書館に来たついでに接することができる。そういう人たちに文化に触れる場所を提供する、という機能が重要ではないか。
・図書館に関わっていくいろいろな人びとに参加してもらうこと。技術者・建築家・図書館員・IT・都市計画者。市民をはずして考えることはできないだろう。そのプロジェクトグループのメンバーがいろんな図書館に出向いて見学しに行くこと。
・光が多く入ること。
・階段を人の集う場所として活かすこと。
・ただ単に場所を貸すのではない。図書館と市民とがともに活動をするのだ、という姿勢。
●その他
・図書館員に新たなに必要とされるのは、人と本・情報との間に入るファシリテータとしての役割。本・資料が好きなだけでなく、複雑な問題を創造力を持って変革をおそれずマネジメントしていける能力が必要。
・ペーザロの図書館は、自分が退任してから、ソーシャルな性格がだいぶ失われているようだ。ちがう図書館になってきている。場所も必要だけれど、その中働いている図書館員が人びとを受け入れる姿勢を持つことが重要ではないか。
・日本に来たらみんなにツタヤのことを聞かれる。
・カフェと図書館と本屋の機能の組み合わせについては、図書館が主体であるべき、図書館の側からそういう組み合わせの提案が出てきてほしい。
・ツタヤの図書館では、本を持ったまま居眠りしているホームレスの人をどのくらい受け入れてくれるか、という問題。これが気になる。図書館が好まれる理由で多かったもののひとつが、お金を払わなくても一日中いられる居場所だ、ということ。課金されない、というのは現代において非常に重要な図書館の機能である。
・行政が公共事業を”やるのがめんどうだから”民間企業に任せる、というのは危険であろう。だが、旧来のあり方に固執するのもまたよくない。
2013年06月04日
(メモ)「図書館旅行の時代」(日図研特別例会 2013.6.2)
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「図書館旅行の時代」河井弘志
(日本図書館研究会特別研究例会 2013年6月2日 京都大学文学部)
17世紀から19世紀までに出版された数多くのドイツの図書館旅行記は,どこにどういう図書館が存在し,いかに蔵書を収集管理し,分類・目録はどうなっていたかを,学者・学生・図書館員に知らしめ,ドイツ図書館学成立の素地をつくる役割を果たした。その初期のUffenbachの旅行記を中心に内容を調べ,図書館学への影響を考えてみる。
---------------------------------
・中世のヨーロッパには旅行者が多く、外へ出て世界を見に行く、見聞を得に行くという風潮があった。
・その対象のひとつが「図書館」だった。さらにその見聞をもとに出版する=図書館旅行記、ということが行なわれた。
・いったいなぜそんなものを、書き、出版し、売り、買って読んだのか。
●文献
・Koheler(1762)『Anweisung fur reisende Gelehrte, Bibliothecken, Munz-Cabinette, Antiquitaten-Zimmer, Bilder-Sale, Naturalien- und Kunst-Kammern, u.d.m. mit Nutzen zu besehen』(当時の図書館旅行入門)
http://archive.org/details/desherrnprofesso00khle
・Becker(1980)『Bibliotheksreisen in Deutschland im 18. Jahrhundert』(最も詳しい研究)
・Boemer「Bibliothekarische Reisebeschreibung Bibliograhie」(Handbuch der Bibliothekswissenschaft. 3-1. S.594-599)(図書館史の書籍の中に、ドイツの図書館旅行記について概観した著作がある)
・ドイツの図書館旅行 / 河井弘志著. -- 藤代町 (茨城県) : 河井弘志 , 2002.9.
・「図書館旅行の時代」(ドイツ図書館学の遺産 / 河井弘志著. -- 改訂版. -- 藤代町 (茨城県) : 河井弘志 , 2000.11. p.53-80)
●Uffenbachについて
・ウッフェンバッハ (1683-1734)
http://en.wikipedia.org/wiki/Zacharias_Conrad_von_Uffenbach
・フランクフルトの名家の出身。経済的に困ることはなかった。
・読書家・勉強家で好奇心旺盛な人だった。大学ではあらゆる学問にゼネラルに接していた。
・収書家でもあった。
・当時の出版情報誌を自分で購読して情報収集していた。
・収書の対象はもっぱらマニュスクリプトで、刊本は少ない、分野はまったく問わない。
・ドイツの市議会図書館(のちに市立図書館となっていく)を訪書したり、修道院が廃棄しそうにしていた稀覯書をごっそり購入したりした。
・当時学生の身分でそんなコレクションを持ってた人はいない。没時、蔵書40000冊。
・全集ものの収録著作の目録(索引)作成にも着手している。(完成は不明)
・当時のドイツの大学図書館はあまり本もなく整理されておらずまだまだ貧弱(数千冊単位)だった。個人のコレクション(数万冊単位)が中心の時代だった。
●Uffenbachの図書館旅行
・1709(26歳)-1711間の図書館旅行。ドイツ・オランダ・イギリスを歴訪。
・訪問先でも数千冊単位で図書を購入。
・没後蔵書はハンブルク市に寄贈された。
・図書館旅行記として出版されたのは『注目に値する旅行(Merkwurdige Reisen...)』1753-1754
・ぶっちゃけ話が多いので、出版が躊躇され、没後20年くらい経って出版された。
・「どの旅行者よりも信頼すべき情報を提供した」と評価される。
・訪問先をある程度くらいはあらかじめ決めていてアポをとっていたらしい。
・図書館訪問・文献調査だけでなく、大学での講義聴講、学者との面談、学術研究施設の見学など、好奇心旺盛だった。医学、機械、動植物園など。
・移動には郵便馬車を使ったりする。
●図書館見学
・カッセルでは、領主の図書館を見学。厩の上にあった図書館。(当時、図書館は厩の上や中に作られたりしていて、狭かったりした)
・書架の図をスケッチで記録している。本屋の平台付き書架みたいものなど。(<江上>このへんは『本棚の歴史』に詳しい話なので省略)
・「図書館にギャラリーが敷設されている」。ギャラリー=背の高い書架の中腹あたりに設置する足場付き通路。当時ある程度先進的であったと思われる。(ただし本は整理されていない)(<江上>
「ギャラリー」は"通路"ではなく"はしご"?)
・ある建設中の新図書館では、上に採光のための窓を付けるという当時最新式の構造だった。Uffenbachはこれに「危ない、壊れやすい」との見解を残しているが、確かにその通り、後年になって損壊がすすんだとのこと。(<江上>・・・あれ、うちの図書館そっくりの構造なんだけどな・・・。)
●文献調査
・訪問先で調査した文献を記録している。(図書館目録的なものではなく、自己流のメモ的なもの)
・訪問先の図書館については、文献・情報源で調査できる限りのことは事前にしっかり読み込んでおいて、現地でその内容を確認するようなことをしている。(シュトゥルーベが作成した目録など)(<江上>まあでもそれくらいはするでしょう)
・「どこどこにどういう本がある」ということを事前に調べておいて、現地で「それはどこにあるか?」と尋ね・調べて、「現地ではどうだった」というような記録を残している。
・事前調査と現物とでどこがどうちがうと指摘しているので、相当読み込んでいたのでは。
●図書館への批判
・「どこへ行ってもマニュスクリプトが放置されている」と嘆く。
・「資料を公開して利用に供する姿勢が図書館にとっては必要だ」
・「大きなコレクションでは、主題目録は役に立たない。件名目録(アルファベット順)じゃないと無理だろう」。
・司書「本を返さない人がいる。貸し出すべきじゃない」→アウグスヌス大公「だまってろ」
・「無知・怠惰・高慢な司書が配置されている図書館を残念に思う」
●イギリスにて
・ケンブリッジ大学図書館
・蔵書は寄贈者ごとに配架・陳列され、寄贈者の名前が書架に掲示される。そうしておけば「大事にしてくれるから自分もここに寄贈しよう」と思ってもらえる。
・当時の図書館の蔵書・コレクションは、”収集”よりは”寄贈”だった、とのこと。
・カレッジの図書館が、公共図書館の役目も持っていた。当時はまだ個人コレクションが主流で、公共図書館がうまれるまでの転換期だった。
・オックスフォード大学ボードリアン図書館。
・有料。閉架式。当時からすでに観光の目玉のひとつであった。「人びとがなにもわかってないのに喜んで騒いでいる」
・イギリスでは鎖付きの本が多かったようだ。ドイツに比べて保守的であったのでは。
●まとめ・図書館旅行記/図書館旅行とは。
・日記スタイルのものと、書簡スタイルのものとがある。
・どういう本があるという所在についてをメモ程度に記述されるだけで、書誌情報は詳細ではない。
・図書館旅行記を丁寧に読めば、欧州広範囲での活きた総合目録の機能を持つことになる。
・司書や学者に会うことを目的とした旅行でもあった。(訪書だけではない)
・歴史的・批評的な解題の付いた目録がほしい、ということを彼らは言っている。(<江上>こういうユーザのニーズは、残念ながらいまなおそのままでは)
「図書館旅行の時代」河井弘志
(日本図書館研究会特別研究例会 2013年6月2日 京都大学文学部)
17世紀から19世紀までに出版された数多くのドイツの図書館旅行記は,どこにどういう図書館が存在し,いかに蔵書を収集管理し,分類・目録はどうなっていたかを,学者・学生・図書館員に知らしめ,ドイツ図書館学成立の素地をつくる役割を果たした。その初期のUffenbachの旅行記を中心に内容を調べ,図書館学への影響を考えてみる。
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・中世のヨーロッパには旅行者が多く、外へ出て世界を見に行く、見聞を得に行くという風潮があった。
・その対象のひとつが「図書館」だった。さらにその見聞をもとに出版する=図書館旅行記、ということが行なわれた。
・いったいなぜそんなものを、書き、出版し、売り、買って読んだのか。
●文献
・Koheler(1762)『Anweisung fur reisende Gelehrte, Bibliothecken, Munz-Cabinette, Antiquitaten-Zimmer, Bilder-Sale, Naturalien- und Kunst-Kammern, u.d.m. mit Nutzen zu besehen』(当時の図書館旅行入門)
http://archive.org/details/desherrnprofesso00khle
・Becker(1980)『Bibliotheksreisen in Deutschland im 18. Jahrhundert』(最も詳しい研究)
・Boemer「Bibliothekarische Reisebeschreibung Bibliograhie」(Handbuch der Bibliothekswissenschaft. 3-1. S.594-599)(図書館史の書籍の中に、ドイツの図書館旅行記について概観した著作がある)
・ドイツの図書館旅行 / 河井弘志著. -- 藤代町 (茨城県) : 河井弘志 , 2002.9.
・「図書館旅行の時代」(ドイツ図書館学の遺産 / 河井弘志著. -- 改訂版. -- 藤代町 (茨城県) : 河井弘志 , 2000.11. p.53-80)
●Uffenbachについて
・ウッフェンバッハ (1683-1734)
http://en.wikipedia.org/wiki/Zacharias_Conrad_von_Uffenbach
・フランクフルトの名家の出身。経済的に困ることはなかった。
・読書家・勉強家で好奇心旺盛な人だった。大学ではあらゆる学問にゼネラルに接していた。
・収書家でもあった。
・当時の出版情報誌を自分で購読して情報収集していた。
・収書の対象はもっぱらマニュスクリプトで、刊本は少ない、分野はまったく問わない。
・ドイツの市議会図書館(のちに市立図書館となっていく)を訪書したり、修道院が廃棄しそうにしていた稀覯書をごっそり購入したりした。
・当時学生の身分でそんなコレクションを持ってた人はいない。没時、蔵書40000冊。
・全集ものの収録著作の目録(索引)作成にも着手している。(完成は不明)
・当時のドイツの大学図書館はあまり本もなく整理されておらずまだまだ貧弱(数千冊単位)だった。個人のコレクション(数万冊単位)が中心の時代だった。
●Uffenbachの図書館旅行
・1709(26歳)-1711間の図書館旅行。ドイツ・オランダ・イギリスを歴訪。
・訪問先でも数千冊単位で図書を購入。
・没後蔵書はハンブルク市に寄贈された。
・図書館旅行記として出版されたのは『注目に値する旅行(Merkwurdige Reisen...)』1753-1754
・ぶっちゃけ話が多いので、出版が躊躇され、没後20年くらい経って出版された。
・「どの旅行者よりも信頼すべき情報を提供した」と評価される。
・訪問先をある程度くらいはあらかじめ決めていてアポをとっていたらしい。
・図書館訪問・文献調査だけでなく、大学での講義聴講、学者との面談、学術研究施設の見学など、好奇心旺盛だった。医学、機械、動植物園など。
・移動には郵便馬車を使ったりする。
●図書館見学
・カッセルでは、領主の図書館を見学。厩の上にあった図書館。(当時、図書館は厩の上や中に作られたりしていて、狭かったりした)
・書架の図をスケッチで記録している。本屋の平台付き書架みたいものなど。(<江上>このへんは『本棚の歴史』に詳しい話なので省略)
・「図書館にギャラリーが敷設されている」。ギャラリー=背の高い書架の中腹あたりに設置する足場付き通路。当時ある程度先進的であったと思われる。(ただし本は整理されていない)(<江上>
「ギャラリー」は"通路"ではなく"はしご"?)
・ある建設中の新図書館では、上に採光のための窓を付けるという当時最新式の構造だった。Uffenbachはこれに「危ない、壊れやすい」との見解を残しているが、確かにその通り、後年になって損壊がすすんだとのこと。(<江上>・・・あれ、うちの図書館そっくりの構造なんだけどな・・・。)
●文献調査
・訪問先で調査した文献を記録している。(図書館目録的なものではなく、自己流のメモ的なもの)
・訪問先の図書館については、文献・情報源で調査できる限りのことは事前にしっかり読み込んでおいて、現地でその内容を確認するようなことをしている。(シュトゥルーベが作成した目録など)(<江上>まあでもそれくらいはするでしょう)
・「どこどこにどういう本がある」ということを事前に調べておいて、現地で「それはどこにあるか?」と尋ね・調べて、「現地ではどうだった」というような記録を残している。
・事前調査と現物とでどこがどうちがうと指摘しているので、相当読み込んでいたのでは。
●図書館への批判
・「どこへ行ってもマニュスクリプトが放置されている」と嘆く。
・「資料を公開して利用に供する姿勢が図書館にとっては必要だ」
・「大きなコレクションでは、主題目録は役に立たない。件名目録(アルファベット順)じゃないと無理だろう」。
・司書「本を返さない人がいる。貸し出すべきじゃない」→アウグスヌス大公「だまってろ」
・「無知・怠惰・高慢な司書が配置されている図書館を残念に思う」
●イギリスにて
・ケンブリッジ大学図書館
・蔵書は寄贈者ごとに配架・陳列され、寄贈者の名前が書架に掲示される。そうしておけば「大事にしてくれるから自分もここに寄贈しよう」と思ってもらえる。
・当時の図書館の蔵書・コレクションは、”収集”よりは”寄贈”だった、とのこと。
・カレッジの図書館が、公共図書館の役目も持っていた。当時はまだ個人コレクションが主流で、公共図書館がうまれるまでの転換期だった。
・オックスフォード大学ボードリアン図書館。
・有料。閉架式。当時からすでに観光の目玉のひとつであった。「人びとがなにもわかってないのに喜んで騒いでいる」
・イギリスでは鎖付きの本が多かったようだ。ドイツに比べて保守的であったのでは。
●まとめ・図書館旅行記/図書館旅行とは。
・日記スタイルのものと、書簡スタイルのものとがある。
・どういう本があるという所在についてをメモ程度に記述されるだけで、書誌情報は詳細ではない。
・図書館旅行記を丁寧に読めば、欧州広範囲での活きた総合目録の機能を持つことになる。
・司書や学者に会うことを目的とした旅行でもあった。(訪書だけではない)
・歴史的・批評的な解題の付いた目録がほしい、ということを彼らは言っている。(<江上>こういうユーザのニーズは、残念ながらいまなおそのままでは)