2013年09月26日

開館したてのバーミンガム図書館に行ってきました

 
 ロンドン出張のついでということもあり、なんか話題になってたので、開館したてのバーミンガム図書館に行ってきました。2013.09.14当時の話、ということで。

 ごく簡単にまとめると、
 ・話題で、開館したてで、人が押し寄せすぎて、喧噪でわやわやしてる。
 ・ハード(建物・施設・デザイン)は、”イマドキのトレンド”に実に忠実な感じ。
 ・ソフト面、サービスや実用性・効果については、まだなんとも言えない、見えてない。(保留)
 という感じでした。

・Library of Birmingham
 http://www.libraryofbirmingham.com/

・「People's Palace:欧州最大となるバーミンガム図書館が開館」 - カレントアウェアネス・ポータル(E1473)
 http://current.ndl.go.jp/e1473

・Library of Birmingham - Wikipedia
 http://en.wikipedia.org/wiki/Library_of_Birmingham

 そもそもバーミンガムという街は、産業革命で一気に発展した工業都市とのことで、ロンドンに次ぐ英国第2の都市をマンチェスターと争ってるような感じ(人口では第2位)。とはいえ、大都市という雰囲気ではなかったです、ヨーロッパの小都市で人が多い雰囲気。
 ロンドンからは特急で1時間半かかるかかからないかくらい。(行くんだったら、オフピーク&往復割引が割安でオススメです。)
 駅前の繁華街はこんな感じ(土曜昼)。

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 なるほど、こういう感じの住民の皆様が押し寄せるんだなあ、というその真新しい新築ほやほやの図書館が、こちらです。

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 蔵書約100万冊。広さ31000平米。総工費1億8,860万ポンド(1ポンド=約160円と考えれば目安となるでしょう)。
 ぱっと見で正直、「なぜつくった」感はいなめない。ホテルとかパレスとか言われてますが、個人的には「ポーラ化粧品」の印象が強い。わかるやつだけわかればいい。

 それでもまあ、問題は中身です。と思ってとりあえず入るとエントランスがこんな感じ。

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 ああもう、一目見てわかります、図書館のそれにしろ公共建築のそれにしろ、イマドキのトレンドに実に忠実に、道を踏み外すことなく真っ当になぞらえてつくられてる感じの内装デザイン。いま新築で何かつくったら、確かにどこに行ってもこんな風景が見れます。見覚えがあるデジャヴ感、カタログ感満載です。

 ひとフロアづつ拝見していきます。

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 半地下の一番手近なフロアが、Book browseという、小説や人気の実用分野が並んでる感じ。そしてこれもイマドキの、図書館分類を配架に採用していない、一般の人の感覚にもとづいた並びになってるパターンのやつです。この本棚は旅行、この本棚は料理、ここは健康、このフロアは小説で、その中でも恋愛、サスペンス、背表紙に拳銃マークやハートマークがついてるという感じ。
 それはいいんだけど、さてじゃあどうやって本を探したらいいんだろうと思って、現に書棚に並んでるはずの本をフロアの端末で検索してみるのですが、「Book browseフロアの健康の棚にある」ということまでしか表示されなくて、そこからどうやって探したらいいのかがよくわからない。じゃあ棚の前に立てば感覚的に探せるのかしら、と思って立ってみるけど、わからない。これはまあある意味しょうがないかもしれません、感覚的に並んでるということは、この土地の、この文化圏の、この言語・この出版流通環境の中で共有的な感覚を持ってる人間じゃないと、アジアの小国から来た英語もままならない御殿場ウサギがいくら本棚をにらみつけたところで、探せないのは当然なのかもしれないです。うん、じゃあそんな立場のユーザには探せないんだったら、公共図書館って何かね、という気はちょっとするけど。
 まあ、聞けばいいんだろうけど、フロアのステーション的なところに職員常駐してるみたいだし。

 地下1階は子供と音楽のフロアです。
 お話し会的イベント用の階段フロアがありました、これはお子たちが盛り上がりそう!
 グラフィックノベルの棚には日本のマンガほとんどありませんでした。でもOPACによれば相当タイトルあるはずなので、借りられてるのか、書庫なのかな。

 上へあがります。

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 1階(イギリスの1st floorは2階目です)はビジネス・健康・生涯学習。2階に「Knowledge」・3階に「Discovery」という名前がついてて、人文系・社会系・科学系・芸術系の各分野がそれぞれにちりばめられてるんだけど、実際には「Knowledge」「Discovery」に意味はなさそうな配置なので、まあイメージ戦略でそれなりの単語使ってみたパターンかなと。
 1階には「Advice」と書いた小部屋が何室かあって、たぶんビジネスや生涯学習的なことでの対面のディープなレファレンスをやってくれるんじゃないかな、と想像できます、使われてなかったけど。
 あと、フロアの随所に自動貸出装置がいくつもあって、たぶんセルフで随時貸出処理ができます、これも使われてなかったけど。(ていうか、人が本を借りている風な風景を最後まで見なかったような気がする)
 インターネット端末はほぼ満席でみんな使われてます、このへんはどこも変わらない風景ですね。

 そして、たぶんこれが目玉なんでしょう。
 2階・3階・4階をつなぐ円形の吹き抜けエスカレーターです。

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↓パノラマ(クリックで拡大)
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 土曜日の昼間です。人が1階からどんどん湧いてくるように登ってきて、そしてどんどん上へ上へと進んでいきます。もはや行列です。阪急烏丸駅か京都伊勢丹に匹敵するくらいのエスカレーターの行列です。うん、そういう歩みの進め方や視線の向け方をしてる6-7割の人たちは、まあ図書館を”見に来た”人なんだろうな、っていうのはなんとなくわかります。自分もそうなんですけどね。
 ちなみに、吹き抜けエスカレーターから見えてるあの書架のエリアの半分くらいは、一般のユーザは立ち入れないようになってるので、実際に手にとって閲覧できる蔵書を置いてるというわけではなさそうです、古い参考図書か製本雑誌かな。これ↓も、背の高い人だけが専用に読む内容の本、というわけでないのなら閲覧を前提とした配架ではないのでしょう。
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 あと、図書館分類を採用せずに感覚的に配列してるっていうならいいんだけど、並んでる書架をざっと眺めても、その感覚的な方のカテゴリ名すら見えるところに表示されてない、っていう。棚にだいぶ近づいてからじゃないと、そこにどんな本が並んでるのかはわからない感じになっちゃってるので、これは単純に設計ミスじゃないかなって。それも逐一フロアの職員に聞くっていうのが、意図的にそうしてるならいいんだけど、もうちょっと自律的に動ける設計にしたほうがいいとは思う。Discoveryフロアなんだし。(だから、か?)

 そして、阪急烏丸のように皆が上へ上へと向かうその先には4階・アーカイブと地域資料の間があります。本来だと客数の少ない中で静粛に時間をかけて史料と向き合うようなゾーニングをすべきところなんでしょうが、残念ながらそういうわけにはいかない。いままで以上に混雑している。
 この4階の先は最上階・シェークスピア記念展示ルームがあって、上へ上へツアーのゴール地点となっているのですが、ゴールへはエレベーターに乗り換えるか、階段で数フロア分歩かないといけない。エレベータホールは待ってる人たちであふれてるし、階段ですら蟻の行列みたいになってる。そこがボトルネックで滞留してるところへ、下階からは吹き抜けエスカレーター直結でどんどん人が増えて来る。しかも、そこからアーカイブの書架やマップケースの合間を縫ってフロアを通り抜けないと、エレベータホールにも階段にも行けない配置になっちゃってる。さらには、アーカイブのフロアなんかもともと手狭に作られてるから、余計に人口密度が高くなる。
 結果、アーカイブ・フロアがまさかのバーゲン会場と化している、ていう。
 いやたぶん、常態の図書館でなら、アーカイブ・フロアも展示ルームもひとつのラインで歩いてまわれて、なるほど図書館とはこういうところなんだなあって学ぶことができそうな設計なんだけど。常態じゃないいまにあっては、そうはなってないという。
 それでもがんばって階段で展示ルームへ行こうとすると、途中に職員の人がいて、ダメです下りてください、って悲壮な顔つきで訴えかけてくる。なんやと思うてると館内アナウンスがながれてきて、どうやら展示ルームがあまりの入室者数騒ぎで入場制限かかってしまったらしい、「どこそこでレジストレーションしてください」て言うてはる。

 というわけで、ハードはこんな感じです、ていう。
 じゃあ、ソフト面は?サービスはどんな先鋭的なのが?というあれなんですが、これは一言で言うと、わかりません。
 まずあまりに人が多過ぎてわやわやしてて、サービスの在り方だの利用実態だのを観察できるような余地がない。視界が良好じゃないので。
 加えて、こんなサービスをしてますよ、というような掲示なりサインなり受付なりその体制・姿勢のようなものが、見えないというか、みつからない。これは結構に不思議なことです、あたしはこれまで国内外のいろんな図書館を山ほど歩いてきましたが、サービスの様子が見える範囲に見当たらない図書館なんていうのはそうそうない。英語だから文化圏が違うからといったって、手厚い図書館はぼーっと歩いてても、どんなサービスをしてるのかが目に飛び込んでくるものです。えーこんなんやってんねやーって、見つけてホクホクできるものです。
 それが見えない、ホクホク感がない、というのは、人の多さにかき消されてしまってるのか、まだ開館数日だからしょうがないことなのか、それがこの街の住民ニーズなのか、それはわかりません。わからなくて、見えてないので、ここについてはまだ評価できない=保留にしておきたいと思います。
 落ち着いたら、サービスのありかたがちゃんと見えてくるのかもしれませんし。
 そう、落ち着いたら。これから、です。

 ホクホクできたのは、屋外の壁面パネル展示で、図書館の沿革紹介的なのをやってたやつです、ああこれいいなあって。こうやって、入館しなくても道すがら歩いてる人に図書館のアピールができるの、いいなあって。

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 まあ、そんなアピールしなくても山ほど人は来てるんですけど。

 うん、人が”来てる”っていう感じでしたね。
 それはそれでアピールのひとつではあろうと思います。ひとつ、だけど。
 来た人たちが、ただ来る・集まるから、集う、つながる、何かを産み出す、っていうふうにころがっていけるようになるのは、もうちょっと落ち着いてからじゃないかなって、思いますね。
 その落ち着いた頃になって、従来だと図書館に来なかったような人たちにも近しい存在として親しんでもらえるんだったら、こういうわやわやの苦労も甲斐無しではないかな、って。
 まあ、そう理解しています。
 これから、です。
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2013年09月24日

日本の学生だけが学んでないかもしれない、というリスクについて。 : 「「大学と電子書籍」の現状と未来」 (20130921大図研京都)


・大図研京都ワンディセミナー 「「大学と電子書籍」の現状と未来」
 http://www.daitoken.com/kyoto/event/20130921.html
・入江伸「「大学と電子書籍」の現状と未来」 (20130921大図研京都) - Togetter
 http://togetter.com/li/567311

(参照)
・電子学術書利用実験プロジェクト
 http://project.lib.keio.ac.jp/ebookp/
・CiNii 論文 - 慶應義塾大学メディアセンター電子学術書利用実験プロジェクト報告 : 出版社・学生と大学図書館で創りだす新しい学術情報流通の可能性
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110009593139
・CiNii Articles 検索 - 電子学術書利用実験プロジェクト
 http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E9%9B%BB%E5%AD%90%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%9B%B8%E5%88%A9%E7%94%A8%E5%AE%9F%E9%A8%93%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88
 
 慶應のこのプロジェクトと入江さんのお話はよそでも何度か聞ける機会はあったろうと思うので、それ自体はまあざっくりとでもいいとして、聴きながら個人的に気になったこととそれにまつわる質疑応答での入江さんのお話について、ていうか、いつものごとく最終的に自分の考えを書いてるだけの記事です。(当日の様子はtogetterで(http://togetter.com/li/567311)、これもがっつり私見入ってますが)

 で、当日お話を聞きながらあたしがもやもや考えてたのはこうです。
 講演本編や質疑応答の中でのいろいろな話題、電子書籍ってほんまに使うのか使わないのか、いるのかいらないのかとか、教員が教育のことをちゃんと考えているのかいないのかとか、学習支援がどうのとか、大学出版会がどこまで手を出せてるかとか、まあそれぞれはいちいちわかるんだけど、それを考えようとすればするほど、いやそれ以前に、じゃあそもそもいまの学生はいったい何を、何のために学習しているんだろう、させるべきなんだろう、と。そのことがその議論の前提として共有されているか、共通理解・納得されてんのか?というところがどうも疑問なんで、自分としてはまずそこをはっきりさせたい、って思うわけなんですね。
 だって学費だって年々値上がりしてるうえに、やりくりは苦しい、奨学金制度はあんな感じで、就職はできてもできなくても厳しい。そんな中へ片道1-2時間かけてまで通って、みな真面目に、ストイックに、従順に、大学で何を何のために学ぼうとしているのか。教員は教育に重点を置けよ、と言うのはごもっともなれど、じゃあ、教えたらどうなるのか、教えることでどうしたいのか、どうすべきなのか。それが共有されないうちに、昨今激減してる貴重な研究時間を削ってまで、資格や就活のほうが大事な学生のために、就職先で役立つ可能性がほぼひと握りの専門分野の知識を、教員が教育する気になるのはちょっとむつかしいんじゃないかって思います。

 で、学生さん側からの視点としては、専門の習得のためという本来的な目的の人もまあいれば、なんとなく高校の延長で勉強してる感じだったりもすれば、就職活動のために単位を取りに来てるっていうのも実際問題おおかたとしてあるでしょう。
 ただ、社会全体の中での高等教育の役割的なことから考えれば、専門教育にプラスして、知的生産の技術、勉強の仕方・生産の仕方を、大学で学んで世に出て行ってほしい、というのが大事なこととしてあると思うんです。
 リテラシーです。もうそろそろあらためて口に出すのもどうかと思うほど口ずさみ慣れた、リテラシーです。必要な情報や文献を自力で入手し、それを加工したり批判的に評価したり咀嚼したりして、次の新しい知的何かを生産する。あるいはそれらをいい感じの仕上がりでアウトプットする。嗚呼、リテラシー、です。

 それを習得していただくための、レポート課題であり、グループワークであり、そのための図書館での文献調査と情報探索であり、ラーニング・コモンズであり、そしてデータベースや電子書籍などといったアクセス・操作しやすいe-resourceの整備と提供、なわけです。
 うん、そのはずです。別に、何が何でも”使わせたいから”ラーコモがあるわけでもないし、デジタルがとにかく”便利だから”という理由だけで電子書籍を押しつけたいわけでもない。

 で、そのリテラシーを習得して世に出て行ってほしい、というのであれば、学生たちが世に出て行った後も5年10年20年くらいは発揮できる寿命のあるリテラシーでないと困るわけなんで、ということをふまえるとじゃあ、このプロジェクトで提供されようとしている電子書籍の”仕組みな寿命”ってどれくらいに想定されているんだろう? いま・ここで便利でさえあればいいだけの仕組みなのか、それとも長期的に有効なリテラシーの醸成に寄与できるようなツールなのか、ていう。

 ・・・・・・うん、我ながら無茶な問題設定を。

 まあそんな無茶な問題設定を、なんとなく軽く返す感じで、でもあきらかに大事なことを言っているという内容の応答をしてくださった、入江さんの話をざっくりまとめる・・・というか、相当にあたし自信の考えがだいぶ混じってると思うので、自分はそう理解しましたっていうエクスキューズの中でざっくりまとめると。

 世界の研究・教育のスタイルがデジタルを中心にしてまわっていくように、なってきている。それがトレンドというものだろう。ところが、日本の大学では、学生たちはそんな手法・環境の中で学習していない。そんな学習方法を身につけていないし、そんな研究の仕方が教えられていない。
 これってマズイでしょう、と。
 これってヘタをすると、日本からは(世界の研究手法に通用する)若手研究者が輩出されなくなる、ってことでしょう。研究者、日本からいなくなるんじゃないか?、と。英語理系はまだしも、少なくとも「日本で、日本語で、研究する」ということをしなくなるんじゃないか、と。
 実際、韓国の(註:だけじゃない、各国の)日本研究者が、日本で、ではなく、アメリカで日本研究を修める(註:英語で)という例もある、らしいし。
 それじゃマズイだろう、と。
 図書館としては、資料の探索・入手・活用に学生のコストをかけさせたくない、その後の実利用のほうにエネルギーをつかってほしいので、そのコストがアナログだと高いならデジタルを整備すべきだろうし、そのためのリテラシーというか体力作りをデジタルの方に向けさせていくべきだろう、そういう流れを作ろうよね、と。

 あと、この仕組みは技術的には長持ちするはずです。
 あと、フィードバック的には学生の評判は上々です。

 というような感じです。

 だから、たとえばそうですね。
 「アメリカが、海外が、よそがみんなそうしてるから日本もそうしなきゃいけない、ってわけじゃないだろう」とか。
 「それがトレンドで、みなそれを採用してるから、自分たちもそれを追っかけなきゃいけない、ってわけじゃないだろう」とか。
 「なんでもデジタルでなきゃいけない、最新のツールを導入しなきゃいけないってわけじゃないだろう」とか。
 それはひとつひとつ、確かにそうじゃなきゃいけないわけじゃないんだけど。
 問題は、そうしなかったことによって重大なディスアドバンテージを被るかもしれないという”リスク”を込みで、社会全体的規模でどう考えるか、ということじゃないかなって理解しましたです。

 今日の理解はこのへんまで。

posted by egamiday3 at 21:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月07日

あまちゃんで一番象徴的なエピソードは、北三陸に戻る八木さんの話です。(「どこが?」「いや別に」)


 ここでまさかの”あまちゃん論”を書いちゃうわけなんですが(笑)。
 9/7時点での話です。

 自分は当初からこのドラマを’東京と地方’の関係を綴る物語だなあという思いで見ていました。
 当初からというか、もう第1話目から。

 クドカン脚本の朝ドラ、という鳴り物入りで4月に始まった第1話は、海女でもウニでもなく、北三陸鉄道から始まります。1984年の北鉄開通日のドリフのような式典シーン。
 そしてオープニング映像もまた、いきなり北鉄から始まる。リズムとともに軽快に走る・・・え、ちょっと長くない?と正直違和感を覚えるくらいの長い扱われ方。ああ、このドラマにとってそれほどこの鉄道は重要なアイテムなんだな、ということが1日目の開始2-3分で見てとれる、ていう。

 その北鉄、大吉さんは何かと「市民の足」と言いますが、それ以上に’北三陸と東京とをつなぐ存在’としての期待が大きかったわけです。

 若大吉
 「これからは地方の時代だべ。
  北鉄も通って、この町もますます活性化するべ」


 北鉄が開通すれば、東京とつながる、人も観光客も増える。という、おそらく日本中のどの地方・田舎も何時ぞのタイミングで抱いたであろう期待。その見込みは残念ながらかなわなかった(というより、若春子のように東京へ流出するインフラになっちゃった)わけですが、その期待と期待外れの歴史こそが、この20数年間の東京と地方の関係を物語っているんじゃないか、と思えるわけです。

 思えば、市民の足シーンと同等以上に、東京とのつながりシーンが印象深い。若春子の東京行きも、東京に戻るの戻らないのという春子さんとアキちゃんの応酬も、夏ばっぱが東京行きの春子やアキに大漁旗を振るのも、震災後にアキちゃんが帰ってくるのも、北鉄。ユイちゃんなんか「アイドルになりたい!」ってホームから東京方面に絶叫するほどで、これなんか完全に線路を”東京視”してる、ていう。

 その北鉄に乗って脱出したのが、’田舎が嫌いで東京に憧れる’若春子。春子さんが東京に行って、東京から帰ってくる一連の動きは、物語の全体を大きく動かすもとになってます。
 春子さんの娘であるアキちゃんは、逆に’東京が合わなくて、田舎が好き’なパターン。東京にいる頃は内にこもりがちで、地味で、暗くて、向上心も協調性も、えーっと、あとなんだっけ、まあそんなことは思い出さなくていいですね、そんな娘が、田舎の自然と人とコミュニティと生活様式に触れることで本来の自分を取り戻し明るく輝くのです、って公式サイトやプレスリリースあたりにも書いてるでしょう、たぶん。速攻で訛るくらいですから。言葉の距離は心の距離ですから。
 そして母娘三代物語の一代目である夏ばっぱは’ずっと地方に居続ける’、ここから出たことがない、というパターンの人。

 母娘三代物語をつなぐもうひとつの縦糸が、「アイドル」です。このドラマにおけるアイドルネタは、たんなるAKBパロディやオッサンホイホイな昔懐かしネタ以上の意味があるはずです。
 あたしお盆に夏ばっぱが橋幸夫に会ったの見てやっと得心がいきましたが、これは三世代のアイドル物語だったんですね、アキちゃん世代と春子さん世代だけじゃなかったんだ。アイドルという、メディアを通したコンテンツの消費の歴史がそれだけ長く続いている、ということなんだと思います。
 そして(少なくとも現代日本では)アイドルというのは’東京から発信される’ものです。メディアを通してそれを受け取る地方の人びと(主に若者)は、アイドルとともに”東京”に触れるので、ほとんどの日本人にとってアイドルへの憧れは’地方から東京への憧れ’とベクトルが同じになります。若春子は言うに及ばず、あの不動の夏ばっぱをして東京へ向かわしめたほどの、’東京=アイドルへの憧れ’。

 その’東京=アイドル’にとてつもなくご執心だったのが、ユイちゃんでした。
 彼女は実戦経験のない’情報過多の東京志向’派です。

 ユイちゃん
 「原宿って表と裏があるんでしょ?
  芸能人ってだいたい裏に生息してるんでしょ?
  吉祥寺って住みたい街ナンバーワンなんでしょ?」


 情報過多ぶりは若春子さんの比じゃありません、インターネットのおかげで、新宿のカレー屋がつぶれたことまで知ってるというハイ・リテラシーぶりです。
 「アイドルになりたい!」と北鉄のホームで叫ぶ形相なんか、橋本愛ほどの美人さんじゃなかったらだいぶイタイはず。なんだけど、まあたぶん日本のあらゆる地方の、各世代の、多くの若者が、みんな似たようなもんだったんだろうな、というのもわかる気がします。
 若春子が灯台まで行ってマジック取り出して何を書くかと思えば、「原宿」「表参道」。
 みんなどんだけ”東京”に頭でっかちなんだよ、ていう。

 その東京へ行くの行かないのと、長々と、海女の話よりよっぽど長いんじゃないかっていうくらいにひっぱった末に、アキちゃんはアイドルになりに東京に行く。
 ところがそのアイドル自体が「GMT」、つまり地方の集まり。アキちゃんが暮らすGMTの寮は、方言と郷土料理が飛び交い、東京への夢とその破れかけの欠片がないまぜになったような、まさに’東京は田舎者の集まり’説を地で行くような場所でした。

 入間しおり
 「『どうせ売れん』!?」
 太巻
 「売れへんよ」


 もし東京と地方の間に大きな壁のようなものがあるとするなら、その壁こそが、東京を東京として成り立たせてるのかもしれない。GMTが苦戦してなかなか売れない様子や、若春子が声の影武者として芸能界に吸い込まれていった様子を見てると、そんなふうにも思います。

 見かねた春子さんが東京にやってくる。元の家に住むようになる。えーとなんだかんだで、よりをもどす。
 春子さんと正宗さんの夫婦関係もまた、東京と地方の距離関係抜きには語れないように思います。二人が出逢ったのも、若春子が東京から地方に帰るか帰らないかを云々してたときだし、結婚したのは帰らなかったからだし、離婚イコール北三陸と東京で離ればなれだし、二人がよりをもどせたのは二人で同じ東京に住むようになってからでし。
 交通網やインターネットや携帯電話がいくら発達しようと、まあ結局、人の人生はイコールどこに居るか、東京か地方かの物理的・地理的な環境におおかた左右されるんだなあ、と思います。もうなぞりませんけど、種市先輩問題も同じですね。

 で、えっと、うっかり忘れそうになりましたけど、八木さんの話です。
 ”東京と地方”というキーワードからの視点で見ると、東京に家出したけど北三陸に帰ってきたという八木さんのエピソードが、このドラマ全体の中でもっとも重要というか象徴的だなあ、と。直接的なセリフで熱く語られていたなあ、と思うんです。

 ユイちゃんの母親で元女子アナという設定であり実際に元女子アナである八木さんは、最初からいかにも素敵な奥さんキャラで、北三陸界隈で唯一上品な東京臭がプンプンしてた人でした。どんなキャラかは、アキちゃんがユイちゃんちに来た晩の料理の盛りつけを見ればすぐにわかる。料理は人、人は料理です。
 それが夫の病気きっかけで、衝動的に’北三陸での生活に自信をなくして、東京に逃げ出し’ます。で、いろいろあって、やっぱりさみしい、北三陸の家族に会いたい、帰りたい、なんだかんだディスカッションや説教があって、最終帰る、田舎に受け入れられる、ていう一連のエピソード。(http://www1.nhk.or.jp/amachan/special/0815.html

 八木さんは、一度は’東京に、一人の自分を求めた’ものの、いまは’北三陸に、家族を求め’ます。
 そこへ春子さんが、ユイちゃんがグレちゃった顛末を聞かせる。母親が家出したショックで落ちるところまで落ち視聴者をドン引きさせたユイちゃんですが、春子さんが言うように、

 春子さん
 「夏さんや海女クラブや勉さんや大吉さんや、
  まああたしや、アキや、みんなが、
  ユイちゃんがこれ以上道を踏みはずさないように、
  遠くから見守ってたこととか。
  腫れ物に触るように接したら余計傷つくから、
  わざと乱暴にあつかったりとか。
  優しくしたりして家族みたいに接して、
  ようやく心開いてスナックで働き始めたこととか。
  ・・・そういうこと、なんにも知らないでしょ?」


 春子さんが説教で八木さんを追い込んでるような場面ではありますが、と同時に、春子さんはこの語りで’田舎(の人・コミュニティ)が持つパワー・底力’の存在を熱く訴えてるんじゃないか、って思います。田舎嫌いで家出した先輩である春子さんだからこそ、熱く、聞かせるなあって。

 確かに、この一連における北三陸チームの人的パワーは、素直にかっけえって思いました。
 リアスに戻ってきた八木さんを中世の魔女裁判かのように取り囲む北三陸チームは、「言いたいことは全部言っちまえ」(美寿々さん)と促し、言ったら言ったで「要するに現実逃避だな」(かつ枝さん)と一刀両断し、「なして帰ってきた?」(花巻さん)と答えづらい質問を無愛想な顔で遠慮なくぶつけ、どっちかというと取り囲んでる方が魔女っていう裁判ですが、結果的に「ここにいるみなさんは、みんなもうきみが弱い人間だってことを知ってるんだから」(足立先生)という脅威の理解力を見せ、「逃げて帰ってきたんだから、もうよそ者じゃねえ」(大吉さん)という奇跡の包容力で八木さんを迎え入れ、最終的にけらけら笑って拍手して、「おらのことアンジェリーナ・ジョリーて呼んでみろ」(弥生さん)などとボケ合戦が始まる。
 強え。強すぎる。なんだこのパワー、このコミュニティ、勝てる気がいっさいしない。ていうかウザい。
 毎年末にはお笑い怪獣を軽くあしらう実力を持つ八木さんも、「弱い自分をさらけだせたら、どんなに楽かと思っていた」と悔しがらざるを得ません。

 東京に行けなくてグレたユイちゃん、東京へ逃げて北三陸に戻った八木さん、どちらをも迎え入れた北三陸チーム。彼らを描いたこの一連のエピソードが発する、

 春子さん
 「田舎なめんなよ!」


 というメッセージは、うん、やっぱりこのドラマの重要かつ象徴的なものだったんじゃないかな、って思います。

 さて、北鉄にかわって北三陸と東京をつないでいるのが、インターネットです。北鉄のユイちゃんや、やっとのことでウニ1個を捕ったアキちゃんの動画は、ネットにアップされ、北三陸に全国から”おまえら”と観光客を呼び寄せ、辞書編集者からスカウトマンに転職したミズタクを呼び寄せ、弱小個人事務所のアキちゃん人気の後押しをして、最終的には太巻を改心させオーディションでアキが選ばれる決め手となります。
 インターネットは、地方と東京・世界をつなぐ有効な存在であり続けるのか。今後20数年経ってもなお、北鉄が背負ってた期待のかわりを務め続ける事ができるのか。あるいは、世界を平板化していってしまうのか。
 これはまあ、あまちゃんというドラマとはまた別の、未来の歴史の話ですね。



 ・・・・・・あれ、そういえばまだ他にも、いったん東京に出たけど北三陸に戻ってきたっていう設定の人、誰かいたな。誰だっけ。
 えーと、思い出せない。まあいっか。


posted by egamiday3 at 15:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする