2014年07月31日

201405IRL・9-10日目その2「最終的に『地下鉄に、乗るっ』」(5/9-10 アムステルダム→台北→福岡→京都)

 帰路です。

 その1、アムステルダム・スキポール空港。

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 ↑アムステルダムの街を低く見下ろしながら着陸中。
 オランダのやたら川や水路ばかりの国土が見える。ていうか、あそこに見えるのはアムステルダム美術館さんじゃないかしら。

 結局、早く乗った便も1時間遅れでAMSに着いたし、もともと乗るはずだった便もまた1時間遅れだったらしく、まさに危なかったなあと思ってたら、アムステルダム発の帰国便のほうも4-50分出発が遅れてたっていう。
 その遅れが、夕方の急な雷雨によるものなのか、あるいは乗り継ぎ便の遅れ待ちだったのか、結局まにあってたのかまにあってなかったのかなど、いまとなっては本当のところは何もわからない。

 さらに言うと、ダブリン空港では「アムステルダムから先の航空券は、アムステルダム空港であらためて発券してもらいなさい」と言われて、その通り発券しようとしたんだけども、ここでもまた券売機に「君のは機械で処理できないから、カウンターに行きなさい」と言われる。
 その、乗り換え発券のための対面対人カウンターも、以前はアムステルダム空港内に2つ3つくらいあちこちにあったはずなんだけど、いまやそれがおもいっきり削減されてて、ほとんどセルフマシーンばっかりが構内にならんでる、それでいて「機械処理できない、カウンターへ行けって言われる」。結果、数少ないカウンターに行ったら集まったお客が並んでて処理が滞っちゃってる、ていう。だいぶ時間ロスしたし。
 このシステムって、業務効率的にちょっとマズイ手を打ってしまってるんじゃないかなって思ってる。誰か再配置しなよ、っていう。

 それでも、さすが早便でアムステルダム空港に着いただけあって、フードコートでレッドタイカレーなんか食べる余裕すらある。めずらしい、いつもはAMSでゆっくり食事できる余裕なんか、3-4回に1回もないくらいじゃないかな。

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 ↑KLMに、乗るっ。
 さようなら、ヨーロッパ。
 次にヨーロッパに来れるのはいつになるんだろう。(註:9月でした)


 その2、台北・桃園空港。

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 ニイハオ、台北っ!!
 台北にインです。

 ダブリン→アムステルダム→台北(いまここ)→福岡

 食事してお酒飲んで寝て本読んだら、12時間とか瞬殺でした。
 あと、隣のアカデミシャンらしきご婦人が、ダブリン発の同じ飛行機に乗ってた人だったなと気づいた。テーブルにおでこをつけて息苦しそうな体勢で居眠りするという特徴を持つ人。

 台北桃園空港でのあれこれ。

・店も施設もこんなにも何もない過疎な空港だっけ。と思ってたら、セキュリティの内側がとんでもない繁華街だった。台北行くならこのことは肝に銘じておくべき。
・空港内シャワー使ったら、めっちゃ快適だった。ああいうのははかどるもんだと知った。

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・↑こんな小洒落た空港図書館がある。あと、「電子図書館」があるという謎の案内も。時間切れのため詳細は不明。

・月刊ロンリープラネット台湾版が売ってて、京都特集だったので、外書として収書しといた。
・日本行きの搭乗ゲートが、どうやらこの繁華街からだいぶ離れてて遠い。まあまあの距離を歩く。日本の客は時間に余裕をもってこれに対応すべきと思われる。
・しかも、ゲート変更がまあまあよくあることらしい。今回乗る予定の福岡行きの搭乗ゲートも変更されてて、D1からA6までっていうかなり長い距離を歩いてたんだけど、背後から「A6、遠いでぇ」っていう日本語が聞こえて来て、お仲間がおるなあ、あれでも博多弁というよりは関西弁やなあと思ってたら、A6ゲートの入り口に「関空行きはA9に変更」という貼り紙がしてあって、「あっ」ていう関西の人の声を背中で聞きながらゲートに向かった、っていう想い出。

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 ↑中華航空に、乗るっ。

・機内ビデオで「10万欧州完美計画」という台湾のテレビの旅行バラエティ番組があって、だいぶおもろかったので帰ったらYoutube探そうと思っている。


 その3、福岡。

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 ↑5/10 午後9時前、福岡空港着。

 いや、京都に帰るまでが201405IRLです。

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 ↑N700系に、乗るっ。(5/11)
 どうしよう、バス・エーレンやKLMエコノミーにくらべると、のぞみの足もとの広さが王宮貴族レベルに見える。

 そして、京都。

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 これで全行程が終了しました。
 おつかれちゃん。
 ちなみに、これからがまさに本番の「地下鉄に、乗るっ」です。




 ・・・ていうか、あたし冬のコート着て京都を出たんですけど。
 なんですか、この真夏日寸前のド暑さは。
 えっ、3か月くらい留守にしてたんだっけ???



posted by egamiday3 at 22:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・9日目その1「アイルランドを、去るっ」(5/9 ダブリン→アムステルダム)

 
 9日目。
 というか最終日。

 ついに最終日です。
 帰国の途につかなくてはなりません。
 「まだまだ帰りたくない」と「もうそろそろ帰りたい」の感情がハーフ&ハーフくらい。

 荷造りなら早朝のうちにとっとと済ませてあります。
 とりあえずフライトまで若干の時間があるので、最後の無駄歩きをしに街へ出ます。

 首都ダブリンのどまんなか、大通りの橋の上で、前の方を歩いている地元女子高生2人がなにやらこそこそ話をして笑っている。かと思うと、車通りの切れ目を見つけてバッと駆け出し、反対側の歩道を歩いていたらしい友人の名前を大声で叫んで、がばっと抱きつきじゃれあっている。
 あー、女子高生はどこも元気だねえ、と。

 とかなんとかぶらぶらしながら、トリニティ・カレッジ(再訪)まで来ました。
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 オールド・ライブラリー(ケルズの書と美しい図書館のあるところ)のミュージアム・ショップは、アイルランドのいい感じのお土産が手際よく買い揃えられて便利なので、1週間ぶりに再訪しに来ました。ここで、小物とか贈り物とかをちょこちょこと買う感じ。
 ただ、どうしてもひとつ欲しかったケルトな感じのハイクロスの置物がなくて、店の人に問うと、こうこうこう行ったところにHouse of Irelandという店があるからそこへ行くといいよ、とおっしゃる。行ってみると確かに同じものがあるし、ていうか、アイルランドのお土産をまるごとカバーしてくれているようなところでかなり都合がよかったです。
 あと、買った土産のメーカーはWild Geeseと言う。アイルランドを出て他所の地へ行ってしまった人々を指す言葉らしい。

 というわけで、名残惜しいですが、私もこの土地を去ることにします。

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 さよなら、プチ場末の宿。

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 空港バスに、乗るっ。

 そしてあっさりとダブリン空港に着。

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 ここで旅行事務的な難題をひとつクリアしなくてはなりません。

 帰国便はアムステルダム発です。なので、まずダブリンからアムステルダム行きの飛行機に乗り、アムステルダムに帰国便に乗り換えます。
 問題はその乗り換え時間がわずか55分しかないことです。
 国際線の乗り換えで55分って相当だと思います、たぶん、着いたらすでに次の便の搭乗始まってるレベル。ていうか、そもそもアムステルダム空港のオフィシャル見解においては、乗り換え所要時間の最低限が55分で、たぶんそれより短い予定のチケットは売らないんじゃないかっていう。
 なので、ダブリン→アムステルダム便にちょっとの遅れでも出ようものなら、帰国便に乗り損ねる。ネットで確認したらこの便ちょいちょい遅れてる負の実績があるみたいだし。乗り損ねたら、一泊しなきゃいけなくなる可能性だって・・・。

 (´-`).。oO(・・・うん、それはそれでおもろいんじゃないかな)

 え、なんでそんなぎりぎりのチケット買ったのかって?

 (´-`).。oO(だって数万円単位で安かったんですもの・・・)

 で、この問題を解決するため、ダメもとでひとつ早い便に変更してもらえやしないかと、そういう難易度の高めな交渉をぶっつけに、予定より数時間ほど早くダブリン空港にやってきました。

 まず、セルフ・チェックインの機械に向かって、自力で早便に変更できないかを試す。
 ・・・変更できないどころか「てめえのチケットは機械処理できねえよ、カウンター行けよ」となじられる。(T_T)

 あきらめてエア・リンガスのカウンターの列に並ぶ。ありとあらゆるパターンを想定して、脳内で必死に英文をシミュレーション、英単語をメモライズ、優しそうなスタッフの人にあたりますようにと懸命に祈りを捧げ、結果、こわもてのお姉さんの前へ><;
 えーと、まずどう交渉して変更に持っていこうかなと相手の様子をうかがってると、こわもてのお姉さん、チケットと画面をにらみつけながら、まずひと言目にぽろっとこう言うわけです。

 「あなたのチェックインしようとしている便はまだ相当時間があるんだけど、どうする? 早いのに乗る?

 ・・・。
 え、いま、さらっと軽く問われたのは、コーヒーはトールかショートかっていう話か何かでしたっけ?
 それくらいのノリでぽろっと言わはるから一瞬わかんなかったけど、 

 「え、え、え、できるんですか」
 「(無言でこっくりうなずく)」:
 「しますしますします、アイウィル、ウォント、ニード」

 まさかの、むこうからオファー(笑)。

 でっかいまなこでシステムをいじるお姉さん、・・・うまくいかないっぽい。
 どこかへ電話するお姉さん。隣席の同僚や背後のチーフとなんやかやディスカッションするお姉さん。挙げ句、席を立ってあさっての方向へ歩き出し、まったく別のカウンターに何かしに行くお姉さん。
 頼む、がんばれ! ここでふんばってくれ!
 と思ってたら、

 「はい、じゃあこれがひと便早い新しいやつね」

 って、街角ティッシュみたいにぽんっとボーディングパス渡された。

 なんていうかあれですね、ネットでなんでもできるご時世にはなりましたが、やっぱり対面カウンターでの対面対人の交渉は大事だし、有効なんだなあって、思たです。
 (註:こっちから一切交渉してない)

 というわけで、ダブリン→アムステルダム便をひと便早めた結果として、アイルランド残り滞在時間が、急遽、1時間を切りました。

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 ↑エア・リンガスに、乗るっ。です。

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 ↑乗れるまで、搭乗口横のバーで待っています。これがラスト・パイントです。

 次にこの国に来れるのいつなんだろう・・・つらい・・・絶対またすぐにここに来るんだ・・・(涙)。



 こうして、惜しみつつ惜しまれつつな感じで、アイルランドを発ったのでした。
 最後のギネスを呑みながら、当時ツイッターでこういうことを投稿しています。
 
 「この旅で得た教訓:ギネスは結局どこで呑んでもギネスに変わりない。だからこそ、どこで呑むかじゃなく、どこに行くかの方が重要なんだと。」

 ・・・うん、いま一歩、何が言いたいのかよくわかんない(笑)。


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201405IRL・8日目その3「ギネス、それ以外のビールっ」(5/8 ダブリン)


 一応、ダブリンの中央図書館にも行ったよっていう話を挿れときますね。

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 ビジネス関係の資料として、主要企業に関する新聞の切り抜きをストックしてあった、ていうのと、たぶん企業人に関するファイルみたいなの。ビジネス支援のセミナーみたいなのもちょこちょこやってるみたいで、それ用のセミナールームも、決して広くはないフロアの一角を囲って確保してるあたり、やることはやってるなあって。
 あとは、うーん、正直コーク市の図書館が立派だったのを思うと、ここもしかして別館か何かなんじゃってどうしても思っちゃうんだけど。

 それから写真は撮ってないですが、中でカフェもやってる、けいぶん社系のおしゃれ本屋さんみたいなところが川沿いにありました。(The Winding Stair)

 それと、ブラウンブレッドの入ったアイスクリームを食べられる店があるよ、ってネットに書いてあったんで、Murphy's Ice Creamという専門店みたいなところに行ってみたら、お店のお姉さんが哀しそうな顔で「あー、あるにはあったんだけど、ほら、うちってシーズンによって品揃えを変えちゃってるから」と言われてしまったパターン。なるほど、オリジナルメニューを出してるところだとそれなりに入れ替えも頻繁にやったりするんだなあと。
 でもお姉さんはさすが上手な売り子さんで、「ブラウンブレッドはないけどそのかわりに、このオーツの入ったのが似たようなテイストなんですよ」って、小さいスプーンですくって味見させてくれる。ああなるほど、穀物っぽさがわかる、という感じ。
 「じゃあほかにアイリッシュ・テイストのはある?」とたずねると、ディングルのソルト味というのを味見させてくれて、これはかなり塩気がきつかったのでパス。「バター・スコッチというのがあります、トフィー(キャラメルっぽい)なの」。
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 最終、オーツとバタースコッチの2つをカップで注文したんだけど、その注文に至るまでに4種類味見してて、手元にたまったスプーン4本を苦笑いしながらお姉さんに返すときの気恥ずかしさと言ったらないですよまったく(笑)。
 それは別にしても、とにかくどのアイスクリームを味見しても共通してるのが、そもそもクリーム自体がめっちゃ濃くて、ひと舐めして目をむぅって見開かざるを得ないっていう。ふつーだと日本語ではアイスクリームを”アイス”って略しちゃいますけど、これは”アイス”じゃなく”クリーム”って略さないと作った人に申し訳がない、そう思ってしまうくらいの、満足感のあるアイスクリーム。
 なるほど、酪農国なんだなあ、ということを遅まきながら認識したという。
 レジ横にお土産用の牛のぬいぐるみがあったので、あ、これ学生さんへのお土産にいいのあったじゃない!と思って買ったという。売り子のお姉さん、「かわいいでしょこの牛」とは言うてはったけど、まさか買うとは思ってなかったらしくちょっと驚いてた。

 
 そして。
 8日目の夜。すなわち、最終夜です。
 ああ明日のいまごろは僕は空の上、です。

 結局、呑みたいビールを全部呑めた気がしない。
 なかなか難しいんだなあと。
 とりあえず、ギネスじゃないのを呑める店を探しています。ギネスはもういい(笑)。

 1軒目。The International。
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 内装の木造りの歴史感がすごい雰囲気のとこにきた。歴史感もすごいしそのうえ雑居感もすごい、天井も高い。
 プラス、なんか庶民くさいというかお高くないというか。例えば、店に入ろうとしたら入り口で酔っ払ったじいさんとその連れにふざけて静止されたっていう、そのあたりが今日の第一めんどくさ。
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 ビーミッシュというスタウト。ギネスと同じスタウトでも、こちらは一口でどえらく酸っぱみが強い。たぶん1パイント飲み干すのはしんどい、半分でOK。

 2軒目。Kehoe's。
 写真なし。
 オハラのペールエール。クリアな透明感のあふれる液体なんだけど、一口すすると、これでもかと言わんばかりに凝縮させたようなホップの苦味がする、これってもしかして「ホップってこういう味ですよ」って教える教材か何かじゃないですかね、ていう。
 シャーロック・ホームズみたいななりした爺さんが、酔っ払ってご婦人二人のお客に話しかけてて、絡み半分・おしゃべり半分くらいだったところへ、店の兄さんがフォローミー、グッナイグッナイ、って追い出さはったあたりが、第二のおもろめんどくさ。

 The Palace Bar。
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 オハラの、今度はスタウトのほう。サーバーはあったんだけど、残念ながらいま切らしててボトルならあるっていうのでもらってみた。一口飲んで、え、麦茶?って思うような香りの強さだったんだけど、そうか、さっきの店で飲んだオハラのペールエールの、あのホップの苦味がスタウトに化けたら、まあそりゃこういう味になるわな、というような納得の仕方。
 みたいなことを考えてちびちび呑んでると、隣でギネス呑んでたパッと見で草食系の若人が「それ、好きなやつなんですよ」って話しかけてくる。でもギネス呑んでるんじゃん、って笑いながら聞いてみると、日本で英語を教えるために半年ほど広島や埼玉にいたことがあるとかで、日本やアイルランドについてのあれこれをしばらくしゃべってました。

 で、彼が問うわけですね。「なんでアイルランドに来たいと思ったの?」って。
 で、自分で自分に問うわけです。
 なんで、アイルランドに来たんだろう。あんなに来たがってたんだろう。

 結局、何が自分をそうさせたのかはよくわかっていないんだ。
 だけど明らかに来たかったし、やっぱり来てよかったんだと思ってる。
 その理由はわかんないんだけど。

 ・・・ていうのを上手く英語で相手にわかってもらえるわけもなく。
 ざっくりと曖昧に苦笑いを返すくらいが関の山、っていうのがここのハイライト。

 彼、ちゃっと呑んで、「じゃあ」って言って、すっと帰っていったんで、ほんとにこんな飲み方するんだなあ、と。


 The Auld Dublinerという店。
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 ↑この店がその店だったかどうかも、ちょっとわかんない。
 ただ、あ、マーフィーズある店みつけたー、って思ってふらっと入ったらしい。
 マーフィーズというのもスタウトビールで、ギネスは甘露って遠慮なく言えるんだけど、明らかにこっちはそれに渋皮2枚分くらいがかかっていて、でもたぶんそれがいいというかそこを味わいたいときのビールだなあと。
 いうふうに、ツイッターには書いてあります。

 帰りにアジアの弁当買って帰ったらしい。

 そんな感じでーす。

 


posted by egamiday3 at 06:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・8日目その2「ギネス、ちょっと贅沢なビールっ」(5/7 ダブリン)


 本日のメインイベント。
 ギネス・ストアハウスです。

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 ちょっと贅沢なビール、ギネス。
 1759年、ここダブリンで創業されたギネス社のスタウト(黒ビール)、ギネス。
 年間4億パイント、世界120カ国で呑まれているという、ギネス。
 その工場敷地内にあって、ギネスの製法なり歴史なりを体感・体験展示で見せてくれるという、もはやエキシビションというよりアトラクションだろうという、ギネス・ストアハウスにやってきました。
 いや、そりゃ来るでしょう、ていう。

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 ダブリンのいったいどこにこんだけの観光客がいたんだ、って思うくらいの大人気。ここと、ケルズの書のところくらいじゃないかしら。しかもこっちの方が明らかに国際色豊かでいろんな国のいろんな言語が飛び交ってる感じになってる。
 おまえら、ギネス好きすぎだろう。
 もしくは、ギネス商売成功しすぎだろう、ていう。

 そして、見た感じ近年に大幅リニューアルしたであろうことがまちがいない仕上がりなので、かつて行ったことある、っていう人がいま見てもだいぶちがうんじゃないかな。

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 ↑麦やホップや水の展示。

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 ↑壁掛けデジタルディスプレイがいくつもあって、そこに映し出されてるのはいろんな時代のいろんな立場の人で、それぞれがギネスについて語ってる、という、いい感じの趣向。創業者とか、創業当時の労働者、現代の女医(たぶん栄養学的効果か何かを語る?)、70年代のご婦人、など。

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 ↑ローストや発酵などの過程。

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 ↑モルト、ホップ、ローストバーリー、beer estersの4つの香りをスチームで嗅ぐ。その上で実飲(テイスティング)。泡を避けてサイドから呑むとギネス自体の味がわかるってことらしいですよ、あたしの英語力が確かなら。

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 ↑樽詰めや輸送といったこともそうだし、

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 ↑広告・マーケティングも重要な要素として展示されてる。
 ギネスのテレビコマーシャルを時代ごとに放送しているテレビ。そのテレビや部屋の内装もまた時代時代の。

 といった感じで見てると、ギネス、ていうかビール、ていうか酒なりなんなりって、酒そのものだけで成り立ってるものじゃないんだよなあということを考える。醸造過程の展示なんかわりと少なめだったかなというくらい。

 ところで、2/3を海外に出荷って書いてあったんだけど、なにじゃあ1/3はこの島で飲み干してるの??

 そして目玉のサーブ体験。
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 15人くらいのグループで一緒にレクチャーを受ける。まあ単純に、最初このくらいまで注いで、しばらく置いて、再度ゆっくりこのくらいまで、っていうくらいのカンタンなやつ。
 それで名前入りの修了証と、自分で入れたギネス1パイントがもらえる。
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 まあこれで、なんちゃって認定サーバーです。
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 ↑この講習の同級生たち。アメリカのチャラチャラしたドラマみたいな。
 つかのまの仲間たちだった・・・。

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 ↑上階の展望ビアカウンターから、工場とダブリンを望む。
 もう大変な賑わいというか酔っ払い。

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 ↑ギネスを使った料理のレシピ。ギネスシチューをはじめとして。

 で、カフェやレストランもあって、その一角で再度ギネスを少しと、ギネスで作ったブラウニー(チョコレートケーキ)というのを味見してみます。
 ギネス工場から直で来たギネス。美味い、ような気がする。ふつーのギネスに比べて泡の活きがいい、って言われたとしたらそんな気がするかもしれない。わかんない。
 ギネスで作ったブラウニー、ちがう、気がする。甘さがちがう、気がする。わかんない。
 でもこのブラウニーは、よそのブラウニーに比べてしっとりしてたしさっぱりもしてたとは思うので、それがギネスの効果なんだよとおっしゃるんだとしたらそれは、てえしたもんだと思います。

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 グッズショップ。アイルランド土産の約半分はここで買った。

 あー、呑んじゃったな(笑)。


posted by egamiday3 at 06:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・8日目その1「ダブリンに、戻るっ」(5/8 キルケニー→ダブリン)


 8日目の朝です。
 早朝一番の列車で、キルケニーを発ってダブリンに戻ります。
 これで丸5日をかけてアイルランド島ぐるっとひとまわり、ということになります。

 そして、明日はもう帰国便です。
 帰らなきゃ・・・。

 キルケニーの鉄道駅で列車が来るのを待っていると、朝一番でダブリンに行く人たちが2人、4人、そして10人、2-30人と集まりはじめます。

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 Irish Railに、乗るっ。

 ダブリンが近づくにつれ、草っ原景色の中にも、郊外型住宅や倉庫・タンクや送電線といった人工物風景がふえるようになってきます。
 途中でいくつかのローカル駅に停車し、その度にどやどやと通勤客が乗り込んできて、ちょっと居眠りしてる間に、車内は満席どころか通路にわんさか人が立ち乗りしててお盆ののぞみのようになってきました。なんだ、まあまあの通勤路線・ビジネス路線なんじゃないですか。それにしちゃ不案内だったり本数少なかったり、ああそうか、本数少ないから満員なのか。
 などとぼんやりしてると、アナウンスが「ヒューストン***ラスト***」というので、あれ、ダブリンの駅名ってヒューストンだっけと思いながら、隣席のビジネスウーマンなご婦人に「ダブリン?」って確かめたら、「ええ、そうよ」って優しくニコッとされた、その愛想良さがアイリッシュ・クォリティ。さらに「ここは改札でチケット通さないと降りられない駅だからね」とまで自ら教えてくれる、その世話焼きたさもアイリッシュ・クォリティ。

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 ダブリンに戻った!

 そして旅行事務的には、ここで市内交通一日パスをゲットしておくべき局面のはず。
 そう思って、「バス+ルアス(市内路面電車)」の一日パスを入手しようとするんだけど、券売機で表示されない。駅のチケット売り場へ行ってみると「券売機かインフォメーションで」とか言うし、交通局のインフォメーション行くと何のことだみたいな顔されるのでiPhoneでwebサイト見せて「ここに書いてあるこのパスチケット」ってきくんだけど、パンフとか冊子を懸命にめくって「券売機かバスドライバーだと思う、わからない」みたいに言うし、さんざ人にきいてまわって、みんながんばって考えて丁寧に教えてはくれるんだけど、誰もちゃんとは知らないという。これが噂に聞いたアイルランド名物「親切だけど正解じゃないの術」か・・・ていうか、交通局のインフォで「わからない」って(笑)。
 正解はこちら。
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 つい先日、5/1で廃止だった。
 で、詳しくはリープカードのサイトを見てねって書いてあるから、iPhoneで見ようとしたら、サーバダウン&メンテナンス中って言われた、もういいです(笑)。
 たぶん、リープカードをふつーに使ってたら一日6.何ユーロを上限に引き落とされなくなる、というパターンであってると思う。オコンネル通りまで行ってバス会社チケット売り場の窓口のおっちゃんから聞き出した証言が、正解。

 なにこの、ドラクエ・ネイション(笑)。

 やっとのことでInnにインして荷物を置いてきました。1週間前に泊まったのと同じプチ場末の宿が空いてたので、行ったら、初日の時とおなじオーナーっぽいおばちゃんがいて、「なにあんたまた来たの(笑)」みたいに言われた。

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 Innにイン、からの、スタバイン。
 そして、街へ。

 今日は一日ダブリン滞在&帰国準備の予定。


 その1、アイルランド国立博物館。

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 ・ケルト・デザインが、炸裂! タラのブローチ、↑コングの十字架、などなど。この紋様来てるわーっていうのはいくつもある。特に金属細工上でケルトの緻密なのをされると、もう参りましたとしか言えない感じ。
 ・ここでもブライアン・ボルー。
 ・かつ、ヴァイキングもまた人気コンテンツ。
 ・うっかり”泥男”の部屋に入ってしまう。なるほど、あたしは監察医にはなれそうもない・・・。

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 ↑聖書のカバー。こういう中世市民的遺物にやっぱり一番ぐっとくる。

 あとは、小となく中高となくお子たちがたくさん勉強に来てる感じ。


 その2、Georgian House Museum。別名”ナンバー29”(29番地)というところ。
 ここは写真撮影禁止で、外観も撮り忘れてたのであれですが。
 ダブリンの中心街からちょっと西の方にある、17-18世紀の中流家庭の住宅をそのままのこし、調度品・生活用品など当時の様子を忠実再現してディスプレイしてあるという、リアル生活系の展示。
 食料貯蔵室ではネズミ避けのために天井から板をつるしてそこに食料を置くとか。
 玄関にでっかい寒暖・温度計が置いてあって、今日の天気が出がけにわかるとか、どんなハイテクだよと。
 キッチンの暖炉自体機能的な上に、ャスター付き移動可能な調理台兼食器収納とか、めっちゃ欲しいし。
 婦人のくつろぎの間みたいなとこは、アジア系のゴザが敷いてあって、え、ゴザか、そうか、そういうのの心地よさは東西を問わんのかなあとか。
 このご家庭のお子たちのために住み込みの女性家庭教師がいるんだけど、ちゃんとした教育を受けたバックボーンがありながら不幸にも財産を持たないような人がそういう仕事をしていて、うまくキャリアアップできればよその家に行ったりするんだけど、それができずに独身のまま老いると困窮に迫られる、だからどんな家で働けるのかというのはすごく大事、みたいなこと書いてあって、そっと涙をぬぐったりとか。
 そのお子たちの教材がえらいカラクリチックで、壁掛けの箱に巻物をスクロールしていける仕掛けが入ってて、日替わりで壁掛けの図を変えて教材にできるとか、そういうの。
 そんなこんなな感じで楽しめるところです。日本人なんかほとんど来ないよって、ここの人が言うてはったけど、おもろいのにもったいない、もっとみんな来るといいよ。

 昼食ですが、ネットで調べると複数の人が、ダブリンでシーフード料理と言えばまちがいなくここだ、と異口同音に挙げている店(註:逆に言うと選択肢が狭い、魚介の店が少ないのかな、港町なのに)があって、幸い近くだったので。Matt The Thresherという店で、オバマ大統領も来たらしいですよ(註:マジで選択肢少ないのか?)。
 ここでフィッシュパイを注文しました。

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 サーモンとタラとエビと、あとたぶんカニも入ってる。それをプレートに詰めて、上にマッシュポテトを敷き詰めて、オーブンで焼いたって感じじゃないな、蒸してから軽く焼いたのかな。そういう感じ。脇目もふらずに一気に食べ尽くしました、そりゃそうでしょう、美味い魚介を使ってこういうふうにつくったらそりゃ美味くなるだろうっていうまちがいなさな料理。
 昼食だから酒とともにというわけにいかないのがつらい・・・しかももっと別の魚介料理も食べたい・・・お隣の紳士のチャウダーいいな、やっぱチャウダーにしたらよかったな、あ、あっちの人はフィッシュ&チップスか・・・。

 という具合に、アイルランド料理については充分堪能してますよという感じになっています。いわゆるイギリス伝統料理の閉口さと並び称されかねないのかもしれないんだけど、来て味わってみたら、そんなことはないんじゃない、パブのギネスシチューもアイリッシュシチューもチャウダーも、サバやタラのフィッシュアンドチップスも、市場のサーモンブレッドもB&Bのポテトパンケーキも街角のハムサンドも、定番と呼ばれるような品目がどれも全部美味かった。よっぽどの確率で幸運なものにあたったんだっていうんじゃなきゃ、もともとアイルランド料理は美味いってことでしょう。まあ、”パブ補正”的なものはあるだろうにもしろ。



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2014年07月28日

201405IRL・7日目その2「あひるちゃんを、取るっ」(5/7 キルケニー)

 あひるちゃんを、取るっ

 7日目の夕刻ですが。
 旅の幕引きが近いのです。

5/7 キルケニー滞在
5/8 早朝:キルケニー→ダブリン着
  ダブリン滞在
5/9 昼:ダブリン→帰国へ

 なので、帰国用の旅行事務とか、荷物整理とか、土産買い出しとか、そういったことをするようになってきました。
 例えば、今日はキルケニーの地元スーパーで、自分土産用の調味料を買い漁るという恒例行事。これが始まると、旅も終盤だなあという感じがします。今回の獲物は、ベジタブルのスープストック、トマトピューレのチューブなど。
 
 人様への土産ものもぼちぼち買い始めてます。マグネット買ったり、ケルトデザイングッズを探したり。某部屋の牛グッズ増やしに貢献しようと思って、牛のぬいぐるみがないかを探すんだけど、なんかかわいくなかったり、牛かと思えば山羊だったり、これはmade in Chinaでかつ販売元がUKってのはちょっとなあとか、なかなか決まらなかったり。

 あと、町をぶらぶら歩いてたら、あからさまに観光客向けの土産グッズ屋ってよくあるんだけど、そのガラスのショーウィンドーの中に、ビニールのあひるちゃん人形・アイルランド国旗バージョンがぽてんっと置いてあって、うちの係のお土産にこれはぜひゲットしていくべきだ!と思って、その他もろもろの土産品を買うついでに、お店のおじいさんに「あのおもてから見えるあひるちゃん欲しいんだけど」って言ったんだけど、在庫探してもらったけども在庫がない、で、おじいさん「じゃあとってあげるよ」っていってショーウィンドウの現品をとろうとするんだけど、奥のほうに置いてあるのでなかなか手が届かない。そこでおじいさん、これはおそらくキルケニー近辺の山野を練り歩くアウトドアのための、トレイル用の杖を2本持ってきて、これを箸(chopstick)のように操ってとろうとするんだけど、つるつるしてはさめない。アジア人のあたしから見たら「いや、じいちゃんそれ、箸の持ち方がちがう!」って思うんだけどそんなことおかまいなしに、「いや、これは取ったる」つって何度も杖を別のに変えて試すんだけど、それでも取れない。とうとう最終的に、棚とかをどけて足を踏み入れるようにしてようやく取った、っていう。
 そのおじいさんは、「アイルランドへようこそ! 日本からか? そうか、ダブリンには行ったのか、コークにも行ったのか、ニューグレンジは? なに行かない? あそこは行くべきだぞ、古い遺跡があるんだ」といろいろ語ってくれて、それで「おとといアラン島に行ったんですよ」と言うと、「それはよかった、あそこはいいところだ、わしは行ったことないけど」って、行ったことないんかいと。あれ、でもおじいさんが着てるそのセーターって、アランのデザインのやつですよね。「おおそうだよ、これがアランだ。行ったことないんだけど」。
 最後にそのおじいさん、「サーオーナー」的なこと言うんで、・・・あ、”サヨナラ”ね。「そう、サヨナラー」。
 みたいなことをやってます。

 それから、明日早朝に鉄道に乗るためのキルケニー駅の下見。
 ひまつぶし程度にふらっと行ったら、とんでもない、30分くらい延々探し回らないとわかんないようなヘンテコリンな場所にあった。一見さんお断りだった、下見なしじゃ到底無理。ぜんぜんたどり着けなくて、地元の人に聞いても「知らない」とかあり得ないこと言うし、行ったら行ったで駅舎が一部廃墟化してるし、↓時刻表なんかプリント一枚をパウチしただけ。上り下りの数便づつがベタ打ちされてるだけ。
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 これが観光古都・キルケニーと首都・ダブリンを結ぶ時刻表です。これでなお鉄道のパスを売ってるというんだけど、使い甲斐がないんじゃ・・・。

 最後から二夜目のパブ・クロール。

 1軒目。昨夜来たKyteler's Inn。
 昨日はわけわからず変なところに通されて微妙だったけど、今日はライブはこっちでやってますよっていうちゃんとした愛想のいい案内をしてくれはった、まあこういう”チャンスのムラ”は初めて訪れた旅先ではよくあるようなことです。
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 トラディショナルな定番音楽と、キルケニーの歴史にまつわるストーリーテリングというか漫談をやってはる。なるほど、いろんな芸の魅せ方があるんだなあと。
 それにこの楽団の演奏が、正直、いままであちこちのパブで聴いてきたのに比べて、格段に上手い。好き嫌いは別として、こういうのいいよねっていうのを別にして、純粋に音楽として「あ、上手い」って口をついて思わず出ちゃう感じ。
 そりゃあたりまえかもしんないけど、やっぱり、同じ楽曲でも弾く人によって全然ちがってきこえるんだなあと。そしてそんなふうに、上手い楽団、セミプロっぽい楽団、ネイティブな楽団、観光臭な楽団、反骨な楽団、アーティスティックな楽団、いろいろあってみんなちがってみんないい感じでそれぞれそこにある、っていうのが、ほんとの意味で”音楽愛の篤いお国柄”ってことなんだろうなあ、と。
 旅も終盤にしてそんなことを考えたりしてます。
 
 2軒目。Matt The Miller's。
 ていうか、食事をしにきた。
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 ビーフのギネスシチュー。
 これは美味い。主に人参とマッシュルームが美味い。いや全部美味い。
 美味いというか、甘い。これがギネスビールから来る甘さなのかどうかはわかんないですが、もしそうだとしたら、このギネス甘みは牛肉によく合いますよたぶん。この調理法はもっと試され検証されるべき。
 そして例によって例のごとく、ふつーに食べてたら肉だけがどんどん皿に余っていく、ていう。

 そんなかんじです。

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201405IRL・7日目その1「スミ・・・スミス・・・スミズ、スミズィックっ」(5/7 キルケニー)

 7日目。

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 今日は1日キルケニーでゆっくりしたいと思います。
 中世アイルランドの中心だったという古都・キルケニーは、歴史的な建物や街並みをいまにのこすという小ぶりな町で、観光客の身分でうろちょろするような範囲って1キロ四方もないんじゃないかしらと思います。ひとつひとつ一軒一軒だらだら、スキャンするように歩いてすごす感じ。

 まず、城を攻めます。

 キルケニー城。

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 ↑朝の開場前に、別棟に小部屋があってそこでキルケニー城の保存活動についてのビデオが見られる。待つ人はこれ見ることになる、といういい仕組み。

 Chinese withdrawing roomには、東洋趣味の壁装飾、磁器置物、金泥の絵入りのキャビネットあり。ただどうもこれこっちで自作してるんじゃないかという感じ。チャイニーズ・ベッドルームの木板の絵屏風みたいなんも、こっち製っぽい。
 タペストリーの間。何かしらのストーリー性のある一場面的なタペストリーがかかってるんだけど、なんというかこう、宵山・屏風祭に来てる感。
 Libraryの間。室内にいくつか設置してある書棚のうち、ひとつだけがオリジナルで他は近年の模造だっていうので、フロアの兄さんにどれがそうなの?って尋ねたら、「あれがオリジナル。あのガラスだけ表面がウェーブかかってるでしょ、現代のガラスじゃない」って言われて、なるほどそう言われればそうだなと。
 絵画を掲示する大広間ギャラリー。屋根や梁が木造なんだけど、そこに描かれていたであろう古いオリジナルのペイント装飾が褪色しつつある。そこに何が描かれていたの方が、掲示されてる仰々しい人物画よりもずっと気になる。
 その他、1928年のセントラル・ヒーティング設備。現代アートの展示室など。

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 ↑キルケニー城に隣接しているButler House Yardかなんかいうところ。

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 キルケニー城にはデザインセンターという、ギャラリー施設とお土産やを融合させたようなところがあって、近世城郭施設内で職人さんがクラフトしてる作業場と売場が一緒になってて、それを拝見できるっていうようなあれだけど、そんなきびきびやってはるわけでもないので、なんとなく流し見する感じ。

 次、キルケニーのツーリスト・インフォメーション。
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 古い建物をそのまま使っているパターン。

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 ↑スウィフトが卒業したトリニティ・カレッジ。いまは県庁舎。

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 ↑キルケニーのシティ・ライブラリー。小さめ。地域のイベント情報はわりと豊富だった。

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 メインストリート付近。繁華街に↑こんな感じの石造り。
 この町こそ、古い石造りの建造物を現役で日々遣いしてる町なんだなあ、というのがキルケニーの感想です。
 ↓こっちは町の北の方。
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 商店街的なところをふらふら歩いてると、ちっこい地元のサンドイッチ屋を発見したので、労働者や中高生に混じって並んでみる。ショーケースの具材を見ながらこれとこれお願い、っていうと、パートのおくさんみたいな人がはにかみ笑いしながら、ちょちょっとよそってくれる。たったこれだけの、毎日のお弁当みたいなサンドイッチ。あとジャム入りドーナツみたいなの。ショッピングモールのベンチに腰掛けて昼食。

 ↓ロス・ハウス。16-7世紀の商人宅建築。
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 ↑昨日呑んだスミズィック(キルケニー)ビールの醸造所。300年の歴史のある修道院で、ほんとは見学ツアーみたいなんあったはずなんだけど、いまは休止中とのこと。
 「Smithwick」と書いて「スミズィック」と訓む。訓めねえよっていう。

 町の北の方へ。

 セント・カニス大聖堂(St Canice's Cathedral)。
 そもそもキルケニーの町の名前の由来になった教会で、大聖堂は13世紀の建築という。
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 たぶん、ここが一番好きな教会(註:もう何度目かの発言)。

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 この教会の円塔はさらに古くて11世紀とおっしゃる、1000年選手じゃないですか。
 しかも中に入って上まで昇れるというアトラクション。でも塔自体が細いし、かなり急勾配でちょっとづつ踏み登っていかなきゃいけない感じ。
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 降りてきたおっちゃんが息をついてグレートというので二人で笑ってしまった、とか。すれちがったカップルと、永遠に続くようだ、フロアナンバーを表示しとくべきだよね、と言いあったとか。てっぺんでおっちゃんが写真撮ってくれた、とか。こういう苦労するアトラクションを介すると、人は簡単に共感しあえるんだなという世界平和的真実を理解する感じ。
 11世紀の建物って相当だと思うんだけど、そんなことを味わう余裕なんかいっこもないくらいには苦労する。

 そしてその円塔からの眺め。
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 一目見た途端に「うわぁっ」て声をあげるくらいの、緑一色。アイルランドの、この国の本気。
 わかった、もうわかりましたよ(笑)。
 そういう景観です。

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 ブラックアビーの修道院。これも14世紀らしい。この町の年表は全体が2-3ステージ上をいってる感じする。

 という感じでした。
 おつかれちゃん。
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2014年07月27日

201405IRL・6日目その4「野宿を覚悟、するっ」(5/6 キルケニー)

 6日目夕刻、キルケニーの町に到着しました。

 キルケニーは中世アイルランドの中心都市だったところで、いまも町並みにその雰囲気を残しているという古都だそうですが、規模としては実に小さい、1キロ四方でおおむね済んじゃう範囲のところ。
 ていうのと、もうここまで来るとダブリンまで鉄道で90分の距離感ということで、旅も終わりを意識してまとめに入る感じになってます。最後から二番目のキャンプ地です。
 ここで1泊、もし可能なら2泊して帰国準備にも備えようかという感じです。

 今朝ほど列車の中でホテル予約サイト(Booking.com)を通して予約した、雰囲気良さそうなB&B。50ユーロとかなりお安くて、しかも個人経営っぽいアットホームな感じだったので期待してます。
 夕刻のキルケニー、雨のそぼ降る中を、住所表示を通りになんとかその宿らしきところにたどり着きましたが。

 ・・・閉まってる?
 ドアが閉まってて、灯りもついてない。人のいる気配がない。

 一瞬、「え、野宿、来るか?」と心の中で身構えるわけです。

 横にインターホンらしきものがあるので、何度か押すけど、押せども押せども誰も出ないし、そのかわりに英語でなんやようわからん自動メッセージが流れるばっかりで、それが何を言うてんのかさっぱりわからない。
 ドアのほうにはメッセージプレートがあって、横の呼び鈴を押すかここに電話しろって番号が書いてあって、やだなー、こわいなー、英語で電話って一番苦手なんよなー、と思いながら、しぶしぶiPhoneでかけたんです。そしたらね、女の人が出たんですよ。
 「Oh、あなたいまドアの前にいるのね、人をよこすから待ってて」ていうので待ってますというと、イケメンギタリストみたいななりのウェイターが通りの向こうからやってきて、「フォローミー」とイケメンなことをおっしゃるので、イケメンついてったら、斜向かいのプチ高そうな一昔前観光風ホテルに入っていく。フロントに、ビバリーヒルズ高校白書の成績のいい娘みたいな仕事できそうな姐さんがいて、どうやらこの人がさっきの電話の主らしい。
 姐さんによれば。「あなたが今朝Booking.comで予約しちゃったゲストハウスなんだけど、ウォーターがどうのクローズがどうの」で、要するに閉めてると。ああなるほど、オフシーズンの観光地であればあり得る話か・・・。そしてデリーの時と同じく、仕組みが現場に即してないイー・コマースのやつです、そして今度はほんとに外に取り残されそうになりました・・・。
 「でもあなたネットで予約しちゃったし、あなたの入力した電話番号はつながらないし(+81で始まる日本の携帯番号)、一応メールはしたんだけど」つって(註:あとで確かめたらなるほどメールが来てた)、それでおっしゃるには「いまあなたがいるこのホテル、シングルなら75はくだらないし4つ星で、サービスは充実していると自負しております(註:このあたり口調がビジネストークっぽくなってきてる)。ここにあなたが予約したのと同額の50ユーロで泊まってもらえませんか」、と。
 え、いいの? こんなプチ高そうなところ、50でいいの?
 しかも、こういう時ってたいてい向こうもそこそこ強気に言ってくるもんだけど、なんかわりと下手目線でそれを言うてきはる。それで、・・・あ、これは押しどころだなと、とっさに思って、「いや、実はね、2泊しようと思ってたんですよねえ」ってそれとなくBプランを口にしてみたところ、いや、ふつうこういう時ってそれが聞き入れられたとしても、「じゃあ2泊目は標準料金で」ってなるもんじゃないですか。
 姐さん、「なるほど、じゃあ50ユーロ×2で100ユーロでレジ打ちますね」っておっしゃる。
 マジか!?と。結果、ほんとに2泊とも格安で泊まらせてもらえたという。

 あとで調べたら、標準75どころか95はするホテルだったみたいで。ゲストハウスを逃したのは残念だけど、まあ、いろいろよかったな、という感じです。
 あと、ホテルの値段ってわりとカウンターでそういうふうに営業できるもんなんだなあ、という話。このねえさんがいったいどういう立場の人なのか(ホテルの上の方のマネージャーなのか、ゲストハウスのオーナーなのか、ただのスタッフなんだけど裁量任されてるのか)、またあのゲストハウスとこの観光ホテルがどういう関係なのか、いまとなってはちょっとよくわからない。
 ていうかこの姐さん、予約票を見ながら「・・・ん? 50ユーロ? 60ユーロ? いくら?」って読み方わかってなくて、あれなんかもうこの界隈のホテルって、だいたいで仕事してる感じだったのかな?など。

 まあ、なんだかんだで、この町にちょっと尻を落ち着けることになりました。
 めでたい。
 呑みに行こう。

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 ちょっとざっくり歩いただけですが、なるほど、古都の雰囲気がだいぶ出てるなあと。
 しかもこれで夜8時。はかどるなあ(笑)。

 1軒目。Kyteler's Innというレストラン兼パブ。
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 キルケニーの町でも特に名物店らしく、観光マップにもわざわざ載ってるというこの店は、14世紀に建てられた建物と言いますから、なんだかんだいっても石の国はやっぱり強いし、羨ましいなあと、木と紙の国からきた身としてはしみじみ思わざるをえないわけです。
 14世紀か、そうかあ。

 夕食として、アイリッシュ・シチュー(羊肉と野菜の煮込み)を。
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 すばらしい。
 シンプルなダシ味のスープと、人参ほかのお野菜が、長旅に疲れた日本人の身体に染み入ってくるわけです。匙で野菜を掬う手が止まらない。
 ところがこれがまた肉食中心のお国柄のためか、ふつーのバランスで食べすすめてるつもりでも、肉だけがどんどん皿の中にたまってしまう。それくらい、肉中心。野菜よりも肉、っていう料理の作り方なんだなあと。(しかも野菜っつっても根菜とかだし)

 2軒目。Playwrightという、名前だけに惹かれてやってきた店。
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 ギネスのグラスに注がれてますが、キルケニーです。

 そう、キルケニー。これを呑みに来た。
 この町には18世紀から続く修道院系ビール醸造所があって、アイルランド最古とも言われ、そこがつくっておられるペールエールのビールが「スミズィック」、またの名を「キルケニー」(註:海外向け、ガスがちがうらしい)といい、日本のアイリッシュ・パブでアイルランドのビールを選ぼうとすると、ギネスかこのキルケニーかっていうナンバー2的選択肢。
 これに、来た。

 で、酒場のカウンターでちびちび呑んでたら、斜向かいで呑んでるおっちゃんになんやかや話しかけられる、日本からか、観光か、そうか、云々。あっちの修道院はいいよ、とても美しい、必ず行っておくべき、云々。個々はスポーツ中継を画面で流してはいるものの、音楽はやってない様子だったので、音楽やってるパブでいいところはありませんかとおっちゃんに尋ねると、ああそれならどこそこがどうのこうの、ここを出て、階段をおりて、カーブを曲がって橋を渡って、と。
 なんでしょうこの、酒場で、酔っ払いのおっちゃんから、町の情報を聞き出すという、これまたドラクエ的な展開のやつ。

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 いつのまにかすっかり暗くなった。

 3軒目。帰るつもりで通りを歩いてたら、「Whiskey in the jar」(アップテンポなアイルランド民謡)が聞こえてきたので、思わず入ってしまったところ。
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 定番をじゃんじゃか楽奏中。
 何を呑んだかもう覚えてません。

posted by egamiday3 at 20:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・6日目その3「もう何度目かのバス・エーレンに、乗るっ」(5/6 コーク→キルケニー)

 
 コークを発って、今日の宿地・キルケニーに向かおうとしています。

 コーク発 15:00 → キルケニー着 18:35
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 もう何度目かわからないくらいの、バス・エーレンに、乗るっ。です。
 しかしこれだけバスに乗ることになるんだったら、計画的にトラベルパス買っとけばよかったな、と。

 ちなみに、鉄道駅がまあまあの街はずれだったせいで、預け荷物の回収に30分ロスしたりとか。
 きのうのアラン島のおばちゃんにペン貸したままだったので、コンビニでペンを買おうとして、店員に「Do you have a pen?」とべったべたな基本例文を実践で使ったりとか。
 そういう小ネタ含みで。

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 うん、だからね、もうこれがどこの車窓かもわからないくらいの、緑一色です。
 山があるなあ、とか。
 ちょっと綺麗な川でもあれば、おっ、てなったりとか。

 一般道を走る遠距離バスで、沿道の見知らぬ小さい町・集落に思い出したように立ち寄って、人を1人2人降ろしたり乗せたりして、止まっては過ぎ、止まっては過ぎしてる。そのたびにその小さい町・集落を窓からぼおーって眺めてるんだけど、パブの前でじいさいとおっちゃんが駄弁ってるなあとか、時の止まったような荒物屋、雑貨屋、ブティック今野みたいな店があるなあとか、こんなところの中華料理屋ってどんな料理出すんやろとか、そんな感じです。
 
 そういう町以外はだいたいが緑の草っぱらで、牛が草食んでて、羊が草食んでて、たまに馬や山羊が草食んでるか、あるいは草だけか。何にも使われてない荒れた土地を見ると逆に珍しくて、おっ、てなったりとか。
 草っ原が主で、果樹だの耕作された畑の類はほとんど見かけることがないです。そして逆に、赤土が剥き出しでほおっておかれてるっていう、アメリカの鉄道車窓なら山ほど見るような風景も、ほとんどない。重機や産廃的な人工物が放置されたような光景もない。ただただとことん、緑、ただ、草っぱら。

 そんな草っぱらの中にぽつぽつと建ってる民家があるんだけど、その建物がどれもみな真新しくすら感じるほどきれいなのがちょっとあれ?と思う。そういうのって、こまめにペンキ塗ってるとかなのかしら。
 そういうペンキ化粧したてみたいなんでなければ、たまに、100年はゆうに建ってるであろう石積みの家が廃墟みたいに建ってて、蔦なり草なりがびちゃあーと生えへばってたり、石屋根が崩れ落ちて雨ざらしの壁だけになってたりして、そういうのを見るとまた、おっ、てなる。さらにごくたまに、民家どころか小城みたいなんがふつーにそのへんに建ってたりする。

 そういうところをさっきからえんえんと走ってる遠距離バスは、高速や国道的なところばっかりじゃなくて、たとえばこのバス一台幅くらいの一般農道みたいなところを走ることもふつーにあって、牛なり馬車なりでも通ってるんじゃないかみたいなところを、遠慮なくガンガンにとばすので、事故ったりしないのかどうか、大丈夫なんかなと思うんだけど、そうかと言ってさっきから不思議と対向車もめったに来ないし、安心してなのかどうなのかガンガンとばしてはる。

 という、まあそんな感じです。

 そんなこんなぼーっとしてるうちに、なんか、「ここで降りろ」って言われて降ろされました。
 ドライバーの話によれば、ここで別のバスに乗り換えなさい、それはダブリン行きのバスだけど、キルケニーで降りたらいいから、とおっしゃる。
 あ、乗り換えるんだ、知らなかった(笑)。

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 降ろされたのは、何処かわからない集落のそのまたはずれにある小さな鉄道駅で、その駅前で待ってろと。駅舎の窓口は閉まってるし、列車なんか来そうにもないし、これで一緒に降ろされた乗客仲間がいなかったら不安で不安でどうしようもないところでしたが・・・、果たしてほんとにバス来るんだろか・・・。

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 ちょっと歩いてみたら、遠くに↑パブがあるのを発見。
 旅の前に友人と話してて、「人っ子ひとりいないとこでバス降ろされでもしたらどうすんだ」と問われたときに、「アイルランドなんか、人がいないところでもパブはあるだろう」みたいにうそぶいたんですが。
 リアルにいまそういう状態にありますね(笑)。

 鉄道駅にはろくな駅舎もなく駅員もおらず、ただ小さなBlue Beret Cafeというカフェがあって、些少の飲み食いだけできる感じ。元ブルーベレーのおっちゃんらしく、写真が飾ってありました。

 次のバスに乗って、なんだかんだで、キルケニーに到着。
 ドライバーが何も言わないから、ここで降りるってわからなかった。隣のねえさんが教えてくれなかったら危なかった。
posted by egamiday3 at 18:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・6日目その2「図書館と、食っ」(5/6 コーク)

 
 コーク。
 アイルランド第2の都市と呼び声の高い、南部の中心。

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 街をぐるっと見渡して、あれ、ここって結構、商業産業的に調子のいい土地柄なんじゃないの?という感じがします。ある意味ダブリンよりも。なんというかこう、都会に来たなという気がする。あと、街に福岡っぽさがあるというか。ふつーに住むならこの街が暮らしやすいんじゃないかなあという気がする。

 次のバスまで、3-4時間程度の滞在です。

 コーク、その1。
 市立図書館。
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 河原町御池くらいの賑わいの通りに、シティ・ライブラリーがあるのを調べてたので、とりあえずやってきました。
 この大きさの図書館なので、あ、こりゃ見応えあるんじゃないか、ってだいぶ期待してます。

 館内の構成はおおむね、貸出コレクション、レファレンス・コレクション、音楽、そしてローカル(地域史)。
 例えば、やっぱり音楽充実キャラというのは土地柄なんでしょうか、ミュージック・ライブラリーが館内に設けられています。CDがあり、DVDもあり、アイリッシュ音楽分野もあり、子供用やプロ用の教材があり、参考図書や雑誌もあり、再生機器も装備しているという。CD・DVD用の陳列台とストックのキャビネットがセットになったような什器があるという。そんな感じ。
 レファレンスのフロアは、研究調査目的のユーザがいてて、雑誌、新聞、参考図書、専門図書、ライブラリアン、という感じ。
 貸出コレクションは、それほど蔵書が新鮮っぽくも見えないんだけど、よく使われよく回ってる感じがする。あと、各種イベントや地域情報が掲示されてるし、医療情報とかビジネス情報の提供もしてはる。

 興味深かったのがローカル(地域史)のフロアで、上階のまあまあ行きづらいところにあって部屋も手狭なんだけど、そこそこの人がいてて、マイクロフィルムがあり、地域資料があり、大型製本新聞、手稿本(近年の記録文書?)を閲覧してる人がいたり、レファレンス・ライブラリアンがカウンターに2人いたりという感じ。
 ちょうど老人がそのレファレンス・ライブラリアンの人に語りかけてるところだったんだけど・・・えっと、何しゃべってるかわからない。フランス語っぽく聞こえるんだけど、これがアイルランド語? それともふつーの英語? それすらもわからない。そういえばモノの本には「この地域の人たちは歌うようにしゃべる」みたいなことを書いてあったけど、もしかしてこれがそうなのかしら。
 そういうご老人がいたから、なのかどうかはわかりませんが、なるほどこのローカル・地域史のコレクションなりサービスなりは有効に使われてるんだなあ、というのが伝わってくる感じでした。

 カウンター付近で、コーク市立図書館150年の歴史、みたいな本を売ってたので思わず買ってしまいました。もうあれです、紙ものを買い増やしてしまっていいくらいに、旅も後半戦になってるというあれです。
 こういうしっかりした図書館があるのは、やっぱり経済的基盤がしっかりしてることもあるのかな?とか思ったりしてます。


 コーク、その2。
 イングリッシュ・マーケット。
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 これです。これに来たのです。
 市場をぐるっとめぐると、まちがいなくテンションがあがります。

 この市場の2階というかロフトっぽいところに、併設してる食堂があります。市場併設の食いもん屋なんかうまいに決まってるじゃないですか、迷わず入りますよ。
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 カウンターで注文、先払い制。 

 ・・・ひとことで言うと、泣く美味い

 1品目、スモークサーモンとブラウンブレッド。
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 謝ります。あたしスモークサーモンのことを、保存を目的とした燻製料理だと思ってました。ちがいますね、スモークサーモンというのは鮭を美味しく食べるための料理のひとつなんだということですね、
 このスモークサーモンをいただいてあたしそのことがよくわかりました。生では出ない鮭の旨みが、ここに出てる、という感じ。
 またこのブラウンブレッドがスモークサーモンになんでこんなに良く合うんだろうていう。スモークサーモンにありがちなしつこさとか生臭みみたいなんを消して、生臭み→生旨みに変換してくれる触媒がこのブラウンブレッドなんだなと。サーモンひとかけとブレッドひとかけを合わせて口に含んで、んんーっ、美味い!ってなる。それが何かけも続く。もうこの食べ方以外に考えられない、今後。
 そしてまたこの付け合わせなだけのはずのピクルスが、甘すぎず酸いすぎず浸かりすぎず浅すぎず。

 2品目。本日の魚料理。
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 身が厚くてでかい。タラかなとも思ったけどいやでかいカレイなのか、そのへん魚ってところがかわるとわかんなくなるんだけど、とにかくしっとりた白身で、皮のほうはパリッと焼かれてて、白身のほうの塩加減はごく薄くて、その白身から出てくるこってりしすぎてない脂とたぷたぷ出てくる魚汁が、美味い。
 美味いんですよ、魚が。泣けるじゃないですか。
 ソースはクリームで、あさつき的なネギみたいなんが入ってるんだけど、どうやらチャイブというらしく、香りが魚にちょっと合うのがうれしい。あとディルも添えてある。
 付け合せがキャベツとネギとグリーンピースの温野菜。野菜ですよ、ひさしぶりの野菜が美味い。
 あと、ポテトがついてます。スライスしたポテトをミルフィーユ的に重ねてかためて油で焼いてカットしたの。え、自分ポテトこんなに好きだったけ、むしろあんま好きじゃないってこと言ってなかったけ、それがびっくりするほど美味い。これはたぶんあれだ、この料理にはこのジャガイモが旨いんだ、という種類のジャガイモをご使用なんでしょう。だとするとちょっと難しいですが、それでも何とか自作できんもんかしら、っていうくらいにまた食べたい。

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 ・・・いや、これはダメだ。
 これはひさびさの不幸になるパターンだ。
 不幸ですよ、こんな美味いもん食べたあとで、明日からどうやって生きていけって言うんですかいったい。
 しかも、まだこの店でフィッシュパイもチャウダーも食べてないのに、数時間後にはこの街を去らなきゃいけないなんて!

 3品目。まさかのデザート、ブレッド&バター・プディング。
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 パンとバターとカスタードクリームのプリン。
 そうです、わかってます、これはまちがいなく太るやつです。絶対に食べてはいけないやつです。
 ・・・もう何も言うことはない(笑)。

 それにしても、噂には聞いていましたがこの国の食生活はほんとに肉がメインなんだな、というのにちょっとびびってます。市場の店の多くが肉屋。あと牛乳とか卵とか。コークっていう街は、なんか食材の豊富な土地柄だとも聞いているし、海に隣接こそしてないもののだいぶ近いはずなんだけども、それでも、この広い市場の中で魚屋は↑先にあげた写真にうつってるあたりくらいしかない。そんなもんかなあと。


 コーク、その3。
 街歩き。

 いくつかの街歩きおすすめコースみたいなのがあるみたいで、こんなふうにガイドが。
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 せっかくなので、赤いのをちょっと行ってみました。中心街から川向こうの、山手の方。

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 シャンドン地区と言って、古い町並みが残る下町、ということだそうですが。
 きれいにつくったとかあるいは保存したような歴史景観ではなくて、すっごくリアルな歴史感、現役生活臭たっぷりの歴史感がある地域で、そのリアルさがあるいてても胸にグッと来ます。ふつーに住民の人が生活してるし、しかもどっちかというと、若干のガラの悪さすら見える感じの。

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 これで車もゴミ箱も電線もなければいかにも「歴史地区ですよ」になるんだろうけど、それがあることから感じられるもの、みたいなの。

 上の写真の時計塔が、Church of St Anne Shandonというところ。
 17世紀からの教会というからそんなに古いわけでもないんでしょうが、時計塔は高台に立ってることもあって街のシンボルっぽい扱いらしい。
 ↓内装がこう。
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 あー、いいですねこの、木造りの艶の感じ。あたしの好きなやつですよ、たぶん、なんかこう、さっきの昼食に心が満たされきったせいかだいぶおおらかになってますけど(笑)。

 ほんとは塔に登れますよっていうのがひとつのメインらしいですが。

 実は、バスの時間がまあまあ迫ってます。
 困ったな、ほんとはもっと骨のひとつひとつまでしゃぶり味わえるような街だろうなって思うんだけど、図書館と食しか堪能してない。(←それで充分じゃないか、との説あり)


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201405IRL・6日目その1「Irish Railに、乗るっ」(5/6 ゴールウェイ→コーク)

 5/6、6日目の朝。

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 というわけで、早朝のゴールウェイ駅に来ました。

 Irish Rail に、乗るっ。です。
 ていうか、やっと鉄道に乗れる!
 鉄道! この旅で初めての!
 乗りたかった!

 実際に旅行してみて痛感したのが、アイルランドは鉄道旅行には向かない土地柄なんだな、ということです。

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 全土の路線図を見てまずわかるのが、アイルランド鉄道の線がダブリンを中心にタコの足のように各地に延びている、で、ほぼ終わりということです。つまりこの国の鉄道は、ダブリンから○○へ行く(または○○からダブリンへ行く)目的で設計されているようなものだと。
 だから、例えば国内のある街からある街へ(デリーからゴールウェイへみたいに)行こうと思って、グーグルなりアイルランド交通のwebサイトなりでルート検索・乗り換え検索をするじゃないですか。そうすると、バスに数時間のりなさいって言われる。そして二言目には、いったん鉄道でダブリンに行ってから、また鉄道でそこへ行きなさいって、”ふりだしにもどる”ルートを提示される。
 いや、どうかすると、一言目からいきなり「まずダブリンに行きます」って言われる。2度3度条件変えても、「まずダブリンに行きます」。そうじゃないだろうと、ぐるっと周遊したいんだと、ていうかなんでデリー(12時の位置)からゴールウェイ(9時の位置)行くのにダブリン(3時の位置)経由なんだおかしいだろと、思うんだけど、まあそのあたりは機械検索の限界ですね、効率的なルートしか提示されないっていう。

 しかもやたら便数が少ない。主要都市間の幹線かと思いきや、平気で日に5本くらいしかなかったりする。
 駅がやたら不便なところにある。町外れの。駅に行くのに自家用車がいるんじゃないかというような。
 満足なサインもない。あったとしても「ダブリン行きはホームのこっち側」という紙っぺらが貼ってあるだけ、どんだけダブリン中心主義なんだと。案内も駅舎もないし、駅員もいないし、どこから入場してどこ行きのにどう乗ったらいいのかさっぱりわからない。なんかもう、乗客全員が鉄道局の職員としてすべてを熟知してるようじゃないと、乗れないんじゃないかって思う。
 なんかもう、公共交通機関の”公共”が指すのは、ここではムラビトかゴキンジョか何かのことなんだな、というのをなんとなく思います。不特定の人というのを想定しているような造りには、全体的になっていないっていう。

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 というわけで、ここまでの旅程でまったく鉄道に乗れてなかったのが、ここへきてやっとなので、もうウキウキライディングです。

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 いまはリムリック(時計で8時の位置)にとりあえず向かっています。
 1時間ちょっとしかない鉄道の旅ですが、その間に急いでやらなきゃいけないことがある。というのも、昨日はアラン島見物とパブ呑み歩きにかまけてて、今日どこへ行くかも、どこで寝るかも、まったく決まってないのです。

 とりあえず電車に乗って、車内で旅行事務に取り組む、っていうパターン。
 わりとよくある。

 旅程の確認です。

5/1 入国・ダブリン着
5/2 ダブリン観光
5/3 ダブリン発→北アイルランド方面(ルート未定)→デリー泊
5/4 デリー発→ドネゴール途中下車→ゴールウェイ着
5/5 アラン島観光
5/6 ゴールウェイ発→未定
5/7 (未定)
5/8 (未定)→ダブリン?
5/9 ダブリン発 → 5/10 日本着

 そろそろダブリンに戻るタイミングも算段しなきゃ、ということで、とりあえず今夜泊まるのはキルケニーという古都、ダブリンからそう遠くなくいつでも届くあたりにある町ですが、何時着でもいいのでそこを目指すことにしました。
 ホテル予約サイトで泊まれるところを探して、だいぶ安いしかつネイティブっぽい雰囲気のB&Bがあったので、そこをその場で予約しました。B&Bです、もう、ゴールウェイで2泊もしてしまったような高いだけで朝食も配給食みたいな観光ホテルなんか、お断りなのです。朝食パスして出てきたし。昨夜コンビニで買い込んどいたカップラーメン食べてきた、よっぽど美味かった。

 で、今度はキルケニーへ行くまでのルートをいろいろ検索してみてるのですが、ああもう、また「ダブリンに行け」て言われた、うざい、そうじゃないんだってば。

 地図とルート検索をにらめっこした結果。
 リムリックからさらに南、時計の6時半くらいの位置にコークという街がある。南アイルランド地方の中心都市で、結構な大規模の、海に近くて、ああそういえばここには市場があって食事ができるみたいなことが雑誌で紹介されてたなというんで、そこへ寄りましょうと。

 ゴールウェイ(9時の位置)→いまここ→リムリック(8時の位置)→コーク(6時半の位置)→キルケニー(5時の内陸)、で。

 というようなガッツリした旅行事務に安心して取り組めるのも、Irish Rail車内に無料wifiが当然のように整備されているからです。ブラウザ立ち上げてから2-3クリックするだけで、簡単にインターネットにつながる。たまたまこの土地を訪れただけで事前の登録も何もしていない者でも、そのインフラが利用できる、こういうのをこそ公衆無線LANというのです、どこぞの国のどこぞの幹線のように事前契約してなきゃつかえないような、のぞみの無いようなwifiを公衆とは言わな(ry

 言ってるまに、中継地のエニスに到着。

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 代替バスに、乗る・・・。orz
 エニス−リムリック、運休区間だった。

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 ↑リムリック駅。

 次の列車までちょっとだけ時間があったので、駅前に出てみました。
 市民公園みたいなのがあって、地元の人たちが朝の散歩や通勤の様子。
 そんな中、自分のキャリーケースのガラガラ音が響く響く。

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 ほんとはリムリックにしろエニスにしろ、充分ゆっくり滞在して行きたい土地柄なんだろうけど、それはまあ、10年後くらいの再訪にとっておきますね。

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 ↑リムリック駅にて、再び乗るっ。

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 ↑リムリック・ジャンクション駅にて、乗り換えるっ。
 ホームにはゲール語(アイルランド語)でも注意書きが書いてある。こういうふうに、特に公共の場ではちょくちょく目にします。

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 それにしても、これまでのようなバスに乗ってる時よりも、こうやって電車に乗ってる時の方が、心が落ち着くうえに楽しくてしかたがない。こういう感情の違いはどこから来るものなんでしょうかしら。

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 雨が上がった頃に、コークの街に到着しました。
 オシャレ駅舎なうえに自動改札もあるので、これは都会だぞ、という気がします。
 しかもこの駅には荷物預かり所があるじゃないですか、よかった、この重いガラガラとついでに冬のコートも、工具置き場のようなちらかった部屋のもじゃもじゃのおっちゃんに預けちゃって、身軽な状態でコークの街に行ってきます。
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2014年07月26日

201405IRL・5日目その4「行きつけが、できるっ」(5/5 ゴールウェイ)

 ゴールウェイの宿に無事に戻る。

 米が、喰いたいのです。

 アラン島行きという一仕事を終えた自分へのご褒美に、米を喰いに、しかも港町らしく魚をというので、この街にあるという和食カフェに寿司をいただきに行ってみました。

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 美味しうございました。
 太巻に入った玉子焼き、美味しうございました。お魚、ふだん食べてるのと変わらない感じ。あと味噌汁が、ちょっと濃いけど塩気がすごくうれしいし、ネギの香りと具だくさんの感じが美味しうございました。

 今夜のパブ。

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 今日は昨日よりも3-4割くらいで街がおとなしい感じです。3連休の最終日、ということは明日は平日だし。

 1軒目。昨日も来たTigh Cóilí。

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 ゴールウェイの街にいきつけのパブができたことは喜ばしいと思います。結果的に多くが観光客かもしれないけど、それでもなぜか観光臭が全然しないこのお店の雰囲気は好きだなあって。

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 ↑1杯目、Galway hookerという、たぶん地ビールでペールエール。すっきり透明だけど一口で苦味ががっつり効いてる感じ。一杯目にちょうどいいかなっていう。

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 ↑調子に乗って2杯目にPaulanerというミュンヘンの白ビールを注文したら、結果がこうなった。でけえ(笑)。

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 そして店内ではもちろん楽奏中。
 プロかアマかはわかんないけど、がっつり矜持をもってやってはる感じの数人が演奏してはる。東アジア系の女性も1人いる。で、その演奏がすっげえ疾走感、2000メートルくらい全力疾走みたいな感じでぐわあぁぁぁーっと弾ききる。これもう、アスリートの所業じゃないですかねっていう。
 曲の合間に、次の曲をどう進行さすかの打ち合わせをしてはる。これが本来の意味での”打ち合わせ”だよなあと。その打ち合わせ結果を演奏する、ていうか疾走する。
 すげえなあと思ってたら、曲の合間をつかまえて酔っぱらったおっさんがとびこみで歌い出した! おいこれあかんやつやろ、昨日のネイティブ店みたいなんじゃないぞって思ってて、店内の空気もこれあかんやろってなってたけど、それでも酔っぱらって朗々と歌うのを聴いてたら、実はその肺活量が尋常じゃなく、え? あんた、え?ってなって、最終、肺活量のすごさで許されて拍手喝采、みたいになった。なんだこれ(笑)。芸は大事だなあって思った。
 そういう、なんかもう難しいこと考えなくても居座ってていられるところ。

 2軒目。昨日も来たTigh Neachtain。

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 ゴールウェイの街にいきつけのパブがふたつもできたことは、評価されていいと思います。初めての街で上手に遊ぶというのは実に難しいものですが、その中にあって、成功したと言える。ゴールウェイという街がなせるわざなのか。
 今日はナポレオン・ボナパルトがどうのこうのっていうスタウトをいただいています。
 何よりこの店には、本棚がある。

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 手にとって見ると、図書館の除籍印がある感じ。ニューヨークの。

 このあとツイッターの記録によれば、1軒目のTigh Cóilíに再訪してるっぽい。音楽やってると居座っちゃう。

 呑み遊ぶならこの街、ていう。
 そんな感じです。

posted by egamiday3 at 11:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・5日目その3「ドラッグは絶対、ダメっ」(5/5 アラン島)


 酷い雨・酷い風に打たれ続けながらも、悪天候の中を無事に大ボスの城、ドン・エンガスを攻め落とした我々は、苦難の下山の末ふたたびキャンプ地たるふもとのカフェに戻り、甘いケーキと2杯目のエスプレッソで祝杯をあげ、冷えきった身体を温めなおすのであった。

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 カフェにはつくったような暖炉、いるかいないかわからないくらいの存在感の猫、壁には昔の、シングまたは映画アラン島時代の島の生活の様子を撮影した写真がとってつけたように飾られ、ラジオからは地元FMのふつーのロック音楽、カジュアルなメニューとありふれたショーケース、ロンドンかニューヨーク程度に無愛想な店の家族。なにもかもがみなふつーでむしろ居心地がいいし、生活感が生々しい。

 せっかくなので、ここにある小さなお土産やさんで何か仕入れて行こうと、のぞいてみました。

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 おばちゃんがやってるアランセーターの店。

 説明しよう、アランのセーターとは。
 アラン島のごく限られた産業のひとつですが、世界的に知られている(らしい)のが、アランのセーターです。
 もともとはこの島の女性が海へ仕事に出る夫や息子のために編んでたもので、こんな土地柄のこんな海で働く人たちのための外着ですから、保温・防風・防水にきわめてすぐれた、しっかりしたつくりのセーターである、という機能性がひとつ。それからケルトの申し子みたいな土地柄ですから、デザインがいい。鎖なり縄なり幾何学的な繰り返し模様が、シンプルでありながらしかもにぎやかでバラエティに富んでいるという感じで、いい。
 そのセーターの模様も、昔はその家その家ごとに違う模様で編まれるという習慣があったらしく、それには悲しい背景があって、こういう土地柄で海に出て漁をするなり、本土や隣島へ渡るなりということを男衆はするわけなんだけど、先述の通りこの地の舟(カラハ)って木枠に布・皮を張ってタール的なもの塗ってかためました、みたいなやつなんで、まあ、遭難してしまうと。夫と5人の息子を海に奪われた母、みたいな人がいたりすると。で、ご遺体が流されて本土のえらく北の方の港で打ち上げられると現地まで行って本人確認もできないし、そうでなくても顔かたちで判別できなかったりして、で、そういうときにそのセーターの模様が知らされると、ああその模様はうちとこの模様だ、うちの息子だ、ってなるという。そういう、やがて哀しきオシャレ、みたいなの。

 その哀しさを知ってか知らずかあるいはただの民間伝承かはともかく、いまやこの島の一大収入源みたいになってて、島内といわず、アイルランド全土で、空港の免税内でもどこでも売ってるので、まあいまとなっては明らかにほとんどが工場量産品だろうなんだけど、この僻地の6畳一間くらいの店で、おばちゃんの脇のカゴにぽてんと積んである、タグも何も一切ついてないような小物なら、もしかしたらこのおばちゃんの手編みかもしれないしそうじゃなくても別にいいやと思える許容範囲だしというんで、お買い上げになりました。ニットキャップと、ふかわりょうみたいなヘアバンド。
 そしたらおしゃべり好きそうなこのおばちゃんが「それでな、このニットの洗い方を説明するしな」って言って、店のネームカードの裏にこうやって洗え干せみたいなことを書いてくれようとするんだけど、ボールペンのインクがなかなかうまく出ないっていうんで、「あ、これ使ってください」って手持ちのペンを貸してあげると、「ああこれええなあ、どこの? 日本? ああそう、そこに掛かってるのも日本のやで」とおっしゃる。
 そう、この店に一歩入ったときからもう笑いをこらえるのに必死だったんですけど、レジ横に、↓これ。

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 往年の酒井美紀じゃないですか。
 「ダメ、絶対」って言われてる(笑)。

 「彼女はwwいま日本のアクトレスですよ」って言ったら、「えー、そうなん、へー。その上のはついこないだ、日本人のガイドの女性がくれたん」。あー、そういえばフェリーで日本語も一組だけ聞こえてたなあ。
 「日本人もよく来ますか?」「来るねえ。こないだは日本のテレビが来た。TBS? でも来て、帰って、そのあと何も言ってこない」みたいになんやぶつぶつ愚痴ってはる。日本のテレビが順調にその評判を落としてる様。

 そんなんで、悪天候に見舞われたドン・エンガス攻めですが、なんだかんだでフェリーまであと2時間くらいしかないので、名残を惜しみつつ帰路につこうか、っていう駐輪場。
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 くぅっ・・・このタイミングで晴れるか・・・。

 帰路。

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 めちゃめちゃ晴れ出した・・・。
 この島でというより、今回の旅全体を通して一番の晴天が、ハイライト終了直後に来たって・・・これはどういう仏罰ですか、うらめしい・・・。

 まあそのうらめしさをのぞけば、キルロナン村への帰り道はおおむね下り坂というんで、景色はいいし、風は気持ちいいし、好調なサイクリング日和です。これまでiPhoneでさんざん聴いてきたアイリッシュ音楽を、うろ覚えで口ずさんだりしてますよね。

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 カーブを曲がると青い海が見えてくる。

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 この長い長い下り坂のこの瞬間はいつまでも続くと、僕は思う。

 まあそういうパクリポエムも出ますよね。

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 SPARで一服。
 日常生活にも困らない模様。

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 港に戻ると、フェリーがもう待ってる感じ。

 ドン・エンガスと港を結ぶルートには、最短の坂越えルートの他に、ぐるっと海沿いルートもあるのですが、いまは工事中とかで閉鎖されてました。夏までには整備されるのか、まだまだされないのか、それはちょっとわかんない。

 あと、レンタサイクルは返しに行こうにも人がいなかったので、適当に店先に置いて帰る。

 アランのセーターショップ。
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 タグに「この商品は当社製の正当なアラン衣類であり、アラン島のオリジナルデザインを使用しています」と書いてあった。文面的にはおそらく間違っていないかと。

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 それにしても、来る前はアラン島なんていう最果ての土地になんて行けるものなのかと思ってたけど、来てみるとふつーに来れるもんだなあ、という気がします。やればできる。
 ほんとに島内に一泊する旅程にしちゃえばよかったなあ、と後ろ髪をひかれつつ。

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 さようなら、アラン島。
 また来ます。きっと、必ず。


 ・・・・・・セーター屋のおばちゃんに貸したままのペンを返してもらいに。

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2014年07月24日

201405IRL・5日目その2「男坂を、攻めるっ」(5/5 アラン島)


 朝9時20分、定刻よりちょっと早く、満員になったバス第1便がロザビール港へ向けて出発します。フランス語を話す高校生たちに囲まれています。

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 ほどなく海岸沿いに出ました。おお、島があんなに近く大きく見える!とはしゃいでパシャパシャ写真撮ってましたが、なんのことない、対岸の本土でした(笑)。恥ずかしい、欠目戸街道。

 そしてほどなくロザビール港に到着。

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 アラン島行きフェリーに、乗るっ。です。
 連休最終日ということもあって、島へ渡るお客もそこそこ多いらしく、とりあえず第1便のフェリーが早めに出発します。

 波が荒れているためか風が強いためか、船めっちゃ揺れてます。屋内シートと屋外シートがありますが、この雨風に揺れでは屋外はありえない、屋内だって物につかまっても歩くの困難なくらいです。
 まあまあ気分が悪くなってきたところで、めでたく島影が見えてきましたと。

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 アラン島最大のイニシュモア島。その拠点集落たるキルロナンの港に到着しました。

 イニシュモア島は面積約40平方キロ、全長約14キロ。その島内の中ほどにある遺石&断崖絶壁のドン・エンガスまでは、ここから約7キロほどになります。いまからそこへむかいます。
 移動手段として徒歩・自転車・ミニバス・馬車があり、レンタサイクル屋さんは港に何軒かあって、あれ、ここ京大吉田構内?ってくらい自転車並んでるので、不自由することはない、10数ユーロで借りれます。

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 天気さえよければもちろんレンタサイクル一択、軽快に「自転車に、乗るっ」て言ってられるんですが、そこそこの雨と横殴りの風。
 上の写真、静物画としては何てことないように見えますが、いまこれ、自転車が強風で石塀に押しつけられてる状態です、そのくらいの風・・・ ><;

 まあでも、とりあえず出発!
 フードをかぶって、ひもをきつくしめて、コートもぎゅっとしめて。
 眼鏡で雨を受けとめながら、おそるおそる弱虫にペダルをこぎはじめます。

 私事で恐縮ですが、うちにはいま自転車がありません。実際、自転車乗るのって7-8年ぶりくらいです。まあ怖くはないものの感じがつかめないというのが正直なところで、この日のために実は数週間前、リハーサルと称して京都市内をレンタサイクルで走り試してた、っていう。しかもちゃんと同じ7キロくらいの距離を。だいたい金閣寺から嵐山・松尾大社あたりまで。律儀でしょう(笑)。

 いまが11時半、帰りのフェリーが17時発、6時間ないくらいのうちに戻ってこなきゃいけない。
 まあまあのタイムレース。

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 ↑若者たち。サイクリング仲間がたくさんいるようにも見えますが、やがてみなちりぢりになります、孤独な闘い。

 ちなみに、スタートしてすぐにSPAR(アイルランドのコンビニと言えばSPAR一択)もあります。

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 ↑左手に見えるのが夏季限定営業のアイルランド銀行支店。

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 石灰岩の岩肌が無慈悲に延びる・・・

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 道はゆるやかに上がったりきつく上がったり。雨が強くなったりうっすらあがったり。自転車の若者が追い抜いていったりこっちが追い抜いたり、坂を上がれなくて「もーやだーっ、あははっ」って友達に助け求めてたり。
 たまに観光客を乗せたらしいミニバンに追い抜かれます。あとたまに住人らしき人を民家でみかけたりすれちがったりします。もちろんシングのような感じではなく、ふつーの住んでる人ですけど。

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 キリスト教信仰に篤いお国柄と聞いています。

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 ↑こんなふうに延々とつづく石垣が、草や作物のための風よけでもあり、たぶん陣地区分けでもあるんでしょう。
 ていうかさっきから島全土が牛のハチノスにしか見えなくて、その中でまた牛が草喰ってて、その草が牛の胃の中のハチノスに・・・って考えてるとだんだん宇宙観がおかしくなってきます。

 馬鹿なこと言ってる間にふとカーブを曲がると。

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 ・・・あっ。
 あれです、あのでっかい岩盤の土台みたいになってるとこ、ラスボスの城か魔界大冒険(大長編)みたいになってる、あれがドン・エンガスです。
 え、ていうかあの岩盤でかすぎないですか!? あれ一枚の岩ですかもしかして。

 この辺までおおむね上り坂でしたが、だんだん下り坂も混じるようになります。

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 雨風は厳しく城はラスボスみたいなのに、波はなぜこんなにエメラルド・ブルーか。

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 ↑ケルト特有のハイクロス。
 持って帰りたい・・・。

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 なんだかんだで、ドン・エンガスのふもと付近までやってきました。上り坂メインで、1時間ちょい。
 ここに駐輪場があってここからは歩きです。入場料を払うための案内センターがあり、軽いカフェがあり、いくばくかのお土産やさんがありという感じです。

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 大ボスとの闘いに備えて、このカフェをキャンプ地とし、エスプレッソで身体を奮い立たせています!

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 これが大ボスの城へ続く男坂か・・・。
 ドン・エンガスはこの岩盤の上に気づかれた石の遺跡であり、そこは切り立った断崖絶壁の上であり、その崖に打ちつけているのであろう怒り猛った波の音が、さっきかろものすごくおどろおどろしく響いてきてて、もうそれすごく近くから聞こえてるし、心臓がすくむったらないのです。
 あと、はるかかなた師匠なら芸にならないレベルの風の強さです。

 そして。

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 着きました、これがドン・エンガスです。
 古代遺跡ドン・エンガス、エンガスの砦、は遡れば3000年前の建造といい、軍事、政治、祭祀の中心だったと思われるものの詳細は不明、というもの。
 で、その先はもうそのまま断崖絶壁という立地で。

 まずうしろをふりかえって眺むれば、こう。
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 一枚岩のような大地の端っこの崖に、疾風怒濤がだんだんと打ちつけられてるのがわかる。大自然の荒太鼓。

 で、脇を見ると。
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 寝そべった若者たちが、そんなにしてまでのぞきこんでるあの先、あの下が崖です。ああやってのぞきこむのがセキュリティ的セオリーです。(これ日本なら絶対立ち入り禁止になってるな(笑))

 行ってみました。
 こうです。
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 もう遠近感がわかんなくなってる(笑)。
 怖いから、手を伸ばしてiPhoneさんに撮ってもらってる感じ。

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 向こうは大西洋ですから、このずぅぅーっと先がボストンだなあ、とか思うわけです。
 ボストンやプリンスエドワードからえんえんと渡って来た波が、いまこのアイルランドのアランの崖壁に音を轟かせ、そしてまた長い旅路に出ていく。

 とうとう来ちまったな、ここまで。っていう。

 北を望めば、こう。
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 南は、こう。
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 なんだ、ここ(笑)。
 すげえな、もう笑うしかない。

 これで天気がよければなあ、と。

 崖下にむかって小石をひとつ投げてみる。
 ・・・風のほうが強くて、ふんわり上がってった。

 という感じで、なんだかんだで1時間くらいここで圧倒されつつ景色を堪能していましたが、さすがに雨が本降りっぽくなってきたのでおいとますることに。
 ありがとう。また10年後くらいに、天気のいい時に。できれば泊まりで来ます。

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 帰り道が遠いな・・・。

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2014年07月22日

201405IRL・5日目その1「アラン島へ、行くっ」(5/5 アラン島)

 5日目です。
 今日はこの旅で一番のハイライト、アラン島に渡ります。

 セーターとサメ漁と断崖絶壁で知られる、石と石と石とでできた荒涼たる土地柄、幻想的な語りと特有の習俗の、宮本常一先生っぽさから始まり一大観光地に至るという、アイルランドの西に浮かぶ最果ての島、です。
 ごくごくざっくり言うと。

 もうちょっと説明しよう、アラン島とは。

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 アイルランドの西路の果て・ゴールウェイよりも、なお奥つ方の大西洋へ向かって浮かぶ3つの島々があります。
 イニシュモア島(最大)。イニシュマーン島。イニシィア島。3つあわせてアラン諸島と言います。
 今日行く最大の島・イニシュモア島で、だいたい40平方キロ。京都で言うと、京都市バスの循環系統がカバーする範囲がだいたいそのくらいっぽいです。そこに人口1000人の住人がいると。

 離島だからということもあって、いまではもうそんなこともないかもしれませんが少なくとも近代では、島独特・アイルランド独特の生活文化なり習慣なりが残ってたようなところで、ケルト文化だよとか、ゲール語だよ(いまもしゃべられてるよ)とか、え、こんな生活してんのとか、伝説とも言い伝えとも作り話ともつかないようなのがたくさんあるよとか。あと、石灰岩が延々ひろがる荒涼とした土地、雄大な自然光景、古代の遺跡群、荒々しく容赦ない海。初期キリスト教の石と、その前のケルトの石と、その前の先史時代の石と、天然自然の石が残っているという。

 といったようなアラン島のありさまを、世に知らしめた有名な著作が、以下の2つであると。

アラン島 (岩波文庫 赤 253-1) -
アラン島 (岩波文庫 赤 253-1) -

アラン [DVD] -
アラン [DVD] -

 ひとつは、劇作家・シングが書いた紀行随筆『アラン島』(The Aran Islands (1907))。
 シング本人が実際にアラン島に渡ってしばらくそこで生活しながら、そこの人たちの「えっ」と思うような日常生活、習慣、風俗、交わった土地の人々の生き方、考え方、語ってくれる幻想的な語り・言い伝え、そういったものがちくいち書き留められていると。
 例えば、お婆さんの葬式の様子とか。密造酒で宴会する若者とか。時計がないから昼の食事が不規則だとか。牛や馬を本土行き舟に積むのに抵抗する牛馬と格闘してたり大騒ぎだったりとか。本土から支払いの取り立てと役人が来て一悶着とか。本土の遠く北の港に打ち上げられた遺体が、持ち物衣類からどうやら島の男らしいとわかり、母親が嘆くはなしとか。妖精に金を借りたとか小麦をかりたとか子供を奪われたとか、巨人から奪った魔法の剣で王女と結婚した男の話、その他の特にオチのないホラ語りとか。
 人々の生活の文明化されてない様子や生々しさ、ようわからん語りの幻想的なさまといったようなものは、この本がすごく伝わってくる。
 1930年代には日本語訳が岩波文庫から出されてて、これが例えば国会図書館のデジタルコレクション(図書館送信サービス)で読めますよというような話。

 もうひとつは、ドキュメンタリー映画『アラン』(Man of Aran (1934))。自然の荒々しさ・厳しさ、住人の生き様の強烈さみたいなのは、こちらが一目瞭然。
 島は基本的に石灰岩で、そもそも”土”らしい土がない。でもなんとか農作物を育てなあかんっていうんで、岩と岩の間のすきまに溜まってる砂なり泥なりをなんとか掻き集める。あと海から海藻をカゴに積んで陸の上まで運んでくる。そんな微量な砂とカゴの海藻を岩盤の上に敷きつめて、これを”畑”として海藻の上でジャガイモを作る。えっ、これ畑かよ!?と。でもそれだけだと、めっちゃ強い海風に吹き飛ばされちゃうって言うんで、ころがってる石灰岩を細かく砕いて、石垣をつくって風よけにする。だからこの島にはつぎはぎパッチワーク模様みたいな石垣が、全土にぐねぐねーっと延びてます。そんなふうにしてやっと、いくばくかのジャガイモが育てられる。
 あと、海へ出るときはカラハっていう小舟、木枠を組んで布・皮にタールみたいなのを塗って固めたの、えっ、これで海に出るの!?っていうようなので、荒波高波の海に出て、たまにくるでっかいサメを何人かがかりで海上で格闘格闘の末に、仕留めて、獲物として陸揚げして、そのサメの肝臓の脂を貯めてご家庭の灯火や暖火にする、みたいな。(島に電気が来たのは1974年)
 この映画はやばい、ぜひ見てください。すでに権利切れの映像で1000円未満で買えるし。
 ていうかYouTubeで見れる。(https://www.youtube.com/watch?v=zHr8ydiqj54

 まあたぶんこの2つで、この島の幻想さとかロマンチックさとかが、世の中に伝わりすぎるほど伝わったんでしょう。
 いまとなっては一大観光地です。
 イニシュモア島の人口1000人のところに、年間約25万人の観光客がやってくるというから、ああなるほどそういう感じかと。1000人の島に、毎日700人、へたすりゃ1000人の観光客が行くわけです。まあ、あたしもその1人なわけなんですけど。

 ちなみに近年のものとしては、司馬遼太郎街道を行くシリーズの愛蘭土紀行2巻目がおすすめです。
街道をゆく〈31〉愛蘭土紀行 2 (朝日文芸文庫) -
街道をゆく〈31〉愛蘭土紀行 2 (朝日文芸文庫) -

 観光拠点・ゴールウェイからは、シャトルバスで3-40分のところにあるロサヴィール港まで行って、そこからフェリーでさらに4-50分。セットのチケットが街のオフィスやネットで買えます。
 フェリーが着くのがイニシュモア島の拠点・キルロナン村で、そこからめいめいレンタサイクルなり徒歩なりハイヤーみたいなバンなり馬車ツアーなりで島内をめぐるという。朝のフェリー(1便)で渡って、半日過ごして、夕方のフェリー(1便)で帰る。または、島内にいくばくかあるB&Bに泊まったっていい。
 今回あたしは日帰りでしたが、ああこれ、泊まればよかったなあと思ってます、泊まること自体に何かあるというよりも、泊まる前提なら時間を気にせずに島内ぶらぶらしてられるので。あとおもろかったのが、フェリーチケットに「乗り遅れてもしらんよ、アコモデーションなら島内にあるかもね」的なこと書いてあって、あー、ねえ(笑)って思った。

 というようなアラン島へ、これから行くっ、と。
 とりあえずの目的は、島へ渡ることそのもの、レンタサイクルで見巡ること、そしてこの島で最大の見所、ドン・エンガスという岩砦&断崖絶壁を拝みに行くこと。です。

 海風が強くまだ寒い時期というのと、小雨または下手すれば大雨の天気というのと、自転車乗るなら身軽にというのと、基本何もない島だぞというのとで、それなりの準備をしています。
 チケットは、もちろん事前に手配済み。
 服装は、濡れてもいいもの、汗かいて脱ぎ着できるもの、雨風をしのぐ冬物すっぽりコート(フード付き)。
 携行品は、ミニリュックに折り畳み傘、水、スニッカーズ、カイロ、iPad類とバッテリーとコード。
 あとは、「崖から落ちない」という第一目標、わりとマジで。救難者保険は入ってる。

 港へむかうバスは、ホテルの目の前の発着所から出ている。

 では、行ってきます。

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2014年07月21日

201405IRL・4日目その4「日本経済を、語るっ」(5/4 ゴールウェイ)


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 ゴールウェイは、アイルランド島を時計盤としたら9時の場所。3時のダブリンとは真逆サイドにある、西アイルランドの中心都市です。古代には漁村、中世には都市国家、港町。コロンブスが新大陸への出航祈願をしにきた教会があるようなところ。大学があるということで大学街でもあるし、ただでさえ音楽が盛んなアイルランドの中でもさらに音楽熱のある土地柄らしい。あと、ケルト。あと、ゲール。

 あと、さっき指をくわえてバスの窓から眺めてたところのような、風光明媚な自然観光スポットが西側地域にたくさんありますもんで、そこへツアーやリゾートで行く人たちにとっての観光拠点的な機能も持ってる感じになってる。
 そういうこともあって、某ダイヤモンド社さんの黄色い本によれば、夏季や連休なんかは特に混んで宿がとりにくい、要注意であると。・・・そして悪いことに、昨日今日明日の土日月がまさにアイルランドにおける連休日であると。
 というわけで、ノープラン・行った先で宿を探すを旨とするあたしでも、ここだけは大事をとって宿をとってあるという。いかにも大量のツアー客をさばくための、ひとむかし前の観光ホテル的な、しかもちょっと高めの、でもすでにそこしか空いてなかった・・・。

 で、さっそく街に出歩いてみますと、なるほど大学街だよ観光街だよというだけあってか、なんとなく街行く人の年齢層が低いし、なんとなくがしゃがしゃしてる。どっちかというと若干のガラの悪さがあって、いままでのアイルランドで味わってきてたような”穏やかな愛想良さ”という感じではないなあ、と。そういう意味では、これまただいぶ都会に来たんだろうなと。大きくはなさそうですが。

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 ↑ここが先述の、コロンブスが新大陸への出航祈願をしにきたセント・ニコラウス教会。これまでこの国で見てきたのとは雰囲気のちがう仕上がりの教会。

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 ↑寒々とした港の様子。

 今夜のパブ・クロールです。

 1軒目。Tigh Neachtainという店。
 参照: http://www.tighneachtain.com/

 ゴールウェイの繁華街であるキー・ストリート、ハイ・ストリート界隈の中でも、ひときわ目をひく鮮やかな黄色と青の外観、こんな色どりの店ってなかなかこれまで見かけませんでしたよねという感じで、しかも店先のポスターによればこの店オリジナルの地ビール↓ですよというので。
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 生じゃなくてボトルですけど、ポータービールで、充分充分苦くて、ああ呑んでるっていう呑みごたえのある。呑み干したら、澱がグラスにへばりついてるっていうくらいの。正直これは日本でも日常的に呑みたいくらいではあるんだけど、残念ながらネット上にすらほとんど情報が見当たらない。なんだこれ、ビビる、一期一会か。 

 ビールもビールなら店も店で、1894年創業というこのお店の内装は古くて歴史ありそうで木造りで、骨董屋か古本屋かおじいさんの書斎みたいなところ。雰囲気がいいっていうだけでなくて、その古さがカジュアルで、ああそうそう、友人宅が京町家だった、みたいなしつらい。トラディショナルというより、ヒストリカルなカジュアル。
 正直、通いたい、いや住みたい。住まわせろ。

 1.5軒目。McDonagh's Seafood Barでとりあえず食事。
 港町・ゴールウェイの中でもシーフードならここだよみたいなことを、複数の人が異口同音に書いてはるので行ってみたら、フィッシュ&チップスのフィッシュを選べるのはままあることだけど、その魚の種類がえらく豊富で、しかも鯖がある。フィッシュは鯖、ポテトじゃなくオニオンフライで。
 その結果がこう↓。
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 鯖、まさかの両身(笑)、これはうれしい悲鳴(笑)。
 ほくほくだかしっとりだかこってりだかしてる、とにかく美味い鯖を、しっかり頬張るという感じ。
 そしてその鯖の余韻と脂は、ギネスで呑み流す、みたいな感じ。(Busker Brownes Barという店)

 休憩。
 再開。

 Tigh Coiliという店。
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 もう店内まっ暗で何のこっちゃわからんでしょうし、そもそも客がいつものように通勤電車でわやくちゃですが、これでも一応楽器演奏中です。まあ、写真じゃ何も伝わらないところに一番の魅力があるのが酒場ですし。
 ここでひとりで呑みながら演奏聞いてたら、酔っぱらった紳士に話しかけられてちょっとおしゃべり。
 どっから来たの? ジャパン? そうかい、地震大変だったね。俺は日本のものいっぱい持ってるよ。日本の経済は復活するかい、どうだい? アイルランドはあかんようになったけど、それでも大丈夫だよ。だからたぶん、日本経済も大丈夫だよ。
 おしゃべりっていうか、があーっとまくしたてられる、っていう。そういう酒場。

 最後に。
 だいぶ聞こし召して気が大きくなったのか、川向こうへ出てちょっと歩いたところにあり、遅い時間に音楽演奏をやってるという、某黄色い本に載ってるようなパブを探して行ってみました。
 Crane Barという店。
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 黄色い本に載ってる店だしまあ観光仕様なんだろうと適当にふらっと行ったら、超真逆の、この旅でダントツ1位にネイティブ仕様なパブだった。マジで地元のおじちゃんおばちゃんの寄り合い酒場みたいなところ・・・、入ったはいいがちょっとビビってます。そしてビビる必要もないくらいに、やあ、どうぞ、ってふつーに入れてもらって、腰掛けてビール呑んでます。
 ちょっと広くなってるソファのところに数人の演奏者がいて、ていうか演奏者も客も各席でいっしょになって、呑んだり歌ったりしゃべったり呑んだり呑んだりしてる。
 ちょっとしゃべってたかと思うと、また楽奏が始まる。聞いたことあるアイリッシュの音楽だなあ、と思ってたら、サビで客が急にご唱和し始める。ああ、ツーカーなんだなあ、と。
 次はアップテンポな曲始まったなあ、と思ってたら、今度はお客のご婦人がひとり立って踊り出した! え、ていうか、タップシューズ履いてはるのか!? 客じゃなかったのか!? いや、客であってもそうなのか!? ていうかもはや客とか演者とかいう概念なんかこの時空には存在しないのか!?!?
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 立ち去り難い、これは立ち去り難すぎると思って、なかなか帰れずにいたらいつのまにか12時過ぎたのですが、ていうか、なんでこの店には12時過ぎてるのに地元のご高齢のご老人が次から次へと来店するんですか。この土地のシルバーの元気さというか、生活習慣はどうなってるんですか(笑)。

 泣きたくなるほど立ち去り難いのですが、明日は体力勝負な旅であるということと、さすがに帰り道の治安的心配もあれなので、曲の途中で聞きながら帰りますね。

 ・・・治安的心配?
 ↓無用だった。0時まわっても人たくさん。
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 夜更かし・酔いどれネイションだ(笑)

 享楽的に呑み歩きするだけの過ごし方なら、たぶんこの街がベストじゃないかな、ていう。
 しかし今日出会えたパブとその情報源を整理すると、
  こだわり情報の旅雑誌に載ってたパブ 評価:BまたはC
  某黄色いマニュアル系ガイド本に載ってたパブ 評価:特A
  どっちにもまったく載ってない現地で見つけたパブ 評価:A
  どの本にもネットにも等しく載ってた有名魚介店 評価:A
 というわけで、教訓:情報源の属性と、それに載ってる情報自体の評価とは、相関性なし。ひっぱられないこと。

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201405IRL・4日目その3「たいていを、あきらめるっ」(5/4 ドネゴール→ゴールウェイ)


 ドネゴールからゴールウェイに向けて、再びの、バス・エーレンに乗るっ、です。
 12:35発の16:45着予定。 
 4時間のおつとめ。

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 とりたてて言うようなこともありません、ただもうずっと緑か石です。
 写真適当に入れ替えても、わかんないしかわんないっていう。
 緑地、緑地、石垣、生垣、馬・牛・羊・山羊、草木、民家、石、小川、緑地、集落。

 そういえば、デリーからずっと高速道路じゃなく一般道路、いや、これどっちかって言うと田舎の農道だろう、ドナドナな荷馬車がのろのろ歩んでたって何も不思議じゃないような、幅のせまい、うねうねと曲がりくねる、緑の生け垣が窓のすぐ下を走るようなところを、都市間快速バスがスピードも落とさずギンギンにかっとばしてるんですけど、これでよう事故らへんな、いや、事故りようがないくらい人通りがないってわかってるのか見通しがいいのか。
 
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 海が見えただけで、おおっ海だ!、ってなるくらい。
 まあでも確かにシーニックではある。あと海浜浴場っぽくもなってて、ここまで北でも海の楽しみみたいのはあるんだなあ、とか。

 ↓あと、ぼーっと眺めてたら、遠くの方に小さく城っぽく見えるものがあるのを発見。
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 背後を海に囲まれ、手前を森に囲まれ、小高いところに城っぽいものが建ってる。
 8ビットで描いたらそのまんまドラクエ地図じゃないですかね。  
 
 ↓拡大してみる。
IMG_7802拡大.JPG

 地図的に行って「Mullaghmore」という場所らしく、画像検索してみると、
 https://www.google.co.jp/search?q=Mullaghmore+Castle&source=lnms&tbm=isch
 なんだこの幻想的な場所は・・・。
 行ってみたい・・・。
 でもこんなとこ、自分で車運転するくらいしか行きようがないんだろうな・・・。

 国際どころか日本の運転免許すらいっさい持っていないし取る予定もないというようなあたくしですので、国内にしろ海外にしろ旅行はほぼすべて公共交通機関を用いることになります。そうするとまあ当然、行けるところと行けないところとが出てくる。
 特にアイルランドというところは、古色蒼然な古代の遺跡や修道院跡にしろ、風光明媚で雄大雄壮、シーニックな自然観光ができるところにしろ、ガイドブック見てうわぁここ行ってみたい!と目をひいた場所はたいてい、車で何時間、もしくはツアーバスならあるかもねというような感じです。なので、がんばって他の予定を犠牲にする覚悟でツアーのスケジュール組みをするんでなきゃ、はい消えた、とあきらめるしかない。
 車の運転さえできりゃな・・・ああいうところへも予定変更して立ち寄ってみたりできるんだろうけどな・・・。

 あと、スライゴーで10分休憩。

 で、なんだかんだでゴールウェイに到着。
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2014年07月20日

201405IRL・4日目その2「ドネゴー、ルっ」(5/4 デリー→ドネゴール)

 4日目、旅程の確認です。

5/1 入国・ダブリン着
5/2 ダブリン観光
5/3 ダブリン発→北アイルランド方面(ルート未定)→デリー泊
5/4 デリー発→ドネゴール途中下車→ゴールウェイ着
5/5 アラン島観光
5/6 ゴールウェイ発→(未定)
5/7 (未定)
5/8 (未定)
5/9 ダブリン発 → 5/10 日本着

 デリーを出て、バスで、今日中にゴールウェイに着く。
 その途中でドネゴールという町に途中下車してみる。
 そんな感じです。
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 ↑時計で言うと、ダブリン=3時、デリー=12時、ゴールウェイ=9時にあたります。
 今日は12時から9時へ移動、途中下車のドネゴールは11時前くらいですね。

 とりあえず、バス・エーレンに、乗るっ。
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 デリーの街はアイルランド国境に隣接したところで、ここを発してアイルランドに入国するバスは、アイルランドのバス会社のものです。
 例えば、このバスのチケットを買おうとするとドライバーの女性が20だ、25だ、2だ7だなんだと言っててよくわかんなかったので、とりあえず25ポンド出したら20ポンドしか受け取られなかった、あれはたぶんポンドの値段とユーロの値段言うてはったんだなと、あとでやっと気づくなど。
 そして例えば、iPhone画面の表示がvodafone UKがvodafone IEになったことで国境越えを悟るなど。

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 荒涼としてるなあというところあり、草深いなあというところあり。
 写真撮れてませんが、でっけえ川だなあと思ってて↓地図確認したら、
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 大西洋からぐっさり喰い込んできてる入り江だったっていう。あれ海だったんだなあ。そういや対馬でもそんな光景見たなあ。そしてそれもやがて可愛らしい小川みたいな細さになって、あっという間に小橋をバスが駆け抜けた、ていう。
 そういう車窓です。

 あと、放牧地の合間の集落で人々がぞろぞろと教会に入って行くのが見えました。そう、いまは日曜の朝なんですわ。

 09:15 デリー発 → 10:35 ドネゴール着
 12:35 ドネゴール発 → 16:45 ゴールウェイ着

 そして、ドネゴール着。

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 ドネゴールはごく小さい町で、夏は釣りや入り江クルーズやの観光で人気の場所みたいな感じ。
 2時間ほどの空き時間で行っときたいのは、ドネゴール城と、修道院跡地のふたつです。

 その1、ドネゴール城。

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 このあたりの有力者・オドネル家の居城だったところで、イギリスとの戦いで燃えはしたけど、典型的な中世アイルランドの様式で建てられた城として、一般に公開されてるところ。
 入城すると、えらく陽気な兄さんが「どっから来たの? ジャパン? はいじゃあこれ」つって、パウチされた日本語の解説シートをくれはった。こういうのやっぱ便利でうれしいですね。しかもちゃんとした、おそらくネイティブの人が書かはった日本語。年間何万人も訪れるであろう「ケルズの書」の日本語解説パンフが目も当てられない惨状だったのが思い出されます・・・。

 中はこんな感じ。

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 石もいいけど、木もいいよなあ、やっぱり。

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 やっぱ石もいいな(笑)。

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 この入り口にダイヤモンドが散りばめられてる、っていうもっぱらのウワサだったんだけど、探せど探せどいっこうに見つからない。
 あきらめかけたところ。
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 ↑これのことかよ(笑)。

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 ↑このあたりなんかもう、立派に京町家っぽいなあって。杉本さんとことか。

 こんな感じです。

 その2、修道院跡地。

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 古い史跡物にだけでなく、近年の墓標もハイクロスや渦巻きっぽいケルトな装飾もが使われているので、ケルトって"歴史"じゃなく"現役"なんだなということがわかるです。

 こういう修道院跡みたいなんがアイルランドのあちこちにあるみたいです。
 アイルランドは”聖者と学僧の島”みたいな言われ方をしてて、と言うのも、ローマ帝国がゲルマン民族に追い立てられて滅んじゃったんだけど、その時にアイルランドの島まではゲルマンはやってこなくて、おかげでローマ帝国時代にすでに吸収してたキリスト教なりギリシアローマの古典文化なりラテン語の伝統なりみたいなんをちゃんと保存し継承してた。そしてゲルマンのほとぼりが覚めたころに、また大陸に逆輸出させた、そのおかげでギリシア・ローマ・ラテン・キリスト教的な文化学問全般がヨーロッパから失われずに済んで、いまに至ると。まさに”外付けHDD”の役割をしてくれてたわけです。
 アイルランドすげえなと思うのが、ケルトもここの土着文化と融合して根付いてローマ帝国からの追い立てから免れたし、キリスト教も特段のバッティングなくわりとすんなりインストールされたし、さらにギリシア・ローマの文化学問もゲルマンの追い立てから免れて保存できてたっていう、なんですか、どんだけ高性能なHDDですかと。
 まあそんなある種平和ボケしてた修道院が、ヴァイキングの攻めの渡来に勝てはしなかったわけで、残念ながらこの修道院はヴァイキングにやられました、っていう記述をあちこちで目にします。ドネゴールのこの修道院は15世紀のなんで関係ないんですけど。閑話休題です。

 ここで昼食を済ませてからバスに乗ることにしたいというんで、小雨と水際で冷えた身体を温めたい、でも重くないのがいい、できれば塩っ気魚介っ気がほしい。
 答、これ↓。
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 海鮮ごった煮チャウダーとブラウンブレッド。100点の解答が出ましたねこれは。
 たぶん作り置きの煮込みきったやつだからでしょう、タラだかサーモンだかの身がくたくたになってて、ポテトベースとかオニオンベースとかじゃなく”魚の身ベース”のチャウダーみたいになっちゃってる。あれですよ、きのうの寄せ鍋の残りスープ(笑)。そりゃ日本人の五臓六腑に染み渡って当然だなあと。




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201405IRL・4日目その1「城壁を、ぐるっ」(5/4 デリー)

 早朝、家の人らがまだ寝静まってるであろう時間帯ですが、朝の軽いお散歩に出ました。
 昨夜から夜遊びしてたであろう若者が親に車で迎えに来てもらってる様子を横目でながめながら、何の目的でふらふら散歩に出てるかというと、城壁をぐるっとひとまわりしたいのです。

 この町の中心はでっかいコブみたいな丘になっていて、その周囲をぐるっと石造りの城壁がめぐらされています。

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 こういう2-3階建てくらいの高さで、全長約1.6キロメートル。で、その城壁の上をひとまわり歩けるようになってるわけです。
 ぐるっとひとまわり歩ける場所があるなら、ぐるっとひとまわり歩きたいっていうのが、観光客の人情というものじゃないですか(笑)。

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 ↑この辺からスタート。

 この城壁がつくられたのは17世紀初めころのことです。
 アイルランド支配のためにイギリスから北部地域に多くのプロテスタント系の入植者が送り込まれてきて、それをきっかけにこのデリーという町の名前が「ロンドンデリー」に改称された、いまでもこの町の名前は「デリー/ロンドンデリー」と併記されることが多いみたいです。
 近世初期に、イギリスで王位継承&宗教対立の代理戦争みたいなのが、イギリス本土じゃなくアイルランドのほうで起こったことがあって、世界史では「名誉革命」という用語で記憶したこの話も、アイルランドの肩越しで見ると迷惑なことだなあと思っちゃうんですけど、そのときにこのデリーでの戦いの際にこの城壁が町を守りました、的な感じらしいです。

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 ↑たまにこんなふうに広々とした幅になってる。

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 ↑たまにこういうラブリーな教会がある。

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 ↑物見櫓かな。

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 ↑ぐっと下り坂になったり。

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 ↑現代のビルのほうが高くなったり。

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 ↑砲台だなと。

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 ↑もどってきました。

 ていう感じです。いいお散歩。

 おなかすいたので朝食にしてください。

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 この宿はいわゆるB&B(おのださーんではなく、ベッド&ブレックファースト)で、民家の一部を、あるいは全体を宿所として経営してはるお宅です。ほんとにふつーの住宅地の中にある、表示もわかるかわかんないくらいに隠れ家的に貼ってある程度の、ぱっと見にはふつーの住宅。で、家の鍵を渡してくれて、朝になると朝食をごちそうになれる、まあ、イギリスやアイルランドでの旅行の、しかもB&Bでの楽しみの一番は、このイングリッシュ/アイリッシュ・ブレックファーストですよね。
 しかも実はどうやら、地域ごとに若干の特色の違いがあるらしいっていう。
 というわけで、今朝のアイリッシュ・ブレックファーストがこちら。

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 あ、パンケーキがある!(左) これ、アイルランドの西とか北のほうの朝食で定番って聞いたことのあるやつや!
 ボクスティというらしいこのポテトのパンケーキは、ジャガイモを生ですりつぶしたうえで、小麦粉なり牛乳・卵なりで生地にして焼く、っていうやつで、しっとりしてうすーく甘い感じ。このうすーく甘い感じがすごくいい、例えばこれが薩摩芋になっちゃうと甘すぎて食事としてはくどい感じになっちゃう。
 このしっとりのパンケーキのうす甘いところに、半熟目玉焼きのとろっとした黄身、ぱらっと塩をふったやつをからめて食べると・・・、美味い! 採用決定!(笑)
 まあ、この「ボクスティ」の名前の由来が「救貧院のパン」、と聞くと、ちょっとしんみりしますが・・・。

 なお、同じ皿にのってるアイリッシュ定番のブラック・プディング、豚の血に穀物を混ぜて固めて焼いたもので、10年前に食べて不味くて瞬殺で嫌いになったやつですが、今回おそるおそるかじってみると、まあまあ美味かったです。ものによる模様。

 きのうあたしを出迎えてくれ、そして今朝の朝食をサーブしてくれたのは、若い男性と女性のふたり。このおふたりが、この家のオーナー&宿の経営者なのか、雇われているスタッフなのか、そもそもここに住んでるのか住んでないのかもよくわかんないのですが、バスの出発時刻が迫ってしまっているのでゆっくりおしゃべりすることもかなわず、また来ますなんて安易なことは何も言えないのですが、この宿にだったらまた来たいですっていう。

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2014年07月19日

201405IRL・3日目その5「風とともに、去りぬっ」(5/3 デリー)

 というわけで、今夜のパブ・クロールです。

 1軒目。
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 Dungloe Barというお店。屋内の呑み場と屋外の呑み場とがあるんだけど、どちらともで別々に楽奏中。HARPっていうアイルランドのラガービールなんだけど、ギネスに比べると水か麦茶みたいな感じになっちゃってごくごく呑んでる。あと、カールスバーグ推しらしい店。
 ていうか店内、立錐の余地がないとはこのことかというくらいに人が押し合いへし合いしてて、これじゃ通勤電車だよと、電車みたいに揺れてないからかろうじてビール呑めてるだけじゃん、って感じになってる(笑)。そんな通勤電車の中であっても人々がピリピリしてることはまったくなくて、ちょっと場所譲ったりしたときはともかく、たんにすれちがうだけのときでも、目が合うとニコッとされる。すみませんって場所譲ると、かめへんかめへんって笑わはる。ああ、自分ここに居てもいいんだな、っていう安堵感がハンパない。

 1.5軒目。
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 入り口すぐが演台で、バーカウンターが一番奥で、店内に人がおしくらまんじゅうで近づける術もなく、このおっちゃんの大声量パフォーマンスだけしばし味わって、退散。

 2軒目。
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 ここも楽奏中ですが、オールディーズっていうんですかね、古き良きアメリカのオヤジ好み懐メロ、みたいなんがずっと演奏されてます。もちろん、アイルランドのアイリッシュパブがアイリッシュ音楽ばかりじゃないことはわかってるものの、そういえば1軒目も「A列車で行こう」をやってたしなあ、そしてその音楽をすっごくうれしそうな顔して聞いてる年配のお客の人たちがたくさんいて、身なりが小ぎれいで旅行に来ましたっていう人たちっぽい。アメリカから来はったのかな、アイリッシュのアメリカ人とかで、先祖がアイルランドからの移民で自分のルーツたるこの土地にやってきましたよっていうような人たちなのかもな、とか考えながら、ちびちびギネス舐めてます。
 このあとの旅行中も、そういう人たちをたくさん見かけることになります。

 アイルランド系移民とは。
 先述のようにイギリスからのカトリックへの圧政だけでなく、そもそもアイルランドという土地自体そんな豊穣じゃなくて、酪農用の牧草くらいか、じゃなきゃ荒れた土地でも育てられるジャガイモという感じで、実際この国で生活していくのなかなかだよ、となってくると、よその国に出てってそこで生計を立てるなり仕送りするなり家族を呼び寄せるなりすることになる。
 そうやって”移民”としてアイルランドからよその国に出て行った人たちっていうのがすごく多く、かつもうその土地の者として子孫代々もはやそこの国民なんだけど、ルーツはアイルランドなんだ、っていうアイルランド系・アイリッシュの人たちが世界にはすっごい多いらしくて、これホンマでっか?ってビビるんですけど、現在のアイルランド人口が500万人行かないくらいで、一方そのころ世界のアイルランド系の人が約7000万人。バランスおかしいだろうと。まあ、自認・アイリッシュ、でしょうけど。
 その最たる移民先がアメリカ合衆国で、人口3億のうち4000万人がアイリッシュ・アメリカンだよってなると、もう一大派閥みたいなもんで、例えばケネディ、レーガン、クリントンあたりがアイリッシュ。あと「風とともに去りぬ」とか。ニューヨークの警察官にはアイリッシュの人多いんだという話も聞いたことあるし。
 でももちろん最初は困窮や差別もひどかったろうし、そもそもアメリカへの大量移民のきっかけのひとつが19世紀のジャガイモ飢饉と呼ばれる大凶作で、それにしたってどうもイギリスの失策だったみたいな話だし、かつまたジャガイモにそんな頼らざるを得ない農業風土なのかっていう感じでもあるし。
 そんなこんなで世界のあちこちにアイリッシュが移り住み、その世界のあちこちでアイリッシュなパブができ(旅行先で食事や呑みに困ってもアイリッシュパブならたいてい見つかる)、そして「アイルランドといえばジャガイモですか?」って帰国後言われたりするに至る、という。

 閑話休題。
 ところでここデリーがそうなのか北アイルランドがそうなのかはわかりませんが、さっきからパブで呑んでる人々のグラスを見てると、ギネスなりスタウト系のを呑んでる人っていうのが昨日までのダブリンに比べてわりと少なくて、大半の人がラガー系のビールを呑んでるっぽい。こんなにたくさんの淡い色の入ったグラスを、ダブリンでは見かけなかったよなあって。このへんの理由みたいなんもなにかあるのかな。

 3軒目。
 Tracy's Barというところ。いや、もうあんま覚えてない(笑)。
 ツイッターには「スミスウィック。ギネスのあとだと・・・順番間違えた。おっさんエンドレスカラオケライブ、この人の持久力すげえ!」って書いてある。なんか、角地の店で、艶のある淡いブラウンの木目がきれいな内装で、窓辺によりかかって呑んでた、ような気がする。

 そのあと、(やっと)食事をどっかの店でした気がする。↓こんなん。
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 肉とジャガイモ、あと豆、っていう。
 牧草で牛や羊を育てるなどした上での食肉が、この国の食品産業のメインのひとつらしく、聞くところによるとこんな島国なのにお魚はメインじゃないらしいです、キリスト教の教えか何かでこの日は肉を食べるのはやめて魚にしなさいみたいなのが定期的にあるらしく、そのため魚は代用食扱いだった、みたいな感じ。そんなもんかなあ。
 だから食べ物はまずお肉、あとジャガイモ。魚や野菜もなくはないんだろうけど、ちょっと意識的に選ぼうとしないと、ぼんやりしてたら口にしてないという感じ。

 そんな感じです。
 夜の街の通りに人がまばらで閑散としてるのに、一歩パブに足を踏み入れた途端、東京の通勤電車みたいに押し合いへし合いしてるのが当たり前みたいになってるのを見ると、この国にはパブに入ってないと歩くたびにHPが減るみたいなゆがんだドラクエシステムでもあるのかしら、とか思います。


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201405IRL・3日目その4「確認を、するっ」(5/3 デリー)


 宿でひと息ついたあと、暗くなってしまう前にRossville St.(ロスヴィル通り)に行きます。

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 デリーのロスヴィル通りで起こった事件について説明しようとすると、重く、長い話になります。
 そもそもですけど、北アイルランドってなんだ、と。北アイルランドってテロのイメージあるけどそれは何だ、と。

 ロスヴィル通りとは。

 アイルランドはキリスト教に篤いお国柄ですみたいに言ってましたけど、キリスト教徒の中でもその95%くらいはカトリックっていう、カトリックに篤いお国柄になります。で、北アイルランドの問題はごくごくざっくり言えば、イギリス派・プロテスタント系と、アイルランド・カトリック系の間の争い、だと理解してます。
 ちょっと、ずっとさかのぼって、前記事で紹介したブライアン・ボルーがヴァイキングを撃破した11世紀以降の話ですが。
 ヴァイキングがやってきてそれが一息ついたあとで、今度はイギリス側からノルマン人がやってくるようになる、最初はそのノルマン人もまあまあ同化するかどうかくらいのなあなあなノリだったんですけど。
 それが16世紀になって、イギリスが(国王が離婚したがったていうやつ)カトリックを捨てて英国国教会をあらたにつくります、ていう宗教改革をやりました、と。その上でイギリスは「アイルランドはイギリスが支配する」って言って、離婚云々のヘンリー8世なりその娘のエリザベス1世女王なりが、マジのノリ、近世的絶対王政のノリ・世界征服野望のノリでもって支配に乗り出す。もちろんアイルランドの住民側は抵抗するんだけども、それも人を送りこみ酷く弾圧していって、それ以降はもうまるごとイギリスに支配されてる感じになった。で、そのアイルランド側の抵抗が特に強かったのが北部地域だったもんで、その対処のためにイギリスから大勢のプロテスタント系移民がこの北部地域に送り込まれた、と聞いています。
 そうなると政治的に支配する側のプロテスタントと、支配される側のカトリック、という構図になってしまう。同じアイルランドでキリスト教徒として暮らしていても、プロテスタント側のほうは優遇され、法律も経済も政治もそっちの味方、というのに対して、カトリックのほうは権利も奪われ土地も奪われ、経済も生活も教育も文化も取り上げられ否定されという感じで虐げられる、というのがずっと続く。そもそもアイルランドにはアイルランド語(ゲール語)があるのに、いまはほとんどの人が当たり前のように英語を使ってるというのだって、イギリスの支配が徹底してたことによるものだし。もちろんそれにたいしてアイルランド・カトリック系の住民側は、抵抗なり反乱なり運動なりを幾度となく起こして、争って諍って、それがなんだかんだで現代史に至る、っていう。

 そんな歴史(これだけじゃなくて、もっとキツいことがたくさんある)を数冊の本で繰り返し追ってると、なんだかもう心が痛み続けて、読んでるだけでやってられない気持ちになるんですけど、その度に、この旅でも幾度となく出会ったアイルランドの人らの愛想の良さ、親切さ、酒好きのおしゃべり好き音楽好きの陽気さと楽しさって、いったいこの一連の歴史のどこから来るんだろうか、いや、”だから”来るんだろうか、みたいなことをしみじみと考えずにはおられないわけです。

 現在あの国境によってアイルランドと北アイルランドにわかれてるあれは、1919年に起こったイギリスーアイルランド間の独立戦争の結果で、あの線より南はアイルランドとして独立するんだけど、北側は先述のようにイギリスから来たプロテスタントの人たちがたくさん残ってて、そりゃそのプロテスタント側の人たちにしてみればアイルランドとして独立されちゃったら少数派になっちゃって困るしっていうので、じゃあ北アイルランドはイギリスにつくし、つかせますね、ってなってる。それで北アイルランドはいまだプロテスタント系住民が多数派で、でもそこにカトリック系住民もいて、呉越が悪い意味で同舟してしまってるから、「アイルランドに戻るんだ」「いやイギリスにつくんだ」っていう諍いが絶えなくて、そのこじれにこじれた最たるのが爆弾テロのイメージである。というふうにざっくりと理解してます。

 1960年代から70年代、日本でもアメリカでも”運動”が活発だった頃のことですから、北アイルランドでもまた、いまだいろいろ社会的に差別待遇を受けていたカトリック系住民が公民権運動を活発化させていたわけなんですけども、そこへあって「血の日曜日事件」と呼ばれる痛ましい出来事が起こります。

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 1972年1月30日、逮捕状なしに容疑者を逮捕・監禁できる法律(そんなのあったのか・・・)の撤廃を求めて、一般市民がデモ行進をおこなっていたところへ、警備していたイギリス軍がその市民たちに向けて無差別に発砲し、市民14人が命を落とした、というのが、ここデリーのロスヴィル通り・ボグサイド地域です。

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 この地域に行くとふつーの民家というかアパート的なところの壁に、こういった政治性やメッセージ性の高い、あたしが京大に入ったばかりの90年代初頭にはまだ吉田構内はこういう感じバリバリだったな、っていう壁画がたくさん描いてあります。どれもなんというか、すごくくっきりと描いてあって、小雨のそぼ降る中でも人っ子ひとり通らない黄昏時でも、ぽつねんと立っている一アジア人の胸にがつんと伝わってきます。

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 通学中に撃たれて亡くなったという女子高生。

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 壁画の前に、ストップの標識とIRAの文字、の意味を考え出すとまたうんという感じです。

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 犠牲になった人たちを悼む慰霊塔。

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 血の日曜日事件を扱った、フリー・デリー博物館。
 時間切れで入館できず。

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 ↑これも1972年に爆弾テロにあったギルドホール。

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 デリーはもともと繊維工業のさかんな土地柄だそうで。なだらかに上がり下がりする丘陵のところに、住宅が整然と並んでる感じを眺めることができます。
 ↓こんな川の川沿いでもあって、風光も結構に明媚なところ。

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 川沿いにあるこのモニュメントは、カトリックとプロテスタントが手を取り合おうとしている様子をあらわしています。
 あとアイルランドの国旗は緑・白・オレンジですが、緑はカトリック、オレンジはプロテスタント、白は両者の平和をあらわしていると。

 いまは和平合意も結ばれ、あたしみたいなぼんやりした旅の者がパスポートコントロールもなく国境を越え、のんきに写真も撮っていられるし、もはやパブが楽しみで仕方ないなんてことも言ってられるという感じです。この旅をできていること自体が、すくなくとも歴史が前向きに進んでいることの確認なのかなと。

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2014年07月17日

201405IRL・3日目その3「ブライアン、ボルっ」(5/3 アーマー→デリー)

 その他、アーマーのあれこれ。

 ↓最初に目に入った教会で、なんか地元の市民の人による生け花発表会みたいなんやってたんで、ちょっと立ち寄りました、ていう。
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 あと、街のまん中にある緑地公園で、なんやら古式なテントや仮装が始まってるなと思って寄ってみたら、アイルランドの古代の英雄、ブライアン・ボルーをお祭りするイベントでした。
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 説明しよう、ブライアン・ボルーとは。
 9世紀ごろからヨーロッパ各地に進撃してたヴァイキングの人たちですが、もちろんアイルランドの島にも襲来してて、当時島内全土で栄え育まれていた修道院なんかが焼かれたり奪われたりだので手痛い被害に遭っていたりしたわけなんです、”聖者と学僧の島”と謳われてたアイルランドがこれでだいぶひどい目に遭った。
 で、そのヴァイキングを1014年クロンタロフの戦いで撃破したのが、時のアイルランド王であったブライアン・ボルーさんだそうで、英雄扱い、日本で言うとじゃあ義経公とかでいいのかな。この撃破をきっかけにヴァイキングは勢いを弱めたというか、だんだんアイルランドに同化していった感じになったみたいです。ていうか正味の話、ヴァイキングがアイルランドの交易なり経済なりの礎になって国を造ってったみたいなところもなくはないし、そもそも首都ダブリンだって大都市コークだってめぼしい街はヴァイキングが造ったのがもともとみたいなとこあるんで、あれなんですけど。

 で、1014年クロンタロフの戦い、ということはなるほど、今年がちょうど1000年記念ということで、この緑地でやってるようなお祭りを始め各種記念行事があちこちで持たれてるっぽいです。実は昨日行ったトリニティ・カレッジのロング・ライブラリーにも、企画展示としてこのボルーの伝説を描いたマンガ絵っぽい垂れ幕がたくさん飾ってありました、ていうくらいの英雄的存在。

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 ↑写真は、鷹匠パフォーマンスの人。
 (一応「ボルー 鷹」でググってみたけど、関連アイテムってわけではなさそう。)

 そして↓「Armagh City Library」という小さな町の公共図書館があります。
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 この写真の左側、時計ついた古めの建物で、この立地は京都で言えば三条商店街から寺町や新京極あたりに出たような、お買い物する人たちがたくさん出歩いてるようなところです。いいですよね、そんな立地の図書館。

 ちなみにアーマーには「Armagh Public Library」という名前の図書館もあって、こちらはむしろ稀覯書(例:スウィフトのガリバー旅行記の初版本)保管とか、なんかハイソ系の図書館。(土曜閉館で外観のみ)
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 ↓何にせよ、こういう古都っぽさをのこした町である、という感じ。
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 あとは、お昼にエビマヨのサンドイッチを注文しましたとか、バスに乗ろうとしたらバスセンターに人がいないどころか建物が閉鎖されててかなり焦ったとか、そんな感じです。
 それから、ATMで見慣れぬ色合いの現金が出てきたなあと思ってよく見たら、北アイルランド紙幣(ポンド)だった。ちょっとびびった。ちなみに日本からイギリス・ポンドも持ってきてたので、いまあたしのポケットの中身はユーロの紙幣・貨幣、イギリス・ポンドの紙幣・貨幣、北アイルランド・ポンドの紙幣・貨幣っていう6種類がつっこまれてて、貨幣博物館みたいになってる。

 というわけで、アーマーを出て、今日のキャンプ地・デリーへ向かいます。

 13:05アーマー発 → 14:30ベルファスト着 (9ポンド)
 15:00ベルファスト発 → 16:50デリー着 (11.5ポンド)
 
 またずっとこんな緑・・・。
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 ↓たまに、プレハブみたいな壊れかけのバス停の向こうに、中性的な石造りの城が見えて、おっ、てなる。
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 それ以外は見事なまでの緑一色。

 そして大都市ベルファストからのデリー行きバスでは、10人くらいのがたいのいい女子大生集団に、真後ろ・真横を囲まれてしまった・・・逃げ場がない・・・かしましいどころじゃない、女10人寄って、かしまかしまかしまか、しい・・・。

 つってて、デリー到着。

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 ↑街としては決して小さくはないはずだろうけど、それでも、駅からちょっと歩くだけであっという間に普通の住宅地、地元住民感いっぱいになっちゃうのですが、今日の一宿一飯的B&Bはこのまだずっと先のほうにある、はずです。 

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 宿所営業的サインも案内もいっさいなくて、ただただ通り名と番地だけを頼りに、ただただふつーの民家っぽい家の玄関のチャイムを逡巡しながら押そうとすると、通りかかったこの町のおじさんが声をかけてきて「ユースホステルならあっちだよ」みたいなことを教えてくれようとするので、「いや、ここは一見ふつーの民家っぽく見えますけど、通り名と住所から判断するに、私が今朝ほどネットで見つけたB&Bらしくて、もう予約もできてるはずなんで、たぶん合ってると思いますわー、ご親切にどうもです」、っていう思いが伝わってくれることを篤く祈って、「ノープロブレム」って返事する、とか。

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 ↑今日の一宿一飯の部屋。

 ところで、あたしが訪れるとここのスタッフか住人らしき若いお兄さんお姉さんが、ひとしきり裏でなんやかんややってた末に、「Booking.comで予約したの?」「今朝?」みたいになってて、あーこれ、仕組みが現場に即してないイー・コマースのやつかなあ、みたいになってる。ちゃんと泊まれたからいいけど、場合によっては人が誰も来てない状態でお外に取り残されるしかなかったパターンになるかもしれない。
 っていうくらいの、その場その場で適当に行き先や泊まり先を決めていく感じの旅です。
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2014年07月16日

201405IRL・3日目その2「アーカイブとライブラリーが融合、するっ」(5/3 アーマー)

 アーマーの町に到着。
 バスが出る13:00まで数時間の滞在です。

 とりあえず手始めに、この町のツーリストインフォに行ってみました。小ぶりな施設にいろいろ資料が置いてあったりツアー手配ができる感じ。デスクにマダムがいらっしゃってにこやかな歓待を受け、町の地図とおすすめルートなど心強い情報をいただきました。なによりもウェルカムな応対が一番ありがたく、その恩義に報いてこの町をがっつり堪能しよう!って思えます。

 この町には”セント・パトリック大聖堂”が2つあるらしいです。
 ひとつが、お祖師さまたるセント・パトリックが5世紀に創設した、古い方のセント・パトリック大聖堂(アイルランド教会)。もうひとつが新しい(19世紀)セント・パトリック大聖堂(カトリック)。

 町の丘をちょっとのぼったところに、古い方のセント・パトリック大聖堂がありました。

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 観光客はおろか、人がいない。ちょっと不安。

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 建物は13世紀と言うのですが、リノベーションリノベーションでやってきてる感じで、あんま歴史を感じるという感じはしない、むしろ現役住宅っぽい。

 ↓11世紀のハイクロス(註:アイルランドの屋外によく見られる石造りの背の高い十字架)
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 ↓謎の生命体
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 なんというかこう、歴史の重みを感じるというよりは、”我が家の一所懸命”みたいな雰囲気を感じる。いまのお寺さんがいまここで日々維持してますよ、的な。
 あー、これ言っちゃっていいかわかんないけど、飛鳥大仏のある飛鳥寺を見た時の印象に近いなあ(笑)。
 それでいて、なんかこう座りが悪いというか、本家筋の親戚ん家に来てるみたいな、気を遣わなきゃいけないんじゃないかっていう落ち着かなさがある。それはたぶん、いま・ここに住まいしてるであろう生身の人の存在を感じて、そこに気を遣っちゃってる、てことなのかな。

 ↓丘の上からの眺めの、緑と灰色っぽさがいい。
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 もう一方の新しいセント・パトリック大聖堂(カトリック)、建って100年そこそこ、がこちら↓。

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 出ました、文句のつけどころのないゴシックです!
 こっちはなんかもう、”宗教の本気”が炸裂、みたいになってる。

 ↓天井もえらいことになってます。
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 そして不思議なことに、さっきの”我が家の一所懸命”よりもこっちの”宗教の本気”のほうが落ち着く。座りこんでここでしばらく過ごしていたい、癒やされたい、っていう気になるのはこっちのほう。
 なんというか、こういう圧倒的なものの前にこそ、人は安らぎを感じるのかなあ、みたいなことを考えたりします。

 他にこの街にはどんなのがあるか、事前にいろいろ調べてたのですが、図書館関係では公共図書館とは別に「Irish and Local Studies Library」(http://www.armagh.co.uk/place/irish-and-local-studies-library/)なるレファレンス・ライブラリーがあるらしく、これはちょっと鼻がひくひくするというんで、行ってみました。

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 ここ、Irish and Local Studies Libraryは、アーマー地域や北部アイルランドの歴史にまつわる資料を抱え、アーカイブ機能と研究図書館機能を合体させたような、まあだから京都府立総合資料館みたいなものでしょう。規模としてはだいぶ小さいバージョンではありますけど、実際に若い学生さんが何人か来てて勉強してはる、マイクロフィルムも見てはる、という感じでした。
 ただやっぱり一般の人がふらっと立ち寄れるようなとこではなく、知る人ぞ知るっぽさが強く、そもそもこの図書館への入り方が全然わかんない。正しい入り口がまず見つかんない、裏手にまわると明らかに廃墟と化した建物があって、まさかここじゃないだろうしなってうろうろしてたら隣の老人ホーム的なとこに侵入しそうになったり、カギがかかっててブザー押さないと開けてくれないし、入ったら入ったで建物の中を若干探索しないと図書室までたどり着かないしで、一見さんでは何度か心が折れそうになるところ。

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 館内の写真を撮らせてもらうのに、そこにいたライブラリアンの人に「実は自分も日本の司書で、大学で教えることもしていて、学生に紹介するために写真を撮りたい・・・」と言ってみたところが、それまでも愛想良かったのが、さらにパッと顔を輝かせはって、「あ、そうなんだ! じゃあどうぞどうぞ、こっちへ」っていきなり裏手の閉架書庫へ通されて、ここには地域の雑誌や灰色文献のたぐい、これは古い絵はがきのコレクションでいいやつがいろいろそろってる、マイクロフィルムはこんだけそろってる、こっちは地図のコレクションで北アイルランドの歴史的などうのこうのって、書庫をくまなく一巡しながら弾丸トークをしてくれはる。

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 これです。これが、司書魂です。”うちとこ”を案内したくてしたくてしかたがない的なライブラリアンの心情には、万国共通感がありますねえ(笑)。だからみなさんも旅行先で図書館を訪れたらぜひ声をかけてトークしてみてください。>学生諸君
 あと、そのライブラリアンさんに「アーカイブとライブラリーが融合して機能するのはすごく重要だと思うんですけど、学生も司書もそのことを理解しないで別々に考える人が多いんですよね」っていう話をしたら、「そうそう、ほんとそうよねえ」ってめっちゃ同意されたんで、そのへんも万国共通かなって感じでした。なので別々に考えず、融合した姿を理解してください。>学生諸君
 
 結局アーマー滞在のうち、ここに一番長々と逗留してました。よそはほぼ駆け足だった。
 あと気をよくしはったライブラリアンの人に「これ持って帰りよし」って、分厚い地域資料本を2冊ももらったんだけど・・・、旅序盤にしてこの重量はきつい・・・、でもこれはさすがにちゃんと持って帰らなきゃ・・・。

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2014年07月13日

(メモ)『これからのアーキビスト:デジタル時代の人材育成入門』を読んだメモ。

これからのアーキビスト [ 知的資源イニシアティブ ] - 楽天ブックス
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●「日本近現代政治資料とアーキビスト:収集アーカイブの視点から」鈴木宏宗

・NDL憲政資料室

・・資料収集
・収集のきっかけは”利用者による紹介”が多い。
・所有者が「価値がないのでは」「誰かに迷惑をかけるのでは」「処分したほうがいいのでは」などのように考えている場合もあり、説得して理解を得るというのも重要な役割。
・検討した結果、他の関連機関に所蔵する方が良いと判断することもあり、その仲介をおこなうのもまた重要。
・他の関連機関への仲介については、組織的・制度的なものがあるわけではなく、担当者同士によって情報交換・連絡がおこなわれているのが実際のところ。

・・一般社会へのアピール
・日本近現代政治史の資料の多くは、地味なものが多く、その意義を知るにはある程度の知識を要する。それを研究者以外の一般社会の人たちを対象にアピール・展示するには、適切な解説・紹介や、人目の引くものとの組み合わせなどを考える。


●「公立図書館におけるアーキビスト的役割:小平市立図書館を事例として」蛭田廣一

・『地域資料に関する調査研究』国立国会図書館, 2008

・・小平市立図書館
・地域資料の収集を、中央館だけでなく地区館も含めて、収集”分担”をした。
・マニュアルを作成し、仕事内容・手順を”文書化・共有”した。
・収集活動を、小平”市”の「長期総合計画」という”行政計画”のひとつに位置づけさせた。


●「歴史資料:市史編纂事業の現場から」松岡弘之

・・市史編纂のための資料収集等について
・現時点で収集史料の公開は正式な業務とは位置づけられておらず、なお個別的な対応の段階にある。
・近年における地域資源の急激な散逸には対応できていない。
・MLA等の連携がうたわれているが、おのおのの得意分野を生かした実効的なものとするには各組織になお乗り越えるべき課題が多い

・「紙の山」を「宝の山」へと変更する作業工程そのものは以前と大きく変わることはない。
・草の根文書館、として長く論じられた課題。
・デジタル化とは単純に紙を液晶画面に置き換えていくことではない。こちらがなにをなすかではなく、相手が何をどう体験するかにかかっている。
・いかに高い理念を掲げようとも、市民の支持を欠いた知的基盤構築は所詮画餅でしかない。


●「企業において求められるアーキビストの役割」朝日崇

・わが国ほど社史の類が作られている国は世界中を見渡しても無い。一方で、依拠する資料の扱いや保存のお粗末さもまた格別とも言われる。
・企業アーカイブのアーキビストはどんな仕事をしているか。仮想の事例でアーキビスト像を考える。(←これはわかりやすい)
・史料センターの組織としてのあり方について。経営企画等の仕事と連動した組織にすべき。広報的役割に加え、何かあったらすぐに史料センターに行けと言われるくらいに、経営マネジメントに直結させなければならない、という”デザイン”。


●「多元的デジタルアーカイブズと記憶のコミュニティ」渡邉英徳

・ツリー構造のデジタルアーカイブでは、異なるアーカイブに収蔵された資料=葉どうしのつながりが把握しにくい。そこで、マッシュアップにより多元的デジタルアーカイブズをデザインし、俯瞰できるようにする、つながりを把握できるようにする。写真をGoogle Earthと重層することで現在の町並みとのつながりをわかりやすくするなど。
・こうした多元的デジタルアーカイブズの構築には、技術だけでは充分だけでなく、さまざまな社会的ハードルがある。二次利用のための許可取得、資料保持者との交渉、資料のweb利用が想定外、など。
・学生が地域の人と接し資料を収集する、というその過程について。→記憶のコミュニティ。
資料のフラット化、個々のデータのマッシュアップ、つながりを可能にする時空間メタデータ。時空間メタデータは社会的・政治的な立場と関わりを持たないフラット・公平なもので、今後社会が変化しても時空間メタデータは変化しない。


●「新しい養成制度とそれにふさわしい新たな職場開拓」谷口知司

・・運動としてのデジタルアーカイブ。≒地域住民参加型デジタルアーカイブ
・地域社会で地域住民が自ら参加すること。
・資料・素材の収集とアーカイブ作成が継続的・持続的であること。
・対象が、地域の文化資源・情報資源であること。


●「デジタルアーカイヴィングの担い手:新しい文化資源専門職の養成」佐々木秀彦

・MALUI連携拠点づくり。
・これは単なるハコモノづくりではなく、既存の文化資源機関・研究教育機関をつなぎ、編み直すことで、新たな価値を生み出す取り組みである。横の動きをつくり、風通しを良くし、生き生きとした場をつくる。連携拠点は”運動体”であり、連携の要は「人」である。
・そこで養成された専門職は、既存のMLA世界に埋没するのではなく、越境し視野を広げて仕事を見直す。


●「〈これからのアーキビスト〉に求められる資質と環境:総論にかえて」高野明彦

・3者、すなわち、「中の人」だけによる組織内改革とか、「外の人」だけによるNPO活動とか、個別テーマ別のアーカイブ活動とか、それぞれがばらばらに活動するのでは限界がある。
・小さなレベルで、広場のような交流のための基盤をつくり、従来の「中」「外」「テーマ別」では取り組めない活動に、それぞれがスキルを提供し相互に貢献し合うこと。その可能性を模索できないか。
・オリジナルの代替物としてのデジタル化ではなく、情報を共有するためのデジタル化。


■江上メモ(考えたこと)
・従来のように、人材というリソースを”ツリー構造”でとらえコントロールするのが無理なんじゃないか、これからは、っていう。それにとらわれていては、本書内で繰り返し提言されている”連携”は充分に成就しないんじゃないか。これからのアーキビスト(的な者)のあり方をデザインする、とは、そういうことなんじゃなかろうか。
・これはこの本に限って言うような話ではないんだけど、”アーキビスト”という”人材”について議論するのに、ほとんどの議論の参考文献がアーカイブ分野や文化資源・図書館業界のそればかりで、ヒューマンリソースマネジメントという専門分野の文献なり研究成果なりにもとづいたものがほとんど見られなかったように思う(203ページにちょっとあった)、っていうのは、図書館業界の人事・人材を議論するときにもよくありがちなことで、自省の意味も含めて、やっぱり、”人材”について議論するならヒューマンリソースマネジメントという科学・学問を踏まえなきゃだろう。人事・人材の議論って、誰もが何かしら”物申す”的なことをしたがるしできちゃうことなんだけど、そのほとんどが結局のとこ個人・組織・業界の内輪的な”経験談”にしかもとづいてないようなものだったりするんだけど、科学的態度による議論を目指すんだったらその専門の文献・成果にもとづくのは不可欠だろうなと。

posted by egamiday3 at 22:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・3日目その1「バス・エーレンに、乗るっ」(5/3 ダブリン→アーマー)

 5/3、3日目。
 このプチ場末の宿、真下がパブで、金曜の夜で、ロックがガンガンかかるわ酔っ払いが明け方まで奇声を上げ続けてるわけで、夜中に叩き起こされてます。しかも「時差ボケは2日目以降の方がキツい」の法則も効いてる・・・。

 今日からダブリンを離れてアイルランド周遊の途につきます。
 おおむね考えてるのはこんな感じ。

5/1 入国・ダブリン着
5/2 ダブリン観光
5/3 ダブリン発→北アイルランド方面(ルート未定)→デリー泊
5/4 デリー発→(ルート未定)→ゴールウェイ着
5/5 アラン島観光
5/6 ゴールウェイ発→(未定)
5/7 (未定)
5/8 (未定)
5/9 ダブリン発 → 5/10 日本着

 今日はダブリンから北上して、北アイルランドに入り、最終的にデリーで宿泊することを目指します。
 じゃあそのデリーへ行く途中はどうしようか、ベルファストに鉄道で入るかしら、などなど、ガイドブックやバス時刻検索などとがっつり取り組みした結果、アーマーという小さな町に立ち寄ってみることになりました。

 アーマーの町へは、ダブリン・コノリー駅横のバスセンターから長距離バスが出てます。
 朝7時発のでとっとと出たろうということで、6時過ぎに宿出。まだ無人のバスセンターで、券売機からあっさりとアーマー行きチケットを入手。
 
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 この旅で1発目の、「バス・エーレンに、乗るっ」です。
 旅程では、Dublin 0700発 → Newry 0830着/0855発 → Armagh 0945着、の予定。

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 ダブリンを発って、ちょっとするともう緑、緑、緑の草っぱらばっかりです。
 この後の数日間、ダブリンに戻ってくるまで延々と、車窓はだいたい↑こんな感じです。
 草地と石組みと牛・羊。あと、なんかわかんない黄色い花。

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 アイルランドのいたるところで見かけるこの黄色い花はゴースとかハリエニシダとか呼ばれるらしくて、緑と石しかないと思ってたアイルランドにもこんな色彩鮮やかな花があちこちに咲いてるんだなあ、なんて思ってたのですが。聞くところによればこの花は、非常に繁殖力が高い、つまりどんな荒れ地にも花を咲かせる、つまりこの花が咲いてる土地は荒れた土地なんだ、ということで、ああそうか、アイルランドさんやっぱり農作では苦労してるんだね・・・と気持ちがさがる感じにちょっとなる、そういうあれみたいです。

 ともあれ、アーマー到着まで結構な時間があるからというんで、iPhoneでアイリッシュ音楽を聴きながら、アーマーについての予習をしています。

 アーマーについてわかろうとすると、まず、セント・パトリックのことを知らないといけない。
 アイルランドは国民の約95%がカトリック教徒という、キリスト教に篤い篤いお国柄なんですが、そのキリスト教を5世紀にこの島にもたらした大聖人・守護聖人が、セント・パトリックさんです。だからもう、カリスマですよね、この国では何かといえばパトリックさんパトリックさん言うてはる。ていうか神話化してて、魔術師と戦って勝ったとか、復活祭の日に丘に火をつけたとか、島から毒蛇を追い払ったとか、日本でいえば聖徳太子と弘法大師と菅原天神が合体したくらいな勢い。最近日本でも3/17にはやたらとセント・パトリックデーを宣伝するようになってきましたが、そのお祭りの対象がまさにこのパトリックさんなわけです。
 で、アーマー(Armagh)というこの町は、そのセント・パトリックさんが初めてキリスト教の教会=セント・パトリック大聖堂をお建てになった場所ということで、まあ、斑鳩なり高野山なりにいまから行こうとしてるわけです。セント・パトリック大聖堂が建てられたのが445年で、もちろんいまに現存しているわけではないですが、いまのだって13世紀というから充分すごいなと。
 総じて奈良・飛鳥に行く感がしてる、そういう町です。

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 そのアーマーは、アイルランドではなく、北アイルランドにあります。
 アイルランド島の上のほう、アップル社のマークをもうちょっと左にかじり進めた感じの部分に、赤い国境線がひかれてあってそこが「北アイルランド」、イギリスの領土になってます。(註:イギリスの正式名称=グレートブリテンおよび”北アイルランド”連合王国)つまり、これからあたしは”違う国”へ行こうとしてる、国境を越えようとしてるわけです。
 つったって、今日現在はパスポートチェックなり何なりというものはなくって、バスや電車に乗ったままふつーに、というかまったく知らされないうちにぼんやり入国してる、という感じです。ただ、あれ、なんかさっきまでの道路とか看板とか遠くに見える建物の雰囲気が変わったかな、景色の中にすうっと人工物が増え始めてきたかな、緑の田舎に”郊外”っぽさが若干加わったかな、もしかしてそれが国を越えたってことなのかな、くらいの印象はある。

 で、バスを乗り換えるニューリー(Newry)という町の人っ気ないバスセンターに到着したわけですが。

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 もはやここはアイルランドではないってことをすっかり意識してなくて、売店で朝食代わりのブラウニーを買うのに10ユーロ札出したら、ねえさんに「ユーロで払うの?」と言われてそこで初めて気がついた、っていう。やばい、あたしポンドなんかいっこも持ってへん! と思ったけどその辺はたぶん向こうも当たり前のような感じで、2.50ポンドに10ユーロ札出したら5.50ポンドお釣りかえってきましたよ、ていう。その手の簡易計算式みたいなんがあるんでしょう、たぶん。
 もうひとつ。まったくうっかりしていたことに、日本から”アイルランド用”で契約して持ってきたポケットwifiが、国境越えるとつながってくれない、ていう。iPhoneみたらはっきり「vodafoneUK」って出てるし。

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 乗り換えてニューリー→アーマーへ向かうバスになると、これはもはや地元路線的なやつになってて、高速道路のときとは比べものにならないくらいローカル感が増してきます。乗り合わせてるのが音楽聴いてる地元のヒマそうなにいちゃんだし、車内なんか散らかってるし、車窓も風光明媚よりはリアル田舎の生活感が出てるし。
 たまに集落みたいなところに着いて、まっ白なあごひげに緑の帽子のおじいさんが、道端の小屋みたいなバス停で降りるんだけど、降り際で運転手とダラダラしゃべっててしばらく停車したままとか。そしてそのささやかな集落を離れると、また丘があって草っ原があって、たまに民家があって牛がいる。
 とても、観光客が来るようなところじゃないような。

 そして、アーマーのバスセンターに着きはしたけど、土曜だからなのか客にしろ職員にしろ人がいないし窓口も何も開いてなくて、見知らぬ町に取り残されました感が満載で、ここから帰れる気がしない・・・。

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 旅行事務的な付記メモ。
・Bluetoothじゃないイヤホンは、あったほうがはかどる。
・飲み残したワインを空のペットボトルに詰め替えてカバンに忍ばせるというライフハックを実行。
・スーパー(TESCOとか)行くと、つまみや非常食的になんか袋入りナッツを買っちゃうんだけど、ナッツって、買うけど結局食べない。
・福岡であんなに軽かった荷物が、一日ダブリンにいただけで一気に重くなってる。こんなもん背負ってアーマーなんか歩けるわけないので、捨てられるものは捨て、そして"捨てたい時はいつでも捨てる"袋を作り、その中で重さの原因になってるものを特定する、など。
・アイルランドの高速バス、バス・エーレンは無料のwifiを搭載。ブラウザで若干の操作をすれば、その場でネットにつなげることができる。そういえばダブリンでは市バスも公衆無線LANを使えて、旅行者でも何でもとりあえずその場でメアドを入力するだけで、つながる。こういうのをこそ"公衆"無線LANと言うんだと思うのです、どこぞの国の新幹線のような事前契約してる人しか使えない「名ばかり公衆無線LAN」とはちがう。


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2014年07月12日

「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」をコーディネートするために何を考え置きしていたか、についてのメモ

 去る2014/6/28、情報メディア学会の研究大会において、パネルディスカッションのコーディネータを務めさせていただきました。の、フォロー記事の続きです。

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 [New!!] 録画が公開されました!
 https://www.youtube.com/watch?v=qpq9zqf9V1I

 情報メディア学会
 http://www.jsims.jp/
 第13回研究大会開催のご案内
 http://www.jsims.jp/kenkyu-taikai/yokoku/13.html
 情報メディア学会 第13回研究大会「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」 #JSIMS2014 - Togetterまとめ
 http://togetter.com/li/685786
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 その2であるこの記事は、「話題案」のストック置き場です。
 その1(http://egamiday3.seesaa.net/article/400797440.html)で書いたように、コーディネータという役割をなんとかこなすためのよすがとして、当日こんなことをこんなふうにしたらいいんじゃないかなっていう「話題案」を、あらかじめ自分なりにまとめて、手もとに置いて、話題が途切れるようなことがあれば適宜使おう、なんてことを思ってたわけですが、まあ当然ながら実際に使ったのは全体の1割にも満たなかったわけで、ダメでもともと・無駄になってもともとの「話題案」のストック、そのメモを、まあネットになんとなく置いといたら誰かの何かのヒントになるかな、ていうあれです。
 当日のパネリストのスピーチやフロアの質問からの着想も追加書き込みしています。

 ただ、これと上記当日録画を比べると、やっぱ当日はごくごく氷山の一角的テーマしか扱えてないんだな、ということがわかりますね・・・。


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●デジタル化はなぜすすまないのか

・”デジタル”自体が持つ、デジタル化の促進を止めてしまうデメリット
-技術の変化
-大量
-不当コピー
-説明がいるということ
-劣化・欠落(ロスト・イン・デジタイゼーション)
・なぜ”紙”じゃだめなのか?

・・デジタル化を阻む社会的要因
・制度・枠組みの未整備、という問題。
-著作権
-ビジネス(収益)モデル
-会計制度の不備
-納本制度の不備
-権利者・出版社への配慮・衝突回避

・民がダメなら、公?←では「ダメ」とは何?
・公だからこそダメで、民なら「つづく」、とは?

・ユーザ側の無関心・無反応(あきらめ?)
・人材の有無、という問題。
・つづける/つづかない、の問題
・内部(社内・組織内・同業他者)からの抵抗

・そもそも、なぜ我々はデジタルが”足りてない””進んでない”と思ってしまうのかしら?
-「つかう」に理想がある
-他の(業種・国・分野)はもっと「つかえる」のに



●デジタル化の効用・恩恵

・そもそも、デジタルは、何のため?
-保存・現物代替
-流通促進(ファインダビリティ−リンク)
-効率化
-アウトリーチ

・では、そもそもなぜ”デジタル”なら”アウトリーチ”するのか?
・デジタル化と”アウトリーチ”
-いままで知られていなかった資料に、リーチできる
-いままで使いづらかったユーザが、リーチできる
-デジタルだと「つかう」に”多様性”が生まれるので、リーチできる
(NDLオンデマンド、プリントディスアビリティ)
→デジタルは、資料と社会との接点となりうるか?
→デジタルが、リアルのアクセス制限を、引き継いでしまっているという問題(→)


●どうすればデジタル化は進むのか?/進まないのか?

・北風(プレッシャー・クレーム)は、促す要因か阻む要因か。
・「クレーム・負の評価・プレッシャー」⇔「成功・好評価」は、デジタル化をどう促すか、または阻むか。
-ユーザの声(批判・意見・フィードバック)と、促し/阻み
-では、ユーザ(つかう人)側は、意見をどう伝えているだろうか?

・デジタル化を促す要因(太陽)とは何か?
-報酬の有無(金銭的コスト、評価、社会還元)
-社会的評価の有無(=促しの有無)
-では、社会的評価を得るには?

・誰が”コスト””リスク”を引き受けるのか?
・デジタル化にかかるコスト/リスクを「公が引き受けていい」と、我々社会が合意できるか? 理解を得られるか? そのカギは?
・公が引き受けさえすれば、デジタル化は進むのだろうか?

・ユーザが、デジタル化をストップする要因になっていないか?
-北風(プレッシャー/クレーム)は、促す要因か阻む要因か。
-ユーザ側の無関心・無反応(あきらめ?)
-では、ユーザ(つかう人)側は、意見をどう伝えているのか?
-上手にデジタル化を促すユーザの行動とは


●(具体・個別のテーマ)
・プランゲ文庫のデータベース(公的資金⇔高額)
・有事・震災災害×デジタル・アウトリーチ


●デジタル化”後”のアウトリーチ

・可視化されにくい、見つけられにくいものを、どう届けるか
(可視性/発見可能性)
-Linked Open Data
-データ構造
-統合検索・ディスカバリーシステム(まとめて検索できる)
-他者との連携(↑のための)
-テキストデータ化(OCR・翻デジ)
-言語の壁
-加工が容易なデジタル(オープンデータ、社史データベース)
-オンデマンド出版
-ブログなどの情報発信
→これらがアウトリーチにどうつながるだろうか。

・「つかう」ハードルの上げ下げ
→デジタルが、リアルのアクセス制限を、引き継いでしまっているという問題
-若手研究者問題
-利用申請・要件
-NDL転載手続き簡略化
-東寺百合文書CC-BY
-ウォークインユーザ
-所蔵者・権利者の存在
-買いやすさ/買いにくさ
→ハードルを上げないと、ハードルが下がらない??

・他者・複数者との連携
・ひなぎくやJKなど
・コンテンツの統合連携や、横断検索・統合検索
-アウトリーチへの効果は?
-連携の難しさは?
-成功要因は?
(交渉・システム・実務・仕組みや形式の多様性)

・異なるアーカイブ/業界/メディア同士の「相互連携」(つなげる)
(同じ界隈ではリーチでも、業界間ではアウト)

・”受け”のアウトリーチ
・アーカイブやプラットフォーム(「うけいれる」)
  ↑
  ↑←ここが”届かない””アウト”という問題
  ↑
 コンテンツやリソースの所有者
(例)坂本龍馬の手紙が見つかった話

・引用/再検証可能性(固定URL、深層web)



●ユーザについて

・ユーザはどこにいるか? (海外・学外・・・)
・想定しているユーザと、想定外のユーザ

・自分がユーザとして障壁を感じた経験談
・「つくる」「つたえる」「つかう」の複数の立場を持つ身だからこそ、わかること。
・アウトリーチに乗りだそう、目指そうとした理由

・ユーザ百景
-若手研究者・野生の研究者
-勉強しない方が悪い、わかろうとしない方が悪い、はオープンなのか?
-発信者としてのユーザ
-むしろ進んだユーザへのリーチ(キャッチアップ)
-デジタルネイティブ、研究のデジタル環境
-「つくる」に無頓着な研究者(ユーザ)

・ユーザと接し、ユーザを理解することについて。
-ユーザを理解するにはどうしたらいいか。
-ユーザが「つくる」「つたえる」側に”理解してもらう”ためには、どうしたらいいだろうか?
-「つかう」人と「つくる」人とはどれだけコミュニケーションがとれているだろうか? 互いにとろうとしているだろうか?
-逆に、ユーザ側は、どれだけ建設的にコミュニケーションをとろうとしているだろうか?


・そもそも、資料とユーザが結びつく、ということの、社会的意義について



posted by egamiday3 at 10:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・2日目その3「想い出が、混ざるっ」(5/2 ダブリン)


 ダブリン市内の文教地区っぽいあたりの一角に、アイルランド国立図書館がありました。
 内部は写真不可でしたが、↓だいたいこんな感じ。

IMG_7454.JPG

 なぜかクールミントっぽい色調。
 観光客・見学者も一応この閲覧室を見物するために中には入れるんだけど、入室してすぐのところに分厚く古い木製書架が立ちはだかってて、「見学者はこっち」ていう通路ができてて、ビューポイントまで誘導されて、おしゃべり・撮影禁止で雰囲気だけ味わえる、ていう。
 なるほど、たいそうな施設を構えなくてもビジター用の対応とゾーニングができる、いいやり方だな、とは思います。
 利用者のほとんどはPC持込みだから、室内はパシャパシャ音が響いてる。たまに紙のでっかい製本新聞をめくる音がばっさあってしたりする。
 紙のでっかい製本新聞を机上で斜めにして読むための書見台があるんだけど、それ、書見台というよりも、閲覧机の上にパウダービーズのクッションみたいなのがでんって置いてあって、たぶんあれ好きなように位置・角度変えたりできるっていう、えーなに、あれ欲しい(笑)。

IMG_7453.JPG

 あとは、geneologyサービスが個別に設けられてたよとか、見馴れないマイクロリーダーがあってこれ欲しい(http://www.solar-imaging.com/readers-a3ultra.php)とか、モダンな展示室があったりと、そんな感じ。上の写真がロビーですが、見たとおり、そんなに規模はでかくないです。

 そして、市民公園的なところにたどりつきました。セント・スティーブンス・グリーンという緑地。
IMG_7458.JPG
IMG_7460.JPG
 ほっこりしたので、今日の昼の部はここで終了。

 グラフトン通りを上って宿へ戻ります。
 それにしてもこのグラフトン通りもそうなんですけど、テンプルバーといいヘンリー通りといい、駅近くのちょっと猥雑なエリアといい、このダブリン市内には”人の出歩きの多い繁華街の類”がやたらあって、もともとダブリン自体そう広くもないところにそういう通りがいくつもあるので、人の出歩きがどこまでも絶え間なく続いてるなあ、っていう印象を受けます。何を目的とするわけでもなく滞在して呑み歩く、のに最適にデザインされた街なんじゃないかしら、それがいいか悪いかは別にして。

 その後若干の旅行事務的トラブルを経て、もう酒でも呑まなきゃやってられませんな! というわけで今晩のパブ・クロールの記憶。

 南の緑地近くの、O'Donoghue'sというバーに行った、気がする。わかんない、あんま覚えてない。
 テンプルバーにアジア料理のビュッフェの店があって、あ、たぶんここで食べなかったら1週間後にダブリンに戻ってくるまでアジアフードは皆無だろうな、と思って、弁当ボックスに好きなだけ詰めれるやつを店の小柄な娘さんに注文したら、どっから来たの? 日本? わぉっ、あたし日本語ダイスキ、コンニチワ!っと言われて和んだ。その勢いでテンプルバーの公園でそのお弁当食べた、ていう話。
 Farrington'sっていうテンプルバーのパブに入ったら、歌い手が歌ってて、客が全員で合唱してて、オハラというアイリッシュスタウトが美味かった、ギネスと違いがわからないあたりまだまだ未熟。・・・っていうふうにTwitterに書いてあるんだけど、どんな店だったかちょっと覚えてないし、ネットで写真見てもこの旅でたくさん行ったパブのどれにも似てる感じがして、さっぱり記憶がないという話。あれかな、ご婦人が車いすの紳士にかがんで話しかけてはったパブかな。それか、あまりにもぎゅうぎゅうで立錐の余地ないところへがたいのいい紳士に道ゆずったとこかな。
 
 ・・・これはダメだ。想い出が混ざってしまってる(笑)

 だいたいどこのパブも、人気店であろうがなかろうが、音楽やってようがやってなかろうが、人がぎゅうぎゅうに立ってて好きこのんで満員電車みたいな環境に身を置いて、ビール飲みながら知人だろうがそうでなかろうが叩きつけ合うようにして延々やいやいとしゃべってはる。そういう光景がまずデフォルトだと思ってください。そんなんがデフォで、一晩に何軒かクロールするから、いつどこの店に行ったときがどうだったっていうのがさすがに混沌とする、ていう。
 あと、アイルランドは音楽の国でもあり、おおむねどのパブでも毎夜ミュージシャンがライブをやってはる。それが、プロかアマかセミプロかセミアマかは知らない、曲目もトラディショナルだったり、オリジナルやアーティスティックだったり、なんやアメリカンポップスやロックやイタリアの民謡だったりもする。あきらかに観光向けあきらかにコマーシャリズムなのもあれば、ネイティブだったりローカルだったりもたぶんする。どこでやってるのがどういうのかはわかんないけどもとにかく、どこでなりと何かしら音楽やってる、それもデフォです。で、よっぽど、ああいい演奏だなあ、って思うようなんでなければやっぱり見分けがつかない。

 街角でパフォーマンスしてはるのも、グラフトン通りかなと思えばテンプルバーだったり、もう、わかんない。
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 下の写真の兄さんは、スーパーマリオのBGM吹いてはった。

 えっと、あとなんだっけ。
 ポーターハウスという店でポータービール呑めるらしいしライブやってたから入ってみたけど、バーカウンターにずらっと人が並んでて全然はけなくて、縦長のビルにフロアがいくつかある店で、それで2フロアほどチャレンジしてみたんだけど、いっこうに買えやしないから、何も呑まずに出てきました、っていう話。これは覚えてる。
 Slattery'sていうパブに行って、カウンターのラベル見て適当にしたらサイダーで、別にサイダーなんか呑みたくないんだけどなーってちびちびやってたら、ご年配集団がどやどやとやってきて、10人だけどライブやってる? 今日はやってないんです、けど明日なら見たいになってて、なんだじゃあ帰ろう、て言われどやどやと出てった。と思ったらすぐに戻ってきた。っていう話。そんなことあったっけ?

 パブと音楽の国・アイルランドでは、パブと音楽しかキーがなければ、想い出が混ざる、っていう。

 ま、こんな感じでーす(笑)。
 
posted by egamiday3 at 10:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月11日

201405IRL・2日目その2「妖精に、なるっ」(5/2 ダブリン)

 昼食処を探し求めて、街を歩いています。
 テンプル・バーにIrish Film Instituteなる文化施設っぽい名前のところがあると聞いてて、アーカイブアーカイブしたとこなのかなと思って立ち寄ってみたら、むしろミニシアターミニシアターしたところで、「風立ちぬ」が近日上映だったりしたりとか。
 本で紹介されてたアイルランド料理の大衆食堂なる触れ込みの店を探して、住所通りのところに行ってみたら、なんかぜんぜんちがう宝石屋さんになってたりとか。まあその本が出たのもケルティック・タイガー(註:15年くらい前から始まったアイルランドのバブル的好景気。リーマンショックで終焉)の初期頃だったから、その頃とはこのへんの街の見た目もガラッと変わったりしてるんだろうなあ、とか。
 最終、評判らしいフィッシュアンドチップスの店(Leo Burdock's)でテイクアウトして、セントパトリック大聖堂の庭(公園っぽくなってる)のベンチでいただいてます。

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 多いい(笑)。お芋多すぎ、半分くらい残した。
 それでも、芋も魚もほくほくでぱりぱりで、ビネガーと塩がしっとりで、イギリス料理やアイルランド料理が美味いか不味いかは諸説あるでしょうが、要はフィッシュアンドチップスさえあれば万事問題ないのだ、ということを現認いたしました。

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 セントパトリック大聖堂前公園は、子供連れや友人連れの市民の人たちがくつろいでる感じになってるし、チューリップはすんごい色鮮やかだし(花らしい花もこちらではそう多くは見かけない)、若干青空が出てぽかぽかしてきてるし(こんな陽気アイルランドにもあるんだ(←偏見))。

 そして次はダブリン大学(トリニティ・カレッジ)。

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 この愛らしい景観のキャンパス内にでんっとあるのが、これもまた我々図書館業界に住まう者なら一度は行っておきたい、オールド・ライブラリーです。

 Trinity CollegeのOld Libraryでの見所は2つ。
 「ケルズの書」と「ロングルーム」

 1つ目「ケルズの書」と称される稀覯書は。
 そもそもアイルランドは、紀元前に島全土にケルト民族が住み着いたケルト人・ケルト文化の土地柄です。ケルト民族自体は当時ヨーロッパ全土にいたんだけど、ローマ帝国によって西へ西へ追いやられてしまって、西の端のアイルランドのとこだけがっつり残ったということもあって、アイルランドと言えばケルト、みたいなノリになっちゃってる。
 そのケルト文化はいろいろ独特な要素がある(註:輪廻転生的宗教観とか、妖精とか、石造りとか、でっかい十字架とか)んですが、ケルト美術・装飾もずいぶんキャラの立ったところがあって、らせん模様とかうずまき模様とか、輪っか的というか鎖的というか繰り返し的な抽象模様、やたらキンキラだったりやたらうねってたり、細かすぎて伝わらない描き込み、人や動植物も描かれなくはないんだけどなぜかみんな繰り返し的な抽象模様の中にとりこまれてしまう。そういうデザイン、そういう意匠が、いかにもケルトだなあ、ケルトいいなあってなる魅力だったりする。
 そのケルト美術界隈でもとりわけて最高峰がこれだ!的扱いをされているのが、この図書館の至宝・「ケルズの書」であると。
 写真はもちろんとれないので、ネットの画像でいうと↓こんな感じ。

http://commons.wikimedia.org/wiki/Book_of_Kells?uselang=ja#mediaviewer/File:KellsFol034rChiRhoMonogram.jpg
http://commons.wikimedia.org/wiki/Book_of_Kells?uselang=ja#mediaviewer/File:KellsFol029rIncipitMatthew.gif

 まあ、言ってしまえば8世紀の聖書。言ってしまえばベラムの写本・手彩色本。
 いやいやいや、とんでもない執念だろうと、この描き込み。
 なにやってんすか、と。どこまで描けば気ぃすむんすかと。
 上の絵なんかあれ、アルファベットの「X・P・I」らしいですよ、3文字ですかと。3文字書くのにどんだけエネルギーぶつけてんすかと。文字ぐにゃぁーっの、模様ぐるぐるぅーっの、中に人の顔描き入れてみましたーっの、これが聖書かい、と。
 というのを、世界中から拝みにこのオールド・ライブラリーにみなさん来はるので、いつもまあまあの人数並んでる、同時入場者数に制限がある、展示ケースは上からのぞきこみはできるけど分厚いガラスに守られている、そして展示箇所は半年に一度別のページに変えられる、といった感じで、至宝展示の一例としても興味の持てるアトラクションになってます。

 見所の2つめが、ロングルームと呼ばれるこのオールド・ライブラリーの閲覧室施設です。
 最近たまに思い出したようにネットで流行る「一度は行ってみたい世界の美しい図書館ベストいくつ」みたいなネタで、必ずと言っていいほど上位ランクインしてらっしゃるのがこのロングルームです。
 これはお写真撮り放題。

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 もうなんていうんでしょう、美しい図書館とか、古い図書館とかじゃもうないです。
 自分にとっては、居心地がいい。ただただリアルに居心地がいい。居たい。
 ロングルーム見学は、ケルズの書見学とセットになってます、だから写ってる観光客のみなさんこれだけの数がそれらを見に来てるということになる。その人たちが来て見ては帰り、来ては帰りしてるんだけど、あたし一人はとてもじゃないけど帰れない。帰りたくない、立ち去りがたい、できればここに居座ってたい。それくらい居心地のいい空間。

 もし毎日ギネスとフィッシュアンドチップスさえ配給されるのなら、このオールド・ライブラリーに取り憑く妖精として800年くらいの生涯をここで過ごしてもいいんじゃないかしら。

 そんな、寓話的に言って不穏なフラグの立ちそうな妄想さえ起こすようになったので、後ろ髪をひかれる思いで出てきましたが、どうだろう、1時間弱くらいはここにつったってたと思う。
 ちなみにこのライブラリーはこれだけ観光客の目にさらされてても一応現役の図書館であるらしく、たまに上の階の扉が開いて出納の司書さんだか院生さんだからしき人が出入りしてるのが見える、っていう。

 あと、これで20万冊収容らしいですよ、そのキャパ的に言ってもうちとこに一棟ほしいなあ、っていう。

posted by egamiday3 at 22:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201405IRL・2日目その1「来たことが、あるっ」(5/2 ダブリン)

 2日目の朝です。
 早朝、遠くから海鳥の鳴き声が聞こえるので、ああ、港町なんだよなあ、って思います。街はちょっと港から離れてるので海的印象はあまりないですが。

 今日はまる一日をダブリンの街なかを歩きまわってすごす日にしたいと思います。

 ダブリンは10年ぶり2度目。日本美術を所有する美術館の訪問調査がメインだったのですが、それでもだいぶ小さい街なので、空き時間にちょっと長めに歩いてしまえば街のあらましはわかるくらいの勢いだったんじゃないかな。
 ダブリンの中心エリア。
dublin.JPG

 同縮尺の京都。
kyoto.JPG

 ちなみにこのプチ場末宿で朝食をとろうとしたら、フロントの兄ちゃんにこっちついて来いと言われ、雑然とした裏口から外へ出て、工事中清掃中酒盛り後のような中庭ビアガーデンを通り抜け、まったく別の建物に裏口から入ると、そこは別の通りに面したパブの店内で、ここで朝食がサーブされるという。ていうか、ふつーに外来の客もパブ朝食をここで注文して食べてるパターンのやつ。なるほど、8時からなどという遅い時間なはずだなと。朝から酒場にいてます、的な。
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 あいかわらず曇り空の下ですが、とりあえずダブリンそぞろ歩きに出ます。

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 まずは教会だ。
 ということで、ダブリン市内をざっくりと斜めに歩き斬って、クライストチャーチ大聖堂というところへ。

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 ダブリンにはでっかい著名な教会が2つあるみたいです。ひとつがこのクライスト・チャーチ大聖堂、こっちは「ダブリン最古」である。もうひとつが聖パトリック大聖堂、こちらは「アイルランド最大である」、らしいです。
 今回は「ダブリン最古」のクライスト・チャーチ大聖堂に来てみました。

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 創立は1038年。建物はロマネスクとゴシックが融合してますよ、ということらしい。
 そう言われるとまあなんとなく、ゴシックさ加減も”ゆるあま”かなあというか、例えばウィーンのシュテファンさんとこみたいに「見よっ!これがゴシックだ!!」て言われて「へへーっ」てなるしかないような有無を言わさぬゴシックさなんじゃなくて、どこかちょっと”お隣さん”みたいな気安さのある見た目かなあと。
 ただ、さすが1038年創立の貫禄たっぷりなのが地下室の遺構のほう。

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 地下礼拝堂の中にかがむようにして身を置いて、11世紀だ12世紀だと言われると、さすがにちょっとぞくっとしたものを感じざるを得ない。のですけど、一部は最近うまいこと改装されて、おされカフェっぽくなってたりするあたり、ああ最近はどこもこういうやり方しなきゃいけなかったりするなあっていう、ショウガナイネ的な感じもありますね。

 次。
 チェスター・ビーティー・ライブラリー。

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 10年ぶり2度目。というか、10年前にアイルランドに来たのはここを訪問調査するのが目的でした。
 チェスター・ビーティー・ライブラリーは、ライブラリーと名前はついてますが、基本的にはミュージアムです。
 鉱山経営で成功した実業家、チェスター・ビーティーさんが生前に蒐集所蔵しておられた東洋美術を納めたミュージアムで、日本関係では絵巻物や奈良絵本の類いの結構なやつがあります。奈良絵本だけで80とか持ってて、「世界奈良絵本大会」的なものがここでおこなわれた、っていうくらいのやつです。
 それ以外にもアジア・イスラムの各種美術書・宗教書の類が、珍品気品の蒐集というノリではなく、全体をオーバービューできるような感じでそろっているので、この建物・展示室全体での世界観提示がまず楽しい。展示ケース内を見ても、細かい調整できるライトとか、資料に合わせてひとつひとつオーダーメイドで作ってあるアクリルやクロスの書見台などなどの、見事なお仕事ぶりにため息が出る感じ。あと、展示室の内装や設備もおしゃれっぽくされてて、ああやっぱり、2000年代以降のたたずまいはこっち方面だよね、ていう感じになってる。
 あと、関係ないけど建物の中庭にあたる部分をすっぽりガラス屋根で覆って、高いところから光が入ってくるという、開放感のあるこざっぱりとした感じになってるので、単純に居場所としてだけでもなんか好き、っていう。
 そういう、在外日本資料という自分の専門範囲的な意味だけではなく、諸々のなんか好きっぽさ加減があるので、10年ぶり2度目のお邪魔はやっぱりうれしかったなあという感じです。ダブリンにおいでの際はぜひこちらに足を運ばれることをおすすめします。

 日本分野からの今回のご出陳は、源氏物語の絵巻、住吉物語の奈良絵本、弁慶物語の絵巻、十二ヶ月絵巻など。絵の類全般を眺めてると、なんというか、趣味がいいなあって。
 こういう趣きのコレクションを構築できる人って、ただたんにお金があるぞ成金だぞっていうだけじゃできないのはもちろんだろうけど、自分の世界やこだわり・情熱を持ってるっていうだけ、それを振り回しているというだけでもたぶんダメで、興味を持った美術なり文化なりのほうの世界観がなんとなくでも総体で理解できていて、その上で、自分の世界観にも対象のほうの世界観にもストイックに向かい合うことができる、どれだけそれができるか、ということなんだろうなあみたいなことを、とあるアイルランド系アメリカ人の個人コレクションをながめながら考えてます。

 ミュージアムショップで、ミニリングノートを購入。
チェスターノート.JPG
 ポケットサイズのこの子のおかげで、のちのちこの旅全体がだいぶはかどることになりました。

 そしてそのショップで、何気なく見かけたポスターに「Japan」の文字があって、あれ、なんだろうって思ってよくよく読んでみると、市内のMarsh's Libraryなるところで日本関係の資料展示をやってるよ、って書いてある。

 Current exhibition on Japan
 http://www.marshlibrary.ie/imagining-japan-1570-1750/

 近世以降に日本が紹介・記述されたヨーロッパの書物、となればこれはまさしく我が社の専門取扱領域じゃないですか! うまいこと情報入手できてよかった! (註:来る前にその情報得られてなかった失態については置いとく。ていうかポスターにJapan Foundationさんのマークあったのに・・・)
 というわけで急遽その後の予定目論見をすべていったんチャラにして、レジの娘さんに「ここへはどう言ったらいいの?」と地図に印をつけてもらい、急遽、Marsh's Libraryなるところへ向かいます。

 場所は、2つめの教会・セントパトリック大聖堂の裏手にあるらしく、教会敷地を横切ってぐるっと回って、裏手の路地裏に入る。

IMG_7417.JPG

 ・・・あれ?

 なんだろうこのふんわりしたなつかしさをおぼえる感じ。
 このグレーの石壁と緑の葉っぱの色合いにしたしみをおぼえる感じ。
 この裏路地が、途中で斜めに折れていく様子に対する、デジャヴ感。
 
IMG_7418.JPG
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 ・・・あっ。
 あたしここ来たことあるわ

 そうか10年前のとき、あたしこのMarsh's Libraryに見に来てました(笑)。
 思い出した思い出した。ここは蔵書はともかく、古い時代の本棚がそのまま残されてるところで、↓下記の公式サイトの写真の通り、
 http://www.marshlibrary.ie/wp-content/uploads/2011/11/libraryfor-report-02.jpg
 本棚に書見台がくっついてるタイプのやつが、窓に垂直に並んでて、っていう”本棚の歴史”的にも見ときたかったところ。歴史で言うと1701年設立の、アイルランド最初の公共図書館っていう位置づけでした。
 10年前にその古い時代の様式の本棚が見たくて、ここまで足を伸ばしてやってきて、ひととおり見たはずのところでした。当時は来訪者なんかほとんど誰もいなくて、見張りのスタッフにおじいさんがひとりだけいてて、「日本語でGood-byはなんて言うんだ。サヨナラか。じゃあサヨナラ」とかなんとか言ってた、っていうのはまあどうでもよくって、ともかく古式の本棚と蔵書の感じがすごくいいのでみなさんもダブリンにおいでの際はぜひお立ち寄りください。

 中は撮影禁止でしたが、10年変わらず雰囲気豊かなところで、スタッフも若い人が4-5人くらいいてて、展示が功を奏してたのかわりとちょいちょい人がやって来はるという感じ。
 展示のほうは、1570年〜1750年の日本を記述した洋書、それがわりとたっぷりと展示ケースに陳列されてたという感じで、見知らぬ人名や著作名もあり、これはぜひ帰国したらうちとこの蔵書の有る無しと照らし合わせなあかんな!と職業人意識がにわかに盛り上がったりします。

 そして、そんな興奮状態になってしまった脳をいったんクールダウンしたい、ということで、道ばたの軽い感じの店へ。

IMG_7388.JPG

 Eddie Rocket'sというこのあたりのチェーン的な店らしいのですが、実はこの店にも10年前に一度来たことがあって、チェスター・ビーティー・ライブラリーの日本資料について調査しに行って、そこのコンサベーターの人と英語で2-3時間くらいやりとりしてて、もう脳がぱんっぱんにオーバーヒートしてしまったような状態で、これはあかん、いったん落ち着こう、って入って座ってコーラ飲んでた店がまさにたぶんここだったはずだなあ、っていう。冷たいコーラで身体を冷ましながら、さっきまで英語でわかるともわからんともなく聞いてた絵巻物・奈良絵本にまつわる話を、一生懸命思い出し思い出しノートに復元させていってた、っていう。

 考えてみれば。
 あのときここでそうやって在外日本資料に自分なりに向き合ってたことが、いまにつながってるんだなあ。
 という感じです。
 ↓そのときの成果物がこれ。
 欧州の日本資料図書館における活動・実態調査報告 : 日本資料・情報の管理・提供・入手
 http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/85086

 まああれです、狭い街で見所が詰め詰めになってるから、あ、ここ知ってるわ、ってなるのも当然と言えば当然なんでしょう。

posted by egamiday3 at 21:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

(メモ)冷泉家蔵書

 冷泉家さんの蔵書についてのメモ。

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・参考文献
国史大辞典
藤本孝一. 『本を千年伝える : 冷泉家蔵書の文化史』. 朝日新聞出版, 2010.
冷泉貴実子. 『冷泉家八〇〇年の「守る」力』. 集英社, 2013.


・「家」(家業)
中世の貴族社会は、各家が専門の職業を持つ。
「型」を確立し「道」として継承する。
歌学=和歌における「型」の研究
冷泉家=歌道・歌学の「家」

・冷泉家
 藤原道長
  :
 藤原基俊 歌学の先駆
↓藤原俊成 『千載和歌集』
↓藤原定家 『新古今和歌集』『小倉百人一首』ほか
↓藤原為家

為相 冷泉家の開祖、母・阿仏尼
(ためすけ)
為氏 二条家
為教 京極家
 :
冷泉為人・貴実子 現在の当主・夫人

・冷泉家
冷泉為相を開祖とする歌学の家
俊成・定家やそれ以降の歌書・書籍・古記録を、800年間守り保存してきた
和歌の家として、古式を継承
毎年一月「歌会始」
毎年七夕「乞巧奠の歌会」

・冷泉為相(ためすけ)
藤原定家の孫
藤原為家・阿仏尼の子
冷泉家の開祖
鎌倉時代初期の歌人

・冷泉家の蔵書
私家集 約300点
歌書 約540点
冷泉家ほか古文書・記録 約370点
朝議関係 約100点
懐紙・半切 約300点

国宝5点
『古来風躰抄』(俊成自筆)
『古今和歌集』(定家写本)
『後撰和歌集』(定家写本)
『明月記』(定家自筆)
『拾遺愚草』(定家自筆)

重要文化財47点

・藤原俊成
『古来風躰抄』(歌学書、自筆)
・藤原定家
『明月記』(国宝・日記、自筆)
『拾遺愚草』(歌学書、自筆)
『古今和歌集』(嘉禄2年・国宝、定家の写本)
ほか勅撰和歌集の書写

・書写による資料保存
平安時代の文学書・歌道書・日記・記録など
膨大な数の書籍を書き写し、写本をつくる
『明月記』1180年2月14日(定家19歳)
「父・俊成の五条邸が火災にあい、多くの書籍が焼失した」
『明月記』1231年8月19日(定家70歳)
「そのことを思うと涙が出る」
・"定家流""定家様"

・冷泉家住宅
鎌倉中期 冷泉小路沿いに初代為相の邸宅
1606年 現在の場所に移る(御所拡張のため)
1788年 火災で住宅が焼失(土蔵は無事)
1790年 現在の住宅が建つ
1869年 明治天皇が東京に移る→冷泉家は京都に残る
1982年 重要文化財に指定
1994年 "平成の大修理"(〜2000年)

・蔵
中庭に蔵がある
・御文庫
俊成・定家らの自筆本・書写本
室町時代以前の古い書籍
先祖の肖像画
元旦に家族が正装で参拝する
・御新文庫
江戸時代以降の新しい書籍
御文庫の書籍を書写した複製本

・土蔵
地震・台風などの天災、火災、戦乱などから守る
土・漆喰で密閉し、耐火性を高める
1788年 火災で住宅が炎上。土蔵は窓を土で塗り固めるなどして防ぐ

・応仁の乱期
冷泉家 蔵書を疎開させて守る
近衛家 蔵書を疎開→現・陽明文庫
飛鳥井家 戦乱で蔵書焼失

・蛤御門の変
一乗寺に避難

・冷泉家の家業の変化
勅撰和歌集の編纂がされなくなる
→歌道の家の活動が「編纂」「収集」から「教授」になる
武家・戦国大名らが入門、師弟関係を持つ
藤原定家が「歌聖」として神格化され始める
冷泉家は、残された膨大な書籍・記録、定家自筆本などが"武器"になった
和歌の名門として権威化する
徳川家康に古今伝授を行なう
江戸時代には全国に門人を抱え、通信添削を行なう

・和歌と行事
・節会ごとの歌会
 七夕の歌会
 重陽の歌会
・神社等の歌会
・歌会の出題

・散逸の危機(近世)
武家のあいだで茶道が流行する
「古筆切」の入手に熱があがる
定家の『明月記』ほか自筆書跡が切り取られる
徳川秀忠が散逸防止のため封印を申し入れる

・霊元天皇(江戸中期)の書写(「御所本」)

・御新文庫による複製本の作成
江戸中期
『明月記』などの修復作業
御文庫の書籍を書写し、複製本を作成する
複製本+江戸以降の書籍→御新文庫として別の土蔵を建設

・冷泉為臣と時雨亭文庫
明治−昭和初期の当主
和歌・書籍の研究
京都帝国大学附属図書館、同志社外事専門学校講師など
冷泉家御新文庫の調査・整理
目録(蔵書カード)作成
蔵書の活字出版を始める。『藤原定家全歌集』『時雨亭文庫』(私家集3点)など
途中で戦争に召集され、中国で戦死

・学術調査開始(1980)
1980年 蔵書の公開・学術調査が開始
「まず『明月記』からカードを取り始めた。丸く巻いていたはずであるが、虫害や湿り気を受けている。さらに狭い茶箱にギッシリ入っていたため三角形や楕円形に押しつぶされていて、開きにくかった。『明月記』を丁寧にひろげて巻き戻すのが最初の仕事であった。」
「布美子夫人のお話によると、(昭和13年8月、白蟻の害発見当時)大騒ぎになり、座敷中に出して虫払いをしたという。言われるように、長持の底の角には穴があいて、そこから白蟻が入っていたようすがうかがえる。」
藤本孝一. 『本を千年伝える : 冷泉家蔵書の文化史』. 朝日新聞出版, 2010. p13.

1981年 財団法人「冷泉家時雨亭文庫」が設立
1982年 重要文化財に指定
1994年 冷泉家住宅"平成の大修理"(〜2000年)

・『冷泉家時雨亭叢書』
冷泉家の書籍を出版する
俊成・定家らの自筆本・書写本から古記録まで
全84冊
影印本(全丁を写真撮影)
1992年〜2009年 刊行
研究者に広く公開できる+原本の閲覧をおさえ保存できる
”時雨亭叢書”の意義を継ぐ

posted by egamiday3 at 05:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

201405IRL・1日目その2「ファースト・パイントを、呑むっ」(5/1 ダブリン)

 
 夕刻にダブリン空港着。10年ぶり2度目。

 やっと再訪できた、帰ってきました。
 10年前は歴訪の途中で2日くらいしか滞在してないあれでしたが、なにせ文化・風土的になんか居心地がいいし、人さまの人あたりがよくて居心地がいい。前回も空港着いてすぐ乗ったシャトルバスの運転手のおっちゃんが、不慣れで憐れな旅の者に対して、まるで長年のご近所さんかなにかのように親しげに愛想良くにこにこと接してくれるし、さらに居合わせた乗客の人もまた同じくで、生き馬の目を抜くような厳しく冷たく世知辛いロンドンの大都会に揉まれた直後だったというギャップもあってか、瞬殺で惚れ落ちたっていう。
 そういう心持ちで、いま来てます。

 到着ロビーに出て最初のtodoは、ダブリンの交通ICカード(リープカードと言う)をコンビニで買うこと。空港内のSPAR(ダブリンのコンビニといえば、SPAR一択)で売ってるとのことだったので、炭酸水買うついでで、「リープカードもください」って言ったら、「ターミナル1のSPARにあるねん」って言われた。なぜ片方にしかないw

 AIR LINKバスという市内−空港間のバスに乗る。車窓をぼんやり眺めてますが、さっそく空が灰色で、さっそく小雨がちで、さっそく五月の緑が映えていて、あー、これから1週間ちょいずっとこういう光景の中なんだろうなあって。

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 アイルランドといえば、灰色と緑色の景色、というイメージです。
 まず、石、石、石の灰色。自然風土的にも石だらけで土壌土壌した土壌が見当たらないし、文化的にも石造り、石造り、石造り。そこへ牧草なり草木なりの緑が覆いかぶささってて、灰色と緑色。その草木の緑が生えるしかつ映えるのが、曇りと小雨ばっかりっていうお天気で、アイルランドはカメラマン泣かせの土地柄だとかいう話も聞こえてくるくらいに、晴れない。たぶんこの先ずっと曇りです、こういう光景なんだろうなあって思ってます。

 で、ほどなくダブリン市内到着です。近い近い。

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 街の中心たるオコンネル通りにほぼ沿ったところ、でも北の端っこで歩道にタバコのみがたむろしてるという、6割ほどの場末感が漂う安宿にインしました。よそよりは安宿でもまあまあ高い。

 とっとと街へ出ます。
 で、いきなりで申し訳ないんですが、この時間ならまだぎりぎりダブリン市中央図書館が開いてるはずなんで(註:開館時間その他チェック済み)、最初の景気づけにそこに寄ってみます。
 オコンネルからの、ヘンリー通り。

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 ショッピングストリートのたぐいはどこも雰囲気一緒だなあ、これじゃダブリンにいるのかルーヴェンにいるのかコペンハーゲンにいるのかもわかんないね、みたいなことをうそぶきながらその図書館を探します。あるはずのあたりに見当たらなくて結構迷った(うえに途中でスーパー見つけたせいで軽く買い物しちゃった)のですが、河原町OPAみたいなちゃらちゃらしたショッピングビルの中に中2階みたいにしてふわっと設置されてるのを見つけました。

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 あの、水色の看板のある上のとこですけど。
 もう5分ほどで閉館というタイミングだったので後日出直しますが、確かに、ショッピングビルの中に図書館があるという”人出のある場所に出向く”的立地としてはいいと思うんだけど、通りから見て何の表示も案内もなくてある程度知ってる人なら来れるけど、みたいな感じになってたので、もうちょっとなんかもったいなくない感じで露出できないかなあとは思う。

 まあそんなことはいい。
 そんなことより何より、あたしは、ギネスを呑みにこの国に来たんです!
 あと、ギネス以外の、ギネスを超える(かもしれない)アイルランドのビールを!

 というわけで、さてじゃあパブを探します。
 パブについては、人が本やネットでおすすめしてるのをうすーくチェックしてあるのでそこへ行ってもいいし、また歩いてて嗅覚でここいいかな?というとこに入ってもいい。そういう半知半アドリブ的な感じで。
 おすすめ本はこちら。

アイルランド・パブ紀行 -

 地図を頼りに、なんかどんどん人通り少なくなってきて、あれ、ちょっと深夜には歩きたくないな、っていうような感じになってきたところに1軒見つけ、若干の勇気をもって飛び入ります。
 Hughes' Pubというところです。

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 いや、ただもう人が多い。あ、これ団体さんか?と思ってたんですけど、その後どこのパブへ行ってもだいたいこうだったので、ああまあ、こういうもんなんだなwと。
 とにかく人が多いわ、満員電車なみにめじろおししてるわ、めいめいが大声でとめどなくしゃべってる、ていう典型的な酒場。そのしゃべり声が、周りがうるさいのでさらに大声を出し合うというインフレ・スパイラルなのとか、しゃべり好きなんか知らんが延々継ぎ目なくしゃべってるというシームレスなのとかで、カウンター前のおっちゃんの群れ掻き分け掻き分けして1パイント注文するのがやっとでしたよ、という状態。
 
 ここでとりあえずはギネス、記念すべきファースト・パイント、いただきます!

 ・・・あ、なんだろう、直感で言うと”若い”っていう感じの味がする。
 いつも呑んでるギネスが翌朝の刺身の馴れた感じなら、これは今朝とれたての刺身っぽい。あの、まだかたくて若い味っぽい。
 そして、あたしはどちらかというと翌朝の刺身のほうが好みなんですが。
 聞くところによると、ギネスはパブで出す味がちがう、その主なちがいのひとつが”温度”だそうで、あ、そういえば確かに、えっギネスってこんなに冷やすっけ?っていうくらいには冷えたギネスだったな、そのせいかな、っていう。

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 店を出て川沿いに出ます。市内を横切るリフィ川です。ていうか、夜9時前でこの明るさ(曇ってて)なので、これはいろいろとはかどるなあと。まだ何軒でも行けるなとw。

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 川向こうにあったThe Brazen Headというこのパブは、創業1198年・ダブリン最古というふれこみのパブらしく、ということで来てみたんですけどまあそういうふれこみだとよくある観光レストラン的なあしらいになっちゃいますよね。そういう意味ではそんなに楽しめなかったですけど、建物の雰囲気はさすがに結構きてて吉、キャラの違う小部屋が無造作に合わさってるパターンのやつで、できれば長時間滞在してあちこちの部屋を呑み渡りたいっていうあれなんですけど、こういう混み方だとやっぱちょっと無理かな、と。昼間なら建物観察できるかしら。

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 無難な感じのフィッシュケーキで夕食を済ませて、店を出ようとすると、別の小部屋で音楽やってるのを発見してしばし立ち聞きする感じ。「どっから来たの? ノルウェー、一番遠いんじゃない?!」みたいに客いじりしてるのを隅っこでにやにや見てるような感じ。

 そしていよいよ、本丸のテンプル・バーにのりこみます。

 テンプル・バーは、京都の木屋町・福岡の親不孝通りにあたる、ダブリンで一番の歓楽街・飲み屋街エリアです。(註:バーと言っても店の名前ではなく地名なんだけど、ただ、実際「テンプルバー」という名前の有名パブもここにあるからちょっとややこしい)
 ほんとなら石畳や歴史あるパブ建築、細い路地の集まりで、それなりの情緒も出るのでしょうが、そんなもの、ダブリン市民の120%が集積したかのようなこの人出の前にはひとたまりもありませんという感じです。

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 山ほどのパブの軒数がありながら、山ほどの人出なせいでどこにもなかなか入れない、ていうw。
 しかも店内でも店外でも人々が互いにぶつけ合うようにしゃべってる。
 おまけにどの店内からもみな等しく、ライブ演奏の歌声が流れてくる。あ、生声じゃなくてスピーカーで流してるんだ、っていうのもふつーにガンガン流れてくる。

 ちょっと待て、と。
 まだ木曜だろう、明日も平日っていうタイミングだろう、と。
 それで、これだけの人が出歩き、これだけの人が呑み、知人であろうがなかろうが好きなようにしゃべり倒して、プロアマ問わずミュージシャンが山ほどある各店内でそれぞれ歌ってる、と。この時間に。
 これが日常生活的な所業なんですか、この土地では、と。
 この上で、明日みなさん朝から仕事なんですかと。

 いやあ、うらやましい生活だわw。

 これはこの先の旅の毎日が、いい意味で思いやられますな。
 という感じの、ダブリン到着1日目の夜です。

 ごきげんよう、さようなら。(←これあると、たいしたオチ無しで終われるから便利だなあ)


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2014年07月05日

201405IRL・1日目その1「アイルランドに、行くっ」(5/1 福岡→ダブリン)

 
 アイルランドに行ってきました、っていう話です。

 今回の旅はこんな感じ。
 ・2014年5月1日 ダブリン着 → 5月9日 ダブリン発
 ・アイルランドの島(北アイルランド含む)をぐるりと一周することをとりあえずの目標とする。
 ・バスまたは鉄道で移動する。
 ・5/5にアラン島(イニシュモア)に渡る。その船の予約はしてある。

 アイルランドは、2004年以来、10年ぶり2度目の訪問です。
 2000年頃にふとしたきっかけでアイルランドに興味を持ち、2004年にちょっと足を踏み入れただけで大きく魅了され、がっつり旅行をしなきゃしなきゃと毎年のように旅行先todo(togo)リストに列挙されながらも、なかなか実現しなかった。10年かかった。

 そのアイルランドに、やっとのことで行けるという。
 ありがとう、ケルトの神様。

 そんなんでもあり、前回(201301eu http://egamiday3.seesaa.net/article/347457951.html)の反省もまたあって、今回はアイルランド関連本をわりとたっぷりめに読みました。行きたいところだらけになった。読んだ成果が活かされるかどうかは、追々ということで。

 とりあえず、2013年5月1日、朝の福岡空港からのスタートです。

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 まあ、KLMに、乗るっ、ですよね(笑)。

 往路は福岡(5/1朝発)→アムステルダム→ダブリン(5/1夕刻着)です。

 チェックイン時に問題になったのが、機内持込荷物と預け荷物とをふりわけしたら、機内持込のほうがどうやら重そうだ、ていう。
 そもそも今回の旅行事務の一番の悩みは「荷物をいかに軽くするか問題」と「どこまで寒さ対策が必要か問題」とのせめぎあいでした。4月末の京都はまだまだ寒い、そこへ来てダブリンの気温がさらに低いと来ている。毎日のようにダブリンやベルファストやゴールウェイの天気気温情報をチェックしては、気象庁サイトの京都の過去の気温と照らし合わせ、え、この時期の自分って真冬コート着てるし、ふわふわの裏地もつけてるし、ズボン下無しじゃ生きていけない的な感じだったじゃないかとおののき、でもやっぱり5月だし暑くて途中で邪魔になったらどうしよう、移動基本の旅なのに、荷物重いのだけはヤだ!と、判断が右に左に忙しく、当日の朝ぎりぎりまで迷いに迷ってたっていう。
 結果的に、冬コートは必須だったけど、裏地やズボン下まではいらなかった、が正解でした。

 機内ではiPad miniにあらかじめ入れてきた自炊本を読みまくりという過ごし方です。電子書籍万歳。
 高評価は下記のあたり。

アラン島 (岩波文庫 赤 253-1) -
アラン島 (岩波文庫 赤 253-1) -
アイルランド紀行 - ジョイスからU2まで (中公新書) -
アイルランド紀行 - ジョイスからU2まで (中公新書) -
街道をゆく〈31〉愛蘭土紀行 2 (朝日文芸文庫) -
街道をゆく〈31〉愛蘭土紀行 2 (朝日文芸文庫) -

 シングの「アラン島」は、1930年代のアラン島滞在記、当時の島の生活風俗を書き語ったもので、たまらんくらいおもろい。ていうか、自分、これをたまらんくらいおもろいっていう趣味嗜好になったんだなあ、ていう思いがする。
 あと、スウィフトは要後追い。

 そんなわりかし余裕で構えていられるのも、幸運なことに非常口付近の足のばせるシートを得られたからです。通常このシートを得るには1万円くらい上乗せで払わないといけないあれなんですけど、なぜか知らないけど、ふんわりこの席とれたっていうのがあってですね(以下略)。

 ていう感じで、さすがにさくっとアムステルダム到着です。

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 この空港の濃い黄色看板を見ると、ああ帰ってきたなあ、って落ち着いた気分になりますね。

 ここでダブリン行きに乗り換えるのですが、それを待つ間に重要なタスクがひとつあって、あっちのゲートからこっちのゲートまで早足で何分かかるかを実際に歩いて試している、っていう。
 実は、行きの乗り換えは余裕なんですが、帰りの乗り換えが飛行機の便の都合で50分そこそこしかない。これで乗り損ねたらえらいこっちゃって言うんで、わりとずっとドキドキしてます。それで、いまのうちに実際に歩いて確認してます。で、汗だく、っていう。なんだこれ(笑)。

 旅行事務的問題がもうひとつ。
 福岡空港では、福岡→アムステルダムの搭乗券は発行してもらえたものの、アムステルダム→ダブリンのはアムスであらためて発行してください、と言われてしまっている。それはしゃあないっていうんで、じゃあアムスの空港内あちこちに並んでいる搭乗発券機を操作してそれを出そうとすると、エラーが出て「発券カウンターへ行け」と言われる。
 この発券カウンターがくせもの過ぎるカウンターで、このだだっぴろくヨーロッパの玄関口と呼び声の高い交通の要衝たるアムステルダム空港内で、こんなにもちっちゃくて手薄い人員しかなく、発券機ベースにして人員引き上げたかなんかしらんが明らかに足りてない、延々と待たされる、っていう感じになってる。
 アムステルダム空港は今後ちょっと要注意だなあ、って、私の頭の中の旅行事務のおっさんが手帳に書き留めています。

 で、エアリンガスに、乗るっ、です。

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 搭乗するのに列つくって並ばないとか、座席前のポケットに食べ終わったバナナの皮が入ったままとか、おいおい、アイルランドおいおい(笑)、っていう、なんかこういままで行き慣れたことのない場所へのにやにやした昂揚みたいな雰囲気を味わいながら、ふんわりとダブリンに到着です。

 ごきげんよう、さようなら。(えっ(笑))


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2014年07月04日

「NDL図書館送信サービス、やってみたらこうだった、を語る」の再録

 
 去る2014年6月20日、京都情報図書館学学習会・Ku-librarians合同勉強会というところからのオファーということで、若干のお話をしてきました。

 第179回ku-librarians勉強会:京都図書館情報学学習会共催「NDL図書館送信サービス、やってみたらこうだった、を語る」 #kul179 - Togetterまとめ
 http://togetter.com/li/682847

 これは動画配信され、アーカイブにもなってると思うのですが、まあ動画って斜め読みみたいなのできないので、じんまり見なくてもいいように、当日しゃべりましたことをざざっと文字にしてここに置いておきます、っていうあれです。
 パワポ置いときゃいいだろうってウワサもありますが、とてもそんなことする度胸のないシロモノだったので。

(参考文献)
図書館向けデジタル化資料送信サービスについて 〜サービスの概要〜
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/01gaiyo.pdf
〜申請方法と資料利用の流れ〜
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/02shinsei.pdf
〜システム要件と操作イメージ〜
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/03system.pdf
図書館向けデジタル化資料送信サービス
http://www.ndl.go.jp/jp/library/service_digi/
デジタル化資料送信サービスについてよくあるご質問
http://www.ndl.go.jp/jp/library/service_digi/faq.html
図書館向けデジタル化資料送信サービスについて
http://dl.ndl.go.jp/ja/about_soshin.html


●まずは(なぜか)アイルランドの想い出を語る

 ていうかまあ、NDL図書館送信サービスの話よりも、できればこないだ行ってきたアイルランド旅行の想い出話のほうがしたいので、ちょっとだけ時間もらってアイルランド話をさせてください、っていう。

 そうアイルランドに行ってきたんですよ、すげえ楽しかったんです。
 首都ダブリンからぐるっと島を一周するかたちで、まわってきたんです。
 地図で見るとこんな感じなんですけどね。

 『世界のカード. 7 (イギリス・アイルランド)』. 世界文化社, 1965.
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1674966

 この赤い線がアイルランドと北アイルランド(イギリス領)の国境線です。ここもぐるっとまわってきました。で、例えば北アイルランドにデリー(ロンドンデリー)という街があるんですけど、ここは1972年に血の日曜日事件というのが起こった場所でして、公民権を求める市民のデモ隊にイギリス軍が発砲して10数人の方が亡くなるという痛ましい事件だったんです。

 薬師寺亘. 「デリー虐殺以後のアイルランド」. 『現代の眼』. 13(6), 1972.6, p.172-181.
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1771708

 当時の日本でのそういう運動の強かった雑誌記事ですけど、やっぱりかなり厳しく批判してるのがわかります。

 それからこのデリーの街の名前がついた「ロンドンデリーの歌」っていうアイルランド民謡があります。メロディはわりと有名だと思うんで、聴くと知ってる人も多いんじゃないかな。

 https://www.youtube.com/watch?v=wE6pI_MMl6g

 この歌は日本にも早くから伝わってて、1930年代の歌詞付き楽譜もありますね。

 津川主一編著. 『合唱名曲撰集. 第1巻 (女声篇)』. 東京音楽書院, 1937.
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1121448

 それからさらにぐるっと島をまわって、西側の海にうかぶアラン島っていうところに行ってきました。
 ここはほんとに石ばっかりしかない荒涼とした場所で、一応牧草みたいなのが生えてて牛や羊を飼ってるんだけど、そもそも土らしい土がないから作物とか育たない、むかしはこの石の上に海藻を敷いて、それを畑としてジャガイモを栽培してたとかそんなん。
 そんな最果ての地を有名にしたのが、アイルランドの劇作家・シングという人のエッセイ本で、島の人の見慣れぬ生活とか習俗とか語りみたいなのを本にして出版して広く読まれた。それでかどうか、いまはわりと有名な一大観光地です。
 日本でもその本は何年も経たないうちに翻訳されて、岩波文庫で出てます。

 シング作, 姉崎正見訳. 『アラン島』(岩波文庫 ; 1476-1477). 岩波書店, 1937.
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1181616

 あたしこれ、国会さんのはもちろん持って行けないけど、自分で自炊してipad miniでずっと読んでました。すごいおもろい。

 このシングさんもそうなんですけど、アイルランドっていうのは文学者・劇作家がたくさん輩出されてるっていう、文芸に富んだ土地柄っていうんですかね、なんとなくイギリス文学の作家として思われてるような人たちの中に、実はまあまあの数でアイルランド出身の人なんですよ、っていう人がいるみたいです。

 上田勤ほか編『20世紀英米文学ハンドブック』. 南雲堂, 1966.
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1672861

 こんなレファレンスブックを見てみると、例えばバーナード・ショウもアイルランドの人だし、ジョイスはあきらかにアイルランドですね。あとイェーツというノーベル文学賞とった劇作家の人がいる。イェーツさんってあたしにとっては興味深い人で、日本の能を下地にした戯作をひとつ作ってはるそうです、『鷹の井戸』っていう。
 そのことを扱った学位論文がこちらです。

 Amparo Adelina C.Umali, 3. 『東西の女流劇作家による能の再生』(博士論文), 2001.
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3181657

 あとアイルランドのお料理ですけど、うん、まあまあ美味しいものもありました。けどアイリッシュシチューにしろギネスシチューにしろ、肉ばっかりで野菜が少ない。あと魚も少ない。アイルランドって島国ですけど、昔から魚はあまり好まれなかったみたいで、食生活はお肉中心らしいです。

 「アイルランドの食品産業」. 『海外の食品産業』. 日本貿易振興機構. 160, 1994.10, p.10-14.
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3329093

 これを読んでみても確かに、肉と酪農製品がメインだなっていうのがわかります。


●存外、こんな本も読める、っていう話

 というわけで、まあ正直アイルランドについてはどうでもよくて、要はアイルランドひとつテーマにしてみてもいろんなお話ができるくらいに、わりといろいろな本が入ってるっていうのが、これで感覚的におわかりいただけたんじゃないかと思います。社会系・産業系の雑誌記事もあるし、博士論文もあるし、楽譜やレファレンスブックもあるし、岩波文庫も全文読める。決して「
古い、歴史的な、人文系の本ばっかりある」っていうわけじゃない
、実際検索してみると、あ、存外”使える”アーカイブなんだな、っていうのがわかります。
 あと雑誌とか特にそうですが、”やや古”くらいのがごろごろ入ってる。1970年代・80年代あたりの雑誌記事をブラウジングしてると、うわっマイコン、ポケコン、懐かしっ、とか、婦人雑誌の表紙が出てきて、うわっ大原麗子、坂口良子、若っ、とかなっちゃう。これいい感じの「おっさんホイホイアーカイブ」だな、っていう。
 そんな楽しみ方ができちゃう感じです。

 あらためて、確認します。
 国立国会図書館の「図書館向けデジタル化資料送信サービス」は、国立国会図書館がデジタル化した資料で、 国立国会図書館に来館して館内でしか閲覧できなかったデジタル化資料のうち、 一部(絶版等)を、 全国の公共図書館・大学図書館その他で閲覧・複写ができる。そういうサービスです。

 じゃあ見られる本はどんななの?という話ですが。
 NDLさんのデジタルコレクションをざっくり3つにわけるとこうなります。
 (1)「インターネット公開」 約50万 公開できる
 (2)「図書館送信資料」 約130万 公開できない×入手できない(絶版等)
 (3)「NDL内限定」 約50万 公開できない×入手できる
 で、参加してると、(1)+(2)が見れますよ、ということです。
 そして参加してなければ、(1)だけが見れます。一般の人もそうです。
 ということはつまり、このサービスに参加してる/してないで、50万冊と180万冊っていう差になるわけです。
 この差はさすがに大きいです、180万冊の蔵書がある書庫を持つか持たないかって相当の”事件”だと思うんです。

 ちなみに「国立国会図書館デジタルコレクション」のサイトに行くと、
 http://dl.ndl.go.jp/
 検索窓の下にチェックボックスがならんでます。
 「 □インターネット公開 □図書館送信資料 □国立国会図書館内限定 」
 これがさっきの(1)(2)(3)のカテゴリです。だからもう、はなっから区別して検索できます。
 正直このチェックボックスが相当便利です、参加館にとっては。

 で、その130万冊の内訳は「古い、歴史的な、人文系」ばっかりじゃないよ、っていう話なんですけど。
 内訳を事務的に言うと、
 「図書(明治期から1968年受入)
  雑誌(明治期から2000年刊行・非商業誌)
  博士論文(1991から2000年度受入)」
 でもまあそんなこと言ってもピンとくるわけはないので、それよりも、これひとつをいっぺん見てみてください。

 国立国会図書館デジタルコレクション - 図書館向けデジタル化資料送信サービス利用統計
 http://dl.ndl.go.jp/ja/soshin_library_stats.html
 利用統計(2014年5月)
 http://dl.ndl.go.jp/files/soshin_stats/soshin_stats201405.xlsx

 このオフィシャルの利用統計、なにがうれしいって、アクセスされた資料の書名が全部あがってるんですよ。書名と、出版年と、しかもNDC。これをためしにずらずらーっと見てみると、歴史系ばっかりじゃなくて社会科学系もあれば理工系・医薬系もある、出版年も結構戦後のが多いし、雑誌記事なら90年代だって別に珍しくない、っていうのがわりと簡単に把握できるんです。
 あたし実際、適当なキーワードで適当に検索してみてもいまいち漠然としてるなーって感じだったんですけど、こっちのリストのほうが全然わかりやすいし、げんにアクセスされてる資料であるぶん”使いやすさの説得力”みたいなんがちがうと思います。
 なので未参加館のみなさんにおかれましては、「うちとこのユーザにニーズのある本は入ってないんじゃないの?」みたいなこと言っちゃう前に、いったんこのExcelファイル見てみてくださいって思います。それから判断しても遅くはないと思う。

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[[ Check! ]] ここがポイント・その1

古い人文系向けの本ばかりじゃない。
どんな本があるかは、「利用統計」を見るとわかりやすい。


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●「参加館に、なるっ!」
 
 ただ、やっぱりいろいろ制約があって厳しい、っていう話はどうしても通らなあかんのです。
 全部公式の通りですが、

・館内の、決まった端末からだけ見られる。
・ID・パスワードを、 毎回職員が入力する。
・複写は、職員の手で、管理用端末のみ。 (利用者セルフではない)
・職員が見張れるところに閲覧用端末を置く。

 ということなんで、これ現場としては場所&端末の確保がまあまあの課題だろうな、とは思います。特に小規模図書館さん。
 あと、職員がわざわざ毎回ログインしたり、複写も職員の手でしなきゃいけなかったりという、職員めんどくさ案件でもあります。ただ、だからといって、「うちとこでこれのニーズは無いだろう」と言った同じ口で「そんなサービスで利用増えたら対応できない」と言い出すという、お役所にありがちなループ理屈はやめましょう。

 あと、禁止!

・データの保存・コピーは 禁止
・メモリ・PCの接続は 禁止
・画面キャプチャも 禁止
・画面の写真撮影も禁止

 写真撮影なんか、「禁止」って言われて初めて「なるほどその手があったか」と膝を打つ思いですけど、どれもちゃんと禁止です、っていう。

 まあそういう厳しさが祟ってかどうか、開始から半年経とうかといういまの時期になっても、参加館がなかなか増えない。全国でまだ200館台とか、信じられない。
 一納税者の立場として、これは怒ってます。激おこです
 あと、よその大学の人が「自分とこではまだこのサービス使えないから、そっち行って使わせてくれ」って言いに来ます。おいおいなにしてんの各大学、って、激おこです。まだ実際に使うところまで成就した例はありませんが、成就するとしたら「登録利用者になってもらう」が解になります。

 いやだから、増えてほしいんです、参加館。
 未参加館さんに参加館になってほしいんです。
 太秦萌ちゃんよろしく「参加館に、なるっ!」って言ってほしいんです。

 それが、この語る会の趣旨です。


●ひとりで悩まないで

 しかしこの「参加館に、なるっ!」というのも実際にはなかなか難しいところがあって、その難しさの大きなひとつが「申請が簡単ではない」というところにあると思いますので、その申請手続きを経験した者として、どういうところがどんなふうにネックだったか、ということをあけっぴろげてみます。

 図書館向けデジタル化資料送信サービス
 http://www.ndl.go.jp/jp/library/service_digi/
 デジタル化資料送信サービスについてよくあるご質問
 http://www.ndl.go.jp/jp/library/service_digi/faq.html

 基本的にはNDLさんの公式サイト通りなんですけども、そのサイトに一言こういうことが書いてあります。
 「申請から許可まで、1〜2ヶ月かかる」
 これはマジです。時間はかかります、ここでひとつハードルが上がる。
 例えばうちとこで言えば、NDLさんでの受付開始が10月に始まった、そのまあまあ直後に申請手続きにとりかかったわけなんですけど、申請するにはうちとこの規則では”不適合”であるということが判明し、大急ぎでその規則類の整備・決裁の手順を踏んだ、これにまず1か月かかるわけです。
 そして11月中旬に申請書を提出する、NDLさんでの審査を待つ、追加質問に答え追加書類を出す。ところがサービス開始日1月21日が近づこうというにいっこうに連絡がない。最終的に連絡が来てうちとこで使えるようになったのは1月29日です。つまり、受け付け開始直後にとりかかっても、サービス初日にはまにあわない、事情は種々おありでしょうけども、要はそれくらいの、ちゃっと腰を上げればちゃっと始まる、というようなものじゃなかったということです。
 だからこそ、です。導入するかどうしたものかを悩んでるだけではさらに遅れるんだ、ということです。うだうだするなよ、世紀末が来るぜ、というあれです。

 提出書類についても正しくは公式サイトの通りなんですけど、ざっくりざっくり言うと、

・申請書
・「図書館の設置根拠を明記した文書」 (設置条例・規則など)
・「図書館の活動がわかる文書」
 −施設規模・職員構成・蔵書数などの資料
 −利用規則・運営規則・管理規則等の全文
・館内・端末の写真・図面
・チェックシート(主に技術面)

 で、うちとこでもそうでしたし、おそらく多くの図書館さんで問題になるであろうところが「利用規則・運営規則・管理規則等の全文」というやつです。
 この申請にまつわるQ&Aのページ(「よくあるご質問」)があって、あ、この「よくあるご質問」ページはマストでチェックしておいてください、これ見ないとわからないことがやまほどあります。そこには、利用規則にはこんなことが書いてある必要があります、こういう利用規則であってくれる必要があります、ていうのがもう少しわかりやすく書いてあります。
 曰く、

・登録利用者について規定があること
・「送信資料を閲覧・複写できるのは、登録利用者である」
・「送信資料の複写は、著作権法第31条の規定に基づいて行う」
・「送信資料の複写は、職員が、管理用端末で行う」(利用者自身ではなく)
・以上の規則は、館長等決裁の公的文書であること。(現場のマニュアル類は不可)

 でも、書いてある必要があること、っていっても、どれだけの図書館の利用規則に「送信資料は」っていう規則が書いてあるもんでしょうか。この送信資料はNDLのそれに限ったことでないってNDLさんはおっしゃるけど、マニュアルや利用案内レベルならともかく、公的規則にまで「送信資料は」という言及があるかどうか。ないんじゃないかしら。

 で、「規則がなければ、作ればいいでしょう?」ということになります。
 そりゃまあ、NDLさんが各図書館さんに向けて「こういう規則を作りなさい」なんて指示命令できやしないでしょうから、「規則文書を送ってください、それにはこう書いてある必要があるんですけどね」、っていうことだと思います。
 だから悩んでる時間がもったいないのでさっさと作りましょう、と。

 うちとこでは、さすがに特定の一サービスのためだけの文言を公的な利用規則に盛り込むのもちょっとあれだな、ハードル高いし、規則の粒度がぶれるし、NDLさんの求める文言が変わったらまた改定しないといけないとかキツイので、ということで、「取扱要領」というかたちでまったく別の規則類をひとつ付け加えて利用規則に添える、ということにしました。そういう「取扱要領」でもいいですかってNDLの人にきいたら、いいですってことだったので。その文言も条文もNDLさんが求める最小限的なものを、この一サービスのためにつくるという、そういう条文でした。こういう文言・文章で審査通りますかってNDLの人に事前にきいたら、いいですって言ってもらえたので。

 というふうに、これについてはNDLの担当者の人と密に連絡をとりあい、メールを何度も送りあって、再三再四再五再六延々確認しました。そりゃそうです、ひとつ規則通すのに委員会や会議や決裁やを通して1か月かかるものを、あとから、ここがちがうここが足りないでは困るわけです。なので「これでほんとにだいじょうぶですよね?」って逐一確認しつつ進めていくという。

 ことほどさように、NDLさんに直に・密に・具体的に相談することなしにこの申請は、おそらく成就することはないんじゃないかと思います。だからこの件について考えている人、けどわかんなくて悩んでる人、迷ってる人は、とりあえずいったん下記の連絡先にコンタクトとってみてください。

 デジタル化資料送信サービス お問い合わせ窓口
 (国立国会図書館関西館 文献提供課 複写貸出係)
 メールアドレス:digi-soshin@ndl.go.jp
 電話:0774-98-1330(直通)

 かく言うあたしも、この件に取り組み始めた初日からいきなり担当係さんにメールしました。要領を書いてあるwebサイトやPDFの諸々の説明を、読んで、読んでもわかんなくて、半日くらい悩んでみて、あ、これあかんやつや、このまま独力で理解しようとしても無理で時間だけ消費するパターンのやつや、って気づいたので、すっぱりあきらめてすぐメールしました。わかんないんですけど、つって。そしたらいろいろ教えてくれて最終的にこうしたらいいよってわかったっていう。
 そうやって教えてもらいながらじゃないと、わかるの、たぶん無理です。そりゃNDLさんだって、全国の諸事情まったく異なる何千もの図書館さんにすべて適合するような説明文なんか書きようがないし、具体的にどういう事情で何に困ってるかがわからないと解説やアドバイスのしようがないだろうと思うので、そういうのは洗いざらい言っちゃったらいいんだと思います。

 とはいえ、あたしはこの担当者さんの顔も名前も知ってたし、ふだんからNDLさん自体親しくやりとりさせてもらえてるから、そんなノリで気軽に聞いちゃえっ、なんてできたんですけど、たいていの図書館員さんはふつーそんなことないですよね、国立国会図書館さんなんて遠い銀河の彼方のような存在でうかつに連絡できるようなところじゃないって思ってはったりしかねない。
 けど大丈夫です。
 NDLのこの件の担当の方が「どうぞ連絡してください」って言うてはりました。
 だから大丈夫です、連絡してください。

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[[ Check! ]] ここがポイント・その2

なんでもいいのでとりあえずNDLさんに相談してみてください。
あと「よくあるご質問」はマスト。


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●利用の実際

 うちとこの利用の実態を紹介します、とはいっても、ここはおおむね以前ご紹介したとおりです。

 うちとこの「NDL図書館送信サービス」レポ (2)-導入した結果編: egamiday 3  http://egamiday3.seesaa.net/article/389678377.html

 現在の利用頻度としては、おおむね2日に1回、最近はそれ以上に増えつつあるという傾向です。少ないと思われるでしょうが、うちとこはもともとユーザ母数も入館者数も少ないところなので、2日に1回でも多いと思える感じです、一般的な図書館さんにしたら毎日10人は来てそうなレベル。

 使われるきっかけとしては、ILL・所蔵調査の過程で、我々職員が送信サービス対象であることを発見して、それを本人に伝えて使いに来てもらう、というもの。これがほとんどです。
 自力で見つけて来る人は、まずいない。「送信サービス使わせてくださいよ」とか「NDLデジタルコレクションに収録されてるの見つけたんで見にきました」とかいうようなアプローチの仕方はまず起こらない。(いないことはないです、最近。) それどころか、NDLOPACなりNDLサーチで見つけてきたとか、Googleで見つけてきたと言ってくる例すら、ない。彼ら彼女らの名誉のために言っておくと、うちとこのユーザさんはみな、自力検索力高めです。CiNiiもその他のwebデータベースもひととおり、それ以上にいったいどこから見つけてきたんだというような文献情報・書誌情報をわんさか持ってきてILL依頼しに来はります。その人たちが、送信サービス対象の資料を自力でそれとわかって来ることっていうのは、まずない。これは考えられるべきことだと思います。

 それから、うちとこの閲覧者は、閲覧に来たらほぼすべて複写を依頼しはります。いやむしろ、複写箇所の確認・決定のために閲覧に来る、ととらえるべきかと思います。画像をディスプレイ上で延々読みふける、というような使い方をする人はほとんどいません。(いないことはないです、最近。) あたしもそうですが、やっぱ、画面じゃ読んでられないです、しんどいし、あと自室のパソコンといっしょにじゃないと作業はかどらないので、その場で利用済ますってことはたぶんないです。
 ただしこれは、うちとこが内部ユーザからはプリントにお金とってない、ていう事情が大きいんだと思います。

 いろいろ不満があるとか、永続的識別子がどこのなんのことかわかんない問題とか、セーブのできないRPG問題とかについては、上記既出記事に書いた通りです。
 複写依頼をメモしてもらうときに必ずと言っていいほど発生する、「永続的識別子がなんのことかわからない=どの番号をメモしたらいいかわからない」問題について、うちとこの対応としては、「複写箇所メモ」専用の用紙に「画面のここに書いてあるこの番号をメモせよ!」と図解入りしたやつを作って、さらにその欄内に「info:ndljp/pid/」まで書いといて、もうこのあとの番号をメモせざるを得ない状態をお膳立てしてやる、ということをしてます。
 こんな感じ。

タイトル:________________
永続的識別子:info:ndljp/pid/___________
コマ数:_________________

 で、この専用用紙を用意したら効果覿面で、複写依頼時のディスコミュニケーションがまったくと言っていいほどなくなりました。よかった!


●館間協力のチャンス??

 とはいえ、やっぱりこのサービスの一番の課題は「可視性の低さ」じゃないかしらと思います。先の話に戻りますけど、ユーザさんが送信サービス対象の資料を自力でそれとわかって来るってことはまずない。
 いみじくもサービス開始からさかのぼること数ヶ月前に、某ささくれの人が指摘しています。

 「NDL図書館送信が始まったら利用者をどうナビゲートするか」 - ささくれ
 http://cheb.hatenablog.com/entry/2013/09/16/021838
 「その利用者はどうやって自分の欲しい資料がNDLでデジタル化されていて,かつそれが送信対象であり,自大学の図書館で閲覧できることに気づいてくれるだろうか」

 この通りです。
 うちとこはまだ、ILL依頼が活発で、お客との距離が近くて、顔と名前とパーソナリティわかってる相手に情報やりとりするので、こっちからナビゲートしてあげれば送信サービスの資料にたどりつけるのですが、それって一般的な図書館とユーザのあり方とはちがうわけなんで、さてよそさんはどうしてはるんだろうなあ、って思います。

 しかも、例えばユーザさん相手にこのサービスの広報をしようとしても、これがかなりの難題に近い。
 そもそもこのサービスって、概念として”のみこみにくい”と思うんです。
 デジタル画像なのにネットで見られなくて図書館に行かないといけない、ってどういうこと??、と。あと、読める本/読めない本が見えづらい。説明しようとすると「○○はできない」「○○は禁止」ばかりになっちゃう。名称・用語が抽象的でお役所的でなんかわかりづらい。「デジタル」「インターネット」「送信」「公開」「図書館」「国会図書館」「限定」、何がどうなってんのか。

 ただ、だからこそ思うんですけど、例えばこのサービスの広報ってどの図書館さんでも似たようなことをやることになるわけじゃないですか。だったらお互いに知恵を出し合ったり、上手くいった例を紹介し合ったりして、共有したらいいと思うんです。ガイダンスでこんなふうにやったらこんな反応だったよとか、案内パンフやwebサイトでの案内をこんなふうにしてるよ、とか。
 あと、参加館と未参加館との間でも情報共有して、未参加館さんに「ああ、こういうふうなサービスなんだな、こういうふうにやったら上手く始められそうだな」って思ってもらえるように、参加館が経験を語る、とか。
 ・・・あ、そう、この会のことですね(笑)。
 まさにこの会はそういう発想から始まったあれで、あたしがtwitterで「NDLさんよりも、導入館が未導入館の人を交えて経験談トークをするっていうことを、こじんまりサイズであちこちでたくさんやったらいいんじゃないかな」って言ったのを、そこの主催者の人がひっつかまえてここに連れてきた、っていう感じのあれなんで、もっとこういうことをやったらいいと思います。

 そういう、館間協力のいいチャンスなんじゃないかなって。

 (ここで『ユーザ館の会』を提案したんだけど、そういえば当日その話するの忘れてたなあって。)

 という感じなので、みなさん各都道府県なり各地域で、もっとこの送信サービスのことを話題にしてみちゃってください。

 そして、「参加館に、なるっ!」っていう図書館さんがひとつでも多く一日でもすみやかに増えてくださることを願ってます。

 参考画像です。
 http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000158/158989/ho-mupe-jiposuta-.jpg


posted by egamiday3 at 23:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月01日

パネルディスカッションのコーディネータをユーやっちゃいなよと言われたのでドゥしたらどうだったかについて。

 去る2014/6/28、情報メディア学会の研究大会において、パネルディスカッションのコーディネータを務めさせていただきました。

 情報メディア学会
 http://www.jsims.jp/
 第13回研究大会開催のご案内
 http://www.jsims.jp/kenkyu-taikai/yokoku/13.html
 情報メディア学会 第13回研究大会「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」 #JSIMS2014 - Togetterまとめ
 http://togetter.com/li/685786
 ※じきに動画もアップされる予定。

 当日ご来場くださった皆様、ネット等で関心を持ってくださった皆様、関係者・パネラーの皆様、どうもありがとうございました。

 この記事は、初めての”コーディネータ”なる横文字仕事を、見よう見まねでなんとなく務めた自分の、極私的反省会場&ふりかえりメモ置き場です。


【準備したこと】
・「コーディネータ 心得」でググった。
・自分が聞きたいパネルディスカッションってどんなのだろう、とか、逆に過去に自分が聞いて(もしくは出て)こんなパネルディスカッションはイヤだー、ってスケッチブックめくったのはどんなのだっただろう、ていうのを思い出して考えてみる。そして結果として、こんなパネルディスカッションにしよう!ってのをなんとなく思い描く。(→後述)
・おちまさと『相手に9割しゃべらせる質問術』を読んだ(1/4くらい)。
・予稿を書いた。学会の予稿集冊子に載るA4一枚程度のもので、開催者から依頼されたもの。「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」というテーマに対する自分なりの考えをあらためて整理したもの。
・その予稿をブログ化して載せた(http://egamiday3.seesaa.net/article/399973311.html)。「いったんさらして、ねかす」という、精神安定のためによくやる行動。
・前々回?、宇陀先生がコーディネータをやった「ラーニングコモンズ」がテーマのパネルディスカッションが、Ustream中継されててかつアーカイブが公開されていつでも見れる状態にあったんだけど、あえてそれを最後まで見なかった。見るとたぶんつられるというか引っ張られるし、そうすると余計に緊張しそうなので。
・パネリストには1週間前をめどに、いったん事前にパワポその他を出してもらって、全員でそれを共有した。Googleドライブの共有フォルダを使用した。最終だいぶ変えはった人もいたけど、それでもないよりはずっとよかったと思う。
・リングノートをひとつ準備した。このリングノートは、事前に自分が調べたことや考えたことをメモしたり、当日の議論をメモして司会に反映させたりするために使うもので、これもやはり精神安定のために準備するもの。いつもの無印良品のやつ。
・そのリングノートに、パネリストが事前共有してくれたパワポ他を印刷したうえでぺたぺた貼って、鉛筆でいろいろ書き込む。当日話題にしたいこととか質問したいこととか、注意すべき点だなとおもったところとか、自分の考えなんかを、メモとして書き込む。
・なんでわざわざノートに貼るの?ってことなんだけど、やっぱり、あのリングの、前ページ後ページを瞬時にめくって参照できるスピード感と、常に180度開いてくれる安定感と、いつでも片ページサイズにも両ページサイズにも瞬時にトランスフォームしてくれるフレキシブル感が、リングノートならではだなっていう。これだなって。無印のリングノート最強伝説
・ノートには、各パネリストのプロフィールや業績や文献リストみたいのも書いてた。なぜそんなことしたかは、自分でもわかんないけど、なんか、あ、自分ちゃんと準備してるなっていう、精神安定。とにかく精神安定。
・各パネリストの過去の発表文献なんかのうちで今テーマに関わりそうなのを、2つ3つ読んでおく。あまり多く追いかけると逆にあかんので、ほんとに最近のをちょっとだけ。それで、自分なりの理解にストックを持たせる感じ。
・以上の、自分の予稿+パネリストのパワポ+パネリストの過去の業績+それ以外の若干の参考文献、をもとに、このテーマでディスカッションするならこういう話題が提供できたらいいんじゃないか、こういう問いが投げられたらいいんじゃないか、という”話題案”のストックを、ずらずらずらっと書き出して、ざっくりとカテゴリ分けや並べ替えをして、まとめておく。それもまたリングノートにぺたぺた貼り付けて、さらに鉛筆でいろいろ書き込んだりして、当日当時にそれをベースというか拠り所にして司会・質問・話題提供なんかをしていこう、っていうもくろみ。
・その中で、たとえばパネリストが自分のスピーチでこれに言及しなかったら、あたしのほうから直後に補足して、のちのディスカッションでそれが活きるようにしておこう、みたいなのをチェックしておくとか。
・小ネタやキーフレーズはいくつかストックしておいて、要所要所で出せるようにしておく。
・会の冒頭〜自分のミニスピーチ〜1人目のパネリストに渡す、くらいまではシナリオを頭の中に全部書いておいて、真っ白になっても脊髄反射でセリフがしゃべれるようにしておく。会の途中・中盤で多少フリーズしても、聞いてるほうはそれほど気にしないだろうけど、会の冒頭や開始直後くらいでフリーズするようなことがあるとその後の全体を見る目が変わってきちゃうので、そこはつまずかないようにしておく。
・とはいえ、正直事前にいろいろ考えすぎない、というのが一番だったなと。進め方やまわし方なんか、当日の客数、会場の広さ、パネリスト同士の位置や座る向き、マイクの本数などなどに左右されることの方がよっぽど大きいと思うので、そういう不確定要素は山のようにあると思っておかないとやってられないです。
・だから、上記のような準備をしてるっぽく見せといて、正直、すべてがダメでもともと・無駄になってもともとの手すさびみたいなもんです。実際、このリングノート上に事前準備しておきながら、本番でその通り活用できたネタなんか、1割の毛ほどもないくらいです、でもそれでいいんだと思います。ただ、もしかして話題がネタ切れしてしまったり、頭が真っ白になっちゃったよ、ってなったときに、ぱっと見て、ぱっと次のまわしに移れる、というような命綱になったらなったでラッキー、くらいのあれで。

【こんなパネルディスカッションにしよう!って思い描いたこと】
・フロア質問に一問一答で終わるのは論外。質問に答えるのが目的のディスカッションじゃないんだ、ということ。
・ましてやその質問が、誰々さんへの質問、誰々さんへの質問、と個別限定で終わるのは、ディスカッションの意味がない。
・パネラー同士のコメント・論説・考えが絡み合ってリンクしていってほしい。
・絡み合ってリンクしあって、新しい論説が組み上がるとかだとうれしい。
・だから、『王様のレストラン』みたいなんがいい。(どんなだ(笑))
・結論めいたことは、出なくていい。むしろディスカッションしたことが、会場で聴いてる人たちの心や思考をざわざわと掻き乱すようでないと。
・だから、着地はしないつもり。

【反省点と課題】
・(主に自分が)しゃべりたりない。><;
・自分がしゃべりたい!という衝動を始終抑えつけている感じ。
・話題提供にムチャぶりが多すぎて迷惑をかけた。というのも、あまり限定的な質問・話題にすると答えるの難しいんじゃないかなあ、と思ったので、できるだけ広くオープンな問いにして投げかけたら、やっぱり答えるの難しかった、というパターン。これはたぶん、問い自体は広くオープンなものを投げかけといて、その上で補足として「例えば、○○とか**とか@@とかいったことが考えられるんじゃないかと思うんですが、まあそれに限らず」みたいに具体的な語句を司会から提示すると、答えやすくなったのかなあ、っていう反省。
・時間配分の失敗。ほんとはもっとアウトリーチやユーザのことを話したかったのだ・・・。
・ていうか、パネリストのみなさんのスピーチでもっといろんな大事なこと触れてくれてたはずなのに、ぜんぜん取り上げられなかった・・・時間が足りなかったというより、時間のかけ方がちょっとおかしかったと思うな・・・。
・フロアに名指しで話題をふる、みたいなことも本当は考えていたんだけど、その余裕がなかった。まあこれは、余裕がなかったからなのか、あるいはそんなことしてる暇が惜しいくらいにパネリストの話を聞きたかったからなのか、など。
・そういった意味では「司会の江上はどう思ってるの?」とか「その質問はこうしたらいいのでは?」とか「それについてはフロアの誰それさんにきいてみようよ」とかいうような”プチ司会”的発言を、パネリストの人が気兼ねなく言ってくれるように、場の作り方とか事前の根回し的なのがいるんだなあ、と。
・図書館系・人文系の住人ならあたりまえだろうと思えるような語句でも、ある程度の注釈をつけながらしゃべらないと、理工系情報系の人もたくさんいるここでは伝わらなかったりするだろうな、ということは一応気をつけてやってたつもりですが、実際ちゃんとできてたかは不明。


 とりあえずこれから”答え合わせ”として、宇陀先生の回のパネルディスカッションを見なきゃです。

posted by egamiday3 at 20:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする