●『群書類従』の構成
・正編: 1276種530巻666冊
・続編: 2128種1150巻1185冊
・古代から近世初期まで
・平安時代が30%。鎌倉室町時代が65%
・分類は25部。菅原道真『類聚国史』その他にならう
・神祇・帝王・補任・系 譜・伝・官職・律令・公事・装束・文筆・消息・和歌・連歌・物語・日記・紀行・管絃・蹴鞠・鷹・遊戯・飲食・合戦・武家・釈家・雑
・当時の稀覯・貴重文献をほぼ網羅する
・「国学の体系を史料によって示した百科事典の一種」[#小林健三]
●『群書類従』の編纂方針
・3巻以下の小冊に限定した。(小冊の資料は散逸のおそれが高いため)
・底本の選定
-良本を選ぶ
-他本による校訂も行う
-他に伝本のない孤本を収録し、存在を世に知らせる
●『群書類従』への収録著作(例)
・『梁塵秘抄』(本編全20巻)
・平安時代の歌謡集。後白河天皇撰。
・存在は知られていたが、作品は逸失していた。
・『群書類従』に収録された口伝集巻十のみが残っていた。
・その後、明治時代末期に一部が発見された。
・現存するのは、本編全20巻中、巻1巻頭(断簡)・巻2(全体)、口伝集巻1巻頭(断簡)・巻10(全体)
・『作庭記』
・平安時代の造園の秘伝書。橘俊綱著。
・『群書類従』に収録されて広く知られるようになった
・底本の所蔵者は百花庵宗固(保己一の歌学の師)
・後年、原本(谷村家蔵本)が発見されている。(重要文化財)
・『御評定着座次第』
・室町幕府の御前評定出席者記録。
・『群書類従』所収本以外知られていない。
・国歌大観に収録されている和歌集の例
・『朗詠百首(隆房)』『閑窓撰歌合 建長三年』
・これらは『群書類従』所収本以外に伝本がない。
・『北野天神縁起』(全3巻)
・北野天満宮の縁起絵巻。成立は平安時代末期か。
・諸本が多様に伝存する。
・「流布本たる群書類従本のごとき形態に固定するに至ったのは室町時代」[#国史]
・『建武記』
・後醍醐天皇・建武政権の諸記録。
・「群書類従本には誤脱があり、『大日本史料』『日本思想大系』収録のものがよい。」[#国史]
●『群書類従』の意義
・1797、板木の倉庫用地を幕府から借りるため、保己一が作成した願書。
「近来文華年々に開候処、本朝之書、未一部之叢書に組立、開板仕候儀無御座候故、小冊子之類、追々紛失も可仕哉と歎か敷奉存候」
・その1:逸失のおそれがある
・その2:出版公開されていない
・その3:叢書として編纂されていない
・・・書物と人とを結びつける
・・・「出版」=「保存」+「公開」
・・保存・複製(書写・出版)する
・希少な書物が逸失するおそれがある
・すでに逸失・所在不明の書物が多い
・孤本が多い
↓
・調査によって所在不明の書物を探索する
・収集(書写)・出版によって逸失を防ぐ
・残念ながら『群書類従』底本に逸失が多く、予想は当たっていた
・・アクセスの障壁をなくす
・公家・武家・幕府・寺社等がそれぞれで秘蔵して公開しない
・あちこちに散らばっている
・閲覧・参照ができない
・国学(古典・和書)のニーズ増に応えられていない
↓
・出版によって公共に提供する
・書物の存在を世に知らしめる
・閲覧・参照を可能にする
・武士に限らず町人にも頒布する(宣伝)
・叢書として集めることで、参照を容易にする
・『群書類従』はまさに日本における「壁のない図書館」の典型だった。[#熊田三大]
・「壁のない図書館」。エラスムスが出版・学術出版について言った言葉。王侯・貴族によって図書館という壁に囲い込まれていた/写本という形で閉ざされていた古典が、活版印刷業者によって校訂・印刷され広くヨーロッパに普及した。出版という形で広く社会に開放した。[#熊田三大]
・現在の「壁のない図書館」=目録や書物自体がデジタル化され、インターネットなどを介して、利用者のニーズを充足させるもの。[#熊田三大]
・・叢書として編纂する
・あちこちに散らばっているものを叢書とする
・『類聚国史』や中国の叢書にならい、資料を集大成する。
「異朝には漢魏叢書などよりはじめて、さる叢書どもも聞えたり」「さらばここにもかしこにならひて」(中山信名『温故堂塙先生伝』)
・渾然とした状態から整理する
・史料を分類する・体系化する
=日本の学問を分類・体系化する=説明可能にする
・史料主義
・歴史を史料そのものによって語らせる
・学問者にその意味を読み取らせる。
・出版というメディアの力
・『群書類従』後、幕府・昌平坂学問所による官版などの出版事業
●近代:出版→知識の組織化
・知識の保存と継承
出版以前の保存・継承 = 秘匿・限定
出版以降の保存・継承 = 複製・開放・公共化
・(世界・日本ともに)
・メディアの変化→社会の変化
出版(技術・流通)による、情報の大量生産・普及
情報・文献を参照することによる、科学的姿勢
受容〜生産を担う、”人”の層(エリート/文化人/国民)
・”知”が、集積し、組織化し、ネットワーク化する
・大量の”知”を、体系化+アクセス容易化する
→叢書・文庫・博物誌の編纂
・書物を媒介とした交流・結合(知・人)
(フランス百科全書派:百科全書執筆・編集という人的ネットワークによる文化活動)
●『群書類従』の現代的評価
《高評価》
・幸田露伴「群書類従には当時未刊行だったものが多い。秘密相伝が多かった当時において、各部門にわたって書物を収集し刊行した」
・佐佐木信綱「鎌倉・足利時代の書物で、群書類従によって一般の学問界に伝えられようなものが少なくない」
・川瀬一馬「近世(江戸時代)に於ける最も注意すべき文化活動である」
・大久保利謙(としあき)「群書類従の学問レベルは高く、明治初期には国学系の考証学は儒教系をしのぐほどだった」
・坂本太郎
「群書類従ほど広い分野にわたり必要欠くことの出来ない書物を集めている叢書はほかにない」
「同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜がある」
「その後に出た同類の叢書の模範になった」
・国史大辞典「この叢書の刊行によって稀覯書の散佚が防がれ、諸書が容易に見られるようになったことは大きな功績である」
・平安時代史事典「広範囲にわたる書物が容易に見られる功績」
・日本国語大辞典「流布本を避けて善本を精選した貴重な資料集」
《底本・校訂の問題》
・坂本太郎
「校訂にもの足らぬ所はあるにしても、同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜はその欠点を補ってあまりある」
・国史大辞典「所収書の底本の不十分さ、底本の本文と対校本の本文とのすり替えによる混乱」
・平安時代史事典「今日の時点からは、底本選定や本文批判等に問題が少なくない」
・日本古典文学大辞典「今日から見れば文献の書誌的検討や本文批判に不備を認めるべきものも少なくない」
・日本中世史研究事典(1995)「『群書類従』『史籍集覧』もよく用いられるが、いかんせん刊行年代が古く、ただちに従えない本文によっているものが多い(ことに『続群書類従』はその傾向が強い)。」
《実際の使われ方》
・「卒論における活字史料について」
OKWave
http://bit.ly/1nD3su7「著書や論文などで引用されている史料をそのまま使うと孫引きとなりますよね。
では、活字史料だけを載せているもの(『国史大系』の「徳川実紀」や『大日本地誌体系』の「新編武蔵風土記稿」、『続々群書類従』の「休明光記」など)を使っても孫引き扱いになるのでしょうか?
活字史料しか使っていなかったので、原本や写本などは全く手元にない状態なんです。」
↓
「卒論レベルですと、資料・史料集の類は「孫引き」にはならないと考えます。ただ、ご心配の通り(あたりまえですが)活字は「元」が必ずありますよね。ですから、その卒論の注や参考文献の部分に史料名を載せる際にその「活字」はどんな史料からおこしたものなのか、その底本にあたる事項(出典:「屋代本平家物語[○○大学所蔵]」などですね)を明示するべきです。」
「修士論文・博士論文・学術論文の場合には必ずその「原典」にあたらねばなりません」「今後研究を続けられる際には必ず原典にあたりましょう。早晩「閲覧不許可」という、でかく厚い壁にすぐにぶち当たることでしょう。」
「もしも万が一、指導教官から「原典にはあたりましたか?」と聞かれたら、堂々と「そのことは存じ上げてはおりましたが、あたるなら全てあたらねばならず、膨大な時間が必要と考え、この卒論では活字史料およびそこに記載されている底本情報を信頼して書かせていただきました」と言いましょうね。」
・大学で日本中世史を専攻している者です。
Yahoo!知恵袋
http://bit.ly/1nD2fTE「「日本人は礼儀正しい。勤勉。」という海外からの評価を耳にします。
そのルーツを、武士・武家、公家、その双方から探りたいと考えています。」
「論文や参考文献を上手く探すことができません。」「もし参考になる学術論文や文献をご存知でしたら、教えていただけないでしょうか。」
↓
「「群書類従」なんかを見るのがいいんじゃないですかね。これを読めば、公家の作法や武家の作法(戦闘時)の流れが、漠然と掴むことができます。」
・『地方史研究の新方法』(2000)「中世史・文書記録の研究」「『群書類従』をはじめとする膨大な叢書類に収められたさまざまな記録類を、丹念に見ていくことも重要な作業の一つとなる。」
(国歌大観)
・『国歌大観』凡例「原則として広く一般に流布している系統の中から最善本を選んで底本とした」
・国歌大観『閑窓撰歌合 建長三年』「底本は群書類従巻第二一六所収本。他に伝本の存在を聞かない。」
・国歌大観『七夕七十首(為理)』七夕七十首の伝本は現在、群書類従本、書陵部蔵本、静嘉堂文庫蔵本の三本が知られており、板本群書類従本を底本に諸本を参照した。
(日本国語大辞典)
・日本国語大辞典第1巻「凡例」「出典・用例について」「底本は、できるだけ信頼できるものを選ぶように心がけたが、検索の便などを考え、流布している活字本から採用したものもある。」
・例:顕輔集、十六夜日記、今物語・・・(『群書類従』を底本としている)
●群書類従のメリットはどこにあるか
△本文としての質・正確さ
△文献それ自体の現代における価値
○文献が残り伝わってくれていること
○読める状態に整っていること(叢書化・版本化・活字化)
◎ひとところに集まっていること
◎参照・アクセスしやすいこと(オープン化)
○分類・整理されていること(部立・連番)
○”区切り”をつけられること(通読)
◎”あたり”をつけられること(レファレンス)
●『群書類従』のデジタル化とJapanKnowledge
・データベースとして検索可能になった。
・テキストデータ化され、検索・活用が可能になった。
・JapanKnowledgeというプラットフォーム上で、検索・参照が可能になった
+
◎ひとところに集まっていること
◎参照・アクセスしやすいこと(オープン化)
◎”あたり”をつけられること(レファレンス)
↓
・統合検索ができる
・相互参照ができる
・ファインダビリティ
・セレンディピティ
●JapanKnowledge
☆・本棚の中のニッポンから
・ひとつの契約で
・複数の参考図書・DB・コンテンツを同一プラットフォーム上で
・人文社会系に必要なDBをカバー
・ディスカバリーシステムに対応
・海外での契約におけるメリット
・統合検索ができる
−複数の文献を串刺検索できる
−異なる参考図書・DB・コンテンツを串刺検索できる
−比較・対照することが容易になる
−連想的・発想的な検索と発見ができる
・相互参照ができる
−『群書類従』本文から→他の参考図書を参照
−他のコンテンツ・参考図書から→『群書類従』本文を参照
(例)『日本歴史地名大系』の本文で引用されている文献を、『群書類従』で確認する。
⇒単一のデータベース、CD-ROMではかなわないこと
・ファインダビリティが上がる
⇒多数の代表的コンテンツを備えたプラットフォームだからかなうこと
(学際的・国際的・総合的)
・セレンディピティが増える
⇒メタデータ・参考図書だけでは実現できないこと
・適合度の高い情報(参考図書)だけを的確に参照できる
⇒全文検索・webサーチだけでは混乱すること
(例)『群書類従』に黒田官兵衛関連の文献は?
→『群書類従』で「黒田官兵衛」を検索する
→黒田官兵衛の”ほかの名前”は?
→『国史大辞典』で「黒田官兵衛」を見出し検索する
→ヒットなし
→複数の参考図書で「黒田官兵衛」を見出し検索する
→『日本人名大辞典』などで「黒田官兵衛→黒田孝高(くろだよしたか)」がヒット
→『国史大辞典』で「黒田孝高」を見出し検索する
→「[参考文献]『大日本史料』一二ノ二 慶長九年三月二十日条、『寛政重修諸家譜』四二五、貝原篤信『黒田家譜』(『益軒全集』五)、金子堅太郎『黒田如水伝』」
→『国史大辞典』で「黒田孝高」や「如水」で「群書類従」を全文検索する
→『神屋宗湛日記』に記述あり?(『群書類従』では『神屋宗湛筆記』で収録)
『玄与日記』に黒田如水登場?(『群書類従』日記部所収)
→『群書類従』で本文を確認
→わからない単語・人名・地名を調べる・・・(同じJapanKnowledge上で)
→外部サイトへ、次への展開へ・・・(同じブラウザ上で)
●まとめ
『群書類従』
個々に所蔵され公開されなかった書物を、叢書・出版によって公開し、書物と人との間の障壁をとりのぞいてアクセスを可能にした。
『JapanKnowledgeの群書類従』
個々に閲読・検索するしかなかった書物を、同一プラットフォーム上に載せ、書物と人との間の障壁だけでなく、書物と書物との間の障壁をとりのぞいて、アクセスを容易にする。
●海を渡る群書類従
(この項の典拠)
・塙保己一検校生誕第二六八年記念大会
英国ケンブリッジ大学と米国バージニア大学の『群書類従』
国文学研究資料館
伊藤鉄也
http://genjiito.blog.eonet.jp/default/files/140502_onko.pdf・「The Japanese collections at Cambridge University Library and Gunsho ruiju」
Special Collections, Cambridge University Library
https://specialcollections.blog.lib.cam.ac.uk/?p=1597・1921、昭和天皇が皇太子だったころ、ケンブリッジ大学を訪問する。
・1925年8月20日の朝日新聞の記事
「英国の大学へ書籍を御寄贈」
4年前の訪問を記念して、ケンブリッジ大学に群書類従666冊、イートンカレッジに二十一代集を寄贈した。
・これは、ケンブリッジ大学をはじめイギリスで本格的な日本研究・日本語書籍収集が始まる1940-50年代よりも前のこと。
・現在、ケンブリッジ大学図書館Aoi Pavilionで、666冊すべてが、桐箱入りで所蔵されている。
現在のケンブリッジ所蔵の群書類従
Gunsho ruiju: FJ.84:09.1?666 (the present from Showa Emperor)
Gunsho ruiju (wood-block printing): FJ.84:09.672?745 (imperfect set)
Gunsho ruiju (modern printing): FD.84:01.1?19, FD.84:03.1?39
Shinko gunsho ruiju (modern printing) : FD.84:04.1?25
Zoku gunsho ruiju : FD.84:05.1?19, FD.84:06.1?72, FD.84:07.1?11
・1928年、ハワイ大学図書館が渋沢栄一など日本の財界人に働きかけ、日本語書籍を寄贈してほしいと依頼。
・渋沢栄一が資金集めを働きかけ、姉崎正治(東京帝国大学図書館長)が選書をして、954冊が寄贈された。
・その中に活字本の群書類従・続群書類従も含まれていた。
・現在、世界の大学図書館・研究図書館には群書類従がやまほど所蔵されている。