2014年09月11日

(メモ)和田敦彦『読書の歴史を問う』(笠間書院, 2014)

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代 -
読書の歴史を問う: 書物と読者の近代 -


●はじめに--なぜ読書を問うのか
・ベトナム社会科学院の日本語蔵書。EFEO蔵書が引き継がれたもの、1万冊。
・読書も、読者も、当たり前ではない。なぜという問いを伴う。

●1:読書を調べる
・この本は近代の読書を調べるための実践マニュアルです。
・読書が形成されるまでには、物理的に「たどりつくプロセス」と、読んで「理解するプロセス」があって、たどりつくプロセスについてはあまり読書研究としてされてなくて、出版史とか図書館史とかになる。
・読書は不自由に満ちている。
・いま・ここの読書を評価・批判するために、別の場所、別の時間、「遠くの読書」、「不自由さ」、当たり前のことがいちいち当たり前ではないところ、を知る必要がある。
・事例で、特徴と違いをとらえて、比較・対照させる。
・不自由さの否定ではなく、可能性をひろげるものとして。

●2:表現の中の読者
・読者を具体的に知るには、雑誌・新聞研究がいい。雑誌・新聞というメディアは、一定の読者層・速射集団をターゲットにしたコミュニケーションを重視しているから。
・その違いに応じて、様々な読書集団が生まれる。
・明治初期では、新聞という新たなメディア自体の理解、新聞の読み方も、読者には容易でない。早さ、正確さ、中立性などの価値そのもの、文体などのリテラシーが読者に根付き、均質化していくプロセスを含む。これが”読者の歴史”。
・(児童雑誌)読者は受動的・消極的ではなく、読者自身が成長・進化する、過渡的なはず。
・雑誌『キング』、ラジオ、大衆的な公共圏。

●3:読書の場所の歴史学
・芥川龍之介「舞踏会」、フランス軍将校と親しく対等に接する日本人女性。これが日中戦争期に日本文化宣伝政策の一環として、フランス領インドシナで翻訳され、読まれる、ということの意味。
・いま・ここの読書が、自明、ではないということ。
・鉄道は、本を販売する場所、本を読む場所、にもなる。
・監獄では、望ましい/望ましくない、という”読書の規範”が明確に現れる。
・『満鉄図書館史』
・戦場では、ある本を読んでいるという行為自体が社会的メッセージや意味を伴う。
・図書館が、ヒットラー政権下で、国策遂行・国民教育機関として大きな成果を上げた。
・外地・旧植民地・移民地での、素人による文学創作活動とその享受について。
・日比嘉高『ジャパニーズ・アメリカ』。戦前北米の日本書店・流通の調査。

●4:書物と読者をつなぐもの
・書物を仲介し届ける存在。角田柳作、チャールズ・E・タトル。
・チャールズ・E・タトル関係文書は、ヴァージニア州の本社にのこされていて、誰かが利用した形跡もなく、フォークリフトで十数箱が運ばれてきた。こういうふうに眠って散在している可能性がある。(捨てずにのこされていたのは幸運)
・角田柳作の活動を知る手がかり。のこされた書物自体。その目録、寄贈元。当時の新聞。関係機関の文書、議事録。外務省などの官公庁や財団。
・アメリカの大学の著名な日本語図書館では、タトルからの書簡がのこされている。米国大学の場合こうした文書類は大学史記録文書として保存公開されている。
・タトルは、日本の学術雑誌や、企業・政府の報告書等、日本では販売目的でなかった刊行物を、米国で商品として販売するためリスト化する。

●5:書物が読者に届くまで
・日本の文学史にならぶ代表的な明治大正の文学・小説は、どれだけの読者に届き、どのように読まれていたのか。そこに、書物と読者のつながりという観点が欠けているのではないか。
・近代の書物流通は、新聞輸送に始まった→雑誌→円本
・戦時統制下の書籍流通の統制、効率化。
・教科書→地方書店流通のネットワーク
・松本市の高美書店には、明治期の販売資料4000点がのこっていた。

●6:書物の流れをさえぎる
・検閲で発禁処分が下されても、流通ルートは多様でさえぎるのは容易でない。発禁処分決定時点で既に雑誌が完売している、古書として取引される、発禁などの処分が雑誌経営にむしろプラスになることも。
・占領期の検閲が終了した後も、プレスコードが廃されたというわけではなく、むしろ出版者側に自主規制が浸透した。
・図33「検閲後の書物の行方」

●7:書物の来歴
・戦前戦中占領期の日米間の図書の移動。
・占領期は最も多くの日本の書物が海外に流れていった時期。
・書物の移動における”送り手”について。
・書物は送られるだけでは意味をなさない。国際文化振興会は、書物を送るだけでなく日本の書物を紹介し書物を扱うためのレファレンス文献を数多く作り出す。
・本を送り届けることの、政治的経済的文脈。
・カナダのブリティッシュコロンビア大学には豊富な日系人資料が所蔵されている。が、日系人がよそへ移動分散させられたのに、この地に資料が自然に遺るはずがないのである。
・明治大学マンガ図書館。明治大学から寄贈打診を受けた収集家・城市郎氏は、快諾したばかりか、すでに形見分けとして多くの親族に分け与えていた書物を再度取り戻してまで寄贈に供した。此までどれだけ学術機関や図書館から冷遇されていたかを痛感する話である。

●8:電子メディアと読者
・CiNiiでまともな論文にたどり着けなかった学生の話。
・電子化されている書物をうまく使うには、そのデータがどういう偏りや空白をもっているのかを理解する、電子化されていない書物についての知識が重要。(#(江上)これは電子化のみの問題じゃないだろうなあ)
・検索窓のすぐ下の「電子化されている、されていない」の選択肢の”位置”は、次にこれを選択すべしという”価値”に取り違えられる危険性がある。というディスプレイ・バイアス。
・デジタルに欠陥があった場合、たとえ情報が含まれていても、それが見えない/たどりつけないおそれがある。物理的には存在しているはずの図書館蔵書を見えなくしてしまうなど。海外日本語蔵書などがその例。
・電子図書館が読者にたどりつくまでの「あいだ」をとらえ、その制約を問う、という研究の可能性。
・例えば特に初学者には、ここからここまでという具体的な広さと限界を持った場所、蔵書の範囲、「函」としての図書館の棚が有効である。全体像をつかみ、情報を位置づける。
・資料・情報の「横並び」は、それが持っていた場所・距離・文脈を失わせてしまうのではないか。

●9:読書と教育
・「国語」という教科が言語だけを教えたためしはない。
・読書する女性、のイメージ変遷。
・アーカイブズ教育。たどりつくプロセス、読書の歴史を学ぶのに、アーカイブズの実践学習は非常に有効である。他に、図書館未整理資料の整理や翻刻・公開の実践など。
・国語教育、国語教科書に”読書の歴史”を組み込むことによって、メディア・リテラシーを具体的に教育で実践できるのでは。

●10:文学研究と読書
・作家ではなく、表現を分析することによって、読者がわかる。名作や著名作家主導の、一握りの小説に偏った文学研究では、読者の歴史は見えない。
・文学史の記述は、当然のように、読者の歴史を排除してきた。
・日系移民の読書空間。そこには日本国内と異なる読書・流通・享受・言語環境がある。孤立した日本語環境の中で、日常的に、同好者間で文学活動が一世紀以上続けられてきた。「アマチュア文芸の世界が貧しかったわけではないし、無視してよいわけではない。」 細川周平『日系ブラジル移民文学』
・読書を問う、学際的なつながり、リテラシー史。

●おわりに
・従来は出版史・図書館史・文学研究など多様な領域でなされてきた研究が、本書で、「読書の歴史を問う」という方法のもとに結びあわされる。
・国際会議「日本の書物の歴史 過去・現在・未来」



■江上の感想
・学部生の時にこれ読んでたら人生変わってたな、っていう。

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2014年09月07日

(メモ)群書類従について(その2)

●『群書類従』の構成
・正編: 1276種530巻666冊
・続編: 2128種1150巻1185冊
・古代から近世初期まで
・平安時代が30%。鎌倉室町時代が65%

・分類は25部。菅原道真『類聚国史』その他にならう
・神祇・帝王・補任・系 譜・伝・官職・律令・公事・装束・文筆・消息・和歌・連歌・物語・日記・紀行・管絃・蹴鞠・鷹・遊戯・飲食・合戦・武家・釈家・雑
・当時の稀覯・貴重文献をほぼ網羅する
・「国学の体系を史料によって示した百科事典の一種」[#小林健三]


●『群書類従』の編纂方針
・3巻以下の小冊に限定した。(小冊の資料は散逸のおそれが高いため)
・底本の選定
-良本を選ぶ
-他本による校訂も行う
-他に伝本のない孤本を収録し、存在を世に知らせる


●『群書類従』への収録著作(例)

・『梁塵秘抄』(本編全20巻)
・平安時代の歌謡集。後白河天皇撰。
・存在は知られていたが、作品は逸失していた。
・『群書類従』に収録された口伝集巻十のみが残っていた。
・その後、明治時代末期に一部が発見された。
・現存するのは、本編全20巻中、巻1巻頭(断簡)・巻2(全体)、口伝集巻1巻頭(断簡)・巻10(全体)

・『作庭記』
・平安時代の造園の秘伝書。橘俊綱著。
・『群書類従』に収録されて広く知られるようになった
・底本の所蔵者は百花庵宗固(保己一の歌学の師)
・後年、原本(谷村家蔵本)が発見されている。(重要文化財)

・『御評定着座次第』
・室町幕府の御前評定出席者記録。
・『群書類従』所収本以外知られていない。

・国歌大観に収録されている和歌集の例
・『朗詠百首(隆房)』『閑窓撰歌合 建長三年』
・これらは『群書類従』所収本以外に伝本がない。

・『北野天神縁起』(全3巻)
・北野天満宮の縁起絵巻。成立は平安時代末期か。
・諸本が多様に伝存する。
・「流布本たる群書類従本のごとき形態に固定するに至ったのは室町時代」[#国史]

・『建武記』
・後醍醐天皇・建武政権の諸記録。
・「群書類従本には誤脱があり、『大日本史料』『日本思想大系』収録のものがよい。」[#国史]



●『群書類従』の意義

・1797、板木の倉庫用地を幕府から借りるため、保己一が作成した願書。
「近来文華年々に開候処、本朝之書、未一部之叢書に組立、開板仕候儀無御座候故、小冊子之類、追々紛失も可仕哉と歎か敷奉存候」
・その1:逸失のおそれがある
・その2:出版公開されていない
・その3:叢書として編纂されていない

・・・書物と人とを結びつける
・・・「出版」=「保存」+「公開」

・・保存・複製(書写・出版)する

・希少な書物が逸失するおそれがある
・すでに逸失・所在不明の書物が多い
・孤本が多い

・調査によって所在不明の書物を探索する
・収集(書写)・出版によって逸失を防ぐ
・残念ながら『群書類従』底本に逸失が多く、予想は当たっていた

・・アクセスの障壁をなくす
・公家・武家・幕府・寺社等がそれぞれで秘蔵して公開しない
・あちこちに散らばっている
・閲覧・参照ができない
・国学(古典・和書)のニーズ増に応えられていない

・出版によって公共に提供する
・書物の存在を世に知らしめる
・閲覧・参照を可能にする
・武士に限らず町人にも頒布する(宣伝)
・叢書として集めることで、参照を容易にする

・『群書類従』はまさに日本における「壁のない図書館」の典型だった。[#熊田三大]
・「壁のない図書館」。エラスムスが出版・学術出版について言った言葉。王侯・貴族によって図書館という壁に囲い込まれていた/写本という形で閉ざされていた古典が、活版印刷業者によって校訂・印刷され広くヨーロッパに普及した。出版という形で広く社会に開放した。[#熊田三大]
・現在の「壁のない図書館」=目録や書物自体がデジタル化され、インターネットなどを介して、利用者のニーズを充足させるもの。[#熊田三大]


・・叢書として編纂する
・あちこちに散らばっているものを叢書とする
・『類聚国史』や中国の叢書にならい、資料を集大成する。
「異朝には漢魏叢書などよりはじめて、さる叢書どもも聞えたり」「さらばここにもかしこにならひて」(中山信名『温故堂塙先生伝』)

・渾然とした状態から整理する
・史料を分類する・体系化する
=日本の学問を分類・体系化する=説明可能にする

・史料主義
・歴史を史料そのものによって語らせる
・学問者にその意味を読み取らせる。

・出版というメディアの力
・『群書類従』後、幕府・昌平坂学問所による官版などの出版事業



●近代:出版→知識の組織化

・知識の保存と継承
出版以前の保存・継承 = 秘匿・限定
出版以降の保存・継承 = 複製・開放・公共化

・(世界・日本ともに)
・メディアの変化→社会の変化
出版(技術・流通)による、情報の大量生産・普及
情報・文献を参照することによる、科学的姿勢
受容〜生産を担う、”人”の層(エリート/文化人/国民)

・”知”が、集積し、組織化し、ネットワーク化する
・大量の”知”を、体系化+アクセス容易化する
→叢書・文庫・博物誌の編纂
・書物を媒介とした交流・結合(知・人)
(フランス百科全書派:百科全書執筆・編集という人的ネットワークによる文化活動)



●『群書類従』の現代的評価

《高評価》
・幸田露伴「群書類従には当時未刊行だったものが多い。秘密相伝が多かった当時において、各部門にわたって書物を収集し刊行した」
・佐佐木信綱「鎌倉・足利時代の書物で、群書類従によって一般の学問界に伝えられようなものが少なくない」
・川瀬一馬「近世(江戸時代)に於ける最も注意すべき文化活動である」
・大久保利謙(としあき)「群書類従の学問レベルは高く、明治初期には国学系の考証学は儒教系をしのぐほどだった」
・坂本太郎
「群書類従ほど広い分野にわたり必要欠くことの出来ない書物を集めている叢書はほかにない」
「同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜がある」
「その後に出た同類の叢書の模範になった」

・国史大辞典「この叢書の刊行によって稀覯書の散佚が防がれ、諸書が容易に見られるようになったことは大きな功績である」
・平安時代史事典「広範囲にわたる書物が容易に見られる功績」
・日本国語大辞典「流布本を避けて善本を精選した貴重な資料集」


《底本・校訂の問題》
・坂本太郎
「校訂にもの足らぬ所はあるにしても、同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜はその欠点を補ってあまりある」

・国史大辞典「所収書の底本の不十分さ、底本の本文と対校本の本文とのすり替えによる混乱」
・平安時代史事典「今日の時点からは、底本選定や本文批判等に問題が少なくない」
・日本古典文学大辞典「今日から見れば文献の書誌的検討や本文批判に不備を認めるべきものも少なくない」
・日本中世史研究事典(1995)「『群書類従』『史籍集覧』もよく用いられるが、いかんせん刊行年代が古く、ただちに従えない本文によっているものが多い(ことに『続群書類従』はその傾向が強い)。」



《実際の使われ方》
・「卒論における活字史料について」
OKWave http://bit.ly/1nD3su7
「著書や論文などで引用されている史料をそのまま使うと孫引きとなりますよね。
では、活字史料だけを載せているもの(『国史大系』の「徳川実紀」や『大日本地誌体系』の「新編武蔵風土記稿」、『続々群書類従』の「休明光記」など)を使っても孫引き扱いになるのでしょうか?
活字史料しか使っていなかったので、原本や写本などは全く手元にない状態なんです。」

「卒論レベルですと、資料・史料集の類は「孫引き」にはならないと考えます。ただ、ご心配の通り(あたりまえですが)活字は「元」が必ずありますよね。ですから、その卒論の注や参考文献の部分に史料名を載せる際にその「活字」はどんな史料からおこしたものなのか、その底本にあたる事項(出典:「屋代本平家物語[○○大学所蔵]」などですね)を明示するべきです。」
「修士論文・博士論文・学術論文の場合には必ずその「原典」にあたらねばなりません」「今後研究を続けられる際には必ず原典にあたりましょう。早晩「閲覧不許可」という、でかく厚い壁にすぐにぶち当たることでしょう。」
「もしも万が一、指導教官から「原典にはあたりましたか?」と聞かれたら、堂々と「そのことは存じ上げてはおりましたが、あたるなら全てあたらねばならず、膨大な時間が必要と考え、この卒論では活字史料およびそこに記載されている底本情報を信頼して書かせていただきました」と言いましょうね。」


・大学で日本中世史を専攻している者です。
Yahoo!知恵袋 http://bit.ly/1nD2fTE
「「日本人は礼儀正しい。勤勉。」という海外からの評価を耳にします。
そのルーツを、武士・武家、公家、その双方から探りたいと考えています。」
「論文や参考文献を上手く探すことができません。」「もし参考になる学術論文や文献をご存知でしたら、教えていただけないでしょうか。」

「「群書類従」なんかを見るのがいいんじゃないですかね。これを読めば、公家の作法や武家の作法(戦闘時)の流れが、漠然と掴むことができます。」

・『地方史研究の新方法』(2000)「中世史・文書記録の研究」「『群書類従』をはじめとする膨大な叢書類に収められたさまざまな記録類を、丹念に見ていくことも重要な作業の一つとなる。」


(国歌大観)
・『国歌大観』凡例「原則として広く一般に流布している系統の中から最善本を選んで底本とした」
・国歌大観『閑窓撰歌合 建長三年』「底本は群書類従巻第二一六所収本。他に伝本の存在を聞かない。」
・国歌大観『七夕七十首(為理)』七夕七十首の伝本は現在、群書類従本、書陵部蔵本、静嘉堂文庫蔵本の三本が知られており、板本群書類従本を底本に諸本を参照した。

(日本国語大辞典)
・日本国語大辞典第1巻「凡例」「出典・用例について」「底本は、できるだけ信頼できるものを選ぶように心がけたが、検索の便などを考え、流布している活字本から採用したものもある。」
・例:顕輔集、十六夜日記、今物語・・・(『群書類従』を底本としている)




●群書類従のメリットはどこにあるか

△本文としての質・正確さ
△文献それ自体の現代における価値

○文献が残り伝わってくれていること
○読める状態に整っていること(叢書化・版本化・活字化)
◎ひとところに集まっていること
◎参照・アクセスしやすいこと(オープン化)
○分類・整理されていること(部立・連番)
○”区切り”をつけられること(通読)
◎”あたり”をつけられること(レファレンス)


●『群書類従』のデジタル化とJapanKnowledge

・データベースとして検索可能になった。
・テキストデータ化され、検索・活用が可能になった。
・JapanKnowledgeというプラットフォーム上で、検索・参照が可能になった

◎ひとところに集まっていること
◎参照・アクセスしやすいこと(オープン化)
◎”あたり”をつけられること(レファレンス)

・統合検索ができる
・相互参照ができる
・ファインダビリティ
・セレンディピティ


●JapanKnowledge
☆・本棚の中のニッポンから
・ひとつの契約で
・複数の参考図書・DB・コンテンツを同一プラットフォーム上で
・人文社会系に必要なDBをカバー
・ディスカバリーシステムに対応
・海外での契約におけるメリット


・統合検索ができる
−複数の文献を串刺検索できる
−異なる参考図書・DB・コンテンツを串刺検索できる
−比較・対照することが容易になる
−連想的・発想的な検索と発見ができる

・相互参照ができる
−『群書類従』本文から→他の参考図書を参照
−他のコンテンツ・参考図書から→『群書類従』本文を参照
(例)『日本歴史地名大系』の本文で引用されている文献を、『群書類従』で確認する。
⇒単一のデータベース、CD-ROMではかなわないこと

・ファインダビリティが上がる
⇒多数の代表的コンテンツを備えたプラットフォームだからかなうこと
 (学際的・国際的・総合的)

・セレンディピティが増える
⇒メタデータ・参考図書だけでは実現できないこと

・適合度の高い情報(参考図書)だけを的確に参照できる
⇒全文検索・webサーチだけでは混乱すること


(例)『群書類従』に黒田官兵衛関連の文献は?
→『群書類従』で「黒田官兵衛」を検索する
→黒田官兵衛の”ほかの名前”は?
→『国史大辞典』で「黒田官兵衛」を見出し検索する
→ヒットなし
→複数の参考図書で「黒田官兵衛」を見出し検索する
→『日本人名大辞典』などで「黒田官兵衛→黒田孝高(くろだよしたか)」がヒット
→『国史大辞典』で「黒田孝高」を見出し検索する
→「[参考文献]『大日本史料』一二ノ二 慶長九年三月二十日条、『寛政重修諸家譜』四二五、貝原篤信『黒田家譜』(『益軒全集』五)、金子堅太郎『黒田如水伝』」
→『国史大辞典』で「黒田孝高」や「如水」で「群書類従」を全文検索する
→『神屋宗湛日記』に記述あり?(『群書類従』では『神屋宗湛筆記』で収録)
 『玄与日記』に黒田如水登場?(『群書類従』日記部所収)
→『群書類従』で本文を確認
→わからない単語・人名・地名を調べる・・・(同じJapanKnowledge上で)
→外部サイトへ、次への展開へ・・・(同じブラウザ上で)



●まとめ
『群書類従』
 個々に所蔵され公開されなかった書物を、叢書・出版によって公開し、書物と人との間の障壁をとりのぞいてアクセスを可能にした。

『JapanKnowledgeの群書類従』
 個々に閲読・検索するしかなかった書物を、同一プラットフォーム上に載せ、書物と人との間の障壁だけでなく、書物と書物との間の障壁をとりのぞいて、アクセスを容易にする。



●海を渡る群書類従
(この項の典拠)
・塙保己一検校生誕第二六八年記念大会
英国ケンブリッジ大学と米国バージニア大学の『群書類従』
国文学研究資料館
伊藤鉄也
http://genjiito.blog.eonet.jp/default/files/140502_onko.pdf

・「The Japanese collections at Cambridge University Library and Gunsho ruiju」
Special Collections, Cambridge University Library
https://specialcollections.blog.lib.cam.ac.uk/?p=1597


・1921、昭和天皇が皇太子だったころ、ケンブリッジ大学を訪問する。
・1925年8月20日の朝日新聞の記事
「英国の大学へ書籍を御寄贈」
4年前の訪問を記念して、ケンブリッジ大学に群書類従666冊、イートンカレッジに二十一代集を寄贈した。
・これは、ケンブリッジ大学をはじめイギリスで本格的な日本研究・日本語書籍収集が始まる1940-50年代よりも前のこと。
・現在、ケンブリッジ大学図書館Aoi Pavilionで、666冊すべてが、桐箱入りで所蔵されている。
現在のケンブリッジ所蔵の群書類従
Gunsho ruiju: FJ.84:09.1?666 (the present from Showa Emperor)
Gunsho ruiju (wood-block printing): FJ.84:09.672?745 (imperfect set)
Gunsho ruiju (modern printing): FD.84:01.1?19, FD.84:03.1?39
Shinko gunsho ruiju (modern printing) : FD.84:04.1?25
Zoku gunsho ruiju : FD.84:05.1?19, FD.84:06.1?72, FD.84:07.1?11

・1928年、ハワイ大学図書館が渋沢栄一など日本の財界人に働きかけ、日本語書籍を寄贈してほしいと依頼。
・渋沢栄一が資金集めを働きかけ、姉崎正治(東京帝国大学図書館長)が選書をして、954冊が寄贈された。
・その中に活字本の群書類従・続群書類従も含まれていた。

・現在、世界の大学図書館・研究図書館には群書類従がやまほど所蔵されている。


posted by egamiday3 at 14:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(メモ)群書類従と似てそうだけど違うもの

・『大日本史料』 1900-
編年体の史料集。
東京大学史料編纂所による。
六国史の後を受けて、宇多天皇以降、明治維新まで。16編に分割して編纂する。
事件を年月日順に配列して、簡潔な綱文を掲げ、そのあとに関連史料を収める。

・『史料綜覧』
『大日本史料』の、綱文と、史料名のみ(年表形式)。
東京大学史料編纂所による。

・『大日本古文書』 1901-
古文書の翻刻集。
東京大学史料編纂所による。
奈良時代の「編年文書」、諸家・諸寺社所蔵の「家わけ文書」、「幕末外国関係文書」の3種。

・『大日本古記録』 1952-
各時代の代表的な日記その他の古記録集。
東京大学史料編纂所による。
『貞信公記』、『小右記』、『御堂関白記』、『言経卿記(ときつねきょうき)』など。

・『史籍集覧』 1881-1885
『群書類従』には収録されなかった史籍を収録・叢書化。
近藤瓶城による。
室町時代や江戸時代の覚書や合戦記、随筆等。
『続史籍集覧』などものあり。

・『史料大成』 1934-1937
平安−室町時代の天皇・貴族の日記叢書。
笹川種郎編。
『増補史料大成』(臨川書店刊行)、『続史料大成』(武家・寺社等の日記)などあり。
『大日本古記録』に次ぐ日記の大叢書。

・『新訂増補 国史大系』 1929-1964
日本史研究の基礎史料の叢書。
黒板勝美、吉川弘文館、国史大系編修会などによる。
国史大系シリーズの3次目。

・『寧楽遺文・平安遺文・鎌倉遺文』 1947-1991
各時代の文書類の叢書。(編年)
竹内理三編。
『平安遺文』の収録文書は約5500。

・『古事類苑』 1896-1914
官撰の百科事典。
古代から慶応3年までの文化・社会の諸事項について、解説と、書籍からの引用を記述する。
30部門に分類。

posted by egamiday3 at 13:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(メモ)『茶の本』(岡倉天心)


 ちょっとしたきっかけで、めちゃめちゃ久しぶりに茶の本/岡倉天心著を読み返してみたら、存外こんなおもろいこと書いてたんやみたいになったので、ちょっとメモ。


「一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。」
「いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう」
「不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。」

 いきなり第1章からとんでもない煽り方を連発してくるので、ひくのを通り越して笑ってしまったところ。
 これをふまえて考えたことには、西洋側は東洋や日本のことをステレオタイプなりジャポニズムなりの偏った目でしか見てない、っていう考え方それ自体が、我々側の持つステレオタイプのひとつであり、そのことは認め自覚しておかなならんな、と。いうことともうひとつは、そもそもそういうステレオタイプな見せ方をしてきたのは他ならぬ日本側の方ではなかったのか、というのは、この本全体に対してもちょっと考えどころかなと。
 いうのを、かつて、ケンペルの日本史の挿図をスライドで見せてなんかおかしな日本理解してますねってぽろっと言ったら、いやケンペルはそういう見方はしてないということがうちとこの資料ですでに判明してるんだよ、って大英図書館の人にやんわり説明されて至極赤面・猛省した、という経験のある身としては忘れんとこう、と。

「茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。」

 そんなもんかなあ。

「たぶんわれわれは隠すべき偉大なものが非常に少ないからであろう、些事に自己を顕わすことが多すぎて困る。」

 反省・・・。
 
「明の一訓詁学者は宋代典籍の一にあげてある茶筅の形状を思い起こすに苦しんでいる」

 元によって、宋から明に文明が伝わらなかった、ていう話。

「われわれはおのれの役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。この事を老子は「虚」という得意の隠喩で説明している」

 個々の問題にしらみをつぶすように体当たりしたりとか、図書館のことを考えるのに図書館のことだけしか考えないとか、それを嘲笑して大学全体・自治体全体のことを考えろよと野次ってるわりにはその大学のことだけ、その自治体・役所の論理だけしか考えてなくて社会人類のことを考えてないとか、そういうんではなくて、”芝居”全体を知ってなならんなあ、と。

「茶室の簡素清浄は禅院の競いからおこったものである。禅院は他の宗派のものと異なってただ僧の住所として作られている。その会堂は礼拝巡礼の場所ではなくて、禅修行者が会合して討論し黙想する道場である。」

 ”場”が持つ機能についてのヒントは、図書館以外のところにたくさんある。

「禅の考え方が世間一般の思考形式となって以来、極東の美術は均斉ということは完成を表わすのみならず重複を表わすものとしてことさらに避けていた。意匠の均等は想像の清新を全く破壊するものと考えられていた。」

 これはなんとなくわかる。

「他の人々は自己の事ばかり歌ったから失敗したのであります。私は琴にその楽想を選ぶことを任せて」

 これもわかる。結局、対象に自分の考えを投影させるだけでは、しょぼい問題解決にしかならないという。

「近松が言うには、「これこそ、劇本来の精神をそなえている。というのは、これは見る人を考えに入れているから公衆が役者よりも多く知ることを許されている。公衆は誤りの因を知っていて、哀れにも、罪もなく運命の手におちて」

 これは創作のてっぱん。

「われわれのこの民本主義の時代においては、人は自己の感情には無頓着に世間一般から最も良いと考えられている物を得ようとかしましく騒ぐ」

 流行りにジタバタするなよと。

「われわれはあまりに分類し過ぎて、あまりに楽しむことが少ない。いわゆる科学的方法の陳列のために、審美的方法を犠牲にしたこと」

 対象を分析することそれ自体を目的としても、おもろいことは起こらんだろう、と。


 そんな感じです。
posted by egamiday3 at 09:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする