2016年02月27日
コスパとキャパ : 或いは、うちとこのサービス小論
・未来食堂
http://miraishokudo.com/
・未来食堂日記(飲食店開業日記)
http://miraishokudo.hatenablog.com/
去年の末頃に「未来食堂」さんというところの紹介記事が出てまして、それをいくつか読んでました。
一番気になったのは、「あつらえ」(お客が材料を選んで好きな料理をつくってもらえる)のとこですね。
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・あつらえシステムの解説マンガ
http://miraishokudo.com/img/manga_atsurae.png
・メニュー1つ、お酒はシェア 元クックパッド社員の食堂:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASHDV6W3KHDVUTIL02C.html
「「卵とミニトマトが食べたい。ふわふわな感じ」。約5分後、ざく切りのミニトマトをくるんだだし巻き卵が出てきた。
常に10種類超を用意しているというメニュー表の食材を選んで注文できる「あつらえ」というしくみ。午後6時から注文でき、一品400円。女性は「どんな料理が来るのか、考えながら待っている間がわくわくしますね」と笑顔だ。
この日の定食は唯一のランチメニューでもある900円のチキン南蛮。メニューにある食材はキャベツ、ゴボウ、ユズ皮など15種類。」
・元・エンジニアが営む“定食屋のスタートアップ”が、飲食業界の定説を覆す!?|PR Table
https://www.pr-table.com/miraishokudo/stories/24
「「個人の要望に応えて作るなんて非効率だ」と思うかもしれませんが、実際は非常にロスの少ない、飲食業界の定説を覆す、画期的なビジネスモデルになっています。
「固定されたメニューにすると、1個食材が足りないだけで買い出しに行く必要があったり、どこかで必ず破棄が出ます。でも『あつらえ』は、今日の冷蔵庫の中身を紙に書けばメニューが完成します。あるもので作るので売り切れのメニューもなく、在庫もゼロ。残った食材は次の日のおかずにも使えます」(小林)
つまり、その日のお店の冷蔵庫に入っているものから食材を選んでもらい、それを使って調理するだけ。未来食堂のロス率はほぼゼロに近いと小林は語ります。」
・元クックパッドのエンジニアが起業 飲食店の常識を覆す「未来食堂」 | 月刊「事業構想」2016年1月号
http://www.projectdesign.jp/201601/chance-in-mature-industry/002618.php
「オーダーされたものを作る手間暇は、並んでいるメニューから注文されることと変わりません。一方で多くのお店は、メニューが多いほど満足度が上がると考えます。すると、それぞれの料理に合った食材を揃えるため、食材のロスも多くなります。『あつらえ』は、店にある食材を書いているだけです。無駄がないし、メニューから頼むよりも自分のために一品を作ってもらうほうが、満足度が高いと思いませんか?」
・数学科卒エンジニアが「食堂」を起業した理由 | ハーバービジネスオンライン
http://hbol.jp/69606
「あるもので作るので、在庫を抱えるリスクが減るんです。メニューを増やすことがお客さんに投げるボールを増やすことだとすれば、『あつらえ』はお客さんにボールが当たるところまで来てもらう感じですね。」「店の在庫や私の余力がフレームワークとしてあって、その上でお客さんの要望がその状況に合致するなら『あつらえ』られるというイメージでしょうか。お客さんの要望や行動をリクエストとして捉え、最適なフレームワークを組み立てることで質の良いレスポンスを効率的に返す。」
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あつらえのほうがロスが少なく効率的、あるものを提示するだけ、というのはよくわかります。
知ってる方はご存知の通りここは”図書館バカ”のブログなので、図書館も似たようなところあるんじゃないかな、という話になるわけですが、これを例えて言うなら、図書館が利用・サービスのためのルールをつくればつくるほど、それに縛られて効率が悪くなっていくのは職員側のほうじゃないか、という直感です。
うちとこは蔵書52万冊、建物4棟×3フロアで、サービスまわりの職員が4人こっきりです。出張先で登壇するときは「私ここに来てますから、いま3人でやってます」て毎回言います。しかも5年前までは建物2棟でした、5年でスペース倍に増えてフロアスタッフ4人のままです、これも定番ネタですが。
まあそういう愚痴は置いておいて、要は人員きつきつでやってる。ので、例えばおひつから自由によそってもらうかのように、内部の人にも外部の人にもほとんどの蔵書を開架にして自由に使ってもらう、まあ良し悪しは別にしての放置プレイですけど、で、たまによその図書館から来た人に「え、こんな古いの開架なの」て驚かれることもあります。
一方ユーザさんのほうは、内部利用者がほとんどで対象者100数十人で外部の人もそう多いわけではない。そのかわり各分野の専門の研究者、学生も博士課程以上ですから、求めるものの難しさや複雑さがわけわからなさが半端ない、ということになります。その道の専門の先生が調べて調べて調べて、わかんなかったからって投げてくる。まあ、毎回毎オーダーが、オーダーメイド、みたいになりますから、ゼロから相手の話を聞いて何を欲しているかろ理解してできることを相談してっていうお話し合いからやらないといけない。
スタッフも少人数、ユーザ数も小規模、オーダーの個別度が高い。そういうところで、例えば不特定多数のユーザが来館してだいたい定型な用向きを満たそうとしにくる規模の図書館さんがやるようなルール作り・様式作りみたいなのって、結局あんま有効に働くこと少ないよな、っていうのがこれまでの自分の直感です。意味ないとか不要とかでは決してないんだけど、コストパフォーマンスで言えば低いな、っていう。
そのことにあらためて気付かされるのが、よそさんの大学等から来館や遠隔でうちとこを利用しようとしていらっしゃる外部ユーザさんとやりとりをするときです。
人文系で大学その他に所属されている研究者で、頻繁によその図書館にあちこち出向いて行かれているであろう方の中で、たまにいらっしゃるのが、こちら(図書館)側のルールに先回りして合わせに来よう来ようとする方です。例えば、カメラ駄目なんでしょうね、コピー駄目なんでしょうね、本棚見せてもらえないでしょうね、みたいに。こちらが何も言わないのに禁止事項や制限を確かめにくる方とかがいて、なんだろう、よその図書館で相当イヤな目に遭ったのかしらって思います。あきらめないで、って真矢みきみたいに思います。または、まだ何が必要ということもおっしゃらないうちに、最初から提出書式や手続きの情報を求めにいらっしゃったりするとか。それは、自分もユーザ側にまわる時はそうなりがちなんで気持ちはわかるのですが、図書館をこれまである程度使ってきてる人ほど、自分のリクエストを図書館側の枠組みに無理にあてはめようとしはるんじゃないかなって思いますね。
それでたまに起こるのが、最後の最後のほうになって、あ、コピーがほしかったんですか、全体の写真がほしかったんですか、だったらカメラもスキャナも使ってもらって良かったでしたのに、ていうか来館なさらなくてもこっちから現物なりコピーなりちゃちゃっとお送りできる方法いくらでもありましたのに、ていう。それはもちろんうちとこだって無理なものは無理、断らざるをえないところは断るしかないんですけど、こういうことができます、こういう方法も選択肢もなんなら裏技もあります、みたいなことって、相手の最終目的というか要するに何をしたいのかがわかんないと、こちらからは提案しようがなかったりしますね。
なので、あれ、このお客さんなんかありそうだな、と感づいたら、えっと、すみません、それはともかく最終的には何をどうなさりたいんですかね、ていうのを率直に語ってもらう、解きほぐしてもらうことをしたりします。うちとこの先生にもよそさんのお客にも、とりあえず、何が見たいのか、それをもって何をしたいのかを、まずそのまま言ってほしい。上の記事で言う「お客さんにボールが当たるところまで来てもらう」、かな。それで、できないならできないって言うし、できなくても代わりにこんな方法ではどうかというのもできるだけ寄り添ったかたちで率直に提案できる。
そのほうが、最初から少人数でしかないのに、あれもあるかもしれないこういうことも起こるかもしれないと我々側が先回りして”サービス・メニュー”みたいなのを構築する、というコストをかけるよりは、いいと思うんですね。特にうちとこみたいに、要求がみなさんバラバラで、1個1個がディープ、資料や図書館をある程度使い込んでる人が多いし、その専門の資料の中身や特性や取り扱いについてはお客側のほうがよっぽど精通してはる、イレギュラーな対応がレギュラーみたいにならざるを得ないというようなところで、お仕着せのメニュー提示しても無駄になることが多いというか。これが食品だったら大幅ロスだろうという。
もちろんうちとこにも組織としての規則はありますし、運用のルールもありますし、それを利用案内にもwebサイトにも書いて提示してはいますからそのへんはよその図書館さんと同じではあるんですけど、なんていうんでしょう、正直言うと、よっぽどの必要最小限のルールやさすがにそれは無理というようなこと以外は、十中八九がケースバイケースになっちゃうから、あんまりつべこべ掲げてもしょうがないんですよね。結局、ものによります、場合によります、何をなさりたいかによります、になっちゃうので。
だからネットにOPACやデータベースを公開することでこれこれがありますって言って、何がしたいですかって聞いて、それはできます、それは時間がかかります、これは無理です、かわりにこうでどうですか。結局はそれが手っ取り早いんじゃないかと思います。
というわけなので、webサイトにいろいろ利用のための要領は掲げつつも、あちこちに「事前にご連絡ください」「個別に相談させていただきます」「詳細はご相談ください」「対応が異なります」とうるさいくらいに書いてますね。海外の方にはもう「JUST E-MAIL US」だけ強調して言ってます。とりあえず言ってみろと。とりあえずメールくれと。話はそこからだと。
なにより、せっかくうちとこみたいな辺鄙なところにわざわざ興味を持って/必要があってモーションかけて来てくれるような奇特なお客さんに巡り会えた僥倖なのに、右から左のルーチンで処理してる場合じゃない、ちょっとつかまえてあれこれお話をうかがう、どんなリクエストがあるのか、どんなニーズがあるのか、どういうことをやってる人がどんな経緯でもってうちとこの扉をノックノックしてくださってるのか、というユーザ理解ポイントがそれによってゲットできるのであれば、あつらえの対応なんかコストでも何でもないだろう、て思うんですよね。
ただし、です。
それが通用するのは、ユーザやリクエストの「バリエーションは多い」としても「数・規模は大きくはない」場合にのみ通用することです。
そうです、よくわかってます。ようするにうちとこだからできる範囲のこと、というだけのことです。ユーザの多くが内部利用者で数字上の対象者が100数十人、顔と名前と専門分野とIDを暗記できてるレベルの規模で、外部からの来館者も1日2桁いくことはそうそうない。だったら上のやり方のほうがコストがかからないかもしれない。
でもこれが例えば単純に倍になれば、まあまず無理だと思います、あきらかにキャパ・オーバー。不特定多数ユーザの、定型な用向きを満たすための、ルール作り・様式作りを先回りしてやらないと、とてもじゃないけど回していけない。
”あつらえ”が効率的でコストもロスも低いからといって、その分キャパシティーを上げられるかというと、そういうわけではない、ということだと思います。
コストパフォーマンスと、キャパシティーというのは、たぶん別系統の問題として議論・検討されるべき問題なんだろうなと。
未来食堂さんの別の記事では、「2号店、3号店を出すようなイメージはない」「座席が増やせるわけではない」「私のあつらえと他の人のあつらえは違うし、それぞれの魅力がある」(http://nipponmkt.net/2015/12/23/takurami28_miraisyokudo_kobayashi04/
)というようなことが書かれてます。また、記事が出たころはお客が増えたのか、「1月になってから来てもらったほうがいい」みたいなことも書かれてたみたいです。
で、ここで誤解したくないのは、キャパ・オーバーするからオーダーメイドはすべて却下、というわけではないよなということです。コスパとキャパは別系統の問題、それぞれの規模によって適したやり方が異なるにちがいないので、うちとこにはうちとこにふさわしいやり方があるというだけだし、またうちとこでうまくいってた/あたりまえであったやり方をよそにいってそのまま適用できるわけでもない。あつらえやオーダーメイドができるしふさわしいところではそれをやったらいいし、そうじゃないところはそうじゃないし、未来さんとこだってメイン1メニューだからこそできることもあるんだろうし。例えば同じ館内でも、このタイプのサービスはルーチンじゃないと無理だけど、このあたりのサービスはオーダーメイドでいけるみたいなことってあるんじゃないか。まあそれこそケースバイケースだろうな、という感じです。だから、うちはそんな余裕ないから無理だよみたいに、あきらめないで、って真矢みきみたいに思いますね。あきらめなきゃいけないって誰が決めたんですか、って。
というふうなことを、未来食堂さんに関する記事を読んでなんとなく考えてたんですけど、とはいえ、自分は経営やマネジメントや政策科学の専門家でも何でもないからこの考えがあたってるかどうかなんてわかんないし、そもそも未来食堂さんに行ったことすらまだないから、この考えに未来食堂さんを引き合いに出しちゃったりするのがあたってるのかてんで的外れなのかもわかんないので、その程度の感じです。
とりあえず次に東へ向かう列車に乗ることがあればいの一番にごはん食べに行ってみたいと思います、そしたらもしかして考え変わるかもですが。
2016年02月24日
(メモ)川北稔『世界システム論講義 : ヨーロッパと近代世界』

川北稔『世界システム論講義 : ヨーロッパと近代世界』 (ちくま学芸文庫) -
・現代のアジアの発展は、古代のアジア諸帝国の価値観が復活したものでなく、本質的に近代ヨーロッパが生み出した物質的価値観でしかない。
・イギリスは進んでいるがインドは遅れているということはない。イギリスが工業化したために、その影響をうけたインドは容易に工業化できなくなった。世界の時計はひとつである。
・近代世界システムは、「世界帝国」ではなく、経済的分業体制=「世界経済」。
・ヨーロッパで人口が減少し生産が停滞し、パイを大きくするのに大航海時代へ。
・火薬によって騎士が弱体化し、権力が国家に集中し、国家機能が強化した西ヨーロッパが「中核」となり、弱体化した地域は植民地化される。
・ヨーロッパシステムは経済システムであり、政治的統合を欠く国家の寄せ集め。
・ポルトガルやスペインは、アジアでは既存の交易に寄生した。アメリカでは生産の組織化を展開した。アジアでは商業が発展を遂げ、ポルトガルもスペインも自ら新たな生産の組織化は必要なく参入するだけでよかった。ただし、アジアにはヨーロッパ商品のマーケットはなく、立場は脆弱だった。
・スペインはアメリカ植民地でみずから生産を組織化しなければならなかった。→「周辺」のプランテーションは、「中核」に銀・サトウキビのような世界商品を供給するシステム。
・日本の銀輸出量は年間20万キログラム。アメリカからの輸出のピークが27万キログラム。
・17世紀、「中核」からの経済的余剰が得られなくなり、ヨーロッパの世界経済が危機に陥り、パイの分け前をめぐる競争のため重商主義と呼ばれる保護政策がとられるようになった。
・オランダが世界経済のヘゲモニーを確立する。オランダは農業国でもあり、漁業国でもあり、造船業を確立した工業国でもあり、貿易の生命線だったバルト海を握り、商人貴族がうまれ金融市場となり、情報センターとなった。ヘゲモニー国家はリベラルな場所となった。
・イギリスは、貿易相手をヨーロッパ外に拡大し、ヨーロッパとアジア、アメリカ、アフリカをつなぐ交易のリンクの中心に座り、商業革命を成し遂げた。植民地のプランテーションで世界商品(タバコ、茶、砂糖、綿織物)を生産・輸入し、植民地側に購買力を与え、イギリス商品を輸出して生活をイギリス化させた(生活革命)。イギリスの商業革命によって、ヨーロッパにアジア・アメリカの商品が流入し、近代ヨーロッパ人の生活様式に変化が生じた。舶来品の紅茶に砂糖を入れるのがステイタスシンボルだった。
・コーヒーハウス。
・アジア・アメリカ・アフリカの物産を、輸入するだけでなく、国内で生産しようとして、産業革命が起こった。(綿織物工業)
・プランテーションによる世界商品のモノカルチャー地帯となった地域、サトウキビ生産のカリブ海地域などは、すべての仕組みが砂糖生産に向けられ、低開発地域となり、その影響が現在まで尾を引いている。/アメリカ東海岸・ニューイングランドは、ヨーロッパと同じ気候・産物でプランテーションはつくられず、森林資源を活かした造船が発達し、工業地となった。
・カリブ海では砂糖がとれたから奴隷制度があり、奴隷貿易を核とする三角貿易が、イギリスの産業革命の起源となった。
・植民地は、本国の社会問題(貧困・犯罪・家庭崩壊など)の解決の場とされた。
・すでに世界システムの中心にいたイギリスにとって、産業革命はそれほど大きな出来事ではなく、世界システム(中核と周辺からなるグローバルな分業体制)に構造的な変化をもたらしてはいない。
・フランス革命の「平等」によって、新しい差別がうまれた。低コスト労働の確保のために、人種・性別などによる差別がおこなわれた。それがイギリスによる世界システムに組み込まれた。
・アメリカは世界システムの「周辺」から脱却し「半周辺化」した。紅茶に代表されるイギリスからの投資・低開発化・生活様式・経済的従属からの脱却。
・産業革命はイギリス民衆の生活基盤を一変させた。店買いのパンやポリッジは朝食の時間を短縮させた。砂糖入り紅茶はカフェインとカロリー、熱。世界システムによって紅茶も砂糖も、下層民衆に普及し、工業化時代のイギリス都市労働者の象徴にまでなった。
・19世紀は移民の世紀だった。イギリスからアメリカ・オセアニアへ。東欧・南欧から南米・北米へ。サトウキビ生産の労働力はアフリカ系からアジア系移民へ。移民は、周辺労働力の再編成・配置転換。「周辺」での生産のための労働力の補給がおこなわれた。アジア内部でも世界商品プランテーションのあるところに近隣地域から大量の労働力移動があった。世界システムが全地球を覆った結果、システム外から労働力をもちこむということがなくなり、周辺同士で労働力を移動させた。
・逆に周辺から中核への移動もたえず発生し、スラムが発生した。ロンドンのイーストエンドに集まったアイルランド人やユダヤ人は縫製業のための安価な労働力となった。が、のちにアメリカのシンガーミシンが流れ込む。
・近代世界システムが地球全域を覆い、「周辺」開拓の余地がなくなり、成長できなくなり不況になり、アフリカ分割を契機に世界が「帝国主義」として、残された周辺化可能な地域をめぐる領土争奪を始めた。これがアメリカとドイツのヘゲモニー争いにつながる。
2016年02月21日
「春画展」@細見美術館に寄せて
京都・岡崎の細見美術館さんで、ただいま春画展が開催されています。
春画展 | 京都 細見美術館
http://shunga.emuseum.or.jp/
2016年2月6日〜4月10日
うちとこ(日文研)から全部で40-50点くらいごっそり出してますので、見に行ってやってください。まあ全部ネットに画像あげてて全部見れる(http://db.nichibun.ac.jp/ja/category/enbon.html)んですけど、ぜひ、美術館でご覧ください。(映画館でご覧ください、のノリで)
ああそうだ、全部ネットで見れるわけではなかった、一部に買い立てほやほやで、永青文庫さんにも出してなかったし、画像撮影も終わってないどころか目録取りすらおぼつかない段階で大急ぎで出したようなのもあるみたいです。そうでなくても永青文庫さんの時には出してなかった追加分が10点くらいはあったと思うんで、東京行っちゃったよ、という人もあらためて細見さん行くといいと思います。
(永青文庫さんとの巡回展だとかそうでないとか言われますが、たぶんあとづけなので純粋な意味での巡回展ではないと思います(図録と展示品が合ってないとか)が、まあそのへんはどちらでもいい。あと、最初に細見さんでやるって聞いたのも一部報道からのニュースで初めて知ったっていうのもあるんだけど、まあそれもどちらでもいい)
永青文庫さんのほうにも昨年末に行ってきましたけど、混み具合はたぶんいっしょくらいですがフロア自体がずっと広々としてるのでだいぶ見やすくはあると思います。正直、永青文庫さんのときは展示ケースもスペースもきつきつだったところが多くて、あれ、あんなにたくさん持ってってもらったのにこれだけしか出てない?て思っちゃったんですけど、細見さんのほうはでっかい展示ケースを広く使って、わりとたっぷり出してくれてる印象があります。
それでも、2か月の会期中に展示替えターンが4ターンあって、リストを見ると、あ、まだ出してないの山ほどあるんだ、って思うんで、だんだん回し者みたいになってきてますけど、まあそれに近いんですけど、何回か行ったらいいと思いますね、まあ人多すぎて、1回見ただけではなんのこっちゃわからん、ていうのもありますので。
特に絵巻物ですね。一枚ものや冊子のほうは、正直細部までじっくり見ようと思ったらそれこそネットで見るほうがいいところもあるかもしれませんけど、絵巻物については、ある程度の長さを気前よく展げて見せてもらえるのって、やっぱりこういう美術館での美術展ならではだとおもうんですよね、たとえば所蔵館で申請して貴重書閲覧というかたちで直に触れて見るとしても、それだってそんな長々と展げられるわけじゃないですから、こういう機会でもないと見られない、あられもない絵巻物の姿が見られるという、そういう物理的な圧倒さっていうのはやっぱありますよね。まあその絵巻物も、うちとこから出した新顔のやつが後期しか出なかったりするみたいなんで、やっぱり何回か(ry
あとやっぱ目立つのは「袖の巻」だと思いますね、個人的にはあの子が一番好きです。縦13cm×横70cmという横長フォーマットの10枚組み、ていう。横長、て。まあ縦長かもですが。いずれにせよ、デザインの勝利だなって。書架に収納するのまあまあたいへんなんですけどね、あれ。まあ手のかかる子ほどかわいいという。色味もきれいだし。これもたっぷり出てますし、額装して壁掛けにしてくれてはる、ああいう角度で見るっていうのも閲覧室ではできませんので、やっぱりぜひ美術館で(ry
あと、『女庭訓御所文庫』とか『医道日用重宝記』みたいな手習いや医療の真面目な本を、月岡雪鼎がパロディにして『女貞訓下所文庫』『艶道日夜女宝記』みたいな艶本を描いてるっていう、頭おかしいだろうと思うようなのがあるんですけど、それも、元ネタとパロディをならべて見せてるっていう、展示ならではのあれですね。あと、近江八景をパロったのとか。主人公が小さくなってあちこちのぞくというSF設定のラノベとか。どうしたいのこの人たちっていう。
それにしてもフロア人いっぱいでしたけど、みんななんであんなに春画好きなんですかね、自分はどっちかというと苦手なほうなのであんまりその良さはわかんないです。業務で触れてるときも、正直きついっちゃあきついです。
一番きついのはあれですね、出版社さんとかから問い合わせが来るじゃないですか、よそから出てたこの本に載ってたこの絵を使いたい、とかって。で、その本に載ってたっていううちの春画の絵のスキャンしたのとかがメールでくるんですけど、書名とか絵師名しか書いてなくて、うちにあるどの本の何冊目の何枚目?とかがわかんなくて探せないんですよ。しょうがないから書名・絵師名だけを頼りに一枚づつ画像ファイルを順に見て目視で照合しないといけないんだけど、1回メールで届いた春画の像を目に焼き付けて覚えないといけない、女性の顔と足がこっちを向いてて、男性の手がどこにのびてて、あれとこれがこうなっているポーズの絵、っていうのを網膜と脳の短期記憶メモリに刻みつける作業、あれが毎回精神を摩耗させるのでマジ勘弁という感じ。労災案件レベルの。
さておき。でも、それでもうちとこの子であることに変わりはないですし、長年展示できなかった経緯も知ってるので、人いっぱいのフロアを見て、ああこんなにたくさんの人たちに見てもらえるようになってよかったねえ、とは思いますね。初めてその展示に立ち会った時(http://egamiday3.seesaa.net/article/393266102.html)の目頭の熱さほどでは、まあなかったですけど。(たぶん一番感動した春画展は↑これのときだった。)
まあ、いまブーム来てるなっていうのはよくわかる、なんせこないだ数えたら、うちとこの子らが雑誌や書籍に載っけられたっていう画像枚数が、今年度4月から1月まで軽く1000枚を超えてたので、氾濫しすぎだろうとは思うんですけど、まあブームでなかった年でもこの半分くらいの数ではあったと思うので、
会場近くには外国人観光客が爆列する平安神宮もあり、新しくできたスタバやあのツタヤ書店の入ったロームの京都会館さんもあり、京都府のセレブ司書が集まる京都府立図書館さんもあり、京都国立近代美術館さんでは志村ふくみ展、3月からは京都市美術館さんでモネ展、そして会期後半の4月に入れば疎水の桜が見事に咲き誇るという、観光にも憩いにもマストな立地ですので、ぜひ、美術館に足を運んでご覧ください。(注:1円ももらってません)
春画展 | 京都 細見美術館
http://shunga.emuseum.or.jp/
2016年2月6日〜4月10日
うちとこ(日文研)から全部で40-50点くらいごっそり出してますので、見に行ってやってください。まあ全部ネットに画像あげてて全部見れる(http://db.nichibun.ac.jp/ja/category/enbon.html)んですけど、ぜひ、美術館でご覧ください。(映画館でご覧ください、のノリで)
ああそうだ、全部ネットで見れるわけではなかった、一部に買い立てほやほやで、永青文庫さんにも出してなかったし、画像撮影も終わってないどころか目録取りすらおぼつかない段階で大急ぎで出したようなのもあるみたいです。そうでなくても永青文庫さんの時には出してなかった追加分が10点くらいはあったと思うんで、東京行っちゃったよ、という人もあらためて細見さん行くといいと思います。
(永青文庫さんとの巡回展だとかそうでないとか言われますが、たぶんあとづけなので純粋な意味での巡回展ではないと思います(図録と展示品が合ってないとか)が、まあそのへんはどちらでもいい。あと、最初に細見さんでやるって聞いたのも一部報道からのニュースで初めて知ったっていうのもあるんだけど、まあそれもどちらでもいい)
永青文庫さんのほうにも昨年末に行ってきましたけど、混み具合はたぶんいっしょくらいですがフロア自体がずっと広々としてるのでだいぶ見やすくはあると思います。正直、永青文庫さんのときは展示ケースもスペースもきつきつだったところが多くて、あれ、あんなにたくさん持ってってもらったのにこれだけしか出てない?て思っちゃったんですけど、細見さんのほうはでっかい展示ケースを広く使って、わりとたっぷり出してくれてる印象があります。
それでも、2か月の会期中に展示替えターンが4ターンあって、リストを見ると、あ、まだ出してないの山ほどあるんだ、って思うんで、だんだん回し者みたいになってきてますけど、まあそれに近いんですけど、何回か行ったらいいと思いますね、まあ人多すぎて、1回見ただけではなんのこっちゃわからん、ていうのもありますので。
特に絵巻物ですね。一枚ものや冊子のほうは、正直細部までじっくり見ようと思ったらそれこそネットで見るほうがいいところもあるかもしれませんけど、絵巻物については、ある程度の長さを気前よく展げて見せてもらえるのって、やっぱりこういう美術館での美術展ならではだとおもうんですよね、たとえば所蔵館で申請して貴重書閲覧というかたちで直に触れて見るとしても、それだってそんな長々と展げられるわけじゃないですから、こういう機会でもないと見られない、あられもない絵巻物の姿が見られるという、そういう物理的な圧倒さっていうのはやっぱありますよね。まあその絵巻物も、うちとこから出した新顔のやつが後期しか出なかったりするみたいなんで、やっぱり何回か(ry
あとやっぱ目立つのは「袖の巻」だと思いますね、個人的にはあの子が一番好きです。縦13cm×横70cmという横長フォーマットの10枚組み、ていう。横長、て。まあ縦長かもですが。いずれにせよ、デザインの勝利だなって。書架に収納するのまあまあたいへんなんですけどね、あれ。まあ手のかかる子ほどかわいいという。色味もきれいだし。これもたっぷり出てますし、額装して壁掛けにしてくれてはる、ああいう角度で見るっていうのも閲覧室ではできませんので、やっぱりぜひ美術館で(ry
あと、『女庭訓御所文庫』とか『医道日用重宝記』みたいな手習いや医療の真面目な本を、月岡雪鼎がパロディにして『女貞訓下所文庫』『艶道日夜女宝記』みたいな艶本を描いてるっていう、頭おかしいだろうと思うようなのがあるんですけど、それも、元ネタとパロディをならべて見せてるっていう、展示ならではのあれですね。あと、近江八景をパロったのとか。主人公が小さくなってあちこちのぞくというSF設定のラノベとか。どうしたいのこの人たちっていう。
それにしてもフロア人いっぱいでしたけど、みんななんであんなに春画好きなんですかね、自分はどっちかというと苦手なほうなのであんまりその良さはわかんないです。業務で触れてるときも、正直きついっちゃあきついです。
一番きついのはあれですね、出版社さんとかから問い合わせが来るじゃないですか、よそから出てたこの本に載ってたこの絵を使いたい、とかって。で、その本に載ってたっていううちの春画の絵のスキャンしたのとかがメールでくるんですけど、書名とか絵師名しか書いてなくて、うちにあるどの本の何冊目の何枚目?とかがわかんなくて探せないんですよ。しょうがないから書名・絵師名だけを頼りに一枚づつ画像ファイルを順に見て目視で照合しないといけないんだけど、1回メールで届いた春画の像を目に焼き付けて覚えないといけない、女性の顔と足がこっちを向いてて、男性の手がどこにのびてて、あれとこれがこうなっているポーズの絵、っていうのを網膜と脳の短期記憶メモリに刻みつける作業、あれが毎回精神を摩耗させるのでマジ勘弁という感じ。労災案件レベルの。
さておき。でも、それでもうちとこの子であることに変わりはないですし、長年展示できなかった経緯も知ってるので、人いっぱいのフロアを見て、ああこんなにたくさんの人たちに見てもらえるようになってよかったねえ、とは思いますね。初めてその展示に立ち会った時(http://egamiday3.seesaa.net/article/393266102.html)の目頭の熱さほどでは、まあなかったですけど。(たぶん一番感動した春画展は↑これのときだった。)
まあ、いまブーム来てるなっていうのはよくわかる、なんせこないだ数えたら、うちとこの子らが雑誌や書籍に載っけられたっていう画像枚数が、今年度4月から1月まで軽く1000枚を超えてたので、氾濫しすぎだろうとは思うんですけど、まあブームでなかった年でもこの半分くらいの数ではあったと思うので、
会場近くには外国人観光客が爆列する平安神宮もあり、新しくできたスタバやあのツタヤ書店の入ったロームの京都会館さんもあり、京都府のセレブ司書が集まる京都府立図書館さんもあり、京都国立近代美術館さんでは志村ふくみ展、3月からは京都市美術館さんでモネ展、そして会期後半の4月に入れば疎水の桜が見事に咲き誇るという、観光にも憩いにもマストな立地ですので、ぜひ、美術館に足を運んでご覧ください。(注:1円ももらってません)
2016年02月01日
(メモ)「変化する大学図書館をもっと活用する」『IKUEI NEWS』
電通育英会. 『IKUEI NEWS』. 2016.1, vol.73.
「変化する大学図書館をもっと活用する」
●「あらゆる「知」を自在に操り、自ら学ぶ力を身につける
・「学生一人あたりの年間貸出冊数」(日本の図書館統計)
・「アクティブラーニング・スペース設置大学数の推移」「電子書籍の保有タイトル数」(学術情報基盤実態)
●「図書館は、大学の学習支援の中心に」(竹内比呂也)
・「教育・学修支援専門職」の養成のための、SDプログラムの開発
・学修支援は大学図書館員だけでなく、他の職員や教員や学生も巻き込んだ「学修支援チーム」として。
・匿名の漠然とした「図書館の人」ではコミュニケーションはうまくいかない、個人として認識されることも重要。
●「通読は書籍。幅広い検索は電子書籍」(湯浅俊彦)
・図書館はこれまで「品切れになると困るから買う」だったが、電子書籍の同時刊行が本格的に実現すれば、「本当に必要なときに買う」ことができるようになる。
・日本の大学が知識情報基盤の環境変化におくれを取らないよう、教員が自らの考え方を変え積極的に図書館に働きかけることが必要。
●「図書館の本棚から始まる、「興味の連鎖」という学び方」(大串夏身)
・本は特定のテーマに関して体系的な記述を行っている。特に学生時代には論理的で体系的な記述で学んだ方が良い。
●「調査・研究を始めたら、まずレファレンスカウンターへ行こう」(井上真琴)
・情報探索は、信頼できる確実な情報から入り、評価の高い情報を文脈化するのが鉄則。同じインターネットを利用しても、検索エンジンで得られる脈絡のない断片情報と、日本中東学会のデータベースから初動調査を誘導してくれるレファレンスサービスとは違う。
・質問をするとレファレンス担当者は、どのように探索を進め、何を読んだか、最終的に何をしたいのかを問う。簡潔に即答することは稀。
・レファレンス回答を鵜呑みにしない。担当者により意見や回答は異なるが、そもそも学ぶとは物事の多様性を知ることであり、その上で最終決断をするのは自分自身。
●「リベラルアーツ教育を支える情報基盤としての図書館」(畠山珠美)
・批判的試行力とは、自分が知らずに備えているものの見方を吟味し検証することであり、それを養うためにはより多くの文献を読むこと。
・ICU図書館は開学当初から「貸出冊数無制限」。特定利用者の独占による不満などは起こっていない。
●「事例取材 大学図書館に行ってみよう」
・小樽商科大学附属図書館:クラスライブラリアン制度
・成蹊大学図書館情報図書館
・新潟大学附属中央図書館
・金沢工業大学ライブラリーセンター
・明治大学米沢嘉博記念図書館
●「米国大学図書館の現状と未来」
・ミシガン大学のクック法律専門図書館のライブラリアンは、弁護士国家試験を通った弁護士たち。