2017年11月30日

201611it イタリア・シチリア旅 5日目その3「ライブラリアンって万国共通でこういう笑顔するんだよな」


 タオルミーナの街をぶら歩きしていたときのことです。
 四月九日広場という街一番の見晴らしポイントで、脇にふと目をやると、雰囲気のよろしい建物に「Library」と書いてあるわけです。

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 まあ、行くよね、っていう(笑)。蟻が蜜を求めるように吸い寄せられて入っていくわけです。
 いや、たとえLibraryと書いてあっても、例えば教会や個人のプライベートな文書置き場だったりする可能性もなくはないんでしょうけど、掲示の貼り紙になんとなく「パブリック」を示す、示すっていうかそう連想させるような、まあそれっぽいイタリア語が書いてあったので、とりあえずダメもとで入ってみる感じです。

 というわけで、図書館探訪・タオルミーナ図書館編です。
 以下、屋内の写真はありません、なんとなく自粛しました。
 なので、以下は文章だけで。

 個人事務所のような狭い廊下と事務スペース+書架スペース、まあ、公民館の図書室的なのをイメージさせるたたずまいで、まずわかるのが、客がいない。利用者らしき利用者の姿がない。なんか、若者がケータイでしゃべってるだけみたいな感じ。書架も古ぼけたスチール製の、どっかからもらってきて適当に作りつけたような雑な感じで、サビやホコリで汚れてる。
 その書架に置いてある資料はというと。40-50年前のリゾート客が旅の退屈をなぐさめるために回し読みしてただけのような、ちゃちなペーパーバックの古ぼけたのとか。とってつけたかのように置いてある百科事典の類とか。それっぽいタイトルをなんとなく揃えた感のある古い年代の製本雑誌がいくばくかとか。そういったのが雑然と積まれ並んでるという。
 そこまでなら、わかる。わかるっていうか、よくある、ケアされてない図書館。

 そのちゃちなペーパーバックや古い百科事典と同じ書架に、きわめて雑然とした扱いで。
 前近代のヴェラム装の古洋書が、大量に、かつ粗雑に、ぼてぼてっと配架されているっていう。

 ・・・いやいやいや、ちょっと待て、とさすがに思うわけです。
 これ、うちとこの図書館だったら、丁重に貴重書指定した挙げ句、施錠&温湿度管理した書架に鎮座在してるような代物ですよと。

 ここで確認ですが、このタオルミーナという街、シチリア島随一の海辺のリゾート地で、ぎらぎらとした太陽の光が降り注ぎ、潮風が常に吹き付けていて、ただいま11月下旬で日中の外気湿度が75%(町の中に天気表示板があった)あるわけです。開架書架兼閲覧スペースは海側にあって、つまりその窓を開けると↓こう、ていう。

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 うん、読書環境なら最高かもしれませんが、資料保存的にはえらいこっちゃ。
 そんな環境下の、旅のアジア人がふらりと入ってこれるような、若者がケータイでくっちゃべってるような開架スペースに、特にケアされるわけでもなく、サビやホコリも特になんてことなく、二束三文なペーパーバック類と同列に配架されるわけですよね。配架っていうか、放置ですよね。
 レプリカか近年物ですか? いや、そうじゃないですよね。だって、そこの簡易展示ケースにもぼてっと洋古書1冊置いてあって、脇にポストイットがペッと貼ってあって、そこには1700年代の数字だけがさらっと書いてある。しかもそのケース、燦々とした窓際だし。

 これがイタリアか、と。
 この、1700年代のヴェラム装? それが何か? 的な余裕かまされてる感。
 これがイタリアか、と、それ以上の他意もそれ以下の他意もいっさい含まず、ただただ、これがイタリアか、という感想。

 いやまあ日本でも個人蔵書のいくらもある和装本ならこんな扱いしてるところもあるわけなんで、え、じゃあこんな扱い方してるってことは、やっぱり公的な図書館とかではなくって、町の文庫置き場的なパターンかしら?といぶかしく、誰かに尋ねてみようと思うのですが、うん、あそこでさっきからPCに向かってデスクワークしてる女性がいるんだけど、もはや彼女が利用者なのかライブラリアンなり資料調査員なりの関係者なのかよくわかんないくらいにこの図書館の位置づけがわかんないんですけど、でもあたしがうろちょろしてるのをなんとなく気がかりな風にうかがってはるので、思いきって声をかけてみるわけです。あたしはもちろん彼女も英語不得手のために、本当にちょっとだけしかお話できませんでしたが。
 それでも、「ここはパブリックか?」ときくとはっきり「Si」と答えました。「それは、シティの、オフィシャルな、パブリック図書館なのか」と尋ねると、「Si」と。マジかと。

 後日webサイトで確認しました。
 http://www.comune.taormina.me.it/la-citt/cultura/biblioteca.aspx
 四月九日広場にある、もとは15世紀教会だったところ。確かに、市の図書館でした。18世紀のがどうかとか書いてある。そうか。マジか。マニュスクリプトやインキュナブラはも何冊かあると書いてあるんだけど、さすがにそれは別扱いだと思いたい。
 あと、事務スペースの書架にも大量の洋古書があって、EUマークの紙が貼ってあるんだけど、それは?と尋ねても「これは*****の本で」と話してくださるんだけど意味がよくわかんなかったのは残念。

 でもどれもこれも、うちとこ図書館の基準では貴重書になるじゃないですか。だからあたしも印籠を出して、じつは自分は日本から来たライブラリアンで、うちとこにもこういう感じの洋古書あるんだけど、閉架でエアコン管理してて、みたいに話してみたわけです。
 すると途端にその彼女、その表情がすうっと笑顔に変わるわけです。笑顔といっても、「そうそう、そうなんですよ」という”我が意を得たり”感の笑顔と、「そう・・・そうなんですよね・・・」という”バツが悪い”感の笑顔とが、ハーフ&ハーフになったような感じの、すごーく微妙なやつ。
 その微妙な笑顔で「Si, Si, そうなんですよね」とおっしゃる。

 その反応が、なんていうんでしょう、あ、ライブラリアンって万国共通でこういう笑顔するんだよな、って、すっごくシンパシーを感じる反応だったわけです。

 我々には、図書館として司書として資料専門家として、こうしなきゃいけない、こうすべき、こうしたい、っていうような理想型・理想像のようなものが、大なり小なりいくつもいくつもあるわけです。その理想像の蒸気雲のようなものは常に頭の上、ちょっと目線を斜めに見上げたあたりに常に浮かんでいて、そう、ほんとはそうしたいんだよ、という像に始終苛まれながら、しかし現実は哀しいかなできていない、時間が無い、金が無い、力が無い。わかっててもやりたくてもできないということへの、うしろめたさや歯痒さ、無力感、ズキズキと鈍い重しのような苦しみが後頭部あたりを常に圧迫していて、ふりはらえない。かといって、じゃあそんな自分を苛むような理想像をあきらめきれるかというと、やっぱりあきらめきれないという、その死に際のような理想の高さ、あるいは貧相なプライドのようなもの。
 それらがぐちゃっとなったのが、ライブラリアンにあのすごーく微妙な笑顔を作らせたんだな、と。
 あの感じを、この国のライブラリアンも持ってるんだな、と。

 そう思うと、「ねえ、たいへんですよねえ」くらいしか言えなかったですよね、もはや。

 本当はもうちょっと話したかったなとも思いましたが、まあこんな感じです。あんまりガツガツ話するタイプの方でもなかったというか、イタリアといってもシチリアのみなさんはシャイな人のほうが多い印象。

 ・・・ていうか、あの人がほんとにあそこの図書館のライブラリアンだったのか、ちゃんと聞いてないのですが。
 でも、あの気がかりな風にうかがってはった目線、この利用者さん何か知りたがってるかな、声かけたほうがいいのかなどうかな、的なそわそわしたあの目線もやっぱり、万国共通のライブラリアンのものじゃないかなって思うんですよね。
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201611it イタリア・シチリア旅 5日目その2「路地、迷宮、高低差というキラーコンテンツ」


 タオルミーナの街は海岸・断崖の高台にあり、メインの通り(といっても広くて新京極、狭いところは先斗町くらい)が山に沿うように延びてます。セレブなリゾート感やツーリスティックさもあるものの、思った以上にその色は強くなく、新京極や先斗町なんかよりむしろ薄い。歴史地区としての景観ももちろん、一歩路地を脇に入ればネイティブな生活感も同じくらいしっかりと根を張っていて、そのバランスが結構に心地いい。

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 しかも、イタリア・シチリアの古代・中世土地の典型としての、裏路地に次ぐ裏路地、迷宮に次ぐ迷宮、というパターン。
 さらには街の北側は高い山で、聖地としてキリストが祀られてるようなところ。その山と崖・海岸とにはさまれる中腹にこの街は延びているので、↓こういう高低差散歩が楽しめる路地がたくさんある、というわけですね。

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 路地、迷宮、高低差というキラーコンテンツ。
 うん、誰だ「魅力無い」呼ばわりしたの。教訓:人の評価は話半分。

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 ギリシャ劇場のある北東のあたりがざっくり古代ゾーン、そこからメインストリートが山に沿うように南西・中世ゾーンへ延びる。というのがごくごくおおまかな理解です。しかも、こんな小さな街でもまた、ギリシャにローマにアラブにノルマンが入れ替わり立ち替わり爪痕をのこしに来てるということらしいです。
 そのストリートを、劇場側から順に攻めます。

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 ↑コルバージャ館。中世の建物。中庭と階段が一見してかわいらしいという印象。

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 ナウマキエ、と呼ばれる古代遺跡が街中のちょっと脇に入ったところにどでんっと居座ってる。何の跡かはちゃんとはわかってないっぽい、リアルな謎遺構。しかもその真向かいの通りにこの遺跡にそっくり似せたデザインのテラスハウスがあって、「レジデンス・ナウマキエ」っていう名前だったのちょっと笑っちゃった。

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 通りから南・海側へ延びる路地に入ってみると、下り坂になっていて、あれよあれよといううちに海側にばっと開けた場所に出たりします。絶景と生活感の合間。海岸沿いを走る国鉄の列車の音も聞こえる、絶妙の空間。
 ぶら歩き甲斐があるねえ。

 で、街の中心的広場・四月九日広場に出ると、遠慮会釈の無い堂々たる見晴らし。

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 海もそうですが、逆サイドは山がそびえ、広場には教会や時計塔と、そりゃ人気出るだろうというような景観の配置ですね。
 さて、そんな景観や見晴らしをさっと吹き飛ばすような出逢いがここであったんですが、それはまた別途あらためて。

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 ↑武骨なかわいらしいのあり、リズム感あるのあり、詳しくはわかんないけど、とにかくいろんな建築様式がわいわいと好き勝手に同居してるなという印象で、めまぐるしくも見本市みたいになってます。

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 ↑この建物なんか、何時代の何文化にもとづいて誰が何の意図でデザインしたのか、わりと知りたい。

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 ↑この街のカテドラル。

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 ↑ここがメインストリートが延びた行き着く先のカターニア門。

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 その行き着いたあたりにあった、↑サント・ステファノ館。一見してイケメンだな!という印象なのは、やはり異文化が混じってイケメンになる法則のなせるわざなんでしょうか。物の本によれば、アラブだノルマンだゴシックだビザンツだと言ってて、そのマルチルーツさがいいですね。なお、結婚の儀式を行うなどの用途で活用されている模様。

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 とにかく裏路地に次ぐ裏路地で、建物のバリエーションに富み、かつ観光仕様で荒れてもいないので、歩いて過ごすのシチリアで一番吉じゃないかなと思たです。

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 ただ、そう思うのは自分が観光客だからでもあって、たとえば↑この西の端にあるサラセン門なんかは、路地迷宮の奥、イスラムがバスだった時代の歴史的なごりなんだけど、民家のすぐ近くにあり、下手に写真を撮ろうとするとどうしてもその民家の中でだらっと過ごしてる住民の人の姿や家の中の様子が映ってしまうし、あたしがうろちょろしてるとすうっと身を隠すように奥に行ったりしはるので、こういう、京都でも外つ国でもの似たようなことはいくらもあるなあ、と思うわけです。
 ぶら歩きは、歩く側ののんきでフリーな論理だけでは成り立たないはずのものだ、という再認識。

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 ともあれ、歩き疲れて大汗かいた末に、こんなグラニータ(シャーベット、レモンが酸い)をいただいてます。酸い過ぎて喉を痛めかねない。

 バスの時間もあるために滞在はこのくらいですが、次はもうちょっと落ち着いて、山上や崖下のあちこちもちゃんと見たいし、夜の表情ものぞきたいですよね。
 うん、マジで誰だ、見所ないとかデマ言ったの。
posted by egamiday3 at 00:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201611it イタリア・シチリア旅 5日目その1「なかなか文脈の多い土地環境に囲まれたギリシャ劇場」


 5日目朝です。
 朝食前に旅行事務をしてました。ていうか朝早く7時にもならないうちから外出して、駅だのバスターミナルだのまで情報収集に出かけたりするわけですよ。
 結果、金曜の夜行列車も予約し、今夜のシラクサの宿も予約し、そして今日は高速バスでちょっと北にあるタオルミーナの街へ行ってみることにしました。

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 なんせ今日はどうやら天気がいい、すっかり晴れ渡っていて、駅まで行ったら遠くにエトナ富士が見えました。
 朝食をいただいて、宿をチェックアウトしたうえに、大荷物を宿のおくさんに預かってもらって、バスターミナルへ。

 タオルミーナ行きのバス案内が、↓こう。

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 以上、これだけ。
 これだけかと。シチリア第2の都市から、シチリア随一のリゾート街に行くバスなんじゃないのかと。まず、下半分のチケット購入要領、これもまあ苦労はしましたけど、まだ英語併記なのでわからなくはない、まあまあ離れた場所にあったバス会社窓口まで行ってチケットを入手するという旅に出ます。
 ただ、この時刻の横にある何やら大事そうな赤字の情報が、イタリア語なのでわからない。スマホで訳すと「平日」「日々」と出る。ああ、だいたいわかる。
 いずれにしろ、待ってたらもうすぐ8:30ですからそのバスに乗ればタオルミーナに着くわけです。

 ・・・8:30過ぎてもバスが来ない。
 5分過ぎても10分過ぎてもバスが来ない。自分ともう2人くらいの乗客があとからきたけど、バスは来ない。かわるがわる、さっきのバス案内掲示とにらめっこしに行く。まあそういうこともあろう、言っても次のバスが9時発だから、それまでには来るんじゃないか。
 ・・・と思いきや、9時近くになっても来ない。
 ていうか9時を過ぎても、9時のバスも来ない。
 これか、と。これがイタリアか、いやシチリアかと。

 最終、9:09にバスが来ました。8:30発のバスはふわっと雲散霧消したかたちになった、謎。
 減便なのかな。そういえば、いま乗ってるこのバスに乗客は10数人くらいしかおらず、仮に8:30オンタイムでバスが来てたら待ってた客自分1人だったのも事実で、意図的に減便したとしたらまあその判断はわからなくはないです、待ってたこっちはたまったもんじゃないのですが(笑)。

 バスは街を抜けて、高速道路へ。シチリア島の東海岸の海岸通りを、北へ。
 左手、緑の平地の向こうにエトナ富士が見えてきます。

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 右手は海、タオルミーナ近くの海辺町で、ジャルディーニ・ナクソスというあたり。

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 さて、これから向かうタオルミーナとは、どういうところか。
 シチリア島の東海岸、時計で2時くらいのあたりにあるこの街は、シチリアで一番の、というよりイタリアでも有数のリゾート地です。海岸に沿ってぐんっとそびえる断崖高台の上にある街で、東には青くきらびやかなイオニア海を気持ちよく見晴らし、断崖の岩々の高低差と海辺に突き出す陸繋島の地形美を眼下に見下ろし↓、

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 そして見上げれば雄大なエトナ富士と、風光明媚とはこのこと。
 そこへ来て古代遺跡はあるし、いにしえの姿をのこした街並みはあるしという落ち着き系の観光地でもあり、ゲーテも『イタリア紀行』に書いてるくらいではあるのですが、かつ、その風光明媚さが幸か不幸か、マリンスポーツだのセレブなリゾートだの映画(『グランブルー』)の舞台だのといったチャラチャラ系の観光地でもあり、いかにもな観光店やファッション系の店が並びといった感じで、これが人によっては「いっさいの魅力も見所も無い、行く必要のない場所」みたいな身も蓋もない言われ方もするくらいのツーリスティックな場所らしいのですが、とはいえ、

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 ↑陣内先生(註:陣内秀信. 『シチリア : “南”の再発見』. 淡交社, 2002.)の解説を読んでると古代中世の街並みを愉しむにはうってつけの場所のように思えるので、まあサクッと半日エクスカーションのつもりで行ってみましょうよ、という感じなのです。
 鎌倉湘南周辺で歴史的エリアだけ高台にある、みたいな感じかしら。

 とかなんとか言ってると、バスがどんどん高台へと登っていきます。

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 シチリア島の東海岸すれすれの高台なので、北も南も東も見晴らすし、さらに東にはもっと上の高台集落があるとかで、海岸地形も高低差も存分に味わえる土地柄という、そりゃ人気出てもしょうがなかろうと。

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 ↑で、タオルミーナにインです。

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 東から順に攻める感じで、まずはギリシャ劇場に向かいます。
 東海岸ということは海のずっと向こうはギリシャなわけで、ギリシャ人がこんなところまでやってきてはあちこちに都市国家を敷き、ギリシャ様式の建築物を築き、それがまたあちらこちらにいまのこってると。で、まあなんやかんやで、ギリシャと言えば演劇であり、ギリシャ劇場があちこちにありますと。しかもこのタオルミーナのギリシャ劇場はシチリアで2番目に大きく、見た目も圧巻だというので、そうなんだ、じゃあせっかくだからひと目見ておきましょうかね、という感じでなんとなく行ってみました、ところがこちら。

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 ・・・やばい。これはやばい。

 どっしりした舞台、その時代がかった遺構。
 その舞台の背後に--つまり借景として、そう、超絶な借景--エトナ山の白い頂き、或いは青い海と白い波が寄せる浜、ぐっと延びる海岸線。
 ちょっと待って、これが劇場なんですよね、古代のギリシャ文化時代にここで劇をやってたということですよね。
 それが昼ならこの青空の下で、夜の舞台なら星空や月のもとで。
 天と地と、山と海と森と丘とに囲まれた、その視界のどまんなかに舞台があり、人がそこに立ち、神なり哲学なり宇宙なりを、言葉で語り、詩で語り、顔と姿で語る。

 ・・・劇か、と。それをこそ、劇と言うのかと。
 その劇を、やるんだったら是非観せてくれないかと。

 ああそうだ、舞台の後ろの書き割りのような煉瓦遺構はローマ時代のだから、あれはもともとなかったんだ。あの煉瓦遺構もなく、そのうしろの樹木もなく、そして遠くの街に見えるあれだけの人造物ももちろんすべてなくて、山と緑と海だけの世界だったんだ。そのどまんなかに据えられた舞台。

 こんな自然を借景にしてしまうと、おそらく舞台上の人間はどれほどかちっぽけに見えることだろう。
 でありながら、その人間によって語られる言葉はどれほどか壮大なことだろう。

 と、思うんです。
 そう、こうやって現地に来て身を置くと、2次元の文献からだけではイメージできないことが、わかります。
 いま、ここでしかわからないことって、やっぱりあるんだな、と思います。

 ていうかね、あのエトナ富士がめちゃめちゃ高いんですよ、エトナさん雲の中に隠れてるのかな〜とか思ってたら、実はその雲のさらに上に出てたっていう。

 いや、これはね、ダメですよ、立ち去れない。このままここから立ち去れなくなって、この劇場のぬしになってしまう。西部講堂のロッテさんみたいになる(註:省略)。
 というわけで、この旅一番の立ち去り難スポットに認定されました。結果、都合1時間ここに居座ってました、それでも依然立ち去る気配がないから自分ヤバいなと思った。再訪したくたって、ここまでくるのまあまあ大変ですよマジで。

 というわけで、完全にノックアウトされた感ですが。
 参考までにまず建築の写真。

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 しかもこの劇場、現役で芝居とかコンサートとかに使われてるらしいんですよ。なんだそれ、来るぞそれ見に。

 周囲の眺め。

 山側
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 南側
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 海側
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 北側
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 北側、つまり劇場の背後の海の、向こうにはイタリア本土がうっすら見えてます。
 そう、実はそういう位置関係でもあると。なんというか、なかなか文脈の多い土地環境に囲まれた劇場なんだな、と思いますね。

 というわけで、最終的には歯を食いしばりながら、必死の形相で立ち去りました。”ぬし”化は回避された。
 ところで、あたしが来た時から帰る時まで、ほぼ同じ場所にずっと座って、長く寝そべったり本をめくったりしてるようなイタリア人の紳士がいらしたんですよ。
 うん、たぶんあれが”ぬし”。
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2017年11月22日

201611it イタリア・シチリア旅 4日目その3「初めての街でストライクに呑み食いするのは本当に難しい」


 4日目の夜から5日目の朝食まで、主に食レポになります。

 カターニアに戻ってきたegamidayさん、中央駅近くの宿に向かいますが、この中央駅前がパレルモに増して荒らっぽい感じ。手持ちぶさたさんやがらの悪い大声の輩も多いし、駅前なんか車が遠慮無しにびゅんびゅん通ってるのを、信号の無い横断歩道をえいやっと渡らないといけない、なにこの都市設計、ていう。考えてみればヨーロッパの駅なんかおおかたは街の外れ部分なわけで、荒れててもしゃあないのかなという。
 実際、宿周りも薄暗く、宿から新市街あたりへ歩くのも荒っぽいか薄暗いかで若干不安で、でも、真ん中あたりの新市街や歴史地区あたりまで出ればきれいで人出も多く安心できる、という感じです。ただそうなると今度は駅とのアクセスが不便になっちゃう。カターニアはシチリア東岸地域のあちこちの観光どころに行くための拠点としてはすごく吉な位置取りだと思うんですけど、そのへんが若干惜しいなと。

 今朝ほど予約した宿のほうはまったく申し分なく、ご主人っぽいおじいさんがなんかずいぶんと気さくで、相談すると、観光地図にペン書きであれこれと食事処のおすすめを教えてくださる。ここはシーフードが美味くて家族連れでよく行くんだとか。特に、宿からすぐ近くにあるというワインバー、壁一面にボトルワインが並んでるとかいうパンフも渡されて、これはなかなか”捗る”な、という感じです。
 パレルモの宿のオーナーさんもそうでしたけど、こうやって街の勘どころを教えてくれる土地の人って、ほんとに旅が捗ってありがたいなあ、と思いますね。余談ですが、旅先の情報収集を助ける図書館、もあらまほしいと言えばあらまほしいのですが、やっぱりこういうときって”パーソナルな評価で色付け・フィルタリングされた”情報(ていうか”談話”)のほうが、なんとなくありがたかったりします。

 というわけで、宵のカターニアを歩いてみます。

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 まちがいなく、バロックですね、ていう。
 カターニアもそうなんですが、シチリアの南東あたりの街というのは、17世紀後半あたりにでっかい火山噴火やでっかい地震に遭い、そこから街を再建しようとしたところがちょうどバロック全盛期だったので、とにかく街がバロックにつぐバロックというデザインになっている、ということらしいです。ドゥオモ広場なんか、あれ、ここベルギーだっけ?みたいな装いになってる。

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 夜目遠目なんとやらと言いますが、街並みも夜の灯りの下ではずいぶん艶っぽく見えますね、正直、昼間の同じ場所の写真よりもぜんぜんこっちのほうがいいです。
 あと、存外に高低差があって、まあ、歩くのしんどいと言えばしんどい街だなと。

 歩き疲れたときの定番ということで、ドゥオモにお邪魔して座り込み、ミサを聴きながら明日明後日の行程を練ったりして、時間をつぶしてます。
 なぜにわざわざ時間をつぶしたりなんかしてるかというと、行くつもりのレストランが開店するのを待ってるのです。シチリア、ていうかイタリアが、でしょうか、レストランが開店するのが7時なんか極めて早いほうで、8時からとかふつーにあるらしく、なっかなか開店してくれなくて待つしかないという状態がわりとあります。

 というわけで、夕食です。
 オーナーに教わった「ピカソ」というお店。
 https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g187888-d2259417-Reviews-Vineria_Picasso-Catania_Province_of_Catania_Sicily.html

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 シーフードのフリットのミックス。揚げもの久しぶり!で身体が喜んでる。
 エビがぷりぷりで美味い。カタクチイワシが生臭くなくて美味い、何この土地、イワシをイワシ臭くなく味わえる土地柄ってだけで星満天じゃないか。あとゲソ、ゲソが美味いのなんか当たり前じゃないか、ちくしょう。
 これを途中でオリーブオイルやバルサミコ酢を投入して味を変えつつ味わっていくんだけど、うん、美味いんだけど、なんせ皿いっぱいで腹いっぱいなんですよ、イタリア料理さんはこのあたりが解決できればなあという感じ。

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 パスタ。メニュー見たら「ピスタチオのパスタ」っていうから、えっ、と思って反応でオーダーしたという。
 パスタは手打ちのタリアテッレ。ソースがピスタチオとマッシュルーム。ソースのピスタチオは、もっとペーストにしてあるのかなと思ったら存外に豆豆しく、クラッシュした豆のつぶつぶが邪魔にならないしかつ存在消えないしのちょうどいい大きさで、食べてて”楽しい”という感じ。ただ、味は、甘くもなく塩っぱくもなく、豆の味本来だなあ、という感じ。ベースのおダシ的なのがなんなのかがわかんなかった。
 で、それなりに堪能したなと思ってたんですが、あとから来たお客の様子を観察したところ、どうやらシチリア野菜の前菜をビュッフェ形式でいただけるメニューがあったらしく、そういうシステムをちゃんとわかってなくてこれは大いにしくじったと言わなければならないのです。初めての街でストライクに呑み食いするのは、本当に難しいことだなあ、と思たです。

 呑みです。
 オーナーに教わった壁一面のワインバー「Il Cantiniere」というところ。
 https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g187888-d1901863-Reviews-Il_Cantiniere-Catania_Province_of_Catania_Sicily.html

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 「壁一面のワイン」が”比喩表現”じゃなかった。ほんまだった。
 店内がまあまあ広く、ソファ席もテーブル席も立ち飲みに近い席もあり、真ん中には島型のカウンター、奥の方にまた別のバーみたいなところがあって、そこは生ハムとチーズのバーみたいになってるという、あかんぞこれ、みんなで呑みに来たらエンドレスで居座ってしまえるやつや。これ京都に作ってください。

 ひと晩明けて、5日目朝の朝食レポです。

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 ぱっと泊まれるくらいなホテルのビュッフェな朝食だからそうたいしたものはと、期待せずにいたのですが、ドーナツが盛ってあるのをよく見ると、ドーナツの下に敷いてある紙がしっとり濡れてる。え、まさか、と思って食べたら、ドーナツがいまここの厨房で揚げたやつだったのでびびった。確かに、奥に厨房あってがちゃがちゃ音してるなと思った。クロワッサンも新しいやつだった。
 こうなると一気にテンションが上がり黙々と集中し始めるegamiday氏。↑写真見ると、テンション上がりすぎて、なぜか食べかけの白パンが2つあるという我忘れ感。
 瓶詰めのやつなんだけどオリーブをペーストにしたのをパンにつけて食べるのがまた美味いし、名産のピスタチオをクリームにしたやつがまた甘くてコクがあって緑が鮮やかで美味いっていう、これはアルファコンテンツ行き。
 あと、オレンジとセロリをサラダにして和えたやつもこれはグッジョブと思った、あとで調べたらオレンジをサラダに使うのがシチリアの定番料理とのこと。

 おい、朝からこれかよ、ちきしょうレベル高えなシチリア、という感じです。
 美味いとそうじゃないの物差しが、逆にだんだんぼんやりしてきちゃうっていう。

posted by egamiday3 at 06:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

201611it イタリア・シチリア旅 4日目その2「嵐電・叡電に乗ってる人の気持ちがよくわかった」


 4日目お昼前。カターニア着に続いて、エトナ山周遊鉄道に乗りにいくところです。
 シチリア島の東海岸、カターニアの北に、エトナ山という火山があります。標高が3350m、成層火山で、近くに目立った別の山もない、となると雰囲気が実に富士山そっくりというわけで、極私的に”エトナ富士”と勝手に呼ばせてもらってますが、エトナ富士が日本の富士山と一番違うのが、現役でちょくちょく噴火してるということで、実はあたしの帰国後もわりとやらかしたらしいです。
 ただ、ちょくちょく岩が飛んだり溶岩が流れたりしてるものの、付近はわりと町や集落がふつーにあってみなさん生活してるっていう、そんなスタンス。そこへ来て、このエトナ山のまわりをぐるっと鉄道が走ってまして、その集落の人たちの生活路線でもあり、あたしのような観光客のための観光路線でもあり、どっちもを兼ねる感じで走ってる、と。
 いうことらしいので、これはぜひもので乗りに行かなきゃいけませんな、と勇んで向かうわけです。

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 Catania Borgo 11:35 → 13:43 Giarre

 スタートはエトナ山の5時過ぎあたりの位置にある、海岸の街・カターニア市内のボルゴ駅。そこから時計回りにぐるっとまわって、11時くらいのところにあるランダッツオでいったん乗り換え、終点は3時前くらいの位置にあるGiarreというところまで。
 ほんとは途中の街で降りて散歩したり昼食したりがいいんでしょうけど、そこまでの便数はないし接続も悪いしで、残念ながら今回は乗るだけですが、2時間一本勝負です。

 というわけで、まずはいま着いたカターニアの中央駅から、地下鉄でボルゴ駅まで行かなくてはならないわけです。

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 ・・・これが地下鉄の駅?笑 
 めっちゃ陽が燦々としてて、海風がびゅんびゅんしてて、波がざっぱんざっぱん岸を叩いてる音がするホームから、地下鉄(註:カターニア市内全6駅)に乗ります。
 乗ってしまえば、まあ地下鉄(というか市内鉄道)なんて各国大差ない、日常的な容れ物の中にふわっと溶け込んで座ってる感じ。

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 ネットではわりと迷うみたいに書いてあったんですが、すんなりボルゴ・周遊鉄道駅に到着。切符も入手。
 時間があるので駅横のバールへ、よく考えればこれが昼食代わりになるのだなあとチョコあん入りクッキーみたいなのをいただいてたら、まだ飲んでる途中で置いてるエスプレッソのカップをしゅっと下げられ洗われてしまったので、教訓:バールでのエスプレッソなんかクイッと行くようなものですよ、と。

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 あたし、嵐電くらいのちっちゃな風情ある車両を勝手に想像してましたが、想定外に↑ごっつい新車両でしたね。

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 出発。↑あの遥か遠い雲の中に隠れてるのがエトナ富士、なんでしょうきっと。だいぶ雲隠れにしエトナ富士かなという感じですが、裾野の堂々さ加減がやはり富士山を連想させて、謎の安心感があります。

 そして同じく乗り込んだほかのお客さんを観察してると、どうも自分以外はほとんどが生活路線として使ってるお客っぽい。一応観光鉄道としての売り方もしてることはしてるみたいなのですが、実際に乗るとめっちゃ生活感。そして、ごつい車両に見せかけてまあまあののろのろ運転。
 ・・・あ、これあれだ、いま嵐電・叡電に乗ってる感じなんだ。よそから京都観光来てあれに乗ってる人の気持ちがよくわかった(笑)。

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 そしてこのへんがすこし不思議((c)F先生)なんですが、途中から急に地下鉄になるわけです、え、地下も走るんだと思ってると、地下駅に停車する。その地下駅で高校生たちが乗ってきて、しばらくすると別の駅で降りる。高校もあるのかなと思ってたら、さらに途中駅で突如として乗り込んでくる女子高生の大人数集団。4人掛けの周りを女子高生に取り囲まれてる状態で、え、学校があるのか、部活の競技場でもあるのか、ていうか平日で半ドンなのか、よくわかんない。でもまあこれも、嵐電・叡電の風景だと思えばしっくりしますね。
 車窓も、民家をすれすれに通ってるようなところ。サボテンや蜜柑が植わってるのをこするように(ていうかガシガシこすりつつ)通ってるようなところ、が多かったりします。

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 で、街中エリアからだんだん火山エリアに近づいてくる、いま時計でいう9時前あたりまでもう来てますが、こう、↑岩ゴツゴツがベースになってきます。あとサボテン。とにかくサボテン、そして枯れ木。

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 火山とは逆サイドの窓の外を見ると、標高がだいぶ高まってきてるのがわかります、ていうか眺めがすごく良い。阿蘇あたりを思い出しますね。

 そうこうしているうちに、ブロンテという途中の町に到着しました。

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 このあたりはピスタチオの産地として特に有名らしく(たくさん見えた枯れ木はピスタチオなのかな?)、そういう名産品やそういうスイーツやそういうお祭りや、地元の料理、地元の集落の町並み、ていうか窓から見る屋根や壁の色の統一感だけでいかにも、あ、この町って景観大事にしてるな、というのがわかるので、ものすごく途中下車&散歩、なんなら一泊したい気にすら駆られるのですが、いまはただ下車して去っていく高校生の後ろ姿を見送るのみ。
 こういうとき、車運転できる身だったらなとかも思いますね。ここも次の縁ある時は泊まる候補で。

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 ブロンテを出るや、急に登山列車キャラを思い出したかのように豹変する。岩ゴツゴツ&急勾配。

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 お次は、↑右へ左へと揺れる急カーブの連続。マジで落ちないかとおののく。
 かと思えば、徐行しながら汽笛ガンガン鳴らして、何かと思えば、踏切無しで道路と交わってるパターン。交通戦争かここは。

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 ランダッツオ駅着。ここまでで約半分、ここで小さくて古い別の車両に乗り換えます。ごく軽くですが雰囲気(主に昭和感)が出る。

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 ↑今度はオリーブやぶどうがやたら植わってる土地柄になります。時計でいう12時近くのあたり。

 ちなみにこのあたりまで全然エトナ富士の姿が登場してませんが、基本雲の中です、見えてません。
 多少雲も晴れて見えてきそうになったかなと思いきや、いま、時計でいう12時のあたりですから、

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 ↑思いっきり逆光、ていう。

 残念だなあと思うまもなく、次第に窓の外が街めいてくる。ていうかガンガン下がってる、だいぶ高度を下げてきてます。

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 海が見えてきました。
 下りからの見晴らし感、車両の疾走感、青い海の爽快感と、平地の緑と町並みの景観、そしてタイミング抜群の虹。
 このあたりが一番車窓が良かったなと。虹なんか2本でてましたからね。
 ここまで来ると車両内は自分と観光客らしきカップル2組だけでしたけど、みんなで車窓を堪能してました。よかったよかった。

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 Giarre(ジャーレ)駅着。こここそマジで住宅地ど真ん中だった。

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 ここから国鉄でカターニアへ戻って宿に向かいます。
 おつかれちゃん。
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201611it イタリア・シチリア旅 4日目その1「豊かな大地の中に惜しげも躊躇もなくぶっとい高速道路」


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 4日目の早朝、早くも宿を出てパレルモ駅で、景気づけに生搾りオレンジジュース飲んでます。
 今日は鉄道につぐ鉄道の日ということで、まずはパレルモから、シチリア島東海岸にある第2の都市・カターニアへ向かいます。

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 パレルモ発 07:36 → 10:25 カターニア着

 3時間弱ですか。多分瞬殺ですね。

 シチリア島は”イタリアの穀倉”と呼ばれるほどの穀倉地帯であり、交通の要衝というだけでなくそれによってもあちこちから人がやってきては支配したがるということなんでしょうが、その穀倉的な原っぱの真ん中を突っ切って走る路線、と考えていただければ何らかの目安となるでしょうという感じです。

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 さよならパレルモ。
 ちなみに、朝早すぎるからというので、前の晩に宿の兄さんが朝食パックをつくってくれてました。素の食パンに素のハムと素のチーズをはさんだ素サンドイッチ。美味いからいいけど。

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 しばらく海岸を走ってましたが、ほどなくして内陸に分け入ります。田園、褐色の岩が見える山、壁のような山肌にへばりつきつつ草を食む山羊、集落、教会、トラクター、たまに現れる石造りの廃屋、風力発電施設。そういった車窓です。

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 中間駅・シチリア島のへそにあたるカルタニセッタ到着。
 もう半分来ちゃった、ほらみろ瞬殺じゃないか。

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 延々と田園が続くので、このへんがまさにイタリアの穀倉という感じなんだろうなと思うのですが、ただ、平坦な田園というわけではなく、丘がウェーブのように延々と連なってるという感じ。丘につぐ丘、ていう。

 しかも、単純に自然豊かな田園風景というファンタジーな光景でもなくて、その豊かな大地の中に惜しげも躊躇もなくどっしりと築き上げられている、ぶっとい高速道路。そこを車がびゅんびゅん走る、その堂々さが、なぜだかこう、たいした違和感を抱かないなあ、というのが率直な感想です。
 昨日見たパレルモの街だって、歴史あるはずの土地のきれいなはずの建物に囲まれた街が、薄汚れてたりわしゃわしゃしてたりしてたし、で、それがウソも掛け値もない、この街なんだったら、それはそれで違和感も不審感もない。これもひとつの紛いない現実なんだな、と。この島の、この国の、もろもろの歴史的経緯をたどったうえでのこの光景、ていう。

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 とかなんとか言ってるうち、突如山の上に建物群が現れるのが見えたかと思えば、エンナ駅に着。ファンタジーか冗談かと思うような、見上げる崖の上にほんとに街があるんですねここは。街々のキャラが立ってるあたり、イタリアだなあという感じ。縁があったらまたいつか行ってみる。

 実はこの路線は単線なので、たまに駅だとかすれちがい用の場所とかで、向こうから来た列車とすれちがったりします。シチリア第1-第2の都市を結ぶ鉄道が単線で大丈夫かいなと思いきや、まあ、お客乗せる便も日に数本しか走ってないのですが。

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 で、土地が平坦になってきたなあという感じがして、最終カターニアに到着。
 瞬殺じゃないか。

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 カターニア駅は、めっちゃ海岸沿い、思った以上に海辺。波が少し荒い。
 位置的には、このずっとずっと向こうがギリシャで、その昔、ギリシャ人たちもこの島までやってきてポリスを築き、ギリシャ神殿的なのとか劇場施設的なのとかをたくさん築いていったという。

 次は地下鉄、からの、エトナ山周遊鉄道です。
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2017年11月18日

レジュメの作り方(流れ):案

 レジュメの作り方の流れ、案。
 主に事実説明・報告型とする。(問い立てや論証まではしない)
 2017年11月現在。

ゴール: あるテーマ/トピックスについて、人前で発表・説明するための、レジュメを作る。 

1.「テーマ/トピックス」を設定する。
 ↓
2.素材となる「参考文献」を、調査・検索する/入手する/評価・選定する。
 ↓
3.参考文献を通読して、そのテーマ/トピックスをざっくりと理解する。
4.そのテーマ/トピックスの「要点」(伝えるべきこと)を決める。
 ↓
5.参考文献を精読して、そこに書かれている情報を「要素」として抜き出す。
 −要点(伝えるべきこと)を説明するため。
 −要点の「背景/周辺/前提」を説明するため。
 −発表全体の「構成」をかたちづくっていくため。
 ※要素はできるだけ多く、細かく、箇条書きにする。
 ※抜き出した要素の「ソース」「情報源」を付記しておく。
 ↓
6.抜き出した要素を整理して、全体を「構成」する。
6.1 −要点(伝えるべきこと)を主軸に「構成」を決定する。
  −「小見出し」と「章番号」を付ける。
      +
6.2 −要素を、要点・小見出しごとに「配列・整理」する。
  −要素を、取捨選択する or 分割統合する。
  −全体の「流れ」をつくりあげる。
      +
6.3 −「要調査」「要補強」すべきことをメモする。
   ※真偽不明・裏取りが必要な要素を、疑いの目で見つけ出す。
   ※参考文献だけでは足りない、補足・追加調査が必要な情報を見つけ出す。
 ↓ ↑
7.要素の「追加調査」「補強」をおこなう。
   ※要調査・要補強について、実際に調査・補強する。
   ※得られた情報の「ソース」「情報源」を付記しておく
   ※調査・補強ができない/難しければ、保留する。
   ※保留については「但し書き」を付ける。
 ↓
8.「完成原稿」ができる。
 ↓
9.レジュメの形に整形する。(本体)
   ※多く盛り込みすぎず、できるだけ削る。
   ※レジュメに盛り込むことと、口頭で補足することとに、仕分けする。
10. レジュメを完成させる。(目次・参考文献・その他)
 ↓
終 レジュメを用いて人前で説明する。


補足
※6.と7.は同時進行、行きつ戻りつする。
※9.と6.7.8.も、行きつ戻りつする。
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2017年11月14日

201611it イタリア・シチリア旅 3日目その3「バロック? イスラム? いやもう全部のせでしょ」


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 ↑モンレアーレからパレルモへ戻るための、バス停兼時刻表のプレート

 というわけで、戻ってパレルモ歩きです。

 まずはノルマン王宮。モンレアーレと同じく「イスラムからの、ノルマン」な時代の王様が、パレルモ市内の居場所としてはったわけで、

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 ↑こういう建物の中に、↓パラティーナ礼拝堂がある。アラブ×ノルマン×ビザンツ再びであります。

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 正直、モンレアーレ後なので若干の小並み感を抱いてしまった(笑)、かわいそうなパラティーナ。
 ただ、ここがひと味違うのは、部屋の外側もまあまあの本気っていう。

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 太陽光による劣化が気になる・・・。

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 ↑王様の寝室の天井。寝られへんわ。

 歩いて移動。
 ていうか、平日の昼日中のはずなんですが、おっちゃんらが通り沿いのベンチにたむろしてチェスだかトランプだかやってるの、何かな。

 ここでいったん昼食。

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 ↑イカの胴にパン粉ベースの詰め物がしてあるのと、たぶんカジキマグロ的なのでパン粉ベースの詰め物を巻いてあるのと、ナスをトマトソースで焼いたふうなの。とりあえず炭水化物はパン粉で満たされる感じ。(アラカルト的な店だったけど、好き勝手注文してたら、普通の店並みになった)

 次に、↓カテドラーレ(大聖堂)へ。

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 ノルマン時代以降、いろんなボスがやってきては建て増しにつぐ建て増しで、結果いろんな様式が折衷されてしまってますよ、ということらしい。まあイスラムっぽいのかなと思わせきやゴシック感を出してきたりして、ごちゃついてる感はかなりある。

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 ↑メイン通り(ヴィットリオ・エマヌエーレ通り)沿いに州立図書館があったのですが、クローズでした。中をのぞくと廻廊の庭っぽいのが気になる。もしかしたらイタリア式昼休憩タイムにかかってたということかもしれないけど、よくわからない、ただCloseとしか書いてない、それがイタリア。

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 ↑クァトロ・カンティ。四条烏丸的な、パレルモの中心的四つ辻。
 ↓そして、その周辺の広場や建物たち。

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 さっきからガイドブックで見かけるあれこれの建物をうろちょろ見歩いてるわけなんですけど、どう言ったらいいかな、もう、あれが何様式だ、これが何時代だ、って言ったり確認したりっていう気持ちがすうーっと失せて馬鹿馬鹿しくなるくらいの、”パッチワークさ加減”なんだなと、街全体が。バロック? イスラム? いやもう全部のせでしょこんなもん、と。

 このあと、カテドライ通りというところが調理器具専門の道具街なんだ、ってきいて行ってみたんだけど、あまりにもネイティヴすぎ、おっちゃんらがランニングでぶらぶらしてるような薄暗いところで、明らかに自分が異分子過ぎたので足早に通り過ぎたという。写真もない。

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 そんなこんなで、早くも疲れ切って座り込んだ、↑マッシモ劇場前。学生たちがはしゃいでる。

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 ↑ブッチリア市場。2時半とかなんで、ピークは過ぎてる感じなので、だらだらしてる。

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 ↑宿近くの小ぎれいなバールでカンノーロ(シチリアのスイーツ)。んー、甘い以外はぼんやりしてる。

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 ↑これもパレルモ名物、牛モツの油煮をパンではさんだもの。2.5ユーロ、安い。牛モツ好きとしてははるばるやってきてはみたものの、んー、やはり若干のぼんやり感、ヤンニンジャンか何かがほしい。

 なんだかんだで、夜。
 ていうか、この日は月曜の夜だったんですけど日が悪かったのか、行く店が開いてなかったり、昼のみ営業だったり、若干のすべってる感。

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 ↑なんと、シチリアまで来てなぜかIPAを呑んでるというw。2ユーロ、安い。

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 ↑せっかくだからとエノテカ(イタリアのワインバー)にも2軒目として行きましたが、つきだしのペーストがめっちゃうまい。地中海食材に疎いせいで詳しくはわかんないんだけど、オリーブでしょう。
 あと、ワインバーといいつつもお客がわりとがっつり食事をしてはるタイプの店なんだけど、だいぶ狭い坪に見えてどこでそんな調理してるのかな?と厨房サイドが気になる気質のegamidayさん、ぼんやり観察してると、チャイムみたいなのが鳴る度にマスターが通りの向かいにある軽食屋に毎皿毎皿取りに行ってるという。ある意味豪快、ある意味合理的、そしてある意味京都でも伝統的なシステムではありましたね。

 パレルモおしまい。
 明日は鉄道の日です。

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201611it イタリア・シチリア旅 3日目その2「そらノルマンの王様も気分よろしかろう」

 3日目の今日は、午前中にモンレアーレ、パレルモ郊外の山のほうにある教会町的なところへ行って、午後にパレルモ市内観光という感じです。

 モンレアーレへはバスで行きます。
 行きますとはいうものの、そのバスが何時にどこから出るのか、これがガイドブックを見てもネットを見ても、言ってることがみんなまちまちでオフィシャル情報もさっぱり要領を得ないという。宿のマダムさんにも聞いたんだけど、えー、たぶん駅前からバス出てるんだけどー、ってな感じなので、あれそんなにマイナーなのか?とちょっと不安なので、とりあえず前の晩に駅前のそれらしきところを何度もぐるぐると往復して、モンレアーレ行きと書いたバス停がないか、時刻表がないかと、数十分探しまくったんですけど、結果、街灯もない暗い歩道に鉄柱が一本立ってて、その上のほうを首を伸ばしてやっとみつけたのがこんな感じ。

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 見つからないって、これじゃ・・・。
 まあ、ローカルな観光情報はだいたいこんな感じっていう。

 そのモンレアーレ行きバスに、朝食をかきこんで急ぎ飛び乗りますと、朝8時半、乗客5人、ていう。
 うち2人はこれ観光客じゃなくジモティさんよな、という感じで、あと2人がまさかの関西弁のマダム、ていう。シチリア駅前のローカルバスで日本人が過半数占めましたねw チケットも、なんとなーくドライバーから買って済んだ、みたいなんだし。

 このバスで、モンレアーレまではだいたい40-50分くらい。
 初めのうちはだらだらとしたゆるい坂道をまっすぐ走ってます。特にこのコルソカルタフィーミという通りが、地元市民向けの日用品店とかオシャレ店とかが並ぶ、北山通り感や左京区感を出してるところで、過ごしやすそうだった。たぶん人気エリアなんじゃないかなという感じ。
 そこをすぎてぐっと勾配が急になって、空が開け緑が増えてくる、言っても標高300mはあるらしいので。そんないよいよ山モードに入ってきたなという感じになると、急な角を無理やり曲がる、対向車を脇にどかす、エンジンふかしてきつい坂をのぼる、と、いっそう荒っぽいバス運びになってきてます。地形は山モードでありながら、交通量もそこそこあるし、町もふつーにあるので、どうしてもさらに荒っぽい。

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 さて、えっと、そんな山のほうに、どういう謂われで、どんな教会があるんだ、っていう話ですよね。さっきから言ってるそのモンレアーレとはなんだ、と。
 ていうのをものの本類でざっくり予習しますと。

 シチリア・ノルマン王国のグリエルモ2世が建てたノルマン様式の大聖堂で、パレルモのアラブ=ノルマン建築とともに世界遺産。王宮・聖堂・修道院の複合体であり、その建築・美術にはイスラム文化やビザンツ文化の融合があらわれている。的な。
 えっ、て思うんですよ。
 イスラムはわかる。ビザンツもわかる。
 え、ノルマンって、もともとヴァイキングの人らじゃなかったっけ。ケルト世界を荒らしてたのはアイルランドであちこち見たけど、こんな南のほうまでよう来たな、ってなるんですよ。
 しかもあれやこれやが同居してるって、どういうあれなん、ていう。

 というわけで、モンレアーレに到着するまでの間、なぜかこのタイミングで、シチリア島の文化を知るための歴史的経緯を確認しておきますね。

 地中海世界を京都市バス206になぞらえると烏丸五条に位置するシチリア島は、決してイタリア半島に蹴られてるサッカーボールのような端っこの存在ではなく、物理交通的にも文化文明的にもまさに地中海・十字路のど真ん中にあるわけで、残念なことにそれが祟ってと言うか、いろんな民族・文明・地域から、狙われに次ぐ狙われ、侵略されに次ぐ侵略され、支配されに次ぐ支配されという、”ボス・入れ替わり立ち替わりの歴史”であったわけです。

 古代アフリカからは、フェニキア人がやってくる。
 ギリシア時代には、ギリシアがやってきて、都市国家とかつくる。
 ローマ時代には、ローマがやってくる、ここが結構きつい、カルタゴと戦争したりしてる。
 西ローマが滅びると、東ローマ・ビザンツ帝国がやってくる。
 9世紀になれば、アラブからイスラム教徒がやってくる。その後しばらくは基本イスラム世界内。
 イスラムの次には、ノルマン人が来て王国つくる。(←いまここ、「アラブ=ノルマン」的な)
 それからなんだかんだで、ドイツの皇帝がやってくる。
 その後なぜか、フランスに支配される。これが酷かったらしく「シチリアの晩鐘」という暴動が起こってる。
 フランスの次に、スペインがやってくる。イエズス会もやってくる。このへんは世界史の大きな流れ通り。
 そのあたりから、バロック文化がシチリア島を席巻する感じ。
 あと、なんか一瞬、オーストリアに支配されてる。
 ナポレオン戦争期には、イギリス海軍もやってきてる。
 で、ガリバルディがやってきて、イタリア統一。(っていうか、南イタリアにとっては”北イタリアへの併合”。)

 そして最終的に現在は、イタリアの中でも特別自治州という扱いになってて、まあよかったね、という感じですが、そこへ至るまでにまあ、どんだけのボスに支配されてきてんの、ていう。
 そしてそれぞれの時代のボスが持ち込んだそれぞれの文化が蓄積し、歴史が名残り、しかもそのお互いがわりと上手い具合にミクスチュアしちゃったりなんかして、その折衷具合の独特さがシチリアの魅力ではあると。しかもシチリア島自身が自然に恵まれ、壮大な穀倉地帯に恵まれ、海の幸山の幸山紫水明に恵まれという感じで、充分なポテンシャルがある。ゲーテ先生なんか「シチリアがなければイタリアもないのと同じ」的なことをおっしゃってるわけで。
 でもやっぱり、支配され支配されの結果冷遇されてきた側でもあるので、イタリア統一後も南イタリアサイドとして、北イタリアのようなグッドスタートは切れているわけじゃない、という感じでしょうか。そのグッドスタートの切れてなさ加減がこうじての、シチリアといえばマフィアである、ていう、端的に言えば。

 以上が、超高速・シチリア史の一席です。

 で、いま向かってるモンレアーレは「イスラムの次に、ノルマン人の王国」の時代に位置するわけです。
 ノルマン人っていうのは要するにヴァイキングの出ですから、強い→あちこちで傭兵として働く→エルサレム巡礼のヨーロッパ人を守るのに南イタリアを守る→のさばって国を作る、で、ここにいた、ということらしいです。
 そのノルマンの王の人が、支配しに来たはいいけどもちまたはまだまだイスラム教色が強い、そんなパレルモの人々に、いやいややっぱキリスト教でしょ、ていうのをプロモートというか威厳見せつけるために、山手に豪華な大聖堂を建ててやった。それが、このモンレアーレの大聖堂っていう。だから、こんな山にでっかい教会がある。
 とはいえ、ノルマンの王さん男前だなって思うのが、イスラム教やその文化習俗をべつに否定迫害するわけでもなくて、寛容に認めてしかも取り入れているという。それで、「アラブ=ノルマン」。からの、ビザンツ、的な。

 というわけで、首都パレルモ郊外の山の上に、イスラム&ノルマン&ビザンツの融合した、豪華な大聖堂がある、と。そこへ向かっています。

 バスは路駐だらけのモンレアーレ住宅路を脱けて、大聖堂からまあまあ離れた場所に停車。戸惑いながらGoogleマップ片手に大聖堂を目指すと、観光地然とした感がほどよく抑えられ、生活空間として良さげな商店街がメインを走っている。言ってみれば門前町的な町構えなんでしょう。あ、ここでしばらく過ごしたいなと思える土地柄でした、シチリア滞在中の好感度では1位2位をあらそう。

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 で、その商店街の末に大聖堂があり。

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 アーチですねえ。
 これが、王宮と、修道院と、大聖堂とが合体した複合建築であると。よく考えたら、政治権力と宗教とが同居してるわけですね、役所と図書館とスーパーが同居する駅前施設のようでもあり、いやそれなりに金も権力もあったからそんな無理くり合体ができたんだろうということでもあり。

 まずは、その聖堂部分。

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 ・・・どん引き。
 なんか、日本人お得意の手先の器用さで小さな文箱に金や螺鈿の蒔絵細工つくりましてん、っていうのを、大聖堂サイズでつくったったわぁーっ、みたいな感じになってる。これがビザンツかと。だからといって、ここまで全壁面を金モザイクでコンプリートするかと。大ボス(キリスト)がでかでかとおるし、これはかなわん。
 また描かれてるのが、キリスト教オンチの自分でもなんとなくわかるトピックスがいくつもあって、絢爛なのとコンテンツ性あるのとでなんとなくいつまでも見ちゃう。

 で、これで終わらない、さらに階段をのぼって屋外のキャットウォーク的なところへ上がると、修道院の回廊建築が眼下に、っていう。これまた中世ぽいしかつ南国っぽくもあるなと。

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 さらに行くと、ほんとに狭くて危なっかしい細い塔にのぼることができるようになってて、安全策もまあまあ甘く、インド人カップルが高所におびえてますが。

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 そこからの見晴らしがこう。

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 パレルモの街と湾ががっつり見渡せるようになってます。
 山の離宮から下界を眺望するという設計。いや、これノルマンの王様、気分よろしかろうと。我が世の春かと。日本なら「柳桜をこきまぜて」という感じですが、こちらではパレルモ一帯を「コンカドーロ」、黄金の盆地と呼んだそうで、豊穣な土地柄だったんだなということがよくわかります、だからさらに王様気分よろしかろうと。
 どや!パレルモ市民、見てみぃこの大聖堂!これがキリスト教やで!これがノルマンの王やで!と。

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 このあたりのデザインが、またイスラムっぽく。

 といいつつ、実は帰りのバスの時間(註:来る前に帰りのバス停はちゃんとおさえといた)もわりと近いので、名残惜しみつつ帰路につきます。

 この大聖堂周りの町は、さきほどのメインな門前町っぽい町並みもありつつ、一方で逆サイドには↓こんな感じの細路地・袋小路的エリアもあり、イタリア来てるな、ていう感じです。

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 帰路のバス停は、大聖堂をパレルモ側におりた下り坂のところにあり。
 そこからもパレルモの町が見下ろせます。

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 ”黄金”というよりは緑が実に目に眩しい、ていうか、ばっちりの晴天で良かったなという感じですね。
 見上げると、こう。

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 あれ、この坂、見たことある。
 ↓これだわ。

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(陣内秀信『シチリア : 南の再発見』より)

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2017年11月07日

201709eu オスロ日記その4 : ベルゲン急行&フロム鉄道


 オスロ滞在中に1日だけプライベートな休暇を取ることができましたので、さてどうしようか、選択肢は大きくわけて「オスロ市内をまったり楽しむ」か「鉄道乗りのエクスカーションに出る」かの2つ。選んだのは後者でした。
 というわけで、「ベルゲン急行&フロム鉄道」日帰りエクスカーションの記録。

 旅程は下記の通り。

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 ○時刻
 オスロ中央 06:25 → 11:34 ミュルダール
 ミュルダール 12:13 → 13:10 フラム
 フラム 16:05 → 17:03 ミュルダール
 ミュルダール 17:54 → 22:15 オスロ中央

 スカンジナビア半島の北側のほうにベルゲンというオスロ第2の都市(ていうかそもそもこっちのほうが商都として歴史的には中心だった)があって、オスロとそのベルゲン間を結ぶ「ベルゲン急行」は、森林地方、湖畔地方、山岳地方、氷河地方を駆け抜けるという、ヨーロッパおすすめ車窓ルートとしても有名なところらしく、そのベルゲン行きの8合目あたりにあるミュルダールという駅で降りると、そこからさらに山の方へ向かう「フロム鉄道」というのもまた山岳鉄道として有名な車窓ルートらしく、ノルウェー国鉄サイトでチケットの空きをこねくりまわした(何せ人気かつ週末で結構に埋まってる)結果、上記のような、朝6時発、夜10時帰還、12時間乗り続けルートならなんとか日帰りで行けそうとわかり、12時間、マジか、18キップじゃないかと思ったんだけど、よく考えたら去年ローマ−シチリア間12時間鉄路を(しかも関空−スキポール12時間の翌日に)乗りこなして何の不都合もなかったことを思い出したので、特に不安はないという。
 なお旅行事務的には、諸事トラブルで(ノルウェー国鉄サイトが日本のクレジットカードをはね返す)、3枚あるチケットがe-チケット、PDF、iPhoneアプリQRコード、という3者3様にばらけてしまったというご愛敬あり。

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 6時台の第1便ですが、ホームまで行ってみるとまあまあの人出で、観光らしき感じが多く、やっぱり人気なんだなという。

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 オスロ発。

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 ずっと森と湖。そうかこれがノルウェーの森か。
 Youtubeでビートルズ聴いたりしてます。
 以下、しばらく車窓をお楽しみください。

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 あれですね、水面が静かすぎ水が澄みすぎて、どっちが上か下かわかんないくらいの鏡になってますね。
 あと単に見た目が美しいっていうだけじゃなくて、晴れたり曇ったり霧ったり、山だったり樹林だったり人里だったり、バリエーションに富んでいるんだけども、かつ慌ただしく変化するわけでなくちょうどいいスパンでゆったり続いてくれる感じ、このあたりがシーニックルートとして賞賛されるところなんじゃないかなって思いますね。何時間も経つのにこれといって飽きてないです。

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 いくつかの駅も経ます。
 Gol駅というところを過ぎた辺りから、苔むす岩というのが増えてきて、このあとの変化への序奏だなという気がしてきます。

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 フィヨルド、フィヨルドと言いますが、つまりはこのゆるやかな曲線からなる谷間が丸ごと氷河だったということなんだったら、もう壮大すぎて自分には想像が追いつかなくなってきますね。河底に沈んだ集落、を想像する方が早いようなきもします。そんな光景。 

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 Geilo駅あたりから、山の木の色が明らかに違ってきます。その辺の木もこれまでに比べて痩せた印象。季節はもうすっかり晩秋という感じです。鉄道に乗ってるだけで季節が変わっていくんだなあと。Mかと。

 ↓そしてここからしばらく、京都のお寺さんがこしらえはったお庭のでっかいの、としか思えないような風景をお楽しみください。

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 氷河地形って言うからもっと武骨なもんかと思ってましたけど、スケールのでかい繊細な景観、っていう感じがするなあと。季節のおかげかもしれないですけど、荒涼感・寂寥感をあまり感じないというか。

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 Finse駅。標高1222m、最も高いところ。

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 ほら見ろ、5時間あっというまだったじゃないか。
 というわけで、途中乗り換えのミュルダール駅に到着。

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 ここで事件発生。北京の精華大学から来てたEAJRS友達(註:主に毎年のEAJRS会場でだけ会う友人)にばったり出くわす。彼女も同じ列車に乗ってて、これからフロムへ行くんだというので、以下、しばし同道。

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 フロム鉄道は、ミュルダール駅とフロム駅を1時間程度で結ぶ山岳鉄道で、まあ圧倒的な観光路線という感じですね、世界各国からの人たちがこれに乗り込んできてるのがわかります。
 なお、行きの車窓は席の都合上うまく撮れなかったため、帰りの車窓をのちほどお楽しみください。

 というわけで、なんだかんだでフロム到着。

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 山と山の間に挟まれてせせこましく存在するこの町・フロムには、細い港があって、同じく山に挟まれた入江へと船が出て行くわけなんですけど、これがだから入江なので、ずううぅぅーっっと延々たどっていくとその先で海に出るという。上に再掲した地図でFlamのとこまで細っい入江が入りこんできてるのがわかると思います。ここも枝分かれし尽くした入江の先っちょなんだから一応”海”ではあるんだけど、外洋に出るまでその「一応”海”」状態が都合200キロ以上も続いてるっていうわけですから、氷河が削り創造し賜うたフィヨルド地形というもののスケール感が、とてもじゃないけどちょっと想像しかねますね。

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 EAJRS友達は、このフロム港から船に乗ってベルゲンへ向かいました。さようなら、また来年。
 ていうか、そうか、そういうルートもあり得たのか。なんせ延々続くフィヨルド・クルージングを堪能し尽くせるわけですから、観光客も押し寄せるわけだなと。

 そんなクルージングなみなさまを尻目にegamidayさんはと言えば、フロム鉄道博物館ですよねと。

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 フロム鉄道は、フィヨルド沿岸各地から船が到着するこのフロム港と、さっきあたしが乗ってきたオスロ−ベルゲン間の鉄路とを結ぶ目的でつくられたらしいんですが、20キロくらいの道のりを、トンネル掘ったり高い低いを乗り越えたり、大戦期もはさんだりして相当苦労しはったみたいで、その苦労の歴史を展示してある博物館なわけです。いまではこのへんのフィヨルド観光の目抜き通りみたいなもの(なんせオスロから日帰りででも来ようと思えば来れる位置づけだし)だろうし、復路で写真を載せますが、この鉄道乗ること自体が充分なアトラクションなので、成功してるなあという感じです。

 よかったね、フロム鉄道。
 というわけで敬意を表して(というより洗濯の時間が取れそうにないので買い足しとして)、フロム鉄道Tシャツを購入。

 そして、復路のフロム鉄道。

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 絶景が続く、というか絶景しかないので、正直めんどくさく、特に解説もありません。

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 しばらくすると列車が停まって動かなくなったので、お、これはもしかしてと窓から乗り出してまっていましたら、やっぱりすれ違いでした。

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 途中ででっかい滝のすぐ近くまで乗り付ける場所があります。

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 ここで列車が数分停まり、みなが降りて滝をぱしゃぱしゃ撮り、なぜか大音量で音楽が流れ、なぜか真っ赤な服をきたダンサーが滝のわきで踊り狂う、という謎のアトラクション。

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 まあなにせ、絶景しかないので、堪能して時間が過ぎて終わる、という感じです。

 このあとは、もうただの帰路でしかないです。

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 再びのミュルダール駅で、ホットドックとポテチをもって遅い昼食と早い夕食を兼ねる。
 その後、オスロ行きベルゲン急行を捕まえて、乗ったら数時間爆睡。

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 爆睡、起きたらオスロ駅。

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 おつかれちゃん。

posted by egamiday3 at 22:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月03日

201709eu オスロ日記その3 : オスロを喰らう・食関係のメモ

 まさかの、「食関連」だけ別記事。
 つまり、ほとんど用務だったので、食くらいしか想い出がないパターンのやつです。

●物価
・とにかく物価が高い。コーラを買えば3-400円、パンを買えば7-800円。聞いてはいたけど、こんなするのかと。キッチン付き宿を選んでスーパーで買い出しするパターンでも、何買ってもどれも高いってなると、朝食付きや外食メインだとどんなことになってたんだと、そらおそろしい。
・スーパーにて、出来合い系は高い。野菜はまあ安そう。肉は高い。魚も高い。魚高いの? 漁業国じゃなかったの?
・海外の楽しみなんか「酒が(日本に比べて)安い」が心のベストテン第2位くらいなんだけど、スーパーでちょっと缶ビール買うだけで500円くらいするんだもの・・・。

●ビール
・某オスロ本によれば、クラフトビールの豊富な土地柄であるということもだいたいわかった。でも、日本で輸入物として割高で呑む時の値段と、たいして変わんないくらいの値段するから、あんま意味ないんだよ・・・。

・前半行きつけかけたビアパブが「アムンゼン」。
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・後半行きつけたビアパブ「ROOR」
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・ROORは、壁一面に60枚近いボードが貼ってあって、こんなに選べるの!?といううれしさもさることながら、ひとつひとつ短く説明もついてるから、選びやすいし、選びたくてたまらないし、結果として杯を重ねざるを得ないという、あれ、ここ天国かな?と思うようなところ。
・旅行中のビール全体を総合して、最後の晩にROORでいただいたアンフィルタードのが一番良かったので、今後はアンフィルターがあれば優先して選ぶことにすると学習した。ちなみにセゾンIPAは2晩続けて飲みそびれており、不幸にも遺恨を残すかたちとなった。次にオスロに来たら真っ先にこの店に足を運ぶでありましょう。
・というような感じで、クラフトビール飲むのを楽しみにオスロに来る、っていうのは充分ありですよ(但し物価)。

●パン
・行きつけた宿近くのパン屋「Apent Bakeri」。某オスロ本紹介のおすすめパン屋が宿から歩いてすぐのとこにあるので、ふらっと行ってみたら、ふつーのご近所のパン屋さん然としたところで、めちゃめちゃ美味かった。”美味いご飯”みたいなパンで、パンとしてぐいぐい食べれるパン。これは通わざるを得なかった。
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・バニラカスタードのパン。しっとりしたシナモンロール。クロワッサンのチーズサンド。どれも美味しうございました。

・グルーネルロッカでたまたま見つけた良さげパン屋(Godt Brd in Oslo)が、やっぱりアタリ。
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 シナモンロールにカスタードクリームがのったやつだけど、シナモンががっつりきいてるのと、パン生地がしっとり以上にジューシーなのと、カスタードがフレッシュなのとで、相当やばい。

・まず、パンが美味くパン屋が美味い土地柄なんだな、というのがよくわかった。どのパン屋に入ってもだいたい美味くてハズレがなかったし、パン屋以外で出されたパン食べてもだいたい美味かった。決して”パン派”というわけではない自分でも、美味いパンだと飽きることはまったくなく、米食が恋しくてたまらなくなる感じのがほとんど出ない。出されたパンを機嫌良くいただき、また次にパン屋行こうって思えるくらい。っていうか、帰国後に「オスロで美味いパンを食べてる」夢を見てしまったくらい(命名「オスロパンロス」)。パン食べるのを楽しみにオスロに来る、っていうのは充分ありですよ(但し物価)。

・結論。オスロに行きつけのパンカフェとビアバーができたので、この旅は成功。

●その他
・もう一つ、ノルウェーはコーヒーどころでもあるらしく。どこにいってもコーヒーがあるし、まあ美味いし、あと街にスターバックスが無い(探すと市内に2-3軒はあるらしいというくらい)ので、あ、マジのコーヒーどころなんだなとわかる。
・もう一つ、実はノルウェーはジャガイモへのこだわりが強いらしく、種類が半端なく、この料理にはこの種類のジャガイモ、この調理法にはこのジャガイモ、というこだわりがあり、その様はさながら日本人にとっての米と同じようなものらしい。のですが、残念ながらそのような豊富なジャガイモ料理にあたることは今回はありませんでした。次回に期待。
・ブラウンチーズなるものも、それとわかるようには出会えなかったので、次回に期待。

●昼食まとめ
・EAJRS日程中の昼食がすべて支給されたパターンのやつで、1日目がオープンサンド、2日目がラップ、3日目がお皿に盛ったおかずとパン、4日目がサンドイッチだったんだけど、3日目の皿のおかずを見たところで、あれ、これおそらく炭水化物側の形態が異なるだけで、おかず素材の構成としては4日間通して同じなんだな、と気付いたっていう。でも、それでも結構美味くてOKだったので、食事についてはわりと奥が深い謎な土地柄だと思っている。
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●夕食まとめ
・1日目夜。EAJRSレセプションで出された、ノルウェー産の日本酒。
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・1日目夜。レセプション後にアムンゼンに流れる。
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・2日目夜。トラディショナルディナー(Christiania Cafe)。魚のスープの、魚ダシ加減+塩加減が身体を癒やす感じ。あと鶏肉。
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・あと寝てた。ていうか、トラディショナルディナーでは毎年だいたい寝てしまうというか、スケジュール(日程×時間帯)的に寝ざるを得ない状況にほぼ追い込まれるので、鬼門。
・3日目夜。中華で、パネルの成功を祝う。点心一口目で思わず漏れるため息と笑みは、豚脂か、ニンニク香か、ラー油か、どれが引き金なんだろう。
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・3日目夜その2。宿近のワインバーで、クールダウン。寒い(ゆえのクールダウン)。
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・4日目夜。ノルウェー・シーフード料理の店(Rorbua)@ウォーターフロント。
「Nordnorsk fjol」という名前の、なるほど要は北ノルウェーの名産食品をミックスプレートにしたパターンのやつですよね、っていうの。いかにもノルウェー料理でっせ!みたいなんをいただいたのはたぶんこれがピークじゃないかと。
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 板で出たぞおいw。
 鯨(と言われるもの)、ムース(と言われるもの)のような大物以外は、鮭か鱈か何かの魚なんだけど、どれも燻製かマリネかとかなんで、とりあえずすべて塩っぱい。鱈に至っては干し鱈の水戻しなので、やっぱりほんのり塩っぱい。パンが進まざるを得ないけども、パンはそんなに盛られてない、ていうなかなかの状態でした。土地柄、保存食になりがちなんだろうなという感想。
・4日目夜。ビール@ROORで、再合流したEAJRSの愉快な仲間たちと名残のビールを味わう。

●自炊まとめ
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・カブのスープ
・カブの葉っぱとツナ缶の炒めたの
・がっつりトマトパスタ
・キャベツと豚肉の焼きそばソース炒め
・醤油とこんぶダシでできるだけ和風に近づけたパスタ

●スーパー雑感。
・トマトとチーズとニンニクとオリーブ的な瓶詰め万能ペーストが、万能に使える。あれこそ日本で欲しい。
・サバのトマト煮缶がポピュラーらしく、山のように積んであって(オスロにしては)わりかし安い。
・チューブ入りサバのペースト。味がぼんやりしている。
・あとはまあ、何買うにもとにかく高くてどうしようもない。

posted by egamiday3 at 12:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

201709eu オスロ日記その2 : オスロ旅情のあれこれ・メモ

 アーカイブサミット京都(http://archivesj.net/summit2017top/)の興奮も覚めやらぬうち(というより疲れも取れぬうち)のノルウェー渡航でしたので、予習も不十分(てんぱって、読んだことあるはずの本を重複購入した)、旅行事務も不十分(カード不正被害の遠因か)、滞在中の朝夜や休憩時間もわりとままならない感じでしたが、それでも、端々節々で隙を見つけてはとらまえて積み積みしてきた旅情の、あれこれ。

●この記事の要約
・オスロは物価が高い
・オスロは高低差に富む。
・オスロは街ぶらに吉(ただし夏季限定)。

●オスロ/ノルウェー雑感
・ヘルシンキ空港上空から見たヘルシンキの様子(上)と、オスロ空港上空から見たオスロの様子(下)。
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・ヘルシンキ空港上空から見たヘルシンキは、家の屋根が茶色でかわいい、ずっと平坦な土地、ずっと木が植わってて樹林の中に家や建物がある感、その樹も草も北国の様。ていう感じ。
・オスロ空港上空から見たオスロの様子は、平坦さはなく山がちな感じ、国土を削って人の手をかなり入れてる感がする。

とにかく物価が高い。たぶんこのブログ内で何度か同じこと書くと思われる。
・で、結局2日目の朝にして早々にこのような悟りを開いたという。「0804 (´-`).。oO(もうこの街にいる限り物価のことは"気にしない"という処理をすることにしました。気にしてたら旅を楽しめない。凹むのは来月カードの明細見る時だけでいい)」
・そういえばオスロ空港に到着して入国する前に、ふつーのスーパーみたいな感じの店があって、みんな列なして買い物してるから、なんでこんなところでそんな躍起になって買い物するんだろうって思ってたら、入国後の物価でその理由がよくよく思い知らされましたよねっていう。

・パブでビール飲んでたら、うしろで呑んでた若い娘さんに「トイレ行くから荷物見てて」って言われたんだけど、スマホもブランド店の紙バッグもテーブルに広げて置いたまま、旅のアジア人にそんなこと言ってすいーっと行っちゃうので、あ、安心しきってる土地柄なんだな、って思たです。
・夜歩いても(トラムとかまだ走ってて人がたくさん往来してるあたりであれば)特に危険を感じない。
・どこに行っても、確かに家具がオシャレで整ってる。一部は木造で癒やされる。壁や内装の色調が明るい。そりゃ、外画くらい冬場はこうじゃないとやってけないんだろうな、というあたりが北欧だなって思うし、北欧じゃなくてもこうしたらいいんじゃないかなって思う。
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・バス停で路線図を見てたら、学生女子がどこへ行くかと(心配してか)きいてくるので、いや番号とかはわかってるんで大丈夫、ってこたえるんだけど、それでもしつこく(=親切に)何度もきいてくるもんだから、この辺なんだよと地図を示すと、んーわからんから運転士に聞け、って言うから、もういいよって思うんだけど、やってきたお目当てのバスに乗ろうとするとまたもしつこく、運転士に聞くために前から乗れ前から乗れ、って強いてくるから、しょうがなく前から乗らざるを得ず、かと言って運転士にきくことも特にないから、とりあえず「これはこっち(進行方向を指す)行きのバス?」って聞く。なにこれ(笑)。
・っていうのに象徴されるかどうかわかりませんが、ノルウェーのみなさん、お心意気としてはすごく親切なんだけど、それがきびきびてきぱきではなくぼんやりしてる感があって、あーこれ、アイルランドとそっくりな人あたりだな、と思いました。実際、店での接客とかその他で接する時に、イラッとしたりイヤな思いをした覚えがちょっと無い。
・そんなノルウェーっ子気質を指したポンチ絵。
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●オスロ街歩き
・オスロ中央駅の市交通局オフィス的なところで、当初の予定通り「7日間パス」のICカードを入手できたので、移動が楽すぎてしょうがなかった。バスもトラムも張り巡らされてて、しかも結構な朝早くや夜遅くも運行しており、これが北欧の社会インフラかと思った。但し、デポジットが高い。デポジット50クローネ、7日パス240クローネ、この値段が割高か割安かは判定しがたいものの、パッと乗れてパッと降りれて気軽に乗り継ぎできるのは、不慣れで時間の少ない旅先ではやはりプライスレスだなとあらためて。
・とは言え、ほんとに小さい街なので、歩いたところでどこもたいした距離じゃない、静かだしちんまりしてるし歩いて過ごすのに吉な土地柄。但し冬じゃなければの話。
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・あと、高低差が激しい土地柄であることもよくわかった。フィヨルド関係あるんだろうか? 梅林さんが欲しい。バスやトラムに乗っていても、坂を登ったり下ったり、あとわりとカーブが多い印象。街を歩いてても地図(特にGoogleマップ)では予想もしてなかった、高低差由来の通りの外観に、あ、ここってこんな見え方のする(こんな見晴らしのする、等)通りだったんだ、と思ったりする。
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・街中の国鉄駅へアクセスするためのわりと長い地下道が整備されてたの、高低差対策だけでなく冬期の雪対策の意味があるのかしらとか思う。
・あと、ウォーターフロントな土地柄なんだということは、意外だったというか知らなかった。港があって舟が停まってるの見て、あれ、オスロって半島からちょっと内側になかったっけ? と地図を思い返すんだけど、これこそがたぶんフィヨルド、相当内陸なはずなのに入江があるという。あと、キャナルシティ博多みたいなエリアがあるので、こういうのはどこも似たような感じになるな、と。
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・EAJRS3日目は第2会場だっただけど、その会場に行くにもGoogleマップで地元バスを乗り継ぎ乗り継ぎして地元ルートで地元人よろしく乗り付けることに成功したので、この旅は成功。
・ただし4日目朝は、オスロシティマラソンがあるためトラム運休・バス減便ということを遅くまで知らず、わりと苦労したので、トラブル堪能にも成功。

・オスロ大学(街中キャンパス)
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・オスロ大学(郊外キャンパス)
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・オスロ大学図書館
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グルーネルロッカという、カジュアルな人気エリア的なところが街の東のほうにあって、観光とは無縁で過ごしてきた自分にも最終日に空港へ向かう前の朝っぱら、コーヒー屋とパン屋くらいなら開いてるだろう時間帯に余裕ができたので、朝食あさりがてらの朝散歩に行ったら、わりとがっつり気に入る感じの街歩きに吉なエリアだった、ていう話。(しかも、宿とは街の対局地方にあるから無縁と思ってたら、よく調べると宿前からバス一本で行けるエリアだったので、もっと早くからちょいちょい行ってればよかったという後悔。)
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・休日でも夜でも、だらっとふらついて過ごすには良さそうな、気軽で居やすい雰囲気のところ。お店も豊富。
・ちょっと別方向に足を向けると、新しくしつらえた感じの人工的水路サイドエリアもある。なお、その水路が想像以上に激流で、何が起こってるのかは俄には飲み込めない。
・たまたま良さげパン屋(Godt Brd in Oslo)を見つけて入ると、アタリだったりするので、街の評価が上がる感じ。
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・結論: 寒くなくて、物価を気にしなくて済むのであれば、住むように過ごすには吉な街。

●宿
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・安定の、キッチン付き。
・近所にスーパー各種あり。カフェあり、パン屋あり、バーありの軽い商業地域。ということは、Googleマップやストリートビューで事前に確認できてたので、安心でした。
・ただし、フロントが無人なスタイル(チェックインも半自動?)で、ちょっとした頼み事(印刷とか)ができなかった。

●旅程・旅行事務
・この時期のあるある、渡航先の暑い寒いが読めないのに加えて、京都もちょうど急に涼しくなったりするので、厚着めで正解の模様。
・関空のwifi受け取り、長蛇の列で少しだけ焦るも、実際に並んでみればそうでもない模様。自宅受け取りとどっちがよいかはまだ保留。

・初搭乗のFinnairについていくつか。
・ネットでの座席指定が1回しかできなかった(1回決めたらもう変えられない)のがつらい。
・ネットチェックイン済み者のバゲッジドロップが、関空でもオスロでも大幅に有利だったパターンで、吉。(ぜんぜん変わらないところも多く・・・)
・機内wifi完備で行きのデスクワークが捗る(その是非はともかく)。ただし、1アカウント1デバイス。帰りの便ではwifiつながらず結局ノーサービスだった(離陸直前に「機械の不調」とかで出発がやや遅れたの、関係してるかも)
・機内食は、全体的に給食感が漂う感じ。それでも、朝食が(つまんないパンとオムレツとかではなく)鮭ごはんだったのはうれしかったです。
・非常口横座席が、↓のような感じ、あまり見たことない?
 空AB
 ABC
・ヘルシンキ空港は、アジア方面へ/からの旅客でごった返している、わりには手狭感が半端なく、これ器が足りてないだろうと思った。通路が手狭なだけでなく、どこのベンチも人がいっぱいで座ることすらままならない、結局しばらく立って待ってなきゃだった。改装が2017年?2016年?に云々というポスターあった気がするけど、あれが改装前や改装中でなく改装後だとしたら、正直、いくら日本からのフライト時間が多少短いとは言えできれば避けたい。(でも来年も北なんだよな・・・)
・パスポートコントロールがまたさらに長蛇の列で、しかも新学期シーズンのためか留学生らしき若者が長時間審査されてる例が多く、かなり待たされる感じ。出国時にもパスポートコントロールで相当並ばされた。
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・やっぱりあの空港はできれば避けたい。ボケかと思われるくらい歩かされてもスキポールのほうがまだマシ感ある。
・オスロの空港−市内の鉄道は、専用特急と在来線の2つがあるけど、時間5分しか違わず値段が数倍違うのあれなんだろうっていう。専用特急の存在自体がビジネスクラス感。でもまちがえて行き帰り両方そっちに乗っちゃったっていう。
・オスロ空港@復路は、例えばシアトルが長蛇の列で3時間前到着でぎりぎりOKだったのに比べ、がらがらでチェックインもなかなか始まらないくらい。

●その他
・時差ボケは、ややつらい感じ。3夜目にクスリに頼って無理やり6時間寝たな、という感じになったけど、身体は寝てても脳みそだけ起きてて、頭の中ではずっとその日のシンポジウム司会の段取りをしてた。あんなSFチックにつらい睡眠はマジで勘弁してほしいと思った、あんなんが連夜続いたら頭おかしくなる。睡眠は大事。
・実はこの旅行中に人生初の”クレジットカード不正使用”に遭遇。どっかでスキミングか何かされた疑惑がある(駅のATMか何かが原因か)。日本に帰国してから金額制限で使えなくなってて発覚した。北欧は治安良いイメージがあるものの、実はかつて同行者がスリ被害に遭ったのも北欧なので、北欧は実は要注意と思う。
posted by egamiday3 at 11:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする