「国際ワークショップ 「日本の古地図ポータルサイト」」
http://www.arc.ritsumei.ac.jp/GISDAY/2018/workshop.html こちらで登壇させていただいたので、その発表内容をというよりは、その時に考えたこと(=発表時のマインド的地盤になったところ)をざっとまとめた感じです。
そもそも、このお話を受けた(お鉢がまわってきた)時から、しかも登壇が終わった現在に至ってもなおの疑問として、
「日本の古地図」というのはいったい何のことをさしているんだろう?というのがずっとあるわけです。
もちろん、これはまちがいなく「日本の古地図」と言えるだろうものはいくらでも挙げることができるわけですが、一方で、「日本の古地図」を一ヵ所に集めるポータルを志向する、というからには、これは集めるけどこれは集めない、というものがどっかにでてくるわけですよね、っていう。

「京大絵図」(1986年)
たとえば↑これは「日本の古地図」で異論はない。

「Iaponiae insulae descriptio」(1595年)
うちとこには↑こういう、近世のヨーロッパ人が描いた日本の地図、ていうのが洋書の貴重書として保管されています。これは「日本の古地図」なんでしょうか。入れますか、入れませんか、と。

「近畿を中心とせる名勝交通大鳥瞰図」(1926年)
↑初三郎の鳥瞰図です。大正ですが、まあこれも”古”地図だと言われるでしょう。

「群山」(1921年)
占領期の朝鮮半島その他を日本の軍や行政府がつくったような、いわゆる外邦図の類ですが、”日本”の古地図のポータルの対象なんでしょうか。ていうか外邦図の先生来てはったからたぶんそうなんでしょうが。
ということは、

「朝鮮近海海洋図」(1929-31年)
では↑これも、占領期の朝鮮半島の海洋図を日本がつくったもので外邦図のひとつになるかと思うんですが、どうでしょうか。これは韓国の大学がつくった「韓国水産資料デジタルアーカイブ」の中に納められてるものです。(このサイトでは画像閲覧できませんが、NDLのデジタルコレクションで同じものが見られます)

「沖縄国際海洋博覧会公式ガイドマップ」(1975年)
これ↑は当日プレゼンには出しませんでしたが、うちとこには1975年の沖縄海洋博会場図なんてものがあります。1975年は”古”でしょうか、っていうのと、博覧会会場図は”地図”でしょうか、というの。
会場図は地図じゃないですか? でもこれは海野一隆という偉大なる地図収集家の先生のコレクションのひとつです。

「長岡天満宮社図」(1755年)
この↑長岡天神の図も「森幸安の描いた地図」として”古地図扱い”されています。森幸安は江戸時代のこれも偉大なる地図作家でした。
でも、この海洋博や長岡天神の図は、「えっ、これを地図扱いされちゃ困るよ」という別分野の人も多そうですね。
なんでこんな重箱の隅をごにょごにょしてるかと言えば、最終、今回の登壇で言いたかったことにたどりつきます。
つまり、
「日本の古地図」を、”日本”の”古””地図”から解放せねばならんのではないか、ということ。
日本の古地図を、「日本の古地図」として認識してる人々、つまり、[日本]×[古]×[地図]という3要素の掛け算としてのカテゴリが、概念として身体の中心に備わっているような人々、そういう人たちにとってはもちろん「日本の古地図」が一ヵ所に集められたポータルはずいぶんと便利だろうとは思いますし、構築する意味も十二分にあるだろうと思うんです。
でも世の中全体から比べたら、[日本]が専門じゃない人、[古]かどうかは問わない人、[地図]を使うこともあれば使わないこともあるくらいの人、またはその3つともに関わりがない人、そういう人たちのほうが圧倒的大多数なわけですけども、じゃあそういう人たちを潜在的ユーザであると仮想して「日本の古地図」を届けるには、見つけてもらうにはどうしたらいいだろう。findabilityだけでなくdiscoverabilityをもまた上げていくにはどうしたらいいんだろう、ていうことをどうしても考えてしまうわけです。
そして、それはポータルじゃないんじゃないか、という。
ここをポータルとする、と。ここを「日本の古地図」のキャンプ地としてすべて一堂に集める、そしてその日本の古地図とは我々が「日本の古地図」と認めたものである。必要がある者は他分野研究者だろうが海外ユーザだろうが無目的ユーザであろうが、すべからくまずここを訪れるように、と。
と言って、訪れるかというと、まあ専門家愛好家でなければfindはともかくdiscoverは難しいでしょうと。
デジタル化・オンライン化・オープン化の趨勢は資料を物理的囲い込み(コレクション)から解放してくれる、とは認めるにもしろ、今度はそのデジタル化したものを名付け・カテゴライズ・ラベリングすることによって、もちろんそうしたくなる気持ちもわかるし相応に便利なことは確かだとも思うんですが、なんかそれって、
昔の物理的コレクション扱いとそない変わらへんのちゃうか、と訝しくも思うわけですね。(当日フロアの方は”webの民主化“というキーワードを出してくださいました、これがそれのことかはわかりませんが。)
逆に言えば、です。先ほど紹介した「韓国水産資料デジタルアーカイブ」収録の朝鮮半島の海洋図を、日本の古地図や外邦図を見たい知りたい使いたいと思っている人が探し当てられるかというと、まあまずあのままでは無理ですよね、と。じゃあどっちが正しいの、とも私には言えませんが、ただ、せっかくデジタル化で解放したのを「これは韓国の水産資料だ」「いや日本の外邦図だ」と綱引きし合ってるご時世じゃないだろうとは思います。
あるいはうちとこが持ってる、近世ヨーロッパで作成された日本の地図、というのはうちとこでは「所蔵地図データベース」には入っておらず、「日本関係欧文資料データベース」というところに入っています、すみません、だってうちとこではそういうふうに研究してる人がいてそういう扱いをしたいんだもの。これも、”地図”を探してる人にとっては至難の業だろうなあと。下手したら中国やインドの地図もあるのに、それ欲しい人ここまで来ないだろうと。
となるとじゃあ、それと逆方向のことが日本資料ジャパンサーチや日本古地図ポータルにも起こりうる。
そういうことを懸念するがために、「ポータルよりグーグル」だとか「”日本”の”古””地図”からの解放」だとかそもそも「日本の古地図とは何か」を思うわけです。
韓国の水産業政策を考える人、19世紀のグローバルな経済と交通システムを調べる人、近世以前の宗教施設が地図にどう描かれるかを国地域横断的に研究する人(なにその研究おもろそう)、日本にも古文献にも地図にもなんら関わりないけどもしかしたらそれによって自分の問題が解決するかもしれないししないかもしれない人。そういう人らに”も”日本の古地図が届けられるには、見つけてもらうには。ということを考える。
その時に、
@

AB
(↑ははあん、これは当日マジで投影した手描き図ですね。上から@、A、Bと思ってください。)
3要素掛け算のポータル@をつくって「ここに来い」、ではなくて、例えばもっと幅広い概念を包括するメガなポータルAがあり、 そこに日本の古地図らしきものも入っていて、それに[Japan][old][map]のようなタグがついてれば、そっちのほうが良くない?と。
もしくはでもやっぱりポータルあった方が分かりやすくはあるよね、と自分でも思わなくはないので、じゃあBキャンプ地に集められた日本古地図の[Japan][old][map]というタグを、「ここに来い」ではなくこっちからガンガン吐き出しにいくっていう、インデックス的な機能ならいいよね、と思いますね。
(で、AやBはあきらかにGoogleを意識してるように見えますしそう言いましたが、もちろん一私企業の独占寡占に心酔降伏してるわけじゃなく、今のユーザの情報行動から逆算してどうかというあれです。参照:
http://egamiday3.seesaa.net/article/440674083.html)
というような流れで、このAたるメガなポータルが何処に比定するか模索した結果、「WorldCat始めました」的な幟りを立てたのが、下記なわけです。
「日文研図書館の資料がOCLC WorldCatでも検索できるようになりました」
http://topics.nichibun.ac.jp/ja/sheet/2018/02/07/s001/index.html これだと、いろんな国地域の、いろんな分野の、いろんな目的で、いろんな媒体の資料を探してる人たちの、目にとまりやすくなったかな多少は、という感じです。ローマ字もリンクも付いたし。良かったねえ。
というわけで、これが、なぜうちとこがOCLC WorldCatに目録情報を登録することにしたのか、のおおまかな顛末です。(え、そういう話だっけ?)
posted by egamiday3 at 19:32|
日記
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