2018年03月29日

福田安典『医学書のなかの「文学」』を読んだメモ

福田安典『医学書のなかの「文学」』
医学書のなかの「文学」: 江戸の医学と文学が作り上げた世界 -
医学書のなかの「文学」: 江戸の医学と文学が作り上げた世界 -

「医学書を知らなければ鑑賞どころかまずは理解できない作品が確かに存在する」「悪ふざけ気味のもじりによって、堅苦しい医学書が一転して粋な洒落本へと転じている」「戯作でいうところの「見立て」」
「医学書をタネとすることが作者、読者にとってある種の快感があった」
「医療に従事していない人間が、単なる「読み物」として「医学書」を楽しんでいたという前提を認めなければならない」
「医学と文学という対立構造、医学書と読み物という取り合わせへの違和感などの先入観をまずは外して、近世期の作品のいくつかを読む必要性」
「『医書談義』のような作品は医学書と読み物との二つの顔を持つ作品で、その必要性を感じる人間にとってみれば実用書、必要性のない人間にとれば単なる読み物である。現代の人文系書物と自然科学系書物という対立概念を無意味化させる書物」
「生きる希望や指針を与えてくれる「読み物」は実用書、それが医学書であったにしても遊び心を刺激するのみの書物は文学書という住み分けも可能であろう」

「初期洒落本の作者・読者は知識人であって、彼ら仲間の「楽屋落ち」的諧謔味の強い…そのメンバーに都賀庭鐘のような医学に通じた人物がいた」

「『教訓衆方規矩』はその人気の医学書の形態をまねることで、人目を引こうとしている」「医学書に擬態する文学作品たち」
「かたや文学書、かたや医学書の大きな違いがあるのかもしれない。しかし、表現や知識には共通性が認められる。それはどうやら作者の共通性の問題ではなく、読者も巻き込んだ共通性」
「発売直前に医学書の扮装をした『加古川本草綱目』」「この書名は「能楽質」から新時代に迎えられそうな『加古川本草綱目』に変えられて出版された」

「□の中に適当な「漢字」をはめこめば誰でも医案を作ることが出来る…(医学天正記、武道伝来記など)他医の力量不足を挙げてから自身の功績を、「漢文」の「書付」で喧伝するという型式が一致する」

「竹斎」
「その滑稽性は医学に通じていなくても、特に曲直瀬流を知らなくても感得はできようが、曲直瀬を知っていればその読書の愉悦は倍増するであろう」
「そういった咄を、流行に敏く、又曲直瀬家に通じる道冶が、謡、狂言、既成の笑話、はやりの狂歌や書簡体、『伊勢物語』等の諸文芸を、これでもかと動員して、曲直瀬の事蹟をからめて一篇にまとめたのが古活字版『竹斎』であった。…「竹斎」を単なる庸医の笑話から、幽かな雅趣を漂わせる物語に仕立てたところに作者の筆の冴えが感じられる…これほど滑稽で気の利いた作品はなかったであろう」
「当初の御伽の医師の医学知識を盛り込んだ「語り」は、「書き物」となり、その「書いた物」は滑稽、芸能と結び付く「文学書」となった」「その後に、このヤブ医の「書いた物」は堅苦しい鎧と大義(「滑稽」と「教訓」)をまとう」

「医学書と読み物との間には実は何もなく、ただ現代の学問が作り上げた「異領域」という幻想があるだけなのかもしれない」

(コラム「医学書のある文学部研究室から--いかなる手順で医学書を繰ったか」)
(´-`).。oO(この企画がさすが、ていう)
「このコラムを読んでその気になった若きライバルたちに、本書及びその方法論そのものを思う存分に叩いていただき、この世界の魅力を大いに喧伝していただきたい」

(あとがき)
「最近になって…「古典」は単に文学だけに非ずとの風潮が生まれたようである。…その挑戦の一つが国文学研究資料館古典籍共同研究事業センターの設立である。…その共同研究の一つが「アジアの中の日本古典籍--医学・理学・農学書を中心として」…共同研究の方法論と成果、この画像のネット発信がそろい踏みすれば…これからは医学書や本草書を用いた新たな研究の潮流が予想される」

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2018年03月18日

『リポート笠間』No.63 特集「日本文学研究と越境、学際化、国際化 : 2017年の現在地」を読んだメモ

『リポート笠間』 No.63 特集「日本文学研究と越境、学際化、国際化 : 2017年の現在地」
http://kasamashoin.jp/2017/10/63112730.html

●「学際的研究ということ」(浅田徹)
・「いくら「学際的」イベントを組んでも、研究者に新しい発想が生まれなければ意味がない。刺激を求め、類例を求めてあちこち渡り歩くことが必要だ。…「学際的研究」は、自分がやることであって、他人にしてもらうことではない。」

●「英語での学会発表が気になる日本文学研究者のために」(勝又基)
・「英語での学会発表デビューにおすすめな方法は、パネルのパネリストになることである。パネルというのは米国の学会での標準的な発表形式で、2時間弱を一つのグループで発表することである。標準的な流れは、オーガナイザーが趣旨の説明をし、パネリスト四人程度が口頭発表を行い、ディスカッサントが発表者に代表質問を行い、さらに会場と質疑応答を交わす、というもの。」
・おすすめ学会: ASCJ(日本アジア研究学会)、AAS(米国アジア学会)、AAS・in・Asia、AJLS(アメリカ日本文学会、北米の大学が持ち回りで、通例十月末?十一月初旬に開催)、EAJS(ヨーロッパ日本研究協会、書物への関心が米国に比べてヨーロッパでは高い)
・できれば英語原稿は自力で。「日本語とちがってゴマカシが聞かない。英会話の先生に論理の飛躍をズバリと突かれることもある」
・Youtube「Harvard Horizons」。ハーバード大の大学院生が話し方やパワーポイントの作り方を指導されたうえでプレゼンする。
・「The Journal of Asian Studies」の書評「Book Reviews」。「手頃な長さで、海外における日本学の研究動向も学べる」

●「相互理解のための日本文学研究―日本文学研究の国際化の方角」(小松(小川)靖彦)
・コソベル・プロジェクトについて。(☆もうちょっと知りたい)
・日本文学研究の国際化が「日本文学の特質(特殊性)の解明≠ノ止まるならば、日本文学研究の「国際化」は、世界的にはローカルなものに止まるであろう。ロンドンでの在外研究期間中に、日本と海外の研究者による日本文学の学会開催や共同研究などがあったが、その成果がロンドンに伝わることはなかった

●「これからの学問と科研費―科研費審査システム改革2018・再論」(藤巻和宏)
・「「学際」「越境」等を標榜し、より広い視野で研究することがよしとされる傾向は以前からあり…一方で、研究者は一分野の専門家として養成され、確固たる専門性が求められる。とはいえ、その「専門」とは…無理やり近代的な枠組みで整理…次はその枠組みを解体しましょうとばかりに学際性を謳う…不器用で試行錯誤の繰り返しに見える営為」
・「防衛省による安全保障技術研究推進制度」「この制度は理工学や情報学のみならず、いずれ人文社会系の学問へも範囲を広げてくるだろう」「これからの我々の行動、言論、思想、そして研究の積み重ねが、学問の将来を大きく左右させる」

●「井の中の蛙、大海を覗く―中国人民大学の窓から」(小峯和明)
・(中国の日本文学研究)「業績はあくまで中国内部に回収されるもので、日本語で書いて日本で刊行されたものは評価の対象にならない…日本語で論文を書くことに鍛錬されたのに、それがかえって母国では活かされない」
・「日本文学の学術刊行物で国際的に評価される媒体がほとんどない…今までいかに学界が内向きでやって来たか」
・「中国では英語教育が徹底していて、日本古典を専攻しても、実際は日本語よりも英語の方が得意だという院生もいた」
・「柔道は今や国際スポーツと化して、日本のルールはすでにローカルとなってしまった。日本文学・文化研究もいずれはそうなるのではないか。というより、もともとローカルだったのが、国際化の進展によってローカルであることがより顕在化」
・「海外の研究者の業績が外国語で公刊されても、日本ではその著者と関わりのある特定の人間しか知らない…それまでの研究水準をはるかに上回る重要な研究であるが、邦訳がないため日本では充分対象化されていない。知らない間に海外の日本学が進展し、日本で日本語だけで研究している学界が置き去りにされる事態が進みつつある」「最先端の研究を掌握し得ていない研究の末路は火を見るより明らかだ」
・『日本文学研究の展望を拓く』全五巻(東アジアの文学圏、絵画・イメージの回廊、宗教文芸の言説と環境、文学史の時空、資料学の現在)

●「ハイブリッドな「日本文学を読む場」へ向けて」(河野至恩)
・「国・地域を越えて移動しながら学ぶ学生が増えている…ヨーロッパ域内で移動しながら学ぶ学生、東アジア出身の学生が北米やヨーロッパなどで学んだ後に日本に来るなど…アメリカで研究者としてのトレーニングを積んだ者が、こうしてアジアの研究ネットワークに関わること」
・「日本(語)で書かれた文学作品が、世界各地の様々な場所で、日本語のみならず様々な言語の翻訳で読まれるとき、読者がそこにどのような価値を見いだすか、という問題…幅広い関心から日本文学を「世界文学」として読む読者がいる。それらの様々な読者に、テクストを届け、テクストを解釈する材料を届けること」
・「日本国内の研究者も、欧米の人文学でどのような議論が展開されているか、そこに日本文学のテクストがどのように接続できるのかをよく考え、自らの研究のなかでその接続を行っていくことが重要」
・「実は、このようなハイブリッドな場は、多くの場合、既に海外の日本研究の拠点で実現されていると思う。私個人の経験からしても、様々な研究の関心と様々な能力・適性・知識を持つ人々が集まり、そのなかから異分野間に思わぬ関係が生まれて、創造的なものが生まれうる環境が生まれているケースをよく見る」

●「人文学としての日本研究をめぐる断想」(将基面貴巳)
・「人文学一般に広く見受けられる問題的状況のひとつは、このような「学問のプライベート化」(privatization)」
・「一企業も国内・国際社会の一部であるかぎり、その企業活動は、ただ単に営利を最大化するにとどまらず、その企業が生み出す製品やサービスを通じて、国内外の社会・文化生活に望ましい貢献をし、その営利活動の結果生み出された富も、関連財団の活動や公的施設への寄付などのかたちで、社会に還元されることが期待されるはずである。それと同様に、学問も、学問的な真理の探究と、そうした活動を主に支える大学の活動を通じて、国内外の社会に対して、学問が果たしうる固有の仕方で貢献すること(経済的貢献だけではない!)が期待されるはず」
・「真理の探究という学問的精神の根幹こそは、市民社会における良心、批判精神の担い手としての役割を大学に負わせるもの」
・「歴史研究は、現代との対話を通じて、なんらかの意味において知る価値のある史実を提示する責務を担っている。しかし、それは、現代における諸問題に直接的に解決策を示すためではなく、むしろ過去に成功した解決策に頼ることの知的怠惰を戒め、自分の頭で考えて現代固有の課題と対決することを教えるもの」
・「専門外の読者にとって、現代という文脈において自分の研究がいかなる意義を持ちうるか、について考えをめぐらしつつ研究をすすめる必要がある」
・「大学院生としての学問的トレーニングが共同研究チームの末端を担うだけに終始するなら、卒業時に学位こそ得ることはできても、そもそも自分が、自分の生きる時代との関わりにおいて、その研究を行う根本動機と意図とは何なのかを自問し、沈思黙考する機会はほとんどないままで学生時代を終えることを意味する」

posted by egamiday3 at 22:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月17日

2018年1-3月期のドラマ感想(たぶん追記予定)

 2018年1-3月期に見たドラマについて、まだ終わってないのも多いんだけど、昨日の『アンナチュラル』の最終回を見たら、あ、これ今期ひと区切りついたな、と思ったので、感想のまとめ。

●『アンナチュラル』

 見始めは、1話ごとに謎解き解決の法医学ものだから「そりゃおもろいに決まってるだろう」なやつその1、くらいにしか思っておらず、あとは、地味でチャラチャラしてないちゃんとした石原さとみが見れていいな、くらいの感想だったんだけど、見てるうちに、あれ、これだいぶおもろいな、と思い始めて、それでも何がだいぶおもろいのか自分でも分かっておらず当初の「そりゃおもろいに決まってるだろうなやつ」バイアスが長いこと邪魔してたんだけど、このブログ記事(「ドラマ『アンナチュラル』の脚本があまりにも巧妙すぎて驚きが止まらない」 http://www.jigowatt121.com/entry/2018/03/03/134945)を読んで、ああ、自分で言語化できなかったことを代わりに言って分からせてくださる人がいた、ってなって胸がスッとしたので、有能な”解説者””批評家”というのはあらまほしきことだなあとしみじみと思いました。
 この『アンナチュラル』と『99.9%』は、社会派か人情派か謎解き派かコメディ派かのキャラ分けを越えて、なんというか”怒り”を上手に描いてくれてるな、っていう感じがしたなと。(人によっては、泣ける、哀しみ、を感じるところ)
 あと、もう40分過ぎて残り時間少ないのに、これ今回で解決するの?2話連続パターンか?と思ってたら、しっかりバスっと終わる、っていうのがたびたびあってすげえなって思った。最終回も、終わんないじゃないかと思ってた。謎解きがしっかりしてるのに謎解きに固執していないところが、バスッとさなのかな。
 あと、毎回大小さまざまな”裏切り”が何回も起こるのが、もぉっ、てなる。
 あと、CiNiiらしきものとオープンデータの活用。

●『99.9%』II

 1話ごとに謎解き解決の法廷ものだから「そりゃおもろいに決まってるだろう」なやつその2。これも、”怒り”を上手に描いてくれてるなと。
 あと、1-2話の夏感。
 佐田家。

●『隣の家族は青く見える』

 他人が同居してる家族感が好きなので見てたやつ。
 こちらは”怒り”ではなく”わかりあい”を上手に描いてくれてるなという感じ。みんな違ってみんないい、けど、一緒に住んでる、ていう。という意味では、実は水泳教室のチーフ?の熱弁が何気に一番印象に残ってる感じ。
 あと、やっぱり日本のドラマには高畑淳子が必要なんだよ、ていう。

●『海月姫』

 瀬戸康史の美形さばかりが周囲では取り沙汰されてましたが、いや、あれは「天水館メンバーの演技合戦」が一番の見どころだろう、と思って、他人が同居してる家族感が好きなので見てたやつ。
 あと、リアル建築保存案件。
 あと、さすが日本のドラマに江口のりこがいてくれて良かった、ていう。

●『anone』

 さすがの脚本。濃い。固い。痛い。あたたかい。しんどい。物理的にしんどい。さすがのとんでもない脚本。
 1話目見ただけでは、これが何のドラマなのかさっぱりわからないうちに、終わって、でもおもろかったという感想が出る、とんでもなさ。
 展開のはやさと振り回しっぷりが、前半は「1-2話見逃すと筋が追えなくなる」レベルだったのが、後半はもはや「毎話見てても、2-3話見逃したくらいでも、あまり変わらないんじゃないか」くらいのレベルだった。
 地味でチャラチャラしてないちゃんとした広瀬すずの人も見れた。
 あと、さすが日本のドラマに江口のりこがいてくれて良かった、ていう。あの人が出ると、話をどっちにも持って行けるのがすごい。
 これも、他人が同居してる家族感が好き。

●『BG』

 キムタクさんのドラマというだけでどうしてもハードルを上げて見てしまうけど、冷静に思い返すと実は毎回ちゃんとおもろかったんじゃないか、という気もする。
 徹底しておっさん扱いされるという意味で新鮮なキムタクさん。
 あと、キムタクさんのドラマは脇が豪華になるの法則がちゃんと出てて、そこ。木村拓哉と山口智子の口げんかin2018とか、どんなご褒美だと。 

●『トドメの接吻』

 時間ものはできるだけ見るようにしてるという理由だけで、最初どうしようもなくチャラくてウザい話でしかなかったのを、ただただ時間ものとして見るためだけにひたすら我慢して見てたら、後半になってすぅっとおもしろくなり始めたので、あれっと思い、最低画質録画ででも我慢して見てて良かったな、という感じ。『リピート』が最初良さげに見えてて結果最後までほぼ何も起こらないに等しかったのと対照的というか。たぶん後半になって「誰が何のためにリピートするのか」が描かれるようになった、からかしら。話自体は特にどうということはなく、これが時間ものでなかったら『もみ消して冬』のように何をどう見たらいいのかわからなくて早々に切ってたことでしょう。

●『また来てマチ子の恋はもうたくさんよ』

 ちょっとおもろい→だんだん狂い出す→ひたすら狂う→待てもうちょっと分かるようにしてくれ、で終わり。
 さすがの脚本としか言いようがない。

●『わろてんか』

 後半になって、創作論・演技論・メディア論・昭和芸能史、みたいな話になり始めてから毎話見るようになった感じ。広瀬アリスの人が上手いなという脇で、松尾諭の人の「しゃべりの下手な奴」という演技が、絶妙に”しゃべりが下手”で、すげえなって思った。


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2018年03月15日

佐々木孝浩「MOOC(ムーク)コース制作体験記―日本の書物文化を世界に発信して」を読んだメモ


笠間書院 kasamashoin ONLINE:佐々木孝浩「MOOC(ムーク)コース制作体験記―日本の書物文化を世界に発信して」【特集2・デジタル化で未来をどう創るか】●リポート笠間62号より公開
http://kasamashoin.jp/2017/05/mooc262.html

・海外日本研究と資料について
「欧米の図書館や美術館などにも相当数の日本古典籍が所蔵されており、それらの管理担当者やその周辺の人々に、日本古典籍についてもっと詳しく知りたいとの欲求があることを感じていた」
「日本古典研究も英語を無視しては行えない時代になった」

・コンテンツ作成の可能性と工夫について
「慶應義塾図書館と私の所属する附属研究所斯道文庫の蔵する日本古典籍を活用すれば、かなり特殊な内容であっても世界向けのプログラムとして成立する」
「装訂の種類の紹介と、形態と内容の相関関係、また絵入り本の歴史などの内容とした。これのみだと大雑把なものになるのを、近世を専門とする一戸氏が、日本の出版史をも踏まえつつ、江戸期の書物文化の有り様を具体的な事例で説明」
「ビデオも単調にならないように、書庫に移動したり、対談形式を加えたり」
「期間を決めて開講しているのは、受講者に一体感を持たせ、ディスカッションを活発にするため」
「受講者同士で教え合ったり議論することも頻繁で、関連のある動画やウェブサイトのアドレスが紹介されることも多く、こちらが学ばせてもらうこともしばしば」

・コンテンツ作成の実際について
「MOOCのコース制作は、様々な意味で体力勝負のような面がある」「制作を担当しうる部署と人材が存在しなければ、内容を担当する人間だけではとても完成しない」(プロのカメラマン、権利関係専門家、翻訳者)「メンバーが約一年を掛けて、会議と試行錯誤を繰り返しながら、手探りでコースを制作」

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2018年03月13日

『大英博物館「春画展」報告』(第284回日文研フォーラム)を読んだメモ

『大英博物館「春画展」報告』
アンドリュー・ガーストル, 矢野明子, 石上阿希
第284回日文研フォーラム(2014年12月12日開催)

 オープンアクセス版はこちら。
 http://id.nii.ac.jp/1368/00006864/

・近世の春画は、当時の夫唱婦随の女性像に対抗した、男女平等・仲睦まじい夫婦像を理想として描く、”庶民の対抗言説”のひとつ。
・異性間だけでなく同性間の関係も同様に描くリベラルな態度。

・詞書きの存在。男性目線のそれとはまた別の、文芸・笑いの世界。大英博物館の展示ではそれを一点一点解説した。(かつてはゴンクールも絵しか見ておらず、詞書きの解説をできる人がいなかった)この詞書き(歴史・文化環境)込みでの春画の海外紹介ができた大英博物館展は、”第二のジャポニズム”になるのではないか。
・大英博物館「春画展」へのイギリス報道の反応。開催前、高級紙は開催趣旨をよく理解して報道してくれた。一方で大衆紙の開催前報道はセンセーショナル、日本特有の異文化としての性表現、西洋価値観からの比較など。→開催後、「日本特有論」から「人間の芸術」としての評価の変化。

・大英博物館では、春画を「春画だけの部屋」制度にしなかったことによって、浮世絵全体の文脈の中で地続きに春画を配置することができるようになった。菱川師宣の風俗絵本の横に春画、美人画からの勝川春潮の春画、など。
・25年前、かつて春画が売り買いや存在そのものすら忌避されていた頃、研究や出版をやりたくても、その春画の全体像というものがつかめていなかった。どこか公の場所で春画のコレクションを築けないか。→日文研での春画収集の始まり。
・かつて近世文化史・社会史の研究から、春画資料が意図的に使用を避けられていた。文化遺産を取捨選択して後世に伝えるというのは危険なこと。
・日本で春画展が開かれないという問題について。木下直之・東京大学教授「春画とは何か、この問いかけが一番求められる場所は日本/日本がこれを見ることは難しい/出版物が許されて、本物に接する機会が閉ざされたまま」(東京新聞20131105)
・文化資源学会の春画展示研究会が2013年5月からスタート。
 -実物を目にすること、本物の春画に接することの重要性。
 -公的な収集・保管、そしてその公開によって、公共財産=文化資源となる。
 -春画を「公開すること」が社会でどのように受け止められたかを検証する。
・なぜ公開できないかの博物館側の見解のひとつが、「年令制限・教育的配慮をしなければならない催し自体が、小中学生にも積極的に来てもらうという館の方針に反する」。(´-`).。oO(ひねりだしたな・・・)

・大英博物館等の展覧会、公開とその話題によって、各地の古い蔵など世に眠っていた新しいかつある文化財が出てくるのではないか。それも展覧会の意味のひとつ。

posted by egamiday3 at 12:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月11日

「資料発掘と利活用 : アーカイブサミット2017in京都へのリプライ」の司会側メモ

 デジタルアーカイブ学会第2回研究大会にて、「資料発掘と利活用 : アーカイブサミット2017in京都へのリプライ」というお題の短い企画パネルがおこなわれ、その司会をしてきましたので、その若干のメモです。

 デジタルアーカイブ学会第2回研究大会@東京大学(2018.3.9-10)
 http://digitalarchivejapan.org/kenkyutaikai/2nd_program

 アーカイブサミット2017京都については、がっつりたっぷりの下記の記録群をご参照ください。
 http://archivesj.net/summit2017archive/

 今回の企画パネルでは、↑このアーカイブサミット2017京都で何が話しあわれたかをまずざっくりレビューする、そのあとでいくつかの論点についてフロア全体でディスカッションする、というわけで、つまりは”アンサーパネル”であり、ていうかまだその話するかという”焼き直し”でありながら、出汁をとり尽くしてかっすかすになった昆布と鰹節を醤油と山椒で煮詰めたらいい飯の友になった、みたいな感じのやつです。
 なお、このメモは司会目線の主に進行等に関することに触れており、いつもながら司会しながら内容のことも追うなんて器用なことできてやしませんので、議論の内容については下記の、有能な記録者2名によるツイートまとめをご参照ください(助かりました、ありがとうm(_ _)m)。

 「資料発掘と利活用:アーカイブサミット2017in京都へのリプライ」@デジタルアーカイブ研究大会(20180310) - Togetter
 https://togetter.com/li/1207275

・時間は75分。パネルと言いつつ実態は、司会1名とメインコメンテーター1名。あとはフロアに積極的にふっていくという形で議論の場をつくっていこう、たぶんサミット参加者や各分野キーパーソンが来てるだろうから、というのが全体の目論見。
・当日実際のタイムラインはこんな感じ。
 (前半:レビュー)
 -サミット全体のレビューを時系列に沿って、おおまかに。
 -各セッション・シンポについて、フロアにいたサミット参加者にコメントしてもらう。
 (後半:ディスカッション)
 -これから議論する論点をいくつかピックアップする。
 -論点について、フロアへの使命や挙手で議論。
・正直、想定していたよりもフロア来場者が少なかったため、これフロアが暖まるのにちょっと時間かかりそうだな、という感じだったので、フロア暖め目的半分と時間稼ぎ半分とで、「各セッション・シンポについてのレビュー」を丁寧めにする方向に途中から切り替えた感じ。幸いなことに、フロアを見渡すと当日各セッション・各シンポのキーパーソンがわりと揃っていらっしゃったし、しかも話し上手の方揃いだったので、後半ディスカッションの地固めをしていただけた感じになったかなと。
・という意味では、前半でフロアのあちこちにいる方々に長めではあってもコメントしてもらえたことが、結果として、論点のわかりやすさと、視点の多様さと、フロアからもこんなにしゃべっていいんだ(しゃべらされるんだ)的空気の醸成とにつながった、という感じだと思います。後半ディスカッションがやっぱり結果的に時間足りなめにはなりましたが、前半の粘りがなかったら後半に時間足りなめと思えるくらいのコメント多出は難しかったろう、と。
・とはいえ、司会からの根回しも前触れもない無茶ぶりを、それでも受け止めてしゃべってくださったフロアのみなさんに、心より感謝(とお詫び)申し上げます。
・そう、ここまで来てお気づきの通り、この企画パネルはフロアのみなさんからのコメントで成り立っています。それはちょうど、この番組はみなさんからのお便りで成り立っていますというラジオ番組のように。壇上にパネラーが上がってないわけです、パネラーはフロアにいらっしゃるみなさん全員ですから。よく「会場全体で議論を」とは言いつつもまあまあメインの話者がメインでしゃべってプラスアルファでフロア、くらいの感じじゃないですか。違います、もうマジでフロアにおんぶにだっこです。
・配付資料は、「サミット当日配布のプログラム(大枠を示す)」「セッション6つのグラフィックレコード全て(論点とキーワードを視覚で示す)」「カレントアウェアネスの報告記事(企画意図・姿勢を示す)」の3種類。どれも、サミット参加者には記憶を呼び覚ましてもらい、非参加者には理解の補助としてもらうためのものとなったと思うのですが、3点目のカレントアウェアネス報告記事については、その場でじっくり文章を読むなんてことをする人はまあそうそういないと思うので、口頭で少し丁寧めに語っておいてもよかったかなと。
・論点整理としてピックアップされたのは6つ。
・正直、司会の自分が論点を言う係だとは思ってなかったので何も考えてなかったのですが、計画当初に用意していた論点をとっさにひっぱり出してきて、前半レビューに出てきたキーワードでアレンジして、保険として多めに4つ(@資料発掘、A利活用と民主化、Bジャパンサーチ、C人材と社会還元)。
・思いつきでなんとなくフロアに「論点ありませんか」と問うと、2つも出たので、この瞬間に、あ、このパネル、少なくとも失敗にはならずに済んだな、とホッとしましたよね。
・出してもらえたからにはと、D現在資料を先にディスカッション始めたところ、最初は司会や壇上から関係論者をまたも指名(無茶ぶり)する感じで、それもさぐりさぐりのスロースタートではあったのですが、一ツ橋のCiNii先生が手を挙げてこちらに合図を送ってくれはった辺りから、潮の流れが変わり始め、あと堰を切ったように我も我もと挙手発言が続くようになり、この時点で、6つあった論点のうち4つは切り捨てる決断で、流れに任せてしゃべりたい人に全部しゃべってもらう方針にシフトした、ていう感じ。そうでしょう、ほんとはみなさん、しゃべりたかったんでしょう?と壇上から見てましたよね。これが、「D現在資料ディスカッションのここがスゴかった!」その1。
・「D現在資料ディスカッションのここがスゴかった!」その2。現在資料のアーカイブという切り口で、公文書の話をするべき人が公文書の話をし、アニメマンガの話をするべき人がアニメマンガの話をし、レコードマネジメントの、オープンサイエンスの、情報技術の、それぞれの話をするべき人がするという具合で、え、なんですか、ここっていつの間にインターディシプリナリーのパラダイスになったんですか(注:たぶん元からこの学会がそう)、と、司会が壇上で一人勝手に幸せな気持ちになってる、という状態でしたよね。
「D現在資料ディスカッションのここがスゴかった!」その3。現在資料というテーマであったものの、事実上@資料発掘の話であり、C人材の話も確か出てたので、まあ安心して、他のトピックをカットすることができましたよねっていう。このあたり、ディスカッションにあたっての論点の出し方に考慮が必要だったんだろうな、と思いました。論点というのは、個々に粒立っているようなものではなく、ワンプレート上で絡まり合ってるものなんだ、と念頭に置く必要があるなと。
・以上のスゴかった!論点Dを提言してくださった日下さんには、マジ感謝です。
・最後をBジャパンサーチでしめたのは、個人的関心です、すみません。それも早稲田の事例とともに、A利活用と自己決定につながってよかったです。
・ただ惜しむらくは、もうひとつの個人的関心であるEグローバリゼーション・インターカルチュラリズムへのデジタルアーカイブの役割、みたいな感じの問題提起です。吉見先生からの発言でした。吉見先生が途中でお帰りになったので聞けなかったのですが、個人的には↓こういうことを聞いてみたかったです。
 それはメディアとしてインターネットが想定されると思うんだけど、いまのようなインターネットの有り様のままでそれが果たして実現できるのかどうか、っていう。
・以上です。ていうか、以上のように書くと、なんか結果としてうまいこと流れていったように見えるものの、実際にはかなりの綱渡りで、準備不足が祟りかねなかったなというところを、祟りを鎮めていただけたのはこれすべてフロアのみなさんの、無茶ぶりを無茶ぶりとも思わない大海のような広い御心のおかげであり、やはりあらためて感謝申し上げるところでございます。あたしも今後どっかで何か聞きに行くときは、いつ当てられてもいいように覚悟しておくことにします。

 なおなお、このアンサーパネルでもグラフィックレコードを作成していただいていました。
 とりあえず簡単な写真ですが、載せておきます。
 かなり拡散した(注:意図的に拡散させた)議論を忍耐強くレコーディングしてくださり、ありがとうございました。
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 これで「アーカイブサミット2017京都」関係のイベントは、やっとのことですべて終了。と、思ってますが。どうかな。

posted by egamiday3 at 10:48| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月06日

2018年2月のまとめ

●総評:
 業務過多に次ぐ業務過多、年度末は2月が本丸説を立証。

●まとめ
・定例会@スプリングバレーで飲み比べ宴
・「何で次の日平日なのにお酒飲むんですか」って怒られる。
・WorldCatへの船出と、次々に飛び込む所蔵無し依頼。
・吉田神社節分
・おのれの恵方はおのれで決める。
・「サブジェクト・ライブラリアン」
・「日本語という外国語」
・ふんわりと業務ブログに移行?
・「シンカリオン」
・「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
・「Beatless」
・ふすまを開けたら気が晴れた宴
・一軒家じゃなくなった「なごみ」宴
・バンガロー
・山椒W-IPA(箕面ビール)
・DUALIS・OG&OB会ランチと、対4歳児会話リテラシー
・期日前チョコ
・Windows機が死亡
・「続・時をかける少女」
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・デジタルアーカイブって何なんですかねマジで。
・ていうか、日本の古地図って何なんですかねマジで。
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・「JAL短信棚卸し」→一応全部見たけどまとめはこれから。
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●3月の月テーマは
・「読み→書きサイクル簡素化の確立」
・「ドイツに着手開始」
・「いま忙しいから、忙しくなくなった後のことの準備をいまのうちにしとく」(持ち越し)
 、の3本です。

 なお裏テーマは「がんばらない、休養第一」。


posted by egamiday3 at 22:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「日本の古地図」を”日本”の”古””地図”から解放する、ということについて考えたメモ


 「国際ワークショップ 「日本の古地図ポータルサイト」」
 http://www.arc.ritsumei.ac.jp/GISDAY/2018/workshop.html

 こちらで登壇させていただいたので、その発表内容をというよりは、その時に考えたこと(=発表時のマインド的地盤になったところ)をざっとまとめた感じです。

 そもそも、このお話を受けた(お鉢がまわってきた)時から、しかも登壇が終わった現在に至ってもなおの疑問として、「日本の古地図」というのはいったい何のことをさしているんだろう?というのがずっとあるわけです。
 もちろん、これはまちがいなく「日本の古地図」と言えるだろうものはいくらでも挙げることができるわけですが、一方で、「日本の古地図」を一ヵ所に集めるポータルを志向する、というからには、これは集めるけどこれは集めない、というものがどっかにでてくるわけですよね、っていう。

京大絵図.jpg
 「京大絵図」(1986年)

 たとえば↑これは「日本の古地図」で異論はない。

Iaponiae insulae descriptio.png
 「Iaponiae insulae descriptio」(1595年)

 うちとこには↑こういう、近世のヨーロッパ人が描いた日本の地図、ていうのが洋書の貴重書として保管されています。これは「日本の古地図」なんでしょうか。入れますか、入れませんか、と。

近畿を中心とせる名勝交通大鳥瞰図.jpg
 「近畿を中心とせる名勝交通大鳥瞰図」(1926年)

 ↑初三郎の鳥瞰図です。大正ですが、まあこれも”古”地図だと言われるでしょう。

群山.jpg
 「群山」(1921年)

 占領期の朝鮮半島その他を日本の軍や行政府がつくったような、いわゆる外邦図の類ですが、”日本”の古地図のポータルの対象なんでしょうか。ていうか外邦図の先生来てはったからたぶんそうなんでしょうが。
 ということは、

韓国水産資料デジタルアーカイブ.png 「朝鮮近海海洋図」(1929-31年)

 では↑これも、占領期の朝鮮半島の海洋図を日本がつくったもので外邦図のひとつになるかと思うんですが、どうでしょうか。これは韓国の大学がつくった「韓国水産資料デジタルアーカイブ」の中に納められてるものです。(このサイトでは画像閲覧できませんが、NDLのデジタルコレクションで同じものが見られます)

沖縄国際海洋博覧会公式ガイドマップ.JPG
 「沖縄国際海洋博覧会公式ガイドマップ」(1975年)

 これ↑は当日プレゼンには出しませんでしたが、うちとこには1975年の沖縄海洋博会場図なんてものがあります。1975年は”古”でしょうか、っていうのと、博覧会会場図は”地図”でしょうか、というの。
 会場図は地図じゃないですか? でもこれは海野一隆という偉大なる地図収集家の先生のコレクションのひとつです。

長岡天満宮社図.png
 「長岡天満宮社図」(1755年)

 この↑長岡天神の図も「森幸安の描いた地図」として”古地図扱い”されています。森幸安は江戸時代のこれも偉大なる地図作家でした。
 でも、この海洋博や長岡天神の図は、「えっ、これを地図扱いされちゃ困るよ」という別分野の人も多そうですね。

 なんでこんな重箱の隅をごにょごにょしてるかと言えば、最終、今回の登壇で言いたかったことにたどりつきます。

 つまり、「日本の古地図」を、”日本”の”古””地図”から解放せねばならんのではないか、ということ。

 日本の古地図を、「日本の古地図」として認識してる人々、つまり、[日本]×[古]×[地図]という3要素の掛け算としてのカテゴリが、概念として身体の中心に備わっているような人々、そういう人たちにとってはもちろん「日本の古地図」が一ヵ所に集められたポータルはずいぶんと便利だろうとは思いますし、構築する意味も十二分にあるだろうと思うんです。
 でも世の中全体から比べたら、[日本]が専門じゃない人、[古]かどうかは問わない人、[地図]を使うこともあれば使わないこともあるくらいの人、またはその3つともに関わりがない人、そういう人たちのほうが圧倒的大多数なわけですけども、じゃあそういう人たちを潜在的ユーザであると仮想して「日本の古地図」を届けるには、見つけてもらうにはどうしたらいいだろう。findabilityだけでなくdiscoverabilityをもまた上げていくにはどうしたらいいんだろう、ていうことをどうしても考えてしまうわけです。

 そして、それはポータルじゃないんじゃないか、という。
 ここをポータルとする、と。ここを「日本の古地図」のキャンプ地としてすべて一堂に集める、そしてその日本の古地図とは我々が「日本の古地図」と認めたものである。必要がある者は他分野研究者だろうが海外ユーザだろうが無目的ユーザであろうが、すべからくまずここを訪れるように、と。
 と言って、訪れるかというと、まあ専門家愛好家でなければfindはともかくdiscoverは難しいでしょうと。

 デジタル化・オンライン化・オープン化の趨勢は資料を物理的囲い込み(コレクション)から解放してくれる、とは認めるにもしろ、今度はそのデジタル化したものを名付け・カテゴライズ・ラベリングすることによって、もちろんそうしたくなる気持ちもわかるし相応に便利なことは確かだとも思うんですが、なんかそれって、昔の物理的コレクション扱いとそない変わらへんのちゃうか、と訝しくも思うわけですね。(当日フロアの方は”webの民主化“というキーワードを出してくださいました、これがそれのことかはわかりませんが。)

 逆に言えば、です。先ほど紹介した「韓国水産資料デジタルアーカイブ」収録の朝鮮半島の海洋図を、日本の古地図や外邦図を見たい知りたい使いたいと思っている人が探し当てられるかというと、まあまずあのままでは無理ですよね、と。じゃあどっちが正しいの、とも私には言えませんが、ただ、せっかくデジタル化で解放したのを「これは韓国の水産資料だ」「いや日本の外邦図だ」と綱引きし合ってるご時世じゃないだろうとは思います。
 あるいはうちとこが持ってる、近世ヨーロッパで作成された日本の地図、というのはうちとこでは「所蔵地図データベース」には入っておらず、「日本関係欧文資料データベース」というところに入っています、すみません、だってうちとこではそういうふうに研究してる人がいてそういう扱いをしたいんだもの。これも、”地図”を探してる人にとっては至難の業だろうなあと。下手したら中国やインドの地図もあるのに、それ欲しい人ここまで来ないだろうと。

 となるとじゃあ、それと逆方向のことが日本資料ジャパンサーチや日本古地図ポータルにも起こりうる。
 そういうことを懸念するがために、「ポータルよりグーグル」だとか「”日本”の”古””地図”からの解放」だとかそもそも「日本の古地図とは何か」を思うわけです。

 韓国の水産業政策を考える人、19世紀のグローバルな経済と交通システムを調べる人、近世以前の宗教施設が地図にどう描かれるかを国地域横断的に研究する人(なにその研究おもろそう)、日本にも古文献にも地図にもなんら関わりないけどもしかしたらそれによって自分の問題が解決するかもしれないししないかもしれない人。そういう人らに”も”日本の古地図が届けられるには、見つけてもらうには。ということを考える。

 その時に、

@
2018-03-06_19h28_35.png
AB
2018-03-06_19h29_43.png
 
 (↑ははあん、これは当日マジで投影した手描き図ですね。上から@、A、Bと思ってください。)

 3要素掛け算のポータル@をつくって「ここに来い」、ではなくて、例えばもっと幅広い概念を包括するメガなポータルAがあり、 そこに日本の古地図らしきものも入っていて、それに[Japan][old][map]のようなタグがついてれば、そっちのほうが良くない?と。
 もしくはでもやっぱりポータルあった方が分かりやすくはあるよね、と自分でも思わなくはないので、じゃあBキャンプ地に集められた日本古地図の[Japan][old][map]というタグを、「ここに来い」ではなくこっちからガンガン吐き出しにいくっていう、インデックス的な機能ならいいよね、と思いますね。
(で、AやBはあきらかにGoogleを意識してるように見えますしそう言いましたが、もちろん一私企業の独占寡占に心酔降伏してるわけじゃなく、今のユーザの情報行動から逆算してどうかというあれです。参照:http://egamiday3.seesaa.net/article/440674083.html

 というような流れで、このAたるメガなポータルが何処に比定するか模索した結果、「WorldCat始めました」的な幟りを立てたのが、下記なわけです。

 「日文研図書館の資料がOCLC WorldCatでも検索できるようになりました」
 http://topics.nichibun.ac.jp/ja/sheet/2018/02/07/s001/index.html

 これだと、いろんな国地域の、いろんな分野の、いろんな目的で、いろんな媒体の資料を探してる人たちの、目にとまりやすくなったかな多少は、という感じです。ローマ字もリンクも付いたし。良かったねえ。

 というわけで、これが、なぜうちとこがOCLC WorldCatに目録情報を登録することにしたのか、のおおまかな顛末です。(え、そういう話だっけ?)

posted by egamiday3 at 19:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする