2018年08月13日

(メモ)『未来の社会学』を読んだメモ


未来の社会学 (河出ブックス)
未来の社会学 (河出ブックス)

 おおむね読み飛ばしてたけど、「カーゴ・カルトの神話」のとこだけグッと来た。
 19C後〜20C半のメラネシアで、ヨーロッパ人が本国から船で運ばれた豊富な物資を受けとるのを、現地住民が”特に生産労働していないやつらが簡単に手に入れている”と見て、自分たちのところにも世界の終末に救世主がやってきて、そういう豊富な物資をもたらしてくれるにちがいないから、と言って、到着することなどない荷物のための倉庫を建設したり、あるいは労働を放棄したり、というの。

 そして、それがなんだかんだ言って、じゃあ先進国のやってる「万国博覧会」も結局違わないんじゃないの、的な。あるいは「未来都市想像図」的な。
 しかも上海とかドバイとか、だいぶその未来都市に到達してるし、っていう現実。
 その一方で、逆に、そんな「未来想像図」のようなものすら夢想できなくなったのが、いまの日本で言うところの「失われた○○年」なんだな、と。
 乱暴に、そういう理解。

 そりゃ、地方消失とか撤退社会とかいう流れも現実問題としてはわかるんだけど、あたしらの世代だったらそういう「未来想像図」とか「科学万博」みたいに”未来を想像する”時代を多少なりとも一回ちゃんと通過した記憶があるから、じゃあこれからのネガティブな流れも甘んじて受けてもしゃあないかなというあれはあるかもしんないけど、もっとのちの世代の”失われた”という形容詞の時代しか通過してない人らにも「それが現実だから受け止めなさい」っていうのズルくないかな、って思うから、ネガティブな現実の流れと併行して、併走して、ポジティブな流れをつくるのを夢想したりそれにもとづいて活動したりっていうのだって、みんなでちゃんとやってかなきゃいけないんじゃないかなあ、って思うんだけど。

 地に足のついた、倉庫建設を。

posted by egamiday3 at 18:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

(メモ)『メディアの中の読者』を読んだメモ

メディアの中の読者―読書論の現在 (未発選書)
メディアの中の読者―読書論の現在 (未発選書)

 ざっと読んだ。
 『読書の歴史を問う 書物と読者の近代』(笠間書院)の原点なんだなと思いながら読んだ。

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代
読書の歴史を問う: 書物と読者の近代

 以下、メモ。

・第4章「読書と地域リテラシー」をちゃんと読んだ。ここはまた読み返すと良い>将来の自分。
・一番ブックマークしたかったところ→https://twitter.com/egamiday/status/1027479142067986432
「信濃海外協会にこそ責任があるとか、行政の長が責任をとるべきだというような、特定の「点」に単純に責任を集約するために行ってきたのではないということだ。ここで問いたいのは、まさにそのように特定の書き手、指導者という「点」に責任を帰することで見えなくなってしまう技術、プロセスであり、それを考えない限り決して読み手に対して働いた「力」は見えてこないということ」「それは単にすべてのものに責任を分散させることで問題の所在を曖昧にすることになってはならない。その責任は、こうした技術、プロセスがいかに機能し、それに人々がどうかかわり、支えてきたのかという不断の問いかけとして、私たちが引き受けるべきもの」
・あと、そりゃそうだなあ、”本を読むことを読書という”というような閉鎖的な世界の中で我々暮らしてるわけじゃないもんな、という感想を持った。そういう考えを忘れずにいよう。
・IT・データベース化のあたりや幻灯資料のアーカイブズのあたりの、テクニカルな問題の議論あたりが、出版された当時の時代やその他の環境的なことの今との違いに気づかされる。ので、こういう議論自体の変遷や関係を俯瞰で見て考察する、みたいなのもおもしろいんじゃないかなって思いました。

posted by egamiday3 at 18:26| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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