■2018年10月のまとめ
●総評:
仕事もデスクワークもエクスカーションもバランス良くほどほどにこなせたので、気候は大事。
●まとめ
・「警視庁捜査資料管理室(仮) 」(BSフジ)
・「バウハウスへの応答」(京都国立近代美術館)
・「バウハウスへの応答」を見て浮かんだ感想としては、学校て大事だなと。科学と社会をつなぐ学校。”学校で教える“以前のこと、海外事情の紹介とか実作とか雑誌刊行とか研究所とか、は、すべてその助走。「あらゆる造形活動の最終目標が建築」なら、あらゆる知的活動の最終目標は学校で教えること、だなと。
・デスクワークとエクスカーションの両立(という名の電車乗り)
・幻の大仏鉄道
・笠置寺、謎の巨石文明
・別邸整備のゆる始動
・ガッキーのドラマ見てるけどビールにしか目が行かない
・「日文研コレクション 描かれた「わらい」と「こわい」展 -春画・妖怪画の世界-」
・「今」小林欣也@吉田寮食堂
・吉田寮食堂で芝居『今』を見てきた。きんやさんの。100年前の吉田寮と600年前の吉田寮の寓話。いい題材だったし、いい構成ていうか好きな構成だし、見ててゆりかご感ある安心感だった。こういうお芝居を仕事帰りにふぁっと見に行ける環境って、京都だなと思う。・清滝
・鳥居本町並み保存館
・『読者はどこにいるのか』
・「EAJRS2018@リトアニア・メモ」(http://egamiday3.seesaa.net/article/462400248.html)
・箱根の宿探しに悪戦苦闘の日々。
・六花(京都造形芸大前の中華料理屋)
・「タウンホール事件」ウースターグループ@春秋座
・「岸田國士一幕劇集ヲちょっと混ぜ」@喫茶フィガロ
・今週末はマジで演劇三昧。吉田寮食堂で『今』見て、春秋座で『タウンホール事件』見て、喫茶フィガロで『岸田國士一幕劇集』云々を見た。吉田寮とタウンホールで議論のアンフェアさを思い、吉田寮とフィガロで場と集いとパフォーマンスを思い、タウンホールと岸田國士で男ってホント馬鹿と思った。
・「議論が成り立つ」「成り立たない」というのはわりと便利な言葉で、議論の場からある要素を排除したい時に使うと正論っぽくて聞こえがいい。でも、成り立たなかったら議論する意味ないかって、必ずしもそんなことないんじゃないって、ブロッキングや吉田寮やタウンホールのを見てて思う。
・デジタルアーカイブシンポ@神戸大学。
・パネルディスカッション進行についてもろもろの思索あり。
・前提知識を学ぶ講演で1/3、各機関の事例報告数人で1/3、その後1/3では壇上に事例報告者と指名討論者が対峙するような配置で着席して、討論者からの質問・意見と報告者の応答をメインとする、適宜フロア質問発言も混ぜる。次はこうでどうか。
・京都醸造試飲スペース
・だるま(京都醸造、ベルジャンアンバー)
・「クイズ99人の壁」
・『百鬼夜行絵巻の謎』
・『情報生産者になる』
・バンガローでビール&マールブランシュのケーキという至福
・柔(京都醸造、ダブルIPA)
・リトアニア土産が分割される
・EACJS@京都
・OCLC@情組研
・「フェイクニュース」(NHK)
・「メディアミックスする大衆文化」@EACJS
・「祇園祭」 (1968年の映画)
・#図書館総合展行きません
・『トランプのアメリカに住む』
・なめこクライシス
●10月テーマの進捗
・ドイツまとめ他、執筆を多めにする →執筆はがんばったが、リトアニアが存外に終わらない
・エクスカーション他、出歩きを多めにする →がんばったが、寒くなるのが存外に早かった
・2軒目の整備に着手する →長期戦の構え
●11月の月テーマは
・ドイツ他執筆(多め)
・箱根
・人間ドック前の調整活動月間
、の3本です。
あと、インプット不足気味なのでこれも多めに。
2018年11月07日
2018年11月06日
捨てずに取っておいた「地球の歩き方」旧版でたどる、リトアニア30年史 (#201809eu 特別編の2)
さて、リトアニア詣でのための予習をしていたときの話です。予習本にはいろいろありますが、なんだかんだいってもふつーの旅行ガイドブックである「地球の歩き方」もひととおりチェックしますし、特によほどのメジャーどころでもないような”バルト三国”とかだとわりと頼りにすることになるわけです。
ところで、うちとこのセンターは創設から30年ですから、例えば地球の歩き方のような毎年更新のガイドブックでも、数年前、十数年前、二十数年前と何冊もの”旧版”が見つかるわけですね。見つかる、というか、捨ててない。捨ててない、というか、一時期捨てられそうになりかけたのを、いやちょっと待て、うちとこの蔵書でいう旅行ガイドブックはそれ自体が研究対象になり得るわけなんだから旧版であろうが捨てるとかあり得ない、というんで後生大事に書庫奥にしまってあるわけです。
で、なんとはなしにそこをブラウジングというかあさってみると、出るわ出るわ、リトアニア&バルト三国の「地球の歩き方」が、二十数年、ていうか、30年弱前のガイドブックまで。
・・・・・・過去30年の、リトアニアの旅行ガイド?
え、それって、内容がらっと変わっていくんじゃない? ていうか、その変わり具合こそが、独立以降のリアルなリトアニア史なんじゃない?
というわけで、うちとこにあるリトアニア旅行ガイドをあるだけ集めてきて、どう変わってるのかを見ながら近年史をたどってみた、という試みです。何が出るかな。
最新版からさかのぼっていく感じで。
●『地球の歩き方 A30 バルトの国々 '17-'18』(2017.5)(Maruzen eBook Library版)
https://elib.maruzen.co.jp/elib/html/BookDetail/Id/3000042910
さて、当館所蔵の最新版にあたるのは、丸善eBook Libraryのオンライン版です。なんとうちとこは丸善eBook Libraryをこの「地球の歩き方」オンライン版のためだけに契約してるという身も蓋もなさ。
こちらは所内ネットワークからアクセスできるほか、“ある一定の手続き”をとれば所属者が外部からも(つまり海外出張先からも)リモートアクセスできる、という機能があり、一応、旅行ガイドというものの利用シーンに追いついてはいます。いるのですが、まあまずこの“ある一定の手続き”がメタくそわかりにくくてめんどくさい、めんどくさすぎてここには書かないのでググって。しかもまあまあしょっちゅう固まる。しかもただでさえもっさりしてるのをリモートだとさらにもっさりな体感。
もっと言うと、海外の出先でどこでも自由にオンライン接続できると思ってんなよ、という話で、都市部はともかく、都市間を鉄道・バスで長距離移動してる時の“田舎通過時”が絶望的で、大都市の駅を出て数分経つともうつながらない。一番次の予習したいタイミングなのに。
●『地球の歩き方 A30 バルトの国々 '17-'18』(2017.5)(Kindle版)
https://www.amazon.co.jp/dp/B071P1CDP5/
ていうんで、結局Kingle版を別に買ってiPhone・iPadにダウンロードしてオフラインで使えるようにしとく、っていう選択肢を最終的には取るわけです。うん、どんなオンラインの電子情報資源だって、必要に応じてダウンロードしてオフラインでも使える環境、というのは、できることなら整備されまほしきことだと思うんですね。
とは言えとは言え、もっさり感、一覧性通覧性の低さ、ランダムアクセスの悪さ、ページをまたいで見づらいし、何より地図が見づらい等々、言うと、バルト三国版くらいの薄さなら素直に冊子買ってりゃよかったな、とも思うわけです。うちとこも結局冊子貸出の方が多いし。
思わず、電子情報資源ぼやき漫才になっちゃいました。
リトアニアどこ行った。
次からです。
●『地球の歩き方 A30 バルトの国々 '11-'12』(2011.4)
その次に新しいのが2011年出版のやつです。まあ6年差くらいだし、独立から20年も経ってるから、それほどのネタもないでしょう。
と、すっかり油断してたところ、冒頭からいきなりこんなのが目に飛び込んでくるわけです。
「通貨単位はリタスLitas(Lt)」('11-'12)
あ、そうか、ユーロじゃないんだ。
リトアニアの通貨がユーロに移行したのは2015年1月、かなり最近でした。それまではリトアニア・リタスLtがこの国特有の通貨だったんですね。それまでは、と言ってもソ連時代はルーブルだったわけですが。
つまり、
1922年 リタス誕生 (←第1次世界大戦後=ドイツから解放)
1941年 リタス廃止・ルーブル導入 (←第2次世界大戦中=ソ連に併合)
1993年 リタス再導入 (←ソ連から独立)
2015年 ユーロ導入・リタス廃止
ソ連からの独立と同時に50年ぶりに奪い返した独自通貨を、自らの意思でユーロに切り替えるというあたり、ユーロ圏熱みたいのを感じますね。ていうかそもそも2002年にはすでに、リタスはユーロと固定の為替相場という固い糸で結ばれていて、本書には「1ユーロ=3.45Lt、1Lt≒32.9円」と書いてあります、=と≒の差がまぶしい。
ちなみにバルト三国のユーロ移行は、リトアニアが2015年1月、ラトビアが2014年1月、エストニアが2011年1月ですので、2011年4月刊行の本書ではエストニアのページだけがユーロ表記になってます。
その他の気になる変化としては。
[ヴィリニュスの交通]ページに、紙のキップ('11-'12) → チャージ式プリペイドカード「紙のキップは姿を消した」('17-'18)
それからかなり気になるのが、[人口]が330万人(2010年)→285万人(2016年)、という変化です。[民族構成]という項目もあって、リトアニア人84%('11-'12) → 86.7%('17-'18)。これってリトアニア人以外の民族が外へ出てるってことだろうか・・・?
●『地球の歩き方 A30 バルトの国々 '09-'10』(2009.5)
次は2年前。これこそほとんど何も変わんないでしょうよ。
と思ったのですが、ひっかかったのが[バルト3国の物価]を紹介するページです。'09・'11・'17を比べてみました。
「博物館等の入場料は(日本の)5-10分の1」('09-'10)
「博物館等の入場料は(日本の)2-5分の1」('11-'12)
「博物館等の入場料は(日本の)2-4分の1」('17-'18)
地球の歩き方あるあるの「文章が年々コピペで使われる」パターンだからこそよけいに際立つ、このうなぎのぼり。えげつないなと思っていると、'17に「近年特に上昇したのが博物館等の入場料で、これは安かったソ連時代の名残が是正されたともいえる」と解説があって、ちょっとなるほどと思いました。
ちなみに先走って言うと、次の'01より過去の版ではほとんどの博物館美術館に入場料金の記載がないんですね。え、無い、ってどういうことだったんだろう、ってちょっと思います。
ちなみに[宿泊事情]にも変化があったようで、「唯一欠点を挙げるとすれば、それは宿泊料金の高さ」('09-'10) → 「一時は高めだったが、昨今の経済奇異や競争激化もあり、値下がりした」('11-'12)、だそうです。2018年のあたしの滞在の時も、他の物価と同様に安いな、くらいにしか思ってなかった。
●『地球の歩き方 67 バルトの国々 '01-'02』(2000.12)
一気に10年近くさかのぼりました。
独立からまだ10年ほどしか経ってないし、これはいろいろ変わってそうです。
まず旅行ガイド的に最大の違いは[入出国]の項目で、この時代はまだシェンゲン協定に入ってない、ていうことでしょう。シェンゲン協定とは、その加盟国間だったら国境で入国審査なしですよ、っていう旅行者的には超はかどるうれしいやつです。
バルト三国がEUに加盟したのが2004年、シェンゲン協定実施国になったのが2008年ですから、それ以前の2000年前後だとまだちょっと空気がお堅いかな、という感じです。
それが証拠にというわけではないですが、[移動]に関するページにこんな記述があります。
「バルト三国はもう自由に、普通の旅ができるところだということをまず知ってほしい」('01-'02)
え、わざわざそんなこと書かなきゃいけないような時代だったんだ、と、いまから見ると逆にちょっと身構えますね。
実際、紹介文のあちこちに、街中における若干の”混乱”の様子が見られます。
例えばヴィリニュスのタクシーは「メーターに細工がしてあるのか、カチカチとめまぐるしくかわる」、あー、そういう土地柄だった頃の話なんですね(ちなみに'09では「水増しされることはあるかもしれない」程度)。
それからヴィリニュスの人気スポットのひとつにヴィリニュス大学構内巡りがあって、それ自体は現在も詳しく紹介されてるし1.5ユーロで入れるって書いてあるんですけど、じゃあ'01を見るとこう書いてあるんですね。
[ヴィリニュス大学]「2000年8月、校内見学に入場料が必要になった。しかし気づかず通り過ぎてしまう人や本屋に行くだけだと抗議する人等がいて、混乱を引き起こしている」('01-'02)
うーん、なんかこう、街の人々のリアルな生活が変わっていこうとしてる様子、なのかなあと思いますね。
地元の生活だけでなく観光名所の解説も、なんていうんでしょう、独立から10年未満だとこんな感じなんだなというのが読み取れます。
例えば、ヴィリニュスのテレビ塔。1991年1月13日、独立の気運高まるリトアニアを武力で押さえ込もうと、ソ連が軍隊を投入してメディアの中心たるテレビ塔を占拠。これに抵抗しようとした非武装の市民14人が死亡、重軽傷者多数。
この凄惨な”血の日曜日”事件の舞台を、観光ガイドはどう紹介しているか。'01と'09でこう違います。
(165m上空の展望台に)「小さな展示場」
(当時24歳の女性が装甲車を停めようとして自らを盾にし犠牲となったことについて)「当時の雰囲気がいかに切迫していたものだったか、そのような経験のない僕らには想像するのも難しいが・・・」('01-'02)
↓
「1階にはこの事件の展示室があり、当時の雰囲気がいかに切迫していたものだったのか、感じることができる」('09-'10)
不思議なもんですね、「切迫した雰囲気を感じとれる」という紹介よりも「想像するのも難しい」という記述のほうが、よっぽど切迫した空気を感じるような気がします。
ちなみに'01当時、”当時を想像するのも難しい小さな展示場”があった展望台には、'09現在では「カフェがあり、ヴィリニュスのパノラマを楽しめる」そうで、うん、やっぱり自由と平和が一番だなと思いますね。
もうひとつの観光地として、ヴィリニュスにあるKGB博物館の例を紹介します。KGBによるリトアニア市民に対する拷問・虐待のリアルな現場だった本部棟を、当時の残虐さをそのまま伝えるために博物館にした、というところです。
'09以降の紹介文では、リアルにこういうことがあってこういう展示をしてる場所だ、という、まあそういう書き方になるよなという感じなのですが。
'01にはこうあります。
[KGB博物館]「案内をしてくれるおじさんは、実際ここやシベリアで数十年を過ごしてきた人たち。くれぐれも、モスクワで買ったソヴィエトバッジなどはしていかないように」
・・・リアルだ。
(ていうかなんだろう、そもそも地球の歩き方の編集方針がこの間で変わってるんだろうな。)
その他の気になったこと。
その1、通貨。
「1US$=4.00Lt('00年10月)」('01-'02) → 「1ユーロ=3.45Lt」('09-'10)
再導入直後のリタスは、ユーロではなく、アメリカドルとのあいだで固定相場だったんですね(1994〜2002)。このへんからもやっぱり、自ら選んでユーロ経済圏を志向して行ったんだな、という感じがします。
その2、鉄道。
「時間を有効に使える夜行列車」を詳しく紹介。('01-'02)
↓
バスに押されて大幅に縮小・廃線された。国境を跨ぐ夜行列車はひとつだけ、とネガティブに紹介。('09-'10)
↓
「近年は新型車両も導入され、客足も戻りつつある」、線路幅がソ連基準からヨーロッパ基準に変更されれば「ヨーロッパ方面へ列車での移動が可能になる」とかなりポジティブ。('17-'18)
その3、ていうかこれが社会的には一番大きな変化かもしれませんが、各施設のwebサイトURLがまったく書かれていないわけです。そうか、これが2000年か、と。一方、ホテルのほうにはほとんどURLがあり、また地元のお役立ち情報としてインターネットカフェが紹介されている。端境期、っていう感じがしますね。
●『地球の歩き方 67 バルトの国々 '96-'97』(1996.4)
「長い間未知の国だったバルト三国は、新鮮な旅行先と言えるでしょう」と表現されていたこの頃。
ホテルにすらURL記載がなく、鉄道切符の版面にはキリル文字が並び、カウナスの杉原記念館は「旧領事館。今は5家族が住むアパート」というこの頃。
例えば[バルト三国の宿泊事情]として、「宿が取れずに路頭に迷うというようなことはありえない。もう外国人だからといって断るホテルはない」なんてわざわざ書いてあるようなのを見るとこれも逆に、新鮮というより、まだハードルの高さが残ってるんじゃないかな、と。
象徴的なのが[バルト三国の治安]ページで、ここには「リトアニアのネオナチ」という投稿コラムがありました。
「外国人排斥を訴えて実力行使に出る一部の若者によって、怪我をさせられた外国の人もいる」(ほか、外国人に反感を持っている人も要る、いやがらせをされた等)('96-'97)
実際、この頃から2000年代初期あたりの紀行文やブログなんかを見ても、日本人旅行者の受難の様子、旅慣れてそうな人なんだけど実際に被害に遭ったことを書いてあるのがわりとあちこちで見受けられるわけです。思い起こせばそういう報道をよく目にした時代の、そういうのが強い土地柄だったんだな、という気がします。バルト三国なんかたいていどの本も「よそよりは治安は良い」て書いてあるんだけど、例えば'01の地球の歩き方だと、治安犯罪の事例紹介にたっぷり2ページ割いてたりするので、こういう情勢は年々変化してるものととらえるべきなんだろうなと思いますね。
その他の気になること。
'01までは祝日一覧に「3月11日 国家再建の日」というのがあったのですが、'96にはありません。リトアニアには独立記念日的な祝日が2つあり、ひとつは1918年にロシアから独立した2月16日、もうひとつは1990年にソ連からの独立宣言を出した3月11日。
それからこれはリトアニアネタではないんですが、バルト三国のラトビアについて「日本にはラトヴィア大使館がなく、ヴィザが必要」という解説が載ってました。しかもこのヴィザを入国時に取得しようとする場合、空港や港から入国する時にはヴィザ発行手続きができるんですが、列車やバスで隣国から入国する時にはそれができず、入国できない。とかなんとかいう事情らしく、ただしそんなことはないよという証言もあり、入国ひとつも安定してない時期なんだなという感じです。
さて、この'96-'97よりひとつ古い版は、'95-'96、たった1年前です。これこそ、まあたいした記述の変化はないだろうなと。
●『地球の歩き方 46 ロシアと旧ソ連邦の国々 '95-'96』(1995.7)
・・・”旧ソ連邦”扱いだった orz
あー、ここで地球の歩き方的に年表の色が変わったんですね。ていうか、よくこの2冊ともをそろいで持ってたな、うちとこ。
この版の編集後記にはこうあります。
[編集後記]「現状はどんどん変化していて、調査が追いつけない部分もあることをお詫びいたします」('95-'96)
うん、まあそりゃそうでしょう。ていうか、それが故の、翌年『バルトの国々 '96-'97』なんでしょうし。
その「ロシアと旧ソ連邦の国々」の中におけるリトアニアはどういう位置づけかというと、目次構成が、「モスクワと近郊の町」「サンクトペテルブルクと近郊の町」・・・「中央アジア」「コーカサス」「バルト3国」、という感じです。
いや、ていうか、そもそも「リトアニア」なんて国、載ってないです。
載ってるのは、「リトワニア」なんです。
現状が変化中というより、その国を見ている我々の認識のほうも安定せずに変化中だった頃、ていうことなんでしょう。
そういう端境期(注:ていうか、ずっと端境期な気がする)っぽさが本文中にもよくあらわれていて、ロシア色が濃かったり薄かったりまだらだったりする、記述あれこれ。
・バルト三国の章では、歴史上の経緯として、ソ連への併合から独立までのあらましが2ページでしっかり解説される。
・「92年に各国独自の通貨も発行された」('95-'96)
・ヴィリニュスのメインストリートであるゲディミナス大通りのことを、「ゲディミナス大通り(旧レーニン大通り)」と表記。しかもキリル文字綴りも念のために添えて。(翌'96版にはそんな記述皆無)
・KGB博物館の描写('95-'96)「本当にKGBが出て行ったままの姿で公開されている。ついこの間まで本当に機能していただけに汚れ具合や残っている備品の姿もまだ生々しく、見学者も少ないので緊張感が漂う。」→('96-'97)「ヴィリニュスの新名所、といっては失礼かも知れないが」云々
・('95-'96)ヴィリニュス大学の観光解説がほとんどない。→('96-'97)他のメジャーな教会等よりもヴィリニュス大学の解説の方が長く、情報も多い。(ヴィリニュス大学が観光地として認識されたのはいつの何がきっかけなんだろう?)
旅行事務的に言うと、目を引くのが[ヴィリニュスへのアクセス]ですね。
'96版では、フィンランド航空始め西ヨーロッパの航空会社が数社たっぷりと紹介されています、アエロフロートももちろん載ってますが「(日本からは)意外に不便」とご丁寧にコメントしてる感じ。
一方で'95版では、モスクワから空路と、モスクワ・サンクトペテルブルクから陸路、のみです。ロシア経由ルートしか説明が無い、え、じゃあ一回ロシアに入らなあかんねんな、って思っちゃうじゃないですかね。翌年の'96版で、バルト三国はヨーロッパにおける十字路でいろんな行き方がある、って説明されてるのとはほど遠い感があります。
ていうか、旅行事務解説はそのほとんどが”ロシアへの旅行のしかた”についてであって、バルト三国の旅行要領に比べたらロシアのほうはまだまだめんどくさそうです。行ったことないからわかんないけど。
そして、次がいよいよラスト、当館所蔵の最も古いリトアニアガイドブックです。最後は地球の歩き方ではなく、JTBのポケットガイドになります。
●『JTBのポケットガイド109 ソビエト』(1991.11)
はい、「ソビエト」きたーっ。
1991年11月だともう独立後のはずですが、特に恥ずかしげもなく、ソビエトでございという顔をしてタイトルついてます。
で、バルト三国についてはその章の冒頭に数行の概要が書いてあるわけですが、そこにはこう。
「これらの共和国がソ連に加入したのは1940年だが、1991年独立が認められている。」('91)
これだけ。この時期、この年の、この国の経緯については、これだけしか書いてない。情報のリアルタイム性を一切放棄したかのような、ある種のすがすがしさ。
あー、そうだ、「本」ってこうだったよな、と思いますね。
いまの我々ってネットで超リアルタイムな情報を仕入れることがごくごく当たり前に慣れすぎてますけど、それってここ10数年くらいのことでしかなく、そもそも情報ってそこまでリアルタイムなものじゃなかったよな、と。特に「本」は。
リアルタイムな情報が欲しかったら、新聞やテレビというメディアのほうを選んで見てください、と。うちら「本」にそんなことまで求めるのは筋が違います、と。むしろ、「1991年独立が認められている」の一文が間に合ってるだけでも、十分早いと思っていいかもしれない。
そんな、1991年。1月にはソ連軍の襲撃による血の日曜日事件が起き、そのソ連が9月にはリトアニアの独立を認め、そのソ連すらも崩壊することになるという、1991年に出版された、ヴィリニュスの観光ガイド。
まあ、ソ連色びっちりですよね。
住所も施設名も、基本キリル文字表記です。
ゲディミナス通りなんてのはありません、ふつーに「レーニン大通り」と書いてある。
あと、地図に「革命博物館」って書いてある、この革命ってたぶん”リトアニア側の”じゃなくて”ソビエト側の”でしょうね。そう思って現在のヴィリニュスの地図を確認してみたんですが、該当する場所にはなんか緑地っぽいのしかありませんでした。
で、あの「KGB博物館」=旧KGB本部のある場所はどう表現されているか、というと。何のことはない、その範囲までの地図はありませんでした。うん、観光ガイドにそんなエリアが載るのはもうちょっとあとのことになるんでしょうね。
以上、ソビエト時代から30年弱。
2018年のあたしが、ヘルシンキ経由でふわっとリトアニアに入国(注:”入国”すらしてない)し、キリル文字ひとつにも触れることなく、パスポートとユーロ通貨とスマホだけ持ってへらへらビール飲み歩いてたのなんか、当時から比べればビビるほどハードルだだ下がりだったんだな、と思いますね。
自由と平和が一番。
何度でも言いたい。
あと、資料は捨てずに取っておきましょう。