2019年01月28日

「ハレったらいいね」@ハレ(201806euドイツ5日目その1)


 おはようございます。
 5日目(2018年6月13日)の朝です。

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 ライプツィヒ駅のパンカフェで朝食をいただいています。
 このパンがとにかく穀物ぎっしりのパンで、もはやシリアルバーだろう、と。

 今日の予定(もくろみ)です。
  @午前:ハレへ行く
  A昼:ライプツィヒを歩く
  B夕:バンベルクに向かう

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 ライプツィヒ駅のコインロッカーにいったん荷物を置いて、これからハレという街にショートトリップに行きます。

 ハレは、ライプツィヒから鉄道で30-40分程度のところにある街。そんなに大きくはない。大学があるんだな、くらい。
 観光地があるというわけでもない。というか、地球を歩く人たちの歩き方ブックにも特に紹介されていない、それくらいのレベル。
 でもな、なんか世界史ではちらっと聞いた覚えあったりなかったりするんだよな、くらい。

 説明になってませんが、そんな街へなぜ行くのかというと。
 お目当ては「ヴンダー・カンマー」です。

 説明しよう、ヴンダー・カンマーとは。
 ヴンダーは、ワンダー。カンマーは、部屋。直訳で「驚異の部屋」とか、あるいは「珍品蒐集室」などと言われる施設で、異国の動植物の剥製や標本だの、木石の類だの、異国文化の文物だのといったものがごっそり集まって陳列されてるという。”ある時代のある国の人々にとって”はまさに世界の珍品であり、お宝であり、ワンダーであふれかえる部屋である、と。万物展示部屋だと。異国趣味のドンキホーテ(注:現代日本の店舗としての)やぁ、と。
 この手の”部屋”は16〜17世紀頃、ドイツほかヨーロッパ各地に出現してたそうで、ということは時代的に言えば、大航海時代より後の、世界の存在が知られかつ世界の文物がヨーロッパに持ち帰られまくった時代であり、かつ市民革命等より前の、そういうのを一部の個人が趣味嗜好で所有していた(公的なミュージアムではなく)時代であり、啓蒙主義以前、近代的分類学・博物館的考え方以前の、雑然として学術的分析・分類の意識薄かった時代であり。
 結果、蒐集するだけ蒐集して収拾がつかなくなったような、前近代のミュージアム。混沌、雑然、無秩序、いいかげん、なんでもあり。
 ではあるんですがでもそれを”カオス”と見るのは、言ってみれば近代現代の目線であり、当時は当時なりの”世界観”がそこに反映されていると言っていいわけであり。いや、あたしは別に、その当時のカオスな世界観が好きなわけでもなんでもないのですが、これって、近代の分類学や博物館的考え方が成立し始める直前の「エピソード0」、大英博物館の啓蒙主義展示の一世代上の兄貴的存在なんだろうな、という理解でおります。

 というのが世の中にはある、とどこかで聞き知っていたので、機会があれば行ってみてもいいかな、くらいだったのですが。このドイツ旅行初日の行きの飛行機の中で、ものの本で予習読書をしていたところ、ライプツィヒからすぐ近くのハレという街にあるのが「訪れやすく見応えがある」と知り、今回の旅程に加わることになった、という。
 やっぱり予習はするもんだな、と。

 いうわけで、大学生と持ち込み自転車でぎゅうぎゅう詰めな近郊鉄道にゆられ、ハレの街に到着です。

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 ↑なんというか、ふつーの駅を降りて、ふつーの商店街ストリートを歩く。大学(マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク)がある街のようなので、それなりの活動感と暮らすのによさそう感はある。

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 で、しばらく歩くと街はずれのあたりに何やら建物が寄り集まったような一角があり、子どもたちが遊んでたり、人が出入りしたり、建物がやけに歴史的な雰囲気でしかも地味、といった、いかにも文教的空気感に覆われたキャンパス風のエリアがあるわけです。
 ここが、どうやら「ハレ・フランケ財団」というところらしい、と。

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 あまり日本語情報がなくて説明が難しいんですけど、ハレ・フランケ財団とは。
 アウグスト・ヘルマン・フランケ(1663-1727)という、プロテスタント・神学者・教育者の人が、教育・慈善を目的として、貧しい子供たちのための学校・孤児院を設立した、というのがそもそものおこりだそうで、ラテンスクール、図書館、教員養成所の類もつくられた、一大キャンパスだったらしい。その頃の建物がなんやかんやでいまに至り、世界遺産登録待ちであるというそんなところ。一方で、いまもあっちのグラウンド辺りで子供たちのはしゃぎ声が聞こえるし、先生に引率された子供たちのグループを見かけたり、という現役の学校教育もおこなわれてるみたいだし、ハレ・ヴィッテンベルク大学のキャンパスでもあるということらしいので、歴史的にも現在的にもハレという街の文教エリアなんだな、と、ふわっと理解しています。

 という、えーと、これあたしみたいなよそ者観光客がちんたら足を踏み入れても大丈夫ですかね、通報されないかな、くらいの勢いの雰囲気の中を、しかしこの中のどこかに、ヴンダーカンマー(しかもものの本によれば「訪れやすい」という)があるはずなんですが。

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 ↑これがその建物らしい。
 あとでわかったのですが、これがまさに旧孤児院だった建物で、フランケ財団のシンボル的存在っぽい。

 おそるおそる入ってみると、あ、よかった、受付っぽい構えの番台に制服姿のおばちゃんがいる。と思って、ヴンダーカンマーに行きたいんだけど、という旨を伝えようとすると。
 「******* ***** **********, ********」
 ・・・ここでドイツ語オンリーかぁ。

 お互い懸命に、身振り手振り少ないボキャブラリーをひねり出しあってなんとかわかったことには、ここを出てぐるっとまわったところにあるビジターセンターでチケットを買え、と。
 で、行ってみると、チケットとお土産グッズや解説小冊子の類が並んでるセンターがあり、よかった、ビジターウェルカムな施設なんだということがちゃんとわかりました。

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 というわけで、まっ白い壁と地味な構造の建物、そして何より木造板張りの床と階段のギシギシ鳴るのとその匂いが、いかにも”校舎”的ノスタルジックな印象のビルディング、立誠小感がします。
 まずはメインのヴンダーカンマーから。

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 異国趣味のドンキ、と煽るわりにはちょっと地味かな、とも思いますが、そもそもがプロテスタントの子ども教育、っていうのを思い出すとまあこんなもんかなとも思いますね。それでも、宙に浮く巨大ワニ、でインパクトは充分かと。

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 謎のキャラもあり、一部きついのもあり。
 何が並んでるのかもわかりませんが、”未知”に触れたとき、人って、こういうことするんだな、と。

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 ざっくり&プリミティブな感じの分類がされて、それぞれキャビネットに陳列している、という感じですが、キャビネット上部の世界観パネルがちょっと愛らしい。
 ていうか、こういうガラスのキャビネットに入れて整理する、ということ自体が、だんだんと分類学・近代的博物館への移行、ということになるのかな、と。「本棚の歴史」ではないですが、こういうキャビネットや展示ツールの歴史みたいなんってまとめられているのかしら。

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 薬剤を収納するテーブル、かな。

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 「驚異の部屋」の模型と、いにしえのフランケ財団キャンパスの模型。全体の様子がこれで把握できますね。

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 世界のヴンダーカンマー(いまは失われた?)をパネル展示してて、これはウィーン。

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 ↑1990年当時の、ここ。
 そう、いまでこそこうやって無邪気に文化資源を楽しんでいるわけですが、よく考えたらライプツィヒもハレも元は東ドイツだったわけです。
 これもものの本によれば、東ドイツ時代の政権とこのフランケ財団の思想とが合致してなかったということでしょう、ここ一帯の文教施設はそれはもう冷遇されていたとのことで、施設が活用されないどころか、建物は荒廃し屋根には穴が空き、室内とその文化資源類は雨水やら鳩の糞やらで汚されまくり、壊滅寸前だったところを、東西統一後にリノベーションされた、ということらしいです。
 ほんとに、もう、文化資源を守りのこしていくのって気が休まることがないな、と。ていうか、対岸の火事でもないところに、背筋が寒くなる。

 さて、あたしがそうやってやいのやいの見まわってる間にも、先生に引率された地元の子供たちがきゃいきゃい言って見学にきてはりました。教材として現役で使われている文教施設ということですよね。別のフロアにはセミナールームがあって、小さい学会みたいなのもやってたし。

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 この建物は歴史的曰くがあるだけでなく、屋上まであがると眺望が良いのです。そして、ハレの街のあちこちに良さげな大建造物もあるので、ここがガイドブックに紹介されてないのなんか腑に落ちないなって思います。

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 企画展もありました。18世紀にプロテスタントが布教と知の獲得のために世界旅行、という感じなのか、キャプションもパネルもオールドイツ語で、ぼんやりとしか理解できませんでしたが、江上好きする内容だったのでひととおり目で楽しんだ感じ。
 写真はありませんが常設展示もあって、ルターの著書とか平気で置いてあって、ほんまか(ここの沿革を考えればほんまだろうな)と。

 さて、この旧孤児院棟とは別に、歴史的な古い建物がキャンパス内あちこちにありかつ現役で使われているわけですが、そのひとつに”ライブラリー”もあるということで、拝見してきました。

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 起源が17世紀末、18世紀初めには18000冊を所蔵してて、ドイツでは非教会系の図書館としては最古である、という古さあたりもさることながらですが、おおっと思ったのが、その18世紀初めからすでに公共に開かれた図書館として運営されていた、というあたりですね。そして当然いまも無料公開です。(注:研究目的。写真のヒストリックな2階とは別に、モダンなリーディングルームが1階にある)

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 という、フランケ財団詣ででした。

 今回のハレ訪問はほとんどこれだけであり、あとは商店街の雑貨屋で帽子を買おうとしたらそれは婦人用だからダメと断られたとか、それくらいの話題しかないのですが。
 それでもほんとにショートトリップでも充分楽しめたし、もっとゆっくり過ごせば気になる大建造物があったり歴史的背景もあったりしそうだし、一方で英語案内僅少で日本語情報もネットで少なかったりすると、これは開拓しがいというか掘り返しがいがありそうだな、という気がしますね。機会があればまたきてちゃんと楽しみたい。
 今日は曇天だったけど、次来るときは、晴れてたらいいね。

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 ハレ中央駅の駅舎。
 再びライプツィヒへ戻ります。 

posted by egamiday3 at 23:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月24日

「ガスト・イン・トランスレーション」@ライプツィヒ(201806euドイツ4日目その3)


 この列車は、ライプツィヒ方面行きです。
 ICE1517、ベルリン発1830→ライプツィヒ着1942(49ユーロ分をパスで)。

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 ヨーロッパの鉄道でたまによくある、同じホームのつながってる列車でも、前の数輌とうしろの数輌とで行き先がちがって、乗り間違えるとえらいことになる、というトリッキーなやつです。みなさん気をつけましょう。

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 1時間12分、ってずいぶんと瞬殺。
 もっと乗ってたいぞ。

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 ほら、着いた。
 ライプツィヒ駅着。

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 ていうか、ちょっと待て、でけえぞこの駅。
 駅舎のかまぼこが6つ、ホームが23まである。
 後日知ったところによれば、実はライプツィヒ駅というのはヨーロッパでも最大の駅舎だとの呼び声すらあるところらしく、それは知らなかったとは言え失礼しました。素直におどろいた。
 しかも駅舎内の端のホームには、蒸気機関車や少し古い時代の客車なんかが現物展示されてるらしく、そのあたりはまた後日あらためて。

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 駅近のインにインして街へ出ます、なんとなくぶらぶら歩いてみると、街の大きさのわりには品がいい、柄の悪さがない街なんだな、という感じがします。もはや定期ツイートですが、これは住みやすい街だな、と。

 ところが、街の地下鉄駅でキップを買おうとして、うっかり券売機でつまづきました。
 駅のホームに置いてある券売マシンに向かうと、なんかおっさん4人の集団が画面を囲んでやいのやいの、右往左往してはる。順番待ってると、こっちに気づかれて、お先にどうぞとゆずられるので、しょうがないなあ、ここは自販機大国・日本からやってきた我が輩がひとつ見本をご披露しようじゃありませんか、とおもむろにマシンに対峙するわけですが、・・・えっと、あれ、一切わかんない。それっぽいボタンはいくつもあるから押すんだけど、なんか鉄道の種類がいくつもありすぎて、しかも正解がない。なぜか国鉄のでっかいキップを買いそうになる。ちゃうねん、2つ3つ先の駅まで行くだけやねん。
 で、ゆずってもらった順番を、ゆずり返す、という屈辱。
 その間にも何本かの便がホームを通り過ぎていく、心細さ。

 結局、スマホで一生懸命ググって調べたうえで、さらにそこから3回くらいチャレンジしてやっと買えた。
 思った以上に鉄道の種類が豊富で複雑だった、さすが鉄道大国、ドイツ3Bの面目躍如。

 そんな思いまでしてどこにやってきたかと言うと、ライプツィヒの中心部から市内鉄道で数駅、「Bayerischer Bahnhof」(バイエルン鉄道駅)という名前のガストハウス、ビール醸造所兼レストランです。

 Bayerischer Bahnhof (Gasthaus & Gosebrauerei)
 https://www.bayerischer-bahnhof.de/

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 なぜレストランなのに「鉄道駅」かというと、昔鉄道の駅舎だったところをレストランにしているから。なんでも1842年からの建物らしいです、まあ、ヨーロッパでは珍しくもない古さかもですが。で、なぜバイエルン(ドイツの南部の地方名)でもないのに「バイエルン」名かというと、この駅から南部のバイエルン地方やオーストリアあたりまで続く鉄道が出てたから、ということのようです、わりと大きな存在の駅だったらしい。

 で、このガストハウスに来た理由、ていうか、そもそもライプツィヒにわざわざ泊まりに来た理由が、これです。

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 ↑ゴーゼビール。
 このためにライプツィヒまで来たんです。

 説明しよう、ゴーゼ(Gose)とは。
 ご当地ライプツィヒが発祥のビールなんですが、塩と乳酸菌を使うという変わりダネ的で、そんなものを使ってビール造るなんて他にはちょっとない。小麦も使っていて、爽やかな酸味と、コリアンダーの香りと、塩味の珍しさが特徴である。というのが教科書的な説明。
 そういう謎のライプツィヒローカルビールがある、っていうんで、じゃあ立ち寄らざるを得ないだろう、ドイツ3B(Beer)旅行としては、と。

 で、実際に飲んでみますと、「塩つかってんで」と言われるわりにはべつに「うぇ〜しょっぱ〜」的なネタ食品感があるわけでもなく、まあふつーで、いわゆる塩スイーツ類なんかよりも塩味が出て来ない。なんていうか「甘みがない」くらいの感じ。で、乳酸菌感はあるから、甘くないカルピスサワーという味がする。軽く酸っぱい、酸っぱいというか”サワい”(そりゃそうだろう乳酸だから)。ああ、いいんじゃない?という感じ。
 そして、うん、まあ、2杯目もいただくかというとそこまでのお気に入りではなかった(笑)。

 さて、フードもいただかねば(注:外は明るいが夜9時過ぎ)、なんですが。
 テーブルにももともとメニューがあったのですが、フロアの方がゴーゼと一緒に「English?」と別のメニューを持っておいでになる。かわりに、ドイツ語メニューはひきあげる。

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 ひきあげられたのが、ドイツ語のメニュー。
 いま渡されたのが、英語のメニュー。

 egamidayさん、ドイツをしっかり楽しみたいとずいぶん前からたんまりと予習(参考:http://egamiday3.seesaa.net/article/460443477.html)してましたが、その中でも重点的だったテーマのひとつが「食べ物」です。
 観光ガイドやドイツ文化関連の本を読みあさっては、これは現場でポイントになりそうだぞというような基本単語(例:牛はrind、eiは卵)だとか、これは見つけたらぜひ味わっておかねば的な郷土料理(例:pfandl=フライパンで出る料理盛り合わせ)だとかを、自分好みにリストアップして手持ちノートに書き込んでくる。そうしておけば、現場であたふたしなくても、すっと見てすっと確認できるから、ていう。そんなことまでやってる、これ、シチリアでもリトアニアでも毎回やってんですよ、どんだけ食い物に執着してんだっていう。

 で、よっしゃ、じゃあまずはノートをおさらい。
 豚のスネの焼いたのは、Schweinshaxe(シュヴァイネ・ハクセ)。言わずと知れたドイツ名物。
 豚の胃の詰め物は、Saumagen(ザウマーゲン)。未経験なのであればほしい。

 豚肉はschwein、牛肉はrind。実は今日は豚よりも牛の気分。
 ドイツ風ジャガイモをもちもちに丸めたという、Knodel(クヌーデル)またはKlosse(クロース)。これも未経験なので、あればぜひほしい。

 と、あらかじめ頭の中に、ひととおり料理の中身とそのドイツ語を入れて。
 メニューを開きますというと。

 「Baked Bavarian meat loaf」
 「Fried pike-perch]
 「Crispy pork knuckle」
 「Potato dumpling」
 
 いやいやいや、待って、ドイツ料理を英語で言われたらわかんない

 ドイツでドイツ料理を楽しもうともくろんだegamidayさんは、
  ドイツ料理を、
  ドイツ語の名称と、
  日本語の内容で、
 理解しています。

 ですが、フロアさんが気を利かせて持ってきたメニューは、
  ドイツ料理を、
  英訳した謎の名称と、
  英文の内容で、
 記述しています。

 リンクしないんです。
 自分が脳内に想い描いているドイツ料理と、Englishメニューのタイトルとが。

 meat loaf? ミートローフはわかる、でもこれ果たしてドイツ郷土料理なんだろうか?
 pike-perch? え、何を焼いたの、もしくは揚げたの?(正解は魚)
 crispy pork knuckle。うーん、ナックルって関節だよなあ、関節かあ、確かにSchweinshaxe(シュヴァイネ・ハクセ)はレッグの部分というよりは”関節寄り”の印象はあるけど、じゃあこれがシュヴァイネ・ハクセの英訳なんだろうか?? じゃあcrispyは何を示す??
 potetoはdumplingて書いてあるのとbakedて書いてあるのとあるなあ、えー、dumplingて餃子だと思ってたけど、これがKnodel(クヌーデル)のことなのかなあ??

 外国人観光客向けに、ローカルな料理(文化)を、無理くり世界共通語に英訳してみたところ、意味的にほんとに伝わってるかどうかわからず、本来のイメージとリンクしない。
 いま、ドイツの料理屋(ガストハウス)で、ロスト・イン・トランスレーション状態にあります。

 で、egamidayさん、この難局をどう解決したか。

 あたりをキョロキョロと見回し、フロアさんに見つかっていないのを確かめてから、隣のテーブルに置いてあるドイツ語メニューを失敬して、見比べる(笑)。
 そうするとなんとなく、
 「Crispy pork knuckle」=Schweinshaxe(シュヴァイネ・ハクセ)
 「Potato dumpling」=Knodel(クヌーデル)
 なんだろうな、ということがボンヤリ比較対象できるわけです。
 よかったね。

 さて謎が解け始めると欲が出て、せっかくなので食べたことないドイツ料理があればそれを食べてみたいな、なんてことを思うじゃないですか。
 で、電車の中でネット検索してたときに見つけた日本語ブログに、「牛肉のロール」的なドイツ料理がこの店にある、と書いてあったんで、探してみたわけです。
 牛肉は「rind」でしょ、それをロールしてるから、この「Rinderroulade」って書いてあるやつだろうか、と思って、説明文を見ると。

「Hausgemachte Rinderroulade nach frankischer Art
 gefullt mit Speck, Zwiebeln, Gewurzgurke und Lowensenf, dazu Kartoffelklose und Apfelrotkraut」

 今度は、ドイツ語が読めない orz...
 「Rinder」が牛肉、「Kartoffelklosse」がジャガイモの団子を意味するのは予習で知ってるのですが、今度はそれ以外のドイツ語が何のことやらわからない。
 というわけで、今度は同じ料理が英語版メニューに載ってないか、って探しに戻るという。

 ↓表で示すと、いま、こういう状態です。

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 いま、ふたつのメニューをテーブルに広げて、ついでにスマホでGoogle開いて、一生懸命パズルを解読しようとしています。
 
 教訓。料理関係の語彙は(実は)難しい。
 (↑イタリアの時に経験したはず。)

 で、さっきからなんでこんなに苦労してるのかって、その原因にハタと気づきました。
 料理の写真がほとんど載ってないんです。
 つまりこのメニューには、料理のメタデータだけが英語/ドイツ語で記述されているけど、サムネイル画像がない、そのせいで言語的障壁のあるユーザにとってはコンテンツにアクセスできないしろものになっちゃってるんです。
 ね、どっかで聞いたような話ですね。
 教訓。サムネイルは大事

 えっと、なんだっけ。もういいよ、はよ料理食べたい。

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 「Hausgemachte Rinderroulade nach frankischer Art」=Homemade beef roulade
Franconian style、をいただきました。牛肉を巻いて何かしら野菜を詰めて、ブラウンソースで食べるという、ドイツの家庭料理らしいです。
 そして、つけあわせがポテトのクヌーデル。ジャガイモを団子にしたものというから、モソモソとかデロデロ的な感じなのかしらと思ったら、とんでもない。もっちもちのクッニュクニュ、最高の歯ごたえ食感じゃないですか。これたぶん、ジャガイモの食べ方として第1位なんじゃないですかね、日本もっとこういうの取り入れて、って思いました(注:ただし後日談あり)。
 炭水化物のカタマリ、わりと大きめの2つでしたが、たいらげてしまった。ドイツはやばい。

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 ↑2杯目のピルスナー(Schaffner=車掌)も美味しうございました。濁り味で美味いピルスナーとしてたぶんこれが典型だろうから、もうあのハンブルクの店の1杯目のやつは別物として分類することにしよう。

 以上、だいぶ広めの人気店でした。

 2軒目。
 Thomaskircheという、トーマス教会近くのブロイハウス。
 もう1杯飲んで帰ろうと店に入ってみたところ、カウンター前にいろんなビールの名前が貼りだしてあるなかに、「Thomaskirch Bock(ボック)*****」と書いてあるのを見つけたんですね。

 説明しよう、ボック(Bock)とは。
 北ドイツのアインベックという街が発祥とされるビールで、使われる麦芽の量が多く、色が褐色で濃く、アルコールも高めになり、とは言えスタウトみたいに味が濃くなるわけではない、くらいの位置づけ。それでも濃いキャラのビールではあって、たとえばボックの一種である「アイスボック」というのは、ボックビールを凍らせて水分だけを除去し、ビールとしてさらに濃くさせる、というなかなか攻めたつくりかたをするという。

 これもまたドイツで飲んでおきたいビールのひとつではあったし、しかも店名(Thomaskirch)が入ってるビールということは当店限定醸造かなんかなんでしょう、じゃあせっかくなのでと1つ注文する意思を店のおっちゃんに示したところ、おっちゃん、ちょっと珍妙な表情で、こっちに何かを訴えかけてくるわけです。あれ、ドイツ語オンリーの人だなと思ってみてると、親指と人差し指でつまむような仕草=小さい・少ないを意味するジェスチャーを、ぐいぐい見せてくる。貼り紙をもう一度見ると、「Thomaskirch Bock 2**」と書いてあるので、あー、はいはい、こっちのビールメニューでよく「0,3l」とか「1l」とか書いてあるサイズ表記、ていうかドイツは平気でビール1リットルジョッキ飲むからな、それに比べれば200mlは確かに小さいでしょうが、「OK、OK」と笑ってかえすわけです。
 で、出てきたのが↓こちら。

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 ・・・・・・え、蒸留酒?
 (注:飲みかけじゃないです)
 ひと口なめると、明らかにスピリッツ。

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 メニューをよくよく確認してさらにドイツ語をGoogle翻訳すると、なるほど、蒸留とあるらしい。
 だいぶ調べてもその正体が結局わかんなかったのですが、ただいくつかの店で「ボックの蒸留酒」を出してはいるみたいなので、これはちょっと今後の課題。

 さらにカウンターの貼り紙を注意深く見てみると。
 「Thomaskirch Bock 2cL」と書いてある。
 cL? ・・・表記から類推して、センチリットルか。ということはミリリットルの10倍で、20ml。
 あ、合うてるわ(笑)。
 そりゃおっちゃんが必死に指で訴えてくるわけです、たぶん、こんなつもりじゃなかった的な客のクレームも少なからず受けてたことでしょう。

 味、は、ずいぶんときつい蒸留酒でした。
 どっとはらえ。
 (注:結局ボックビールは飲めてない)

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 再度飲み直しに、大勢が夜半まで飲み食いしているストリートに寄って、3軒目。
 ライプツィヒなのになぜかアイリッシュパブなんかに入り、そしてアイリッシュパブなのになぜかヘーフェヴァイツェンをいただいてるという、わりとやけっぱちな追い飲み。

 こうなると、やっぱゴーゼをもう一杯ちゃんと飲んでおいたほうがよかったかな、という気もします。ただ、別のもいろいろ試したい(ここのピルスナーはどんなふうに違うんだろう、とか)のもしかたない。
 初めての土地で、そこの美味しいものを上手に飲み食いするのは、本当に難しいなと思います。ロスト・イン・トランスレーションによる情報の障壁もそうだけど、その日の体調や行動範囲もふだんとは違っちゃうので、結局はがんばって出逢い/選択肢を増やす戦略をとるほうに落ち着くんですよね。

 これ飲み終わったら流石に帰ります。
posted by egamiday3 at 06:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月22日

「ベルリンは晴れているか」@ベルリン(201806euドイツ4日目その2)


 ベルリン街歩き後半戦です。

 シックで落ち着いたでも大学向けのお手軽そうなカフェ、で、さすがに疲れてアイスコーヒーをいただいたりしています。ベルリンは晴れているせいか、暑いのです。

 このカフェは、フンボルト大学に属する建物のひとつ・Jacob-und-Wilhelm-Grimm-Zentrumの真ん前にあります。知ってる人は知っているこのセンター、フンボルト大学の中央図書館があるところで、ネットでたまによく見る「世界の美しい図書館○選」系の記事でちょくちょく紹介される建物なわけです。

Grimm-Zentrum Leseterrassen
Huuboa [CC BY-SA 3.0], from Wikimedia Commons

 その1、フンボルト大学中央図書館の巻、です。

 とはいえ、アポとかは準備してませんでしたので、外部者が中見るだけでも入れるものかどうか、とりあえずゲート前・インフォメーションカウンターの年配女性にふんわり声をかけてみます。
 「(こういうときの常套的口上、日本の図書館司書で、図書館に興味あって、中を見て回るだけなんだけど)入れます?」
 すると女性。
 「あそこに荷物入れなさい」、と。
 見れば入口付近のあちらやこちらに木目調のロッカールームがあるわけで、ああなるほど、カバン持ち込み不可、手ぶらでOKなパターンね、と、さすが図書館慣れした司書のegamidayさんは余裕で察知し、颯爽と荷物をロッカーにしまいに行った、の、ですが。

 問題、空いてない。

 西洋の6月は学期末、図書館大人気で学生が大勢来てるせいか、ロッカーが全部閉まっている様子。
 ていうかよく見ると、学生何人かがロッカールーム内のイスにちょこんと座ってて、誰かが荷物を取り出して去っていくと、座ってた一人がそこへ・・・あ、君ら、ロッカーの順番待ちしてるのか。

 ロッカーの順番待ちをしないと、学生が荷物を預けられなくて、入館できない。
 ・・・え、これサービス設計、ミスってないか?

 さらによく見ると、学生がそのロッカーを開けるときには、何やらカードのようなものを手に持ってるわけです。カードを持ったまま、扉のバーを押し込むと鍵が閉まる。近づけるとバーが飛び出して開く。
 ・・・さらに問題、ICカードがいるんじゃん。

 いやちょっと待てよと、先ほどのインフォメーションに戻って、
 「えっとね、あたし部外者なんでロッカーのカード持ってないんだけど、コインのロッカーとかないですかね」
 と問うと。
 年配女性、今度はロッカーと反対の方向を指さして、ひと言。
 「メンザ」、と。

 ・・・あー、「メンザ」、聞いたことある、なんだっけ。

 ヨーロッパ系の海外旅行ガイド、特に地球を歩く方法的なバックパッカー向けガイドによく書いてあるのが、「旅先の食事を安くすませたかったら、大学の「メンザ」という学生用食堂に行きなさい、たいてい外部者も入れるから」みたいなこと。あの、「メンザ」だ。生協的なやつだ。
 そうか、生協的な売店でカード買えるんじゃないか?

 と推理して、ぐるっとまわると確かに売店がある、アップルケーキ美味しそう、いやそうじゃなくて、レジ打ちの方にカードが欲しい旨を尋ねると、「MensaCard」というのを売っていただけました、要は学内用のチャージカードっぽいやつ。
 これを持ってロッカー室に戻ると、そのうろちょろの間にわりと空いたみたいで、見よう見まねですうっと荷物を預けることができました。

 え、でも、これで本当に入っていいの? 部外者が? 何の手続きもしてないうちに、あとなんかこのゲート通過するだけみたいになってるけど。え、通りますけど・・・。

 通れました。

 この後、ドイツのいろんな街で図書館を見つけては立ち寄るということをやってたわけですが、まあ公共図書館は当然としても、 国立・州立図書館の類だけでなく大学図書館の類であっても、どこへ行っても、荷物さえ預ければ何の手続きもなくふんわり入れるのが、当たり前、みたいになってました。どれくらい入れるかというと、入れるのが当たり前すぎるせいで、どうやって入っていいかの説明がどこにも書いてないために、むしろ入りづらい、っていうくらい(ほんとかな)。
 さすがグーテンベルクの国、図書館大国、ドイツ3Bの面目躍如ですね。

 というわけで、あとは館内レポですが、これは簡単に。
 写真等で有名な↑閲覧室の建築、は、見ました(写真は遠慮)。言っても、学生が勉強してるふつうの光景ですが。
 あの巨大吹き抜け&閲覧エリアは建物のど真ん中(「回」の中央部分)を占めていて、ガラス張り。一方、書架はその周囲にあって、吹き抜けガラスからの採光のために垂直に立てられてる。そうすると、「回」の字の周囲通路部分に幅狭く立てるしかなくなっちゃうから、書架一列分の長さが短くなるので、本を探すのにひっきりなしに表・裏・表・裏と見まわらなきゃ行けない。「□」型のフロアに比べて明らかに一覧性が悪い開架書架になっちゃってるな、という状態です(わかるかな)。

 あと階段も通路もぐるぐる回るから、現在地がどこで、あっちがどっちなのかが、よくわかんない、という。
 そんな感じです。

 その2、森鴎外記念館の巻。

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 フンボルト大学中央図書館から、最寄り駅を通り過ぎ、橋を渡ったあたりに、森鴎外記念館があります。森鴎外がベルリン滞在当時に下宿していた建物のひとつということで、現在はフンボルト大学日本学科がその付属施設として所有し、記念館として公開している、というものです。
 そもそもドイツで最初の日本語教育が始まったのもフンボルト大学(19世紀後半)ですし、あるべくしてある記念館という感じはします。
 館内は写真NGですから、様子はあまり伝わらないのですが。館内といっても、古くからある建物のフロアをそのまま使って、当時の鴎外の下宿部屋の再現展示みたいのをやってみたり、企画展をやったり、という感じのようです。年間3000人の見学者というから日に10人くらいなんでしょう。ただ、そういう見学対応だけやってるわけではなくて、ドイツ&日本がらみの文学作品・研究文献の類を所蔵し閲覧に供する、あるいは日本語文献をドイツ語訳して出版・発信するという、日本学科の付属施設としての活動をしてはるみたいです。それはそれで興味深い。

 さて、さらにここからポツダム広場方面へ向かいます。一日乗車券とGoogleマップを手に、バスやSバーンを乗り継いで、軽やかにベルリンを縦断するegamiday氏。街のツボさえ押さえれば、移動も苦ではないです。

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 ↑ポツダム広場のソニーセンター(注:ソニーはすでに移転)。
 いまはビジネス&商業ビルとして、家族連れがカフェでアイス食べたりして憩い、広告動画が流れ、噴水が涼しげに水を噴きだしているような平和さですが。ここもまた壁の時代はまっぷたつに分断されていて、荒れ地だったとのことです。『ベルリンは晴れているか』によれば、戦後すぐは闇市的なカオスさだったみたいなので、
 ↓戦後 カオスなにぎわい
 ↓壁  荒れ地
 ↓壁後 整備されたにぎわい
 ということかな。
 街は、政治や社会情勢によってコロッとその姿を変えられてしまう、とともに逆に言えば、街は、社会情勢がどうなろうとその姿を塗り替えることができる、ということでもあるのだなあと。

 で、そんなポツダム広場近くにあるユニクロベルリン店へわざわざ出向いて、着替えを購入。
 次に訪れた先が。

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 その3、ベルリン国立図書館の巻。

 説明しよう、ベルリン国立図書館とは。
 ドイツはいわゆる領邦国家で、地方分権(というよりもはや地方"主権")的性格が色濃く、近代以前の各領主さんがあちこちに作った文庫・図書館・コレクションの類が歴史的に力強く存在しているわけで、さてそんな前進を基盤にして国の図書館を機構としてまとめあげようとしても、まあそこはそれ、一筋縄にもシンプルにもいかないややこしさになるだろうなとは、想像がつくわけです。
 というわけで、ドイツの"国立規模的な"図書館は以下のような構成になってる、らしい。

 1. ドイツ国立図書館(DNB)
   −1.1 ドイチェ・ビュッフェライ(@ライプツィヒ)
   −1.2 ドイチェ・ビブリオテーク(@フランクフルト)
   −1.3 ドイツ音楽資料館(@ベルリン)
 2. ベルリン国立図書館(SBB)(@ベルリン byプロイセン文化財団)
   −2.1 ハウス1・古典資料(@ウンター・デン・リンデン通り(旧東ドイツ))
   −★2.2 ハウス2・現代資料(@ポツダム通り(旧西ドイツ))
 3. バイエルン州立図書館(BSB)(@ミュンヘン)

 いやあ、いいですね、むしろ好きですよこういうの(笑)
 図書館のリストで「2.1」とかなかなか書かないですね。
 こんな状態じゃどこに何の本があるかもろくに探しづらいだろう、というためかどうかはわかりませんが、ドイツにはわりと早い時期からすごく使える”図書館横断検索サイト”があって、「KVK」と言えばこの業界でわかる人にはわかる。

 で、なんだっけ、そういまあたしが訪れたのは、★2.2、ベルリンのプロイセン文化財団が運営するベルリン国立図書館の旧西独館、ということになります。ちなみに2.1旧東独館はフンボルト大学の隣りにあって、現在工事中でガイドツアー休止中でしたが、本来は当時の建築を拝むのが非常に良いはずの図書館なので、いつかリベンジする。

 このベルリン国立図書館(旧西独館)には、日本資料担当の司書である友人が勤めていらして、直前の連絡でもこころよく迎えてくださり、館内をぐるっとひとまわりしながらいろんな話をしてくれました。
 さわりがあるとあれなんで詳しくは控えますが、
  ・スペースの再配置の難しさ
  ・規則の縛り
  ・ユーザのニーズの移り気な感じ
 はどこも一緒のことだなあ、という感じでした。

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 ↑昼食代わりのアイスで糖分を得て、次へ。
 バスで再び東のほうへ向かいます。

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 ↑バスからちらりと見えたこの店は、アンペルマンというキャラクターのグッズショップなんですが、何のキャラクターかというと「東ベルリン側で使われていた歩行者信号マーク」だそうです。同じベルリンでも、このマークの歩行者信号とそうでないのとがある、と。めっちゃ人気であちこちで見かけるデザインなのですが、まあこんなところにも東西があるんだな、と。

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 ↑東ベルリンエリアの、いかにもな、テレビ塔と世界時計。
 これをちらりと拝んで、次にハッケシェヘーフェという建物へ向かいます。

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 説明しよう、ハッケシェヘーフェとは。
 ヘーフェ(=ホーフ)は中庭の意。もともとはアパートが密集して建てられた集合住宅地区で、複数の棟が中庭を囲むようにして建つ、その中庭と中庭が路地でつながり、棟と棟とがつながり、つながって成長していくと、見取り図としては↓こんな感じになるわけです。

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 で、いまはこの建物にカフェや雑貨店やといった小店や人気店が入り、小洒落た飾りや花壇がならび、それでいてネイティブな空気ものこっていて、住人だけじゃなく外部の市民、果ては観光客までもがその雰囲気と店々を楽しもうと、ぶら歩き&通り抜けにやってくるという。
 そんなん、絶対人気出るし、egamidayさんの大好物じゃないですか。
 というわけで、↓どうぞ。

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 そう、このあたりの密集住宅地区は戦前の建物&街並みで、戦時の被災をまぬがれたらしいですね。なのでこういうのがのこってる。聞くところによれば、現在の消防法ではもう建てられない種類の建物、ていうパターンのやつのようです。
 どんな街にもこんな一角があって、だいたい歩き遊んでる人で人気なやつですね

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 ↑これはヘーフェその2の、ヘックマンヘーフェ。静かで人も少なく、雰囲気的にはこっちが気に入ったらしい。

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 そしてこのあたりを歩いていると、ところどころ、足下に↑金色のプレートが埋められているのを見かけます。これもものの本で知ったのですが、シュトルパーシュタイン(躓きの石)と呼ばれるもので、刻まれている文字は、ここに住んでいたユダヤ人の名前・生年月日・没年月日・終焉地。終焉地は、強制収容所やゲットーなどで知られる地名が記されていますし、没年月日もそういうもの。負の歴史を想起させるためにこういうのを埋めよう、という活動が、1990年代ころからプロジェクトとして始まったらしく、ユダヤ人犠牲者に加え、ロマ、政治犯、同性愛者など、すべてのナチス犠牲者を、ということらしいです。
 このプレートって、このへんを歩いてるとほんとにあちこちでふっと出くわすんですね。このエリアにユダヤ人が多く住んでたというのもあって、でしょう。表通りには大きなシナゴーグ↓とかがあります。

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 ベルリンは。
 ポツダム広場やウォーターフロントのように、街を塗り替え、上書きするかのようにして、新しく変えていこうとしているところ、もあり。
 壁のように、当時の様子をのこして伝えようとするところ、もあり。
 ユダヤ博物館の外観や躓きの石のように、新たに刻んで負の歴史が風化しないよう、なんとか想起させようとするところ、もあり。
 川や空や広場や道幅のように、変わらない存在や土地そのものが動かぬ証拠として厳然としているところ、もあり。
 パリやローマや京都なんかとはまた違うんだけど、ある意味では本当の”歴史都市”といえる場所なんだな、と思いました。いわゆる古都と違うのは、その歴史都市の歴史都市たるものを造るのは”歴史”ではなく”現在の人々”だ、ということかな。

 あと、歴史云々別にして、大都市の中ではずいぶん過ごしやすく滞在しやすそうではある。

 さて。
 時刻は午後6時、11時間近く歩いてました。
 もうそろそろ充分でしょう。

 『ベルリンは晴れているか』?

 晴れてた、晴れてた。
 晴れ倒してた中を、歩き倒してきた。

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 ↑このベルリン最後のトラムは、中央駅方面行きです。
posted by egamiday3 at 05:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月14日

「本を焼く者はやがて人を焼く」@ベルリン(201806euドイツ4日目その1)


 4日目(6/12 Tue)、未明。

 ・・・暑い。寝苦しい。

 数日前からドイツ暑い暑い言うてますが、この季節のドイツにしてはめずらしい熱気らしく、ていうか今年は日本だけでなくヨーロッパ北部も相当の酷暑だったらしいです、のちのち聞いたところによれば。
 そこへきて、日本とは違いもともと涼しい土地柄だから、室内にエアコンなどというものがそもそも無い。だからこの夏みなさん相当苦しんだらしい、その意味では生活環境は日本より相当深刻です。
 おまけに今日泊まってるこの部屋がビルの最上階で、日中直射されまくった熱がギンギンにこもってる。
 でもって、唯一もうしわけ程度についてる天井のファン、これを回すと、カラカラいう音を甲高く鳴らすからうるさくてつけてらんない。

 「家のつくり様は夏をむねとすべし」とはよく言ったもので(by兼好法師)。

 結局、最上階なのをいいことに窓を全開にしてました。多少、虫がかゆい。

 そんな中、恒例の朝予習を済ませました。
 今日の予定です。
  @朝〜夕刻:ベルリン街歩き(全)
  A昼:ベルリン国立図書館で知人に会う
  B夜:ライプツィヒに向かう

 朝の涼しいうちに街歩きを終わらせましょう(小学生の夏休みの宿題みたい)。
 宿をアウトしたのち、まずはトラムでベルリン中央駅へ向かい、コインロッカーに荷物を置いていきます。

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 駅のパンカフェで朝食、↑高密度のクロワッサン生地にシナモンシュガーが練りこんである、大当たりなやつ。フランツブロートヒェンと言って、ドイツ版シナモンロールをぺちゃんこにして表面をかりかりに焼いたものらしい。日本でも食べたいぞ。

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 朝7時半過ぎ(早いなw)、ベルリン中央駅を出発。
 まずはブランデンブルク門まで歩きに行ってみます。

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 ↑メルケル姐さんのいはるところや、議事堂のあるあたりを抜けると、

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 ↑いわゆるティーアガルテン、ベルリンのど真ん中にあるでっかい緑地公園の、右端にあたるエリアになります。
 糺の森みたいなところに、ウィーンかザルツブルクみたいな池がある。

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 ↑緑地の中心を6月17日通りがバスッと通ってて、そのまっすぐ行った正面が、

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 ↑はい、どーんっ。ブランデンブルク門、という配置。

 あれがブランデンブルク門ということは、ベルリンの壁にみんながのぼって壊してた時の映像、あれがあったあたりなんですよね。と思いながら近づいていきます。

 いまいるティーアガルテン側は門の西側です。
 ↓壁は西側にあったという話なので、当時見てた映像のアングルとしてはこうなるのかな。逆光注意。

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 この門の正面をさえぎるように、壁が立ってたわけです。
 右はのちほど行くリバーサイドのほうへ。左は昨日行ったベルナウアー通りを経由して北へ。
 多少の観光客でもいるだろうかと思いましたが、それよりは通勤時間帯の自動車・自転車の類が周囲をひっきりなしにぶんぶん通るので、むしろ日常感な感じ。

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 ↑路面を見るといろんな線が引いてあるんですね、でもその線が意味しているのが「壁があった場所」のような気もするし、あるいは「自転車専用レーン」なだけなのかもしれない、という状態。

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 ↑ブランデンブルク門を、東側から。見るからに新古典主義。

 (・・・えっと、なんだろう、ブランデンブルク門ってこれのことだっけ? なんか、これよりももっと3〜4倍くらい横に長くて大きく湾曲してるような門、を想像してたんだけど、それって何とまちがえてるんだろう???)

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 先の6月17日通りは、この門をはさんで、東側では↑ウンター・デン・リンデン通りになります。

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 ↑そのブランデンブルク門のすぐ南という立地に、ユダヤ人犠牲者記念館があります。展示室までは時間の関係で行けませんでしたが、屋外の広いエリアに並ぶ記念碑だけでも、重く感じるところがあります。

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 さて、最寄りのSバーン駅から乗り継いで、ぐっと東へ遠出します。
 ワルシャウアー通り駅を出て、

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 ↑こんな路上ペイントをたどって行くと、

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 ↑こんなフォトジェニックな煉瓦つくりの橋(オーバーバウム)と、小洒落たウォーターフロント的な川(シュプレー川)があり、その川の東岸に沿うようにして、

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 ↑イーストサイドギャラリーがあるわけです。つまり、ベルリン市内を貫く壁のうちこの一帯(約1キロ強)の分がのこされていて、90年代当時のアートが保存されているというもの。
 そう、つまり先ほどの小洒落たウォーターフロントも当時は東西を分ける川だったし、煉瓦の橋には当時の検問所があった。実際にはそういう場所柄なわけですね。

 というわけで、しばらくご鑑賞ください。

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 こういうのが延々と続き、まあそうは言っても全部が全部良いって思えるものでも鑑賞にひたれる類なわけでもないんだけど、なんというか、こういうのを叩きつけ描きつけたい、そのことで訴えたい声をあげたい、という衝動のようなものはすごくよくわかるし、これはこれでベルナウアー通りの壁ののこし方とはまたちがった意味のあるやつだな、という感じ。
 昔の京大の教養部キャンパスってだいたいこんな感じだったんですけどね。

 オスト(東)駅でラバーダックを購入のうえ、ふたたびSバーンに乗ります。

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 ↑ハッケシャーマルクト駅、19世紀末の煉瓦造りの駅舎。

 ここから”博物館島”と称されるエリアに向かいます。
 ”博物館島”は、ベルリン市内を東西にうねうね流れるシュプレー川にある中州地帯で、旧博物館だ新博物館だ旧国立美術館だとミュージアムの類がでんでんと立ち並んでおり、ドイツ語で”ムゼウムスインゼル”と言うらしいです。

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 ところで、この博物館島のあたりをぶらぶらとしてると、なんかドイツ語喋るシニアのグループの人たちがセルフガイド見ながらヤイヤイ言ってるところに行き合い、あたしなぜか捕まっちゃいました。どうやら、街中探索&クイズアドベンチャー企画、みたいになってて、セルフガイドに書いてある文字をあたしに見せてきて「これってどういう意味?」みたいにきいてくるのですが。

 「柏林」(原文ママ)

 ・・・・・・うん、えっとね。いいのかな。
 「チャイニーズキャラクターで、ベルリン、って書いてあるんですよ」
 と教えてあげたところ、喜ばれお礼言われて、みんなで一緒に記念写真も撮ったりしたという。
 まあいっか。
 
 で、このあたりですでに相当疲れており、いったん屋内でブレイクをとる意味で、たくさんあるミュージアムの中から旧博物館(Altes Museum)を拝見してきました。

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 ↑外観は新古典主義。中にはりっぱなロトンダ(円形展示棟)がある。第二次大戦で破壊されたのちの復元。
 そのロトンダを見たかったというのと、あとはそもそもこのミュージアムは19世紀初頭、芸術というものが一般人のあいだにも広まりつつあった潮流の中で、じゃあ我が王家のコレクションを公開展示するよ、という意味で設けられたとのことで、現代の公共ミュージアムのはしりだよ、みたいな話はちょっと聞いてた。ドイツがミュージアム大国だという噂が本当なら、本家か元祖かな。

 そのお隣にあるのが。

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 ベルリンを象徴する大建築、ベルリン大聖堂です。
 とにかく、でかい。大すぎる大聖堂。
 いろんな街のいろんな聖堂を見て来ましたけど、この大聖堂のでかさの圧倒感はひときわだな、と思います。周囲に建物がなくて、青空をバックにするからかもしれませんが、遠巻きに見上げるだけでも、圧が来る。

 この大聖堂があるあたりは、先ほど見たブランデンブルク門から延びているウンター・デン・リンデン通りであり、このへんに主要スポットが並んでいます。例えば、

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 ↑ベルリン・フンボルト大学、と言えば近代大学のモデルとなったところとして名高いあれですが、通りがかったところのんきな青空古本市をやってたりして、まあ、大学の空気は古今東西こんなんだな、というか、こうあってほしいものです。

 そして通りをはさんで、その真向かいにあるのが。

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 ↑ベーベルプラッツ、焚書広場。1933年にナチスが25000冊という大量の本を焼いた、あの広場がここです。一応ここもフンボルト大学のキャンパス内の一部ではあるみたいですが、大通りに横付けしたオープンな広場になっているので、多くの学生に混じって多くの来訪者がいます。

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 ↑この広場の真ん中にガラス張りのところがあって、中をのぞき込むと、無地の地下室に「空っぽの本棚」という空っぽな本棚のオブジェがあります。ものの本によればナチスに焼かれたのと同じ25000冊分が入る本棚(注:ほんとかな、だとしたら結構な広さになるはずなんだけど)がディスプレイしてあって、かの蛮行が再び起こらないように、負のモニュメントとしてメッセージを発しています。

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 ↑そののぞき穴の脇にプレートがあって、こちらはもっと直接的なメッセージとして、ハイネの「本を焼く者はやがて人を焼く」云々というあの警句が書いてあります。

 なんかもう、ほんとに、「自由と平和が一番」という、何の工夫もひねりもないけど切実にそう思います。

 通りをはさんで、あちら側では現在ののんきな青空古本市。こちら側は過去の凄惨な焚書の現場。偶然にも同じ”本”というアイテムを介しているからこそ、さらに、過去から今までの時の流れと、人のおこない、のようなものに感傷的な気持ちになったりしてます。
 しかも、場所はどちらもフンボルト大学です。単なる知識の継承ではなく、ゼミや実験室で研究や実験をおこなうことで教育をおこなっていく、というスタイルで、近代の大学のあり方のモデルになったというフンボルト大学。それから数十年後には、キャンパスどまんなかのあの場所で焚書がおこなわれた、と。しかも主導的だったのはドイツの学生たちだと。
 なんというか、人間って学んでも学んでもあやまちをおかすんだろうか、とちょっとどんよりしますね。しかもウンター・デン・リンデン通りの幅が広く、空が広くて、石造りの大学校舎がどっしりと建ってるような、空間として大きなところにぽつねんと身を置いて「ここが現場だ」と言われると、その空間の大きさと重さが歴史的事実の大きさと重さかのように思えて、だからどんよりする、ていう。

 この旅行中はまだ読んでませんでしたが、『ベルリンは晴れているか』を読むと最初のほうにこのへん一帯が登場し、戦後の荒廃した様子が描かれています。

 大量の本が焼かれ、市民たちが抑圧され、ユダヤ人やその他の"気に入らない人たち"が虐げられていた、あのころ。
 荒廃した『ベルリンは晴れているか』のころ。
 市内が壁で分断された60年代から80年代と、その壁が解き放たれる様子をテレビで目撃していた、あのころ。
 その壁にアートを叩きつけるように描き、警句を発し、「過去を清算する」というよりもむしろ「記憶を想起させる」ために置かれた、街のあちらこちらの物たち。

 いまの自分は、たまたま、「自由と平和が一番」というのんきな感想を抱きながらこのベルリンにたたずんでるだけですし、そんな”あのころ”のことだって何冊かの本をふんわり読んだだけのことでしかないんですけど。でもそれでも。
 ”あのころ”のようなことがまたぞろ起こってほしくない、と強く思うし。
 起こしてはならない、ときつく思うし。

 そして、というよりむしろ、いまがその”あのころ”では無いという保証はないんだ、とじりじりと思いますね。
 本が焼かれなければいいっていうわけじゃない、議論が封じ込められたり、文書や統計が改ざんされたり、あっても無視されたり、少数の声がウソや罵声や嘲笑でかき消されたり、違う意見や出自の存在が否定されたり、描いたものが撤去されたりしてれば、それは同じことであって、物理的に本が火で焼かれるまで待ってんのか、って話で。

 そういうことを想起させてくれる、街に、いま立っています。

 長くなるので、続く。



posted by egamiday3 at 20:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月08日

(メモ)レジュメ作り課題でのお悩みへの回答メモ

 寄席(大学での講義)で、何かについての概要をまとめて説明するためのレジュメを作る、ていう課題をやってもらっているのですが、その時に受けたお悩み相談に対して、こんなふうに回答してみた、というののメモ書き。
 (テーマやまとめかたは基本的に自由。研究型ではなく報告型として)


・シリアルズクライシスについて、定義・現状・問題点を整理しようとしたが、うまくまとまらない。
→シリアルズクライシスという概念自体が”問題点”だから、「定義→現状→問題点」という流れで整理することに無理があるのでは。「一般的な説明→具体的な説明」、「言葉で説明→数字で説明」、「背景→影響」、のようにストーリーの流れを変えて説明してみるとよいかも。(その手札が増えるように、「他人のレジュメを見て構成を分析する」という演習もやった)

・マイクロフィルムについて調べようとして、文献を検索してみたけど、あまりいいものが見つからない。
→「マイクロフィルム」で検索するのではなく、「マイクロ資料」で検索してみてはどうか。その分野・業界でどのワードがどんなふうに使われているか、をざっくりとつかむために、最初におおまかな下調べをするとよい、その際にJapanKnowledgeのようなレファレンスツールもそうだけど、Google・Wikipediaの類はこういう”ざっくり理解”のときにこそ使える。

・パワポの文字がどうしても小さくなってしまう。
→情報を盛り込みすぎていることが原因。パワポのほうは情報を思い切って削り、ぱっと見て理解できる最低限のフレーズだけとか、絶対に伝えたい/強調したいデータの抜粋だけとかを、のこす。削った詳細な情報は口頭で説明する、または、参考文献を提示するにとどめる。というような二段構えにするとよいのでは。

・○○○の活動を時系列で並べて説明しようと思ったが、やってみると単に沿革をなぞってるだけになってしまう。
→「○○○の活動」というメイン時系列に、併走させるかたちで、他の組織の活動や社会全体の動きなどをちょいちょいはさんでいけば、「○○○のこの活動は世の中から一歩先んじてた」とか「世の中の流れと合ってた」みたいなことが言えて、深められるんじゃないか。

・タイトル・サブタイトルのつけかたで迷う。
→シンプルすぎる(数単語だけ。例えば「図書館とデジタルアーカイブ」など)と、聞く側は、これを聞いて何を得られるかがわからなくて聞くのが不安になる、あるいは聞いてみたら自分が想像していたのと違う話を聞かされたという失望を抱くおそれがある。これを聞くとこれについての情報が得られます、というのがちょうどよく伝わるような言葉を選ぶことを考えるといいのでは。(ていうか教えた手順でやってればそれは最初にある程度設定してあるはず)

posted by egamiday3 at 23:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月06日

2018年に見た展示の感想 : 保存と修理の文化史、建築の日本展、バウハウスへの応答、木下直之全集、和語表記による和様刊本の源流 等


 年間ふりかえり企画にするつもりはまったくなく、最近見た展示の感想をまとめて書こうと思ってたら、いつのまにか歳末どころか年越してたという。
 こうやってふりかえると、要はegamidayさん、展示物は見てないな、と。

・「保存と修理の文化史」@京都文化博物館
 年末からの「至宝をうつす」(同じく文博)の2回目と同時に見に行ったけど、「至宝をうつす」と「保存と修理の文化史」のふたつともを文博の常設展示にしてくれればいいのにね、と思った、クラウドファンディングでそれができるならがんばりますよね。
 とにかく解説、というか図録のテキスト的ボリュームがたっぷりで、この感想はまちがいなく極私的価値観なんだけど、展示図録っていっそA5判か新書判にしてくれたほうが読みやすいと思うんだけど、これは「図を鑑賞する」より「テキストを読む」ことをしたいがための要望なので、要するにegamidayさんは図録に図版をあまり求めてないという変人でした。なにせ「日曜美術館」をイヤホンでナレーションだけ聴いて楽しんでるやつなので。

・「仁和寺と御室派のみほとけ」@東京国立博物館
 知人の卒業制作。
 まずイントロの動画で、「ていうか、仁和寺に行きたいぞ」という感想を抱いたのがすべてだった。そのあとのどの展示よりも「仁和寺に行きたい」のほうが勝り、結果、翌日本当に仁和寺に行ったという。仁和寺最高。
 それでもやっぱり観音堂再現は「やりやがったな」と思った。寺社の展示で、空間と物理が体験できるなら、そりゃみんな行くだろうと。写真も撮り放題だったのですばらしい。(https://twitter.com/egamiday/status/972283031326113792)
 なお、一番好きなのは三十帖冊子です。そりゃそうだろう。

・聴竹居
 自然科学的実験であり、東西芸術の融合であり、家族への愛であり、生活への徹底したこだわりである。「ふじいこうじがかんがえたさいきょうのじゅうたく」は、機能美が過ぎる奇跡の空間でした。床下からの通風口だとか、座敷に座った家族と目線が合うようにするだとか、書斎の机と書架、いまこの場で使いたくなる台所。
 これ設計してる時、楽しかっただろうなあ。

・「名作誕生 : つながる日本美術」東京国立博物館
 こういうコンセプトは、古典文学やってた自分には実にあたりまえというかそれをやることがメイン的なものなんだけど、地味なコンセプトであることは否めない(親兄弟に力説しても伝わらなかったorz)。
 でも、出てる物がスゴイ。それでいて混んでないから(注:GW中)、あの名作もこの名作もゆっくり見られる、なにより、ゆっくり”見比べられる”というのがスゴイ。仏像も普賢菩薩も山水画も、かたちの変遷を確認するために、舐めるように何度も往復して見てた。

・「平安博物館回顧展 : 古代学協会と角田文衞の仕事」@京都文化博物館
 あの建物(旧日本銀行)のあの部分をそんなふうに使ってたんだ、とか、模型の本気さとかもそうだけど、全体を通して「アカデミックが”活動”する」ことの意味、いやそれより、それ以前の熱い思いのようなものを得た。やりたいことはがむしゃらにやるべきだなと思った、体裁とかコストとか仕上がりの辻褄とか先行きの整いとか、そんなのはとりあえずええねん(ま、大事だけど)。
 あと、のこってた映像に見入った。映像でのこすの大事。

・「建築の日本展 : その遺伝子のもたらすもの」@森美術館
 そりゃ自分にとってはヨダレたらたらの展示でしたよ、あの建築もこの建築も、模型なり写真なり映像なりテキストなりで、っていう。至福。
 図録に展示室の写真があるのありがたい、そうですよね、美術館博物館行って写真撮れないのがつらいのって、展示物が撮りたい以前に、展示室の様子なり構成なりしつらえなりをあとから思い出したいたいわけなんで。
 ミラノ博の木組みと映像。
 さざえ堂なり出雲大社なりの模型。
 妹島和世が京都某所につくったという、組み合わさった集合住宅。そのドキュメンタリー映像がなんか夢のようなんですけど、実は、あ、あの場所か、ていう。(http://www.film-documentaire.fr/4DACTION/w_fiche_film/53122_1
 待庵@山アの1/1。
 丹下健三自宅の1/3模型。このへんからもう、勘弁してください、ていう気になる。
 香川県庁にあるという木造の仕切り兼書架みたいなの。 

・「バウハウスへの応答」@京都国立近代美術館
 学校て大事だな、という感想でいっぱいになった。
 科学と社会をつなぐ、学校という存在。だから、社会は回していけるし高みを目指せもする。
 なので、”学校で教える“よりも手前のこと、例えばどの分野によらず、海外事情の紹介とか実作とか雑誌刊行とか研究所設置とかそこでの研究活動とか、は、すべて”学校で教える”ための助走なんだな、と。
 「あらゆる造形活動の最終目標が建築」なら、あらゆる知的活動の最終目標は学校で教えること、だなと。
 だからというわけではないけど、教える者が実務家か実務家じゃないか的な議論は正直あんまどうでもよくて、何をどう教えて結果どうなってるかにフォーカスしたほうが良くないか、とは思う。

・「日文研コレクション 描かれた「わらい」と「こわい」展 -春画・妖怪画の世界-」@細見美術館
 我が子のお遊戯会を見に行った感。

・鳥居本町並み保存館
 町家風民家と、幻の鉄道ジオラマと、京都市内の伝統的建造物群保存地区のまとめ展示。マストじゃないですかここ。通いたい。

・近江鉄道ミュージアム
 そうは言っても、置いてるだけだと、いくら好きでも楽しみ方がわからなかったりする。そこは別方向にストイックになる必要があるのでは。

・彦根城博物館

・箱根関所資料館
 なんか、可能性があると感じ取ったらしい(当時のツイート)。

・「藤田嗣治展」@京都国立近代美術館
 フジタは、縁取りの黒い細い線が好き。あと、ススみたいなかげをつけるの。あと宗教画に自分を描き込んでるの。音声でのこされてた、自分と死に神のやりとりの寸劇(展示じゃなくテレビで見たやつ)。
 ランスの御堂には行きましょうよね。

・「木下直之全集 : 近くても遠い場所へ」@ギャラリーエークワッド
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 この人のように生きたい、と思った。
 ”それ”に向いて、価値を掘り出し、意味を見出し、文脈を描く。これ。
 神田明神祭礼図巻。麦殿大明神。
 書架に並べられた、蓄積ファイルや積みノートの圧巻。これ。
 壁一面の脳内地図。マジでこれ。
 対象や分野はそれぞれだとして、そういうふうに生きたいし、ワークしたい。いや、したいじゃない、するんだよ、今から。という気持ちをあらたにしました。
 図録の小冊子は戒めに常備しとこう。

・「天文学と印刷」@印刷博物館
 メディアはよろずに寄り添うので、こういう展示は何度でも繰り返し味わえるなあ、と。

・「和語表記による和様刊本の源流」@武蔵野美術大学
 東京から1時間半かけてやってきたら、全部納得いくまで見尽くすのに2時間かかった。これはやばい、相当やばいものを見てしまったという感想。
 古活字謡本の復元プロジェクトという、復元することでそれの本質を理解しようとするメソッド。分析でしょ、彫りでしょ、摺りでしょ、その彫ったのと摺ったのの現物。いったいどれだけの専門性と時間労力がかけられたのかと。雲母摺りは版木からめくるときにうまれるムラで絵ができる? 頭を抱える。
 汲めども尽きぬ、文字、文字、文字、文字、文字。古文真宝をキーにして居並ぶ、端麗な文字、武骨な文字、生真面目な文字、艶っぽい文字、くつろいだ文字。
 そもそも「図録をつくること」自体が艱難な大プロジェクトかつ膨大な注力で、買ってみたら図版編・論考編の2冊組で5000円、それでももちろんほしい。図版出版に気の遠くなるようなチューニング作業してるもんだから、紙面見たら、墨のてかりかすれや、金の反射感や、和紙表面の凹凸が、ていうか雲母摺りまでもが、尋常じゃなく綺麗に見える、この世の物とは思えない。言わば、酒が飲めるレベル。

・「祈りと救いの中世」@国文学研究資料館

posted by egamiday3 at 23:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「今はもうない」@ベルリン(201806euドイツ3日目その4)


 ベルリン。初来訪。

 宿に荷物を置くやいなや、ベルリンに来たら何をおいてもまずここに行かなければ、と思っていたところに、来ました。

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 ベルナウアー通り。
 ベルリンの壁が設置されていた場所の一部で、ある場所は壁や施設がそのまま、ある場所は緑地やオブジェをしつらえて、パブリックなスペースとして公開されているところです。

 ベルリンの壁。
 もともと東ドイツ内にあるベルリン市内を、さらに壁で区切って西側市街を物理的に隔離したという、えげつない人造の飛び地。
 それまで往来できていたものを、ある日ある晩突如として、東側から一方的に築かれ分断されたという、否応無さ。
 しかもそれが戦後すぐ占領下でのというわけでなく、1961年というわりとだいぶ経ってから、それでもなお(いやだからこそ、か)そんなことやってるという。
 何千人が逮捕され、100人単位が犠牲になり、それでもあんな近く、すぐそこ、でも経済生活も思想自由もがらっとちがうあそこへ、行けるんじゃないか、行けるんだろう、と思わずにはいられなかった人たちの思いのようなもの。
 地上にある壁では分断されてても、地下にはすでに地下鉄が通ってて、その駅だけは何年も通過して無かったことにされてたという、そんな無理くりなことしてまで分断したかったのかよ、という頑迷さ。
 そして、記者会見でのふわっとした凡ミスで、あっけなく有名無実化したという、じゃあ何だったんだ感。
 
 という、ベルリンの壁の現場を、まずは訪れよう、と。

 ベルリンの壁、と一口に言っても、市内を長く分断してたわけですから、例えば映像や写真でよく見る(見た)”人々が上によじ登って叩き壊してる”ポイントや”現代アートが壁一面に描かれてる”ポイントは、まただいぶ離れた別の場所にあります。ここベルナウアー通りは、リアル保存のための緑地的な感じ。

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 ↑上が、西側の壁のあった場所に建てられている鉄骨。
 ↓下が、東側の壁のあった場所を示す鉄骨と、当時の壁そのもの。

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 間にある緑地が、監視塔などが置かれたりしてた無人地帯ですから、え、こんなに広い緩衝地帯(?)があったんだ、と現場を見るとちょっとびっくりしますね。
 あと、壁ではなく鉄骨を列置することで、場所や高さはわかるけど物理的な閉塞感はない。「今はもうない」んだけどでも「かつてそこにあった」ことを、ものすごくわかりやすく教えてもらえてる感じです。

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 ↑ここの壁(東側)自体はそんなに分厚いものではないですね。物理的には、無理に押せば倒れそうではある。

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 当時の様子を忘れさせず色あせさせないようにと、がっつりと写真で見せつける。
 こういうの見ると、アーカイブって大事でしょう、と思いますね。
 見てごらん、あなたはいまここにいます。目の前の建物は東側でした、多くの人が、そこからあなたの背後へ亡命しようと試みたんです、と。

 そんな場所もいまはパブリックな緑地で、学生らしき若者らが寝転がって談笑してたり、自転車による市内ツアーのグループがガイドさんの説明を聞いたりして、平和に活用されています。

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 ↑ところが、もう少し先へ行くと西側の壁が当時のまま遺されてるんですけど、こちらは一転して圧迫感が強く、怖さを感じるようになります。
 現物展示は大事なんだな、という文化資源的な思い。
 あと、なんというか、こんなものまでつくって何を守りたかったんだいったい、という虚無感みたいなの。

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 ↑そう思いながら見ると、この絵柄の朗らかさや配列のおどけた風にも何かしらの”怒り”を感じますね。

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 ↑ちなみに壁現物が遺されてない場所については、市内のあちこちをよく見ると、路上にこういうラインが埋め込まれてて、ここに壁があったんだよと教えてくれます。歴史を風化させないための現場の仕事、のようなもの。

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 ↑なお、ほんとはマストその2なドキュメンタリーセンターやビジターセンターの類ですが、休館日でしたので、これは「必ずまた来なさい」という天命として受けとっておきます。

 ・・・ていうか、もう午後6時過ぎてるというのに、気温が高くて日射しが強い、熱中症レベルじゃないかと。暑さにやられてしばらく日陰のベンチで座り込んでました。海外旅行あるあるの、一回座り込んで休息がてら、ガイドブック見て戦略を練り直すやつです。
 ノートのtogoリストと、Googleマップのルート案内をふまえて、バスに乗ります。

 次の来訪地。
 ユダヤ博物館(Judisches Museum Berlin)。

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 まず心臓をギュッとされるのが、この博物館の建物です。
 ただの四角い箱では済まされない、本来人に安定安心を感じさせるはずであったろう公共施設が、ズッタズタに斬りつけられた感。
 何の説明もされてなくても、自分は正直そこまで歴史的背景をみっちり教育されるような環境下で育った身ではないけど、それでも、この外観意匠を見上げただけでメッセージが伝わるわけです。
 近寄っただけ、入館すらしてないのに。

 で、入館して、展示エリアに足を踏み入れようとするじゃないですか。
 ここはメイン展示フロアが地下にあるんですが、順路案内に従って歩みを進めようとすると、下向きの通路が、不規則なジグザグになってて、空間を直線で乱暴に切り取るような造りになってるんですね。そんな薄暗い通路を、上方かつ背後に設置してある監視用のサーチライトが、不規則なタイミングでぴしゃりぴしゃりと照らしてくるわけです。そんなところを下向きに(通路が下向きだから、自然と視線もうつむきになる)とぼとぼと歩く、ていうか、歩かされるという設計。
 入館するだけで、自分の人間性の一切を否定されたかのような、不安感と恐怖感をじりじりと押し付けられてるような感じ。
 ライトはともかく、建物のデザインとして、メッセージがどんだけ強烈で効果的なんだと。

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 このユダヤ博物館は、展示物の訴えかけもさることながら、他のフロアもこういった強烈な演出で訴えかけてくる(ホロコーストタワーと称される、コンクリで閉ざされて高いところだけ日光が射してる部屋等)建築意匠になっているので、暑さで身体がへとへとのあとに、感情がへとへとになります。ちょっと受け止めるのに気持ちのエネルギーが必要な感じですが、まさにそれこそが、この施設の意義なんだろうなと思いますね。
 館内歩いてても、ふとした場所でところどころに不自然な直線が刻まれてるんですよ。
 心の安まる時がない。

 なお、この周辺をふらふらと歩いてもみると、エスニックというか多国籍でかつネイティブな雰囲気のエリア。
 そこからさらに行くとお店と人出でにぎわう通りがある人気エリア(ベルクマン)らしく、よくある”下北沢っぽいところが人気出る”パターンの街でした。

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 ↑そういう人気出る街のマーケット。

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 ↑そんなエリアの、人気あるっぽい、ビール店(Dolden Madel)。

 というわけで、屋外席からのビール&食レポをざっくりと。

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 ↑ピルスナー。ふつう。
 やはりハンブルクのあの店の1杯目が”ピルスナー”としては異様だったんだという認識を新たにする。

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 ↑飲み比べセット。
 Zwickel(ラガーを濾過する前に樽から出したようなものか)、レッドビール、ペールエール、IPA、あと何か。
 残念ながら、あまり印象がない。ローカルっぽいやつじゃないんだなという理解。

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 ↑ドイツにはパンケーキを細切りにしてスープの具にする、という噂を聞いていたので、それを注文してみた。牛ベースのスープで、まあ、そういう味がしたという印象。
 あてにハムとチーズのプレートを注文したら、一人分でこれだった。これにパンが一籠付く。マジかドイツ。
 とにかくチーズがいちいち美味しくて、ヨーロッパはそもそもチーズのステージがちがうと思ったり思わなかったりしながら、パンにたっぷりつけてもぐもぐタイムしてた模様。

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 ↑これは宿近くの地元も店で入手したカリーブルスト。たっぷり辛くしてアジア食成分を補う感じ。
 ちなみに、ドイツではカリーブルストが人気だと二言目には言われるわけですが、言っても焼いたソーセージにカレー粉で味付けしただけなら世界中どこだって食えるだろうから、あれがやたら推されてる理由がいまひとつわかってない。

 なお、帰りの地下鉄でうとうとしかけてお姉さんから声かけられる事故があったので、以降要注意でお願いします。
 一応ベルリンのよさげなビアバーをいくつか目星つけてた(次回へ申し送り)のですが、そこまでの体力はまったくなかった模様。
 思えば長い一日だった・・・。


posted by egamiday3 at 18:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする