おはようございます。
5日目(2018年6月13日)の朝です。


ライプツィヒ駅のパンカフェで朝食をいただいています。
このパンがとにかく穀物ぎっしりのパンで、もはやシリアルバーだろう、と。
今日の予定(もくろみ)です。
@午前:ハレへ行く
A昼:ライプツィヒを歩く
B夕:バンベルクに向かう


ライプツィヒ駅のコインロッカーにいったん荷物を置いて、これからハレという街にショートトリップに行きます。
ハレは、ライプツィヒから鉄道で30-40分程度のところにある街。そんなに大きくはない。大学があるんだな、くらい。
観光地があるというわけでもない。というか、地球を歩く人たちの歩き方ブックにも特に紹介されていない、それくらいのレベル。
でもな、なんか世界史ではちらっと聞いた覚えあったりなかったりするんだよな、くらい。
説明になってませんが、そんな街へなぜ行くのかというと。
お目当ては「ヴンダー・カンマー」です。
説明しよう、ヴンダー・カンマーとは。
ヴンダーは、ワンダー。カンマーは、部屋。直訳で「驚異の部屋」とか、あるいは「珍品蒐集室」などと言われる施設で、異国の動植物の剥製や標本だの、木石の類だの、異国文化の文物だのといったものがごっそり集まって陳列されてるという。”ある時代のある国の人々にとって”はまさに世界の珍品であり、お宝であり、ワンダーであふれかえる部屋である、と。万物展示部屋だと。異国趣味のドンキホーテ(注:現代日本の店舗としての)やぁ、と。
この手の”部屋”は16〜17世紀頃、ドイツほかヨーロッパ各地に出現してたそうで、ということは時代的に言えば、大航海時代より後の、世界の存在が知られかつ世界の文物がヨーロッパに持ち帰られまくった時代であり、かつ市民革命等より前の、そういうのを一部の個人が趣味嗜好で所有していた(公的なミュージアムではなく)時代であり、啓蒙主義以前、近代的分類学・博物館的考え方以前の、雑然として学術的分析・分類の意識薄かった時代であり。
結果、蒐集するだけ蒐集して収拾がつかなくなったような、前近代のミュージアム。混沌、雑然、無秩序、いいかげん、なんでもあり。
ではあるんですがでもそれを”カオス”と見るのは、言ってみれば近代現代の目線であり、当時は当時なりの”世界観”がそこに反映されていると言っていいわけであり。いや、あたしは別に、その当時のカオスな世界観が好きなわけでもなんでもないのですが、これって、近代の分類学や博物館的考え方が成立し始める直前の「エピソード0」、大英博物館の啓蒙主義展示の一世代上の兄貴的存在なんだろうな、という理解でおります。
というのが世の中にはある、とどこかで聞き知っていたので、機会があれば行ってみてもいいかな、くらいだったのですが。このドイツ旅行初日の行きの飛行機の中で、ものの本で予習読書をしていたところ、ライプツィヒからすぐ近くのハレという街にあるのが「訪れやすく見応えがある」と知り、今回の旅程に加わることになった、という。
やっぱり予習はするもんだな、と。
いうわけで、大学生と持ち込み自転車でぎゅうぎゅう詰めな近郊鉄道にゆられ、ハレの街に到着です。


↑なんというか、ふつーの駅を降りて、ふつーの商店街ストリートを歩く。大学(マルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルク)がある街のようなので、それなりの活動感と暮らすのによさそう感はある。

で、しばらく歩くと街はずれのあたりに何やら建物が寄り集まったような一角があり、子どもたちが遊んでたり、人が出入りしたり、建物がやけに歴史的な雰囲気でしかも地味、といった、いかにも文教的空気感に覆われたキャンパス風のエリアがあるわけです。
ここが、どうやら「ハレ・フランケ財団」というところらしい、と。



あまり日本語情報がなくて説明が難しいんですけど、ハレ・フランケ財団とは。
アウグスト・ヘルマン・フランケ(1663-1727)という、プロテスタント・神学者・教育者の人が、教育・慈善を目的として、貧しい子供たちのための学校・孤児院を設立した、というのがそもそものおこりだそうで、ラテンスクール、図書館、教員養成所の類もつくられた、一大キャンパスだったらしい。その頃の建物がなんやかんやでいまに至り、世界遺産登録待ちであるというそんなところ。一方で、いまもあっちのグラウンド辺りで子供たちのはしゃぎ声が聞こえるし、先生に引率された子供たちのグループを見かけたり、という現役の学校教育もおこなわれてるみたいだし、ハレ・ヴィッテンベルク大学のキャンパスでもあるということらしいので、歴史的にも現在的にもハレという街の文教エリアなんだな、と、ふわっと理解しています。
という、えーと、これあたしみたいなよそ者観光客がちんたら足を踏み入れても大丈夫ですかね、通報されないかな、くらいの勢いの雰囲気の中を、しかしこの中のどこかに、ヴンダーカンマー(しかもものの本によれば「訪れやすい」という)があるはずなんですが。
↑これがその建物らしい。
あとでわかったのですが、これがまさに旧孤児院だった建物で、フランケ財団のシンボル的存在っぽい。
おそるおそる入ってみると、あ、よかった、受付っぽい構えの番台に制服姿のおばちゃんがいる。と思って、ヴンダーカンマーに行きたいんだけど、という旨を伝えようとすると。
「******* ***** **********, ********」
・・・ここでドイツ語オンリーかぁ。
お互い懸命に、身振り手振り少ないボキャブラリーをひねり出しあってなんとかわかったことには、ここを出てぐるっとまわったところにあるビジターセンターでチケットを買え、と。
で、行ってみると、チケットとお土産グッズや解説小冊子の類が並んでるセンターがあり、よかった、ビジターウェルカムな施設なんだということがちゃんとわかりました。


というわけで、まっ白い壁と地味な構造の建物、そして何より木造板張りの床と階段のギシギシ鳴るのとその匂いが、いかにも”校舎”的ノスタルジックな印象のビルディング、立誠小感がします。
まずはメインのヴンダーカンマーから。



異国趣味のドンキ、と煽るわりにはちょっと地味かな、とも思いますが、そもそもがプロテスタントの子ども教育、っていうのを思い出すとまあこんなもんかなとも思いますね。それでも、宙に浮く巨大ワニ、でインパクトは充分かと。



謎のキャラもあり、一部きついのもあり。
何が並んでるのかもわかりませんが、”未知”に触れたとき、人って、こういうことするんだな、と。




ざっくり&プリミティブな感じの分類がされて、それぞれキャビネットに陳列している、という感じですが、キャビネット上部の世界観パネルがちょっと愛らしい。
ていうか、こういうガラスのキャビネットに入れて整理する、ということ自体が、だんだんと分類学・近代的博物館への移行、ということになるのかな、と。「本棚の歴史」ではないですが、こういうキャビネットや展示ツールの歴史みたいなんってまとめられているのかしら。
薬剤を収納するテーブル、かな。


「驚異の部屋」の模型と、いにしえのフランケ財団キャンパスの模型。全体の様子がこれで把握できますね。

世界のヴンダーカンマー(いまは失われた?)をパネル展示してて、これはウィーン。

↑1990年当時の、ここ。
そう、いまでこそこうやって無邪気に文化資源を楽しんでいるわけですが、よく考えたらライプツィヒもハレも元は東ドイツだったわけです。
これもものの本によれば、東ドイツ時代の政権とこのフランケ財団の思想とが合致してなかったということでしょう、ここ一帯の文教施設はそれはもう冷遇されていたとのことで、施設が活用されないどころか、建物は荒廃し屋根には穴が空き、室内とその文化資源類は雨水やら鳩の糞やらで汚されまくり、壊滅寸前だったところを、東西統一後にリノベーションされた、ということらしいです。
ほんとに、もう、文化資源を守りのこしていくのって気が休まることがないな、と。ていうか、対岸の火事でもないところに、背筋が寒くなる。
さて、あたしがそうやってやいのやいの見まわってる間にも、先生に引率された地元の子供たちがきゃいきゃい言って見学にきてはりました。教材として現役で使われている文教施設ということですよね。別のフロアにはセミナールームがあって、小さい学会みたいなのもやってたし。


この建物は歴史的曰くがあるだけでなく、屋上まであがると眺望が良いのです。そして、ハレの街のあちこちに良さげな大建造物もあるので、ここがガイドブックに紹介されてないのなんか腑に落ちないなって思います。

企画展もありました。18世紀にプロテスタントが布教と知の獲得のために世界旅行、という感じなのか、キャプションもパネルもオールドイツ語で、ぼんやりとしか理解できませんでしたが、江上好きする内容だったのでひととおり目で楽しんだ感じ。
写真はありませんが常設展示もあって、ルターの著書とか平気で置いてあって、ほんまか(ここの沿革を考えればほんまだろうな)と。
さて、この旧孤児院棟とは別に、歴史的な古い建物がキャンパス内あちこちにありかつ現役で使われているわけですが、そのひとつに”ライブラリー”もあるということで、拝見してきました。



起源が17世紀末、18世紀初めには18000冊を所蔵してて、ドイツでは非教会系の図書館としては最古である、という古さあたりもさることながらですが、おおっと思ったのが、その18世紀初めからすでに公共に開かれた図書館として運営されていた、というあたりですね。そして当然いまも無料公開です。(注:研究目的。写真のヒストリックな2階とは別に、モダンなリーディングルームが1階にある)

という、フランケ財団詣ででした。
今回のハレ訪問はほとんどこれだけであり、あとは商店街の雑貨屋で帽子を買おうとしたらそれは婦人用だからダメと断られたとか、それくらいの話題しかないのですが。
それでもほんとにショートトリップでも充分楽しめたし、もっとゆっくり過ごせば気になる大建造物があったり歴史的背景もあったりしそうだし、一方で英語案内僅少で日本語情報もネットで少なかったりすると、これは開拓しがいというか掘り返しがいがありそうだな、という気がしますね。機会があればまたきてちゃんと楽しみたい。
今日は曇天だったけど、次来るときは、晴れてたらいいね。


ハレ中央駅の駅舎。
再びライプツィヒへ戻ります。