2019年03月31日

「酒と泪とザンクトガレン」@ザンクトガレン(201806euドイツ8日目その2)


 空腹を忘れてしまいたい断食や
 生水ではどうしようもない疫病に
 苛まれたときに修道士は
 酒を醸すのでしょう



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 あ、すみません、駅のベンチでアルコールフリーの缶ビール飲んでました。これがまたレベル高くて美味い。
 いや、ちがうんです。荷物をコインロッカーに預けようとすると、コインがいるじゃないですか。しかもトイレ行くにも有料でコインがいるじゃないですか。でもスイスフランをATMで手に入れても、札しかないじゃないですか。だからコインを得るために駅併設のスーパーで飲み物買って、午前中のドタバタで渇いたのどを潤そうとしたら、これがあったわけですよ。
 ね、美味いアルコールフリービールは頼りになるインフラですよ。

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 というわけで、ザンクトガレンの町にやってきました。
 ここでのお目当てはザンクトガレン修道院とその図書館です。

 説明しよう、ザンクトガレンとは。
 7世紀にアイルランドからやってきた修道士(ここでアイルランドが出ますかそうか)が建てた小屋を起源とするザンクトガレン修道院は、中世も早いうちから学問と写本作成を熱くおこなっていた中核的存在だったと。建物こそ近世以降のもののようですが、バロック建築たる大聖堂、豪華な装飾の付属図書館、世界最古といわれる建築設計図ほか稀覯過ぎる蔵書群などなど、もちろん世界遺産認定(1983年)です。

 というわけで、駅から町を抜けて、ザンクトガレン修道院へ向かいます。

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 ↑旧市街っぽいところで、かつ観光客やお店も多そうなところですが、なんかフェスティバル的なことをやってはる。

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 祭の催しや市民のみなさんのにぎわいの中を、適当にぶらつきながら路地を歩いていくと。

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 なるほど、これがザンクトガレンの大聖堂か。
 シンメトリーに2つ並んだ塔(逆光のため正面からは撮影できませんでしたが、展示品の模型を↑参照)、随分と男前なのと、芝生で市民のみなさんが思い思いにくつろいでるのを見ると、あ、愛されてるんだな、というのがちょっとわかりますね。建物自体は近世以降のものなので、古さからくる威厳のようなものが感じられるわけじゃないんだけど、なんか、愛され感はある。

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 そして↑中がこんな感じ。
 もうこれはごてごてしてて、ちょっとあたしの手には負えません(笑)。

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 ↑お目当ての図書館へ向かいます。

 で、もちろん撮影禁止なので生撮影の写真はありませんが、以下、代替物でいくつかご紹介します。

 まずWikimedia Commonsの写真が、↓こう。

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Stiftsbibliothek St. Gallen [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

 あと、館外で掲示してある室内写真が、↓こう。

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 いわゆる「世界の美しい図書館まとめ」的なところで出てきそうなやつ、ですね。
 18世紀の建造物だそうで、木造が醸し出すいい感じの色調と照りが癒やされるし、ごてごて感のある装飾もその木造感でいい具合に抑制されていて、上品さを保ってくれてる、という感じがする。
 なので、ほぼ1時間ぐらい室内をうろちょろ見まわる感じで滞在してました。去るのはもったいなかった。

 蔵書的には、全17万点。それはともかく、西暦が3ケタの写本が400あるっていうのがすげえなと。当時は写本作成のためにヨーロッパ各地の僧侶たちがここまで足を運んだ、というようなこともどっかしらに書いてあったので、一大アーカイブセンターだったんだな、と思います。

 上記写真は無人状態ですが、実際はかなりの観光客が室内にいて、入れ替わり立ち替わり、いろんな言語をしゃべりつつ見学する、という感じです。稀覯書展示ケースもたっぷり置いてあって、ここの蔵書でもってここの歴史や修道会の歴史を語る、的な感じ。アイルランドの話もたっぷりあったと記憶してます、英語でこのへんの説明をされてもなかなかしんどいのでぼんやりしてますが。
 入室者は、靴を履いたままもうひとまわり大きいウレタンのスリッパを履きます。履き替えるんじゃないだ、と思った。あとはロッカーとミュージアムショップが充実してる感じです。相当の来客を受け入れる態勢はちゃんとできてると。

 蔵書や装飾の諸々の謂われ(人形が各分野を表現してるとか)はもちろんあるんですが、ここであたしがうろ覚えでふんわり書くよりは物の本でも参照し直したほうがいいと思うので、おおかたを省きます。
 ただ、それでも省けないというか、これがここへ来たメインだよという最大の見物が、”世界最古”と呼ばれる9世紀の建築設計図です。

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 ↑館外掲示の、原寸大写真です。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5e/Pianta_dell%27abbazia_di_san_gallo%2C_816-830%2C_san_gallo%2C_stiftbibliothek.jpg

 ↑wikimedia Commonsの画像へのリンクです。

 77cm×112cmだそうですので、ほぼA0ですね。
 室内にもテーブル状の展示があって、みんなが囲んでやいのやいの言ってました。

 ポイントその1。建築図面として世界最古らしいこと。
 修道院施設として教会や作業場などなどが書き込まれている。
 ただし、世界というかたぶんヨーロッパで。あと、実際には建設されてないらしい。

 ポイントその2。「図書館」も書き込まれている。
 この図書館は2階建てで、書庫と写本室があったらしい。
 ね、写本という複製行為と、保存がセットなんですよね。よくわかる話だ。

 ポイントその3。「ビールの醸造所」も書き込まれている。
 この建築平面図にはビール醸造施設らしき場所、樽らしきものが描かれているという話じゃないですか。マジか。
 そもそも修道院とビールは古来関わりが深く、例えば断食修行の時でも飲料は認められていたから栄養補給のためにビールを醸したんだとか、例えば疫病が流行ると生水が飲めないから煮沸済みのビールが飲まれたんだとか、結果ビールが収益になったんだとか、いろいろなことを言われていますが。
 (なお、「ザンクトガレン修道院は文献に登場する最古のビール醸造所」という説もありましたが、現在は否定されている様子)

 まあいずれにしろ、図書館史では図書館史の見地から、ビール史はビール史の見地から語られる建築図面ということで、ドイツではないのにドイツ3Bのうちの2つ(BibliothekとBier)がここにあるじゃないですかね。しかも相当古い。
 というわけで、今回の旅にぴったりな、かつ図面としてもなかなか愛らしいこの資料の絵葉書を記念にいただいて、帰ったのでした。

 ほんとはアイルランドから続くキリスト教文献史的なのをちゃんとたどるほうが絶対おもろいと思うのですが、それはまたいずれ勉強しなおします。
posted by egamiday3 at 20:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「この列車は、無駄な乗り換え経由、ドナウ川経由、船旅経由の、スイス方面行きです。」@ミュンヘン→ザンクトガレン(201806euドイツ8日目その1)


 8日目(2018年6月16日)の朝。

 ・・・やばい、寝過ぎたっ。
 昨晩調子に乗って呑んでて、あきらかにヘンなテンションになってる(参照:http://egamiday3.seesaa.net/article/464593945.html)のが言葉じりからもわかるのですが、目論んでた起床時刻を大幅に過ぎてしまってて、早朝の列車の時刻が迫ってるのでした。急いで支度せねば。

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 ↑朝食のために急いで茹でたヴァイスヴルスト(ミュンヘンで朝だけ供されるという白ソーセージ)とシュパーゲル。

 いや、こんなことしてる場合じゃない、ミュンヘン発06:43に乗らなあかんのです。これもう6時過ぎてる。

 というわけで、今日の目論みです。

(1) ミュンヘンから、できるだけ"おもしろいルート"で、スイス・ザンクトガレンにたどり着く。
(2) ザンクトガレン見物。
(3) 最終地・チューリッヒ着、友人に会う。

 実はきのう、ネルトリンゲンからミュンヘンへ戻る列車の中で、ノートと時刻表アプリと時刻表(紙)をひろげまくり、ミュンヘンからザンクトガレンまでどうやればいかにおもしろくたどり着けるだろうかと、超真剣&集中モードでルート調査してたわけです。
 ちなみにその時のノートがこちら↓。

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 ね、列車の中でこういうことしてる時が一番楽しいんですよ、観光とか二の次でいい。

 で、私の頭の中の西村京太郎が導き出した結論が、以下、「全7回の乗り換え」と「朝のドナウ川を眺める車窓」と「ボーデン湖をフェリーで渡ってスイス入国」という、旅情たっぷり全部のせのようなルートプラン。これじゃないかな。

0643 Munchen > IC2266 > Ulm 0802
0816 Ulm > RE3206 > Herbertingen 0915
0919 Herbertingen > RB22805 > Aulendorf 0944
0955 Aulendorf > RE4209 > Friedrichshafen Stadt 1032
1033 Friedrichshafen Stadt > RB17755 > Friedrichshafen Hafen 1034
1040 Friedrichshafen Fahre > フェリー > Romanshorn Autoquai 1121
1129 Romanshorn Bahnhof > バス > Haggenschwil-Winden 1145
1148 Haggenschwil-Winden > RE5222 > St. Gallen 1158

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 ↑もう、以上のルート提示でオチたんじゃないかとも思いますが、以下、旅の記録です。

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 ↑さよならミュンヘン。

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 ↑Ulm着。
 この街は大聖堂で名高く、ちゃんとした写真は撮れませんでしたが、駅に近づくと突然見える巨大建造物=大聖堂の堂々感がすごくて、思わず声をあげレベルでした。またいつか来ようね。

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 ↑Ulm駅で、Herbertingen行きに乗り換え。この間の車窓が、地図の示すとおりドナウ川沿いのはずです。

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 ローカルな車内でぼーっとしてると。

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 付かず離れず、「われてもすえに」かのごとく、右になったり左になったりして、ドナウ川沿いを進みます。
 ていうかあれですね、ドナウ川と聞いただけで勝手にどっぷりとしてゆったりと流れるワルツのような蒼き水を想像してしまいますが、さすがにこの辺まで上流だと子供が水浴びしててもいいくらいの規模なんですね。

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 ↑Herbertingenで乗り換え。次のAulendorfへは20分ちょっと。

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 ↑Aulendorfで乗り換え。とにかく天気がいいから、自然豊かな南ドイツの車窓が楽しめてよかったね、という感じです。

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 で、↑最終的に着いたのが、ボーデン湖畔にあるFriedrichsgaften Stadt駅。
 ここでさらに別の車両に乗り換えると、こいつがボーデン湖フェリー乗り場に連れてってくれる、という段取りらしいのです。
 その乗車時間、約1分。

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 着いたw
 え、これ着いたでいいんだよね、大丈夫かな降りてw

 と、笑ってる暇もホントはない、3-4分もすればフェリーが出ちゃう。しかも切符どこでどうやって買えばいいのかも結局調べついてない。
 焦りながら人の流れにつくようにして、走ったり焦ったりしてると。

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 ・・・あれ、これもう乗ってるな。

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 あれ、これなんか、もう出航したな。
 というわけで、切符は買わずとも船内でスタッフが料金徴収に来るというシステムでした。

 ・・・ということは、ドタバタしているうちにこれをもって、ドイツとはお別れなのですね。

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 さようなら、ドイツ。
 さようなら、3Bの国。
 楽しかったし、イタリア並みに土地ごとでローカル色違うし、旅がはかどるインフラがしっかりしてるので、また絶対来る。

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 そして、待ってろよスイス。
 いま見えてるあの湖岸が、ドイツ側なのかスイス側なのかもちょっとよくわかんないけど。

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 所要時間40分程度、10ユーロしない船便ですから、旅行者だけじゃなく生活者も両国間の行き来に使ってるんだろうな、と思います。特にスイスなんか物価高いだろうから、買い出しに来てる人もいるんじゃないかな、デンマーク船便みたいに。

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 わりとあっさり、あちら側の岸も見えるようになって。

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↑着岸です。

 ところで、あたしはてっきり「スイスはシェンゲン協定に入っていない」と思い込んでいましたが、2008年に入ってたんですね、知らなかった。
 ていうかよく考えたら、スイスに踏み入るの20年ぶりとかじゃないのか。

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 というわけで、なぜか船内からしっかりパスポートを握りしめるなどしていたのですが、人波に流されるままにふわっとスイス入りしたのでした。随分あっさりしたものでした。

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 と、思いきや。
 ここからザンクトガレン方面行きバスへ乗るのに手間取って、結局乗りそびれるという事案が発生・・・。
 ・券売機があるが、スイスフランが無いからカードで買うしかない。
 ・カードで買おうとすると、券売機のPINパッドがドイツ語オンリーで操作できない。
 ・バスだからドライバーから買えばいいのでは、と思い当たり、バスドライバーと交渉するも、(バスの次に乗る)トレインチケットとセットだから、チケットを買えと言われる。
 ・バス、無情にも発車(さよなら・・・)。

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 結局、予定を1本遅らせて次のバスで向かいます。

 (いまここ)ボーデン湖畔バス乗り場 →(バス)→ どっかの鉄道駅 →(鉄道)→ ザンクトガレン駅
 
 まあ、こういうトラブルがあろうことを折り込んで早めに着くルートプランを組んでたのでいいのですが、今度は日本から持ってきたレンタルwifiが急に使えなくなった・・・。え、スイスでも使えるやつ契約してきたよね・・・スマホがつながらなくなると、途端にどうやってザンクトガレンまで行けばいいのか、困る・・・。
 まあ、周囲の人たちみんなだいたいザンクトガレン行きみたいなんで、いいんですが。

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 ネットにつながらない不安を抱えたまま、スイスのどっかわからない田舎の駅に到着。

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 なんだろう、↑車窓が急にスイス感を出してきたぞ、という印象があります。
 どこでそう感じるんだろうと不思議に思ってたんですけど、写真をよく見ると、家屋が石造感ではなく木造感なところと、屋根の勾配がめっちゃ急(雪国感)なところ、なのかな?
 あと一気に山がちな上がり下がりが増えた。湖渡る前、スイス国境が近づいたあたりもやたら岩肌が見える山間感が出てたし、ドイツってよほど平らだったのねと。

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 というわけで、12時半ころにザンクトガレン駅着、なのでした。おつかれちゃん。
 このあとは、ザンクトガレン見学です。

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2019年03月12日

「小麦がときめくヘーフェヴァイツェンの魔法」@ミュンヘン(201806euドイツ7日目その2)


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 というわけで、ネルトリンゲンからミュンヘンに戻ってきました。
 とりあえずミュンヘン市内のざっくりとした街歩き&呑み歩きをしにいく感じです。

 明後日は帰国便に乗る、そのため明日はチューリッヒに泊まる。
 ということは、最後から2番目である今宵は、同時にドイツ最後の夜でもあるわけです。
 ああ、とうとうその時が来てしまったか・・・。
 と思いつつも、なんというか、もうそろそろちょっと飽きが出てきたかな、というのも正直なところです。バンベルク&ヴァイエンシュテファンではしゃいでた昨日に比べて、ここへきて一気に”潮時”感が襲ってきましたようで、旅先の精神状態というのはなかなかナイーブなもんだなと思いますね。それがミュンヘンのなせる術だったのかどうかはわかりませんが。

 とりあえず。
 ミュンヘンの有名なビアハウスである、↓ホフブロイハウスにやってきました。

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 説明しよう、ホフブロイハウスとは。
 ホフ=宮廷、ブロイハウス=ビール醸造所。宮廷(王家)というからには、例のビール一族ことヴィッテルスバッハ家です。
 そもそもですが、ドイツにおけるビールづくりというのは中世近世くらいまでは北ドイツのほうが有名だったらしく、特にアインベックという町のボックビールというのが有名で、ミュンヘンもそこからわざわざ取り寄せて消費していた状態だったと。それを、いや、それでは足りん、まかなえん、まどろっこしい、というんで16世紀当時のヴィッテルスバッハ家当主が自前でビール作っちゃえばいいじゃんというノリで設置したのが、このホフブロイハウス。で、近世以降の「ビールと言えばバイエルン」「ビールの都・ミュンヘン」というブランディングはここから始まったと言われているようです。
 あー、あとあれだ、そんなことよりたぶん有名なのは、1920年にヒトラーが演説した大集会の会場がまさにここホフブロイハウスだったわけです。そういう歴史の現場でもある、と。

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 もちろんいまでは観光客でたっぷりのこの店内で、とりあえず昼食をと。

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 まずは、↑ホフブロイハウス製のミュンヘナーヴァイセ(ヘーフェヴァイツェン)、これはもうしかたがない。(何が?w)

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 食事は↑Surhaxe、豚肉のスネをゆでてあるということでアイスバイン(北ドイツの料理)ぽいですが、ミュンヘンのこの店のバージョンはいったん豚肉をハムみたいに塩漬けにしてあるらしいです。まあ、あまり気づかないくらいに美味い、さっぱりして鶏肉っぽい。ザワークラウトが一切くたっとしてなくてしゃっきりしてる。ホースラディッシュがわんぱくな食肉に相性ぴったりで、かつ最高のジェネリック日本食感を生み出しており。あとはポテトのクヌーデル。ライプツィヒのあの店のクヌーデルほどではないものの、粒がのこったうえで半もっちりという感じ。
 はい、ツーリスティックな店であったとしても美味いものは美味いのでありました。

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 ↑バイエルン州立民族学博物館、「五大陸博物館(Museum Funf Kontinente)」という名前を持っているところです。
 ここはあれです、シーボルトのコレクションをたんまり持ってはるところです。
 そう、民博でやってた展示のやつですよね、あれあたしボーッとしてて結局行けてなかったんですよ、しまったーと思ってたけど、現地に来ちゃいました、やったー。

 と、喜び勇んで見て来ました。
 ・・・シーボルトのコレクション、無かった。
 なんか、ネパールの展示をしてあった。そっか、常設してるというわけじゃないんだね・・・まあ五大陸分の博物館だからね・・・。
 なお、2019年秋にはシーボルトの特別展をやる模様。タイミングが・・・。

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 地下鉄で移動。

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 次にやってきたこちらが、↑Bayerische Staatsbibliothek、バイエルン州立図書館です。
 州立図書館とは名乗るものの、下記のリストを再掲します通り、

 1. ドイツ国立図書館(DNB)
   −1.1 ドイチェ・ビュッフェライ(@ライプツィヒ)
   −1.2 ドイチェ・ビブリオテーク(@フランクフルト)
   −1.3 ドイツ音楽資料館(@ベルリン)
 2. ベルリン国立図書館(SBB)(@ベルリン byプロイセン文化財団)
   −2.1 ハウス1・古典資料(@ウンター・デン・リンデン通り(旧東ドイツ))
   −2.2 ハウス2・現代資料(@ポツダム通り(旧西ドイツ))
 3. ★バイエルン州立図書館(BSB)(@ミュンヘン)
 
 3つめの国立図書館@ミュンヘンですね。
 前身はヴィッテルスバッハ宮廷図書館、あ、やっとこの一族のビールキャラじゃない側面が見えましたね。そういう経緯からか相当の蔵書数で、全900万冊。インキュナブラだけで2万冊あるという、なにげにラスボスっぽい図書館じゃないかな。
 そしてこちらの図書館もこれまでと同じく、特に特別な手続きをすることもなくすんなり入館することができました。図書館大国・ドイツ!
 閲覧室に入ると、だだっぴろい閲覧席フロアがおおむね利用者で埋まっています。利用者で、っていうか、よく見るとおおむね学生っぽい若者ばかりで、しかもこれたぶん自学自習で席使用してるよなという雰囲気。
 実はこの国立図書館のほぼお隣くらいのところに、ミュンヘン大学があります。ミュンヘン大学の中央図書館もすぐそばにあるにはあるんだけど、そこだけでは足らずこっちに学生さんが流れてきてる、と見た方がどうやら自然っぽい。プロフィールはラスボスっぽい国立図書館でも、立地と利用条件によってはこういう使われ方することになるんだなと思うと、うん、良し悪しは別にしても(そして学生の席使用にポジティブな自分であっても)、ちょっと考えるところはありますね。

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 この国立図書館とミュンヘン大学があるあたりは、やはり大学があるからなのかな、シュヴァービング地区と呼ばれる若者に人気のエリアというキャラらしいです。通りのお店とか活気がある感じのやつ。

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 ミュンヘン大学です。
 ここには(行けませんでしたが)白バラ記念館というところがあります。ミュンヘン大学の学生や教員がナチスの政治に反抗し、自由・人権・反戦を訴えるビラを配布する運動を起こした、それを白バラ運動という、と。自分たちの意見を訴えるビラを配った学生や教員は、ナチスに逮捕され、処刑されたとのことで、戦後、大学が基金を設立し、記念館やモニュメントを建てたとのことです。

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 Zentrale Lehrbuchsammlung。テキストブックセンター? これなんだろう、学部生用図書館みたいなのかな

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 しばらく通りを歩いてましたが、歩き疲れたので、↑こうなった。店員さんがグリュスゴット言うてはるので、やっぱり南部なんだなと。あと、こどもにかくれんぼごっこされた。

 このあと、スーパーで今夜と翌朝食べる食材を調達し、H&Mでは安売りのシャツを買いだめ。

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 2杯目のヘーフェヴァイツェン。Franziskanerのレストランにて。
 グラスの向こうに見えるのは、バイエルン国立劇場とバイエルン王家のレジデンツ・宮廷美術館です。古典・新古典な建物を眺めつつ、日の明るい中で優雅に呑むヘーフェヴァイツェンは、美味いねえ。

 その後、買い物したり湯浴みしたりして、再度町へ。
 どこで仕入れた情報だったかはもうすっかり忘れてしまったのですが、なんとなくこんな店があるらしいとノートにメモしてた店を、探し探し歩いて中心街からはずれたあたりに来てみると。

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 おおう。
 ↑これ、鴨川(特にデルタ)にそっくりじゃないですか。
 市民が憩ってらっしゃる様子がまさに鴨川っぽい。いい場所がありましたね。

 ていうか、このせいで突発性京都帰りたい病を発症

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 Trachtenvoglという、カフェバー的な店。
 ゆったりしたソファ、客もまばらで静か、レジやカウンターは遠くで気にならない、そしてお店の人の人あたりが良い。
 雰囲気も内装もフレンドリーさもすごく心地よくて、ああこんなところでドイツ最後の夜を決めれて良かったなと。

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 当然のように、ノンアルコールのヘーフェヴァイツェン。
 それからパスタはシンケンヌードルという、ミュンヘンのローカルなパスタらしいのですが、なんというか、ふつーの家庭料理っぽく作ってある。ペンネにハムとスクランブルエッグ、パルメザンチーズ、ハーブ、特に刻みネギあたり、これらを大雑把に混ぜてハイって出しただけのやつなんですが、もうなんというかただの素人のキッチン料理で、まるで自分が自宅で作ったかのようなテイストで、だからこそ、ああこういうのを食べたかったんだよなという感じで、すげえ胃が落ち着く日常食。

 ここ、尻に根が生えるわあ。住みたい。自分ちにしたい。

 という居心地良さを味わったところで、京都・自宅の居心地良さを思い出しました。
 帰りなん、いざ、京都へ。ほんとの自分ちへ。
 仕事もたまってるし、日本のビールも飲みたいし、コンフィデンスマンJPやモンテクリスト伯も気になる。
 (注:帰国便は明後日)

 (注その2:まだもう少し呑み歩きます)

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 次の店↑は、Schneider Weisse。Weisseは白、つまりヴァイツェンビールですね、ヴァイツェン専門醸造所の直営店らしいです。

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 メニューみたら「Hop」がどうとか書いてある(Hopfenweisse)↑ので、ホップが効いてるヘーフェヴァイツェンとは気が利いてるじゃないですか。もらってみたら、すげえホップの香りが効いてて、薬草みたいという感想を当時抱いたらしいです。印象はそれくらいかな。

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 次の店は(まだ行く)、ドイツのビールといえば有名なブランド名がいくつもありますが、そのひとつ・パウラーナー↑のヘーフェヴァイツェンです。「ビビった。ヴァイスみたいな小麦のビールと、麦茶感のするビールとって、それぞれ別物なんだと思ってたけど、これ、どっちもある」ってツイッターには書いてありますから、そういう味だったんだなと。
 でもたぶんあれですよ、あまりにいろいろ呑みすぎて違いなんかわかったもんじゃないですよ。
 だって、この日だけでヘーフェヴァイツェン3リットル飲んでる計算じゃないですか。3リットルがグラスになみなみだと。うち1リットルはノンアルコールなのがせめてもの救いとでも考えないと、やってられない。
 おなかいっぱいだし、おなかガスいっぱいだし、っていうね。

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 これでドイツの夜はおしまいです。
 
 というわけで、発表しまーっす。
 ドイツ7日間で美味かったビール。

 その1。ハンブルクの、とてもピルスナーとは思えない色の濃いピルスナー。(たぶん初日補正)
 その2。バンベルクの、いまどきな店で呑んだいまどきなビール。(たぶん久しぶりにいまどきなのを飲んだ補正)
 その3。バンベルクの、宿の冷蔵庫にあったボトルのヘーフェヴァイツェン・デュンケル、日本のリカマンでいつも買えるやつ。(たぶんよっぱらい補正)
 その4。アルコールフリーのヘーフェヴァイツェン全般。(たぶん昼間運動後の喉渇き補正)

 そう、昨日今日と馬鹿のひとつ覚えのようにヘーフェヴァイツェンを選んで呑んでるのは、バンベルクのボトルのより美味いドラフトの(樽からの、ドイツ語で vom fass)ヘーフェヴァイツェンがどっかにあるにちがいない、と思ってずっと探してたんですけど、結果、あの時に呑んだ”美味いっ!”ていう感覚を超えるものに出会えなかったという。たぶんよっぱらい補正の故だとは思うんですが、補正の力ってすごいですね、とてつもない魔法だなと。
 おかげで日本でもリカマン経由で魔法に酔いしれそうです。

 以上です、ありがとうございましたーっ。

 明日はいよいよ最終日、スイスに移動します。






 以下、余録。
 この記事のタイトルとして候補に挙がったのは、次の通り。
 「最後から2番目の今宵」
 「帰去来辞」
 「3リットルのなみなみだ」
 「小麦がときめくヘーフェヴァイツェンの魔法」(採用)

posted by egamiday3 at 23:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年2月のまとめ

■2019年2月のまとめ

●総評
 めっちゃたくさん書いた。ペースはつかめた、か?

●まとめ
・『ヨーロッパ近代史』
・京大吉田寮写真展「百年の光跡」
・フェイクシンポジウム「マジカル・ランドスケープ」。シンポジウムというかイベントの可能性を探る。あと京都。
・『恋墓まいり・きょうのはずれ』
・京都国立近代美術館「世紀末ウィーンのグラフィック」
・節分祭@吉田神社。神社が「並ぶな」つってんのに、並ぶ大衆。
・「新年明けましておめでとうございます。今年も、やりたいことをたくさんやろう。」
・「「レジュメをつくる」演習はこんな流れ」(egamiday3)
・「刑事ゼロ」と下見
・「母校が自ら死んでいくのを目撃するのは、非常に悲しい。こんなんで、細胞作ろうがノーベル賞取ろうが、何の意味も無い。」
・吉田寮食堂大演劇「三文オペラ」「#吉田寮三文オペラ を観た。ちょっと言葉にならない。剥き出しで広々とした舞台。その舞台を埋め尽くす大人数のキャストが、動き回って合唱。当然ながら上手い。その辺に転がってる壊れ調度が万物に化ける。洗練された艶かしさ。人間の駄目駄目さ益体なさが何故こんなにもこよなく愛しいのか」
・コント#52 石清水八幡宮
・シベリア少女鉄道「いつかそのアレをキメるタイム」
・オール(ノルウェービール@渋谷)
・笑の内閣「第26次改造内閣 新代表お披露目会」。政治と演劇の親和性を非常にわかりやすいかたちで目撃したので、今後政治にももっと近づくかもしれない。
・総合書物学シンポジウム「書物を耕す : 総合書物学の挑戦」@奈良女子大学
・「あなたのデジタルアーカイブはどこから? @「私はメタデータから」」(egamiday3)
・「寿司は別腹」。なるほど、ああいうクラスタはこういうクラスタへという流れなのか、という新体験。
・京都文化博物館「古社寺保存法の時代」
・ドナルド・キーン先生
・ルドルフ「フレイム」
・ついに手を出してしまった、京都醸造のグラウラーと、春の気まぐれ
・ジャパンサーチ試行版の公開

●2月テーマの進捗
  ・健康第一 →達成!
  ・1年の計を、身体になじませる →半分行けた、というより、新たな1年の計を思いついた
  ・初夏以降への布石 →ここがまだ足りてない
  の、3本です。

●3月の月テーマは
  ・デンバー
  ・GW
  ・あらたな1年の計をもまた、身体になじませる
  の、3本です。

 いつも”計”ばかりウロチョロしてますが、だいじょうぶ、子どもの頃からこういう気質です。
 ていうか、こんな時期のこのタイミングにあらたな1年の計を思いつく、とか、さすがに自分でもあれ?とは思うけど、思い立ったときに日々刻んでいけばいいのだ、どうせ日付なんてデジタルな数字でしかない。

posted by egamiday3 at 07:46| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月11日

『事件の涙』「そして、研究棟の一室で〜九州大学 ある研究者の死〜」を見て、”共感”と”理解”について考えたメモ


 ちょっと考えるところがあって、昨年末(2018年12月)にNHKで放送されていたドキュメンタリー番組を、もう一度見返したんですね、それをめぐって考えたことのメモです。

 『事件の涙』「そして、研究棟の一室で〜九州大学 ある研究者の死〜」
 2018年12月28日(金) 午後10時45分〜11時10分
 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92894/2894212/index.html

 この事件については、報道もされ、下記のようにのちにネットでも語られ、ということがありました。
 その概略を、NHKのwebサイトから引用します。なお、この件は上記のドキュメンタリー番組だけでなく、再構成する感じでwebニュース記事にもなっていて、そちらのほうがよりわかりやすいので、そちらを紹介するものです。

 「去年9月7日の早朝。福岡市の九州大学で火災が発生した。現場は、大学院生が使う研究棟。所狭しと研究室が並ぶ「院生長屋」と呼ばれる場所だった。キャンパスの移転で、取り壊しが始まるやさきに事件は起きた。焼け跡から遺体で見つかったのが、K、46歳。九州大学の博士課程まで進み、9年前に退学した男で、誰もいなくなった研究室に放火し、自殺したと見られている。九州大学は、Kが利用資格を失った後も、無断で研究室を使っていたと説明した。(中略)その死をめぐり思わぬ波紋が広がった。ネット上に、「あすはわが身」など、Kにみずからの境遇を重ね合わせる研究者たちの悲痛な叫びがあふれたのだ(後略)」
(「九州大学 ある“研究者”の死を追って」. NHK NEWS WEB. 2019年1月18日. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190118/k10011781811000.html. の冒頭部分から引用)

 この事件が報道されていた9月当時にもその概略に触れてましたし、年末にもこのドキュメンタリー番組を視聴し、それをめぐっての友人知人や見知らぬネットの人々のさまざまな感想や反応やコメントも読み聞きしました。そしてその大半は上記の引用文にもあるように、みずからの境遇を重ねる的な感じの”共感”だったと思います。

 申し訳ありませんが、白状します。
 私は本件について、特に”共感”を覚えていませんでした。
 気持ちがわかると感じることはできなかったし、みずからの境遇が重なることもありませんでした。行動やそのうらにあった気持ちにシンパシーを感じることもなく、あれは自分だ、自分もそうだっただろうという想像にも至りませんでした。

 これは自分語りになるので手短に済ませますが、私はこの方と同世代であり、進学進路も(大学こそ違え)だいたい似たようなもので、だいたい同じ頃に大学に入り、おそらく同じようにして大学院にも進学し、似たような時代と環境の中で同じように研究職のことを考えていたんだろう、というのは想像できます。ただ、この頃はいわゆる大学院重点化の始まった初期の頃で、大学院に入って周囲を見てみると山ほど進学者がいる、いや、この先日本の経済状態がどうなるかもまだわからない(注:まだわからない程度だった)し、ポストも急増するわけじゃないだろう(注:これはなんとなくわかった)に、この進学者数となると、いつ仕事に就けるかわからんな、という打算的な判断(注:他にも理由は諸々ありつつ)から、経済的に自立安定する方を優先させるべく方向転換した、という経緯があります。
 だからなのかどうなのかはわかりませんが、映像を見ていても話をきいても他の方のコメントを見ても、自分はこの方からそれほど遠くない場所にいるはずなんですけど、”共感”にはいたりませんでした。(ていうか、もともとそういう”共感力”の低い気質ではあって、そのせいで疎まれることもしばしばあるのですが。)(あと、どちらかというとその前後に放送していた、老齢のお一人様女性がグループで暮らしているマンションの話の方が、だいぶ身につまされた。)

 ただし、です。
 ”共感”はしませんでしたが、”理解”はしています。

 これは9月の時も12月の時もそして今回もほぼ同様ですが、今回のこの事件とこの方の境遇を引き起こすことになった、大学のマネジメントのあり方、その経済的な問題と制度の問題、研究者の雇用とヒューマンリソースマネジメントの問題、学術や専門性と社会のあり方のひずみのようなもの、機能しなかったし届くこともなかった(もしかしたら存在すらしなかった)セーフティネット、といった諸々の問題が存在することを”理解”し、それらが実にシリアスな社会問題であることを”理解”し、結果としてのこんなことが今後ゆめゆめ繰り返されてはならないと”理解”し、一個人としても一納税者としても一ライブラリアンとしても学術関連業界に身を置いている一人としても、解決されなければならないし、(実際にどこまでやる/やらない/できる/できないに関わらず)解決に取り組まなければならないことである、ということを”理解”しています。

 とてもシリアスに”理解”しています。
 そして、でもやっぱりそれは、この方の境遇その他への”共感”ではないんですね、おそらく。

 (注:”共感”と”理解”の言葉の使い方も人によって同じとはかぎらないので、ここであたしが言ってる”共感”のことを「理解」という言葉で示す人もいるかもしれませんが、それは適宜読み換えていただいて)

 今回このドキュメンタリーをもう一度見返したのは、自分は本当に本件に”共感”しないんだろうかどうだろうか、というのをあらためて確認するためでした。
 やはり同じでした。
 
 本題は、これ以降です。

 我々にとって本当に重要なのは、”共感”できない相手・立場・物事のあり方のことを、”理解”すること、”理解”しようとつとめること、なんじゃないのか、ていう。

 人によって環境や立場も価値観も優先順位も違うから、一個人が”共感”可能な対象にはどうしても限りがあるだろうし、どれもこれも必ず”共感”せよなどという強制はどだい無理な話というかアカンやつでしょう。
 でも、もしそこに解決されるべき課題や問題があるんだったら、それを理解することはできるだろう、と。あるいは、自分にとってシリアスでなくても誰かにとってシリアスなことだったら、それを「誰かにとってのシリアスなもの」として理解することはできるだろう、と。
 なぜなら何かを理解できるかどうかというのは、ひとつのリテラシーの問題だし、理解できるように努めるというのは知的怠惰から抜け出すことだろうから、かな。

 逆に言うと、共感こそすべてであり、共感できない相手を理解する必要はない、そこにある課題問題を理解する必要もないし、解決を考えることも取り組むこともしなくていい、って、これは空恐ろしいことだなと。共感できない相手のことを理解することも拒絶して起こしてきた諍いを、我々は戦争という愚かなかたちで繰り返してきたわけだから。

 そんなことを思ったのは、大学人や文教関係者にあたる人の中にさえ、まさにこの九州大学のこの方の事件のことを、冷笑したり茶化してネタにしたりするような人がいるのを、まれに見かけるからです。いや、信じられへん、と思うのですが。ていうか、”共感”できてないあたしが言うのもおかしいんでしょうか、でも、共感してなくてもそのシリアスさを努めて理解しようとしていたら、無神経に冷笑や茶化しはできんだろうと。

 それって何だろう、近頃「共感する/できることの大切さ」だけがやたらメインに押されてきてて、表裏一体で裏を返せば、「共感できないものは、理解もせずにないがしろでいい」ということなんだろうか。LGBTも移民もハラスメントも右も左も。最近やたら政治行政が恣意的に動いてるように見えるののバックグラウンドに、そういう潮流があるんじゃないだろうか。だとしたらやっぱり空恐ろしい。

 もうひとつ逆に言うと、例えば昨日(3/10)最終回だったばかりのドラマ『3年A組』を見てたんですけど、あれ人気でしたけどそれはそれであぶなっかしいなあ、と。共感することでしか相手を理解できないとしたら、それはどこかすっぽ抜けてないかな。
 でも、共感できない時は無理に共感することはないだろう、リテラシー的に努力しさえすれば理解することは可能なんだし、まさにそれが相互理解なんだとしたら、他者との議論や問題解決のための連携はそこから始めていけるはずなんだから。そういうこと込みで、あの生徒らには理解してほしい。(注:それなりに感情移入してるらしい)

 というようなことをつらつらと考えてて、それをふまえて、このひとつの事件への”共感”はいまのところまだできてないけども、重々シリアスに”理解”したうえで、トータルで言えば学術と人と社会のあり方の問題のようなものに、これからも真摯に向き合っていく、ということです。

 こういうことを考えていたことのもうひとつのわけは、例えば自分はいわゆる記念日とか何の日とかそういうのがほとんどどうでもよくて、まず自分の誕生日がもうほとんどどうでもいい、だってそれたまたま日付の数字がデジタルに合致している以上の意味ないじゃないですか、と。そういう調子なので、あれから何年経ちましたという”経過”や、1年・1月でどう進めようという”計画”、どう進んだという”進捗”にはそれなりに意味を覚えつつも、一方で「今日がちょうど同じ日です」ということにはあまり”共感”を覚えない、そこの共感は足りていないようなのですが、だとしても、8年経ってもいまだ避難者は5万人を超えているのをどうするのか、エネルギーは、街作りは、文化資源は、震災遺構はどうするのか、そういう継続するシリアスな課題問題の存在を、日付という数字はまったく別にしてしっかり”理解”し、向き合っていくことにかわりはないんだな、ということです。

 まあ、そういうことをこの日に書こうとしてるということは、日付関係なくもないのですが。

posted by egamiday3 at 21:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月10日

「まちが円だっていいじゃないか、ネルトリンゲンだもの」@ネルトリンゲン(201806euドイツ7日目その1)


 7日目(2018年6月15日)です。
 実働のこり2日。

 これまでの行程と帰国までの予定を確認します。

 6/09 京都発→ハンブルク泊
 6/10 ハンブルク→デンマーク→ハンブルク泊
 6/11 ハンブルク→リューベック→ベルリン泊
 6/12 ベルリン→ライプツィヒ泊
 6/13 ハレ→ライプツィヒ→バンベルク泊
 6/14 バンベルク→ヴァイエンシュテファン→ミュンヘン泊
 6/15 ★(いまここ)・・・・→ミュンヘン泊
 6/16 ミュンヘン→ザンクトガレン→チューリッヒ泊(予定)
 6/17 チューリッヒ→機内泊(予定)
 6/18 →京都着(予定)

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 思えば遠くへ来たもんだ・・・。

 で、本日6/15の日中の予定をまだ決めていません。ミュンヘン泊ではあるけども、ここを拠点にどこかエクスカーションに行ったろうという魂胆です。どこへ行こうかしら、ニュルンベルクか、ローテンブルクか、フュッセンまで行ってノイシュヴァンシュタイン城か、思い切ってツークシュピッツェ登山か、なんなら国境越えてザルツブルク行ってまうか・・・。
 いや、そうじゃない、と。のこり日程わずかとなったところで、自分がいま最も物足りなさを感じる第一位は、「もっと鉄道に乗りたい」
 というわけで、鉄道に乗って適当なところへ行き、できれば早めにミュンヘンに戻って来れるような行き先を、時刻表データベース首っぴきで朝4時から戦略会議した結果。
 あー、ネルトリンゲンあるな。
 よし、ここまで無駄に往復するという遊びをしよう。と、思い至ったわけです。

 説明しよう、ネルトリンゲンとは。

Nördlingen 009
Wolkenkratzer [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

 ミュンヘンからは鉄道を乗り継いで2時間(注:そういうルートを選んだ)ほどのところにある、ドイツ中南部の小さな町で、直径1キロほどの円形の壁でまわりをぐるっと囲っている、というところ。写真見てもわかる通り、物理的に円形というキャラの町でもあり、屋根の色味など景観にしっかり気をつかってる"中世の町並み"キャラでもある。この辺一帯は巨大な盆地になっていて、その盆地は1500万年前の隕石落下によってできたんだとか、壁の様子が巨人の漫画のモデルになったのかどうとかとか、いろいろな話がありますが。
 いやもう、わかる人にはスパッとわかる説明としては、「水曜どうでしょう」ヨーロッパ編で教会の塔・ダニエルにのぼったところ、と言えば充分でしょう。

 というわけで、朝5時台の鉄道で、ダニエルに会いに行く。

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 05:42、ミュンヘン発。まずはアウグスブルクまで行きます。
 客車がこの旅では初めてのコンパートメントなやつ、しかもずいぶんな使い古しで、あー、20年前に初めてユーレイルパスで旅行したとき、さんざんこういうの乗ったわぁー、と感慨にふけってます。

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 久しぶりにすっきり晴れて、良いエクスカーション日和と思われます。

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 06:10、あっという間にアウグスブルク着。
 アウグスブルクという上の句を聞くと宗教和議という下の句が出てしまう詰め込み教育の犠牲者ですが、乗り換えの10数分ででも町を見てみようと外へ出ますと、駅前はそこそこの街という感じで、日本の感覚ならミュンヘンへの通勤圏内ではあると思うんですけどどうでしょう。
 通勤通学の人たちが少なからず行き来してて、あっ、日常だ、と思いました。なんか日常をおくるみなさんの中にぼんやりした自分がいるのちょっと気が引けるのですが、数日後には自分もあそこへ戻るんだと思うと、さらに気持ちが引く。

 06:28アウグスブルグ発、06:56ドナウヴェルト(Donauworth)着。

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 この界隈からロマンチック街道になるらしいです。
 07:07ドナウヴェルト発。

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 天気がいいうえに街道も田園もロマンチックがとまらなくて、癒やされる・・・。
 30分ちょっとの車窓でこのクォリティって、どんだけレベル高いんすか・・・。
 
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 07:39ネルトリンゲン着。
 駅は円形の町から少し離れたところにあるので、ここから徒歩で向かいます。
 なおこの駅には鉄道博物館、ていうか近江鉄道の車両展示みたいなのがあるらしく、遠くに車両がぼてぼてと置いてあるのが見える。ドイツは鉄道とミュージアムがお好きですね。

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 ネルトリンゲンの町に入るにはこういうタワーゲート的なところをくぐります。全部で5箇所。なるほど壁だ、と。壁がぴっちり囲ってるのと、上にあがれるようになってるのがわかる。

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 そもそも町を壁で囲ったのは”帝国自由都市”として認められたのがきっかけで、交易都市として独立した自治権を持った(領主の支配ではない)というところだから、ハンブルクやリューベックと同じ、レベルがだいぶ高い存在。それで最初に壁ができたのが13世紀で、いまの壁ができたのが14世紀、第二次世界大戦の空爆でも壁や旧市街はのこったというから、そうか、ここものこってる町か、ていうかあんた(壁)14世紀の生まれかいな、そう思ってみるとそりゃすげえな、と。ちゃんと高いし厚いし崩れてもない。機能としてはともかく、建造物としては立派な現役だもの。

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 壁の内側に入るとこういう町並みになります。
 昔ながらの路地っぽい雰囲気のところもあれば、ちゃんと車道が通って現役生活してるところもありで、ただ保存してるだけじゃないそういうバランスも感じる町。
 住むにはいいのでは(何度目だ)。

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 これなんかは相当古ぼけて見えて現役使用されてないっぽいけど、あの上のところに滑車吊るやつがついてるの、荷物揚げるやつだねえたぶん。

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 これなんかはリノベーション済み物件だねえ、と思いきや、よくみると「1574」などと掘ってあって、おおうっとなる。

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 そしてさっきからチラチラ見えてる、彼がダニエル(=聖ゲオルグ教会の塔)です。見えるはずです、この町の中心にある一番高い塔で、周囲を見張り見渡すためのものなんだから。

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 ダニエルに登って塔の番人にもご挨拶をと思うのですが、ダニエルは朝9時まで寝てるらしい。いまは朝の8時過ぎなので(注:早く来すぎだろう)、途中のカフェで休憩。

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 ていうか、今日は金曜日で、いま日本は午後、ということは諸々支障ないかをいまのうちに確認しとかなきゃ、と俄にワーカホリックキャラが鎌首をもたげ、メールに次ぐメール、果ては職場に電話までしてしまった。「何ビールばっか呑んでるんですか」と言われた・・・。

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 閑話休題、休暇再開。
 さて、とりあえずダニエルをどう攻めるかですが。

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 ・・・あれ、オープン10時じゃん。
 ダイヤモンド社め、また騙りおったな・・・。

 とりあえず塔の入口へまわってみる。

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 ここからあがるらしいのですが、まだ鉄格子が閉まってる状態です。
 やっぱ10時からなんだろうか。

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 8階建てだよ、現金よろしく、的なことかな。
 上まで青息吐息であがった末に、現金ちょうどないとかだと、どちらにとっても不幸だからなあ。

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 ・・・ていうか、さっきからベタベタあちこちに貼ってるらしきあの表示、なんだろう。

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 福留「これを何と読む!!」
 おおう、ダニエルよ・・・工事中とは情けのない・・・・・・。
 マジか・・・。 

 (´-`).。oO(こんなことならローテンブルクかフュッセンにしとくんだった…)

 えー、どうしよう。
 なんか、旅終盤の飽きが来はじめたグダグダ感を象徴するような事態に放り込まれたな。

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 とりあえず↑市庁舎にあるという町のツーリストインフォメーションへ。
 塔がダメなら、壁にあがればいいんじゃない?と思ってきいてみると、壁へのあがりかたを教えてもらったので、行ってみます。
 
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 ↑町の様子。
 そうか、壁で囲ったうえで、なお外から水を引いてこなきゃいけないから、水をどうコントロールするかってわりと重要事項なんだなあ。水門なんか格好の侵入ポイントだろうし。

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 じゃあ、↑壁へあがってみます。 

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 なるほどなるほど、↑こうやってぐるっと町を一周できるわけか。

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 ↑内側は町を望む。

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 ひたすら歩くというスタイルの観光。
 ていうか、直径一キロしかない円だから、まあまあのカーブ↑を経験することになる。

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 ガードありな建造物だったところから、ふわっと青空になって。

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 カフェがあったりする。

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 まあ、あたりまえの構造ですが、どこへ行ってもダニエルは見える。

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 赤がスタート、青が現在地。
 30分以上をかけて半分歩いてきました。直径1キロということは1周3キロ、まあさすがに飽きるよな。
 というところで、修理による通行止めに行きあたりました。
 どっと疲れた。
 何しに来たんだ(笑)。

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 町もすこしづつ昼の活気に近くなってきたので、すでに開店していたアイリッシュパブを見つけて休憩。

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 ドイツでアイリッシュパブ?
 いやいや開いてればなんでもいいんですよ、昼前からこんな立派なエルディンガーのヘーフェヴァイツェンいただきました。しかもこれまたアルコールフリーです、渇ききったのどにすげえ心地いい。
 朝開きのアイリッシュパブと、しっかり美味いアルコールフリービール、最強のインフラじゃないですか!日本にも導入を!

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 町売りのソーセージ買ったら、もれなくパン付き、しかもソーセージは2本から!これで2ユーロしない!

 ネルトリンゲンはこんな感じです。
 近世の宿とか、いろいろ由緒謂われある木組みの建物もあるんだけど、もうそろそろそこまでの食指が動かなくなってると思われます。
posted by egamiday3 at 14:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月09日

『 #北白川こども風土記 』イベント参加メモ : 学校資料・アーカイブ利活用・アクティブラーニングに興味ある方へ向けて


 さて、このブログ記事は次の3つをプロモーションするために書いています。
 主に、学校資料、アーカイブの利活用、アクティブラーニングあたりのトピックス。ほかに司書課程、京都近代史などです。

 その1。
 小冊子『みんなで活かせる!学校資料 : 学校資料活用ハンドブック』というのが出ています。京都市学校歴史博物館の発行で、連絡先として学校資料研究会事務局(https://gakkoshiryo.jimdofree.com/)と書いてます。
 あたくしはただいま司書資格科目の「図書館情報資源概論」、あるいは司書教諭資格科目の「情報メディアの活用」で教えさせていただいてますが、かねてより学校資料・校史資料の類についてなんとかして司書・司書教諭候補生のみなさんに問題意識持って知ってほしい、というふうに考えてはいたものの、自分がそれに詳しいわけでもないし、簡便に説明できるためのテキストもなかなか見あたらない。どうしたもんかと思ってたところに、この救世主が春一番のごとく現れましたので、ぜひ活用させていただきたい、いや、自分が活用したいというよりむしろ、世の司書・司書教諭関連教員のみなさまに広く手に取っていただきたい、と思うものであります。
 ごくごくざっくりと目次をメモすれば、「学校資料の魅力」「こんなに広がる学校資料の可能性」「学校資料の保存と整理」、ほか参考文献、学校資料保管場所リスト等、およそ150ページ。
 非売品のようですが、上記連絡先に連絡すればいいのかな、たぶん。

 その2。
 「学校資料の活用を考える : 学校資料の価値と可能性」というシンポジウムが、2019年3月10日、学校歴史博物館にておこなわれるそうです。
 http://kyo-gakurehaku.jp/exhibition/H30/301215/index.html#koen2
 いまこのブログを書いている日のまさに翌日であり、だからあたしいま超いそいでこれ書いてるんですが、ご興味のある方はぜひ。

 その3。
 「北白川こども風土記」という映画、今日上映されたのを見てすごくおもしろかったんだぜっ、ていう記事をこれからこのあと紹介するんですが、えー、そんな言うなら見たかったねーとおっしゃる方のため、2019年3月16日、つまり来週の土曜日、京都文化博物館にて再度上映されるそうですので、これもぜひどうぞ、っていう紹介です。

 というプロモーションを前面に押し出しての、イベント参加記録。
 「学校・地域・物語 : 『北白川こども風土記』から探る」(@京都文化博物館、2019年3月9日)というイベントに参加してきました。

 説明しよう、『北白川こども風土記』とは。
 1959年に北白川地元の山口書店から刊行されたこの本は、京都左京区・北白川小学校のこどもたちが、先生の指導のもと、地域住民のみなさまからお話を聞いたり、資料を読んだり、実地でフィールドワークに及んだりして、北白川という地域の郷土学習をおこなった。その、こどもたち自身が執筆した郷土史の記録が本になり、出版され、当時全国的にかなりの評判となり、あの梅棹忠夫をして「おどろくべき」と言わしめ、最終的にはそのドキュメンタル・フィクション的な映画まで作成されたというもの。

 その映画を上映し、みんなで見たついでに、さまざまな分野の人々がこれを題材にトークをするイベント、というものでした。トークイベントっつっても、実際行ってみたら壇上に10人いるんですよ、これ3日くらいやれるんちゃうかと思ったけど。

 以下、ごくごくざっくりとしたメモを、ツイッターの自分のツイートから再編集したもの。

・村野(京都文化博物館)「学校資料の価値の多層化」。学校資料からどんな価値や魅力を引き出せるか。どう活用できるか。散逸と消失の危機にある。活用の基盤整備、多くの機会と多様な視点が必要。からの、ICOM2019。
・菊地暁(民俗学・京都大学)「北白川こども風土記 を考える」。こども風土記というムーブメント/北白川は扇状地で古くから人が住んだ。大津への街道筋だった。白川女、京都に仏花を供給。農地依存が減って住宅地になった。花売り族と大学族という新旧住人たち。そういう時代の「風土記」だということ。郷土教育は歴史的傍観者に終わらず現代的意義につなげること的な。
・谷本・中村(アーティスト):白川街道を歩くアートパフォーマンスの紹介。街道をポニーを連れて大津まで実際に歩いた記録。アートパフォーマンスという形で学校資料を活用し、歴史を実践する、という姿勢。(´-`).。oO(すごくよくわかる、もっと周知されるべき。
・福島(偉大): 大正期の自由教育綴り方と郷土史、柳田國男こども風土記、戦後すぐ郷土史を住民が掘り起こす、こどもが記述する北白川こども風土記、郷土教育、地域の変容と学校への負荷。戦後のサークル的文化運動、小学校という自由教育の装置、北白川の知識人集団・旧文化・山口書店・
・佐藤(資格文化論・京都精華大学):図版・図解に注目。特に版画。なぜ版画教育か。自由画教育と生活綴り方の融合。版画文集は学校とその周辺のミニメディアであった。参照:「郷土を調べるこどもたち:北白川こども風土記とアーカイブする実践」@手と足と眼と耳。
・石神(考古学・京都造形芸術大学):登場する遺跡史跡は全国的にも発見が早期。大正−昭和期の発見は、京都府史跡名勝天然記念物保護法、濱田耕作らによる史跡調査活動の成果。小林行雄の製図技術と報告書。
・黒岩(歴史学・天理大学):貢献した土地の有識者たち、おじさんたち、古老。郷土研究地域研究に欠かせないこの存在が、失われつつある中で、どう代替再生産するか。
・堀内(北白川小学校運営協議会):伝世品としての北白川こども風土記。
・一色(教育学・佛教大学):調べ学習と学校資料。北白川小学校の総合学習で北白川こども風土記を活用とのこと。当時のこども執筆者が地質学者として指導するなど。現代において地域ぐるみでこどもの教育にあたるということ。
・池側(映像デザイン・京都工芸繊維大学): コンテンツそのものだけでなく、こどもが価値を発見到達するプロセスが興味深い。現代行った試みとして、本書の当時の風景を実際に探すというワークショップ。地域のモノクロ写真のカラー化と実地調査。水害記録写真を現在のイメージにVRで重ねる実践、など。

 ほかに、この本の評価を特殊から普遍に開くこと。今回のトークイベントによって解く鍵が得られた。北白川新聞を探したい。北白川にお住まいのみなさんのお宅に眠ってるのでは。このような地域資料の保存、デジタル化、アクセス可能化について。あと版木。アーカイブ。1950年代を見直すということ。映画分析、等々。
 最終的にはフロアにたくさん来ておられた60年前当時の執筆者がフロアから発話。

 もう面白すぎて、後半ずっと頭痛してました。
 なんだろうこのイベント、天国かなって。

 『北白川こども風土記』という題材もものすごく魅力的なんだけど、その題材を、これだけ多種多様な専門・視点から語れる人が一堂に会して(しかもほぼ京都だけでまかなえてるという)、互いにトークし合うという。 
 そういう、天国の時間。
 このイベントを録画しておいて、60年後にまた流してほしい的な。

 っていう、イベント報告メモでした。
 追記があれば、後日また追記します。

 


 ひとつだけ、会場にたくさんの年輩者がいるんだけど、ほとんどが「男性」なのがなぜか気になった。

posted by egamiday3 at 17:54| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月08日

事務連絡: このブログに「CC BY-NC-SA」のマークをつけました。

 事務連絡:
 このブログに、「CC BY-NC-SA」のマークをつけました。



 以下、余録:
 このブログの右上のあたりに、「CC BY-NC-SA」のマークをつけました。(注:スマホで見てる人はPCモードでどうぞ)
 なんかわかんないけど、とりあえず付けとくだけ付けとこうと思って付けました。貼るだけだったらどうせタダなので。
 どこまで意味あるかはわかんないです。あと、BY-NC-SAでほんとによかったのかもわかんないです、とりあえずいろいろ調べてたら鷹野凌さんの見て歩く者ブログにそう書いてあった(https://www.wildhawkfield.com/p/copyright.html)ので、まずはこれをセンパイにしたらいいかなって思った、っていうくらいです。
 シーサーブログの規約類との関係性もまだちょっとよくわかんないです、全国1億2000万人のみなさまと同じく私も規約に同意しつつもちゃんと読んでるわけじゃないので、また追々読んでおかしかったら訂正することになるのでしょう。
 いま今日現在の著作権についての動き(=例のアレ)に必ずしもダイレクトに反応したというわけでも特にないのですが、ただ、なんだろう、アレを含むけどアレだけではない全体的な流れをなんとなく見てると、悪い(望まない)方面に流れていってるのはどうやらに確からしいと。そうなったときに、今後将来近未来のいつ何時、この、謙遜的には「ニッチなトピックで適当におふざけで遊んでるだけ」の、イキった感じでは「情報は公開し共有することによって価値が増す、と信じている」というブログの分際でしかないのに、それきっかけで誰かが自由を奪われ口をもがれ人権を蹂躙されるようなおそれが、ナノレベル、ピコレベル、微粒子レベル、天文学的数字レベル(注:雰囲気で書いてるのでどれが大きくてどれが小さいかもあんまよくわかんない)ででも存在するとしたら、そのおそれを排除できるという至極簡単な仕組みがあるとしたら、お札代わりにぺっと貼っといたらいいんだろうな、って思いました。
 クリエイティブコモンズってそういうことですよね、しらんけど。
 「こんなニッチなブログでそんなこと起こらないだろう」と、それはあたし自身も思いますが、”そんなこと起こらないだろう”に備えるのがセキュリティだろうなと。

 貼るだけだったらどうせタダだし。
 あとから学んで、まちがえだったら取り下げるだけなので。
 人間だもの。

 あと「そもそもてめえの記事自体の画像や引用が(略)

 あとNCいらんかな?とも思ったのですが、あんまよくわかんないので、わかった時点でなんだったら取り下げるでしょう。

posted by egamiday3 at 07:43| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月07日

「酵母三遷の教え」@ミュンヘン(201806euドイツ6日目その4)


 ヴァイエンシュテファンからミュンヘンへ戻ります。

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 帰りはALXなる謎の電車。近郊鉄道的なものかな。
 この旅ではドイツ鉄道(旧国鉄)のレイルパスを活用しているのですが、問題は、個々の近郊鉄道(市営か私鉄かもちょっとわかんない)がそれぞれレイルパスに含まれるかどうかが、いちいちよくわかんないということ。それで、でもじゃあ近郊だしたいした金額でもなかろうからとあらためてキップを買おうとすると、今度はその自販機がネイティブ色強すぎて、どこをどう押せば乗りたい便のキップがわかんない、という責め苦をこの旅で何度か味わいました。自販機と格闘の末、なんとか導き出した答が正しいと信じるしかない(正しくなくて検札にかかったら、罰金刑)。

 で、ミュンヘン到着。
 ビールの底なし沼と呼ばれた(注:勝手に言ってる)土地ですから、もう少し呑みに、と、そのまま街に出ます。

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 うーん、人が多くてがしゃがしゃしてる、という印象。
 あのバンベルクで会ったウシ先生(註:「酢漬けものに慣れない私たち」@バンベルク(201806euドイツ6日目その2)http://egamiday3.seesaa.net/article/464394672.html 参照)が言ってた「ミュンヘンよりバンベルクのほうがずっといい」というコメントが、いまにして思い出されます。

 しかし、ビールキャラの土地であることにはまちがいないので、おさらいしておきます。
 そもそも、ミュンヘンとは。

 いまでこそドイツ第3の都市、人口140万、バイエルン州の州都でありかつ南ドイツを代表する大都市・ミュンヘンですが、街が生まれたのは12世紀頃とまあまあの遅咲きで、しかも街として大きく発展したのも近世以降、ヴィッテルスバッハ家がミュンヘンに居城を築いてから、とのこと。
 いま珍しく「ヴィッテルスバッハ家」などという歴史固有名詞を出しちゃいましたが、まあまあネックな存在らしく、まず中世から近代までずっとバイエルン地方の君主の家柄であり、あたしの大好きなシシィことエリザベート后が出た家であり、みなさんの大好きなノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世が出た家であり、そして1516年にはヴィルヘルム4世がビール純粋例を発布したと、わかった、この界隈の歴史では必ず出てくる家なんですね、覚えときます。

 バイエルン王・ヴィルヘルム4世が1516年に出したビール純粋令というのは、「ビールには大麦、ホップ、水以外を用いてはならない」(註:酵母の存在がまだ発見されてなかった時代)という、山岡士郎のようなことを言い出す王様による当時の法律であり、当時のっていうか以降ずっとそれが守られてて、最近でこそEUがらみで法律としてモデルチェンジされてしまったらしいものの、やっぱり自主的に守られてるという。あのベルギーのいろいろ混ぜて百花繚乱なのとはだいぶ趣きがちがうんですね。

 王様がそんな法律つくっちゃうビールキャラの土地・バイエルン。修道士がパン代わりに飲むからと言っては醸造し、王侯貴族が資金稼ぎのためにと言っては醸造する、バイエルン。一時期ドイツ国内の醸造所の7割はここにあったという、バイエルン。ホップをビールに使い始めたのも、バイエルン。ていうかミュンヘンから北に行ったあたりのハラタウという地方では、世界のホップの約2割を生産してるらしい、ホンマか。
 そりゃ、オクトーバーフェストみたいなえげつないビール祭もやるでしょう、と。ていうか、そのオクトーバーフェストの起源っていうのがヴィッテルスバッハ家の結婚宴会だったらしい。また出たなこの家。っていうか、わかった、要は「ドイツと言えばビール」扱いされることになった主犯はあんたら一族だろう、と。

 ということを踏まえれば、多少がしゃがしゃした大都市とはいえ、ビールの底なし沼加減を確認すべく呑み歩かざるを得ないわけです。

 歩いてると、突如あらわれる巨大建造物。

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 ミュンヘンのど真ん中、↑マリエン広場にたどりつきました。このネオゴシックの秘密結社幹部のようなどっしりしたやつが、新市庁舎と呼ばれる建物で、定時には時計塔の仕掛け人形が踊り出すのを観光客がやんややんやと見る、ていうパターンのやつ。
 なお、ただいまその定時たる午後8時です。午後8時でこの明るさですってよ、やっぱドイツは夏に来て明るさの中を延々ビール呑み歩くに限るんじゃないですかね。

 というわけで、ビールです。
 人並みの旅行ブログならマリエン広場周辺の史跡教会ミュージアムの類を紹介するんでしょうが、そんなのは知らん、歴史的経緯もビールがらみの知識のみ、あたしはこのミュンヘンにビールを呑みに来たんです。
 そのために、京都の某ビール屋で知り合ったビール師匠から、ミュンヘンのビール処の名前をいくつも聞いてきたんです。耳で聴いてうろおぼえでメモしてたから、正しい名前を探しあてるのに結構苦労したけど。

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 1軒目、Andechser am Dom。フラウエン教会のそばという、これも街のど真ん中界隈。っていうか、どれもこれもこの辺一帯にやまほどビールの店があると思ってもらったらいいです。
 ビールは、この店の名前の銘柄で、ヘーフェヴァイツェンのデュンケル。
 ヘーフェヴァイツェンは、昨日の夜にバンベルクの宿で、今日の昼にバンベルクでノンアルコール、先ほどヴァイエンシュテファンで、に引き続いて4杯連続、今日だけでも1.5リットル目であります。

 ていうか先だってからあたりまえのようにヘーフェヴァイツェン、ヘーフェヴァイツェンと言ってはしゃいでますが、説明しよう、そもそもヘーフェヴァイツェンとは。
 ヘーフェ(hefe)は酵母、ヴァイツェン(weizen)。つまり、酵母入りの小麦ビール。またの名をヘーフェヴァイス(白)とも言う。ミュンヘンはじめバイエルン地方では定番のビールです。
 先ほどヴァイエンシュテファンで飲んだヘーフェヴァイツェンの写真↓を再掲しますと、

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 こんなふうに黄金色で、たっぷりと濁っていて、たっぷりと泡が出る、という見た目。
 口あたりはまろやかで、苦みは少なく、甘みが大きく、酸味がほどよい、フルーティという尤もらしいフレーズはこのビールのためにあるようなものであり、しかもこの場合でのそのフルーツはあきらかに”バナナ”のそれである、という風味。
 ですが、これがベルギービールだったら「バナナ入ってる?」ってなるかもしれませんが、ここはビール純粋令の土地ですから入ってません、酵母(ヘーフェ)と小麦(ヴァイツェン)でそういう味を産み出している、というあれです。
 まず小麦を使うと、酸味が出る、フルーティになる、泡と濁りが良く出る(小麦のタンパクによるものらしい)。
 そして酵母がこれもフルーティな香りを良く出してくれて、濁りの元となる。日本でふつーに飲むビールのクリアさは、この酵母を徹底的に濾過して除去したもの、とのことですから、このヘーフェはその真逆の方向性なんだということでしょう。
 で、デュンケル(黒・暗い)というのはそれのさらに褐色で味も濃いやつ。

 ・・・で、えーと、読み飛ばさずにちゃんと読んでる人は、おかしいじゃないか、と思ってはると思います。
 ビール純粋令では「大麦、ホップ、水以外を用いてはならない」のに、「小麦」ってなんやねん、と。
 なんか、もともとは小麦ビールは純粋令で認められてなかったけど、近世に入ってからヴィッテルバッハ家が例外で認められた小麦ビールの醸造販売権を独占してたらしい。で、相当人気で結構稼いだらしい。え、ずるくないそれ??

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 おつまみプレートがメニューにあって、あ、これ食べてみようと思ってたやつや、という単語がわかったのでオーダーしてみました。
 まずごっそり乗ってる白いのが、大根。生の大根をクルクルの薄切りにしたもの、これがドイツ定番のビールのあてらしいです、食べたら、想像していたよりも数倍大根そのままで、突然のちゃぶ台で日本酒呑んでる感、ミュンヘンなのに。
 左手前のペースト状のやつが、これもドイツ定番のビールあてその2で、「Obazda」とかいう謎の食べ物。チーズをペースト状にしたものらしく、食べるとチーズをペーストにした味がします。 
 あとパンにたっぷり乗ってるのは、鹿のラードと、あさつき&バター。ラード食べるよねこっちの人、ビールにはちょっとしんどいと思うんですけど。
 なお、肝心のビールにはたいして印象がないのでした。いまだ、昨夜宿の冷蔵庫から出して呑んだボトルのヘーフェヴァイツェンを塗り替えるものに出逢えていないという。あれやっぱ酔っ払い補正かかってたんだろうか。
 店も混み混みであまり回ってなかったので、次へ行きます。

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 2軒目、Augustiner am Dom。つまりさっきのAndechserも一緒ですね、DomんとこのAndechser、DomんとこのAugustiner。
 ビールはヘレス。ヘレスはピルスナーと同じくすっきり系さっぱり系でそれのミュンヘン・南ドイツ版ということらしい。ので、注文してみたのですが、んーやっぱり、ハンブルクで初日に呑んだあの褐色のピルスナーとはだいぶちがう、と、あいつと比べるのはやっぱムリがあるということでしょうか。
 しかも、でかい。うちはサイズ500ml以上、それよりスモールはないよ、というのはこちらではたいして珍しくもなく、昼間立ち寄ってみた公園のビアガーデンなんか1リットルからしか無いとかいうんですごすご帰ってきたという、これがドイツなのか? いや、昔デュッセルドルフで呑んだ時は、こんなちっちゃな器で椀子そばみたいに次々持って来られるというシステムだったので、それも土地柄ということなのかな。

 というふうに、ビアライゼ(註:ビールの旅。その土地土地でしか呑めないビールを求めて旅をするさまを言う)というほどでもないのですが、あっちへ行けばもっと美味いビールがあるんじゃないか、巡り会えるんじゃないか、と、あきらめずにというより、というかあきらめきれずに、次々に場所を遷してはビールを呑み探している、という状態です。
まあその結果、普段行ってる近所のリカマンでも買えるボトルのヘーフェヴァイツェンが一番美味いことがわかった、という教訓を得ることになりそうですが。(孟母三遷のオチってそんなんだったっけ??)

 あとはコンビニでなんか買って宿でダラダラしてた記憶があります。結局うちが一番。(そういう孟母三遷じゃない)

posted by egamiday3 at 06:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月04日

あなたのデジタルアーカイブはどこから? A「私は人材育成から」或いは、イシャはどこだ!?について


 あなたのデジタルアーカイブはどこから?
 「私は、人材育成から」

 ・・・人材育成って、何かね。
 デジタルアーカイブだけでなく、何事によらず大事な処方だと言われる。
 二言目には人材育成って言われる。
 MLA業界はコンテンツやメタデータの専門であって人材育成の専門は別にあるはずですが、やはり教育を論じるというのも参入障壁が低いエンタメのひとつなんでしょうか、何かと言えば、人材育成、人材育成と言っている。
 人材育成って、何かね。

 ということから、大学図書館×デジタルアーカイブ×神座育成、についていろいろ考えたのの、メモA。
 とはいえ、正直このテーマはあれだと思ってるので、このAは→Bへの“ていのいい”橋渡し、くらいに考えていただければ目安となるでしょう。

 もちろん、特にデジタルアーカイブのような長期的運用、安定した持続が必要なしろものにおいて、それを担うに必要充分な技能をもった人材が確保されねばならんというのは、日頃からバランスの良い食生活だの日光浴だの適度な運動だので風邪を引きにくい体質をつくりましょうということと同じくらい重要である、ということに異論はないのですが、だったら日頃の食事と運動をちゃんとしましょうで処方お終いじゃんって思うんですが、にもかかわらず人材育成って何かと「急務」「喫緊」っていう言葉とセットで煽られがちなところがあって、普段の不摂生を棚に上げて喫緊とか無茶言わんといてと、風邪に即効薬なんかねえよと、米百俵とかいうバズワードどこ行った、って思うんですけど、まあそれでも参考文献を集めて、とりあえずこれまでのところで「デジタルアーカイブを担う人材に必要な能力」は何だと言われてるのか、思われてるのか、語られているのかを、しおらしくリストアップしてみる、というところからやってみました。
 Thanks to以下です。

・国立大学図書館協会学術情報システム委員会. 「これからの学術情報システムに向けて : 現状・課題・当面の方向性に関するレポート」. 国立大学図書館協会. 2018.6. https://www.janul.jp/j/projects/sis/SIS_report_201806.pdf.
・デジタルアーカイブの連携に関する関係省庁等連絡会・実務者協議会. 「我が国におけるデジタルアーカイブ推進の方向性」. 2017.4. http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_kyougikai/houkokusho.pdf.
・三宅茜巳,井上透,松家鮎美. 「デジタルアーカイブと人材育成 : 知識基盤社会を支える人材-デジタル・アーキビスト-育成教育」. 『デジタルアーカイブ学会誌』. 2018, 2(4), p.376-384. https://doi.org/10.24506/jsda.2.4_376.
・佐々木秀彦. 「デジタルアーカイヴィングの担い手」. 『これからのアーキビスト : デジタル時代の人材育成入門』. 勉誠出版, 2014, p.209-227.
・文化資源戦略会議. 「アーカイブ立国宣言」. 2014. http://archivesj.net/page-163/.

 だいたい共通して言われてるあたりをまとめたのが、↓こちら。

・対象についての専門的な知識・技術
 (資料、コレクション、対象分野、対象地域・・・)
・アーカイビングの知識・技術
 (収集、修復、組織化、メタデータ・・・)
・デジタル化の知識・技術
 (作成、保存、マイグレーション・・・)
・情報システム管理の知識・技術
 (web、ネットワーク、サーバ管理・・・)
・関係法令・倫理等の知識
 (著作権・知的財産権、個人情報、契約・・・)
・プロジェクトマネジメント・プロデュースの能力
 (企画調整、財政、開発、進捗管理・・・)
・コミュニケーションの能力
 (組織・分野・地域をまたぐ活動、つなぎ役や活用者との連携・協働・・・)
・キュレーション・コーディネートの能力
 (活用者の視点での活動、ニーズ分析、文化財活用、参画型企画の運営・・・)

 要求、高っ。
 技能の満漢全席やあ、ですかこれは。
 ていうかこれ全部持ち備えてる奴おったら、そいつ一人で図書館もうひとつまるごと運営できるんちゃうか。・・・というのは別に揶揄したいわけでもなんでもなく、そもそもデジタルアーカイブというのはMやLやAがその機関・活動のone of themなものとして片手間で考えていいようなものではなくて、それこそアバターとしてもうひとつの館を運営するくらいの相応の覚悟なりビジョンなりが、本来はあらまほしき存在だよな、とわりとマジで襟を正す思いがするわけです。

 というほどに、多岐にわたりかつ高度でかつ専門的な、知識・技術・能力を必要とする。そんじょそこらの”専門的”ではなく、分野的専門性、文化資源取り扱いの専門性、デジタルアーカイブについての専門性という専門性の三位一体攻撃を必要とする。しかも最後のほうのコミュニケーションやコーディネートなんかもはや“人間力”じゃないですか、スーパー超人ですか。
 そんなレベルなわけですから、アーカイブ立国宣言さんなりが、「高度文化資源専門職」を創設しましょう、というふうに“制度”話をちゃんと組み込むことで人材育成を語っているのも、むべなるかなという感じですね。
 もちろん、現実問題として個人・単館でこれらすべての技能を自前調達するなんてことはできるわけはないし、やる必要もないんだよ、とおっしゃる向きももちろんわかっております、それは末尾のほうでたぶん出てくるのでしばらくお待ち願いたいのですが、それでも例えば、デジタル・アーキビストの資格認定が求める単位の数と幅広さは実際1人がまかなうわけですから似たようなもんかなと。
 いずれにしろ、これだけリストアップしてみると、後進には求めるだけは全部盛りで求めたい、という、なんかこう上世代から次世代への手放しの期待、夢、みたいなのが感じとれて高度成長期の万博みたいですね。ただ、万博は夢を語ればそれでいいかもですが、人材育成はそうはいかないと思うんで、期待に見合う返報があるといいなって思います。

 で、問題は、です。高度文化資源専門職やデジタルアーキビスト資格のような“制度”話込みの人材育成ビジョンを、現在の日本の大学図書館における職員人事のあり方(そう思い出しました、このメモは大学図書館の現場人に向けたものを書いてるはずです)を前にして、そのままふんわり議論することに、アリバイ作り以上の意味が果たしてあるんだろうか、という迷子感、ロスト感です。たらい回しの配置転換、人格を黙殺した玉突き人事、そういうもんだよで終わる説明責任、精神論と処世術が横行するヒューマンリソースマネジメント、それマネジメントか?と。きみ来週からデジタルアーカイブ担当ね、これが前任者のマニュアル、引継は2-3時間、あ、これは20代の頃のあたしのリアルな姿ですが、あれから20年近く経ってもほぼ同じ様子をふつーに目撃しますから、もはやそんなものも風景・バックグラウンドと化して気にならなくなってしまってるんでしょう。その成果物としての、周回遅れの専門性。
 とかなんとかいうのは、まあ正直繰り言のレベルなので軽く流すにとどめますが(軽く?)、それに輪をかけていまどきは人員不足が進行しているからか、一部署・一職員が複数種類の業務を兼任・兼務する例も多いので、名刺の肩書きがめっちゃ小さい字だったりする。”専門“どころか”専任“すらまかなえてない、のが残念ながら現状なんだろうなと思います。one of themじゃダメだっつってんのに。

 つまり、多岐で高度で専門的な技能をもった人材による長期的永続的な管理運営が求められるらしきデジタルアーカイブのあり方と、大学図書館職員人事の現状とは、本質的に矛盾した関係にあるんじゃないのか、と。

 そんな矛盾の中で、人材育成を急務喫緊として処方を求めて「イシャはどこだ!?」っつっても、さすがにそんな無茶をきいてくれるお医者なんてそうそういないんじゃないかな。風邪なんて即効薬も特効薬もないんだから、薬出したところで眠らせるか症状緩和させるかだけで、「絶対に休めないあなたへ」なんてこと言ってないで、治したいんだったら不摂生な生活習慣や疲労の溜まるオーバーワークを改めて、暖かくしてちゃんと睡眠とりなさい、って言われるでしょう。それと同じで、デジタルアーカイブに必要な人材確保を実現したかったら、それと整合の取れてない慣例や制度疲労を改めて、地道な職員育成をトータルで設計し直すしかないんじゃないかしら、と。

 と言ったところで、まあ結局そんなことできないだろうし、しないだろうから、じゃあそれができない時の人材育成って、何かね、と。
 すなわち、人材育成をせずに別の方法で人材または知識・技術・能力を外部から調達する、という現実解的な処方を考えると、だいたい以下の3つかな、と思うわけです。

 処方その1: すでに完成された人材(=専門家・研究者等)を、外部からお迎えして登用する、”研究開発室”パターン。
 処方その2: 必要だけど自館には持ち玉が無い要素(各知識・技術・能力)について、それを持ち備えた外部の人材(=専門家・研究者等)や機関と、必要な時に必要なだけ連携・協働する、”MLA/MALUI連携”パターン。
 処方その3: ローテーション人事でやってきたぽっと出の実務担当新任者を、単館でではなく、大学図書館業界によるコミュニティ全体でサポートする、”DRF”パターン。

 ああなんだ、結局はすでに目や耳になじみのあるパターンでしたね。
 特にその2とその3ですね、なんだかんだいってもこれが一番効用のある処方だと思います。3なんか、リポジトリという難局を船団的に乗り越えてきた成功体験があるんだし。っていうか、仮に職員育成や外部登用が実現できたとしたって、2.連携・共同、3.コミュニティは同様にあらまほしき処方なわけです、と、念のため述べ添える。

 というわけで、人材”育成”のことはあまり長々言っても正直あれなんで、次のB「私は連携・協働から」に話を移します。

 ほんとは不摂生な生活習慣をあらためるのが、トータルな健康管理には不可欠だと思うんですが。
posted by egamiday3 at 12:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「シュバイネハクセとの非常な相性」@ヴァイエンシュテファン(201806euドイツ6日目その3)

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 6日目(2018年6月14日)、15時半。
 ミュンヘンの宿にチェックインしたあと、またすぐミュンヘン駅に戻ってきました。
 いまからフライジングという町にある、ヴェイエンシュテファンという醸造所にビールを呑みに行こうとしています。

 説明しよう、ヴァイエンシュテファンとは。
 世界最古の醸造所(Alteste Brauerei der Welt)とされるヴァイエンシュテファン(Weihenstephan)は、名前から察せられるとおりもともとは修道院だったところ。で、まあバイエルン州でなくても修道院といえばビール(註:省略)なわけで、ここでビールの醸造が始まったのが西暦1040年だと言うんだけど、ほんとかよ、と。源氏物語(註:1008年)かと。もちろん、ビール自体の起源はもっと古いでしょうから、「現役で最古の」ということなんでしょう。それが、19世紀初めに教会の財産が国有化されたことによって修道院はなくなったんだけど、醸造所は現在バイエルン州の州立施設になっており、実際に醸造に携わっているのはこの土地にあるミュンヘン工科大学の醸造学科、ということらしいです。”産官学”の三位一体を超える、”産官学院醸”の五人囃子ですね。
 で、そういう経緯での現役最古の醸造所によるビールが、この現地へ行けば、直営ビアガーデンでもって呑める、と。
 そりゃ行かざるを得んでしょう、と。

 ちなみに、ビールと言えばいまでは当たり前のようにホップですが、ビールにホップを入れるようになったのは、ドイツから。ていうか、バイエルンから。ていうか、そもそもホップ入りビールを生み出したのはヴァイエンシュテファン修道院だ、って物の本に書いてあるんだけど、ホントかなこれ。

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 ということで、広大な麦畑の中を、ヴァイエンシュテファンがある町・フライジングへ向かってます。
 フライジングはミュンヘンから北へ30キロほど、ローカル線で数十分のところです。日本だと通勤圏内になりますけど、こちらの感覚でも衛星都市っぽい感じなのかな。

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 ↑フライジング駅に到着。
 天気いいし町の雰囲気もいいので、少しだけフライジングの町もふらっとしてみます。

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 のどかですね。
 町はこじんまりとしつつも、人がそれなりに行き交っててお店も多く、石畳ながら古すぎず、新しすぎず騒がしすぎず、暮らしやすそうな感じ。
 と言いつつ、歴史的には8世紀にまでさかのぼるカトリックの町だそうですよ。丘の上にある大聖堂が由緒あるところらしい。
 というわけで、大聖堂に行ってみました。

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 そこそこの上り坂の先に。

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 ↑こんな感じの大聖堂がありました。
 外装からなんとなく新しく見えるのですが、物の本によれば創設は8世紀(!)、現在の建築物は13世紀初頭という、実は歴史のベールを脱いだらすごいんです系の教会。ちなみに残念ながら拝見はできませんでしたが、図書館と司教区博物館も併設されていて、司教区博物館に至ってはヴァチカンに次いで世界第2位だという、ちょっと待って、さっきからこの物の本とやらの言うことはホンマなんか??

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 ・・・あ、ごめんなさい、疑ってたとかじゃないんです。
 (納得はしてないが圧倒はされた)

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 眺望もある。

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 ↑噂の司教区博物館(閉鎖中)。

 フライジングはそんな感じで、で、その町はずれにあったベネディクト会修道院が、ヴァイエンシュテファンであると。
 こちらもまた別の丘の上にあるというんで、Googleマップを便りにしつつ向かいます。

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 ・・・ちょっと待て、こっちも結構な坂、ていうかもはや山道じゃないか。
 そんなマジなハイキングのつもりでは来てなかったんですけど・・・。
 町から少数ながらバスも出てるらしいところを、せっかくだからと思ってイキって歩いて来てしまった・・・。

 まあまあのハイキングがしばらく続き、これホントにあってんの? またGoogleマップに騙されたパターンじゃないのか?と不信感がつのりにつのりかけたあたりで。

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 あ、なんかあるから、たぶん遭難はしなさそう。
 これは、大学の演習庭園みたいな感じかな。

 元修道院だったヴァイエンシュテファン醸造所には、いまミュンヘン工科大学の醸造学科があり、加えてこのあたり一帯がミュンヘン工科大学のキャンパスになっていて、農学だの園芸学だの酪農学だのといった大学施設や研究機関が点在している、ということだそうです。

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 結構な山道の末の丘の上ではありますが、こういう風景にたどり着くと、あ、緑に囲まれた気持ちいいキャンパスなんだなってことがわかります。さっきからぽつりぽつりではありますが、大学構成員らしき人とすれちがったりもしますし、校舎らしきものもちょいちょい増えてきた。
 と、いうところへ。

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 急にビール醸造のにおいがふわっと漂ってきたかと思うと、これは紛うことない、リアルな醸造施設だなという場所に行き当たりました。

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 スーベニアショップもあるみたいでしたが、残念、タイムアウト。

 そしてもう少し先へ行くと。

 あー、これはまちがいない、飲食できる施設を発見。
 鼻でわかりましたよ、食事処特有の油のにおいがぷんぷんしてくるんだもの。あ、呑める場所だな、って一発でわかるにおい。あと大勢のはしゃぎ声。

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 ↑ヴァイエンシュテファンの飲食処、Braustuberl Weihenstephanです。(註:stuberlはオーストリアのドイツ語で小さい部屋、と辞書にあり。やはり同じドイツでもドイツ語が南部の感じなんだなと)
 1000年代がどうのこうの言っても、わりとすっかり内装塗り変えてはるから特に雰囲気とかないし、正直そんなことより何より、もうのどがカラッカラなんですよ。

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 季候も天気もいいから、みんな外でくつろいでます。
 あと、なんかサッカー中継やってる? ピーピーパーパー騒がしいの。(註:2018年6月14日)

 ビアガーデンのアラカルトカウンター的なところでいろいろと渉猟した結果、最終こうなった。

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 ↑ビールは、ヘーフェヴェイツェン、酵母無濾過の小麦ビール。
 そして、ドイツ豚肉料理の南の横綱、シュバイネハクセ。

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 ヘーフェヴァイツェンは、渇いたのどでゴクゴク呑んでしまえるような、ちょっとあっさりしてる?と思ってしまうのは、昨夜のボトルのヘーフェヴェイツェン・デュンケルと比べちゃってるからかな。

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 シュバイネハクセ(Schweinshaxe)、schweinは豚肉、haxeは脚。豚の脚と言っても日本の豚足ではなく、膝からスネのあたり。皮付きの豚スネを、下茹でしてからローストにする。バイエルン地方でよく食べられるらしい。(なお、これが塩ゆでにされた版がアイスバイン、ドイツ豚肉料理の北の横綱(ドイツ北部でよく食べられる)。)

 皮のパリパリ感とジューシー感が五感をわしづかみにして幸福。
 骨や関節に近いあたりのネットリ感が口の中を脂まみれにして幸福。
 この大きさをナイフフォークで切り分ける豪快さと肉食の征服感。
 そして食べても食べても終わらないボリューム感。
 ・・・それが、いつか終わる時の絶望感。

 シュバイネハクセというこのドイツ料理、豚肉好き日本人と非常に相性が良いと思われます。

 なお、つけあわせのクヌーデル(団子)その1、ジャガイモのクヌーデル。ライプツィヒのガストハウスで欣喜雀躍ばりに美味かったあのジャガイモのクヌーデルが、・・・不味い。もそもそまたはべちゃべちゃしてる、ただ単にジャガイモを丸めただけじゃん。
 そしてクヌーデルその2。おそらくこれがパンをミルクに浸すなどして団子化したと言われる再利用ドイツ料理。・・・ごめんなさい、とだけ。
 んー、なかなか、どこで何を食べる機会にめぐまれるか、というのは難しいものですね。ライプツィヒのガストハウスでの初対面があんなに美味くなかったら、感想はぜんぜん変わっていたかもしれない。

 ともあれ。

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 ふう・・・美味かった・・・。
 ていうか食べ終わってしまった・・・。

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 満腹ほろ酔いでまたもやハイキングするつもりはさらさらないので、あらかじめ下見しておいた最寄りのバス停から、駅へ戻ります。

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 バスはミュンヘン工科大学のキャンパスを、岬や半島のように巡りながら、学生を拾っていきます。

 そろそろ旅が終わろうとしてるなあ。
 あと何杯ビール呑めるだろうか・・・。
posted by egamiday3 at 00:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする