「あなたのデジタルアーカイブはどこから?」シリーズの、ラストです。
Bは「連携・協働から」、という、なんとなく前向きに考えられそうかなっていう話で終わります。
専門的人材の長期的確保が必要なデジタルアーカイブと、短期間でローテーションな異動を習慣病として持つ大学図書館職員人事の現状とは、本質的に矛盾した関係にある、と。そのため、人材育成によらず別の方法で人材または知識・技術・能力を外部から調達する、現実解的な処方が必要であろう、と。
で、その処方のひとつが、「連携・協働」、すなわち自館に無い諸要素・・・専門性であったり知識・技術・能力であったりそれ以外のものであったり・・・について、それを持ち備えた外部の人材(=専門家・研究者等)や機関と必要な時に必要なだけ協力しあってなんとかする、ということができればいいんじゃないかな、と。
「あなたのデジタルアーカイブはどこから? A「私は人材育成から」或いは、イシャはどこだ!?について」
http://egamiday3.seesaa.net/article/464457867.html という前回までの流れにもとづいての、デジタルアーカイブ界隈における連携・協働的な活動を、具体的な事例をベースに考える、主に大学図書館業界を主語にして、という感じです。
その1、学内の研究者・専門家との連携・協働。
ていうか、これはもうおおかたの大学図書館の方がいろんなかたちでやってはるだろうなと思いますんで、多くはもうしません。なんせ大学図書館の最大のアドバンテージは”すぐそこに大量の専門家集団がいる”ということであり、これを活用しないなどというマヌケな話はないわけなんで、いくつか拾った事例を淡々と挙げるにとどめます。
東京大学田中芳男・博物学コレクション。情報系の教員がIIIFやTEIやLODを、資料が専門の教員が解説文やセミナーを、史料編纂所が既存データの提供を、というふうにそれぞれの得意分野で役割分担、というパターン。
長崎大学幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース。各分野の研究者が学部横断的に集まって「附属図書館古写真資料室」を組織したというパターン。
その2、外部の専門家との連携・協働。
国際日本文化研究センターの「朝鮮写真絵はがきデータベース」ですが、これは資料の所蔵者が外部にあり、それの電子化とデータベース公開をセンターでやった、というパターンのやつです。この場合、その所蔵者&関係者がその資料についての最大の専門家ということになり、その協力を得てメタデータや解説の作成にあたっている、ということになります。
こういうパターンの場合、メタデータどうやってつくるのかというような基礎的な方針の合意だけじゃなく、作ってもらったメタデータ、CC0で流しても(当然)いいよね?というような、のちのちになって効いてくるような合意事項についても、外部・他分野の協力者にとってみれば、いや、何が当然なんですそんなつもりさらさらないですよ、という話にだってならないとも限らないわけなんで、意思疎通と調整は先手先手で丁寧にやっとかないとな、って思いますね。
その3、教育現場との連携・協働。
上智大学で開講している「デジタルアーカイブ論」っていうのの事例を、『デジタルアーカイブ学会誌』で見つけて、あーこれいいなー、って思いました。
柴野京子. 「知る、使う、つくる : 学部授業におけるデジタルアーカイブの実践的理解」. 『デジタルアーカイブ学会誌』. 2018, 2(3), p.277-281.
https://doi.org/10.24506/jsda.2.3_277 放送番組センターというところが持っている未公開放送番組について、授業でメタデータを作成するという実習をやって、そのデータをセンターに提供する、ということらしいんですが、センターにとってはデータをゲットでき、学生にとっては資料にじっくり向き合って緊張感&責任感持って実習にあたるという教育効果があり、win-winでよかったね、ていうやつ。(自分も、すこぉしだけ真似してみたりした)
それから教育という実践例では立命館大学アート・リサーチセンターさんの「ARCモデル」に如くは無しとおもっていて。
赤間亮. 「立命館大学アート・リサーチセンタ一の古典籍デジタル化 : ARC国際モデルについて」. 『情報の科学と技術』. 2015.4, 65(4), p.181-186.
https://doi.org/10.18919/jkg.65.4_181. 海外機関が所蔵する日本美術・古典籍等をデジタルアーカイブ化する、っていう活動なんだけど、ただやっておわりとかじゃなくて、デジタル化なりそれに伴う資料修復なりなんなりについて、必要な実践的スキルを、そこの現地の学生・若手研究者にレクチャーしながら作業を進めていく、という。レクチャーされてスキルを得た人らは、あとは自分らで電子化をきりもりしていく、という。そういうふうに若い世代をプロジェクトの実働に巻き込むことによって、デジタルアーカイブそのものが構築できるよっていうだけじゃなくて、その構築とメンテに必要な人材も育成できて、スキルや知見も広く継承できて、プロジェクトがとりあえず終わってもまだまだ続くデジタルアーカイブのケアが実現していけるよ、っていう。そういうコラボが国際的にできてるっていう意味で、
ビジョンの地理的な幅広さも、未来を見据えた時間的な大きさも、すげえ見習わなきゃな、って思うやつです。
その4、地域の人々・自治体あたりとの連携・協働。
GだのLだの関係なく、大学はその土地土地での知的インフラ・専門性インフラとしてもっと活躍できるはずじゃないか、っていう希望的な感想を持ったのが、島根大学附属図書館さんの事例でしたね。ここで実践してはるのが、大学教員がその地域にある資料を調査しに行き、何かしら発見し、それを島根大学附属図書館デジタル・アーカイブで収録&公開する、っていうパターン。土地土地の個々の史料なりその所蔵者なりでめいめいにデジタルアーカイブの仕組みなんてそりゃ持てませんでしょうから、それを大学図書館がインフラ提供する、と。これによって、その資料を使った研究・教育ができて教員がよろこぶ、図書館がよろこぶ、さらに自分の所蔵する資料が活きて地域の所蔵者がよろこぶ、あ、
三方よし出ましたね、これ。地域が大学の味方になりますよ。 島根大学さんはそのへん一筋通っていて、「GO-GURa」と称する”地域資料リポジトリ”も構築してはります。県内の自治体と連携して、そこの行政資料を大学のリポジトリが集約・公開する、っていう。これについては下記を参照でぜひどうぞ。
中野洋平. 「しまね地域資料リポジトリGO-GURa構築の取り組み」. 『図書館雑誌』. 2017, 111(6), p.376-377.
http://ir.lib.shimane-u.ac.jp/39947 あれですね、このへんからはもう、「大学図書館にない人材を外部から調達する」じゃなくて、「大学図書館が持てるもの、得意とするものを、外部に届けに行く」っていう連携・協働になってますね。
その5、ユーザ・市民の参画
市民とともに構築していくという例では、やはり渡邉先生のヒロシマ・アーカイブを参考にするのが一番じゃないかなと思います。
田村賢哉,井上洋希,秦那実,渡邉英徳. 「[C24] 市民とデジタルアーカイブの関係性構築: ヒロシマ・アーカイブにおける非専門家による参加型デジタルアーカイブズの構築」. 『デジタルアーカイブ学会誌』. 2018. 2(2), p.128-131.
https://doi.org/10.24506/jsda.2.2_128. 渡邉英徳. 『データを紡いで社会につなぐ : デジタルアーカイブのつくり方』. 講談社. 2013.。
原爆関連資料や被爆体験談等の多様な資料を、地元の高校生や全国のボランティアが活動することによって、アーカイビングしていくというようなもので、アーカイブそれ自体ももちろんのことですが、参加者たちの活動それ自体、記憶の共有とか、世代間・国際間の交流とか、そういうことに価値を見いだすことができるということが、よくわかる好例。
同じく参画型といえば「みんなで翻刻」プロジェクトを見ないわけにはいかない。古地震資料の翻字翻刻をユーザの手で処理した結果、膨大な量のテキストデータが短期間で生成されたという。同じくユーザ参画型と言えばWikipediaタウンというやつもあって、これはデジタルアーカイブかと言われればまあそうは言い難いものの、仕組み方・仕掛け方としてはこれも見ないわけにはいかないやつだよなって思います。そしてどちらも、クラウドでみんながちょっとづつ労力出し合えば膨大なデータが集められる仕組みだよ、って言ったところで、その仕組みさえあれば自然とデータが集まるというような虫のいいだけの話ではなく、
ユーザという名の打ち出の小槌があるわけじゃないので、え、じゃあそのデジタルアーカイブとやらが、そのためのプロジェクトトやらが、ユーザ自身にどういう価値をもたらしてくれるの? どういう魅力がそこにあるの? --例えばユーザ間交流とか、社会への貢献の手応えといったようなものがその一種だろうと思うんですが-- っていうのがちゃんと提示されていてこその、成功への道だよな、って思います。まあそれは畢竟、デジタルアーカイブ自体の意義とは?というところに直結する問題でもあると思うので、どっちにしろ丁寧に考えなきゃな話ですね。
その6、海外との連携・協働
既出の立命館大学アート・リサーチセンターもそのひとつですが、海外機関が所蔵する日本資料、在外資料っていう感じのやつですね、そのデジタルアーカイブ化を現地機関と日本の機関とがコラボでやるっていう例も、少なからず聞きます。これはちゃんとやれば日本側の人材育成に大きく貢献するんじゃないかなと。
というわけでその例をいくつか挙げると。
「イェール大学所蔵日本関連資料調査プロジェクト」(東京大学史料編纂所、参照:松谷有美子. 「イェール大学図書館の日本資料コレクションに関する最近の研究動向」. カレントアウェアネス. 2016.12.20, CA1885.
http://current.ndl.go.jp/ca1885.)
「ハワイ大学所蔵阪巻・宝玲文庫デジタル化プロジェクト事業」(琉球大学附属図書館、参照:Tomita Chinatsu, Bazzell, Tokiko Y. 「越境する沖縄研究と資料II : 「阪巻・宝玲文庫」のデジタル化プロジェクトを通して / 障壁をのり越えて : 太平洋間の協力が貴重資料庫の扉を開く」. 日本資料専門家欧州協会.
http://eajrs.net/2015-presentations#tomitac)
特に琉球大学さんの例は、資料の特性によるところもあると思うんですが、似たようなプロジェクトがもっとあちこちであればいいんじゃないかな、って思ってます。
その7、実務担当者同士の連携・協働
最後はちらっと毛色の違う話になります。前回「DRFパターン」という謎のフレーズでまとめた、「ローテーション人事でやってきたぽっと出の実務担当新任者を、単館でではなく、大学図書館業界によるコミュニティ全体でサポートする」というやつです。
現行の短期間でローテーションな異動を旨とする大学図書館職員人事が続く以上、何の知識も経験も文脈も持たずにある日突然デジタルアーカイブの実務担当となる新任職員というのは、年々歳々大量に産出され続けるわけですね。いかに連携だ協働だ外部の専門家だと気勢を張ってみたところで、高度で専門的な技能を求められるらしきプロジェクトに挑むのは、容易ではない、限度というものがあろうかと。そのうえそんなことを担当する部署自体、大きいわけでも複数人いるわけでもないでしょうから、同僚もおらず、相談できる人も学内におらず、未経験だから外部に人的ネットワークがあるわけでもない。そんな悩みを抱えながら日々だましだましデジタルアーカイブ業務に取り組んでいる、っていう
実務担当者が、津々浦々の大学図書館に散らばって孤立しているんじゃないかなって想像するだけでも、なんかこう、胸がしめつけられる思いがするんですね。
そういう、散らばってそれぞれで悩んでるのを解消できるように”コミュニティ”をつくって、リアルなりバーチャルなりに集まれるような”場”を持って、お互いに、困難で悩んでるんダヨーとか、だったらこうしたらイイヨーとか、そういえばこういう話をキイタヨーとか、じゃあ今度みんなでこうしてミヨウヨーとかいうふうに、知見の共有、課題の議論をやっていけば、いいサポートになるんじゃないかなって思うんですね。まあこれ、いわゆるDRFという成功例がすでにあるわけですが、もちろんあれはかなり標準化された世界の話ではありましたけど、それとは一見真逆の個々に多様なデジタルアーカイブでも、いやだからこそ、人と話して知見を共有することでしか解決できないことってあるんじゃないかな、って思いました。
なおこれについては、某神戸大学さんを中心に実際にそういうことをやってるグループができているということをなんとなく付記しておきます。ていうか、そこからの発想です。
以上、デジタルアーカイブの問題(主に3つ)にどこから手をつけるか、自分なりに考えたことの、じぶんなりのまとめでした。
正直、タイトル先行の見切り発車で始めた@ABなので、特にこれといった明確なオチもなく、こんな感じでーす、で終わります。