自宅の”アルファ本棚”と呼んでる本棚に置いておきたい極私的アルファ級のコンテンツを、書籍メディアに限らずリストアップしたもの。
My Favorite Things.
・「教育の橋をかけた離島から : 島は学び舎」(ドキュメンタリー)
・「いだてん」、特にシベリア鉄道回、第2部初回、1932年ロサンゼルス五輪、満州回(ドラマ)
・「マジカル・ランドスケープ」(演劇)
・吉田寮食堂大演劇「三文オペラ」(演劇)
・「学校・地域・物語 : 『北白川こども風土記』から探る」(シンポジウム)
・デジタルアーカイブ学会第3回の懇親会の2次会(会)
・下鴨車窓「旅行者」(演劇)
・ユリイカ百貨店「ひばり教授の生命発展理論」(演劇)
・「ヨーロッパ仁鶴のしっぽを掴む旅」(『ヨーロッパ企画の暗い旅』)(テレビ)
・ストックホルム市立図書館(建築)
・コペンハーゲンのフレスケスタイ(ローストポーク)(料理)
・ジェノバのMandilli de Sea(パスタ)(料理)
・バルセロナのパエリア(料理)
・中野劇団「10分間2019」(演劇)
・「エクスリブリス: ニューヨーク公共図書館」(映画)
・成安造形大学のカフェテリア「結」の料理(店・料理)
・係の会(2019年6月)(会)
・バンガロー(インフラとしての)(店)
・『美しい知の遺産 : 世界の図書館』(書籍)
・「99人の壁」(テレビ)
・「Dr. STONE」(アニメ)
・ナントカ世代「粗忽長屋」(演劇)
・「朝顔」、特に第10話の長回し(ドラマ)
・「祇園祭礼図巻」(資料)
・「霜降り明星・粗品が今一番やりたい企画TV」(テレビ)
・オークフード(パン屋)(店)
・○○(パン屋、伏せ字)(店)
・「フランケンシュタインの誘惑 E+」(テレビ)
・ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」(演劇)
・一意専心(ビール)
・暗緑物質(ビール)
・室町セゾン(ビール)
・Craft Beer Base Garden、およびその近所のイタリア料理屋のピザ(店)
・ベビー・ピー「ラプラタ川」(演劇)
・「デジタルアーカイブ環境下での図書館機能の再定置」(プレゼン)
・「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」(展示)
・「BEASTARS」(アニメ)
・『日本の文化をデジタル世界に伝える』(書籍)
なお、以下は”手前味噌編”(自作・自分が関わったものの類)
・「コント#52 「石清水八幡宮」」 https://twitter.com/egamiday/status/1094128809056423936
・「レジュメをつくる」演習はこんな流れ index: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/464078480.html
・あなたのデジタルアーカイブはどこから? index: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/464966736.html
・『事件の涙』「そして、研究棟の一室で〜九州大学 ある研究者の死〜」を見て、”共感”と”理解”について考えたメモ: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/464578082.html
・201806eu・ドイツ日記 index: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/465127478.html
・2019ヨーロッパ鉄道旅行のindex #2019GWeu: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/470551204.html
・「今日の「○○読み」メモ」シリーズ
・映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』視聴メモ: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/467793521.html
・「大学図書館におけるデジタルアーカイブの利活用に向けて」(国立大学図書館協会学術資料整備委員会デジタルアーカイブWG)
https://www.janul.jp/sites/default/files/2019-07/sr_dawg_report_201906.pdf
・「図書館が日文研と世界をつなぐ : OCLC他による海外連携と図書館サービス」(国際日本文化研究センター木曜セミナー2019年6月)
http://research.nichibun.ac.jp/pc1/ja/events/archives/mokusemi/cal/2019/6/20/
・荒木のりこ,江上敏哲,坪内奈保子,西川真樹子,渡邊伸彦. 「国際日本文化研究センターにおける目録・ILLの海外対応 : OCLC WorldCat・WorldShare ILLによる新サービスと課題」. 『大学図書館研究』. 2019, 112.
https://doi.org/10.20722/jcul.2042
・図書館総合展2019フォーラムin大阪第3部(司会)
https://youtu.be/Fj97TYBy2b8
・「国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスにおける海外対応(ノート)」(egamiday_wiki)
https://htn.to/3tdzpUVKeJ
・司書が”試される”映画 - 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』視聴メモ・おかわり編: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/472847097.html
2019年12月31日
極私的流行語大賞 2019
・木下直之的
(今後の知的活動の方針の一端としての)
・ジャパンサーチ
・「あなたのデジタルアーカイブはどこから?」(@egamiday3)
・「デジタルアーカイブのあり方と、大学図書館職員人事の現状とは、本質的に矛盾した関係にある」(@egamiday3「あなたのデジタルアーカイブはどこから?」から)
・マジカル・ランドスケープ
・グラウラー
・「なにも成しとげられなかった男の、どこにも届かない、俺だけの言葉でした」(尾ア乏しい@「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」から)
・キテクレルカナー
(など、カタカナ表記による棒読み風のそらぞらしいセリフの類)
・○○なんやねえ、○○したらよろしいやないですかー
(など、似非京都弁による棒読み風のいけずなセリフの類)
・「ここが日本の知財本部」(@デジタルアーカイブ学会懇親会2次会)
・デンバー
・アウトリーチ・プログラム
・以下、2019GWeuヨーロッパ鉄道旅行関連
-ヘルシンキからリスボンまで
-代理店(旅行事務としての)
-ロカ岬
-ガウディ
・ははぁん、○○ってこういうことかあ
(ストラスブール等、現地に臨んでなんとなくそのキャラを理解した時の様子)
・今日の「○○読み」
(CA読み、ジャパンサーチ文献読み、等)
・ニューヨーク公共図書館(映画としての)
・「次のイントロを聴いてお答えください、というときの「イントロ」」
(今年登場した早押しクイズ問題文としての衝撃)
・「N・Yはすごいのにおまいらときたら・・・」
・「図書館の方」
(クイズ99人の壁において新たに名付けられた呼称としての)
・「うつろはダメだ、ダレる。」
・ガルガンチュワ・メソッド、あるいは必殺仕事人メソッド
(ブログの中見出しとして、「egamidayさん、○○する」と当人の行動を記述する手法)
・「どこにも行きたくないし ここにもいたくない」
(努力クラブ(劇団)の公演のタイトル)
・あなたがた人類
(@Eテレ「フランケンシュタインの憂鬱」から)
・連休9days
・一意専心にたどり着いた
・浪速の司書代表
(図書館総合展フォーラム大阪における、浪速の司書代表の人を形容する言葉)
・「たくさんの永崎さんを育てるための本」
(『日本の文化をデジタル世界に伝える』を形容する言葉)
・「殴るなら図書館情報資源で殴る」
・オープンのための逗留地
・リプレイス
裏流行語
・「ネコでも飼ったらどうですか、あっでも飼われたネコがかわいそうだから、やっぱりやめてください」
極私的・egamiday十大ニュース 2019
「なにも成しとげられなかった男の、どこにも届かない、俺だけの言葉でした」
(尾ア乏しい@「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」から)
何が成し遂げられたかはわからないし、どこかに届くかもわからないけど、自分だけのための振り返りコンテンツです。
●egamiday氏、衝撃の「本を持ってるのが馬鹿馬鹿しくなった」発言
昨年(2018)の十大ニュース「egamiday氏、謎のダンボール箱大量購入」の続報です。自宅を大幅に整理する機会に見舞われたegamiday氏、書架部屋(という名の物置)の本を大量に箱詰めして移動させ、押し入れ(という名の物置)の不要物を大量に箱詰めして移動させ、空いたスペースに棚をさらに投入することで、わりと余裕持って機能的に整理することに、まあ65点くらいのレベルで成功したかな、と言った具合です。ところがその副産物として、読み終わったか或いは読むあての無い大量の本が詰まったダンボールの山を前にして、40数年の人生にして初めて「本を持っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた、処分したい」との爆弾発言が飛び出し、波紋を投げかけています。なかなかのクライシスで、いろんな可能性を考え中です。
とはいえ、処分可/処分不可をダンボールで実際に仕分けてみたところ、処分可はせいぜい2割強にとどまっており、あれだ、あきらめなさい。
●egamiday氏、疑惑の「スマホ2個持ち」事件
今年初頭より、egamiday氏がなぜかスマホを2個持ち構えている様子が随所で目撃されています。その後の調べで、実態は「iPhoneと別にiPodを追加で購入した」だけ、ということがわかりました。この件についてegamiday氏は「iPhoneのバッテリーがいまいち不調かなと感じて買い換えを検討しているうちに、むしろもう1個あったほうが有意義な使い分けができることに気づいた」と釈明しており、英語リスニングを聞きながらTwitterを見る、テレビ番組を耳で聴きながらKindle本を読む等と言ってますが、結局一番助かるのはバッテリーが切れそうになったらもう片方に換える、のほうじゃないですかね。
●egamiday氏、禁断の「グラウラー」に手を出す
今年、ついに某醸造の「グラウラー」に手を出してしまったegamiday氏。グラウラーとは、某醸造所の樽詰めビールを持って帰れるというリターナブルな1リットル瓶で、ひどいときには2リットル分買ってタップルームから自宅までえっちらおっちら運ぶという謎の苦役を毎週のようにおこなっていましたが、「家にグラウラーが2本あると、休肝日を設ける余地がなくなる」ということにどうやら気づいたらしく、最近は「ボトル(小瓶)を買う」というあれに切り替えた模様です。まあ数値も特に問題ない範囲に落ち着いており、引き続き「限りある肝臓を本当に美味いクラフトビールのためだけに使おうキャンペーン」でよろしくお願いします。
●デンバーでの会議でせっせとツイートしてるのが日本人とオランダ人だった疑惑
2019年3月、デンバーで開かれたCEAL・NCC、要は日本・東アジア分野の北米の司書が集まる会議に出席したegamiday氏。その模様を日本の関係者にもできるだけ知ってもらおう、届けようと、時差ボケで壊滅的な脳みそに鞭打ってせっせとツイートしていたのですが、よくよく見てみればがんばってツイートしてるのは、日本人の自分とオランダから来ていたライブラリアンくらい。この2人はEAJRS(ヨーロッパの日本司書会議)でもせっせとツイートしてる常連で、ふたりして「あっちでもここでもツイートするの我々だけなのかねえ」と顔を見合わせていたとかいないとか。情報発信のありかたをあらためて考えさせられるひとコマでした。
●ヘルシンキからリスボンまで、egamiday氏的ヨーロッパ鉄道の旅
ほとんど思いつきで始まった「ヘルシンキからリスボンまで、ユーレイルパスを使って鉄道で移動する」という、テレビ番組の劣化版のような企画が、2019年のゴールデンウィーク期間に催行人員1名で実施されました。その模様はこちら→(cf. http://egamiday3.seesaa.net/article/470551204.html)をご参照ください。長年行きたかったストックホルム市立図書館に行けたり、逆にサグラダファミリアに入れなかったりと、紆余曲折はありましたが、まあ最終結論としては「まだ鉄道に乗り足りない」という餓鬼っぷりでした。そもそもゴールデンウィーク期間を選んで挙行した理由が「改元のタイミングで日本にいるのがウザそうだったから」だそうで、次はあれかな、東京2020期間かしら。
●egamiday氏、今年は「ニューヨーク公共図書館」がトレンド入り
やっとデジタルアーカイブから解放されたか?と思われた今年のegamiday氏ですが、中盤から後半にかけて新たに「ニューヨーク公共図書館」が急上昇でトレンド入りしてきました。あのマジで長時間の映画をなぜか2回見る。シンポジウムでなぜか発言を求められる。ワークショップに行ったらほぼ身内だった。最終的には年末まで汗かいて何かコメント書いてた様子で、そのうち表に出るでしょう。(cf. http://egamiday3.seesaa.net/article/472847097.html) いえ、菅谷さんの本は今出川寄席でも衣笠寄席でも骨の髄までフォンドボーにする勢いで活用させていただいてますので、これくらいはします。
・・・といいつつ、よく考えたら5番街の本館に最後に行ったの、10年以上前じゃないかな。近いうちにまた行きたい。
●egamiday氏、「クイズ99人の壁」に出場するも順当にカット
もし自分に「死ぬまでにやっておきたいことリスト」があるとするなら、最後まで残ってるのは「クイズ番組に出場する」ことだろうな、と思っていたら、今年それにまさかの「done」が付くという事件が発生しました。そんなことって起こるもんなんだな、と。
身近な人の知人がクイズ番組に出たという話を聞く→ふわっと影響されてふわっと出願する→まさかの書類&面接通過→まさかの挑戦権獲得、という、「あれよあれよと言う間に」というのはリアルにこういうことを言うのかというスピード感で、佐藤二朗氏の横に立って早押しボタンに手をかけて押す、というところまで行きましたが、僅差で押し負けて放送でもカット。「図書館」ジャンルをひとつ潰すという、世の図書館関係者の皆さんにはたいへん申し訳ない結果に終わりました。(cf. https://twilog.org/egamiday/search?word=%2399%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%A3%81&ao=a)
まあ、この一連の流れの中で「図書館×クイズ、というアウトリーチ」という発想を得ましたので、またいずれ何か書くでありましょう。
●egamiday氏、図書館総合展フォーラムin大阪の司会での成功を「失敗」と暴言
9月に大阪でおこなわれた図書館総合展フォーラムにおいて、パネルディスカッション(https://youtu.be/Fj97TYBy2b8)の司会を務めたegamiday氏。フロアからの発言を中心にまわすというオーダーに、失敗するか成功するかと気を揉んでいたところ、当日フロアから続々と挙手があったために、ほぼその流れに任すだけでよかった、という”成功”に終わりました。
ところが後日、当の本人が「いや、失敗だ」と卓袱台返しの暴言。理屈は「自分から挙手できる人の話しか聞けなかった」とかで、えっとね、喉元過ぎれば熱さを忘れるの類でしょうから気にする必要はないです。
●egamiday氏、今年のマイブームは「キムタクが料理するドラマを見ながら、明日のお弁当のおかずをつくる」
職場がら、昼食問題がわりとシリアスについてまわりがちなegamiday氏ですが、日曜夜に木村拓哉氏(参照:egamiday氏と同い年生まれ)がシェフとして料理する様子が流れるドラマが始まると、それを見ながら翌日月曜のお弁当のおかずをつくる、という謎のマイブームが、ていうか、どういう心境でそんなことやってるんでしょうか。しかも別にフレンチとか何も関係なくて、100均で売ってた3個一組の小さなタッパに、1.炒めた肉と野菜、2.違う炒めた肉と野菜、3.スーパーの惣菜揚げ物をカットしたの、をそれぞれ詰めてレトルトのご飯を添えるだけで、これってたぶん夏場はあまり安心できないやつだなあ、と。
●検証:「木下直之的」「キュレーションとジャーナリズムの中間」とは何か
昨年終盤に「木下直之全集」展を見て何やらずいぶんと刺激されたらしく、今年の念頭に「木下直之的」「キュレーションとジャーナリズムの中間」なるフレーズを掲げており、自分でもふわっとしてるのですがあえて言葉にすると、「この世界を、自分の視点と思想で、編纂・解釈しなおす」「それを言葉・形にして、伝える、というよりむしろ訴える」ということかなあ、と思うんですが、それがこの1年でできたかできなかったかなんて何もわかりませんが、とりあえず引き続きそういう方向でもろもろ彷徨してください。
加えて、↑そうするにしたって、頭の中でうじうじ考えてるだけでは形にも何もなるわけがないので、来年は「もっとツイートする。もっとブログを書く。細けえこたぁいいんだよ」という感じでお願いします。
以上、最後は何故か来年の絵馬みたいになってますが、今年から来年への申し送りも含めた意味での十大ニュースでした。
来年もそんな感じでがんばりましょう。
2019年12月30日
2019年11月+12月のまとめ
●総評
特に12月は、なんや知らん間に終わってた…。
年末年始の連休より、11月の連休の方がゆったりしていろいろ捗ってた気がする。
●11月のまとめ
・「「特別展 流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を巡ろう」(ニコニコ美術館@京都国立博物館)
・年に一度のディズニーランド詣で=人間ドック。結果は、水を飲む、逆流性食道炎に気をつける、もうちょっと調整。
・連休9days・11月編
・ナントカ世代「のけもの」@E9 Theater。安定のナントカ世代感と、壮大なマジカルランドスケープ感、舞台一面に敷かれた京都都市計画地図の上で進む、不条理屁理屈会話クズ劇、ラストはもちろん東九条。
・万博記念公園ってこういうことかあ。
・「驚異と怪異」展@国立民族学博物館
・外食というコンテンツ、秋刀魚リテラシー、茹で落花生、黒豆の枝豆。
・「交流の軌跡」展@中之島香雪美術館
・クラフトビアベースラボ、再訪。
・「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」@京都国立博物館。“切断”がポジティブに見えた、個性出る紙面、工夫と趣意の表装、寄り添う茶器・花器他、所蔵者各々の思いと流転、その100年も確かにこの文化財の“人生”で、巻かれて収納されてるよりも活きてたんでは、と。文化財、むしろあたう限り切断していこう、とすら思えた。
・千客万来(京都醸造)
・室町セゾン(西陣麦酒)
・西陣麦酒、ツイートしたのがバレてたパターン。
・「草の根のアール・ヌーヴォー 明治期の文芸雑誌と図案教育」@京都工芸繊維大学
・長岡京市、石田家住宅、勝竜寺城跡
・#図書館総合展行きません / #図書館総合展行けません
・オープンのための逗留地
・大澤真幸『社会学史』。ハーバーマス。
・「国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスにおける海外対応(ノート)」(egamiday_wiki) https://htn.to/3tdzpUVKeJ
・インフルエンザワクチン
・#図書館にスキャナを常設しよう運動
・粟生光明寺、その1
・福田美術館。撮影OK&キャプションのわかりやすさ。
・キムタクが料理するドラマを見ながら、明日のお弁当のおかずをつくる。
・スピカ「ロミオとジュリエット」(一人芝居)@KAIKA
・『ロミオとジュリエット』(白水Uブックス)
・バンガロー宴にて、謎のオープンアクセス・コンサルティング業務。
・大江山古墳群
・レッツノート、突如ディスプレイ映らなくなる病を発症。
・井上章一、中曽根康弘
・笑の内閣「ただしヤクザを除く」@E9 Theater。◯◯は除く、◯◯は入れる等と、人権の解釈と運用が恣意的に操作されることは、コメディーではなくホラーだということ。人が社会と関わる限り、そのホラーは常に隣にあること。公共の無限定性はどこまで有効か、「誰でも」とは誰なのか。
・自宅クライシス、継続中
●12月のまとめ
・粟生光明寺、その2
・「楽屋」@喫茶フィガロ
・「BEASTARS」
・『系統樹思考の世界』
・ふぞろいの麦たち(西陣麦酒)
・恒例の日文研見学会
・お宅拝見
・ワークショップ「公開コンテンツのオープン化の現状と課題」@NBK
・恒例”女子会”
・アネロかキツネかマンハッタン
・パネルディスカッション「国際日本研究の課題と展望」
「「国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスにおける海外対応」に関するまとめと考えたこと(2019年11月時点)」(egamiday 3)
・todoとブッキングかぶりの嵐@業務
・NYPLの書き物(cf.「司書が”試される”映画 - 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』視聴メモ・おかわり編」http://egamiday3.seesaa.net/article/472847097.html)
・書き物に次ぐ書き物、にしては、終わった形跡がない。
・システムリプレイス
・お歳暮@伊勢丹
・ソファ彷徨
・「本好きの下剋上」
・自分は、司書課程科目しか受けたことがなく、図書館情報学を学んだ経験がない。cf. 「klis OBが司書課程科目の担当講師になった話」(すこしねむい https://laboremus4869.hatenablog.com/entry/2019/12/24/190334)
来年のことは、来年考えます。
おつかれちゃん。
2019年に見た展示のまとめ: 祇園祭礼図巻、あいちトリエンナーレ、佐竹本三十六歌仙絵 等
年間棚卸し企画の、展示・ミュージアム系。
・「世紀末ウィーンのグラフィック」@京都国立近代美術館
・「古社寺保存法の時代」@京都文化博物館
・「横山崋山展」@京都文化博物館
祇園祭、祇園祭、祇園祭、とにかく「祇園祭礼図巻」。
・「松方コレクション展」@国立西洋美術館
収蔵品自体は正直そこまでなくて、歴史的経緯と文書記録類中心に。
・「ドレス・コード?」@京都国立近代美術館
・「文化財よ、永遠に」@泉屋博古館。
修理のテクニカルな話ばかりかなと思ったけど、いろんな立場や時代の人のどういう思いで伝えのこされきたんだよ、的な話(大覚寺の僧侶とか八瀬の住民とか)がいろいろあって、よかった。
・あいちトリエンナーレ(全般)
あんなことがなければ多分行かなかったんでしょう。
しかし行ってみると、たくさんのダイレクトな政治的メッセージの投げかけや、気持ちを不安にさせたり、ていうか物理化学的に身体攻撃してきたり(何あのメンソール部屋、秒でギブアップした)という感じだったので、あれだけを槍玉にヤイヤイ言うてる輩はよっぽどアレだけのアレだな、と理解した。
あと、アートって偉大だな、と再認識した。芸術がというより、アートが。ワークが。表現が。人が思う思いを思いの丈表現することが。そして、その巧みさと沈思黙考が、という感じで。なので、egamidayさんはegamidayさんのアートを実践してください。
・「文博界隈の近代建築と地域事業」@京都文化博物館
・「驚異と怪異」@国立民族学博物館
・「交流の軌跡」@中之島香雪美術館
・「流転100年 : 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」@京都国立博物館
実際展示されているのを見ると、“切断”がポジティブに見えた、個性出る紙面、工夫と趣意の表装、寄り添う茶器・花器他、所蔵者各々の思いと流転。その100年も確かにこの文化財の“人生”の一部で、巻かれて収納されてるよりも活きてたんでは、と。
文化財、むしろあたう限り切断していこう、とすら思えた。
・「草の根のアール・ヌーヴォー : 明治期の文芸雑誌と図案教育」@京都工芸繊維大学
・福田美術館
2019年に見た演劇のまとめ: 三文オペラ、マジカル・ランドスケープ、ナントカ世代、チェーホフも鳥の名前、ラプラタ川 等
2019年も終わるので、年間棚卸し企画の、演劇編。
ときどきコメントを添えて。
・安住の地「ポスト・トゥルースクレッシェンド・ポリコレパッショナートフィナーレ」@ロームシアター京都
・ミンストレルズ「かわらせくんの研究」@京都造形芸術大学
・フェイクシンポジウム「マジカル・ランドスケープ」@京都市北文化会館。
これ演劇に入れていいんですよね? いや、入れますけど。演劇というかシンポジウムというか、イベントの可能性を探るきっかけとなった演目。あと京都。京都好きだ。
cf.「目撃せよ!フェイクシンポジウム「マジカル・ランドスケープ」@京都市北文化会館 ホール」(egamiday 3)http://egamiday3.seesaa.net/article/463967368.html
・吉田寮食堂大演劇「三文オペラ」@吉田寮食堂
今年一番のアルファコンテンツのひとつ。当時のコメント↓。
「#吉田寮三文オペラ を観た。ちょっと言葉にならない。剥き出しで広々とした舞台。その舞台を埋め尽くす大人数のキャストが、動き回って合唱。当然ながら上手い。その辺に転がってる壊れ調度が万物に化ける。洗練された艶かしさ。人間の駄目駄目さ益体なさが何故こんなにもこよなく愛しいのか」
「早々と今年のベスト1位、というか10年に1度、いや近来稀に見る、もういいや、いままで芝居観た中でベスト級の、ものすごくどっぷりしたエンターテイメントの現場を目撃した感。3時間弱があっという間だったし、これで3ステしかなくて満席完売なの身悶える。」
・シベリア少女鉄道「いつかそのアレをキメるタイム」@赤坂RED/THEATER
・「寿司は別腹」@京都・時代祭館十二十二
・ルドルフ「フレイム」@studio seedbox
・下鴨車窓「旅行者」@人間座スタジオ。
「旅行者」は初演以来10年以上ぶり2回目、のはず、でもやっぱ好きだった。
自分が何者で、どこに居りどこに行くかを、社会に強いられるということ。「世の中のほとんどは知らないところで決まる」と無邪気に笑う女と、「どこかの誰かに言われてここにいるんじゃない」と叫ぶ女と。
我々のなんと根無しなことか、と。いまの時代。
・吉田寮食堂春のオールスター感謝祭(劇団衛星、やみいち行動、ヨーロッパ仁鶴、喀血劇場)@吉田寮食堂
特に、ユリイカ百貨店「ひばり教授の生命発展理論」が一番なるほどと思った。なるほどこうすれば一人芝居も、と。なるほどこうすれば、論説が演劇になり、論説が文芸になり、論説が詩になる、と。教壇は舞台だなと。
ヨーロッパ仁鶴旧作+新作。あらためて、独特な言語性の再現が完璧なの。骨太な時間ネタ構造と、本家を超えるような時間ネタディスカッションと、潤沢な時間ネタあるある。京大製STMB。終演後劇場外での衝撃。生きて見られたことに感謝してます。
他。玉子亭掛御飯の落語、オケBOX火災の現場に居合わせた様子を語る、話芸がすごい。やみいち行動「しるこの園」、一番好きな会話劇のパターン、これだけを24時間ずっと耳で聴いて暮らしてたい。劇団衛星、“カンチガイ権力性”みたいなものの醜さってフィクションならコメディなんですけどね。喀血劇場、そりゃあんな内容の会話劇をあんな場所であんなふうにつくったらおもろいに決まってるし、それでいてあれがリアルならほんとアレだなと。
・ユニット美人+ソノノチ“ビジノチズム”「イズム、離れて」@KAIKA
・劇団厚岩「黒白喫茶店」@吉田寮食堂
・中野劇団「10分間2019」@HEPHALL
見て笑わなかった覚えがないという中野劇団の、鉄板。会場でどかどかウケてたし、聞くと東京でもどかどかウケててそんな芝居ふつーないみたいに言われてた。
伏線も小ネタもたっぷりなのもそうだけど、さらに前回よりアレンジされてたからビビった。同じオチを同じ演者がやってるはずなのに、最高のコメディがほろっとした感動になったりする、トリッキーさも含めて。あと最終ターンで、すべてのコマが出そろったと悟ってか、何も口をはさまずあがきもしないのに、ただ自然と周りが解決に向けて話を転がしていく様を、無口でにこやかに見守る主人公の姿が、神々しくすらあった。
・努力クラブ「どこにも行きたくないし ここにもいたくない」@人間座スタジオ。
タイトルが最高、ほんとにいいタイトルだと思う。極私的流行語。
何をしたくて何を考えてるかよくわからない、価値観がふわっとしてぶれぶれで何かがあっても表現し難い、そういう中2頃がよく出てるなと思ってたら、いやこれ、大のオトナも形は違えどだいたいこうだな、と思い直した。
・ナントカ世代「粗忽長屋」@東山青少年活動センター。
実に良いナントカ世代、実に良いスズキスズオを見た。初演も見たはずだし、ナントカ世代の他の作品も、見る度に狂気だ狂気だ(注:美しい方の狂気)とは思ってたけど、その狂気が単純に2倍になってた感。
・シベリア少女鉄道「ココニイルアンドレスポンス」@新宿シアターBRATS
相変わらず頭おかしい。観劇慣れしてる人ほど、混乱してパンクするか、爆笑して撃沈するか、それ以外かのどれかです。(注:全部)
・ヨーロッパ企画「ギョエー! 旧校舎の77不思議」@京都府立文化芸術会館
現場のアトラクション性、という意味で、あ、なるほどそうなっていくのか、と思った。中国琵琶やフルートがあまりに上手すぎるせいで損してるんじゃないかと思った。
・MONO「涙目コント」@THEATRE E9 KYOTO
・「5丁目寄席」@東山青少年活動センター
・ニットキャップシアター「チェーホフも鳥の名前」@伊丹アイホール
3時間を感じさせない大河物語。サハリンの近現代史を、その町の家を舞台に、日本/朝鮮/ロシア/ギリヤーク人の家族たち(そして民族)のほぼ100年史@辺境、として描き、たぶんいま現在の社会に至る。ずっと見入った末に、ラスト見立的な三人姉妹と朗読が特にぐっとくる。
伊丹のみで5回公演しかないの、すごく惜しい、1億人に観てほしい。(DVD発注済み)
・劇団ニガムシ「方舟と葬列」@スタジオヴァリエ
・京都学生演劇祭@東山青少年活動センター
・ベビーピー「ラプラタ川」@岡崎別院
安定のテント芝居、日系パラグアイ移民と能・隅田川を題材に、越境、漂い、記録と眼差し、家族同胞と百年の大河ドラマ、切実に会いたい、割り込み割り込みで語りが何層にも重なっては、剥がれて、私たちを知って、語って、眼差して、溶けて消えてっていう。
・岡崎藝術座「ニオノウミにて」@京都芸術センター(旧明倫小)
・ナントカ世代「のけもの」@E9
安定のナントカ世代感と、壮大なマジカル・ランドスケープ感、舞台一面に敷かれた京都都市計画地図の上で進む、不条理屁理屈会話クズ劇、ラストはもちろん東九条。
・スピカ「ロミオとジュリエット」(一人芝居)@KAIKA
・笑の内閣「ただしヤクザを除く」@E9
◯◯は除く、◯◯は入れる等と、人権の解釈と運用が恣意的に操作されることは、コメディーではなくホラーだということ。人が社会と関わる限り、そのホラーは常に隣にあること。公共の無限定性はどこまで有効か、「誰でも」とは誰なのか。
・「楽屋」@喫茶フィガロ
ぜいたくな時間と空間。
2019ヨーロッパ鉄道旅行・最終日「このビール、ドイツんだ? オランダ【完】」(リスボン→ライデン→アムステルダム→京都) #2019GWeu

5月6日、午前4時。
リスボン空港です。
■5/5 (KL1692) リスボンLIS 0500 -> 0900 アムステルダムAMS
■5/5 (KL0895) アムステルダムAMS 1720 -> 5/6 1005 上海PVG
■5/6 (MU0747) 上海PVG 1210 -> 1540 関空KIX
午前5時リスボン発→アムステルダム行きの飛行機に乗るため、空港横の宿を3時50分にアチェックウト、3時55分に空港着です。この時点ですでに写真のような人賑わいですから、飛行機旅行は鉄道旅行以上にたいへんだなあ、と思いますね。
しかも余裕綽々で搭乗ゲートに着いたら、もうすでにほとんどの乗客がそろっていてすでに行列が進行してたっていう。
飛行機不便説。
明日朝4時発なんだと言うと、じゃあ朝食バッグ用意しとくよ、とフロントの人が言ってくれて、渡された朝食セット。日本基準では塩っぱくも見えますが、世界標準でしょう、けど越すに越されぬセキュリティでひっかかるような奴が結構あってそれはいただけない、とりあえず口にします。
というわけで、諸々事務的にすんなりこなして、特に機体の写真もこれといった感慨もなく、ポルトガルを出国する運びとなりました。
さようなら、ポルトガル。
おめでとう、ロカ岬まで踏破できた自分。
ポルトガルはなかなかついでがあって来れるような位置でもないので、できればもうちょっとちゃんと味わいたかった、特に料理的な意味で。また来ましょう。
【ライデンへはもう何度も行きましたね】
午前9時。
ほぼオンタイムで、なごりの10ヶ国目・オランダはスキポール空港にさくっと到着しました。
帰国のために上海へ向かう便は17時発、それまで8時間あります。
スキポール空港には鉄道駅があって、アムステルダムへもライデンへも10分20分程度で行ける、非常にアクセスの良いところ。
というわけで。
ライデンにやってきました。
ライデンにはもう数えるのがめんどくさいくらい何度も来ましたが、非常に過ごしやすい、自分にとってはベースキャンプのような街です。
しかも9時40分、着くのが早過ぎて、ミュージアムの類がまだ開いてないという事態。
スタバ(行きつけのライデン駅店)で雨をしのいだうえで。
まずは、これに来た。シーボルトハウスです。
何度も来たけど、やはり来る。

しばらく堪能。
↑民族博物館もざっと見る。
それから、いつも立ち寄る駅前スーパー「JUMBO」で、土産兼日用品等の諸々を買い込む。
これによって、ライデンへの義理も職場への義理も大方果たしたと判断できたので、次にアムステルダムへ向かいます。
【アムステルダムへももう何度も行きましたね】

さすが、相当の人波のアムステルダム中央駅ですが、改札を出ようとするとやはり自動改札で出られない。ただ、そこはニースやライデンのような小さい駅ではないので、スタッフが仏頂面でそのへんに立っているので。
「出たいんだけど」
「バーコード」
いや、ユーレイルパスだから聞いてるんだけどな、と思ってると。
「これ」
…あー、ほんまや、ユーレイルパスにも確かにバーコードあるけど、え、何これ欧州各国共通で改札を出られるとでも?
「…ピッ」
開いた。なんのことはない、ニースでもライデンでもバーコード使えばよかったんだな、と。これは次回の旅行事務への申し送り。


駅前の賑わいを通り過ぎ。
アムステルダムの通りを適当にぶらぶら歩いていると。
↑あまりの寒さにジャケットをつい買ってしまったりして。
↑こんな店に行きあたって、お土産品を購入。
入出国スタンプ柄の旅情深いラバーダックなど。

なんだかんだの末、アムステルダムで”行きつけ”になってしまった街中のブルワリーにやってきました。
ただしオープンが14時からであるとのことで。いまはまだ13時半。

敷地内に併設してあるカフェバーで、暖をとりながら昼食にしておこうと。

フィッシュのサンドイッチがあるからといって、注文したら、↑シュリンプでした。カフェですがちゃんと美味い。

まだ本店じゃ無いからおとなしくしてようと思って、↑ノンアルコールビールがあるのを注文してみたのですが、Maisel's Weisseという南ドイツのヘーフェヴァイツェンで、がっつりしたマジなやつ、文句なく美味い。
日本のブルワリーもマジでこのくらいのレベルのノンアルコールビール作ってくれ、国民の健康のために。
というわけでノンアルコールビールの美味さにとても気を良くした結果。


我慢できずにビール注文したら、これが美味っっ!!
↑オランダ・Amsterdam BrewboysのKama Citra、カーマ・シトラとはなかなか気の利いた名前で、ホップもしっかり効いてて、小麦で、甘くてフルーツっぽいけどフルーツっぽ過ぎもせず、ちょうどよくて美味い。これはかなり好きなパターンのやつです。
ていうかこの「Kama Citra」という名前になんとなく聞き覚えがあって、高野屋かどっかで呑んだことある気もするので、運が良ければ日本でもまたお目にかかれるかも。ダメだったら、また今度オランダに来る。っていうくらいに、相当気に入ったらしい、正直、これに出会えたんだったら、別に無理して14時を待って本店のほう行かなくてもいいんじゃないか、とすら思いました。
ま、↑もちろん行ったんですけどね。
【旅の結論:いや、まだ乗り足りない】
というわけで、お気に入りのビールにしっかり出会えたところで。
2019GWeu・ヨーロッパ鉄道旅行、やっと終わりを迎えます。
このあとはスキポール空港、からの上海空港、からの関西空港、そして京都という帰路でした。
ほとんど思いつきで計画した「ヘルシンキからリスボンまで」という鉄道旅行ですが、まあなんというか、行こうと思えばふつーに行けるんだな、という結論です。線路はちゃんとつながってるし、インフラはそれなりに敷かれてる。
ただ日程が決まってるとどうしても急ぎ足になっちゃいますね。あと1日あればオランダ・ベルギーも寄れたし、もう2日あればオーストリアやスイスも行けたはずなんです。そうすれば随分と充実した旅になったんじゃないかなって。今回はほんとに時間を気にしてましたので、まあ、いつものことですが。
それよりもちょっとだけ懸念してたのが、これだけ連続で列車に乗り尽くめの旅をしていたら、さすがにもう充分に思うだろう、ゲップが出るんじゃないか、下手したらもう二度と乗りたくないとまでトラウマになっちゃうんじゃないか、と。
いや、まったく全然です。まだまだ乗れる、乗り足りないくらい。
旅の間、なんだもう終わりか、もうちょっと乗ってたかったな、と何度思ったことか。乗り足りるということを知らないんじゃないか、と。
むしろ、今後以降の旅はあれ以上に乗らないと満足できなくなっちゃうんじゃないかしら、というおそれがあって、そっちのほうがよっぽど怖い。今度はお茶が。
というわけで、またいつか、いつかというかじきに、似たようなことをやることでありましょう。
このブログは自分のための覚書ブログですので、以下、次回以降への旅行事務的申し送り事項。
・各経由地の予習が不足気味だったのはある種当然の話で、9ヶ国10数都市の予習なぞ満足にできますかと。デンマークの豚肉やジェノバのパスタに会えたのだいぶラッキーだし。しかもその前の海外渡航(デンバー)から1ヶ月しかなくて思うように準備できなかった、鉄道予約事前手配がうまいことできただけでも成功じゃないかと思う。
・今回予習が手薄でもある程度成功した要因とは。幸運。特に鉄道の多くがオンタイムだったという幸運。予約システムと代理店をうまく活用できたこと。リヨンのホテルの併設バーと、ジェノバのホテルマンが有能だったこと。現地の人々に折々で助けられたこと。荷物が軽かったこと@ニース&アルル。あれこれを追わず一点を攻めたこと、マドリッドのゲルニカやコペンハーゲンの豚肉。
・失敗要因の分析。治安に不安、および、距離感と街の様相の見積りを失敗したこと@リヨン。祝日だったこと@リヨン・ジェノバ・バルセロナ。疲れ@リスボン。
・絶対無理だろうと思いながら現地の人に声かけて、お互い言葉わかんないながらなんとか助けてくれること多かったので、だったらなおさら現地語ある程度予習しましょうね、ていう。「駅」とか「コイン」とかくらい。知ればそれだけおもしろくなるんだし。
・ドコモが日本のパケット契約を海外でも使えるプランがあることを、レンタルwifi契約後に知って、じゃあレンタルいらんかったなと思ってたら、そのプランでの接続を上海やオランダで試してみても全然繋がらない事件。はぁ?と思った。結局帰りの上海空港で試して成功したし、かつ、ドコモの海外パケット経由だと中国からもツイッターにふつうに投稿できるっぽい。
・マドリッド−リスボン間の夜行の設備が古く、電源が乏しいかつ不調のためか、バッテリー充電がほとんどできなくて、翌日夜頃には全デバイスほとんど虫の息だった。ところがその夜の新設ホテルでもほぼ充電できず、バッテリー自体またはコードに不調の疑惑がある。
・現金なくて困ることがほとんどなく、キャッシュレス社会はとてつもなく進行してるんだなということがわかった。そもそも今回の旅行では、一切ATMのお世話になってない。けど、コインがなくて困ったことは度々あった。ていうか、機械が認識しない硬貨がやたら多かった気がする。
・なお、クレジットカードを非接触型に切り替えること。お店の人にあたりまえのようにタップされて、?、ってなることがちょくちょくあった。
・フランスでもイタリアでも土地土地にクラフトビール屋さんがちゃんとあって、なんか世界的にそういう流れなんだなって思った。個性はあれど“スタイル“みたいなんは当然いまのやつで、そう考えると、日本で色々飲んでるのとそこまで変わんないのかなと。(ドイツやベルギーをのぞく)
・帰りの上海空港で、人生初のロストバゲージを体験。ていうか、その日だけで上海からの荷物の未着が100件くらいあったらしい。行きでなくてよかったけど、まあ気をつける。
5月6日(月)、18時34分。
オンタイムで京都に到着したのでした。
気温15度、え、寒いじゃないか。
おつかれちゃん。
次の旅の準備をしてください。
2019年12月28日
2019ヨーロッパ鉄道旅行・8日目その3「閉店の多い料理店」(リスボン) #2019GWeu
5月5日、16時前。
無事にロカ岬にたどり着いたわけなので、ここからは帰路の話ということになります。
とりあえず、リスボンに戻らないと。
今夜はリスボンに泊まって、明日早朝出発、飛行機でリスボン→アムステルダム→翌日上海→関空、です。
【egamidayさん、大航海時代に帰去来辞を思う】
ロカ岬からリスボンに帰るのに、単純にシントラに逆戻りしてもいいのですが、あえて別ルートを通って南へ向かいます。
バスの行き先はカスカイスという海沿いの町です。

なお、バスは激混みで、数十分立ち乗りでした。
カーブの多い山道で立ち乗りはつらいよね・・・。
途中、名物のローカルな路面電車が走ってるところにも遭遇できたはずなんですが、写真を撮る余裕も特になく。

カスカイスから海沿いを走る近郊鉄道で、リスボンに戻ってきました。
リスボンの中でもこのあたりはわりと西の方、港に面したエリアになります。
もう午後6時近く、リスボン観光の余地などはほとんど無い中で、せめてここは行っておこうと立ち寄ったのが、こちら。
「発見のモニュメント」。
ウォーターフロントに建つでっかい彫像で、大航海時代の歴史上の人物が多数登場するというやつです。
↑先頭のあいつがエンリケ航海王子。(コロンブスと間違えてた)
↑この中にバスコダガマやマゼランやバーソロミューなんちゃらがいると聞いています。
↑この宣教師がザビエルですね。
このモニュメントの足下には世界地図もあります。
ご丁寧にというか(おせっかいにもというか)”西洋からの発見年”が書いてある。
日本の「1541」は、ポルトガル船が豊後国に着いた年、らしいです。Wikipedia調べ。
その日本に、私が到着するのは明後日です。
目的のルート踏破は果たして、もう旅も終わり、10連休も終わる。
帰ろう。帰去来辞。
そんな中、地図のあちこちを眺めてると、そのヨーロッパ部分。
egamidayさんは今回の旅行で、この地図上の丸いポールが置いてあるあたりから、三角コーンが置いてあるあたりまでを旅してきたわけです。ていうか、なんという奇遇でしょうか(笑)。
【egamidayさん、ポルトガル料理にありつけない】
さて、もう午後7時近いわけなので、ホテルにインする前に夕食にしようと思うわけです。
ネットでいろいろと検索してみると、とある日本人のブログでやたらその料理を褒めてる町の食堂(Freixo)を発見。ポルトガル料理の名物のひとつに、豚肉とアサリを混ぜて炒めるという、どう考えたって美味いに決まってるような奇跡のレシピがあるのですが、それが美味い店だとおっしゃる。そもそもポルトガル料理自体、魚介類と肉その他を上手に使って、日本人好みにしあがってるものが多いらしく、食材もタコや米やアサリや豚を使い、調味料もニンニクやスパイスやオリーブオイル等等、ほお、そうか、これは旅の最終日に何が何でもポルトガル料理を堪能せなあかんな!と気合いがグッと入るわけですね。
とりあえず、Googleマップ頼りにその町食堂に向かってみます。
ローカルな番号のバスに乗り、地図上でズレズレの位置に記されてるバス停で降り、道の形をマップとリアルでにらめっこしながら、人影もまばらなネイティブな町の道をおそるおそる歩いてると。
・・・・・・通り過ぎたな。
戻って、このあたりのはずだという建物を注意深く。
・・・・・・え、この廃業してるらしき店舗のことじゃないか(涙)。
窓はホコリや貼り紙あとの糊で汚れ、店内は土気色で壊れた椅子が転がってるだけ。ポルトガル語の張り紙が貼ってあるのをがんばってGoogle翻訳してみると、2月まで工事だの、場所を移動するだのということなんだろうか、わかんないけどとにかく書いてある。
まあ、わかろうがわかるまいが、閉店してるわけです、これはもうしょうがない。
その移転先というのがわかるだろうか、あるいは別の店でも、とブックマークしてたいくつかの候補を確認していると、これはなんだろう、パティスリーなんだけども食事もだしていて、シーフードのリゾットが美味いよ、ということらしい。さすがポルトガル、米と魚を食わせてくれるなら充分ですよ。
ちょっとここからは遠いけど、よく見ると、現在地からオリエント駅(注:ここのロッカーに今朝荷物を預けたままになっている)までのちょうど通り道にあたる、なるほど、どのみちそっち方面にこれから向かわなきゃいけないわけですから、そういう意味からも都合がいい、と向かうことにします。
港湾地区の軽く荒れた道ばたをとぼとぼと歩き、ていうか”豚肉とアサリ”を逃した時点でだいぶ失意ではあったのですが、レトロなトラムに乗ると窓からの風がさわやかで、ちょっとだけ元気になる。

で、トラムと地下鉄を乗り継いで数十分。
なんか名古屋大学にそっくりな街並みしてるなあ、と。
店の前まで来てみたところが。
シャッターが半分下りていて、おっさんが拭き掃除してる。
・・・・・・あ、これ明らかに片付けに入ってるやつやな。
時計を確認する。
午後8時。
あ、まだ明るいから気づいてないけど、もう夜8時なのか。
さすがにパティスリーが開いてるわけもないな。
ここへ来てにわかに、あれ、これちょっとなんかマズイぞ、という気になってきます。
よく考えると、今日は朝からちゃんとした食事はとってないわけです、駅のコーヒー屋でつまめるサイズの小さなパイとさつま揚げ、あと、シントラで十何世紀だかいうスイーツ。それだけ。ていうか、もっとさかのぼれば、ほぼ24時間前にマドリッドの駅でホットサンドひとつ食べたのが最後。
それで今日は午前中からシントラだの王宮だの、モンセラート宮殿の高低差豊かかつ広大な庭園だのを歩きづくめで、挙げ句にユーラシア大陸最西端まで歩いてる(注:一部に誇張があります)。なんかこう、さっきから”心地よい疲れ”に身体が満たされてるな、という気分でいましたが、いやちがう、これはおそらく「ただただ疲れている」だけであり、そしてたぶん食料摂取してないから「脳に糖が行かずに判断力がにぶってる」んだな、自分。(そもそもパティスリーで食事出すって、せいぜいランチとかじゃないか)
そう、いまやっと気づいた。疲れてるんです、私。
しかもこのぶんだと、海外旅行あるある代表格のひとつ「食べそびれる」に見舞われるおそれがある。
これはとりあえず、なんでもいいからいったん食物をしなければならない、食って、セリヌンティウスを、じゃない、食って血糖値を上げて脳にも糖を送るのだ。

というわけで、すぐ近くの店がチャイニーズのパティスリーだったらしく、一皿いくらで好きにアジアフード食べれる的な感じだったので、もうなんでもいいですとばかりに、食物摂取行動を実行したのでした。かろうじてバカリャウの煮たのはあった、バカリャウを半中半欧で煮るとああなるんだなという感じ。あとはだいたいインターナショナルな中華、バナナのフライとかあった。
しかも席についてわかった、自分、座りたかったんだ。相当疲れてたなあれは。
で、じゃあポルトガル料理はあれだ、ビールのあて的にもらえればそれでいいや、と。
せめてビールは、ポルトガルのクラフトっぽいよさげなやつ、どっかでもらおう。
今夜のところはそれで納得しよう、って。
思ってたんです。この時までは。
【egamidayさん、ビールにもありつけない】
そもそもいまになって大ミスに気づいたことには、今朝シントラに着いたときに、「ロカ岬で大西洋を見るのに逆光にならないように、午後に行こう、だから午前中はシントラ観光にしよう」、って、いやいや、ロカ岬から大西洋は西を向くわけだから、逆光を防ぐには午前中に行くべきだったわけです。そして、午後に行って、そのことに気づいてすらいない。
どうかしてる、判断力低下どころの騒ぎじゃない。これはもはや一週間の旅の疲労が相当たまっていると言ってよい。帰去来辞。
というわけで、まずはオリエント駅でロッカーから荷物をピックアップして、宿にいったんチェックインしに行こう。
ビール・ハンティングは落ち着いてからだ、と。
地下鉄でオリエント駅に向かいながら(註:さっきから地下鉄の便はわりといい街)、ちまちまとネットでポルトガル・ビール情報を探してたところ。
向かってる先に、「All Beers」という名前のバーがある。
オリエント駅はリスボン中心部からだいぶ距離はあるものの、空港近く、新しく造りつけたような土地で、そこにイオン帝国さながらのでっかいショッピングモールが併設してあるのです、H&Mやなんやがうわーっと入ってるタイプの、しかも名前が「バスコ・ダ・ガマ・センター」。そのレストランフロアにビアバーがあって、ポルトガルどころか世界各地のクラフトビールが、買えるし飲める、という店らしい。
何ですか、ここへ来て夢の国ご登場じゃないですか。
ただいま、午後9時。
というわけでここがそのショッピングモール。
「All Beers」は何棟の何階、とネットに書いてあるので、行ってみてうろちょろするんだけど、なかなかそれらしいサインが見つからない。
あれーどこだー、とフロアマップを念入りに見る、端から端まで歩いてみる。フロアもわりと広くて、ショッピングモールにありがちなわざと歪曲で分け入るような造りになってるのか、分け入っても分け入っても他の店に当たるばかり。
ヘンだなーと思って、デッキで違う店の食器を片付けてるおじさんをつかまえて、仕事中申し訳ないんだけどと思いながら。
この「All Beers」っていう店なんだけどね。
「・・・あー、クローズ」
え、クローズ!? でもまだ9時でしょ、一応ビアバーなんだし。
と、怪訝に思ってると、自分の職場らしきレストランを指して。
「チェンジ」
…チェンジかぁーっ。
…。
………。
ん、ああ、ホテルにチェックインしました。
あまり遅れてノーショー扱いになっても困るなと思って、わりと時間ギリギリに駅のロッカー荷物(注:ここでも追加コインが無くて困ってた、そばにいた紳士が恵んでくれた)をピックアップして、空港駅までやってきて、車道をガラガラ荷物ひいて、格安でファーストなホテルのせいか明らかにフロントスタッフ手薄で何十分か待たされたけど、まあ、あれです、ここが最後の宿です。
壁の絵にツッコむ余裕もあまりない。
軽く湯浴みして、気を取り直し、あらためてビールにありつくために外に出ます。

もう何度目かの地下鉄に乗り込みますが、現在もう夜10時半です。
え、ロカ岬出たの4時とかじゃなかったっけ? 一体どこで時間がこんな押せ押せになったんだろう、さっぱりわからない。
しかも明日リスボン空港発って、朝5時ですよ。チェックインは4時20分〆切で、荷造りその他を考えると3時過ぎには起きたい。
なのに、あろうことか地下鉄に数十分乗って酒場にビールのみに行こうとしてる、おかしいだろうと。
それでもなお、スマホでいろいろ探していたところ。
候補その1、リスボン中央駅すぐ近くに有名なビアバーがあるらしい、と。ただ間違いなく混んでそう、ネットで写真探しても店先で人が押せ押せになってるようなのしか見かけないんだもの。
候補その2、オリエント駅に戻ってイオンモールのスーパーで地元惣菜を買い込んで、部屋のみ。それは最後の手段だなあ、時間遅いとろくに品物のこってなさそうだし。
候補その3、海近くに老舗の市場(Mercado Da Ribeira)があり、近年改装して新しいフードコートができた、と。市場の食材を使ったポルトガル料理やその他の各国料理を出すたくさんの店が並び、大勢収容する席もある、と。
ははあん、なるほど、フードコートってそういうことか。思い返せば数日前、行きはしなかったけど、デンマーク・コペンハーゲン中央駅のすぐ隣りに新しいフードコートが確かにできてた(http://egamiday3.seesaa.net/article/470485028.html)し、もっと言うと3年前、イタリアに行ったときもローマのテルミニ駅に併設して、わりと使い勝手のいい、しかもローカルな料理も無くはないくらいのフードコートが新設されてた(http://egamiday3.seesaa.net/article/445407391.html)。もっと言えば、京都タワーの下にあるのもそうで、いまどきの流れであちこちにできてるそういうのって、不慣れかつ忙しい観光客をそこそこの感じで大量にさばいてくれるという意味では、時と場合によって上手に使うと捗るな、っていう。
2択に悩んだ末、選択肢が多そうな市場のほうへ行ってみました。

午後11時。
すげー賑わってる(笑)。
中央に席が大量にあって、周囲にぐるりと各店舗が並んでる、という造り。
これだけ店が並んでれば、良さげなビールも見つかるにちがいない。
と、思うじゃないですか。
1店1店ローラーのようにのぞいて行くのですが、ビールを置いてるところが一向に見つからない。
ていうか酒を、ドリンクを置いてる店がないのか??

で、どうやら中央に1店舗あるでっかいビール会社のブース。
ここがこの市場でビールを集中的に提供する、という構造らしい。ワインやコーヒーの集中提供所もあった。セントラルヒーティングみたいですね。
…ということは、この大手企業らしきビール店のビール一択しかないわけね。(誰だ、選択肢多そうとか言ったの)

と、デジタルサイネージが切り替わると、なかなか良い色合いのビールが並んでるじゃないですか。
テムズ(イギリス)のポーター、バーバリアン(南ドイツ)のヴァイツェン、ベンガル(インド)のIPA、そしてミュンヘンのデュンケル。
うん、わかる、大手企業さんがクラフトビールっぽく作った各種スタイルのビールっていうパターンのやつですね。グラスもなんかチャラくて内容量少なそうではありますが、でも、もはや何の文句もありません、ここへ来てまさかデュンケルが呑めるとはもっけの幸いじゃないですか、ガツンと飲ませてほしい。
と思って、お店の娘さんに声をかけます。
「デュンケルを!」
「OK!」
と快諾のうえ、厨房にオーダーを通す娘さん。
よかった、呑める。
ヘルシンキからリスボンまでの長旅、いろんな土地のいろんなビールを渡り歩いて、最終日はあちこちの店が閉まりまくってたけど、美味いビールが呑みたいと歩き回り、最後の最後にミュンヘンスタイルのビールが呑める。
ありがとうミュンヘン、ありがとうリスボン。
「******!」
「******!?」
…なんかもめてるな、娘さんと厨房。
「ソーリー、デュンケルが出せない」
えっ、そうなの。
参ったな。じゃあヴァイツェンでもIPAでもいいんだけど。
「ごめんなさい、ポーターもヴァイツェンもIPAも出せない。出せるのは、一番左のオリジナルビールだけ、あれも美味しいよ」
え、いやいや、あれふつーのラガーっぽいやつじゃん、そうじゃなくて。
「え、何、こっちのクラフトビールはソールドアウト?」
これだけの人混みのせいで、もう売り切れたという悲劇なのか?と思いきや。
娘さんのコメント。

「ごめんなさい、↑これを出すためのグラスが全部出払ってて、もう用意できない」
グラスが…無い……。

美味かったですよ。どこかの何かのビール。


ポルトガルと言えばタコでしょう、と思って、タコのシチューももらいました。
アリファナ海岸というところがポルトガルにあって、それ風だそうですが、よく見たらこの料理、”いも・たこ・なんきん”なんですよね。
なるほど、日本人好みと言われるだけのことはある。
ビールと食事をいただいて、地下鉄でホテルへ戻りました。
戻ったのは0時半頃だったかな。Googleマップの地下鉄時刻も違ってたしね。
正直、ビールの恨みは根に持つよ。
司書が”試される”映画 - 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』視聴メモ・おかわり編
とあるところでとある事情から、映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』のコメントを書くことになり、なんだ今年は中盤から最後までNYPL尽くめではないか、ライオンちゃんから詰め合わせセット貰ってもいいくらいじゃないか、と思うのですが、というわけで、以前書いた下記記事への追記的なメモです。
・映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』視聴メモ (egamiday3)
http://egamiday3.seesaa.net/article/467793521.html
その追記的なコメントを書くにあたって参考にした主な文献を下記に挙げておきます。映画本編+パンフ類と、菅谷さんの『未来をつくる図書館』をのぞけば、目を通しておくべき重要なコンテンツ(日本語による)はこの4つじゃないかなって思いますね。特に4番目の対談と5番目のLRG記事は、映画本編では語られなかった、あるいは深められなかった重要なことを補ってくれるので、すごくありがたかったです。
・鈴木一誌. 「多からなる一 : フレデリック・ワイズマン監督『エクス・リブリス : ニューヨーク公共図書館』」(特集 図書館の未来). 『現代思想』. 2018.12, 46(18), p.69-77.
・(パネル抄録)「『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 公開記念パネルディスカッション : ニューヨーク公共図書館と<図書館の未来>」. ニューヨーク公共図書館 : エクス・リブリス(映画オフィシャルサイト).
http://moviola.jp/nypl/event.html
・(パネル動画)ミモザフィルム. 「『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』 公開記念パネルディスカッション ニューヨーク公共図書館と<図書館の未来>第二部」. YouTube.
https://www.youtube.com/watch?v=GIciohenaq4
・「スゴ本と読書猿が映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を語り尽くす」. はてなニュース. 2019.7.13
https://hatenanews.com/articles/2019/07/13/180000
・豊田恭子. 「もうひとつの『ニューヨーク公共図書館』 : 映画の背景にあるものを読み解く」. 『LRG = ライブラリー・リソース・ガイド』. 2019, 28, p.99-109.
以下、考えたことのいくつか。
このドキュメンタリーの特徴として、それが監督さんの妙味なのか図書館のなせる技かは私にはわかりませんが、ナレーションが無い、解説がない、字幕もそれほど流れてない、ただただその現場やバックヤードをカメラが映し続ける、という手法があるとおもうんですけど、そのことを菅谷さんがパネルディスカッションで、観客を「透明人間」として立ち会わせる、っていうふうに表現してるんですね。これが菅谷さんオリジナルの表現かどうかはわかりませんけど、それを聞いたとき、あ、なるほど、と思うと同時に、背筋がちょっとゾクっとしましたね。
これ、観た司書が”試される”映画だったんだな、と。
現場に透明人間として潜り込むって、カタギの人=非図書館関係者だったらいいんですよ、バックヤードを覗き見ちゃおうっつって、見たことのないサービス、聞いたことのない議論、そんなことやってんだ、そんなこと考えてるんだ、それこそこの映画の惹句「え、これが図書館?」ってな具合で、驚いたり感心したりして、まあ、それで済むっちゃ済むんですけど、我々図書館関係者、特に現役で働く司書にとっては内心穏やかでいられない、いや、いられるわけがない。
だって、この映画やそこに描かれる図書館の活動に対してどのような反応をするかっていうのは、すなわち、「自分がふだんどのような考えと心構えで職務にあたっているか」のあらわれであるから。
カタギさんにとっては大人の社会科見学かもしれないこの映画ですが、現役司書がよそさんとこの図書館のバックヤードに透明人間として立ち会うって、それ、異動か転職か在外研修で送り込まれた状態に近いわけですよね。これからここで実務に携わるかもしれないという想像の中で、規模も活動内容の多様さも桁違いの現場と、同業者たちの議論を目の当たりにするわけですから、まあ、まともな神経の現役司書なら「ただ驚くのみ」という反応はまずありえへんでしょう。
だからこそ、どう反応するか、が”試される”ことになるのでは、っていう。
オーマイガッ、こんなことやったことない、考えたこともない、と戸惑うのか。
ワオッ、こんなことができるのか、なるほどやっていいんだ、と興奮と希望を抱くのか。
ガッデム、なんで奴らにはできてうちらにはできないんだ、何が悪いんだ、と彼我の差に臍をかむのか。
ハッ、ありえないよこんなの、現実的じゃないね、と斜に構えてあちこちにケチをつけるのか。
……、え、あ、うん、まあふつーじゃん、図書館ってこうだよね、か。
あ、最後はあたしの反応でしたね。
前のブログ記事にも書いたように、あたしにとってはなんの疑問もひっかかりもない、「ごく自然なあるべき姿」の図書館が描かれた映画だったな、という感じでした。まあ、彼我の差に臍をかむ、がチョイのせくらいで。
数々の図書館活動も、公民館のような活動も、スピーチもイベントもダンスも。ライブラリアンたちのディスカッションなんか、正直、さほど目を見張るようなテーマや内容が話されてたとは別に思えず、ああ、まあこういう話するよねー高野屋とかバンガローで、ていう感じ。共通して言えるとしたら、どれもこれもが、図書館がそのミッションを果たすためにやるべきことをやっていた、というまっとうさへの感心、かな。
強いて不自然さを挙げるとしたら、たとえば図書館が映画動画の素材になるっていうときには、本そのものだの書庫の様子だのっていうのが主役になるのが定番じゃないですか、まああたしも正直そういうのが好きではあるし。
けど、まあこれも多くの人が指摘済みですが、この映画では本や書庫や書架がほとんど登場しないんですね。終盤でデューラーのサイについて語るペダンチックがとまらないCCBのようなライブラリアンが映りますが、あれなんかがもっともステレオタイプな”図書館”の映像だなって思うんですけど、あれってむしろこの映画内ではかなりの少数派に見えますもんね。
本が主役じゃないだけでなく、情報すらそれほどでないのかもしれない。印象的なのは、対人サービス・対人活動、人が登壇するイベントとその多彩さ、あるいは利用者の多様さ、といった感じで、それをまあかなりわかりやすく象徴してたのが、これも多くの人がとりあげてた、オランダ建築家の「図書館は人のため」発言ですかね。そういうふうに、パブリックな場所に市民住民が寄り集まってなんやかんやしてるっていう様子は、日本で言う公民館のようでもあるし、あるいは広場や市場、公園にも似てる。
公園、何回も映ってましたもんね。あれたぶん本館裏手のブライアントパークで、あそこってNYPLの建物からとんでくるwifiつかまえられるから、あそこでスマホいじってた人の様子=図書館利用者の様子、ってことですよね。
さてそんな、公民館や広場や市場や公園のようであって、でもどれでもない、あくまでも図書館、なのに本や書庫が登場しない。
そんな映像の中で、この図書館が市民に提供しているものとは、果たしてなんだろう、と思うわけです。
で、それは「find」ではないかというのが、これも前の記事に書いたことでした。つまり、レファレンスや読書で知識情報を「みつける」だけでなく、「わかる」「気付きを得る」という機能・役割をもち、人々に提供している、それがあの映画で描かれていたことだったんだろうな、っていう。スピーチも就活講座もダンス教室もそういうことだよね、と。
そして、それによって見つけられる/得られるものこそが、ショーンバーグ図書館(ブラックカルチャー)の館長の言う「必要な面倒ごと」であって、不都合なことに目をつむるのではなく、世界の面倒ごとに真摯に向き合うこと。そのリソースと場所を提供するのが、図書館の役目だ、ていうことなんだろうなって思いました。
「真理がわれらを自由にする」、ってそういうことですよね。
しかも、真理もfindも決して誰かから与えられるものでもお上から降ってくるようなものでもない。享受者たる市民たち側からも働きかけることによって、ともに築いていくべきものだろう、と。序盤でルーツ探しのレファレンスサービスの様子もうつりましたが、単なるQ&Aで情報を一方的に与えるのではなく、いつしかユーザとライブラリアンとのディスカッションのようになっていたのがすごく印象的で、で、そのあとのスピーチが「図書館運営は公と民の協働である」でしょ、なるほどつながってるなーと思うわけです。レファレンスも経営も、自分から積極的に築いていくスピリッツっていうか。
そんなあれこれを透明人間として目撃した結果、やっぱり「自然なあるべき姿」だという感想を持たずにはいられないのは、これもパネルディスカッションでの菅谷さんの言葉を借りれば、「揺るぎない図書館のミッションがあり、それを軸にしつつも、時代やニーズの変化に応じてしなやかにサービスを変え」ているから、っていうことなんだろうなと思います。
だからあたしはこのNYPLの活動規模と多様性が、典型例ではない、ある意味”けたはずれ”であり、ふつーの図書館にとって”非現実的”であるかもしれない、にもしろ、正直、So What? 「だからなんだ?」って思いますね。だって、それって別に規模の大小やリアルな実践の有無の問題じゃ無くねえ?と。そんなの関係ねえ、と。
図書館として果たすべきミッションがぶれることなく明確でさえあれば、まあ結果として、規模が大きかろうが小さかろうが、リアルに実践できようができまいが、あるいは実践した結果が紙だろうがデジタルだろうがはたまたダンス教室であろうが、それは個々の図書館の事情と条件で様々に変わるだろうし、変わってあたりまえなんだから問題にする必要なんかないだろう、と。
NYPLがあの多彩かつ大がかりな種々の活動を実践できてるのは、決して「そこがニューヨークだから」じゃないでしょう、と。「ミッションがブレてないから」できてるんでしょう、と。
だったら、ニューヨークまでの何マイルかは遠すぎるかもしれませんが、我々の延長線上にあることに変わりはないんじゃないの、と。
というわけから、あたしとしては、うんやっぱり何の不自然さもない心地よいだけの「環境ビデオ」だったな、という感じです。
環境ビデオ、でコメント終わるわけにはいかないからいろいろ遠回りしましたが、そんな感じで。
2019年12月24日
2019ヨーロッパ鉄道旅行・8日目その2「ねっ、簡単でしょ?」(ロカ岬) #2019GWeu

ただいま8日目・5月4日(土)、14時です。
モンセラート宮殿を想定外に堪能してしまい、つい本来の目的を忘れそうになりましたが、ようやく、そしていよいよ、バスでゴール地点であるロカ岬に向かいます。

さようなら、シントラ。
ここってほんとはもうちょっとゆっくり楽しんでもいいはずの場所よね。
縁があったらまた来るでしょう。
ロカ岬行きの乗り合いバスは結構な混み具合で、みんなやっぱり行きたい場所なんだなって思います。

バスは細い山際の道を抜け、野原を抜け、たまに集落や辻辻を抜けたりして、ただ淡々と、ユーラシア大陸の端の端へと向かっていきます。
やがて、人工物もほとんどなくなり、一本道のようなところに入って、大西洋がもうすぐそこの間近に見え始めたところで。
403バスでおよそ40分。↑ロカ岬駐車場に到着しました。
【egamidayさん、ついにゴールのロカ岬に到達する】
ここに岬のインフォメーションセンターがあって、裏手の緑地を行くとロカ岬です。
帰りのバスの時刻を確認したうえで。
向かいましょう。たぶん↑あのあたりです。
なんか黄色い花が咲き誇ってます。荒れた土地のはずなので、そういう場所でも強く咲くよっていう種類のやつなんでしょう。
季節にも天気にも恵まれましたね。
というわけで。
2019年5月4日15時10分。
ユーラシア大陸本土の最西端、ロカ岬に到着です。
ロカ岬、Cabo da Rocaは大西洋上にふんわり突き出たくらいの断崖の上にあり、北緯38.47、西経9.30。
石碑にはカモンイスというポルトガルの詩人の言葉が刻んであり、「ここに地が終わり、海が始まる」的なことが書いてあるらしい。
目の前は大西洋。
このずっとずっと向こうに、ボストンやニューヨークがある、というわけです。波はニューイングランドへ帰るのです。
いつかそれも行かないとなあ、実はまだ大西洋を渡る”移動”ってやったことがないんですよね。
崖沿いに人々が散策しています。
なお、経度的に最も西なんであって、南西角とかいうすみっこぐらしではありません。
ですから、イベリア半島自体はここからもまだ南へ続いています。
地形的なことは私にはわかりませんが、岩や土地がゴツゴツしてるわりには緑がしっかり根を張ってるんだな、って思いました。
それにしてもここロカ岬、あとからあとから人がひっきりなしにやってきます。
特にこのモニュメント、さっきから全然写真が撮れません。他人様込み込みで写真撮るしか方法がない。
最西端キャラを抜きにしてみても、ずいぶん過ごしやすい場所だなって思いますね。
ぷらぷらと散歩して歩いてる人たちも大勢います。
ゴール地点、天気が良くて本当によかったです。
というわけで。
4月28日を出発して、現在5月5日のほぼ同時刻。
ヘルシンキからロカ岬まで。
9カ国の、たくさんの街を通り、たくさんの乗り物を乗り継ぎ、たくさんの駅に降り立ち、たくさんの美味いもの、美味いビール、図書館や路地やその他諸々を経由して。
キロ数や便数までは数えるべくもないくらいでしたが、丸7日間かけて鉄道で移動することに、無事、成功しました。
うん、まあ、意外と簡単でしたよ、だって黙って列車に7日間乗ってりゃいいんだもの(笑)。
↓以下、一応、全行程です。
■4/28 17:00 ヘルシンキ発 →(フェリー)→ 4/29 09:45 ストックホルム着
■14:25 ストックホルム中央駅発 → 19:31 コペンハーゲン中央駅着
■22:12 コペンハーゲン中央駅発 →(夜行座席)→ 4/30 05:40 ハンブルク中央駅着
■06:18 ハンブルク発 → 11:08 カールスルーエ着
■11:32 カールスルーエ発 → 12:13 ストラスブール着
■14:51 ストラスブール発 → 15:47 ミュールーズ着
■16:19 ミュールーズ発 → 16:59 ベルフォート着
■17:04 ベルフォート発 → 18:28 ブザンソン着
■18:37 ブザンソン発 → 19:22 ディジョン着
■19:40 ディジョン発 → 21:40 リヨン着
■5/1 08:31 リヨン発 → 12:23 トリノ・Porta Susa駅着
■13:30 トリノ・Porta Nuova駅発 → 15:30 ジェノヴァ着
■5/2 06:07 ジェノヴァ発 → 09:03 ヴェンティミリア着
■09:24 ヴェンティミリア発 → 10:21 ニース着
■11:23 ニース発 → 14:01 マルセイユ着
■15:10 マルセイユ発 → 16:01 アルル着
■17:05 アルル発 → 18:15 モンペリエ着
■5/3 06:50 モンペリエ発 → 08:40 ペルピニャン着
■10:00 ペルピニャン発 → 11:21 バルセロナ・サンツ着
■16:25 バルセロナ発 → 18:55 マドリッド・アトーチャ駅着
■21:43 マドリッド・チャマルティン駅着 →(夜行寝台) 5/4 07:20 リスボン着

よし、じゃあ帰りますかね。
帰って、仕事しよう。
もうちょっとだけ続くんじゃ。
「国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスにおける海外対応」に関するまとめと考えたこと(2019年11月時点)
この記事は、国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスにおける海外対応について、2019年11月時点で自分なりに調べたり整理したり考えたりしたことを、とりまとめたようなものです。
(当時のメモから起こした記事なので、その後もし何か変更されていたら、ごめんなさい。)
今回(2019年11月16日)は、下記のようなまとめを作成しました。
・「国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスにおける海外対応(ノート)」
そして参考文献が下記の通りです。
・「国会図書館の海外デジタル送信が絵に描いた餅になってしまう」(YamadaShoji.net)
https://yamadashoji.net/?p=836
・本棚の中のニッポンの会(Faxebookグループ・プライベート)
・JpnLibLiaisons(メーリングリスト・非公開)
プライベートや非公開が多くてなんのこっちゃという感じですが、かいつまんで言うと。
NDLの送信サービスの海外対応が決まり、参加館受付が始まった。
でも、そのハードルがあまりに高く、参加の手が挙がらないし、とても挙げられないという声が多く聞こえる。
どうしてこうなったと思っているところ、海外司書から「日本の図書館は本当にこんなハードルの高い条件で、難解な申請をやったのか」という疑問の声を聞いた。
で、法律家でも中の人でもない自分にできることがないかと考えて、とりあえず文献に基づいて国内・海外の比較と考察、ということをやってみた。
的な感じです。
(注)
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そもそもの前提として「国立国会図書館図書館向けデジタル化資料送信サービス」とは何か?については、割愛します。とりあえず知ってる人向けの記事として。
なお、過去の自分のブログの関連記事は以下の通り。
・「うちとこの「NDL図書館送信サービス」導入レポ (1)導入するまで編」
http://egamiday3.seesaa.net/article/388711019.html
・「うちとこの「NDL図書館送信サービス」レポ (2)-導入した結果編」
http://egamiday3.seesaa.net/article/389678377.html
・「「NDL図書館送信サービス、やってみたらこうだった、を語る」の再録 」
http://egamiday3.seesaa.net/article/401024726.html
また、その海外対応については、これも過去の自分のブログから関連記事をひとつ挙げておきます。
・「国会図書館送信サービスの海外対応について、日本の図書館こそがパブコメ(3/29〆切)を送るべきちょっとした理由。」
http://egamiday3.seesaa.net/article/448497940.html
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というわけで、以下、「国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスにおける海外対応(ノート)」を踏まえて、特にオチや盛り上がりもなく思いついたことを書きます。
あえて要点を挙げれば、
1.「必要だ」と「現実的に無理」は歩み寄れるのでは?
2.「察してね」は届かない
3.問題の多くは「あるある」「既出」なのにどうしてこうなった
、の3本です。
●
主な違いのひとつとして。
諸々の要件について、内容が同じでも求められる/示される書類が国内館と海外館で異なるところがある。
海外館向けには、「利用契約書」として図書館長の署名を求める、これはたぶん署名する側に重く受け止められる。
同じ内容の要件について書いてある文書が、国内館向けには、@「チェックリスト」提出&A「利用条件」に同意&B「利用規則」を守るとする申請書に公印、の3種類と分散している。分散してるので、なんか国内側は(良い悪いは別にして)ふわっとしてますね。
それから、海外館向けの独自の要求として、「Legality Checklist」を、政府当局か弁護士資格のある者が作成することを求める。「日本の著作権法や国際著作権条約で著作権切れになっていないものを、NDLから受信して閲覧検索することが、自国内で合法であるかどうか、示せ」。
これを、自分が海外のサービス契約するときに示されたら、たぶんあきらめるか1-2年逡巡するかしそうなくらい、かなり怖いやつやなと思いました。
確かに法律上それが必要だということに理屈ではなるんだと思うんですけど、「それが必要である」ということと、「現実的に困難である」ということとは必ずしも対立するだけじゃなく、歩み寄って解消できる話なんじゃないか、と。
それが「国単位でリーガル・チェック」云々ということなのかな、と思います、USA1回チェック済み、で何十人かのコストがはけるかな、ていう。ここで日米の人的コストへの考え方の違いが出ちゃってるのかな、ていう。
●
海外館向けの「利用契約書」をつぶさに読んでいくと、国内館向け書類には見当たらなかったものがいくつかあるので、抜粋してみます。
契約書第6条2「送信先施設は、その所在地における本サービスの利用について、その適法性を含めてその一切の責任を負うものとし、NDLがいかなる責任をも負わないことを保証する」。
こういうの国内館向け書類にもどこかにはありそうな話なんだけど、見つけられなかったので念のため挙げておきます。
でもたぶん、海外館だけじゃなくて国内館だってはっきり「送信先機関が責任を負う」っていう条件出されたら、相当の二の足を踏むんじゃないかと思った。「(機関自身の行為じゃなく)将来何をするか分からないユーザの行為にまで、責任取ると署名できるか」ていうのはだいぶ難所では、ほんとに国内向け条件にこれ載ってなかったのかな、だんだん心配になってきた。
ていうか、「送信先施設が責任を負う」じゃなくて「NDLに責任を負わせない」じゃダメなんかな、と思いました。
海外館「利用契約書」にはあるが、国内館向け書類には見当たらなかったもののもうひとつの例が、契約書第17条2「東京地方裁判所の専属的裁判管轄権に服する」。
え、マジか、と思いました。というのも、これが問題になって日本の電子資料を海外から契約できない、ということは、過去20年近くの「あるある」中の「あるある」であって、これまでも海外日本司書から文献で口頭でネットで何度も言われてきたことだし、それを乗り越えてきた例もいくつもあったと思うんですけど。それがいまになってまた火種化しますか、っていう。あまりに「あるある」「既出」過ぎて、まさか国会さんが二の轍を踏むなんてことないだろうパブコメも大々的だったし、と思ってたら、あったので、なんだろう、自分が法律に疎くて知らないだけで、相当根深い問題なのだなこれは、って思いました。
●
ていうか、これは本件全体的に、あるある・既出問題が多いのではないか、という点がちょっと訝しく思いました。裁判所の問題や契約書の文言の問題だけじゃなく、弁護士・法務部署の問題、日本司書有無の問題、技術上の問題その他の多くが、過去20年近くの「あるある」であり「既出」であり、解決事例もあるだろうなのに、それがまたここで繰り返されてるのが何故なのかちょっと解せない。別に『本棚の中のニッポン』(https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB0919843X)を引き合いに出さなくてもいいんだけど(ていうか出したけど)、そういうことを海外日本研究司書が切実に訴えてたような文章の記事が、日本の雑誌にもたくさん載ってるし、NDLさん自身も海外日本研究の特集記事出したり、海外司書会議に毎年出たり、海外司書招いて研修したりしてたわけなので、それでなお解決できないっていうのは、何か理由があるということかな。
でもあれだけ大々的にパブコメやったわけだから、著作権法改正する前にある程度事前すりあわせというか、クリアされるという見込み・見積りがあって全体デザインしはったんじゃないのかなという気はするんですが、そこらへんの事情は外からではちょっとよくわからないです。
●
その他、説明が増えているところ、減っているところがいくつかある。
説明が増えているところはともかく、減っているところはなんだろう。具体的に何を答えてたら先方のお眼鏡にかなうのかわからない質問が飛んでくるのは、まあたぶん日本に限らず世界共通であることなんだろうけど、それに輪をかけて「察してください」という難しい質問には実際自分も手こずって何度か担当者とやりとりしたし、国境を跨げば「察してね質問」はさらに難しいだろうなので、説明は増やしてもらう方向がいいのではと思いました。
例:閲覧室の写真図面を求めるところで、国内館向けには「閲覧室、閲覧席(全ての閲覧用端末、管理用端末を含む。)が掲載されている写真」「カウンター・出入口と閲覧席の配置がわかる図面」「上記の内容が確認できれば、利用案内・リーフレット等で代替可能です」まで書いてあるけど、海外館向けにはそういう説明がない。このページでは確認できない別紙があるとかならそれでもいいのですが。
例:「活動状況」の「Describe how your library will check if patrons who apply for using the service are eligible」や「Explain how your library will comply with the terms of use for the service」も、具体的に何を求めているかが、このままでは意図をはかりかねて、自分がこれを質問されたら「何を書けば認めてもらえるんだろう、ていうか下手なこと書けないから怖い」と思ってしまいそうでたぶんお手上げなので、せめて「こういう感じのことを書いてほしいんだけど」的な例示があればまだ何とかなると思いました。
あと、海外館向けの説明には「承認手続には、約1〜2か月かかる」というのがないっぽい。事務コストの規模感は事前にわかるほうが助かりますよね。特に、国が違うと”事務の感覚”ってだいぶ違うじゃないですか。
関連して、実際に国内館として自分がやったときも、何度もやりとりを往復してわからないところを聞き出したり、書類等の修正に応じたり、意図を確認し合ったりということがあったので、あとからそういうふうにお互いすりあわせていかなきゃいけないような手続きなんだ、ということであれば、そういうものだということが事前にわかるといいかなと思いました。わからないと、下手な書類出したらシャットアウトされるのでは、でもこの説明ではわからない、ってなっちゃいそうなので。
●
以下、おまけです。
最初の海外日本研究司書の人の「日本の図書館はホントにこれやったのか」という疑問に戻りますと、これだけの手続きって、海外にとってだけハードルが高いわけではなく、実は国内館にとっても相当しんどいということはすでにあちこちで聞こえているわけで、実際うちとこもサービス開始前からヘビーユーザ館確定的な見積もりはありながら、数ヶ月間の手続き&やりとりの繰り返しで、正直何度かキレてサジ投げそうにもなったわけなんですが、それでもやっぱり、うちとことしてはどうしても国会さんがにぎってはる蔵書を使わせてもらえないと、リアルにライフラインを絶たれる死活問題になっちゃうので、耐え難きを耐えて手配し申請にこぎつけた、という感じです。
そのことを思い出すと、じゃあ海外図書館にとってそこまでのコストをかけて導入する価値のあるサービスなのか、いや日本司書・日本研究者にとってはもちろんその価値はあるにせよ、館全体・大学全体、図書館の上層部その他はそれで納得できるかはまた別の問題なのですが、さて、それも「あるある」「既出」だしな、うーん、という感じです。
やはり随所で「あるある」「既出」が見える感じなので、このコミュニケーション不全は、海外側のアピールや問題可視化が不足していて届かないのか、日本側の目や耳が向いてなくてスルーしてしまってるのか、そのどちらともなのか、そして自分はどこにいてどうしたらいいのか、まだまだ自問自答し続けていかなきゃいけないんだなって、ゴム紐を締め直しました。(正直、ちょっと油断してた)
これは、送信サービス一個の問題ではないので。
●
あと、デジタル化された資料がILLできない問題、というのはどうなったのか、未確認。
これが切実。
雑駁ですが、以上です。
また何か分かったり考えたりしたら追記します。
あ、あと、↓この要点3つはむしろ自分とこのサービス全般を見直すべきところでもありますので、ちゃんとやります。
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1.「必要だ」と「現実的に無理」は歩み寄れるのでは?
2.「察してね」は届かない
3.問題の多くは「あるある」「既出」なのにどうしてこうなった
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2019ヨーロッパ鉄道旅行・8日目その1「シントラのリスト」(シントラ) #2019GWeu
8日目・5月4日(土)、朝8時過ぎ。
ポルトガル・リスボンのオリエント駅にいます。
【ポルトガルの箱根・シントラへ】
ヘルシンキ・オリンピアターミナルを出発点としたこの旅は、ゴールをロカ岬に設定してあります。
というわけで、ロカ岬を目指すべく、まずはその手前の町・シントラへ電車で向かいます。
ロカ岬は、イベリア半島の最西端、イコール、ユーラシア大陸の最西端で、太平洋に面したところにあります。リスボンからは西へ30キロくらい。
そのロカ岬の数キロ手前にあって鉄道でアクセスできるのが、シントラという町です。
シントラとは。
太平洋を望む位置にある結構な山中にあって、風光明媚・自然豊かで、かついにしえの王宮・城跡・館の類いがその山のあちこちに点在しており、当時は大航海時代の顔的存在、現在は世界遺産であり観光地であり、たくさんの人々がリスボンからエクスカーションにやってくるというちょうどいい感じの町。そんな町ですから、宿や土産屋が並ぶ路地もあり、点在する名跡を巡る周遊バスもあり、あちこちでお客がまあまあ並んだりもしてる、山間の観光地、ああなるほど、要するに”箱根”だな、と。
というわけで、午前中はシントラをざっとまわって、それから大トリのロカ岬へ向かおう、という算段です。
なんとなく、あれ、JR九州かな、と思わせる列車で、リスボン・オリエント駅からシントラへ向かいます。
1時間弱くらいでさくっと到着。
朝まだ早いので、ほどよいくらいの人々が流れこみます。
観光地としてのキャラをがんばって押し出している、シントラの駅舎です。外装の陶板・タイルの感じが、たとえとってつけたものであったとしても、すごく好き。南イタリア同様、アラブっぽいですね。
ここに切符売り場兼インフォメーション的なところがあり、シントラ一帯の地図、シントラ&ロカ岬を含む広域の周遊チケットとパンフなど、旅の基本ツールもろもろを仕入れこみます。

・・・なにせ無精してて、シントラの予習なんかほとんどできてないもんですから、どういうキャラの町なのか、地理的把握や見どころも、ついさっきまで大してわかってませんでした。
そんな中でもがんばってネットや参考資料をブラウジングしながら、さっきのリスボン・オリエント駅のコーヒー屋で、なんとなくの行き先候補を目星つけるなどして。

旅先での旅行事務的秘技「喫茶店の紙ナプキンを筆記具に使うの術」です。
↑これが、シントラでのtogoリスト。ていうか、ちょっと調べただけでもいくつも見どころが出てきて、ああこれは結構な観光地なんだなと思うのですが、なんせ場所が散らばっていて移動手段も限られている、そのうえひとつひとつが結構充実していて所要時間もたっぷりとりそうなので、あれもこれもというわけにはいかない、いくつかをセレクトしてリストアップするしかしょうがないですね。
↑例えば、駅や町中から山頂のほうに見えてる石造りの城跡、あれが「ムーアの城跡」、7-8世紀のムーア人によるもので、シントラ観光の定番のようですが、まあまあの体力勝負になりそうですので今回はパス。インスタ映えしそうなペーナ宮殿や、リアルにアスレチックな庭園があるというレガレイラ宮殿も、まあパスかな。
というようなことを皮算用しながら道ばたで地図を広げ、若い女子や男子に絡まれたりしつつ、とりあえず最寄りの王宮(シントラ宮殿)に徒歩で向かいます。
【シントラ宮殿の好きしか知らないタイル・コレクション】
シントラの町の心臓部にある王宮・シントラ宮殿は、中世近世に夏の離宮として使われていたとかで、大航海時代のポルトガル王家が夏期だけでもここで政治やってたんなら、まあまあの歴史的な場所なのでは、そんなキャラでもあるのねこの町は、と思いますね。
緑がくっきり目に鮮やかだし、大西洋らしきものも望める、という土地柄です。
ていうか、あまりに緑と晴天が気持ちよくて、バス券買ったのに喜んでてくてく歩いてるっていう。
そりゃ離宮も建つし、観光客もわんさか来るわな、という好環境です。
↑王宮(外観)。
なんだ、地味系かな、と思いきや。


突如あらわれるスワン過ぎる王宮。
内弁慶かと。



決して派手に色鮮やかというほどでもないのに、これでもかというくらいに”美”を突きつけてくるような、中庭↑。
これは結構立ち去りがたいです。
ていうか、天気が良くて正解のパターン。

さらにあらわれるカササギ過ぎる王宮。

そして、さっきからいちいち目を止めざるを得ない、can't stop stopingなのが、内外の壁にふんだんにあしらわれているタイルです。見事、というか、好き、としか言いようがない。
というわけで、↓特別企画・シントラ宮殿の”好きしか知らない”タイル・コレクションです。






いかがでしたか?


↑たぶんラスボスの、紋章の間。


↑ドームがこう。
これはさすがに、一歩踏み入れたとたん「おおおぉぅっ」ってなる、びびって一回外出るくらい。


↑壁には狩猟風景がこれも陶板で描かれる。鹿受難です。


↑バルコニーからは大西洋の眺め。ぜいたくじゃないですか。
というような存外な見どころが続くので、外見地味だなあと思いきや、気がつけば軽く1時間堪能してたっていう。人混みなわけでもないし。ここはマストで来た方がいいな、と。

初っぱなから疲れたので小休止。



必ず紹介されててる系の、超有名店の超老舗スイーツ。
丸く小さいのが「ケイジャータ」で、13世紀からの歴史がある地元のお菓子。チーズでできてると聞いたけど、香りはあまりせず、なんとなくアーモンドペーストっぽいです。
もうひとつが、パイ生地にアーモンド入りクリームを入れた「トラブセイロ」。グラニュー糖の甘さとパイの油が疲れた身体に染みて癒やされます。
【ちょい足しでは終わらないモンセラート宮殿】
これだけ見どころある町なら、もうひとつくらい、ちょい足しレベルで見物に寄っても罰はあたらないよね。
ということで、数ある行き先の中から「モンセラート宮殿」をチョイスしました。
モンセラート宮殿。日本のガイドブックには特に紹介されていないようで、自分でもなぜこれを選んだのかいまいち覚えがないのですが。
↑435番のバスで行けるというから、435と書いたバス停で待っていたら、ここに435のバスは来ず、403のバス停に435が来るからそこで待て、と言われた。
なかなか来てるな、ポルトガル。
乗り合いバスに揺られること数十分。
大西洋も、なんかもうさっきからずっと見えてるんだよね的な存在になり。
山道の奥つ方のようなところで降ろされて。
緑と花と鳥の声であふれる、高低差まあまああるぞという広い庭のさらにその奥に。
その建物、モンセラート宮殿があるのでした。
なかなか手間かかってそうな外観をしているじゃないですか。
晴天で日差しが明るい分、映えてるし。
それが、中に入ると、こうです。
↑やはり声が出ます、「うーっわ」、と。
内装がいいのに加えて、外の強い光と、内の影とのコントラストが鮮やかに決まってます。
この綺麗さは、日によって違うのかもしれない。もちろん、今日はアタリのほう。
↑寄ってみると、こうです。
なんだこの、これでもかと押しつけてくるような透かし彫りは、と。
このモンセラート宮殿は広大な敷地の庭園とその植物も魅力だというので、帰りバスの時間を気にしながらなので、歩き回ってみました。
全体の1/4くらいのエリアだけで終わらせましたが、それでもなかなかのボリューム。
↑泉と、やはりここでもタイル。
↑川が流れている先に、一応「Japanese Garden」と銘打ったスポットがあって、竹が植わっている。
↑「Chapel」と地図に書いてある場所に行ってみると。
これがなかなかの廃墟感、ラピュタ感。
ぜひこのままあと数百年、立派な廃墟に育っていってほしい。素質は高いです。
というようなかたちで、ちょい足しどころか、うっかり堪能してしまったのでした。だいぶショートカットはしてあるのだけど、何せ広かった。出口へ向かう帰り道も、結構な高低差で、健脚商売でしたよ。
2019年12月21日
2019ヨーロッパ鉄道旅行・7日目その4「大地上の星」(マドリッド→リスボン) #2019GWeu
7日目・5月3日(金)、21時前。
スペイン・マドリッドの中央駅であるアトーチャ駅から、夜行寝台列車が出るチャマルティン駅まで移動してきました。
チャマルティン駅はだいぶ人もまばらで寂寥感すらある。夜行や地方行き列車専用とかなんかな・・・。
ここで夜行に乗れば、明日にはゴールの国・ポルトガルはリスボンに到着です。
【egamidayさん、夜のイベリア半島を行く】
■ 21:43 マドリッド・チャマルティン駅着 →(夜行寝台TH332) 翌朝5/4 07:20 リスボン着
夜行車内での不便さや翌朝までの空腹さに備えて、買い出しや腹ごしらえをしておく時間です。
食事だけでなく、あとは夜行に乗るだけやしええやろ、ということでビールもいただきます。Cruzcampoという地元の有名銘柄っぽいので、普通のビールよりは少しだけ濃くてありがたい。
食事は、駅ナカのスタンドっぽいところしかなくてしょうがないなとパン的なものをオーダーしてみたら、はさんである豚肉がかなりまともにローストしたちゃんとしたやつだった。しかも冷めたのを食べることになるかと思いきや、しっかりホットサンドメーカーでプレスしてくれた。あれ大事ですよねー、あらゆるパンが美味くなる魔法の道具。
もちろん車内用に、缶ビールもちゃんと買っておきました。
缶ビールを完備。(言うな)
↑こちらが、マドリッド・チャマルティン駅21時43分発の夜行寝台列車、TH332です。
これに乗り込めば、明日の朝にはポルトガル。今回の旅行では長距離列車はこれが最後になります。
国内の鉄道にあまり詳しくないのですが、あまりこういうの見かけなくなったんじゃないかな、っていう、なかなかのレトロ感。ヨーロッパでも無くなりつつはあるのかもしれませんが、良い感じの旅情を味わってます。
↑ここがあたしの寝床でございます。
とかなんとか地味にはしゃいでるうちに、列車が動き出しました。マドリッドを出発、これで、あっさりスペインとはお別れです。
さようならスペイン。
縁があったらまた来るよ、美味しいもの食べに。
…インキー事件が発生。
部屋の鍵自体、↑こういうなかなかの昭和感なのですが、ドアはいっぱしにもオートロックだったらしく、ぼんやりしてたらうっかり外に出ちゃいました。慌てて、3号車、2号車、1号車とクルーを捜し求め、なんとかおっちゃんを連れてきて開けてもらいはしましたが、なんというかこういう旅をしていると、結局「水曜どうでしょう感」が抜けないのだなあと思いますね。
というより、車掌のおっちゃんも他のクルーも、英語ほぼあかんかった。えー、そんな非ネイティブ観光客が好きこのんで乗るような列車じゃないってことかな。よく見たら、シート席とかまあまあ満席っぽかったし。
とはいえ、ちゃんと食堂車があって、(電子レンジじゃなく)火を使った食事も出してはりました。ワインしかもらってないけど。
存外に速くて揺れる中で、そうか、もうこれが最後の長距離列車なのか、という感慨でおります。
一週間乗り物尽くめでここまで過ごしてきて、ゲップが出るほど列車に乗ってきて、で、いまの正直な感想としては。
もうちょっと、追加で乗れないかな。
リスボンに着いたらその足で、帰国便が出るアムステルダムまで鉄道で逆走できないだろうか。
…えっと、ちょっと待てよ、念のため時刻表アプリを検索してみました。
↑残念、間に合いませんでした(笑)。
それから、寝付けたり寝付けなかったりしていましたが、夜中に一度目を覚ました時は、ほとんどひとつも街灯のないところで、汚れきったガラス窓越しでも星がたくさん見えるのがわかりました。大地をガンガン走りきってるのだなという感じだった。
↑スペイン時間で深夜2時40分頃、ポルトガル時間で1時40分頃に、国境越え。ポルトガル側の駅Vilar Formosoに到着して、9ヶ国目・ポルトガル入国を果たしました。
そうはいっても距離的にそこまで遠くはないはずなので、朝の時間帯に着くようにそれなりの時間調整はしてるのだと思います。
そのうちに↑明るくなり始め。
6時半ころには車掌が起こしに回ってきます。
はじめのうち、あ、↑川が随想する感じになってるのかなー、くらいになんとなく思ってたのですが、その川幅が次第にでかくなっていき、あれ、これ川というかだんだん港っぽくなってきたな、と眺めが変わっていきます。
大航海時代を支えた港湾都市、リスボンに着くということなのでしょう。
【egamidayさん、ポルトガルに入国する】
午前7時12分頃。
9ヶ国目、ポルトガル・リスボン。
ついに、ゴールのある国に入りました。
すっきりと晴れた空と同様、晴れ晴れとして爽快な気分がしますね。
・・・人、居ないな、と。
降りたこの駅は、リスボンの中でも「オリエンテ駅」と呼ばれるところです。市の中心街からは地下鉄でまあまあ離れた東の端にあり、どっちかというとリスボン空港に近い。
この駅のロッカーに荷物を預け、身軽にゴール・ロカ岬へ向かい、帰りに荷物を拾って空港隣接のホテルにチェックインしたろう、という魂胆で、この駅に降りたのでした。
と思って駅のロッカー室に行ったら、開室が8時だとかぬるいこと言うので、おとなしく駅併設のカフェで待つことに。
ファーストなカフェっぽいのでドリンクだけでいいかなと思ってたのですが、よく見るとケースに珍しげなものが並んでて、え、なんだろう、と思うわけです。
お店の娘さんに聞いてみると、まず、トゲトゲのパイ生地っぽいのは味が2種類あって、これは「ピーナッツ&チーズ」らしい、間違いなく美味そうなので、ひとつもらう。
そして次ですが、さつま揚げっぽく見える丸いのは何かと問うと、「バカリャウ」だとおっしゃるんです。え、バカリャウ? リスボン到着直後にいきなりポルトガル名物・バカリャウ(=干した棒鱈)に遭遇してしまいましたね、しかもこんなファーストっぽい駅のコーヒー屋で。
食べてみると、棒鱈のほぐしたのを丸めて揚げてある(pastel)、まったくのさつま揚げでした、「っぽく見える」どころじゃなかった。コーヒーに合わせて提供するんだから、よほどの国民食なんだなと思いますね。
次にトゲトゲのパイ(empada)ですが。
…えーと、味覚をフル回転してがんばってみても、ほうれん草としか思えず、「ピーナッツ&チーズ」の片鱗も見せないという。
しかたないので、これは「ピーナッツアンドチーズ」という名前のほうれん草だと思うことにします。
ロッカー室もしばらく待たないと時間通りに開かなかったし、なんというかこの街、いろいろとゆるくて良さそうです。
いよいよゴールも近く、そして帰国日も近いというアレになってきました。
2019ヨーロッパ鉄道旅行・7日目その3「あなたもなんです」(バルセロナ→マドリッド) #2019GWeu
【egamiday氏、パエリアの米の溶け汁に悶える】
サグラダファミリアに入れず外から2時間眺める、という仁和寺の法師並みの苦行を終え、もう午後2時過ぎですので昼食に向かいます。
バルセロナでのtodoその2、パエリヤです。
ちなみになかなかこういう姿は書籍等でお目にかかりませんが、↑街中でサグラダファミリアはこんな感じにたたずんでる、ていう。日常の雑然の中のサグラダもまた良いと思います。
なんか良いパエリヤ処はないかといろいろ探してたんですが、鉄道旅行の都合上あまりうろうろ迷ってる暇もなく、できるだけサグラダファミリアに近くてかつそれなりにちゃんとしてそうな店を、という感じで見つけました。
Castell de Xativa
https://www.castelldexativarestaurant.es/es/
そもそもパエリアなんて大皿料理ですから、それを「一人前から可能」という評判が付いているだけで御の字なわけで、ああ、ありがたい、もうそこにしようよ、っていう選択になります。
というわけで実際に行ってみると、2時半をまわろうかというタイミングで軽く店内通路に待ち人の列ができてる感じ。
このあとの鉄道予定もあるし、時計を見ながらの判断になるかなと思いながら、ふわっと並んでみると。
待ち人の中に日本人らしき人がちらほら。
ていうか、日本語が漏れ聞こえるな、と思って店内奥の方をのぞいてみると。
あちらこちらのテーブルに黄色い表紙の本がちらほら。ていうか、和服のおひとり様女性いるな。
ていう感じでどうやらお店の3割4割は日本人観光客のようでした。あとで確認したら、「地球の歩き方」にもしっかり掲載されてる店でした。まあ、4時間しか滞在できない初訪問の街で効率的に何かしようと思ったら、結果的にそういうところに足を踏み入れるようにできてるもんだよな、と思います。
地元の方すみませんねえ、日本人が押し寄せちゃってて。
と言いつつ、わたしもなんです。
フロアのスタッフもそのへん手慣れた感じっぽく、もう2時過ぎだからかそれほど鬼気迫る様子もなく、つかず離れずで接客してるかなという感じ。テーブルも、評判のレストランにありがちながんばって無理やり席数を増やしたような配置で、ほどなくあたしが通された席もテーブルと通路の間で壁と向かい合う感じでした。もちろんそんなんはいいんです、孤食のグルメにはそういうのもあるあるですから。
本題は、料理です。
英語とスペイン語(カタルーニャ語か?)と格闘しながら読み解いた結果、アンコウの身が入ってるらしきパエリアがあるので、どうせなら白身がいいなと「Paella Parellada」。のちに調べたところでは、この地方のスタイルで骨は取ってあるやつですということらしい。
それから、”とある理由”で雨の中を長時間屋外にいたので、スープをくださいと思ってアサリのスープ「Suquet de cloisses」。Suquetはこの地方の漁師風スープ的なものを言うらしい。
まずはスープ。
そんな、アサリのスープなんか万国共通で美味いに決まってるじゃないですか、まちがいない。
汁を呑み込んだとたん、塩気と貝の旨味が血液にガツンと染みわたっていく、この感触。
水分と温かみが雨で冷えた筋肉をほぐしてくれるありがたさ。
みるみるうちに身体がととのっていく。
で、ちまちまとアサリの身をついばんでいっては、美味い美味いとエンドレスに繰り返していくという、至福の時間帯。(注:いつかはエンドします)
まちがいないです。
そして、一人前焼き皿で出てくる、一人前パエリア。
シンプル、というか、具のあたりが貧相かなって思わなくもないですが。
一口含むと、なるほど美味い。
なるほどっていうか、いや、超美味い。
汁一滴が悶える。
ああそうなのか、これがパエリアかと。これがパエリアなんだったら、いままで食べたことのあるのは「パエリア風炊き込みご飯」か何かでしたね。
あたしはてっきり、パエリアというのは米料理、ご飯料理かと思ってましたが、そうじゃなかったですね。
パエリアは、コメ(という穀物)から溶け出るデンプンの汁を、山海の具や絶妙な出汁と共に味わう、という料理でしたね。
米をたべるんじゃない、米が美味いんじゃない。
この米と米の間のくぼみに溜まってる、てりってりのぬめっとした溶け汁をすくってすするのが、美味い。(注:もはや言葉を選ばないために、語彙が美味くなさそうっぽくなっています)
ましてや具なんか、出汁を出すためだけの搾取される存在。(注:語彙が不穏当になりはじめています)
だから、ものすごく乱暴に言ってしまえば、料理としてはもんじゃ焼きに一番近いんじゃないかなっていう、そういう結論に至りました。(注:スペイン料理はあんまり食べつけてないので、そういうおそれを知らぬことを言います)
あまりに美味かったので、パンで全部ぬぐっていただきました。ペロリアンです。
「デンマークの豚」「ジェノヴェーゼの布パスタ」に続き、「パエリアの米の溶け汁」が今回の旅行で得られた食のトップ3に選ばれました。
よかったねえ。
【egamidayさん、イベリア半島を行く】
さて、ただいま7日目・5月3日(金)、16時頃。スペイン・バルセロナにいます。
ここからの旅程です。

■ 16:25 バルセロナ発 →(AVE3160)→ 18:55 マドリッド・アトーチャ駅着
■ 21:43 マドリッド・チャマルティン駅着 →(夜行寝台TH332) 翌朝5/4 07:20 リスボン着
ここからはほぼ決め打ちのルート、ゴールは目前です。
5/3バルセロナ → マドリッド → 5/4リスボン → 5/5アムステルダム → 帰国便、ていう。
なので上記2つの便も、日本からチケット確保済みでした。
ここで旅行事務的経緯を記録しておきますと、1本目のスペイン鉄道Renfeの新幹線特急AVEと、2本目のスペイン−ポルトガル国境越え夜行寝台。どちらも、通常のチケットなら日本からネットで変えます。あるいは、スペイン鉄道の鉄道パス保持者ならやはり日本からネットで買えます。ところが、Google翻訳を駆使し個人ブログや掲示板コメントまで漁り、がんばってなんとか調べたところによると、どうやらユーレイルパスのための予約チケットは窓口購入のみらしい。マジか、と。そんなもん、当日のこのこ駅窓口まで行って、全席売り切れ、全寝台売り切れだったら、旅終了しちゃうじゃないですかね、と。
で、さらにがんばってネットの海を探しまくったところ、web旅行代理店さんにお願いすると代わりに予約してもらえるらしい、ということがわかりました。もちろん、幾ばくかの手数料はお支払いすることになるし、それを取ったあかつきにはいよいよそのルートは決め打ちになるわけですが、帰国便から逆算するとどうしてもハズしたくないルートになってきちゃうので、ここはある程度オトナの判断で行きましょう、と。
調べた結果。
1本目AVE。パス無し正規で100ユーロ、パス用予約券なら10ユーロ(安っ)のところ、代理店さん料金が2400円。これは余裕。
2本目夜行寝台の予約券。パス無し正規で150ユーロ、パス用予約券で88ユーロのところ、代理店さんに支払うのが13000円。これも、本来は現地窓口で当日買えるか買えないかのチケットであることを思えば、そのくらいはもちろんオトナとして払える手数料です。寝台88ユーロも、ホテル代と時短のことを思えばありがたいくらい。
代理店さんへの最初の発注は、ネットでデータベース叩いてフォームでオーダーする感じのやつ(たぶん業務用とつながってる?)でしたが、あとから細かいフォローが電話で来ました、わりと綱渡りな感じの購入だった。
というわけで教訓。
ネットで全部自力でできるわけじゃないので、代理店さんの力もちゃんと借りましょう。
というわけで、16時25分バルセロナ発のAVEで、マドリッドへ向かいます。
バルセロナ、また来ても良い街だと認定できたので、また来ます。
なおスペインのAVE乗り場は、以前あった列車内テロの影響がいまも続いてるのか、まあまあのチェックが間に挟まれるため、乗り込みの行列が長くて買い出しもわりと不自由ではあった。
スペインの新幹線は時速300キロの高速で、2大都市を結びます。
ていうか、イベリア半島の広大な土地、ほぼ平べったくて、何もない。
ほんとに「山のない土地の風景」というものを見慣れないので、ちょっと戸惑います。この国の高低差活用みたいなものはどうなってるんだろう、ていうか、無いんだろうか。
というようなことをボンヤリ思ったり思わなかったり、居眠りしたりしてるうちに。
2時間半という瞬殺でマドリッド・アトーチャ駅に到着したのでした。
海外の列車内では「特に何もしない」という時間の使い方ができて、非常にありがたいです。なかなかそんな場所ない。
↑マドリッド・アトーチャ駅名物、駅ナカ植物園です。
建物を見ていただいてわかると思いますが、古い駅舎を再利用してはります。
マドリッド・アトーチャ駅をちょっと歩くと、バルセロナ駅よりはキラキラさや人混みさは穏やかのように見えるものの、古い駅舎からの建て増しにつぐ建て増しからか、薄暗く入り組んでてちょっと迷いやすそうな感じではあります。
【egamidayさん、『ゲルニカ』とその創作過程を思う】
さて、残念ながら植物園に癒されている暇は無い。
今夜、いよいよリスボン行きの夜行列車に乗り込むわけですが、夜行列車が出るのは、21時43分。同じマドリッドでもチャマルティン駅という、ここから市内電車で20分くらいのところらしいです。
現在19時前ですから早いところ移動を、という感じではあるのですが、その前に、2時間ちょっとのスキマ時間をかすめ取るようにして、ちょっと行ってみときたいところがあります。
ソフィア王妃芸術センター。
マドリッド・アトーチャ駅から通りをはさんだすぐそこ、徒歩数分のところにあるという、近代芸術メインの美術館。
ここに、ピカソの『ゲルニカ』があるらしいですよ。
なんと、知らなかった。あまり予習はしてないから他にどんな所蔵品があるかもロクには存じませんが、とりあえずゲルニカだけでも拝見しておかないてはないな、と。
鉄道旅行で移動が目的の旅ですから、大急ぎなのはしかたない、チャッと行ってチャッと帰ってきましょう。
大急ぎで。
・・・めっちゃ行列できてる。
仁和寺展かと。
マドリッド2大美術館の片方であるこのソフィア王妃芸術センター、通常10ユーロのところ、さすがですね、夜間19時以降は入場無料という太っ腹っぷりらしいですよ。で、そのまさに19時に来ちゃった、っていう。
・・・うー、時は金なりのいまの旅行中だと、それはそれでつらいのですが。
とはいえ、そこまで待たされることはなく、こちらも予習無しで『ゲルニカ』さえ鑑賞できれば合格点くらいのノリで、拝観してきました。
『ゲルニカ』。
パブロ・ピカソが、スペイン内戦中に爆撃を受けた都市・ゲルニカの悲劇を描いた、というような解説ももはや不要のような、作品。
こんなふうにして現物を拝む機会が来るとは思いませんでしたが。
現物を見た感想。
あ、意外と線というかタッチがやわらかい絵なんだな、という印象。なんかもっと鋭角的というか割れたガラスのような斬り込んでくる作品なんだと思い込んでたけど、内容はともかく絵面はもっと穏やかな感じがする。
そのせいかはわかりませんが、ゲルニカ爆撃への”瞬間的な激しい怒り”を”煽る”という感じではまったくなく、むしろもっと根深い根源的な、人類の底のほうにべったりと粘りつくような罪・業に対する、同じく粘りつくような怒りや悲しみ、のほうをなんか感じるんだな、と思いました。『ゲルニカ』に対する印象(これまでの思い込み)がだいぶかわった。
絵画中のこれは何を表すんだ、あれは何の象徴なんだ、みたいなのはいろいろあるとは思うんですが、結果としてのこの絵画の解釈よりもむしろ、この作品に至るまでのいくつもの習作(45枚あるらしい)があって、その記録写真的なのも同室内に多数展示してありました、そっちのほうがだいぶ気になった。彼の中でどう試行錯誤されていったのか、ていう経過・過程のほう。次にこの作品に対峙する機会があるときは、そこをもっと理解したい。「太陽」とかあるしな。
もちろんたくさんの、あ、これなんとなく見知ってるわ、的な抽象画不条理画の類がダリの物をミロとてかもわからないくらいたくさんありましたが、今度来るときはちゃんと予習して、列車の時間などの憂いがない状態で来るようにします。
2019年12月19日
2019ヨーロッパ鉄道旅行・7日目その2「神さまはいない」(バルセロナ) #2019GWeu
7日目・5月3日(金)、ほぼ正午。
8ヶ国目、スペイン・バルセロナに到着しました。
日本でも観光公害がニュースで取り上げられるほどの街・バルセロナの中心駅は、新しくて明るくて、やはり観光客だらけ、あまりに観光客だらけすぎて安心して歩けるというパターンのやつです。
外は雨ですけどね。
そんなバルセロナでの目論見です。
1. サグラダファミリアへ行く。
2. パエリアで昼食。
3. 16:25発、マドリッド行き列車に乗る。
というわけで、実は4時間半しかないので、ちょっと急ぎます。
とっとと駅に荷物を預け、とっととメトロに乗って、まずは超有名未完成寺院・サグラダファミリアへ向かいます。
【egamidayさん、サグラダファミリアに行きたい】
スペイン界隈に疎くてほぼ食指の動かない自分が、それでも唯一わざわざ足を運んでスペイン入国を果たそうとするモチベーションがあるとするなら、それはひとえにこのサグラダファミリア、その建築を現場で見たい、ということであります。
ありえへんくらいでかくて塔が高いという、規模感。
装飾彫刻デザインがびっしりという、充足感。
ガウディというひとりの建築家の、創造性。
そしてあろうことか100年レベルでいまも未完成という、高揚感。
こんなもん、世界遺産であろうがなかろうが見たいじゃないですかね。
というわけで、サグラダファミリアとは。
サグラダファミリア(日本語名:聖家族贖罪聖堂)は、バルセロナの街のどまんなか数ブロックを陣取り、敷地は縦横100m以上、高さは170m以上(予定)、着工は1882年でなお未完成。そういえば、サグラダファミリアは実は未届け&違法建築だったとかで、去年だか今年だかになって解決されたというニュースがちょっと笑った。
建築家、アントニ・ガウディはカタルーニャ出身、1852年生まれ。
カタルーニャといえば、文化的だけでなく言語的にも個性が強く(フランス国境の駅で見たのはどうやらスペイン語というよりカタルーニャ語らしい)、自治独立の気風が熱く、つい最近も住民投票か何かでえらく揉めてたというニュースが記憶に新しい、というようなことを書いている最中に大規模デモが起こったりしており、歴史的に追ってみればカステラの国に併合される前は独立国どころかかなりブイブイ言わせてた地中海の強国だったわけで、世が世ならポルトガルのように国境線引かれてたんじゃないか、スコットランドとどっちが早いか。
ガウディが建築を学び、建築家デビューした頃(1870年代)のバルセロナは、カタルーニャ版ルネサンス運動が盛んだったとかで、あと人口増加、産業革命と植民地貿易(そうか、ここでも砂糖が顔を出してくるのか)やなんやで経済的にも騒がしくなり、からの、都市計画と建築ラッシュ。ていうか、1888年には万博やってるじゃないですか、ノリにノッてたんですね、この頃のバルセロナさん。
そう考えると、あんなとてつもないガウディ計画がうまれたのも、まあなんとなくわかるっちゃあわかるかな、という感じです、単に一人の天才という特異点の賜物なだけじゃないんだなと。バルセロナ市内にはガウディさんの個性がギラギラしてる建築物が多数、なだけでなく、いろんな建築家さんのいろんな様式のいろんな擬態語で表現されそうな建築物が多数、とのことで、そうか、わかった、これはいつかちゃんと来てじっくり見直さないとダメな街だな。
さて肝心のサグラダファミリアですが、どこぞの施主さんが教会を建てようとしてたところを、前任の建築家とケンカ別れになり、その後任として受けたのがガウディさん、31歳(1883年)のとき。31歳かあ、若いなあ、しかもそんなトラブルのあとで請け負って、結果、生涯(1926年没)それに取り組んで未完成って、よっぽど肝も腹も据わってないとできない所業だなあ、と。そのエネルギー源が信仰だったのか芸術なのか思想なのかは、小者の私にはわかりませんが、この教会のこの部分はキリスト教のこの教えをあらわしている、こういう芸術的効果をもたらす、こういう機能を果たす、こういう建築施工の結果だ、こういうガウディの思想の発露である、というようなのが何百何千とマシマシで盛り込まれてるのを見ると、なんというか、建築物というメディアで編まれたガウディ大事典か何かじゃないか、という気がしますね。舟を編む、ならぬ、堂で編む、的な。
その謂われを云々する文献はたくさんあってとても予習しきれるものでもなく、ていうか関連書籍1冊も読了できないうちにバルセロナにまで来ちゃいましたので、あれこれ能書きたれていてもしょうがないのですが、2つだけ印象的なエピソード。
1つ。塔が天に吸い込まれるような姿を設計するために、おもり付きの糸を天井から垂らしてその形を見たという、逆さ吊り構造実験@グエル教会の話。(https://ca.wikipedia.org/wiki/Cripta_de_la_Col%C3%B2nia_G%C3%BCell#/media/Fitxer:Maqueta_polifunicular.jpg)
2つ。ガウディのつくったたくさんの建築模型や設計図は、あろうことかスペイン内戦で失われてしまったそうで、その後は少ない手がかりからなんとか推測推測で建設を進めてるということらしい。なので、ガウディが天才だったというよりは、ガウディを天才と想う人々の芸術性が肥大化してる、という気がちょっとするし、そしてそれは別にネガティブなことじゃないと思う。
というような諸々をふまえて。
この旅の重要チェックポイントのひとつ、サグラダファミリアがあるメトロ駅に到着しました。
出口を探して、階段をとんとんと上がりながら、さあてサグラダファミリア、どんなんかな、出口を出たらどっちの方向に見えるのかな、などとソワソワとしながら、地上にあがった途端。
↑第一声。
「おおおうっ」
デカい。
メトロ出口がそのまま足下でそこから直に見上げるから、デカさのベクトルが天を衝く
そして↓この文字部分を見ての、第2印象。
「え、ホリディイン・・・いや、コロラドコーヒーかな?」
あ、そうか、古典古典な装いじゃなくてこういう感じのノリなんだ、と。
現在見ている面は西側「受難のファサード」、裏面にあたります。
ちょっと離れて全体を視角内におさめようとしてみると、こんな感じでしょうか。
にしてもデカいねえ。
【egamidayさん、サグラダファミリアに入れない】
さて、外観はあとでゆっくり見るとして、まずは中に入るためのチケットを確保せねばならん、と思うわけです。
サグラダ・ファミリアのチケット。
いまどきのこんな一流観光地ですから、ネットでチケット買えます、そうじゃないと当日窓口で行列待たなきゃだよ、っていう。
公式webサイトで買えるのを出発前に日本で確認済みでしたが、ほら、この鉄道旅行って実際には何日の何時にここに着くかって、直前まで決まらないし決めないじゃないですか。で、4月の時点あたりでサイトをのぞいたら、当日でもわりと余裕でチケット買えるっぽいから、じゃあ出発してから当日か前日に到着時間見積もって買ったらいいや、ってなるじゃないですか。
と思って、この日の早朝、モンペリエのホテルでチケットweb予約しようとしたら、「no available」って書いてあるんですよ。ありゃ、しまった、と。当日の朝だとさすがに直前過ぎたのかな。ほら、小劇場のチケットも当日券はのこってるにせよ、「web予約は前日夜12時まで」とかだしねえ。じゃあ仕方ない、窓口に行って並んで買うか。並んでもいいけど、天気予報100%雨だよねえ。
並んでもいいけど。
と思いつつ、裏面にあるというチケット窓口を探してみようとするのですが。
ん、特に混んでる風でもなく、閑散としてる。
・・・ていうか、行列がない?
フェンスにはデジタルサイネージで「チケットはスマホで買えますからね」って盛んにアピールしてるけど、でも、買えなかったよね。
・・・・・・・・・あれ、なんだろう、いますげえイヤな予感したな。
えーとね、あ、なんか対面で人がいる窓口がひとつだけあった。
灯りに吸い寄せられる虫のようにふわーっと近づいていってみると。
売り場の娘さんと、雨よけポンチョをゆさゆさ揺らすおばちゃんとが、お互いともに慣れなさそうな英語を大声で交わしてるわけです。
「ノー トゥデイ!」
うわあぁぁ・・・・・・・・・。
英語が出てこないおばちゃんの頭上を飛び越すように、思わずこちらも大声で問いかけます。
「ソールド アウト!?」
「ソールドアウト、オンリー サンデー チケット」
え、ちょっと待って、今日って金曜でしょ。今日だけじゃなく明日も売り切れてるってことかい!?!?
なに、あの日本で見たサイトの当日余裕で買えてた様子は何だったの!?
さて、ゴールデンウィークのような飛行機代の高い時期を避けがちなegamidayさんにはあまり経験のないことでしたが、どうやら5月1日のメーデー祝日前後はヨーロッパ現地でも旅行者の多い時期らしく、しかも週末の金曜、ふだんなら行列に耐えれば買えるようなチケットも、まあたぶん、そういうことなのではないかと推察されます。ていうか、そうとでも思わないとやってられない。
マジか・・・。
並べば買えると思ってた・・・、sold out なんてあるのか。
そうか、そりゃ天下のサグラダさんやしな・・・(´ρ`)
失意のうちに塔を見上げます。
神さまは、いない。
雨に打たれて、塔を仰いで、マジかーorz、と嘆いて見せても、sold outのチケットは手に入らない。
当日券なんてなかった。
東方から一人の司書が教会を訪れた。
司書は神に訴えた。
「その狭き門より我を導き入れ賜え」。
神は塔の上から見下ろし、こう告げられた。
「お前には予習が足らん」。
確かに、関連書籍1冊すらKindle上半分までしか読み終えられていなかった。
なに、この寓話。
でも確かに、予習完璧の末にこの仕打ちだったとしたら、苦しみは数十倍だったかもしれません。
【egamidayさん、サグラダファミリアをただただ眺めるのみ】
とはいえ、こんなところでズボンの裾をびしょびしょにしながらつっ立っててもしょうがない。時間だけは余裕がある(涙)ので、外観を四面たっぷり観察に行くことにします。
ちなみにいまいる西面ファサードの数々の彫刻は、キリストの「受難」をあらわしているそうです。
うん、同じく受難の気持ちです。
ところどころに鮮やかな彩りの彫刻があるのがわかります。
果実のやつなんか、雨の中で薄暗い中で見てても、いや、だからこそその部分だけが特にグッと光ってる感じがして、生命感というかなまなましさ、なまめかしさすら感じますね。NHKスペシャルや新書で見た、日本人彫刻家の人の。

ちなみに、表面でも裏面でもなく、両サイドを歩道から近めで見上げることもできます。クレーンとともに映るとわりとバブル味が強いのですが、建築物を観て楽しむという意味では、こっちからの眺めも充分おもしろくて、近いしあまり人がいない。オススメです。

↑正面、東側の「生誕のファサード」。
あ、これたぶん極私的にすげえ好物なやつですね。
↑生命の樹。決して朽ちることはないという、生命。
↑ペリカンとJSH(イエスをあらわす)の文字。
東方の三博士トリオもちゃんといます。

亀。雨水を吐く。建物ですから機能も重要。
↑その他いろいろ。キリスト説話とか動植物とか。
ていうか、ほら、これはそもそもキリスト教そのものの予習をしないとちゃんと面白くはならないわけなので、ゆえの、「お前には予習が足らん」だなあ、と。
↑正面には池のある公園があり、そこから眺めればまた一興です。街のどまんなかですが禅庭感すらある。
↑行き掛けの駄賃という言い方もヘンですが、最後、ショップでいくつかのグッズを買って帰るしかありませんでした。
グッズショップがちょうど内部見学の出口にあたるらしく、日本人観光客が四の五のコメントしながら出てくるの、ああそうですか、と思いながら聞くしかなかった。
とはいえ、これは負け惜しみ混じりかどうかはさておき、サグラダファミリアは外観を観るだけでもおなかいっぱいだな、という感じでした。2時間見てた。雨の中を。あれは2時間かかる、ていうかかけていい、かけなきゃダメだ。
でも中も絶対また見に来る。できれば、2026年とか言う完成の前に一回来たいし、完成後も一回来なあかん。
あと予習は大事。
2019年12月18日
2019ヨーロッパ鉄道旅行・7日目その1「水上の方角」(モンペリエ→バルセロナ) #2019GWeu
おはようございます。
7日目・5月3日(金)の朝です。
リスボンを発つ飛行機が出るのが、5月5日(日)の早朝ですので、のこり2日という感じになってきました。
今日の旅程は↓この地図、マドリッドまでになります。

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1. モンペリエからスペイン入り・バルセロナへ移動
2. バルセロナで、サグラダ・ファミリアを見る
3. マドリッドへ移動し、リスボン行き夜行列車に乗る
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ここまで来たら、もう特に迷うルートはないわけで、とっととバルセロナ→マドリッド→リスボンというラストスパートに入るのみです。
【egamidayさん、水上を走る列車にはしゃぐ】
■06:50 モンペリエ発 → 08:40ペルピニャン着
と言いつつ、ここからスペイン国境駅・ペルピニャンへ向かうまでのこの路線が、実は非常にシーニックであるともっぱらの評判らしく、天気悪いながらも車窓に期待しています。
南フランスの地中海沿岸は、海岸、入江、岩石等もさることながら、湿地帯も自然の見どころのひとつらしく、その有名なのがカマルグ湿原というフラミンゴが生息しててめっちゃ広いというやつですね。ただし、カマルグ湿原は保護地区的な自然公園ですから、もちろん鉄道なんか通せるはずもない。しかしこれから向かうのは、鉄道の線路が湿原のど真ん中を突っ走ってる、という土地柄らしいのです。
あたし、その路線のマップを見て、目がトムとジェリーみたいに点々になりました。
↓こうです。
マジか。もはや車窓を乗客に楽しませるために、わざとこんなアクロバットな線路の引き方してないか、と。なんとかして水上の方角へ意図的に延ばそうとしてるっていう。
しかも2時間弱の道中で、3回も見どころあるじゃないですか。
↑見どころその1。最初ながらなかなかえげつない、なんでこんなところ通ろうとした。
↑おかわり。わざとだろ、これ。子供が水たまりをわざとキャーッて通るやつじゃん。
↑3杯目。まともに見えるけど、本来だとこれもまあまあ来てると思う。
というわけで、まずは1杯目の車窓。
↑内海方面。砂地・湿地と湖の向こう側に、小さく対面の街が見える。へばりつくように生えてる植物が(通常使われる言葉の意味とは異なる感じで)水水しい。
↑これが反対側の窓から、つまり、外海のほう。
海沿いを抜けたなと思ったとしても、なおそこかしこに、池だの沼だの川だの、どれともつかずに砂がぐずってたり藻がはえてたり水に浸かってたりというのが、メリハリなくだらだらと続く感じ。保存地区なんかじゃなくたって、いやだからこそ、なかなか趣深いじゃないですかね。
もちろん、土地がしっかりしたところまで行けば、田園になる。土地が肥沃ということかしら。
ナルボンヌという駅を出ると、その2・おかわりの湿地車窓になります。
↑こういう地図で表される土地に、
iphoneで撮ったジオタグ付き写真が、↑こんなふうに並ぶという。
諏訪湖の御神渡りかなんかですかね。
このためにローカル線で来た、という車窓をどうぞ。
いやもう、どっち側の窓からどこを撮ってるかわかんないくらい、どっちを向いても水なわけです。それが湖なのか池なのか沼なのか何なのかわかんないけど、とりあえずなんらかの水。
途中で強い雨が急にざざぁっと降ってきて、窓を水が叩く。水攻めかと。
↓俗にそっと出しと呼ばれる3杯目ですが、クォリティ下がる気配を見せない。
という感じで、パシャパシャ写真撮ってはきゃっきゃとはしゃいでます。
なおいま乗ってる↑この客車は、ヨーロッパでよく見る自転車を置いておけるタイプのやつで、広々として両サイドの窓を自由に見ることができ、しかも早朝のローカル線で人が誰もいないという、奇跡の空間です。
↑湿地のあとに登場する謎の石城。
調べてみるとサルス要塞というらしく、なるほど、歴史的にこのあたりはフランスになったりスペインになったりした土地柄なんだな、と。
↑ペルピニャン着。8時40分頃、やはりほぼオンタイムです。
ここはフランス側の国境駅です。昨日のイタリア国境駅・ヴェンティミリアよりもさらに整備されてて、オフィスにもカフェにもそれなりに人がいるという感じ。ていうか、もう正直ここ、歴史的にはカタルーニャって言っちゃっていいみたい、フランス国鉄の駅なのにだいぶスペイン語だらけだし。
というわけで、ついにやって参りました、次はスペイン・バルセロナ行きです。
【egamidayさん、スペイン入国を果たす】
■10:00 ペルピニャン発 → 11:21 バルセロナ・サンツ着
9時にようやくあいたチケットオフィスにて、無事、バルセロナ行きTGV9729便のパス用予約券(15ユーロ)を入手。
チケットを入手して気分を良くしたのか、ゆったりできるカフェで、アメリカーノとシトロンタルトを浮かれて注文。国境駅のソファでまったりしている。
15分ほどの遅れで、バルセロナ行きTGVに乗ります。
バルセロナまでは1時間数十分程度。

いま、↑イベリア半島のくるぶしっぽいところを南下してますから、駅を出て10分もすると。
前方左手に連山が見えてきました。
位置的にいってあれがおそらくピレネー山脈、しかもその左端がまさに海側のはじっこあたりなんでしょう。
もうすぐ国境、あの山を越えれば向こう側はスペインです。
なかなか感慨深いものです、この1週間でバルト海を越え、ライン川を越え、アルプスを越え。そしてピレネーを越えればいよいよイベリア半島です。
ね、来ようと思えば来れるもんですね。
その山にどんどん近づいていきます。
近づいてきて、あれ、意外だったなと思うのが、そこまでやたらと高い山脈なわけじゃないんですね。端っこだからかもしれませんが。雪もないし。
しかも、近づけど近づけど、上り坂になるわけじゃなくておおむね平原続きなんですよ。扇状地的なものくらいはあったりするのかな、でも、いまから山越えやで、おまえら覚悟ええか!みたいな雰囲気にはぜんぜんならなくて、ずっとのどかで平たい、田園風景ばかりがひろがるような土地を走ってるので。
あれー、これっていつどうやって山越えるんだろう。下手したらこのまま、山肌にぼがぁんってぶつかるんじゃないかこのTGV。
と思ってたら。
突如、近未来的な注射針型のトンネルが出現。
吸い込まれる。
ほどなくして、吐き出される。
あ、これがスペインかあ。
というわけで、スペインに入国したっぽいです。
スペイン側の国境駅・フィゲラス。
なるほど、駅のサインがデザイン変わりましたね。
いよいよイベリア半島に入り、心なしか緑もずいぶんと濃くなってきたようにも見えます。
あと、山越えてスペイン側もやっぱり平原です。そういう土地のつくりなんだな、ていうか、ピレネー山脈ってたしかイベリア半島とヨーロッパ本土が大陸移動でぶつかったときに隆起してできた、とかですよね。じゃああの山がかさぶたみたいになってずっと残ってるんだな、たぶん。
というようなことを経て。
定刻から15分程度の遅れで、バルセロナ・サンツ駅に到着です。
8ヶ国目、スペイン・バルセロナ。
スペインは15年ぶり2回目。バルセロナは初です。
いよいよ、ラストのポルトガルに王手がかかります。
2019年12月08日
2019ヨーロッパ鉄道旅行・6日目その2「絵描きアルル滞在期」(マルセイユ→アルル→モンペリエ) #2019GWeu
6日目・5月2日(木)、昼過ぎ。
現在地はマルセイユ。コートダジュール・南フランスを西へ向かっています。

【アルルの町のキャラのこと】
■15:10 マルセイユ発 → 16:01 アルル着


次の行き先はアルルです。
アルル、ああ、あのゴッホの。
1時間後くらいです。




平原かなと思ったら、遠くのほうに岩盤のような山がひろがってたり、ごつごつした土地に緑がへばりついてたり、またもや謎の巨岩が出現して、やっぱりこの界隈の土地の在り方がよくわからない。ちゃんと勉強してから来たかったパターンのやつになってる。
南フランスって、オシャレ観光やリゾートのような消費的なイメージだけ強くて、港の荒くれキャラはともかく、こういう地質キャラみたいのはほぼ意識してなかったので、だいぶ反省してます。

でもやはり、たまに見せるこういうキャラ。(ベール湖、もと海だったところ)
そしてほどなく。


アルル駅に到着です。
アルル。
駅も町もほんとに小さいローカルなところですが、ギリシャ・ローマ時代からの歴史があり、ていうか一時期はローマ帝国の首都でもあったこともある町で、とはいえその後長いことパッとしなかったのが、ゴッホの目に留まり、ゴッホが世界の目に留まり、ゴッホ経由でローカルな魅力が世界に発見されましたが、実はローマ・中世時代の遺蹟のほうで世界遺産なんですよという、なんかこう、二極化してるようなキャラの町、という理解。
時刻表と相談すると、早ければ1時間後、もう少しゆっくりすれば2時間後に、次の列車が出る状態。ですので、町を歩いてみてどうするかを決めます。もしホントに気に入れば泊まってもいいのです。
なお、ネットやガイドブックで喧伝されていた荷物預け業者は廃業してました。本日2回目の、担いでいきます(涙)。

↑ペタンクやってはる。

ローヌ川。


町に入る。

↑アルルでの極私的なベストショットがこれ。
なんていうかな、ガチの生活空間と、ガチの歴史遺構と、ガチの観光商売感が、ごった煮のようにごろごろその辺に転がされてるような感じがする。
どういう心構えでこの町を歩いたらいいんだろう、というのを、はかりかねてるという感じ。それが、ベストショット。


ローマ時代の闘技場。

惜しみないゴッホキャラ推し。




裏手に入りこむと路地感はかなりあって、しかも決して磨き洗われてない生活感と歴史観。数百年薄汚れたままじゃないかという色合いの町並みで、あ、意外とアンチ観光商売感がすげえ伝わってくるなって。超有名地なのに、ここまで磨き洗おうとしてないんだっていうの、ちょっと感動する。
年中大勢の観光客が訪れるというわりには、むしろ、地元の人たちの生活空間として成立しているというほうが強い町なんじゃないかなって思って、なんか、あまり長居したり踏み入ったりするの違うじゃないかなと思い始めた。

でもちょっと表に出ると、完全に観光商売感。


まあ↑ここはミーハーにならざるを得ない。
ゴッホさんは2年このアルルの町にいて、その滞在期間で300作描いたらしいですよ。うん、やっぱり、腰を落ち着けて暮らすのに吉な生活空間じゃないかなって。そういう空間のままであってほしい、そうしたらまた来る、という非常に矛盾した想いを強くしたりしてます。

アルル駅に戻る。
なんだかんだで、1時間で終わらせてきました。なんていうかな、町に繰り出してみたものの、最初の「心構えをはかりかねてる」感が終始拭えず、この町っていったいどういう町なんだろうというのがいまいちピンと来ず。ていうかそもそも「町」とはなんだろう、その見どころとは、構造とは、いや、自分にとって「町」とはいったい何なのか、という哲学めいた問いが浮かんでしまい、適当に写真だけ撮って早めに切り上げました。
まあ、1週間近く旅行してると、後半にはそういうことがまま起こります。
そういう頃合い、”潮時”にさしかかってきてる、ということです。
【モンペリエの街のキャラのこと】
■17:05 アルル発 → 18:15 モンペリエ着
アルルから、今宵の寝床・モンペリエに向かいます。

アルル駅を出てしばらくしたころ、通路をはさんで右側のシートに座ってたご婦人がしきりに窓の外の写真を撮ってはって、ああ、ローヌ川だなあ、これから橋で川を渡ろうとしてるところかしら、とか思って、自分は左側に座ってますから左手の車窓にぼんやりカメラを向けてみたんですが、そのあたしの様子を見てたそのご婦人がフランス語で強めに「***、***」て、何かを訴えかけてくる、ていうか、右手の窓の外を指して、どうも「ちがうそっちじゃない、こっち撮れ、こっち」的なことを言ってるらしいのです、えっ、何、なんかあんの??
写真は撮れませんでしたが、窓の外を見ると確かに、ローヌ川をはさんで橋のこっちとあっちに2つの町があり、それぞれに古い城郭というか要塞のようなものがどしんと建ってる、町の屋根も褐色で、いかにも歴史的名所でございという感じのところ。

Googleマップで現在地を確認すると、タラスコンとボーケールという町でした。どちらも古代からの歴史のある町で、ローヌ川の東側・タラスコンのタラスコン城は15世紀のものらしい、ああそれは行ってみたいねえ。ボーケール城のほうの歴史は詳しくはわかりませんでしたが、極私的にはこっちの見た目のほうが好き。なお、wikipedia情報では「古くから土地と水利を巡って争いが絶えなかった歴史的経緯から、人的交流は極めて乏しい」などと不穏なことがさらりと書いており、まあwikipediaの言うことではあるものの、川はさんで2つ城が建ってたら、そりゃなんかあったんだろうなとは思いますよね(中世のフランス領vsプロヴァンス領、らしい)。

あとはおおむね↑田園風景で。


モンペリエ駅に到着しました。
モンペリエ。
大学がある街ということで寝床地に選びましたが、モンペリエ大学って医学系で、13世紀で、ノストラダムスですね。



それなりにでかくて、トラムも次々走ってて、かなりの人出があって栄えているし、その人出は通勤者や学生や買い物客のそれであって、まさに現代的生活空間の街、という感じです。もちろん近世以降からの町並みや建造物もそれなりの歴史的雰囲気あるんだけど、ここにいる人たちがふつーに現代的生活で暮らしやすそうに暮らしてるから、よそ者の自分もそういう街だと思って行動しますよね。
結果として。

↑こうなる。
替えの靴下、4足9.90ユーロを調達しました。
ほかにもスーパーで小物とか惣菜とか買い出ししてた。


さらに、ゆるやかな上り坂になってる街をがんばって歩いていくと、↑小さな凱旋門と誰かの騎馬像(註ルイ14世)がある公園があって。


高台の先には、↑古い時代の水道橋が延びている、という。
ここから三方くらいはあたりをぐるりと眺望↓できます。


宵の口に高いところにのぼると、こんなところまで来てしまったのだなあ、という感慨が深まる。
対馬の遠い海岸まで来た時のことをなぜか思い出します。
さて、大学街ということで過ごしやすかろうと宿泊地に選んだわけですが、まあたしかに学生が多い、繁華街にはもちろんのこと、この公園の芝生にもこの高台にも水道橋たもとの緑地にも、学生グループがたむろしてなんやかややってるわけですが、どちらかというと”学部学生キャンパス”っぽさというか奔放な方の学生らしさで、無邪気にはしゃいでるやつらが多い。スケボーしたり、カポエラ踊ったり、ていうか緑地で酒飲んで騒いでたり。屋外での酒系のはしゃぎはあんまり見ない光景だからちょっと珍しいなと思った。大学街でも、あーそっち系かー、ていう。街のほうでも、なんかショーウィンドウのガラス割られてるところとか結構多かったしな。
【南フランスでもビールのこと】
もう夜も8時をとっくに過ぎて、どんどん暗くなってくるし、思った以上に疲れが出てる(注:昼間に荷物担いで1時間街歩きを2ターンやってる)ので、モンペリエはここまで。
なお、「モンペリエ ビール」で検索したところ、駅前の好立地に「Microbrasserie」と書いた店があったので、やってきました。Barboteという名前の店です。
La Barbote Microbrasserie bar restaurant a Montpellier
http://microbrasserielabarbote.com/

Microbrasserieと銘打ってる通り、ここで作ってここで飲ませる、というバーで、そのラインナップを見るとヨーロッパやこの土地の伝統的なのというんではなく、やはりいまどきの流れでよく作られてるスタイルのやつですよ、という感じ。それも、カウンター奥のボードにいろいろ書いてあるのが楽しい。

ミルクシェイクIPA、あっさりしてるのでふつーに飲んでる感じ。

レッドIPA、Ali shuffle。なんかこれも、あっさりしてるというかゴクゴク飲む感じなのかなって思った。

確かにあてでポテト注文したにはしましたが、こんなことになるとは思わないじゃないですか。

店先に貼ってあった図。LOD(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:LOD_Cloud_Diagram_as_of_September_2011.png)かと思った。
こんな感じです。
全体的なトーンから言って、そろそろ飽きが来始めてる感は否めないわけです。いつもより早めかなとも思うのですが、たぶん飽きが来るのは日程の長い短いが問題じゃなく、後半になるにつれて帰国便のためにルートを置きに行ってる感が出てくるので、それも一因かなと思われます。まあこういう倦怠感はよくあることです。
現在地はマルセイユ。コートダジュール・南フランスを西へ向かっています。
【アルルの町のキャラのこと】
■15:10 マルセイユ発 → 16:01 アルル着
次の行き先はアルルです。
アルル、ああ、あのゴッホの。
1時間後くらいです。
平原かなと思ったら、遠くのほうに岩盤のような山がひろがってたり、ごつごつした土地に緑がへばりついてたり、またもや謎の巨岩が出現して、やっぱりこの界隈の土地の在り方がよくわからない。ちゃんと勉強してから来たかったパターンのやつになってる。
南フランスって、オシャレ観光やリゾートのような消費的なイメージだけ強くて、港の荒くれキャラはともかく、こういう地質キャラみたいのはほぼ意識してなかったので、だいぶ反省してます。
でもやはり、たまに見せるこういうキャラ。(ベール湖、もと海だったところ)
そしてほどなく。
アルル駅に到着です。
アルル。
駅も町もほんとに小さいローカルなところですが、ギリシャ・ローマ時代からの歴史があり、ていうか一時期はローマ帝国の首都でもあったこともある町で、とはいえその後長いことパッとしなかったのが、ゴッホの目に留まり、ゴッホが世界の目に留まり、ゴッホ経由でローカルな魅力が世界に発見されましたが、実はローマ・中世時代の遺蹟のほうで世界遺産なんですよという、なんかこう、二極化してるようなキャラの町、という理解。
時刻表と相談すると、早ければ1時間後、もう少しゆっくりすれば2時間後に、次の列車が出る状態。ですので、町を歩いてみてどうするかを決めます。もしホントに気に入れば泊まってもいいのです。
なお、ネットやガイドブックで喧伝されていた荷物預け業者は廃業してました。本日2回目の、担いでいきます(涙)。
↑ペタンクやってはる。
ローヌ川。
町に入る。
↑アルルでの極私的なベストショットがこれ。
なんていうかな、ガチの生活空間と、ガチの歴史遺構と、ガチの観光商売感が、ごった煮のようにごろごろその辺に転がされてるような感じがする。
どういう心構えでこの町を歩いたらいいんだろう、というのを、はかりかねてるという感じ。それが、ベストショット。
ローマ時代の闘技場。
惜しみないゴッホキャラ推し。
裏手に入りこむと路地感はかなりあって、しかも決して磨き洗われてない生活感と歴史観。数百年薄汚れたままじゃないかという色合いの町並みで、あ、意外とアンチ観光商売感がすげえ伝わってくるなって。超有名地なのに、ここまで磨き洗おうとしてないんだっていうの、ちょっと感動する。
年中大勢の観光客が訪れるというわりには、むしろ、地元の人たちの生活空間として成立しているというほうが強い町なんじゃないかなって思って、なんか、あまり長居したり踏み入ったりするの違うじゃないかなと思い始めた。
でもちょっと表に出ると、完全に観光商売感。
まあ↑ここはミーハーにならざるを得ない。
ゴッホさんは2年このアルルの町にいて、その滞在期間で300作描いたらしいですよ。うん、やっぱり、腰を落ち着けて暮らすのに吉な生活空間じゃないかなって。そういう空間のままであってほしい、そうしたらまた来る、という非常に矛盾した想いを強くしたりしてます。
アルル駅に戻る。
なんだかんだで、1時間で終わらせてきました。なんていうかな、町に繰り出してみたものの、最初の「心構えをはかりかねてる」感が終始拭えず、この町っていったいどういう町なんだろうというのがいまいちピンと来ず。ていうかそもそも「町」とはなんだろう、その見どころとは、構造とは、いや、自分にとって「町」とはいったい何なのか、という哲学めいた問いが浮かんでしまい、適当に写真だけ撮って早めに切り上げました。
まあ、1週間近く旅行してると、後半にはそういうことがまま起こります。
そういう頃合い、”潮時”にさしかかってきてる、ということです。
【モンペリエの街のキャラのこと】
■17:05 アルル発 → 18:15 モンペリエ着
アルルから、今宵の寝床・モンペリエに向かいます。
アルル駅を出てしばらくしたころ、通路をはさんで右側のシートに座ってたご婦人がしきりに窓の外の写真を撮ってはって、ああ、ローヌ川だなあ、これから橋で川を渡ろうとしてるところかしら、とか思って、自分は左側に座ってますから左手の車窓にぼんやりカメラを向けてみたんですが、そのあたしの様子を見てたそのご婦人がフランス語で強めに「***、***」て、何かを訴えかけてくる、ていうか、右手の窓の外を指して、どうも「ちがうそっちじゃない、こっち撮れ、こっち」的なことを言ってるらしいのです、えっ、何、なんかあんの??
写真は撮れませんでしたが、窓の外を見ると確かに、ローヌ川をはさんで橋のこっちとあっちに2つの町があり、それぞれに古い城郭というか要塞のようなものがどしんと建ってる、町の屋根も褐色で、いかにも歴史的名所でございという感じのところ。

Googleマップで現在地を確認すると、タラスコンとボーケールという町でした。どちらも古代からの歴史のある町で、ローヌ川の東側・タラスコンのタラスコン城は15世紀のものらしい、ああそれは行ってみたいねえ。ボーケール城のほうの歴史は詳しくはわかりませんでしたが、極私的にはこっちの見た目のほうが好き。なお、wikipedia情報では「古くから土地と水利を巡って争いが絶えなかった歴史的経緯から、人的交流は極めて乏しい」などと不穏なことがさらりと書いており、まあwikipediaの言うことではあるものの、川はさんで2つ城が建ってたら、そりゃなんかあったんだろうなとは思いますよね(中世のフランス領vsプロヴァンス領、らしい)。
あとはおおむね↑田園風景で。
モンペリエ駅に到着しました。
モンペリエ。
大学がある街ということで寝床地に選びましたが、モンペリエ大学って医学系で、13世紀で、ノストラダムスですね。
それなりにでかくて、トラムも次々走ってて、かなりの人出があって栄えているし、その人出は通勤者や学生や買い物客のそれであって、まさに現代的生活空間の街、という感じです。もちろん近世以降からの町並みや建造物もそれなりの歴史的雰囲気あるんだけど、ここにいる人たちがふつーに現代的生活で暮らしやすそうに暮らしてるから、よそ者の自分もそういう街だと思って行動しますよね。
結果として。
↑こうなる。
替えの靴下、4足9.90ユーロを調達しました。
ほかにもスーパーで小物とか惣菜とか買い出ししてた。
さらに、ゆるやかな上り坂になってる街をがんばって歩いていくと、↑小さな凱旋門と誰かの騎馬像(註ルイ14世)がある公園があって。
高台の先には、↑古い時代の水道橋が延びている、という。
ここから三方くらいはあたりをぐるりと眺望↓できます。
宵の口に高いところにのぼると、こんなところまで来てしまったのだなあ、という感慨が深まる。
対馬の遠い海岸まで来た時のことをなぜか思い出します。
さて、大学街ということで過ごしやすかろうと宿泊地に選んだわけですが、まあたしかに学生が多い、繁華街にはもちろんのこと、この公園の芝生にもこの高台にも水道橋たもとの緑地にも、学生グループがたむろしてなんやかややってるわけですが、どちらかというと”学部学生キャンパス”っぽさというか奔放な方の学生らしさで、無邪気にはしゃいでるやつらが多い。スケボーしたり、カポエラ踊ったり、ていうか緑地で酒飲んで騒いでたり。屋外での酒系のはしゃぎはあんまり見ない光景だからちょっと珍しいなと思った。大学街でも、あーそっち系かー、ていう。街のほうでも、なんかショーウィンドウのガラス割られてるところとか結構多かったしな。
【南フランスでもビールのこと】
もう夜も8時をとっくに過ぎて、どんどん暗くなってくるし、思った以上に疲れが出てる(注:昼間に荷物担いで1時間街歩きを2ターンやってる)ので、モンペリエはここまで。
なお、「モンペリエ ビール」で検索したところ、駅前の好立地に「Microbrasserie」と書いた店があったので、やってきました。Barboteという名前の店です。
La Barbote Microbrasserie bar restaurant a Montpellier
http://microbrasserielabarbote.com/
Microbrasserieと銘打ってる通り、ここで作ってここで飲ませる、というバーで、そのラインナップを見るとヨーロッパやこの土地の伝統的なのというんではなく、やはりいまどきの流れでよく作られてるスタイルのやつですよ、という感じ。それも、カウンター奥のボードにいろいろ書いてあるのが楽しい。
ミルクシェイクIPA、あっさりしてるのでふつーに飲んでる感じ。
レッドIPA、Ali shuffle。なんかこれも、あっさりしてるというかゴクゴク飲む感じなのかなって思った。
確かにあてでポテト注文したにはしましたが、こんなことになるとは思わないじゃないですか。
店先に貼ってあった図。LOD(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:LOD_Cloud_Diagram_as_of_September_2011.png)かと思った。
こんな感じです。
全体的なトーンから言って、そろそろ飽きが来始めてる感は否めないわけです。いつもより早めかなとも思うのですが、たぶん飽きが来るのは日程の長い短いが問題じゃなく、後半になるにつれて帰国便のためにルートを置きに行ってる感が出てくるので、それも一因かなと思われます。まあこういう倦怠感はよくあることです。