2020年05月27日

この春から図書館員になったけどコロナ禍下の混乱で何をどう理解してよいか戸惑っている(としたらそのような)人のための読書案内: (1) 場の機能編


 先日下記のようなツイートを拝見しまして。



 ねころじかる @neco_logical 5月12日
 「これは、細かなことかもしれませんが、現在M1の私が、院生の生き方(例えば学振とはなんなのか、博士課程に進むべきか就職するべきか、どういう研究テーマがいいのかなどなど)を、相談するすべがないというのは、結構不安が大きいです。#大学院生の声」
 https://twitter.com/neco_logical/status/1259875564753575943

 なるほど、これはこれでケアすべき案件ながら、同じことが我々の業界にも、つまり、この春から新しく図書館で働くことになって、これから現場でOJT的にいろんな経験しながら勉強したり教わったりできるぞ、と息巻いていたところが、このコロナ禍下の混乱で、いきなり自宅で仕事しろと言い渡され、あるいは片手に消毒液もう片手に紙束を持たされ、マニュアルに無いどころか館内の上司先輩が誰ひとり経験したことのない事態に吹きさらされ、司書としてのあり方考え方のような長期スパンの相談に誰も乗ってくれそうな余裕もなく、ニューノーマルどころかそもそもノーマルが何なのかさえわからず震えている、え、図書館ってこういうことですか?と戸惑っている人もいるでしょう、と。そりゃ勤めて何年も経ってる人から見れば「いまが非常時」だとわかるわけですが、平常時を知らない人が「いまの非常時」だけをいきなり目の当たりにした上で、今後何十年かのスタートラインに立っている。何が何やら不安でしょうがないでしょう。

 そんな人がいたとして、だからってじゃあ自分に何かできることがありますかといえば、まあせめて「とりあえずこんな本でも読んで、しばらくのあいだはじっくり考えつつ落ち着くのを待ってみたらどうか」的なことくらいだと思うんで、そんなお通しのもずくみたいなんで良かったらと思い、適当に書き付けるものです。
 (注:もう1ヶ月ほど早く気付くべきでしたが)

 で、タイトルに「(1)場の機能」って書いてあるので、そういうトピックで。

 インターネットなるものが登場して以降、図書館業界は(おおっぴらに言ったり心に秘めたりしつつ)生き残り策を模索することに必死のパッチで、いろんな人がいろんなことを言ったりやったりしてますがざっくり大きくわければ2方向に振れるわけです。ひとつがデジタル・ヴァーチャル方向で追いつき追い越そうとするもので、もしこの記事に(2)があるのならおそらくそれでしょう。
 もうひとつが、物理的にリアルな存在の方を前面に押し出して、差別化をはかる攻め方をするもの。図書館を資料・職員・施設を提供する機関とするならば、資料現物を提示するだとか、人的サービスを提供するだとかでそれぞれの物理的リアルさを貸出やレファレンスという体裁で従来保ってきたということなんでしょうが、ここへきてさらに十数年くらいでスポットライトをガンガンに浴びせてるのが「場の機能」と称されるもので、物理的施設と空間の提供というGoogleがぐぅの音も出ない切り札と、そこに集まるリアルな人々のリアルな知的エクスペリエンスというある種流行りなコンテンツを持ち出してきたわけです。ネットワーク、ディスカッション、コミニケーション、きずな・ふれあい、参画・共同、そしてコミュニティという、日本人ならずとも万国共通に好まれそうな心あたたまる要素をがっつり取り込んで、人を集め、場所を使わせ、そこへさりげなく資料情報をブレンドさせるかたちで、デジタルなコピペでは味わえない”いま””ここ””わたしたち”ならではの得難い何かを提供する。そんな地域のハブになれ、巨人の星になれと、あくせくがんばってきた。

 …ところへの、COVID-19ですよ。orz
 え、これ一番避けなきゃダメなやつじゃん、と。
 国、館種、分野に限らず、いまこの「場の機能」を提供するという事業のおおかたを当面休止させざるを得ない、というのは、ここ十数年そのネタで売ってきたこの業界にとっては「もう何もできない」と、たぶん非常に辛いんじゃなかろうか、と、そういえばここ十数年そういう業務に直接携わって来なかった自分としては想像力をもってそう思うわけです。

 ですが。
 はたして本当に「もう何もできない」でしょうか、と。

 ていうか、「場の機能を提供する」っていうのは、物理的施設・空間を提供することとイコールだったんでしょうか、と。

 そうじゃないだろうというのは、例えば”ラーニング・コモンズ”を思い出してみれば気づくはずです、ちょっと油断してると”学生がたまり場にできる便利な自習室”ぐらいに思われてしまいがちですが、本来そういうことじゃないはずだっていうのは、心ある大学図書館業界の方ならよくご承知だろうと、あ、そういえばここ十数年大学図書館ではない図書館にしか携わって来なかった自分としては想像力をもってそう思うわけです。

 本当に提供したかったのは、場所や空間や個々の具体的なリアルイベントそのものというわけではなかったはず
 じゃあ、それは何なのかと。
 春から図書館で働きにやってきたはいいけど、施設も物理的空間も提供できなければ催しも集いも開けないしディスカッションもファシリテートれない現状を目の当たりにして、それでも提供すべき、いや提供可能な「場の機能」などという、禅問答のようなことをどう考えればいいのか、と。

 そう、いまこそ。
 時を戻そう。

 Before COVID-19だったあの頃のオールディーズなナンバーとでも言うべき、図書館における「場の機能」を丁寧真摯に説いた文献を、いまだからこそ読み返すことに意味があるんじゃないか、って思うんです。注意深く読み解けばきっと、物理的施設・空間の提供のさらに向こう側にある「真の”場の機能”」に気付けるはずだろう、ていう。

 それではお読みください。
 アントネッラ・アンニョリ姐さんで、『知の広場 : 図書館と自由』。

知の広場【新装版】 - アントネッラ・アンニョリ, 萱野 有美
知の広場【新装版】 - アントネッラ・アンニョリ, 萱野 有美

 (参考)
 「(メモ)アントネッラ・アンニョリ『知の広場 : 図書館と自由』からのまとめ」(egamiday 3)
 http://egamiday3.seesaa.net/article/376474593.html
 「「知の広場ー新しい時代の図書館の姿」アントネッラ・アンニョリ氏講演@京都 20130606」(egamiday 3)
 http://egamiday3.seesaa.net/article/365519665.html


 続いてもう2冊お届けします。

 『LRG = ライブラリー・リソース・ガイド』. 25, 2018.
 「特集 ウィキペディアタウンでつながる、まちと図書館」

 是住久美子. 「ライブラリアンによるWikipedia Townへの支援」. 『カレントアウェアネス』. 2015, CA1847.  http://current.ndl.go.jp/ca1847

 ラーニングコモンズについては、図書館がどうこうよりむしろ大学総体で考え直した方がいいだろうと思うので、省きました。



 そんな感じですが、これって”読書案内”になってるのかしら。
posted by egamiday3 at 20:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月17日

コロナ禍下の図書館(美術館・博物館)にまつわる雑感 : 観光とビール


 こういうわりと特殊な環境というか時局下なので、適当に思いついたことでも記録保存の意味で、わりと軽めに書く傾向にあります。

 その1。
 暑いなあと思ってチョコモナカジャンボ食べながらテレビつけてたら、クローズアップ現代+の再放送をやってたので、ちょっと見てました。「観光復活のシナリオ」と題して、インバウンド需要が急減した観光業(100年に1度の危機)のあれこれを取材報告する的な感じのやつです。星野リゾートの星野さん(星野さんだから星野リゾートだったんですね)の密着とインタビューがありました。

 かいつまむと。
 ・インバウンドの観光客は1年〜1年半は戻らない。遠く先の話。
 ・まず初期に戻ってくるとしたら、それは(星野リゾート現地の)近隣の人たち。その後、首都圏・関西圏、国内、海外客の順だから、インバウンドの客が戻るのは遠い話ということ。
 ・これまで海外客に主に目を向けてたのを、あらためて近隣地域の人向けの対応を強化する。、

 特に2番目の理屈が、そりゃそうだなという感じで、同心円のモデル図がパワポで示されていてさらになるほどと思えました、説得力のある図は大事。

 と思って見てたんだけど、あれっと思ったのが、一方で図書館・美術館・博物館業界の話で聞こえてくる話としては、その近隣地域の人たちを来館利用者として迎え入れ、現場で現物を提供することを再開しようとするんだけど、そのことにどこもすごく苦労してはる、ガイドライン、ソーシャルディスタンス、人数制限や時間制限、消毒除菌、果ては記名の是非まで。
 あ、もちろんニーズがあるからやるのは当たり前であって、やるならやらねばとしてやった上での話ですが、じゃあ近隣地域向け対応でそんなにもコストがかかるんだったら、国内・海外遠隔地の利用者対応はさらにしんどいのか、…ていうと、あれ、そんなことはないよね、と。

 その辺が、図書館美術館博物館の業界はある意味観光業と真逆で、近場の人に現地来館&現物提供(貸出/展覧)するよりも、むしろ、海外ほど遠かろうがコピーやデジタル画像やバーチャルをお届けするということができるのであって、そっちのほうがむしろ簡単だし低コストだし、必ずしも現物じゃなくて良いシーンが多かろうから結果的にコスパは高いんじゃないかなと。
 むしろ、今のこの環境下でインバウンド(注:来日してないので言葉は正しくないですが)の首を狙いに行ける業界があるとするなら、まさに図書館美術館博物館、その他のコンテンツ業界なんだから、これもっとこの機会に積極的に攻めに行っても罰はあたんないよな、って思いました。

 図書館美術館博物館の観光資源扱い化を(もし)否定したいんだったら、その真逆と思しき(注:ほんとに真逆かはまだちゃんと考えないとわかんないので留保)攻め方でどうかと。

 と思うにつけ、日本図書館協会さんがせっかく複写がどうのと言ってくれたなと思ってたら、それについて反応はなく、言った方も「読み聞かせ大事」でスルーになってるの、あれなんだろう、よっぽどバタバタしてはるのかな。

 その2。
 というのを、星野リゾートの人の話と大阪観光局の人の話(不要不急と言わせない)を見ながらいろいろ考えてたところ、ふと思い出したのが、「TRANSPORTER : BEER MAGAZINE」というクラフトビールのミニコミ誌があるんですね、クラフトビール飲みに行ったらよくただでもらえる風に置いてある小冊子ですけど、それのno.26、2020年春号を見てまして、あーまだコロナなんかまったく触れられていない平和な時代のビール記事ばかりだー、と。サンディエゴだかなんだかのブルワリー巡り記事が載ってて、今度ここに行けるのはいったいいつになることかと、昔はよかったと、まあそれはそれとして。
 その中にこういうタイトルのエッセイ記事がありました。
 「もしかすると”ビールを作るのは難しい”という時代は終わったのかもしれない」

 かいつまむと。
 ・クラフトビールの自作について、情報も出回り、ハードルもさがっている。
 ・結果、これまで醸造経験がなかったような人でもブルワリーの仲間入りするケースが増えている。
 ・ブルワリーはよりシビアになる。

 3番目のシビア話は置いといて、2番目までの話を見たときに、これって図書館美術館博物館、特にデジタルまわり、デジタルアーカイブ関係は同じような感じで、コアな業界人だけで回していこうというような考え方はむしろ薄くなり、利用者参加型とか住民参加型とか、場をセッティングしたりデータやツールをオープンにしたりして、内外多種多様な人々に集まってもらって議論してもらってワイワイやっていく、そういう流れをつくってきたわけだから。

 コロナ禍でたいへんになっちゃった、現地来館&現物提供にしろ、デジタル&遠隔にしろ。っていうのの実対応についても、同じように内外多種多様な人にワイワイ協力してもらったらいいんだよな、リアルに集合してもらう必要はない(できない)にもしろ。
 だって、まあ別にそのためだったわけでもないけど、そういうことができるくらいに(少なくとも)図書館は何事によらずオープンだデジタルだって情報共有&ハードル下げをやってきたわけなんだし。

 …ていうところまで考えて、あとはビール飲んでました。
 それが現実問題として何にあたって、どう実現できるのかについては、また後日考えます。特に業務絡みのことであれば、勤務中に業務として考えます。
 考えますが、たぶんそのひとつの種が↓これなんだろうなっていう。
 https://twitter.com/archivist_kyoto/status/1261492543595790337

 以上、思いつきの雑感です。
 また何か思いつくまで保留。

 そうだ、何かしばらく前に喫茶店で見かけたコーヒー専門雑誌みたいなのに示唆に富む記事があったので、取り寄せて読み直して、気が向いたら書きます。


 追記
 ここまで書いて、はっ、しまった、今日って京都市京セラ美術館のニコ生美術館やってたの、すっかり忘れてた!
 まさにこれじゃないか! 見たかった!
posted by egamiday3 at 21:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

「図書と雑誌」とは何か #図書館情報資源概論


 先日、図書館情報資源概論の授業の一トピックとして、「図書と雑誌」というオンデマンド視聴用動画を作成しました。動画って言っても、zoomの画像共有機能でパワポやテキストを見せながら声だけで出演する、という感じのやつですけども。
 ここでは、「図書と雑誌」などという地味なトピックで何をしゃべって、その背景に何を考えてたんだ、ということを書き記してみます。

 ていうか、地味ですよね。「図書と雑誌」ですよ。でもいいんです、資格取得のための科目ですから。ていうかあたし図書館情報学を学んだことない、資格科目勉強しただけの身ですから、ハレの登壇ならともかく、ケの講義ならこんな感じです。

 でもわりと、”言われないと気づかない”ような肝な概念を、これひとつだけでも理解して帰ってくださいって、ここでは強めに言ってあります。それが、

 「図書館の現場では、資料を、まず「図書か雑誌か」で分けて判断する」

 ということです。
 これ重要です、これわかんなかったらCiNiiもひけないし、実際の図書館のフロアでも迷うことになっちゃうから。しかもわりと万国共通だし。
 なので、これだけ理解して帰ってもらえたらいい。

 と、「これだけ」といいつつ、でもこれを理解するには「雑誌」(逐次刊行物)とは何なのかを理解する必要があるわけなので、それもセットで持って帰ってもらう、ていう目論見ではあるんですけど。

 でも実際そうですよね、図書館って。
 紙かデジタルか、古いか新しいか。いやいや、そんなことよりも何よりも、まずはそれが「図書」なのか「雑誌」なのか、ですよ。デジタルだって、「図書」としてのデジタルか、「雑誌」としてのデジタルかでいきなり仕分けされてしまうという。
 そして、その仕分けでは「雑誌」以外のその他はまあほぼすべて「図書」のほうに突っ込むことになるので、「図書か雑誌か」という二分法は畢竟「雑誌とは何か」に集約されるっていう。

 しかしそもそも「図書」と「雑誌」の違いって何なんでしょうね。なんでそんなに図書館は必死こいて分断しようとするんでしょう、前世はモンタギューとキャピュレットか何かですか。
 速報性だ、短い著作の集成だ、分野コミュニティだ、流通売買の違い、配架の都合、本棚の確保、いろいろあるでしょうけど、こうも図書館の現場が二分に執着する最大の理由は、結局のところは「書誌構造の違い」にあるんだろうなと思います。

 逐次刊行物の定義を図書館用語集で示そうとすると、こうなりますけど、
 「ひとつのタイトルのもとに、
  終期を予定せず、
  巻・号・年月次を追って逐次刊行される出版物」
 @「ひとつのタイトルのもとに」とA「巻・号・年月次を追って逐次刊行」が書誌構造の違いの由来であり、A「終期を予定せず」が本棚の確保問題の由来かな、と。

 そう考えると、図書館って、物理的なモノを扱う存在でありつつも、それを書誌という抽象的な概念でコントロールするところなんだなっていうのが、まあわかるかな、ていう感じですね。

 で、この「図書か雑誌か」という概念を実感してもらうためにこのタイミングで出す宿題が、逆説的ではありますが、こういうやつです。

 「ある図書館では図書として扱われている資料が、別の図書館では雑誌として扱われている、という実例を、CiNii Booksや同志社大学OPACを使って探す」

 いやらしい出題ではありますけど、いきなり”グレーなやつがあるから、それを探してこい”と出題することで、え、何がグレーだって?と。つまりは何が白で何が黒なんだ、と。グレーを知ることで白黒を学ぶの術、という感じですね、結構なスパルタですけど、まあヒントとして「統計とか年鑑とか白書」ってわりとそのものなワード出してるので、だいたいみなさん上手に見つけてきはります。

 ちなみにですが、あたしがよくやるやり方としては、講義のまず最初に↑この宿題を出題しておいて、なんのこっちゃわからんでしょう、どういう意味なのかをいまからの講義で説明します、ていう、なんだろう、ある種の人質を取ったような状態で講義に耳を傾けさせたりしますね。どれだけ効果あるかはわかんないですが。まあでも聞く方も、なんのためにこの話聞かなきゃいけないのかがわかってたほうが、モチベーションだいぶ違うだろうって思うんで。

 あと、ほんとはもうひとつ重要な「雑誌単位か記事単位か」という問題を理解していただくべきかとは思うんですが、まあ、これはレファレンス系の科目でどうせやるかな、っていう。

 そんな感じです。

posted by egamiday3 at 21:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする