先日下記のようなツイートを拝見しまして。
これは、細かなことかもしれませんが、現在M1の私が、院生の生き方(例えば学振とはなんなのか、博士課程に進むべきか就職するべきか、どういう研究テーマがいいのかなどなど)を、相談するすべがないというのは、結構不安が大きいです。#大学院生の声
— ねころじかる (@neco_logical) May 11, 2020
ねころじかる @neco_logical 5月12日
「これは、細かなことかもしれませんが、現在M1の私が、院生の生き方(例えば学振とはなんなのか、博士課程に進むべきか就職するべきか、どういう研究テーマがいいのかなどなど)を、相談するすべがないというのは、結構不安が大きいです。#大学院生の声」
https://twitter.com/neco_logical/status/1259875564753575943
なるほど、これはこれでケアすべき案件ながら、同じことが我々の業界にも、つまり、この春から新しく図書館で働くことになって、これから現場でOJT的にいろんな経験しながら勉強したり教わったりできるぞ、と息巻いていたところが、このコロナ禍下の混乱で、いきなり自宅で仕事しろと言い渡され、あるいは片手に消毒液もう片手に紙束を持たされ、マニュアルに無いどころか館内の上司先輩が誰ひとり経験したことのない事態に吹きさらされ、司書としてのあり方考え方のような長期スパンの相談に誰も乗ってくれそうな余裕もなく、ニューノーマルどころかそもそもノーマルが何なのかさえわからず震えている、え、図書館ってこういうことですか?と戸惑っている人もいるでしょう、と。そりゃ勤めて何年も経ってる人から見れば「いまが非常時」だとわかるわけですが、平常時を知らない人が「いまの非常時」だけをいきなり目の当たりにした上で、今後何十年かのスタートラインに立っている。何が何やら不安でしょうがないでしょう。
そんな人がいたとして、だからってじゃあ自分に何かできることがありますかといえば、まあせめて「とりあえずこんな本でも読んで、しばらくのあいだはじっくり考えつつ落ち着くのを待ってみたらどうか」的なことくらいだと思うんで、そんなお通しのもずくみたいなんで良かったらと思い、適当に書き付けるものです。
(注:もう1ヶ月ほど早く気付くべきでしたが)
で、タイトルに「(1)場の機能」って書いてあるので、そういうトピックで。
インターネットなるものが登場して以降、図書館業界は(おおっぴらに言ったり心に秘めたりしつつ)生き残り策を模索することに必死のパッチで、いろんな人がいろんなことを言ったりやったりしてますがざっくり大きくわければ2方向に振れるわけです。ひとつがデジタル・ヴァーチャル方向で追いつき追い越そうとするもので、もしこの記事に(2)があるのならおそらくそれでしょう。
もうひとつが、物理的にリアルな存在の方を前面に押し出して、差別化をはかる攻め方をするもの。図書館を資料・職員・施設を提供する機関とするならば、資料現物を提示するだとか、人的サービスを提供するだとかでそれぞれの物理的リアルさを貸出やレファレンスという体裁で従来保ってきたということなんでしょうが、ここへきてさらに十数年くらいでスポットライトをガンガンに浴びせてるのが「場の機能」と称されるもので、物理的施設と空間の提供というGoogleがぐぅの音も出ない切り札と、そこに集まるリアルな人々のリアルな知的エクスペリエンスというある種流行りなコンテンツを持ち出してきたわけです。ネットワーク、ディスカッション、コミニケーション、きずな・ふれあい、参画・共同、そしてコミュニティという、日本人ならずとも万国共通に好まれそうな心あたたまる要素をがっつり取り込んで、人を集め、場所を使わせ、そこへさりげなく資料情報をブレンドさせるかたちで、デジタルなコピペでは味わえない”いま””ここ””わたしたち”ならではの得難い何かを提供する。そんな地域のハブになれ、巨人の星になれと、あくせくがんばってきた。
…ところへの、COVID-19ですよ。orz
え、これ一番避けなきゃダメなやつじゃん、と。
国、館種、分野に限らず、いまこの「場の機能」を提供するという事業のおおかたを当面休止させざるを得ない、というのは、ここ十数年そのネタで売ってきたこの業界にとっては「もう何もできない」と、たぶん非常に辛いんじゃなかろうか、と、そういえばここ十数年そういう業務に直接携わって来なかった自分としては想像力をもってそう思うわけです。
ですが。
はたして本当に「もう何もできない」でしょうか、と。
ていうか、「場の機能を提供する」っていうのは、物理的施設・空間を提供することとイコールだったんでしょうか、と。
そうじゃないだろうというのは、例えば”ラーニング・コモンズ”を思い出してみれば気づくはずです、ちょっと油断してると”学生がたまり場にできる便利な自習室”ぐらいに思われてしまいがちですが、本来そういうことじゃないはずだっていうのは、心ある大学図書館業界の方ならよくご承知だろうと、あ、そういえばここ十数年大学図書館ではない図書館にしか携わって来なかった自分としては想像力をもってそう思うわけです。
本当に提供したかったのは、場所や空間や個々の具体的なリアルイベントそのものというわけではなかったはず。
じゃあ、それは何なのかと。
春から図書館で働きにやってきたはいいけど、施設も物理的空間も提供できなければ催しも集いも開けないしディスカッションもファシリテートれない現状を目の当たりにして、それでも提供すべき、いや提供可能な「場の機能」などという、禅問答のようなことをどう考えればいいのか、と。
そう、いまこそ。
時を戻そう。
Before COVID-19だったあの頃のオールディーズなナンバーとでも言うべき、図書館における「場の機能」を丁寧真摯に説いた文献を、いまだからこそ読み返すことに意味があるんじゃないか、って思うんです。注意深く読み解けばきっと、物理的施設・空間の提供のさらに向こう側にある「真の”場の機能”」に気付けるはずだろう、ていう。
それではお読みください。
アントネッラ・アンニョリ姐さんで、『知の広場 : 図書館と自由』。

知の広場【新装版】 - アントネッラ・アンニョリ, 萱野 有美
(参考)
「(メモ)アントネッラ・アンニョリ『知の広場 : 図書館と自由』からのまとめ」(egamiday 3)
http://egamiday3.seesaa.net/article/376474593.html
「「知の広場ー新しい時代の図書館の姿」アントネッラ・アンニョリ氏講演@京都 20130606」(egamiday 3)
http://egamiday3.seesaa.net/article/365519665.html
続いてもう2冊お届けします。
『LRG = ライブラリー・リソース・ガイド』. 25, 2018.
「特集 ウィキペディアタウンでつながる、まちと図書館」
是住久美子. 「ライブラリアンによるWikipedia Townへの支援」. 『カレントアウェアネス』. 2015, CA1847. http://current.ndl.go.jp/ca1847
ラーニングコモンズについては、図書館がどうこうよりむしろ大学総体で考え直した方がいいだろうと思うので、省きました。
そんな感じですが、これって”読書案内”になってるのかしら。