2020年06月20日

大学でのレポート課題に何を求めるかを考える その1:リテラシーはミニマリストのように


 大学の授業担当界隈では、そろそろレポートが気になる時期になってきました。
 うちとこ(図書館情報資源概論)でも前期分を出題済みです。

 レポートに関して教員サイドの声を聞くと、あれはダメだとわかってもらえない、これはこうしなきゃいけないのにできてない、みたいな苦心惨憺の愚痴が多く聞こえてきます。自分はそこまでやってなくて結構ゆるいほうだとは思うのですが、そんなあたしでも、どこまでは求めようか、ここまでは少なくともやんなきゃダメだよってことをどう説明しようか、毎年やってるはずなのにやっぱり毎年悩む、というような感じです。

 問題は、なぜそんなに悩んでまで、たいへんな思いをしてまで学生にレポートを書かせるのか、ということだと思います。レポートを書かせることによって、いったい何をしたいのか、させたいのかという。
 ていうか、それ、学生さんサイドにちゃんと伝わってるかしら、何のためかわかんないけど課題だから書かざるを得ない、てなるとだいぶ苦行ですが。それこそ「言わなくても分かれ」ではなく。

 レポートによって理解度をはかるとか、学術的お作法の習得度をはかるとか、いろいろあると思うんですが、うちとこ(図書館情報資源概論)は正直内容の理解度とかはどうでもいいかなって思ってて、言われたこと丸呑みするんじゃなくて、勉強の仕方を勉強するんだよって最初に言ってあるし、知るべきことが出れば勉強すれば済むし、ガチ勢はほっといても勉強するので。それでもレポートを書いてもらおうというからには、それを大学の授業の一環として体験することによって、何かしらの学術的・科学的な知的活動の”リテラシー”、またはお作法のようなものを習得してもらいたい、ということだと思ってます。もちろん1回のレポート提出でがっちり習得なんて夢のような話はありませんし、うちとこはそれ専門の履修課程でも何でもないですが、少なくとも大学という学歴(学歴ですね)を得るからにはそういう機会全スルーでふわっと世に出られてもPL法的に困るよなって思うので、何回か経験するであろう内の1回をうちとこでも、という感じです。

 では、そのレポート・卒論の類で習得すべきという「学術的・科学的な知的活動の”リテラシー”」とは果たして何ぞや、という問題になるわけですが、その細かなところはそもそも分野・専門内容によって違うし、扱うトピックによっても変わるし、教員や大学によって、言語や文化圏によって、学部か院かガチ勢かそうでないかの差によって、何なら時代やメディアによってもぜんぜん変わってくるだろうわけなんで、そんなものを「これがルールブックだっ」って押しつけるように教育する資格が、一瞬一科目を通り過ぎる時にたまさか教壇に立ってるようなあたしに果たしてあるのかっていうのが甚だ疑問なんですが、だとしても(いやむしろ「だからこそ」)言うべきこととは、と。様々ある分野・組織・時代・メディアの違いを越えて、共通項としての、最大公約数としての、削ぎ落としに削ぎ落とし尽くした最低限の「学術的な知的活動の”リテラシー”」って、こういうことじゃないかなって思いました。

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 @「すでにある事実や他人の見解が書かれた文献」を正確に理解したうえで、
 ↓
 Aそれにもとづいて「自分の考察や見解」を論じる。
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 この@→A。
 ドン引きするほどのミニマリスト的リテラシー。
 これができてないとどの分野・時代・進路先でも”大卒”としてはヤバイでしょうと。逆に言えば、これさえ踏み外さなければ、属したコミュニティ内でのローカルルールや個人的信条由来の体裁は各自で微調整すればいいし、多少ヘタをとっても容易に軌道修正は可能でしょう、っていう。

 というわけで、この@→Aさえちゃんとできてりゃいいのかなーってあたしなんかは思うので、採点や指導でもそれ以外のことは目をつぶって気にしてないことが多いです。
 段落一字下げしてない? 気にいたしません。
 ですます調? 気にいたしません。
 スマホで書いてる? 気にいたしません、テキストを評価します。
 図書館に行かずネットしか見てない? 気にいたしません、分野や環境で違って当たり前だし。あ、でも文献自体の適不適はもちろん気にします。ていうか、適な文献がネットに無いのは、無いことのほうが問題。

 そのかわり@→Aができていなかったら、それはできてないからできるようになってね、と。
 あと、@→Aに是非モノで付いてくる諸々があるはずなので、それもできるようになってね、と。(例:文献選択の適不適は@の遂行に関わる問題だし、@がちゃんと理解できてれば必要な書誌事項は提示できるはずだし、的な)

 特定の分野や学問的コミュニティに属しているわけではないうちとこの科目では、言うべきことはそのくらいに抑えておかなきゃなって思います。

posted by egamiday3 at 22:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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