index(目次&参考文献)
0. 序論
1. 図書館にとってアウトリーチは本質的な概念である
2. クイズでは何がおこなわれ、何が求められているか
2.1 クイズとは何をやっている営みなのか?
2.1.0 「クイズ」とは何であって、何ではないか?
2.1.1 クイズは”観客”のための“エンタメ”である
2.1.2 クイズは”リテラシー”の”ギャップ”を素材とする娯楽である
2.1.1 クイズは“観客”のための“エンタメ”である
●最初に”お茶の間”があった
クイズ、特にテレビ番組でのクイズの出題が、学校や資格等の試験問題ともっとも異なるのは、”観客”が存在する”エンターテイメント”であることが前提だ、ということです。
いやテレビだから当たり前だろう、と言われるかもしれませんが、”観客”があるとないとでは「出題」の前提がまったく異なってきます。その出題が、実力測定のためか候補選抜のためか資格付与のためか、はたまた観客のエンターテイメントのためか、問題を予想しようとしている身にとっては大問題です。
ここでいう観客は、批評家やクイズマニアや番組スタッフがメインではない、テレビ画面を通してその番組を鑑賞している視聴者です。テレビ番組の視聴者ですから、まあ好きで選んで見てる人たちも多いだろうけど、なんとなく、ドラマか歌番組かぶらぶら散歩するサングラスの人かを選んでも良かったんだけど、縁あってこのクイズ番組を見ている。しかも数百万人という規模の集団なので、平均的な像にしてしまうと特に何かに詳しいとか突出した特徴があるとかいうことも言えなくなってしまうので、例えば「図書館」というものについて、あー、本がたくさんあってタダで借りられるところだな、自分はあんま行かないけど、というイメージを持っているにとどまるであろうような、圧倒的多数の人びと。
本稿ではこの観客である視聴者群のことを、日本古来の慣用語で”お茶の間”と表現したいと思います。
図1を再掲します。
クイズ番組は”お茶の間”のための”エンターテイメント”である。
図1の”お茶の間”がここに関与しないのであれば、極端な話、解答者も出題者も企画制作者も誰もこんなことやらなくていいわけです、やってもいいけど仲間内で遊んだりやりとりしてればいいだけの話になる。
実際クイズ研や愛好家グループなどではそれをやってるわけで、それはそれでいいんですが。
ですが、これが本稿の考察対象である「テレビ番組の企画としてのクイズ」である以上は、前提はやはり”お茶の間”のための”エンターテイメント”、です。
●お茶の間の娯楽に耐え得る「図書館クイズ」とは
この前提にもとづき、その他諸々の諸条件・諸要件をふまえることによって、クイズの出題をある程度は予想することができます。
イメージしてみてください。
あなたはいまから「図書館」についての問題を出題されようとしています。
ただし、大学や学校の教室で机に向かって、司書資格を取得するために知識と実力を“測定”するために作られた問題を解こうとしている、わけではありません。図書館に就職するために会議室に集められて、その出来不出来で点差をつけて候補者を“選抜”するために作られた問題を解こうとしてる、わけでもありません。
「図書館」について特に知識も興味もない数百万人のお茶の間の人々が、“娯楽”目的で鑑賞しているステージの上で、「図書館」についてのクイズを出題されようとしている、ということです。
ということは、「図書館」についてずぶの素人である“お茶の間”が見て楽しめる問題、そういう番組として成立するような、お茶の間の興味をひく、テレビ的な“画”になる、娯楽コンテンツとして成立するような問題が出題される、と考えられます。“測定”や“選抜”は主目的ではない、とはそういうことです。
これはなかなかの難問です、いや解答者にとってではなく、出題者にとって。
お茶の間の娯楽に耐え得る、図書館の話題、その出題とは、ということですから。
この問題、書名からだけでは一意にNDCを推定できない(から悪問)との感想を見たが、1など典型的な最近話題になった本なので、出版状況への意識・知識も問う(知っていれば有利)問題では。これまでも、著名な著作と著作者を選択させる問題も見たことあるし。 https://t.co/jLTvZ9OcYc
— 新出 (@dellganov) March 6, 2021
例えば、「灰色文献とは何か」「NDCとは何の略か」「そのNDCでチョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』という図書を分類すると何番か」などという試験のような問題(参考:https://twitter.com/dellganov/status/1368155969847365632)は、クイズでは出そうにありません。専門知識や無味乾燥な事実を問うことだけでは、娯楽にならないからです。
「本がたくさんあって誰でも無料で借りられる施設は何でしょう?」という問題も、幼児向け番組でもない限り出そうにありません。平均的な日本人にとっては、簡単すぎて娯楽にならないからです。

「この教会のような立派な内装の建物は、実はある国の有名な図書館なのですが、さてどこでしょう?」。これなら意外性のある雑学で、かつ見た目にも楽しめる、お茶の間向けの娯楽コンテンツになりそうです。
このように、何が目的で出題されるのかから逆算することで、テレビ番組のクイズをある程度、これは出そう、これは出なさそう、と予想することができるのではないか、と。
ちなみにクイズをスポーツやゲームのように争って優劣を競い合う種類の活動を「競技クイズ」という語で表現することもあります(註:近年の用語、だと思います、私が学生クイズ研のころ(90年代前半)はそういう言い方してなかったような気がする)。ですが、ここで扱おうとしているテレビ番組のクイズが”お茶の間”の娯楽を主目的としている以上、”優劣””競技”のための出題は(後述するように)目的の一部ではあり得ても、最優先の目的とは言い難いと考えますので、本稿ではこれを「競技クイズ」とは表現しないことにしています。
そもそもですが、「競技」が「競技」として成立するためには、ルール、条件設定、評価方法や評価基準などが公正かつ厳格であることが求められるものだと思います。そういう意味では、たとえその番組内で解答者同士がガチで競いあっているかのように見えていても、真性の意味での「競技」かどうかについては問題が別、だということです。
さて、クイズは”観客”の存在と”エンターテイメント”を前提としていることはわかったとして、ではエンターテイメントとして何を提供しているのか。そこをもう少し掘り下げて考えると、「クイズは、“リテラシー”の“ギャップ”を素材とした、”観客”のための”エンターテイメント”である」ということが言えるのではないか、というのが次の話です。