2022年08月09日

本読みメモ『日米交流史の中の福田なをみ』:第3章 軍政とライブラリー


小出いずみ. 『日米交流史の中の福田なをみ : 「外国研究」とライブラリアン』. 勉誠出版, 2022.2.
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■第3章 軍政とライブラリー

・1945.10、GHQ参謀第二部(G-2)に勤務。(民間諜報局CISか)(107-)
・民間諜報局CISとは(109-)。1945.10発足。Civil Intelligence Section。占領期には監視対象が一般住民にかわる。CISでは政策と改革の監視をおこなう。
・CIS内の民間検閲支隊CCDは、占領への反対を監視するため検閲をおこなった(110)
・CISでは民主化に有害な人物や影響を排除する目的で、日本の組織や人物に関する情報を収集し、調査結果を報告書とし、刊行した。情報収集のため太平洋協会や東京大学図書館で資料閲覧。(112)
・「日本人参考図書館」
・CISライブラリー。福田が在職したとされる、CIS部内のライブラリーについて。(112−)
・原田日記(西園寺公望の口述記録)、木戸日記、共産党記録等の資料を、大量に一気にマイクロフィルム撮影し、ワシントンに送ったり、翻訳したりした。(116)
・CISライブラリー、ファイル管理、記録類、マイクロフィルムなど。(116)

・1947年、NDL設置アドバイスのためアメリカ図書館使節が来日する。クラップ、ブラウン等。国立国会図書館法草案は図書館施設の覚書に基づいて起草された。このとき福田は使節団と日本との橋渡し役を担った。また来日者を自宅・食事に招くなどしている。(117-118)
・1949年、福田、結核で小布施の療養所に入る。(120)

●GHQライブラリー(121-)
・CIE:日本の図書館政策のための図書館担当官、日本各地のCIEインフォメーションセンター
・CIEインフォメーションセンターは日本人向けサービス図書館、アメリカ情報を喧伝する。(121)
・軍人用の情報教育課による情報教育用ライブラリー。TI&E(Troop Information and Education)。継続的な兵員教育。とりわけ占領地に関する最低限の知識を教育する必要があった。(126-128)
・Army Talk。陸軍省による週刊冊子。(126)
・Far East Duty。1949,TI&E発行。日本、朝鮮、フィリピン等の情報を載せる。

・軍政用、GHQ内の部局ライブラリー。(130)
・KBSライブラリーもあわせてよく利用していた。(132)
・敵国情報から占領のための情報へ[132]

●戦前・戦時・戦後の日本資料の推移
・日米開戦以降、LC極東課に新しい資料がないことが問題になり、アメリカ国内の日本資料が探索された。(134)
・「当時のアメリカには分析すべき情報が貧弱であった」「LCでの日本の定期刊行物の講読は…1936年に殆どがキャンセルされていた」「国務省などワシントンの他の機関にも日本語の参考図書類がなく」[134]
日本に関する資料が圧倒的に不足している上に、当時の日本の国力や政治社会を捉えるものではなかった。日米開戦を見据えたとき、現在の日本に関する情報資源が求められた。(134)
・調査部門を要することになったLCでは。政府刊行物・逐次刊行物が多く使われる。レファレンス、複写サービス。マイクロフィルムの大量作成。他の省庁からの日本語出版物(経済・政治関連)の移管。国内の多の図書館蔵書からのマイクロフィルム作成。日本の参考図書の充実のため、復刻、複製版等が作成される。アメリカ国内の日本資料の総合目録作成が開始される(1945)。(135−137)
・戦時情報局は、LC等の日本の情報資源をもとに、たくさんの報告書やハンドブックを作成し、英語文献による日本情報が蓄積されていった。(138-139)
・日本に関する基本資料として日本語参考資料がリストアップされる。(139)
・アメリカが総力をあげて、日本語の原資料から情報を読み取り戦争・占領を遂行するための情報資源を創生していった[141]
・一国の状態全体を把握する必要がある。インテリジェンスは外国研究そのもの。人類学者しか興味を持たなかった外国研究が、戦争を経て外国に関する知識の意味と役割が変化した。(142)
・LCの日本語資料は、対日情報収集の中核ともいえる位置にあり、戦争遂行と占領政策形成に用いられた。[161]
・戦争のために用いる敵国情報資源の中核として、日本語を含む外国語資料を数多く有していたLC。戦争と占領において不可欠だった相手国情報は、戦後の平時において外国研究の基盤となっていく(→次章へ)(162)

●GHQとNDLと福田なをみ
・GHQは図書館政策を民主化政策の有力な手段と考えていた。(143)
・福田なをみは、GHQ民政局が深く関わったNDLと関係を密接に持っていた。(143)
・GHQは国会法制定への示唆として、国会図書館設置を含めていた。内閣に比して弱体である議会の問題のひとつが調査力の欠如、という指摘。新図書館の3機能は、国会サービス、国民サービス、図書館協力網。(144)
・1947年12月、クラップ、ブラウンらが図書館使節として来日。LCを模範としたNDL像をつくる。1948年1月、NDL設置覚書完成、これをもとに国立国会図書館法案が起草。(147-148)
・具体的記録はないが、福田とクラップは旧知だっただろうし、何らかの貢献をしたのでは、とのこと。(148)
・1948年、ダウンズ(イリノイ大学図書館長)来日。CIE特別顧問。福田、ダウンズ顧問付きを務める(NDL雇用)。(149-150)
・1948年7月、NDLで会議。NDL関係者、CIEバーネット図書館担当官、ダウンズ、福田。NDL創成期の課題が明確にされる。その後8月まで頻繁に会議。(150−154)
・京都大学図書館での会合に参加(ダウンズ、福田)。
・9月、CIEへ報告書提出。国家的な図書館計画のための実質的な方策を示す。NDLが議会図書館だけでなく国の中央図書館となること。図書館員養成など、NDL以外の全国の図書館に影響すること。(155)
・福田はダウンズ付きとして通訳や橋渡しなどでこの場にいた。ダウンズ帰国後もNDLに貢献し、1948年から1958年まで館友としてアドバイザー的な役割。(155-156)

●ミシガン大学
・戦前戦中から日本研究。
・1947年、ミシガン大学日本研究センターを設置。アメリカの日本研究に成長のさきがけ。(158)
・福田なをみの日本研究センターライブラリアン就任、実現しなかった。(159-160)
・日米、とりわけアメリカの図書館人や日本研究者の間では福田に対する期待と信頼が厚かった。[163]

posted by egamiday3 at 05:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする