2022年のアルファコンテンツ(http://egamiday3.seesaa.net/article/495546013.html)の中から、特によかったものを掘る、それが「コンテンツ掘り」です。
※ネタバレ無いように気をつけて書いたつもりですが、少しでも避けたければ本編をお先に。

君のクイズ - 小川 哲
僕はこれからクイズを解く。
「Q. なぜ本庄絆は第一回『Q−1グランプリ』の最終問題において、一文字も読まれていないクイズに正答できたのか?」
(本文より)
元クイズ研であるとかクイズを観たりやったりしてるとかについて、カタギの方からよく問われるFAQというのがいくつかありますが、そのひとつに「暗記した知識を解答することの、何が楽しいのか?」というものがあります。
それはたぶんクイズを単純な”知識合戦”と思ってはるからだろうと思うのですが、実際にはそうでなく、知識合戦と推理合戦とを組み合わせた総合力のようなもの、と理解してもらったらいいんじゃないかと思います。あたし自身も、クイズの”知識合戦”の部分は正直ほとんど興味がなくて、(大きく言えば)推理合戦のほうをおもしろいなあと思ってるほうなので。
その”推理”の側面をつきつめて語ったもの、として『君のクイズ』を楽しみました。やっとこういうのが出てくだすったな、と。クイズをつきつめて考えれば、それは推理小説になりますよねと。(なのでこれは「推理小説」だと思ってます。how done itですかね。)
概要としては冒頭の本文引用が端的なもので、クイズ番組の決勝戦で、問題文がまだまったく一文字もよまれていないのにボタンを押して正答してしまった対戦相手(本庄)のことを、なぜそんなことができたのかと敗者の方の主人公(三島)が懸命に推理する、という。
思考実験エンタメ的な。こんなんワクワクするじゃないですかね。
思考実験ですからだからもちろん、「たまたま」「賭け」「ヤラセ」とかじゃなく、また「暗記超人」でも「魔法超人」でもない。そんなオチは許さない、というのがこの推理のモチベーションなわけですよね(殺人事件ではないので推理のモチベーションとしては、1000万円かプライドあたりになる)。あくまで理詰めで”how done it”を推理する。本文中の言葉で言えば「クイズとは、知識をもとにして、相手より早く、そして正確に、論理的な思考を使って正解にたどり着く競技」とある、その”論理的な思考を使って”の部分です。
例えば、本庄が過去に出演したあるクイズ番組での解答の様子を、三島が録画映像で見て考察する、という場面。
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本庄は「日本では阪神・淡路大震災をきっかけに導入」でボタンを押して、「ドクターヘリ」で正答する。
しかし、「阪神・淡路大震災をきっかけに導入された」としてクイズによく出るものには「ドクターヘリ」と「トリアージ」のふたつがあり(※後に註釈)、この時点ではまだ正解が確定しない。
三島は「本庄があそこでボタンを押したのはなぜか」ということを以下のように考察する。
1 「トリアージ」も正解になり得ると知らなかった
2 賭に出た
3 ヤラセだった
そのひとつひとつを検証し、しかしどの推論にも納得できないと判断した結果、さらに第4の「自分が気づいていないだけで、実は「ドクターヘリ」で確定していた」という可能性に思い至る。
調べなおした結果、トリアージは厳密には「規格の統一がされた」であり「導入」とは言えなかったので、あの時点で「答えが確定していた」。
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ね、推理小説じゃないですかね。
この場面なんかもそうですけど、全編、彼が懸命に推理する様子については、「自分が気づいていないだけで、答えは(あるいは答えにつながる手がかりは)どこかにあるのではないか」ということを”信じて”いるから、そこまでつきつめて考察する、しようとする意思を持つ、ことが成り立つんだろうな、と思います。
これもよくあるカタギの方からの物言いで、「クイズみたいにどんなものにも正解なんてあるわけではない」という類のあれがあります。ただ、こちらからしてみれば、「そんなこといちいち言われんでも、クイズやってれば痛いほどよくわかっとるわ」という感じです。クイズなんて、やってもやってもわからないことだらけなんだから。
世の中には、あるいは我々生きていれば、無数の課題にあたり、問題にあたり、また無数の選択肢や候補にあたり、どれが正解かもわからないし、どれが正解と言えるわけでもないし、その選択肢がすべてでもなかろうし、そして正解などというものがあるかどうかも定かではない。それでも我々は、個々人またはこの社会は、なんとか考え、判断し、選んでいこうとする。
そこでおこなわれているのは、目の前にある条件と候補の中から、いや可視化されていない条件や可能性も含めて、どこかしらに何かしらの”最適な解”があるのではないかということを信じて、ウソでも信じて、ギリギリまで考え抜くこと。
それは畢竟、現実問題もクイズも同じことじゃないかと。
考え抜くこと、それが一番大事、なので、実際に正解が存在するかしないかは、正直さほどたいした問題ではないんじゃないでしょうかね。(クイズで用意された正答だって所詮は人為的なものに過ぎないので)
でも、そんな無数の選択の連続の中で、「それでよかったんだよ」と肯定してくれるのが正解音の「ピンポン」だったとしたら、それに癒やされ幸福を感じ時に涙してしまうという登場人物たちの人情も、わかるといえばわかります。
それが他人からの判定ではなく、自分で鳴らしにいく「ピンポン」であればなお良しですが。
………そうか、「あの鐘を鳴らすのはあなた」ってそういうことか。(違う)
さて、本題のゼロ文字押しのほうは、まだ一文字も読まれてないという前提ですから問題文そのものから推理することはできず、外的要素を中心とした推理ということになります。そこには現実的な問題や社会的要因が絡んでくる。絡んできてあたりまえです、クイズだって、別に”純粋クイズ空間”のようなところでやってるわけではなくて、現実社会の中でやってるわけだから。(純粋クイズ空間や純粋クイズ能力や魔法超人のような解答があるかのように見えるのは、テレビ番組がそういう演出のエンタメだからであり、でもそれこそ現実社会の一部なわけで)
なので、最後の最後に、クイズにだけストイックに向き合う云々というのは、それはそれでちょっとどうかな、と思います。クイズが”リテラシーのギャップを持ち寄っておこなう娯楽”である以上、それは必ず社会性を帯びます、問題も正答も自然に降って湧いてくるものではないので。ストイックに向き合う系の姿勢って、若い人にとっては親和性高いかもしれませんけど、でもクイズに特化して言うと、それでずっと冬の時代続いちゃってましたので。
(そもそも本当にストイックに取り組むなら、出題者サイドから目を背けるような姿勢はないだろうと)
※註釈
本小説ではこの箇所で、「なぜ「阪神・淡路大震災をきっかけに導入された」のがドクターヘリとトリアージのふたつしかないと言えるの? 他にもあるかもしれないのに?」という、おそらくカタギの方から出るであろう疑問を逐一フォローしていないのですが、他にもあるかもしれない無数の選択肢の中からなぜそのふたつが「クイズによく出る」と絞れるのかについては、例えば以下のような考え方があると思われます。
・テレビ番組の視聴者にわかりやすく、高度に専門的ではないこと
・現在では浸透している概念のきっかけが○○であった、という物語性があること
・正答として提示しやすい短めの名称であること
・続く問題文の中で正答を一意に定めやすい用語であること