そんな、もはや語りつくされたような話題をいまさらむしかえすのどうかとは思うのですけど、お仕事で、Googleさんにまつわるちょっと”うーむ”な体験が、立て続けに3つくらいあったので、ちょっと考えてみた。
当館所属の研究者の人が来て、プレゼンのパワポにこの本のこの写真を載せたい。ついては当館の画像データベースにこれがデジタル画像として載ってないものか、とおっしゃる。註:著作権云々についてはちょっと話を放置しときます、ごめんなさい。で、当館の画像データベースにはないんだけども、よくよくその写真を見ると、畑違いの江上にもわかるくらいの、世界史では有名な某古代資料でいらっしゃるので、こんなんだったらwebにいくらでもあるでしょう、と。註:著作権云々についてはちょっと話を放置しときます、ごめんなさい。と言ったところが、いや、そんなページひとつひとつチェックしても一向に見つからへんし、とおっしゃるので、あれ、この先生もしかしてGoogleの画像検索とか知らはらへんのちゃうかな、と思うて、目の前でポチッと画像検索のリンクを押して見せたところが、大なり小なりのその某古代資料がずらずらずらっと画面いっぱいにお出ましになって、先生、吃驚仰天、ていう。
とある遠方の県の、とある市役所の教育関係の部署の人から突然お電話がかかってきて、国文ではB級半くらいに有名な某古典和歌集の作者が、うちの出身である、と。ついては、おたくはその某和歌集を持ってるらしいので、その専門の先生なりに詳しく話を聞きたくて電話してみた、とおっしゃるのですが、まず第1に訝しいのが、そんな某和歌集くらいはここだけが持ってるようなものでもなんでもなくて、あちこちにいくらもあるのに、なんでわざわざここに電話してきたのか。第2に、そんなこと専門の先生なんかいたろうかうちに、と、よくよくインタビューしてみるとですよ。その方はGoogleで「某和歌集」と検索しはった、と。そしたらトップに当館のホームページの一部がヒットした、と。だから、おたくがそれを持ってて先生もいはると思った、とおっしゃるのですが、じゃあそのGoogleでヒットしたトップのページというのが、当館のどなたかが自作したいろんな古典系和歌集の全文テキストを集積したデータベースがあるんだけども、その凡例だか解説だかのリストの一角に書いてあった「某和歌集」がヒットした、ていうだけであって、それらは原資料から起こしたものでもなんでもないから、原資料があるわけでもないし、専門の先生がいるわけでもない。のを、Googleでトップにヒットしたからっつって、いきなし電話して来られてもなあ、しかも教育関係の部署だし、と思いながら、これこれこういう事情で、それはじゃあたぶん、そちらの県立図書館さんだったら基本図書があるくらいの和歌集ですから、そちらに一度ご相談いただけたらきっとお役に立てるはず、と、軽ぅく県立図書館有用性アピールをとりまぜつつ、説明した、ていう。
とある東京の、とあるテレビ局付き制作会社の、教養番組関係の人から突然お電話がかかってきて(←毎日こんなん)、古代史に関する先生からこれこれという資料が役立つから、と言われて、Googleさんに聞いたらおたくが持ってはるらしいから、読みたい、貸してほしい、とおっしゃるのだけど、これこれという資料をよくよく聞いてみると、うちが持ってるのは、その、15世紀の原資料であって、その参考図書リストらしきものがGoogle流出してたのにひっかかったらしく、いまそのタイトルを電話口で1文字1文字たどたどしく伝えてくれはったあんたにラテン語は読めへんでしょう、という軽ぅい毒を心中に抱えつつも、これこれこういう事情で、いまちょっと検索してみたら、その翻訳書が1-2冊出版されてるみたいなんで、最寄りの図書館さんにご相談いただけましたら、そこが持ってなくてもどっかから取り寄せたりできると思いますんで、と軽ぅくILL有用性アピールをとりまぜつつ、説明した、ていう。
1件目は、Googleのもっと便利な使い方をご存じなかった件。ただ、これはもうだいぶ減っていくパターンだと思えるよ。
最近やたら増えてるのが2件目・3件目のパターンで、教育関係・マスコミ関係のような人らであっても、Googleが便利→何かしらはヒットする→それが何であるか、どういう意味なのかは正しくは理解していない、ていう感じになってるんだけども、それは仕方がないといえば仕方がなくて、Googleさんがヒットさせて提示してくれるものというのは、よしんばそれがレレバンス的なものであったとしても、あまりに断片過ぎて、情報が点でしかなくて、文脈が無視された状態で提示されている。それを、”そういうもの”だとわかった上でGoogleさんを使ってはる人っていうのは、その断片からなんとなく文脈を復元させるなり、ちょっと2-3クリックの手間をかけて文脈を探しに行くなりして、正しく理解するんだけども、残念ながらこれほどまでにGoogleさんが世に蔓延してもうてる昨今としては、そういう復元なり手間かけて探すなりということを、全部が全部の人が上手にできるというわけでは、まったくない。
というわけで、ここで図書館員の登場ということが言えるとするならば、その、Googleさんが提示する断片が元々持っていたはずの文脈を解釈し、伝えるという、”文脈復元家”としての、通訳としての、アナログな役割というのは、もしかしたら当面のところは増えてくんじゃなかろうか。
図書館情報学の業界関係者の人たちは、自分でその文脈復元ができるし通訳も要らんような人たちばっかりなんだけども、そうでない人たちはたぶんまだ大部分いはって、しかもその人たちがGoogleさんのような断片情報提示ツールに接触する機会は増える一方、のような感じなんじゃなかろうか。
そういう”文脈復元力”的なことって、情報の授業とかリテラシーの講義とかで教えるんだろうか。てか、教えれないような気もする。それなしで操作なりばっか教えてもあんま意味ないとは思うんだけど。
というところまでは思ったのだけど、じゃあそれが、社会のみなさんから見ての”専門性”と認められるかどうかは、もうひとつ別。

