2008年07月13日

秋葉原のカフェでトーク

 
 ARGカフェではたくさんの人にお会いすることができました。
 ありがとうございました。
 なんか、どう書いても中途半端な言葉になってしまいそうなので、純粋にお礼だけ。

 あと、もうどうしたって東京にはかなわん、ていう。人、集まり過ぎ。ていうか、集まれ過ぎ。

 ぼんやりとしか準備してなかったら、みなさんわりとがっつりパワポや配布資料を用意してはったので、え、そんなノリのイベントだったんだこれ、手ぶらに近い自分はだいぶやばいんじゃないか、と俄かに焦りだして、ひとしきり考えた挙句、会場の片隅にぽつんと置かれていたホワイトボードを急遽お借りして、”ホワイトボード漫談”にシフトさせましたよ。急遽だったので、会場の後ろのほうから見えるくらいの字で書けてなかったにちがいないという反省点がひとつ。時間を気にしすぎて、注釈的コメントをばすばすとカットしてて、もうちょっと詳しく聞きたかったとゆわれてしまった反省点がふたつと、じゃあボード使うんだったら主催者にはなっからそうゆっとけよ、ていう反省点がみっつ。

 そしてこのイベントのノリというか思想自体、もっと広まったらいいと思うよ。
 公的カテゴリー自体はそれぞれぜんぜんちがうんだけども、なんとなく似通ったトピックに親和性を感じてる人らが、わっさりと集まって、なんとなく(=負荷の少ない方法で)プレゼンしあい、ディスカッションを交わすというのは、刺激とか身構える感じというよりはむしろ、思考のコリがほぐれるリラクゼーションな感じがするので、こんなんは、みんなで容赦なくパクりましょうよね、ていう。
 なんか身構えた感じのシンポジウムとかセッションとかだと、どうしても”講師”と名の付く人ががっつり準備する負荷を負ってしまう、負荷がかかるからこそ、その中身にも個人の専門や思い入れがだいぶ刻まれてしまう、結果、そのあとでパネルディスカッションしてもそのお互いの刻みの深さがハードルになって、話題がうまく続かなかったりするし、反動で客席も受身の姿勢になってしまう、ていうパターンがわりとあると思うので、パネラー、オーディエンス、会場全体がノリを共有してざっかけないディスカッションができるようにするには、全体の共通項部分に当たる上澄みの部分をざっとサワれる、個々の深い刻みに陥ってしまわない、講師に準備を(むしろ)させない、ていう感じが吉なのかなあ、とも思ったけど、それで成功するかどうかは、主催者や司会の力量にかなり拠っちゃうので、なんともいえない(笑)。
posted by egamiday3 at 21:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする