2013年06月07日
「知の広場ー新しい時代の図書館の姿」アントネッラ・アンニョリ氏講演@京都 20130606
・6/6 イタリア語学科主催講演会 「知の広場ー新しい時代の図書館の姿」
http://www.kufs.ac.jp/news/detail.html?id=3eae071978e28fb904d9351d5a3ec734&auth=1
・【イベント】アントネッラ・アンニョリ氏来日講演ツアー(5/25・仙台ほか) | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/node/23383
・CA1783 - イタリアの“パブリック・ライブラリー”の現状と課題 / アントネッラ・アンニョリ | カレントアウェアネス・ポータル
http://current.ndl.go.jp/ca1783
・Amazon.co.jp: 知の広場――図書館と自由: アントネッラ・アンニョリ, 柳 与志夫[解説], 萱野 有美: 本
http://www.amazon.co.jp/dp/4622075628
●紹介 (著書の翻訳者)
・イタリア・ヨーロッパなどで図書館建築家や行政と図書館員との橋渡しのような仕事を務める。
・来日の経緯について。初来日、3週間のツアー。日本の知人による有志によって、2年前から来日を準備していた。
●講演
●社会と課題について
・イタリアはとくに重い経済危機に直面している。もともとうまく機能している図書館では革新的なことが起こせている。ただ、公共図書館はイタリア中部・北部には多いが、南部にはほとんどない。
・一般の人に読書を普及させる図書館はあまりない。読書人口の割合が低いと言える。
・文化施設に人びとが行くことが少ない、というのが、予算が廻ってこないことの一因である。
・これから取り組まなければならない課題=いくつかの文盲*。
・テクノロジー。ただ図書館にコンピュータがあればいいわけでなく、教えるというファシリテータ役が必要。特にお年寄りはインターネットカフェになんか行かないので、図書館でパソコンとネットが使えて教えてもらえればよい。
・情報に関する文盲。インターネットでの情報探索収集能力。評価能力。
・読解能力・”読む”能力の低下、という問題。教育を受けた人でも継続的に本を読まなければ”読む”能力が落ちる。新聞を読んでもその意味するところを理解できない、と言う人が増えると、民主主義が危機に瀕することになる。元教育(?)大臣曰く、「イタリア人はいま頭ではなく”おなか”で考えている。熟慮の上で投票ということをしていない」
・図書館がその読解力の成長を支援しない限り、相手にもしてもらえなくなるだろう。
●サービスと資料提供について
・音楽・映画など視聴覚資料をどう提供するか問題。いまCD貸出は激減している。オンラインで入手できるから。となると、図書館がすべき仕事のひとつは、どうすればオンラインで入手できるかを教えて上げる仕事、ということになる。サイトをまとめて提供するとか。お年寄りに対してデジタル音楽ファイルを編集してCDに焼いてあげるサービス(!?)とか。
・オランダの図書館では、ほとんどの蔵書を平積みで配架している例がある。表紙を見えるように平積みで配架すると、驚くほど貸出が増えたらしい。
・たとえば本の配列についても昔ながらのものではなく、人びとの興味の向けられ方にそって並べ直す。(ドイツでの試み)
・蔵書について、図書館員のほうからユーザに向けてファシリテータとしてそこにどういう本があるのかをきちんと理解してもらいにいく、という姿勢・仕事が必要。
・ティーンエージャーが図書館に来ないという理由はない。彼らが来たくなるようなスペースや資料がないからだろう。若い人に感心をもたない図書館員にはそれはできない。ティーンエージャーがたくさん来館している図書館がアメリカにあったが、その成功要因は、ティーンエージャーとともにその図書館のスペースを設計したからだ、とのことだった。どんな家具を置くか、何をしたいのか(ゲーム)、どんな図書館員にいてほしいか(自分たちと同じ趣味を持ってる人、自分たちと”近い”人)。
・アイデアストアというチェーンの図書館が成功している。建物がおしゃれなこと、だけでなく。図書資料についての多様な講習会が開かれるという文化センターの役割を果たしているから。宗教、裁縫・料理、などあらゆる講習会。その講師の多くは地域住民。
●建築と空間の機能について
・現代人はみな時間がない。複数の機能がそれぞればらばらなところにあると、行く暇がない。ショッピングセンターのように、文化的な機能がひとところに集まっているような場所を設計できないか。
・図書館建築が大型化している。本だけではないニーズに応えようとしているため、多機能化している。
・複雑化する市民のニーズに対応する施設にならなければならない。
・多様でフレキシブルなサービスが可能な建築にしなければならない。
・日本の大学図書館のいくつか(明治大学など)は、人がそこにいて楽しい空間が設けられていた。それは公共図書館よりもよく整備されていた。大学図書館も人との出会いの場になるべき。
・イタリアで最近の図書館のトレンドのひとつ。ひとつのスペースが複数の目的で使えるように設計されている。柔軟である。そのためにパソコンもデスクトップの据え置きではなく、ノートPCを貸出して移動できるようにする。
・大学図書館でも見たけど、公共図書館でも、ラーニングコモンズ的な勉強空間が必要。自分の書斎を持てない人の支援。コワーキングへの支援。市民の集まり・ディスカッションの場の提供。
・『知の広場』がなぜ日本で読まれたか不思議だったが、日本も同じく、人が集まって何かをする場というのが必要なんだろうなと思う。かつては教会や労働者の集う場所があった。いまそういう場所が社会から減っていっているんだろう。そういう現在において、図書館がどう貢献できるか、そういうことを著書で問うてみた。
・図書館はそういう機能をもつのにふさわしい。なぜなら"ニュートラル"という性格があるから。年齢、社会地位、宗教、家のある人ない人、皆にニュートラルであるから。
・ペーザロの図書館。元は古い修道院。書架に全て車輪が付いていて、必要があれば動かして会場が作れる。書架フロアが講演会場にもなる。
・書架を移動させて、フロアで音楽コンサートができるようにする。大半の市民は文化施設に通ったりはしない。そういう文化施設は市民側に文化へのリテラシーを要求してしまうものである。でも図書館でコンサートを行なえば、そういうリテラシーを持たない人でも図書館に来たついでに接することができる。そういう人たちに文化に触れる場所を提供する、という機能が重要ではないか。
・図書館に関わっていくいろいろな人びとに参加してもらうこと。技術者・建築家・図書館員・IT・都市計画者。市民をはずして考えることはできないだろう。そのプロジェクトグループのメンバーがいろんな図書館に出向いて見学しに行くこと。
・光が多く入ること。
・階段を人の集う場所として活かすこと。
・ただ単に場所を貸すのではない。図書館と市民とがともに活動をするのだ、という姿勢。
●その他
・図書館員に新たなに必要とされるのは、人と本・情報との間に入るファシリテータとしての役割。本・資料が好きなだけでなく、複雑な問題を創造力を持って変革をおそれずマネジメントしていける能力が必要。
・ペーザロの図書館は、自分が退任してから、ソーシャルな性格がだいぶ失われているようだ。ちがう図書館になってきている。場所も必要だけれど、その中働いている図書館員が人びとを受け入れる姿勢を持つことが重要ではないか。
・日本に来たらみんなにツタヤのことを聞かれる。
・カフェと図書館と本屋の機能の組み合わせについては、図書館が主体であるべき、図書館の側からそういう組み合わせの提案が出てきてほしい。
・ツタヤの図書館では、本を持ったまま居眠りしているホームレスの人をどのくらい受け入れてくれるか、という問題。これが気になる。図書館が好まれる理由で多かったもののひとつが、お金を払わなくても一日中いられる居場所だ、ということ。課金されない、というのは現代において非常に重要な図書館の機能である。
・行政が公共事業を”やるのがめんどうだから”民間企業に任せる、というのは危険であろう。だが、旧来のあり方に固執するのもまたよくない。