名古屋大学さんで開かれた職員向け研修「知る・識るワークショップ」(2013.8.23)に講師として参加してきました。そのことにからんでちょっと書きます。
このワークショップは、名古屋大学の大学職員をメインターゲットにした研修企画で、当日は事務職員・図書職員のほかに、院生さん、教員の先生、URA部署の先生などが参加されてました。全体で15-16人くらい。名古屋大学図書館内のラーニングコモンズでディスカッション・イベントを開く、的な感じでやってました。
テーマは大学における「研究支援」ということで。
あたしと、もうひとり金沢大学の方がURA活動の報告をなさってました。
あたしのプレゼンは↓こんな感じ。
タイトル
「図書館の”研究支援”は国境を越えるか?」
概要
・国際日本文化研究センターにおける研究協力活動
・海外の日本研究者・学生の実際
・海外の日本研究と、それを支援する図書館の機能
・海外における日本研究の退潮傾向と、デジタル不足
・大学/図書館は、誰をどう支援すべきか、それによって何がもたらされるか
いままであちこちで書いたりしゃべったりしてきたことのまとめ的な30分でした。
というよりはむしろ、先に下の2つで書いたこと&しゃべったことっていうのは、そもそもこの「研究支援について話してください」というオファーを受けたことがきっかけで考えたことの産物なので、この名古屋大学企画のほうこそが自分にとっては”母なる泉”みたいなもんです、ほんとは。
・江上敏哲. 「図書館はなぜ“支援”するか」. 『大学出版』. 2013.7, 95.
http://www.ajup-net.com/daigakushuppan
・京都府立総合資料館. 「トークセッション「新資料館に期待する」」. 2013.
http://www.pref.kyoto.jp/shiryokan/50shunen_talk.html
で、ここまでは前座。
この企画のメインは(たぶん)後半のグループディスカッションです。参加者全員が2班に分かれて、”研修支援”についてフリーにディスカッションしあう、という感じの企画でした。
中でも、「秘書のおばさん」という語句(註:ジェンダー的にちょっとあれな語句ですが、前半の講師が提唱したもので、本記事でも「」付きでそのまま使用します)が、今回のひとつのメインなキーワードだったなあと思うので、そのことにからんで大学事務(図書事務含む)についてちょっともにょもにょ考えてました。
以下、実際にそういう話があった、というよりは、自分なりの考えを中心として記事にしてますという感じで。
教員サイドとしては、とにかく事務に割かなければならない時間が多すぎてどうしようもない。書類を書かされたり、修正させられたり、そのための準備をさせられたり、重箱の隅をつつきまわされるような対応をされたり、そういうの。
そういうとき困るのは、ちょっとしたことがわからないときに、ちょっとすぐに聞ける人がいない。ちょっと教えて手伝ってほしいことがあっても、世話してくれる人がいない。前回の書類はどうだったの、何か文例やサンプルはないの、なぜこの書類はよくてこの書類はダメなの、そういったちょっとしたことのアシストがされなくて、その積み重ねが膨大な事務作業の手間となっている。
その解決のため、かつては「秘書のおばさん」があちこちの学科や研究室にいた。教員・院生・学生たちのすぐそばに、ローカルな存在としてそこにいて、機能してくれていた。その人に頼めば煩雑なことをやってくれるし、ちょっと尋ねれば不明な事務要領なんかもすっと教えてもらえた。
いまもまだそういう人がいるところもあれば、もういないところもある。もちろん元からいなかったとこもある、文系は特にそう。
で、どうなっているかというと、事務の組織や業務が、統合化なり一本化なり効率化なりされて、距離のあるところに存在している。すぐそばでもローカルでもないから、ちょっとしたことを聞いたり頼んだりできない。だから、わからない、情報や要領が得られない、何をするにも時間がかかる、研究時間・教育時間が割かれていく。
そんなんだったら、「秘書のおばさん」がいてくれるほうが、よっぽど助かる。
ちなみに、この話を聞いたとき、ちょっとびびったです。だってあたしの勤めるところの先生たちなんか、そういうちょっとしたことをガンガンきいてくるし、あたしらももりもりアシストしていくし、それどころか向こうからきかれる前にこっちから「せんせ、これどうすか」って出しにいくし。そうでもしなきゃ、四方八方の海外から来る先生たち迷わせるだけだし。でも、ああそれは環境の違いなんだな、たしかに、大規模大学ってこうだったな、すっかり忘れてたよ、ていう。その忘れ具合にびびった、ていう。
で、この「「秘書のおばさん」がいりゃよかったのに」系の考えに対しては、まあ反論はいくつもできると思うんです。というのも、なんだかんだ言っても結局仕組み化されてない以上、「秘書のおばさん」のもたらす益はその一時のその場所のものでしかないわけですし、残念ながら。
例えば、「秘書のおばさん」は、持てるところ(学科・研究室)と持てないところがある。全学のどこにも確実に等しく支援ができるように、統合的な事務組織や機能があるんだ。的なの。
「秘書のおばさん」の支援は、あくまで個人的経験や個人的力量に裏付けられているだけだろう。いつ、誰が、どんな種類の業務を支援するのであっても、確実にそれが可能になることを保証しないと、的なの。
そもそも、それぞれで「秘書のおばさん」を抱えられるだけの体力はいまの大学組織のようなところにはないし、コスト的にムダである。だから一本化なり効率化してるんであって、的なの。金も人も時間も足りないんだから、的なの。
それはまあ確かにそうだろう、と。
だから「秘書のおばさん」的あり方まで時計の針を逆戻りさせることは、まあムリな話でしょう。いまからは。
けど、「時計の針を戻せない」からと言って、「秘書のおばさん」的なあり方が実際に生んでた効果・益やその解決法を、頭から否定したり、無視したり、ありえないものとしていま現在のやり方に固執したり、ましてや、無い無い(笑)的な嘲笑、文句あるなら金とってこいよ的な逆ギレ。そういう様子をちょいちょい目や耳にすることがあるけど、そっちのほうこそ無いよなあ、て思うです。それはたぶん「戻せない(or戻さない)」ことへの自己弁護の類なんだろうし。
かといって、「秘書のおばさん」ならできてたんだから、復活させろ、元に戻せ、っていう強弁も、それはそれで同じくらい無いだろう、と。願い事ひとつ叶うならあの頃に戻りたいって言っても無理だろうし。あと、うちは自腹ででも置く、っていうのも、それはそれで根本的な解決にはなってないし。←実際これ少なくないんでしょうけど。
そうじゃなくて、いまの事務組織や機能のあり方があります(そうじゃないとやってけません)、っていう前提があるとして、じゃあその上で、その中で、かつての「秘書のおばさん」的なあり方によって生み出されていた効果・解決法を、多少なりとも再現させる、似たものを実現させる、ていうことを考えられないのかな、って、あたしなんかはぼんやり思うんです。
こっちがあったうえで、そっちをも、ていう。そりゃだって、こっちの上でそっちも、ていう方法が超絶的不可能ってことはないだろうし。ましてや、こっちの上でそっちをも実現させるってことを、やっちゃいけないって誰が決めたわけでもないし。検討はしないよりもしておいたほうがいいわ、って誰か言ってたし。
ていうようなことをみなさんのディスカッションをききながらなんとなく考えてて、そのときにいくつか浮かんできたイメージが。
1つめ。大きな総合病院で導入されてきてるという総合診療科的なの。最初にそこに相談に行って、診てもらって、適切なところに振り分けてもらう、ていう。大規模大学の大規模事務組織のどこの誰か顔も分らない担当者をユーザひとりひとりが探すコストかけるくらいなら、ここに行ってこの人に最初に相談したらいい、ていう。URA的なのがそうかもしんないけど、そうじゃなくてもっとこう、敷居の低いというか、炉端的なというか、総合的な「秘書のおばさん」的なの。
2つめ。昔MSXっていうパソコンがあったですよ、何をオッサンホイホイ的なこと言い出すんだと思われるでしょうけど、あったんです。それで10年くらい前だったかな、なつかしいそのMSXのパソコンを、windows上で再現できますよ、ていうソフトがムックになって発売されたですよ。あたしその時初めて「エミュレータ」ていう言葉を知ったです。ああなんだ、エミュレータのことかよ、と思われたですよね、うん、エミュレータです。いまの事務組織に、秘書のおばさん的機能を、エミュレートする。ていうことをぼんやりイメージしたです。
乱暴な言い方をしてることを承知であえて言うと、病院やMSXにできて、大学にできないことはないだろう、ていう。
で、たぶん、日本なり世界なりの大学の事務のあり方や機能や事例や小技なんかを探せば、少なからずそんな事例どこぞにあるんじゃないかなって。
申し訳ないことに、いますぐ自分に具体的な良案があるわけでもないし、事例がどこぞにあるかって知ってるわけでもないんですけど。
でも、それを考えることと、探すこと。いや、ちょっとやそっとで解決するようなことじゃないだろうから、じゃあ、それでもそれを考え続けることと、探し続けること。
言ってみれば、覚悟を持って考え続けること、探し続けること、その行為・姿勢そのものが、大学運営であり、研究支援なんじゃないか、ていう。
そりゃ「無い無い(笑)」で片付けてりゃそっちのほうがずっと楽なんでしょう、でも、考え続けるという覚悟なしにそれで済ませちゃうんだったら、大学事務なんかべつにマニュアル+バイトだけだってまあまあやってけるだろうし。実際、それに似た仕組みになりつつあるんだろうし。
ていうところまで考えました、ていう話です。
いつものように、答えはないです、すみません。
おわびのかわりに、その他のトピックのメモ↓。
・学内の学科や研究室のあちこちに、まったく手つかずで未整理なんだけど研究資源としては貴重でユニークにちがいない、本とか文書とか記録みたいなものがたくさんのこってる、なんとかならないだろうか、という話が出ました。これはだから、従来型の図書館機能の徹底・充実が望まれているということでしょう、なんだかんだいったって研究支援の基本に立ち返ればそうなるだろうな、ってことは深くうなずける話だと思います、そこがあってこその、それ以上のあれこれ、ていう。
・2-3年でのルーチン異動を、事務職員も「やめて」、図書職員も「やめて」、教員も「やめて」、院生も「やめて」、管理職の人も「やめたい」、って言ってた。あれ、マジで、誰が何の利益を生みたくてやってんのか。それは納税者に説明がつくのか。
・自分の名前で戦える事務員(司書)になろう、ていう話。
・大学事務職員の高学歴化と、高倍率化(人気職化)について。それがもたらす、約十数年後の大学運営の変化について。
・JSPSの書類チェックは(略)
・伍味酉はたくさんの種類の名古屋名物をいっぺんに楽しめるコストパフォーマンスの高い居酒屋。
・名古屋駅の豊橋方面行き在来線のホームにある住吉は、あげたての天ぷらが出るきしめんや。
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