2014年03月31日

(報告)文化資源学会で春画資料を展示@日文研


簡単な報告ですが。

去る3/28 、日文研で文化資源学会の春画展示研究会が開催されまして、その参加者を主たる対象としてうちとこの春画資料の展示を行ないました。

参照
大英博物館・春画展への”はじめてのおつかい”
http://egamiday3.seesaa.net/article/376964225.html
大英博物館特別展:『春画−日本美術における性とたのしみ』
http://agrospacia.com/article/00078/
文化資源学会 春画展示研究会
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/acr/shunga.html

春画資料につきましては、大英博物館で大々的に春画展が開催されたこと。一方で日本国内では開催のめどが立たなかったこと、など、上記参照のようにいろいろありましたし、こたびもいろいろありましたが、今回こんなふうにして実施例のひとつを積めたことは、すげえよかったな、って思います。
研究会参加者数十人を主たる対象として、閉じたかたちとしての、という但し付きではあったにもしろ、まあそれでも、展示陳列ということがなされたわけです。ケース約10台分、20数作品、点数で70-80くらいでしょうか。

あたしは春画はそんな得意じゃないというかむしろ苦手な部類ではある(どぎつい・・・)のですが、春画資料を展示しよう、展示したい、っていうときにはそれが支障なく歓迎して行なわれるような世の中であってほしいと願う者でありますし、そういうふうにするつもりの者です。

それにしても、ふだんから業務上ちょいちょい取り扱っていつも見てる資料でしたけど、それでも、ああやってちゃんとした展示ケースの中に、ひろびろと、かつ整然と並べてみると、雰囲気がぜんぜんちがって見えるんだなあと。
しゅっとしてる。パリッとして見える。あおきかはるやまかフタタに見える。
デジタルで画面上で拡大して見る時とも、書庫内でせせこましい姿勢で確認する時とも、閲覧机でバラバラに見る時とも違って、展示ケース・展示室の魔力、みたいなものってあるんだなあと実感しました。

あと、あたしは正直「資料は利用されなきゃ意味がない」説を100%手放しで信奉してるたちでもあまりないのですが、それでも、たくさんの人たちから見られてる、見てもらえてる春画資料たちがいつもとちがってほんとに活き活きとしてるというか、なんかもう喜んでるふうに、薄く上気してるようにすら見えてきて、見てもらえてよかったねえ、と、軽く目頭が熱くなるおもいがしたことですよ。書庫にただ居るときのただののぺっとした資料面とはちがう。
人は居るべき場所に居るべきだし、あるべき場所にあるべきだなあ、と思たです。

あとは余談ですが、展示してるのを見るといつものどぎつさが若干軽減してるっぽく見えて、ケースのガラスを通してノイズがキャンセルされたとかなんかなと思ったり。
あとやっぱり春画って、ふつーの浮世絵より上品にこだわりもって手間暇も技術もかけて作ってるんだな、というのは納得しました。まあそういうのを買ってる/そういうのが残ってる、ということかもしれませんが。

そんな感じです。
posted by egamiday3 at 08:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする