(1) おいたち:『群書類従』はどういう経緯で誕生したのか
★(2) 評価: 『群書類従』って実際すげえのかどうか
(3) JK: 『群書類従』がJapanKnowledgeに入ったら何が起こるのか
たしかに当時としては類を見ない画期的な偉業だったかもしれないけど、我々から見て、現代的な視点で、どんだけ”つかえる”んだと。どう評価していいのかと。
実際「群書類従・・・え、どう使うの、ていうか使えるの?」的な評価はどこまで妥当なのか、と。
まず、そもそも何が収録されてるのかというところからですが。
『群書類従』は、正編で約1300著作、続編で約2100著作が含まれてます、あわせて3400。
一応「古代から近世初期まで」をカバーとなってますけど、平安時代が30%&鎌倉室町で65%といいますから、実際はほぼ「平安・中世」という理解でいいんだと思います、そのころの日本国内の著作が3400と。当時収録できた文献はほぼ網羅してるだろう、って言われてます。
で、編纂方針として「3巻以下の小部の著作に限定した」とあります。大部なものはまあなくなるってことはあまりないだろうけど、小部のものは散逸しやすいので、という理屈です、だから、例えば「源氏物語」は入ってないけど「紫式部日記」は入ってる、みたいな感じ。
それが、25部に部立・分類されている。ここがややポイントで、ばらばらにつっこまれてるわけでも、時代順とかアイウエオ順とか著者の身分でわけるとかじゃなく、内容によって著作が分類されているということ。
神祇・帝王・補任・系譜・伝・官職・律令・公事・装束・文筆・消息・和歌・連歌・物語・日記・紀行・管絃・蹴鞠・鷹・遊戯・飲食・合戦・武家・釈家・雑
「国学の体系を史料によって示した、百科事典の一種」(小林健三)ていう言い方をされてますけど、当時の日本国内の著作がほぼ網羅されていて、それを内容で分類したっていうことは、「我が国における文献世界=学問の体系っていうのは、こういうふうに”地図化”して描けますよ」ということ。「混沌としてるわけじゃなくて、全体像を”把握”できますよ」ということだと思います。
その描き方が合ってるかどうかは別としても、学問=文献の全体像を把握・理解しようとしてた、ということなんだと思います。
じゃあそれだけたくさんの著作をどっからどうやって集めてきたんだと。
各所に散在し、個々で秘匿・非公開にされてる文献を、保存・公開するんだ、ていうのが『群書類従』のそもそもの趣旨ですから、つまり、各地へ出向いて個々の文献を見せてもらって、それを書き写しては集める、ということです。(1)でもお公家の記録・日記を書き写し集めてたっていう事業がありましたけど、そういうことです。
場所は、江戸・名古屋・伊勢・金沢・京都・大坂、とにかくあちこち行く。塙保己一自身も、60歳を過ぎてもなお何度か関西に文献調査に行ってるっていうバイタリティ、コンピューターおばあちゃんみたいですね。
所蔵元も、幕府の紅葉山文庫とか、神道の大ボス・伊勢神宮とか、水戸藩・彰考館のような権威あるようなところもそうだし、そうでなくても各地各所のお公家、武家、神社仏閣で所蔵されてるものもそう。特に門外不出のやつとかそれ一冊しかない孤本的なやつとか。
そして、(1)の最初のほうで紹介しましたように、塙保己一の幅広い分野・身分にわたる人脈、当時の学問・文化人ネットワークがここで効いてくるわけなんですけど、師匠の持ってる本、知人・隣人・蔵書家の持ってる本、弟子・門人が持ってる本、そういうのも『群書類従』にはたくさん収録されてるわけで、例えば塙先生の筆頭的な弟子に屋代弘賢という人、彼も結構な国学者・蔵書家だったんですけど、あたし何の意味もなくただの手すさびで「屋代弘賢」を『群書類従』本文検索してみたことがあって、そしたらめちゃめちゃたくさんヒットしたから、あれなんで、この人の名前なんか本文中のどこに書いてあるのってよくよく見てみたら、各著作の末尾に「この著作は屋代弘賢の蔵書を底本にしました」って書いてあるのが山ほどヒットしてたっていう、そういう感じです。
えっと、まあ能書きはいいや、具体的にどんなのが入ってるのかを例えばで見てみると。
例えば『梁塵秘抄』。これ、日本史なり古典の文学史なら必ずといっていいほど出てくる書名で、大河ドラマで清盛やってたときもしょっちゅう歌われてました「あそびをせんとやうまれけん」のあれですけど。
これ、実はとうの昔に失われてて、江戸時代にはもう知られてるのは書名だけで実際の作品は残ってないっていう状態になってたんですけど、それをこの『群書類従』はどっからかみつけてきて収録してると。けどそれも、作品本文じゃなくて「口伝集」ていう解説テキストのほうの第10巻だけがやっとのことで収録できた、っていう状態だったみたいです。その後、明治になって佐佐木信綱先生あたりが発見して、まあそれでもいま残ってるのは第1巻の一部と第2巻だけ、みたいなあれなので、そういった意味では現代から見ても『群書類従』さんちゃんと拾ってくれたのすげえ、てなる。
あと『作庭記』っていう、平安時代に書かれた造園の秘伝書があります、日本庭園の古典なので庭園研究のためによく使われるし、特に日本庭園って海外でも興味持つ人多くてそのために研究・参照もされるような文献なんですけど、これが、江戸時代まではその存在をまったく知られてなくて、『群書類従』に収録されることで世間にその存在が広く知られるようになったみたいです。師匠の宗固先生が持ってた写本から収録しました。後年発見された原本は重要文化財に指定されてます。
いや、それどころか。
いま現在ですでに底本・原本が失われているか見つかっていなくて、『群書類従』でしか読めなくなってるっていう本も、そこそこあると。
例えば、あたし今回の勉強のためになんとなく書架前に立って、なんとなく『群書類従』1冊手にとって、たまたま目にした室町時代の古記録が、いやもうそれ『群書類従』内にしかないよ、ってなってるという。
あと『国歌大観』あるじゃないですか、日本の和歌集を網羅収集してるっていう、あれも何となく1冊手にとって、ぱらぱらめくってたら、「この和歌集は『群書類従』にしかないです」みたいなのが3つ4つ簡単に見つかる、っていう。
あ、やばい、これ相当あるな、って。1冊見つかったら30冊はあるなって。
ただまあ、珍本・奇本の集まりですよってわけではなくて、例えば『北野天神縁起』なんか逆に、本文が山ほどでまわってて、中身があちこちで書き換わってて、絵巻バージョンもあれば絵本バージョンもあるみたいなやつなんだけど、そのなかでも流布本としてある程度固定したテキストを載せてる、ていう評価がされてるみたいで、だからまあ”ちゃんと選んでる”んだなってことは言えると思います。
あと、いいことばかりではもちろんなくて、後醍醐天皇・建武政権の記録として『建武記』というのがあるんだけど、これなんかは国史大辞典さんに言わせれば、「誤字脱字が多いから、大日本史料とか日本思想大系のほうの本文使ったほうがいいよ」みたいなこと書いてあって、ああそういうこともあるねと。
これはよく言われることですが、実際この『群書類従』に対する研究者の評価は「群書類従・・・んー、本文(テキストの正確さ)がちょっとねえ・・・」みたいなのが大半だと思います。
もちろん現在だって評価は高いです、各種参考図書や学者の大先生のみなさんの評価から抜き書きすると。
国史大辞典「この叢書の刊行によって稀覯書の散佚が防がれ、諸書が容易に見られるようになったことは大きな功績である」
平安時代史事典「広範囲にわたる書物が容易に見られる功績」
日本国語大辞典「流布本を避けて善本を精選した貴重な資料集」
佐佐木信綱「鎌倉・足利時代の書物で、群書類従によって一般の学問界に伝えられようなものが少なくない」
川瀬一馬「近世に於ける最も注意すべき文化活動である」
坂本太郎「群書類従ほど広い分野にわたり必要欠くことの出来ない書物を集めている叢書はほかにない」「同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜がある」「その後に出た同類の叢書の模範になった」
ただ、その反面で「底本・校訂に問題」があるというのも同じくよく言われてしまってると。
坂本太郎「校訂にもの足らぬ所はあるにしても、同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜はその欠点を補ってあまりある」
国史大辞典「所収書の底本の不十分さ、底本の本文と対校本の本文とのすり替えによる混乱」
平安時代史事典「今日の時点からは、底本選定や本文批判等に問題が少なくない」
日本古典文学大辞典「今日から見れば文献の書誌的検討や本文批判に不備を認めるべきものも少なくない」
『日本中世史研究事典』(1995)という歴史学を学ぶ学生院生のための研究便覧みたいな本があるんですけど、そこにははっきり「『群書類従』『史籍集覧』もよく用いられるが、いかんせん刊行年代が古く、ただちに従えない本文によっているものが多い(ことに『続群書類従』はその傾向が強い)。」と書かれている。
これはしかたのないことで、『群書類従』が刊行された”その時点”では良い底本が選ばれ良く校訂されている、という評価であっても、時代が下がればそれだけ新しい本も出るし複写技術も上がるし校訂もよく練られるしで、”後代から”見上げれば「甘い本文」っていう評価になっちゃうのは不可避だと思います。
じゃあ実際使ってる人はどんなふうに使ってるんだろう、話聞きたいなあ、って思うじゃないですか。
でも、残念ながらうちとこの職場って、キャラ的に、そんなに誰も彼も『群書類従』使ってるってわけでもないんで、じゃあっていうんでネットをちょこちょこっと探してたんです。
そしたら、いわゆる”Q&Aサイト”の類に『群書類従』の使い方をコメントしてるようなのがあって、あ、これはいい、と。これはだいぶ生の声に近いんちゃうか、というのがあったんで、ちょっと紹介しますね。
最初のおたよりは、匿名希望のYahoo!知恵袋さんです。
「大学で日本中世史を専攻している者です。」
http://bit.ly/1nD2fTE
質問
「日本の礼儀について、武家・公家の歴史を探りたい。参考文献をうまく探せないんですが、どう探したらいいでしょうか」
回答
「「群書類従」なんかを見るのがいいんじゃないですかね。これを読めば、公家の作法や武家の作法(戦闘時)の流れが、漠然と掴むことができます。」
なるほど、平安中世の国書がひととおり集まってくれてる『群書類従』の、このへんからこのへんまでをざっとひととおり目通しして(”めくり”と言うらしいですね)、どこにどんなことが書いてあるかをざっくり把握する、それだけでもおおまかな流れというか全体像の把握は理解できるだろうなと、たぶんこういう使い方をしてきた人は多いんじゃないかと思います。
続いてのおたよりは、匿名希望のOKWaveさん。
「卒論における活字史料について」
http://bit.ly/1nD3su7
質問
「活字史料(『国史大系』『群書類従』など)を卒論にそのまま使うと、”孫引き”扱いになるのでしょうか? 原本や写本などは全く手元にないのですが」
回答
「卒論レベルでは「孫引き」にはならないと思いますけど、底本は明示すべきです。」
「今後研究を続けられる際には必ず原典にあたりましょう。早晩「閲覧不許可」という、でかく厚い壁にすぐにぶち当たることでしょう。」
まあそうですね、卒論レベルなら『群書類従』の本文そのままでもそない怒られることはないと思いますけど、院生から先は原本か、無理でも影印本とか別の本文あるだろうっていうのは確認せんとあかんと思います。ただ、じゃあ原本見せてもらえるかというとそれがまたひと苦労だったりするので、だからこその『群書類従』だと思うんですね。
そういう『群書類従』の「そのまま使うのはあれなんだけど、アクセスはしやすい」というキャラは、例えばこんなところからもうかがえます。
『日本国語大辞典』といえば国語辞典の大ボスですけども、各項目にはその言葉が各時代の文献の中で実際どう使われてるかという”引用文”が載ってますね。それをどういう基準で選んだか、というのが『日本国語大辞典』の凡例にこういうふうに書いてあります。
第1巻「凡例」「出典・用例について」
「底本は、できるだけ信頼できるものを選ぶように心がけたが、検索の便などを考え、流布している活字本から採用したものもある。」
そう、テキストの信用第一はわかってはいるものの、それでも、これを読む人が検索・参照・アクセスしやすいほうがいいだろうというものについては、という理由で『群書類従』を底本に選びましたっていう作品が、文献リストのあいうえお順を頭から見ていくと結構な頻度で出てくるんですね。
アクセスしやすく。
参照しやすく。
文献をオープンにしてくれたこと。
出版物として整備してくれたこと。
ここが、おそらく当時から現代まで共通して評価できるところ、『群書類従』の持つ意義としていいところ、じゃないかなって思います。
(1)で紹介した当時の塙保己一の、幕府に「土地貸して」ってお願いしたときの願書です。
「近来文華年々に開候処、本朝之書、未一部之叢書に組立、開板仕候儀無御座候故、小冊子之類、追々紛失も可仕哉と歎か敷奉存候」
「近年、国学とか流行りじゃないですか、でも日本には中国みたいな”叢書”がまだないし、写本の状態のままで出版・公開もされてない。これだと、特に1冊2冊の少部数の本ってなくなっちゃいますよね、アカンでしょうそれ。だから『群書類従』出版のために土地貸してくれません?」
国書へのニーズが高まっているのに、その国書が公開されてないばかりか、保存できなくなるおそれがあると。
ニーズを持つ「読者」と「書物」とを結びつけるためには、書物の「公開」と「保存」が必要だと。
その「公開」+「保存」を実現するために、「叢書」を「出版」する必要があるんだと、塙保己一はおっしゃってる。
ということだろうなと思うんです。
「出版」という当時のメディア活動によって、「保存・複製すること」と「アクセスの障壁をなくすこと」の両方が可能となります。
逸失するおそれがあるもの、写本でしか存在しないもの、それ1冊しかない天下の孤本。
そういったものを文献調査によって探索し、発掘する。
それを、自分用に書写するだけならそれまでも個人レベルちまちまやられてたんでしょうが、そうではなくて、出版という複製・流通によって、社会全体レベルにおける保存を確実な物にする、ということ。
これは、いま現在ですでに『群書類従』にしか残ってないものが少なくないという現実から、塙保己一の予想と対策は(残念ながら)当たっていた、ということになります。
出版という複製・流通によって、「保存」と同時に「公開」も可能になりますので、アクセスの障壁がなくなるということになります。
それまで個々の公家・武家・寺社等が秘蔵していた書物が、出版(publish)によって、公共(public)に提供される。存在自体が世に知られる。閲覧と参照、相互批判も可能になる。
しかも大田南畝が書き残していた広告文のように、予約受付が宣伝されていたということはつまり、武家なり一部のエリートに限った公開じゃない、民間の町人にも頒布していたということでもあって、そこの障壁もまた取りのぞかれていると。
このあたりの様子を熊田淳美さんは三大編纂物云々の本(http://www.amazon.co.jp/dp/4585032215)で「壁のない図書館」という言葉を使って表現しています。
もうひとつ、「叢書」として集大成のかたちにしたことも、「出版」と同じくらい重要なことだと思います。
それまで各地に個々でバラバラに存在していた文献・著作を、ひとところに集積するということ。しかもそれを内容で分類・整理すること。
これによって先述のように、「我が国における文献世界=学問の体系っていうのは、こういうふうに”地図化”して描けますよ」、と。「混沌渾然としてるわけじゃなくて、全体像を”説明””把握”できますよ」、と。
というのも、この「出版」というメディア活動にしろ、「叢書」のような知識の体系化にしろ、これは『群書類従』だけが特別に起こしたというわけでもなんでもなくて、当時の時代、っていうか日本だけでなく世界全体で似たような流れって多かれ少なかれ起こってたものでしたよね。
っていう、ちょっと風呂敷の大きな話にひろげていきますけど。
「出版」その複製技術と流通によって、知識・情報が大量生産されていきます。コストが下がり、社会に普及していきます。
社会に普及していくことで、閲覧・参照が容易になります。知識・情報が”かたち”として、しかも複数残ります。ということは、見知らぬもの同士が”かたち”ある文献・情報を共有して、それにもとづいて互いに検証し、批判し、議論しあうことが可能になります。これって”科学”の基本的な姿勢だと思うんです。
そういう科学的姿勢で学問にのぞむための文献が、出版によって低コストで社会に普及することで、それに荷担する人の層が増える、分厚くなる。一部の限定されたエリートだけがそれをできるというわけじゃなくて、身分を越えて交流する文化人がうまれ、のちのち”国民”というもの全体にひろがっていく。
なるほど、「出版」というメディアの変化が、社会の近代化を引き起こしましたな、っていう。
これはもう、グーテンベルクからこっち続いてきた流れみたいなもんですけど。
「出版」というメディアの近代化と同時に、知識・学問の近代化も起こる。
それが、出版によって編まれるようになった、叢書・文庫、百科全書や博物誌の類だろうと。
江戸でもパリでも清国でも、本草博物の類、百科全書の類、叢書文庫の類が生まれる。
それまでの、個別で混沌で把握できないものの集まりでしかなかった知識・情報が、分類され、組織化され、体系化されることで、アクセスも容易になるし、ネットワークとして互いに連携することができるようにもなる。
というか、そうしたい、混沌渾然の状態から脱して、全体を把握(grasp)できるようになりたい。そういうニーズが社会にうまれたから、そうしたんだろうな、って思うんです。
そうやって考えてみれば、『群書類従』っていうのは、うん確かに、塙保己一大人の類い希なる天才的な頭脳と熱意と手腕があったからこそっていうのはもちろんなんですけど。
まあ、これ、この時代に出るべくして出たな、『群書類従』って、とは思うんです。
『群書類従』にもどってまとめます。
『群書類従』はどう評価できるか、どこにメリットがあるか。
「本文としての品質・正確さ」「文献それ自体の現代における価値」については、残念ながら《もう少しがんばりましょう》を付けざるを得ない。『群書類従』を孫引きして許されるのは学部生レベルまでだよね、と。
ただ、それさへ注意しておけば、使うメリットはたくさんあります。
「文献が残っていること」という保存の効用については言を俟たない。日本古来の書物が「網羅されていること」ももちろん。
それが版本化され、活字という状態にまでなって「読みやすく整備されていること」も実感できるメリットだと思います、どこの図書館に行っても本棚の前に立って簡単に手に取ることができるという「参照・アクセスのしやすさ」。しかもそれがあちこちバラバラになってるのではなく、叢書というかたちで「ひとところに集まっていること」。
叢書の効用は集まっていることだけではありません。部立てで「分類・整理されていること」もそうですが、第何巻のように「連番が付与されていること」って実は結構大きいメリットだと思うんです。『ほにゃららの記』?何それ聞いたことないよ?というような文献でも、『群書類従』第何巻の第何番の、という固定アドレスがついてくれることによって、ああはいはい、ってなる。ああはいはい、って見知らぬ者同士が理解を共有できるということは、誰にでも検証・批判が可能という科学的姿勢につながってくるわけですし。
もうひとつ、叢書には「区切りをつけてくれること」というメリットもあって、つまり、とりあえず『群書類従』のここからここまでをひととおり”めくり”読みきれば、全体を把握したものとして一区切りをつけさせてもらえる、っていう効用。区切りがあるから、通読ができる、ていう「函」の効用。「函」については和田先生の『読書の歴史を問う』(http://www.amazon.co.jp/dp/4305707365)でも問われてましたけども。
まあそういう感じで、語句・テキストの正確な確認は別途必要だとしても、ある程度網羅的に収録されている文献に、容易にアクセスできて、参照してみて、通読してみて、全体的な体系の中で、あれはこの文献のこのへんにあるな、これについてはこういう流れだな、というような「”あたり”をつけられること」=「レファレンス」には向いている存在なんじゃないかな、というふうに思います。
以上挙げたメリットのうち、
「ひとところに集まっていること」
「参照・アクセスのしやすさ」
「”あたり”をつけられること」=「レファレンス」
の界隈が、どうやらJapanKnowledgeに搭載されることでより強力になるっぽいよ。
という話に、たぶんなります。
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