2017年03月04日

研修事業 #2017年の本棚の中のニッポン

 海外の日本研究司書(ほか研究者等の日本専門家)を日本に招いて、日本資料・情報に関する研修をおこなう、という類の事業がいくつかあります。そのことをざっとまとめて、考えたことを書きます。

 NDLさんがいまおこなっている「海外日本研究司書研修」。

・海外日本研究司書研修
http://www.ndl.go.jp/jp/library/training/guide/1211059_1485.html

 これは、元をずっとずっとたどっていくと、最初におこなわれたのは1997年2月(H8年度)のことで、当時の名前は「日本研究上級司書研修」。当時はJFの招へい事業で、NDL、国際文化会館、NACSIS(当時)の協力によるという。それがその後、名前を「日本研究司書研修」、
日本研究情報専門家研修」、「日本専門家ワークショップ」などと名前を変え、主催者や共催者も、内容や対象ややり方や開催地も代々で変わっていき、今に至る、っということになるとこれはちょっと「おなじものをたどった」ということにしていいかどうかも迷う感じになりますね。

 元プリンストンの牧野さんが、日本古書通信でしばらく連載してはった記事の中のひとつに、この研修の第1回の様子を書いたものがあります。

・牧野泰子. 「日本研究上級司書研修」. 『日本古書通信』. 2016.6, 81(6), p.15-17.
第1回研修の様子。内容は、JAPAN/MARC、J-BISC、NACSIS-IR、JICSTのJOISなど。開催に向けて小出さんが関係各所への交渉・調整に奔走した様子などもあり。

 それから、天理大学・山中先生のご尽力による、古典籍ワークショップというのがあります。

・山中秀夫. 「「天理古典籍ワークショップ」及び公開シンポジウム「本の道」について(概報)」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2007, 128, p.103-99.
・山中秀夫. 「「天理古典籍ワークショップ」及び公開シンポジウム「本の道」について(報告)」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2008, 129, p.141-128.
・山中秀夫. 「「天理古典籍ワークショップ2008」及び公開シンポジウムについて(報告)」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2008, 130, p.126-114.
・山中秀夫. 「和古書目録担当者研修について : 天理古典籍ワークショップを終えて」. 『ビブリア 天理図書館報』. 2010, 133, p.102-87.
・山中秀夫. 「天理古典籍ワークショップPhase2を終えて」. 『ビブリア. 天理図書館報』. 2013, 140, p.95-80.

 海外の研究者・司書に和本の目録・取り扱いの実践的研修を行なうもので、1度目は2007-2009の3年連続、2年目は2013年。ビブリアの記事によれば、1度目実施後、受入体制や費用助成の問題から実現しなかったんだけども、2011年EAJRS総会で海外側実行委員会メンバーから要望が出され、2度目に至る、ということだそうです。
 そうそもそもなんですが、この研修事業では、海外の司書等専門家からなる実行委員会と、日本側の事務局メンバーとが、コラボレーションで進めていたんだな、ということがわかります。主催は実行委員会でそのメンバーは、英2・米・独2・日2という構成。助成は、国際交流基金、Sasagawa Foundation(英)、図書館振興財団。
 もうひとつ、研修後に受講者によって「在外日本古典籍研究会 OJAMASG」(http://www.jlgweb.org.uk/ojamasg/index.html)というグループが結成されまして、ディレクトリ的な情報サイトを構築、以降も継続的に活動しておられました。研修が、一過性の非日常で終わるのではなく、ちゃんと研修後もそれなりの継続性をもって、横のつながりが実際に機能して、日常の実益につながっていく、ていう例。

 そして、2014年から3年間、東京国立近代美術館さんによっておこなわれていた、「海外日本美術資料専門家(司書)の招へい・研修・交流事業」、通称「JALプロジェクト」と呼ばれるものがありました。

・海外日本美術資料専門家(司書)研修(JALプロジェクト)
http://www.momat.go.jp/art-library/JAL/JAL2014.html
毎年ワークショップ「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言」を最終日に開催している。

 毎年10人前後の受講者が参加し、応募もそれなりに多かったみたいなんですが、それもこれも水谷さんの積極的な広報・勧誘・調整活動があってこそのことだったように、聞いていますし認識しています。ただ、そういう積極的な広報・勧誘があってもなお、途中で断られたり断念したりという例はあったみたいです。
 そういう意味では、NDLさんで昨年度からやっている海外日本研究司書研修も、昨年度は10人近い受講があったものの、今年は4人にとどまっていました。
 一方で、国際交流基金の関西国際センターさんの日本語研修、私がよくお目にかかるのは「文化・学術専門家日本語研修」のみなさんなんですけど、毎年約20人のかたがいらっしゃってて、にぎわっているのが楽しそうでいいなあっていつも思ってます。

・「文化・学術専門家日本語研修」(国際交流基金関西国際センター)
http://www.jfkc.jp/ja/training/culture-science.html

 もちろんそれぞれで中身も対象も運営もぜんぜんちがうわけですから、ひとからげにして何かを言えるわけでもないし、ましてや主体で関わっているわけでもないのでたいそうなものを言えるわけでもないんですが、でもそういういくつかの例を見ていると、こういう研修のニーズってあるのかないのか、からはじまっていろんなことをぐだぐだと考えてしまうなっていう。
 以降はそういうぐだぐだと考えたことをぐだぐだと書きます。

 ニーズはあるんでしょうか。たぶんあるんでしょう。でも参加者集めが進んでいない例もある。
 ニーズが多様化している説、っていうのはひとつあって、先の牧野さんによる第1回の様子(JAPAN/MARC、J-BISC、NACSIS-IR、JICSTのJOIS)を見ていると、まだインターネットが出始めの頃で本格的なデジタル化の前夜みたいな時って、教えるべき/教わるべきものがわりと定番的だったんだろうなっていうのがありますね。それがいまはインターネットや基礎的なデジタルシステムとかはある程度わかってて当然、そのうえで何か研修しようかと言っても、ツールが多様化してるわテーマが多様化してるわで、テーマを決めたりニーズを把握したりっていうのがすごく難しくなってるんじゃないかなっていう。20年前といまとではプログラム組む難しさがぜんぜん違うだろう、っていう。どういう話が聞きたいですか、っていうアンケートとったらアンケート結果の様相はたぶん20年前とだいぶちがってるだろう、っていう。
 ニーズの多様化には解決法がひとつあるような気がして、いや、日本で日本の司書向けにやってる各種各テーマの研修に海外から参加してもらったらいいなっていう。そういう参加に、支援や助成をする、ということができるとだいぶいい感じじゃないかなと。

 あと、かつてはデジタルであっても環境やサポートやシステム全体がオンライン化してたわけでもなく、なんやかんやでそれを学ぼうとしたら日本に来て教わらないとわからない、っていう無骨なデジタルが多かったんじゃないかと思うんですけど、いまはたぶんそんなことはなくて、スマートにweb経由でサポートされたり教わったりが出来るし、そもそももっとスマートで、別にわざわざ教わらなくてもなんとなく使える洗練されたデジタルがほとんどだろう、と思うので、わざわざ日本に来て研修受けなければという類のものがそうたくさんあるわけじゃないんじゃないか説。

 そもそも、一方的な知識・技術の授受にいまどきの時代どこまで意味があるんだろう、ていう疑問は正直あって。

・E1728「英国・ドイツでの日本研究司書へのレファレンス研修を終えて」
No.291 2015.10.29
http://current.ndl.go.jp/e1728

 JAL2016のワークショップでは、日本の美術司書がピッツバーグへ出向いていって研修的なことと情報交換的なことをしてきましたという報告があったんですけど、そこでも言われてたんですけど、「教えます」というスタンスのよりも、お互いにフラットな立場で情報交換・ワークショップ・ネットワークづくり的なことをしていく場/きっかけをつくったほうが、生産的じゃないかな、って思いますね。それをじゃあ「研修」と呼ぶのかどうかはわかんないけど、呼ぶのかどうかなんか関係ない、別に「研修をやること」そのものを目的としてるわけじゃないだろうと思うんで。

 研修をやることそのものを目的としてるわけじゃないだろう、っていうんであればなんですけど、天理の古典籍ワークショップの例のように、海外側メンバーとともにこの類の研修事業を検討・議論・実施してまわしていくっていうコラボレーション活動をおこなうこと、それによってうまれる空気感みたいな成果。
 プラス、これも天理の「在外日本古典籍研究会 OJAMASG」のように、研修が一過性の非日常で終わるのではなく、ちゃんと研修後もそれなりの継続性をもって、横のつながりが実際に機能して、日常につながっていく。
 そういう、過程や準備、研修のアフター部分の継続性のような、議論・検討段階→準備→企画・募集→研修本体→研修後=提言フォロー+交流継続・次の活動+研修内製、そういう全体をひっくるめてグランドデザインしてかつ活動していく、っていうふうに考えれば、研修における知識技術の授受そのものはその大きくデザインされた中のひとコマだな、っていう感じになりますね。
 そう考えれば、研修そのものの手法が、デジタルなのか対面式なのか、座学なのか実践なのか問題解決型なのか、派遣型なのかどうなのか、テーマをしぼるのかしぼらないのか、ていうのあたりは、あまり本質的な問題ではないんだろうなとも思います。

 それよりは、研修というのは、「知識技術の習得」なのか? 「見聞・交流の機会、脱日常・脱ローカルの機会の提供」なのか? あるいは、研修事業自体が関係者間の連携・協力や活動活性化を促す「触媒」なのか? というのがもっと正面から問われてもいいような気がしますし、あたしとしては3番目推しかなと思いますね。
 1番目の知識技術の習得ならネットでやったらいい、それこそコンテンツとして作り込めるなら佐々木先生@慶應・斯道文庫のMOOCs的なのがよっぽどコスパいいんだろうし。そして2番目も、これ多分コミュニティによってはいまどきはネットやSNSやで意外とまかなえてて、これオンリーで通用する相手ばかりでもないんじゃないか、ていう懸念はちょっとありますね。来日すれば/させればとりあえずなんとかなるだろう、それだけで価値あるだろう、ていうかそれを価値と思いなさい、では「来日搾取」みたいなことになりかねないので。

 ただひとつ気になっていることがあって。
 ゆくゆくは研修を現地で”内製化”する、っていうことがどれくらい意識されてるんだろうかな、っていう。
 つまり、このさきずっと日本の機関が日本国内で提供する研修だけをもって”研修”だとするんじゃなくて、ある程度体力も人員もある国や地域やコミュニティであれば、研修を受け終わった人たちや充分なベテランの人たちが、まだ充分に習得できていない人たちや次の世代の人たちに、研修で得たものをその現地で伝えていく、そういうのをサイクルとしてまわしていく、っていうのがちゃんと意識されてないと、リソースの流れる向きがずっと日本→海外という一方向でしかないというのもキビシイんじゃないかっていう。
 よく、ライブラリアンに世代交代が起こりつつあって、研鑽・育成を必要とする人たちもまだ多い、という話をよく耳にするんですけど、それはじゃあ、世代交代にどう備えよう、ていう話だと思うんですね。
 という話で行くと、下記のような事例かなっていう。

・Tool kit for European NACSIS-CAT members
http://www.jlgweb.org.uk/nacsis/
イギリスの2人のライブラリアンが、ヨーロッパにおけるNACSIS-CATのトレーナーとなるべく、2011年にNIIでトレーニングを受講。2011年以降、実際にヨーロッパの各地・各機関でNACSIS-CATのトレーニングを実施している。

・Librarian Professional Development Working Group (LPDWG)
http://guides.nccjapan.org/lpdwg

・「Junior Japanese Studies Librarian Training Workshop: Overview & Survey Results」 Fabiano Takashi Rocha EAJRS – Berlin 19 September 2012
https://perswww.kuleuven.be/~u0008888/eajrs/happyo/Rocha_Fabiano_12.pdf
・「NCC、若手の日本研究図書館員を対象とした研修の資料・動画を公開」
Posted 2013年3月13日
http://current.ndl.go.jp/node/23072
2012年3月にトロント大学で開催された、“Junior Japanese Studies Librarian Training Workshop”。国際交流基金の支援による。北米、英国、スイス、オランダから24人の若手図書館員が受講。内容はレファレンス、蔵書構築、目録、情報リテラシー、アーカイブ資料など。

 それと関連してもうひとつは、内製化できるところは内製化してもらいましょうよ、なぜなら日本側の研修をおこなうためのリソースにも限りがあるから、と。では、その限られたリソースは誰のために使うのか。つまり、この類の研修の対象者はどういう人たちであると我々は考えるのか、というターゲッティングの話ですね。
 例えば、端的に言うと、そのリソースを向けるべき相手は、アジア地域(その他東欧、南米、中東などなど非欧米地域)で日本資料・情報の提供・利用に携わっている専門家の人たち、それがひとつ重要なんじゃないかなって思います。
 それから、ライブラリアンじゃなく研究者や学生。結局ライブラリアンが専従でいるところというのはむしろ少数派で恵まれていて、ワンパーソンでがんばってはる研究者の人たちが結局は日本資料の管理メンテや入手提供をやってるところも多いだろうなので、そういう人たち。あるいは、今後そういうふうに育ってくれることを期待しての、学生相手っていう。

 そしてもうひとつ、先の2012年トロント大学のワークショップでは「東アジア研究のライブラリアンのように日本語が専門でない人たちに対しての英語の研修が必要」と言われたみたいですけれど、そういう、日本を専門としないんだけども日本資料も扱うという他地域のライブラリアン、あるいは日本資料も必要とする研究者。そりゃそうです、北米だって、日本専門ライブラリアンがどこかしこにもいるわけじゃなくて、東アジア全体を担当する中国・韓国専門のライブラリアンに、じゃあ日本資料・日本情報はどう扱ってもらうのか、ていうことのほうがむしろ切実と言えば切実なわけで。

 ただそうなってくると今度は、日本資料はこうですよ、日本のやり方というものはこういうものですよ、と日本から一方向的に伝えることが、「日本のお作法の輸出」=押し付けになってやしないか、という別の懸念が生まれてきますね。届けるのはお作法じゃなく、リソースやアカデミックな何かだろう、なんで。

 これはもう、研修の話ではなく、「日本研究とは何か?」「日本資料・日本情報の届け先は誰か?」という大きな別の話になりつつあると思うので、ここらでやめます。

posted by egamiday3 at 15:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする