
メディアの中の読者―読書論の現在 (未発選書)
ざっと読んだ。
『読書の歴史を問う 書物と読者の近代』(笠間書院)の原点なんだなと思いながら読んだ。

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代
以下、メモ。
・第4章「読書と地域リテラシー」をちゃんと読んだ。ここはまた読み返すと良い>将来の自分。
・一番ブックマークしたかったところ→https://twitter.com/egamiday/status/1027479142067986432
「信濃海外協会にこそ責任があるとか、行政の長が責任をとるべきだというような、特定の「点」に単純に責任を集約するために行ってきたのではないということだ。ここで問いたいのは、まさにそのように特定の書き手、指導者という「点」に責任を帰することで見えなくなってしまう技術、プロセスであり、それを考えない限り決して読み手に対して働いた「力」は見えてこないということ」「それは単にすべてのものに責任を分散させることで問題の所在を曖昧にすることになってはならない。その責任は、こうした技術、プロセスがいかに機能し、それに人々がどうかかわり、支えてきたのかという不断の問いかけとして、私たちが引き受けるべきもの」
・あと、そりゃそうだなあ、”本を読むことを読書という”というような閉鎖的な世界の中で我々暮らしてるわけじゃないもんな、という感想を持った。そういう考えを忘れずにいよう。
・IT・データベース化のあたりや幻灯資料のアーカイブズのあたりの、テクニカルな問題の議論あたりが、出版された当時の時代やその他の環境的なことの今との違いに気づかされる。ので、こういう議論自体の変遷や関係を俯瞰で見て考察する、みたいなのもおもしろいんじゃないかなって思いました。
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