3日目(6/11 Mon)の朝です。
やっぱりあまり長時間は眠れてませんが、朝から起き出して旅行事務してました。
今日の予定です。
@北の町・リューベックを町歩き
Aリューベックから、北ドイツあたりの鉄道を乗り継いで、ベルリンにたどり着く
Bベルリンで過ごす
というわけで、(やっと)ハンブルクをおさらばして、バルト海方面・北東に向かって鉄道で1時間くらい、リューベックという町に向かいます。

説明しよう、リューベックとは。
いまでこそだいぶ小ぶりのお上品な古都っぽいたたずまいではあるものの、ハンザ同盟当時は同盟の”盟主”であり”最大”であって、ハンブルクやブレーメンなんかとともに隆盛をほこった港町で、とはいえ、港町とは言っても海に直面してるわけでなくやっぱりここも”河”っていうパターンなんですけど。例えば、内陸のほうで採れた岩塩がここをとおって、バルト海沿岸から北欧・ロシアまで流通してた、とか、ここの商人はノルウェーの北の町・ベルゲン(注:お、去年の旅行とつながった→http://egamiday3.seesaa.net/article/454729149.html)から鱈を流通させてもうけたとか、鰊でもうけたとか、そういう景気よさそうな昔話がいくつなりとあるハンザ商人たちの自由都市なわけですね。
ちなみに、さっきからリューベック、リューベックて言うてますけど、なんと正式名称を「ハンザ都市リューベック(Die Hansestadt Lubeck)」と言うらしく、マジか、その接頭語が付いてるとだいぶ”ハンザ”おしの強さが際立って見えますから、それくらい昔はすごかった的な町なんでしょう。
もともと「雪の女王」という名前だった童話に、「アナと雪の女王」と接頭語をつけることでだいぶアナ主役感が出るみたいな。
無理くり「女王」に結びつけましたが、リューベックは別名「ハンザの女王」とも呼ばれているらしい、それくらい町並みが美しい世界遺産都市っていうことです。
土地的には、バルト海に流れ出る河と河とにまぁるくはさまれたような感じで、その中に旧市街がぎゅっと凝縮されてる感じ。歩くと意外と高低差あって、丘っぽくなってるのかな。その凝縮されてる旧市街に、ハンザ同盟時代の商人たちによる当時の立派な建物が豊富に建ち並び、かつ、ハンザ衰退後は栄えることがなかったので、逆に当時の趣きが開発で蹴散らされずにのこってくれてる、
そんな経緯で雰囲気ある町並みがのこされた、小ぶりで歩きやすい町。
小旅行にはうってつけじゃないですかね。
というわけで、午前中はここで過ごす算段です。


この車両は、リューベック方面行きです。07:04ハンブルク発、07:48リューベック着。21.75ユーロ。
ちなみに、昨日からジャーマンレイルパスを使い始めており、地道に元をとりつつあるのですが、オンライン購入&プリントアウトして持ってきたPDFのチケットを検札の車掌さんに見せると、QRコードのところに折り目が出てしまってるせいか、検札用ハンディターミナルを片手に悪戦苦闘の車掌さん、結局読み取れず、という事案が発生。その後、予備のプリントアウトを注意深く折り直してみたものの、それでも読み取られることはなく、そのまま最終日までたぶん一度もまともにスキャンできなかったんじゃないかな。みんなあきらめて、パンチで穴開けたり、時刻スタンプしたりしてた。


瞬殺で、リューベック駅着。
駅舎からもうちゃんと麗しさを出してくれるハンザの女王。

なお、旅の荷物は全部ここに預けて身軽にして行きます。
ドイツは、このあとだいたいどこへ行っても駅にコインロッカーがちゃんと整備されてくれていて、彷徨型の旅がはかどること限りなしなのです。(ほんと、なぜいままでまともに来てなかったのか・・・)
バスもあるっぽいですが、地図を見る限りほんとに小ぶりの町なので、とりあえず歩きます。



町外れの駅(注:ヨーロッパの鉄道駅はだいたい町外れ)近くはまだぜんぜん古都っぽくないですが、なんとなく若者が多いという印象で、かつ自転車も多く、そこへきてこうやって川を渡ると、なんとなくライデンっぽさあるなと思うわけです。
ちなみに、あたしが「ライデンっぽい」などと言い出すということは、おおむね「気に入ってる」という意味です。


町の入口にそびえる、ホルステン門。この堂々さと、それでも失われないレンガの麗しさという感じがして、ん、女王ってこの人ですよね、ってまずまっさきに思う。
ちなみに、マルク時代の紙幣にデザインされてるくらい有名なんだそうで、ということは、平等院鳳凰堂的な立ち位置なんだねと。





旧市街に入ってしばらくぷらぷら歩いてるうちに、まだ30分も経たないタイミングで、あ、住むならここだな、という宣言が出てます。
古都だといっても歴史観光地なだけでなく、ちゃんと現役の町で、それなりに市民のにぎわいがあり、商店や交通も生活に便利な感じで整ってるし、にしてはコンパクトで、中心部は車通りの心配が少なく、で、やっぱり古都の雰囲気もある。どっちのバランスも過不足なくてちょうどいい感がするんですよね。
ちなみにこの朝、Twitterの感想がほぼ1時間で、
「なんか好き」
→「かなり好き」
→「住むならここ」
→「好きすぎてつらい」
へと変化しています。
ちょろい観光客ですね、コロッといっちゃってる(笑)。

市庁舎やその周辺。


町の中心にある、セントマリアン教会。正面から見上げると顔がすごく凜々しく見える。
これも女王だな。
ていうか、女王いっぱいおるな。


あと、あっちにも塔あったけど、なんかこっちにも塔あるな、みたいに思ってたんですが。
ものの本によれば、この町には5つの教会に7つの塔があるらしく、「7つの塔の町」という別名を持つらしい。
なんだ、また別名があるの? 「Frozen」?
ていうか、それだけたくさん教会や塔を建てることができたくらい、裕福な商人の町だった、ということらしいですが。
さて、この町には「ガング(gang)」と呼ばれる建築というか町の造り的なものがあるらしく、それを実際に現地で見てみよう、というのがリューベック訪問の大きな目的のひとつでありました。
説明しよう、「ガング(gang)」とは。

gangはドイツ語で通り道をさすわけですが、ハンザ都市時代、町には労働者人口が増えて、賃貸住宅が足りなくなってくる。そこで商人は、自分とこの邸宅の裏庭スペースを有効利用して長屋を建てる。その裏庭長屋へ通り抜けられるように、邸宅の脇に抜け道が設けられて、これをガング(gang)と呼ぶ、とのこと。これは基本的にパブリックな通路なので、開いてさえいれば(注:門が施錠してあるところもあった)通り抜けられる。構造で言うと、
表通り→通りに面した母屋→脇にガングの入口→裏庭に小ぶりの民家が並ぶ→ガングの出口→反対側の母屋→別の表通り
道のこっち側の入口から入ると、裏庭のような通路を通り抜けると確かに小洒落た民家が何軒も並んでて、そのうち反対側の道へ出る。うん、経緯は別にして、これは西陣や山鉾町あたりでよく見るやつですよね、という感じです。
というわけで、こういうのが大好物のegamidayさん、リューベックの細道を網の目を縫うように歩き回るの図。




ほら来た、これ、実にすばらしい。
人気なく、つゆ音なうものなく、自分の靴の音だけが響き、たまに鳥が鳴く。
生活感がほどよくあるようで、ないようで、どちらにしろすばらしく小洒落た、裏路地巡り。
無理してでも来てよかったでしょ、この町。
なんなら全行程中のハイライトその1だろう、くらいの勢いで。

それにしても、いくら”よその人も通っていいことになってる”とガイドブックに書いてあったとは言え、こんな裏路地を興味本位でうろうろするのって、やっぱりちょっと気がひけるところもあるにはあるんですが。
と思いながら歩いてると、向こうのほうから三輪車に乗ったちっちゃな男の子とそのお母さんが、こっちに向かって歩いてくるわけです。
あ、住人さんだ。どうしよう、観光気分でふらふら歩いちゃってるの、やっぱり嫌がられるかしら、でもこんな狭い路地だとどうしたって近距離ですれちがわざるを得ないよな。
と、神妙な表情をして伏し目がちに、すぅっとすれちがおうとすると。
お母さん、めっちゃフレンドリーでウェルカムに、にこっとスマイルしてくれはる。
・・・なんと、ほんとに”パブリックな通路”なんですね。

そしてただいま9時半。
街歩きの最後に、聖ペトリ教会へやってきました。
ここはエレベーターで塔のてっぺんまで上がって、町を見渡せるらしいのです。
展望室に足を踏み入れたとたん。
ああ、やられたあ、と悲鳴が上がるような美しい町並みが。






この町を選んでやってきたの、大正解でしたね。
さすが、女王。
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