2019年07月09日

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』視聴メモ


 ・・・そういえば、芝居は「観劇」、では映画は? 「視聴」でいいの??
 というくらいのていたらくでふだん映画を観ず映画リテラシーの低いegamidayさんが、それでもこれは観ないわけにはいかないよな、ということで、いま話題のドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を観てきました、というメモです。
 6月頭に東京・岩波ホールで、7月頭に京都シネマで。映画リテラシーが低すぎて、岩波ホールも京都シネマも入館(「入館」でいいの??)要領がさっぱりわからなかった、わからなかったというか呑みこめなかった(納得できなかった)。

 以下、メモ。

・長い。とにかく長い。
 1回目に東京で観たときは、その後の予定に遅れそうだったから途中で退席した、というくらい長い。
 監督がそれが必要と判断してそうしてる、っていうのはもちろんわかるんだけど、それにしたって長くないかな。伝えるべきことを伝えるためにであっても、各エピソードを7割くらいまでにして、伝わんないもんなのかな、と。
 というのも、もっと短かったら観た人もいたかもしれないところを、この長さで逃してたとしたら、それだけでもやっぱ「伝わるものも伝わんない」と思うんですよね。観たあとビール呑みに行ったら、タップルームの青年があたしのパンフ見て「あ、ニューヨーク公共図書館、自分も気になってるんですよね、でも長いんでしょう?」って話しかけてきて、もっと短かったら彼にも伝わったんじゃないだろうかと思うと、口惜しくないですか。そこのアウトリーチ必要くないですか。
 しかも暗闇でメモもとれない(無理くりとったら、解読できなかった)、スマホでググって確認もできない、映画館って奴は難儀だなあ。
 以上、どうしても「伝わるか伝わらないか」や「コンテンツの消費でなく再生産」が気になるegamidayさんの愚痴。

・とは言え、長いからといって、つらいかというと、全然そんなことはなかったです。ただ、ぼーっと呆けた状態で眺めてるという感じ。
 なぜなら、これ、自分にとっては「ただひたすら心地いいだけの環境ビデオ」だったからです。それは、本当の意味で環境ビデオだったという意味ではなく、なんていうんだろう、登場する映像だけでなく、議論も主張もスピーチもチャレンジングな課題も、いちいちすべてが自分の思索思考にも信条感情にもいっさいひっかかったりつっかかったりしてくるところがなく、異論も驚きも違和感ももやもやもまるでない、ああもうすべてが「まさにそのとおり」「これが当然のあり方」なだけでしかなかったので、冒頭からエンディングまでが毛ほどの摩擦もなくスルスルと体内に染み入ってくる、ちょうど風邪の時にポカリスエット飲んだら、飲んだ先から体内に同化して消えていくようなあの感じ。
 なので、矛盾した話ですがこのブログを「メモ」と言いながら、端的な話、あたしはあの映画に対して何ひとつも実のあるコメントがありません。「あれ? うん、あのとおりじゃない? あれが図書館であり、図書館ってああだよね」。以上、と。

・そういう意味では、全編通して、いわゆるステレオタイプな図書館・司書の像がほとんど登場しない、”だから”、すごく心地いい。唯一、終盤で登場する版画コレクションのトリビアたくさんな資料解説のあたり、あれなんかステレオタイプなはずなのに、この映画内では際だって異端に見える。

・図書館サービスとしてのレファレンスって、Q&Aですかね? いや違うんだな、というのがこの映画でわかった。電話で質問受ける人力Googleも、ジェネオロジーのカウンターでの根気強い対応も、あれ”お客様の質問にお答え”じゃなくて、ちゃんとしたある種の”ディスカッション”になってるもの。自分もこれから「これはディスカッションだ」という姿勢でカウンターにのぞもうって思いました。

・で、その「ディスカッションとしてのレファレンス」のシーンからの、「公民協働」のスピーチでしょう。この2つのエピソードで、あ、なるほど、知識にしろ図書館にしろ、お上から与えられるようなものでも、どこからか自然に降ってくるようなものでもないんだな、とあらためて思う。

・図書館は何をやっているのか、その1、「社会活動」。
 子供の宿題やプログラミングのシーンも就活講座のシーンも、その他あまた出てくる図書館と司書のシーンもすべてですが、この図書館でおこなわれているのは、いわゆる”本のお仕事””図書館のお仕事”ではないんだな、ということをどうしても確認せざるを得ないです。図書館がやっているのは「社会の一端で社会活動をする」ことであって、ここでは図書館がその現場であり、本・情報をツールとしている、というだけにすぎない。IT・wifiルータとアウトリーチのディスカッションのシーンあたりなんかたぶんそれがわかりやすく出てて、ナレッジへのアクセスを市民にアウトリーチするという種類の社会活動を、図書館を舞台にやってる、というわけなので、それは図書館のお仕事であって、図書館のお仕事ではない、ということだろうなと。

・ということを踏まえて言うと、この映画に登場するニューヨーク公共図書館の活動のことを、「ああいうことは、あんな大きい特別な図書館だからできることなんだ(=そうじゃないふつうの図書館でできるようなこととは違うんだ)」というふうに解釈することは、あたしはまったく当たらないと思います。自分たちの存在を社会の中でどう位置づけるのかとか、自分たちの活動によって社会に何をもたらすことができるのかどうかとか、そういうことを意識しもって図書館現場で仕事する、ということに、そんな大きいとか小さいとかどんだけ関係あるでしょうか、と。そりゃ、余裕のあるなし(=人や予算のあるなし)が意識できるできないに影響しないとは言いませんにもしろ、そういう意識も無しに金だけあったところでそういうことができるわけでもないだろうし、人や金が無いならなおさら「何をやる?やらない?」の選択時にそれを意識してるかどうかは大きく影響するでしょうし、それでもってこんなことやってみました的な事例は、カレントアウェアネスあたりを見れば国内にもあちこちにそのタネがあるんだなって、知れるじゃないですかね。

・図書館は何をやっているのか、その2、「find」。
 繰り返しになりますが、子供の宿題やプログラミングのシーンも就活講座のシーンも、その他あまた出てくる図書館と司書のシーンもすべてですが、この図書館が市民(=社会)に提供しているのは何でしょうか? それは本や資料だけですかと言うとそうではない、情報やナレッジですかと言うと、それですらないんじゃないか。そう疑問に思いながら全体を通覧してたのですが、そうか、図書館が提供しているのは「find」なんだな、という発想に至りました。「find」は「見つけること」であり、それは主に知識や情報かもしれない。ただそれだけではなくて、「わかる」とか「気付きを得る」という「find」ということだよな。
 というふうに理解すれば、図書館でレファレンスや読書だけでなくなぜか就活講座やダンス講座やポエットリーディングのようなカルチャーセンター的なことがおこなわれていることにも、わりとすんなり合点がいきます。人はあの場所で「find」を得られるわけです。そこに多様で膨大なリソースがあり、手を引いてくれるナビゲーターがいる、っていうのが他の場に比べて長じてるところかしら、強いて言うなら。

・ということは、司書は、図書館で人は「find」を得られてそれは強力な武器になる、っていうことを知ってるから、見つけてほしい、気づいてほしい、と思って躍起になって利用者に働きかけよう働きかけようとしてるんだろうか。

 なぜそんなことをする?
 別に「find」無しでボーっとしてても、死にゃしないんじゃないの、病院でも医者でも患者でもないんだし。
 司書がわざわざそれを働きかけにくるのは、壮大なおせっかいなんじゃないの?
 そんなことをする必要がある?

 ある。
 なぜなら、それによって見つけられる/得られるものこそが、ショーンバーグ図書館(ブラックカルチャー)の館長が言うところの「必要な面倒ごと」だから。
 necessaryなtroubleだから。
 おまえら、ご都合よろしく目つぶってスルーしてんじゃねえぞ、このダチョウどもが、と。だってさ、そういう面倒ごとって、この効率化されためまぐるしい市場主義的な世界では面倒どころか害悪だという洗脳に流されそうになりがちだけど、でもそういう面倒ごとと真摯に向きあうことって、そもそも我々個々人が持っているはずの権利じゃないですかね。

 図書館(=膨大で多様な知見にアクセスできるパブリックな場)でそういうことが得られるはずだ、っていうのは、もっと強く言っていいんじゃないかなって思いますね。

・いくつか気になったこと、その1。
 ピクチャーコレクションが際立って旧式モデルの資料提供してる気がする。インターネット創世記の約20年前にあの部屋実際に行ったのですが、その時の情報整理技術から何も進歩してないってはずはないと思うんだけど。オンラインまたはデジタルでタグ付けして探す、類似画像をレコメンドする、とか提供してないのかな。

・いくつか気になったこと、その2。
 ニューヨークと言えばチャイニーズ、わかる。
 そのチャイナタウンの図書館で、「ITに弱い年配者たち」としてのチャイニーズを描く。それ、どんなイコール??
 あと、いくつかある議論のパートで、肌の色の濃い人が発言するのが、ホームレスに対して厳しめのコメント、ていうのは??
 前半の、イスラムと西洋の奴隷解放思想、の話がちょっとよぎりますよね。

・映画中の、本の扱いや利用者対応について粗雑さが気になる、というコメントをたまに見るのですが、いや、あれでたぶん中の上くらいじゃないかな in US。

・で、なんやかんやがあった末の、ラスト・教科書批判の話。あー、今日見てきた図書館像の集大成だな、って思いましたね。この鍋のシメでこの雑炊が出てきてよかったな、ていう。(注:極私的にはうどん派)

・のこされた謎。
 劇中何度かカットインされる、館内の長い廊下の向こうのほうのベンチに誰か座ってる、っていう画はなんだったんだろう。
 でも、次に5番街のあの図書館行ったら、あの場所にあの人いそうな気がする。

posted by egamiday3 at 08:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする