デジタルアーカイブって、何?って考える。
そのときにいつも思うことは、「いつでも、どこでも、誰でも」の「誰でも」って誰のこと? ということです。
記憶する権利、あるいは記憶される権利は、誰が有しているのかと。
これは、先日おこなわれた「デジタルアーカイブ憲章をみんなで創る円卓会議」の第2回に、登壇者の一人として参加しコメントさせていただいたので、そのときのコメントのまとめです。
・「デジタルアーカイブ憲章をみんなで創る円卓会議」 | デジタルアーカイブ学会
https://digitalarchivejapan.org/advocacy/charter/kenshoentaku/
(参)デジタルアーカイブ憲章について
・デジタルアーカイブ憲章 https://digitalarchivejapan.org/advocacy/charter/
・デジタルアーカイブ憲章 (案) 2022年10月11日円卓会議提出案 https://digitalarchivejapan.org/wp-content/uploads/2022/09/DA-Charter-ver-20220922.pdf
・デジタルアーカイブ憲章におけるこれまでの論点整理 (2022/10/11版) https://digitalarchivejapan.org/wp-content/uploads/2022/10/RontenSeiri-20221011.pdf
デジタルアーカイブ憲章というのは、デジタルアーカイブ学会が策定しようとしているもので、「デジタルアーカイブが目指すべき理想の姿」を提示して、デジタルアーカイブ関係者が実現に向けてどのようなことを行なうべきかを宣言する、というようなものだそうです。(記事末に但し書き)
なんか、日文研の図書館の人キャラみたいな感じで、「国際化」のあたりのコメントを求められていたのですけど、えーそんなおそれおおい、英語もろくにしゃべれやしないし、なんなら海外の司書紹介するのに、と思いつつ、それでも依頼されたからには”足らず”をどう補えばいいかをほじくったらいいのだな、と思いながら、下記の会議日10/11現在案をふまえて。
・デジタルアーカイブ憲章 (案) 2022年10月11日円卓会議提出案
https://digitalarchivejapan.org/wp-content/uploads/2022/09/DA-Charter-ver-20220922.pdf
しかも、最初のコメントターンが持ち時間3分だったので、エレベータよろしく端的短文でピシャリと言わないと無理そうだな、という感じでだいぶ凝縮版にしたのが、下記の2要点です。
@ 国際化
A DEI
メインの発注だった「@ 国際化」のほうですが、上記10/11案でもちゃんと明言はされています、まあ多言語だけで済む話ではないし、正直「観光」につなげないと国際化と言えないのかどうかとも思うのですが、そのあたりはそう言いたい人もいる多様な学会だからそれはそれでいいし、内容的なことを盛り込むにしても現案の派生のようなものになるだろうから、こまかく言い募るようなことでもないかなと(3分しかないし)。
ただ、もし現案に決定的な”足らず”がもしあるとしたら、それを日本サイドだけで考えてもの申そうとしてることなんじゃないかな、と思ったわけです。
つまり、「憲章をみんなで創る」の”みんな”とは誰か、と。
なので、提言@として「「みんなで創る円卓会議」の議論の国際化」を提示しました。

これは、デジタルアーカイブやそのコンテンツを国際的に流通させるとか、この憲章をつくって世界にも示すとか以前に、いまこの場でやってるこの議論に、海外から、特に日本の情報やコンテンツを求めている人に加わってもらって話を聞くべきではないのか、ということです。
(念のため、国籍が海外の人、という意味ではないです、環境とか文脈の問題として。)
例えばこの憲章ががっちり成立成文化されて、世に公表されまた英訳版も作成されて、こんなん作りましたって海外の関係者に発表したときに、たぶんですけど、「えっ、なんで決める前に教えてくれなかったの、先に見せてくれてたらいろいろ言えたのに」ってなると思うんです、国際化トピックスのあたりに対して、海外の日本研究関係者や司書等から。
なると思うんです、っていうか、過去にそうなってた/なってるシーンを別の企画でちょいちょい見聞きしてるので。たぶんそういうの、なんだかなー、って思われるパターンのやつだと思います。知らんまに知らんとこでやってんなー、ていう。
ていうか、それってもうすでに海外サイドから提言されてることなんですね。
・「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための課題解決についての提案」
http://www.momat.go.jp/am/wp-content/uploads/sites/3/2017/04/J2016_520.pdf
・極私的解説付きの「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための課題解決についての提案」: egamiday 3
http://egamiday3.seesaa.net/article/450762067.html
これは海外で日本美術やその研究・資料提供の仕事をしている専門家の人たちが、日本側に向けて「もっとこういうふうに情報発信力を高めてほしい」ということを提言してくださったもので、美術に限らずあらゆる文化・学術的プロジェクトに言えることかと思います。
その中に「3.3交流・ネットワーク作りやコラボレーションが重要であること」の一部として、

「海外の関係者もプロジェクトに加えて進めること」。
日本側だけの問題として日本側だけでなんとかしようとするのではなくて、向こうの人たちひっぱりこんで。それで何かが成就するか憲章が成立するかどうかよりも、一緒になって何かやってるその過程の議論や活動のほうにこそなんか意義的なものがありそうに思います。
少なくとも、あたしみたいな中途なハンパ者に国際化まわりのコメントさせようというくらいであれば、リアル開催でもないんだし、オンラインで誰なりとひっぱってくればよいのではと思うので、第3回はぜひそのようによろしくお願いします。
というのも、もちろんこれは主語が日本だからとか我々の範囲とはという話はおっしゃるとおりにせよ、受け手・ユーザの話を聞くチャンネルはあっていいし、何より、日本サイドだけで意見こねくり煮詰めてるだけでは得られないような、ちがった見方が得られるのがいいんだって、こういうのは釈迦に説法かと思うんですが。
実際現案のデジタルアーカイブの「国際化」の文脈に「観光誘致」が出てきてると、そのコンテンツはなんというか、キラキラしたポジティブな美しい国みたいなもので飾られてしまうのではないかという危惧もなんとなくあるのですが、開国ニッポンじゃないんだから日本サイドの売らんかなを「国際化」と言ってる場合じゃないので、ほんとのところ我々が日本から世界へアクセス可能化していくべきコンテンツはそんなものばかりではないし、じゃあ何が求められてるんだ、っていうのはシンプルに傾聴すべきだろうと。
例えば先にリスボンで開かれたEAJRS(ヨーロッパ日本資料専門家会議)では(あ、その録画もYouTube(https://www.youtube.com/channel/UCaDvNifPoLWOsRrLUC2p-tg)で公開されてるので、どうぞご覧ください、良い時代になった)、こういう指摘がありました。
いま海外の日本研究や教育で取り扱われているトピックには、主にDEIの視点が取り入れられている。なので、必要とされているコンテンツは例えば、アイヌ、琉球、ジェンダー、部落解放、水俣、といったことだ、云々。
というわけで、そうだ、取り組む姿勢にもコンテンツにもDEIを、という発想を得たのが「A DEI」です。

「Diversity(多様性)」「Equity(公平性)」「Inclusion(包括性)」をあわせて「DEI」と昨今では称されていますが、特に今回焦点をあてたのが「Equity(公平性)」だったかな、と。
こういう図をネットでよく見るかと思うのですが。

我々が目指すべきって右側ですよね。「誰でも」ってそういうことだと思います。
という考え方をふまえて現案を眺めてみると。
利用者がアクセスする時に不利・障壁がある場合には、それをフォローしよう、という「Equity」については言及があるのがわかります。
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【デジタルアーカイブの目的】
2. アクセス保障
「個人の身体的、地理的、時間的、経済的などの事情から発生するあらゆる情報格差を是正し、いつでも、どこからでも、誰でも平等に、情報資産にアクセスできるようにします。」
【行動指針】
(ユニバーサル化)
「心身の機能に不自由のある人々や高齢者など、様々なアクセス障壁のある人びとによる情報資産の更なる活用を促し、デジタル技術を用いて誰もが便利に享受できるようにします。」
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一方で、自らの情報発信やコンテンツ提供によって、声をあげ存在を示し課題を社会に共有しようとするような、発信者・提供者サイドについてはどうか、と見てみると。
その「Diversity(多様性)」には言及があるのですが、「Equity(公平性)」やその格差是正にまでは言及が無いのではないか、と思うのです。
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【デジタルアーカイブの目的】
1. 活動の基盤
「豊富で多様な情報資産を永く保存し、情報資産の生産・活用・再生産の循環を促すことで、知の民主化をはかり、現在及び将来にわたり人びとのあらゆる活動の基盤となります。」
3. 文化
「あらゆる人類の営みと世界の記録・記憶を知る機会を提供することで、多様な文化の理解を助け、新たな創作活動の促進により文化の発展に寄与し、コミュニティを活性化させ、人びとの生活の質を向上させます。」
【行動指針】
(オープンな参加)
「デジタルアーカイブが扱う情報資産の保存・公開・活用等の全ての計画・実施局面において、その提供者と活用者を含む幅広い主体の声を聞き、主体的な参加を促します。」
(体系性の確保)
「アーカイブ機関が保有する情報資産に限らず、大学・研究機関、メディア、民間事業者又は個人が保有する情報資産についても、可能な限り収集・保存し、構造化・体系化して公開します。」
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もちろん多様性の確保はきわめて重要なことですが、多様なことだけを目指すつもりでいたとき、ほうっておくとマジョリティに偏るであろう、あるいは声の大きい小さい、力の強い弱い、土地柄や数の大小、そして結局は市場原理によって流れていくだろうことは、まあ容易に想像がつくので、そこを一歩踏み込んで流れを踏みとどまらせるような、意識的な宣言は必要なんじゃないか。
という思いで、とは言えそういう思いを抽象的にふわっとコメントするだけだと扱いづらいかな、と思ったので、こちらも踏み込んで、なんとなくそれっぽい文体で言語化し、具体的に検討の俎上に載せやすくしたのが、当日の提言Aです。

提言A
「リテラシー、地域、ルーツ、性差、社会制度、市場原理などの様々な要因から、声を発し課題を広く共有することに不利な状況にある、マイノリティや特定の社会的属性を持つ人々にも、デジタル技術により情報発信の格差を是正し、コンテンツ可視化を促すことでエンパワーメントできるように…」的なこと(を現案に加える)
アクセスに障壁のある利用者がいるのと同じように、提供者・発信者の側にもなんらかの不利な状況にある人たちがいるはずではないか、と。それはリテラシーの問題だけでなく、風潮や力関係で被っている不利かもしれないし、社会の無理解や制度の不整備によるものかもしれないし、単に属性がまれとか数が少ないとかいうマイノリティなだけなのに被っている理不尽かもしれない。それって、リアルな社会現場だけでは声を大きくできなかったかもしれないけども、そのディスアドバンテージをデジタル技術やオンライン環境によって解消し、あるいはアンプのように声を増幅することで、コンテンツの可視化、課題の社会共有が実現できるのではないか。
デジタルアーカイブって、そういうエンパワーメントができる存在だと思っています。
ていうか、そういうデジタルアーカイブを目指さないんだったら、デジタルアーカイブ立国なんかやんなくていいって、わりと本気で思ってます、あたし別にデジタルアーカイブ自体にはそこまで価値も興味も置いてるわけではないので。
そこまで言わなくても「多様な文化の理解」でいいのでは、って思われるかもしれませんが。
でもアクセスの保障には「心身の機能に不自由のある人々や高齢者」のようにかなり具体的にあれしてるんで、発信者・提供者側についても多少踏み込んでもバチは当たらないと思います。
「誰でも」って、そういうことじゃないかな、と。
「記憶する権利」というか「記憶される権利、記憶させる権利」じゃないかな、と。
というような感じのことを、がんばって3分で当日申しました、というまとめでした。
但し書き。
なお、依頼を受けて登壇コメントはさせていただいたものの、実を言うと、このプロジェクトの発端や経緯についてとか、この憲章の主語や矛先がどのあたりなのかというのが、各種文書を拝読してもいまいち身体に落ちてなくてふわっとした状態だったのですが、それでもふわっとした立場なりに遠いところから眺めて言えることもあるんだろうな、というくらいであれさせてもらった感じです。
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