2008年05月13日

loser - 負け続ける図書館目録

 (この記事は「書誌のともblog」に移しました。20080530)
 


 簡単に言うと、OPACが所蔵データベースであろうとする限り、図書館目録は負けることが運命づけられてるんだな、という感じです。
 
 
 以前に書いた”リンクリゾルバ”に関する講話( http://egamiday3.seesaa.net/article/94056558.html)では、次世代OPACについての話題も出たのでしたよ。

 いわゆる次世代OPAC。ハーバードさんでも、その他の大学図書館さんでも、各種講演・会議類でも、ひっきりなしに話題にのぼって、もはや待ったなしで整えられつつある(少なくともアメリカでは)、いわゆる次世代OPAC。正確な定義はともかく、たぶんそれは、曰くファセットであり、レコメンドであり、FRBRizedであり、ソーシャルタグであり、ソーシャルブックマークであり、タグクラウドであり、表紙画像であり、書評であり、どうのこうのである、というやつ。
 いやもうね、いま躍起になるべきところ、心血注ぐべき喫緊のポイントといえば、これでしょう、と。とっとと構築してこうよ、と。じゃないと、その”次世代”ももう終わってまうよ、という感じで、HVUdayでも某日記(http://www.kulib.kyoto-u.ac.jp/modules/wordpress/index.php?p=70)でも何度となく話題にしてたりして、すっかり首ったけだな江上は、みたいな感じになってたわけですが。

 先のリンクリゾルバ講話を聴きながら、ふと、とある不安にさいなまれ始めたのでしたよ。

 例えばじゃあ、Amazonさんが人気である、と。それは、オンライン書店としてだけではなく、書籍検索サービスとしても人気なのであって、表紙画像や書評も見れる、レコメンドもある、自分でリストも作れる。そういうののが人気のおかげで、若い学生さんたちはまずAmazonで欲しい本を見つけてから、その本が自分とこの大学の図書館にあるかどうかをOPACで検索しにくる。というようなことは、多くのライブラリアンが経験として知ってもいるし、なんぞの論文なりに数字としてもあがってることでしょう。

 だったらですよ。
 問: 図書館OPACが次世代になったら、Amazonさんに勝てますか?
 いまの人気薄な図書館OPACが、次世代の機能を、AmazonさんやGoogleBookさんのような機能を備えるようになったあかつきには。
 利用者のみなさんは、Amazonさんよりも図書館OPACさんのほうを好んで使ってくれるようになるだろうか。ほんとにそうなるのかしら。

 江上の答えは、残念ながら否です。
 ノンです。ニヒトです。

 それは、自分だったらどうするか、を考えたらよくわかる。
 言うたって、そもそも江上自身が「Amazonひいて→図書館OPACひく」ていう検索行動をとってる張本人ですもの、白状すると。いきなり図書館のOPACひくことはまずないですもの。そして、そんな自分が、京大さんなりなんなりの図書館OPACが次世代になってくれたらどうなるか、て言われたところで、まあ、Amazonさんをまず先に使うだろうな、ていう。正直。ごめんね。
 江上がそうなんだから、若い学生さんなり若い研究者さんなりだって、そうするんじゃなかろうか。

 さすれば、これは(ライブラリアンとしての江上から見て)ゆゆしき事態ですよ。昨今の図書館業界の切り札みたいに思ってた次世代OPACが、使われない、てんだから。

 やばいので、とっかかりとしてまず、なぜ江上は「Amazonひいて→図書館OPACひく」のかの理由を考えてみた。

 ・Amazonには、小説・コミック・エンタメ系など非学術系書籍が網羅的に収録されている。図書館OPACでは、それが網羅的でない。(書誌の網羅性の問題)
 ・Amazonには、最新刊が網羅的に収録されている。図書館OPACに最新刊が収録されるのはどうしても遅い。(これも書誌の網羅性の問題)
 ・そもそも江上には、図書館で本を借りる習慣がなく、本は買うものと位置づけている。(入手の問題)

 というわけで、入手の問題はしばらく置いておくとして、どうやら問題は”書誌が網羅的かどうか”ということになってきそうであるよ、と。
 だったらさ、余暇で軽く読むものを探すときにAmazonさんを使う、ということについては認めるにもしろ、ですよ。研究調査目的で書誌を検索したいとき、学術系書籍だとか、流通してない各大学内出版物だの研究成果出版物だの報告書類だのとか、年代の古いもの、絶版もの、学術雑誌、古典籍といったものについては、さすがにAmazonさんじゃないでしょ? 京大さんの図書館OPACなりをまずひくことになるでしょ? どうですか?

 ひかないです。
 京大さんの図書館OPACを、最初にはひかないです。
 まず、NACSIS WebCATをひきます。

 なぜ「NACSIS WebCATひいて→自館OPACをひく」のかの理由。
 NACSIS WebCATのほうが、単館OPACよりも、書誌が網羅的だから。

 (ややこしくなるので括弧書きで添えると、NDL OPACよりもNACSIS WebCATのほうが先なのは、大きいとはいえ単館のNDLよりもNCのほうがなんとなく網羅的っぽいのと、入手につながるILLはNCのほうが現実的だから、という理由でだよ。)

 さて、こうなってくると。
 洋書を探すのにまずOCLCやBLやKVKをひきます。理由、そっちのほうが洋書の書誌が網羅的だから。
 書籍に限らず情報収集するのには、まずGoogleさんをひきます。理由、そっちのほうが情報が網羅的だから。

 それが、学内にあろうが、学外にあろうが、書店にあろうが、ネットに流れてようが、最終的に入手できりゃそれでいいんであって、とりあえずはまず、何がこの世に存在してるかを、端からつつっと並べてみろよ、ここへよ。
 と魚屋の客みたいなことを言いたくなってしまうのは、「書誌をひく→所蔵を知る」という流れからしてみれば、当然のことと言えるかもしれないですが、さあじゃあこうなってくると、どんなにがんばったって所詮は単館所蔵データベースでしかない図書館目録さんの、いったいどこに勝ち目があるんだろう、ていう話になってきてしまうわけですよ。

 図書館目録・図書館OPACが人気薄といわれて久しく、その原因として「使いにくい」だの「クールでない」だの「目録規則に縛られた書誌記述や検索思想が利用者のニーズに合致してない」だの「Web2.0じゃない」だのというのは耳蛸・口酸に言われることではあるのだけど、それよりなにより、「書誌データベースとして所詮ローカルでしかない。網羅性が薄い」となったら、これはもう完全たる引導ですよね。だって、図書館目録ってそういうもんとして、単館の所蔵を収録するものとして存在してるんだもの。アイデン&ティティの問題になっちゃうもの。

 えー、だってそれは、自分の大学の図書館でまず手に入るかどうかから探せる、ていうのが図書館目録の強みなんちゃうの? まず借りれるものの中から探せるほうが便利なんちゃうの? とおっしゃるむきもあるかもしれない。
 それも正しいかもしれない。ただ、江上にはどうしてもそうは思えない。もはや、学内にあるかどうかとか、どの場所にあるのかとか、どこで借りれるのかとかいうのは、情報利用者にとって重要でなくなっとるんじゃなかろうか。以前と比べて激減に。やっぱり、学内・学外・書店・ネット、なんでもいいから端からつつっと並べてみろよ、ていう空気なんじゃなかろうか。インターネットが、情報から”場所”という属性を奪う装置だとしたら、余計に。

 そしてやっぱり、この「データベースとして網羅性が薄い」というのは、どうあがいたって、いまの時代の情報サービスとしては比類なき、完膚なき、仁義なきまでのディスアドバンテージでしょう。Googleさんが降臨しこの世の民に与えたもうたのは、情報入手のスピードや手軽さやシンプルさだけでなく、網羅的にチェックできるということによる一種独特の甘美な愉悦感みたいなもので、例えばGoogle日本降臨以前に出版の『青猫の街』(涼元悠一)なる小説では、主人公がロボットタイプのサーチエンジンでキーワード検索したところ、171件がヒットし、そのあまりの件数の多さに辟易する、という場面が出てくるのですが、あれから10年、いまやネット検索で171件なんか「少ない!」と言われかねない勢いなわけで、もはや我々は(それが良いか良くないか、便利か不便かはともかく)示される情報の多さにすっかり慣れっこになってしまっちゃってる。
 情報は爆発し、増加し、サーチエンジンは日々肥え太り、網羅性を増し続け、紙の本もe-resourceもwebページも山のようにpublishされている一方で、図書館さんといえば予算も減り、購入される本も減り続けてる挙句に、そのデータベースにローカル所蔵しか収録されていないといった日には、ですよ。

 そんな、ローカルで網羅性の薄いデータベースに、”ポータル”も”ワンストップ”も何もあったもんじゃない、んじゃなかろうか。
 先のリンクリゾルバの件ですが、これってまあ言ってみれば、図書館OPACをひきさえすれば、探してるものがe-resourceでネットにあるか、学内にあるか、学外にあるかが、ワンクリックで探せますよ、と、図書館OPACから先のシームレスな便利さを華麗に演出しようとしてるわけなんだけども、じゃあその図書館OPACに”ポータル”や”ワンストップ”としての魅力が薄くしかついてないんだったら、そのシームレスの華麗さも中くらいなりおらが春、て感じになっちゃうんじゃなかろうか。見方、変わってきちゃうな、なんか。

 ここでいきなり自分語りになっちゃいますけど、そういうようなことを考えるようになったのも、自分が京大を離れたからなわけですよ。京大さんの中の人として15-6年過ごしてきましてて、ほら、京大さんの蔵書って多いじゃないですか、600万だか700万だかっつって。そしたらそのOPACなんて、書誌データベースとしてもある程度網羅されててそれほど露骨な不都合感じることもなかったんですよね、ぬくぬくとね。
 ところが、いざ京大を離れてアメリカに行きました、海外の日本研究の現場に身を置きました。いくらハーバードさんが有数の東アジア図書館を持ってるからっつって、やっぱり蔵書には限りありますから、単館OPACではヒットしない本が多い。しかも天下のOCLCさんのデータベースにだって、なかなか網羅性を感じ愉しめるほどには、日本語書籍の書誌は収録されてはいない。だもんで彼らは、学部生の頃からWebCATのひき方を練習させられてる(http://hvuday.seesaa.net/article/67051481.html)わけなんですよね。
 帰国して京大じゃないところの図書館に出向しました。ここがとてつもなくILL依頼が多い。がんばって本を買ってる、その購入数の多さでは業界じゃ有名なとこではあるんだけど、それでも所詮は歴史のまだ浅い単館なもんで、利用者さんにしてみれば欲しい本がここに無いことのほうが圧倒的に多い。結果、最初に自館OPACをひいてみたところで、十中八九がそのまま「NII検索」ボタンを押すことになる。
 
 そんな、十中八九「NII検索」せなあかんような図書館OPACが、ソーシャルタグどころか表紙画像載せたところで、Amazonさんに勝てるわけがないじゃんね。

 というふうに、さんざっぱらけちょんけちょんにゆってきたところで、じゃあどうすんのかという話なんだけども、例えばOCLCさんやNIIさんがローカルカスタマイズしたOPACを提供する(http://hvuday.seesaa.net/article/82197594.html)か?とか、各図書館目録のレコードをクロール?自動収集?して仮想的な総合目録を作るだとか、それからほっぽらかしてきたけども、なんだかんだいったって「Amazonを使うのは買うことのほうが多いから」「NDL OPAC使わないのはNCでILL入手するから」つってたように入手に近いという物理的なアドバンテージをどう活かすんだとか、そういうことになるのかな、というところまでで、ひとまず区切りをつけることにしますよ。

posted by egamiday3 at 22:22| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする