2015年06月14日

(メモ)「アクセスの再定義 : 日本におけるアクセス、アーカイブ、著作権をめぐる諸問題」(2015.6.13)


「アクセスの再定義 : 日本におけるアクセス、アーカイブ、著作権をめぐる諸問題」
2015.6.13
明治学院大学
主催: 明治学院大学文学部芸術学科、ハーバード大学
協力: ハーバード大学ライシャワー日本研究所、北米日本研究図書館資料調整協議会(NCC)

(このメモはあくまでegamidayの聞き取れた/理解できた/書き取れた範囲での話であり、当日はかなりの知的刺激の嵐のため脳みそが”おもろしんどい”状態になってたので、メモがかなり朦朧としており誤解や手前勝手解釈の類も相当多いと思います。それはあたしが悪いのです。なので、内容の信頼度や整合性につきましては過度な期待はなさらないよう、それでもどの断片がこの大きな問題の解決のヒントになるかはわからないので、メモっとくという感じで。)


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◆オープニング

●ローランド・ドメーニグ(明治学院大学)
・様々な分野の専門家(研究者、ライブラリアン、アーキビストなど)が3つのパネルをひとつの場で議論する催し。

●アレクサンダー・ザルテン(ハーバード大学東アジア言語・文明学部(メディアスタディ))
・2016年にボストン・ケンブリッジで開催する予定だったが、TPPの折からいまこの時期にやるべきだろうと、開催に至った。
・新しい問題というわけではない。これまでもさまざまに議論されてきた問題として。
・日本で作成された資料情報コンテンツへのアクセスについて、日本だけの問題ではなく、研究者・専門家だけでもなく、一般の人びとの日常に影響ある問題として。


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◆パネル1 「アクセス否定? : 日本におけるアーカイブ・アクセス・著作権文化との経験・実践」

●司会:アンドルー・ゴードン(ハーバード大学)
・アーカイブ・サミット(2015年1月)は重要なイベントだった。その想いを継承したい。

●森川嘉一郎(明治大学)
・コミケ・同人誌のアーカイブと提供をおこなっている。
・百聞は一見にしかず、コミケに一度足を運ぶとよい。
コミケには、いかなあかんな、と20年くらい思っている。
・コミケには二次創作もあれば創作もあり、それがメインストリームに環流していっているというのが現状。
・コミックマーケット準備会が同人誌の見本誌を収集・保存している。その数200万点。ちなみにNDL所蔵のマンガ(単行・雑誌)30万点。点数では商業冊子より多い、という規模。
・「東京国際マンガミュージアム(図書館)」構想。ここで保存することを構想している。
・現在の”記念館”では、実験的に、最近1年間(約4万点)の同人誌を閲覧提供している。
・対象とすべきものには、絵コンテ、セル画などの資料。またアニメはおもちゃの広告塔として作成されたのが多いので、そのおもちゃも保存しないと文化的背景がわからなくなる。お菓子も対象。コンピュータ、アーケードゲーム、パチンコなど。
・海外との連携。例:北京大学にマンガ図書館(2014年11月)、ここには複本を提供するなど。
・ものはある。土地もある。あとは建物のための資金。ご賛同を。

●柳与志夫(東京文化資源会議事務局長/元NDL)
・・アーカイブの概念の混乱について
・従来の”公文書”以外の理論的研究はされていないのでは。
・この5年くらいでアーカイブという言葉が一般にもひろまるようになった。(意味はともかく)
・理屈と実際の乖離はあるのでは。例:「・・・その「アーカイブ」の使い方は気に入らない」という人もいる。
・MLAとは言っても、図書館関係者でもまだアーカイブという言葉に反応が鈍い人も多い。
・デジタル・コレクションとデジタル・アーカイブはちがう、というのはほぼ共通認識。図書館の所蔵資料をデジタル化したものはデジタル・コレクションであって、提供・活用の仕組みが整備されてはじめてデジタル・アーカイブと言える。
・概念や言葉が錯綜しているが、それは悪いことではないと思っている。

・・アーカイブの現状
・一般に認知されてきたように思える。ただ、ネガティブな印象(倉庫的、死蔵的な感覚)も根強い。
・「NHKアーカイブス」はその印象を払拭した功績がある。(用語の混乱はあるが)
・各業種分野の関係者に制度・仕組みとしてのアーカイブが必要という共通認識が醸成されてきた、これは大きな成果であろう。
・一方でこれぞ日本のアーカイブだというような好例というのが現れていない。
・アーカイブ・サミット(2015年1月)で多くの問題を洗い出せたのでは。

・・制度的対応の必要性
・アーカイブ促進のための制度的根拠が欠けているのでは。アーカイブの基本法(図書館にとっての図書館法のような)
・ボーンデジタルな資料のアーカイブ化が問題、こっちのほうが消えやすいので、制度的対応が必要。
・混乱するくらい周知されたのはいいことだが、そろそろ整理と統一イメージは必要だろう。それが前提となって、制度整備ができる。

●大場利康(NDL)
「デジタル化を進めるもの、阻むもの」
・デジタル化の壁として、デジタル化のコスト、システム構築のコスト、著作権処理のコストがある。人材と予算の問題。
・利活用の壁として、検索で出てこない(ヒットしない)、どう使えるのか分からない、どれが何だか分からない(何があるのか?ほしいものがあるのか?)。使っていいのか、お金は誰に払えばいいのか。
・ポータル、メタデータ、ライセンス整備が不足。

・・文化審議会著作権分科会(第41回)(2015.3)←要参照
 http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/bunkakai/41/index.html
・貴重資料や,絶版等の入手困難な資料について,損傷等が始まる前の良好な状態で複製することは,第31条第1項第2号により認められる
・記録技術・媒体の旧式化により閲覧が不可能となる場合,新しい媒体への移替えのために複製を行うことが認められる
・「図書館等」の主体を適切な範囲に限定して拡充する。
国立国会図書館以外の図書館等がデジタル化した絶版等資料を,国立国会図書館の行う図書館送信サービスにより、他の図書館等に送信する。→現行法上可能である。
外国の図書館等へデジタル化した絶版資料の送信サービスを提供する。→国立国会図書館の役割や業務の位置づけ等を踏まえ検討を行うことが適当である。

・・知的財産戦略本部(第11回)(2015.4)
・アーカイブの利活用
・統合ポータルの構築
・協議会の設置

●マクヴェイ山田久仁子 (ハーバード・イェンチン図書館司書、NCC議長)
・ハーバードでの日本資料の利用例
・例:学部生向け日本佛教の授業で、攻殻機動隊の映画を見て、ロボットの本を読んで勉強する
・多岐に亘る映像資料が授業や研究で使われるが、難点がある。
・パッケージ(DVD)が圧倒的、ストリーミングはまれであるというのが現状。
・DVDの寿命の問題があるので、媒体変換のコストがかかる。
・英語字幕付きが少ない→グレーなのを使わざるを得ない
・テレビ番組は有効な教材になり得るのに、現状ではほぼ不可能に近い。
・例:NHKのドキュメンタリーDVD(英語付き)が、北米の図書館で購入させてもらえない、という例。
・例:クローズアップ現代は数年分アーカイブされている。こういうのが理想的(英語字幕はない)。
・例:韓国の国立フィルムアーカイブ(KOFA)は積極的にアーカイブ化して公開している。著作権のあるものも政府がクリア・補償する。多様なプラットフォームに対応させる(YouTubeなど)。ペイパービューや定額契約が図書館でもできる。
・例:Alexsander Street Press。映画は日本語で流れるが、同ページ中に英語のスクリプトを併記するなどの加工ができる。いろいろなプラットフォームに対応させることの利点。
・日本でもストリーミング等の動きが活性化しつつあるか?

●ディスカッション
・・(江上)コストをどこが負担するか。利点をどう理解してもらうか。
(大場)
・経済効果を言うと、間接効果になってしまう。
・BL「1ポンド投資すると5ポンドの経済効果」
(森川)
・1、受益者負担。2、永続的維持が可能なのか。
・フットワークの軽さが必要な場合、税金では難しい。すでに価値が認知されているような資料でないといけないので。そういうときは税金ではなく、という、ケースバイケースが現実的か。
・一般に周知させるには、MLA連携。すなわち、アーカイブ単体ではなくそこにライブラリーやミュージアムの機能を併設することで、わかってもらいやすくするという方法。
(柳)
・「資料」とせずに「資源」とした。
・資料=そのものに価値があるかどうかという考え方になるが、資源=活用することに意義がある、デジタル化して別の価値を生む、再構成できる。
・使えるものにする、その結果、生活を豊かにする。インフラにする。
・資源を活用し、コストを回収するサイクルに載せられる。
地域コミュニティの中でもスモールビジネスとして文化資源を活用することをやっていくといい。
・国レベルの方策と、そうでないレベルで考えをわける。
・例:日本語の新刊書籍の書誌情報を英訳する。(官レベル)
→その中からニーズをとらえて本文の英訳を数千点する。(官民協力)
(山田)
・アクセスできるコンテンツを増やそうとすると、金銭的コストだけではなく、制度整備が必要。すでにいまあるコンテンツへのアクセスができるように。

・・公共図書館の整備について
・柳さんの話にあった、地域の中で文化資源を活用していく活動・仕組みの中に、地域の図書館・博物館がどうかかわるか。そのノウハウを国会図書館からどう提供していけるか。

・・(永崎)デジタルアーカイブとユーザの間に立って媒介する媒介者が必要。戦略はあるか。
(森川)
・「図書館」という言葉のイメージに”良書”的なものがある。一方アーカイブはそれは問わず活用できるもの。
・当初「東京国際マンガ図書館」だったのを「ミュージアム」に変えようとしている。保存の意義を伝えるために”ミュージアム”機能が必要。資料の価値はあとあとになって発見されることが多いものなので。
(ゴードン)
・法制度を変えないとお金があってもできないことがたくさんある。デジタル化したのに国会図書館に足を運ばないと見られないものがある、とか、どうしてNHKの番組はすべてがクローズアップ現代のようにならないか、など。
・技術はある。問題はお金+法律・制度だろう。


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◆パネル2: 「アクセスの理論 : 所有権の問題」

●司会 アレクサンダー・ザルテン(ハーバード大学東アジア言語・文明学部)
・今パネルでは、抽象的にアクセスとはどういう概念なのかについて考える。


●北野圭介(立命館大学映像学部)
・立命館大学映像学部では、映画、ビデオゲーム、CGなど対象をひろげている。
・スマホではほとんどがアプリを使われている。インターネットではない。アプリ経由のスモールアーカイブへのアクセス。(ストリーミング含め) 2010年代はもしかしたらアプリ(アプリケーション)の時代では。

・サーキュレーションから→コンテンツへ
・アーカイブはミュージアム機能をもつことによって、アーカイブからユーザに近づいていく。
・映画作品を単体で作るのではなく、ワールドビルディング=世界観を先に構築して監督達がそれぞれ作品をつくっていく。

・監視社会から制御社会へ。
・ボトムアップでアプリケーションがユーザを制御する、その制御が不可視的に存在する。
・例:いいねの仕組みにみなが集まらざるを得なくなる。

・アルゴリズム化とメタコントロール
・例:カメラがとらえた画像を認識する(例:自動車のオートブレーキのためのカメラ)→オブジェクトに人が介在しない状態になる。
・例:自分の写真をアップロードすると、Facebookが勝手にアルバム化・別コンテンツ化してくれる
・その”作り替え”が人間の問題ではなくテクノロジーの問題になる。しかも不可視。


●イアン・コンドリー(MIT)
・いまの著作権はゾンビかサイボーグか
・ゾンビ=過去が将来を食らう、もう死んでる、でも死んでることがわかってない
・サイボーグ=ネットワークと共生

・音楽シーンでは資本主義的なエコノミックバリューよりも、ソーシャルバリューとそれを支えるコミュニティのほうが大事である。
・アニメや同人誌の世界でも同じ。
・キャラクターがプラットフォームになっている。(例:初音ミク)
・ニコニコ動画+初音ミクでは、コンテンツにコメントを載せる、コミュニティがうまれる。
・そこから、ファンによるプロダクトがうまれる。例えば新しいビデオゲームが作成される、ライブコンサートが開催される。
・peer productionが認められたキャラクター(ファンサークルや非商業の利用OK、同人作成物がサークル運営レベルなら利用OK、もうけが出るならバックが欲しい、の3段階)
・コミュニティを認めて、そのあとビジネスがうまれてくる、という状態。

・『The Eureka Myth』(2014)
・創作のきっかけは何か。ビジネスでお金になるという回答はほぼない、創りたい・見てもらいたいが最初。
・トップダウンの力でメディアをコントロールする時代、著作権がゾンビだった時代は終わる。
・コミュニティがクリエイティブであるという状態の中からイノベーションはうまれる。


●上崎千(慶應義塾大学アートセンター)
・printed ephemeral
・ゾンビ的にサバイバルしてきた資料(チケット、パンフ、招待状など)
・何が残るのか、何が残らないのか、残らないものはどうなるのか。
・アーカイブと抽象芸術は似ている。これに価値があると考える。芸術か非芸術かなんてことは言わない。資料の山でドキュメントとしか言えないようなもの。それは抽象芸術のようなもの。
・杉浦康平ともやしの話。(めっちゃおもろいけどメモ無理でした。参照→http://post.at.moma.org/content_items/173
・この時代の表現は”コレクティブ”集団的であった。案内状をデザインした人、もやしを付けた人。それをとっておいた人もいる。(コレクティブな表現というのは、いまどきのコラボレーションとはまたちがう)


●ディスカッション
(北野)
・ゼロ年代のサーチエンジンはまだオープンだったが、アプリだとそうならない。
デモクラティックなプラットフォームを構築していく必要があるのでは。
(くさか)
・ユーザ側の「誰がつくった作品か」の認識が多様化している?
・アクセスコントロールを誰が行うべきなのか?
(コンドリー)
・ほとんどは裁判にならないはずだから、みんな無視していいんじゃないか。
(上崎)
小火がたくさん起こった方が事例がたくさんでていいんじゃないか。
・著作権に対して、大丈夫なの?、萎縮、疑心暗鬼、草の根警察が問題である。不活性化につながってしまう。大丈夫だよ、と言えばいい。
(上崎)
・デジタルアーカイブの検索結果自体が歴史記述にならないかと考えている。
(北野)
・最初にアーカイブありきではなくて、エキシビジョンの試み、ユーザの意見集約、トライ&エラーなどによって蓄積していくということもひとつかなと。
(ゴードン)
・東日本大震災アーカイブはサイボーグなアーカイブ。参加型アーカイブを目指している。
↑この話はMALUI Talk in Kyotoでも出た。


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◆パネル3: 「アクセスの未来における可能性」

●司会: テッド・ベスター(ハーバード大学・ライシャワー日本研究所所長)


●福井健策
「TPP知財条項と知の創造・アクセス」

・・保護期間の延長について
・70年への延長
・日本での反対論
「国際収支を害する」(著作権使用料は年8000億の赤字(日本の貿易地赤字の6-7%))
「延長したところで遺族の収入は増えず」
「権利処理が困難になる」
「使えなくなって、忘れられるリスクが高まる」
・青空文庫:テキストデータなので読み上げソフトにつかえる、電子書籍化できる
・NDLデジタルコレクション
・期間を延長するとこういったデジタルアーカイブの活動が狭まる懸念がある

・・孤児著作物
・デジタルアーカイブを大規模におこなおうとすると、著作権処理のコストが大幅に高くなる。
・孤児著作物がべらぼうに多い。アメリカでは学術著作物の50%がそれに当たると言われる。保護期間が延長されるとこれが大幅に増える
・LC著作権局長が「未登録著作物は50年に戻そう」と提案したほど。

・・非親告罪化
・文化活動・経済活動が萎縮してしまう
・二次創作という創作活動のありかた
・フェアユースもない、裁判も身近でない
・第3者の通報→警察が動かざるをえない→それを事前におそれてデジタル化の現場が萎縮する

・・日本モデルの模索
・延長は登録作品のみに
・非親告罪化は累犯のみに 等


●植野淳子(株式会社アーイメージ)
・アニメーションのアーカイブ構築
・アーカイブとして何を選び何を残すのかが重要な課題。
・所蔵館での保管状況(「メディア芸術デジタルアーカイブ事業委託業務成果報告書H23」)
・メディアの寿命という問題(媒体変換のコスト、技術者がいない、再生機器が消える)
・アニメーションでは、原画動画背景絵コンテ設定で多ければ1話8000枚の紙が生じる。これらのうちの何をどのように作品に紐付けて保存していくのか。
・アニメーション埋蔵文化をつくらない。埋もれてしまうと、発掘にコストがかかってしまう。
・デジタル化したらしたで、それもまた埋蔵文化財をつくらないということ。
・ボーンデジタルの消失を防がなければならないということ
・それらを生きた文化財として。

・構想:日本アニメーションアーカイブスマネジメントセンターを中心とした、日本アニメーションアーカイブスプロジェクトにおける連携。
・オープンにすべきところとクローズにしなければならないところの仕分け、有償/無償の切り分けなどが課題。


●小塚荘一カ(学習院大学法学部)
「アクセスの未来における可能性」

・例えばコンビニの棚のどこに何を陳列するのかなど、アクセスはコントロールされている
・アクセスは、産業構造と結びつく。商店街がコンビニに置き換わるというようなことが、コンテンツ業界の産業構造に影響することも起こる。
・じゃあその産業構造のコントロールを誰が握るのか、ということ。

・iPhoneでAppleは何をやっているのか? iPhone、メーカー、キャリア(日本3事業者)、iTunes、これら全体をコンセプトとしてつなげたのがAppleのやったこと。
・電子書籍でも同じ事がおこる?
・Amazonが電子書籍において、価格を決定する、露出を決定する、評価を決定する。そういった”メタデータ”をコントロールする。そこへの危機感が日本の出版業界にある。

・プロパティのコントロール---プライバシーのコントロール---情報利用の自由


●ディスカッション
(小塚)
・著作権使用料の赤字の原因は?
(福井)
・多くはソフトウェアではないか。スタンダードを握られているから。
・プーさん1点でJASRACに相当する。

(以下、著作権一般の質疑)
・(大場さん発表の)第31条1項について(解釈の明確化)
・文化庁長官裁定のハードルを下げる
・拡大集中管理=集中管理を民間委託などする
・所有権と著作権の関係
・TPP合意後の動きについて
・映画の委員会式の製作は危険

(植野)
・所蔵機関によってルールがちがうので、ユーザにとってもコンテンツ提供側にとっても不便。共通ルールで同様に持つことができるようにしたい。
・アーカイブのフォーマットをどうしたらよいかの検討、ルールの整備。

(福井)
・各国で著作権法がちがう。それをあわせようとしたのがTPP。しかも強い方に。
・共通ルールをつくると、自由度がうばわれる。共通化しなくて不都合がないのなら、共通化が余計なのではないか。

(福井)
・フェアユースは、自由にやって裁判で決めようという考え方。日本人に使いこなせるかどうか。
・TPP後、日本でもフェアユースを(カウンターバランスとして)入れるしかないという議論が起こるかもしれない。それを先にやったのが韓国。


●クロージング・ディスカッション
司会:ローランド・ドメーニグ(明治学院大学)

(ドメーニグ)
・教育機関とデジタルアーカイブについて
(植野)
・アニメーションのアーカイブ構築を考えるのに、教育機関を中心的存在に据えている。
・アーカイブを支えるには産業界だけでは難しい。
(上崎)
・授業でアーカイブ関連の授業をしている。使う側としてだけでなく、完成していない進行中のアーカイブに学生が関与するのは意義のあること。人文系の研究が応用発展的研究に流れて、基礎的研究がおろそかになりがちだが、そういうことも大事。

(ドメーニグ)
・ハーバードサイドから
(山田)
・ユーザから見れば、MLAどこにあろうとその資料は必要な資料なのだから、見つけやすくするべき。HOLLISプラスはそれを可能にしたディスカバリシステム。ファインダビリティは克服されつつある。
(ゴードン)
・ここ20年で図書館の大学内での意味合いがかわった。場所としての図書館と、バーチャルで網羅的にカバーする役割の両方。重要性は増しているのでは。ただ、本が図書館にあるわけではないという状態が増えつつある(郊外書庫)。
(山田)
・それをデジタルスキャンで届けるサービスがある。

(ドメーニグ)
・作り手と送り手と受け手。かつて一方的だったのが、プラットフォーム・ネットワーク化でその境目があいまいになりつつあるのではないか。
(コンドリー)
・企業と、ファンコミュニティのアーカイブとが、どのように関係をつくることができるかどうか。
(ザルテン)
・いまは企業は商品を作ることはしない。商品が存在する”世界”をつくる。そこでユーザ・ファンが商品をつくることで、企業が収益を得る。そういう仕組み。
(福井)
・いま著作権は長い後退戦を戦っている状態。コンテンツ産業は下降しており、コピーライトをコントロールして希少性を確保することでは収益を得られない。これからその新しいルールの作り手が、国家から、巨大なプラットフォームというルールメーカーに手放されようとしているのではないか。流通のあり方をコントロールしようとしている新しいプラットフォームとどう切り結んでいくか。
(司会)
・北野先生の言及した「不可視化」
(フロア)
・コンテンツ自体の入手の問題とは別に、検索可能化・ファインダビリティ・インタフェースの問題でもあるのでは。
(小塚)
・本質はコンテンツへのアクセスの問題より、検索できるかどうかというメタデータのコントロールやアルゴリズムの問題であろうと考える。
(福井)
・プラットフォームサイドの肝は、著作権よりも、情報へのアクセスのコントロール。アルゴリズムやサジェスチョンは民主化されておらず、公開されておらず、ユーザのコントロールは及ばない。ヒットしない/順位が低い結果はないのと同じになってしまっている。
(大場)
・国会図書館のデジタルアーカイブは資料自体へのアクセスを保証しようとするもの。それへの検索可能化についてもNDLサーチにて取り組んでいる。ただこれだけでも足りない。そういう仕組み(アルゴリズムやロジック)を”みんな”が作れるようにするのが必要。

(くさか)
・パブリックにアクセスできるかという問題と、それを自由にオープンに利用できるかという問題。
・情報流通においては「何が”フェア”なのか」が大事なんじゃないか。
・権利を持っている自分の論文をどのように使って欲しいと考えているか? 本当に使っていいようにライセンシングしているかという問題。
(山田)
・ハーバードではリポジトリでのオープンアクセスを専門部署(ダッシュ?)においてかなりすすめている。
(ゴードン)
・たくさんアクセスされたと報告を受けるととても喜ばしく思う。コンドリー氏の言う創作するファン心理と同じでは。
(ベスター)
・いや、あまりすすんでいないと思う。手続きが難しい。アカデミア.comなどで発表する人が多い。

(上崎)
・プラットフォームが複数の小さいものになっていき制限されていくと、アクセスメリットがさがるんじゃないか。作成・発信側としても、表現自体はコンパクトになり、多様性が失われるのじゃないか。
(植野)
・海賊版でないものを確実に提供するためには、ビジネス・課金の仕組みが必要。
(福井)
・例えば、論文は自由により多く見てもらって、そして、仕事を多く受けようとする。
・ビジネスを支える収益の獲得は必要。その獲得を、今後は”どのモデル”でやっていくのか、という問題では。
・例えば、コンテンツ産業の中でも、ライブイベント、コンサートの類いは収益を伸ばしている(15年で3倍)。容易に手に入れらない”臨在感”にお金を払うようになっている。

(司会)
・来年(2016)ハーバードで続きのイベントをやるつもりであるとのこと。


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感想
・もう”おもろしんどく”て脳みその糖分メーターがどんどん減っていく感じ。途中でチョコ投入。(ブラウニー買っといたらよかった・・・)
・海外からの日本へのアクセス、という視点の話題が少数だった。ハーバードの先生サイドの話をもっと聞きたかった感はある。
・こういう話題のシンポジウムこそストリーミング中継してほしい。
・広く多様にヒットするインターネット・サーチエンジンよりも、小さくコントロールされたアプリが使われるようになったのは、ひとつには、前者では効率的な情報入手が望めない、後者のほうがほしい情報が見つかる、とユーザが評価したあらわれなのか。だとしたら、ユーザは「コントロールされたがってる」ふしもあるんじゃないか。良し悪し別にして。まあねえ、コントロールされてるほうが楽だもんねえ、良し悪し別にして。
・とりあえず、議論しつづけることだけが生きてることだなという感じだった。寝てる怪獣の背中を棒でガンガン突きつづけなければ。(いい意味で)




posted by egamiday3 at 00:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月26日

MALUI Talk in Kyoto & 近畿地区MALUI名刺交換会(2015年度)のおしらせ #KyotoMALUI


 MALUIの話です。
 ちなみにMALUIとは、Museum・Archives・Library・University・Industry = 美術館博物館・文書館・アーカイブズ・図書館・大学・企業、そしてand more!!、を指す言葉です。MLAの発展形ですね、文化資源をめぐる丸い輪のようなネットワークです。

 京都を中心に近畿地区のMALUI関係者が、酒を酌み交わし呑み交わしついでに名刺も取り交わしながら交流を深める、ということで話題の近畿地区MALUI名刺交換会ですが、今年は6月に開催されます。
 特に特に、今年は”夜の呑み会”たる「名刺交換会」に加え、”昼のしゃべり場”たる「MALUI Talk in Kyoto」なるイベントが開催されるわけです。

 ↓詳しくは、こちらを。

 MALUI Talk in Kyoto & 近畿地区MALUI名刺交換会(2015年度)
 http://bit.ly/MALUI2015

 私も関わらせていただいているので、ご紹介をと思いまして。

 「MALUI Talk in Kyoto」では、”日本情報の海外発信”を主たるテーマに、京都・近畿のMALUI関係者みなさんでいっしょに考えましょう、というトークイベントです。
 登壇者は決まっていますが、フロアの参加者全員によるディスカッションもがっつりおこないますという”しゃべり場”イベントです。
 京都・近畿、MALUI、文化資源・文化情報、そして日本から世界への発信について、わいわい、ぺちゃくちゃ、やいのやいのやりましょう、っていう感じです。

 そしてもうひとつ、当日のディスカッションにはなんとなくの”目的地”があります。

 アメリカに、「米国アジア研究協会」(The Association for Asian Studies、略して「AAS」)という学会があります。この学会はここ数年、毎年1回アジアでの年次学会を開催しているのですが、来年2016年6月には、京都・同志社大学でAAS in Asia京都大会が開催されるそうです。
 北米・アジア・ほか各地域でアジア・日本について研究している研究者が、そしておそらく、ライブラリアンほかMALUI関係者が京都においでになることと思います。

 おいでになるなら、何かできないかしら、って思うのが人情じゃないですか。

 という感じで、このAAS in Asia京都大会に向けて京都・近畿のMALUIに何ができるかについても、このディスカッションでわいわい、ぺちゃくちゃ、やいのやいのやりましょう、っていう。

 以下もご参照ください。

 「こんにちは。国際日本文化研究センターの江上敏哲です。・・・」
 https://www.facebook.com/toshinori.egami/posts/10152757256881045

 まあ、ディスカッションの結果、最終どうなるかわからないかなというような「何が出るかなイベント」なんで、幅広いみなさまにお気軽にご参加いただければと存じます。

 近畿にいないよ、という方。特に在海外の方。
 当日Ustream中継の予定、また、後日何かしら記録公開などありの予定です。

 でも、ほんとに「何が出るかな」な感じですし、ていうかいろんな方のディスカッションを聴きたくある感じなので、ぜひMALUIな現場にご参加いただければと思います。
posted by egamiday3 at 18:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月24日

(メモ)公的研究費の不正使用防止に関するコンプライアンス研修会


・研究費の不正使用に含まれるものとして、
 他の研究課題への流用
 複数の経費の合算使用
 研究期間外での使用
・私的流用だけが不正使用ではない。むしろほとんどが私的流用ではないが、不適切な経理。(では、”不正”や”不適切”の概念は何に根差すか?)
・2007年「研究機関における公的研究費の管理監査のガイドライン(実施基準)」制定 → 2014年「同」改定
・研究現場の実態や制度にそぐわないルールがあれば、窓口に問題提起していただいて、実効的なルールの策定のための協力とフィードバックを行ってほしい、とのこと。(←案の定質疑応答でここが軽く燃える)
・機構内外からの告発通報をうけつける窓口を設ける。実際のところ、大半の事例の発覚が内部からの不正告発であるとのこと。あとは、業者からの告発、という例。(「これやってくれって言われたんだけど、やりたくないんですけど」)
・契約というのは原則として事務部門が行うものである。なぜなら研究者は当事者で事務員は第3者である。(ちょっと納得いかない) 研究者による発注行為は例外行為である。例外としてあるのは、資金の前渡しを受けての購入。研究者自身の立替支払。海外での使用など。
・リスクアプローチ監査。不正が起こりやすそうなところへ重点的にチェックを入れる。旅費とか。(なんかもっと端的なネーミングはないか)
・研究助成プログラム等で得られた研究助成金は、研究者個人ではなく、機構が寄付金として受け入れたうえで管理を行なう。
・法人・研究者・共謀者に対して、競争的資金への申請資格が奪われる。(私的使用かどうかでその期間がかわる)
・「目的積立金」として認められたものについては、節約によって次年度以降に繰り越すことができる。

・例
・海外出張で予定していたミーティングがおこなわれなかった。→先方の都合などによって実施できなかったなどの場合はその旨を出張報告書に記載し報告する。
・予定外の移動先(別の国など)へ行った。→研究目的と異なる行き先への訪問は不正。実務上必要だった場合は帰国後速やかに変更申請を行う。
・会議費支出伺に記載されたのと実際の会食参加者が異なると、不実の記載として、不正に該当する可能性がある。
・研究目的と直接関係ない学会年会費や名刺代の支払→×

・類型
・預け金(買ってないのに買ったことにしといて金銭を業者に管理させておいてゆくゆく使う)
・品名替え(お酒を別名で買う)
・分割発注(1件の購買取引を一定の金額以下に抑えて、相見積もりとかで済ます)
・合算使用(二つの別のプロジェクトからお金を寄せ集めてひとつのものを購入する。ルール上認められる場合もある)
・カラ出張(私的旅行、家族同伴などを含む)
・カラ謝金/還流(研究補助者への給与を水増しして支給してプールする)

 個人的な感想としては、○×問題で「〜〜ない」という否定で終わる文を提示してはいけない。というのはクイズ研的に基本。
 あと、ルールって何か。ガイドラインとは。それは”ききわけのよさ”なのか。

posted by egamiday3 at 22:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月21日

(メモ)「デジタル化資料活用セミナー」 #NDL送信 にまつわるもろもろ


 開始から1年ちょっとが経ったNDLさんの図書館送信サービスですが。
 先日(2015年3月20日)、国会図書館さん主催で「デジタル化資料活用セミナー 〜図書館送信の利用の実際と活用法〜」が開催されました。

 デジタル化資料活用セミナー〜図書館送信の利用の実際と活用法〜
 http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/20150320digi_info.html

 デジタル化資料活用セミナー:図書館送信の利用の実際と活用法 2015.3.20 国立国会図書館 #NDL送信 - Togetterまとめ
 http://togetter.com/li/797311

 ディスカッションのパートでコーディネータをさせていただきました関係で、このサービスにまつわるいろいろな話題・コメント・質問・実情などなどにたくさん触れまして、また自分であらためていろいろ考えたこともあり、そのあれこれを記録としてまとめておきます。


●全体像
・NDLデジタルコレクションの図書館送信サービスについて、参加館にしろ未参加館にしろ、どういうことが主な疑問点や悩み点になっているかというと、だいたいざっくりと以下のような感じにまとめられるみたいです。
 −利用の実態(利用者層・利用者像、利用頻度、資料の傾向)
 −具体的な活用事例
 −広報・PRのしかた
 −端末の具体的な運用(端末の確保、場所、自館ルール)
 −複写(自館ルール、手順、画質)
 −複写における著作権判断
・これ以外になると、今度は逆に”個別事情”にもとづく個々の質問・悩み・要望という感じになってくる。そういう性格のサービスであるなということ。
・もうただひたすら「お気軽に相談して下さい」ということ。これを当事者でないあたしがあまり言うのも気がひけるんだけど、最終これを言うしかない、どんなことでも相談してみたらいいと。

●参加館数が増えない
・いまやっと456くらい。
・県立レベルでも数カ所未導入。
・後述するあれこれ総じて、このサービスは「やってみなければわからない」し「ふとしたことで役に立つ」ものではあるけど、だからといって「やってみなはれ!」((c)鴨居の大将)で導入できるほど敷居が低いとはちょっと言えないという、手続&利用条件的に。

●ユーザ像
・未導入館にとっては、どんなユーザがどんなふうに使いにくるんだろう(頻度とか)、というのが関心事っぽい。まあ心配事にはなるよな、というのはわかる。
・ただ、北大さんの統計数字なんか見てもまさにそうなんだけど、一部のヘビーユーザによって数字が大きく左右する、というような感じがいまのところの大方なんだろうなと思うので、どうなるかはわからないという意味では心配してもしょうがないというのはあるかも。(例:複写枚数が総数4300で、一人の最多枚数が1200とか)
・ただ、「30分未満」の短時間と「60分以上の長時間との”二極分化”的傾向はおおむね言えそうな気がする。

●活用するには
・結局何に使えるの?/何に使ったらいいの?というのが、おおかたの悩みみたい。
・実際どんなふうに利用されますかとコメント求めると、まあたいていが、レファレンスの過程でとかILLの過程でその中にあるってのがわかって、そこへ案内する、というパターンですよね、このサービス・仕組みありきというあれではない。
・自分的には、このサービス自体には訴求力がそれほどあると言えるわけじゃなくて、資料自体のほうで惹きつける、資料に語らせるほうがいいだろうなって思います。こんなおもろい資料がある、我が町に関する資料、話題のトピックに関する資料、懐かしのあの人の記事、で、それはこのサービスで、っていう。
・だって、ふつーに岩波文庫・新書の古いのが読めるっていうだけでも、充分すごくないですか。筒井康隆の小説が初出誌で読めるとか。
・あと婦人雑誌とか映画雑誌も入ってるし、ゆったらちゃらちゃらしたエンタメ路線でもいいです、例えば「吉永小百合」「男はつらいよ」で検索したらまあまあヒットする、30年前の吉永小百合のインタビュー記事があちこちに掲載されてるのが読めるとか。
・資料目線で、っていうコメントは参加者からもあって、「地域に関する資料をあらかじめリストアップして置いて、レファレンスに利用したい」と。
・あと岡崎市立中央図書館ではホームページで実際そういうことをやってる、という紹介とか。
 http://www.library.okazaki.aichi.jp/?page_id=293
 これは近代デジタルライブラリーの例なんですけど、近デジの中に収録されてる岡崎地域関係の資料を簡易目録化して載せてるという。
・こういうのって、従来から図書館員がやってきたような情報編纂スキルの格好の発揮場所だと思うんで、例えば「地域」だけでなく、「時事のトピック」「人物」「分野別パスファインダー」に含めるなどなど、この視点からだけでも活用すべきやり方はいくらもあると思うんですよね。
・例えば単純に言って、自館所蔵資料で、近デジやデジコレで見れるものリストとか、OPACからのリンクとか。
自館OPACに送信対象資料のデータを搭載したい、というコメントもあって、NDLサーチのAPIを使ったらそれもできるっぽい、あたしではちょっとちゃんとはわかんないんだけど、いつかわかれるようになりますように、リンクは下記。
 「外部提供インタフェース(API)」(NDLサーチ)
 http://iss.ndl.go.jp/information/api/
 「オープンデータセット」(NDL)
 http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/standards/opendataset.html

●複写・複製
・複写についてのポイントは、
 −運用
 −画質
 −著作権
 の3本柱。
・うちとこの事情を記録しておくと、送信サービス初めて1年での複写実績は、申し込み件数が750件、枚数なら万はこえてるでしょう(北大さんの倍・・・)。かといってNDLさんへの複写依頼が劇的に減っているというわけではない、通常の変動範囲程度な感じです。
・大阪府でカラープリンタ導入。ただし現段階で統計見る限りでは、数ヶ月に1件程度か。
・著作権の話はもうあれですね、話し始めると止まんないし終わんないしそして結局わかんない、っていう。
・ただ、著作権の判断は各図書館で、とのことで、例えば自館で独自に調査した結果「この資料はもう著作権切れてる」って判明したんだったらそれでいいよ、という感じ。あと、自力で著作権者に許諾とれたんだったら、NDLさんからの許諾はいらないとか。
・直接来館しないでの複写依頼で、複写していいか、という問題。これについてはNDLさん的には「参加館で複写物を手渡しならいい」とのこと。だから、導入館・県立図書館さんが非導入館・市立図書館さんの求めに応じて複写物を送ってあげる、というのはできない。市立図書館さん、導入してください、ということになると。NDLさん的には。
・ていうか「図書館送信」以前に、「インターネット公開」であっても、「著作権保護期間満了」だからインターネット公開してるものは複写できるけど、「著作権者許諾」とか「文化庁長官裁定」とかでインターネット公開してるものは図書館が複写しちゃいけない、だってあれはおたくの図書館の所蔵資料じゃないでしょ(31条的に)、ていうことみたい。
・あと著作権法31条1項3の「他の図書館等の求めに応じ、絶版その他これに準ずる理由により一般に入手することが困難な図書館資料の複製物を提供する場合」は、マジでもっと周知されてください。
・もうひとつ、参加館にとってわりと切実なのが、実際の送信サービス画面をチラシとかポスターとかに写真で載せて広報しまっせ!というのが、複製的にアウトだという話ですね。それって困るでしょうと。例えば今回のセミナーでのプレゼンで画面を映すにあたって、その写真載せたりやっぱするでしょう、と。でもそれってダメなんですかね。
・と、思ってたら、このセミナーでのNDLさんのパワポ&配付資料をよくよく見てみると、事例写真として使われてるデジタル資料の画面というのが、インターネット公開(著作権切れ)かそうでなければ自館出版資料(著作権じぶんとこ)で、送信サービス対象の資料の写真は使ってなかったという。ガチだった。軽く戦慄が走った。

●その他もろもろ
・例:大阪府立図書館さんは既存の利用要綱を改訂して送信サービス利用をこの中で可能にさせたとのこと。
 大阪府立中央図書館データベース・CD-ROM端末利用要綱
 https://www.library.pref.osaka.jp/site/kisoku/lib-dbyoko-c.html
・端末の利用について。おそらく参加者が静かにざわついたのが、大阪府の「自動ログインツール」。これはマジ。
・このサービスを利用できる図書館とはについて。このサービスを利用可能な「著作権法第31条第1項が適用できる施設」として、「文化庁長官指定施設」があり、その例として「国際交流基金図書館」が挙がっている。
・登録利用者とは誰ですか?問題。考え方としては「各館が特定の条件を設けて登録している人」ということで、学外者も利用登録するんだったら対象にできますけど、まあ個別に相談してくださいとのこと。ちなみにうちとこは「こういう規則なんですけど」って相談したら「OKです」って言われたです。

●余録
・福井の人は関西館会場に来てはったけど、富山の人は東京会場にいてはった。北陸新幹線・・・。

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2015年02月05日

(メモ)博士学位論文の公聴会


 博士学位論文の公聴会の類の、異なるいくつかに続けてうかがって、いろいろお話を聞いていたら勉強になったので、そのメモ。特定を避けて内容には触れず、研究と論文と発表と質疑のあり方みたいなのについて、主に。


●その1
・自然科学がらみの社会学系
・主査1人、副査2人、タイムキーパー1人、オーディエンス3人。
・発表30分。質疑30分。
・時間によってベルが鳴る。時間はおおむね守られる。
・主査の司会的役割が大きい。

(プレゼンとして)
・こういうときに主査・副査・オーディエンスへの配付資料の準備は、必要か不要か。
・パワポを使う。
・パワポのデザインが決してわかりやすい・伝わりやすいというようなものではなく、いたって事務的なもの。わかってる人むけのプレゼンだからということか。
・それでも、飛び込みで聴きに来た分野外のいい加減な自分にもある程度わかるような説明の仕方。
・すごいスラスラとしゃべってはるから、それなりに練習したのか、あるいはそういう人なのか。
・時間が足りず、ベルがちんちん鳴らされるけど、ふつーにしゃべってはる感じ。

(研究内容)
・何章かあって、各章はおおむね個々の論文として発表されており、査読あり論文誌等に掲載されている。それらが合わさって学位論文として構築されている、というパターンのやつ。
・統計に次ぐ統計。数式に次ぐ数式。
・実態調査の分析と机上の推計とを比較する。自分の分析の正当性を、別の観点から証明・主張する、みたいな感じ。
・現状の問題点を指摘する。
・これとこれを使ってこれの実態を探る、という考え方の説明をする。
・今後の研究の方向性。

(質疑応答)
・本人の発表→主査の受け→副査の質問・コメントへ。
・個々の章(論文)の質は充分だけども、章同士の関連性や、全体の整合性が薄いのでは、という指摘。・方法について、新規性はあるが、唐突ではないか、という指摘。
・発表者のこたえるターンでは、副査の指摘や疑問点に対して、特に何かを見ながら確認するでなくスラスラと、しかも長めにこたえはるので、ちゃんと全部わかってるってことなんだなあと。
・「元になった論文誌の査読で、こういう指摘を受けた」。
・この学位論文が伝えようとしているメッセージは何か、について。
・これこれこういう修正をして、ここを延長して、それで学位論文として認めてよいですか、よいです、で終わる感じ。

(感想)
・こんなにたくさん前向きなダメ出ししてもらえて、うらやましいなあという感じ。


●その2
・実務よりの社会学系
・主査1人、副査2人、タイムキーパー1人、オーディエンス3人。
・発表30分。質疑30分。
・時間によってベルが鳴る。時間はおおむね守られる。
・パワポ配付あり。

(プレゼンとして)
・まず結論を言う。

(研究内容)
・この背景と、この先行研究と、この既存の理論をふまえ、仮説を立てる。
・その仮説は図・モデルで示すと、こういうことである。
・論理・学説を示す。←→それについてのなじみのある風景(事例・実情)を示す。
・研究方法は、半構造化インタビューと質問紙調査。これを統計的に分析して、仮説を証明する、という。
・インタビューは、インタビュー+作業(被験者?に作業をさせる)
・これこれのことを測定するのに、こういうアンケート質問によって調査する。このやり方が正しいかどうかの検証のため、他の視点からの調査も同時におこなって妥当かどうかをチェックする。
・結果を分析して、モデル図を描いて、有意に違いがあったところを指摘する。
・そしてやっぱり統計。
・この研究の問題点は、測定の尺度・客観性をどうするか。

(質疑応答)
・客観的な尺度について。
・定義が文脈で揺れるのではという指摘。
・この研究と提言の、意義について。具体的にどうするのかについて。
・インタビューやアンケート結果について、想定外だったり解釈が難しかったりという件について。

(感想)
・その1もそうだったけど、問われるのは「自分の研究をいかに客観視できるか」かなあ、という感じ。


●その3
・人文系、哲学。
・主査1人、副査2人(全員学内から)。オーディエンス10数人。
・発表30分、質疑90分の予定。実際には質疑がさらに30分延長。
・タイムキーパーなどいない。「時間なので」と言いつつ、さらに質問やコメントが続く感じ。
・レジュメあり。

(研究)
・研究にいたった個人的事情と想い。それをふまえての研究テーマの設定。
・先行研究をふまえて、これまでは充分でなかったこれこれの考察・こういうアプローチを、批判し、補完し、検討する。それはこのテーマの研究にこういうふうに貢献できる。
・対象となる著作・文献を分析する。
・その対象の受容・研究を分析・評価して、モデル化して、不足・不十分を指摘する。
・その対象を歴史的文脈を踏まえたうえで分析する。
・自分の分析と、先行の受容・指摘とを比較・評価する。
・対象をよりよく考察・検討するためのモデルを、構築する。

(質疑応答)
・文献を深く読み込んでいるかどうか。文献に広く目を配っているかどうか。
・あれは読んだか。これは読んだか。
・この考え方は、すでに誰々のこの論にある。
・これを読めば、こういう考え方ができるようになる。
・基本的にこれの応酬>「この件については、自分はこう考える。なぜなら・・・」。(根拠として、対象、著作、その受容・先行研究、歴史的文脈・影響関係)
・考察の対象とするものを、狭く特定しすぎていないか。深く読み込みすぎていないか。
・こういう考え方ができるのではないか。こういうふうに発展させてはどうか。
・この論は、研究者としてか哲学者としてか、どういう立場でのものか。
・自分をもっと出してはどうか。
・「とりあえず今回の博士論文のテーマにしぼって考えれば」(←これをちょいちょい言わないといけないくらい、議論が広がる)

(感想)
・学問の道に終わりなどないとは、このことか。という感じ。

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2015年01月31日

極私的・2015年の絵馬(活動指針メモ)


 絵馬。
 それは今年一年の活動指針。


●タイムライン
2007 HVU
↓  ↓
2008 NBK・JLA
↓  ↓
2011 ↓
2012 本棚の中のニッポン
↓  ↓
2015 ===いまここ===
↓  ↓
↓  Something
2020 ↓
2022 ↓
  

●イベントごと
2015.06 AAS台湾
2015.09 EAJRSライデン
2016.03 CEAL/NCCシアトル
2016.06 AAS京都


●2015年の絵馬
・Somethingへ向けて、"助走"します。助走は"走"です。
・忙しさ(客)を、"良い忙しさ"(主)へ転化させます。
・NBK(local)を、NBK"からの"(social)へ可視化させます。
・"アルファ"を選別的に志向します。つまらんことにリソースを割かないでください。
・生活習慣の改善のため、"有酸素運動"を意識します。これはマジです。
・環境の整備には、投資くらいしてください。


posted by egamiday3 at 11:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

(メモ)同志社大学図書館司書課程講演会「『見たことのない図書館』を考える」


同志社大学図書館司書課程講演会
「『見たことのない図書館』を考える」
2015.01.10@同志社大学

「同志社大学図書館司書課程講演会「『見たことのない図書館』を考える」」 http://togetter.com/li/768227

 ちゃんとしたレポートは上記togetterの空手家・水泳家の人のをご参照いただければ充分なので、以下ここでは、極私的な感想、心にとどめたいorとどまったこと、およびなんとなく考えたこと等のメモ。


●村田晃嗣氏(同志社学長)
・スライドなし。しゃべりのみ。え、学長は桂一門ですか笑福亭ですか、というくらい、噺家かのようにしゃべりが上手くて勉強になった。ひそかに録音しときたかったという。さすが人前やテレビでしゃべりなれてはるだけあって、こんなふうに講演できたらいいなっていう。もちろんどっかんどっかん笑わすという意味じゃなく、噺に引き込まれるというタイプの噺家。
・なにより、専門外であるはずの”図書館”というネタにこれだけ自分で肉付けして魅力的にしゃべれるっていうあたりが、なんだろう、”人文力”とでも言うか。(法学部の先生だけど)
・北米の学術図書館の紹介、”ライブラリーとアーカイブスの機能を両方持ち、有機的に結びつく”とか、”事前に研究調査の主題を伝えておくと、蔵書の説明とその主題資料の準備をしておいてくれる”あたりは、うちがリアルに目指さなあかんところだなと思いを新たにさせられた感じ。
・ほんとこれ、ていう。>”近年、社会連携が問われる大学。自分たちだけの空間ではありえない。一方で、何かに熱中する人のための逃避没頭の場が大学である。4年間は無理でも何年間か一定期間は社会から隔絶された静謐な空間を学生に提供する。それが図書館ではないか”(要約)

●長尾先生「夢の図書館を目指して : 20年後の知識システム」
・NDLは国会議員への調査サービスは非常に高度だけど、一方で外国情報の収集が手薄で、日本の将来が心配、とのこと。
・このへん、やっぱ京大の人だなあと>”NDLは税金でできておきながら東京近辺の人しか使えないではないか”
・長尾先生がおっしゃるには、デジタルにも2段階のフェーズがあって、フェーズ1は読者がコンテンツを受け取って終わり。フェーズ2はインタラクティブ、とのこと。←では、インタラクティブの次のフェーズは何になるんだろう? どのフェーズでも次の発想の転換が求められることになるんだろうけど、そのスピードは確実に速まってる(というか尺度が別次元になるというか)。
・Googleも20年もつのか、行き詰るのではないか。主に電力的に。という話。
・「人間頭脳の知識構造に近づく電子図書館」の話で3時間くらいききたい。

●中山正樹氏(NDL)「電子図書館事業20年を迎えた新たな方向性の模索」
・パイロット電子図書館プロジェクト、PORTA、NDLサーチ、そしてそこからの、東日本大震災アーカイブ。という電子図書館事業の流れ。そうか、”からの”なんだな、という感じ。知識インフラ構築を目指したもの。

●井上真琴(同志社)「知識はここで目を覚ます : なぜラーニング・コモンズを創ったのか」
他者が学び考えるその行為そのものが”情報”になる。考えるという行為は本来見えないが、それを可視化して、互いの思考過程という”情報”を共有する。その空間がラーニングコモンズである、と。←ラーコモ論の中で一番腑に落ちる。
・図書館がやってきた従来の”情報のロジスティクス”にとどまるんじゃなくて、それをどう活用すれば思考や生産につながるか、学びの認知メカニズム、文脈の判断、再編成へ。

●ディスカッションの時間
・司会たいへんだこりゃ、と思ってたら、よくぞこなしきった、という感じ。
・これはダメだ、ツイートできない、というような発言が出ると誰に指示されるわけでもなく一斉に中継がカットされるという、中継者たちの謎リテラシーw
・井上さん”情報をほしくて検索することはない、見つけたものをどう使うかばかり考えている


●という話を聞きながら極私的に考えていたこと。
・全体的に夜空のムコウ的というか、あのころに描いていた未来の見たことのない図書館がこれまでどんなふうにここまでたどってきたのか、という時点にいま立って、からの、そしてこれから。というような時間的流れの矢印が引かれてる上で話を聞いてるという感じ。
 まあ、「見たことのない図書館」タイトルはレトリックだろうし、文字通りに考えてもそんな”見たことのない図書館”をつくることがそもそも”是”なのか?という議論のほうが気にかかるんだけども、それはそれとして。

・例えば自分の担当する司書課程科目は一般の学生(司書資格関係ない)もとれて、2回生が多いのかなという感じなんだけど、そういう場で「この大学の図書館にまだ行ったことない人」と聞くと、これがまあまあ結構な数の学生が手を挙げるんですよ。資格不要とは言え科目名に"図書館"がついてるのをとっといてw つまり彼らにとって実際あの図書館は文字通りに”見たことのない図書館”、っていう。
 ただ、ほんとのほんとに見たことのない図書館ができるとするなら、その発想の種はおそらくその、まだ図書館に行ったこともない行く気もしないような人らの中にこそあるはずであって、あたしなんかのように図書館業界に身をべっとり浸してるようなぬらりひょんの頭の中にあるようなものでは、たぶん、絶対に、ない、それはどうしてもどこか既視感のある発想になっちゃう。
 だから、ぬらりひょんは、いや「図書館」は、そういう図書館を見たことのないレベルの人=「図書館じゃない」と積極的に連携して、いや連携とかじゃなまぬるいくらいのとろっとろに溶け出て溶け合うようにしていかないと、見たことのない図書館とかいうやつはつくれないでしょう。(注:ここでいう「図書館じゃない」って、MLAとか教育・文化行政ごとき身内親戚筋レベルの相手じゃなくて、壮絶に無関係な、でもこの世界の大多数を構成している種々。)

・一方そのころ、「図書館にもちろん行ったことある」方の、図書館に興味を持ち司書資格を得るのに勉強してきている学生さんたちはどうかというと、かといってほんまにがっつり図書館の仕事に関わることになる人ってたぶんそんなに多くはなくて、社会の「図書館じゃない」のあちこちの現場に出て行って、そこで、図書館学的・情報学的・司書的な考え方やはたらきを活用していくことになるんだろうな、という。それを社会というか世界総体を引きの画で見たときに、そういうふうになんとなく「図書館的」なのが、図書館という限られた場所なんか踏んづけ蹴散らかして、社会世界のいろんな場所で、ふわふわでもきりきりでもいい、まわっていったらいいと思うんですよ。

・この世界の大多数の「図書館じゃない」と、社会の隅々に散在する「図書館的」と、ぬらりひょん(えっと、ぬらりひょんってそもそもなんだっけ?w)な「図書館」とが、とろっとろに連携して、ほうせんかみたいにぱっと散って、綿毛のように遠く漂っていって、もはや可視化はされないものの、何かしらの図書館的な要素・考え方・機能が世界の端々・節々にステルスでインストールされてる。で、社会・世界総体をなんとなあく図書館っぽいはたらきが覆っている。
 そういうのを”見たことない”図書館って言うんじゃないかなあと思うし、そしたらそれはもう”図書館”でもなんでもないし、そしてそれでいい。いや、それがいい。

・追加。分類体系を考え直さなきゃみたいな話が出るけど、分類って、要は考えのマッピングみたいなもんだから、人・時代・社会・文脈によって異なる変わるのが当たり前で、技術的に固定させる必要がなくなったんだったら固定しないで済ませればいいんじゃないか。

posted by egamiday3 at 21:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月12日

(メモ)『誰が「知」を独占するのか : デジタルアーカイブ戦争』(福井健策)の第6章・提案部分まとめ

誰が「知」を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争 (集英社新書) -
誰が「知」を独占するのか-デジタルアーカイブ戦争 (集英社新書) -

福井健策. 『誰が「知」を独占するのか : デジタルアーカイブ戦争』. 集英社新書, 2014.

 資料論なりメディア活用論なりで授業で触れてあるいは読ませてというのに吉なわかりやすい本だったんですけど、それはそれとして、最後の章に箇条にして書いてある「提案」の部分が、極私的に相当の本編だったので、メモ。
 だって章題がもう「アーカイブ政策と日本を、どう変えて行くか」ですもの、こんなにも切実な、直接的な、ほんとこれ的な。


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 第6章 アーカイブ政策と日本を、どう変えて行くか

1. ナショナル・デジタルアーカイブを設立し、当初2000万点のデジタル公開を実現せよ。

提案@ 自力でデジタル化出来ない文化施設や個人のためにデジタル化工房を各地に設置 (インフラ整備、参画可能化、ローカル)
提案A 全国のアーカイブをネットワーク化し、独自の横断検索を実現 (流通、ファインダビリティ)
提案B 収集と投稿機能を備えたナショナル・デジタルアーカイブの設立 (資料保存、全メディア・アーカイブ試案)
提案C 各教育機関と連携した、デジタルアーキビストの育成と研修プログラムの充実 (継続のための人材)

2. オプトアウト制で、孤児作品問題をはじめ権利問題に抜本対処せよ

提案D 孤児作品や絶版作品のデジタルアーカイブ化を促進する法制度の導入 (仕組みの整備、ここは本文を要参照)
提案E 諸外国との間で、孤児著作物の相互利用協定を締結
提案F 法改正で所有権、肖像権問題にも対処を

3. 世界のデジタルアーカイブと接続し、オープンデータで日本文化を発信せよ

提案G 税金を投じたデジタルアーカイブではオープンデータ化を原則化し、基本的にパブリック・ライセンスを付与 (オープン化)
提案H ユーロピアーナなど各国デジタルアーカイブとの相互接続の促進 (国際発信)
提案I 無料字幕化ラボの設置 (テキスト化、英語化・翻訳)

4. まとめ 再びコンクリートから情報へ (ヒト、カネ)

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(メモ)『近代学問の起源と編成』を読んだメモ

近代学問の起源と編成 -
近代学問の起源と編成 -

『近代学問の起源と編成』. 勉誠出版, 2014.
 長尾宗典様よりご恵贈賜りました。
 全部じゃなく気になったのを読んだのですが、視点の持ち方を勉強になったのでこれは折に触れて読み返したらいいなという感じでした。
 例えば、最後の論文の最後のまとめに出てきた「予算獲得のための研究があってもいい」という言は、それだけ見るとえっ?てなるけど、ひととおりざっと読んだ上で最後に見ると、あ、うん、そうそう、ふつーにあり、ってすんなり身体に落ちる、っていう感じ。


●総説 近代学問の起源と編成(藤巻和宏)
・学問という営為に潜在するバイアス。
・周到に構築された学問環境、フィルターを通さずに、研究対象に接するのは難しい。時代の文脈、受容のされ方、政治性の介入もある。研究は無色透明ではない。
・学問領域の編成もそうで、範囲の画定と囲い込みがされ、対象が限定される。文科省が定める科研費の「分科細目表」がその最たるもの。
・前近代から、西洋を受け止め、近代にいたった、日本の学問の起源・構築・再構築を考察する。
・◎別役実「鳥は鳥であるか」

・本書の構成
-明治の学問(第1章 近代学問の起源と展開)
--近代学問「編成」への階梯
--西洋学問の受容基盤としての外国語(翻訳、外国語教育。)
--新たな学問の諸相
・中国語由来の「文学」がliteratureの訳語とされたことによって、その意味が「学問」→「言語芸術」に変容してしまい、日本古典文学を芸術として理解しようとした。
・西洋学問としての神話学が科学的とされたことで、神話学の有する政治性を隠してしまった。農学教育が英国流からドイツ流に変更された。など。

-近代とは(第2章 近代学問の基底と枠組み)
--科学の近代
--西洋・近代というバイアス
--近代学問の枠組み
・宗教を研究対象としたときの、西洋的・近代的なバイアスの存在。宗教における前近代的要素を近代に比べて過小評価しかねない。そのバイアスを自覚する必要がある。

-学問の内と外(第3章 学問の環境と諸問題)
--研究領域の可視化と変容
--学派と社会
--研究活動の外郭
・ボードレールはいかに学問の対象となったか。研究対象は自明ではない。
・社会科学研究が社会情勢の影響を強く受ける。
・明治期の美術史研究が、日本のイメージを西洋に宣揚するための通史構築、文化財調査であったこと。


●近代国学と人文諸学の形成(藤田大誠)
・国文学国史学が国民や国民性を再生産したものとしてその政治性やナショナリズムの存在を訴えることは、ともすれば反国家主義のレトリックになりかねない。資料による実証で説明・理論に結びつけるべき。
・総合的日本文化学としての「国学」が、近代日本の人文諸学の基盤ととらえられてきた。
・近代国学は、漢学系学問や西洋諸学問との連携、拮抗、共鳴部分を見いだした上でのスムーズな導入、接続させるなどしていた。
・帝国大学国史科は、漢学出身の学者やドイツの歴史学者の協力で、実証史学としての国史学を確立していった。
・◎芳賀矢一「国学とは何ぞや」
・芳賀矢一は、文学や史学が専門で分かれるのではなく、人文諸学の総合的学問としての国学の発展を訴え、「日本文献学」としてとらえなおし、再構築しようと構想した。(国語、国文学、文献注釈、国史律令、有職故実、古器物・考古学)
・帝国大学では蛸壺的な専門分化が進行したが、私学の國學院においては一貫して総合的学問としての国学を保持していた。(その後、東京帝国大学では「神道学」が人文諸学を再統合)


●明治期における学問編成と図書館(長尾宗典)
・諸学の編成に図書館はどう寄与したのか。
・帝国図書館(東京図書館-東京書籍館)、帝国大学(-東京大学)附属図書館を対象に。
・蔵書構成@東京図書館。近代学問がドイツ中心になってきていても、洋書の収集は英語が主だった。
・蔵書構成@東京大学。東京書籍館より圧倒的に洋書が多い。明治21年を境にドイツ語が英語を上回る。
・明治期の図書館分類は、江戸の伝統を継承した体系だった。それが明治20年頃を境として、江戸の知的伝統から脱し、近代学問編成の基礎が形成され始めた。明治20年代の東京図書館・帝国大学図書館の分類表は、明治前半期に追求された近代学問の一覧表であるといえる。
・◎薄久代『色のない地球儀』


●近代科学の起源 : 本質を探求する学としての科学(森田邦久)
・科学と近代科学をわかつものは、「実験」。「機械論的世界観」(←→目的論的世界観・アリストテレス)
・ロジャー・ベーコン(13C)はイスラム科学を取り入れ実験観測を重視した。
・目的論的世界観:「不完全な金属は完全な金に近づく」(→錬金術)。世界の中に神の意志が存在する。
→機械論:ラヴォアジェ(18C)近代化学の父・質量保存の法則他。経験を重視する。
・「モデル」と科学的説明について。
・「モデル」は、個別の事例ではなく、それらに共通する本質を取り出し、現実世界を抽象・理想・単純化したもの。科学が、現象に理論的説明を与えるときには、このモデルに理論を適用することになる。モデルを批判し、修正を加え、科学が発展していく。(モデル≒実験。実験はコントロールされた経験であり、調べたい現象を再現させる)


●〈実証〉という方法 : 〈近世文学〉研究は江戸時代になにを夢みたか(井田太郎)
・東京帝国大学・芳賀矢一は、ドイツ文献学を日本の文学研究に導入した。自らの過去を知る、近世以前と明治時代を通して展望する、時代精神と作品・作者を結びつけて考える。「文学史」。国民国家において国家の須要に応じる。
・池田亀鑑『古典の批判的処置に関する研究』。文献学の本文批判によって始原を復元する技法の確立。
・京都帝国大学・潁原退蔵・野間光辰・中村幸彦。校勘学。資料派。東京ほど時代精神と密着して考えない。
・外地(台北帝国大学・京城帝国大学)は本土より給料が良く、新設のため予算が潤沢で、戦中でも古典籍国乳が継続されていた。
・私立大学が大学に格上げされるときに図書館の蔵書数が要求されたが、求められるのは洋書であり、和古書は無関係だった。
・官立大学では近世文学は講じにくかったが、図書館とその周辺には、近世文学の専門家愛好家がアジールのように存在し、収集・書誌学研究をおこなっていた。在野の所蔵家・愛好家がいた。そこでの「近世のイメージ」が現在の近世文学・近世文化のイメージにつながっている。(体制に抵抗する庶民、知的自由へのあこがれなど) 春画も?

・戦中、ナショナル・アイデンティティに奉仕するための近世文学研究が要請・構築された。日明戦後、資料派が「実証性」によって政治性を回避するほうへ。
・実証性によって近世文学を「復元」する。→「復元」するためには対象の範囲確定が必要。→”文庫”(という限られた範囲のあるもの)を対象とする。(例:古義堂文庫目録)→実証性の殻に閉じこもったり、実証性を客観性と混同して無色透明と誤解したりする。
・実証的な方法を偏重しすぎる→閉じるほうへ。鳥瞰図を構想するような論文が専門の学会誌で掲載されることはまずない。
・『国書総目録』。それを踏まえた国文学研究資料館のマイクロ収集。→資料乱獲競争、データ主義、資料の海+実証性・資料派+デジタル化 →なんのために近世文学を研究するか、社会的位置づけをどうするのか、という問題が見えにくくなった。
・時代区分という便宜上の区分を超越した巨視的な新規モデルが提示されなかった。


●日本の美術史学の展開過程とその特徴 : 1910-50年代の学術研究化(太田智己)
・前史。鑑定、鑑賞。画史、画人伝。落款印譜集、図録集など。
・明治期の美術史研究の課題は、日本美術史の通史の構築だった。日本の国家イメージを西洋に対して宣揚する、対外的文化戦略の手段として必要とされた。
・1890、東京美術学校で「日本美術史」講義開始。岡倉天心。
・1900『Histoire de l'art du Japon』刊行、パリ万博出品。(邦訳『稿本日本帝国美術略史』)
・東京帝室博物館での日本美術史編纂事業(1901-)
・『国華』(1889-)。半官半民で日本古美術の図版を掲載し欧文版を海外に流通させた。
・国による大規模な文化財調査。

・1910年以降、美術史学が”学術研究”となっていった。
・学術インフラの整備: 帝国大学で美術史学という特定の学問を学ぶ課程を設置する。職業研究者のポストとして研究機関を設立する(東京帝室博物館など)。学術雑誌(総合誌や批評誌ではなく)を刊行する。学会・コミュニティを設ける。
・学術インフラを整備する→専門職業としての研究者が、学術研究としての活動を持続的に行うことができる→安定的で持続的な学術知生産ができる。
・主観的鑑賞から「科学」へ。
・研究費受給体制の整備。科研費のカテゴリが、”哲学の下の美学と合同”から、”史学の下で美術史単独”へのりかえ。単独で安定した研究費の確保ができる。

・日本美術史学では、西洋の美術史学の方法論を体系的に移入した経験がほとんどみられない。(西洋の素材・技法が日本古美術に適用されない?)


●「文化情報資源」をいかに活用していくか : 博物館・図書館・文書館が連携し合う時代の学術情報流通(岡野裕行)

 (全文すべて参考にすべきなので、メモ省略)


●学問領域と研究費(藤巻和宏)
・学問編成の問題を、研究費に注目して考える。
・科研費を申請する際、「分科細目表」の中から選ぶことになる。
・分科細目表では、新たな領域をどう扱うかが課題となっている。
・「時限付き分科細目表」。たとえば「震災問題と人文学・社会科学」など。既存の細目ではカバーできない分野が可視化される。新たな研究領域が独立して安定的に科研費を受給できることにつながるので、たとえば時限付き細目に設定された分野について「採択されなくてもいいからとにかく応募数を増やせ」というような動きが出たりする。
・日本文学研究の世界には、過剰なまでの”時代区分”へのこだわりがある。学会組織がそうなっていることも一因。説話文学会・仏教文学会が実質的に中世文学会の分科会のように理解されてしまい、中世以外の発表が受け入れられにくいという問題も起こっている。また、歴史研究ではとっくに否定されている「中世は武士の時代」「鎌倉新仏教の時代」のようなイメージが、いまだに日本文学研究者では持ち続けられているというような問題もある。
・例えば日本文学研究では「大作家」「大作品」「日本文学史」を基盤に発展してきたところがあるが、本来は何が研究対象になるかならないかはあらかじめ決まっているわけではない。文化資源・文化情報資源も、その要不要は少数の研究者によって判断されるべきではなく、研究者同士の認識の相違に折り合いをつけていかなければならない。

・「予算獲得のための研究」があってもよいのではないか。それによって研究が進んだり、ポスト確保ができたり、予算執行のための不本意な研究によって新たな研究テーマに出会ったりできる。

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2014年12月21日

極私的・egamiday十大ニュース 2014

 
 自分以外に得しない、というか自分にとっても別に得にもならんだろうという、年末のまとめ第3弾。
 今年一年の自分のふるまいを省みて、来年はちゃんとした者になろう、あすなろう、という。十大ニュース形式で。


●egamiday氏、1年間で4回のヨーロッパ渡航
 egamiday氏の2014年の海外渡航件数が、1月のイギリス、5月のアイルランド、9月のベルギーの3件に及ぶことが明らかとなりました。2013年9月のイギリス渡航を含めると、2013年9月から翌2014年9月までの1年間で都合4回のヨーロッパ渡航が実施された計算になります。ただしこのうち3回は業務での出張であり、特に1月のイギリス渡航は現地滞在が丸3日程度という弾丸ぶり。この件に関しegamiday氏は「しばらく旅行らしい旅行をしてない気がする。旅がしたい。まだバルト3国に行ってない」とコメントしています。

●egamiday氏、アイルランド旅行後の健康診断でひっかかる
 今年5月のアイルランド旅行後に実施された健康診断において、egamiday氏がいくつかの項目で若干の数値オーバーを叩き出したことが、京都府内の某医療機関の調査で明らかとなりました。その後実施された精密検査ではまあまあ穏やかな結果に終わり事なきを得たということです。この問題に関しegamiday氏は「ギネス、フィッシュアンドチップス、肉食中心・野菜不足というアイルランドに特有の食糧事情がもたらした一過性の現象であり、健康に直ちに影響はない」と釈明していますが、数ヶ月後の渡航先であるベルギーでは、ベルギービール、ベルギーチョコレート、ブリュッセル名物のフレンチフライに加え、味はフランス並み・量はドイツ並みと言われるベルギー料理を欲望のリミットを超えて堪能するegamday氏の様子がTwitter上で目撃されており、12月に行われる人間ドックの結果が懸念されています。

●egamiday氏、情報メディア学会で「おたより」発言
 今年6月、東京で行われた情報メディア学会シンポジウム「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」において、コーディネーター役を務めたegamiday氏でしたが、学会参加者から提出された質問用紙を読み上げる際、「続いてのおたより・・・」と発言していたことがわかりました。この失言の後egamiday氏は「おたよりって言っちゃった」と苦笑いをしただけで、その後も何食わぬ顔で平然とコーディネっていたとのことで、一部ではラジオパーソナリティ気取りかとの批判の声もあがっています。

●egamiday氏、DUALISにラジオのお株を奪われる
 その一方で、2013年12月以降まともなラジオが放送されていないという実態が浮き彫りとなっています。某志社大学某UALISをゲストに迎えた昨年12月の放送で「自分らでラジオやれ」と純朴な若者たちをいたずらに煽ったegamiday氏でしたが、その某UALISが2月の第1回放送を皮切りに、この1年で京都市内の各大学を巻き込んだ番組作りを展開し、そのお株を完全に奪われたかたちとなりました。巻き返しを図るegamiday氏、11月に烏丸五条の某町家からゲリラ的にラジオ放送を強行しますが、結果的におっさん二人が泥酔して終わるというていたらくぶり。この問題に関しegamiday氏は「(酔って)記憶にございません」などと供述しています。

●晴さん弁当が終了、QOL低下の危機
 egamiday氏の充実した食生活を支えてきたお昼の晴さん弁当が、今年9月をもってその配達を終了しました。お肉・お魚・野菜計6品で500円、ちょいちょい登場するプチ創作料理のサプライズなど、きわめてクォリティの高かった晴さん弁当。職場近辺には定食屋もねえコンビニもねえスーパーもそれほど近くはねえとのことで、その配達終了はランチ事情、ひいてはクォリティ・オブ・ライフ全体に大きな影響を及ぼしかねないと、egamiday氏界隈を一時騒然とさせました。現在は別の配達弁当に鞍替え、egamiday氏によれば「ん、まあ悪くない」(※個人の感想です)とのことです。

●スタバ改装でソファ撤去、QOL低下の危機
 egamiday氏の充実したオフを支えてきたサード・プレイス、スターバックス某小路店が内装と家具の全面改装をおこないました。これにより、座るだけで身体にエネルギーがチャージされるというegamiday氏お気にのソファが撤去され、新しいソファに置き換わるという事態、事件、いや事変が発生。『某棚の中のニッポン』はこのソファで生まれたと、おまえはマルクスかと言わんばかりの愛着ぶりを見せていたソファの撤去に、これもまたクォリティ・オブ・ライフの大幅な低下が懸念されています。egamiday氏は「先方から書状が届いていないのでコメントできない」などと意味不明の発言をしており、動揺を隠せない様子です。

●egamiday氏、LINEデビュー
 今年秋、egamiday氏がついにLINEデビューを果たしたとの情報が入りました。きっかけは家族会議の必要性に迫られてとのことで、遠方に住む妹弟同士との連絡に使用している模様ですが、それぞれのログイン名が「えが」「えがみ」「egami」となっており、一見しただけでは誰が何を発言しているかわからないという不測の事態を招いています。

●egamiday氏、祇園祭ではしゃぎ過ぎる
 49年ぶりに後祭が復活した2014年の京都・祇園祭において、egamiday氏の過剰なはしゃぎぶりが、Twitter上、Facebook上、さらにはリアルでも多数目撃された模様です。先祭・後祭それぞれに鉾立て、曳き初め、宵山、巡行と、エンドレス・エイト並みに繰り返される長期戦。その間続々とアップロードされる写真や動画の数々に、「祇園祭テロだ」という抗議の声も聞かれました。

●『本棚の中のニッポン』電子書籍版、ついに発売開始【広告】
 出る出ると言われながらなかなか出なかった『本棚の中のニッポン』の電子書籍版が、今年11月ついに発売となりました。honto、iTunes、AmazonKindleストアなどで発売中です。egamiday氏からは「これで今年は極私的電子書籍元年となった」と喜びの声が届いていますが、Twitter上では昨年12月にも「(電子書籍を良く読むようになった)極私的には今年こそが電子書籍元年」と発言しており、元年は当面続くのではないかと予想されています。

●egamiday氏、謎の電器店通い
 今年の秋以降、京都市内の某バシカメラを数度にわたって訪れるegamiday氏の姿が目撃されています。パンフレットの束をにぎりしめ、うつろな表情で「フォノ入力・・・短焦点・・・5.1・・・」とつぶやきながら店舗内をさまようegamiday氏。電器店通いの理由はどうやら今年竣工した某NBKの図書館新棟にあるようです。この件に関しegamiday氏は「去年は春画のために学芸員がわりの仕事に取り組み、今年は増え続ける視聴覚資料のために映像音響機器について勉強する。本のことだけやってりゃ図書館での仕事がつとまるわけじゃないんです」となにやら説教じみたコメントを残し、夜のアイリッシュパブへと消えていきました。


 以上、極私的十大ニュース2014でした。
 来年もいい年でありますように。

posted by egamiday3 at 10:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

極私的・今年のアルファ本棚行きコンテンツリスト 2014

  
 自分以外に得しない第2弾。
 自宅の”アルファ本棚”と読んでる本棚に置いておきたい極私的アルファ級のコンテンツを、書籍メディアに限らずリストアップしたもの。今年はハードルを下げてしまってちょっと多め。


NHK紅白歌合戦 2013年(テレビ)
『パブとビールのイギリス』(書籍)
大英博物館のグレートコート(場所)
「海外研修報告:紅茶とビールと図書館の旅」(プレゼン)
「たちぎれ線香売りの少女」(演劇)
「夢!鴨川歌合戦」(演劇)
笑っていいともグランドフィナーレ(テレビ)
『世界の読者に伝えるということ』(書籍)
BORDER(ドラマ)
噺家が闇夜にこそこそ(テレビ)
「アラン」(映画)
『アラン島』(書籍)
『愛蘭土紀行』(書籍)
『聖者と学僧の島 : 文明の灯を守ったアイルランド』(書籍)
ダブリン大学のロング・ライブラリー(場所)
アラン諸島(場所)
Nimmos(アイルランドビール)(食)
続・最後から二番目の恋 最終回(ドラマ)
鎌倉・成就院の紫陽花(場所)
「文化誌が街の意識を変える」展(展示)
『読書の歴史を問う』(書籍)
『ニクリブリトルプレス』第2号(書籍)
「舟歌は遠く離れて」(演劇)
京都新聞・祇園祭ポスター2014(デザイン)
『祇園祭 : 都市人類学ことはじめ』(書籍)
「ビジビリティの王国 : 人文社会系学術雑誌という秘境」(記事)
「ビルのゲーツ」(舞台)
『祖谷山民俗誌』(書籍)
ち庵(ちいおり)(場所)
ち庵の仕出し(あめご、ごうしいも他)(食)
「アジア歴史資料センターと大英図書館の試み : 共同ウェブサイト「描かれた日清戦争〜錦絵・年画と公文書〜」の制作・公開における「課題」をめぐって」(プレゼン)
ブリュッセルのグランプラス(場所)
ノイハウスのプラリネ(食)
Grimbergen、Orval(ベルギービール)(食)
Umami Powder(食)
『江戸の想像力』(書籍)
『コトラーのマーケティング思考法』(書籍)
中山酒店(イベント)

posted by egamiday3 at 10:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

極私的流行語大賞 2014

 
 毎年恒例の、自分しか得しないリスト。
 自分用で解説なし。

世界人類
ビール/パブクロール
送信サービス
バブル/バブル崩壊
地下鉄に、乗るっ
バスエーレンに、乗るっ
アイルランド/ケルト
鎌倉
デジタル化を拒む素材とアウトリーチ
先祭・後祭
祖谷/アレックス
群書類従
麦に翼はなくても歌に翼があるのなら
おおきに、ねこ、ちがう
ラテラルマーケティング
デジタルアーカイブ
専門図書館(NBKの属性としての)
みんつー連投、今日火曜。
これに来た
○○、からの、××向かい

(ゲスト流行語)
URA
CC-BY
posted by egamiday3 at 10:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

2014年"海外の日本図書館・日本研究" 極私的まとめ ( #本棚の中のニッポン )


 海外の日本図書館・日本研究、要は#本棚の中のニッポン的なトピックの中で、極私的にではありますが書きとどめておきたいものを、時系列でピックアップした感じです。

 おもにはてなブックマークの「JLA短信」タグから。ちなみに今年だけでも800件近くあった・・・しんどかった・・・なのですが、自分の情報収集の下手さというか偏りを反省させられた感じです。こんな大事なことあったのに、が入ってないような危惧はあるのでまた追って更新するでしょう。

 そのトピックがその後重要になっていくのか否か、っていうのは、その時点ではなかなか判断しがたいです。発生・発表された当時に★がつく/つかない、2014年12月時点で★がつく/つかない、5年後10年後ふりかえってみたときあの話はすごい重要だった、ってなるかも/ならないかもしれない。
 でもまあこうやって毎年まとめていけば、そのうち点が線になりかたちができていくのでは。という感じです。 


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 2014年"海外の日本図書館・日本研究" 極私的まとめ
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・OCLC WorldCatに雑誌記事索引(NDL)データが収録される(2013年12月)
−国立国会図書館月報 635(2014年2月)号(p.34)
 http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8424694_po_geppo1402.pdf?contentNo=1

・大英博物館「春画展」終了。(2014年1月)

・バチカン図書館で近世豊後のキリシタン関係史料約1万点(2014年1月)
http://current.ndl.go.jp/node/25366
−2014年度から6年計画で調査・整理・目録化・デジタル化公開の予定。国立歴史民俗博物館、大分県立先哲史料館、東京大学史料編纂所などの共同で(マレガ・プロジェクト)。

・慶應義塾大学のコレクション8万冊がHathiTrustに加わる(2014年1月)
−Catalog Search Results | Hathi Trust Digital Library
 http://catalog.hathitrust.org/Search/Home?filter[]=htsource:Keio%20University
−Update on January 2014 Activities
 http://www.hathitrust.org/updates_january2014
−HathiTrustへのデジタル化資料の登載について
 http://www.lib.keio.ac.jp/jp/hathitrust/
−HathiTrustの慶應義塾大学のコレクション
 http://xiaodong.hatenablog.com/entry/2014/03/17/023838

・国立国会図書館が、図書館向けデジタル化資料送信サービスを開始(2014年1月)
http://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2013/1204154_1828.html
−著作権法第31条第1項の適用を受ける図書館等が対象のため、海外には対応せず。

・国立国会図書館で、シンポジウム「海外の日本研究に対して日本の図書館は何ができるのか」が開催(2014年1月)
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/knssympo.html

・コロンビア大学東アジア図書館の牧野コレクション、CLIRからの助成で目録作成へ(2014年1月)
http://current.ndl.go.jp/node/25393
−日本・東アジアの映画関係資料約8万点。

・「大浮世絵展」、東京・名古屋・山口で開催(2014年1月から)
−国際浮世絵学会創立50周年記念として。海外美術館からも多数出展。

・「海外源氏情報」webサイト公開される(2014年2月頃?)
http://genjiito.org/

・EBSCO Discovery Serviceに丸善の日本語電子書籍のメタデータの追加
http://current.ndl.go.jp/node/25509

・はてなブックマークで、東日本大震災アーカイブ「ひなぎく」へウェブサイトを推薦できるようになる(2014年3月)
−長期で保存すべきものを国立国会図書館とハーバード大学ライシャワー日本研究所が協力して収集する。
http://current.ndl.go.jp/node/25675

・「今後のGIFプロジェクトの在り方について : 検討結果報告書」が、国立大学図書館協会学術情報委員会GIFプロジェクトチームほかにより刊行される(2014年3月頃?)
−2013年11月25日、GIF参加機関(日本?)に対し、海外ILLに関するアンケート調査(?)が実施されている。
−ネット公開なし?(要調査)

・2014年CEAL年次大会・NCC公開会議、フィラデルフィアにて開催される(2014年3月)
http://current.ndl.go.jp/e1558
−国文研・歴史的典籍のプロジェクトについてほか

・本棚の中のニッポンの会(第2回) in Philadelphiaが開催される(2014年3月)
https://www.facebook.com/events/264477257054574/

・プランゲ文庫等約14,000点を国立国会図書館デジタルコレクションに追加(2014年3月)
http://www.ndl.go.jp/jp/news/fy2013/1204748_1828.html

・JapanKnowledgeとJK BooksのメタデータをWorldCatで提供へ(2014年3月)
http://current.ndl.go.jp/node/25797

・『世界の読者に伝えるということ』(河野至恩)刊行される(2014年4月)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062882558

・『クール・ジャパンはなぜ嫌われるのか』(三原龍太郎)刊行される(2014年4月)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121504917

・「ボストン美術館浮世絵名品展  北斎」、神戸・東京・北九州で開催(2014年4月から)

・ウェブ展示「描かれた日清戦争〜錦絵・年画と公文書〜」、国立公文書館アジア歴史資料センターと大英図書館が共同企画として公開する。(2014年5月)
http://www.jacar.go.jp/jacarbl-fsjwar-j/
−このプロジェクトの詳細が、EAJRS2014年次集会で発表される。
 http://eajrs.net/files-eajrs/ohtsuka.pdf
−「E1630 - ウェブ展示「描かれた日清戦争」:アジ歴とBLの共同企画」(カレントアウェアネス・ポータル)
 http://current.ndl.go.jp/e1630

・メディアドゥ、OverDrive社と戦略的業務提携について基本合意(2014年5月)
http://current.ndl.go.jp/node/26119
−「日本コンテンツをoverdrive経由で海外図書館に配信」とのこと。

・立命館大学アート・リサーチセンター、「日本文化資源デジタル・アーカイブ研究拠点」として文部科学省から「共同利用・共同研究拠点」に認定される。(2014年6月)
http://current.ndl.go.jp/node/26258

・「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」、東京・京都名古屋で開催。(2014年6月から)
http://www.boston-japonisme.jp/

・情報メディア学会第13回研究大会「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」(2014年6月)
http://www.jsims.jp/kenkyu-taikai/yokoku/13.html

・東北大学災害科学国際研究所(IRIDeS)とハーバード大学ライシャワー日本研究所(RIJS)が、災害科学およびデジタルアーカイブ分野においての学術協力協定を結ぶ。(2014年6月)
http://current.ndl.go.jp/node/26395

・ハワイ大学マノア校図書館所蔵の阪巻・宝玲文庫(Sakamaki/Hawley Collection)のデジタルアーカイブが琉球大学により公開。(2014年9月)
http://www.lib.u-ryukyu.ac.jp/?p=11842
http://manwe.lib.u-ryukyu.ac.jp/d-archive/sakamaki-hawley.htm
http://www.hawaii.edu/asiaref/okinawa/collections/sakamaki_hawley/index.html

・EAJRS年次集会、ルーベンにて開催(2014年9月)
http://eajrs.net/

・雑誌『跨境(こきょう) 日本語文学研究』創刊される(2014年9月)
https://www.facebook.com/journal.border.crossings

・日本マンガの海外出版状況調査(手塚治虫・海外出版作品リスト調査)報告書が公開される(2014年9月)
http://mediag.jp/project/project/list.html

・「CA1827 - ウェブスケールディスカバリと日本語コンテンツをめぐる諸課題―海外における日本研究の支援を踏まえて / 飯野勝則」(カレントアウェアネス)(2014年9月)
 http://current.ndl.go.jp/CA1827
−日本語コンテンツの貧弱さと海外日本研究の危機を指摘したもの。

・パリのグラン・パレ・ナショナル・ギャラリーで「北斎」展、国際交流基金との共催で。(2014年10月から翌年1月)
http://www.grandpalais.fr/fr/evenement/hokusai
−海外最大規模との評価。このほか同じくパリ市内で、ジブリ、芸者、川端康成などの展示開催あり。

・紀伊國屋書店と図書館流通センター、世界標準の書誌データ対応に向けた共同プロジェクトを発足(2014年10月)
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1410/06/news067.html

・雑誌『専門図書館』No.268 特集「外国から見た日本の専門図書館」(2014年11月)
http://www.jsla.or.jp/publication/bulletin/no268/

・北京大学外国語学院に「漫画図書館閲覧室」設立される(2014年11月)
http://www.47news.jp/CN/201411/CN2014112801001491.html
−「明治大学マンガ図書館北京大学閲覧室の設立に合意しました」
 http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/dtl_0007086.html

・『本棚の中のニッポン』、電子書籍発売開始。(2014年11月)

・海外日本美術資料専門家(司書)研修(JALプロジェクト)、東京国立近代美術館らにより初年度研修が実施される(2014年12月)
 http://www.momat.go.jp/art-library/JAL/JAL2014.html

・ワークショップ「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言」(2014年12月)
−JALプロジェクト「海外日本美術資料専門家(司書)の招へい・研修・交流事業」の初年度成果報告。報告書等は後日公開予定か。
http://www.momat.go.jp/art-library/JAL/JAL2014_WS_v01.pdf

・国際シンポジウム「日仏交流の過去と現在―国立国会図書館・フランス国立図書館の所蔵資料から」(2014年12月)
http://www.ndl.go.jp/jp/event/events/20141211lecture.html



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2014年11月15日

(メモ)コトラーのラテラル・マーケティング : コンピュータを持たない人のオンラインショッピング、まで。



●フィリップ・コトラー(Philip Kotler)
・アメリカの経営学者
・「近代マーケティングの父」
・著書『Lateral Marketing』(2003)で、従来のマーケティング手法とは異なる「ラテラル・マーケティング」(水平思考のマーケティング)を提唱
・エドワード・デ・ボノの水平思考をマーケティングに応用したもの

●従来のマーケティング(「バーティカル・マーケティング」(垂直思考のマーケティング))
・従来のマーケティングにおける思考法
 バーティカル・マーケティング
 垂直思考のマーケティング
・既存の市場を定義し固定化することから始まる。
・市場を定義し固定化する(変更不可能にする)ことで、セグメンテーションとポジショニング(これが大事らしい)ができるようになる。
・セグメンテーションでは、定義済みの市場をさらに細分化して考える。
 うちはここに陣を張るよ、と。
 市場全体ではなく、分割された一部分を対象にして、位置を獲得する。
・ポジショニングでは、他製品との差別化をはかるために自社製品の特徴を強調する。
 うちはよそとはこうちがうよ、と。
 そのために、製品のもつ特性のうちのいずれかを選択し、それを強調する。
・バーティカル・マーケティングでは。
 思考が論理的・分析的
 短期間で効率的に改善できる
 製品・サービスと企業のミッションとの間に一貫性がある
・ただし
 特定のターゲット、特定のニーズを明確にする
 それ以外の顧客が対象から排除される
 思考に制限が加わり、想定外のニーズに思い至ることができず、無視される
 製品・サービスに適さないニーズ・顧客・状況を切り捨てる
 製品・サービスの一面的な特徴だけが強調され、それ以外の側面が見落とされる
・利点と同時に限界も伴う。

●「ラテラル・マーケティング」(水平思考のマーケティング)
・ラテラル・マーケティングは、
 バーティカル・マーケティングが対象外としたところを対象に考える
 既存の定義から除外されていたニーズ・用途・ターゲット・状況に目を向ける
 可能性がある限り選択肢を排除しない。
 既存の製品・サービスや市場と無関係と思われる要素でも、見込みのありそうなものすべてが対象
 製品・サービスを根本的・抜本的に改め、変更を加える。
 市場そのものを再構築する
・例:シリアル
 ×従来の手法:朝食用というカテゴリー内にとどまったまま、ターゲットを限定したり特徴を際立たせたりする。
 シリアルの用途を再定義する→携帯可能でいつでも食べられるヘルシースナック
・ラテラル・マーケティングの問いと答え
 これまで対象にしていなかった他のどのようなニーズを満たせるか、取り込めるか?
 これまで対象とされてこなかった顧客のうち、どのような顧客層を対象とすることができるか?
 既存の顧客に対してほかにどのような製品を提供できるか?
・ラテラルマーケティングの弱点
 既存製品では到達できなかった顧客層をターゲットとするなどの場合には適している
 反面、正確性は求められない。
 時間がかかりリスクを伴う
 バーティカル・マーケティングとは、互いに補完し合う関係

●ラテラル・マーケティングの具体的なプロセス
・思考の対象として設定(フォーカス)したもの
→一時的に論理的思考を排除する
→論理的な思考の流れ(垂直移動)をせき止めるような発想をする(水平移動)
→論理をせき止めると、そこにギャップが生じる
→ギャップを埋めて論理的な連結ができるまで、必要な変更を加え続ける
→ギャップが解消されると、新しいものが創造される
・例
「花は、枯れる」
→「枯れる花」ではなく「枯れない花」を考える
→「花」と「枯れない」との間にはギャップがある
→そのギャップはどうすれば解消されるか、どうすれば「花」が「いつまでも枯れない」になるかを、考える
→「造花」を発想する
→連結できれば、論理的な説明が可能になる
・論理的思考を排除する基本的な技法
 代用する(論理的につながるものの代わりに、別のものを発想する)
 逆転する(論理的に正しいものと逆のものを発想する)
 結合する(論理的に結合しないもの同士を結合する)
 強調する(理屈に合わないレベルに増減する)
 除去する(論理的に切り離せないものを切り離す)
 並べ替える(論理的な順序とは別の順序を発想する)
・ギャップを連結するためには、それまで以上に明確な論理付けが必要となる
 利用可能なあらゆる要素を積極的に評価して考える
 具体的な買い手を想定して、その人物の購買プロセスをたどってみる
 アイデアのネガティブな面ではなく、ポジティブな側面を見いだす
 アイデアが意味をなすような状況を設定して、それに適合するようにアイデアに修正を加えていく
・「ターゲットの代用」
 製品・サービスの対象外とされていた(購入する見込みがないとそれまで考えられていた)個人やグループを代入し、新たなターゲットとして定める
 対象外とされていた層を特定する最も効果的な方法は、何が購入や消費の妨げになっているかを考えること
・例
オンライン・ショッピング
→「コンピュータを所有していないにもかかわらず、インターネットで買い物をする人」をターゲットにする
→「コンピュータを所有していない人は、本来インターネットで買い物ができないはず」というギャップがある
→ギャップを埋めるために「コンピュータを所有していなくてもインターネットに接続し買い物ができるような場面」を想像して、そのプロセスをたどる。
 どういう場面ならその可能性があるか
 どういう阻害要因、壁があるか
 解消する方法には何があり得るか
→「サイバー・ショップ」という店内でオンライン・ショッピングが可能な店舗、を考案する



 →デジタル・アーカイブでは??

 to be continued...?


posted by egamiday3 at 13:37| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月09日

(メモ)図書館とアウトリーチ : どうしたら未知の"不利益をこうむっているユーザ"に気づけるか、まで。

●アウトリーチと図書館

 想定されている一般的な方法・環境下ではサービス・資料へのアクセスに支障・不自由があり、何らかの不利益をこうむっているユーザ(群)が存在する。
 その事情にあわせて何らかの対策をとり、あるいは働きかけをして、サービス・資料へのアクセスを保障しようとする。

 そういった活動を、図書館業界では「アウトリーチ活動」と称して、重要視している。
 そもそも、本来私的所有物となり得る書籍を公的に確保し、無料で公共に提供して、ユーザの資料・情報にアクセスする権利を保障する、という図書館の存在自体がすでにアウトリーチ活動なんだということ。

 医療、社会福祉、公共・コミュニティサービスなどの文脈でもそういったことは語られるとは思うんだけども、ここではとりあえず図書館学の視点からのみ。

 1994年『ユネスコ公共図書館宣言』
 「年齢、人種、性別、宗教、国籍、言語、あるいは社会的身分を問わず、すべての人が平等に利用できるという原則」
 「図書館に来られない利用者に対するアウトリーチ・サービス」

 『公立図書館の任務と目標』
 (知る自由の保障)「いろいろな事情で図書館利用から阻害されている人々がおり、図書館は、すべての住民の知る自由の拡大に努めなければならない」

 2014年IFLA『情報へのアクセスと開発に関するリヨン宣言』
 情報へのアクセスによって、人々、特に社会の主流から取り残されている人々と貧しい生活をしている人々に多くの権限が付与されるという原則
 図書館をはじめとするスキルやリソースを備えた機関は、ある集団に関連のある差し迫ったニーズと問題を明らかにし、それらに注目することで支援をおこなうことができる

●アウトリーチ@1960'sアメリカ

 アメリカの公共図書館の歴史を、
 『図書館の歴史 アメリカ編 増訂第2版』
 『多文化サービス入門』
 『知る自由の保障と図書館』
 『アメリカ公立図書館・人種隔離・アメリカ図書館協会―理念と現実との確執』
 からおさらい。

 1960年代
 当時の公民権運動を社会的な背景として、
 人種的マイノリティや低所得者層の図書館利用の低下・サービスの不足が課題として認識されるようにまる。
 不利益をこうむっているユーザ(群)へのアウトリーチという概念およびその活動が本格的に展開し始める。

 1963年、ALA『公立図書館へのアクセス』を出版。
 非白人地域の図書館数の少なさ、資料の貧弱さは“間接的差別”である。
 間接的差別は米国全土に及んでいる。(直接的差別の集中する南部に限らず)
 相当大きな議論を呼んだ。

 1969年『不利益をこうむっている人々への図書館サービス』(要確認)
 不利益をこうむっている人々の範囲を「経済的に苦境にある人々」「身体に障害を受けている人々」「精神的に障害を受けている人々」「人種差別を受けている人々」「刑務所やその他の施設に収容されている人々」「高齢者」「社会参加の機会を奪われた若者」「英語に不自由を感じている人々(非識字者を含む)」と定義。

 クリーヴランド公立図書館
 この図書館は、前々から視覚障害者、病院、児童サービスなどに取り組んでいた。
 1971年発表の報告書では、”非白人ユーザ”への図書館サービスに失敗していたことを認める。(→それまで認識していなかったユーザに対し、アウトリーチ活動が必要であると新たに認識・発見した)
 スペイン系住民などのアウトリーチ活動を開始。

 →現在のアメリカ公共図書館では、多文化サービスは基本。(スペイン系に限らず)

●アウトリーチ@1960's日本

 『障害者サービス』(JLA)

 視覚障害者に対する図書館サービスは、京都のライトハウスなど、点字図書館・点字文庫の整備としての歴史はさかのぼれる。

 1949年、身体障害者福祉法
 それまで公共図書館に設置されていた点字文庫の類が分離され、視覚障害者への図書館サービスは点字図書館で取り組まれるものとされた。(要確認)

 1960年代
 1963年『中小レポート』
 日本の公共図書館における住民サービスが活性化し始める。
 ↓
 1960年代末
 視覚障害者から、公共図書館利用への要求が示されるようになる。
 視覚障害を持つ学生が東京都立図書館や国立国会図書館を訪問、要求運動を展開する。

 1970年
 「視覚障害者読書権保障協議会」が結成される。

 →現在の日本の公共図書館では、規模の大小に左右されはするものの、視覚障害者だけでなく障害者へのアウトリーチ活動は基本的にサービスに組み込まれている。
 図書館学テキストでも、(点字図書館の文脈ではなく公共図書館の文脈で)必ず取り上げられている。


●アウトリーチと”定番”について
 
 『ユネスコ公共図書館宣言』(1994年)
 「すべての人が平等に利用できるという原則」
 「理由は何であれ、通常のサービスや資料の利用ができない人々、たとえば言語上の少数グループ(マイノリティ)、障害者、あるいは入院患者や受刑者」
 →図書館がアウトリーチ活動の対象とすべきユーザ(群)の例

 現在の日本の図書館学・司書課程向けテキストの例
・非識字者、民族的少数者、肢体不自由者、入院患者、内部障害者、高齢者、矯正施設入所者(・アウトリーチの例。交通手段をもたない利用者・時間的余裕のない利用者へのサービス。入院患者サービス。矯正施設入所者へのサービス。そのほかの非来館者(潜在的図書館利用者)向け図書館サービス。)(@『図書館サービス概論(現代図書館情報学シリーズ)』9784883672042 2012@)
・在宅障害者、在宅高齢者、入院患者、収監者、言語上の障壁がある移民(@『新訂図書館サービス論(新現代図書館学講座)』(2009 9784487803330)@)
・高齢者、障害者、アウトリーチ:入院患者、在日外国人、受刑者。(@『図書館情報サービス論(図書館情報学の基礎)』(4585001883 2003)@)
・遠隔地、図書館の未設置地域、図書館から遠い地域に住んでいる利用者。外出が困難な利用者。障害者、高齢者、入院患者、矯正施設、老人介護施設(@『図書館サービス論(JLA図書館情報学テキストシリーズ)』(2005 9784820404460)@)
・入院患者、高齢者福祉施設、外国人(文化的マイノリティ)、受刑者、非識字者(@『図書館サービス論(図書館情報学シリーズ)』(2011 9784762021534)@)
・図書館の利用に障害のある人たち
A図書館資料にアクセスできない利用者のケース:視覚障害者、聴覚障害者、肢体不自由者、寝たきり老人等、非識字者、外国人
B図書館員とのコミュニケーションが不自由な利用者のケース:聴覚障害者、視覚障害者、外国人
C来館できない利用者のケース:肢体不自由者、病弱者、寝たきり老人、視覚障害者、入院患者、障害者施設入所者、矯正施設収容者
(@『図書館サービスと著作権』(4820493221 1994)@)

 多くのテキストが共通してあげている”定番”は。
 高齢者、障害者(身体障害者、内部障害者)、在日外国人、言語・文化的マイノリティ、入院患者、矯正施設入所者

 それ以外としては、
 交通手段をもたない利用者・時間的余裕のない利用者へのサービス。
 老人介護施設

●アウトリーチ活動は「まずその存在やニーズに「気がつくこと」からはじまる」

 図書館活動の基本は、すべての人にすべての本と図書館サービスを届けること。
 アウトリーチ活動は、不利益をこうむっているユーザの、サービス・資料へのアクセスの支障・不自由を解消すること。
 マイノリティの利用環境を整備することは、マジョリティの利益にもつながる。

 ユネスコ宣言や図書館学テキストで言及・例示されていないユーザに対してアウトリーチ活動をおこなう必要がない、というわけではない。
 “不利益”や“マイノリティ”の種類が、いまの図書館業界にとって(たまたま?)“定番”や“想定内”であろうとなかろうと、利用の権利を保障するという責務に変わりはない。

 1960-70年代
 クリーヴランド図書館ほかアメリカ多文化サービスの例
 日本の障害者サービスの例
 ↓
(1)図書館は、それまで想定していなかったユーザ(群)のニーズを発見し、認識し、その問題をあきらかにして、アウトリーチ活動に取り組んできた
(2)逆に言えば、時計の針を約50年戻して考えれば、現在の図書館ではまだ認識も想定もされていないが、何らかの理由で資料・情報の利用・アクセスに支障があり、それが解消されないまま不利益をこうむっているユーザ(群)が存在する可能性がある。

 アウトリーチ活動は「まずその存在やニーズに「気がつくこと」からはじまる」。(@『多文化サービス入門』@)。

 →どうやったら気づけるか?
 →デジタル・アーカイブに何が出来るか?

 to be continued...?

posted by egamiday3 at 09:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月05日

『群書類従』その3・JK: いきいき群書類従ライフ( #図書館総合展 来場者様だけの特典付き!)【広告】


『群書類従』噺のその3です。

 (1) おいたち:『群書類従』はどういう経緯で誕生したのか
http://egamiday3.seesaa.net/article/406921580.html
 (2) 評価:  『群書類従』って実際すげえのかどうか
http://egamiday3.seesaa.net/article/407049317.html
★(3) JK:  『群書類従』がJapanKnowledgeに入ったら何が起こるのか

 (1)・(2)とふつーにそれっぽいことまとめてたブログでしたものが、ここから突然に特定の製品を褒めちぎり始めるという青汁番組へと一気に変貌していきます。

 『群書類従』を現代での立場で評価したとき、
  △ 本文としての質・正確さ
  △ 文献それ自体の現代における価値
 には△印をつけざるを得ないけども、
  ○ 文献が残っていること(保存)
  ○ 読みやすく整備されていること(出版・活字化)
  ○ ひとところに集まっていること
  ○ 参照・アクセスのしやすさ(オープン)
  ○ 分類・部立て、連番付与による組織化
  ○ ”区切り”をつけられること(通読)
  ○ ”あたり”をつけられること(レファレンス)
 には○をあげていいんじゃないかと。

 そしてその中でも
 「ひとところに集まっていること」
 「参照・アクセスのしやすさ」
 「”あたり”をつけられること」=「レファレンス」
 の界隈が、どうやらJapanKnowledgeに搭載されることでより強力になるっぽいよ。
 という話です。

 あ、言うまでもないことですが念のため、タイトルの「JK」は「JapanKnowledge」の略ですね、JK。

 JapanKnowledgeという超強力デジタル・コンテンツ・プラットフォームに、この秋『群書類従』web版が搭載されました。『群書類従』本文テキストが全文検索可能という、やばいこれ、来るときが来た、というような感じですけど。
 JapanKnowledgeさんについてあらためてご紹介すると、小学館グループの株式会社・ネットアドバンスさんが提供するデジタル・コンテンツ・プラットフォームで、契約による有料会員制、国内外の出版各社の事典・辞書などのレファレンス系&本文テキスト/PDFなど、日本の人文社会系の研究教育に欠かせない基本的かつ信頼おけるコンテンツが、約50種類、総項目数200万以上という大規模で収録されているという。それだけの情報/見出し/本文を、検索・参照できるという。
 やっぱりこの”複数の参考図書・データベース・コンテンツを、同一のプラットフォーム上で検索・参照・操作できる”というのが一番の魅力で、それひとつで日本研究に必要なツールをおおむねカバーしてくれてるし、しかも玉石混淆の”玉”をセレクトしてくれてるし、それひとつさえ契約してればいいということになるので、実際使うユーザだけでなく、契約して提供する図書館側にも結構なメリットあるよねという。海外での契約多数というのもうなずける話ですよねという。

 その、”複数を統一で検索・参照できる”プラットフォーム上に、「参照・アクセスしやすい」かたちで「複数著作が大規模集積」している和製基礎コンテンツ『群書類従』があがることによって、
 ・相互参照ができる
 ・統合検索ができる
 ・ファインダビリティが上がる
 ・セレンディピティが増える
 すなわち、もともと『群書類従』さんが持ってはった「”あたり”をつける」のに有用というレファレンスツールとしてのキャラに、さらに磨きがかかるわけです。
 うん、もはや『群書類従』のことを叢書という名のレファレンスツールとして見てますが。

 まず『群書類従』本文と他の参考図書類とを容易に「相互参照」できるというありがたポイントです。それは、『群書類従』本文を読んでいるうちに、この人誰?とかこれ何て訓むの?ってなったときに、他の参考図書を参照しにいける。しかも、えっと国史大辞典って何階のどこにあるんだっけ?って探しながら参照しに行くというんじゃなくて、同じパソコンの同じブラウザの同じプラットフォーム上ですぅっと検索しに行けるし、チラ見してまたすぅっと本文に戻れる。いちいち思考や集中が途切れないからいたって効率がいい、と。
 逆もまた便利なりで、他のコンテンツ、例えば日本歴史地名大系の記事本文中になんやらほんやらと引用されている、ん、これ本文もうちょっと確認したいなってなったときに、それが『群書類従』内にあればすぅっと本文確認しに行ける。
 もっとざっくり言うと、国史大辞典で何かしらの歴史用語なり調べてるときに、定義はなんやかんや書いてあるにせよ、ともあれ実際どんなふうに使われてたんだろうっていうのを、じゃあとりあえず『群書類従』本文全体をざっくり検索してみるということができる、今度は『群書類従』を対象にした「統合検索」、串刺し検索ができるとういありがたポイントです。異なる複数の文献・著作の本文全体をひとつのキーワードでごっそり検索して、なるほどこの言葉って、なんかこの頃の時代のこの界隈の文献にこんなノリでヒットする言葉なんだね、ってなる。あ、こっちの文献ではこんなふうに使ってるけど、こっちの記録類ではむしろこういうノリで登場するんだね、という比較・対照。
 え、なにそれすげえ強力な文脈補完ツールじゃないですか、と。
 こういうのって、単独単一のデータベースとかネットから切り離されてアローンにスタンドしてるCD-ROM系のデータベースではなかなかかなわないことですよねと。

 そうやって、いままで自分の研究調査のまな板の上にのせようなんて考えてもみなかった文献・著作の中に、え、この人出てくるの? このお寺の名前、この歌枕、なんでこんなとこに書かれてるの?的なことが、複数の異なる分野の異なる場所からボロボロと砂金の粒のように見つかってくれる。
 「ファインダビリティ」が上がるし、「セレンディピティ」が増える、ていうことだと思うんです。
 それは、『群書類従』本文がテキストデータベース化したことによるというだけでなく、それが多数の、多様な、多分野の代表的コンテンツを備えたプラットフォームたるJapanKnowledgeさんに搭載されてるからこそだろう、とも思います。人文系だろうが社会系だろうが世の学術研究は今後ますます学際化・国際化していきますところへ、日本の法制の歴史だけとか、この時代のこの地域の地誌だけとか確認してれば物事が理解できるというようなことはおそらくなく、分野や文献を横断して連想的・発想的な検索と発見ができるというのが、いまどきのビッグでウェブケールなディスカバリーということなんだろうと思います。そこまでの発見は、やっぱりどうしてもメタデータだけとか参考図書だけとかではかなわなかったスケールのことでしょう、本文がサーチャブルな『群書類従』で、分野・文献の壁をのりこえて、ディスカバリー・ジャパンの旅に出よう、ていう。
 でもじゃあ、それってGoogleでいいじゃんと、webのサーチエンジンでいいんじゃないのというと、そこがまたJapanKnowledgeさんのプラットフォームのありがたポイントで、適合度の高い、信頼できる。定番なコンテンツだけをあらかじめセレクトして載せてくれている、そうでなくてもあるいは指定・しぼりこみができるわけなので、無法地帯への無謀な旅というわけではなくて、的確な文献・本文を的確に参照できる、という安心感&効率の良さもここにはあるわけです。これが、単にググれば済むというようなwebサーチとはまた違うところっていう。

 そんなJapanKnowledgeが、みなさんのいきいき『群書類従』ライフを豊かですこやかなものにしてくれますよ、という。
 それは例えば、こんな感じじゃないでしょうか。

 京都府大枝町にお住まいの蛇班馴次さん・67歳(取材当時)は、大の歴史ファンです。
 週に一度の大河ドラマは欠かさず視聴。歴史上の人物について本や歴史資料を調べたり、図書館に通ったりしています。晴れた日には健康管理もかねて、奥さまとふたりで史跡めぐりがてらのウォーキング。楽しそうですね。
 そんな蛇班さんの最近のお気に入りは、大河ドラマでも大人気の黒田官兵衛。ところが、いつものように町の図書館を訪れた蛇斑さん、浮かない顔をしていますね。どうしたんでしょう。

 蛇班馴次さん・67歳(取材当時)
「若い頃は『群書類従』くらい気合いで端から端までめくって通し読みできたんですけどね。最近はだんだんつらくなって来て・・・」(※個人の感想です)

 なぜ黒田官兵衛をわざわざ群書類従で調べなきゃいけないかという無理矢理な設定はともかくとして、そんな蛇斑さんにこれ、JapanKnowledgeのweb版群書類従を試していただきました!
 蛇斑さん、さっそく本文を黒田官兵衛で検索。

 蛇班馴次さん・67歳(取材当時)
「あー、あったあった、いくつかありますね。・・・でも多分これで全部じゃないですよね、彼には別の名前があったから、その名前で出ているかもしれないね、えーっと、なんていったかな?」(※個人の感想です)

 歴史ファンならそれくらい知ってるだろうというツッコミは、「物忘れにも効く!?JapanKnowledge」という字幕で覆い隠しつつ、今度はJapanKnowledge全体を黒田官兵衛で見出し検索します。そう、JapanKnowledgeには『国史大辞典』、『日本人名大辞典』、『日本大百科全書』など、40を越える参考図書やコンテンツが成分として含まれているのです! 

 黒田官兵衛でJapanKnowledgeを検索して、ヒットしたのは『日本人名大辞典』。官兵衛の名前が「黒田孝高」だとようやく思い出せた蛇斑さん、ここであらためて『国史大辞典』の「黒田孝高」記事を読みにいきました。
 別名がヒットしやすいのは『日本人名大辞典』。記事が充実しているのは『国史大辞典』。この2つの異なる成分をたった1つのデータベースで摂取できるのも、JapanKnowledgeならではのおトクさですね!(※効果には個人差があります)

 画面
 「[参考文献]『大日本史料』一二ノ二 慶長九年三月二十日条、『寛政重修諸家譜』四二五、貝原篤信『黒田家譜』(『益軒全集』五)、金子堅太郎『黒田如水伝』」

 蛇班馴次さん・67歳(取材当時)
 「参考文献がたくさん書いてありますね、なるほどなるほど。ところで、『群書類従』はどうなんだろう?」

 あくまでも『群書類従』にこだわる不自然な設定の蛇斑さん、今度は『国史大辞典』で「黒田孝高」や「如水」で「群書類従」を全文検索してみました。そう、『群書類従』だけでなく『国史大辞典』の記事も全文検索できるのがJapanKnowledgeのスゴイところ! 『国史大辞典』の記事の中に「群書類従」と「黒田孝高」が同時に書いてあれば、目指す文献名が書いてある可能性が高いですね。
 検索の結果、『神屋宗湛日記』という日記が『群書類従』に収録されていて、そこに黒田孝高が登場するということ。それから『玄与日記』という『群書類従』日記部の文献にも黒田如水の名前で登場していることがわかりました。

 蛇班馴次さん・67歳(取材当時)
 「これまでだと、1冊1冊本棚から手にとって、1ページ1ページめくってじっと読んでいかなきゃ見つからなかったから、とてもつらかったんです(※個人の感想です)。それがweb版群書類従の全文検索だと、ウソみたいに簡単に見つかるんですね(※個人の感想です)。しかも、わからない人名や地名が出てきたらその場で検索できるからとても楽ですし(※個人の感想です)、いままで想像もしなかったような(※個人の感s)気づきもしなかったような(※個人の)ところに探している人名が書いてあったりして(※たまにはそういうこともあります)、毎日が発見の連続ですね(※毎日というのは一種の比喩表現です)。おかげさまで最近ではなんだか足腰の調子もよくなって、若返ったような気がしてね、はははっ(※おそらく気のせいです)」

 そんなJapanKnowledge搭載のweb版群書類従が、いまならナント無料でお試し頂けます!
 というのが↓こちら!
 https://twitter.com/yagisyoten/status/519315586388463616
 東京は神保町の八木書店さん古書部にて、「お試し機」が利用できるんです!
 カレーでも食べるついでにぜひ検索しに来てみてください! 

 さらに!
 2014年度の図書館総合展を訪れてくださった方だけの特典として!
 企業展示会場にて「Web版 群書類従」特別展示ブースをごらんいただけます!

 さらにさらに!!
 11月7日金曜日、午後3時から45分間だけ限定で!!
 特別イベントにご参加いただけます!!
 第一部:ミニレクチャー「群書類従を活用して戦国の社会と地域を学ぶ(仮)」
 第二部:討論「群書類従×図書館でできること」
 (株式会社ネットアドバンス)
 ・丸島和洋(国文学研究資料館研究部特任助教)
 ・福島幸宏(京都府立総合資料館新館担当副主査)
 ・恋塚嘉(八木書店古書出版部)


 まああれです、調子に乗っていろいろふざけたまま終わるのもあれなんで、ざっくりとまとめると。

 『群書類従』は、個々に所蔵され公開されなかった書物を、叢書・出版によって公開し、書物と人との間の障壁をとりのぞいてアクセスを可能にした。
 加えて『JapanKnowledgeの群書類従』は、個々に閲読・検索するしかなかった書物を、同一プラットフォーム上に載せ、書物と人との間の障壁だけでなく、書物と書物との間の障壁をとりのぞいて、アクセスを容易にした。

 という感じのフリップでも出しておけばかたちになるのかな、という感じです。

 あくまで感じです。
 効果・効能には個人差があります。


posted by egamiday3 at 08:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月13日

『群書類従』その2・評価 : "写本"につばさはなくても "出版"につばさがあるのなら

 『群書類従』噺のその2です。

 (1) おいたち:『群書類従』はどういう経緯で誕生したのか
★(2) 評価:  『群書類従』って実際すげえのかどうか
 (3) JK:  『群書類従』がJapanKnowledgeに入ったら何が起こるのか

 たしかに当時としては類を見ない画期的な偉業だったかもしれないけど、我々から見て、現代的な視点で、どんだけ”つかえる”んだと。どう評価していいのかと。
 実際「群書類従・・・え、どう使うの、ていうか使えるの?」的な評価はどこまで妥当なのか、と。

 まず、そもそも何が収録されてるのかというところからですが。

 『群書類従』は、正編で約1300著作、続編で約2100著作が含まれてます、あわせて3400。
 一応「古代から近世初期まで」をカバーとなってますけど、平安時代が30%&鎌倉室町で65%といいますから、実際はほぼ「平安・中世」という理解でいいんだと思います、そのころの日本国内の著作が3400と。当時収録できた文献はほぼ網羅してるだろう、って言われてます。
 で、編纂方針として「3巻以下の小部の著作に限定した」とあります。大部なものはまあなくなるってことはあまりないだろうけど、小部のものは散逸しやすいので、という理屈です、だから、例えば「源氏物語」は入ってないけど「紫式部日記」は入ってる、みたいな感じ。

 それが、25部に部立・分類されている。ここがややポイントで、ばらばらにつっこまれてるわけでも、時代順とかアイウエオ順とか著者の身分でわけるとかじゃなく、内容によって著作が分類されているということ。
 神祇・帝王・補任・系譜・伝・官職・律令・公事・装束・文筆・消息・和歌・連歌・物語・日記・紀行・管絃・蹴鞠・鷹・遊戯・飲食・合戦・武家・釈家・雑
 「国学の体系を史料によって示した、百科事典の一種」(小林健三)ていう言い方をされてますけど、当時の日本国内の著作がほぼ網羅されていて、それを内容で分類したっていうことは、「我が国における文献世界=学問の体系っていうのは、こういうふうに”地図化”して描けますよ」ということ。「混沌としてるわけじゃなくて、全体像を”把握”できますよ」ということだと思います。
 その描き方が合ってるかどうかは別としても、学問=文献の全体像を把握・理解しようとしてた、ということなんだと思います。

 じゃあそれだけたくさんの著作をどっからどうやって集めてきたんだと。
 各所に散在し、個々で秘匿・非公開にされてる文献を、保存・公開するんだ、ていうのが『群書類従』のそもそもの趣旨ですから、つまり、各地へ出向いて個々の文献を見せてもらって、それを書き写しては集める、ということです。(1)でもお公家の記録・日記を書き写し集めてたっていう事業がありましたけど、そういうことです。
 場所は、江戸・名古屋・伊勢・金沢・京都・大坂、とにかくあちこち行く。塙保己一自身も、60歳を過ぎてもなお何度か関西に文献調査に行ってるっていうバイタリティ、コンピューターおばあちゃんみたいですね。
 所蔵元も、幕府の紅葉山文庫とか、神道の大ボス・伊勢神宮とか、水戸藩・彰考館のような権威あるようなところもそうだし、そうでなくても各地各所のお公家、武家、神社仏閣で所蔵されてるものもそう。特に門外不出のやつとかそれ一冊しかない孤本的なやつとか。
 そして、(1)の最初のほうで紹介しましたように、塙保己一の幅広い分野・身分にわたる人脈、当時の学問・文化人ネットワークがここで効いてくるわけなんですけど、師匠の持ってる本、知人・隣人・蔵書家の持ってる本、弟子・門人が持ってる本、そういうのも『群書類従』にはたくさん収録されてるわけで、例えば塙先生の筆頭的な弟子に屋代弘賢という人、彼も結構な国学者・蔵書家だったんですけど、あたし何の意味もなくただの手すさびで「屋代弘賢」を『群書類従』本文検索してみたことがあって、そしたらめちゃめちゃたくさんヒットしたから、あれなんで、この人の名前なんか本文中のどこに書いてあるのってよくよく見てみたら、各著作の末尾に「この著作は屋代弘賢の蔵書を底本にしました」って書いてあるのが山ほどヒットしてたっていう、そういう感じです。

 えっと、まあ能書きはいいや、具体的にどんなのが入ってるのかを例えばで見てみると。

 例えば『梁塵秘抄』。これ、日本史なり古典の文学史なら必ずといっていいほど出てくる書名で、大河ドラマで清盛やってたときもしょっちゅう歌われてました「あそびをせんとやうまれけん」のあれですけど。
 これ、実はとうの昔に失われてて、江戸時代にはもう知られてるのは書名だけで実際の作品は残ってないっていう状態になってたんですけど、それをこの『群書類従』はどっからかみつけてきて収録してると。けどそれも、作品本文じゃなくて「口伝集」ていう解説テキストのほうの第10巻だけがやっとのことで収録できた、っていう状態だったみたいです。その後、明治になって佐佐木信綱先生あたりが発見して、まあそれでもいま残ってるのは第1巻の一部と第2巻だけ、みたいなあれなので、そういった意味では現代から見ても『群書類従』さんちゃんと拾ってくれたのすげえ、てなる。
 あと『作庭記』っていう、平安時代に書かれた造園の秘伝書があります、日本庭園の古典なので庭園研究のためによく使われるし、特に日本庭園って海外でも興味持つ人多くてそのために研究・参照もされるような文献なんですけど、これが、江戸時代まではその存在をまったく知られてなくて、『群書類従』に収録されることで世間にその存在が広く知られるようになったみたいです。師匠の宗固先生が持ってた写本から収録しました。後年発見された原本は重要文化財に指定されてます。

 いや、それどころか。
 いま現在ですでに底本・原本が失われているか見つかっていなくて、『群書類従』でしか読めなくなってるっていう本も、そこそこあると。
 例えば、あたし今回の勉強のためになんとなく書架前に立って、なんとなく『群書類従』1冊手にとって、たまたま目にした室町時代の古記録が、いやもうそれ『群書類従』内にしかないよ、ってなってるという。
 あと『国歌大観』あるじゃないですか、日本の和歌集を網羅収集してるっていう、あれも何となく1冊手にとって、ぱらぱらめくってたら、「この和歌集は『群書類従』にしかないです」みたいなのが3つ4つ簡単に見つかる、っていう。
 あ、やばい、これ相当あるな、って。1冊見つかったら30冊はあるなって。

 ただまあ、珍本・奇本の集まりですよってわけではなくて、例えば『北野天神縁起』なんか逆に、本文が山ほどでまわってて、中身があちこちで書き換わってて、絵巻バージョンもあれば絵本バージョンもあるみたいなやつなんだけど、そのなかでも流布本としてある程度固定したテキストを載せてる、ていう評価がされてるみたいで、だからまあ”ちゃんと選んでる”んだなってことは言えると思います。
 あと、いいことばかりではもちろんなくて、後醍醐天皇・建武政権の記録として『建武記』というのがあるんだけど、これなんかは国史大辞典さんに言わせれば、「誤字脱字が多いから、大日本史料とか日本思想大系のほうの本文使ったほうがいいよ」みたいなこと書いてあって、ああそういうこともあるねと。

 これはよく言われることですが、実際この『群書類従』に対する研究者の評価は「群書類従・・・んー、本文(テキストの正確さ)がちょっとねえ・・・」みたいなのが大半だと思います。

 もちろん現在だって評価は高いです、各種参考図書や学者の大先生のみなさんの評価から抜き書きすると。

 国史大辞典「この叢書の刊行によって稀覯書の散佚が防がれ、諸書が容易に見られるようになったことは大きな功績である」
 平安時代史事典「広範囲にわたる書物が容易に見られる功績」
 日本国語大辞典「流布本を避けて善本を精選した貴重な資料集」
 佐佐木信綱「鎌倉・足利時代の書物で、群書類従によって一般の学問界に伝えられようなものが少なくない」
 川瀬一馬「近世に於ける最も注意すべき文化活動である」
 坂本太郎「群書類従ほど広い分野にわたり必要欠くことの出来ない書物を集めている叢書はほかにない」「同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜がある」「その後に出た同類の叢書の模範になった」

 ただ、その反面で「底本・校訂に問題」があるというのも同じくよく言われてしまってると。

 坂本太郎「校訂にもの足らぬ所はあるにしても、同類の必要な書物をまとめて見ることの出来る便宜はその欠点を補ってあまりある」
 国史大辞典「所収書の底本の不十分さ、底本の本文と対校本の本文とのすり替えによる混乱」
 平安時代史事典「今日の時点からは、底本選定や本文批判等に問題が少なくない」
 日本古典文学大辞典「今日から見れば文献の書誌的検討や本文批判に不備を認めるべきものも少なくない」

 『日本中世史研究事典』(1995)という歴史学を学ぶ学生院生のための研究便覧みたいな本があるんですけど、そこにははっきり「『群書類従』『史籍集覧』もよく用いられるが、いかんせん刊行年代が古く、ただちに従えない本文によっているものが多い(ことに『続群書類従』はその傾向が強い)。」と書かれている。

 これはしかたのないことで、『群書類従』が刊行された”その時点”では良い底本が選ばれ良く校訂されている、という評価であっても、時代が下がればそれだけ新しい本も出るし複写技術も上がるし校訂もよく練られるしで、”後代から”見上げれば「甘い本文」っていう評価になっちゃうのは不可避だと思います。

 じゃあ実際使ってる人はどんなふうに使ってるんだろう、話聞きたいなあ、って思うじゃないですか。
 でも、残念ながらうちとこの職場って、キャラ的に、そんなに誰も彼も『群書類従』使ってるってわけでもないんで、じゃあっていうんでネットをちょこちょこっと探してたんです。
 そしたら、いわゆる”Q&Aサイト”の類に『群書類従』の使い方をコメントしてるようなのがあって、あ、これはいい、と。これはだいぶ生の声に近いんちゃうか、というのがあったんで、ちょっと紹介しますね。

 最初のおたよりは、匿名希望のYahoo!知恵袋さんです。

「大学で日本中世史を専攻している者です。」
 http://bit.ly/1nD2fTE
質問
「日本の礼儀について、武家・公家の歴史を探りたい。参考文献をうまく探せないんですが、どう探したらいいでしょうか」
回答
「「群書類従」なんかを見るのがいいんじゃないですかね。これを読めば、公家の作法や武家の作法(戦闘時)の流れが、漠然と掴むことができます。」

 なるほど、平安中世の国書がひととおり集まってくれてる『群書類従』の、このへんからこのへんまでをざっとひととおり目通しして(”めくり”と言うらしいですね)、どこにどんなことが書いてあるかをざっくり把握する、それだけでもおおまかな流れというか全体像の把握は理解できるだろうなと、たぶんこういう使い方をしてきた人は多いんじゃないかと思います。

 続いてのおたよりは、匿名希望のOKWaveさん。

「卒論における活字史料について」
 http://bit.ly/1nD3su7
質問
「活字史料(『国史大系』『群書類従』など)を卒論にそのまま使うと、”孫引き”扱いになるのでしょうか? 原本や写本などは全く手元にないのですが」
回答
「卒論レベルでは「孫引き」にはならないと思いますけど、底本は明示すべきです。」
「今後研究を続けられる際には必ず原典にあたりましょう。早晩「閲覧不許可」という、でかく厚い壁にすぐにぶち当たることでしょう。」

 まあそうですね、卒論レベルなら『群書類従』の本文そのままでもそない怒られることはないと思いますけど、院生から先は原本か、無理でも影印本とか別の本文あるだろうっていうのは確認せんとあかんと思います。ただ、じゃあ原本見せてもらえるかというとそれがまたひと苦労だったりするので、だからこその『群書類従』だと思うんですね。

 そういう『群書類従』の「そのまま使うのはあれなんだけど、アクセスはしやすい」というキャラは、例えばこんなところからもうかがえます。

 『日本国語大辞典』といえば国語辞典の大ボスですけども、各項目にはその言葉が各時代の文献の中で実際どう使われてるかという”引用文”が載ってますね。それをどういう基準で選んだか、というのが『日本国語大辞典』の凡例にこういうふうに書いてあります。
 第1巻「凡例」「出典・用例について」
 「底本は、できるだけ信頼できるものを選ぶように心がけたが、検索の便などを考え、流布している活字本から採用したものもある。」
 そう、テキストの信用第一はわかってはいるものの、それでも、これを読む人が検索・参照・アクセスしやすいほうがいいだろうというものについては、という理由で『群書類従』を底本に選びましたっていう作品が、文献リストのあいうえお順を頭から見ていくと結構な頻度で出てくるんですね。

 アクセスしやすく。
 参照しやすく。
 文献をオープンにしてくれたこと。
 出版物として整備してくれたこと。

 ここが、おそらく当時から現代まで共通して評価できるところ、『群書類従』の持つ意義としていいところ、じゃないかなって思います。

 (1)で紹介した当時の塙保己一の、幕府に「土地貸して」ってお願いしたときの願書です。
「近来文華年々に開候処、本朝之書、未一部之叢書に組立、開板仕候儀無御座候故、小冊子之類、追々紛失も可仕哉と歎か敷奉存候」
「近年、国学とか流行りじゃないですか、でも日本には中国みたいな”叢書”がまだないし、写本の状態のままで出版・公開もされてない。これだと、特に1冊2冊の少部数の本ってなくなっちゃいますよね、アカンでしょうそれ。だから『群書類従』出版のために土地貸してくれません?」

 国書へのニーズが高まっているのに、その国書が公開されてないばかりか、保存できなくなるおそれがあると。
 ニーズを持つ「読者」と「書物」とを結びつけるためには、書物の「公開」と「保存」が必要だと。
 その「公開」+「保存」を実現するために、「叢書」を「出版」する必要があるんだと、塙保己一はおっしゃってる。
 ということだろうなと思うんです。

 「出版」という当時のメディア活動によって、「保存・複製すること」と「アクセスの障壁をなくすこと」の両方が可能となります。

 逸失するおそれがあるもの、写本でしか存在しないもの、それ1冊しかない天下の孤本。
 そういったものを文献調査によって探索し、発掘する。
 それを、自分用に書写するだけならそれまでも個人レベルちまちまやられてたんでしょうが、そうではなくて、出版という複製・流通によって、社会全体レベルにおける保存を確実な物にする、ということ。
 これは、いま現在ですでに『群書類従』にしか残ってないものが少なくないという現実から、塙保己一の予想と対策は(残念ながら)当たっていた、ということになります。

 出版という複製・流通によって、「保存」と同時に「公開」も可能になりますので、アクセスの障壁がなくなるということになります。
 それまで個々の公家・武家・寺社等が秘蔵していた書物が、出版(publish)によって、公共(public)に提供される。存在自体が世に知られる。閲覧と参照、相互批判も可能になる。
 しかも大田南畝が書き残していた広告文のように、予約受付が宣伝されていたということはつまり、武家なり一部のエリートに限った公開じゃない、民間の町人にも頒布していたということでもあって、そこの障壁もまた取りのぞかれていると。
 このあたりの様子を熊田淳美さんは三大編纂物云々の本(http://www.amazon.co.jp/dp/4585032215)で「壁のない図書館」という言葉を使って表現しています。

 もうひとつ、「叢書」として集大成のかたちにしたことも、「出版」と同じくらい重要なことだと思います。
 それまで各地に個々でバラバラに存在していた文献・著作を、ひとところに集積するということ。しかもそれを内容で分類・整理すること。
 これによって先述のように、「我が国における文献世界=学問の体系っていうのは、こういうふうに”地図化”して描けますよ」、と。「混沌渾然としてるわけじゃなくて、全体像を”説明””把握”できますよ」、と。

 というのも、この「出版」というメディア活動にしろ、「叢書」のような知識の体系化にしろ、これは『群書類従』だけが特別に起こしたというわけでもなんでもなくて、当時の時代、っていうか日本だけでなく世界全体で似たような流れって多かれ少なかれ起こってたものでしたよね。
 っていう、ちょっと風呂敷の大きな話にひろげていきますけど。

 「出版」その複製技術と流通によって、知識・情報が大量生産されていきます。コストが下がり、社会に普及していきます。
 社会に普及していくことで、閲覧・参照が容易になります。知識・情報が”かたち”として、しかも複数残ります。ということは、見知らぬもの同士が”かたち”ある文献・情報を共有して、それにもとづいて互いに検証し、批判し、議論しあうことが可能になります。これって”科学”の基本的な姿勢だと思うんです。
 そういう科学的姿勢で学問にのぞむための文献が、出版によって低コストで社会に普及することで、それに荷担する人の層が増える、分厚くなる。一部の限定されたエリートだけがそれをできるというわけじゃなくて、身分を越えて交流する文化人がうまれ、のちのち”国民”というもの全体にひろがっていく。
 なるほど、「出版」というメディアの変化が、社会の近代化を引き起こしましたな、っていう。
 これはもう、グーテンベルクからこっち続いてきた流れみたいなもんですけど。

 「出版」というメディアの近代化と同時に、知識・学問の近代化も起こる。
 それが、出版によって編まれるようになった、叢書・文庫、百科全書や博物誌の類だろうと。
 江戸でもパリでも清国でも、本草博物の類、百科全書の類、叢書文庫の類が生まれる。
 それまでの、個別で混沌で把握できないものの集まりでしかなかった知識・情報が、分類され、組織化され、体系化されることで、アクセスも容易になるし、ネットワークとして互いに連携することができるようにもなる。
 というか、そうしたい、混沌渾然の状態から脱して、全体を把握(grasp)できるようになりたい。そういうニーズが社会にうまれたから、そうしたんだろうな、って思うんです。

 そうやって考えてみれば、『群書類従』っていうのは、うん確かに、塙保己一大人の類い希なる天才的な頭脳と熱意と手腕があったからこそっていうのはもちろんなんですけど。
 まあ、これ、この時代に出るべくして出たな、『群書類従』って、とは思うんです。

 『群書類従』にもどってまとめます。
 『群書類従』はどう評価できるか、どこにメリットがあるか。

 「本文としての品質・正確さ」「文献それ自体の現代における価値」については、残念ながら《もう少しがんばりましょう》を付けざるを得ない。『群書類従』を孫引きして許されるのは学部生レベルまでだよね、と。

 ただ、それさへ注意しておけば、使うメリットはたくさんあります。
 「文献が残っていること」という保存の効用については言を俟たない。日本古来の書物が「網羅されていること」ももちろん。
 それが版本化され、活字という状態にまでなって「読みやすく整備されていること」も実感できるメリットだと思います、どこの図書館に行っても本棚の前に立って簡単に手に取ることができるという「参照・アクセスのしやすさ」。しかもそれがあちこちバラバラになってるのではなく、叢書というかたちで「ひとところに集まっていること」。
 叢書の効用は集まっていることだけではありません。部立てで「分類・整理されていること」もそうですが、第何巻のように「連番が付与されていること」って実は結構大きいメリットだと思うんです。『ほにゃららの記』?何それ聞いたことないよ?というような文献でも、『群書類従』第何巻の第何番の、という固定アドレスがついてくれることによって、ああはいはい、ってなる。ああはいはい、って見知らぬ者同士が理解を共有できるということは、誰にでも検証・批判が可能という科学的姿勢につながってくるわけですし。
 もうひとつ、叢書には「区切りをつけてくれること」というメリットもあって、つまり、とりあえず『群書類従』のここからここまでをひととおり”めくり”読みきれば、全体を把握したものとして一区切りをつけさせてもらえる、っていう効用。区切りがあるから、通読ができる、ていう「函」の効用。「函」については和田先生の『読書の歴史を問う』(http://www.amazon.co.jp/dp/4305707365)でも問われてましたけども。

 まあそういう感じで、語句・テキストの正確な確認は別途必要だとしても、ある程度網羅的に収録されている文献に、容易にアクセスできて、参照してみて、通読してみて、全体的な体系の中で、あれはこの文献のこのへんにあるな、これについてはこういう流れだな、というような「”あたり”をつけられること」=「レファレンス」には向いている存在なんじゃないかな、というふうに思います。

 以上挙げたメリットのうち、
 「ひとところに集まっていること」
 「参照・アクセスのしやすさ」
 「”あたり”をつけられること」=「レファレンス」
 の界隈が、どうやらJapanKnowledgeに搭載されることでより強力になるっぽいよ。
 という話に、たぶんなります。

posted by egamiday3 at 17:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月11日

『群書類従』その1・おいたち : オープンなアーカイブが珍しかった時代の冒険物語

 『群書類従』がweb版になって、JapanKnowledgeに搭載されて、全文検索できるようになったそうです。
 http://japanknowledge.com/contents/gunshoruiju/index.html

 これって結構なニュースだと思うんですけど、で、それをきっかけにして「web版群書類従セミナー」なるものをやるから、なんかしゃべってくれ、って依頼されたんです。
 でもなあ、『群書類従』ってふだん言うほど使うわけでもないし、専門分野でもないからあんま詳しいこと知らんしなあ、とかうねうね思いながら、そもそも『群書類従』ってなんだっけ?ていうのをひととおり勉強してみたんです。
 
 そしたら、とんでもない!
 何このスーパー&ハイパーミラクルアンビリーバブルなメガプロジェクトは!

 ていうような興奮の中でひと夏が過ぎてっちゃった感じになったので、じゃあ何がどうすげえのかっていうのを、ひととおり書けるだけ書いとこうかなっていう。

 たぶんこんな感じです。

(1) おいたち:『群書類従』はどういう経緯で誕生したのか
(2) 評価:  『群書類従』って実際すげえのかどうか
(3) JK:  『群書類従』がJapanKnowledgeに入ったら何が起こるのか

 セミナーのスライド資料
 http://www.slideshare.net/egamislide/ss-40095942

 これはその(1)、まだオープンなアーカイブが珍しかった時代に『群書類従』に生涯をかけた塙保己一の、和学と国学がいっぱい詰まった冒険物語です。

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 『群書類従』ってなんだ?ていうのをざっくり説明すると。

 江戸時代後期に出版された”叢書”で、平安時代から中世(鎌倉・室町)あたりのを中心とした日本古来の文献・著作が収録されているというもの。
 全冊数666冊、収録著作約1300という、当時最大級認定しちゃっていい規模の叢書。

 その編纂・刊行をしたのが、聞いたことあるでしょう、塙 保己一(はなわ・ほきいち)という人です。

 塙保己一は、事典的に言えば、1746生−1821没、江戸時代後期の国学者で、あらゆる分野の書籍・学問に長じ、和学講談所というのを設立して、『群書類従』を刊行した人。盲人の位としては日本トップの”総検校”までのぼってはります。
 目の見えないながら学問を修めた偉人として有名かと思いますが、ただ、この人自身は自分で日記・文書の類をほとんど残してらっしゃらなくて、周りの人がいろいろ書き残してるんですが、これがどうも伝承的というか伝説的というか、師匠をたたえる弟子が語った、ほんまでっか?的エピソードがかなり多い。
 例えば、こんなの。

 ある晩、弟子を集めて講義をしていたときに、風が吹いて灯りが消えたのを、保己一は気づかず話を続けていたので、弟子「先生、少しお待ちください、いま風で灯りが消えました」。保己一「さてさて、目あきというのは不自由なものだ」。

 保己一先生の人物像を端的にあらわした、よくわかる、そしてよくできたアメリカン・ジョークみたいな感じになってますけど。

 そういう人が、どういう経緯で『群書類従』プロジェクトを立ち上げるに至ったか、ということなんですが、時系列で確認するために、じゃあ彼の出生あたりからちょっと追いますね。

 1746年、武蔵国児玉郡保木野村、いまの埼玉県本庄市に、農家・荻野家の子・寅之助として生まれ(だから塙保己一は本名ではない)、7歳で失明、15歳で江戸へ出て盲人として身を立てるために検校・雨富須賀一に弟子入りする。
 盲人として身を立てるというと当時は、針灸按摩といった医療、琴三味線といった音曲、がセオリーだったんですけど、残念ながら彼はそっち方面がてんでダメだった。そのかわりどうやら書物・学問の類が得意らしい、お隣の旗本の松平さんについてよう勉強しとる、というんで師匠が、じゃあYouそっちの道に行っちゃいなよ、って認めたっていう。

 例えば。 
 歌学者・萩原宗固に和歌・国学を学ぶ。
 闇斎流神道学者・川島貴林に漢学・神道を学ぶ。
 山岡浚明に律令・故実を学ぶ。
 孝首座に医学書を学ぶ。

 すげえなと思うことのひとつは、分野が非常に手広い。そして、人脈が相当手広く築かれる、ていうのが、のちのち効いてきます。
 もうひとつ。これだけの学者が当時江戸の市井にいて、学問しあい交流しあい、そこに特段のエリート階層というわけでもない農家のせがれが加わる余地があった、そういう環境があったという、これがまた『群書類従』がうまれてきたことと無縁じゃなかったろうなっていう。

 最終的には、1769年、賀茂真淵に師事し国学を学ぶ。ただその約半年後、賀茂真淵先生は亡くなっておられますので、まあ最後か、最後から2番目くらいの弟子だったのではないかと。
 なんやかんや言うてるうちに、自分も教える側にまわるようになり、弟子をとり、昇進して名を「塙 保己一」とあらためる。交流もひろがる、大田南畝とも仲よしだったらしいです、幅広いですね。

 そんな彼が、1779年、34歳の時ですが、京都・北野天満宮に誓いをたてます。
 私はこれから般若心経を100万巻分読誦いたします。いたしますから、いまからやる国書一千巻の叢書出版プロジェクト、国内の著作を文献調査して書写し集めてひとつの叢書にまとめあげるという、神のご加護でもなきゃ到底出来ませんレベルのこのプロジェクトを、どうか私に完成させてください、ていう。
 これが、まあ言わば可視化された『群書類従』プロジェクトの最初の一歩って感じです。

 それにしてもなんで彼は、そんなたいそうなプロジェクトを胸に抱いて神に誓いを立てるに至ったのかと。

 当時の時代背景を考えますと、”出版”というメディアが技術的にも社会インフラ的にも整備・成熟してくる。その受け手も層として分厚くなる、武家・町人・文化人が身分をこえて学問的に交流しあうようになる。中でも特に、当時「国学」と呼ばれる、日本古来の古典・歴史を学びましょうという流れが盛んになってきてたわけです。
 ところがその国学に必要不可欠な和書・古典籍の類、これが入手どころか閲覧すらもなかなか簡単なものではなかったと。たいていの著作・文献は”出版”というかたちでの公開がされてない。良くてもせいぜい、持ってる人に貸してもらって自力で書き写させてくれるくらい。そういう劣化コピーでもまあ閲覧できればましなほうで、いやそもそもたいていは、お公家やお武家や寺社あたりが自分とこで大事に隠し持ってて、見せてくれない。ていうか、あることすら知られてない。そんなんじゃいつ逸失するか、なくなるかわかったもんじゃない。こんなじゃ国学ひとつ学ぶのもひと苦労ではないかと。
 要は、当時の日本社会には国産のオープンなアーカイブがまだなくて、世のニーズ増に応えられるような状態ではなかったと。
 当時の国学者・村田春海も本居宣長も「国書(日本の文献・著作)の出版・公開されてるものが少なくて困る」ということを書き残してらっしゃる。
 それはまるで、「日本の文献や書籍のデジタル化されたものが少なくて困る」という現代の嘆きと同じです。国書の公開を拒む素材とアウトリーチ(参照:https://www.youtube.com/watch?v=qpq9zqf9V1I)、です。

 塙保己一さんも同様。これはちょっと後のことになりますが、幕府に「土地貸して」とお願いするにあたっての願書にこう書いておられます。
 「近来文華年々に開候処、本朝之書、未一部之叢書に組立、開板仕候儀無御座候故、小冊子之類、追々紛失も可仕哉と歎か敷奉存候」
 雰囲気で訳。「近年、国学とか流行りじゃないですか、でも日本には中国みたいな”叢書”がまだないし、写本の状態のままで出版・公開もされてない。これだと、特に1冊2冊の少部数の本ってなくなっちゃいますよね、アカンでしょうそれ。だから『群書類従』出版のために土地貸してくれません?」、ていう。

 ていう意気込みで、彼は『群書類従』をプロジェクトとして立ち上げ、実行に移します。
 実際に刊行が開始されたのが1786年のこと。当時の「広告文」を大田南畝が書き残してます。曰く、「毎月12冊づつ刊行。期間限定で塙検校宅で予約受付。限定200部です」とのこと。

 ちなみに「群書類従」という書名の由来ですけど、どんな概説書・参考図書を見てもたいてい「『魏志』応劭伝「五経群書以類相従」の語からとったもの」と書いてるんですけど、こないだツイッターを見てましたら、いや、『魏志』に応劭伝なんてものはないよと、『魏志』にあるのは劉劭伝だよ、そこには「五経群書以類相従」的なことは確かに書いてあるんだけどね、みたいなことを言うてはって、おおっ、と。で、ネットで公開されてる全文テキストには確かにそうあると。紙とネットとどっちが信頼性あるんだと。まあリテラシーの授業でとりあげるのにうってつけな感じですね。

 そしてこの『群書類従』プロジェクトにしろ、そこにあった彼の学問的才能と熱い意気込みにしろ、プライベートなレベルで終わることはなかった。例えば、1789年、水戸藩・彰考館で行われてた『大日本史』のほうのプロジェクトにも参加するようになったと。徳川御三家のプロジェクトですから、幕府レベルで「こいつできる」と認めてもらえたようなものだと。

 というような実績をふまえて、塙保己一さんは江戸に”和学講談所”という学問所をつくりたい、と幕府に願い出るわけです。

 1793年、塙保己一による和学講談所設立の願書。「寛政の改革からこっち、学問が盛んにおこなわれるようになったのはめでたいんですけど、和学、日本古来の歴史律令的なことを学ぼうとすると、場所的よりどころがなくてまだ手薄なんじゃないですかね。学問所のような機関をあたしがつくって、そこで志のある若手さんに勉強させてあげたいんですけど」
 幕府「マネー成立です」

 この願書に、幕府はOKを出しますし、それだけじゃなくて土地を貸し与える、資金を貸し与える。あと、やりたきゃ勝手にやればじゃない、この学問所を林家(幕府の学問のトップ)の下に置くことで”準”官的な、半官半民的な立場にしちゃると。
 え、なにこのデレ具合、幕府ってそんな気前よしこさんだったっけ?て思うんですけど。

 幕府がデレた背景には。
 確かに国学はすげえ流行ってる。そこに学問所がいるというのもわかる。しかもそれを言う塙保己一は学問的実績が充分で、会読も校合もすでにやってるし、水戸『大日本史』に参加してるレベル。人脈は幅広くて幕府関係者にも及んでるし、まあ言うと検校だから先立つものもたんとあるはず。
 一方幕府側としては、うん、うちとことしても政策的に最近は文系学問で押してきてるから、学問所はほしい、実際昌平坂学問所もつくるし。でも、寛政の改革で朱子学儒教以外は”官”では認めませんてなっちゃったので、おおっぴらに「国学はじめました」みたいなのれんは出せないんだけど、えっと例えば、あたしさっきから「和学」と書いたり「国学」と書いたりしててすげえきもちわるいんですけど、んー、国学が流行っちゃって無視もできないんだけど禁じちゃったしなー、そうだ、「和学」にしちゃおう。ついでに幕府が直でやるんじゃなくて、塙保己一っていう民間人をワンクッション置いちゃおう、みたいな。そんなお役所風情なノリが、どこまでかはわかんないけども、まああったっぽい。

 というような感じで、1793年、和学講談所が設立されましたと。
 和学講談所は何をやるところだったか。
 1、和学の勉強会をひらく教育機関。
 2、文献調査と収集をする研究機関。
 3、幕府の要求に応じて資料作成をする公的機関。
 4、『群書類従』含め文献を出版する出版センター。

 教育機関としては、毎月3回、2の付く日は和学講談所の定例勉強会だったそうです、イオンかダイエーみたいですね。
 あとは全国に散在・秘蔵されてる古典・文献を、現地に出向いては書き写し集めてまわるという。それは群書類従のためだけではないです。例えば「お公家さんの家の記録・日記類を書写(コピー)して、幕府の紅葉山文庫に納める」というような事業もやっておられました。お公家さんの家に残る記録・日記なんてものは、それこそほぼそれ一冊しかないようなもので、公開もされないし、なくなったり燃えたりしたらそれっきりで、危なっかしいこと限りなしなんだけど、それを我らが1部コピーしますんでそれを幕府の書庫に納めさせてください、そしたら資料保存できるでしょ、ていうようなことをやってはったという。これで最終約300部が納本されてるらしいです。

 あとは出版事業ですね、これもガンガンやってはった。
 一部ご紹介しますと、例えば『日本後紀』の出版があります。
 『日本後紀』っていうのはいわゆる”六国史”、日本書紀から始まる勅撰歴史書というオフィシャルな位置づけの基本文献のひとつなんですけど、にもかかわらず、江戸時代にはこの『日本後紀』ってもう残ってなかったんだそうです。なんかあちこちに引用・抜書されてる文章だけ残っててそれを参照するしかなかった、ていう残念な状態だった。ところがそれを、この和学講談所がどこからか見つけ出してきて、本文を校訂して、木版本として出版しました。全40巻中の10巻分だけしかなかったんですけど、それでも、それまで失われてて誰も参照できなかったようなオフィシャル基本歴史書が、出版というかたちでオープンにされたわけですから、これってめちゃめちゃすげえなって。すげえなって、思うんです。
 思うんですけど、ん?と思うことがひとつあって、この和学講談所出版の『日本後紀』がどれを原本にしてるのか、その底本がなんかはっきりしないっぽい。最近のこの件に関する論文読んだんですけど、「三条西家の本と”思われる”」みたいなこと書いてあって、え、誰が何を見て出版したのかとか、記録されてないの??ってキョトンとなるわけです。

 このへんの、え、それってどうなの?みたいなノリがちょいちょいあって、のちのちの『群書類従』自体の評価にも響いてくるんですけども。

 ともあれ、資金繰りとか倉庫不足とか大火の危機とか紆余曲折をのりこえて、最終、1819年、正編全冊の刊行を終えました。
 保己一、御年74歳。総経費は現在の貨幣価値で十数億円ともいわれてます。

 同時代の文化人はほとんど手放しの絶賛です。
 大田南畝「和書がばらばらになって失われてしまうのを嘆き、校訂して世に伝えようとした」『一話一言』。⇒”集積”
 平田篤胤「これまで各所に秘蔵されていた、たいていの人が見聞きしたことのないような古書が少なくない」『古史徴開題記』。⇒”開放”
 高田与清「学者たちがたやすく古書を参照できるようになった」『擁書漫筆』⇒”アクセス”
 青柳文蔵「これによって不朽のものとして伝えられる」『続諸家人物志』⇒”保存”

 集積。開放。アクセス。保存。
 オープンなアーカイブがここに構築されたんだなあ、と。

 ただ、やっぱり若干のクレームもあります。
 本居宣長「板本なのだから世間に広く出回ってほしいのに、いまだに書店で目にしたことがない」(本居宣長の石原正明宛書簡)
 そう、前述のように「期間限定、200部、塙検校宅で予約受付」という扱いで、どうも一般書店での流通まではかなわなかったみたいです。
 せっかく機関リポジトリ立ち上げてるのに、CiNiiに載ってない、みたいな感じですね、せちがらいですね。

 さて、その後の『群書類従』と塙保己一ですが。

 正編完了から2年後の1821年、塙保己一はこの世を去ります。
 なくなった後も『群書類従』事業は続きます、というのも、『続群書類従』という続編があって、これはすでに1795年、正編と併行してすでに企画・着手がされていまして、塙家の息子・忠宝が保己一の遺志を継ぐわけなんですが、これが難航してなかなか完成しない。息子・忠宝が暗殺されて(暗殺!?)、孫が継いでも完成しない。明治になって和学講談所が廃止になっても完成しない。明治になって活字・洋装本が出版されるようになっても完成しない。最終、”続群書類従完成会”というある種みもふたもない名前の団体ががんばって完成させました。
 ちなみに、活字本はいろんなところから複数刊行されてるんですが、現在もっとも普及して我々が一番手に取りやすいかたちで出版されてる活字本が、この”続群書類従完成会”によるものです。あの青い製本のやつ。
 その”続群書類従完成会”も残念ながら2006年に閉会し、以降、八木書店さんが販売を継続し、オンデマンド出版なんかをやってて、で、今日にいたってJapanKnowledgeに『Web版群書類従』を搭載することになりました、と。

 これが、現在に至る『群書類従』の生い立ちですね。

 もうひとつ、『群書類従』を現在に伝える”温故学会”という公益社団法人さんもあります、という話です。

 公益社団法人 温故学会
 塙保己一史料館
 http://www.onkogakkai.com/

 1909年、渋沢栄一なり塙家のご子孫なりがこの”温故学会”を設立しまして、福祉事業とか啓発事業とかもろもろやってはるんですが、ここが、江戸時代当時の『群書類従』の板木現物をしっかり管理・保存してはる。いや、保存してるだけじゃなくて、いまも注文に応じて現役で和装本を刷ってるっておっしゃるから、ちょっと驚いて。
 で、驚いたんで、あたしちょっとそれを見に行ってきました。

IMG_0165.JPG

 東京・恵比寿駅と渋谷駅の間くらい、國學院大學さんのすぐおそばにこの温故学会・塙保己一史料館というのがありまして、入り口開けて、箱に100円入れて、横にある次のドアを開けると、もう直で↑この板木、っていう。あまりの不意打ちで軽くビビりましたけど。
 ここに当時の現物の板木17000枚が保管されていて、オンデマンドで刷って綴じて販売してると。例えば大学の先生がゼミのテキストにこの巻だけを10冊20冊注文する、みたいな感じでやってはるらしいです。ただ、この板木って1957年にすでに重要文化財に指定されてる大事なあれなんで、刷るときは他所へ持って出さずに、ここに来てもらってここで刷ってるそうですが。

 というのが、塙保己一大人と『群書類従』の、約300年にわたる長いお話になります。

 補足トリビア。
 群書類従の板木は「20字×20行」のフォーマットになってます。これが、いまの原稿用紙の原型ですね。

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2014年10月10日

(index)情報メディア学会「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」動画のインデックス

情報メディア学会 第13回研究大会 パネルディスカッション「デジタル化を拒む素材とアウトリーチ」
https://www.youtube.com/watch?v=qpq9zqf9V1I

(前半)
0:03:00頃 江上:趣旨説明
0:15:00頃 大場さん:リスクとコスト
0:26:00頃 茂原さん:デジタルを「つづける」
0:38:30頃 田中さん:海外に届ける
1:03:00頃 後藤さん:「つかう」の障壁

(後半)
1:35:00頃 「つづける」には何が必要か?
1:52:00頃 人材育成をどうするか?
2:01:00頃 ユーザからのフィードバック
2:12:00頃 で、何がデジタル化を拒んでいるの?
2:16:00頃 デジタルコンテンツを「見つけやす」くするには?
2:28:30頃 ユーザをどう理解するか?



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2014年09月11日

(メモ)和田敦彦『読書の歴史を問う』(笠間書院, 2014)

読書の歴史を問う: 書物と読者の近代 -
読書の歴史を問う: 書物と読者の近代 -


●はじめに--なぜ読書を問うのか
・ベトナム社会科学院の日本語蔵書。EFEO蔵書が引き継がれたもの、1万冊。
・読書も、読者も、当たり前ではない。なぜという問いを伴う。

●1:読書を調べる
・この本は近代の読書を調べるための実践マニュアルです。
・読書が形成されるまでには、物理的に「たどりつくプロセス」と、読んで「理解するプロセス」があって、たどりつくプロセスについてはあまり読書研究としてされてなくて、出版史とか図書館史とかになる。
・読書は不自由に満ちている。
・いま・ここの読書を評価・批判するために、別の場所、別の時間、「遠くの読書」、「不自由さ」、当たり前のことがいちいち当たり前ではないところ、を知る必要がある。
・事例で、特徴と違いをとらえて、比較・対照させる。
・不自由さの否定ではなく、可能性をひろげるものとして。

●2:表現の中の読者
・読者を具体的に知るには、雑誌・新聞研究がいい。雑誌・新聞というメディアは、一定の読者層・速射集団をターゲットにしたコミュニケーションを重視しているから。
・その違いに応じて、様々な読書集団が生まれる。
・明治初期では、新聞という新たなメディア自体の理解、新聞の読み方も、読者には容易でない。早さ、正確さ、中立性などの価値そのもの、文体などのリテラシーが読者に根付き、均質化していくプロセスを含む。これが”読者の歴史”。
・(児童雑誌)読者は受動的・消極的ではなく、読者自身が成長・進化する、過渡的なはず。
・雑誌『キング』、ラジオ、大衆的な公共圏。

●3:読書の場所の歴史学
・芥川龍之介「舞踏会」、フランス軍将校と親しく対等に接する日本人女性。これが日中戦争期に日本文化宣伝政策の一環として、フランス領インドシナで翻訳され、読まれる、ということの意味。
・いま・ここの読書が、自明、ではないということ。
・鉄道は、本を販売する場所、本を読む場所、にもなる。
・監獄では、望ましい/望ましくない、という”読書の規範”が明確に現れる。
・『満鉄図書館史』
・戦場では、ある本を読んでいるという行為自体が社会的メッセージや意味を伴う。
・図書館が、ヒットラー政権下で、国策遂行・国民教育機関として大きな成果を上げた。
・外地・旧植民地・移民地での、素人による文学創作活動とその享受について。
・日比嘉高『ジャパニーズ・アメリカ』。戦前北米の日本書店・流通の調査。

●4:書物と読者をつなぐもの
・書物を仲介し届ける存在。角田柳作、チャールズ・E・タトル。
・チャールズ・E・タトル関係文書は、ヴァージニア州の本社にのこされていて、誰かが利用した形跡もなく、フォークリフトで十数箱が運ばれてきた。こういうふうに眠って散在している可能性がある。(捨てずにのこされていたのは幸運)
・角田柳作の活動を知る手がかり。のこされた書物自体。その目録、寄贈元。当時の新聞。関係機関の文書、議事録。外務省などの官公庁や財団。
・アメリカの大学の著名な日本語図書館では、タトルからの書簡がのこされている。米国大学の場合こうした文書類は大学史記録文書として保存公開されている。
・タトルは、日本の学術雑誌や、企業・政府の報告書等、日本では販売目的でなかった刊行物を、米国で商品として販売するためリスト化する。

●5:書物が読者に届くまで
・日本の文学史にならぶ代表的な明治大正の文学・小説は、どれだけの読者に届き、どのように読まれていたのか。そこに、書物と読者のつながりという観点が欠けているのではないか。
・近代の書物流通は、新聞輸送に始まった→雑誌→円本
・戦時統制下の書籍流通の統制、効率化。
・教科書→地方書店流通のネットワーク
・松本市の高美書店には、明治期の販売資料4000点がのこっていた。

●6:書物の流れをさえぎる
・検閲で発禁処分が下されても、流通ルートは多様でさえぎるのは容易でない。発禁処分決定時点で既に雑誌が完売している、古書として取引される、発禁などの処分が雑誌経営にむしろプラスになることも。
・占領期の検閲が終了した後も、プレスコードが廃されたというわけではなく、むしろ出版者側に自主規制が浸透した。
・図33「検閲後の書物の行方」

●7:書物の来歴
・戦前戦中占領期の日米間の図書の移動。
・占領期は最も多くの日本の書物が海外に流れていった時期。
・書物の移動における”送り手”について。
・書物は送られるだけでは意味をなさない。国際文化振興会は、書物を送るだけでなく日本の書物を紹介し書物を扱うためのレファレンス文献を数多く作り出す。
・本を送り届けることの、政治的経済的文脈。
・カナダのブリティッシュコロンビア大学には豊富な日系人資料が所蔵されている。が、日系人がよそへ移動分散させられたのに、この地に資料が自然に遺るはずがないのである。
・明治大学マンガ図書館。明治大学から寄贈打診を受けた収集家・城市郎氏は、快諾したばかりか、すでに形見分けとして多くの親族に分け与えていた書物を再度取り戻してまで寄贈に供した。此までどれだけ学術機関や図書館から冷遇されていたかを痛感する話である。

●8:電子メディアと読者
・CiNiiでまともな論文にたどり着けなかった学生の話。
・電子化されている書物をうまく使うには、そのデータがどういう偏りや空白をもっているのかを理解する、電子化されていない書物についての知識が重要。(#(江上)これは電子化のみの問題じゃないだろうなあ)
・検索窓のすぐ下の「電子化されている、されていない」の選択肢の”位置”は、次にこれを選択すべしという”価値”に取り違えられる危険性がある。というディスプレイ・バイアス。
・デジタルに欠陥があった場合、たとえ情報が含まれていても、それが見えない/たどりつけないおそれがある。物理的には存在しているはずの図書館蔵書を見えなくしてしまうなど。海外日本語蔵書などがその例。
・電子図書館が読者にたどりつくまでの「あいだ」をとらえ、その制約を問う、という研究の可能性。
・例えば特に初学者には、ここからここまでという具体的な広さと限界を持った場所、蔵書の範囲、「函」としての図書館の棚が有効である。全体像をつかみ、情報を位置づける。
・資料・情報の「横並び」は、それが持っていた場所・距離・文脈を失わせてしまうのではないか。

●9:読書と教育
・「国語」という教科が言語だけを教えたためしはない。
・読書する女性、のイメージ変遷。
・アーカイブズ教育。たどりつくプロセス、読書の歴史を学ぶのに、アーカイブズの実践学習は非常に有効である。他に、図書館未整理資料の整理や翻刻・公開の実践など。
・国語教育、国語教科書に”読書の歴史”を組み込むことによって、メディア・リテラシーを具体的に教育で実践できるのでは。

●10:文学研究と読書
・作家ではなく、表現を分析することによって、読者がわかる。名作や著名作家主導の、一握りの小説に偏った文学研究では、読者の歴史は見えない。
・文学史の記述は、当然のように、読者の歴史を排除してきた。
・日系移民の読書空間。そこには日本国内と異なる読書・流通・享受・言語環境がある。孤立した日本語環境の中で、日常的に、同好者間で文学活動が一世紀以上続けられてきた。「アマチュア文芸の世界が貧しかったわけではないし、無視してよいわけではない。」 細川周平『日系ブラジル移民文学』
・読書を問う、学際的なつながり、リテラシー史。

●おわりに
・従来は出版史・図書館史・文学研究など多様な領域でなされてきた研究が、本書で、「読書の歴史を問う」という方法のもとに結びあわされる。
・国際会議「日本の書物の歴史 過去・現在・未来」



■江上の感想
・学部生の時にこれ読んでたら人生変わってたな、っていう。

posted by egamiday3 at 21:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする