2016年12月31日

極私的流行語大賞 2016

 
 年末振り返りその1、いつも自分しか得しない、自分のためだけのメモ。

あしーたがんばろおー
今日のヴィニエット
シアトル
調整活動(人間ドックのための)
今日は酒を飲まない日
司会業
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シチリア
シチリア〜、シチリア〜(映画『シチリア!』のオープニングの歌)
JAL研修
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201611it イタリア・シチリア旅 1日目「鉄道が通っててパスタが食えれば困ることはないだろう」


 イタリアに行ってきました。
 今回は主にシチリア島です。
 ていう話をします。

 イタリアは、2013年1月以来4年弱ぶりですが、そんなことよりプライベート&ヴァケーションベースな旅自体が2年半ぶりという、もっと旅をさせてほしい!

 今回の旅の概要は「0日目」(http://egamiday3.seesaa.net/article/445202831.html)の通りですが、初日当初の目論見としてはだいたいこんな日程。

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11/19 関空発→パリ経由→ローマ着
11/20 シチリア島まで行く (鉄路12時間)
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(未定)
 |
11/26 どうにかしてローマまで戻る
11/27 ローマ発→アムステルダム経由→
11/28 →関空着
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 なぜシチリアかと言われると、そこまで思い入れがあるわけではなく、イタリアには行きたいな、でも北部中部をうろちょろするのはもうやったしな、11月だし寒くないように南がいいし、短期間でこれっていう決め打ちのトピックスというかワード旅ができると、短い準備期間で予習もしやすいよな、って思ってたら、数年前にイタリア関連本で「最近のシチリアは昔に比べて安全で旅行しやすくなった」って書いてあったの思い出して、じゃあ「シチリア」で決め打ちにしよう、という感じです。
 それに下記の地図見ていただくとわかるようにですが。

map1.png

 よく「文明の交差点」みたいな慣用句で表現される土地ってあると思うんですが、なかでもシチリアは群を抜いてと言うか、地図上でリアルに、物理的な意味でまさしく文明の十字路的位置だなっていう。地中海世界観でいうまさにど真ん中で、この地中海を京都市バスの206号系統だとすると、イタリア半島からアフリカまでの縦ラインが地下鉄烏丸線ですから、ミラノあたりが北山や北大路、フィレンツェが同志社や相国寺のある今出川で、ローマが三条ナポリが四条と下がっていくと、シチリアは烏丸五条というまさに大交差点ですね。東へ行くとギリシア・トルコという東山界隈があり、太秦や嵐山あたりの右京・洛西がスペイン・イベリア半島、えっと、いまこれ何の話でしたっけ。
 というような、イタリアの端っこであり、地中海のど真ん中であり、文明の十字路的なところなんだったら、おすましした土地柄よりは何かおもしろいもの見れるんじゃないか。正体はよくわかんないけども、まあ最終、少なくとも鉄道が通っててパスタが食えるっていうだけでも大丈夫だろう、たぶん困ることはない、という嗅覚からの、予習、準備、そして実践なわけです。

 予習については、これも0日目(http://egamiday3.seesaa.net/article/445202831.html)の参考文献を参照。

 とりあえず1日目はローマまで行きます。

IMG_4085.JPG

 これが今回の預け荷物で、中身をしぼりにしぼって4.8キロ、手持ちカバンが約4キロ。彷徨型の旅行なのでできるだけ少なくしたかったのですが、このあたりまでくるとカバン自体の重さをいかに軽いものにするかレベルの問題になってきますね。
 それにしても関空のセキュリティが、いままで見たことがないレベルの行列ができてて、ちょっとびびりました。日本側旅行のシーズンで言えばオフな時期のはずなんですけど、これってやっぱり来日観光客の増加の影響でしょうかね。

IMG_4086.JPG
IMG_4089.JPG

 特に感慨もなくあっさり搭乗、離陸。

 行きの渡欧便はエールフランスで、2人席。当初は離陸直後あたりまでお隣が空席で、やったラッキー!と喜んでいたのですが、しばらくするとどこから登場したのかフランス美人的なお姉さんが隣席においでになって、え、この人離陸の時いなかったのにどこから湧いて来たんだろう、エールフランスに巣くうフランス美人版座敷わらしかなんかだろうか、と思ってたんだけど、どうも非番のCA関係者さんか何からしく、勤務中のCAさんと親しげに話してる、どころか、免税品の機内販売のヘルプみたいなことしてはった。

シチリア歴史紀行 (白水Uブックス) -
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 Kindleでシチリア本再読したり、デスクワークしたり、映画を見たりしてるうちに、なんとなくふんわり12時間経ったという感じでしたが、『ペルセポリス』はもう一度ちゃんと見直さなきゃなといういい映画でした。我々同世代のイランの少女の半生自叙アニメで、軽妙なシリアス感。

ペルセポリス [DVD] -
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IMG_4094.JPG

 というわけでパリ、シャルル・ド・ゴール空港に到着。

 実は日本時間の昨夜あたりからずっと、腰が軽く痛くて、今回渡欧便で12時間座ったあと、明日は鉄路で12時間っていう予定なので、これ下手すると下手をするな、という危機感があったので、それで何をしてたかっていうと、パリ空港での待ち時間中、何の意味もなくあちこちをうろちょろと徒歩運動してるっていう。まあ結果、大事には至りませんでしたが。

 そしてパリからローマへ向かう便はイタリアのアリタリア航空だったのですが、その短いフライト内でポンっとなんとなしに渡された配給品が、パックのサンドイッチ。これが今旅の第一イタリア食だったのですが、そんなコンビニエンスフードみたいなんが、えっ、て思うほど美味かったからイタリアは早速ヤバい、という感じ。なんのことはない、ナスの、浅漬けっぽくしたのの、バターだかオリーブオイルだかで軽く味付けしたサンドイッチなんだけど、薄味なのにコクがあるし、ナスの柔らかさも、ふだんは不愉快なはずの水気吸ったパンの柔らかささえもちょうどよく、コンビニフードでこんなに美味いのがイタリアンなんだったら、もうこの先コンビニフードだけで旅行過ごしてもかまわないかも、っていうレベル。なにせ、写真撮るの忘れるくらいには、美味い美味いって食べてた。
 ↑ここが行きの旅程のハイライトかな。

IMG_4096.JPG

 そんなこんなでローマ、フィウミチーノ空港に到着。
 からの、ローマ中央テルミニ駅。

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 そしてそのすぐ近所の安宿にイン。駅前の雑居ビルで、そのへんのあんちゃんとかスルッと侵入できちゃうんじゃないかという感じで、口ひげで中途半端に洒落たジャケットのおっさんがフロントでスタッフとだらだらしゃべってるだけの、ほんとに眠るだけのただの場末の宿で、そのおっさんが某有名な国文の先生に似てたっていうこと以外には特になにもない。

IMG_4100.JPG
IMG_4098.JPG

 遅い夕食をとろうとするも特にこだわる体力すらなく、テルミニ駅付設のフードコートでさくっと済まそうという感じなのですが、以前(2013年)来たときよりもさらにフロアや店舗が充実してるらしく、新しくできていたオシャレフードコートがかなり使い勝手がいい感じで、前菜もメインも肉も魚もパスタもドルチェも何もかもがひととおり、しかも国内各地方の郷土料理がまあまあそろっているというフードコートで、パスタはパスタで生パスタだけのコーナーがあったので、カチョ・エ・ペペ、チーズと胡椒だけのシンプルなパスタ、麺はトンナレッリ、四角いロング麺で、ゆで加減がへんなつけ麺屋みたいにだいぶ硬いのですが、それでもまあ、コンビニエンスな駅付設の店で食べられるものとしては悪くない(チーズましましにしたせいでだいぶ塩っぱいものの)、しかもバーのコーナーでは、ワインの国・イタリアでは選択肢の薄めなはずのビールがドラフトでたくさん種類あって、え、モレッティのブラウンビールの生なんかあるんですか、っていう、ここかなり有能なインフラじゃないですかね。
 こんなインフラあるなら、ローマを旅行事務的な拠点にしてルート組むのはかどりそうだな、って思いました。12時過ぎても開いてるっぽいし。若人がめっちゃはしゃいでるし。あ、これっていま土曜の夜か。

 という感じで、明日の本番=鉄路12時間に備えて、休みます。

posted by egamiday3 at 10:49| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月24日

201611it イタリア・シチリア旅 0日目「旅の概要」

●旅の概要
・イタリア、特にシチリアへ行く。
・プライベート&ヴァケーション(会議・訪問の類無し)な旅行。
・その時々であちこちに移動する、彷徨型の旅行。


●旅の日程(予定)
・2016/11/19 関空発→ローマ着
 ・なんとかして、シチリア島まで行く
 ・シチリア島内をまわる
 ・なんとかして、シチリア島から戻ってくる
・2016/11/27 ローマ発→翌11/28関空着


●旅の参考文献
(註:冒頭の・の数が重要度)

(シチリア本)
・・・陣内秀信『シチリア : “南”の再発見』(紙・自炊)
・・・小森谷慶子『シチリア歴史紀行』(白水Uブックス)(Kindle)
・・陣内秀信『南イタリアへ!』(自炊)
・・小森谷慶子『シチリアへ行きたい』(とんぼの本)(紙)
・・寺尾佐樹子『シチリア島へ! : 南イタリアの楽園をめぐる旅』(角川文庫)(紙)
・金沢百枝,小澤 実『イタリア古寺巡礼 : シチリア→ナポリ』(とんぼの本)(図書館)
・竹内裕二『イタリアの路地と広場〈上〉 : シチリアからプーリアまで』(アーキテクチュアドラマチック)(紙)
・渡辺真弓『イタリア建築紀行 : ゲーテと旅する7つの都市』(図書館)
・『世界の建築・街並みガイド3 : イタリア・ギリシア』(自炊)
・陣内秀信『イタリア都市の空間人類学』「都市風景の南と北:シチリアとヴェネト」、「南イタリア都市の袋小路を囲むコミュニティ」、「シチリア」(I, II, III)(図書館)

(ガイド系)
・・『地球の歩き方』南イタリア2016(紙・自炊)

(鉄道系)
・・『イタリア鉄道の旅』2010(地球の歩き方BY TRAIN)(紙・自炊)
・『イタリア鉄道の旅』2005(地球の歩き方BY TRAIN)(自炊)
・・弘明安居『イタリア完乗1万5000キロ : ミラノ発・パスタの国の乗り鉄日記』(交通新聞社新書)(紙・Kindle)
・・池田匡克『イタリア縦断、鉄道の旅 (角川oneテーマ21)(紙・自炊)

(語学系)
・・『旅の指さし会話帳』イタリア(紙・自炊・Kindle)
・郡史郎『はじめてのイタリア語』(講談社現代新書)(紙)

(料理系)
・・岸朝子『イタリアン手帳』(紙・Kindle)
・・『食べる指さし会話帳』イタリア(紙・自炊)
・・佐藤礼子『イタリアで一番おいしい家庭料理 : シチリアのおうちレシピ』(Kindle)
・池田匡克,池田 愛美『シチリア美食の王国へ : 極上レストランとワイナリーを巡る旅』(図書館)
・宮嶋勲『10皿でわかるイタリア料理』(紙)
・池上俊一『パスタでたどるイタリア史』(岩波ジュニア新書)(紙・Kindle)

(映画系)
・・マルガリータ・ロサーノ『カオス・シチリア物語』(図書館・YouTube)
・・ダニエル・ユイレ, ジャン=マリー・ストローブ『シチリア!』(図書館・YouTube)

(その他ざっくり)
・・『イタリア : 快楽主義者のこだわりライフ』(ヨーロッパ・カルチャーガイド)(紙)
・・島村菜津『バール、コーヒー、イタリア人 : グローバル化もなんのその』(紙・自炊)
・・『イタリアを旅する24章』(エリア・スタディーズ)(紙・自炊)
・池上英洋『イタリア24の都市の物語』(集英社新書)(自炊)
・清水義範『夫婦で行くイタリア歴史の街々 : 夫婦で行く旅シリーズ』(集英社文庫)(Kindle)
・TRANSIT17号「美しきイタリア」(自炊)
・和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫)(Kindle)
・ゲーテ『イタリア紀行』(Kindle)
・『ゲーテ「イタリア紀行」を旅する』(集英社新書ヴィジュアル版)
・G. ギッシング『南イタリア周遊記』(岩波文庫)
・陣内秀信『イタリア小さなまちの底力』(自炊)
・陣内秀信『イタリアの街角から:スローシティを歩く』(自炊)
・陣内秀信『イタリア都市と建築を読む』(自炊)
・河村英和『イタリア旅行』(中公新書)(紙・Kindle)
・村上義和『現代イタリアを知るための44章』(エリア・スタディーズ)(紙・Kindle)


●旅の動機
・9月のルーマニア出張が、純粋に現地との往復、宿と会議会場との往復だけでいっさいの旅情の余地がなく、うなぎの蒲焼きの匂いだけかがされて帰ってきた感に、軽くキレたから。
・同時期に、某者が、自分も前々から行きたい行きたいと狙ってたバルト三国に旅行に行ってて、旅情を堪能している様子をFacebookで見せつけられた感に、軽くキレたから。
・うちとこでは去年まで夏季休暇を7・8・9月内だけで3日とるというルールだったのが、今年から年内いつでも3日とっていいルールに変わったんだけど、それで1月頭に旅行を目論んでたのが、いや実はその年内というのは4月-3月カウントじゃなくて、1月-12月カウントでした、っていうのがまさかの10月頃に通知されてきて、軽くキレたから。
・ていうか、プライベート&ヴァケーションベースの旅行を最後にやったのが2014年6月で、もう2年以上経ってるのに、ずっとキレてたから。


 では、行ってきます。


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2016年12月16日

#JAL2016 その3 : 「指摘→反省」無限ループからの脱出、あるいは、”研修論”的なものの序奏として(「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言」を受けて)


 2016年12月9日におこなわれたワークショップ「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言III」(海外日本美術資料専門家(司書)研修・2016)に関する、3部構成で考えたことの、ラストです。

 JAL2016・その1、では、海外の日本美術司書・専門家から、日本のデジタル資料発信に対する提言がありました。
 http://egamiday3.seesaa.net/article/444773560.html
 JAL2016・その2、では、その提言を受けたコメンテーターとしての自分のまとめとコメントを記しました。
 http://egamiday3.seesaa.net/article/444864713.html

 問題は、今回受けた提言が、
  ・英語/ローマ字化が必要
  ・オープンアクセスが必要
  ・ポータルが必要
  ・海外ユーザを知ることが必要
  ・交流・ネットワーク作りが必要
  ・コラボレーションが必要
 という、どれも常日頃から繰り返し繰り返し言われていること、今回”も”受けた提言ばかりで、率直な感想としては「はあ・・・また同じことを言わせてしまった・・・合わせる顔がない・・・」という類のものだったということ。

 ためしにざっと見してみての、去年と今年の生き写し感。
  2015年 http://egamiday3.seesaa.net/article/430552792.html
  2016年 http://egamiday3.seesaa.net/article/444773560.html

 この「またもや感」、抜け出せないループ感を、どう考えるべきかと、汝をいかんせんと。
 そういう想いに端を発し、JALに限ったことではない、この類の研修そのもの提言そのものについて、自分なりに考えたことを「AJAL・研修全体を受けて」として当日しゃべってきましたので、そのディレクターズ・エディションとしてのJAL2016・その3です。


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■AJAL・研修全体を受けて

 で、みなさんから受けた提言なり問題提起なりが、3班とも、そして2年とも、だいたい同じ感じの内容だったということを受け止めたときに、2つの問いが自分の中に浮かんだわけです。
 ひとつは(このJALプロジェクトに限らず一般論として)「この手の研修というのは、役に立っているんだろうか?」ということ。
 もうひとつは、「我々は、指摘→反省のループに陥っていないか」ということ、です。

 この手の研修。
 私もよく受けました、なんかあちこちから集まって、具体的に教わったりだけでなく、どこか見学行ったり、人の話聞いたり、そのあとでグループワークやワークショップ的なことしたりして、っていう感じの。
 そういうのについて「この手の研修というのは、役に立っているんだろうか?」という問いを立てたとき、座学的なことはホームでやったらいいじゃん、見学なりなんなりってだいたいネットで済むじゃん、グループワークだってしょっちゅう催されてて、それを数日屋内に籠もってるのわざわざ遠くまで出向いてやるの? みたいなことはいまどきはある程度言えてしまえるかもしれない。

 ですけど、実際にグループワークに取り組んでいるのを傍らから拝見してるとわかるし、また「研修どう?」って当事者と話してみてもそうなんですけど、なんというか、日常業務から遠く離れて、非日常の環境の中で、ひとつの何かに腰を据えて取り組む、っていうそのリフレッシュ=非日常の効用っていうのはおそらくまちがいなくあるな、とは思うんですね。その非日常さ加減は、場所が違う、環境が違うっていうのもそうだし、だから思考も発想もフラットになるし、肩書きや立場も切り離して受講者同士でフラットに(研究者も司書も館長もボランティアスタッフも国・年齢・語学力関係なく)相対して、話して、考えて、共同作業する、(なによりも)日常業務から離れて。
 そこで、新しい発想を得られて、あ、良かったな、いままで自分だいぶ凝り固まってたのわかったな、ていう経験もまた私自身何度かあります。ていうか、今回のJALプロジェクトでのグループワークに私は参加してませんけど、横で半日その様子をぼーって見ていただけなのに、なんか新しいことに気付けた、みたいな非日常の効用得られましたので、それだけでもありがたいなって思いますね。

 ただ問題は、「非日常」は≒で「一過性」になりかねない、ということでしょうか。
 一過性で終わるおそれ、日常に戻ると効用がリセットされるおそれ。っていうのはもしかしたら「研修」というものが生来逃れ得ない難点なのかもしれないな、って思います。
 「研修」というものに懐疑的な説がとなえられるのは、日常への還元が担保されていないことへの怨嗟なのかもしれないですね。

 ですので、研修を受ける側にしろ設ける側にしろ、一過性に終わらせないための努力・工夫・問いかけは必要なんだろうなと。
 非日常から日常へ戻ったあとで、では、次の展開は?継続性は?と。 成果を日常にどう活かすのか?還元するのか?と。

 じゃあ、ですけど。
 受講生が研修で得たものを日常に活かしに帰るのは、それは当たり前でしょう、今回のJALに参加なさったみなさんも帰国後それぞれ活躍・活用なさるんだと思います。
 問題は、研修の成果たる「提言」の束を受けとった、日本側の継続性は? ということになるんじゃないかと。

 例えば、2015年のJALプロジェクトにおけるワークショップ(http://egamiday3.seesaa.net/article/430552792.html)でこんな話がありました。
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例:「Artstor」(http://www.artstor.org/)のような、国際的なポータルサイトに参加してデータを提供してほしい、こういうところで見つかりやすくアクセスしやすくなるように。(Artstorに載っている日本美術作品は、日本以外の機関からの情報ばかり)
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 この方が再来日してはったんで、一緒に1年後の現状を再確認したんですが、やはり日本の機関から提供がされているようには見えず、大英博物館やメトロポリタン美術館の収蔵品が目につくといった具合でした。
 だったら、この方が2015年に出してくださったこの指摘・提言、これって、どうなるんだろう? どうなっちゃったんだろう?って思うんですね。

 英語/ローマ字化が必要、オープンアクセスが必要、ポータルが必要、海外ユーザを知ることが必要、交流・ネットワーク作りが必要、コラボレーションが必要。どれも、海外の日本研究関係者と話をし始めると数分後には登場するような指摘で、日本研究司書研修でも、CEALやEAJRSのような会議でも、日本でやる講演やシンポでも、ネットでも日本人同士でも、話題になる。
 そもそもこの研修って、10人近くのプロフィールバラバラの人たちが、初対面で集まって、それを3班に分けてそれぞれで意見出しさせたら、↑のような似たような提言が出て、それが2年やっても似たようだったと。じゃあそれって、もう”正解”ですよね、提言として疑いようがない内容なんだと判断していい。

 そうやって海外の日本関係者から提言を受け、あ、そうですよね、ほんとなんとかしないとと思います、と反省し、また別の機会で指摘を受け、うなずき、指摘を受け、反省し・・・というのを、秋の東京で、冬の精華町で、春のシアトルで、梅雨の同志社で、夏のブカレストで、秋の桂坂で、そしまた冬の東京で、精華町で・・・。
 え、これいま無限ループ中ですか?と。
 いま何周目ですか? 何度やっても同じルートですか?と。
 という想いで、おります。

 ここまでくると、これはもうJALプロジェクトとか研修がどうのコメンテーターがどうのとかいう話じゃないですね。
 私自身の、日常的な、反省。
 それをいま開陳しているところ、という感じになってます。

 という反省ばかりしていてもしょうがないんで、じゃあどうするかっていうあれなんですけど、業務上の反映努力はもちろんとして、例えば、ループになってもいいからひとつでも多くのパネルなりシンポジウムに出ます/開きます、そこで発言します/司会します、とか、例えばさっきの「Artstor」の例なり去年の提言なりを、なんか呼ばれてしゃべれって言われた場所(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_kyougikai/index.html)でがんばってしゃべります(http://egamiday3.seesaa.net/article/440674083.html)、とかいうことをやるんだけど、もうひとつの大きな問題点があって、この種のこと、つまり「日本資料の情報発信力の向上」とか「デジタルアーカイブがどうのポータルがどうの」とかいうことって、一部特定の業種・業界だけでがんばって解決・成就するような問題じゃなくて、広くいろんな業種・立場の人が総出でちょっとづつでも元気玉を出すようなやりかたじゃないとあんま回っていかないタイプの問題じゃないかと思うんですよね。
 あたしは、いわゆる世論というものの持つ力についてはどっちかというと懐疑的な気質ではあるんですけど、それでも、世論の醸成みたいなものがないと、継続的/本質的/腰の据わった問題解決にはならないだろう、とは思います。

 というような右往左往しながら考えたことを踏まえて、当日はコメンテーターとして「「提言」のための”提言”」なるものを提言してきました、という感じです。

 その1。
 この種の提言・指摘自体の発信力、というのはどうなんだろう、高められているだろうか、と。

 先述のように、多業種多方面の同意と世論の醸成が必要だとするんだったら、この「提言」自体にどれだけ情報発信力を持たせて広く届ける、説いてまわることができるだろうか、と。こういう指摘がありました、提言が出ました、っていうのを実際聞いてるのは誰なのか。というのは、いったん問われるべきことではあろうなと思います。
 これは本プロジェクトの今ワークショップに限った話ではまったくなくて、例えば北米の日本司書が集まるCEALやNCCでこういう話題が出てこういう問題意識が持ち上がった、ていうのが、じゃあ日本の図書館業界にどうやって届いてるだろうか、と。あるいはEAJRSでどんなディスカッションがあったのかというのが、届いているかと。その問題を解決する力のある人や、同意が拡散する場の人たちの目に触れているだろうかと。
 っていう話になってくると、これはよく問われる「日本の情報発信力」の逆転問題になってきます、つまり、日本側というユーザ・情報受信者に、海外の声は、どう届いているか、どう届けるべきか。PDFがどっかにポンと置いてあるだけで届くだろうか、英文の記録だけで読んでもらえるだろうか、情報発信はリアルタイムだろうか、SNSや動画を活用できているだろうか、Googleフレンドリーだろうか、日本の図書館員がふだん目にするところに出現しているだろうか。これこそ、デジタルでオンラインでオープンで、が実現できているかが問われることになってしまいます、わかる人ならわかる、知ってる人には伝わる、というような祇園の小料理屋ならぬ世界の入りにくい居酒屋状態では、日本の多業種多方面の人たちに援軍になってもらうくらいの理解を得るのはなかなか難しい。
 (もちろん、その指摘・提言が日本側の催しで出たのなら、その発信力は日本側の問題ですが)
 
 ブログ書きながら気づいたんですが、あたしがコメンテートで当日一番言いたかったのは、本当はこの「海外側から日本側への情報発信力」のことだったのかもしれないです。ですが、多分言いそびれてる気がする(涙)。
 でも実際のところ、例えば海外側からこんな指摘が、こんな議論が、っていうのを日本側に伝えようとしたときに、そういえばその記録は? 文献は? 情報発信は?って探してもネットに見つからないことってよくあるので、そのへんの足りなさってどちらのお国もある程度いっしょなのかな、って思いますね。

 その2。
 受けた日本側の反応をどう示すか。
 どう示すかの試みとして昨年度2015年のJALプロジェクトでは、海外受講者の提言を受けた日本側実行委員の「応答」が報告書に掲載されました(http://www.momat.go.jp/am/wp-content/uploads/sites/3/2016/04/J2015_350.pdf)。ただ、このままだと2016年も同じ文章が並びかねないところはあるので、じゃあ別の試みはないだろうかというと、”アンサー・シンポジウム”はどうですか、っていうことに思い至るわけです。

 (報告)アンサー・シンポジウム「日本の大学図書館員の論じる世界の大学と図書館」7/1(金)で、司会をしてきました。: egamiday 3
 http://egamiday3.seesaa.net/article/439705004.html

 時間的な問題で実現するのは難しいところはあるかもしれませんが、例えばこういう海外の関係者を招いて指摘提言してもらうシンポなりワークショップを開いたら、そのあとで、会場にいる日本側関係者数名を壇上にあげて、30分くらいでもいいから、海外側からの声を受けてのディスカッションをやる、っていう。それは、指摘提言してくれたみなさんへの返礼でもありますよね。
 あのアンサー・シンポジウムイベントの発想は、今後どんどん普及させてったらどうかな、って思います。まあ、あれです、しゃべりたくてうずうずしてるタイプの人なんてたくさんいるでしょう。

 その3。
 指摘提言を引き受けて実働できるような、”ポータルな集団”を組織する事が必要。
 これは風呂敷広げただけでとどまってしまうんですけど、備忘に。
 結局、何かしら問題があって声が上がったときに、その声をどこへもっていけばいいか、っていう場がなくていつのまにか雲散しちゃうので、デジタルコンテンツの”ポータル”もさることながら、活動・集団の”ポータル”というか、ワンストップな窓口というか、責任・権限の所在と専門性を兼ね備えた専門家集団が、多業種多方面の横断的なつながりをもってコラボレーションしていけるという、んー、何を言ってもふわっとしてて整理つきませんが、そんな感じのやつです。
 で、問題は、そういうのを特定のどこそこにやらそう、ってなっちゃうとたぶんうまく行かなくなるんだろうな、っていうあれで、どこそこの省庁にとかどこそこの機関にとかどこそこのNDLさんにとかいうのになると、任されたところが疲弊し、いっぽうで任されないところが問題意識低調になり、そのうちそこと関わりの希薄なところにまた別のポータル機能ができ、さらに別にもでき、たくさんのポータルが縦割り個別に散在し、しかもそういうところはおおむね公的機関であって、故にリソースは削減傾向で維持に困る、そんなことになっては困るので、どこか特定のところに依存しない専門家集団みたいな仕組みづくりって、無理かなあ。

 っていうあたりまで夢想して、力尽きました。
 このコメンテート(JAL2016・その2+その3)は、受講者3グループのプレゼン(JAL2016・その1)を前日に聞いてから寝る間を惜しんだ特急で準備したあれなので、粗々した放言どまりではあるのですが、一応、「この手の「研修」はどうデザインされるべきか」をほんとの問いとして念頭に置きつつの感じでやってたあれで、この問いについては長期的な視点で今後も引き続いてうにょうにょ考えていく所存のやつです。

 その引き続いて考えるののヒントを大きくいただいたのが、グループ・プレゼン後のディスカッションのターンです。
 例えば、解決には時間がかかってもいい、との発言の一方で、特に若い世代は自分の将来の見極めのことを考えると、環境整備にそんなに何年も待ってられない、当座やつなぎでいいから何らかの対応が素早さでもってとられるべきでは、という若い世代ご自身からの要望は、確かにおっしゃるとおりだと思ってて、先を見据えての長期的な醸成もいるんだけど、短期で得られる返報という”飴”がないと、長期での闘いもやってられへんって感じになるので、そこ込みでデザインしていかなな、っていう。

 デザインつながりでは、「実行委員会で提言内容の実施に向けての働きかけまでやるべきじゃないのか」というご指摘もあって、今回のような「研修」の例で言えば「次への展開」「継続性」を云々するのであれば、それも込みで研修全体をデザインする必要があるんだな、と。
 そういう意味では、”後”のデザインが次への展開や継続性なら、”前”のデザインとは?ということなんですけど、これをコラボ・ネットワークの文脈で言うなら、何かしらの事業を企画し計画し運営し始める段階からできるだけ海外側に加担してもらって、成就するかしないかわかんないけど、とりあえずやいのやいのやる、ていう過程のほうがよっぽど意義のある成果なんじゃないかな、って、その2に書いたように思いますね。実際JALプロジェクトもどこかしらそういった感はあったし。

 「楽しい」って、そういうことかな、と。
 まあ、それは最終、研修に限らず、日本⇔海外がらみの事業にかかわらず、あらゆるプロジェクトの類でそうなんだろうな、と思います。

 そのことをやることの意義は、そのこと自体というわけではない、っていう禅問答みたいな一般論を確認したところで〆る感じです。

 最後に、受講者のみなさん、お世話くださったJAL事業関係者のみなさん、そしてegamidayのクセが強く翻訳しづらい内容のプレゼンを受講生に伝えてくださった通訳のみなさんに、厚く御礼申し上げます。



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2016年12月13日

#JAL2016 その2 : egamidayによるコメンテート(「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言」を受けて)

 2016年12月9日におこなわれたワークショップ「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言III」(海外日本美術資料専門家(司書)研修・2016)で、コメンテーターをつとめてきました、の記録です。

 「#JAL2016 その1 : ワークショップ「日本美術の資料に関わる情報発信力の向上のための提言III」(海外日本美術資料専門家(司書)研修・2016)のメモ」
 http://egamiday3.seesaa.net/article/444773560.html

 上記「#JAL2016 その1」のメモにあります、海外日本美術資料専門家のみなさんからの3つのグループ・プレゼン(「日本から海外へ : 日本におけるデジタル化資料をいかにして外国人研究者に伝えるか」、「アートは世界の遺産」、「日本の文化資源を広めるための協力」)を受けまして、この「#JAL2016 その2」は、それをコメンテーター役のegamidayさんが自分なりに整理し、解釈し、補足や持論を付け足して、それを以下のような感じで当日述べてきましたので、そのディレクターズ・エディションみたいなものと思っていただいたらいいです。

 構成は@Aの2段階で、本記事は@のほうです。

@グループによる「提言」を受けて
 (0) イタリア旅行の想い出
 (1) 言語の壁 : 英語/ローマ字を!
 (2) アクセスはオープンであれ
 (3) 「ポータル」待望論
 (4) ユーザ・ファーストであれ
 (5) 海外ユーザは、日本の味方
 (6) デジタル格差が止まらない
 (7) 交流・ネットワーク作りと海外アピール
 (8) 「人」と「コラボ」
AJAL・研修全体を受けて

 ところで、↑このまとめラインナップを見て「ん?」と思われる方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれない、というのもここに書いたようなことっていうのは、これまでも同様の場でさんざん指摘されてきたことばかりであって、「またもや」感がどうしてもある、その、「またもや」感をどう考えるべきかについては、別途「#JAL2016 その3」でAを扱う、っていう思惑でいます。


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●(0) イタリア旅行の想い出

 とかなんとか言いつつ、今年の受講者にイタリアから3名もいらっしゃってたっていうからみもあって、まずは先月プライベートで旅行に行ったイタリアの写真でも見ていただいて、ご機嫌をうかがうという感じなのですが。

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 まったくのヴァケーションで行った旅行だったんですが、ご覧のように景色はきれいだし、食べ物はおいしいしで、約1週間ほど、堪能して帰ってきました。あのでっかい餃子みたいなのはピッツァ・フリッタ、すなわちピザを揚げたものです、世に石窯のような発明される以前のピッツァというのは揚げて料理してたらしいですよ、どんだけのカロリーだと。
 ただ若干困ったこともありまして、好んで行っておきながらわたしはぜんっぜんイタリア語がわからないんですよ、チャオとボンジョルノとアルデンテくらいでしょう、わかるとしたら。でも、地方の町に行くと、街中のサインとか表示とかに英語がないことがかなり多いんですね。

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 これはバス乗り場に貼ってあるバスの時刻表なんですけど、右側に何か赤で、いかにも重要ですよみたいなことが書いてある、なんだろうとドキドキするんだけど、それが何なのかがわからない。会場の受講者に聞いてみたら「そのバスは土日しか来ませんよ」ということらしくって、そういうことがイタリア語でしか書いてないから不安になるわけですね。

スライド6.JPG

 で、ある日駅に行くと、これもいかにも気をつけろ!的にびっくりマークのついた紙がぺたっと貼ってあって、その場でわかんなかったんだけどなんとなく虫の知らせがして、写真撮るだけ撮っておいたんですけど、あとからよくよく見ると「SCIOPERO」(=ショーペロ、ストライキの意味)って書いてある、ですからこの日は列車は来ません、そういうことも、webサイトではない、その時だけにその場所だけで貼るような貼り紙だと、英語対応をわざわざしてくれているわけではないので、困ったな、という感じでしたね。
 行った先がシチリアだからなのかどうなのかはわかりませんが、おおむね、英語少ないな、という感じでした。


 というツカミはオッケー、的な流れで、英語/ローマ字は必須です!というところから本題に入っていく感じなんですけど。

●(1) 言語の壁 : 英語/ローマ字を!
 ・英語/ローマ字は、必須です!
 ・ユーザは“日本専門家”だけじゃない
 ・アブストラクト・メタデータだけでも
 ・サムネイル画像も有用
 →海外関係者との議論、連携・協力を

 英語/ローマ字で表示・検索がされないと困る、という話はやはり誰からもいつもうかがいます。特に、ここに集まった日本研究関係者の人たちが「学生や、日本が専門じゃない人が、検索するのに困る」とおっしゃるのでそこも共通認識なんだと思います。コンテンツそのものの英語化は無理でも、せめてアブストラクトやメタデータだけでも、いやむしろそっちが重要か、このへんはユーザによって軽重わかれるかもしれませんが。
 それから言語の壁を越える、という意味では、「サムネイル画像が重要」という指摘もおっしゃるとおりだと思います、羅列された情報を直感的・瞬間的に評価・選別できるという意味では日本人にだって有益なはず。しかも、サムネイルってべつに画像系データベースに限った話ではなくて、OPACで書籍の表紙画像が出ればそれによってこの本が入門書か専門書か文芸書かが判断できる。もっと言うと、CiNii ArticlesでオープンアクセスなPDFがあるときそのサムネイル画像が横に出ることありますけど、あれ何のヴィジュアルさも無いように見えても、あのおかげで「あ、これPDFあるんだ」って明らかにわかるからすっげえ便利なんですよね、そういう話だと思います。


●(2) アクセスはオープンであれ
 ・「デジタル化」 =デジタル*オンライン*オープン
 ・「館内のみ」「内部者のみ」「日本のみ」・・・
 ・アブストラクト・メタデータだけでも
 ・日本のユーザだって困るはず!

 デジタル化された資料やデータに、海外からも部外者であってもオープンにアクセスさせてほしい、というこれもよく言われることです。もちろん、権利関係でアクセスできない的な話はどの国であっても少なからずある話ですが、アブストラクト・メタデータだけでも(2回目)、じゃないと日本のユーザだって困る話でしょう、というのはおっしゃるとおりだと思います。
 そもそも「デジタル化」というのは、デジタル化すれば「デジタル化」なのかというとそれだけではなくて、「デジタル化」と「オンライン化」と「オープン化」の3指標がどのくらいポイント重なるかが、デジタル化した甲斐のある「デジタル化」になれるかどうかを決める、んだと思いますね。


●(3) 「ポータル」待望論
 ・個別に、大量に、散在する、日本のデジタルアーカイブ
 ・包括的/効率的な検索・アクセスのために
 ・日本語不得手な海外ユーザは困る(言語の壁)
 ・日本のユーザだって困るはず!
 ・在外日本資料を可視化(ウィリアムズさん)
 →内閣府知的財産戦略本部 「デジタル・アーカイブの連携に関する実務者協議会」(2015〜)

 そしてオープンに公開されているものも確かに少なからずあって、今回の受講者たちもあちこちの見学先でいろいろ新しい知見を得たようなんですけども、そもそもそれらが個別にあちこち散らばっていて、どこにあるかわかりやしない(可視化されていない)し、いちいちめんどくさい(統合されていない)、日本のユーザだって困る話でしょう(2回目の2回目)、これもまたよく言われることです。nihuINTやNDLサーチは、コンセプトはいいが集約し切れてない、との評価でした。
 あと、なるほどなと思ったのが、ポータルがあれば小規模機関の小規模デジタルが自前システムを構築しなくてもよくなる、という指摘。それから、ケンブリッジなど海外機関が出してるデジタル画像を日本ユーザが見つけられるようになる(じゃないとわざわざケンブリッジのサイト探しに来ないでしょう)、という指摘もなるほどでしたね。
 これについては、現在、内閣府知的財産戦略本部 「デジタル・アーカイブの連携に関する実務者協議会」(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_kyougikai/index.html)のほうで鋭意検討が進められているみたいなんで、安心してください、ポータルもうすぐできますよ、ってあたし当日会場でみなさんに言っちゃいました。もうこれ、ウソでも口に出して言わないと実現しないんじゃないかと思って。言霊的に。


●(4) ユーザ・ファーストであれ
 ・「複雑なインタフェースは、ユーザをあきらめさせる」(フォルミサノさん)
 ・Googleでヒットするように
  →ユーザの見ている場所へ届けよう
 ・若い世代へのアプローチ
  −例:スマホ対応、アプリ作成
  −例:立命館ARCプロジェクトへの学生参加
 ・「日本美術資料のために、ニューヨーク・メトロポリタン美術館や大英博物館のデジタルアーカイブスをよく使う」(グッドさん)
 ・例:Ukiyo-e.org 日本からも複数機関が参加。

 以上、しょっちゅう指摘される「英語/ローマ字がない」「オープンでない」「ポータルがない」という、日本デジタルアーカイブの三大疾病のようなものについては、いまだ”ユーザ・ファーストさ加減”が足りていない、ということだろうなと思います。ユーザにとって便利でわかりやすいものが提供されないと、届かないよ、と。
 たとえば「Googleフレンドリーであれ」というのもよく言われることですけど、それを言うと、アメリカの一私企業にずるずるべったりでいいのかとか、玉石混淆がとか、WELQがSEOが、という声も上がったりするのはわかるといえばわかるんですが、いや、べつにGoogle礼賛・Google至上主義的な意味でそう言っているわけではなく、ユーザがいつも使っているものは何ですか、ユーザの目に触れやすい場所はどこですか、って考えたときに、いまだとそれはGoogleだよね、だからGoogleフレンドリーにしましょうよ、っていう話なわけですよね。だから逆に言えば、いくらポータルができてくれたからと言って、そのポータルへわざわざ行かなきゃ見れないし検索できない、ではやっぱり困ると思うんですよね、だったら無くてもいいよって正直思っちゃう。
 それから、「学生などの若い世代に積極的に使ってもらえるようなアプローチを」というご指摘もあって、それでスマホ対応、それだけじゃなくアプリを積極的に出しなさい、と。そうかアプリか、正直自分はその感覚なかったなと思って反省しました。で、これも、そりゃもちろん10年経てばスマホもアプリも誰も使ってない可能性大なのに、そんな流行性のものに振り回されるようにコストかけるのどうなんだ、っていう説もわかるといえばわかるんですが、そういうことではなく、我々が資料情報を届けるユーザ層として”若い世代”というのは将来性のことを考えると充分に考慮する意味のある層だよね、と認めるのであれば、じゃあそのユーザ層が日常使うものはなんだろう、と考えたときにそれはスマホやアプリでしょう、ということになるんであって、それが、ユーザ・ファースト、ってことなんだろうなと思うんですね。
 なので、ユーザさんの動きというのは、気になるし気にすべきもので、受講者から指摘のあった、「欧米のユーザは、日本美術資料を参照するのに、資料の多い日本のサイトよりも、資料は貧弱でも英文の整備された大英博物館やメトロポリタン美術館のサイトを見ます」というのは、真摯に受け止めるべき話だな、と思いました。あと、Ukiyo-e.orgも。ていうか正直、あたしだって浮世絵探すときはUkiyo-e.orgのほうを見ます、ぜんぜん便利だもの。


●(5) 海外ユーザは、日本の味方
 ・「日本を世界に伝える架け橋になる」
  −海外の日本研究者
  −日本語を知らなくても、日本資料・情報を求めるユーザ
 ・「若者はデジタルでアクセスできないと、 日本研究から離れてしまう」
  →日本研究の“退潮傾向”
    これは日本自身にふりかかる問題

 で、なんでそんなにユーザ・ファースト、特に海外のユーザのことを言ってるのかといえば、まあ結局それが自分たち日本サイドの評価・アピールにかかってくるからということになりますよね。
 そして逆にそれができなければ、別の分野、例えば中国研究や韓国研究に若い世代が流れていく、という危惧もまた複数の人がおっしゃっていました。


●(6) デジタル格差が止まらない
 ・例:韓国国際交流財団の資金援助
 ・例:SOASデータベースリストにおける中国と日本の差
 ・例:ディスカバリーシステムで「枕草子」を検索すると、中国語資料が上位を占める
(飯野勝則. 「ウェブスケールディスカバリと日本語コンテンツをめぐる諸課題 : 海外における日本研究の支援を踏まえて」. 『カレントアウェアネス』. 2014.9,CA1827)

 にもかかわらず、その格差が埋まる気配がない、というのもまた↑に示している通りです。
 あと気になったのが「サーチエンジンで日本についての情報を検索すると、中国のサイトが上位にヒットする」という指摘ですね、これはなかなか日本にいると気づかないんですけど、どれくらいほんとなんでしょうか。もし本当なら、ディスカバリーシステムで起こってることと同じことが、Googleでも起こっているという、なかなか厳しい状況になりますが。


●(7) 交流・ネットワーク作りと海外アピール
 ・国際会議へ参加しよう (AAS、CEAL、EAJRS、EAJS等)
 ・ワークショップやパネルを開き、PRしよう
 ・国際的な雇用、インターン、在外勤務
 ・トレーニングの出前

 というような情報発信不足をできるだけ見える化する方向へ持っていくために、できるだけ外(海外)に出ましょう、という、交流、ネットワーク、アピールが大事という話ですが。
 「トレーニングの出前」って、このJALプロジェクトでも今回試行してましたし、または国会図書館さんやEAJRS/EAJSでもよくやってますけど、できれば、日本側がただ一方的に何かを教えに行くような「研修」なるものよりは、フラットなワークショップやパネルにして教え合う「情報交換」のほうがあらまほしいなって思いますね。
 これは英語/ローマ字化やポータル構築、あるいはこういう研修事業そのものなり、ワークショップやトークイベント、リンク集ひとつ作るだけでもそうだけど、できるだけ海外サイドの人にも議論・運営・開発に積極的に加担してもらって、で、研修そのもの事業そのものよりも、その”海外からも加担してもらってやいのやいのやる”過程のほうがよっぽど意義のある成果なんじゃないかな、って思いますね。自分が次に何かするときはそうしようって思います、まあそれには”マメさ”がいりそうでちょっと自信ないですが。


●(8) 「人」と「コラボ」
 ・「もっと日本人研究者と接する機会やネットワークがほしい」(サロマさん)
 ・人的情報(研究者、著作・成果)の オープン化・ポータル化・英語化
 ・資金/助成金/プロジェクト情報の オープン化・ポータル化・英語化
 ・企業からの資金調達による問題解決

 そういったことを踏まえると、受講者である日本美術研究者の人がおっしゃっていた、「もっと日本人研究者と接する機会やネットワークがほしい」という声がすごく切実に聞こえますね。
 という意味では、オープン化・ポータル化・英語化すべきなのは何も資料やコンテンツだけではない、研究者情報のような「人」の情報、助成プログラム情報や共同プロジェクト情報のような「コラボ」の情報も、またしかりなんだ、ということですね、このへんは図書館の文脈であまりちゃんと議論されること少ない気がしますが、今回あらためて気づかされた感じです。


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 というわけなんですが、さてさて、困りましたね。
 英語/ローマ字化が必要、オープンアクセスが必要、ポータルが必要、海外ユーザを知ることが必要、交流・ネットワーク作りが必要、コラボレーションが必要。
 どれも常日頃から繰り返し繰り返し言われていることばかりじゃないですか。何度目だと。何度目だナウシカと。無限ループかと。
 そのことをどう考えるについては、冒頭で申した通り「その3」に続く感じで。

posted by egamiday3 at 21:56| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする