2017年10月03日

期待の行方 : 『ポストデジタル時代の公共図書館』(勉誠出版, 2017)を読みながら考えたことのいくつか


 図書館って、なんだかんだ言っても、世間様から大なり小なりの”期待”を寄せていただいてるんだなって、そういう様子をちょいちょい見かけます。もちろんそれは、この業界に浸かってる者のひいき目なんだろうとは思うんだけど、それを若干さっぴいても、まあ、”期待”的な何かをちょいちょい目撃するかな、という感じです。「ボードゲームで地域交流」だの「3Dプリンタのあるラボラトリ」だのっていう話題が出ると、昔気質の従来型の図書館の姿とは一見似ても似つかぬようなものが期待されてるんだなって、それは「図書館というものは、こうあるべき」という期待のされ方というよりは、「まあ図書館がやるならそれもありじゃね?」とか逆に「それの持って行き場は図書館でどうか?」とかいう、”図書館ならその受け皿になってくれるんじゃないか”的期待。それを、寛容さとか懐の深さというような言葉で言っちゃっていいのかはわかんないけど、例えば、夏休み明けの小学生に居場所はここにあるよと呼びかけるツイートが賛同されたのも、”図書館なら”期待、みたいなもんじゃないかなと思うんですね。
 こないだなんかNHKで、終業後まっすぐ帰宅したくないサラリーマン、などという(個人的には知らねえよ勝手にしろよてかさっさと帰れよ的な)ものが紹介されておったりもしたわけですが、そこでのコメント曰く、「夜も開いている図書館がほしい」と。そんな(個人的にはどうでもいいよ的な)ところからも需要があると、図書館はあらゆる者を寛容に受け入れてくれるところだというかたちの期待がされてるんだな、って思たです。
 なんですけど、ただ、あれヘンだな?と思ったのは、夜も開いてる図書館くらいいまどきふつーにあるだろうっていう疑問で、これなんだろう、実際には開いてる図書館あるのにこのコメント主のところまでそれが知られていなかったアピール不足パターンなのか、あるいはそのコメント主の界隈の図書館さんは開けれてないっていうリソース不足パターンなのかですね。いくら寛容さや受け皿を期待されるだけされたところで、図書館だってその他の公共機関だってそのリソースは無限なわけじゃないので、何かしらの制限がどうしたって出る。で、例えば制限無く開館したろうといろいろと模索した結果、例えばじゃあツの付くレンタル業者と手を組んでのキラキラ図書館でアピールする、客寄せする、というような選択をする自治体さんだって、まあ、出てくるわけですよね。そしたら今度はそれが、そんなものは自分たちの理想の図書館像と違うぞ、自分たちサイドの期待を裏切られたぞって、炎上しちゃうっていう。
 あちこちからいろんな期待をされることは、それはもちろんありがたい話ではあるものの、あの期待もこの期待もとぶつかりあったり、あっちサイドの顔もこっちサイドの顔もうかがったり、キャパオーバーな期待に応えられるほど、果たして図書館は無限に”寛容”で”受け皿広く”いられるかっていうのは、理念上はともかくリソース上はどうなんでしょうねっていう感じです。

 期待するだけはタダなのか。
 期待するだけ無駄なのか。

 えっとなんだっけ、前置きが長くなりましたけど、ちょっと機会があって『ポストデジタル時代の公共図書館』っていう本を読んでいろいろ考えることがありましたので、そのことをささっと書き残しておこうっていうあれです。

ポストデジタル時代の公共図書館 (ライブラリーぶっくす) -
ポストデジタル時代の公共図書館 (ライブラリーぶっくす) -

 ていうのも、「期待に応えきれていない」という意味でいま現在の日本の図書館にとって最大最弱最頭痛的な課題は、デジタル対応ですよね、っていう話です。まあこの9月だけでも、京都のアーカイブサミットと言い、オスロのEAJRSと言い、もはや悲鳴です。なんとかならんのかと。ていうかこの本自体でも「古色蒼然として、変革を前に思考停止している」(まえがき)とか、「デジタル情報環境に対する「消極性」への危機感」(あとがき)とか、まああちらこちらで悲鳴があがってるという感じです。
 この本で言う「ポストデジタル時代」っていうのは、どうやら「2010年以降のポスト電子書籍であり、ナショナルアーカイブ構想の進むネオ・デジタル時代」(まえがき)なる時代を指すそうなんですけども、なんていうかな、もう21世紀も5分の1が経とうかというこのご時世になって、いまだに公共図書館で電子書籍ひとつ満足に読めやしないとか、想像した以上にしょぼい未来だったなって思いますね。別に自動車が空飛んでなくてもアンドロイドがお茶くみしてなくてもいいから、電子書籍くらいどうにかなってろよ、っていう。

 どんな内容の本かっていうのはまあざっと読んでいただければだいたいわかると思うんですけど、ざっくり言うと、前半が「電子書籍」の話で後半が「デジタルアーカイブ」の話だったな、という感じです。この本が出る以前のそもそもの企画が「公共図書館と電子図書館」だったらしいので、それを聞くとああまあたしかにこういう構成の本になるだろうなとは思うんですが、ただ、それ無しでフラットに『ポストデジタル時代の公共図書館』というタイトルだけ見ると、あれ、ちょっと期待してた内容と少し違ったな、とは思いますね。
 ひとつには「ポストデジタル時代の公共図書館」と言えば、おっ、じゃあまずはウィキペディアタウンの話題なんかから始まりますか?っていう期待をしちゃう。でもさにあらず、電子書籍やデジタルアーカイブのような”コンテンツ提供”に特化した話だったなというところ。
 もうひとつは、例えば前半の「電子書籍」パートのところなんですけど、章を追いながら読んでたら、出版事情から見る電子書籍、アメリカの電子書籍事情、日本の大学図書館の電子書籍事情・・・、ん? 日本の公共図書館の電子書籍事情が丁寧に解説されているというよりも、むしろよそではどうか、周辺ではどうか、っていう話がずいぶん丁寧じゃないかしら、って思うんですね。だからこれって多分、「”ポストデジタル時代の公共図書館”について論じた本」というよりは、「ポストデジタル時代の公共図書館”を実現させるために、公共図書館関係者に読ませる本」ということなんだろうな、って、あたしは手前勝手に理解したわけです。
 でもって後半、「デジタルアーカイブ」に話の重点が移ってくるといよよますます、”公共図書館”だの”図書館”だのの枠組みに閉じこもったところでそんなもの意味無いわけであって、ありとあらゆる業界・界隈・機関種の各事情が入り混じりという感じになってくるわけですよね。だから「共存・連携することが、公共図書館の新しい可能性を開いていく」(第7章)ということを、まず、大前提の基本理念としてもらわなきゃいけないわけなので、やっぱり「ポストデジタル時代の公共図書館”を実現させるために、公共図書館関係者に読ませる本」なんだな、っていう感じがします。

 みたいなことを言うと、ていうか言いすぎると、例えばあたしさっき「図書館はデジタル対応という期待に応えられていない」とみたいなこと書いたような気がするんですが、そうすると一方で、「いや、利用者の多くは図書館にデジタルを求めているわけじゃないんだ、そういう期待の対象じゃないんだ」的な、本気なのか逆張りなのか牧歌的なのかわからない反論を耳にすることも、まあ無くはないわけです。本書でも、デジタル対応が進まない要因のひとつは「図書館員という「人の壁」」(第7章)だとおっしゃる、それがどこまで当たってるのか当たってないのかは公共図書館業界に身を置かないあたしには実のところわかりませんけども、例えばその無言の表れのひとつが、「文学部生にしか司書課程を履修させないような大学がある」ってことじゃないかなと思いますね。いや、そんなことやってる限り、この業界に未来なんかないだろう、と。じゃあ仮に、仮にですよ、本当に「図書館にデジタルは期待されてない」んだとしたら、だとしたら、っていうかだからこそ、最大の問題は「なぜ世間は図書館にデジタルを期待しないのか」ってことじゃないですか。仮にも資料・情報・メディアといったものを長い年月かけて抱え込んできた公共機関が、これから先のご時世においてデジタル面で期待されなくなったら、それこそ終わりじゃないですかね。
 というようなことを日々自己反省の材料にもしながら、寄席(大学)で高座(司書科目)にあがって学生さんの前で噺(講義)をしてる、というような状態ではあります。さっき「文学部生しか」なんて失礼な物言いしましたが、いまどき文系理系を問わず学生さんたちはスマホファーストなわけで、じゃあその学生さんたちの手元のスマホに充分に資料なり教材なり届けてあげられるか、って問われると、まあそこについては、司書としても講師としても忸怩たる想いがありますよね。そこ、やってかなきゃっていう。

 この本を読んでて、まあこれも自分の勝手な期待ではあったものの、その期待に応えてくれなかった点があるとするなら、ですが。ちょっと前の話に戻りますけど、ほとんどが電子書籍やデジタルアーカイブといった、コンテンツ提供の話に終始してたのかな、ってところですね。タイトルだけから見れば、ウィキペディアタウンに1章浸かってたっていいくらいのタイトルの本だったんじゃないかと思うんだけど、そうじゃなかったっていう。
 だってそもそも、いやさっきこの口で電子書籍ひとつ満足に云々って言ってはいましたけど、別に最終的には電子書籍が読める読めないで終わる問題じゃおそらくないわけですよね、ポストデジタル時代の図書館、ていうか社会、っていうのは。そもそも、「本」っていうのはなんですか、ただ単に消費者の読書活動を満たすだけのものですか、もしそうなんだとしたら伊藤さんが第2章でおっしゃってるように、いまのこのネット社会においては「出版者、書店、図書館という仲介は、必ずしも必要ではな」いわけですよね、作家と読者をダイレクトに結んでコンテンツを届ける仕組みなんてものは、いまネット上にとっくに整備されてます、だから電子書籍が図書館で読めなくったって誰も何も不便不自由に感じてない、という意味ではそりゃたしかに期待はされてないでしょうよ、と。
 でもそうじゃない、このポストデジタル時代の社会において、個々人の知的活動というものにパワーがあると信じるのなら、そのパワーが真に発揮されるのは、読書によるインプットによってだけでなく、アウトプット・活用によってこそでしょう、と。そっちに期待しましょうよ、と。そのパワーの源泉を掘り起こし、畑を耕すために必要なのは何ですかって言ったら、潤沢な素材にアクセスする機会を提供すること、だけじゃなくそれに加え、適切なスキルとリテラシーを育む場を提供すること。それこそが、ポストデジタル時代(もうだんだん「ポストデジタル時代」って言いたいだけになってきてますが)の図書館に、税金使って公共に奉仕する機関に期待されてる役目なんじゃないかなって。ていうか実際期待されてなかったとしたら首根っこひっつかんででもそういうことを期待してくれって説得すべきところなんじゃないかな、って思うんです。だからこその、いま現在ならウィキペディアタウンが議論の端緒にできたのでは、っていう。
 そういった意味で、やはり伊藤さんが第2章で紹介してたアメリカの「紙のない図書館」。そうですよね、よく考えたら物理的に紙の本をもたない図書館が2館も3館も建てられるのって理にかなってないじゃないかと思うんですけど、その「紙のない図書館」が「地域の利用者の学習と交流の場を目指している」というあたり、ははあんなるほど、”紙の無い図書館”のほうがよっぽど”紙に固執する図書館”よりも何が”図書館的”かってこと本質的にわかってはるやん、って思うわけですね。つまり、ポストデジタル時代の我々に突きつけられているのは、デジタルを採るのか採らないのかという問いではない、そもそも図書館とは何のためにあり何をするところなのか、という問いだったんだ、ていう。
 そういう意味では、図書館はなぜ資料情報を無料で公共圏に提供するのか、と、なぜそれがデジタルである必要があるのか、とは、ニアリーイコールだよなって思います。

 最後に。では、この本のデジタル化はどうなの?という話です。
 ひととおりざっと読んだところ、第2章の伊藤さんの論考、あの『情報管理』に燦然と輝く名論文「電子書籍貸出サービスの現状と課題 米国公共図書館の経験から」(http://doi.org/10.1241/johokanri.58.28)を、あろうことかさらにパワーアップさせた代物で、前半・電子書籍パートの間違いなく中心的存在、論拠となる統計も参考文献も豊富だし、逐一URLも書いてくれてるわけで、こういうのをこそ大学での講義でぜひとも教材に採用したいわけです。ですが、じゃあこの章を学生さんたちに電子で、かつオンラインで、お手元のスマホにどうお届けできるか、っていう話になるとこれが途端に難しくなると。そういう現実に、悔しいことなので二度言いますが、司書としても講師としても忸怩たる想いがありますよねっていう。
 本書は、これは勉誠出版さんが独自に構築してるのかな、E-booksというサイトでPDFを購入できる仕組みになってるわけなんですけど、えっとじゃあ、学生1人1人に買わせなきゃいけないですかね。大学図書館さんで提供できませんかね。え、もうあたしが勝手に配信しちゃっていいですか? これ著作権法に認められた範囲なのかどうですかね。じゃなかったら個別に許諾をとりにいかないとですかね。うーん。
いや、PDFでもダメじゃないんですけど、あたしこのPDF実際に自分のスマホで読んでみようとはしたんですけど、やっぱりかなり読みづらい。あと、これはアプリやデバイスの都合なんでしょうけど、せっかくの豊富な参考文献のURLにタッチしてもリンクしてくれない。ダメかー、ってなっちゃう。こういうときどうしたらいいんだろう、この著作自体がアプリになってくれるといいのかしら。あるいは、そういう学校教材を提供するのに適したアプリの類いがあるんだったら、この本のPDFがそれに対応してくれてたらいいのかしら。
 というような、一筋縄でも二筋縄でもいかないようなことが次々と起こるわけなんで、結局は、まあおそらくこれ紙でコピーして配ることになるんだろうなあ、っていう。

 そもそも図書館とは何のためにあり何をするところなのか、という大きな問い。
この本の第2章を学生に電子的にばらまいてスマホで読ませられるか、という小さな問い。
 これらの問いの解が、いわゆる従来型の姿としての図書館とはまったく似ても似つかないような別の仕組みに期待できるというんだったら、あたしはそれはそれで一向に構わんよなと思うてます。

 あとは、このご時世でもますます繁盛してるような大衆居酒屋にふらっと入ったところ、お店のねえさんから「こないだ図書館行ってみたけど、読みたくなるような本が何も無かった」って言われるような、そういうふつーの人のふつーの期待ハズレも地道になんとかしていかなあきませんが。


posted by egamiday3 at 19:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

「アーカイブサミット2017 in 京都」の極私的ふりかえり #アーカイブサミット


 2017年9月9日・10日におこなわれた、アーカイブサミット2017 in 京都についての、ふりかえり記事です。
 とはいえ、江上はこの催しに司会&運営、いわゆる”中の人”サイドでかかわっていました関係上、内容のことに触れることはほぼありません。準備期間から当日まで、具体的な内容にがっつり手を染める余裕はほぼ持てなかったし、そうするつもりもなかった(立場上ある程度距離を置いてた)かなという。
 おおむね、”中の人”による外枠的なことのふりかえりと感想、考えたこと、という感じです。

●各種リンク
 事務局によるオフィシャルな報告書や当日録画が、追ってオフィシャルサイトでオフィシャルに公開されることになると思いますが、まあ零細グループがほそぼそと活動してるあれなので気長にお待ちいただければという感じで、いまのところ下記のものがあるかなっていう。

○公式
・アーカイブサミット2017 in 京都 | 文化資源戦略会議
 http://archivesj.net/summit2017top/

○Togetter
・#アーカイブサミット 2017 in Kyoto 9/9(土) 1日目 〜ファシグラ、ジャパンサーチ、トレンド〜 - Togetterまとめ
 https://togetter.com/li/1149122
・#アーカイブサミット 2017 in Kyoto 9/10(日) 2日目 〜ユーザとクリエイターの間で〜 - Togetterまとめ
 https://togetter.com/li/1149479

○参加者のレポート
 下記3点、もうほぼ公式記録でもいいんじゃないかっていう。
・アーカイブサミット2017に参加しました(前編:1日目)
 http://www.gojo-partners.com/column-ps/2252/
・アーカイブサミット2017に参加しました(後編:2日目)
 http://www.gojo-partners.com/column-ps/2275/
・[DHM074]人文情報学月報 イベントレポート「アーカイブサミット2017 初日参加記」
 http://archives.mag2.com/0001316391/ (なおおそらくこのURLは後日別の記事に書き換わる)

 ていうかあれなんですよ、自分が”中の人”サイドであることの一番の難点は、自分自身でツイートしたり記録したりブログ書いたりほぼできないっていうことで、こんなおもろいイベント自分らで企画しといて自分でツイートできないのつらい・・・。

○京都新聞の記事
・(開催前)「眠る文化資源、連携でネット検索容易に 京都、9月サミット開催」
 http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20170826000035
・(開催後)「活用できるアーカイブへ 京都でサミット」
 https://twitter.com/archivist_kyoto/status/909663198390841344

○録画
 これは参加者さんによる私的録画の投稿です。
 事務局によるオフィシャルな録画の公開も近日中にアップロードされるはずです、たぶん。
https://www.facebook.com/michiko.yamakawa.737/videos/1345817035537460/
https://www.facebook.com/michiko.yamakawa.737/videos/vb.100003275296119/1343356822450148/
https://www.facebook.com/michiko.yamakawa.737/videos/vb.100003275296119/1344163752369455/

○グラフィックレコード
 1日目セッション(分科会)の各議論をリアルタイムで図示していくというもの、一見の価値あり。
 これも事務局によるオフィシャルな画像は追って。
http://twitter.com/egamiday/status/906408195941216257
http://twitter.com/egamiday/status/906408441253552128
http://twitter.com/egamiday/status/906408876559392768
http://twitter.com/egamiday/status/906409146479607808
http://twitter.com/egamiday/status/906409263521685504
http://twitter.com/egamiday/status/906504322199851010
http://twitter.com/egamiday/status/906504765114163205
http://twitter.com/egamiday/status/906505037051920394



●この催しの趣旨的なこと
 この催し(アーカイブサミット)は過去2回東京でおこなわれていたものを、今年は京都でやろうということになったとかで、あたしはその過去2回に参加したわけでもかかわったわけでもなくYoutubeの録画をふんわり見たくらいなので、たいしてその趣旨的なことを理解しているわけでもないです。
 ないですが、少なくとも「わざわざ京都でやる」と言ってこちらにお鉢が回ってくるからにはそれなりの意義というものを設定してしかるべきだと思うんで、それは決して、東京でやってたのをなんとなく場所を変えてみたとか、河岸を変えてみたとか、誰それが言ったからとかいう以上のことは無いとおかしかろう、と。それは単に、古都だから古い資料がのこされている、というような意味にとどまらず、多業種多分野の専門家・専門組織が顔を突き合わせているところであり、国内外各地のハブ的な位置づけであり、大学と寺社と町衆と産業と現場の実践と理論とが入り混じって隣り合わさってるような装いの土地柄で、そういう人たちがフラットに集まってフラットに話し合えたらなんかいいよね、っていう感じがするなって。
 古い資料がのこされてるから、イコール、アーカイブ、というわけではなく、なんというか、アーカイブやデジタルアーカイブの話を議論するっていうことは、中身自体の話をするというよりかは、ツールや仕組みを議論するっていうことなわけで。(余談ですが、7月岐阜のデジタルアーカイブ学会に参加したある人が「何をする集まりなのかよくわからなかった」という感想を言ってたという話をきいたんですが、その反応はある意味正しくて、それ自体が何であるかが重要なのではなく、それによって各業種各分野に何がどうもたらされるかのほうが重要な、そういう位置づけだろうと。) なんで、ツールや仕組みの議論が有効にはたらくには、やっぱり多業種多分野の人たちの、多角的横断的な口出しが、遠慮会釈なくフラットに飛び交うようでないとあかんと思うので、それはたとえて言うならば、近畿地区MALUIの”名刺交換会”が”ひと言もの申し交換会”みたいになるような、そういう議論と共有のためのひとつの「広場」が提供できればいいんじゃないかな、って、これあくまで極々私的にですが、そう思ってました。(過去2回がそうだったかどうかは知らないです、ていうかたぶん違うんでしょう、もしそうなら”サミット”って名称にはならないんじゃないかな)


●状況レビュー(1日目)
 ウォーミングアップですよね。特に古賀先生の現場的具体例のヒットパレード的なのが、吉見/生貝の話を強力に繋ぎ止める綱のようで、頼もしかったなという印象です。


●セッション(1日目)
 6つの分科会(3併行×2ターン)では、ファシリテーション・グラフィックとかグラフィック・レコーディングとか呼ばれるものを導入しました。
 議論の様子をリアルタイムで、下記のように模造紙に図示していく、というものです。

http://twitter.com/egamiday/status/906408195941216257
http://twitter.com/egamiday/status/906408441253552128
http://twitter.com/egamiday/status/906408876559392768
http://twitter.com/egamiday/status/906409146479607808
http://twitter.com/egamiday/status/906409263521685504
http://twitter.com/egamiday/status/906504322199851010
http://twitter.com/egamiday/status/906504765114163205
http://twitter.com/egamiday/status/906505037051920394

 こういうことを専門にやってくれる人(グラフィッカー)がいらっしゃるというので、どこからか探し出してきて、お金払ってやってもらう、ていうことをしたわけです。
 しかも今回はそのリアルタイムで描くのを、教室の壇上の黒板で、参加者全員の目の前で見えるようにやってもらいました。グラフィッカーの人たちに聴いたところによると、ふだんは参加者の見えるような場所で描くということはほとんどやらないらしく、だいたいは会場の脇のほうで気付かれるか気付かれないかみたいな雰囲気でやることが多い(場合によってはふわっとスルーされる感じ)とかで、いやでもそれっておかしくないか、参加者がリアルタイムに図示を目の当たりにできてこそ、議論がさらに進むという相乗効果が期待できるって感じのシステムなんじゃないの、って思うんで、いやこれは、多少スペース的に無理が生じたとしても教室前方で衆人環視のもとでやってもらいましょうとお願いし、グラフィッカーの人たちもふだんそんなふうに見られながら描くことないから緊張する、みたいに言ってはりましたけど、それでよかったし成功だったと思いますね。
 ただ意外だったというか勘違いしてたのが、でっかい模造紙1枚に収まるように描く、のかと思ってたら、中くらいの模造紙に何枚も連続して描く、という感じで、スペース的にも事前準備的にもちょっと無理させてしまったなという感じでしたので、これよそさんで導入する時は事前の打ち合わせはあったほうがいいよなって思いました、今回は結果オーライでしたが、養生テープの可不可とかあると思うんで。(ペンの裏写りは、「まったく大丈夫」らしいです)
 あと、さすがにジャパンサーチや情報技術のような話題は相当苦労してはったように思います、内容的にも事前打ち合わせが必要なのは、同時通訳と同じですね。


●セッション・レビュー(1日目)
 少人数で密な議論ができる仕組みの「分科会」というものに、かねがね不満があったとするならば、その会に参加しなかった人たちに共有されない、ということで、それはそもそもの趣旨に合ってないだろう、という意味で、もう一回集まり直してのこういうレビューはいい仕組みだなあって思いました。しかもその共有がスムーズに可能なツールとしてのグラフィックレコードであり、それがあるから各分科会のコーディネーターによるふりかえりが容易になり、壇上で掛け合いをかますという意味で、視覚的な効果が生まれてたな、という感じです。
 つまり1日目午後は、状況レビュー+セッション+セッション・レビューの3構成がしっかり連結してこそ意味のある催しだったな、といまとなっては思います。

●懇親会(1日目)
 片付けしてたのであんま参加してないのですが、考えたこと。
・いやほんとは、この会場にグラフィックレコードを掲示できればよかった。
・ここでもっとじっくり協賛・展示企業さんにスポットが当たればよかった。
・ここでいろんな企業の専門家さんとお話しすると、お酒の勢いもあってかすごく饒舌にいろんなことをしゃべらはるんだけど、翌日のシンポでそれ発言してもらえませんかと水を向けると、おおむねすうっと引かれるのがちょっと残念だった。いや、それごもっともだから、もっとたくさんの人に伝えましょうよ、って思うんですけど、そういう文化な業界とそうでない業界とあるのかな、とちょっと思いました。(ただ、実際にはシンポジウムで時間がなくなってしまい、コメントしていただけなかったみなさんには本当に申し訳ありませんでした、と)

●ミニシンポ(2日目)
 ほとんど目撃せず、進行役・登壇者・スタッフのみなさんにおまかせしてました。
 後日録画で確認します(そんな状態)。

●挨拶〜基調講演(2日目)
 壇上で進行してはいましたが、まあ形式通りにやってたという感じで、あまりこれといった印象はなく。
 ただ、御厨先生のようにスライド(視覚情報)なしで言葉一本で人を惹きつけるような噺ができるまでには、まだまだ修行が足りないなと思たです。

●シンポジウム(2日目)
 当日直前打ち合わせを、やるやらない、どのようにやる、を直前まで明確に決めきれていなかったのが一番の反省点。打ち合わせじゃなくて顔合わせでいい、適当な駄弁りで構わないから、ウォーミングアップとして大事。
 コメント募集について。挙手はもってのほか(あれは危険)。紙のコメント票回収は、スタッフ数が足りなくてできそうにない。で、前からやりたかった「Twitter・LINE・メールで受け取り」を実現しました。ただ、どうだろう、あのやり方でコメント引き出すの難しかったのかもしれないですね。ほんとは、参加者リストからの指名、が一番やりたかったディスカッションのかたちなのですが、時間の問題で実現せずじまいという。
 自分自身による2日間のレビューについて、ここでもやっぱりファシリテーション・グラフィックが役に立ちました。あれがなかったら一晩でパワポなんて作れなかったですよねという。
 進行としては、1人10分発話×4人、で、あとはフロアとのディスカッションを1時間弱、という心づもりだったのですが。難しいもんですね、前の講演が10分押し、自分の冒頭レビューが10分押し、みなさんの発話を聴きつつフロアからのコメント反応を見ているうちに、あ、これはもうパネリストのみなさんたちにたっぷりしゃべってもらうほうに需要がありそうだな、と判断し、そちらの方針に切り替えました。なので、先述のように本来はフロアにたんまりといる各分野各業界の専門家のみなさんにもの申してもらいたかったのですが、今回はそれがほぼ実現せず、という感じです。そのかわり竹宮先生のお話をみなさんしっかり堪能してくださったようで、それでよかったのだな、とも思いますし、うん、だからこそ、ディスカッションもっと欲しかったなとも思うんです。二兎は追えないものですね。
 なお、少しの時間ではありましたが設けることのできたディスカッションのターンについて。司会の立場としてその場でいろいろ進行していた、ように見えていたかと思いますが、実はパネリストの回答についてはほとんど自分の耳には入ってきませんでした。というよりそもそも各パネリストの発話自体も、話半分どころか1割くらいしか把握してなかったと思います。白状すると、意識的にそうしてたという感じです。各者の主張内容そのものを”自分ごと”として理解しようとする、その距離まで近づこうとすると、司会進行としてはおそらくパニクって何もできなくなる。あくまである程度の距離をとって、壇上のパネリストとフロアのオーディエンスのどちらの立場に立つわけでもなく、会場全体(賛同者もいれば反対者もいるし理解できてない人や興味ない人もいる場所)を俯瞰するところに立っておかないと、その後の進行ってたぶんできなくなるので、できるだけ”他人ごと”として捉える、主張内容を理解するのではなく流れや雰囲気を理解する、賛同か否定かではなくポジティブかネガティブかを、言葉ではなくベクトルを、議論ではなく反応を、因果関係や論理構成ではなく時間の流れと話の切れ目を意識する、というような感じで、どうかするとあの会場内でいっちばん話を聴いてなかったのは自分じゃないかな、って思ってます。えっと、後日公開されたら録画を見ます(笑)。

●全体を通して
 シンポジウムの最後に、質問コメントをほとんど紹介できなくてすみませんでした的なエクスキューズをしつつ、この続きはみなさんが各業界各職場に帰ってからそれぞれの同僚のみなさんと議論してくださいとお願いしました。この類の催しの真の”本番”は、そこにあると思います。このお祭りで、多業種多分野からの多角的横断的な議論と刺激が共有された、そのあとは、おのおのの現場で日常的にそれをどう反映していくのか、実践していけるのか、ていうかそのためにこそこういうことをやってるわけなんで。
 そういった意味でTwitterを拝見しててありがたかったのが、最初のうち #アーカイブサミット のハッシュタグを付けていろいろコメントしてはった人たちが、そのうちすうっと、ハッシュタグをはずしながら自分自身の考えや思いめぐらしをつぶやく、という流れに展開していってくれてはるという様子を目にしたことで、うん、そういうのが増えるのがほんとの成功、タグがはずれてからが本番、だなと思いました。
 だから、2日目のシンポジウムにしろ1日目のセッションにしろ、議論に結論を出す必要はないし、シャンシャンと手を打つような終わり方をするつもりも毛頭なかったし、何をする集まりなのかがわからなくていっこうにかまわない、ただただ引っかき回して終わったところでかまわない、そのもやもやこそが翌日からの現場の日常をまわしていく栄養分となるんだったらそれでいいんじゃないかな、って思います。
 そういう、もやもや製造広場、みたいなところを”中の人”としては”場”として提供しただけなのですが、みなさんがそこに熱意と協力意識と知見とをたんまりと持ち寄り、好き勝手議論して交流してくださって帰っていってくださったの、なんか奇跡みたいな催しだったな、っていまとなっては思います。
 惜しむらくは、司会業としての自分がそういう場で具体的に言いたいことも言えず、歯噛みすることも多いのですが、そのかわり自分の伝えたいことをパネリストやフロア参加者にかわって言わせる、という芸当ができるのもこの立場ならではなので、まあそれはそれでいいかな、っていうふうに呑み込んでます。


●その他
・一度は言ってみたかった、「許可のない写真撮影・録音・録画は、すべて自由です」。
・参加者リストを見てたら、まだ会ったことのないけど名前は存じ上げてるたくさんの人がいたんだけど、ばたばたしててほとんどご挨拶もできなかったのが、とても残念でした。よかったらまたぜひお声掛けください。
・とにかく全体を通して「ジャパンサーチ」への熱が冷めやらずという状態で、容赦なく降り注ぐ矢を臆することなく受け止めに向かうNDL・Tさんの勇姿を見れたのがひとつのハイライトだったんじゃないかと思いますね。
・セッション2-2でスケッチブック大喜利をやってはったのですが、ほんとは2日目シンポジウムでもそれがやりたかったのだな。
・議論の様子について「京都ならではの関係性」に言及してるコメントがありましたが、これについては思わなくはないものの、即断は避けます、中に身を置いていると客観的には考えられそうにないので。
・こういう催しをやっててコーヒー&スイーツを提供できていないのは、やっぱりかなり痛いという気がする。デジタルアーカイブ学会ではそれをちゃんとやってて、企業展示フロアにコーヒー持ち込んでたから、こちらでもやるべきだった。

 とりあえずはこんな感じです。オフィシャルな記録が公開されれば追記するかもです。

 おつかれちゃん。
posted by egamiday3 at 11:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

ヨーロッパ企画『来てけつかるべき新世界』から考えた、資料・情報とユーザのあり方についてその2


 『京都の凸凹を歩く』の紹介(http://egamiday3.seesaa.net/article/451624332.html)に並んで、もう1冊紹介するには、どれを選んだら釣り合いがとれるだろう、特に資料・情報とユーザのあり方を考察するにあたって、ということをいろいろ考える機会が、どうやらegamidayさんにはあったらしく・・・というのはどうやら建前で、実のところは、本の紹介をする原稿を書いてくれ的な依頼を受けた時点でまっさきに本書をとりあげる気が満ち満ちており、それをどうにかこうにか理屈付けした挙げ句がこういうことになっている、のが真相かと思われます。
 オフィシャルな原稿でヨーロッパ企画を語るのはたぶん初であろうと思われますが、その、たぁーっと書いたのの下書きめいたもの。

来てけつかるべき新世界 -
来てけつかるべき新世界 -

-----------------------------------------------------
 『来てけつかるべき新世界』(上田誠. 白水社, 2017.)は、京都を拠点に活躍する劇団・ヨーロッパ企画による舞台演劇(2016年)を収録した戯曲本である。手塚治虫の『来たるべき新世界』からタイトルをとったらしきこの作品は、2017年第61回岸田國士戯曲賞を受賞した。と書くと何やらたいそうに見えるが、「大阪の新世界に、デジタルとテクノロジーの”新世界”が到来した」という、SFと吉本新喜劇をミックスジュースにしたような、ゲーム好き・工学部出身の脚本家・上田誠氏が得意とするシチュエーション・コメディである。

 筆者の極私的な評になるが、ヨーロッパ企画本公演作品のうち三大傑作を選ぶとするなら、これまでは『サマータイムマシン・ブルース』(大学のサークル部屋を舞台にしたゆるい会話劇と、時間ものSFの粋を集めた伏線回収の見事さが圧倒的な、代表作)、『囲むフォーメーション』(9つの別の部屋で同時に何かが起こっている様子が、次第に明らかになっていくパズル的な趣向で、いまだ映像化されていない幻の名作)、『Windows5000』(空間的制約の中でやはりゆるい日常を送る人々の会話劇と、建築という”地形”が持つある種の容赦無さをドリフ的なオチでしめた傑作)であったが、ここに四天王の最後の1人がついに登場という感じで現れたのが、この『来てけつかるべき新世界』である。これからの本劇団の代表作と称されることはおそらく間違いないし、称されなかったとしても私はそう称したい。

 舞台は、おそらくもうあと何年後かの、大阪・新世界のはずれ。主人公は食べログの評価に悩む串カツ屋の娘。ソース二度づけで揉めたり、縁台将棋で暇をつぶしたりと、一見デジタルとは無縁のおっちゃんらがたむろする路地裏に、“新世界”の羽音がきこえてくる。出前ドローンがお好み焼きを運び、ロボットが日雇い労働者の職を奪い、将棋クラブでは人工知能を搭載したゴーグルがディープラーニングで銀を泣かし、パーマ屋がヴァーチャルリアリティの同棲相手からの嫉妬にさいなまれ、通天閣の歌姫がマインドアップロードに挑む。テクノロジーがもたらすのは単なる効率化・省力化だけではない。例えば、串カツ屋の娘に好意を寄せるIT企業のCEO(通称テクノ)は、道頓堀に飛び込んだ阪神ファンを遠隔操作のドローンで救い上げた時の様子を、ディスプレイ越しにこう語る。
 テクノ「慌ててまわりのドローンに呼びかけて、救助活動したんです」
 パーマ屋「あれ、お前が指揮したんか」
 テクノ「指揮っていうか、連携を取り合いまして」
 この掛け合いひとつからも、情報技術の進化が組織構成など社会のあり方自体を変えつつある様子がうかがえる。

 シンギュラリティの先はユートピアかディストピアか。非日常的な出来事の連続に、最初は拒絶反応や愚痴ばかりだったおっちゃんたち。しかし少しづつ新アイテムが入りこみ、使わざるを得なくなり、使いこなすようになり、いつしか無くてはならない存在になっていく。その結果”新世界”は到来しただろうか? ラストシーンのおっちゃんたちは相変わらず縁台将棋を楽しみ、ソース二度づけで揉めている。到来したのは”未来”と言うより、むしろ”次の日常”だった。何かが変わったのかもしれない。何も変わってないのかもしれない。よくわからない。もはやスマホがなかった頃どう行動していたかも思い出せない、かと言って、あの頃の未来にぼくらは立っているはずだけども、思ったほど衝撃的に変化したようにも思えない。おそらくおっちゃんら…デジタルと無縁かに見えるユーザは頑固でも旧態依然なわけでもなく、ただちょっとものぐさなだけ、新しい物が来るなら来るで早いとこ日常化してほしいだけなのではないか。
 だとしたら、資料・情報の提供のあり方を常に変革し前進させようとしている我々の営みは、どこへ向かうのか。その答えはもちろん本書にはない。ただなんとなく、バラ色の未来を強硬に実現するというよりは、いまの日常から次の日常へのゆるやかかつすみやかなアップデートくらいでええんとちがうやろか、と思う。

 本作に興味のある方はDVD(http://www.europe-kikaku.com/shop/eurodvd028.html)もおすすめ。キセルの音楽とともに楽しんでいただきたい。

posted by egamiday3 at 07:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

『京都の凸凹を歩く』から考えた、資料・情報とユーザのあり方についてその1

 梅林秀行. 『京都の凸凹を歩く』1・2. 青幻舎, 2016-2017.、をもとに、資料・情報とユーザのあり方について考える機会が、どうやらegamidayさんにはあったらしく、そのことについてたぁーっと書いたのの下書きめいたもの。
 なお、著者の梅林さんも登壇予定の9/9-10の「アーカイブサミット 2017 in 京都」(http://archivesj.net/summit2017top/)は、近日参加受付開始と思われます。

京都の凸凹を歩く  -高低差に隠された古都の秘密 -
京都の凸凹を歩く -高低差に隠された古都の秘密 -
京都の凸凹を歩く2  名所と聖地に秘められた高低差の謎 -
京都の凸凹を歩く2 名所と聖地に秘められた高低差の謎 -

-----------------------------------------------------
 『京都の凸凹を歩く』は、土地の“高低差”や“凹凸”を主役に据えた、他に類を見ない京都ガイドブックである。著者である京都高低差崖会崖長(http://kyotokoteisa.hatenablog.jp/)の梅林秀行氏によれば、この崖会は「まいまい京都」(http://www.maimai-kyoto.jp/)という京都の住民がガイドするミニツアー企画の活動を通して生まれたものらしい。特徴的な土地の形状から読み取れる歴史や社会と人の関わりをわかりやすく解説してくれる。梅林氏は、NHKの人気番組「ブラタモリ」にもたびたび出演し、サングラスのあの方をあちこち連れ回しては軽快な語り口でその地形や街並みに秘められた物語を紹介している。
 土地を解説してくれているわけだから、ただ屋内でぼーっと読んでいるだけではもったいない。というわけで、6月のある週末、『京都の凸凹を歩く2』一冊を携えて金閣寺へ足を運んでみた。金閣寺と言えば一年中観光客でごった返し、一方で市民が足を運ぶことはほぼないようなスポットで、私自身も訪れたのは10年ぶりか15年ぶりかとんと覚えがない。そんな手垢のついたような観光地でも、あらためて本書を片手に地図と写真と解説文を比べながら歩いてみると、見知っていたはずの風景がまるで違って見えてくる。金閣の配置とその背景を構成する地形にはそんな由来があったのか、金閣と衣笠山はこんなふうに見えるのか。古文献によれば金閣の北にもう一棟あったらしい、だとすれば風景はさらに違って見えるのではないのか。そうやってひとつひとつの意味を丁寧に解説してくれる”ガイド”とともに歩いていると、本書に言及のないものでも自力で丁寧に見るようになってくる。あの垣根は、あの祠は、あの敷石はどういう由来があるんだろう、気になっては立ち止まりスマホでググる。そうこうするうち、観光客なら30分で通り過ぎるような境内に、気がつけば2時間以上も滞在していて、いやあ金閣寺ひとつにこんなポテンシャルがあったとは、とすっかり堪能してしまった。
 その丁寧な”ガイド”を支えているのが、本書中で引用・参照されている豊富な文献・資料の数々である。金閣寺の章だけでも、江戸中期の古絵図、大正の都市計画基本図、幕末の錦絵、室町期の日記本文、京都市埋蔵文化財研究所による地下電気探査の報告書、そして地形図のベースは「カシミール3D」(http://www.kashmir3d.com/)という地形データのデジタルアーカイブ。学際的、というよりは分野の混交、その土地を主軸とした一種の総合芸術(総合学術?)のようにも思える。
 このような活用をしているユーザへこれらの資料・情報がどう届くかを考えるとき、ポイントのひとつは分野横断的なポータルの有無だろう。デジタル公開されてくれていればそれでもよいが、各種のデジタルアーカイブがネット上に散在していて思うように探せないとなれば、効率が悪いだけでなく、柔軟な発想を生み出しにくい。個々にしぼって探せる機能、に加えて、異なるデジタル資料を一括で発掘できるツールがほしい。2020年までに整備されるという国立国会図書館のジャパンサーチ(仮称)(@デジタルアーカイブの連携に関する関係省庁等連絡会・実務者協議会. 「我が国におけるデジタルアーカイブ推進の方向性」. 2017. http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_kyougikai/houkokusho.pdf@)がそれを実現してくれるのか、期待されるところである。
 もう1点、著者の梅林氏が大学等に所属しない”崖会”の”崖長”であることにも留意したい。各分野の様々な専門資料・学術資料が、特定の大学に属する者だけでなく公共に開かれたものであるか。特に、デジタル資料がオープンにアクセス可能かどうか。知の継承と共有が新しい知を生産するサイクルの原動力となる、ということを信じる立場としては、最高学府たる大学が知の囲い込みや出し渋りに走るのはひとつの自殺行為に等しいと考えずにはいられない。大なり小なりどのような形でであれ”オープン”を実践していくことは、今後の大学等の社会に対する責任の果たし方のひとつとしても切実に考えられなければならない課題のひとつであろう。
posted by egamiday3 at 16:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

このMALUIがすごい! : 「近畿地区MALUI夏の親睦会2017」からの報告

 
 先日(2017.7.2)、京都某所にて、近畿地区MALUIの恒例行事である”名刺交換会”あらため”夏の親睦会2017”が開催されました。

・近畿地区MALUI
 https://kinkimalui.wordpress.com/
・近畿地区MALUI 2017年夏の親睦会
 https://connpass.com/event/58372/

 MALUIというのは、要はMLAのバージョンアップ版であり、
  Museum(美術館・博物館)
  Archives(アーカイブ・文書館)
  Library(図書館)
  University(大学)
  Industry(産業・企業)
 の略で、文化学術情報関係のあらゆる人々で集まり、交流し合い、まあるい環になったところでお互いに協力しあって課題解決にもいそしみましょうよね、という多業種横断的な業界ムーブメントです。
 近畿地区では数年前からこのMALUI関係者が顔を合わせて自己紹介しあいましょうよねという”名刺交換会”という名目の呑み会がたびたび開かれており、善男善女が集っては友達の環!をかたちづくりつづけて早幾年、環が螺旋になりつつあるんじゃないかという成長ぶりであります。

 私もこの会に参加し、(ちょっとしたよんどころない事情で遅刻したディスアドバンテージに多少の心理的ダメージを持ちつつも)いろいろな方のお話をうかがってきて、たいへん勉強になりました。
 MALUIは組織ではなくムーブメントですので(たぶん)、固定メンバーがいるわけではもちろんなく、でもそのゆるさというかアドホックというか、だからこそ得られるファーストコンタクトの機会、というのがいいよなって思ってます。

 それで、せっかくなので、どんな方のどんなお話をうかがって環をひろげてきたのか、というそのいくつかをご報告してみようかなと。そうすることで、来なかった人たちをうらやましがらせたうえでの来年以降につなげてはどうかと、そういう浅知恵含みの記事です。


●全国遺跡報告総覧の世界発信
 http://sitereports.nabunken.go.jp/ja

 奈良文化財研究所の研究者で高田さんという方にお会いしてお話をうかがう機会がありました。
 高田さんは奈文研の全国遺跡報告総覧を世のデータベース類と連携して流通させようとしてらっしゃる方で、え、そうなんですか、あたし常々、あの活動はもっともっとこの業界で注目&議論されるべきだと思ってました(例:これこれ)し、これはベストプラクティス行き、この流れ来い!って思ってたし、もっと言うと、このニュースきっかけでうちとこでもいまちょっとしたことを具体的に取り掛かってる最中なんで、お話うかがえてありがたかったです。
 具体的には下記を参照。

・奈良文化財研究所、全国遺跡報告総覧とWorldCatとのデータ連携を開始
 http://current.ndl.go.jp/node/33409
・奈良文化財研究所、全国遺跡報告総覧の英語自動検索機能を公開
 http://current.ndl.go.jp/node/32393
・全国遺跡報告総覧、ProQuest社のディスカバリサービスSummonに対応
 http://current.ndl.go.jp/node/29385

 その時に見せてくださったのが下記の図なんですけど、

image2.JPG

 「ここまではやったんですけど、これ以外に何かないですかね」って問われたんですけど、いや、もうこれ、全部やってますやん、やれてない自分とこが縮こまるだけのやつですやん、ってなって恐縮してしまいましたっていう。
 その場にいた図書館業界の懲りない面々も「これはすごい」と色めき立ってたんですが、でもやっぱり、ていうかいまになって色めき立つくらいに、ほんとは当たるべきスポットライトがまだまだ当たり足りてない、もっと当たってほしいと思ったので、2015年に1記事出てるみたいではありますが、ぜひこの連携・発信活動のあたりをもういちどカレントアウェアネスでお願いします、という感じで、その会に参加してたカレントアウェアネス担当者にお願いしておきました。


●アニメ資料のアーカイブ化
 「プロダクション・アイジー」というお名前をあたしはそれまで存じ上げなかったんですが、会場でその自己紹介がされると「おおー」という声が上がってたので、あたしが知らないのがあかんかったのですね、「攻殻機動隊」ですよね、すみません、永崎さんに見ろと言われてまだ見てないです、すぐ見ます。Amazonプライムとかにないかな。ていうかwikipedia見たら知ってる作品ばっかりでビビった。
 そのプロダクション・アイジーの山川さんという方がいらっしゃってて、この方には3月にトロントでおこなわれていた北米の日本研究司書の集まりにもいらっしゃっててそこでお会いしたのですが、アニメ資料のアーカイブ化に携わっておられるとのことで、これもまた、さまざまなお話をうかがい勉強させていただきました。これは要後追い。
 ネットで見つけた参考文献を貼っておきます。

・山川道子インタビュー「アニメ会社におけるアーカイブ、そして未来」 | X - クリエイターに聞いた10年後の未来
 https://joshibi.github.io/mdw16/a/2.html
・第75回デジタルアーカイブサロン「アニメーション制作資料の保存と活用」
 https://www.slideshare.net/MichikoYamakawa/ss-75279406


●『ひっちょのステンショと呼ばれた駅』
 京都駅研究家の北川さんにもお会いしました。

・京都停車場 ひっちょのステンショと呼ばれた駅
 http://kyototeisyaba-hittyonosutensyo-m1025.blog.jp/

 京都のカフェで「『京都駅 絵葉書で見る140年』展」というのをやってて、京都駅関連の図像資料がずらーっと展示してあったのを、あたしもこないだ見に行ってきました(https://twitter.com/egamiday/status/860339682378477568)が、充実しすぎてて図録買って帰らざるを得ない感じで、堪能して帰ってきました。(当然ながら)知らんこともいっぱいあった。京都駅はまだまだ掘り下げられるべき。


●合同会社AMANE
 金沢からいらっしゃっていた上田さんという方にもお会いしました。合同会社AMANEというところは学術資源の保存とデジタル化にかかわる事業をやっておられるところで、金沢大学や石川県などの各機関、京都大学などとも連携でいろいろやっておられる。あと、あの国文研の江戸料理レシピ関連のをやっておられたのもこちらです。
 CiNiiひいたらいっぱい記事出てたので、リンク貼っておきますね。

・CiNii Articles 検索 - 上田 啓未
 http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E4%B8%8A%E7%94%B0%E3%80%80%E5%95%93%E6%9C%AA
・KURA: 博物資料情報に対するDOI付与の意義と展望
 http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/handle/2297/45891

・合同会社AMANE
 http://amane-project.jp/


●『賀茂祢宜神主系図』データベース
 月本さんという方は、本業とは別に、上賀茂神社の文書のデータベース化にたずさわっておられるそうです。

・賀茂県主同族会
 http://www.kamoagatanushi.or.jp/
・賀茂県主同族会(上賀茂神社) 賀茂祢宜神主系図ほか
 https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11C0/WJJS02U/2600515100

 上記サイトで重要文化財である「賀茂祢宜神主系図」が公開されていて、800年代から明治までまとまってる、検索もできるという。
 関連論文もオープンアクセスで公開されてましたので、貼ります。

・『賀茂祢宜神主系図』データベースの構築と活用の可能性(じんもんこん2015論文集)
 http://id.nii.ac.jp/1001/00146546/

 9月にはこの系図の曝涼・展覧もおこなわれるらしいので、これはカレンダーに書き込んどかなきゃなという感じです。


●展示・イベント各種
 京都国立近代美術館の黒岩さんから、8月から10月にかけて開催の「絹谷幸二 : 色彩とイメージの旅」展をご案内いただきました。9/1には京大の山極総長と対談イベントするらしいですよ。

・絹谷幸二 色彩とイメージの旅 | 京都国立近代美術館
 http://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2017/421.html
 
 伊丹市昆虫館の坂本さんからは「ぶんぶんミツバチ」展の案内をいただきましたが、残念ながら7/3まででしたね・・・

・伊丹市昆虫館
 http://www.itakon.com/ 

 大阪市立中央図書館の司書の皆さんからご案内いただいたのは、デジタルアーカイブのオープンデータ提供についてです。
 下記のページを見たら、ミニ展示として「オープンデータ活用術」というのをやってたんですね。そうか、”活用方法の展示”か、これはかなり学ぶべき。

・デジタルアーカイブのオープンデータ化開始 - 大阪市立図書館
 http://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?key=johsaozpv-510


 他にもたくさんの人にお会いしましたが、手元に資料のあるがこんな感じです、すみません。

 あと、ごくごく個人的なハイライトとしては、高校の時の先輩に20数年ぶりに再開したことで、まさかこんな近場におられるとは思ってなかった。名乗ってもしばらくリンクしなかったみたいで、めっちゃ驚かれましたとさ。
 そんなハプニングもたまにある(かもしれない)という近畿地区MALUIの催しは、今後もちょくちょくおこなわれると思いますので、興味のある方はぜひ下記のML登録からよろしくです!

・近畿地区MALUIメーリングリスト
 http://www.freeml.com/k-malui


posted by egamiday3 at 12:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする